あるもの探しの旅

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2010/09/18

Addio mamma Cristina.

クリスティーナさん、母なる味をありがとう。

 ご本人によれば "Centro del mondo" (=世界の中心)に位置するイタリア・ピエモンテ州アスティ県Canelli カネッリ郊外の高台、Piancanelli ピアンカネッリのアグリツーリズモ、「Rupestr ルペストゥル」オーナー、ジョルジョ・チリオ氏のマンマが先週 9日に亡くなりました。家族と料理を愛し、83年の生涯を全うしたクリスティーナさんのご冥福を心よりお祈りします。

 Giorgio, ci stringiamo a voi in questa terribile disgrazia che vi ha colpito.

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【photo】日本より持参した新米「はえぬき」を手に笑顔を見せてくれた在りし日のクリスティーナさん

 独特の緩さで混沌とした社会を維持し、愛想が良いお調子者。そんな一般的なイタリア人像とは違い、どちらかといえば寡黙で真面目な人が多いPiemontesi (=ピエモンテ人)にあって、バイタリティ溢れるマシンガントークで周囲を笑いに巻き込むジョルジョ。如才のない典型的イタリア人比率が恐らく最も多い街、ナポリの人を指すNapoletano ナポレターノはおろか、その湿度0%なウエストコースト的陽気さゆえに Americano(=アメリカ人!!)とまで言われる彼も、ここばかりはさぞ肩を落としていることでしょう。

 周囲への気遣いを忘れず、惜しむことなく元気を分け与えてくれる、あの屈託のない笑顔をまた見せてくださいね。

 4年前の10月末、スローフード協会が2年ごとに開催するTerra Madre テッラ・マードレに日本から招かれたアル・ケッチァーノ奥田氏ら一行と7日間を過ごした Rupestr では、4日目の金曜日に「思い出の味」というテーマを掲げた3名の料理人によるガラディナーが催されました。

 ジョルジョ発案によるこの饗宴では、Rupestr の顧客で南アフリカのケープタウンにあるイタリアンレストラン「La Masseria ラ・マッセリア」を営むイタリア系女性シェフのミキ・チーマンさんと、トリュフ祭りで名高いAlba アルバのパスティッチェリア(=菓子店)「Cignetti チネッティ」シェフ・パティシェであるマルコ・ジョヴィーネ氏、そして奥田氏が作る料理に加え、クリスティーナさんのレシピによる Rupestr の伝統的なピエモンテ料理が華を添えました。

giorgio_renato2.jpg【photo】18世紀末建造の集会所として使われていた建物の改築に着手したのが1992年。2年後の5月にまずはリストランテとして開業したRupestr の地下セラーで。地元のカンティーナに案内してくれたまでは良かったものの、先方とのおしゃべりに夢中になり、やむなくコチラが単独で引き揚げる羽目になったジョルジョの親友レナート。やはり類は友を呼ぶ(笑)。奥田シェフ、ジョルジョ、筆者(写真右より)

 交友関係が広いジョルジョは、アスティ県知事、カネッリ市長のほか、客として時折レストランを訪れる著名なカンティーナ「La Spinetta ラ・スピネッタ」のオーナー、ジョルジョ・リヴェッティ氏や、その3日前にお会いしたばかりの今は亡きグラッパ職人ロマーノ・レヴィさん 《2007.6拙稿「伝説のグラッパ職人、ロマーノ・レヴィ」参照》 が描いたDonna Selvaticaをエチケッタに使用したアスティ・スプマンテのほか、最良のモスカートワインを生むカンティーナ「Caudrina カウドリーナ」の当主ロマーノ・ドリオッティ氏らに声をかけていました。

team_alche.jpg【photo】厨房の一角に腰掛け、アル・ケッチァーノのメンバーがこの日のメインディッシュに予定していた庄内牛の牛タンとともに庄内から持参したゴボウをササガキにする作業を見守るクリスティーナさん

 その日の参加者は、地元カネッリや近郊のアスティ周辺からだけではありません。

 Rupestr に1年間住み込みで料理を学び、現在はサルデーニャで暮らすDelizie d'Italia の藤田 智子さん、北イタリアの食事情の取材でこの日合流したフードライターで Rupestr を定宿とする沖村かなみさん、取材先のスイスから駆けつけた放送作家の鶴田 純也さん、この時、Rupestr に滞在していた滋賀県近江八幡市のソムリエ・プロフェッショニスタ、高岡 洋文さんが主宰する「ヴィーテ・イタリア」のツアーに日本から参加した10数名に加え、Pergino (ペルージャ人)のダーリンThomasと結婚した私の友人で山形市出身のKissy も加わり、私たち一行10 名を加えて都合延べ60名以上が参加したガラディナーの名に恥じない大晩餐会となったのです。

 その日はバローロ・ボーイズと呼ばれた改革派の旗手、ルチアーノ・サンドローネの醸造所訪問《2009.2拙稿「ルチアーノ・サンドローネ訪問記」参照》 を終え、昼食を予約していたIsola d'Asti イゾーラ・ダスティにあるエレガントな☆付きリストランテ「Il Cascinalenuovo イル・カッシナーレヌオヴォ」で豪奢なピエモンテ料理を堪能。

 食事を終えるや、私がステアリングを握る一行を乗せたFIATの大型ワゴン車は、19時スタートのガラディナーの準備を控えていたジョルジョのF1ドライバーのような鋭い加速での先導のもと、時おりタイヤを鳴らしながら、急ぎルペストゥルに舞い戻りました。

cucina_rupestr.jpg【photo】写真右より優秀なパティシェのマルコ・ジョヴィーネ、料理の達人ジョヴァンナ、ジョルジョの妹リタ夫妻、長女ステファ-ニャ、そして皆の仕事ぶりを見守るクリスティーナさん

 昼過ぎから準備に入った厨房では、ジョルジョはもちろんのこと、妹のリタさんの友人で料理上手なSiciliana (=シチリア女性)ジョヴァンナ、ジョルジョの友人で食通のTorinese(=トリノ人)レナートらが応援に駆けつけました。私たちがRupestr に戻った時、そこにおいでだったのが、カネッリ市街でジョルジョ家族と暮らすクリスティーナさんでした。間もなく80歳になろうとしていたクリスティーナさんは、少し足元が不自由でしたが、お元気そうに見えました。ラウドスピーカーのようなジョルジョのキャラクターからして、大阪のオバちゃんのようなお母様かと思いきや、物静かなピエモンテーゼらしい女性だったのは意外でした。

 南アフリカの女性シェフが北イタリア風のしっかりとした味付けで肉の煮込み料理に取り掛かる一方、アル・ケッチァーノのスタッフは庄内牛の牛タンをから持ってきたゴボウと共に柔らかく優しい味付けに仕上げるスペチャリテの一品と、庄内米はえぬきを用いたリゾットの下ごしらえに入りました。プロの料理人がテキパキと仕事をこなすさまを厨房の片隅に腰掛けながら、じっと見詰めていたクリスティーナさんの姿が今も目に焼き付いています。

cibi_mamma.jpg【photo】ガラディナーに登場したピエモンテ牛のカルネ・クルーダと白トリュフ。こうしたクリスティーナさんのレシピは、これからもジョルジョやジョヴァンナの手によって生き続ける

 家族経営のアグリツーリズモゆえに、慌しさを増す厨房と来客の応対でダイニングルームとの間を忙しく行き来するジョルジョのサポートのため、夕刻になるとカネッリで教師をしている奥様のブルーナさんや、当時高校生だった長女ステファ-ニャ、中学に通っていた長男エンリーコも学校が終わってから手伝いの輪に加わりました。やがて腰掛けていた椅子を立ったクリスティーナさんは、不自由な足で調理台を見渡す扇の要の位置に席を移動、盛り付けを手伝いながら皆の仕事ぶりに目を配るのでした。そこで立ち回る誰もがクリスティーナさんに対して深い敬意を払っているのが手に取るように分かりました。

 滞在中にジョルジョが用意した料理は、いずれもマンマの味付けに則ったものだそうです。それはイル・カッシナーレヌオヴォでその日の昼食に出たような、凝った盛り付けがなされた料理ではありません。

 実を明かすと、母が病に臥せって久しいために、私はもう何年も母の手料理を食べていませんし、病状からしてそれは二度と叶わぬこと。

 あれから4年を経ようとしている今でも、しみじみとあの滋味深いジョルジョの、つまりはクリスティーナさんの味が懐かしくなることがあります。それこそ、家族を思いやる深い愛情のなせるマンマならではの「思い出の味」なのでしょう。そういえば、ジョルジョと神のもとに召されたお母様に感謝の気持ちをきちんと伝えていませんでした。

 ご馳走さまでした。Grazie di cuore.
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2007/09/30

アグリツーリズモRupestrとの出逢い

トリノからカネッリへ。そこは世界の中心だった

 Agricultura アグリカルトゥーラ(=農業)と Tourismo トゥーリズモ(=観光)の合成語「Agritourismo アグリツーリズモ(=農家民宿)」というイタリアで誕生した宿泊施設の形態は、日本でもすっかりお馴染みになりました。農業と共に観光業が大きな国の収入源となっているイタリア。"国益のために結束して"という大同団結が苦手な国民性が災いしてか、やることがてんでバラバラ。中部以南は冬でも温暖な気候に恵まれ、ユネスコが指定した世界遺産登録数が世界一という歴史・文化遺産などの観光資源には事欠かさないにもかかわらず、それを生かしているとは到底言えません。

 公共交通機関はストライキばかりしているし、観光地として人気が高い都市以外のお店は、休み時間がやたらと長い。そのため、国外からの観光客受け入れ数では、世界第四位に甘んじています。世界一のフランスや二位のスペインなど、プロモーションに長けた国の後塵を拝しているのが現状なのです。そんな国イタリアで、ホスピタリティ(=もてなしの心)の塊が服を着て走り回っている(→歩くのではない)ような一人のイタリア人と出会いました。

 「BUON GIORGIO !ブォン・ジョルジョ!」これがアグリツーリズモ兼リストランテRupestr ルペストゥル」のオーナー、Giorgio Cirio ジョルジョ・チリオ氏と誕生日が1日違いの庄内系イタリア人が交わす朝の怪しい挨拶。ジョルジョも私のこのギャグを気に入ってくれたようで、BUON GIORNO ブォン・ジョルノではなく、ブォン・ジョルジョ! 立派な・善良なジョルジョ)と、ゴキゲンな笑顔で返してくれました。

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【photo】絶品シーフードをたっぷりと堪能したチンクエ・テッレから、爆走の挙句やっとの思いで Rupestr に戻った夜、ジョルジョは夕食を用意して待っていてくれた。「Prego プレーゴ(=どうぞ)」という一言と、その頭のように光り輝く笑顔、そして優しい味付けの心のこもったジョルジョの手料理に疲れが吹き飛んだ。左は心強いナビゲーターとしても活躍してくれたアル・ケッチァーノの若手料理人 佐藤 渓治君

 Terra Madre に招聘されたアル・ケッチァーノ奥田シェフらと共に、トリノからスタートした2006年秋のイタリア訪問。皆で足を運んだリグーリアや後に訪れるトスカーナ、エミリア・ロマーニャなど行く先々で印象に残る多くの出逢いがありました。わけても、私たちのピエモンテでの滞在先となった Asti アスティ県カネッリ郊外の高台 Piancanelli ピアンカネッリに位置するルペストゥルのオーナー、ジョルジョとの出会いを忘れるわけにはゆきません。

 9月から10月にかけては、Rupestr を取り囲む自身のブドウ畑の収穫に追われる多忙な時期。にもかかわらず、私たち一行がイタリア到着早々に豪勢な食事をした CanelliSan Marco Link to Back Number など、リストランテの予約と、ロマーノ・レヴィさんほか、ピエモンテを代表する名醸地 Barbaresco バルバレスコのみならずイタリアワイン界の巨人と目される Angelo Gaja アンジェロ・ガヤや、オーナーのジョルジョ・リベッティ氏も Rupestr を時折ジョルジョのもとを食事に訪れるというLa Spinetta ラ・スピネッタ、Baroloバローロの Luciano Sandrone ルチアーノ・サンドローネといった有名どころのカンティーナ(=ワイン醸造所)など、こちらが希望する訪問先へのセッティングは、全てジョルジョが事前に済ませてくれました。

 Rupestr の常連で盛岡在住の税理士 西川 温子さんを通して、同年8月頃から希望する訪問先を伝えていましたが、その当時は顔が広いジョルジョでも、ロマーノ・レヴィさんとは直接面識が無かったようです。後に知ったのですが、Positive Thinking で常に前向きなジョルジョは、レヴィさんが自身のグラッパ以外に唯一エチケッタのイラストを描いたスプマンテを造る優良カンティーナ「Caudorina カウドリーナ」のオーナー、彼の友人でもあるロマーノ・ドリオッティ氏にレヴィさんとの仲介を頼んでくれていました。偶然にもこの作り手の Asti Supmante は、かねてより私の愛飲アイテムのひとつでした。

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【photo】ブドウ畑に囲まれた Rupestr がエチケッタに描かれた大きなワインボトルが目を引く Rupestr のダイニングルームで。右端が Donna Selvatica が印刷されたエチケッタがチャーミングなロマーノ・ドリオッティ氏の Asti Supmante

 奥田シェフが Rupestr 滞在中、ジョルジョに頼まれて料理を振舞ったガラディナーが催されました。ジョルジョはドリオッティさんをその席に招いていました。私は不覚にもその人とは知らずに、ドリオッティ氏に奥田シェフが作った料理の感想をインタビューしていたのです。人と人はどこかで不思議な縁で繋がっているのですね。イタリアには人同士の繋がりを大切にする風土が色濃く残っており、それは時として偶然を必然に変えてくれます。

 こちらの希望を汲み取りながらも、"おらが地元のコレを食べさせたい、あそこも見せたい"というジョルジョの郷土愛に満ちたオススメの訪問先が、日程の中には必ず織り込まれていました。彼の人的ネットワークをフル活用した先に私達を案内をしながら、「俺の地元は凄いだろ」と顔に書いてあるジョルジョが、私たちと一緒に写真に納まる時は自分がいつも真ん中。「カネッリは Centro del Mondo=世界の中心」が口癖の陽気で気さくなPiemontese ピエモンテーゼ(⇒寡黙で物静かな人が多いピエモンテ人としては、極めて珍種と言ってよい)、ジョルジョのホスピタリティ溢れるお国自慢は、決して"井の中の蛙"的なものではありません。

 魅力ある地方文化が国土にあまねく醸成され、今もそこに息付く「地方が元気な国」イタリアだからこそ、なせる業でもありました。大都市にばかり国家資本が投入される一極集中型で、劇場型政治を地で行く小泉首相が声高に叫ぶ"改革"の美名のもとで地方が切り捨てられているこの国に暮らしていると、両国の違いを痛感させられます。

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【photo】行動を共にしたメンバーと別れ、リグーリア・トスカーナを目指し出発する朝。世界の中心・カネッリで素晴らしい人の輪に囲まれているジョルジョは、最後まで写真の中心に納まるのだった...

疲れた表情をしたそこのあなた、元気をもらいに行きませんか? 誇り高きピエモンテの語り部、ジョルジョのアグリツーリズモへ。

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2007/09/11

甘~い生活の始まり

これぞDOLCE VITA 甘い生活

 イタリアの朝は、甘美に始まります。

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【photo】ピエモンテ州 Canelli カネッリ郊外のアグリツーリズモ(=農家民宿) Rupestr ルペストゥルの朝ごはん

 ダイニングテーブルの上に用意されるのは、Rupestr オーナーお手製のサクサクしたビスケット類が山盛り。加えて自家製のサクランボ・モモ・イチジク・マルメロなどの Marmellata マルメラータ(=ジャム)が添えられます。これは「ごはん」というより、日本人の感覚で表現すると、ほとんど「3時のおやつ」(爆)。

 朝から元気全開のオーナー、ジョルジョ・チリオ氏が大きな声で「Buongiorno!」の挨拶とともに大きめのコーヒーカップでカフェラッテをサーブしてくれます。その温かなカフェラッテに入れるのは、レモンの絵が手描きされたシュガーポットの砂糖をスプーンで2杯。

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 ひんやりとした秋の空気が心地良いピエモンテの朝。窓の外は乳白色の朝もやに包まれた Rupestr の色付いたブドウ畑。北の彼方にはヨーロッパアルプスの白い山並み。日常の喧騒とかけ離れたゆったりとした時間が流れてゆきます。 あぁ、シ・ア・ワ・セ。

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