あるもの探しの旅

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未体験食感チョコレート 

カカオ豆のルーツ・古代アステカ伝承
チョコラート・ディ・モディカ


 つい先日、NHK土曜朝の番組「チコちゃんに叱られる!」で衝撃的な再放送がありました。

Surprised_Monkey.jpg それは〝大人が年齢を重ねるにつれ、時間の流れを早く感じる理由は、生活にトキメキがなくなるから〟という内容。

 例えば、発見や驚きの連続だった幼児期から10代半ばを過ぎ、人生経験が増す19歳を過ぎる頃から、食事をするにしても、子どもの頃のような新鮮な喜びや感動を感じなくなり、時間の密度感が希薄になってゆくのだといいます。

 確かにその通りかも...。

 しかも昨年7月のオンエアということは、この半年間、生活態度を改めることなく無為に過ごしてきたということ。オー・マイ・ガーっ!!!!

zoolozy-gorilla.jpg【Photo】マウンテンゴリラチョコ(税込972円)。贈る相手が似ている場合は避けた方が賢明

 こと命と健康を支える食に関しては、食の都・庄内でキラ星のごとき匠たちとの得がたいご縁を頂いた2003年(平成15)以降、皿の中だけではなく、360°のパノラマビューの視野を持つよう心掛けてきたつもり。

 とはいえ時の流れが加速度的に早まっているのは紛れもない事実。胸に手を当てて思い起こせば、昨年12月12日、一昨年に続いて足を運んだ「神戸ルミナリエ」はつい先日のことのよう。

 クリスマス商戦で華やいでいた街は、一夜にしてお正月モードへと舞台転換。早いもので松の内が明けた現在はクリアランス & バレンタイン商戦に突入しています。

 この季節、百貨店で催されるチョコレートイベントに殺到する女性たちの熱気と迫力には圧倒されるものがあります。庄イタの場合、たまたま迷い込んでしまったランジェリー売り場の次に肩身が狭い思いをするかもしれません(笑)。

catalogi_st.valentino-departmentstore.jpg【Photo】バレンタイン商戦に向け、在阪の百貨店は趣向を凝らした取り扱い商品カタログを作成。大阪万博開催決定にあやかったか「チョコレート博覧会」と銘打つのが阪急百貨店梅田本店。300近いブランドを取り揃え、カタログというよりは、もはや分厚い読み物画像左下。各店ごと個性を打ち出してしのぎを削る

 昨年、女性を対象に実施されたアンケートでは、3/4近くがバレンタインデーにチョコレートを購入すると回答。うち自分用に購入するマイチョコが最多。以下義理チョコ、本命チョコと続きます。同性の友人に贈る友チョコ、男性が女性に贈る逆チョコも含め、平成最後のバレンタインデーは、ますます多様化しているようです。

 いずれにせよ、バレンタインデーにトキめいた思春期の甘酸っぱくもほろ苦い記憶を手繰り寄せ、初々しい10代の感受性を取り戻せるかは甚だ心もとない限り。「ボーッと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られないよう、自戒の念を新たにした庄イタなのでした。

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 ここからはチョコレートにまつわるお話にしばしお付き合いください。

 時はコンスタンティヌス1世が313年に発布した「ミラノ勅令」により、信教の自由が保障される以前の軍人治世による帝政ローマ時代。

 キリスト教徒の娘セラピアと恋に落ちたローマ軍の百人隊長サビーノとの婚礼に立ち会ったのが、西暦197年から現在のウンブリア州最南端Terni テルニで初代司教となったValentinoヴァレンティノでした。

San-Valentino-staind-glass-basilica-terni.jpg【Photo】ウンブリア州テルニの聖バレンティノ聖堂内陣のファサード側に設けられたステンドグラス。殉教後テルニの守護聖人となった司教バレンティノが、セラピアとサビーノの婚礼を執り行う様子が表現される

 反旗を翻したガリアやパルミラを平定し、最強を誇ったローマ軍は、士気低下を避けるため、兵士の服務中の結婚は許されていませんでした。多神教を奉じるローマ皇帝アウレリアヌスは、異教であるキリスト教徒を迫害しており、禁制を破ったヴァレンティノを捕らえローマに連行、273年2月14日に処刑します。

 没後列聖されたヴァレンティノは、恋人たちの守護聖人St.Varentino da Terniとして崇められるようになります。聖人の故郷テルニには、4世紀まで起源が遡り、1618年にバロック様式で再建された「Basilica di San Valentino 聖ヴァレンティノ聖堂」(下画像)が建ち、聖人はそこで永遠の眠りについています。

 聖ヴァレンティノが殉教した2月14日は、本家イタリアでは聖人ゆかりの赤いバラを男性から女性に贈る日で、レストランはカップルで賑わいます。

 隣人愛を根本倫理とするキリストの教えに殉じた受難の日2/14が、たとえ義理チョコであっても人間関係の潤滑油の役割を果たしていることは、聖ヴァレンティノとてあながちまんざらでもないのでは、と思いますが、いかがでしょうか。

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 悠久の時は流れ、話の舞台は激動の20世紀に移ります。1917年のロシア革命による君主制崩壊と内線勃発により、ロマノフ王朝の宮廷菓子職人だったマカロフ・ゴンチャロフは韓国を経由し日本に亡命。1923年(大正12)に神戸・北野で菓子店「ゴンチャロフ」を開店します。

 その翌年、同じく貿易商と雑貨店を営むフョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフもロシア革命を主導したレーニンの出身地であることから没後はレーニンの姓にちなんだウリヤーノフスクと改名した故郷シンビルスク郊外の家を追われます。

 一家は白系ロシア人が築いた中国黒竜江省の都市ハルビンに逃れて6年を過ごし、苦難続きだったシアトルでの数カ月を経て神戸に移住。試行錯誤を経て神戸・北野異人館通りと旧居留地とを結ぶ通称トアロードで洋菓子店「Confectionery F. MOROZOFF モロゾフ」を開店したのが1926年(大正15)。 

varentine_morozoff.jpg 開店当初は、片言の日本語しか話さぬ母ダーリヤが接客を担当。ロシアとは事情が異なる神戸の夏の暑さのもとで、雇ったロシア人職人もチョコレート作りに悪戦苦闘。

 ハイカラ好みの神戸でエキゾチックなチョコレートは徐々に受け入れられ、明治屋神戸店ほか三越や大丸にも販路を拡大。事業拡大のため神戸の経済人の出資により「神戸モロゾフ製菓株式会社」として1935年6月に再出発。

 その翌年、2/14聖ヴァレンタインの日にチョコレートを贈る提案をしたのが、日本におけるバレンタインデーの端緒とされます。

 開店当初よりフョードルの長男ワレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフも菓子職人として働く中、日本人共同経営者と訴訟沙汰となった結果、モロゾフ父子はモロゾフの商号使用を禁じられ、チョコレートの製造販売権を剥奪されます。

casa-morozoff.jpg【Photo】ワレンティンが神戸で暮らすようになってから、ハルビン時代に出逢った女性と十数年ぶりにハルビンで再会。家庭を築いてからもモロゾフ一家が暮らした神戸市中央区北野町の増田家住宅(旧モロゾフ邸)。白壁にピンクの鎧窓が菓子職人一家らしい優しい印象を与える。登録有形文化財

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 父が菓子製造の第一線からを退き、2代目ワレンティンの名を英語読みした「バレンタイン製菓店」と改称した1941年、日中戦争の長期化と太平洋戦争の開戦による製菓材料の枯渇で店を休業。神戸郊外の大池での不自由な疎開生活を強いられる中、母を亡くします。

 戦況が悪化した1945年の神戸空襲により店舗は灰燼に帰します。戦後の物不足の中「コスモポリタン製菓」として三宮の高架下仮設店舗で再出発。1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災で三宮本店が被災。震災を乗り越えた2000年以降は高級チョコレート市場の競争激化により業績が悪化してゆきます。

 ロシア革命で故国を失う苦難の道を歩んだ亡命者の父子、日本人に本格的なチョコレートを初めて紹介したフョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフは1971年に、息子ワレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフは1999年に神戸で亡くなります。初代フョードルの孫ワレンティン・ワレンティノヴィチ・モロゾフは、2006年に自主廃業を決断しました。

 祖国を亡くした亡命者という不自由な立場ゆえの偏見や裏切りに等しい仕打ちを受けながら、永住の地と定めた神戸で波乱に満ちた生涯を終えた父と子。実直な生き方を貫き〝地の塩〟たらんと欲したモロゾフ親子は、神戸市立外国人墓地で日本の土に還ったのです。

cipresso-morozoff.jpg【Photo】旧モロゾフ邸の庭には糸杉が二本。神戸ポートアイランドにあったコスモポリタン製菓本社屋前にも糸杉があった。ヨーロッパ世界で糸杉は亡者の象徴として墓地に植えられる一方、永遠の生命を宿す樹として尊ばれる。寄り添うような2本の糸杉がフョードルとワレンティン親子の姿と重なって見えた

 バレンタインデーを日本に根付かせた功労者が、聖ヴァレンティノのロシア語読みであるワレンティンだったというのは偶然にせよ、何やら運命的なものを感じてしまいます。

 数奇な運命をたどったモロゾフ一族のビタースイートな物語は、川又一秀氏の著作「大正十五年の聖バレンタイン~日本でチョコレートをつくったV・F・モロゾフ物語」(1984年 PHP研究所刊)に詳しいので、ご一読をお勧めします。

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 みんなを笑顔にするチョコレートやココアの主原料となるカカオ豆は中米から南米大陸にかけての地域が原産。

 中米でマヤ王朝が繁栄した15~16世紀。アステカでは、当時貴重品だったカカオ豆を原料とする飲料で、紀元前までその起源が遡る「ショコラトル」を口にすることができたのは王侯貴族や戦士といった一部の階層に限られていたといいます。

aztec_cacao_warrier.jpg【Photo】焙煎したカカオ豆を臼で砕き、アステカの主食トウモロコシ粉や唐辛子などの香辛料を加えて加水した「xocolatl ショラトル」。チョコレートは野戦食として高カロリーであるばかりでなく、主成分のカカオには覚醒作用や血管拡張効果がある成分が含まれるため、16世紀アステカのみならず20世紀に入ってからも米軍兵士に軍需品として支給された

 ヨーロッパでは紀元前からユーラシアとして地続きの西アジアからインド、地中海を挟んだアフリカ大陸の存在は知られていました。

 15世紀にイベリア半島北東部のみならず、中部イタリア以南のナポリ王国からシチリア・サルデーニャ・コルシカ島まで版図を拡げたのが、アラゴン王国とカスティーリャ王国との連合体として成立するスペイン王国です。

 海洋国家ヴェネツィア共和国にとって交易上のライバルだったジェノヴァ共和国出身とされるクリストフォロ・コロンボ(英語名:クリストファー・コロンブス)は、1492年から1502年まで4回に及んだ航海において、勘違いから「西インド諸島」と名付けたバハマやキューバ、ジャマイカ、ヴェネズエラ、ニカラグアといった中南米大陸の一部に到達。

Cantino_planisphere_1502.jpg【Photo】西暦1500年4月、リスボンから海路インドを目指したポルトガルの探検家ペドロ・アルヴァレス・カブラルはブラジルに漂着。その一部を含む大航海時代初期にヨーロッパ人が認識していた世界が描き込まれた海図(部分)。イタリア・フェッラーラ公エルコレ1世・デステの配下だったアルベルト・カンティーノが1502年にリスボンで入手。現存する最も初期に製作された地図のひとつ。イタリア・モデナ「エステンセ大学図書館」所蔵

 ヴェネツィアが富を独占していた地中海交易に対抗すべく、西回りのインド航路を開拓するよう命を受けた副産物として、大西洋の西方に陸地があることが初めてあまねく知られます。

 本来の目的であったアフリカ大陸最南端の喜望峰を迂回するインド航路の発見は、1497年にリスボンを出帆したポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマにより成し遂げられます。

 このように大航海時代を迎えていたヨーロッパ社会の西端に位置するスペインやポルトガル王国からは、黄金や奴隷狩りを目的にエルナン・コルテスやフランシスコ・ピサロら、数々の蛮行を働いた悪名高きConquistador(コンンキスタドール=征服者)たちが中米や南米大陸を目指しました。

Pietro_Longhi_La_cioccolata_del_mattino_1775-1780.jpg【Photo】東地中海を舞台とする交易で栄えたヴェネツィア共和国。〝アドリア海の女王〟と称された共和国が終焉を迎えたのが18世紀末。覇権を拡大するオーストリア帝国やナポレオンの足音が迫り、凋落の予兆が忍び寄る爛熟時代のヴェネツィア風俗を描いたピエトロ・ロンギ「朝のチョコラータ」(部分・1775~1780 / Ca' Rezzonico カ・レッツォーニコ「18世紀ヴェネツィア美術館」所蔵)

 そんな中でチョコレートの原型となる飲み物がヨーロッパにもたらされます。スペインやポルトガルの王族に続いてその恩恵に浴したのがカトリックの総本山バチカンを擁するイタリアでした。

 17世紀末から18世紀にかけてサヴォイア王国の首都で、1861年のイタリア王国統一後も1865年まで首都だったのがトリノです。現在はピエモンテ州の州都であるトリノで花開き、スイス・ベルギー・フランスの大衆へと広がったチョコレート文化に関しては、トリノ訪問翌年の2007年8月にまとめた拙稿「チョコレートの街 トリノ」を参照願います。

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 地中海の中心に位置し〝文明の交差点〟と称されるシチリア島は15世紀にはスペイン領でした。18世紀の幕開けまで続いたスペイン統治時代、シチリアにもたらされたのが「Cioccolato di Modica チョコラート・ディ・モディカ」。アステカで珍重されたカカオ豆の伝来当時のレシピで作られ、私たちが口にするチョコレートの原型を今に伝えます。

 チョコラート・ディ・モディカは、カカオバターを取り除いて発酵後に焙煎したカカオマスとブラウンシュガーだけで作ります。カカオ豆由来の脂肪分は融点に達するも、粗糖が溶け切らない42℃~45℃以下の低温で混ぜ合わせ、型に流し込んで成形したもの。

bonajuto-cioccolato-modica.jpg【Photo】現存するシチリア最古のチョコラート・ディ・モディカの作り手である「Bonajuto ボナイユート」のカカオ豆70%「Cioccolato Settanta %」のザラザラした断面には、溶け切らない粗糖の粒子が見て取れる

 その〝ガリッ、ジャリッ〟とした食感は、馴染み深い一般的なチョコレートや、トリノで発明されたジャンドゥーヤのより滑らかな口当たりとは印象が大きく異なります。

 19世紀になって産業革命の中心地だったイギリスで抽出法が編み出されたカカオバター成分を練り込んで固形化に成功したことで、チョコレートは滑らかな口どけを獲得。大きな転換点を迎えて今日に至ります。

 後述する理由から、昨秋から冬にかけて購入したのが、共にシチリア州南部ラグーザ県のチョコレートの街として知られるモディカにあるチョコレート工房「Bonajuto ボナイユート」製「チョコラート・セッタンタ%」下画像左と「Luchino ルキーノ」製「ピスタッキオ・ディ・シチリア・ビオ」下画像右の2種。

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 パッケージのサイズは異なりますが、どちらも50g容量。地元モディカでは€2.9(約362円)~€3.2(約400円)ほどで入手できます。

 1880年創業でシチリア最古参だというボナイユート店頭では、一説では300種類の味がするというカカオ豆の苦味しかほぼ感じない(笑)100%ほか、90%・80%や唐辛子入り・レモン風味など、シチリア伝統のモディカチョコの試食ができるので、好みの味を見つけることができるはず。

 庄イタは程よいカカオ感を味わえる70%がお気に入り。

 ボナイユートの製品は、神戸市東灘区岡本の輸入食材店「PORCO BACIO ポルコ・バッチョ」で取り扱います。(税込864円)
 
luchino-modica-pistacchio.jpg【Photo】JASやICEAの有機認証を得ている「Luchino ルキーノ」の「Cioccolato di Modica Biologico」シリーズのピスタッキオ風味(税込918円)

 ペルー産のオーガニックカカオと相性が良い有機ピスタッキオ(=ピスタチオ)風味のチョコラート・ディ・モディカを見つけたのが、白トリュフオイルの項でもご紹介したJR大阪駅構内の大型商業モール「ルクア大阪」B2F「キッチン&マーケット ルクア大阪店」と京都市中京区東洞院通「京都八百一本館」2F「Pantry」。

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 過去に一度だけ食べたことがあったチョコラート・ディ・モディカを、何故に急に思い立って立て続けに購入したのか。種明かしをしましょう。

 転勤に伴う住まい探しのため、2泊3日の日程で大阪市内に宿泊した2017年3月某日の夜。訪れたのがホテルから徒歩圏の西区京町堀にあるシチリア料理店「Cuccagna クッカーニャ」でした。

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 実は、同じビルのワンフロア上には転勤前にも訪れたことがあるマルケ料理店「Osteria la Ciccerchia オステリア・ラ・チチェルキア」があります。その日は予約できず、いわばマルケ州からシチリアに行き先を変更した格好。

 ところがどっこい。そこは魚介系を中心にシチリアらしい味付けを肩肘張らず楽しめ、気持ちの良い接客ぶりを含めて好感が持てるお店だったのです。良い店を嗅ぎ当てる庄イタの動物的な嗅覚は、前項で述べたように前々世はトリュフ犬だったかもしれないと妄想を巡らす根拠の一つなのです。

 思わぬ怪我の功名で出合ったクッカーニャでしたが、昨年10月、大阪府豊中市の緑地公園駅近くに移転。
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 新天地でご活躍中の今木宏彰シェフの片腕だった谷後斉シェフが、移転前のクッカーニャを引き継ぐ形で「Torattoria Aria トラットリア・アリア」を昨年9月にオープンしました上画像

【Photo】パレルモの星付きリストランテ「Bye bye Blues」でも料理の腕を磨いただけでなく、ソムリエとイタリア政府公認バリスタの資格も有する谷後斉シェフ。昼は食後にラ・マルゾッコで淹れるエスプレッソをお願いするのが常の庄イタが、気まぐれからシェケラートを所望すると、鮮やかな手つきでシェーカーを振りだした

 ある日のランチコースで前菜3品に続いて登場したのが、シチリア島東部カターニャ県ブロンテ産ピスタッキオソース & モディカチョコ風味のパスタ料理でした。

 パウダー状にしたモディカチョコが、相性の良いピスタッキオと絡み合い味に深みを添えるこの一皿。もともとは今木シェフのスペチャリテだったのだそう。夜に伺った際はマッケローニタイプのショートパスタで、粒状のピスタッキオもトッピングされてきました下画像

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 チョコとピスタチオは鉄板の組み合わせ。これはハマってしまいました。その衝動を抑えるため、チョコラート・ディ・モディカを調達したのです。

 ピスタチオ風味といえば日本ではジェラートやスイーツでおなじみかと思います。産地のカターニャ周辺ではバリエーション豊富なシチリア風Crochetta クロケッタ(=コロッケ)「Aranchino アランチーノ」の具としてや、ペースト状にしてパスタソースとしても活用されます。

 エトナ火山の西方に広がる火山性土壌で育つブロンテ産ピスタッキオの生産量は年間3,500~2,500トンほど。これは全世界の1%にも満たない数字にすぎません。

※ 再生時音楽が流れます

 それでも日本円換算で25億円もの経済効果を人口2万人足らずのブロンテ村にもたらし、色合いから「Oro Verde (=Golden Green)」とも呼ばれるブロンテ産ピスタッキオが、品質において世界の頂点にあることは、事情通の間では周知の事実。

 熟すると白っぽくなる殻で外側を覆われ、ピーナッツのように赤味がかった薄皮に包まれた淡く鮮やかなグリーンの実は目にも鮮やか。 

 9月に入ると一斉に始まる収穫は2年に一度。今年2019年は収穫年に当たっています。

 あぁ、行きたいなぁ...シチリア。

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Trattoria Ariaトラットリア・アリア

Trattoria ARIA.jpg・住:大阪市西区京町堀2丁目3-4 サンヤマトビル2F
・Phone:06-6131-5440
・営:12:00~14:30 18:00~23:00 水曜定休・月一回不定休あり
・URL: https://www.facebook.com/Trattoria.ARIA.osaka/

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