あるもの探しの旅

« Maggio 2019 | メイン | Luglio 2019 »

2019/06/24

CiRO a Akashi チーロ @ 明石 〈前編〉

赤穂さくらぐみファミリー第3弾
 

 一括りにイタリア料理というのではなく、リグーリア、トスカーナ、プーリア、シチリアなど、より実像に即した地域的な細分化と深化が進んだ平成の時代。今となっては隔世の感がありますが、昭和50年代までは日本で一般に西洋料理といえばフランス料理でした。

 今回の〈前編〉では旧約聖書風にナポリピッツア黎明期を回顧。〈中編〉&〈後編〉CiRO チーロ実食レポートへとつなげます。

b_ornament_11_0L.jpg

創世記・天地創造

Venezia-San-Marco-cupola.jpg【photo】現在は堂内撮影不可となったヴェネツィア、サン・マルコ聖堂。撮影可能だった1995年当時、入口すぐの柱廊ホール右端の天蓋モザイク「天地創造」(1220~1230年代)。万物の創造主である神が、光と闇を手始めに空と海、昼と夜、植物、命あるもの、アダムとイブなど7日間で世界を作り上げる旧約聖書冒頭の創世記の記述を文字が読めない信者のためにビザンティン様式で図像化。一説にはUFOも描かれているというが、空腹時にはモザイクの図像自体が「額縁」の意味がある盛り上がったcornicioneコルニチョーネ(→ピッツアの縁)にこんがりと焦げが入り、モッチリ柔らかな内側に黒オリーブ、プチトマト、シラス、チーズなどの具を散りばめたジェノヴェーゼ系創作ピッツァ(下・参考画像)にも見える... かも?

capo_pizza-genovese_2019.6.22.jpg

 イタリア料理が日本で市民権を獲得して定着、隆盛をみる以前の1981年(昭和56)。播州赤穂の誇りである大石内蔵助ら赤穂義士を祭神とする赤穂大石神社近くのお城通りに面した一角でイタリア料理店「さくらぐみ」を開いたのが西川明男シェフ(当時21歳)

 いささかイタリアンとしては風変わりな店名の由来は、郷里である赤穂の市木がサクラであること。そして西川さんの実家には大きなサクラの古木があり、その下で毎年花見をするのが恒例行事だったからなのだそう。

 現在の王道ナポリスタイルとは全く異なり、創業してしばらくはアメリカ経由で日本に上陸したフカフカ生地のピザをガスオーブンで調理し、提供していたといいます。

b_ornament_11_0L.jpg

出エジプト、もとい、入ナポリ記

San Maurizio Monastero Maggiore.jpg【photo】1503年に建築が始まったミラノ「Chiesa di San Maurizioサン・マウリッツィオ教会」。大洪水からノアの家族と雌雄つがいで動物を救った旧約聖書・創世記の箱舟の逸話を描いたフレスコ画。ロンバルディア・ルネサンス様式の簡素な造りの外観だからと素通りするなかれ。内部は別世界。1554年に製作されたパイプオルガンの荘厳な調べやバロック音楽の演奏会がしばしば行われる礼拝堂、その奥のマッジョーレ修道院は必見の価値あり。ダ・ヴィンチ派やベルナルディーノとアウレリオのルイーニ親子による16世紀の保存状態が良いフレスコ画で壁面すべてが覆われた修道院は〝ミラノのシスティーナ礼拝堂〟とも称される。観光客だらけのバチカン・システィーナ礼拝堂よりも静謐な祈りの空間に浸れるこちらの方が、ミケランジェロの筋骨隆々としたマッチョな画風を好まない庄イタ的にはお勧め

 イタメシブームが巻き起こったバブル絶頂期の1990年(平成2)、西川さんは初めて訪れたナポリ下町の「Timpani & Tempura ティンパニ・エ・テンプラ」で伝統料理研究家としての顔を持つアントニオ・トゥベッリ氏に師事。本物との目からウロコの邂逅こそが、〝ナポリばか〟を自任するほどナポリ料理、とりわけピッツァにのめり込む今日へと至るコペルニクス的転回の契機となります。

 ちなみにアントニオ・トゥベッリ氏には、西川シェフ門下生のピッツァイヨーラ松岡佳代子さんも師事しており、同窓の柴田美緒さんとコンビを組む店「Mio & Temprina ミオ・エ・テンプリーナ」をご紹介した昨年8月に写真と共にご紹介済みなので、ご記憶の方もおいでかと。
 〈 ※ 2018.8拙稿「Mio & Tempurina ミオ・エ・テンプリーナ@赤穂」参照〉
  http://blog.kahoku.co.jp/shokuweb/vam/2018/08/mio_temprina.html

 足繁くナポリを訪れて食べ歩きを重ねる一方、毎年秋にナポリで開催され、プロの職人が参加し、各部門ごとに技能を競うピッツァの祭典「Nopoli Pizza Fest ナポリ・ピッツァ・フェスト」'97にSAKURAGUMIとして参加します。この催しは17世紀まで起源が遡るナポリピッツァの伝統を継承する目的で1984年に発足した「Associazione Verace Pizza Napoletana(AVPN)真のナポリピッツァ協会」が主催する秋の恒例行事です。

 その際、西川シェフに同行したのが、1988年(昭和63)にアルバイトとして働き始め、西川さんが料理のセンスを買っていた3番弟子にあたる船曳紀三子さん(当時27歳)でした。

 ところが西川さんらに主催者が用意したのは、名だたる名店のピッツァイオーロがしのぎを削り、来場者が群がる中心エリアから遠く離れた人影のない広大な会場の隅っこ。そんなアウェー状態の中、地元「IL MATTINO」紙の記者が東洋人チームの存在に目を留めます。

 船曳さんのピッツァを食べてその味に感激した記者は、翌日の紙面でナポリ人が忘れてしまったハートを日本人が持っていると称賛。遠く日本から参加した西川さんらを継子(ままこ)扱いする運営のあり方に疑問を投げかけます。すると翌日、会場入りしたチームさくらぐみメンバーには入口近くの条件が良い場所が用意されていたのだといいます。

b_ornament_11_0L.jpg

十戎を授かる「汝、コルニチョーネを食べ残すなかれ」

Ghiberti-Porta-Pradiso-10.jpg【photo】花の都フィレンツェのシンボル、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂付属のサン・ジョヴァンニ礼拝堂。後世、ミケランジェロがそう呼んで定着した東面を飾る「天国の門」(1452年,ロレンツォ・ギベルティ作)は、このモーセの十戒ほか、アダムとイブ、カインとアベル、ノアの洪水など、旧約聖書に記された物語を図像化した10の金箔を施したブロンズパネルで構成される。現在、礼拝堂を飾る天国の門は、銀座並木通りに本店があり、かつてPiacenzaのカシミアコート(2015.12拙稿「Principe di Salina サリーナ公爵~山猫の世界を体感するピュアカシミアコート」参照)やETROのネクタイなどを購入したセレクトショップ「サン・モトヤマ」創業者の故・茂登山長市郎氏が1990年(平成2)に寄贈したレプリカ。オリジナルはドゥオーモ付属博物館所蔵

 西川さん一行がナポリで出合ったピッツァは、生地の外側表面はカリッ・サクッとして中心部はモッチリ。独特な生地の食感を生み出す決め手が、薪火の輻射熱で炉内を450℃から485℃に保つナポリ製の薪窯であると知った西川さんは一つの決断をします。

 炉内の保温性能に優れ、60秒~90秒で焼き上げるナポリピッツァの焼成に理想的な炉床温度400~420℃を保持しやすく、堅牢で高性能な薪窯を日本のピッツェリアとしては初めてナポリからオーダーメードで取り寄せたのです。

 さらにグラニャーノ産パスタ《2010.7拙稿「珠玉のパスタ、Gragnano グラニャーノ」参照》や本場のピッツァ職人が厚い信頼を寄せるデュラム小麦、空輸による鮮度の高い水牛乳モッツァレラチーズなど、店で使用する素材を厳選してきました。

 ナポリ製の薪窯のごとく熱いハートと技が認められ、1997年(平成9)9月、さくらぐみはイタリア国外の店では初めて真のナポリピッツァ協会92番目の認定店となります。それはナポリ伝統の食文化に心からの敬意を抱く西川明男オーナーシェフにとって何よりの嬉しい勲章でした。

b_ornament_11_0L.jpg

バベルの塔「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」

stufa@regalo22.jpg【photo】色といい形といい、ピッツァを街頭で売り歩く際に使われ、内部が3枚程度を重ねる棚状の構造になった銅や錫の容器「Stufa Napoletana ストゥファ・ナポレターナ」(上画像中央/ロケ地:大阪市福島区福島1丁目「La Pizza Napoletana Regaloラ・ピッツァ・ナポレターナ・レガロ」)が絵のモデルと思いきや参考リンク、古代ローマの円形闘技場コロッセオに着想を得たのだというピーター・ブリューゲル「バベルの塔」(1563年,ウィーン美術史美術館蔵/ 下画像)。創世記によれば、東方からシンアルという地に至ったノアの子孫である人間たちは、町を造るにあたり「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と声を掛け合いながら天まで届く塔を造ろうとした。これを見た神は意思の疎通が出来ないよう、互いの言葉を異なるものとし、塔の建造は頓挫。言語が多様化したという

Bruegel_Tower_of_Babel.jpg

 日本人が作るナポリピッツァの実力を協会に認めさせたのは西川さんの情熱があってのこと。日本初の快挙を成し遂げるに際しての最大の功労者こそが、当時ピッツァ窯を任されていた船曳紀三子さんだったのです。

 紀三子さんは、現在も師と仰ぐ西川シェフから料理の腕を見込まれ、'97年にナポリ修行に送り出されます。ナポリ中心部から西に向かった近郊のBagnoli バニョーリ地区にあるAVPN認定店「O'Calamaro オ・カラマーロ」で名匠ガエターノ・エスポースィト師から本場の技と心を会得。協会の認定は、ピッツァイヨーラとして成長し、日本に帰国して間もなくのことでした。

※再生時に音がします

【Movie】AVPN技術委員やナポリピッツァ職人協会会長を務めたマエストロ、ガエターノ・エスポースィト氏が自身の歩みを語る。2001年、ナポリ市ヴォメロ地区に自身の店「L'Arte della Pizza」を開くまで所属した「O'Calamaro オ・カラマーロ」で、船曳紀三子さんにピッツァ作りを指導する様子を収めた写真が2分20秒付近で登場。パルテノペ総料理長、渡辺陽一氏の著作「生活人新書 至福のナポリピッツァ」(2002.6NHK出版刊)と共に、庄イタのナポリピッツァに関するニッチかつディープな知識の源泉となった雑誌BRUTUS「日本のピッツァはこれでいいのか⁉」(1996.9.15号)。日本のピッツァを食べ歩き、完膚なきまでにメッタ斬りした親日家のガエターノ・ファツィオ氏ら3名のナポリ・ピッツァ協会メンバーの一人がガエターノ・エスポースィト氏だった
 
 室町時代に起源が遡る船曳姓は兵庫県南西部から岡山県東部にかけて多く、船引という播磨地域の古い伝承に基づく地名に由来するとのこと参考リンク

 2003年(平成15)に紀三子さんが職場結婚したお相手で、後輩の小谷聡一郎さんは、ル・コルドン・ブルー東京校で習得したソース主体のフランス料理の濃い味付けに馴染めずイタリアンに転身。ナポリ出身のサルヴァトーレ、ラッファエーレ、ルイージのクオモ3兄弟が東京中目黒で営んでいた「サルヴァトーレ」勤務時代、店に食べに来た西川さんのもとに移籍、さくらぐみでナポリ料理の腕を磨きました。

b_ornament_11_0L.jpg

水牛の乳とオリーブの蜜が流れる地、カナン、もとい明石

presepio-napoletano.jpg【photo】ナポリの伝統工芸「プレセピオ」。Di Matteo, Da Michele など人気のピッツェリアからすぐ近くの「Spaccanapoli スパッカナポリ」地区の一角Via San Gregorio Armeno サン・グレゴリオ・アルメーノ通りは、プレセピオの職人街になっている。1年を通してこのようなキリスト生誕の場面を芸術性の高いジオラマで表現する聖家族ほか、ナポリピッツァを食べさせてくれる店の小道具として欠かせないナポリの仮面劇の道化プルチネッラほか、芸能人やサッカー選手などの人形が見られる

 結婚の翌年、お二人は海の幸に恵まれた明石での独立を果たします。そこは藩制時代は城下とは橋で結ばれた米蔵や茶屋(≒ 遊廓)があった浮島で、現在は錦江橋で繋がる明石市中崎。石造りの灯台としては日本最古の旧波門崎燈籠堂(国登録有形文化財)越しには淡路島と明石海峡大橋のパノラマが開けるビルの2階というロケーションでした。

 独り立ちする紀三子さんには、西川シェフからキラキラと海面が光り輝く瀬戸内海のようなウルトラマリンブルーの中に淡いパウダーブルーの丸タイルを散りばめた装飾が施された薪窯が嫁入り道具として贈られました。

 3か月後に出産を控えた紀三子さんと聡一郎さんが、夫婦二人三脚で歩み始めた「Trattoria Pizzeria CiROトラットリア・ピッツエリア・チーロ」は、たちまちにして予約困難な人気店となります。

 2016年9月、明石港に面した現在の場所に移転。遠方から訪れるピッツァ好きを含め、数多くのリピーターに支えられて今日に至っています。

 実のところ今回ご紹介しようと思っていた昨年11月と今年3月の食レポ2回分 @Ciro。黎明期とドッキングさせてしまうと、あまりに長文になります。申し訳ありませんが、次回に譲らせて下さい。Ci vediamo ~♪.


baner_decobanner.gifブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 

2019/06/06

Strada per CiRO a Akashi チーロ @ 明石への道

「魚の棚」で寄り道タラタラ


 局地風をめぐる話題を取り上げた前回に続き、今回は心地よい地中海の風が吹きぬけてゆく兵庫県明石市が舞台となります。

stretto-Acasci.jpg【photo】日本標準時の東経135度の子午線が通る明石市立天文科学館から明石の市街地越しに明石海峡に架かる明石海峡大橋と対岸の淡路島を望む。安倍総理・麻生副総理の地元を結ぶ3本目のルートとなる下関北九州道路の忖度発言で引責辞任に追い込まれた塚田一郎国交副大臣は、かの田中角栄を輩出した新潟選挙区選出の2世議員。自民党伝統の利益誘導の最たる事例が、三木武夫(徳島)・大平正芳(高松)・宮澤喜一(広島)ら歴代総理大臣をはじめとする有力政治家の出身県同士に架かる本州四国連絡橋。3本の連絡道路が民営化された現在も当初計画の3.8倍、2兆8662億円の巨費を投じた債務の返済は、ずるずると先延ばしされ、35年後まで続く。四国が人口減に直面するなか、通行料収入は当初見込みを大きく下回っている

 全長3,911mで世界最長の吊り橋、明石海峡大橋が架かる淡路島を挟んで、大阪湾から播磨灘・周防灘にかけての瀬戸内海沿岸は、年間を通して温暖で穏やかな気候とされてきました。

ponte-grande-akashi.jpg【photo】神戸六甲アイランドを出航するフェリー「さんふらわあ号」デッキからの明石海峡大橋と明石方面の夜景。波静かな瀬戸内海を航行、大分港には翌早朝に到着するので、別府などマイカーでのおんせん県観光に至極便利。「ナポリを見て死ね」とまで言われ、落書きもゴミも遠目には目に入らない世界三大美港の街には一歩引けを取るも、神戸港から明石にかけての夜景はそこそこイケており、気分は地中海クルーズ??

 瀬戸内式気候は「晴れの国」を標榜する岡山など、特に夏場に雨が少ないのが特徴。ゆえに淡路島や讃岐平野など瀬戸内地域には耕作用としては日本一の大きさとなる周囲20kmに及ぶ広大な「満濃池」下画像をはじめ、人工のため池が数多く見られます。

Man-no-ike.jpg 国内のため池の7割近くを占めるのが四国・中国と近畿。特に瀬戸内海に面した岡山・広島・山口・香川の4県に中国・四国地域の8割以上が集中します。

 南北の季節風を遮る四国山地と中国山地に挟まれた瀬戸内海沿岸の地域の気候は、地中海性気候と似ているといわれます。

 雨が少ない地中海地域が原産とされるオリーブ。イタリアのサルデーニャ島には幹回りが13mにもなる推定樹齢3,800年という超ご長寿なオリーブがあります参考リンク

 香川県の小豆島ではオイルサーディン製造を目的に1908年(明治41)からアメリカから苗木を取り寄せたオリーブの樹が栽培されてきました下画像

olive@shodoshima.jpg

 三重と鹿児島でも試験栽培を行ったなかで唯一栽培に成功したのが小豆島だったのだそう。2年後に結実し、根付いた苗木を挿し木して初代と同じ場所に植えた2世木が原木として西村地区に現存します下画像

 小豆島では日本の風土に適した新品種「香オリ3号」「香オリ5号」の開発に成功しているほか、本場イタリアでも高い評価を受けるオイル製品が少なくありません。

madre-bosco-olio.jpg

 現在では日本国内のオリーブ生産の9割を小豆島が占め、香川県全体で全国シェアの97%を占めるに至っています。

 またエジプトの地中海沿岸が原産とされ、地中海の交差点シチリアでは「Zibibboズィビッボ」と呼称が異なるブドウ品種「マスカット・オブ・アレキサンドリア」は岡山の特産として知られます。

b_ornament_11_0L.jpg

 温暖な地中海、とりわけ南イタリア・ナポリに似通った風を庄イタが感じるのが、昨年夏に申し分ないピッツリアを2軒ご紹介した兵庫県赤穂市です。《2018.7拙稿「さくらぐみ @赤穂 そこは紛れもなくナポリだった」、2018.8拙稿「Mio & Tempurina ミオ・エ・テンプリーナ@赤穂 そこにもナポリの風は吹いていた」参照》

 その局地風の吹き出し口の一つ、ナポリピッツァと海鮮ナポリ料理の店「さくらぐみ」がある赤穂市御崎(みさき)と同様、兵庫県内でナポリの局地風が吹くのは、さらにもう一カ所。そこは日本標準時の東経135度の子午線が通る明石(あかし)市。

 牛スジ入りのラヂオ焼きが進化した大阪名物たこ焼きの原型といわれるも、それとは似て非なる食べ物で、ジモティが玉子焼きと呼ぶのが明石焼き。そして明石海峡産のマダコや真鯛で有名ですね。

akashiyaki-funamachi.jpg【photo】いつも行列が絶えない明石焼の店「ふなまち」。一人前(税込600円)20個。地元っ子は「玉子焼き」と呼ぶマシュマロのごとき食感を生む溶き玉子が主体で、小麦からタンパク分を除いたデンプン主体のじん粉+小麦粉の三位一体からなる茹でダコを忍ばせたお出汁が利いた生地は、ふわ~っと軽い食感。食べ方は、アツアツトロトロをそのまま、冷たいつけ汁と共に、甘辛2種類のソースで、そしてソースをトッピングしてつけ汁で。七味・一味でもアレンジ自在な変化を楽しむうちに女性でもペロリと平らげてしまうはず

 明石港から淡路島の岩屋港を13分で結ぶ高速船を運行する会社は「淡路ジェノバライン」。わが郷里ピエモンテ州ランゲ丘陵を越えたリグーリアの港町Genovaジェノヴァへの優雅な地中海クルーズを連想させるネーミングではありませんか。

marine-awaji.jpg

 折しも今回の最終目的地、トラットリア・ピッツェリア「CiRO チーロ」にほど近い船着き場には、2年前に就航したばかりの高速双胴船「まりん・あわじ」が停泊中でした。そのあまりにベタなペイントが施された船体を一目見て、淡い期待は脆くも崩れ去ったのでした上画像

Mobi-porto-Genova.jpg

 ジェノヴァ・ナポリなどイタリア本土とサルデーニャ島やコルシカ島などを結ぶ連絡船を運航するMoby社はトゥイティーやバッグス・バニーなどのキャラクターを船体にあしらったクルーズ船上画像を就航させています。

 ゆえに船体に明石ダコが躍り、鯛が跳ねる我らがまりん・あわじとて、船ゆえに海には浮かびますが、地中海で周囲から浮くことはないかもしれません。

b_ornament_11_0L.jpg

Akashi-uontana.jpg【photo】全長350mのアーケードに鮮魚店や飲食店を中心に100店が軒を連ねる商店街「魚の棚(うぉんたな)」。JR神戸線と山陽電鉄の明石駅南口の複合ビル「パピオスあかし」を経由し、国道2号線を跨ぐデッキ沿いに歩いてすぐ。丸ごと唐揚げが美味な川津エビ(サルエビ)は活きが良すぎて店先でピョンピョン飛び跳ねるなど、その日水揚げされたピチピチの地魚が昼過ぎには店頭に並ぶ。威勢の良い掛け声が飛び交う上を見上げると、アーケードの照明までが8本足のタコだった

 西宮から芦屋・神戸周辺の阪神地域で、春先に盛んに作られるのが「釘煮」です下画像ロケ地:魚の棚商店街。庄イタが暮らす夙川(しゅくがわ)近辺でも、醤油・ザラメ砂糖・みりん・ショウガなど家ごとのレシピで味付けする美味しそうなシンコを炊く甘辛い香りがご近所から漂ってくることが幾度かありました。

kugiji_uontana.jpg

 ところが、この春も材料となるイカナゴの稚魚シンコは3年続きの極端な不漁に見舞われたのです。地域によってコウナゴ、メロウドなどの別名で呼ばれるイカナゴに限らず、高度成長期に悪化した瀬戸内海の水質改善が進んだ近年、水揚げ高日本一を誇ってきたマダコなど特産の水産資源の枯渇が瀬戸内海で顕在化しています。

 3月に訪れた魚の棚でもイカナゴが1キロ2,800円の高値を付けていました下画像。それでも季節の味である釘煮に欠かせない春告魚を買い求める人々の姿が見られたのでした。

Icanago_uontana-akashi.jpg

 大量の魚介類を酸欠で死滅させる赤潮の原因となる工場排水や生活排水の排出基準が厳格化された結果、海水中の植物プランクトンや海藻の養分となる珪素・窒素・リンなどが減少。そのため動物プランクトンや小魚までが減っているというのです。

 こうした〝水清ければ魚棲まず〟状況を打開すべく、兵庫県は全国で初の窒素濃度0.2mg以上という下限値をこのほど設定しました。地元の味に欠かせない漁業資源の回復が待たれるところです。

b_ornament_11_0L.jpg

 話変わって今年1月、泉房穂明石市長が2年前に部下に発した暴言が露見し辞任したのは記憶に新しいところ。立候補した出直し選で信任されるという一連の紆余曲折が世間の耳目を集めました。

R2-Akashi-moyashitemae.jpg【photo】市長の引責辞任に発展、出直し選挙での再信任で決着を見た騒動の原因となった国道2号線の明石駅前交差点。当初計画に遅れること3年。最後まで残っていた角地の用地買収が進み、2019年度末には拡幅工事が完了予定(撮影:2019年3月中旬)

 イタリアでは口汚く相手を罵倒することを〝Parolaccia パロラッチャ〟と言います。本来の意味を離れて下卑た意味を持つ単語も豊富にあります。怒りが爆発する沸点が低いであろう明石市長は職務怠慢だと糾弾する部下に向けて「火つけてこい」「自分の家売れ」とパロラッチャを連発。

 吹き荒れる逆風の中、市長が辞職に追い込まれた時点では新たな風が吹くかと思われた出直し市長選。結果は皆さまご存知の通り〝大山鳴動して鼠一匹〟の結果に。

akashi-sindaco.jpg

 この選挙結果から垣間見えてきたのは、明石市政に関わるステークホルダーの以下のような構図です。

(役所や公共機関の無気力で横柄な対応に都度腹を立てない精神的タフネスを否応なく養成されるイタリア人とて、あまりの理不尽さに怒りを爆発させた時のように)感情の制御が利かない市長、そして(用地買収交渉が思うに任せず、市長の叱責を受けた担当部局の中間管理職は、仕事が捗らない自らの非を認めている点だけは異なるも)イタリアの公務員のような市職員、さらには(暴言が〝市民のため〟という熱い思いの表れだったにせよ、ハラスメント意識が高まった今どきの社会一般の常識からすれば、適性に難ありといわざるを得ない市長を大差で再び信任する)大きな度量を持つ有権者。

 清濁併せ呑み、多少のアラや細かいことは気にしない明石市民は心が広く、そして恐らく筋金入りのラテン気質のようです。

b_ornament_11_0L.jpg

 熱が去り、もはや冷めたピッツァのような前置きはこのくらいにして、話はいよいよ核心へ。

 ラテンな街・明石には「Pizzeria Beatrice ピッツェリア・ベアトリーチェ」ほか本格ナポリピッツァを提供する店が複数あります。そこでまず目指すべきは、赤穂さくらぐみOGのピッツアイヨーラ小谷紀三子さん、同OBで料理担当のご主人、聡一郎さんがおいでの「Trattoria Pizzeria CiRO トラットリア・ピッツエリア・チーロ」。

 関西のナポリピッツァ好きならば、その名を知らぬ人のない店と言ってよいでしょう。

pizzeria-trattoria-Ciro.jpg

 正確を期するため、遠隔地でない限り「Viaggio al Mondo~あるもん探しの旅」では1度だけの訪店で飲食店を取り上げるのをタブーとしています。

 今回のCiroに関しても、世評の高さの理由を初訪店にして確認できた昨年秋、そして3月10日(日)に大阪ミナミで行われた関西宮城県人会の東日本大震災復興支援街頭募金の取材で出番となった代休で、出直し明石市長選挙の投票日直前で、駅前で対立候補が街頭演説に立っていた3月14日(木)の2度、店に伺った上でのレポートとなります。

 店先に並ぶ美味しそうな誘惑を振り払いつつ、魚の棚商店街を東端まで移動し右へ。騒動の原因となった明石駅前交差点からまっすぐ延びる明石銀座通りを進みます。

porto-akashi-Ciro.jpg【photo】明石港に面した茶色のビルの1階がCiRO。魚の棚で鮮魚店「林屋」を営む漁師の家に生まれ、大洋漁業(現マルハニチロ)の前身となった林兼商店を下関で創業した中部 幾次郎(1866-1946)が漁船団の母港としたのが明石港に隣接する林崎漁港。明石は大消費地の大阪・神戸に近く、急峻で複雑な海底地形と狭隘な海峡部で発生する変化に富む潮流があいまって、好漁場としての条件に恵まれている。9~12月に旬を迎えるモミジ鯛と呼ばれ珍重される真鯛や脂が乗った落ちハモ、ガシラ(アカメバル・カサゴ)、大型のアナゴを指すデンスケなど年間を通じた水揚げは100種類に及ぶ

 旧浜国道の交差点を渡ると、数多くの漁船が停泊する明石港のエリアとなります。錦江橋の手前を右に折れた先、魚の棚から歩いて5分ほどの場所にCiROはありました。

 そこは材木町にある行列の絶えない明石焼の名店「ふなまち」からも500mほどと至近。出汁の旨味が利いたフワトロの玉子焼きをアンティパストに、香ばしいナポリピッツァ+海鮮イタリアンなーんていうオツなダブルヘッダーを組むことも理論上は可能です。3Lサイズの強靭な胃袋を持つ方は挑戦されてみてはいかがでしょう^^。

akashi_uoichiba.jpg

 店のすぐ目と鼻の先には水揚した魚をセリにかける明石市公設地方卸売市場の水産物分場があり上画像、更にその先が淡路ジェノバラインの発着場という港町の面影が色濃い一角です。

b_ornament_11_0L.jpg

 席の予約は2週間前の朝9時30分から電話のみで受け付けるため、電話が繋がらないことがしばしば。紛れもない人気店である点は小谷さんの古巣さくらぐみと同様です。

 予約開始時刻に電話が集中するため話中が多く、運よく電話が繋がっても週末はすでに満席だったりで、訪店を諦めること数度。

 意志あるところに道は開け、ヴィーノ・ビアンコと共に心ゆくまで海の幸とナポリピッツァを味わった顛末は機会を改めて。

baner_decobanner.gifブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 

Agosto 2019
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

archive.gif

Copyright © KAHOKU SHIMPO PUBLISHING CO.