あるもの探しの旅

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2019/03/17

必見!「Il Gattopardo 山猫 4K修復版」

CGもARもひれ伏す精緻な実写のリアリティ
4Kで蘇った絢爛たる歴史絵巻〈後編〉


 リソルジメント(イタリア統一運動)が大詰めを迎えていた1860年5月。ポー川以北のヴェネトやチロル地域を領地としていたオーストリア帝国支配からの脱却、そして立憲君主制を志向するブルジョア革命のうねりは、スペインブルボン家の流れをくむ王政のもと、貴族支配による封建的な土地所有制が保たれていたシチリアにも及びます。

 ナポレオン支配を脱した後、サルデーニャ王国を盟主とする統一国家「イタリア王国」が1861年3月に成立する直前時点で、イタリア半島は紆余曲折を経て4つの国家に分かれていました。

Risorgimento.gif【Animation】イタリア統一運動が巻き起こった1829年から1871年までの時代変遷。ガリバルディがシチリアに上陸する1860年5月までにサルデーニャ王国(Regno di Sardegna:グレー)、オーストリア帝国(Impero Austoriaco)領ロンバルド=ヴェネト王国(Regno Lombardo-Veneto:レモンイエロー)は、ロンバルディア地域がサルデーニャ王国に編入、ローマ教皇領(Stato Pontificio:パープル)、両シチリア王国(Regno delle Due Sicilie:ベージュ)の4か国に統合されてゆく。その過程でフランス帝国ナポレオン3世とイタリア統一後初代首相となるサルデーニャ王国宰相カミッロ・カヴールとの密約により、オーストリア排除のためフランスが介入する見返りにガリバルディの生まれ故郷ニースやモナコ、サヴォア地域がフランスに割譲。オーストリアとの単独講和を結んだナポレオン3世の裏切りにより、イタリア統一の機運が高まる。1860年に実施された投票でトスカーナ大公国(オリーブ)やパルマ公国(ブラウン)とモデナ公国(ライトブラウン)がサルデーニャ王国に編入されるなど、複雑な経過を経る

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 祖国統一を目指すジュゼッペ・ガリバルディ上画像率いる私設軍「La Spedizione dei Mille(千人隊、ないしは赤シャツ隊)」の兵士約1,000名余は、2隻の船に分乗し、1860年5月シチリア西部のマルサラ付近に上陸。同年初めにパレルモやメッシーナなどで武力蜂起した農民と合流して王党軍と戦闘を繰り広げます。

 ガリバルディは反動的な治政を敷いたフェルディナント2世が実権を握るナポリ・シチリア王国打倒を旗印に掲げます。シチリアがノルマン人の支配下に入る11世紀末を起源とし、13世紀には確立していた封建的な土地制度を支えた農民や市民らの歓迎と加勢を受け、同年7月末までにパレルモから東部メッシーナまでを制圧。

 当初の2.5倍の規模に膨れ上がったガリバルディ軍は、シチリアを開放後、王朝軍が制海権を握るメッシーナ海峡を渡り、イタリア半島のつま先にあたるカラブリアから王国の首都ナポリへと進撃を続けます。

incontro-Garibaldi -Vittorio-Emanuele-II.jpg【photo】1860年10月26日。ピエモンテから南進したヴィットリオ・エマヌエーレ2世とシチリアから北上したガリバルディがナポリ近郊のテアーノで会見。共和派のガリバルディが解放した領土を王党派の領袖たるサルデーニャ国王に献上。戊辰戦争のような内乱を経ることなく統一運動が進展する。ピエトロ・アルディがトスカーナ州の古都シエナ市庁舎に1886年に描いたフレスコ画「テアーノの会見」

 1860年10月、サルデーニャ王国軍を率いてナポリに侵攻したヴィットリーオ・エマヌエーレ2世に対し、ガリバルディは制圧した全ての領地を献上。武力によるブルボン支配からの脱却を推し進めたガリバルディが身を引く形で、サルデーニャ王国主導のもとイタリア統一に向けた動きが加速します。

 映画「Il Gattopardo (邦題:山猫)」の主人公、サリーナ侯ドン・ファブリツィオ・コルベーラは、幾代にもわたって広大な領地を所有、その権益を享受してきた名門貴族ファブリッツィオ家の当主。その家族下画像も、そうした時代の一大変革期の渦に巻き込まれてゆきます。

Il-Gattopardo-salina-famiglia.jpg【photo】映画の冒頭、日課であるロザリオの祈祷を終えたサリーナ公爵家の家族にガリバルディ軍のシチリア上陸の一報が届く。新しい風がシチリアに吹き始めたかのようにレースのカーテンが風に揺らめく演出が心憎い。革命軍上陸に動揺して取り乱すマリア・ステッラ公爵夫人(右から3人目)や家族に対し、名門貴族の長であるサリーナ侯ドン・ファブリツィオ・コルベーラ(左から3人目)は落ち着き払った態度で接する Reporters Associati s.r.l

 映画のおさらいとして、〈前編〉の最後でお願いした通り、右記アーカイブよりDicembre 2015(2015年12月)の拙稿「Principe di Salina サリーナ公爵 ~ 山猫の世界を体感するピュアカシミアコート」をご覧いただいているという前提で話を進めます。

※ダイレクトリンク不可につき、お手数でも下記URLをコピペ頂けますようお願いします。
  http://blog.kahoku.co.jp/shokuweb/vam/2015/12/principe_di_salina.html

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 第二次世界大戦でイタリアが連合国に降伏した後、ナチスドイツの占領下にあったローマで対独レジスタンス活動を繰り広げた市民に降りかかる厄難をドラマチックに描いたロベルト・ロッセリーニ「Roma città aperta(邦題:無防備都市)」(1945)、大戦後の貧困にあえぐ父と息子の悲哀が心を打つヴィットリオ・デ・シーカ「Ladri di Biciclette(邦題:自転車泥棒)」(1948)、粗野な旅芸人ザンパノの助手となったジェルソミーナを身勝手から見捨て、数年後に無垢な彼女の末路を知って嗚咽するラストが胸に迫るフェデリコ・フェリーニ「La strada(邦題:道)」(1954)。

 こうしたイタリア映画の金字塔を打ち立てた作品は、有無を言わせず個人を力で抑圧するファシズムへの反動として、1940年代から1950年代にかけて黄金期を迎えるイタリアン・ネオレアリズモの本流を生み出し、映画や文学に新風を吹き込みます。

 ファシズム後の混乱した社会の不条理と貧困に立ち向かう人々の哀感をありのままに描くネオレアリズモの先駆的作品とされるのが、ミラノの名門貴族の出身であるルキーノ・ヴィスコンティ・ディ・モドローネ(1906-1976)の長編処女作「Ossessione(邦題:郵便配達は二度ベルを鳴らす)」(1943)です。

 イタリア語で妄想や悪夢を意味するOssessioneは、ファシスト一党独裁のベニート・ムッソリーニ政権末期にイタリア国内で公開されています。吹き荒れるファシズムへの反動として巻き起こったレジスタンス活動にヴィスコンティが身を投じた当時の処女作でしたが、上映後わずか数日で上映禁止処分を受けています。

 その理由として〝原作者ジェームズ・M・ケインの許諾を得ることなく映画化されたため〟と紹介されることが日本では少なくありません。しかしながら、この安直な解釈には疑問をさし挟む余地が残ります。

Ossessione.jpg【photo】映画「Ossessione(邦題:郵便配達は二度ベルを鳴らす)」より ©1943 I.C.I. Industrie Cinematografiche Italiane. © 1987 Marzi Vincenzo; © 2004 MARZI Srl. All rights reserved. International Sales VIGGO S.r.l.

 Ossessione の撮影が始まったのは第二次世界大戦の真っただ中の1942年6月。枢軸側のイタリア王国は、英米仏ら連合国と戦争状態にあり、許諾を取ろうにも困難な状況でした。ゆえに許諾を得ることなく映画製作が進んだことは事実です。

 独裁者ベニート・ムッソリーニの次男ヴィットリオは、映画批評誌「Cinema」編集長を務めており、同誌の編集同人だったヴィスコンティを含む下層社会に生きる人々への共感を示す左派ネオレアリズモ運動の旗手を担ってゆく映画人と交友がありました。独裁者の後ろ盾とヴィットリオの後押しを受け、脚本に若干の手直しを入れるだけで検閲をパスしたのは、イタリアが伝統的なコネ社会ゆえでしょう。

 翌1943年5月、ローマやミラノなどで劇場公開されるも、国家ファシスト党からは完成した映画に登場する非都市部の描写が貧相だと横槍が入り、保守的なカトリック教会からは内容が非道徳的だと糾弾され、封切り数日にして上映中止。官憲の手でフィルムは廃棄処分されます。アフリカ戦線からの撤退など戦況の悪化と連合国のイタリア本土上陸が現実味を増した同年7月25日、ムッソリーニは失脚、9月8日にイタリア王国は無条件降伏します。

making-ossessione.jpg【photo】初監督作Ossessione 撮影中の貴重なスナップ。1954年公開のヴィスコンティ作品「Senso(邦題:夏の嵐)」ほか、ベルナルド・ベルトルッチ監督作「Ultimo tango a Parigi(邦題:ラスト・タンゴ・イン・パリ)」(1972)にも出演する足掛かりとなったマッシモ・ジロッティ(1918-2003・中央)と共演のエリオ・マルクッツオ(1917-1945・)に演技指導するルキーノ・ヴィスコンティ()。エリオ・マルクッツオは、対ナチスドイツ破壊工作活動を行ったパルチザン組織「ガリバルディ旅団」に所属。ナチスドイツ降伏後間もない1945年7月、パルチザンに対する徹底した弾圧を行った秘密警察の残党により28歳で処刑された ©Osvaldo Civirani (attr.), 1942. Coll. Museo Nazionale del Cinema

 ナチスドイツによるイタリア占領下において、アルフレード・グイーディという偽名を名乗ってローマでレジスタンス活動中に身柄を拘束されるも、40日後の1944年6月4日、連合軍によるローマ解放の日に救出されます。

 第二次大戦終結後、ヴィスコンティが保管していたネガフィルムをもとに映画を復元、米国で劇場公開しようとするも、大手配給会社MGMは、いかにもハリウッド的なラナ・ターナーを主役に起用した「The Postman Always Rings Twice(邦題:郵便配達は二度ベルを鳴らす)」を制作しており、版権がネックとなってお蔵入りとなったというのが真相のようです。

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 イタリア国外では1976年まで公開できなかった初監督作「Ossessione」の完成後は、舞台演出家としての活動に重きを置きます。さらに1954年12月にはオペラの演出にも進出。ミラノスカラ座の歌劇「ヴェスタの巫女」全3幕公演にデビュー間もないマリア・カラスを起用し成功を収めます。翌年もカラスはヴィスコンティのもとでジュゼッペ・ヴェルディ「椿姫」ヴィオレッタなどの大役にも挑戦、演技に磨きをかけ、20世紀を代表する世界のプリマ・ドンナとして成長してゆくのです。

maria_callas_scala.jpg【photo】スカラ座には1950年にヴェルディ「アイーダ」で初舞台を踏んだマリア・カラス。ヴィスコンティの初演出によるガスパール・スポンティーニ「ヴェスタの巫女」('54)、ヴィンチェンツォ・ベッリーニ「夢遊病の女」('55)、ルイージ・ケルビーニ「メデア」('62)からのアリア集CD「スカラ座のマリア・カラス」(全6曲・42分)・演奏:ミラノスカラ座管弦楽団 ・指揮:トゥリオ・セラフィン  ・レーベル: ワーナーミュージック・ジャパン ℗ 1958 Warner Classics, Warner Music UK. Digital remastering (p) 2014 Warner Classics, Warner Music UK Ltd, A Warner Music Group Company

 選挙キャンペーン用に南部の貧困をドキュメンタリータッチで撮ってほしいというイタリア共産党の依頼を受け、出演者全員が地元の漁民や素人・オールロケによる撮影に着手。当初計画では短編映画の予定が、シチリア滞在は6カ月に及び、党の援助資金が途絶します。

 そのため、1939年に59歳で亡くなった母カルラの形見である宝石類をやむなく売却。165分の大作となった傑作「La Terra Trema - episodio del mare(邦題:揺れる大地-海の挿話」(1948)は、こうして完成します。

terra_trema_visconti.jpg【photo】ルキーノ・ヴィスコンティ監督作品「揺れる大地~海の挿話 デジタル修復版」 (Blu-ray)本体価格:5,800円(税別)販売元: KADOKAWA / 角川書店

 その後の「Bellisima(ベリッシマ)」(1951)、オムニバス映画「Siamo Donne(邦題:われら女性)」第5話「Anna Magnani(アンナ・マニャーニ)」(1953)、「Senso(邦題:夏の嵐)」(1954)、「Le Notti Bianche(邦題:白夜)」(1957)まで続くネオレアリズモ路線の展開と深化の集大成となったのが、「Rocco e i suoi fratelli (邦題:若者のすべて)」(1960)。

 遺作となった「L'innocente(イノセント)」(1976)撮影中の1975年、フランス「Cine Revue」誌による生前最後のインタビューが行われ、同年12月25日号に掲載されました。そこで自分にとって特権的な地位を占める最も好きな作品だと語っているのが、ミラノを舞台とするRocco e i suoi fratelli です。

rocco-suoi-fratelli@Duomo.jpg【photo】「若者のすべて」で、ロッコ(アラン・ドロン)が恋仲になったナディア(アニー・ジラルド)に別れを告げるシーン。ルキーノ・ヴィスコンティの血筋を14世紀末まで遡ったジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティが建造に着手したミラノのドゥオーモ屋上で撮影された

 映画作品としては唯一、ドゥオーモなどミラノの街並みが映し出されるだけでなく、経済発展著しいミラノで働く長兄を頼り、父を亡くして生活が困窮する南部バジリカータ州から移住した母ロザリアと息子たちパロンディ一家の崩壊を通し、南北格差というイタリアが抱える病理も浮き彫りにしたことをその理由として挙げています。

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 前回取り上げた「Ludwig(邦題:ルートヴィヒ)」(1972)など、後半生で追及してゆく「滅び」と向き合う人間の姿を描く転換点となったのが「Il Gattopardo (邦題:山猫)」(1963)。原作は統一前の両シチリア王国で歴代の宰相を務めた家柄の貴族パルマ公の末裔5代目ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ(1896-1957)。曾祖父ジューリオ・ファブリツィオ公爵や祖父4代目ジュゼッペ公爵をモデルとして死の直前に執筆、死の翌年1958年に出版されるや、イタリア国内でベストセラーとなった長編小説です。

 映画と小説の違いはあれど、「Il Gattopardo 山猫」は幼少期から貴族文化の中で育ち、本物だけが持つ輝きを知り尽くした2人だからこそ生み出せた一期一会の作品なのだといえます。

 それゆえ、贅沢の極みといえる山猫のような映画はもう二度と作ることが出来ないといわれてきました。

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 時代の転換点を生きたシチリア貴族の姿を描いた不朽の名作「山猫」が、かつてない精緻な4K 画像で蘇り、1976年にヴィスコンティがこの世を去った3月17日(日)から東京恵比寿の東京都写真美術館を皮切りに、日本における配給元「クレストインターナショナル」の版権が切れる関係で国内では最後となる上映が順次行われることになりました。

 ◎現時点で判明している主な上映スケジュールは以下の通り。
 ・3月17日~ 東京 東京都写真美術館ホール
 ・4月 6日~ 名古屋 名演小劇場
 ・4月19日~ 福島 フォーラム福島
 ・4月20日~ 京都 京都シネマ
 ・4月27日~ 茨城県那珂 あまや座
 ・5月 4日~ 新潟 新潟シネウインド
 ・5月31日~ 大阪 シネリーブル梅田
 ・期日未定  盛岡 フォーラム盛岡

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【photo】サリーナ公爵の日課である家族揃っての夕祷が続く中、使用人たちの騒然とした声が階下から聞こえてくる。広大な庭園の一角で王党軍の若い兵士が息絶えた状態で発見されたのだ。原作では嫌悪感を催す毀損著しい状態で発見された設定になっているが、ヴィスコンティの手にかかったそれはギリシャ彫刻さながら

 かたちあるものは全て滅びる。 ― 生きとし生けるものの命しかり、繁栄を謳歌したカルタゴやローマ帝国しかり。過去の名作映画もフィルムの退色など経年劣化を免れることはできません。

 「Taxi Driver(タクシードライバー)」(1976)、「GoodFellas)(グッドフェローズ)」(1990)、遠藤周作の原作による「Silence(邦題:沈黙-サイレンス)」(2016)などで知られる映画監督のマーティン・スコセッシ氏が1990年に設立した非営利団体「The film foundation ザ・フィルム・ファンデーション」は、過去の名作の保存修復に取り組んでいます。

 その発起人にはウッディ・アレン、フランシスフォード・コッポラ、クリント・イーストウッド、スタンリー・キューブリック、ジョージ・ルーカス、シドニー・ポラック、ロバート・レッドフォード、スティーブン・スピルバーグといった著名な映画人が名を連ねます。

【Movie】 1866年春。オーストリア帝国支配下のヴェネツィア。ジュゼッペ・ヴェルデヴィの歌劇「イル・トロヴァトーレ」を上演中のラ・フェニーチェ歌劇場。流浪の騎士マンリーコが仇敵ルーナ伯爵に母親を捕縛されたと聞き、怒りに燃え配下の兵と共に救出に向かう第3幕から映画は始まる。マンリーコがアリア「Di quella pira(見よ、恐ろしい火を)」を歌い終わると、天井桟敷席から最前列に陣取るオーストリア士官に「外国はヴェネツィアから出て行け、イタリア万歳!」の叫びと共にイタリア三色旗を表す赤白緑の花が投げつけられる。騒然となる劇場内にはオーストリア支配を脱却し独立を訴える3色のビラが舞い上演は中止。長編の監督作としては4作目となる「Senso(邦題:夏の嵐)」は、GUCCIの資金提供を受けたフィルムファンデーションによって修復された

 ◎同団体がこれまでに修復した主な作品は以下の通り。
 ・羅生門(黒沢 明 1950)
 ・夏の嵐(ルキーノ・ヴィスコンティ 1954)
 ・理由なき反抗(ニコラス・レイ 1955)
 ・甘い生活(フェデリコ・フェリーニ 1960)
 ・若者のすべて(ルキーノ・ヴィスコンティ 1960)
 ・ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ(セルジオ・レオーネ 1984)

 2010年、フィルムファンデーションの活動に賛同し、それまで「夏の嵐」や「若者のすべて」などイタリア映画の修復に1,500万ドルを資金援助していたGUCCIによる90万ドルの新たな提供を受け、山猫の修復がフェリーニの「La Dolce Vita(甘い生活)」と並行してなされたのです。

 山猫は、現在パリに本部を置く多国籍企業テクニカラー社が1957年に開発した通常の2倍の解像度を有する「Techinirama テクニラマ」方式で収録されており、マスターフィルムの退色・変色を4K画質で修復。ソニーピクチャーズの修復部門とイタリア・ボローニャのプロフェッショナルの協働作業は12,000時間に及んだといいます。

 映画用35mmフィルムの解像度は、2Kハイビジョンとほぼ同等。4Kはハイビジョンの4倍の情報量ゆえ、映像の鮮明度は格段に向上するわけです。技術革新により臨場感が尋常ではない8Kテレビまで登場した現在、デジタル化の波は映画館にも急速に広がっています。

 (一社)日本映画製作者連盟の統計(2018年12月末)では、日本国内の映画館のスクリーン数3,561のうち、デジタル設備は3,494を数えます。4Kプロジェクターの普及も徐々にではありますが進んでいます。

 フィルム映写機で1秒に24コマ送りの映像を映し出していた「ニューシネマパラダイス」で描かれた時代とは隔世の感があります。映画館からフィルムがほぼ消滅し、デジタルの時代となった今。映写技師アルフレードがトトに遺した贈り物の中身が明かされる感動的なラストシーンは、昔々のお伽話になってゆくのでしょうか。

 予告編を見る限りにおいて、1964年に日本で初公開されたデラックス・カラープリントによる英語国際版、そして1981年公開のテクニカラープリントのイタリア語版の画質は無論のこと、名作「ひまわり」ほか数々のフェリーニ作品、ヴィスコンティ作品では「山猫」や「若者のすべて」で撮影監督を務めたジュゼッペ・ロトゥンノ氏監修のもと1991年からオリジナルネガの捜索と修復が行われ、2004年に日本で公開された庄イタがDVDを所有する「イタリア語・完全復元版」でさえ太刀打ちできない画質の精細さに目をみはります。

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 「山猫」はヴィスコンティ映画では初めて米国の大手配給会社「20th Century Fox」が配給元となり、当時としては破格の製作費200万ドルが用意されました。完全主義者ヴィスコンティは、Techiniramaの長所である四隅まで焦点が定まったクリアな映像が収録できる高性能カメラを使い、スタジオセットでは再現が困難な時代の空気感まで細部にわたって表現しようとします。

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 名門貴族の次代を担う野心家の甥タンクレディ伯爵(アラン・ドロン /上画像右と新興ブルジョア成金ドン・カロージェロの娘アンジェリカ(クラウディア・カルディナーレ /上画像左の婚姻を認めることで、新たな時代を受け入れるサリーナ公爵(バート・ランカスター /上画像中

 「時代が変わっても旧態然としたシチリアは変わらない。」状況を見極める冷徹な目と時代感覚の持ち主であるサリーナ公爵がそう言い放ったように、1861年3月のイタリア王国成立後も映画ではサリーナ公爵家がモデルとなった貴族層が大土地所有者の座に第二次世界大戦の終結まで居残りました。

 原作は1860年5月のガリバルディ上陸から1883年7月の公爵の死を挟み、3年前にタンクレディも世を去った1910年5月、60歳代となったサリーナ公爵家の娘たちとアンジェリカの後日談までが示されます。映画では統一イタリア王国成立後1年半を経た1862年11月に催された舞踏会までが描かれます。

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 コンピュータグラフィクスなどのVFX技術が登場する以前の映画ゆえ、物語の舞台となる1860年には存在しなかった電柱やTVアンテナなどはカメラからフレームアウト。150名の建設スタッフにより屋外広告物や建造物の前には煉瓦積みの壁を作り、植物を植え替え、舗装路のアスファルトを剥がすなどして1860年当時のシチリアを再現しています。

 1961年の秋から1年以上を要した綿密なロケハンを経て撮影は1962年3月中旬から12月末まで行われます。原作者ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサの父祖が暮らしたランペドゥーサ宮は、1943年4月の連合国による爆撃で廃墟化しており、映画に登場するサリーナ侯爵邸はパレルモ近郊の「Villa Boscogrande ヴィッラ・ボスコグランデ」に差し替え、全編の1/3を占める舞踏会が催されるポンテレオーネ公爵邸は「Palazzo Valguarnera-Gangi ヴァルグァルネーラ・ガンジ宮」で収録が行われます。

 映画で使用されたサリーナ公爵邸の家具・什器、晩餐会や舞踏会に用いた燭台や食器類は、多くがランペドゥーサと遠い縁戚関係にあり、小説の版権を有する養子となったジョアキーノ・ランツァ・トマージ公爵とランツァ家の提供によるもの。

cena-il-gattopardo.jpg【Photo】サリーナ公爵家がドンナフガータ村に所有する別荘での晩餐の席に招かれた村長ドン・カロージェロ・セダーラは、不似合いな燕尾服で登場し公爵家の失笑を買うが、同伴した娘アンジェリカが登場するや、誰もがその美貌に目を見張る。タンクレディの下卑た内緒話に隣席のアンジェリカは大声をあげて笑い出し、高笑いが止まらなくなる。タンクレディに思いを寄せる長女コンチェッタは、場にふさわしくない彼女の品を欠く振る舞いに怒って席を立ち、座が白けてしまう

 前述の建築要員ほか、美術・衣裳・照明など総勢500名を超えたスタッフに加え、メインキャスト20名ほか、最大の見どころとなる舞踏会に招待される華やかな衣装に身を包んだ男女240名のうち80名は本物のシチリア貴族が出演しています。空前絶後のスケールとなった山猫のシチリアロケは、50年以上を経た今もパレルモやドンナフガータ村の語り草となっています。

 ヴァルグァルネーラ・ガンジ宮での舞踏会のシーンは、ロウソクの炎が冷房の風で揺らめくのを嫌ったヴィスコンティの意向により、夏の昼間の暑さを避けて夜8時から撮影を開始。翌朝の4時まで続くロケは連日36日に及びました。

【photo】米国の配給元「20th Century Fox」制作による映画「The Leopard(山猫英語版)」予告編。映画ではヴィスコンティの演出により威厳をたたえたシチリア貴族になり切っていたバート・ランカスターがナレーションで登場。ヴィスコンティの手を離れたバート・ランカスターは、どう見ても西部劇の方が似合う印象を受ける

 <前編>で写真をご紹介したミラノの生家で催された舞踏会に招かれた20世紀初頭の貴族女性の衣装を忠実に再現するべく、ヴィスコンティは色柄や風合い、ヘアスタイルなどのディテールに関して事細かに指示を出します。レベルの高い要求に応えるべく、衣裳・ヘアメイクを統括するピエロ・トージ氏は総勢120名体制で舞踏会の収録に臨みました。

 何百本というロウソクに火が灯された屋内の暑さに耐えかねたキャストが撮影の合間にドレスを脱いでしまうため、メイクアップ・衣裳などスタッフが現場を右往左往。そんな熱気渦巻く撮影現場は、灼熱の熱帯夜状態。コルセットで体を締め付けた女性キャストの失神者が相次いだといいます。

 サリーナ公爵とて、原作には記述のない「暑くてたまらん」というセリフを吐いたように、しきりに男性陣も汗をぬぐう姿が収録されています。

 完全主義者ヴィスコンティの一端を示す逸話を最後にご紹介しておきましょう。初のカラー作品「夏の嵐」冒頭フェニーチェ劇場での収録現場には監督が指定した黒ではなくグレーのシルクハットしか用意がありませんでした。機転を利かせたつもりのスタッフが帽子を黒く塗って撮影に臨もうとします。

 その様子を見ていたヴィスコンティは「ぶざまだ」と烈火の如く怒り、撮影が中断することも厭わず、スタッフをヴェネツィアからローマまで黒いシルクハットを買いに走らせたといいます。

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 ミラノの貴族社会で生まれ育ったヴィスコンティだからこそ、実写で再現できた滅びゆくシチリア貴族の栄華。過去にこの作品をご覧になっておいでの方でも、ディテールまで鮮明な4K修復版から新たな発見が得られるはずです。

 臨場感あふれる4K映像なればこそ、観る人は時空を超えてジュゼッペ・ヴェルディのワルツ曲やニーノ・ロータ作曲のマズルカが流れる舞踏会に迷い込んだかのような感覚を抱くやもしれません。

 日本では最後の上映機会となる4K修復版では、ヴィスコンティが細部にまで目を行き届かせた絢爛たる一大歴史絵巻に酔いしれたいものです。

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