あるもの探しの旅

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2017/07/23

イタリア瓶属 大移動  

神様 仏様 モンテ物産様

 20世紀が生んだ天才物理学者アインシュタイン(1879‐1955)が唱えた相対性理論は、庄イタごときの頭脳では全くもって理解不能です。

elektrodynamik-bewegter.jpg【Photo】偉大な物理学者の業績に触れる知的冒険を目論んで購入するも、今のところ睡眠導入剤としての活用法しか見出していないアインシュタイン最初の論文「Zur Elektrodynamik bewegter Körper (動いている物体の電気力学)」の邦訳と解説からなる岩波文庫「相対性理論」内山龍雄訳・解説(1988年刊)

 1905年、ドイツの学術誌に発表された画期的な論文の概略をかいつまんで言えば、人間や物体が超高速で移動すると、時間の経過にズレが生じ、時計の進みが遅くなり、物体の長さが縮み、重量が増すと提起。前世紀までのニュートン力学から大転換を果たした学説(...のようです)。

 容易には理解しがたい相対性理論を庄イタが咀嚼(そしゃく)しうるか否かは置いておくとして、そういわれてみれば、身長自体が縮む変化は認められずとも、不慣れな新任地では常に物腰は低く低姿勢。食い倒れの街へと赴任して以来、ロードバイク通勤を封印しており、体重が微増傾向にあります。

 時間の経過が遅れる現象に関しては、居心地の良いリストランテで、美味しい料理とヴィーノ、さらにステキな女性が隣にいれば、時計の針が止まったかのように時間が過ぎるのを忘れてしまうことぐらいでしょうか。経験則からしてイメージ可能なのは、せいぜいこのレベル。トホホ...。

 ついでに白状すると、大阪から4回シリーズでお届けした「土佐日記風 会津日記」は、昨年12月23日~25日の連休に会津を訪れた内容。そしてお題が〝皆殺し〟と皆さまも中学校の歴史授業で暗記したはずの西暦375年に始まったゲルマン民族大移動を想起させる今回は、今年3月の出来事です。

Quanten-AlbertEinstein.jpg【Photo】ドイツ南部の都市ウルム出身の物理学者アルベルト・アインシュタインによる相対性理論発表から100年目を記念し、2005年に故国で発行された切手

 かくもViaggio al Mondoにおける時計の進みは遅れています。仙台空港から大阪・伊丹空港までの移動が、時間のズレが生じるほどの毎秒30万kmに迫る光速飛行であった感覚はないのですが。

(いや、待てよ。1時間20分を要したフライトの間、ANAの敏腕パイロット氏は、1周するのに4万kmを要する地球を14億4千万周したのやもしれぬ。ムムム...)

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 と、いうわけで話の舞台は再び仙台へ。

 かつては購入価格やヴィンテージの優劣を色分けしたExcelのワインリスト (下表・部分) を作成。飲み頃を迎えたワインを管理していたのも今は昔。凝り性でも大雑把なO型性格が災いし、ここ数年、リストの更新は停止し、ほぼ放置状態です。

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〝ワインとの出合いは、人の出会いと同じ。一期一会〟と自己弁護をしつつ衝動買いを重ねた結果、消費≦補給となった自宅セラーの在庫は最大時で400本ほどに達していました。

 ゆえに異動の内示を受け、身柄と共に関西へ移動させる家財の中で、ワインの棚卸し&梱包こそが、転勤にあたって最大の難関なのでした。

 セラー3台の在庫である合計約280本、階段下収納にストックしていた専用段ボールに入っていたワイン約150本の棚卸しに着手する前段として、まずは移動に耐える梱包材の確保が急務。春まだ浅い3月ゆえ、仙台では気温上昇による熱劣化の懸念はありませんが、破損のリスクを考えると梱包はしっかりとせねばなりません。

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【Photo】アンモニア気化熱で冷却するため、コンプレッサー方式のような作動音や熟成の妨げとなる振動が発生しないワインセラー3号(庄イタが親しみを込めて名付けたニックネームは、酒神バッカスと結ばれし女神「Ariadnē アリアドーネ」)。端正なルックスの身の丈は庄イタの身長と同一。ワインフルボトルを最大206本も受け入れてくれる包容力が魅力

 会社が指定する引っ越し業者から支給された梱包材は、段ボール箱と大きなバウムクーヘン状の緩衝エアセルマット(通称:プチプチ)。

 1本づつエアセルマットで梱包し、段ボール箱にワインを詰め込むだけでは、破損のリスクが高いことは明らか。試しに1箱分だけ梱包したところ、エアセルマットを適当な大きさに切り取って350本以上を梱包するのは、気が遠くなるような手間を必要とする作業であることを痛感したのです。

 そんな非効率極まりない荷造りでは、梱包作業の合間にエアセルマットをプチプチと指先で潰したくらいでは、蓄積し続ける膨大なストレスの発散には到底なり得ません。

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【Photo】引っ越し業者支給の緩衝エアセルマットで1本ごとワインを梱包、箱詰めを試みる之図(手前)。作業効率の悪さからこの方法は早々に断念した。荷造りが容易な中仕切りがあるモンテ物産のオリジナル段ボール箱(写真上部)ほか、断熱性が高い発泡スチロール製容器が6本分内蔵されたPECK Milanoなど、おもに通販で購入したワインが入ってきた箱には、長期保存に適したセラーに入りきらない在庫150本ほどを収容。室温変動が少ない階段下にストックしていた

 そこで方針転換。宮城県塩竃市が発祥で、酒販店では国内最大手のチェーン店舗をいくつか見てみましたが、ここ数年のイタリアワインの品揃えと同様、目ぼしい段ボールは皆無。

 次に某ワイン専門店から取り寄せたボトルが入っていた緑色の段ボール箱を実費で譲ってもらえないか、時折立ち寄っていた仙台店に出向きましたが、取り付く島もない対応なのでした。Mamma mia!

 それならばと電話したのが、明治屋仙台ストアで購入したワインが入っていた12本入り段ボールに社名が記載されていたイタリア食材の専門商社「モンテ物産」でデスク業務を担当するSさん。

trattoria-alpha2001.2.jpg【Photo】alpha情報館シリーズ企画「もっと知りたい!イタリアン Trattoria alpha」掲載例(2001年2月号)。モンテ物産さま協力のもと毎回一つのイタリア食材を掘り下げてご紹介。庄イタの趣味のページといわれていた

 モンテ物産㈱仙台支店さまには、仙台圏で発行していた月刊誌「alpha情報館」で長期連載したイタリア食材の紹介企画でお世話になったことがあります(上画像)

 サン・ミケーレ・アッピアーノで醸造責任者を務めるハンス・テルツァー氏が業務店向け講習会を仙台で行った際、当時のO仙台支店長からお誘いいただき、講習会にプレス特別枠で参加。〈2013.8 拙稿「ビアンキスタ、面目躍如」参照〉

 震災直後にイタリア在住のワインジャーナリスト中川原まゆみさんから被災店舗への義援金の申し出を頂いた折にも仲立ちの労をS同支店長にお願いしたことも。〈2011.6 拙稿「Colletta per Giappone (イタリアから届いた義援金)」参照〉

 そうした折々に窓口となって下さったのが、20年来の知り合いであるSさんでした。電話口で差し迫った事情をお話しし、資材費と送料を当方負担で段ボールを譲っていただけないか切々とお願いしたところ、配送部署に交渉してみますとのこと。

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【Photo】一度は隘路に陥ったワインの荷造り。事態打開の決め手となった救世主・モンテ物産さまから専用段ボール箱と中仕切り材20セットが届いた。最大36本を収容するセラー1号(ニックネーム「Romolo ロモロ」ラテン語読みでロムルス)と2号(ニックネーム:「Remoレモ」ラテン語読みでレムス。ともに永遠の都・ローマ建国伝説に登場する双生児)にストックしていた72本は、難なく6箱に収容。めでたし、めでたし

 その時、庄イタがストックする同社取り扱いのイタリアワイン、Bertani Amarone della Valpollicella classico'90 やら、Avignonesi Vin Santo'92 やら、La Spinetta Barbaresco vigneto Starderi'97など、移動対象のお宝ワイン名を挙げ、同社に対する個人的な貢献をアピールするのも忘れないのでした。

 そんな交渉術が奏功したか、12本(1ケース)用段ボール箱を中仕切り材と共に送料負担だけで配送センターから20セットを拙宅あてに直送しますとのありがたいお返事をいただいたのです。Complimentiiiiii!!!!!!!!

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 こうして届いた梱包材で作業効率は飛躍的に向上。ストックしていたことを忘れていた猿酒のごとき掘り出し物がセラーの奥底から出てくる中、トントン拍子で作業は捗ったのでした。

 とはいうものの、夜中まで続く膨大な量の荷造りで、段ボールとの摩擦により指先の指紋は消え、皮は剥けて荒れ放題に。ハンドクリームが手放せなくなり、寝不足が続く3月14日のホワイトデーには、Sさんに感謝の意を込めてピスタチオ風味のイタリア菓子「Waferini ワッフェリーニ」をお届けした義理堅い庄イタなのでした。

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 そして話の舞台は仙台から関西へ。

 モンテ物産さまのおかげで1本たりとも破損することなく、ワインたちは西宮の新居に無事到着。家一軒分の家財の荷ほどきとの並行作業で、新居から至近の桜の名所・夙川(しゅくがわ)沿いに咲き揃った桜が散ってしまった4月25日過ぎまでには、同じ造り手や産地を固めるなど、整然と体系だててセラーに収容しました。

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 当然のこと、そこには階段下収納にあったワイン150本が存在しているわけです(上画像)Ariadnēへの移し替えの際、誤ってボトルを割ってしまったことが悔やまれるArnaldo Caprai Montefalco Sagrantino 25 Anni '06はやむなしとして、関西では観測史上最も暑いことが予想される今年の夏を乗り切るには、なるべく早期に手持ち分を飲み切った方が得策。

 たとえ熱帯夜でも、まだ空けるには勿体ない'97vinなど、さらに熟成可能なヴィーノ・ロッソを抜栓しなくてはなりません。

 はなはだ不本意ながら、そうした扱いとなっている例が、Quorum クオルム'99(下画像)Braida, Michele Chiarlo, Coppo, Prunotto, Vietti,そして珠玉のグラッパを世に送り続けてきたBertaが手を携え、地ブドウであるバルベーラから至高のヴィーノ・ロッソを造る目的で立ち上げたコンソーシアムは、アスティ地域の古い呼称「Hastae ハスタエ」と名付けられます。

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 著名なワイン評論家、ロバート・パーカーをして、自身のキャリアにおける最良のバルベーラと言わしめた素晴らしい出来となったデビュー作、Barbera d'Asti Quorum '97を3本購入する幸運に恵まれるも、'05vinを最後に、売り上げを後進の育成に寄贈したコンソーシアムは解散。日本国内ではもはや流通していないと思っていた超レアもの '99vin(上画像)を昨年5月に2本確保して以降、ヴィーノ・ロッソの購入を極力控えていました。

 これはひとえに過剰在庫を減らすためですが、'93年にPet Shop Boysがカバーした Go West が頭の中でリフレイン。現状を上回る在庫を抱えた状況で西へと向かうことは避けるべきという、虫の知らせもあった気がします。

 在庫削減の例外として、イタリアワイン好きならば、ご存知の方が少なくないであろう「にしのよしたか」を運営する西野嘉高氏が店主を務める大阪市生野区「西野酒店」を再訪、ブルゴーニュに引けを取らない最高峰のシャルドネVie di Romans Chardonnay '15を購入がてら、セラー収容作業で割ってしまったArnaldo Caprai の代替とはならずとも、メルロ&カベルネソーヴィニョンを混醸したレアもののOutsider 2010で早逝した大器の穴埋めをしたのでした。

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 大阪着任後、支社から最寄の地下鉄淀屋橋駅に向かってわずか200mほどの土佐堀通り沿いに「Picco ピッコ」という店があるのに気づきました。

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 足を踏み入れた店内には、見覚えのあるイタリアワインがズラリと並んでいます。なんと!! そこは東京と大阪に1店舗ずつしかないモンテ物産の直営アンテナショップなのでした。広い広い大阪の街にあって、なんという巡りあわせでしょう。

 店頭価格から常時2割引(誕生月は3割引)となる会員証の発行を済ませ、日本では最も入手しやすいナポリスタイルのカッフェ、KIMBO エスプレッソ・ナポレターノとマルサラ酒の優秀な作り手Florioが、西方70kmの沖合にチュニジアを望み、シチリアから100kmの大西洋上の孤島パンテレッリア島で造る酒精強化デザートワインMorci di Luce '11 を購入(下画像)

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 強烈な太陽と強風に晒される過酷な条件下、パンテレッリア島では、2014年に世界無形文化遺産に登録された独特なブドウ栽培法vite ad alberello を伝統的に行っています。「Muscat of Alexandria (マスカット・オブ・アレキサンドリア)」という英語名が示す通り、古代ローマ帝国領だったエジプト原産のブドウ「Zibibbo ジビッボ」を収穫後、4週間日干しして水分を蒸発させ、エキスが凝縮したデザートワインが作られます。

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 その一つ、Marco de Bartoli が手掛ける重層的で甘美な長い余韻を残すBUKKURAM(上記Quorum'99の左)は、食事を締めくくる至高の一杯となるでしょう。

 Piccoには仕事帰りに時おり立ち寄っていますが、購入を手控えているヴィーノ・ロッソではなく、クマゼミの鳴き声が体感温度をヒートアップさせる大阪の夏に飲みたいフランチャコルタやヴィーノ・ビアンコ(下画像)だけを調達していました。

 同社扱いのイタリア食材やヴィーノが30%OFFのお買い得価格となる半期に一度のセールが先週21日(金)に行われました。パスタの聖地グラニャーノ産シャラテッリ〈2010.7拙稿「珠玉のパスタ、Gragnano グラニャーノ」参照〉KIMBO エスプレッソ・ナポレターノ3パック、フランチャコルタ1本、ヴィーノ・ビアンコ2本をゲット。

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 自らに課してきた〝産地を訪れた年のワインは入手すべし〟という鉄則に基づき、手を伸ばした禁断の果実が、限定特価7,000円+税で出ていたE. Pira e Figli Barolo Connubi'06

 銘醸地バローロでも、とりわけ素晴らしいワインを生む畑カンヌビ。仙台から持ってきたストック分では、明治屋仙台店で2本購入したグレートヴィンテージ'96vinのうちの1本が、今もセラー2号Remoの中で抜栓される日を待っています。

 前述の通り、更新停止状態のワインリストを紐解くと、2022年頃まで熟成を続ける偉大なこのヴィーノ・ロッソを、当時としてのセール価格4,500円で入手していたようです。

 ユーロ導入以降、銘醸地トスカーナやピエモンテ産で顕著なイタリアワインの高騰傾向から、現行ヴィンテージの実勢価格は10,000円前後。

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 それは伊達家家臣の末裔という設定で宮城県の観光PR動画に登場した「お蜜」こと壇蜜さんが、夏でも涼しいと囁いた仙台でさえ、この時季には食指が伸びなかったフルボディのヴィーノ・ロッソです。

 ですが、'96vin ほどの特値ではないにせよ、間違いなくこれはお買い得。逡巡したものの、再び禁制の品に手を出してしまいました。

 関西へ移動した段ボール内の精鋭たちが、体温に等しい36℃に迫る暑さで375(皆殺し)となっては元も子もありません。かといってエアコンを終日つけっぱなしにするのも抵抗があります。

 いよいよ夏本番。待ったなしの在庫削減の取り組みは、こうして一進一退を繰り返しているのです。

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Italian shop Picco イタリアンショップ ピッコ

 ・住:大阪市中央区北浜3丁目1-18 島ビル1階
 ・Phone e Fax:06-6209-0522
 ・営:11:00 ~ 18:00 土日祝休み
 ・URLhttp://www.montebussan.co.jp
 ・Mailpicco-osk@montebussan.co.jp

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2017/04/19

土佐日記風 会津日記 【序章】 @ 摂津国

じもてぃもすなる あさらーといふものを
しょういたもしてみむとてするなり


 代々官職に就く朝廷に仕える下級貴族で、平安時代中期に藤原公任(ふじわら の きんとう)が、万葉の時代からの優れた歌人として挙げた三十六人撰(三十六歌仙)の一人としても名高い紀貫之(868 or 872~945)。

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【Photo】現存する最古の三十六歌仙を描いた絵図の部類となる「佐竹本三十六歌仙絵」下巻より紀貫之(国重要文化財・13世紀・耕三寺博物館蔵)。913年(延喜13)、律令制における正六位 大内記に叙せられた紀貫之。4年後には従五位下となり加賀国・美濃国などの次官にあたる介や大監物などを歴任。930年(延長8)に土佐守(高知の国司)となり、高知に赴任した

 土佐守として赴任した4年の任期を終えて934(承平4)に京都へと帰還する間の出来事を、58の短歌と共に日記風に綴ったのが、本邦初の紀行文とされる「土佐日記」です。

 やんごとなき身分の男性が、公式に使う文章は漢文が通例であったこの時代。公人としては異例の女性が使用するカナ文字を使い、虚構や諧謔的な表現を織り交ぜながら家人や従者と小舟に分乗しての55日間の出来事が語られます。

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【Photo】土佐の国府が置かれた現在の高知県南国市比江を出立した紀貫之ら一行。当時は大津と呼ばれた同県船戸から小舟に乗り京都へ向かった。船戸から南西12kmほどの距離にあり、古くは浦戸と呼ばれ、現在は坂本龍馬像が立つここ桂浜付近に立ち寄り、阿波・淡路・和泉と海路を進み、難波から淀川を遡上。山城国へと入り山崎からは陸路を進み、桂川を渡って二月十六日(太陽暦で3月28日)に我が家に着くまで55日を要した

  をとこもすなるにきといふものを、をむなもしてみむとてするなり。 それのとしのしはすのはつかあまりひとひのひの、いぬのときにかどです。

 【現代語訳】男性が綴る日記というものを、女性である自分も試みてみる。とある年の十二月二十一日(太陽暦で2月2日)、午後8時に出立することとなった。

 醍醐天皇(885-930)の勅命による我が国初の勅撰和歌集が「古今和歌集」です。紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑ら4人の撰者の中で中心的な役割を果たした編纂の任に当たった当時、30歳代であった紀貫之は、宮中の文書管理を担う次官級の御書所預(ごしょどころあずかり)の職にありました。

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 奈良県櫻井市にある花の寺「長谷寺」を訪れた折、宿の主から「しばらく音沙汰がなかったですね」と言われた貫之の返歌として詠まれ、古今集に収められたこの和歌は、百人一首にも取り上げられています。

 人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞむかしの かににおひける

 【現代語訳】さぁ、あなたはどうでしょうね。人の心もようは分からないけれども、馴染みの里に咲く梅の花は、昔と変わらず香っています。

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【Photo】紀貫之による自筆本の筆跡を再現した古写本「土左日記」(尊経閣文庫蔵)。現在は散逸した原本が残っていた平安時代末期から鎌倉時代初期にかけ、勅撰和歌集から秀作を選んだ小倉百人一首を成立させた藤原定家による写本

 貫之が和歌について論じた古今集の仮名序は、日本文学が漢詩の影響を脱し、源氏物語に代表される女流古典文学の確立に向けた指針を示したとされます。

  やまとうたは ひと(人)のこころをたね(種)として よろず(万)のことのは(言葉)とぞなれりける

 【現代語訳】和歌は人の心の機微を表現し、数え切れぬほどの言葉を編み出していった

 京都で生まれ、赴任先に伴ってきた可愛い盛りの女児を土佐を発つ直前に病で亡くす不運に見舞われた紀貫之。大津から浦戸に向かった12月27日に詠じたのは ー

 みやこへと おもふをもののかなしきは かへらぬひとのあればなりけり

 【現代語訳】いよいよ都へと帰還するのだけれど、どうしても悲しいのは、帰らぬ人がいるからなのだ

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【Photo】京都・嵐山付近を流れる桂川の流れを見守る松の古木とて、紀貫之が生きた時代など知るよすがもない平成の世。世界各国から訪れる観光客が行き交う渡月橋は、現在とは異なる位置にすでに架けられていた。天皇の内裏(皇居)であり、公務を執り行った京都御所近くの京都御苑の一角に紀貫之の居宅があったといわれる

 長旅を終え、貫之が京都の自宅に戻って詠んだのは、帰還の喜びではなく、人の命の儚さを憂うこの和歌でした。

 生まれしも帰らぬものを我がやどに小松のあるを見るがかなしさ

 【現代語訳】ここで生まれた我が子が帰らないというのに、元は無かった小さな松が庭に生えているのを見るのは辛い

 亡き娘を思う悲哀を込めた短歌は、時代を越えて庄イタの胸にも響いてくるのです。

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 紀貫之の生年である貞観年間は、天変地異が頻発した時代でした。

 861年(貞観3)、現在の福岡県中部の直方(おのがた)市にある須賀神社境内に記録が残る世界最古の隕石が落下。864年(貞観6)、当時は常に噴煙を上げていた富士山が大噴火を起こし、現在は青木ヶ原樹海となった膨大な溶岩を噴出。

 1000年に一度の規模といわれた東日本大震災と同規模の大津波が三陸沿岸を襲ったと推定される貞観地震の発生が869年(貞観11)。その2年後には鳥海山が噴火しています。

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【Photo】文献に残る噴火が537年から十数回を数える鳥海山。現在の頂上部が形成された1800年(寛政12)の噴火による死者は8人。直近では1974年(昭和49)に水蒸気爆発し、噴煙を上げた〈上画像〉

 マグニチュード7.4と推定される相模・武蔵地震の発生により、南関東地域に大きな被害が及んだのが878年(元慶2)。887年(仁和3)には南海トラフを震源とするマグニチュード8規模の仁和地震で近畿地方に甚大な被害が及ぶなど、大規模な地殻変動が各地で頻発します。

 794年(延暦13)、桓武天皇(737-806)により凶事が相次いだ長岡京から平安京に都が移され、1192年(建久3)に鎌倉幕府が成立するまでの平安時代の幕開けは、かくも平安ならざる天変地異が続いたのです。

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 昨年8月、天皇陛下が退位のご意向を色濃く滲ませた「お気持ち」を表明されたことで、平成の終わりが見えてきたこの春。2007年6月のブログ開設以来、Viaggio al Mondo~あるもん探しの旅は10年目を迎えます。

 10年目でひと区切り。

 私事ですが、4月の定期異動で大阪に赴任し、東北をフィールドに駆け巡ってきた庄イタにも転機が訪れました。

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【Photo】六甲山地の東端付近に源を発する夙川(しゅくがわ)。2.8kmの遊歩道が整備された公園緑地には枝ぶりが見事なクロマツと共に1,660本のソメイヨシノやオオシマザクラなどの桜並木が続く。5月から6月にかけて阪急甲陽線苦楽園駅の上流域ではホタルが見られる。そこは神戸出身の作家・野坂昭如の小説「火垂るの墓」の舞台となった

 プレ創刊100周年の1996年(平成8)、バブルの余韻に浸りつつ6年を過ごした東京支社から仙台本社に帰還。山形営業所の立ち上げに携わった2003年(平成15)に庄内系へと突然変異。創刊120周年の節目を迎えたこの春、摂津守として北前船で酒田湊から上方へと赴いた格好です。

 紀貫之が土佐から京の自邸に戻った日と同じ3月28日、かつては摂津国と呼ばれた関西に初めて居を構えました。

 そこは「さくら名所百選」に数えられる夙川(しゅくがわ)河川敷緑地・夙川公園まで徒歩30秒。天然記念物「コバノミツバツツジ群落」が見られ、参拝天照大神を祀り、阪神タイガースが必勝祈願に参詣する廣田神社も徒歩圏という風雅な地。

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【Photo】日本書紀に神功皇后の創建による記述がみられる由緒正しき廣田神社。16,000坪の境内には三本に分かれた小さな葉が特徴的なコバノミツバツツジ2万株の群落が見られ、樹齢300年を数える古木もある

 新任地は、京都へ向かう紀貫之が遡上した旧淀川の中之島を挟んで北の堂島川の南を流れる土佐掘川のほとり。対岸の中之島には日本赤煉瓦建築番付における西の横綱「大阪市中央公会堂」や、ギリシャ神殿に倣ったコリント式円柱を備えた重要文化財「中之島図書館」が、すぐ眼下にあるハイカラな土地柄でもあります。

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【Photo】ウォーターフロント中之島のシンボル的存在「大阪中央公会堂」は明治期に在阪の株式仲買人・岩本栄之助が大阪市に寄贈した現在の貨幣価値で数十億の浄財をもとに建造された

 久方ぶりに触れる外の空気は新鮮そのもの。着任早々、京都で桜を愛でる機会があったかと思えば、新世界にある串かつの名店や、迷宮のごとき天満やミナミで粉もん文化の洗礼も。どうやら新任地では、公私ともに数え切れぬほどの出会いと発見が待っているようです。

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【Photo】およそドボルザーク作曲の交響曲第9番「新世界より」が似つかわしくないエネルギッシュな喧騒に満ちた大阪・新世界。気分はガーシュイン作曲の交響詩「パリのアメリカ人」的な「ナニワの庄内系イタリア人」。通天閣を背景に筆者近況

 仙台から伊丹空港まで1時間20分の空路で着任した庄イタとは違い、紀貫之は荒ぶる海や海賊の脅威に晒されながら、家族や従者を伴い小舟に分乗して2か月近くを要して帰京しています。

 ひとまず距離を置くこととなる東北を題材とするネタとしては、一区切りとなる物語の舞台は、福島・会津です。

 今をさかのぼること1,000年以上前に書き記された土佐日記に敬意を表した今回のタイトル。我が国初の紀行文の名高い書き出しになぞらえた本編は、また次回。

To be continued.

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2017/03/05

善因善果 あるいは 因果応報

当選スマすたー

 サルデーニャ島とシチリア島が、紀元前8世紀から続いたカルタゴによる統治を離れ、イタリア半島を手中にしていた共和制ローマの領地となったのは、カルタゴに勝利した第一次ポエニ戦争(BC264~BC241)後のことです。

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【Photo】現在のチュニジア共和国の首都チュニス近郊の湖チュニス湖のほとりにあった都市国家カルタゴ(ラテン語:Carthāgō/イタリア語:Cartagine)。地図中では英語でCarthageと表記されているカルタゴが、紀元前3世紀初頭に勢力圏としていた地域が青の部分。北アフリカから西ヨーロッパの地中海沿岸地域にフェニキア人の入植都市を築いていた

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 西地中海一円に版図を広げつつあった共和制ローマの前に常に立ちふさがったのが、地中海交易で繫栄を謳歌したフェニキア人が築いた強国カルタゴでした。

 第二次ポエニ戦争(BC218~BC202)におけるトラシメヌス湖(現ウンブリア州トラジメーノ湖)の戦いやカンネの会戦で全軍殲滅の憂き目を見るなど、幾度となくローマ兵を苦しめたのが、人類史上屈指の天才戦略家ハンニバル。

【Photo】第二次ポエニ戦争でカルタゴ側についた古代都市カプア(カンパーニャ州カゼルタ県)で出土したハンニバル・バルカの胸像(ナポリ国立考古学博物館 Museo Archeologico Nazionale 蔵)

 難敵ハンニバル率いるカルタゴは、史上名高いザマの会戦で大スキピオことププリス・コルネリウス・スキピオ率いるローマに破れ、敗軍の将は命からがら逃亡。そして第三次ポエニ戦争(BC149~BC146)におけるカルタゴ包囲戦で陥落します。

 当時、カルタゴは少なくとも15万の人口を擁し、ローマとほぼ同規模の都市であったと推定されます。戦死や餓死をせずに生き残った女性や子どもを含む5万のカルタゴ人は、全て国を追われ奴隷として売り払われました。

Assaut_Carthago.jpg【Photo】紅蓮の炎に包まれて陥落するカルタゴ(19世紀の挿絵)

 700年にわたって栄華を誇った都市国家カルタゴは、積年の恨みを抱くローマ兵によって破壊の限りを尽くされます。小スキピオこと総司令官スキピオ・エミリアヌス指示のもと、ローマ兵によって火が放たれ、呪われた不毛の地とすべく大地に塩が撒かれます。

 その場に立ち会った歴史家ポリピウスによれば、小スキピオは燃え盛るカルタゴを前にして、地中海世界の覇者となったローマも、やがてはカルタゴと同じ道をたどる運命にあることに思いを馳せ、落涙したのだといいます。

Scipio_Carthage.jpg【Photo】3年に及んだ第三次ポエニ戦争の末、廃墟と化したカルタゴ。栄華を誇った強国の滅びを目撃したギリシャ人歴史家ポリピウス(右)は、38歳でカルタゴ包囲戦の総指揮を執ったスキピオ・エミリアヌス(左)が、いつか故国に訪れる同じ末路を思い、悲哀の涙にくれた史実を書き残した(19世紀の挿絵)

 第二次ポエニ戦争が勃発する3年前、遥か極東の地、中国に初の統一王朝が秦の国王・始皇帝により樹立されます(BC221)。乱世を平定した皇帝として権力を誇示した始皇帝の死後ほどなく、国家統一を成し遂げた秦は、漢の台頭により、わずか四半世紀で命脈を絶たれました。

 盛者必滅。
 
 春秋から戦国時代にかけての中国大陸は、秦・燕・趙・韓・魏・楚などの国が群雄割拠する混沌とした状況にありました。その時代に生きた儒学者・孟子(BC372~BC289)は、次の箴言を残しています。

 噫戯嘑出于爾者還于爾者也
 ああ、爾(なんじ)に出ずるものは爾に反る
 《意訳》自らの言行は、やがて自分に戻ってくる

Scipio Aemilianus Africanus.jpg

 歴史は繰り返すと申します。ゆえに賢明な為政者は歴史から多くを学びます。他国との軋轢を意に介さず海洋進出を推し進める現在の中国を率いる習近平国家主席、翻っては戦後レジュームからの脱却や憲法改正を目指す安倍晋三首相らは、孟子の教えをどう受け止めるのでしょうか?

【Photo】第三次ポエニ戦争でカルタゴを滅ぼした総司令官スキピオ・エミリアヌスの胸像。第二次ポエニ戦争で戦功を上げ、スキピオ・アフリカヌスの称号を与えられた大スキピオに対し、小スキピオと呼ばれる(ナポリ・カポディモンテ美術館Museo e Gallerie Nazionali di Capodimonte蔵)

 ポエニ戦争で明暗を分けた両雄がその後たどった道筋を本稿の最後にご紹介しておきます。

 ローマを不倶戴天の敵として戦いに明け暮れたハンニバルは、シリアからクレタ島を経て黒海沿岸のビテュニア王国まで逃亡。BC183、国王プルシアス1世に身柄引き渡しを求めたローマの追手が迫ると、自ら毒をあおり波乱に富んだ64年の生涯を閉じます。

 かたやカルタゴを滅亡させたスキピオ・エミリアヌス。第二次ポエニ戦争を勝利に導き、ハンニバルと相前後してBC183に没した偉大な養祖父・大スキピオと同様、アフリカを制した「アフリカヌス」の称号を得ます。さらにBC147とBC134には、共和制ローマの国家元首である任期1年のコンスルの座に就いています。

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【Photo】古代ローマ時代、政治の中枢であったForum Romanum(フォロ・ロマーノ)。権謀渦巻く政争の場となった元老院議場が置かれた往時から2000年の時を経た現在、フォロ・ロマーノの主役は世界中から訪れる観光客と野良猫にとって変わった

 二度目の最高権力者の座に就いて5年後のBC129、元老院で改革派として台頭してきたティべリウスとガイウスのグラックス兄弟による農地政策への反対演説を控えた前日、小スキピオは死亡しているのが発見されます。

 その首には絞められたような痕跡があったのだとか。死因は明らかではありませんが、義母コルネリアないしは妻センプロニアを含むグラックス一族による謀殺説が否定できないのだといいます。

 そのグラックス兄弟とて、元老院と対立した兄は改革の道半ばで暗殺され、退路を断たれた弟も自ら命を絶っています。金正男氏謀殺事件と同様、〝事実は小説よりも奇なり〟といったところでしょうか。

 怖いデスネ~、恐ろしいデスネ~。

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 クアラルンプール国際空港で事件が発生した日、一つの小包が自宅に届きました。それは一国家の存亡ほど劇的な出来事ではありませんが、孟子が残した人の営みは良くも悪くも因果応報であるという言葉を思い起こさせたのです。

 小包は、あるキャンペーンに当選した賞品なのでした。次回、その顛末を明らかにします。

To be continued...

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2014/12/20

トラブル発生中です。

【お知らせ】

 サーバを引っ越して以降、リンクタグ付きで投稿ができない膠着状態が、ここ1週間ほど続いています。

 「レモン色づくアマルフィの海辺」続編のテキストは仕上がっているのですが、後編への更新のため、事態打開に向けて原因究明中です。

 現時点ではっきりしていることは、どうやら庄イタの手に負える案件ではないということ。Mamma mia!!(T_T)。

shoita_gaja_2006.jpg【Photo】庄イタ、もはやお手上げ状態之図\(× _ ×)/ ロケ地:イタリア・ピエモンテ州バルバレスコ村。敬愛する偉大な醸造家アンジェロ・ガヤが当主を務める醸造所「Azienda Agricola GAJA」にて

皆さま、しばしご猶予のほど、お願いします。
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2012/09/30

Con Te Partirò

Time to say Goodbye

 

 盲目のイタリア人歌手アンドレア・ボッチェリの代表曲のひとつである「Con Te Partirò コン・テ・パルティロ」は、1995年のサンレモ音楽祭で発表されました。ベルギーとフランスではチャート1位を獲得したものの、イタリア本国ではさほど注目されなかったこの曲。英訳・和訳すると「I leave with you=私はあなたと旅立つ」という意味です。

sig.alfista20070102.jpg 原曲の歌詞の一部を「Time To Say Goodbye タイム・トゥ・セイ・グッドバイ」と言い換え、英国のソプラノ歌手サラ・ブライトマンとのデュエット曲として1997年にリリースされるや、軒並みビッグセールスを記録した欧州各国にとどまらず、日本でも広く知られるようになりました。日本で一般に認識されているようにグッドバイではなく、本来は新たな旅立ちを歌ったCon Te Partirò の調べに乗せ、食WEB研究所サイト閉鎖後の庄内系イタリア人の今後についてお知らせします。


【Photo】食WEB研究所 河北食ネタ版グルメランナーでシニョール・アルフィスタとして世に出た当時の庄イタ(写真上) 爆走系レポーター、シニョール・アルフィスタが訪問したピエモンテ州カネッリのエチエッタ(=ワインのラベル)デザイン工房では、女性デザイナーが手にするアルファロメオブランドのボトルデザインも手掛けていた(下写真)

sig.alfista20070101.jpg 2006年10月末にイタリア・トリノで開催されたスローフード協会主催の「Terra Madre テッラ・マードレ」にジャーナリスト枠で参加の機会を得て、河北新報紙上でその模様の紹介記事が掲載されました。庄イタは勤務先では営業職のため、新聞本紙に記事を執筆することはありません。東北から多くの生産者や料理人が参加したこの国際的な催しの意義を鑑みて、出張扱いの社用ではなく、あくまで個人の資格で参加した私がまとめた原稿に編集局のデスクが手を加えて写真入りで掲載となりました。これは社としては極めて異例な扱いだったようです。

 雨天時に頻発する故障に悩まされながら当時乗っていたAlfa Breraにちなんで、シニョール・アルフィスタのペンネームで食WEB研究所 河北食ネタ版「グルメランナー」でデビューしたのが翌2007年1月のこと Link to backnumber。テッラ・マードレと、同時開催された「Salone del Gusto サローネ・デル・グスト」、晩秋のピエモンテ州とリグーリア州食い倒れレポートが、フードライターとしての第一歩となりました。簡潔な表現が求められる新聞とは異なり、「Viaggio al Mondo ~あるもん探しの旅」で意の向くまま駄文を書き連ねる所在不明の庄内系イタリア人が世に出たのが同年6月1日。早いものでそれから5年あまりの月日が流れ、これまで多くの皆さんにご愛読頂きました。

sig.alfista20070103.jpg 「こんな私ですがよろしくお願いします」という自己紹介に始まったViaggio al Mondo ~あるもん探しの旅は、生命をつなぐ食べ物の背景を知る道程の記録です。前世のDNAが共鳴する美味の宝庫イタリアと、さまざまなご縁を頂いた食の都・庄内地方を中心に、金銭的な価値では推し量ることのできない希少な種を守る人や、その土地ならではの風土を体現する手をかけた美味の数々を、その作り手、担い手へのオマージュとして取り上げてきました。

【Photo】グルメランナー第二弾「サローネ・デル・グスト」。これらレポートは、のちに再編集されて Viaggio al Mondo に収録された

 サイト管理者の告知にあるように、あるもん探しの旅の拠点となった食WEB研究所は本日をもってその役割を終えます。これまで幅広い多くの皆さんに支えられてきたことはフードライター冥利に尽きますし、何にも代えがたい幸福でした。改めて感謝の気持ちをお伝えします。

 三陸沿岸では、再開した養殖海苔の種付けや、帰行のため南下してきた秋鮭漁が始まりました。実りの時季を迎えた東北を巡るViaggio al Mondo ~あるもん探しの旅は、まだ道半ばにあります。実名登録されている「かほくブログ」Link to Website で、庄内系イタリア人は生き永らえることになります。ブックマーク登録がお済みでない方は、これを機にどうぞご登録を。Con Te Partirò ♪ を口ずさみながら、これからも流浪の旅を続ける庄イタを温かく見守って下さいますよう、どうぞよろしくお願いします。
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2011/12/31

修験道体験@出羽三山

暮れゆく月山御縁年の大晦日に思うこと

shugendou_x1.jpg【Photo】霊場羽黒山の鬱蒼とした杉木立の中、国宝五重塔に参詣後、歩みを進める羽黒修験道の最高位である松聖の星野尚文大先達と修験道体験者

 冬籠りに入って久しい月山ですが、平成23年は12年に一度巡ってくる月山卯年御縁年でした。ウサギは月山権現の使いとされています。その佳き年だったはずの3月11日、死者・行方不明者19,500名以上を出し、生かされた人の心の奥底にも深い爪痕を残した東日本大震災が発生しました。

 震災で尊い命を落とした多くの御霊の供養のため、亡者の魂が集うとされる月山詣でをしなければ、という思いが自分の中で募ってゆきました。震災発生から100日を経た「卒哭忌」の6月18日、羽黒修験道最高位の山伏、星野尚文松聖(まつひじり)が津波と原発事故で被災した福島県相馬市を訪れ、被災地の復興と犠牲者の慰霊のために祈りを捧げたという記事が翌日の河北新報朝刊に載ったのです。

【Photo】修行の場となった鶴岡市羽黒町手向の宿坊「大聖坊」。高齢化による講の減少によって、近年は廃業する宿坊も多いという

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 鶴岡市羽黒町手向(とうげ)は、関東・東北一円から出羽三山を参詣する講の参加者が宿泊する宿坊町です。江戸時代には336を数えたという宿坊には、それぞれ受け持つ地域が定められており、星野尚文松聖のご実家である宿坊「大聖坊(だいしょうぼう)」は、福島県相馬の参詣者を代々受け入れてきました。

 Facebookを通して知己を得た鶴岡在住の山伏・加藤丈晴氏から、星野尚文大先達の指導のもと、2泊3日で羽黒修験道の奥義に触れる修行体験「修験道X(エックス)~3.11後に求められる場「修験」~」の案内がFacebook〈Link to website〉であったのが6月末。羽黒修験道に魅せられて東京から今年鶴岡に移住してきたという加藤氏とは、彼の前職時代に私が東京勤務をしていた15年以上前に名刺交換をしており、不思議なご縁を感じました。

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【Photo】死者が集う山とされる月山における「抖(と)そう行」(上下画像)。地下足袋を履いて岩場を進むゆえ、足の置き場に集中しないと足元をすくわれかねない

shugendou_x3.jpg 修験道Xの内容は、なまじ半端ではありません。物見遊山の観光とは異質の濃ゆ~い日程の概略はコチラ。出羽三山へは、これまでも何度か訪れてきましたが、その目的は俗人としての参詣や観光にすぎません。死と再生の山・出羽三山での修験道体験に震災を経験した私が心惹かれるのは、もはや必然でした。

 7月9日(土)~11日(月)に催行される修験道Xは、最終日が平日だったため参加を見送りましたが、9月17日(土)~19日(祝)の3連休に開催される第2回目の修験道Xについては、早々に参加を表明。雨交じりの天候となった初日、羽黒山への参道に架かる朱塗りの大鳥居を抜けると、ほどなく手向の宿坊街となります。案内された大聖坊に着くや否や、秋の峰入りを終えたばかりで案内役を務めて頂いた加藤さんの手ほどきを受け、修行着である白装束に身を包みました。修行着は死に装束でもあり、参加者が揃ったところで執り行う「峯中式(峰入り式)」をもって俗界を離れ、修行の身となります。

【Photo】修行ではこの石段を3日間で2往復。感覚が研ぎ澄まされ、気持ちが張り詰めた修行中は、日頃の鍛錬ぶりを物語る健脚著しい星野尚文大先達に遅れを取ることなく走破。俗世・仙台に戻ってから1週間は、経験したことのない足の筋肉痛に悩まされた

shugendou_x2.jpg 杖を手に随神門から参道に入り、国宝五重塔前でまず祈祷、2,446段の石段を1段ずつ登って三神合祭殿のある羽黒山を目指します。途中の茶屋で休憩後、開祖である蜂子皇子を祀る蜂子神社と墓所を詣でました。修行に入ったばかりの私たちは三神合祭殿に参詣せず、いつもは車で往復する下りも当然徒歩で階段を下りました。大聖坊に戻ると、「床固め(座禅)」と「壇張(食事)」の時間。精進料理であることは予想していましたが、茶碗半分ほどのご飯と漬物3切れ、僅かな具が入った味噌汁だけという質素な食事でした。「山伏は早飯!」という大先達に倣って大急ぎで口にしたのは、毎回こうした内容。それでも空腹を覚えたことは一度たりともありませんでした。

shugendou_x4.jpg【Photo】食べるというよりも、胃に流し込むだけといった感の壇張(だんばり)。間違っても「おかわり」などと言わぬこと

 夜の「抖(と)そう行」は、初日こそ宿坊周辺の神社に詣で、町内を40分ほど歩く内容でしたが、月山から湯殿山へと縦走した2日目の夜は、闇が支配する鬱蒼とした森の中に分け入り、ロウソクの明りだけを灯してお社に参詣した後、町外れで月山に向かって祈祷を捧げました。「雨が降りそうなので戻ろう」という大先達の言葉に促されて大聖坊へ戻り、勤行を始めようとした途端、雨が激しく降り出したのには、さすが修験の道を究めた最高位の山伏!と参加者一同驚いたものです。

 その頃、星野大先達が中心となって広く写経を呼びかけ、般若心経1万巻を目標に月山山頂に設ける経塚に納めて震災犠牲者を慰霊しようという動きがありました。修験道Xの参加者もまた、その時点でほぼ集まっていた1万巻の般若心経を1巻ずつ長時間に渡って読経する勤行に取り組みました。大先達は震災犠牲者の冥福と被災地の1日も早い復興を祈る言葉を必ず祈祷の中に織り交ぜて下さったのが印象に残っています。我々も事あるごとに唱えた般若心経の読経を続ける夜の勤行の後は、1日を締めくくる秘儀「南蛮いぶし」が待っていました。

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 別棟の4畳半ほどの薄暗い部屋に入ると、星野大先達が火鉢で炭火を起こしていました。正座した我々の背後に陣取った大先達が「たっぷり吸わっしゃい...」と言いながら、火鉢をウチワであおぐ気配がしたかと思うと、部屋中に煙が立ち込め始めました。場数を踏んでいる先達の加藤さん以外は、何が起きているのか理解できない私たち。やがてゲホゲホとむせかえる声が響き始めます。目を開けることすら辛い異様に長く感じられた15分ほどが過ぎた頃でしょうか、大先達の「もうよし」の一言で、襖を開けて一目散に飛び出したのでした。

【Photo】この日は水量が多かったので、湯殿山神社ご神体前で下帯姿となり片道100mを移動、含満ノ滝での滝行となった

 初日の修行終了後、大先達を囲んで語らいの場がありました。ネタばらしは野暮でしょうが、星野大先達によれば、ドクダミ・米ぬか・唐辛子を粉末にしてそれぞれに火を点けるのだそう。山中に身を置く修行中は、人ではなく、畜生行であるために入浴はおろか洗顔や化粧、歯を磨くことすら許されません。古式に倣って三神合祭殿への参道に架かる神橋の下を流れる祓川で行う「水垢離(みずごり)」と、湯殿山山中の御滝や含満ノ滝(かんまんのたき)で滝に打たれる「滝行」で身を清めるだけですので、臭い消しや虫よけの意味もあるのでしょう。

shugendou_x6.jpg【Photo】月山山頂の山小屋で頂いた「やまぶし弁当」とキノコ汁が修行中に口にした中では、もっとも豪勢な食事だった

 2日目は4時起床で月山8合目の弥陀ガ原レストハウスまで車で移動、月山・湯殿山への抖そう行と滝行を行いました。月山中之宮と9合目仏生池での読経をしながら、3時間あまりで到着した標高1,984mの山頂で本宮を参詣。震災で亡くなった人々の無念を想い、心から鎮魂の祈りを捧げました。

shugendou_x9.jpg【Photo】星野大先達を先頭に白装束姿で黙々と歩みを進める私たちに対し、時折手を合わせる登山者も見られた月山から湯殿山への抖そう行の途中。死と生、聖と俗が入り混じるそこは、まぎれもない信仰の山だった

 山ブームの浸透を物語る多くの登山者に交じって10時過ぎに山頂の山小屋で摂ったのが、修行期間中に口にした一番食事らしい食事でした。大聖坊から持参したのは、3種類のおにぎりと漬物からなる「やまぶし弁当」。山小屋にご用意頂いたもだしの入ったキノコ汁が、冷え切った体に再び英気を蘇らせたのでした。

shugendou_x7.jpg【Photo】死者の山・月山から再生の山・湯殿山へと縦走、滝での禊を終えて。常人は外から入る鳥居を中から通り抜け、生まれ変わったかのような晴れ晴れとした表情の庄イタ

 湯殿山での滝行の後、大聖坊に戻ってからは初日と同じ行を行い、最終日の3日目は早朝から随神門より参道へと向かいました。祓川で水垢離を行ってから石段を再び登って羽黒山頂を目指します。星野大先達の導きのもとで主峰月山・羽黒山・湯殿山への抖そう行を始めとする数々の行を済ませた6名の参加者は、初日には行わなかった三神合祭殿への昇殿参拝を許されました。参加者を代表して不肖庄イタが玉串を上げた後、神職による祈祷がなされる間、正座したままで低頭拝礼します。

 そこでえもいわれぬ不思議な感覚に捉われました。人智を超えた大いなるものが降臨したような、畏怖すべき神々しい存在を肌身で感じたのです。

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 不可思議な感情の高まりは、震災で亡くなった多くの御霊に迎えられたような気がした月山中之宮でも感じていました。昇殿参拝が初めてではない先達役の加藤さんも、その時私と同じように感極まったことを修行後に語っていたので、あながち思い込みではないのかもしれません。修験道Xに参加したことで、自分の中で何がどのように変わったのか、簡単に答えは見つかりません。ただ、修行中に許された唯一の言葉「承けたもう」の精神は脈々と生きているように感じています。何事にも予断を持たないこと。大いなる自然の中に身を置いて感覚を研ぎ澄ますこと。慢心せずに謙虚に物事を受け入れること。それが羽黒修験の精神であり、山伏への第一歩なのだと思っています。

【Photo】参詣した月山・羽黒山・湯殿山それぞれの本宮からお札を頂き、月山神社では卯年御縁年の登拝認定証も頂いた。霊験あらたかなこのお札、どうぞ拝礼ください

 修験道体験という得難い機会を頂いたことに感謝しつつ迎えた大晦日。今頃は夜を徹して羽黒山で天下泰平・五穀豊穣を祈る恒例の松例祭が執り行われています。新たな年が、安寧で心穏やかな1年でありますように。それでは皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。


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2009/02/22

最後のごっつぉだの もっけだの

≪地の恵みに癒された濃密な一日≫
「もっけだの」後篇

 新・ごっつぉだの もっけだの」より続き

人の恵みに感謝。

 さっぱり更新されないことから、一部で未完説が囁かれ始めた畢竟の大作(?)「ごっつぉだの もっけだの」シリーズ四部作も、ようやく完結。 季節は昨年秋に遡ります...。

 食をめぐる得がたいご縁で結ばれた庄内を訪れると、日頃お付き合いさせて頂いている生産者の方たちのお顔を思い浮かべながら、辿るコースを組み立ててゆきます。この日('08年10月21日)、当初思い描いた行程の最後は、巡回ルートの北端にあたる酒田市横代(よこだい)で庄内の在来野菜「ズイキ芋」を水耕栽培する坪池 兵一さんのもとでした。そろそろ旬を迎えつつあったズイキ芋は、「カラドリイモ」あるいは濁らず「カラトリ」、「ジキイモ」とも呼ばれるサトイモの一種。一般的に茎を乾燥させて「芋ガラ」とするズイキの根の周りにできるサトイモと同じ子芋のみならず、親根も食用とします。最上川の南側では茎が赤い「赤ズイキ」、北側では茎が緑の「青ズイキ」が育てられ、茎自体も煮物などで食用とされる万能選手の作物です。

tsuboike@hatake.jpg【photo】 2005年(平成17)の晩夏、「ずいきの里」のランドマークが立つ自宅前の水苗代で熱く冗談を飛ばす坪池 兵一さん

 かつて、アル・ケッチァーノ(以下、「アルケ」と略)の奥田シェフを介して畑を見学に伺った坪池さんのズイキ芋との出合いは衝撃でした。それまで食べてきたサトイモとは全く別物のまったりとしたキメの細かいシルキーな口どけにすっかり魅了されたのです。素材選びには決して妥協しない奥田シェフいわく、ズイキ栽培にかけては腕自慢が揃う庄内でも一番美味しいのが坪池さんのものだそう。「このほうが美味しいから」と、畑栽培が一般的となった現在では、少数派となった水苗代でズイキを栽培する坪池さんは、「殖酸農法」のパイオニアでもあります。

 植酸農法とは、植物が生成する有機酸のうち、根から分泌される14種の有機酸の力で土壌を健全に保ち、化学肥料の力を借りずに海藻や貝化石などを投与して根の活力を高め、病害虫に強い作物を育てる農法のこと。坪池さんならではの澄んだ緑の葉が、風に吹かれてヒラヒラと揺れ、あたかも"おいでおいで"をしているようにも見える苗代で、時折ギャグを交えながら栽培理論を語る坪池さんとお会いするのは楽しみでもあります。

sig.tsuoike.jpg【photo】 植酸農法で栽培したズイキ芋とイモガラを前に、坪池理論を展開する坪池さん。うっかり真に受けて拝聴していると、突如ギャグが飛び出すので気が抜けない

 昼にアルケで食事をした際、取引先をもてなすために坪池さんから夜の予約が入っているとの情報を土田料理長から仕入れていました。そのため、「ズイキ芋をアルケまでご持参願えれば、それを購入させて頂きますよ」と、進藤さんのもとを出発する際に、坪池さんに電話でちゃっかりお願いしていました。なぜなら、食事を終えた時、すでに14時を回っており、生産者の皆さんのもとを回る移動時間を考えると、こうしたアドリブを加味しないと到底回りきらないと判断したからです。

 「ごっつぉだの、もっけだの」シリーズでご紹介してきたこの日午後の足取りを改めてざっとおさらいすると・・・・・十王峠を越えて4年ぶりの平日ランチを堪能した「アルケ」 ⇒ シーズン最後のブドウ狩りをした「佐久間ファーム」 ⇒ 絶品アップルパイの取材の申し出に伺ったつもりが、山形大農学部の平教授らの取材の合間に私までコーヒーとケーキをご馳走になった「知憩軒」 ⇒ 合流したアルケ土田料理長とミズの実の収穫をするため、庄内あさひIC付近まで戻った「進藤さんの山」、 ⇒ 馬鈴薯とササニシキのお土産をたっぷりと頂いた上に alfa147GTA の試乗というオマケまで付けて下さった「月山パイロットファーム」 ⇒ 仙台市民では持つ者などおらぬやもしれぬ入浴回数券を使ってひと休みした長沼温泉「ぽっぽの湯」へ。

08.10.21funghi@alche.jpg 【photo】 写真手前の白っぽいキノコが「ブナカノカ」

 ぽっぽの湯を発とうとする時点で、すでに真っ暗になっていましたが、この日決行した"庄内んめものオリエンテーリング"のチェックポイントは、まだ6箇所も残っていました。むせ返るほど濃密な森の香りをアルケで嗅がされた天然キノコ「ブナカノカ」を調達するため、アルケも仕入先として重宝している鶴岡市羽黒町狩谷野目の「あねちゃの店」はマル必で行かねばなりません。希少な天然もののキノコや山菜を扱う同店へは、これまで数多くの人々を仙台からご案内してきました。恒例の水汲みは、すぐ近くの猪俣新田にある造り酒屋「竹の露酒造場Link to Website」で仕込み水を頂けばOK。蔵名の由来となった竹林の中に湧く月山水系の超軟水は、蔵元・蔵人・杜氏らが自ら育てる「出羽の里」「亀ノ尾」「京ノ華」といった庄内生まれのコメたちと出合い、全国新酒鑑評会で数々の受賞実績を持つ銘酒「白露垂珠」hakurosuishu_kamenoo.jpgに生まれ変わります。地元のコメに愛着を持ち、金賞狙いの「山田錦」に安易に走らないこの蔵の姿勢には強い共感を覚えます。その芳醇淡麗な造りは、庄内オールスター食材軍団を見事に引き立てます。竹の露仕込み水を沸かしてしゃぶしゃぶにすると、羽黒の里で育つ「山伏豚」の融点が低い脂が適度に落ち、キメ細やかな肉質としつこさの無い風味の良さが引き出されます。今回は蔵で氷温貯蔵されていた平成19年醸造年度の吊雫生詰原酒、純米吟醸「はくろすいしゅ」亀ノ尾と共に頂くつもりでした。上品な吟醸香とコメのしっかりとした旨みが、透明感のある調和をもたらし、すっと綺麗に引いてゆくこの酒は、今年も3月上旬に上槽されるそうです。

【photo】 稲作の歴史に偉大な足跡を残した庄内生まれのコメ「亀ノ尾 Link to Backnumber 」を55%まで磨き、無濾過のまま火入れせずに一年貯蔵した希少な純米吟醸「はくろすいしゅ」吊雫原酒

 山伏豚のバラしゃぶ肉を扱うクックミートマルヤマ(鶴岡市みどり町)と、さっと湯通しして瑞々しさを頂く井上農場のスーパー小松菜(鶴岡市渡前)、同じく加熱すると、トロける甘さが生まれる平田赤ネギ(酒田市飛鳥)の豚しゃぶ用食材3点セットは欠かせないポイント。地理的に最も北にお住まいの坪池さんが、仙台への帰路で利用する山形道庄内あさひICの途中にあるアルケにおいでになることが分かっている以上、唯一ぽっぽの湯から北方15kmに位置する酒田市飛鳥までに行くのは、その後の行程を考慮すると、時間的に厳しいものがありました。平田赤ねぎ生産組合の後藤 博組合長に鶴岡市内で後藤さんの組合の赤ネギを扱う店があるかどうかを電話で確認し、ルート的にロスがない方法を選んだ方が得策です。
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【photo】後藤さんから譲っていただいた平田赤ネギ

 ぽっぽの湯の駐車場で、後藤さんの携帯電話をコールすると、電話口の後藤さんは、残念ながらその時期に鶴岡市内で赤ネギを扱う店はないと申し訳なさそうに応えるのでした。そうか・・・今回は赤ネギの入手は無理か ε-(´・`)... と諦めかけた時、後藤さんが私の居場所を確認されました。ぽっぽの湯に居ることを告げると、後藤さんは鶴岡市内の飲食店への納品を終えてR345の鶴岡市藤島地区に車でおいでだというのです。おぉ、それならあねちゃの店へ向かう途中で、しかも直線距離にして3kmほどの場所ではありませんかっ!! 私が電話を掛けた時、たまたますぐ近くにMr.赤ネギはいらっしゃったのです。喩えは悪いですが、カモがネギを背負って飛んできたかのよう。これで長沼温泉から北上する必要はなくなりました。これは奇跡に近い偶然です。きっと昼前に参詣した注連寺の「三鈷水(さんこすい)」で身を清めた功徳と、本堂に安置された鉄門海上人の即身仏、さらには末裔の進藤さんと会った真如海上人のお導きに違いありません。ありがたやありがたや。

08.10.21goto.jpg【photo】奇跡の巡り会いを果たした後藤さんとA-COOPふじしま前で

 待ち合わせした「A-COOPふじしま」の駐車場で、荷台に赤ネギを積んだ軽トラックを停めて私を迎えて下さった後藤さんから、たっぷりと束で赤ネギを譲って頂きました。それも市価とはおよそかけ離れた代金で。いやはや、もっけです。赤ネギのおかげでここ何年も風邪に罹っていないという後藤さんにあやかって、風邪知らずで来るべき冬を乗り切りたいところ。 (...おかげ様で今のところ風邪に罹っておりません。医食同源ですの)重ねがさね、もっけです。

【photo】 地吹雪が頻発する鶴岡市藤島地域では、暴風雪を遮るビニールハウスが葉物野菜の栽培農家には欠かせない。大雪警報が発令された今年の1月25日。珍しく雪を吹き飛ばす北西の風が弱かったため、前夜から降り続いた雪に埋もれたビニールハウスで小松菜の収穫をされておられた井上 馨さんご夫妻
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 期せずして赤ネギが手に入った上は、親子二代で徹底してこだわりのモノ作りに取り組んでいる「井上農場」Link to Websiteの小松菜を入手しなくてはなりません。昨年より一部地元のイオン系列の食品スーパーでも扱うようになった井上 馨さん・悦さんご夫妻の小松菜は、国内では探すことが困難な非抗生物質投与のニワトリの発酵鶏糞を鹿児島より取り寄せ、土に散布して栽培されます。専ら手掛ける「わかみ」という品種の小松菜は、寒中に最も食味が良くなるため、雪中でも収穫できるようにビニールハウス内で無農薬で栽培されます。柔らかな土の感触を確かめながら抜き取った小松菜をそのまま口に含むと、青い香りと共にミネラル豊富な地下水が口中に溢れ出してきます。我が家の定番となっている特別栽培米「はえぬき」(2,500円/5kg)の入手ともども、小松菜も直接畑やご自宅に伺っていつも購入させて頂いています。そのほうが誠実な仕事ぶりに触れることができるし、ラテン系なご夫妻の明るく前向きなお人柄に元気も分けて頂けますから。

2008.10.21inoue.jpg【photo】 井上さんからお裾分けの赤ズイキの茎、ヤーコン、購入した小松菜(左より)

 事前には何も連絡していなかったので、ご自宅の玄関前まで移動してから電話をかけようとイタズラ心が働きました。奥様の悦さんに5把の小松菜をご用意頂くようお願いする電話を切る間も無く、玄関を開けた私。電話の主が突如現れ、大笑いしながら中から出てきた悦さんは、採りたての小松菜と共に、頂き物だけどと仰いながら、ヤーコンと赤茎のズイキをお裾分けして下さいました。井上さんはいつもこうして旬の産物をお土産に持たせて下さいます。毎度〃もっけです~。最上川の南側では、こうして赤ズイキなのですね。こちらは芋ガラ用にさせて頂きます。

【photo】 あねちゃの店で頂いた平核無柿・茹で栗・柿しぐれ(左より)
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 すでに事務室の明かりが消えた竹の露酒造場に移動して、弱アルカリ性・硬度22という超軟水の仕込み水を25ℓ容量のポリタンクふたつに汲んだ後、「あねちゃの店」へ。ありました、ありました、お目当ての天然ブナカノカが。佐藤 典子店長は、「貴女のウチではどうして食べてる?」と居合わせた地元のお母さんに尋ねながらも、炒め物にすると美味しいわよと、食べ方を教えて下さいました。午前中にアルケの土田さんが来て、ブナカノカやクリタケなどをやはり仕入れていったそうです。量り売りのブナカノカを物色する私に「娘さんにどうぞ」と、茹で栗と庄内柿として広く知られる鶴岡で誕生した平核無(ひらたねなし)柿、そして市場デビュー4年目を迎えて県がブランド化に力を入れている「柿しぐれ」までお土産にと下さいました。これじゃ買い物に寄ったのか、頂き物に与るために寄ったのかわかりません。これまたもっけです~。平核無は果肉がソフトなので、しっとりとした北イタリアのサン・ダニエレ産生ハムと一緒に頂きますね。

 確立に5年を要した「樹上脱渋」技術は、固形アルコールを入れたビニール袋で柿を一粒づつ包んで、気化するアルコールで渋抜きするもの。パキッとした食感と実にゴマ状の褐斑が入るのが特徴で、2Lサイズ以上・糖度14度以上と厳格に規定された高級品種です。収穫後に脱渋する平核無には見向きすらしなかった山のクマたちにも、柿しぐれの美味しさが分かるようで、従来は発生しなかった食害が発生。丹精込めた柿を食い荒らされた生産者は、「クマったもんだ( ゚() ゚;;) 」と渋~い顔をしているのだとか。
 
 こうして寄る先々で雪だるま式に頂き物が増えて行く中、まだ豚しゃぶの主役を調達できていませんでした。食の都・庄内では、畜産にも力を入れており、ヘルシーで美味しい豚肉に関しても見逃せない産地です。国の減反政策で用途を失おうとしていた水田で飼料用のコメの栽培を農家に委託し、日本の食料自給率を向上させようという試みとしても注目すべき「平牧三元豚」で有名な平田牧場(酒田市)の「こめ育ち豚」推進プロジェクトについては、機会を改めて別途取り上げます。地元産のコメを飼料として与えられる平田牧場の「平牧金華豚」は、国内でほかに一箇所のみで生産される幻の金華豚を、よりグレードアップしたブランドポーク。牛のサシとは違い、豚の脂肪はむしろ健康に良いことが近年の研究で明らかになっています。不飽和脂肪が多い霜降り肉となる平牧金華豚は、食味に関して日本で間違いなくトップレベルにある豚です。その逸品は酒田市松原南にある平田牧場本店で購入することも出来ますが、いかんせん希少価値が高いために値段もそれなり(^ ^;)

 酒田まで北上しないことにしたこの日は、鶴岡市みどり町の精肉店「クックミートマルヤマ」Link to Websiteが扱う羽黒産庄内豚「山伏ポーク」のバラ肉をしゃぶ用にスライスして購入しました。月山山麓の空気のきれいな環境のもと、国産の安全な穀類中心の飼料で、じっくりと肥育するため、肉が旨みを増す熟成能力に優れた山伏ポーク。バラ肉が通常158円(100g当たり)、水・土曜は126円(同・店頭限定サービス価格)という極めて良心的な価格にもかかわらず、キメ細やかな赤身としつこさのない甘さが特徴となる脂身の旨さには、名だたる銘柄豚たちも尻尾を巻いて退散することでしょう(→ちなみに豚はもともと尻尾がクルリと巻いていることはご存知の通り...)

happou-sushi.jpg【photo】たっぷりと身の詰まった鶴岡「八方寿し」の大トロ手巻き。噛み締めると、ブーッツと大トロが口の中に広がり、至福の時が訪れる。

 昼食をゆっくり食べたものの、19時30分を回って、お腹が空いてきました。薪窯で焼き上げるマルゲリータを夕食にしようかと思い、鶴岡市馬場町のピッツェリア「Gozaya(ゴザヤ)」に寄りましたが、定休の火曜日につきCLOSE。そこでガラリと方向転換し、ネタの良さが光る同市神明町「八方寿し」へ。いつも混んでいる店のカウンターの隅にもぐり込みました。独特のアップテンポなリズムで店を切り盛りする親方にお決まりの特上(2,500円)を注文。脂の乗ったヒラメやノドグロ、大トロの握りや手巻きは、いつも至福の時をもたらしてくれます。軍艦からこぼれそうなイクラやウニも堪りません。このコストパフォーマンスは特筆ものです。晩の「ごっつぉ」に身も心も満ち足りて店を後にしました。

 長かった一日も、残すはアルケで食事中の坪池さんのもとに立ち寄り、ズイキ芋を譲って頂くだけ。談笑中の坪池さんが席を立ち、店の裏手へと私を誘(いざな)います。そこには、むき出しのままのアルケ用のズイキとは別に、三つの袋に入ったズイキ芋と青ズイキの茎がありました。酒田市中町の産業会館向かいにある産直「ヨッテーネ」で売れ残ったものだそうで、お代は要らないとのこと。外側の皮が黒ずんでいるものの、表面を洗い流せば、まだ充分に美味しく食べられるものです。08.10.21zuiki.jpgそれでも坪池さんは、もう売れないものだからと、代金を受け取ろうとしません。すっかり恐縮したものの、ここはご好意に甘えさせていただくことにしました。返すがえすももっけです~。

【photo】 坪池 兵一さんから頂いたズイキ芋と青ズイキの茎

 大きなポリタンク二つを積んだalfa Brera のカーゴスペースは、もはや頂き物でパンク寸前。そうして実りの季節を実感させる「ごっつぉ」と「んめもの」の数々に彩られた庄内での秋の一日は終わろうとしていました。皆さんから頂いた豊かな地の恵みと、何より得がたい人とのご縁に恵まれていることに感謝せずにはいられない一日となりました。
 い~のぅ、庄内。

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2008/12/23

新・ごっつぉだの もっけだの

≪地の恵みに癒された濃密な一日≫
「もっけだの」中篇 @月山パイロットファーム

 食を介した人との絆で結ばれた庄内での一日ついてご紹介してきた「ごっつぉだの篇」「もっけだの」前篇と続いてきた「ごっつぉだの もっけだの」シリーズ。実りの季節の頂き物で溢れ返った私の休日もいよいよ佳境に差し掛かってきました。

keiko_kazu_08.10.jpg【photo】今年の「Wa!わぁ祭り」に参加した相馬さんご夫妻

 旧朝日村越中山の進藤さんのもとを発ち、左手に庄内平野を一望する高台を進む「庄内こばえちゃライン」を北上、次なる目的地「月山パイロットファーム」に向かいました。それでいて実はそこに立ち寄るかどうか途中まで迷っていたのです。何故なら月山パイロットファームの相馬 一廣さん・恵子さんご夫妻は、5日後の10月26日(日)に開催される「あいコープみやぎ」恒例の「Wa!わぁ祭り」に毎年鶴岡から参加され、甘みがある身が詰まった男爵イモの煮転がしや自然な味付けの無添加漬物などを試食できるブースを出されているからです。私もそこでお二人にお会いするのを楽しみにしています。あいコープみやぎでは「安全なものを食べたい」「子供に本物の味を伝えたい」という思いから、厳しい取り扱い基準を設けています。その方針に賛同した生産者や食品加工業者からなる「共生会」の会員が消費者と直接触れ合う場であるWa!わぁ祭りは、自宅から自転車ですぐの距離にある台原森林公園を会場として毎年秋に行われています。

【photo】多くの来場者で賑わった今年の「Wa!わぁ祭り」wa!wa_festa08.jpg

 相馬さんは、1947年(昭和22)、稲作が盛んな旧藤島町の三和地区で米作農家の長男に生まれます。山形大学農学部卒業後、ご両親から受け継いだ3.8haほどの水田で、その頃急速に進んだ機械化と肥料・農薬を投入して増産と省力を目指す"近代的な"コメ作りを始めます。そのかたわら数頭の乳牛飼育を手掛け、稲作と畜産の複合による当時もてはやされた営農スタイルを取り入れます。就農7年目の1977年(昭和52)、月山山麓の旧羽黒町川代(かわだい)地区の未開地を農地に転用する国営開拓事業への入植募集が行われます。当時は機械化によって農業の効率化が進む反面、その2年前に出版されベストセラーとなった「複合汚染」で作者の有吉 佐和子が問題提起した通り、生態系が近代農法を支える農薬によって破壊されていることが広く認知され始めていました。
keiko-kazu2.jpg【photo】無農薬栽培した男爵イモを煮っ転がしにしてWa!わぁ祭りで振舞う相馬 一廣さん

 除草剤の普及によって重労働だった田の草取りからは解放されたものの、ドジョウやオタマジャクシが駆逐された生気のない無機的な水田でコメを作る慣行農法のあり方に疑問を感じていた相馬さんは、環境破壊を引き起こさずに食糧供給を行う手段として「有機農業」という言葉を我が国に広めた先駆者である一楽 照雄(1906-1994)が1971年(昭和46)に結成した「日本有機農業研究会」に知人の紹介で入会します。そこでは食糧生産に携わる生産者こそが消費者の意識を変える立場にあることや、両者が直接手を携える関係の上に成り立つ協同組合組織の可能性などが語られていました。会を通じて知り合った「生活クラブ連合会」から無農薬のバレイショ栽培を打診された相馬さんは、その巡り合せに自らの進むべき道を見出します。戦後の食糧難の時代を経て、生産効率を上げることが重んじられた当時、今でこそ環境保全型農業が普及する庄内地方でも、その言葉すら認識されていなかった有機農業に無農薬で取り組む生産者は存在していなかったといいます。

 30歳を迎えたばかりだった相馬さんは、一楽 照雄の勧めもあって処女地ゆえに土壌汚染を免れていた川代の開拓地 6haを借り受け、その実験農場(=パイロットファーム)を舞台に理想とする農と食のあり方を恵子夫人と共に模索しようと決意します。ところが入植地は砂礫や岩がゴロゴロする火山性の赤土で、加えて植物にとっての三大栄養素であるチッソ・リン酸・カリウムの含有量が検査の結果ゼロ!!という厳しいものでした。家畜の糞や稲藁・落ち葉・おが屑などの有機堆肥や米ぬかを発酵させたボカシ堆肥を使って土作りを文字通り一から始めなくてはなりませんでした。

patata_soma.jpg【photo】相馬さんの出発点となったのは、直径4cmほどのゴルフボール大の小さな男爵イモだった

 生活クラブの求めに応じて20トン分の収穫が見込める量の男爵イモと、痩せた土地でも栽培しやすいソバと少量の大豆も作付けしますが、そうたやすく荒れ地から収穫を得ることはできません。種芋を植え付けしながらも、「これは無収穫に終わるかもしれない」という思いがよぎったそうです。何とか発芽はしたもののバレイショには褐色の斑点が付く「そうか病」が発生、初年度に収穫できたのはピンポン玉程度の小さなもの10トン程度がやっとでした。通常40g以下のジャガイモは一般には流通しない規格外とされます。小さいながら試食してみた味には自信があったので、サンプルを送った生活クラブ側から、「美味しい男爵なので取り扱いましょう」との連絡が相馬さんのもとに入ります。「来年はどの程度作付けを増やして頂けますか?」という嬉しい問いかけにそれまでの苦労が報われた思いがしたそうです。以来、生活クラブとは30年以上の関係が続いています。仙台圏から石巻・一部宮城県南地域在住の方が利用できる「あいコープみやぎ」以外では、「大地を守る会」といった直販組織でも月山パイロットファームの食品を扱っています。

 相馬さんが一貫して追い求めてきたのは、「人間が口にするのに値する食べ物を、永続可能な方法で生産する」ことでした。収量効率を上げる化学肥料や農薬に依存せずに、土地の気候に合致した植物が本来持っている生命力を引き出し、連作障害を出さずに地力を上げるために、50品目にも及ぶ作物を手掛けてゆくなかで、およそ10年の歳月をかけて独自の輪作体系を編み出しました。簡単に説明すると、夏にナス科に属するバレイショや民田ナスの収穫を終えた畑では、秋冬野菜の赤カブやダイコン・青菜・カラシ菜などアブラナ科の作物を育てます。翌年は土中のリン酸の吸収効率を高める働きをする緑肥としてひまわりやイネ科の飼料作物であるソルゴーを、3年目は特産のだだちゃ豆や青大豆といったマメ科の植物を、4年目はユリ科のネギ・アサツキを、5年目はセリ科のニンジンを、6年目はイネ科の大麦・ビール麦を、という具合に異なる6科目の作物を育てることで、土壌消毒をせずに病害虫の発生を抑えるのです。

prodotti_soma.jpg【photo】月山パイロットファーム製の地方色豊かな漬物各種。左より民田ナスの辛子漬特別仕様、食用菊「もってのほか」甘酢漬、ハリハリ大根。いずれも素材の味を活かした自然な味付けがなされている

 栽培した作物を漬物に自家加工する施設では、防腐剤や着色料などの添加物を一切加えません。理想とする資源低投入型の生産手法を推し進めるため、従来から豚糞を加工した堆肥を仕入れていた㈱平田牧場の新田 嘉七社長と模索していた取り組みを4年前から実践しています。酒田と鶴岡にある平田牧場直営のとんかつ店【注】には、かねてより漬物を納めていました。その際、店から使用済みの廃植物油を安価に譲り受け、バイオディーゼル燃料(BDF)に転用して農機の動力に活用しているのです。一定量の確保と安定稼動が可能なBDF精製プラントの建設には350万ほどの投資が必要とされます。しかし月山パイロットファームでは、目と手が届く範囲の耕作に必要な最小限の量を確保するだけでいいのです。自宅敷地内の納屋でメタノールとアルカリ触媒となる水酸化カリウムを家庭用ミキサーで調合後、廃油に混ぜるという独自の加工法でBDFの精製に成功、トラクターなどの農機や農耕用小型トラックの燃料として使っています。植物油から精製したBDFは、植物が生育段階で大気中のCO2を固定するため、地球を取り巻くCO2総量に影響を与えないと見なされます。

pilotfarm-jyosou.jpg【photo】 夏の庄内特有の強い日差しのもと、トラクターでジャガイモの除草作業が続く

 8年前に跡を継いだ長男の大(はじめ)氏が法人としての月山パイロットファーム代表を引き継いだ現在でも、ほぼ目処がつきつつある独自の資源低投入型循環農法をより理想形に近付けるための挑戦は続いています。作物の収穫によって分け前を得た土の力を蘇えらせるため、単に堆肥を投入するのではなく、大気中の窒素を固定化させる機能がある大豆などマメ科の作物の作付けによって窒素系肥料の使用を抑えるといった、植物が本来持っている力を借りる農業を実践しているのです。一貫して反対の意思を明確に打ち出している遺伝子組み換え技術に頼ることなく、土に極力負担を与えずに永続的な収穫を得ること、次の世代のために地球資源を浪費せず、究極的には作物の種を撒くだけで収穫が持続できる術(すべ)を見出すことが自らの使命なのだと考えておいでです。アジア・アフリカ地域の農村開発従事者を留学生として招き、自立を目指す指導者として養成するNGO団体「アジア学院」の学生受け入れにも18年前から積極的に関わってきました。どこか飄々としながらも飾らないお人柄と遥かな地平を見据えたその姿勢にはいつも畏敬の念を禁じえません。

Tramonto_haguro_08_10_21.jpg 秋の日はつるべ落としの喩え通り、金峰山の稜線に赤く染まった太陽が沈みゆく光景に車を停めてしばし見とれました。旧羽黒町を縦断する庄内こばえちゃラインから眺める庄内の美しい田園風景には、いつも心が癒されます。週末のWa!わぁ祭りでお会いする際に買わせて頂く漬物の予約をしようと事務所を訪れた私をいつものように柔和な笑顔で迎えて下さったさった相馬さん。9月末に収穫した有機無農薬栽培のササニシキ新米5kgを「食べてみて」と持たせて下さいました。平田牧場の堆肥を10aにつき1t 投入、菜種油粕と魚粕を主原料とする有機アグレットという肥料を使用し、除草機と手作業で3度の草取りを実施して育てる相馬さんのササニシキ。かつては庄内地方で最も栽培が盛んだった宮城生まれのこの品種が最も美味しいコメだからと、周囲では後発の品種「はえぬき」がササニシキに取って代わってゆく中で、今も栽培を続けています。普段はササニシキを食べない我が家ですが、10aに200万匹の生息が確認されるイトミミズやカブトエビの幼生など、多彩な生態系の存在が確認されている相馬さんの田んぼで育ったササニシキは話が違います。圧力釜で炊いたツヤツヤしたご飯には、コシと粘りがあって甘さと香りもまた格別。宮城が生んだササニシキの実力を庄内産の米で見直すという、なんとも妙ちくりんな宮城県人なのでした。

riso_patata_soma.jpg  【photo】この日相馬さんに頂いた有機無農薬栽培したササニシキとバレイショ

 Alfa Brera のトランクにササニシキを積み込む私に「ちょっと転がしてみる?」と、還暦祝いで昨年手に入れた愛車Alfa 147 GTAのキーをちらつかせる相馬さん。迷わず誘い水に応じた私はまず助手席へ。農場前に伸びる直線道路で250馬力を発生する3.2 リッターDOHC4バルブV6エンジンの実力を体感させて頂きました。排気口からトンカツの香りがほのかに漂うBDFのトラクターで大地を耕すエコファーマーが一転、官能的な音を奏でながら強烈な加速Gを体感させてくれるギャップがまた愉快ではありませんか。相馬さんは旧藤島町の助役を務めておられた2003年(平成15)秋、有機農業を通したイタリア・マルケ州アンコーナ県にある町Arcevia アルチェヴィアsoma_prugatori@arcevia.jpgとの交流を図る目的でイタリアを訪れます。同町のオペラハウスで行われた有機農業の意義と可能性に関する報告会の席上、突如求められたスピーチを壇上で堂々とされたお姿が思い起こされます。両町の交流の橋渡しをしたアル・ケッチァーノ奥田シェフらと共にイタリアにご一緒し、伝統的バルサミコ酢と生ハムの加工現場見学のためにモデナとパルマを訪れた際、すぐ目と鼻の先にある車好きにとっての聖地、Maranello マラネロにあるフェラーリ本社工場とGalleria Ferrari フェラーリ博物館に行きたいと、しきりに仰っておられたのが相馬さんでした。日帰りで往復700kmを走破する超・強行スケジュールだったため、結局マラネロ行きは断念。非力なFIAT製ワゴン車のアクセルをベタ踏みし続けた私の右足が攣(つ)るという稀有な体験をさせて頂きました(^_^;)

【photo】シルヴィオ・プルガトーリ町長列席のもと、アルチェヴィア庁舎で行われた旧藤島町との友好都市協定の調印に凛々しい紋付袴姿で望んだ相馬さん

patata_del_casa.jpg

 去り際に「これも持って行って」と箱一杯に詰めたジャガイモまで相馬さんから頂いてしまいました。いやはや、もっけですぅ。その週末に仙台で催されるWa!わぁ祭りで、引き締まった身に甘辛い醤油タレの味が染み込んだジャガイモの煮っ転がしを頂くつもりでいました。これで自宅でもたっぷりと煮っ転がしを味わえます。作り手にとってはとりわけ思い入れが深いであろう小さな男爵には、その人が追い求めてきた飛び切り大きな食をめぐる夢がたっぷりと詰まっているのでした。

【photo】相馬さんから頂いた男爵で作った自家製の煮っ転がし

 そこから訪れようと思っていた目的地はまだ7箇所が残っていました。ラストスパートをかける前にロングドライブの疲れを取ろうと向かった先は、温まりの湯として抜群の泉質を誇る鶴岡市北端に位置する長沼温泉「ぽっぽの湯」です。150km以上離れた仙台で暮らすにもかかわらず、石油系の残り香が翌日まで持続する個性的な褐色のお湯がすっかり気に入ってしまい、地元以外では持つことが稀であろう入浴回数券すら持っています(笑)。いつものように体の芯まで温まったところで、平田赤ネギ調達のため、片道15kmは優に離れている酒田市飛鳥地区まで北上するにはちょっと遠いなぁ、と内心思いつつ、風呂上りに電話を掛けた平田赤ねぎ生産組合の組合長、後藤 博さんが居た場所とは・・・。


最後の ごっつぉだの もっけだの この展開はやっぱり「猿の惑星」シリーズだ...)
≪地の恵みに癒された濃密な一日≫
「もっけだの」後篇「最後のごっつぉだの もっけだの ~人の恵みに感謝。」へ続く

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<相馬家特製・ホクホクで香ばしい芋の煮っ転がし>

【材料】
(できれば月山パイロットファーム産の)男爵  適量

【調味料】
醤油 1.5 : みりん 1.5 : 砂糖1.5
酒 0.5
水 4

①ジャガイモを水洗いして熱湯で10分間下茹でする(無農薬なら皮は剥かずともOK)
②水分を飛ばした後で10分間油で揚げる
③水4に対して醤油・みりん・砂糖は1.5ずつ同量の割合で加え、酒少量(0.5相当)でコクを出す
④上記調味料を煮立たせてコトコト20分間イモを煮る
  →→→んめの~!

(有)月山パイロットファーム
  鶴岡市三和字堂地60
  TEL:0235-64-4791


【注】平田牧場では、地元と東京以外では初となる直営店を仙台市青葉区の複合ビル「仙台ファーストタワー」商業棟に出店を計画していることを先日明らかにした。これで仙台市民も、同社が日本の食料自給率向上のために取り組んでいる庄内産「こめ育ち豚」プロジェクトと、ブランドポークとして名高い「平牧三元豚」、トドメは「金華ハム」に使われる中国原産で異次元の肉質に昇華する「平牧金華豚」(→ホント旨いんだ、コレ)を通して、食の都・庄内の実力のほどと新たな魅力を知るはずである。ムフフフ・・・・

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2008/12/06

続・ごっつぉだの もっけだの

≪地の恵みに癒された濃密な一日≫
「もっけだの」前篇 @佐久間ファーム

「ごっつぉだの」篇 より続き

 ぶどう狩りのノボリ旗を立て、一般客を受け入れるようになった今シーズンから、「佐久間ファーム」という名前が付きましたが、5年前から畑を見てきた私にとっては「佐久間さんのブドウ畑」と呼んだほうがしっくり来ます。鶴岡市西荒屋にお住まいの佐久間 良一さん・みつさんご夫妻は、三箇所に分散した合計50アールの畑でブドウを育てておいでです。左手に朝日山塊の最北端に位置する母狩山(ほかりさん)、前方の彼方に鳥海山を望むR112号西荒屋地区周辺では、ブドウ棚をよく目にします。佐久間さんのご自宅からすぐ近くにある河内神社には、そこがブドウと深い縁で結ばれた地であることを窺わせる1926年(大正15)8月に建てられた「葡萄圃復興之記碑」なる石碑があります。碑文には明治期に主力品種となった甲州種が、明治中期に導入された米国種の影響で病気が蔓延、ほぼ壊滅状態に陥るものの、大正期に関係者の努力で復興を遂げた経緯が記されています。
uva_koshu.JPG【photo】櫛引地区特産の甲州ブドウ

 庄内地方は、対馬海流の恩恵で比較的温暖な気候であること、良質で豊富な水と肥沃な土壌に恵まれていること、夏季の日照量が全国屈指であることなどが幸いして、平野部を中心に一大穀倉地帯となっています。その上、野菜類を中心に現在60品目以上の存在が確認されている中からごく一部を「『足もと』のこと」の中でご紹介してきた個性豊かな在来作物に加えて、庄内柿などの果樹栽培も盛んに行われています。その中には酒田刈屋地区のナシ、庄内砂丘のメロン、羽黒地区松ヶ岡のモモなど、すでに特産化されたものも少なくありません。特に鶴岡市櫛引地域では「フルーツタウン」と称されるほどに果樹類が数多く栽培されています。初夏のサクランボ【注1】に始まり、夏から秋にかけてはモモ・和ナシ・ブドウが。晩秋には洋ナシ・リンゴ・庄内柿など、季節ごと旬の果物で溢れます。一地域でこれだけ多くの種類の果樹が多品種に渡って栽培される例は全国でも稀だといいます。旬が異なる果樹をさまざまに栽培することは、病害虫による壊滅のリスクを避けるうえで、非常に理にかなったことでもあります。生物多様性はそんな意味からも有効なのですね。

hannkotanna.jpg【photo】 すわブドウ畑に覆面姿の果物泥棒登場かっ!? いえいえ違います(笑)。今年の5月末、庄内の伝統的な農作業服である「ハンコタンナ」姿でブドウの摘果作業にあたる佐久間みつさん。お顔は後ほど・・・

 櫛引地域で果樹栽培が盛んなのは、海に面した庄内でも山あいに近く、昼と夜で海から吹く風と山からの風が入れ替わることで大気が新鮮な状態に保たれ、寒暖の差が大きいため、果樹栽培に適したミクロクリマ(=局地気候)であることが要因として挙げられます。傾斜が急な山間地を流れる赤川上流域の大鳥川と梵字川が出合う旧朝日村落合から下流の西片屋・東荒屋・西荒屋など赤川左岸の一部地域は、もともと水田に不向きな保水性の悪い砂利が多い土壌でした。現在R112櫛引バイパスが通る一帯は、かつて毎年のように発生する赤川の氾濫によって上流から運ばれる砂礫が表土として堆積する荒れた土地だったのです。耕地への被害を伴う大規模な洪水は、近年になって以降も昭和15年・28年・44年・46年・62年に発生しています。洪水の影響を受けない川向かいの月山から延びる河岸段丘上段の黒川地区【注2】では、肥沃な土壌と良質な水を活かして安定したコメ作りが行われてきました。
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【photo】 収穫間近かとなったスチューベンと佐久間良一さん 

 このように豊饒の地・庄内にも地の利に恵まれない地域があったことを私に教えて下さったのは、西荒屋で農家民宿兼レストラン「知憩軒」を営む長南 光さんです。赤川の洪水に長い間悩まされてきた地域の人々が待ち焦がれた堤防や護岸の整備、放水路の拡幅、治水ダムの建設などがなされた後、1970年代に行われた圃場基盤整備と同時に地区の人々が参加して大規模な土壌改良事業が実行に移されます。その方法とは、砂礫が多い荒れた表土の上を養分豊富な山の腐葉土や微生物が多い赤土で覆うという一大プロジェクトでした。

 (ここからはぜひ中島みゆきの「地上の星」をBGMに、田口トモロヲのナレーションのような語り口でお読み下さい)・・・挑戦者たちは山から長いパイプを引き、川の水に山の土を混ぜた泥を作り出して田や畑に流し込む困難な事業に立ち向かった。山土を引いては、家畜の糞や稲藁を入れ、また山土を引くという過酷な仕事に皆が本気になって取り組んだ。1980年代に入る頃には、豊かな実りに恵まれる赤川右岸地域と遜色ない収量と作柄をコメや野菜で得られるようになった。10年にも及ぶ地道な取り組みに汗を流した人々は、皆手を取り合って収穫の喜びを分かち合い、感涙にむせんだ・・・(T-T)(フェードインで流れ始める「ヘッドライト・テールライト」のBGMと共に、もとい!

akiqueen_sig.sakuma.jpg【photo】 昨年の9月下旬、佐久間さんが丹精込めて育てたた安芸クイーン。収穫までおよそ半月を待つブドウに色が乗ってくるのはこれから

 大工を代々の家業としていた佐久間さんが、国の減反政策の強化もあって副業のコメ作りからの転作でブドウ栽培を始めたのが12年前のこと。さまざまな果樹が育つ西荒屋でも、ブドウは今も栽培が最も盛んな果物です。地区内のR112沿いにある産直あぐりを9月中旬から10月半ばにかけて訪れてみてください。大玉種を主力に所狭しと並ぶブドウの品種の多彩さに驚かれることでしょう。シーズン中に60品種以上のブドウを取り扱うという産直あぐりでは、店頭設置のPCで消毒回数などの栽培履歴がわかるトレーサビリティシステムを平成17年度から導入しています。店舗に隣接する加工場では組合員が栽培した果物のジュースやジャムも製造、86人の加盟生産者の多くが県からエコ・ファーマーの認定を受けています。佐久間さんもブドウをご主人の名であぐりに出荷しており、生産者の名前が記された安全で美味しいもぎたての果物や野菜類を安心して購入することができます。
sna.sakuma.jpg 【photo】 ブドウ畑に佇む小柄な佐久間みつさん。いつも笑顔が素敵な方です

 江戸時代中期の宝暦年間、甲斐(現在の山梨)から甲州ブドウが庄内藩にもたらされます。ところがブドウの房が垂れ下がるさまは、武家にとって「武道が下がる」からと19世紀初頭の文化年間に西荒屋地区の肝煎(=庄屋)であった佐久間九兵衛が苗木を貰い受けたのだとか。西荒屋は前述の通り、砂利交じりの土壌が広がるブドウ栽培に適した土地。村役人だった九兵衛は甲州ブドウの栽培を村民に奨励、以来長いブドウ栽培の歴史を刻む土地柄なのです。ゆえにブドウ作りに関しては一家言持つ栽培農家には事欠きません。ブドウ農家としては新参者だった佐久間さんは、農業改良普及員や周囲の助言に真摯に耳を傾けます。現在ブドウが育つ畑は水田からの転作だったため、暗渠排水によって乾田化を図り、粘土質の土壌改良は、元来樹勢が旺盛なブドウの剪定した枝や、防虫のために剥ぎ取る樹皮をチップや炭にして撒き、ブドウが好む排水性の良い土壌に改良したといいます。内陸部に比べて積雪量が比較的少ない庄内でも山あいに近いため、1m以上に及ぶ雪に覆われる冬を除いて、雨よけのビニールテントを上に掛けるものの、四方は防虫ネットで囲むだけで通気性を確保します。雨が多い日本では避けることが困難な消毒回数も慣行栽培の半分ほどに留めています。

uva_takao.jpg 【photo】 佐久間さんが育てる「高尾」。房の中から顔を出したままじっと動かないアオガエルが一匹

 8月中旬には収穫されるデラウエアとスチューベンといった収穫時期が早い米国原産のブドウに始まり、ワイン醸造用欧州品種のメルローとシャルドネ、9月に最盛期を迎える生食用大玉種の巨峰、高尾、ピオーネ、ハニーブラックなどの黒系品種、安芸クイーン、赤嶺、ゴルビー、信濃スマイルといった赤系品種、ピッテロ・ビアンコ、ゴールドフィンガーなどのイタリア原産種や白峰、ハニーシードレスといった白系品種まで、佐久間さんが栽培するブドウは現在20品種以上にのぼります。樹齢が上がってき近年では、ブドウの品質向上に確かな手ごたえを感じているご夫妻は、新品種の栽培にも意欲的です。みつさんが友人の女性グループと共に昨年イタリア北西部ピエモンテ州を訪問した折、滞在したアグリツーリズモ「Rupestr」のオーナー、ジョルジョ・チリオ氏の勧めがあった「Cortese コルテーゼ」種の栽培にも挑戦します。コルテーゼは、著名なDOCG白ワイン「Gavi ガーヴィ」の原料となるブドウ。ぜひ将来は作付けを増やして頂き、月山ワイン研究所に製造を委託する「Gavi di Shonai」でいつの日か乾杯しましょうね"( ^0^)Y*Y(^0^ )"。
uva_mokke.jpg【photo】 この日佐久間さんの畑で採らせて頂いたブドウの一部。上から時計回りにハニーシードレス、安芸クイーン、高尾

 10月も下旬に差し掛かり、前回お邪魔した9月下旬の大玉ブドウがたわわに実る畑とは一見して様相が変わっているのが分かります。「もう終わりが近いから、いい房が無いでしょう」と佐久間さん。「(商品にならない)小さな房はいくら採って食べてもいいから、良さそうなのを持って行って」と仰るので、いつものように色付きのよいブドウを見定めて味見しながら、これぞという房を剪定ハサミで採ってゆきます。先ほどアル・ケッチァーノで食べてきたドルチェ「Uva Ciocco ウヴァ・チョコ」に使われていたハニーシードレスは、まだ粒にみずみずしい張りがあり、蜂蜜のような甘さも充分。5年前の夏、当時から佐久間さんと栽培契約を結んでいたアルケの奥田シェフに案内されたこの畑で味見したブドウの中でも、特に高貴さをたたえた甘味に魅せられたのが安芸クイーンでした。いずれ劣らぬ佐久間さんが育てるブドウでも私が最も好きな品種です。ここ数年、地球温暖化による高温障害で着色不良が見られるという安芸クイーン。この日収穫した高尾と同じく、旬の盛りを過ぎて果皮が幾分硬くなってはいるものの、枝から派生した孫枝に実を付けた"末成り(うらなり)"のブドウですら、甘さの乗りに全く不足はありません。しかし「もう出荷出来ないブドウだから」と、佐久間さんはハニーシードレスの代金しか受け取ろうとしません。「食べてもらえば、ブドウも喜ぶからね」とも。いやー、もっけです~。そんなブドウを慈(いつく)しむ作り手の素敵な気持ちも頂いて「じゃ、また来シーズン」と畑を後にしました。
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【photo】秋のスペチャリテ「Uva Ciocco ウヴァ・チョコ」

 次に向かったのは、佐久間さんの友人でもある長南 光さんのもとでした。昼食前、ヤマブドウ畑に立ち寄った進藤 亨さんの山に青ミズの実を採りに行くというアルケの土田料理長とそこで待ち合わせをしていたのです。知憩軒の玄関先に足を踏み入れた私に声を掛けてきたのは、主人の長南さんではなく、アルケの魅力を綴った「奇蹟のテーブル」の撮影でお世話になったカメラマン高橋 知政氏でした。山形在来作物研究会の監修で来春早々に発行を予定しているという、庄内の代表的な在来作物の調理法を紹介するレシピ本の取材で知憩軒においでだったようです。庄内地方の伝統野菜「ズイキ芋」を使った光さんとみゆきさん親子が作る和洋それぞれの料理の撮影がひと段落したところに、私がひょっこり登場した次第。取材に立会っておられた山形大学農学部の平 智教授ともども、チョコレートとクリームチーズがミックスされた「マーブルチーズケーキ」(200円)と有機栽培コーヒー(350円)をちゃっかりご馳走になってしまいました。これまたもっけですぅ~。もともと長南さんには昨年冬から産直あぐりの店頭に並ぶようになった知憩軒の美味しいアップルパイに関して取材申し入れをしようと思っていました。棚ボタで頂いたケーキとコーヒーのお礼はアップルパイのご紹介ということで手を打って頂けませんか...(;^_^A

2008.10.21monte_shindou.jpg【photo】進藤さんの山でミズの実を採るアル・ケッチァーノの土田料理長(右)

 間もなく現れた土田さんの車を何故か先導する形で(逆だろ、普通...)向かった進藤さんの山。土田さんに続いて杉林に足を踏み入れると、小豆のような実をつけた青ミズが一面に生えています。そこは「山菜の道」として奥田シェフがさまざまな雑誌などに紹介してきた場所です。初夏から秋にかけて、鬱蒼とした杉林の根元は青ミズのじゅうたんで覆いつくされます。初夏には鈴なりの天然木イチゴだって食べ放題。その山の豊かさには、ほとほと感心させられます。この日も10分もすると片手に持ちきれないほどの実が採れました。そこへ「ほぅ、採れたね」とミズの実に一瞥を投じながら真如海上人の末裔こと進藤亨さんが外出先から戻って来られました。ディナーの準備のため慌しく店に戻った土田料理長がいなくなった後も、気になる今年収穫したヤマブドウを使うバルサミコの仕込みのことや、現在熟成中のバルサミコの様子、更にはヤマブドウとカベルネソーヴィニヨンを掛け合わせた交配種「山ソーヴィニヨン」の生育状況などを伺い、「今度は木イチゴ好きの野生児私の娘のこと)を連れていらっしゃい」と仰る進藤さんとお別れしました。

 この後訪れる月山パイロットファーム、あねちゃの店、井上農場など、いつも飛び切りの食材をご提供いただいている先々と、期せずしてお会いした馴染みの方々から頂く「ごっつぉ」で溢れ返る「もっけだの」な展開の佳境は、また次回!!

◆ブドウ狩りに関する問合せは
 佐久間ファーム : TEL 0235‐57-3188 へ

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新・ごっつぉだの もっけだの
≪地の恵みに癒された濃密な一日≫
「もっけだの」中篇へ続く

         
なんだか映画「猿の惑星」シリーズみたいになってきた・・・(爆)


【注1】 互いに日本一のサクランボ産地であることを譲らない東根市と寒河江市。櫛引地域では見当たらないものの、山形内陸地域で散見されるサクランボのハウス栽培。寒中にも拘らず、重油を燃やしてハウスの中を初夏の陽気に暖めるだけでなく、CO2の排出によりハウスの外(⇒地球環境)も温暖化させている。求められる環境保全型農業に逆行するunsusteinable アンサステナブル(=持続不可能)な発想といい、燃料代+αを転嫁した1箱ウン万円というunbelievable アンビリーバボーな値段といい、あまり感心できる所作ではないのでは? 旬に食べる果物のほうが、自然の摂理に適っているし、かえって有難みを感じると思うのですが...。
 赤川に面した西片屋地区のサクランボは、昭和30年頃に発生した灰星病で全滅する被害を受けている。その痛手からおよそ10年を経た頃、数軒の農家が再びサクランボの栽培に取り組み現在に至っている。今では県内生産高の2%と収量こそ少ないものの、高い糖度と酸が調和したメリハリある味のサクランボが雨避けテントで覆った露地栽培で生産されている


【注2】 黒川地区は国の重要無形民俗文化財の指定を受ける「黒川能」の里として全国に知られる。地区の鎮守、春日神社では旧正月の毎年2月1日から2日にかけて、凍て付く夜を徹して氏子の住民たちが演じ手となる能や狂言が上演される「王祇祭」(おうぎさい)が蝋燭の明かりのもと古式ゆかしく奉納される。祭りに先立って1月下旬の土日には、特設の巨大囲炉裏で串刺しにした1万本もの豆腐を地区を挙げ昼夜通して炭火焼きする。その後、一旦凍らせた「凍み豆腐」が二番汁と呼ばれる味噌煮味や醤油ベースの味付けで観客に振舞われる。29日の降神祭、30日の酒くらべ、31日の掛餅かけなど、当日まで数々の神事・行事が行われ、王祇祭本番を迎える。凍み豆腐は「豆腐まつり」とも呼ばれる黒川能のもうひとつの顔ともいえる

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2008/11/09

ごっつぉだの もっけだの

≪地の恵みに癒された濃密な一日≫
「ごっつぉだの」篇

 土日の週末も催しが続き、月初から休み無しだった10月。仕事が生き甲斐というわけではありませんが、滅多に平日休むことはできません。"健全なる精神は健全なる身体に宿る" とは、ギリシア・ローマ時代から不変の真実です。昨今取り沙汰されるメンタルヘルスの見地からも、心身ともに充電をしたいところ。そこで英気を養おうと10月21日(火)に代休を取りました。いささかささくれ立ったココロの洗濯のために私が向かった先はどこか? 理想を言えばローマ・フィウミチーノ国際空港かミラノ・マルペンサ国際空港なのですが(笑)、現実にはそうもいきません。泰然自若とした仕事ぶりと誠実なお人柄にいつも元気を頂いている人々の顔が見たくなって向かった先は、お察しの通り、得がたい食を軸にしたご縁に恵まれた山形県庄内地方です。晴天に恵まれたその日の朝、alfa Breraで西北西に進路を取りました。

 私が仙台から庄内へ車で直接向かう際のルートはいくつかあります。最上峡に沿って道が伸びるR47は、さまざまに表情を変えてゆく最上川の流れを間近かに感じさせるコースです。名水スポットが多く点在する鳥海山一帯や、舟下りの船頭が名調子を聞かせる「 ヨーエ サノ マッガショ エンヤ コラマーガセ...」の掛け声で始まる最上川舟歌(→もじゃもじゃの髭面にすると、今は亡きルチアーノ・パバロッティに一層風貌が似るであろう〈←ぜひリンク先HPをご覧あれ〉山形が生んだ民謡界のスーパースター、大塚 文雄のキング・オブ・ハイC な美声をご堪能あれ)2008.10.21jyuuoutouge.jpgにある通り、「 酒田さ行(え)ぐさげ...」(=「酒田に行くので」)北寄りを進む道筋です。先を急ぐ時は月山ICまで山形自動車道を使いますが、いかんせん片側一車線の対面区間が多く、血の気が多いラテン系ドライバーが跋扈するイタリアの有料道路ではまずあり得ない制限速度が80~70kmに設定されたドライブルートは、若干味気ないことも否めません。その点、山形道とは寒河江川を挟んで川向いを進む旧「六十里越街道」の脇街道にあたる下道には、上道だった現在のR112とは異なる落ち着いた古道の面影と鄙びた田園風景が残っており、捨てがたい魅力があります。鬱積した俗世の汚れを晴らそうと、かなりナマグサな行者であろう私がこの日選んだのは、お山(湯殿山)詣での人々が行き交った街道の門前宿坊だった西川町本道寺の集落へと至る道でした。

【photo】 かつては閻魔大王などの十王を祀るお堂が建っていた十王峠。現在は静まり返った峠の往時を偲ばせるのは、越冬のため間もなく藁の雪囲いで覆われる三体の石仏のみ。誰が着せたのか赤い毛糸の胴衣が心を和ませる

 今年はこれまでのところ台風の上陸が無かったため、広葉樹の葉が傷んでおらず、紅葉が10年に一度の美しさだと聞いていました。その通り、ここ数年では最も鮮やかであろう朱に染まったR48 作並周辺のナナカマドやカエデを愛でながら、関山峠から山形内陸を抜けて月山山麓へと向かいました。月山道路周辺に広がるブナの原生林は、すでに黄から茶色に変化して晩秋の佇まいを見せています。標高が高い月山第一トンネル付近の木々は、もはや葉を落として冬に備えていました。R112 田麦俣トンネルの先をいつものように「道の駅・月山」方向に直進せず、大網地区方向へ向かって右折すると、古(いにしえ)より山岳信仰の道として使われた六十里越街道の庄内と内陸との境界だった十王峠へと至ります。
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【photo】 「浄心」と刻まれた岩をくり抜いた水盆に滾々(こんこん)と湧き出す「三鈷水」。手を清め口に含むと、不思議と心が浄化されたような気がした

 湯殿山への表口の役割を担った「注連寺」は、聖と俗を隔てる結界を意味する七五三掛(しめかけ)集落にひっそりと建つ寺です。弘法大師が開山したという霊気漂う古刹の境内には、湧き水の「三鈷水(さんこすい)」が引かれています。私が寄り道をした理由は、災難を払って煩悩を断ち切る密教の法具「三鈷杵(さんこしょ)」で山腹を突いた弘法大師が掘り当てたというこの清水でした。この日は昼食の予約時間が迫っていたので堂内に参詣こそしませんでしたが、注連寺には1829年(文政12)に入定した鉄門海上人の即身仏が安置されています。1951年(昭和26)夏から翌春にかけて執筆のため寺に滞留した作家 森 敦が、第70 回芥川賞を受賞した小説「月山」の舞台としたことでも知られます。三鈷水は清々しい気が横溢する霊場の手水になっています。こんこんと湧き出でる凛とした水を口に含み、内より身を清めてから寺を後にしました。

2003.10malpighi_monica.jpg【photo】 代々受け継がれてきた熟成樽を前に伝統的バルサミコの製法を説明するMalpighi社のモニカ・リーギさん

 吹き抜ける風が木々の葉をざわざわと揺らす以外、十王峠は静寂が支配していました。背後には死者が集う山とされ、精神世界の象徴ともいえる月の山。前方には豊かな実りをもたらしてくれる人々が現世を営む庄内平野が広がっています。そんな聖と俗、陰と陽の狭間にしばし身を置いてから再び結界を越えて向かったのは、鶴岡市越中山(えっちゅうやま)の進藤 亨さんのもとです。実はこの方、天明の大飢饉で苦しむ衆生の救済を願って大網の大日坊で即身成仏を果たした真如海上人の子孫にあたるのだとか。ご本人はその時お留守でしたが、進藤さんは現在「アチェート・バルサミコ・トラディツィオナーレ・ディ・ショーナイ」造りに取り組んでいます。イタリア食材にお詳しい方ならご存知であろう高級バルサミコ「Aceto Balsamico Tradizionale di Modena (=モデナ産伝統的バルサミコ酢)」、あるいは「Aceto Balsamico Tradizionale di Reggio Emilia」 (=レッジョ・エミリア産伝統的バルサミコ酢)ならぬ、「ショーナイ産伝統的バルサミコ酢」とは何ぞや?? 本場と同じ12年以上の歳月をかけてバルサミコを木樽で熟成させるという、日本では他に例を見ないこの意表を突いた試みの仕掛け人は、アル・ケッチァーノの奥田シェフです。

2003.10AcetaiaMalpighi.jpg【photo】 バルサミコが眠りにつく屋根裏にある熟成庫で。(写真左より)青柳 孝フロアマネージャー(当時)、相馬一宏藤島町助役(当時)、筆者、青柳夫人 佳子さん、奥田夫人 みつよさん、奥田 政行シェフ

 事の発端は、イタリア中部エミリア・ロマーニャ州Modena モデナの伝統的バルサミコ酢製造元 Maplighi マルピーギ社を私の運転で訪れた2003年(平成15)10月に遡ります。奥田シェフ夫妻、青柳フロアマネージャー(当時)夫妻、相馬藤島町助役(当時)と「Acetaia アチェタイア」と呼ばれる醸造施設の2階にある熟成庫を見学した後、12年以上・25年以上・50年以上と熟成期間の異なるアチェート・バルサミコ・トラディツィオナーレをテイスティングしました。多くの貴顕に愛され、単に「酢」と呼ぶには余りに恐れ多いこの地のバルサミコは、古くは1046年に書かれた文献に登場します。1987年以降は、DOC(原産地呼称規制)で製法が規定され、モデナ県とレッジョ・エミリア県両地域の生産者協会が定めた厳格な審査をパスしたものだけが、製品化されます。申請品の1/3の割合でしか審査を通過しないといわれるモデナの協会では、高度な鑑定技能を備えた上級審査官「Maestri Assaggiatori マエストリ・アッサジャートリ」5人全てを納得させなくてはなりません。

malpighi50anni.jpg【photo】 Malpighiで買い求めた「Extra Vecchio ストラヴェッキオ」。幾世紀に渡って使われてきたサクラ材の樽で50年以上の熟成を経た逸品。パルミジャーノ・レッジャーノのブロックに少量垂らしてヴィーノと、食後のジェラートと、あるいは陶製のスプーンに垂らしてそのままでも至福の時を味わえる

 名門エステ公爵領だったモデナとレッジョ・エミリア周辺の指定地域で収穫されたTrebbiano トレッビアーノ種やLambursco ランブルスコ種などのブドウ果汁をアルコール発酵させずに直火で煮詰めて冷却後、樽の中で酢酸発酵させた黒い液体は、熟成期間が長くなるにつれて高い粘性を帯びてきます。すでに製品化されたワインにワインヴィネガーとカラメルを加えた量産型の「Aceto Balsamico di Modena」とは比較にならない重層的な酸味と甘味が複雑に絡み合う深遠なる味わいは、まさに時と人間の共同作業がなせる味の芸術品。100mℓ入りの1瓶が日本では5万円もの高値で売られる希少な50年熟成のバルサミコが、155エウロ(⇒当時の為替レートでおよそ20,000円)だというので、私が1瓶を自家用に、奥田シェフは2瓶を店用に買い求めました。

2008.10.21shindo_yamauva.jpg【photo】 棚式に比べて果実が陽射しや地表の輻射熱を受けやすく、ブドウが健全に育つ仕立て法である「グイヨ方式」で栽培される進藤さんのヤマブドウ

 甘酸っぱいアチェート・バルサミコ・トラディツィオナーレの風味をヤマブドウと重ねた奥田シェフは、本場の製法に倣ってヤマブドウを原料とする伝統的バルサミコ酢を庄内で造ってみようという遠大な計画をヴィンコットに加工するヤマブドウを店に納めていた進藤さんに持ちかけます。このヴィンコット、2003年5月に私が初めて夜に訪れたアルケであまりの旨さに悶絶した思い出深い一品、「米沢牛のタリアータ・朝日村の山ブドウヴィンコットソース風味」に使われていたものです。進藤さんはご本家ともどもかねてより旧朝日村の越中山でヤマブドウを栽培、月山一帯に自生するこの在来種100%のワイン誕生に情熱を燃やしていました。現在では「道の駅・月山」に併設される「月山ワイン山ぶどう研究所」が地元産山ぶどう100%のワインを造っています。

 Malpighi でもそうでしたが、モデナでは熟成度合いによって、オーク・クリ・サクラ・クワ・タモ・ニセアカシアなど材質の異なる樽に順次移し変えてゆきます。熟成庫は外気にさらした屋根裏部屋aceto2003.jpgなどに造られるため、次第に蒸発し凝縮してゆきます。最初の250ℓ容量の樽は徐々にサイズが小さくなってゆき、50年ものが眠る樽に至っては、せいぜい3ℓほどが入るサクラ材の樽でした。かたや進藤・奥田コンビは、製法に関する資料提供を私に依頼、収穫したヤマブドウを圧搾して煮詰めたヴィンコットを、15ℓサイズのボージョレ・ヌーボーの木樽(!!)で熟成させるという大胆な(?)製法で、本場モデナに果敢に挑んでいます。左写真に写っている初年度のものは保存環境が合わずに失敗したものの、二年目以降の仕込み樽は今も12年の眠りに着いています。前代未聞の「国産伝統的バルサミコ酢」造り。果てさて、どうなりますことやら...。

 こうして回り道をした挙句、13 時過ぎに「アル・ケッチァーノ(以下「アルケ」と略)」に駆け込みました。アルケで平日のランチを頂くことは、仙台で働く今では叶わぬ夢です。前任の急逝で突如決まった山形営業所の立ち上げに奔走する中でアルケと出合った2003年5月以降、仙台に戻されるまでの11ヶ月間、ビッシリと書き込まれた黒板メニューをあらかた食べ尽くしました。最近1/2サイズの一枚が加わって、3.5枚に増えた黒板を熟読していると、土田料理長が登場しました。手にしたボウルの中では、しきりに川ガニが這いずり回っています。モクズガニは良い出汁が出るので、リゾットに調理してくれるよう所望。新蕎麦を使った手打ちパスタ「ピッツォッケリ」のほかは、お任せにしました。

2008.10.21alche_funghi.jpg 2008.10.21alche_managatsuo.jpg 

 ほどなくオリーブオイルと粗塩風味の「天然松茸と天然白舞茸のオーブングリル」(上写真左)が運ばれてきました。今を盛りの秋を深山の香りで実感させてくれるシンプルな山の恵みのアンティパストです。直火で炙った薫り高い希少な天然キノコの味付け用に添えられたオーガニックなオイルは、優しく柔らかなタイプ。塩は、豊かな森林に覆われた中国南部福建省の台湾海峡で、森の養分を含んだ汽水が流れ込む浅瀬で作られたまろやかさが特徴の粗塩。

 二品目は「井上農場のスーパー小松菜と網焼きマナガツオのほのかなガーリックオイル風味」(上写真右)。寒さが厳しくなるこれからの季節が最高に美味しくなる井上さんご夫妻が育てる小松菜。口いっぱいに瑞々しい月山の水が弾けるオーガニックな朝採り小松菜のソテーは、網火を通したマナガツオとは鉄分つながりの好相性を発揮します。そこにオイルがつなぎ役として更なる一体感を演出していました。

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 隠し味の白ワインとアサリの出汁であっさり軽めの味付けがなされたプリモピアット一皿目は、「まるごと川ガニのはえぬきリゾット」(上写真)。今だから本音を言えば、店が混乱の極みにあったひと頃、概して味付けが濃くなった時期がありました。厨房現場の疲労からか、塩やニンニクをきかせたフツーにありがちなイタリアンに成り果てていたのです。この日の土田さんの料理は、どれも素材に対して我を押し通さない師匠譲りの薄味で好感が持てました。先ほどまでワサワサと動いていた川ガニは、さっと素揚げしてあるようです。そうして閉じ込めた旨みたっぷりなミソや爪に詰まった身を食べ尽くそうと、じっくり時間をかけ手づかみで挑みました。"ええぃ、刃物当然ナイフ&フォークを意味するつもり)は使わねぇぜい、素手でかかって来い!?" 

 余談ですが、藤沢 周平の原作を山田 洋次監督が映画化した「隠し剣 鬼の爪」では、永瀬 正敏演じる片桐 宗蔵が、謀反人の汚名を着せられた海坂藩きっての一刀流の達人、狭間 弥市郎(小澤 征悦)を討つよう藩命を受けます。藩命とあれば致し方なしと、私情を捨てて旧友との決闘に臨むものの、家老の堀 将監(緒形 拳)が、戦場刀の胴太貫一本で片桐に挑んだ狭間を、鉄砲で討ったことに激しい憤りを覚える場面が登場します。それが小説の舞台となった海坂藩のモデルとされる庄内人気質です。庄内系を自負する以上、「隠し剣 鬼の爪」ならぬ「隠し味 蟹の爪」には素手で尋常に勝負を挑んだ次第。 エ?c(゚.゚*) そんなつまらないギャグはさておき、私の胃に収まるため、命を全うした川ガニ君(⇒オスでした)に対するそれが礼儀でもありました。もって瞑すべし...

2008.10.21alche_pizoccheri.jpg 2008.10.21alche_cingiale.jpg
 高校時代から蕎麦屋巡りを始めて、山形内陸のそば切りにはすでに倦み飽きている私ですが、北イタリアの山岳地帯で栽培される蕎麦を平たいショートパスタに仕上げる Pizzoccheri (ピッツォッケリ)なら話は別です。この秋の初物となる新そばのプリモ2皿目は、契約生産者である「今野惠子さんの畑から朝採りしたホウレンソウをソテーして軽いアーリオ・オーリオ風味に仕上げたピッツォッケリ」(上写真左)。同じ山形県でも食材の幅が限られる内陸地方では、大同小異の「板そば」などのそば切りとなるところが、食の都・庄内のショールームのようなアルケでは、こうして旧朝日村産の地蕎麦粉を使ったそばも一風変わった姿で登場してきます。香り高い新蕎麦のピッツォッケリの陰には、香ばしく炒めた蕎麦の実が隠れていました。

 メインとなるセコンドピアット(上写真右)には、ソテーした天然アケビに津軽・鯵ヶ沢の岩木山麓で育った脂身が美味しいイノシシがラグー風に絡めてあります。付け合せは、惠子さんの畑で土田さんが朝採りして来るニンジンとキャベツに加えて、在来野菜の温海カブが強めに天火グリルされたもの。湯殿山近くの山中から土田さんが採ってきたというアケビのほろ苦さと、野菜本来の味と香りを加熱して際立たせた甘味、噛み締めると滲み出てくるイノシシの肉汁の旨みが三位一体となって木霊(こだま)しあいます。視覚と嗅覚も動員して野趣溢れる秋の恵みを味わったところで、お腹具合はおおよそ八分目に。約束の時間が迫っている次なる目的地へ向かわなくてはならなかったので、「まだ食べられますか?」との土田料理長の問いに、そろそろドルチェにしてくれるようお願いしました。

2008.10.21alche_dolchi.jpg 高級ブドウ品種の「高尾」と「甲斐乙女」、庄内柿、羽黒で育つヤギのミルクのジェラートが付け合わされたドルチェ「Uva Ciocco ウヴァ・チョコ(右写真)には、秋深しを実感させる赤く色付いた葉を付けた天然のヤマブドウが飾られていました。聞けばアケビ同様に土田さんが湯殿山から採ってきたのだといいます。ならばと一粒つまんでみましたが、脳天まで突き抜ける鋭角的な酸味に口がシビれるほど。進藤さんが栽培するヤマブドウも、十分に熟すと強い酸味に加えて甘味が乗ってきます。するとそれまではヤマブドウに見向きもしなかった野生のクマが畑を荒らしにやって来るのだそう。そりゃクマだって冬眠を控えて強壮効果が高いだけではなく美味しいヤマブドウが食べたいですよね。

 ヤマブドウの鋭い酸味で麻痺した味覚を呼び戻し、トロけさせてくれたのは「フルーツタウン」と呼ばれたかつての櫛引町R112沿いにある「産直あぐり」に減農薬栽培したブドウを出荷している佐久間ファームの糖度が高い白ブドウ品種「ハニーシードレス」でした。軽やかな甘味の生クリームとチョコスポンジに挟まった甘~い完熟ブドウは、その名の通り蜂蜜のような甘味が特徴です。ここ数シーズン頂いている秋の定番スペチャリテとエスプレッソ・ドッピオで、ひさびさに平日の昼からアルケで頂く「ごっつぉ」(=庄内弁で「ご馳走」の意)を締めました。

uvisakuma2007.jpg【photo】 昨年の9月23日(日)、佐久間さんの畑で採らせて頂いたブドウたち。奥から手前へ順に、小粒の黒ブドウ「メルロー」、同じく白ブドウ「ハニーシードレス」、大玉赤ブドウの「赤嶺」、「甲斐乙女」、細長い白ブドウ「ゴールドフィンガー」。3箇所に分散した畑で育つ20品種以上のブドウは、地域慣行の半分ほどの消毒回数で栽培される。

 店を出た私が向かったのは、ドルチェで食べたばかりのハニーシードレスを鶴岡市西荒屋で栽培する佐久間良一・みつご夫妻のブドウ畑でした。私にとってアルケの醍醐味は、こうして料理の背景がすぐ近くにあり、旬の素晴らしい素材をもたらしてくれる生産現場に直に触れられること。食の都・庄内においても、飛び切りの食材が揃うアルケを通して得た生産者とのご縁は、人間にとっていかなる時代も普遍的な価値を持つ「食」を媒介とした尊いものです。

 そこからは豊かな実りの秋を実感する「ごっつぉ」(=庄内弁で「おいしい食べ物・ごちそう」の意)調達となるはずが、日頃お付き合い頂いている生産者の皆さんからの頂き物で溢れかえる「もっけだの」(=庄内弁で「(申し訳ないのニュアンスを込めた)ありがとう」の意)な展開が待ち受けていたのです。 

地の恵みに癒された濃密な一日
「もっけだの」篇 へ続く
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2008/09/28

結束を再確認

生産者の会、ふたたび。
@ il.ché-cciano

 昨年7月の「il.ché-cciano イル・ケッチァーノ」開店直後に行われた「生産者の会」が、今日9月28日(日)、再び行われました。この日は平年より11日、昨年と比べて15日も早く初冠雪を観測したという鳥海山が、八合目付近まで白い雪に覆われているのが遠望できました。もう山には冬の気配がひたひたと近付いている一方、すっかり黄金色に染まった庄内平野では、あちこちで稲刈りの真っ最中。深まる秋を実感させる爽やかな乾いた風に乗って、心地よい稲藁の香りが運ばれてきます。あ、実りの季節だな。この夜、鶴岡 al.ché-cciano と il.ché-cciano を支える庄内一円から集った生産者の数はおよそ40名ほど。「食の都・庄内」たるゆえんの多種多彩な農産物を手掛ける生産者の皆さんが、一年で最も忙しい農繁期にもかかわらず何を置いても一同に集ったのには理由があります。
20080928ilche1.jpg【photo】 生産者と料理人、小売店や食品加工業などの納入業者、研究者、間接的に恩恵に与る観光関連業者などが、食を軸とした稀有なコミュニティを形づくるアル・ケッチァーノの人脈。 本人の再三の固辞にもかかわらず、県から請われて決断したしばしの銀座進出に関する経緯をこの夜集った人々に報告する奥田シェフ

 地元の各メディアはもちろん、河北新報紙上【→会員登録(無料)の上、閲覧可能】でも報道されたとおり、先月まで東京港区虎ノ門にあった山形県のアンテナショップが来年3月、銀座に移転オープンするのにあわせ、その目玉として開店する県産食材を使ったレストランの運営を委託されたのが、「アル・ケッチァーノ」(以下、「アルケ」というファンお馴染みの共通語に略)のオーナーシェフ、奥田 政行氏です。2000年3月のアルケ開店以来、地道な相互扶助の関係作りを通して生産者や研究者、行政などからなるネットワークを築いてきました。そうして生まれた地元・庄内の食材を活かした数々の創作料理で、今では評判を聞き付けた人々が全国から訪れているのは周知の通り。事業案の選定に当たっては、公募という形を採ったものの、最終的な採択には「彼をおいて他にはあり得ない」という県の意向が強く働いたようです。県の行政の長は、対外的なアピールに欠かせないコンテンツとして、奥田シェフの抜群の知名度を放っておかなかったのでしょう。

 県のアンテナショップという性格上、庄内産のみならず、内陸産の米沢牛や蕎麦、ラ・フランスなど山形一円の食材を使った料理を提供することが求められるはずです。京阪や仙台などのプロの料理人に庄内産の食材を紹介し、彼らがその価値を認め、彼らの店で提供してもらい、一般の人々に認知を広めて販路拡大を図る「食の都庄内」事業で、奥田シェフは初年度の2004年からか親善大使を務めてきました。生産者を前にした挨拶の中で、有名店がひしめく銀座でも同様の活動を繰り広げたいという意欲と、レストランの監修と食材の販路を広げる目処が立った時点で地元に戻りたいという本人の意向が語られました。

 地元の顔として八面六臂の活躍をしてきたスタープレーヤーが、行政の意向で活動の場を東京に移すことが明らかになった以上、現在アルケの厨房を取り仕切るシェフの右腕、土田 学 料理長がシェフとして看板を引き継ぐことになります。その間留守宅を守るのは、今宵集まった生産者と地元に残る店のスタッフに他なりません。2003年5月、偶然店に立ち寄って以来、5年に渡って変幻自在で繊細極まりない奥田シェフの味に魅了された一人として、土田料理長には更なる奮起と一層の研鑽を望むところです。先月、およそ2年ぶりに(⇒負の影響が大きかった「情熱大陸」放映以前ということです)私を感動させる料理を出してくれたのは、il.ché-cciano をマンツーマンの貸切状態でお任せコースを出してくれた奥田シェフでした。
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【photo】 この夜の模様を収録するテレビ朝日系「素敵な宇宙船 地球号」の撮影クルー(写真右奥)

 シェフに対する餞(はなむけ)の言葉は、これまた庄内のスター生産者の皆さんが代わるがわるマイクを握りました。まもなく出回るまったりとした口どけが絶品のズイキ芋を植酸農法で水耕栽培する坪池 兵一さん、そろそろ本来の味が乗ってくる平田赤ねぎの後藤 博さん、樹熟トマトやスーパー小松菜の生産者 井上 馨さん、絶滅寸前だった藤沢カブを復活させた後藤 勝利さん、特有のクセが全くない肉質に仕上げるサフォーク羊で知られる綿羊飼養家・丸山 光平さんと、そのラム肉や山伏豚を扱う精肉店クックミートマルヤマのご主人・丸山 完さん、シェフの知恵袋役でもある山形大学農学部の江頭 宏昌准教授、魚介用のVino della Casa(=ハウスワイン)ともいうべき、アルケの水「イイデヴァの泉」で仕込んだ酒、「水酒蘭(みしゅらん)」を造る蔵元で、ご意見番としても頼れる存在、鯉川酒造の佐藤 一良社長などなど。
 この日出された料理には、ここに集った生産者が丹精込めた食材の数々が使われていたことは申し上げるまでもありません。

 遠来の友人としてスピーチを求められた私が、皆さんにお伝えしたのは、奥田シェフが不在となる来春以降も今まで通り店を支えてほしいこと、生産者や店を取り巻くさまざまな人々の関係性の上に成り立っている類い稀なこの店の良さを大切にしてほしいことでした。必ずしも生産者の皆さんは今回の決定を心の底から祝福しているのではないことは、どこか淋しげな皆さんの表情を見ていれば伝わってきました。だからこそ、地元では反対意見が渦巻く中で苦渋の決断をした奥田シェフと彼の家族、地元に残る店のスタッフをそこに集った人たちが今まで通りに応援しなくてはならないからです。私の訴えと同様の呼びかけをした鯉川酒造の佐藤社長にも賛同の拍手が巻き起こりました。

 そもそも、庄内の風土や生産者の顔を知らない東京の都市生活者が、そこでこそ光り輝くアルケの真価を見抜く慧眼を果たして持ち合わせているのか私には判りません。ましてや今回のシナリオを描いた県の思惑が、いかなる結果をもたらすのかも判りません。いずれにせよ「食の都・庄内」と言い始めた張本人が公務で地元を不在となる間、期待を胸に全国から集う人々をして、評判に違(たが)わぬ食の都だと舌を巻かせるか否か、真価を問われるのはこれからです。この夜の私にとっての収穫は、改めてそこに集った人々を結びつける絆の強さを再認識したこと。この日の模様は、取材スタッフが来ていたテレビ朝日系列で毎週日曜日午後11時から全国放送される「素敵な宇宙船地球号」で11月第一週に放映されるようです。Check it out!

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2007/07/05

庄内系転生伝説 第二章 

アル・ケッチァーノ、そして庄内発見伝
河北ALPHA取材の舞台裏

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【Photo】日本海に没する夕陽。鶴岡市由良海岸にて

 私が仙台から山形へ"通勤"していた2003年(平成15年)、東北の太平洋側は記録的な冷害に見舞われました。7月から8月にかけてオホーツク海高気圧が優勢であったこの年、「やませ」と呼ばれる北東の海風が東北の太平洋側に吹き付けました。この湿気を帯びた冷たい風が、障壁となる奥羽山脈に遮られると、山の東側に雨雲が発生します。その雨雲は、そぼ降るシトシト雨と深刻な日照不足に起因する肌寒さを東北の太平洋側にもたらします。
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【Photo】「やませ」が吹いた7月のある日、宮城県側には雨雲がどんよりと垂れ込み、冷たい霧雨が降り続く。山形自動車道・笹谷ICから庄内へと向かう途中地点で撮影
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【Photo】宮城-山形県境の山形自動車道 笹谷トンネル。山形側出口からは眩しい陽光がこぼれ、劇的に天気が変わる

 この年、7月の仙台の日照時間は平年の1/3以下、平均気温は18.4度と観測史上最低を記録。気象庁は8月初旬にいったん発表した東北の梅雨明けを、その後も続いた天候不順のため、結局9月になって「梅雨明けを特定し得なかった」と訂正しました。

 東北の太平洋側は、この年、夏を忘れてしまったのです。

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【Photo】夏の日差しが降り注ぐ山形自動車道 山形蔵王ICからみた宮城県との県境の山には、北東の冷たい風によって雨雲が発生している
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【Photo】山形自動車道 寒河江SA付近から。奥羽山脈には延々と雨雲のヴェールがかかる。上記4枚の写真は、やませの影響で一変する天候を宮城~山形を車で移動しながら撮影したもの

 そんな中、私は宮城・山形県境を越えて山形へと通勤していました。太陽が全く顔を見せない太平洋側と違って、奥羽山脈によって雨雲が遮られる山形県側には、まぶしい夏の太陽が照りつけていました。かたや、冷たい雨に濡れる青立ちの穂波が続く宮城県側の惨状は目を覆いたくなるほど。そのように笹谷峠・関山峠・鍋越峠・二井宿峠など、県境を越えると、天候が劇的に変化するさまを、毎日のように目の当たりにしていました。山をひとつ隔てるだけで、かくも天候が変わるものかと私は驚きを禁じえませんでした。かの川端康成であれば、そのありさまを「県境の長い笹谷トンネルを抜けると南国であった。昼の空が青くなった。」とでも表現したのでしょうか。【注1】

Puglia otranto.jpg【photo】日がな一日をダラダラと海辺で過ごすイタリア式極楽ヴァカンス。海が美しい南イタリアPuglia プーリア州otrantoオートラントにて

 イタリア人は夏のバカンスシーズンになると、こぞって陽光溢れる海辺を目指します。DNAに残る前世の記憶がそうさせるのか、深刻な日光欠乏症に陥っていた私は、ギラギラした夏の日差しと、輝く海辺に飢えていました。そのため、週末もおのずとまばゆい太陽のもと、青い海が広がる庄内へと足が向くのでした。その名の通り、山形県は起伏の多い地形によって、最上・村山・置賜・庄内の四つのエリアに分かれます。四方を山々に囲まれた風光明媚な内陸各地の変化に富んだ風景も魅力的でしたが、日本海に向けて開かれた庄内の風土と、そこに暮らすラテン気質のおおらかな人々に、より惹かれたのは必然の結果だったのかもしれません。

 抜けるような青空のもとに広がるのは、連山を従えてどっしりと構える霊峰・月山と、すらりとした姿が対照的な秀峰・鳥海山を背景に、青く輝く田んぼが広がる瑞穂の国の原風景。そして、澄み切った青空を一面の茜色から深紅に変えてゆきながら日本海に沈みゆく夕陽の表情豊かな様相でした。ゆったりとした時間が流れ、優しい空気感が漂う庄内の魅力と、肥沃な大地と日本海がもたらす生命力に満ちた旬の恵みから、私は元気と活力をもらっていました。

 こうして庄内への距離感は一気に短縮していったのです。

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【Photo】庄内での仕事を終え「仙台に戻る前に、軽く腹ごしらえでも」と立ち寄ったアル・ケッチァーノ前で。車を降りると西の空が茜色と亜麻色が入り混じる残照に輝いていた。夏の庄内の夕焼けは息を呑むほど美しい。長距離運転で疲れたカラダを生き返らせる食事の後、再び 140キロ以上離れた自宅へ戻った。そんなタフな日々を送っていた翌年の冬、この看板は庄内特有の猛烈な季節風で倒壊してしまった

 5月にたまたま立ち寄って以来、アル・ケッチァーノで口にする庄内産の食材は、どれも生命力に溢れ、不思議な活力を与えてくれるものでした。3枚の黒板に列記される多彩な食材。それを提供する生産者と奥田シェフの人的ネットワークは、いかに作られているのか? それらは、どんな人たちが、どんなところで作っているのか? という興味が店に通いつめるうち、だんだんと湧いてきました。

 懐が深いその地の魅力に触れた私は、その年の9月末に発行予定だった月刊情報誌「河北ALPHA」の特集「秋色小旅行」《Link to PDF 》で取り上げる山形エリアの情報を庄内に的を絞りました。前述の通り山形内陸地方から仙台に向けて発信される情報は、仙台の百貨店が催す山形物産展を見ても明らかなように、蕎麦・果物・玉こんにゃく・漬物ばかり。変わりダネといっても、モノは試しと一度だけ食べて以降、二度と口にしていない氷が浮いた「冷やしラーメン」や鶏モツが入った「とりもつラーメン」程度。そういったパターン化された情報に私は食傷気味でした。それと比べて、遥かに多種多彩ぶりが窺える庄内の食事情は、いかにも魅力的に映ったのです。ましてや仙台人はその事実をほとんど知りません。日本海と豊かな山々に挟まれたそこには、未知の食材が埋もれているようでした。

tasogareseibei.jpg【photo】山田洋二監督の映画「たそがれ清兵衛」〈予告編〉より

 酒井家が治めた城下町鶴岡の落ち着いた佇まい、北前船交易で栄えた湊町酒田の粋、出羽三山の山岳信仰が遺した独自の文化。この土地には人を包み込むような優しさと、奥ゆかしい魅力があるのに、仙台の人々はそれをほとんど知らない。山形県と一口に言うもののも、山形県下をくまなく回るうちに、庄内と内陸では全く人々の気質や培われてきた文化が違うことを、肌で感じていました。今でこそ鶴岡出身の作家・藤沢周平の再評価で衆目を集める庄内ですが、その頃は映画「たそがれ清兵衛」が前年末に公開されたばかり。相変わらず仙台からは月山の手前しか視野に入っていなかったのです。

 万人をあまねく惹きつけるのは美味しい食べ物。そこで「豊饒なる食の里・庄内」をテーマにした取材を "庄内の食の語り部" として最適任であろうアル・ケッチァーノの奥田シェフに申し入れました。

 8月初旬の爽やかに晴れ渡った朝、店の前で待ち合わせをした奥田シェフと合流しました。そこからは、シェフの自家用車に乗り換えての移動です。ふと後部座席に目をやると、泥だらけの長靴やら、野菜の切れ端が入ったダンボールなどが雑然と転がっています。その様子に一瞬たじろいだものの、そこは見て見ぬフリ。カメラを手に助手席に潜り込みました。

 すぐに「仕入れをしながらご案内します」というシェフの話が始まりました。「ボクは月山と心が通うんです。念を送れば雨雲だって晴らしてもらえるんですよ」。うーむ。霊峰月山と交信するとは、修験道の徳を積んだ聖者か天狗の仕業。にわかには信じ難い話を真顔で語る運転席の天狗シェフは、鼻高々どころか至って低姿勢でした。その言葉通り、シェフに取材の段取りを取ってもらった訪問先では、たとえ小雨混じりの天気でも、そこに到着すると何故か雨が上がり、薄日すら射すことが続いたのです。それに味をしめた私もすっかり増長して、「私がそちらに行く時は、月山にお願いして晴らしておいて下さい」などと、電話でお願いするようになっていました。するとシェフは、その都度いつもの脱力系な鼻に抜ける声で一言、「やっときまーす」。(⇒「晴れるよう月山に念を送っておきます」という意味だと思われるが、定かではない)

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【Photo】開店当初からの固い信頼関係で結ばれていた奥田シェフと今野恵子さん(撮影:2003年8月)

 まず案内された先は羽黒町(現鶴岡市羽黒町)黒瀬の契約農家、今野恵子さんの畑でした。今野さんは、奥田シェフが独立した平成12年当初から、毎月定額を支払い、無農薬で野菜の生産を委託している生産者です。今野さんの畑は土壌や水分が異なるという四箇所に分散していました。空のダンボール箱を手に畑に入ってゆくシェフが、朝露に濡れた雑草をかき分けるたびにバッタや蛙がピョンピョン。シェフは摘んだ野菜をそのまま口に含みながら、無造作に私にも差し出します。仙台育ちの私は、畑から採ったばかりの野菜を洗いもせずに食べたことなど、それまでありませんでした。「天候によって味が変わるので、毎朝こうやって味見しています」。雨降りの日には優しい味に、好天続きだと、やんちゃな強い味になるのだそう。いくら無農薬栽培とはいえ、赤ん坊のように何でも口に運ぶシェフには驚きを禁じえません。見よう見まねでモグモグする私の隣で、彼は的確に野菜の味の微妙なニュアンスを言い当ててみせました。・・・驚くべき味覚能力。これなら料理人としては鬼に金棒。いや、天狗に金棒か? 

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【Photo】仕入れ(?)中の奥田シェフの真剣な表情。今野さんの畑の脇にある草むらで何やら物色中。近寄ってみると自生するアサツキ(⇒当然仕入れ原価ゼロ!)を採っていた(撮影:2003年8月)

 「オンエアを見てね」という電話が本人からくる以上、番組の感想を伝えるためにチェックせざるをえない奥田シェフを紹介する後発のテレビ番組では、多くの場合、いかにもテレビ受けしそうなモグモグシーンを取り上げているのには笑ってしまいます。最初にに私が驚いたのと同様、取材クルーにとっては、よほどインパクトがあるのでしょう。そうしたテレビや雑誌の取材要請が増えた最近は、当時は何もなかった今野さんの畑のひとつに al.chè-cciano の看板が立つまでになりました。
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 今野さんの畑で野菜を味見しながら組み立ててゆくその日のメニューで、確保できなかった野菜や山菜などを補充するという産直「あねちゃの店」は、同町狩谷野目にある四つ目の畑から車でわずか25秒の至近距離にありました。羽黒山に向かって車で走っている場合は、手書きのヘタウマな看板が掲げられたトタン張り外装というこの店は、ともすると見過ごしてしまいそう。店内に足を踏み入れると、そこは近郊の農家が持ち寄る農薬や化学肥料の力に頼らない露地もの夏野菜であふれ返っています。朝採りの新鮮な葉物が一袋80円、庄内砂丘で栽培されるマスクメロンのなかで、曲がっている、ちょっとしたキズが付いているというだけの一方的な流通・小売サイドの論理で「規格外」という烙印を押された形が不揃いなマスクメロンが4~5個入って一袋800円などなど。
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【Photo】あねちゃの店。野菜の調理法など、判らないことは、何でも店番の"あねちゃ"に聞いてみよう

 民田ナス・沖田ナス・だだちゃ豆などの個性的な夏野菜が所狭しと置かれた店内を物色していると、今野恵子さんの名が付いた野菜も並んでいます。それを買い求めようとすると、先ほど畑でお別れしたばかりのご本人が野菜を手に登場したではありませんか。これぞ産直!!「お代は要らないから持っていって」と仰る今野さん。「(すぐ生えてくる)雑草とのイタチごっこなのよ、今の時期は」と、つい先ほど畑で語られた今野さんの誠実で手間のかかるお仕事振りを見てきた以上、対価をお支払いしないわけにはゆきません。固辞する欲の無い今野さんを傍らに支払った飛びっきり新鮮な葉物二把の代金は160円。申し訳ないような値段でした。

 現在では、仙台在住の私でも「いつもどーもー」と声を掛けられる常連となったこの店。旬には、栽培ものだけでなく、周辺の山が豊かな証(あかし)といえる山採りのさまざまな山菜やキノコが持ち込まれます。山アスパラとも呼ばれる「しおで」【注2】や、天然ものの珍しいキノコも店頭に並ぶこの店のオーナー佐藤典子さんは、シェフにとって知恵袋のような存在です。「あねちゃ」から教えてもらう素材の使い方と、伝統的な調理法も彼の創作イタリアンのヒントになっているようでした。

 店で野菜・山菜類の仕入れを終えて向かったのは、赤い大鳥居が道路を跨いで建つ羽黒山神社へと伸びる道。そこを運転しながらも、シェフの人を煙に巻くような話が続きました。

「(ご神域との境界に建つ)この大鳥居を越えると、土壌が柔らかくガラッと良くなって、作物の出来が違うんですよ」 ⇒〈以下、私の心の声〉ふ~ん、そうなのかぁ。
「この近くの名勝『玉川寺』の庭には、夜な夜な源氏蛍と平家蛍が交互に集まる木があります」 ⇒へぇ~。(眉に唾をつけながら)
「庄内にはミズの道や、野いちごの壁、野カンゾウの沢など、いろんな食材の秘境があるんです」 ⇒どんな秘境だか想像つかんわ!
「なんちゃってトスカーナの丘、なんちゃってアマルフィ海岸、なんちゃってロンバルディア平原だってあります」 ⇒(地名から風景の想像はつくものの)なんのことやら???
などなど。

 そんな奥田節が炸裂するなか、次はいかなる深みへと誘(いざな)われるのか判らぬまま、私は車に揺られていました。感覚をつかさどる右脳を全開にしてもなお???なシェフの話。その整理がつかないまま、霊験あらたかな月山へと車窓から視線を泳がせていました。この後に起こる奇跡のことなど露知らずに・・・。この後に起こったえっ~!!っというミラクルな展開は、いずれご披露します。


【注1】申すまでもなく川端康成の名作、「雪国」の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」という書き出しを意識している

【注2】イタリア・ヴェネト州では、「Bruscandoliブルスカンドリ」の名で呼ばれ、リゾットで食べられることが多いが、作付け数を減らしており、幻の野菜となりつつある。写真は旧・朝日村(現・鶴岡市)越中山の進藤 亨さんが栽培するシオデ。進藤さんは奥田シェフから依頼されて、特産のヤマブドウを仕込んだ恐らくは日本で唯一の「アチェート・バルサミコ・トラディツィオナーレ」造りに協力している
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2007/06/04

余は如何にして「庄内んめもの教徒」になりしか

2003年、アル・ケッチァーノとの出会い

 al.chè-ccianoという名のその店。鼻腔をくすぐる心地よい食材の香りが漂うエントランスを抜けて店内に足を踏み入れたのがちょうど正午過ぎ。女性客で混み合うなかを席に通され、手渡されたランチのグランドメニューをざっと眺めました。ふむふむ・・・飾らない店の外見にそぐわず、なかなかメニューは本格的。「おおっ、これはめっけもんだわい!」と、思いつつ壁に掛かる黒板に何気なく視線を向けました。

 「な・なんだ?この世界は」。

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【Photo】今ではすっかり有名になったアル・ケッチァーノの黒板。この日の調達品数は、まだ少ないほう。毎朝書き直されるこの黒板メニューの他に、定番のグランドメニューも存在するのだから

 庄内産の未知の食材がいくつも列記された三枚の黒板は圧倒的な迫力で目に飛び込んできました。チョークの手描き文字で書かれた山海の幸の数々。豊富な地場産メニューに気おされながら、その日オーダーしたのは、存在感溢れる黒板にずらりと並ぶ当時の自分には全く馴染みのないputtanesca.jpg地場・庄内産の素材を使ったパスタメニューからではなく、グランドメニューにあったオーセンティックなパスタ料理「プッタネスカ」でした。前菜として登場した白身魚のカルパッチョと、藤島町井上農場産フレッシュトマトを使ったプッタネスカのみずみずしい味付けが、とても魅力的だったのをありありと記憶しています。ドルチェメニューにナポリの伝統菓子「Baba(バッバ)」があるのを認め、追加でオーダー。化粧役となるラム酒の香りでごまかさず、良質な卵を使っているのであろう、しっとりとしたスポンジ生地の濃厚な味わいが口腔を幸せな気持ちで満たしてくれます。初の庄内遠征で立ち寄ったその店は、それまでの経験則で培った「食指が動く店、食べに行きたい店」の判断基準では推し量れない、明らかに異質な強い印象を残しました。

【Photo】2003年、私が庄内系に変身するきっかけとなった一皿、アル・ケッチァーノの「スパゲッティ・アッラ・プッタネスカ」。半端ではない素材の素晴らしさとそれを引き出す確かな技。こうしたオーセンティックなパスタ料理を食べると、この店の凄さが確認できるはず

 そのため、「面白いイタリアンを庄内で見つけたよ」と、家族を伴ってその週末のランチタイムにさっそく再訪したほどです。満ち足りた美味しい食事の後、エスプレッソを運んできたフロアマネージャーの青柳店長に、仙台はもちろんのこと、東京でもなかなか出逢えない味だというニュアンスで料理の感想をお伝えすると、店長は「ウチは夜にお越しいただかないと・・・」と耳打ちされました。ならば仰せの通りにと、初めての庄内一泊出張にかこつけて、当時仕事でお世話になっていたSさんを誘って、妙に気になる店「アル・ケッチァーノ」を夜に訪れたのは、それから間もなくのことでした。

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【Photo】羽黒町(現鶴岡市羽黒町)花沢ファーム・丸山光平さんが飼育する仔羊のカルパッチョ。穀類・稲藁など飼料に工夫を加え、特有のクセがない肉質に仕上がる

 「だだちゃ豆が大好きな仔羊のカルパッチョ」、「月山筍とパルマハムのフリット・タイムの樹氷塩添え」で始まったその晩のアラカルト。一皿ごとに素材の確かさと、みなぎるイマジネーションに私は魅了されていきました。
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【Photo】月山筍とパルマハムのフリット。柔らかなネマガリタケの食感と香りが、サクサクと香ばしい衣をまとったパルマハムの塩味と口の中で渾然一体になる一品。春先に食べたくなる定番メニュー

 メインディッシュ「米沢牛のタリアータ朝日村の山ブドウ・ヴィンコットソース」は、コックコート姿の三十代前半と思われる男性が席に運んできました。いわく、「皿の半分は飲んで頂いているバローロに合うよう味付けを変えました」。料理とワインの相性にこだわる食いしん坊の琴線に触れる心憎い演出です。少し鼻にかかった彼のほんわかとした口調は、少年のように屈託がありません。さっと踵を返して厨房に戻る後ろ姿を目で追いながら、同席のSさんに「今の人、シェフだと思います?」と尋ねました。それまでに出てきた料理から察するに、素材や調理法にこれほどのこだわりを持つ料理人は、さぞ気難しい人だろうと思ったからです。Sさんも察しかねたようで、首をかしげながら「どうかなぁ・・・」。

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【Photo】米沢牛のタリアータ朝日村の山ブドウ・ヴィンコットソース

 絶妙な火加減の香ばしいタリアータが、ヴィンコットソースと渾然一体となって米沢牛の肉汁とグワングワン共鳴し合い、私を悶絶させた挙句に忘我の境地へと誘(いざな)ってくれました。心身ともに満ち足りた食事の締めにエスプレッソを飲んでいると、再び私たちの席に挨拶に現れた彼の胸には" Chef "の縫い込みが。「奥田と申します」と名刺を差し出す彼に、なぜ米沢牛のタリアータの味付けを即席で変えたのか尋ねました。すると、私のオーダーを厨房で受けて、その組み立てから察するに、かなり食べ慣れた人だと思ったから、と理由を明かしてくれました。

 それから初対面の私たちに向かって、店で使っている多彩極まりない庄内の食材の素晴らしさを地勢的・歴史的要因を織り交ぜ、例のソフトな口調で、それでいて熱く語るのでした。興味深い話を聞きながら、私は金鉱脈を掘り当てた西部開拓者のような心境になってゆきました。

 幾度もたどった村山そば街道の先、古道「六十里越街道」を抜けた月山の先には、内陸とは全く異質でとてつもなく表情豊かな食の平原が広がっている! 

 私は初の庄内遠征で、願ってもない食の道先案内人と出会ったのです。余談ですが、この夜奥田シェフは、店の入口に湧く「イイデヴァの泉」の水の味をハンドパワーで変えてみせる奇蹟まで私たちの目の前で披露してくれました。水を口に含んで目を丸くする私たちを前にして、「ヘヘヘ・・・」と細い目をさらに細めてほくそ笑むエスパーなスーパーシェフ。こうして聖水イイデヴァの水による洗礼を受けたイタリアかぶれの「イタリア系ジャッポネーゼ」は、「庄内系イタリア人」へと生まれかわったのです。傍目には、この夜のありさまはキリストが初めて奇蹟を行ったという、ガリラヤのカナの婚礼さながらだったことでしょう。

 もっともこの「庄内んめもの教」の教祖は、キリストのように水を私が大好きなワインには変えてくれませんでしたが・・・。


庄内系転生伝説 第二章 
 【河北ALPHA取材の舞台裏 】に続く


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2007/06/03

庄内系転生伝説 プロローグ

庄内系イタリア人の物語

 前世はイタリア人で仙台生まれ仙台育ちの私が、何故に庄内系を名乗るのか。
2003年春、山形県庄内地方にある一軒のレストランとの偶然の出会いから始まった「庄内系イタリア人の物語」の始まり、はじまり~。
 なお、当「庄内系イタリア人の物語」は作家・塩野七生氏の大作、「ローマ人の物語」に対抗する意図は微塵もないことをあらかじめお断りしておきます (爆)。

※当「庄内系イタリア人の物語」は、「奇蹟のテーブル」刊行委員会刊「奇蹟のテーブル」に寄稿した「月山が遣わしたシェフは『水の精』」に加筆修正したものです。

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【プロローグ】 犬も歩けばアルケに当たる

仙台と山形内陸、特に境界を接する村山地方との交流は、近年目を見張るものがあります。国内で唯一、県庁所在地が隣り合う仙台市と山形市とを結ぶ都市間バス本数は、1日あたり平日80往復・土日60往復。

sobakido.jpg 仙台からは観光目的に、山形からは買い物にと、相互に行き来が活発です。山形側から仙台に発信される観光情報は「温泉」「そば店」「果物」「玉こんにゃく」などに概ね集約できましょう。その結果、村山エリアにある仙台からの観光客を主たるターゲットにした「そば街道」の店には、そば通を自認する宮城・仙台ナンバーの車が押し寄せます。

 後に述べる通り、山形に転任した折に、やがて気がついたことが、実は地元の方たちは大のラーメン好きであること。一人当たりの中華ソバの年間消費量が日本一の山形県では、観光化されていない地元の人たちが足を運ぶような蕎麦屋では、ラーメンメニューが必ずあり、蕎麦屋でラーメンをすすっている姿に驚いたものです。

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【PHOTO】一人あたりのラーメン年間消費日本一が山形県。盆地特有の酷暑の産物が、山形内陸発祥の「冷やしラーメン」。この画像からは判別が難しいが、丼までがひんやりと冷たい。全国区となった仙台発祥の「冷やし中華」にはあらず

 山形の人たちの密かな誇りでもあった日本の最高気温(40.8℃。2007年、岐阜の多治見が記録更新)を記録するような盆地性の気候により、酷暑に見舞われる盛夏でもラーメンを食べたい内陸の人は「冷やしラーメン」なるものまで生み出してしまうのですから。サクランボ狩りのシーズンには、仙台と村山地域を結ぶ国道48号線は大渋滞。かく申す私も、かつては蕎麦屋のハシゴをして、山形蔵王など内陸の温泉地に向かうお決まりの観光コースを幾度も辿っていました。

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【PHOTO】月山と鳥海山に挟まれた表情豊かな地勢の庄内平野。四季折々、多彩な山海の幸に恵まれた豊饒の里

 2003年(平成15年)4月、勤務先が営業所を山形市に開設、私が初代所長として赴任しました。長年に渡って山形で営業活動を行っていた前任のYさんが急逝したのが3月初旬。そこで急遽、私が山形の顧客を引き継ぐことになったのです。定年後も嘱託として76歳まで現役を続けられた大先輩は、何ら引継ぎ資料を残さなかったため、当初は全くの暗中模索状態。取引先の担当者名はもちろん、それまでの取引内容すらわからない中での船出でした。

 山形県全域をカバーする移動手段は、会社が急遽調達したスバル・インプレッサ・スポーツワゴン1.5i-S 4WD。9月までの半年は自宅のある仙台から奥羽山脈を越えて山形市内の営業所までの通いだったため、当初はカーナビを頼りに最上・村山・置賜の内陸各地を回るのが精一杯。営業所の売上はさておき、車の走行距離だけはうなぎ登り(⇒この営業車で年間65,000キロ以上を走破した)。そのため、月山の先にある庄内地方は遥か遠い地に感じられました。重い腰を上げ、初めて業務として庄内を訪れたのは、風に暖かさが増す5月上旬のうららかな陽気の日のことでした。

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【PHOTO】5月上旬。月山道路から湯殿山へのルート。新緑と残雪のコントラストがまばゆいブナの原生林

 かつて、東北で一番おいしいフランス料理店と評判だった酒田の「ル・ポットフー」で庄内浜の魚介に舌鼓をうち、土門拳記念館で酒田出身の写真家・土門拳の古寺巡礼などの名作と出合うことなどを目的に、1986年(昭和58年)頃から幾度か庄内を訪れて以来、その日は6年ぶりの月山越えでした。山形市の出身だった前任者は、内陸だけを営業エリアとしており、庄内地域には顧客を抱えていませんでした。そのため、その日はいわば新規開拓に向けた"市場視察"の趣きであったのです。

 雪解け水で増水した寒河江川が流れる西川町を過ぎると、国道112号線「月山道路」の車窓からの風景は、残雪とブナの新緑がコントラストを描く山岳地帯のそれへと変わってきます。仙台人が抱く「山形=そばどころ」というステレオタイプな刷り込みがされていたため、「昼ごはんは麦切りを食べよう~♪」などと考えながら、朝日村を過ぎ、櫛引町まで走って来ると、5月の薫風を受けて舞い踊るイタリア国旗が目に飛び込んできたのです。

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【PHOTO】残雪を頂く月山山麓に広がるブナの原生林が、滋味あふれる雪解け水を庄内の地にもたらす。五月晴れのもと、田植えを終えたばかりの田園風景がやさしくほほ笑みかける

 自他共に認めるイタリア好きで、前世はイタリア人だったに違いない私。帰巣本能の赴くまま何度か訪れたイタリアで出合った地方色豊かな料理やワインを通してはもちろん、平成2年から6年間を過ごした東京では、イタ飯ブームのさなか、次々とレベルの高いイタリアンレストランが誕生していて、舌の訓練はそれなりに積んで来たつもり。

 そんな口うるさい前世イタリア人を満足させるイタリアンの店が当時の仙台周辺では数少なかったため、塩竃「ペッシェカーネ」や涌谷「トラットリア・マルコポーロ」(ともに現在は閉店)はおろか、フィレンツェに本店がある高級リストランテ「エノテカ・ピンキオーリ」東京店(こちらも閉店)へは、本店そのままのエレガントなイタリアの雰囲気に浸れるため、仙台に戻ってからも毎年訪れていました。

 一方、自宅で楽しむワインは、ミラノの食料品店PECKやイタリア各地のエノテーカなど、主にイタリア本国のネットショプを通して調達していました。ワインとの付き合いの歴史が浅いためか、マーケティングに長けたフランスの、しかもグランヴァンばかりが偏重されてきた日本。近年に至るまで国際市場など眼中になく、国内消費が主だったイタリアワインの市場規模は、もともと小さなものでした。

 一部の高級ワインに引きずられる形で近年価格が高騰するトスカーナ州産を除き、価格と酒質のバランスがとれ、自宅の食卓でも良き伴侶となるイタリアワイン。当時は日本円の対ユーロ為替レートが良く、日本では入手が難しい高価なレアものですら、送料を負担してでも納得の行く価格で手に入りました。

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【PHOTO】2003年当時に撮影した画像データがPCもろとも消滅したため、数少ない懐かしの秘蔵写真から。il.chè-cciano 改装前の外観。こんなベタなロケーションの敷地内にal.chè-cciano は人知れず存在していた。よくぞ見つけたり(笑)

 そんな酔狂な前世イタリア人には、櫛引町が「黒川能」の里であり、横綱柏戸の出身地であることぐらいしか予備知識はありません。そこで予期せぬイタリア国旗を見た途端、それまで頭を占めていた名物「麦切り」が、「デュラム小麦のパスタ」へと瞬時に変身したのです。なにせイタリアンは私の主食なのですから。根っからイタリア好きの自分は、イタリア~ンな質の高い香りを発するものには、トリュフ犬のように嗅覚が反応します。

 時刻はちょうど昼過ぎ。"ここ掘れワンワン"と、引き寄せられるように国道112号線に面した小川沿いに建つその店の前に車を停めました。「地場イタリアン」と記された風変わりな立て看板と「al.chè-cciano」という店名の意味が判らぬまま、さして期待もせずにその店の黄色い扉を開けたのです。
 
 それは不思議な運命に導かれ、庄内系へとメタモルフォーゼする扉を開けた瞬間でもありました。

「余は如何にして『庄内んめもの教徒』になりしか」につづく

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