あるもの探しの旅

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2016/11/19

Bianco e Nero ~ Capitolo Bianco ~

【白編】たおやかなり、稲庭うどん

湯沢市稲庭はグラニャーノだった
@秋田県湯沢市稲庭町

 白黒を意味するお題のゆえんは、前・後編を読み進むうちに白黒がはっきりするでしょう。

 国内外を問わず、いわゆる〝三大●●〟は、あまた存在しています。

 世界三大料理は中華・フランス・トルコ。珍味ならば、世界ではキャビア・フォアグラ・トリュフ。日本にあっては、塩ウニ・このわた・からすみ。

 食べ物以外に目を転じ、真っ先に頭に浮かんだのが三大美女(笑)。三人揃ってお目にかかりたいものの、全て物故者であることが残念なクレオパトラ・楊貴妃・小野小町。

matsushima-tamonzan.jpg【Photo】日本三景松島を代表する景観が見られる「松島四大観」の一つ、宮城県七ヶ浜町「多聞山」。眼下に鹽竈神社のご神馬が余生を過ごした馬放島(まはなしじま)と、灯台がある地蔵島が横たわる松島湾南部の美景。彼方には大高森と金華山を望む

 絶景においては、松島・天橋立・宮島の日本三景。滝は、華厳・那智の両名瀑に伍せんと名乗りを上げる茨城・袋田 vs 仙台・秋保大滝。

 ガッカリ系の観光地なら、マーライオン・人魚姫像・小便小僧。日本では、札幌時計台・高知はりまや橋・長崎オランダ坂。そして女性の容姿に関するネガティブな評価として噂が流布する仙台・水戸・名古屋など、不名誉な三大●●も存在します。

 こうした三大●●には、言った者勝ちの側目も少なからずあるかと。

inaniwa-udon2.jpg【Photo】雪国秋田の風土が生んだ稲庭うどん

 前回取り上げたラーメンでは、札幌・喜多方・博多。長崎五島・名古屋きしめん・富山氷見・群馬水沢などが〝我こそは〟と手を挙げるであろう「日本三大うどん」。

うどん県〟こと香川「讃岐うどん」が西の横綱とすれば、東の横綱は秋田「稲庭うどん」であることに異論を挟む余地はないかと思います。

 二者択一で、うどんか蕎麦かと問われれば、蕎麦が優勢な東日本・東北地方にあって、例外的にひときわ輝く存在感を放つのが稲庭うどんです。

Inaniwa_udon.jpg

 稲庭うどんが生産される秋田県南の内陸部に位置する湯沢・雄勝地域の生まれだとされる小野小町や、秋田市出身のタレント佐々木希のような、たおやかな秋田美人の透き通る肌のようにキメ細やかで色白、絹のごとく滑らかな喉越し、スリムな細麺ながら強靭なコシ。

yosuke-sato-factory.jpg【Photo】佐藤養助 総本店では、製麺の工程をガラス越しに見学可能。塩水を加え、空気を加えるよう練り、ビニールで覆って踏みつけ、延べ棒で一定の厚さに伸ばした生地を包丁で裁断(右)、角をとるように手で丸める「小巻」(左)

nai_yosuke.jpg tsubushi_yosuke.jpg【Photo】佐藤養助 総本店における製造工程より。小巻した生地を2本の棒によりをかけながら均等な太さにあや掛けする「綯(ぬ)い」(左)、あや掛けした生地を平らにする「つぶし」(右)

 栗駒山系の清冽な伏流水・塩・小麦粉だけを原材料とする生地作りから製麺・乾燥まで、丸3日を要する手作業による練り・小巻・綯(ぬ)い・つぶし・延ばし・乾燥・選別と工程を重ねる中で、麺の内部に多数生じる筒状の気泡が、生めんにはない持続性を持つ無類のコシの強さを生むのだといいます。

sato-yosuke-factory2.jpg【Photo】茹で上りが均一になるよう、目と手で一本づつ選別を行う。最終工程を担当するのはすべて女性。およそ人間技とは思えぬ速さと正確さが要求される

  何かにつけイタリアナイズされた庄イタゆえ、外食を含む麺類消費のダントツ首位はパスタです。2番手の蕎麦に続き、うどんはラーメンと周回遅れで3番手争いをする位置づけでしょうか。

 それでも軽めに食事を済ませたい時などに重宝するのが、稲庭うどんです。食欲の秋を迎えたとある休日。県境を越え、秋田県南の内陸部湯沢市稲庭町の「佐藤養助 総本店(下画像)を訪れました。

yosuke_sato-sohonten.jpg

 乾麺ゆえ、茹で時間さえ誤らなければ、稲庭うどん本来の美味しさは家庭でも味わうことは可能です。ですが、熟練の職人の手作業による製造の様子をつぶさに見学することができる佐藤養助 総本店で食する稲庭うどんは、一味違うのです。

 長崎・島原や奈良・三輪といった手延べ素麺が、量産のため機械化された一方、1665年(寛文5)まで遡る創始以来の伝統製法を今に伝える稲庭うどん。

ppastificio-yosuke_sato.jpg【Photo】稲庭干饂飩の宗家・佐藤吉右衛門の四男、二代目佐藤養助が創業した1860年(寛文5)から数えて150年目の2008年(平成18)に竣工した佐藤養助総本店の見学コーナーに展示される創業者が小巻された生地を綯う様子を再現した人形

 稲庭うどん作りの現場に触れ、思い起こしたのが、乾燥パスタの聖地グラニャーノ〈2010.7拙稿「珠玉のパスタ、Gragnano グラニャーノ」参照〉。栗駒山系の清冽な水とラッターリ山系の良質な硬度の低い伏流水を用い、寒暖差の大きい内陸に位置する両者には、うどんとパスタの違いはあれど、一味違う麺の産地としての共通項を見いだせます。

 うどん発祥の地とされる福岡「天神店」ほか、東京「銀座 佐藤養助」ほか「日比谷店」、「赤坂店」などの直営店があります。

yosuke-sato2016.9.jpg【Photo】佐藤養助直営店共通メニュー「天せいろ醤油」(1,500円)は、稲庭うどん本来のコシの強さを堪能できる。胡麻味噌だれ(1,560円)も選択できる。薩摩地鶏・名古屋コーチンと並ぶ日本三大地鶏、比内地鶏を温かいつけだれで頂ける「あったか比内地鶏つけうどん」(1,450円・冬季限定)もお薦め

 産地の湯沢は、雪国秋田でもとりわけ雪深い特別豪雪地帯に指定される地。冬の足音が迫りくるこれからの季節「雪道はちょっと...」と二の足を踏む方でも、こうした直営店で稲庭うどんの魅力を体感することが可能です。

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 現場を訪れることで見えてくるディテールから本質を見極めんとする庄イタと同様、稲庭うどんの里・湯沢市稲庭町を訪れるなら、その普段使いの器ともなる同市川連町の伝統工芸品「川連(かわつら)漆器」を展示する「川連漆器伝統工芸館」に立ち寄った後、ぜひ足を延ばしたいのが、横手盆地の南東部にあたる隣町の横手市増田地区。

 次回Bianco e Nero ~ Capitolo Nero ~編「【黒編】クラシックな黒漆喰の内蔵(うちぐら)~奥ゆかしくも豪奢な内蔵めぐり~」を乞うご期待

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佐藤養助 総本店
 ・住:秋田県湯沢市稲庭町稲庭80
 ・Phone:0183-43-2911
 ・営:見学 9:00 ~ 16:00 販売 9:00 ~ 17:00 食事 11:00 ~ 17:00
    無休(年末年始休み)
 ・URL:https://www.sato-yoske.co.jp/shop/head-shop.html

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2016/06/19

フェロモンメロン

奇蹟の遭遇@道の駅フェスタ in 仙台


 どこで区切るのか紛らわしい今回のタイトルですが、フェロモン+メロンと読み解いて下さい。

 それは仙台市役所で行われた会議を終え、同僚と共にタクシーで勤務先に戻ろうとした6月16日(木)のことです。

 市役所前の勾当台市民広場で開催されていた「東北6県『道の駅』まるごとフェスタ」が、ふと気になり、広場を素通りできませんでした。

michi-no-eki-festa.jpg

 今回が初開催となるこの催しは、NPO法人東北みち会議が主体となり、各駅長らで組織した実行委が主催したもの。東北6県から39の道の駅が集結。各地自慢の産品を販売したほか、熊本県産品の委託販売も行われました。

 「ちょっと覗いてみていい?」と同僚に声を掛け、3年前、立佞武多(たちねぷた)の折に訪れた〈2013.8拙稿「庄内系イタリア人的青森〈後編〉燃え立つ夏2013@青森:津軽編」参照〉青森県北津軽郡鶴田町の道の駅「鶴の里あるじゃ」のブース前で、ごく淡い期待を胸に足を止めました。

 昨年、激しい戦いの末、タレントのモト冬樹さんが準優勝した「吸盤綱引き全国大会」が開催される鶴田町特産のブドウ「スチューベン」果汁100%ジュースは置いていましたが、アルコール発酵したブドウ果汁や、並外れた美味しさの路地ものメロン「優香(ゆうか)」は残念ながら見当たりません。

amu-san@kotodai-001.jpg ブースにいらした係の方と「優香メロンが出回るのは7月中旬からですよねー」と恨めし気に言葉を交わし、すぐ左隣のブースに移動すると...。

 そこに黄色味がかった淡い緑のマスクメロン(右)が鎮座していたのです。
 
 何が起きているのか、事態の展開が飲み込めないまま、ある確信をもって看板を見ると「青森・道の駅 ひろさき」とあります。

 間違いありません。オレンジ色のラベルが貼られたそのメロンは、ここ何年か庄イタが夏に恋してやまない「アムさんメロン」なのでした。

 夏場の豊富な日照、昼夜の寒暖差、水はけのよい砂丘地帯といった津軽の風土、そしてハウス栽培による徹底した品質管理のもとで生産され、弘前中央青果が商標を有する「アムさんメロン」(品種名:優香(ゆうか))。

 果皮ぎりぎりまで食すことができる緑色系のキメ細やかな果肉のみずみずしさ、時に糖度18度に達する食味と香りの良さは、一度体験したら忘れられません(北海道産の有名ブランド高級メロンは、最高級の特秀で糖度13 %以上)

 よもや勾当台市民広場で遭遇しようとは、予想だにしないアムさんメロンを前に、庄イタが興奮冷めやらぬのには理由がありました。

amu-san2016.jpg

 梅雨の晴れ間が広がったその日。今年の春先に発見したアルデンテな平成進化形ナポリタンを食した足で、すぐ近くの「GELATI BRIO ジェラーティ・ブリオ〈2015.6拙稿「Il dolce e l'amaro スウィート & ビター 〈後編〉」参照〉で、店主の磯部智広さんとアムさんメロンの噂話をしていました。

 過去2年連続で品評会出品メロンを入手している「青森マルシェ」の今年度第1回目が、7月17日(日)に青森市で開催されることから、「出荷の最盛期を迎える来月、青森に行けたらサンプルを買ってくるよ」という話の流れになっていたのです。

 古来、言葉には不思議な霊力が宿ることがあると申します。勾当台公園にあったアムさんメロンを、言霊(ことだま)メロンと呼ばずして何と呼べばよいでしょう。
 
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【Photo】週末に食べ頃を迎えた2016年の初物アムさんメロン。まだ旬の走りの初物にして、期待を裏切らない素晴らしい食味に魅了された

 青森以外にはまず出回らないアムさんメロンと勾当台公園で遭遇するとは、まさに渡りに船。川で洗濯中にモモではなくメロンが流れてきた上、葱ではなくメロンを背負ったカモまでが飛来したに等しい展開なのでした。
 
 しかも、催し最終日の閉幕時刻間近とあって、定価2,000円のところ2個以上購入で1個あたり1,000円という好条件が提示されていました。そこで3個は自家消費用に、1個はサンプル用に購入し、帰り足で店に届けました。

feromon-melon.jpg

 メロンは俗にいう下のお尻部分を押して弾力が出てきたら食べ頃。この週末に食した1個目は、庄イタのアナログ式バイオ官能糖度計(⇒ 伊語:lingua, 英語:tongue, 日本語:舌)の計測では、優に推定糖度17度を超える高貴な甘さを有しており、昨年に続いて今年の作柄にも期待が持てそうです。

 今、こうしている間にも、追熟中のアムさんメロンからは、えもいわれぬ芳香が漂ってきます(上画像)。敢えてリビングルームに置くことで、天然成分100%の心地よいアロマで部屋は満たされてゆきます。

 アムさんが発する「完熟してからワタシを食べて~♥」フェロモンに、ここ数日魅了されまくっていたところ、冴えわたる超能力の成せる業としか解釈のしようがない言霊フルーツ第二弾が待ち受けていました。

to be continued...

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2015/12/06

再見。菓子の樹

蘇る昭和の記憶。
超能力シリーズ@福島・相馬


kashinoki-alpha_1987.jpg
【Photo】社会人として、庄イタがまだ駆け出しだった頃、公私ともにお世話になったのが、仙台が政令指定都市となる以前で、区制施行前の仙台市二十人町にあったケーキショップ「菓子の樹」。河北新報社が仙台圏で29万部を発行する月刊誌Piattoの前身にあたる河北アルファ1987年12月号に掲載された同店のペイドパブリシティ

 今日、仙台市営地下鉄東西線が開業し、来春にはJR仙台駅東西自由通路が拡充。エキナカを含む商業施設の集積が加速度的に進む仙台駅東口は、この先、装いを一新することでしょう。

 広瀬通りからJR仙台駅北側の線路を跨いでいた「X橋」の先で、道はかつて南北二手の細道に分岐していました。東行き一方通行の北側は鉄砲町。西行き一方通行の南側が二十人町。

 その昔、戦災による焼失を免れたこの地域は、古い木造家屋と低層の店舗が密集。大型商業施設やオフィスビルが集中する駅西側とは対照的な古い街並みがレトロな雰囲気を醸し出していました。

 現在、かつてのX橋は片側3車線の宮城野橋に架け替えられました。榴ヶ岡公園に向かう幅40mの都市計画道路「元寺小路福室線」が東西を貫き、仙台アンパンマンこどもミュージアムが開館。楽天Koboスタジアム宮城に向かう「宮城野通り」と国道45号線とに挟まれた仙台市宮城野区二十人町一帯は、〝駅裏〟と揶揄された昭和の面影は全くみられなくなりました。

Sendaieki-higashi_2015.12.jpg【Photo】駅西口の高層ビルAER(写真奥)から真っ直ぐ延びる片側3車線の都市計画道路「元寺小路福室線」に組み込まれた格好の二十人町。そこに「菓子の樹」があった頃は一方通行だった当時の街並みは、区画整理によって一変した

 1960年度に着手し、半世紀以上を要した大規模な区画整理事業。駅東口の複合ビルBiVi北隣にあったJR仙石線の仙台駅は、同線の地下化により15年前に廃止(「までぇに街いま」参照)。高層のオフィスビルやマンション、そして空地を転用した駐車場が目立つ没個性的で無機的な現在の街並みを見るにつけ、過ぎ去った時代にノスタルジアを覚える昭和世代の庄イタなのです。

mappa-sendai1969.jpg【Map】かつてのX橋と鉄砲町・二十人町周辺。現在もある榴岡小学校前の通りを除き、仙台駅東口周辺が、いかに現在とは異なるかが、一目瞭然。1969年(昭和44)発行の国土地理院仙台市街地図より(出典:21世紀版みやぎ地図百科 / 2001年河北新報社発行)

 元寺小路福室線沿いの現在地に移転する前の「いたがき本店」が、左側にあった二十人町の通りに面して手前右側に「菓子の樹」というケーキショップがありました。

 庄イタよりも幾分か年長にお見受けした女性店主の田中さんからは、相馬の実家から地飼いしているニワトリの卵を毎日取り寄せてケーキ作りに使っていることを当時伺っていました。クリスマスシーズンに社内でケーキの注文を取りまとめていた数店舗の中で、ケーキ好きの間で最も人気があったのが、菓子の樹だったと記憶しています。

 特に好きだったのが、洋酒をきかせた甘さ控えめのチョコレートケーキ(上写真左側)。良質な生チョコレートクリームでコーティングされたしっとりふわふわのスポンジ生地には、ふんだんにイチゴが挟み込まれていました。クリスマス時期だけではなく、ショートケーキでも店頭に出ていたため、しばしば買い求めていました。

kashinoki-bldg-soma.jpg そして時代は平成へと変わり、6年間の東京勤務から仙台に戻る頃には、区画整理事業によって、立ち退きが進み、空地が目立つようになっていました。そんな二十人町の街並みから菓子の樹は知らぬ間に無くなっていたのです。去る者は日々に疎し。激変した二十人町付近を通りかかっても、菓子の樹を思い起こすことは次第になくなってゆきました。

 それから20年近い時を経たつい先日。仕事で訪れた福島県相馬市でのこと。ちょうど昼時だったので、つきぢ田村で修業した親方が厳選した相馬の素材をビュッフェ形式で味わえるコスパ抜群の「までいにランチ」を頂こうと「割烹やました」を半年ぶりに訪れました。しかしながら、までいにランチは10月末をもって終了したとのこと。う~ん残念 !!

 そのため、スマホで検索したランチが充実したJR相馬駅近くの中華料理店「李龍(リーロン)」を訪れることに。初めて訪れる李龍の駐車場に車を停め、何気なく視線を送ったのが、向かいの5階建てビル。四角形の小さな看板に目が釘付けとなりました。

kashinoki-soma.jpg まごうことなく「菓子の樹」。1階は閉鎖され、テナント募集の表示があり、営業している様子はありません。連絡先の電話番号の主は「田中」とあります。間違いありません。見覚えのある茶色に白い文字の懐かしいロゴタイプを目にして、店の前に樹木が生えていた二十人町にあった当時の菓子の樹の記憶が蘇りました。

 李龍のフロア係の女性に訊ねたところ、以前は菓子の樹として営業していたものの、昨年秋からは空き店舗となっているのだそう。それまではパティスリー・シュシュという名のケーキショップとして人に貸していたとのこと。

riryu-hanakago-lunch.jpg【Photo】ズワイガニとレタスの炒飯・豚チリ卵・豚角煮・海老マヨ・生春巻・肉みそがけ豆腐・チーズ春巻・点心二種盛り・大根サラダ・玉子豆腐・杏仁豆腐。全11品の彩り豊かな味を楽しめる「李龍」冬かごランチ(税込980円・1日20食限定)。ジャスミンティーとコーヒーがフリードリンクサービスで付くという大盤振る舞い (◆李龍 / 住所:福島県相馬市中村1-2-6  Phone:0244-36-6833)

 偶然が重なった結果、ピンポイントで空白の年月をたぐり寄せ、懐かしい菓子の樹の消息を知っただけでも収穫でした。そのうえ李龍で食した「冬かごランチ」が、コストパフォーマンスが高い充実した内容で、ご覧の通りボリューミーであったことを申し添えておきます。

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2015/05/24

神通力ふたたび!? 鶴岡 後編

東京八丁堀・てんぷら小野@山形 鶴岡・井上農場

「神通力ふたたび!? 鶴岡 前編」より続き

 
「それにしても凄いタイミングで姿を現すね~。
 これから志村さんが、ここで天麩羅を揚げてくれるから、一緒にどう?

 鶴岡市街から北上して酒田を目指したはずが、突如気が変わって車を乗り付けた「井上農場」。小松菜を栽培するビニールハウス前に建つ交流施設「i 庵銘田(アイアンメイデン)」を掃除中だったご主人、井上馨さんの言葉通り、それはまさに千載一遇の機会だったのです。

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【Photo】収穫したトマトを手に交流施設「i 庵銘田」に集った井上ファミリー(全員にはあらず)。安全で美味しく健やかな未来を託す心強い担い手の皆さん

 井上農場をノーアポで訪れる場合、ご自宅を経由することなくビニールハウスに向かうことは、田植えや稲刈りの時季を除けば、まずありません。ところが、この日に限っては農場へ直行。するとそこで八丁堀「てんぷら小野」2代目、志村幸一郎さんが、井上家の皆さんのために天麩羅を揚げるというではありませんかっ!!!

 諸状況の変化により、震災後は鶴岡を訪れる頻度がめっきり減っている庄イタではありますが、志村さんの天麩羅を井上農場で頂いた経験は、過去にもありました。

Inoue_tenpura2012.7.jpg【Photo】2011年7月。井上農場で催されたガーデン天ぷらパーティのひとこま。仙台から両親と共に参加した中学生を相手に、堪能な英語を駆使してHow to cook delicious TEMPRAの極意をレクチャーする「てんぷら小野」2代目志村幸一郎さん

 最初は2011年(平成23)7月末。同年3月の震災発生で混乱を極め、その年初めて鶴岡を訪れる契機を作って下さったのが、井上さんでした。井上農場に志村さんをお招きして催すガーデン天ぷらパーティに誘っていただいたのです。

 それは井上さんが実践してきた〝顔の見える関係作り〟のための農業生産者と都市生活者の交流を目的に2013年4月に完成した交流施設の建設に向けて動き出していた頃のこと。会場は現在16棟あるビニールハウスの一角に資材やトラクターを置いているスペース。そこで志村さんが天麩羅を揚げるという趣向でした。

  1-tenpura_inoue2011.jpg tenpura_inoue-iwagaki.jpg 

【Photo】2011年7月。井上農場で催されたガーデン天ぷらパーティ用に持参した岩ガキを身剥きするヤマガタサンダンデロの土田学シェフ(上左写真)。 今も思い出すだにヨダレがジワ~っと滲み出すのは、志村さんがサックリ&ジューシーに揚げたこの岩ガキの天ぷら((上右写真) 八丁堀「てんぷら小野」では、細やかな気遣いの行き届いた天ぷらコースを堪能できる(下右写真)

shimura-hachobori_ono.jpg  日盛りの熱気が残る中、サクサク揚げたての熱々に舌鼓を打ったのは、鶴岡に帰省中だった「ヤマガタサンダンデロ」土田学シェフが剥き身にした旬の岩ガキ、井上農場の圃場を流れる農業用水路で捕獲し、汁物としてもこの日登場した活ドジョウ、生命力漲る庄内の夏野菜などなど。

 かねがね井上さんから噂には聞いていた八丁堀のお店にもその後お邪魔し、対面式カウンター席で頂く志村さんの細やかな気遣いが行き届いた天麩羅コースを堪能した翌年夏。再びお声掛け頂いた井上さんには早々に参加表明をし、勇んで鶴岡へと赴きました。

 会場となった井上農場のライスセンターに揃った顔ぶれは、鯉川酒造の佐藤一良代表、青嵐舎の篠清久さん育さん夫妻〈拙稿:2010.10「豊穣なる山の恵み」参照〉、雑誌クロワッサンで2007年から翌年にかけて28回の庄内の食にまつわる連載を担当した編集者の斎藤理子さんら。ところが、その中に肝心の志村幸一郎さんの姿はありません。

tempra_fes2012inoue.jpg【Photo】2012年8月。井上農場のライスセンターで開催された2回目。会の趣旨は〝天ぷらまつり@井上農場supported by Tempra Ono〟だったはずが、よもやの熱中症の発症により2代目は不在。そこで「Oh,No!」と叫ばずとも済んだのは、ヤマガタサンダンデロ 土田シェフ、東京駅グランスタ Yudero191 小林シェフらが急遽登板したがゆえ

 ひとりいらした奥様の志村茜さん(上写真右から2人目)によれば、鶴岡を訪れる前日、あろうことかご主人が熱中症を発症。大事には至らなかったものの、2代目の天麩羅はお預けとなる想定外の展開となったのです。そこで強力なピンチヒッターとして土田シェフが再び登場。人間万事塞翁が馬。

1-tomato3.jpg【Photo】井上農場の夏は樹熟トマトの旬。中玉トマトの収穫を行う代表井上馨さん、奥様の悦さん、長女佳奈子さん(写真左より)

 その後リベンジを果たすべく、八丁堀のお店に2度ほど伺ったのですが、i庵銘田のお披露目会など、井上農場で志村さんの天麩羅を頂く機会には、都合が折り合わず参加できずにいました。そこに巡ってきた願ってもない機会。日帰りで仙台に戻る予定は即刻変更。急きょお仲間に加えて頂き、会場となる交流施設に一泊することにしました。

 一宿一飯の恩義をお返しするためにも、これまでも幾度となくViaggio al Mondo-あるもん探しの旅でご紹介してきた井上農場について、改めてご紹介しましょう。

 〝家族に食べさせたい安全な農作物〟を理念に掲げる井上さん。月山3合目に源流を発し、修験者が水垢離をする祓川が、京田川と呼び名が変わってもなお生活排水の影響を受けない上流域の養分豊富な雪解け水を農業用水として使用します。土作りのために鹿児島から取り寄せるのが、JAS有機認証基準に沿った抗生物質を不投与の発酵鶏糞や有機肥料。

1-oyako.jpg【Photo】庄内平野が黄金色に染まる秋。井上農場では新米の収穫に忙しい季節。井上馨さんを挟んで、長男貴利さんと奥様

 慣行栽培の1/4以下に使用を抑えた除草剤などの農薬を極力使用せず、サトウキビの糖蜜や自然由来の有機肥料を葉面に散布するなど、〝食べた人が幸せを感じる〟ための手間を惜しみません。安全でおいしい農産物の生産に取り組んできた井上さんは、2011年に農林水産大臣賞を授与され、同年の山形県ベストアグリ賞にも輝いています。

1-kakouhin.jpg【Photo】〝家族に食べさせたい〟をコンセプトに作られる井上農場のお米と農産加工品の一部(上写真)。樹上で完熟してから収穫するトマトは大玉・中玉・ミニトマト各種を栽培(下写真は凝縮した酸味と甘味のバランスがよい品種ハニーエンジェル)。旬の美味しさをそのまま密封したレトルトパックやドライトマトにも加工する

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 そうして丹精込めて育てられる井上農場のお米は、(コシヒカリの数値を基準とする食味計や味度計で足切りを行うため、受賞銘柄がコシヒカリに偏在する傾向が顕著なコメ食味コンクールが、お米の美味しさの絶対評価だとは微塵も思わないことを前置きした上で)これまで「お米日本一コンテストinしずおか」や「東京〝粋な〟ごはんグランプリ」などで数々の栄誉に浴しています。

 こうしたコンテスト受賞米の多くは、精米5キロで5,000円以上の価格設定がなされます。井上農場のお米と出合った2003年(平成15)以降、価格は変動せず、我が家の定番となった「はえぬき」や「ひとめぼれ」は5キロ2,500円、「つや姫」や「コシヒカリ」でも3,000円台。昨今の消費低迷とコメ余りのスパイラルにより、生産者米価が低迷しています。いかなる時代にあっても、命を支える食料を作る人と食べる人が互いに支え合い、ともに顔が見える信頼に裏打ちされた関係性に勝る絆はありません。

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【Photo】昨年8月半ば、お米を購入するため井上さん宅へ伺うと、「ハイ、お土産❤」と佳奈子さんからお米と一緒に手渡されたのが、イチゴ箱入り樹熟トマト3種てんこ盛り詰め合わせ。ミニトマト「ラブリー藍」、薄皮で食べやすい「ピンキー」、生食でも極めて美味なれど、加熱すると甘味が増すため、オリーブオイルや少量のニンニクとともにソースにもなる「シシリアンルージュ」。... いつもスミマセン(^0^;

 生産調整(減反)対策で植え付けを始めた飼料用米を含むお米と並ぶ井上農場の屋台骨を支えるのが園芸作物。鶴岡市への合併前、藤島町時代から町を挙げて特産化に取り組んだのが完熟トマトです。井上農場の「樹熟トマト」は、「たかくんの茶豆」名で出荷される枝豆と共に夏の主力となります。前編で触れた小松菜は1年を通して生産しますが、とりわけ肉厚&ジューシーで美味しく感じるのは、ハウスの外が白銀と化す真冬です。

 現在の親子2代による生産体制が固まったのは、庄内農業高校を卒業してすぐの長男・貴利さんが就農した2000年(平成12年)。教師を志すも先代が病に倒れたため、若くして家業を継いだ馨さんが受け継いだ3haの水田を12haに拡大。併せて遠赤外線乾燥機を備えたライスセンターを建設。順次拡大した耕作地は現在30haにまで広がっています。

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【Photo】収穫後すぐに湯むきした樹熟トマトにグラニュー糖と微量のレモン果汁を加え、素材の味を活かしたトマトジャム。8年前に鶴岡旬菓処「福田屋」の協力のもと加工品第一弾として製品化(旧パッケージ・左写真) 昨年から庄内町の鯉川酒造に醸造を委託している井上農場産の特別栽培米つや姫を全量使用した純米吟醸「別嬪(Beppin)うすにごり」(右写真)

 収穫したコメの乾燥には、摂氏60度以上の熱風を循環させるタイプがかつては一般的でした。安心で美味しい農産物を心がける井上さんは、太陽光に含まれる遠赤外線で天日乾燥に近いコメの変質を防ぐ摂氏30度前後で最適な水分量に調整する機能を備えた乾燥機を導入。耕作地の拡大に対応すべく、2011年には、収穫後も品質を損なうことなく玄米を貯蔵できる低温保管施設を建設しました。

 惜し気もなく大吟醸酒を使用する贅沢極まりない「醤油の実」〈2011.6拙稿「銀しゃりには醤油の実のみ」参照〉やトマトジャムなどの加工品は、自家消費と一部顧客向けに出していました。長女の佳奈子さんが家業を本格的に手伝うようになった最近では、チョコレートをコーティングしたつや姫のポン菓子、ドライトマト(⇒イタリアで言うところのPomodori Secchiポモドーリセッキ)、ドライ小松菜、トマトのレトルトパック、甘酒など、六次化による新境地も開拓。

i-an-tempra1.jpg【Photo】井上農場の未来を担う元気いっぱいの子どもたちが見つめる中、i庵銘田で仕事を始めたてんぷら小野の志村幸一郎さんは、国際会議など海外での活動歴が少なくない。いかなる状況下でも見事に仕事を成し遂げることを実証する之図 その1

 そして酒販免許を取得し、昨年から取り組んだのが、仕込みに井上農場産つや姫を使用し、鯉川酒造に醸造を委託した純米吟醸うすにごり別嬪(Beppin)。鯉川酒造には、「スローフードジャパン燗酒コンテスト2014」お値打ち燗酒・熱燗部門で最高金賞受賞に輝いたコストパフォーマンスの高い「純米別嬪」があります。

 蔵元が得意とするぬる燗から常温で旨味が際立たせるコンセプトはそのままに、麹米が山田錦、もろみとなる掛米は雪化粧で精米歩合65%の別嬪とは異なり、Beppinの仕込みには井上農場産つや姫を使用し、うす濁りに仕上げられています。精米歩合50%の吟醸酒ですが、ぬる燗でもイケるのは、大吟醸古酒をフルボディの赤ワインの代役に仕立ててしまう鯉川さんらしいところ。

i-an-tempra2.jpg【Photo】今年の春リニューアルした致道博物館の食事処「汁けっちぁーの」を任された海藤道子さん(写真右)らも途中参加。国際派のMr.Koichiro Shimuraは、いかなる状況下でも見事に仕事を成し遂げることを実証する之図 その2

 ふとした気まぐれで井上農場に立ち寄ったその日、井上馨さんのご好意で同席させて頂いた宴には、Beppinが2本一升瓶で用意されていました。そこにお腹を空かせて勢揃いしたのが、農場の将来を担う内孫6人。中でもこの日を指折り楽しみにしていたのが、年長のここみちゃんでした。

 2年前の春、諸事情により平日の昼に開催されたため、庄イタは参加できなかったi庵銘田のお披露目会に駆けつけた志村夫妻。井上農場の子どもたちに食べてもらう天ぷらを別皿に確保したはずが、参加メンバーの胃袋にいつの間にか収まっていました。

i-an-tempra3.jpg【Photo】すぐ目の前で志村さんが揚げた天ぷらを、勢揃いした井上家の内孫6人が一心不乱に口に運ぶ。この日をとりわけ楽しみにしていたのが、前編で悦さんの近くを離れずにいた頃が懐かしい年長のここみちゃん(写真中央)

 学校から帰宅し、天ぷらがないことを知ったここみちゃんの落胆した表情が忘れられず、別件で鶴岡を訪れることになっていた志村さんが、子どもたちにお腹いっぱい天ぷらを食べてもらうため、この日が実現したのだそう。

 そんな心優しい志村さんが、手際良く天ぷらを揚げる様子を歓声を上げながら興味深そうに見守る子どもたち。大家族ならではの賑やかな宴は、こうして始まりました。ビールで口を潤してからBeppinで乾杯。そうこうするうち次々と揚がってきたのが、志村夫妻が鶴岡で見立てたフキノトウ、タラノメ、アイコといった山の幸。さらには、フグ、スルメイカ、ホタテなどの海の幸。

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【Photo】志村さんがi庵銘田で揚げて下さった天麩羅。ほろ苦くも香味のすがすがしさが口いっぱいに広がるフキノトウ(左写真) タラノメと烏賊(右写真) 

 1本目のBeppinが結構な早さで空こうとする頃、井上家の台所から鍋ごと届いたのが、奥様の悦さんが作って下さった鶴岡の郷土料理「孟宗汁」でした。井上家の孟宗汁を頂くのは、この日が初めて。庄イタが狂喜したことは申すまでもありません。孟宗筍を口にしてこそ、初めて春の訪れを実感するのが庄内人たる所以。

 ザク切りやいちょう切りにした朝採りの孟宗、厚揚げ(庄内では「油揚げ」と呼ぶ)、生椎茸の基本具材3点は外さず、白味噌仕立てにする孟宗汁。豚肉・酒粕の有無など家庭ごとの味が存在します。浅田真央さん流に言えば、メンタリティにおいてイタリアと庄内のハーフハーフである庄イタ宅でも、10年以上作り続けている孟宗汁には、我が家の味が確立しています。 

1-DSCF5474.jpg montefalco-rosso.jpg

【Photo】悦さんが鍋ごと届けて下さった井上家の孟宗汁(右写真)悪魔祓いを意味するScacciadiavoliは、1884年創業のモンテファルコ最古参の醸造所。伝統の地ブドウ「Sagrantinoサグランティーノ」で造られるモンテファルコ・サグランティーノは、知る人ぞ知る高い熟成能力を秘めた逸品(左写真) この夜、偶然の巡りあわせで、お流れを頂く幸運に恵まれたモンテファルコ・ロッソ2012(右写真)

 庄イタにとって棚からボタ餅のご馳走は、志村さんの天麩羅、Beppin、そして井上家の孟宗汁だけではありません。Beppinの横には「Montefalco Rossoモンテファルコ・ロッソ」とエチケッタに記されたヴィーノ・ロッソが鎮座していたのです。産地はイタリア・ウンブリア州ペルージャ県の名醸地モンテファルコゆえ、出元の察しはついていましたが、作り手は初めて目にする日本未上陸の「Colle Mora コッレ・モッラ」。

montefalco-sagrantino.jpg【Photo】長期熟成能力を備えたウンブリアの地ブドウ品種サグランティーノ。「悪魔祓い」を意味するScacciadiavoliのモンテファルコ・サグランティーノ2004は、飲み頃を迎えるまでセラーで熟成中

 井上さんに確認した出元は、カゴの鳥状態の庄イタに「いつでも泊まりに来て」と言ってくれているペルージャ在住のKishieThomasPlacidi夫妻。それはプラチディ夫妻のもとを訪れた共通の知人Fさんに託された井上さんへのお土産でした。モンテファルコにある醸造所では最古参のスカッチャディアヴォリの旗艦Montefalco Sagrantinoモンテファルコ・サグランティーノ2004をトーマスからプレゼントされた経験を持つ庄イタには願ってもない1本です。


 こうして期せずしてイタリアの緑の心臓と呼ばれるウンブリア州にあって、「Torgianoトルジャーノ」と並び称される名醸地のヴィーノ・ロッソのお流れにもありつけるという、4つ目の棚ボタにまで預かった次第。Volere è potere.まさに意志あるところに道は開ける。もはやこの引きの強さを神通力と呼ばずして、何と解釈すればよいのでしょう。

1-DSCF5483-002.jpg いつの間にか志村さんは、長男貴利さんの末娘ひなちゃんを肩車をして、名だたる究極のパフォーマー軍団のステージで登場しても喝采を浴びそうな立ち姿で天ぷらを揚げています(笑)。

 念願がかなってお腹いっぱい天ぷらを食べることができたここみちゃん達が自宅に戻ってからは、悦さんや地区の会合から戻った貴利さんもi庵銘田に合流。互いに信頼を寄せる大人たちの語らいの時は、いつ果てるでもなく夜は更けてゆくのでした。

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井上農場
住:鶴岡市渡前字白山前14
交流施設・ライスセンター所在地:鶴岡市渡前字山道東91
Phone / Fax : 0235-64-2805 (9:00~18:00)
URL:http://www11.ocn.ne.jp/~inoue-fm/
e-mail: order@inoue.farm
i 庵銘田には冷蔵庫や調理設備が一通り揃う。折り畳み式のシングルベッドがあるので、庄イタが震災以降実践しているように車に積み込んだ寝袋があれば、難なく宿泊も可能。(事前に申し出れば貸布団の手配も可)日帰り入浴施設「やまぶし温泉ゆぽか」と庄イタも入浴回数券を持っている「ぽっぽの湯」は、それぞれ車で10分以内の距離。
 何より魅力的なのは立地。i庵銘田は圃場のど真ん中に建つため、夏には生命力に満ちたトマトや畑の野菜を食することが可能。「朝はパン食~♪」なんていう野暮はやめて、井上農場のご飯を食したい。安息日を除いて毎朝行われるスタッフミーティングが行われる現場で味わう食事と時間に、真の豊かさを見い出すはず。なお、宿泊代は馨さんへの心づけとして一升瓶を持参(←庄イタの場合)

てんぷら小野
住:東京都中央区八丁堀2-15-5 第5三神ビル3F
Phone:03-3552-4600  土日祝定休
営:月曜 17:30~21:00L.O.
  火曜~金曜 昼11:30~14:00L.O.  夜17:30~21:00L.O.
URL:http://tempura-ono.com/?lang=ja


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2015/03/26

気仙沼の味「あざら」

奇跡の巡り合わせにお互いビックリ。

もはや妖術使い。
これは呼び寄せられてしまいました (^0^; 。

 2月26日(木)、岩手県陸前高田市で、復興庁平成26年度「新しい東北」先導モデル事業「いのちと地域を守る新しい津波防災アクション『カケアガレ!日本』企画委員会」主催による津波避難訓練が行われました。

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 東北大学災害科学国際研究所、岩手日報社・河北新報社、電通グループが主体となった今回の訓練が実施されたのは、同市米崎地区に昨年夏にOPENした「イオンスーパーセンター陸前高田店」。

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【Photo】いのちと地域を守る実践的な津波避難訓練モデル構築を目指す「カケアガレ!日本」。同企画委員会が実施を呼びかけ、2月26日にイオンスーパーセンター陸前高田店で実施した訓練の模様

 Viaggio al Mondoでは、矮化(わいか)栽培による特徴的な樹形をした「米崎リンゴ」の産地として、拙稿「無機と有機のカタチ」〈2014.3〉で陸前高田市米崎地区を取り上げています。

 陸前高田の震災発生前の人口は2.4万人。そして震災関連死を含む犠牲者・行方不明者数は2,228名。市民のおよそ10人に1人が津波の犠牲となっています。

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【Photo】防災・減災ワークショップ「むすび塾」と「カケアガレ!日本」の連携例。2014年10月に宮崎日日新聞社との共催により、宮崎市木花保育園で実施した園児の避難訓練の模様

 津波被害が最も深刻だった宮城県内を皮切りに、昨年は福島県いわき市、今年は陸前高田で津波発生を想定した避難訓練を実施。岩手にもエリアを拡大しました。さらに被災地・東北発の防災・減災モデル構築のため、編集局の巡回ワークショップ「むすび塾」との連携で、釧路、宮崎、京都でも、東北大学災害科学国際研究所が監修する実践的防災学の見地に立った訓練を行っています。

kesenuma-merccato2014.7.jpg【Photo】屋上に避難した市民が、かろうじて難を逃れた気仙沼魚市場。壁面には、車と比較しても尋常ならざる高さであったことが一目瞭然な東日本大震災での津波高を示す青い表示が取り付けられた。その下に立つと、津波の恐ろしさを実感する(上写真) 味噌味・醤油味ともに2014年モンドセレクション金賞に輝いた無添加・手作りの網元逸品「ケイさんまつくだ煮(右下写真)

sanma-tsukuda-ni-kei.jpg  震災発生から4年の時が経過し、三陸沿岸では水産業を中心に沿岸部の浸水域で事業を再開する事業所が増えています。休業中に失った販路復活が思うに任せないのが、被災地の厳しい現状。たとえ居住地は高台に移転しても、豊かな海の恵みで生計を立てる上では、加工場は沿岸部で再建せねばなりません。

 そのため当初は、陸前高田に加工場を有する事業所に津波からの避難を想定した訓練実施を持ちかけました。しかし、避難訓練を独自に実施した直後であったり、秋鮭漁や養殖漁業の繁忙期と重なるため、折り合いが付かないまま時が経過しました。そこで不特定多数の人が利用する商業施設に切り替えて今回の実現に至った次第です。

 仙台から車で3時間近くを要して北上山地を越える経路が平坦ではないように、訓練実施に至るまでの道のりも、また平坦ではありませんでした。そのため事前調整のために陸前高田には幾度も足を運びました。

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【Photo】隣りにある「福よし」でも、村上健一名人が炭火で串焼きするプリップリの唐桑産を味わえる冬の三陸を代表する味覚マガキ。ケイの佃煮名人・菅原義子さんが、気仙沼大島産を用い、高級珍味として昨年から発売した「かき つくだ煮」

 一関市街地から旧大東町を経るR343は、途中で山深い笹ノ田峠を通過するため、できれば冬場は避けたいところ。そのため現在は南三陸町の手間まで開通している三陸自動車道経由か、ひと頃は護岸工事の、最近では嵩上げ工事の大型車両が行き交うR284(気仙沼街道)を経由することになります。

kei-maitake.jpg【Photo】つくだ煮名人の菅原義子さんは新境地開拓に意欲を燃やす。ド定番のサンマ以外で特にお薦めは、岩手・宮城内陸地震、東日本大震災と続いた大地震で被災した宮城県栗原町で菌床栽培された舞茸を、地元の無添加醤油で甘辛く煮付けた「舞茸つくだ煮」。旨いぞ~(^¬^)

 後者ふたつのルートは気仙沼を経由するため、この一年、気仙沼には仕事で何度か足を運んでいました。真似のできない美味しさのさんまつくだ煮に惚れ込み、自宅の在庫が無くなるごとに顔を出していたのが、魚町に仮事務所兼加工場を復旧させた製造元、(有)ケイです。〈拙稿:2011年6月「海の男は不屈だった」/ 同11月「復活宣言」〉

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【Photo】元・網元の菅原啓・義子ご夫妻が現在も暮らす気仙沼湾に面した3階建てRC構造の旧社屋兼住居の裏手にあるケイの仮事務所兼加工所

 「味噌味」「しょうゆ味」「同ごぼう入」の3種類が揃う看板商品さんまつくだ煮だけでなく、料理上手の代表・菅原義子さんの手にかかった舞茸の佃煮は、さんまつくだ煮に相通じる滋味に溢れたカラダが喜ぶ味わい。

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【Photo】味付けは信頼する地元の老舗の仙台味噌と醤油。保存料・化学調味料を用いず、安心して食べられる「手作り」を貫く。全壊した旧加工場の裏手に必要最低限の設備を揃えて復旧したケイの加工場では、地元のお母さんたちがパック詰め作業を行っていた

 昨年12月、魚町の事務所兼加工所にお伺いした時、気兼ねのないお付き合いをさせて頂いている奥様に、つい口を滑らせてこう言ってしまいました。「機会があれば料理名人の義子さんお手製の『あざら』を食べてみたい」と。

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【Photo】自然の造形美を生かした柾目の天然秋田杉が、水分を適度に吸収し、ご飯のおいしさが3割増となる庄イタ愛用の伝統工芸品「大館曲げわっぱ」2段重お弁当箱。おかず箱のさんまつくだ煮と共に、ケイの舞茸つくだ煮は、ご飯のトッピングとして頻繁に登場する(上写真)

 あざらとは、発酵が進んで少し酸味が加わった白菜漬と、冬場に旬を迎えるメヌケ(目抜)やキチジ(吉次)などの脂が乗った白身魚を味噌と酒粕で煮込んだ旧正月の頃に食される気仙沼の郷土料理です。

 気仙沼大島が外洋に面して横たわる波静かな天然の良港である気仙沼は、全就業者に占める水産業の割合が突出して多い土地柄。地名の語源がアイヌ語のケセ(=果ての)モイ(=入江)であるとする説があるように、アイヌの人々が、はるばる漁の拠点として訪れていたのでしょう。

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【Photo】階上(はしかみ)と松川の2店舗で営業を再開した気仙沼資本のスーパー「クリエみうら」で購入した「あざら」は、夕方には売り切れ必至の人気商品。超レアな気仙沼の地酒「鼎心(かなえ)」の肴に最高!!

 この地を治めていた葛西氏を攻略した伊達政宗は、旧唐丹村(とうにむら)までの現在の釜石市の一部と大船渡、陸前高田までを所領としました。旧伊達藩領でありながら、明治維新後に気仙沼が宮城県に編入されたのは1876年(明治9)。

 明治になっても、登米(とめ)県、桃生(ものう)県、石巻県、一関県、水沢県、磐井県と所属が6度にわたって変遷した挙句、現状の鞘に収まっています。

 地勢的にも宮城の最北東部の岩手県境に突き出した格好の気仙沼。北隣りの陸前高田や大船渡・住田町までを指す気仙地方という括(くく)りの方が、地元の方たちの意識の上では、しっくりくるのかもしれません。

 かかる事情から、気仙沼は伝統的にモンロー主義の土地柄。仙台であざらを知る人は、気仙沼出身の人を除けば、まず存在しないはず。かといって忘れられた存在かと言えば、そんなことは断じてありません。
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【Photo】自家製の白菜漬とメカジキのカマを味噌とたっぷりの酒粕で味付けした義母のお手製あざら

 今年の元旦、日帰りで気仙沼市本吉町にある家人の実家に里帰りした折、あざらが食卓に上がりました(右写真)。ピエモンテ州出身で仙台生まれ??(*'ω'*)の庄イタにとって、義母が手作りしたあざらを食するのはこの時が初めて。

 気仙沼街道沿いでは、気仙沼との県境を接する旧室根村(現一関市)の隣町、旧千厩町(せんまやちょう)出身の義母にとって、あざらは馴染みのある料理ではなかったようです。

 本吉に嫁いでから何度かあざらを食べたことがある程度という義母が、白菜の古漬とともに使ったのは、脂が乗った白身魚を用いるあざらのセオリーを踏まえたメカジキのカマ。昨年のメカジキ水揚げ高が2,373トンで日本一の気仙沼でなければ入手困難な希少部位です。嬉しいことに伏見男山の酒粕が相当に利いており、左党にはたまらない味付けでした。

 2013年(平成25)からは、複合商業施設「気仙沼さかなの駅」主催による「あざらグランプリ」が開催されています。これは、地元のお母さんたちが自慢のあざらを持ち寄り、実食した一般客の投票によりグランプリを選出するというもの。3年目の今年も事前エントリー制で13名が参加。グランプリの栄冠は、吟味した地元の素材を丹念に煮込んだ同市松崎猫渕の主婦白幡とし子さんが獲得しました。

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【Photo】まさに〝瓢箪から駒〟な成り行きにで某所でご馳走になった「ケイ」菅原義子さんお手製のムール貝・ホタテ・カキ・ウニなどの具だくさん海鮮おこわ、吉次あざら、カニ缶・ビンチョウマグロ缶あざら。そのココロは「念ずれば通ず」?? 神がかり的な顛末は文末で

 被災した市内階上(はしかみ)店を現地再開し、被害が大きかった松岩店は内陸部の松川地区に移転し、新たなスタートを切った地元資本のスーパー「クリエみうら」では、11月から5月の大型連休の頃まで、あざらを惣菜コーナーで扱っています。大鍋で仕込む100パックほどが連日売り切れてしまうほど、震災前から固定ファンが存在するのだといいます。

 それは同本郷のJA産直「菜果好(なかよし)」でも同様。こうした店舗の惣菜コーナーであざらを置くのは、白菜が収穫され、古漬が出回る冬場を挟んだ季節に限られます。

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【Photo】市や県などが出資する第三セクター「気仙沼産業センター」が運営する海鮮市場「海の市」(中央)は昨年7月に営業を再開。周辺の浸水域では嵩上げ工事が行われ、日々風景が変わっている(上写真) ある時は佃煮名人、またある時は水彩画家の顔を持つ菅原義子さん。一昨年、ご好意でお送り頂いたつくだ煮に添えられていたご挨拶状には、解体される前の第18共徳丸が描かれていた(下)

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 そろそろ今回の副題タイトルのタネ明かしをするとしましょう。翌朝9時に避難訓練がイオンスーパーセンター陸前高田店で実施される2月25日は、事前の打ち合わせと設営もあり、昼すぎに気仙沼入りしました。

 この日仙台から同僚が運転する車に庄イタと同乗した「カケアガレ!日本」企画委員会のメンバーで仙台勤務2年目のH氏が、被災後の気仙沼を訪れるのは2回目。昨年夏の施設再開の際、H氏の知人がリニューアルに関わったというシャークミュージアムが2Fに入居する「海の市」や魚市場、旧JR気仙沼線の嵩上げが進む南気仙沼駅周辺などを案内しました。

 新たな海の市は、1Fが物販スペースと飲食店。2Fは震災遺構として保存が検討されている気仙沼向洋高校や、嵩上げのため現在は撤去された大型漁船「第18共徳丸」〈拙稿:「第二十八共徳丸に思う」2014.7参照〉が鹿折に打ち上げられていた当時の姿が、3Dの記録映像で上映されています。

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【Photo】急遽立ち寄ったケイの仮事務所にあったのは、送り状の宛先に庄イタ宅の住所が記載され、発送される寸前の保冷BOX。(左写真) 「こんなこともあるのね~」と言いつつ作業場から出ていらした義子さん。発送する箱の中身だという、あざら2種類と炊き込みご飯をご馳走に(右写真)

 集合時刻の30分前に気仙沼市街を出れば陸前高田には到着するはず。自ら魚を下ろすという魚好きのH氏に、ケイのさんまつくだ煮をご紹介する時間がありそうでした。そこで急遽ケイを訪れると...。

 奥の加工場から出ていらした義子さんは私の姿を見て開口一番、「あらま、本人が来ちゃった」と目を丸くしています。聞けば、昨年末に私が何気なく言ったおねだりを覚えていて下さった義子さんが、2つの味付けであざらを作って、宅配便で発送するばかりのところに当の本人が集荷に伺った格好になった次第。

 ご自身の励みのため、昨年出品したモンドセレクションで金賞を受賞したさんまつくだ煮だけでなく、何を作っても美味しい義子さん。さては妖術の使い手かも(笑)。伺った3人揃って気仙沼ならではの具だくさんな海鮮炊き込みご飯とともに2種類のあざらを店頭でご馳走になってしまいました。

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【Photo】宅配業者を介することなくお預かりした保冷箱を帰宅後に開封すると・・・。店頭でご馳走になった海鮮おこわ、キチジあざら、カニ缶とビンチョウマグロ缶あざら、さんまつくだ煮、のり佃煮(左)。そしてご丁重な手書きメッセージカードが2枚(右)

 実を言うとケイに伺う前、Viaggio al Mondoで以前ご紹介した本格ネパール・インド料理の店「Yeti(イエティ)〈2012年9月拙稿参照〉でボリュームたっぷりのランチセットを食していました。そのため、この時は満腹度120%だったのですが、別腹を発動し、残さず美味しく頂きました。

 嬉しかったのは、お連れしたH氏が、海鮮おこわとあざらに添えられたさんまつくだ煮に感動。味噌味、醤油味を揃って買い求めてくれたこと。

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【Photo】「散歩をしていたら良い香りがするので立ち寄ってみました」と、突然現れた南果歩さんとツーショットの義子さんの写真と、それ以降リピーターとなった南さんとスタッフのお母さんたちの笑顔の写真が、ケイの店頭を飾る

 「K-Port」〈2012.9拙稿「想いをカタチに。」参照〉を憩いの場として気仙沼にプレゼントして下さった俳優・渡辺謙夫人の女優南果歩さんがそうだったように、食べれば違いがわかるケイのさんまつくだ煮。食べる人を思って無添加にこだわり続ける名人なればこそ出せる味のファンが、また一人こうして増えてくれました。

 店頭にあった保冷BOXは訓練を終えてからお預かりし、帰宅後に開封しました。中には義子さん手書きのご挨拶状がしたためてあり、感激しきり。時折香り立つ柚子がアクセントになって食べ飽きしない心のこもったPRICELESSなあざらの美味しさを5割増しにしてくれたのでした。

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網元逸品 さんまつくだ煮 (有)ケイ

・住:宮城県気仙沼市魚町2-5-17
・Phone :0226-22-0327  ・Fax :0226-22-3331
・Mail : sanmakei@yahoo.co.jp
・URL : http://www.k-macs.ne.jp/~choko-hs/
◎ さんまつくだ煮〈しょうゆ味・味噌味〉各450円(税別)
  ほか各種 全国地方発送


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2015/02/21

日本海寒鱈まつり2015@鶴岡〈前編〉

 年間を通して最も気温が低い季節の出口が遠くに見えてきた感がある今日この頃。寒の時季に庄イタが条件反射的に恋しくなるのが、薪火の香り漂うナポリピッツァと庄内の郷土料理「どんがら汁」。(⇒ 一体どんな組み合わせだよッ\(`-´) )

 鉛色の雲が低く垂れこめ、怒涛渦巻く厳しい表情を見せる冬の日本海。そんな季節、鶴岡・庄内観光物産館や酒田・海鮮市場といった物産施設や市中の鮮魚店の主役は、産卵期を迎えた真鱈(マダラ)。庄内浜では、小寒から節分までの寒入り時季が漁の最盛期となるマダラ。鮮度が高い釣り物には1万円前後の高値が付くことも。

Dongara-Zuppa-Kandara.jpg【Photo】寒の時期に揚がる真ダラの脂が乗った白身(胴・ドン)は勿論のこと、タヅ・タダミ(白子)、骨、目玉、エラといった内臓(ガラ)まで余すところなく使う豪快な庄内浜の郷土料理「どんがら汁(=寒鱈汁。略して鱈汁とも)」。〝たらふく〟の語源とされる旺盛な食欲でイカやカニなどを捕食し、ふんだんに栄養を蓄えたアブラワタ(肝臓)は、深い味わいを醸し出す文字通りのキモとなる(画像提供:鶴岡市食文化推進室)

 その地の多彩で奥深い魅力を知り、その奥義に精通した庄内系たらんと欲し、それを自任し、かくあるべしと自らに課し、ゆえに言葉に責任を持つ以上、日々の鍛練を怠っては、庄内系の名折れというもの。

kandara_Biglietto2015.jpg 東日本大震災の発生を受けて、被災地では復興・減災に関するさまざまな事案が同時並行的に展開しています。そのため、かつてのような頻度で彼の地を訪れることが出来ず、丹精込めた生命の糧をお世話になっている庄内の皆さんに不義理を重ねていることに忸怩たる思いでおりました。

 このままではイカン!!と一念発起したのが昨年末。年末のレポートでご報告した聖地・庄内訪問の折、自らを追い込む意味で、2010年1月に開催された「第22回日本海寒鱈まつり」以来、久しく参加していないこの催しの前売り券(右写真)を購入したのです。

 今年で27回目を迎えた鶴岡日本海寒鱈まつり開催にあわせ、5年ぶりとなるこの催しに参加した庄イタ。前編ではまつり前夜に投宿した湯田川での顛末を一席。

あの人もこの人も、あれもこれも、お久しぶりね~
1年ぶりの湯田川温泉。

 明治維新以降、多極分散型ではなく東京一極集中の国づくりを進めてきた日本。急速に進んだ経済のグローバル化は、産業の空洞化と地方の疲弊という負の側面をもたらしました。

 国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)は、文化の多様性保持と、関連産業が発展することで地域が活力を生み出すべく、自治体間連携を促進させる「創造都市ネットワークThe Creative Cities Network)」を2004年(平成16)に創設しました。

tri-jizou.jpg【Photo】湯田川温泉へと向かうR345湯田川街道沿いにある通称「飴舐め地蔵」。庄内地方では、路傍の地蔵にお手製の下げ飾りを奉納する習慣がある。口に飴を擦り込んで願掛けをすると願いが叶うという三体のお地蔵様。折からの地吹雪のため、口の周りではなく顔の半分が粉糖のような雪で覆われ、寒さに凍えていた

 エントリーは、文学、映画、音楽、工芸、デザイン、メディア・アート、食文化の7カテゴリーで強みを有する自治体による申告制。カテゴリーごとの専門家委員会による審査を通過すれば、「Creative City(創造都市)」として認定されます。

shomen-terme.jpg【Photo】優しい肌触りの豊富なお湯は源泉かけ流し。湯田川温泉「正面湯」

 昨年12月、かねてより産官学を挙げてGastronomy(ガストロノミー=食文化)分野での創造都市登録を目指してきた鶴岡市が、フロリアノーポリス(ブラジル)、順徳(中国)とともに日本国内では初となる認証を受けました。これで世界8都市が、ガストロノミー分野での認定都市となりました。

 2015年2月現在、7分野で全69都市が登録されている創造都市には、日本では以下の6都市が指定を受けています。名古屋・神戸(デザイン)、金沢(工芸)、札幌(メディア・アート)、浜松(音楽)、そして鶴岡(食文化)。

 新たに登録を目指す動きも顕在化しています。新潟市はコメを中心としたガストロノミー分野で登録を目指す一方、アジア初の国際ドキュメンタリー映画祭を'89年から開催してきた山形市は、映画部門で今年申請の予定です。

 一方で、ユネスコ世界遺産委員会が認証し、世界161カ国、1,007件が登録される「世界遺産(World Heritage)」は、富岡製糸工場や石見銀山などの例を見ても、知名度向上による波及効果が広く認識されています。かたや創造都市ネットワークは、そうした広がりを現状ではまだ持ち合わせていません。

cena-masuya-20150117.jpg【Photo】日本海寒鱈まつり前夜、湯田川温泉ますや旅館の夕食から。羽黒宿坊の精進料理「胡麻豆腐の餡かけ」、「ひろっこ(アサツキ)とエゴ(海藻の一種)の酢味噌和え」、「カラゲ(エイの干物からかい)の煮物」、「鮭の粕漬け焼物」、「田川カブ甘酢漬」、荒波が打ちつける岩場で浜の女性たちが手摘みする天然岩ノリをトッピングする味噌味の「どんがら汁」(下写真)ほか、冬ならではの庄内の味が並んだ

masuya-zuppa-dongara.jpg それでも人口流出と高齢化が進む地方都市にとって、交流人口の増加や新たな雇用確保などのプラス効果が期待されるこの取り組み。食文化創造都市への認定を受け、真価が問われる今後の展開に注目したいところです。

 東北各地を訪れてきた庄イタが、改めて申し上げたいのが、〝食〟を軸に俯瞰した山形県庄内地方は、極めて魅力溢れる地域であるということ。その概略は、拙稿「鶴岡のれん」〈2013.11〉でも歳時記的に述べたので、ここでは繰り返しません。

masuya-fujisawakabu-tempura.jpg【Photo】サクっと揚がった天麩羅の衣の中は、濃厚な生クリームのごとき白子。紅白の色合いや姿格好、すがすがしい余韻を残す辛味からして、すぐにそれと分かった藤沢カブ(上写真中央) 藤沢カブと庄内浜産天然寒ブリを大根おろしでみぞれ煮に。素材の素晴らしさもあり、氷見の寒ブリを使ったブリ大根に勝るとも劣らぬ旨さ。恐れ入りました(下写真)

fujisawakabu-mizore.jpg 鶴岡市域では、現在確認されているだけで50品目の在来作物が存在します(拙稿「どこかの畑の片すみで」〈2007.12〉参照)。北前船交易や山岳信仰を通して域外との歴史的な交流があり、そうした中で固有の文化が育まれ、表情豊かな四季折々の食材を取り入れた特徴ある伝統食が受け継がれてきました。そんな数ある中のひとつが、どんがら汁です。

 激しい吹雪に見舞われた月山道路や強風による地吹雪でR112の視界が遮られる中、1年ぶり以上となる湯田川温泉の定宿「ますや旅館」に着く頃には、風格と趣ある瓦屋根の共同浴場「正面湯」には明かりが灯っていました。

kiyoko-goto2015.jpg masatoshi-goto2015.jpg
【Photo】山の畑が深い根雪に覆われるこの季節。とりわけ貴重な藤沢カブを雪室から掘り出し、庄イタに分けて下さった後藤清子さん(左)と後藤勝利さん(右)ありがとうございます~(T_T)

 夕餉の食卓には、ひそかに期待していた女将特製のどんがら汁が。無論それは美味でしたが、望外の喜びだったのが、天然物ならではの上品な脂が乗った庄内浜産寒ブリと藤沢カブのみぞれ煮を食することができたこと。

 天ぷらでも供された藤沢カブは、宿泊前日に女将の中鉢泰子さんが、生産者の後藤勝利さんに「少しでいいから分けてもらえないか」と相談して届けてもらったと伺い、女将の心遣いに感激しきり。

fujisawa-kabu2015.1.jpg【Photo】11月に山の畑から掘り出し、泥つきのまま、雪室に保存しておいた藤沢カブ

 在来作物の研究に携わっている山形大学農学部の江頭宏昌准教授によれば、穀物が不作となりそうな天候不順の年でも、お盆時期に播種すれば秋に収穫可能なカブは、飢えをしのぐ越冬食としての意味合いがあったといいます。東北の中山間地に在来系のカブが多く存在するのは、先人の知恵でもあるのです。

 寒鱈まつり会場に向かう前に、後藤さんに一言お礼を申し上げたく、久方ぶりにご自宅に伺いました。すると後藤さんは、収穫したまま雪室に保存していた藤沢カブと、奥様の清子さんお手製の甘酢漬けをお土産に分けて下さいました。

 湿度100%の雪中で保存した藤沢カブは、みずみずしさを保ったまま細胞が凍らないよう化学変化を起こします。すると辛味に甘さが加わるのです。今は深い雪に覆われた山中の畑に採種のため残しているカブを掘り起こしに行かない限り、みずみずしい藤沢カブを手にすることはできません。

 頂戴した藤沢カブは、仙台に戻ってから浅漬けにしたほか、パクリ専門の闇リストランテ「Taverna Carlo(タベルナ・カルロ)」で、みぞれ煮ますや風にして食し、感激の余韻に浸ることができました。後藤さん、本当にありがとうございました。

 こうして久しくご無沙汰していた人たちとの再会を果たし、アツアツの寒鱈汁を頂く前から、ほっこりとココロ癒された湯田川を後にして、寒鱈まつりが開催される鶴岡銀座商店街を目指したのでした。to be continued.

日本海寒鱈まつり2015@鶴岡〈後編〉

「5年ぶりの寒鱈まつり」に続く。


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2011/10/23

和ナシのルーツのハナシ

利府で長十郎を指名買い
番外編・ナシの原木「ヤマナシ」の古木は300歳!?

itounashi_2.jpg【Photo】利府町加瀬の伊藤恒雄さん宅で指名買いした「長十郎」とお土産に頂いた「二十世紀」。郷土資料館向かいの公園にある日野藤吉が初めて利府で栽培を始めた「真鍮梨」の古木の赤く色付いた葉が華を添える
 
 直売所で試食した刹那、その味に魅了された長十郎を生産する梨栽培農家・伊藤恒雄さん宅を訪れ、長十郎を指名買いした日、気になる情報を郷土資料館で入手しました。前回述べたとおり、利府における梨栽培は先駆者となった日野藤吉以来127年の歴史があります。資料館で手にした利府町誌には利府町大町の板橋繁春さん宅に推定樹齢300年の古木があるという記述があったのです。

 リンゴの古木を訪ねてつがる市を訪れるなど《Link to backnumber》、果樹の古木には目がない(笑)私の好奇心がムクムクと頭をもたげる情報ではありませんか! ここは仙人のような古木とお目にかからなくては、とリサーチ開始です。

nashikoboku_1.jpg【Photo】利府町大町の板橋繁春さん宅の敷地内にある梨の古木。一説には樹齢300年ほどだという自生種のヤマナシ ※Photoクリックで拡大

 郷土資料館の裏手には「十符の里農産物直売所 ふれあい館」があり、そこに居合わせた事情通の男性客から、250軒ほどの梨生産農家があるという利府でも伊藤さんが五本の指に入る梨農家であること、味の決め手はどれだけ手間と愛情をかけるかであることなどを伺いました。ところが梨の古木について話が及ぶと、その方はおろか、直売所の職員兼生産者の方たちでも、町誌に記述されていた梨の古木については、一様にご存知ないのでした。


 資料館の方から頂いた地図を手に徒歩で訪れたのが、そこからすぐ近くの板橋重春さん宅。ご高齢の板橋さんは体調が優れず、玄関先で応対して下さったのですが、裏手の畑にその樹があるとのこと。お許しを頂き伺った畑の片隅で、古木は突然の訪問者の私を出迎えてくれました。
nashikoboku_2.jpg
 二階の屋根を越える10mあまりの高さで幹が切られた古木は、町が立てた標柱によれば、梨の原種「ヤマナシ」という品種。地表から斜めに生えた周囲3mほどの幹の根元には大きなウロがあり、そこから真上にくの字に折れ曲がって緑の葉を茂らせています。下から見た限りでは、実をつけているようには見えませんでした。

 現在の栽培品種のような食感ではなく、小粒で硬いため、今では食用とされなくなったこの梨。かつては「石子梨」と呼ばれたのだとか。晩秋の霜が降りる頃になって甘味が出るため、その昔は多くの実を結ぶ石子梨は食用にもされたようです。

【Photo】訪れる人もない古木の片わらに利府町が立てた標柱

 その豊産ぶりを示す原種梨に通じる梨の古木の姿は、果樹栽培が盛んな福島で見たことがあります。福島市置賜町の東北電力福島営業所前には2本の梨の古木があります。さまざまな花々が色彩豊かに咲き揃う福島市郊外の花見山を訪れた昨年の4月24日(土)夕刻、福島駅前にある「山女」で名物の円盤餃子を食べに行く途中、白い花を咲かせた梨の古木を目にしました。

nashi3_fukushima.jpg【Photo】清楚な白い花を愛でるには、皮肉なことに縦横に走る電線が玉にキズ。東北電力福島営業所(写真右)前にある梨の古木

 それは大正期まで酒造業を営んでいた加賀屋総本家別邸に植えられたという樹齢100年~150年と推測される2本の梨。社屋の前を通る吾妻通りの慢性的な渋滞解消のため、道路拡張に伴う移植計画が浮上したこともありますが、枯死のリスクを避けるため、梨を愛する地元の強い要望を受ける形で、移植が実行に移されることはありませんでした。

        nashi1_fukushima.jpg nashi2_fukushima.jpg
【Photo】地元の要望を受けて当初計画が変更となり、移植を免れた東北電力福島営業所の梨 ※Photoクリックで拡大

 溢れんばかりに花を咲かせた梨の樹は、中国唐代の詩人・白居易が長編漢詩「長恨歌」の一節で「梨花一枝春帯雨」と詠じた涙を流す楊貴妃の美しい姿を想起させました。遥か昔の故事に思いを馳せながら梨の花を愛でるのも結構ですが、やはり梨は美味しく食べてナンボ。

 放射線スクリーニング検査で安全性が担保されている福島産の梨生産農家の梨の作柄も利府梨同様に今年は良い出来だといいます。利府のように糖度の高い長十郎は栽培されていませんが、晩生の「新高」が間もなく旬を迎えます。寒暖差が大きく果樹栽培に適した福島盆地の梨も美味しいですよ。
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2011/08/28

ばんつぁん市 I'll be back.

まだ見ぬ憧れの君は年上の...
 @大崎市岩出山

karinto_okubo.jpg 仙台からR4を北上、県下で唯一の村となった大衡で枝分かれするR457を色麻・加美と進むと、旧岩出山町(現大崎市)となります。米沢から移った伊達政宗が仙台に居城を構える前、本拠地としていた岩出山は、落ち着いた城下町の面影を残します。一斗缶に入った「おおくぼのかりんとう」でも有名ですね。

【Photo】大久保製菓の定番かりんとう。ごま・黒ごろもの2種類が入ったこの一斗缶(2,100g)のほか、ビニール袋入り(400g)も。R47「あ・ら・伊達な道の駅」(大崎市池月)ほか、R457を町内に入り最初のT字路角にある店頭に一斗缶を山積みしている坪田菓子店などで取り扱う

door_k'santique.jpg【Photo】エッチングガラスのエレガントな文様が気に入って岩出山にあったころのK'sアンティークで購入した19世紀末英国製パイン材ドア。現在はキッチンの扉として納まっている ※click to enlarge

 5年ほど前、仙台市泉区に移転した庄イタご用達のアンティーク家具を扱うショップが、以前は岩出山にあったので、当時は毎月のようにルートとなるR457を通っていました。その頃からずぅ~っと気になっていた店と呼ぶには、いささか気が引けるような年季の入った建物が道沿いにあります。看板には「ばんつぁん市」とあり、毎週水曜・土曜のみ営業とだけ最初の頃は書かれていたように思います。しかしながら、そこが開いているところに出くわしたことは一度たりともありません。
 
 高齢化が進む農村だけに、閉鎖されたまま放置されているのかとも思い、岩出山町民のアンティークショップ・オーナーKさんにその店のことを尋ねると「すごいよあそこは」という返答が帰ってきました。どのようにスゴいのかはこの目で確かめたわけではないので、その言葉の意味するところは謎のまま。これまで宮城県の農業は、米作中心だったため、在来作物の宝庫・庄内のように地域性のある特徴的な産直施設に出くわしたことがないというのが偽らざる私の本音。

bantsuan_ichi.jpg 【Photo】土壁が落ち、和製アンティークのような佇まいを見せていた(?)かつての「ばんつぁん市」。R457(写真左)沿いに建つ

 お姉さんを指す庄内弁が店名となった「あねちゃの店」(鶴岡市羽黒町狩谷野目)も特色ある産直が居並ぶ庄内でも屈指の"濃い"店ですが、宮城県北の方言で、おばあさんを意味する「ばんつぁん市」は、決して負けていません。キュウリはキュウリ、ジャガイモはジャガイモと臆目もなく売っている没個性な産直には事欠かない宮城にあって、異彩を放つ強烈なインパクトがありすぎるネーミングではありませんか(笑)。古びた納屋を利用した素っ気ない店が気になりつつも、ついぞそこに足を踏み入れることはありませんでした。

 岩出山に足繁く通っていた当時から、よく立ち寄っていたのが色麻町R457沿いの自然食レストラン「Rice Field ライスフィールド」です。浦山利定さんが自然農法で育てるササニシキと自家製野菜や山の恵みを中心にしたオーガニック料理を頂くことができます。27日(土)、毎年これを食べないと夏の訪れを感じなくなくなった夏限定「トマトとナスの冷製スパゲッティ」を今季初めて堪能、土曜日で営業しているはずのばんつぁん市を目指しました。

ricefield_pomodorimeranzani.jpg ricefield_urayama.jpg【Photo】色麻町「Rice Field ライスフィールド」の夏季限定メニュー「トマトとナスの冷製スパゲッティ」は、ご覧の通り夏の陽射しをたっぷりと浴びた具材がてんこ盛り(800円・左写真)
気さくに常連客との会話に応じるオーナー浦山さん(右写真)は、フレンチの鉄人・坂井宏行シェフと見まごう風貌の持ち主。仙台市役所前の勾当台市民広場で毎月開催される「朝市夕市ネットワーク」定期市にも出店、自然栽培のコメなどを販売

sign_bantsuan.jpg ばんつぁん市に着いたのが13時すぎ。久々に訪れた店の前は道路が新たに整備され、立て看板が少し増えていました。変わらないのはこれまでと同様店を閉めていたこと。おかしいなぁ、と思いつつ、「毎週水・土曜日 午前6:00~午 :00 ちょこっと寄ってがいん!(=「ちょっと立ち寄っていって!」を意味する宮城県北の方言)」という看板に促されるように敷地の奥に建つお宅へと足を踏み入れました。

 窓が開かれた居間の網戸越しに聞こえてくるのは、楽しげな女性たちの声。声の感じからそれなりにお年を召された女性たちであろうことが窺えました。こちらから中に声を掛けると、網戸越しに振り向いたのは3人のおばあちゃん。御簾(すだれ)越しに会話する平安貴族のような(?)状況です。

 「恐れ入りますが、ばんつぁん市は今日お休みでしょうか?」
 
 網戸越しゆえ、紗がかかって表情まではよく見えませんが、一番奥にいらした方があっけらかんと答えて言うには
 
 「朝からやってたけど、もう今日は終わりました」

bantsuan_ichi2.jpg その言葉で私はおおよその事情を察しました。夜がまだ明けやらぬうちに農作業は始まります。朝6時から営業とだけ看板にある通り、売り切れ次第終了なのです。お三方は、ばんつぁん市を支えるメンバーなのでしょう。おばんつぁんたちは、午前中で生き甲斐でもある店を閉め、昼下がりの茶飲み話に花を咲かせていたのです。

【Photo】店の周囲が小ぎれいになり、縦看板が設置されたばんつぁん市 ※click to enlarge

 産直施設は全国にさまざまありますが、朝6時から始まり、午前中で終わってしまう店は、そうは無いでしょう。無駄足になったにもかかわらず、楽しげに談笑するおばんつぁんたちの様子に、私まで愉快になりました。あのパワフルさなら、またいつでも訪れることができるはず。日本軍の侵攻でコレヒドール島を撤退するマッカーサー、ないしはシュワルツェネッガー演じるターミネーターの心境に至ったのでした。

 「また出直します(≒ I shall return.ないしはI'll be back.)」そう言い残してそこを後にしました。冬ごもりに入る11月末までに、店の奥に談話スペースがあるのを目にしたあの店で、まだ見ぬおばんつぁんの君と逢瀬を果たすため、光源氏のようにいそいそと足を運ぶつもりです。

 いづれの御時にか、おばんつぁん、あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき庄内系にはあらぬが、すぐれてときめきたまふ。
Genji_emaki_TAKEKAWA_Large.jpg【Photo】ばんつぁん市には未到達ながら、御簾(みす)越しに繰り広げられた平安貴族の恋物語「源氏物語」さながらの状況を体験した夏の終わりの昼下がり... 

国宝「源氏物語絵巻」より「竹河」/ 徳川美術館所蔵


【注】女性を放っておかない典型的なイタリア男カサノヴァのようなプレイボーイの日本における代表格といえば光源氏(ローラースケートを履いていない方)。紫式部風に締めくくりましたが、庄イタは光源氏ほど女性の守備範囲は広くはなく、ましてや倒錯的な過熟女趣味はありません(爆)

************************************************************************
ばんつぁん市
住:大崎市岩出山下野目南原95
Phone:0229-72-3206
営:5月~11月 6:00~なくなり次第終了
水曜・土曜日
Pあり(普10台)
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2011/08/20

めっちゃこい鵜渡川原キュウリ

瓢箪(ヒョウタン)から胡瓜(キュウリ)な出合い
 @酒田市亀ヶ崎

 酒田市亀ヶ崎にあるフレンチレストラン「Nico(ニコ)」に昼の予約を入れた7月半ばのこと。そこは庄内浜をはじめとする豊富な地元の食材を積極的に使い、フランス料理のエッセンスを取り入れた郷土料理という、誰も成し得なかった独自の世界観を確立した故・佐藤久一の高い理想を皿の上に体現してみせた太田 政宏さんの次男・舟二さんが3年前に独立した店です。若きサラブレッドの店をこれまでに4回訪れていますが、この日は予約した時刻より若干早く着いたため、店の脇に車を停めました。

udogawara_niizeki.jpg【Photo】酒田市亀ヶ崎で新関 貴美子さんが栽培する鵜渡川原キュウリの畑(上写真)
8人の組合員が1シーズンに合計6tを出荷する鵜渡川原キュウリは、長さ5cm~10cm未満のうちに収穫する(下左写真) 採種用の目印を付けられた鵜渡川原キュウリ。熟して褐色に変化した表面に無数のひび割れが生じている。長さは15cmほど(下右写真)

 udogawara_4.jpg udogawara_3.jpg

 店の周辺には、脂身こそが豚肉の醍醐味と身をもって教えてくれるヘルシーなコメ育ち金華豚が購入できる「平田牧場本店」のほか、立ち寄り先が数軒あるため、「レストラン欅」が地階にある産業会館周辺と並んで酒田市中心部でも庄イタ出没率が高いエリアです。この時、密かに目論んでいたのが、訪れた時期が旬の真っ盛りを迎えていた亀ヶ崎地区在来のキュウリの畑を探すことでした。

udogawara_2.jpg【Photo】黄色い花の花床と子房部が肥大してキュウリの実を結ぶ。雨が多い年は収量が目減りするという

 車を停めた駐車場のすぐ隣りには、住宅地の一角に残る浮島のような耕作地がありました。灌漑設備を備えたビニールハウス数棟はさておき、私の関心を惹いたのは覆いを取り払って露地栽培されているキュウリと思しき4畝(うね)。ちょうど大人の背丈ほどに組まれた逆U字型の支柱をのぞいて見ると、うりざね型の小ぶりで色の淡いキュウリが実を付けていました。中には採種のため、目印を付けたまま取り置かれた長さ15cmほどの無数のひび割れが表面に生じた個体もあります。

 それはまさしくお目当ての「鵜渡川原(うどがわら)キュウリ」でした。予約時刻より早く到着しゆえの瓢箪から駒、瓢箪からキュウリな出合いです。3年前の「沖田ナス」〈Link to backnumber〉もそうでしたが、これも庄内で培った嗅覚のなせる神業。そこは1991年(平成3)に会員8名で発足した「ミセスみずほの会」のメンバーで、現在代表を務める新関 貴美子さんが所有する畑でした。ご子息の店で食事をしておいでだった太田さんにご挨拶ができたその日の翌日、再び立ち寄った畑で収穫作業中だった新関さんからお話を窺うことができたのは二重の幸運といえましょう。

kimiko_niizeki.jpg【Photo】庄内地方の女性が農作業の折に着用するハンコタンナ姿の新関 貴美子さん。今年からミセスみずほの会代表を務めている

 砂丘地帯を進むR112と幹線道路R7を結び、酒田市役所へと続く羽州浜街道に抜ける表通りに面して店が続く亀ヶ崎。今でこそ宅地化されたこの一帯は、1929年(昭和4)に酒田町に編入される以前は、飽海郡鵜渡川原村と呼ばれていました。最上川河口右岸のそこは、現在も河口域に群生が見られる葦原が広がり、その名が示す通り、水鳥が羽根を休める牧歌的な風景だったのでしょう。貴美子さんが新関家に嫁いで来た当時の亀ヶ崎は、まだ畑が一面に残っていたそうです。

udogawara_shukaku.jpg【Photo】収穫したばかりの鵜渡川原キュウリ

 鵜渡川原という旧地名は、江戸末期に京都伏見から北前船で庄内に伝播した素朴な風合いの土人形「鵜渡川原人形」に残ります。もうひとつが鵜渡川原キュウリ、ないしは隣町の大町でも作られていたゆえ「大町キュウリ」ともいわれた在来野菜です。舌を巻く名文をもってして郷土・庄内の食の魅力を綴った故・伊藤珍太郎の著書「改訂版 庄内の味」(S56・本の会刊)によれば、酒田に急速な宅地化の波が訪れた1973年(昭和48)当時、80歳以上の高齢者は、少なくとも江戸期から栽培されてきたこのキュウリを大町キュウリと呼んでいたのだといいます。

 よって、当時すでに畑が姿を消した大町こそが、シベリアから渡来した鵜渡川原キュウリの本拠地だったのだろうと伊藤珍太郎は記しています。畑で赤くなるほど熟れたものをキュウリもみにすると、淡白味と熟成味が渾然となった至上の味を体験できると語るこの通人が、民田ナス〈Link to backnumber〉と並ぶ夏の味としているのが、鵜渡川原キュウリです。経済発展がすべてに優先した高度成長の真っ只中だったその頃、伊藤珍太郎は次第に姿を消しつつあったこのキュウリの行く末を案じています。果たせるかな、現在このキュウリを栽培するのは作付けが減る一方だった1991年(平成3)に発足した「ミセスみずほの会」の8人だけとなりました。

mogamikyuuri.jpg 【Photo】今年7月上旬、袋詰めされて店頭に並ぶ鵜渡川原キュウリ(500g 300円 / 写真提供:みどりの里 山居館

 パキパキしたすがすがしい独特の食感がある一方で、生食では甘さよりほろ苦さが勝り、収量が上がらず、収穫翌日には黄変してしまうほど鮮度の落ちが早いという気難しい一面を持ち合わせた鵜渡川原キュウリ。ミセスみずほの会では、「めっちぇこきゅうり」の名称で商標登録をし、自家採種による栽培を行っています。めっちぇことは酒田の言葉で小さくてかわいらしいという意味。地元で愛されてきためっちぇこいキュウリへの愛着を感じさせる秀逸なネーミングですよね。

udogawara_asazuke.jpg【Photo】めっちぇこきゅうりで自作した浅漬。すがすがしい歯応えが秀逸

 鵜渡川原キュウリは、4月中旬に播種、6月上旬に定植し、下旬から翌月末までが収穫期。栽培から加工・出荷まで厳しい品質管理のもとで生産を行うミセスみずほの会では、500g入りの青果品として、また浅漬・辛子漬・ビール漬・粕漬に加え、最近ではピクルスへの商品化にも取り組んでいます。収穫する大きさは5~7cmほどに限定され、当然ながら規格外が少なからず生まれます。品質の劣化を避けるため、朝夕2回行われる収穫後は、すぐに出荷・加工へと回さなくてはなりません。

udogawara_kasuzuke.jpg
 
 今年で発足から20年を迎えた会のメンバーは、採算性だけでは決して語ることのできない故郷の味を守ろうと、決意を新たにしています。めっちぇこきゅうりは、酒田市内に10店舗を展開する「ト一屋」と「みどりの里 山居館」に加え、鶴岡市「つけもの処本長」では、山形大農学部教授を務め、在来野菜研究の先鞭をつけた故・青葉高が提唱した「酒田きゅうり」の名前で入手することができます。みどりの里 山居館には、市北部の西荒瀬地区でこの種を守ってきた齋藤 隆介さんが出荷する姿かたちが鵜渡川原キュウリとほぼ同一の「もがみきゅうり」も店頭に並びます。

【Photo】昨年12月、みどりの里 山居館で購入したミセスみずほの会メンバー池田けい子さんお手製の粕漬け。手間をかけた分、美味しさはまた格別(上写真) 現在では見られなくなった地這い栽培による鵜渡川原キュウリを収穫する農婦(下写真・「改訂版 庄内の味」より)

jiue_udogawara.jpg 最後に伊藤珍太郎が庄内の味で書き記した逸話をご紹介しておきましょう。その昔、鵜渡川原キュウリは、スイカやメロンのように支柱を立てず地面に直接ツタを這わせて栽培されていました。日照時間が長い夏の庄内にあって、ジリジリと焼け付く大地の生気をじかに吸い取るよう育てられていたのです。試みに支柱を与えて育てたところ、味は格段におちてあった(原文ママ)とあります。

 支柱を用いるトンネル栽培法は、技術が確立された1970年(昭和45)頃から導入されています。収穫時に中腰を強いられる地這い栽培から、作業性の向上がはかられて以降、もはや味の原型は幻となったのかもしれません。

 仮にそうだとしても、滅びる寸前だった特徴ある酒田の味はそうすることで守られたのです。昨年ご紹介した「外内島キュウリ〈Link to backnumber〉」と同様、特色あるこの長い歴史の生き証人と、それをを受け継ぐ人の思いに触れることができたことは、この夏の何より得がたい収穫だったと思っています。 

************************************************************************
ミセスみずほの会による
  めっちぇこキュウリの漬け方指南

 ◆その1/ 浅漬
    鵜渡川原キュウリ 500g 塩20g 砂糖50g
 ◆その2/ 辛子漬
    上記に 辛子20g 酒50ccを追加
 ◆その3/ ビール漬
    上記1 に ビール100ccを追加
 ◆その4/ 粕漬
    1 を水出しして水分を除き、砂糖と酒粕で漬け込む
   2~3週間後に一度酒粕を取り除き、再び砂糖と粕で漬けると約1ヵ月で完成

● ト一屋 URL: http://www.toichiya.co.jp/
● みどりの里 山居館 URL: http://www.sankyokan.jp/
● つけもの処 本長 URL: http://www.k-honcho.co.jp/
問合せ先:JA庄内みどり めっちぇこきゅうり部会
 Phone:0234-24-7511(酒田支店)
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2011/05/22

この樹なんの樹 実のなる樹

リンゴの里・津軽に
 日本最古の西洋リンゴ果樹を訪ねて

iwakisan_appleroad.jpg【photo】一面のリンゴ畑が見事なまでに広がる通称「アップルロード」から望む残雪の岩木山
 
 本州を北上した桜前線が、津軽海峡を渡って北海道へと渡る頃、岩木山の裾野は白い花をつけたリンゴの木々で覆いつくされます。日本で生産されるリンゴの半数近くは、津軽平野で作られています。5月半ば、残雪を頂く津軽富士を背景に、可憐な純白の花をつけたリンゴ畑が広がる光景は、北国に遅い春の訪れを告げる風物詩です。

ing_family.jpg【Photo】 4年間の弘前滞在中に弘前教会を創設、東奥義塾で英語や自然科学を教え、リンゴ栽培の普及にも尽力し「Johnny Appleseed」のニックネームで呼ばれたJohn Ing ジョン・イング(左)と家族(1875年)

 平安時代に中国から入ってきた在来の和リンゴは、盆飾りなど仏事に用いられる「リンキ」以外、ほとんど見かけなくなりました。現在栽培されているのは、明治以降に欧米から導入された西洋リンゴが主流です。その苗木は5年ほどで収穫が可能となり、樹齢30年ぐらいまでの成木が収穫適期。収量が落ちる老木となっても、手入れさえ怠らなければ50年は収穫ができますが、樹の寿命は80年がせいぜいだといいます。

 品種改良のサイクルが早まった近年では、20年で植え替えを行うこともあるそうです。にもかかわらず、樹齢130年を越えるリンゴにおける泉 重千代 【注】 のような日本最長寿の西洋リンゴがあるというので、訪れたのが青森県五所川原市に隣接するつがる市。2005年(平成17)の市町村合併前は、西津軽郡柏村と呼ばれていた同市柏桑野木田地区にある「津軽長寿園」で目指す古木は待っていてくれました。

entrance_chojyuen.jpg【photo】「津軽長寿園」は、JAつがる柏リンゴ貯蔵所のすぐ近く。いつの間にか居ついたという数十匹のネコがお出迎え

 殖産興業が国策とされた明治初期。海外からさまざまな野菜や果樹が日本へ輸入されます。栽培の適否や害虫の駆除法の研究などを通して、優れた種子を確保しようと全国各地で試験栽培が行われます。のちの東京農工大学の母体となる旧・内務省勧業寮で試作されたリンゴの苗木のうち3本が、初めて青森県にもたらされたのが1875年(明治8)。人類史上最長寿の122歳まで生きたフランス人女性ジャンヌ・ルイーズ・カルマンが生まれた年です。

 その年の暮れ、私立東奥義塾の創設者である菊池九郎が招聘したアメリカ人宣教師ジョン・イング(1840-1920) が、クリスマスのお祝いでリンゴを塾生ら招待客にご馳走し、これが青森の人々が初めて西洋リンゴの味を知った端緒だとされています。文献によって諸説あるものの、種を入手した九郎が、実弟の三郎に苗木を育てさせたと伝えられています。

tsugaru_chojyu1.jpg【photo】多くの見学者を迎え入れる津軽長寿園ゆえ、根の保護のための柵が設けられた3本のリンゴの古木は、2.5haの園内で育つ若木の中で圧倒的な存在感を示す

 津軽の農家で接木によるリンゴ栽培が始まったばかりの1878年(明治11)、古坂乙吉は菊池三郎から苗木を入手し、20アールほどの広さでリンゴを植え付けます。それから133年。現在は乙吉の曾孫にあたる古坂 徳夫さん(60)がリンゴの世話をしています。幾度かの病害虫の大発生や、大正・昭和・平成と時代が移ろう中で改良された品種へ植え替えが行われ、当時から残るリンゴは3本だけとなりました。

chyojyu_benishibori.jpg【photo】真紅に色付く実の形状から「玉簪(たまかんざし)」を略して「たまかん」とも呼ばれる北米カナダ原産の「紅絞」。導入当時、青森で栽培が推奨された明治7大品種のひとつ。北海道開拓使長官・黒田清隆によって、1871年(明治4)日本へ導入された ※ Photoクリックで拡大

 台湾をはじめとする環太平洋地域に輸出され、海外でも高級品として名声を得るに至った青森リンゴの黎明期から時代の変遷を見届けてきた古木は、現在も樹勢が衰えず、秋には3本あわせて60箱(20kg換算)分の収穫があるといいます。徳夫さんは、老人福祉施設に「長寿りんご」を毎年贈るなど、多大な貢献をしたとして2003年(平成11)に青森県りんご勲章を受章した兄・卓雄さんが4年前に急逝したため、(財)青森県りんご協会に技師として勤務しながら、リンゴの世話をしてきました。

chyojyu_iwai.jpg【photo】「祝」は「大中(だいなか)」の別名を持つ北米原産の青リンゴ。「紅絞」と同様に明治7大品種として普及。地方によってさまざまな呼称だったものを、大正天皇の成婚を祝って翌1900年(明治33)にこの名に統一されたPhotoクリックで拡大

  徳夫さんが職を退いた現在、奥様の俊子さんと朝に夕にと面倒を見るリンゴの古木は、「紅絞(べにしぼり)」2本、「(いわい)」1本。 高さ7m以上、幹の周囲3m、20m四方に太い枝を伸ばして若木を圧倒する存在感を示す3本の古木は、1960年(昭和35)に県指定文化財に登録されています。

fiore_benishibori.jpg【photo】春遅い津軽にも暖かな陽射しが降り注ぐ季節を迎えた5月初旬、133年もの歳月を経てなお膨らみ始めた赤い蕾。数年前の台風で折れてしまったという幹の傷跡が残る「紅絞」が、生命の逞しさ、力強さを物語る

 昨年の猛暑や春先の低温による成育の遅れによって、主力の「ふじ」を中心に開花数が今年は平年より少ないとのこと。宿命ともいえる病害虫との闘いや、厳しい冬の風雪を乗り越えてきた古木は、今から20年前、収穫を控えた津軽のリンゴをことごとく落果させ、倒木・枝折れなど空前の被害をリンゴ農家にもたらした平成3年台風19号の暴風にも耐え抜きました。人それぞれにさまざまな想いが去来する今年の春。再び花開いたリンゴは、訪れる人に静かな感動を呼び起こすことでしょう。

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津軽長寿園
 住 : 青森県つがる市柏桑野木田千年226
 Phone : 0173-25-2057

 【注釈】
 泉 重千代 (いずみしげちよ・1865-1986)・・・鹿児島県奄美群島徳之島生まれの元世界最長寿人物。ギネスブック 認定の120歳という年齢は今もって男性としては世界最長寿の記録。長寿世界一となって以降、インタビューで好きな女性のタイプを聞かれ、「年上の女性」と応じた天然系の秀逸なギャグは、南海の仙人と呼ばれたこの人を語る際に欠かせないエピソード

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2010/07/04

消えゆく山里の暮らし

幻の山里・長滝

nagataki_01.jpg 鶴岡の南西、田川地区にかつて長滝という小さな集落が存在しました。あえて過去形で語るのは集落に至る狭隘な山道が除雪されないため、冬は雪に閉ざされ往き来が困難となり、現在そこに暮らす人がないからです。住民はいないものの、荒れ果てた廃村というわけではなく、昭和50年代に集団で鶴岡の市街地に移住した人々が、かつて過ごした山での暮らしを懐かしむように、春から秋にかけて行う野良仕事のために通ってきます。

【photo】長滝へと向かう道すがら、地名の由来となった岩肌を流れ落ちる細長い滝が流れ込む谷あいの渓流沿いに建つお社

 摩耶山系の金峰山(きんぼうさん)・母狩山(ほかりさん)一帯は、かつてブナの原生林でしたが、木炭用に伐採が進み、植林された杉の二次林が今では多く見られるようになりました。それでも長滝に向かう道沿いのシダ類が生い茂った林は、原始の風景を連想させます。道沿いを流れる少連寺川の上流域の渓流が数段の長い滝のように流れる場所には小さなお社が祀られており、岩肌を流れ落ちる清冽な水とともに長滝という地名の由来と考えられます。清らかな気がみなぎるそのパワースポットを過ぎると、間もなく人の手が入った田畑の先にひっそりと佇む砂谷(いさごだに)長滝へと至ります。

nagataki_07.jpg 【photo】集落の入口に引かれた水をポリタンクに汲む子ども連れの家族

 住民の高齢化によって、地域としての機能保持ができなくなる限界集落は、日本各地に存在します。これは命の糧を生み出す農漁村をなおざりにしてきた我が国の当然の帰結です。国交省によれば住民の過半数を65歳以上の高齢者が占める限界集落は全国に7,878件あり、東北にはその一割が存在するといいます。

 暮らす人のない長滝は、もはや限界集落ではなく、廃村と呼ぶべきでしょうが、私がそこを久しぶりに訪れた今年の5月中旬、家の改築を行っている人と出会いました。長滝には鎮守の大鳥神社のほか、かつて人の暮らしがあった痕跡を残す家の苔むした土台だけが残る区画と、わずかに数軒の人家が残っています。庄内ナンバーの車で畑仕事の手伝いに来ていた小さな子ども連れの夫婦が、路肩に引かれた水を汲んでいる姿もありました。

nagataki_02.jpg 【photo】ご婦人に教えてもらった更地となった廃屋跡のスイセンが咲く水場に引かれた水は、口当たりの良い中硬水だったものの、飲むとすぐに喉が渇くので、沢水のようだった

 その水を味見しようと道端に停めていた仙台ナンバーの私の車を見て、「あら、仙台から来たの」と一人の女性が声をかけてきました。閉鎖的な山里では、ジロジロと排他的な視線を向けられることが時としてありますが、山形在任当時にも幾度となく体験したこうした敷居の低さは、北前船や出羽三山信仰で人の往来があった庄内地方ならではのことです。ひょっとすると庄内にシンパシーを持つ私が、庄内人と共通のオーラを発しているのかもしれません。60歳代とお見受けするその女性は、廃屋跡に引かれた水を指差して「こっちの水のほうが美味しいし、汲みやすいよ」と見ず知らずの私に教えてくれました。

nagataki_04.jpg【photo】1979年(昭和54)まで冬季間は分校としても使われた旧田川公民館長滝分館

 周囲の山からはキツツキが木を突く乾いた連続音や野鳥の歌声が聞こえてきます。かつて市立田川小学校冬季分校としても使われていた旧田川公民館長滝分館の前に咲く山桜に見とれていると、手前に建つ木造の建物の中から作業着姿のご夫妻が出てきました。今は空き地となった公民館の手前に建っていた家で暮らしていたというご夫妻。「サクラがきれいでしょ」と話しかけてきたお二人と軽く挨拶をして太いゼンマイを塩もみして日干しする作業のかたわら話を伺いました。

nagataki_06.jpg【photo】虫除けの網で覆われたその表情は読み取れないものの、おそらく飛びきりの笑顔でシイタケを差し出す奥様。初対面の私にかけて頂いたご厚意にもかかわらず、ご夫妻のお名前も聞かぬままお別れしてしまった

 かつて過ごした長滝の野良仕事が好きで、今も週末になると弁当を持参して日がな一日を過ごすこと。集落のはずれにとても美味しい湧水があること。かつての住民同士、今も助け合いながら田畑の仕事をしていること。私もよく利用する仙台北環状線の建設工事にご主人がかつて出稼ぎに行ったこと...。そこには「普請」という日本のムラ社会が持っていた相互扶助の精神がきちんと息付いているようでした。

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 庄内とは妙に水が合って頻繁に来ているんですよと語る私に「これ、持って行って」と採れたてのシイタケを二つ差し出す奥様に御礼を言ってお別れしました。今から30年以上前に途絶えた長滝での暮らしを懐かしんで足を運ぶこうした人たちのように、10年後、20年後にこの山里を耕す人がいるのだろうか?という疑念を打ち消しきれぬまま、長滝を後にしました。

【photo】耕作放棄地を少なからず目にした長滝への道すがら、山あいの田んぼでひとり黙々と仕事をする年老いた農夫の姿があった

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2010/05/05

お馬の親子

こどもの日生まれの寒立馬
  in 尻屋崎 @下北半島

shiriya_kandachi1.jpg 【photo】尻屋崎灯台へと向かう道すがら、のんびりと草をはむ寒立馬と出合える。こうした牧歌的な風景は北国に遅い春が訪れる4月末から雪の便りが届く11月までのみ。雪交じりの北西の寒風が吹き抜ける冬季は越冬用の牧草地に移動し、雪の下から下草を自力で掘り出さなくてはならない。これは群れのリーダー格に当たるメス馬たち

 本州最北東端の地で生まれたばかりの「寒立馬かんだちめ」の赤ちゃんと出合ってきました。寒立馬は駿馬の産地として平安時代より知られた南部地方で外国馬との交配から生まれた野放し馬と呼ばれた南部馬の田名部馬を祖とします。フランス・ブルターニュ原産の輓馬Breton ブルトン種と、厳冬期には氷点下40℃もの極寒の地で生きるモンゴル馬の血を引く小柄な馬は、粗食に耐えながらも持久力に優れ、かつては農耕馬や軍用馬として重用されました。

kandachime_2.jpg【photo】厳しい環境を生き抜くたくましさを感じさせる武骨なヒヅメと太い足。全体にがっしりした胴長短足体型の寒立馬。それぞれに飼い主がいる放牧馬であり、純粋な野生種ではない。農耕用・軍用ともに需要が多かった昭和10年ごろが荷役馬としての全盛期で150頭あまりが飼育されていた。食用でもあるこの馬を可愛らしいと見るか、美味しそうと見るかはアナタ次第
 
 農業機械の普及により、農耕馬としての需要が落ち込んだ高度成長期には、わずか9 頭にまで頭数を減らしたこともある寒立馬。行政が保護に乗り出した現在では成馬・仔馬あわせて30頭ほどが東通村尻屋崎周辺で古来より「四季置附(しきおきづけ)」と称する年間を通した放牧がなされています。2002年(平成14)に青森県の天然記念物に指定されて以降は観光資源にもなり、種馬となるオス以外の2歳になったオス馬は食用として出荷されています。

kandachime_3.jpg【photo】津軽海峡と太平洋に面した尻屋崎の海沿いが放牧地となっている。海に面したこの牧草地の南側に越冬放牧地のアタカがある

 寒立馬を管理する尻屋牧野組合の寺道 和廣 組合長の説明によれば、現在4つのグループに分かれて放牧が行われており、通年放牧されるのはメスと仔馬のみ。4月~12月は岬の牧草地を風向きや天候によって場所を移動しながら草をついばみます。寒さが最も厳しい1月~3月は、尻屋漁港北側のアタカ(画像はコチラという牧草地に集められて越冬します。氷点下10度を下回る吹雪の日には、避寒のために母親が仔馬を松林の中に入るよう促すのだといいます。厳しい本州最果ての地で冬を越せるように仔馬をある程度まで成長させるため、自然交配による出産シーズンが4月末から5月上旬となるよう、オスは一定期間群れから引き離されます。ゆえに私が訪れたこの日、オスはまだ群れの中にはまだ居ませんでした。今年は4月26日に初めて仔馬の誕生があったそうです。

shiriyasaki_todai.jpg【photo】本州最北東端にある尻屋崎灯台は東北地方初の様式灯台。1876年(明治9)年に建てられたレンガ造りとしては我が国最大の灯台。上にばかり気を取られていると足元にある寒立馬の落し物(写真手前)を踏みかねない。ご用心ご用心

 尻屋崎灯台へ続く道にはゲートが設けられ、朝7時にならないと車で中に入ることは出来ませんでした。私がそこに着いたのが早朝6時30分。奥の牧草地では5 頭の馬が思い思いに草をはんでいます。ゲートの脇に設けられたビジターセンター前に設けられたケージには、一組の黒毛の親子が寄り添っていました。居合わせた吉 幾三似の管理人・山本 光明さんの話によると、その仔馬は朝方5時40分に生まれたばかり。まだ足が震えている仔馬は、おぼつかない歩みで母馬のまわりを甘えるようにゆっくりと回っていました。母親のおっぱいを探すそぶりを見せますが、上手くゆかないため、母親が優しく後ろ足の付け根にある乳へと仔馬を促します。

kandachime_oyako.jpg【photo】生まれたばかりでやっと立ち上がった仔馬の体をなめる母馬に甘えるようにその周囲をゆっくりと回る仔馬

 群れを探しながら場所を移動すると、黒毛だけでなく淡い栗毛や白い毛の馬の姿も認められます。そこにいたのが、今年最初に生まれ、生後12日を迎えた黒毛の仔馬でした。先ほどの生まれたばかりの仔馬とは違って、おっぱいの吸い方も堂に入ったもの。よほどお腹が空くのでしょう、チューチューと音を立てながら母親のお腹の下に首をもぐりこませていました。そこに毎日バイクで馬たちの様子を見てまわるという自称・吉 幾三の兄こと管理人の山本さん(⇒別名:吉 幾二さん?)が登場、寺道 組合長と話し始めました。淡い栗毛の馬を指してサクラがどうした、若菜がどうしたなどと言っています。どうやら一頭ごとに名前がちゃんと付いているようです。

kandachime_4.jpg【photo】生後12日で体がひと回り大きくなっても、母馬のそばを離れようとしない仔馬

 春爛漫の桜を満喫した弘前城から風の岬ともいわれる竜飛崎へ、さらに下北半島まで青森を周遊した今年のGW。つがる市に残る日本最古とされるリンゴの木や、田舎館村にある弥生時代の水田跡から発見された家族の足跡がある垂柳遺跡など、かねてより訪れたかった地への訪問が叶いました。2年ぶりとなった弘前「ダ・サスィーノ」では、地方で食するイタリアンでは間違いなく頂点にある完成度の高いコース料理を堪能し、旅の終わりに優しい目をした寒立馬の親子に心和んだのでした。

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2010/02/07

小さい春見つけた 宮城県南ぶらり旅


あの(!!)ファンタジスタが食した鴨蕎麦
 @新楽食堂  遠刈田温泉

「♪ だれかさんが だれかさんが だれかさんが 見つけた」のは小さい秋ですが、私が見つけたのは小さい春、そして...。

bondy_2010.1.jpg【photo】村田町ボンディファームの畑。手前が梅の木

 立春を過ぎてもなお厳しい寒さが続きますが、1月31日(日)に見つけた小さい春は、ほころび始めたばかりの梅の花。それは定期的に自然栽培の野菜を自宅に届けてもらっている宮城県刈田郡村田町にあるボンディファームの畑でのこと。

bondy_2010.1-2.jpg【photo】時折吹く蔵王おろしの風はまだ冷たいものの、わずかに咲き始めた白加賀が春近しを告げる 

 宮城蔵王山麓の遠刈田温泉を目指して宮城県南を移動中、ふらっと立ち寄ったのが鹿股 国弘さんの畑です。少し寂しい冬の畑で、かすかな春の兆しを感じさせてくれたのは、昨年の夏、弘前からお呼びした「奇跡のリンゴ」の生産者、木村 秋則さんが参加者と車座になってその下で語らった梅の木です〈Link to back number〉。畑には20本ほどの白加賀という品種の梅があり、ほとんどはまだ小さな蕾のままでしたが、柔らかな日差しのもとで、小ぶりな白い花が2、3輪だけほころび始めていました。

moromiya_ume.jpg

 白加賀は梅干や梅酒に加工される代表的な青梅で、村田町にほど近い角田市では主力品種として農家が自家用に栽培してきた品種です。1974年(昭和49)から「みやぎ生協」各店舗で扱うようになり、角田は宮城県内きっての梅の産地として知られるようになりました。塩とシソだけで漬け込まれた角田の梅干は、酸味がしっかりと効いた昔ながらの味がします。

【photo】金沢・諸江屋の梅をかたどった落雁

 その名が示すとおり白加賀は加賀藩前田家とゆかりがあります。菅原道真の末裔を名乗った加賀前田家は「梅鉢」を家紋としました。今も古都金沢の伝統を受け継ぐ和菓子には、梅にちなむものがいくつか見受けられます。昨年の5月に訪れた金沢市野町の「諸江屋」は1849年(嘉永2)に創業した落雁(らくがん)の老舗。職人が精巧な文様を刻み込んだ木型を用いて一つずつ作られる落雁は、はんなりとした和三盆ならではの上品な甘さと柔らかな色合いが魅力です。

zao_minnano.jpg【photo】周辺の圃場整備事業にあわせて組織された農業生産法人「エコファーム蔵王㈱」が運営する蔵王町「産直市場みんな野」

 ボンディファームの畑を後にして遠刈田温泉を目指す途中で、蔵王町平沢にある「産直市場 みんな野」を覗いてみると、宮城県と友好姉妹県になっているイタリア・ローマ県特産の冬が旬の野菜Puntarellaプンタレッラの試食販売をしていました。アクと苦味が強い本場と比べて、しおらしく優しい味となる宮城のプンタレッラですが、蔵王町内では唯一の生産者だという東京から移住して昨年就農したばかりの田倉 剛さん(32)が手がけるプンタレッラは、葉先の苦味がきいており、メリハリのきいたイタリアものに近い感じがします。土の違いなのか、県内で最も栽培が盛んな丸森産とは同じ宮城県南でも一味違う印象を持ちました。

takeshi_takura.jpg【photo】店の奥で朝に収穫したプンタレッラの小分け作業にあたる田倉 剛さん

 プライベートでは数年ぶりの訪問となった遠刈田温泉は、神経痛・リュウマチに効能があるという硫酸塩泉のいで湯です。刺激的な熱めのお湯にはいまひとつ馴染めないので、最近は訪れていませんでした。正午を回ってちょうどお腹もいい塩梅。久々の訪問となった新楽食堂では、鴨そばを注文しました。ここの鴨蕎麦は幅の広い太麺が最大の特徴です。薄めのアイガモ肉とザク切りした自家製の白菜がたっぷり。鴨の旨味が滲み出した脂が浮いた出汁と太麺の絡みも良く、しつこさを全く感じさせません。

kamosoba_shinraku.jpg【photo】薄切りの鴨肉と白菜がふんだんに。店構えが変わる以前の美味だった頃の鴨蕎麦(945円)

 食後に改めて昭和レトロな風情が漂う店内を見渡すと、6年前に飲食店での使用が制限された有機リン系殺虫剤の「バポナ」が吊り下げられているものの、どうやら防除効果のある2-3ヶ月以内のものではなさそう(笑)。店主が大相撲好きなのか、相撲関連の古びた写真や、顔を見なくなって久しい地元TV局のアナウンサーのサイン色紙などが張り出された壁面の中の一枚の色紙に目が留まりました。そこにはITALIAN NATIONAL TEAM とあり、選手のイラストと数名のサインが記されていました。

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 仙台が日韓共催のFIFA サッカーワールドカップ2002 に出場したイタリア代表チームのキャンプ地となった8年前、イタリア代表 Azzurri アズーリのメンバー6人が仙台から40kmも離れた遠刈田にあるこの店を訪れていたようです。当時、自宅のすぐ近くにプレス関係者やサポート企業が滞在し、市民と交流する「カーサアズーリ」が開設されました。21日間の施設開設期間中、延べ2,000人の市民が招待され、徒歩8分の至近距離に住んでいる私もそこを訪れたり、街中で遭遇した世界最高のディフェンダーであるカンナヴァーロ(現ユヴェントス)やサイン嫌いで知られるネスタ(現ACミラン)に貴重なサインをもらったことが鮮明に思い起こされます。

【photo】コクのある出汁とよく絡んだ太麺の蕎麦(⇒2012年の再訪時には過去形となったことを確認)

pippo_shinraku.jpg 色紙の左下は今ひとつ調子の上がらなかったトッティ(ASローマ)を重用したトラパットーニ監督が先発から外した予選リーグ・メキシコ戦で、決勝リーグ進出をたぐり寄せる意地の同点ゴールを決めたアレッサンドロ・デル・ピエロ(現ユヴェントス)、右下はデルヴェッキオ(元ASローマ)。イラストで描かれた選手のユニフォームに9 が見えることから、明らかに当時の代表チームで9番を付けていたピッポの愛称で呼ばれるインザーギ(現ACミラン)です。日本でも女性ファンが多いイケメンのインザーギたちは、恐らく新楽食堂の看板メニューである鴨蕎麦を「Pizzoccheri con zuppa alla giapponese ピッツォッケリ・コン・ズッパ・アッラ・ジャッポネーゼ(=ニッポンのスープソバパスタ)」などと言いながら食したことでしょう。
shinraku_shokudo.jpg【photo】新楽食堂の壁でひときわ輝く2002年ワールドカップに出場したアズーリのサイン色紙(上写真)  建て替え前の新楽食堂(左写真)

 お店の方によれば、先日あのGACKTが店を訪れたのだとか。見かけによらずココは、世の東西を問わずビジュアル系男子が集う店なのカモ? そんな妄想を巡らしたのでした。

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(レトロな以前の姿(上写真)から一転、モダンな店構えに新装なった現在⇒)
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蔵王手打ちそば 新楽食堂
住:宮城県刈田郡蔵王町遠刈田温泉本町18
Phone:0224-34-2527
営:11:00-19:00 水定休

必読の2012.10月再訪レポートは下記セルフコメントにて...

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2009/10/18

彦太郎と栗太郎と

予期せぬ出会い@鳥海山麓

swans@houei.jpg【photo】 天候不順だった今年も実りの季節を迎えた10月中旬の庄内。稲刈りを終えて黄金色から茶褐色に装いを変えた田んぼで羽根を休め、落ち穂をついばむハクチョウたち。鶴岡市豊栄にて

 山々から雪の便りが届く季節を迎えた今月10日(土)、鳥海山の山頂付近が雪化粧し、今年の初冠雪が観測されました。ピーク時には一万羽を超えるハクチョウが飛来する日本一の越冬地、最上川河口の「最上川スワンパーク」には冬の使者ハクチョウも既にシベリアより飛来。稲刈りシーズンも終盤に差し掛かった庄内地方の圃場では、落ち穂をついばむハクチョウの姿が見られるようになりました。豊かな実りの季節を迎えた食の都ですが、背後からは冬の足音がひたひたと近づいているようです。

【photo】 空気が澄んだ鳥海山の山腹にあるパン工房「BAKU麦」

bakubaku_1.jpg 好天に恵まれた爽秋のとある土曜日の朝。かねがね行きたいと思っていた庄内最北の遊佐町にある一軒のパン屋を目指しました。その店「パン工房BAKU麦(ばくばく)」は、喧騒を遠く離れた日本海を望む鳥海山の山腹という、通りすがりの客などおよそ期待するべくもない場所にあります。

 地元の人から聞いた話では、女性が一人で自宅併設の店を切り盛りしており、営業日は月・水・土の週3日だけ。11時から14時過ぎまで次々と焼き上がるパンの仕込みから全てをこなす店主は、ほとんど店頭には姿を見せず、作業場から客に時たま呼び掛けるだけ。来店客はパンを自ら袋詰めして店頭の電卓で料金を計算し、代金を箱に入れて(釣り銭も箱から取る)店を後にするのだといいます。1996年(平成8)の開店以来、買い方を説明する張り紙だけで店番不在の店内には監視カメラなど設置されておらず、いわば客の良心が前提になっています。「庄内人は気立てが良いさげのぅ。」(モノローグ by 庄内系イタリア人)

bakubaku_4.jpg【photo】 素材にこだわるBAKU麦のパンは、いずれも良心的な値段。無添加ゆえ時間が経つと硬くなるが、温め直せば焼きたての香ばしい香りと味が楽しめる。その味が忘れられずにせっせと通いつめる常連客も多いという

 こんな店をローマやナポリで開いたなら、性根の良からぬ輩の餌食となって、あっという間に潰れてしまうことでしょう(笑)。日本広しといえども、こんなユニークなシステムで運営されているパン屋がほかにあるでしょうか? 無添加にこだわって作られる焼きたてパンの美味しさは、いまや口コミで庄内中に広がり、その辺鄙な立地(おっと失礼(^_^;))と極めて素っ気ない接客ぶり(→正確に言えば、接客はしていない...。)にも関わらず、開店前からお目当てのパンを求めて並ぶ常連客で結構繁盛しているのだといいます。ジモティではない私が行けるのは必然的に土曜日のワンチャンスなので、なかなか行けずにいた次第。

hikotaro_sekihi.jpg【photo】 引き寄せられるように前を通りかかった遊佐町富岡の皇大神社境内にある「彦太郎糯発祥の地」を示す石碑

 カーナビの目的地をBAKU麦に設定、遊佐町内の普段は通らない細い道を気の向くまま走り始めました。R345沿いの家並みに紛れそうな小さな神社を通り過ぎようとした際、左ハンドルの車窓から横目でちらっと見えた石碑の文字に「おやっ?」と思い、車を停めてバックさせました。皇大神社の境内に建つその石碑には「彦太郎糯発祥の地」と刻まれています。しかもその端正な字は、古代東北史研究の第一人者、東北大学名誉教授の高橋富雄先生の筆耕によるものでした。

 このような場所に由緒正しき石碑があろうとは。そこはかつて1924年(大正13)に地元の民間育種家であった常田彦吉が、当時、餅米の主力品種であった「山寺糯」の変異種を発見、4年の歳月をかけて育種し、屋号から名付けた「彦太郎糯(もち)」が誕生した地・富岡なのでした。

 彦太郎糯は、耐冷性に優れ、強い粘りとコクのある香り高い餅米として昭和初期から中期にかけて広く普及してゆきます。収量も多かったため、東北一円で栽培され、昭和30年代までは山形県内において作付けされる餅米のおよそ半数を占めていました。しかし1m50cmにも達する稲丈が災いして倒伏しやすく次第に圃場から姿を消してゆきました。一口に稲といっても、その丈は品種によってさまざまclicca qui。同じく庄内発祥の餅米で、古老が今もその極め付きの味を懐かしむ「女鶴(めづる)」が、機械化が進んだ高度成長期以降に姿を消していったのは、1mを超える稲丈と反収七俵という収量の少なさが災いしたからです。コンバインの改良が進む以前は、倒伏した稲を起こしながら機械刈りするのは大変な手間の掛かる作業でした。

vista_saitou_nojyo.jpg【photo】 標高150mの高台にある鳥海山麓 齋藤農場の眼前に広がる庄内平野最北端の風景。緑なす水田と黒みがかった深緑のクロマツ林の先にキラキラと輝く日本海。季節と時間帯によってさまざまに表情を変えるこの景色に齋藤さんご夫妻は魅せられたという(上写真) / 齋藤さんら若手農業者グループが立ち上げた有限責任事業組合「ままくぅ」で商品化した彦太郎糯と古代米の朝紫を加工した丸餅 / 1パック税込750円(下写真)

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 良質な鳥海山の水に恵まれた遊佐にあって、地元で生まれた彦太郎糯を人々の記憶から消し去ってはならないと考えた二人の若い農業者が、鶴岡にある県立農業総合研究センター農業生産技術試験場庄内支場が保存していた種籾500gを譲り受けて彦太郎糯の復活に向けて始動したのが2006年(平成18)のこと。その二人が「香り米」Link to backnumberでご紹介した伊藤 大介さんと、「スローフードフェスティバルin 庄内」Link to backnumberのパネリストとして登場した齋藤 武さんです。

saito_nojyo1.jpg【photo】 「彦太郎糯発祥の地」碑との遭遇直後、地元でも幻と化していたその餅米の復活を仕掛けた齋藤 武さんが農場主の齋藤農場が目の前に。不思議な巡り合わせでつながる出来事が珍しくない我がフランチャイズ、食の都庄内

 鳥海山の南斜面に広がる棚田の眼下にキラキラと輝く日本海を望む遊佐町白井新田藤井地区の標高150mほどの高台に、目指すパン工房BAKU麦はありました。女性店主がその日最後に焼き上げた2種類のパンを無事入手、店を出て車に戻ろうとふと右手に目をやりました。そして私の目はそこに立つ小さな看板に釘付けになりました。そこには「棚田の米屋 鳥海山麓 齋藤農場」と記されていたのです。彦太郎糯発祥の地の石碑に出合った足で、そのコメの復活に挑んだ人の農場たどり着くとは! 3月にスローフードフェスティバル会場でお会いして以来のご挨拶をしようと、BAKU麦のすぐ隣にある齋藤さん宅の番犬に吠えられながら家に声を掛けましたが、ご夫妻はお留守のようでした。

saito_nojyo2.jpg【photo】 鳥海山の傾斜地に入植した若き農場主、齋藤 武さん・万里子ご夫妻が「物語のあるコメ作り」をしようと始めた齋藤農場

 東京に生まれ東京農大を卒業した齋藤 武さんが、鶴岡の農家出身だったお父様に連れられて訪れた遊佐町の風景に魅せられ、「こんな場所で物語のあるコメ作りをしてみたい」と奥様を伴って未知の土地に入植したのが2001年(平成13)のこと。就農9年目を迎えた現在では、5.2haの水田で特別栽培農産物の基準を満たす減農薬無化学肥料栽培と無農薬無化学肥料で栽培するササニシキ・ひとめぼれ・コシヒカリといったうるち米、でわのもち・彦太郎糯の2種の餅米のほか、2004年に結成した有限責任事業組合「ままくぅ」のメンバーと希少な品種も育て、料理ごとに適したコメの多様性を提案しています。新たな家族が加わった齋藤さんご一家が登場するハインツ日本のWEBサイトの必見動画はコチラ(・・・サイト中「そして撒いた種と 出ない芽のことを」の画面中央に写る齋藤農場の右隣、桜の木があるのが「パン工房BAKU麦」 )

saito_fusai.jpg【photo】 人影のない藤井地区を移動中、万里子夫人(右)の運転するトラクターに曳かれた愛馬、栗太郎に乗って現れた齋藤 武さん(左)。またしても言霊現象がっ!!

 棚田の中を散策した後、鳥海山の水が奔流となって家々の中を流れる藤井地区を経て下界に戻ろうとしました。すると、棚田の中の道を馬に乗って歩む男性の姿が遠くから近寄ってきました。青いトラクターに先導された馬に乗るその男性には見覚えが。そう、その方こそ齋藤 武さんでした。命の源である水とコメを庄内に依存した私は、鳥海山頂の大物忌神社の神様を味方につけるのか、昨年10月に鶴岡市長沼温泉「ぽっぽの湯」で電話を差し上げた平田赤ねぎ生産組合の後藤 博さんが、たまたますぐ近くにおいでだったエピソードを以前ご披露したように、その地では心に描いた人や場所とバッタリ遭遇する言霊現象が時として起こります。

 奥様の万里子さんが運転するトラクターに引かれながら「馬を散歩させています」と語る齋藤さんが乗っていたのは、いずれ農耕馬として耕起(=田起こし)などの賦役に就かせるために飼っているという淡い栗毛の愛馬「栗太郎」でした。今回の掛け言葉なタイトルの意味がようやく判っタロウ?(笑)。自転車やスクーターに乗った飼い主と散歩する犬には見慣れていますが、犬よりはるかに大柄な馬を散歩させるとなると、スクーターごときでは全く釣り合いません。トラクターと農耕馬という組み合わせに妙に納得しながらも、今年で35歳になる齋藤さんのような若い農業者が農耕馬を飼っていることに、私は興味をそそられました。ひょっとして齋藤さんは近代文明と隔絶された環境で、伝統的な自給自足生活を送る庄内アーミッシュclicca qui かも? などというあらぬ妄想がよぎりましたが、文明の利器トラクターもお使いなので、どうやら違うようです。

takeshi_saito.jpg【photo】 農耕馬として役割を期待される栗太郎

 「人馬一体となって」という言い回しにあるとおり、かつて農耕馬は東北の農家にとって欠かすことのできない労働力でした。馬屋と人家が一体となった岩手県北の遠野周辺や南会津に見られる曲り家は、人と馬との関わりの深さを物語ります。

 そうして飼われた馬は、スマートなサラブレッドとは違い、日本在来の南部馬の血を引き、下北半島の尻屋崎周辺に年間通して放牧される半野生の寒立馬(かんだちめ)に代表される力強いがっしりとした体躯の馬たちでした。耕起・代掻き・田植えと大活躍した馬をいたわり、五穀豊穣を祈るために江戸期から始まった岩手の初夏の風物詩で国指定の無形文化財「チャグチャグ馬コ」も、そんな東北の農村風土が生んだ祭りです。ところが農業の機械化によって農耕馬が不要となった昨今、祭りに参加する馬の確保すら、ままならないのが実情だといいます。

 そうした祭礼用や輓曳(ばんえい)レースに出場させる目的ではなく、純粋に賦役目的で農耕馬を飼っているのは、少なくとも山形県内では自分だけだろうと齋藤さんは語ります。大学で畜耕について研究したという齋藤さんは、北海道和種馬(通称「道産子」)が働く北海道や岩手の農耕馬を飼育する農家のもとを訪ねたのだそうです。最新鋭技術が投入された農業機械とは違って、泥に足を取られながら一定の深さで曲がらずに進むことは、農耕馬にとって容易な作業ではありません。奥深い農耕馬と人との関わりに触れ、失われゆく農耕文化を絶やしてはならないと感じた齋藤さんが、栗太郎を飼い始めたのは、地元でもほとんど忘れられていた彦太郎糯の復活に取り組み始めた2006年からです。

 往年の名品種・彦太郎糯が誕生した地で、将来の農耕馬・栗太郎を育てる齋藤さんご一家。美しい眺望が開ける鳥海山の麓に暮らす家族が働く小さな農場から、これからどのような温故知新の物語が生まれるのでしょう。

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パン工房BAKU麦
住所:山形県飽海郡遊佐町白井新田字藤井北10-2
TEL:0234-72-3731
営:月・水・土曜日 11:00~18:00 ※売切れ次第終了

棚田の米屋 鳥海山麓 齋藤農場
住所:山形県飽海郡遊佐町白井新田字藤井北33-2
   (地番だけみると「BAKU麦」と離れていそうですが、隣合わせデス)
TEL&FAX:0234-71-2313
URL:http://www10.ocn.ne.jp/~f-saito/
Mail:f-saito@muse.ocn.ne.jp

追記
 今回のネタを仕込んでいた10月14日(水)付の日本経済新聞に掲載された「ぐるなび」の全面広告〈clicca qui〉に、刈り取ったばかりの稲穂を抱えるにこやかな齋藤さんご夫妻がドォーンと登場していて再びビックリ。これも言霊現象?? 
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2009/08/01

トロける夏の誘惑 庄内編

ババヘラ名人の妙技 @ 遊佐町

 4月から秋の行楽シーズンにかけて、秋田の幹線道路や夏祭りの会場には、カラフルなパラソルを立てた露店の即席ジェラテリアこと「ババヘラ」が登場します。インパクトのある直球なネーミングの効果か、秋田発祥のご当地アイス、ババヘラという名前をご存知の方が多いのでは?

sedici_rakan.jpg【photo】穏やかな表情を見せる夏の日本海とは対照的に、鳥海山の溶岩流が形成した荒々しい岩肌に16体の羅漢と6体の文殊・観音などの像が刻まれた遊佐町吹浦(ふくら)の「十六羅漢岩」。荒れ狂う冬の日本海で落命した漁師の供養に地元「海禅寺」の僧侶寛海が単身5年の歳月をかけて明治元年に完成させた

 グランブルーの海がキラキラと輝く日本海に面した遊佐町を梅雨の晴れ間に訪れた先日のこと。良水に恵まれた庄内でも一二を争う美味しい湧水、遊佐町女鹿(めが)にある「神泉(かみこ)の水」を汲みに訪れました。女鹿はR7を1kmあまり北上すると、旧跡「有耶無耶(うやむや)関址」で秋田県境に接する山形最北端に位置します。集落の中にある夏でもひんやりとしたこの湧水の、すぅーっとカラダに染み込んでくるシルクのように滑らかで柔らかい飲み口の良さは、この周辺にある他の美味しい湧水の中でも特筆すべきものです。

aqua_kamiko_pescatore.jpg aqua_kamiko_09.jpg【photo】地区の生活用水として欠かせない「神泉の水」は、体に吸い込まれる独特の柔らかい口当たり。飲み口の良さは、数ある鳥海山周辺の美味しい湧水のなかでも間違いなくトップクラス

 地区の皆さんが大切に使っているコンクリート製の水場は6つに区切られており、県の観光データベースによると、上流から順に、飲料水、米研ぎと冷却用、野菜と海草の洗浄、衣類の洗濯用、漁具農具の洗い場、おしめ洗いと、用途が定められているのだそう。下から二番目の水槽で水揚げした岩ガキをタワシで水洗いしていた漁師のご主人と言葉を交わしながら、不動像が祀られた湧水口からポリタンクに水を汲ませてもらいました。上から二番目の水槽は、出荷を控えた岩ガキの生簀として使われています。25ℓ 容量のポリタンク2個を車に積み込むと、昼食を予約していた酒田市のフレンチ「Nico ニコ」へと向かいました。昨年11月に同市亀ヶ崎にオープンしたこの店は、フランス風郷土料理の名店「欅」の太田政宏シェフのご子息、舟二さんが独立して構えた店です。片道30分はかかる道のりを急ごうと、集落の細い道を抜けてR7を南下し始めました。

babahera_aritigiana.jpg 間もなく海沿いの反対側車線にある広い路側帯に立つパラソルを発見しました。「あっ、ババヘラだっ!!」Nico の予約時間に遅れるわけにはゆきませんが、今シーズン初のババヘラを見過ごすのも野暮というもの。そこを100m ほど通り過ぎてからUターンしました。酒田市以北のR7沿いには、私が知っている限りでババヘラの出没スポットが数箇所あります。そこは秋田県境からおよそ2.5kmの地点でした。県内一円に営業網を張り巡らせた発祥の地・秋田県内はむろんのこと、県境を接する青森県津軽地方や、海水浴客が訪れる北庄内のR7沿いには、本拠地の秋田からババヘラが越境して来るのです。庄内でも最上川を越えた酒田市以南では、ババヘラをみかけたことはありません。

【photo】この日遭遇した若美冷菓は、ババヘラアイスの製造元としては今ひとつしっくり来ない社名(笑)。商標権を持つ進藤冷菓は「ババヘラアイス」と保冷容器に謳っているが、元祖を名乗る児玉冷菓は「ババさんアイス」と呼ぶ。"若美"だからという理由か(?)、店頭に"ババ"の表記は見当たらず、(イチゴとバナナの)「アイスクリーム」とだけ書いてある。果たしてそこに居たのは、ババヘラのレアな異種として知られる「ギャルヘラ」の若い女性ではなく、老練な秘技の使い手だった(上写真)

babahera_gialla1.jpg【photo】まずは黄色のバナナ味を盛る達人(左写真)

 ババヘラはその名の通り、酸いも甘いも知り尽くした年恰好のご婦人が、ほおかむり姿でパイプ椅子に座ってアイスを売る露店と、そこで売られるアイスを指す呼び名です。業者によって売り子さんの服装や商品の呼び名が異なるものの、ババヘラの保冷容器の中には、各業者とも黄色とピンク色のアイスが入っており、客の注文を受けたおババ様が金属製のヘラでコーンにアイスを盛り付けてくれます。氷菓子に分類されるババヘラは、アイスクリームより乳脂肪成分が少ないため、ジェラートとグラニータの中間のような食感です。

babahera_con_rosa2.jpg【photo】次に外周をヘラですくったピンクのイチゴ味を花弁状に付けてゆく(右写真)

 秋田県出身の同僚の目撃証言によれば、主に農家から売り子として召集されたおババ様たちは、販売道具一式とともにワゴン車で営業ポイントに連れて行かれ、40kgもあるアイス入り保冷容器をはじめとする商売道具を一人で組み立てて、日がな一日をそこで過ごして、日没前にお迎えの車で去ってゆくのだとか。 雨ニモ負ケズ 風ニモマケズ 夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲ持つおババ様。派手な呼び込みをするわけでもなく、道端でじっと客が訪れるのを待つその姿には頭が下がります。

babahera_rosa3.jpg【photo】テンポ良くリズムに乗ってヘラを操るババヘラ・マエストロは、すくった黄色とピンクのアイスで、コーンの上にあっという間にバラの花を形作った。これぞ"花咲かばさん"!?(左写真)

 私の直前に車で乗り付けた先客の求めに応じて盛り付けられてゆくアイスに私の目は釘付けになりました。そのおババ様は、噂に聞く秘技「バラ盛り」の使い手だったからです。バラ盛りとは、薔薇の花のようにアイスを盛り付ける難易度の高い技のこと。売り子さんによって、形の個性や技の優劣があり、一口にバラ盛りといっても形はさまざま。その変化形で「チューリップ盛り」なる流派も存在します。美しく盛り付けられるのは一握りの達人しか成し得ないといいいます。形から察するに、目に前で作っているのはチューリップではなく、バラの一種と思われました。私はこの日、ババヘラ歴4年目にしてバラ盛り初遭遇の幸運に預かったのです。わざわざUターンをしてまで戻った甲斐がありました。黄色はバナナ味、赤はイチゴ味とのことですが、味にはほとんど違いは無いような...v(^¬^;)

babahera_pront!.jpg【photo】名人作、可憐なバラの花を彷彿とさせるバラ盛りババヘラ

 年間を通して最も多くの観光客が秋田を訪れる竿灯祭りや大曲花火大会は、ババヘラにとっても書き入れ時。そのため大量のおババ様が動員されます。私が出会ったおババ様が所属する若美冷菓のほか、元祖を名乗る児玉冷菓やババヘラの登録商標権を持つ進藤冷菓などの各業者は、町内会単位のお祭りのスケジュールをあらかじめ調べておき、おババ様を計画的に派遣するのだといいます。おもに農家のお母さんやお婆さんの副業としての労働力に支えられているため、売り子さんが特定の場所を受け持つわけではありません。そのため、ババヘラとの遭遇には運も必要だといわれるのです。まして美しいバラ盛りやチューリップ盛りの使い手となれば、なおさらのこと。

 味の決め手となる生地の配合に凝るイタリアでは、花のように盛り付けられた形にこだわるGelati artigianali (=職人手作りのジェラート)に出合ったことはありません。バラ盛りマエストロの作ったババヘラは、"花の命は短くて"の例え通り、すぐに食べてしまいました。次回はいかなるArtigianale(=職人気質)と技量を持ったおババ様との出会いが待っているのか、楽しみになりました。

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2008/10/18

「鳴子の米プロジェクト」稲刈り交流会【前編】

作り手と食べ手を結ぶ収穫の喜び

 10月4日(土)、宮城県大崎市の鳴子温泉一帯の中山間地域で、新たな米作りのあり方を模索する「鳴子の米プロジェクト」の稲刈り交流会が行われました。稲刈りが行われたのは、鳴子の温泉街から車でおよそ30分かかる鬼首(おにこうべ)地区でも更に15分ほど栗駒の山あいに分け入った最深部にある岩入(がにゅう)地区の後藤 錦信(かねのぶ)さんの田んぼです。今回の稲刈り交流会は、鳴子の米プロジェクトで作られる今年度産の「ゆきむすび」を予約している人に対して案内されました。交流会が行われる田んぼを所有する後藤さんには「宮城・オニコウベやさしい木道(こみち)づくりキャンペーン」実行委メンバーとしてお世話になっています。5月の田植え交流会には参加できなかったものの、一も二もなく家族で参加を申し込みました。

2008.6.11ganyuu.jpg【photo】 後藤さんのお宅の前に広がる「ゆきむすび」の水田。栗駒山系の山々に囲まれた岩入地区の僅かな平場に水田が開墾されている。田植え後間もない6月(上)と収穫を控えた10月(下)の模様

  2008.10.11ganyuu.jpg 栗駒山系の荒雄岳山麓のブナ林の雪解け水が集まって、やがて一級河川「江合川」となる上流域「荒雄川」の清冽な水が流れ込む後藤さんの水田には、田植え後間もない6月11日に一度訪れていました。作付けされたばかりの早苗の間をおたまじゃくしが泳ぎ、カワトンボがヒラヒラと優雅に舞う光景に見とれたものです。その3日後にすぐ目と鼻の先を震源とする「岩手・宮城内陸地震」が発生し、岩入地区の水田では、畦が崩れたり、地割れで水が抜けるなどの被害が発生しました。8月の日照不足の影響で全国で唯一、米の作柄指数が「やや不良」だった宮城県でも、ひときわ耕作条件が厳しい山間地の鬼首の稲作農家にとって、災害を乗り越えて収穫の時を迎えたこの日は例年にも増して喜びもひとしおだったはずです。

2008.06.11kawatombow.jpg【photo】 後藤さんの田んぼの畦に咲くシロツメクサに舞い降りたカワトンボ

 集合予定時刻の午前10時30分に後藤さんの田んぼに集った一行。その顔ぶれは、私を含めて今年収穫される鳴子の米こと、ゆきむすびを予約している仙台や秋田・神奈川、遠くは山口・佐賀などから参加した面々。受け入れ側はプロジェクトに参加している鬼首地区の数軒の稲作農家と大崎市鳴子総合支所などの交流会実行委メンバーら総勢70名ほど。ウチのように子連れで参加した家族と宮城大学 食産業学部や宮城県農業実践大学校に在籍する学生など、昨年より若い世代の参加者が増えたことを実行委の方たちは喜んでいました。

 鳴子の米プロジェクトは、国が農家から買い取るコメの価格を指す生産者米価の下落が続く中で採算割れに陥り、生産意欲を失っている米作農家を消費者が事前予約制による適正価格で直接買い支えようという試みです。この挑戦は、農業の担い手の高齢化と後継者難、離農により増加する耕作放棄地と限界集落など、閉塞状況にある中山間地域に活路を見出そうという民俗研究家の結城 登美雄氏の提唱で始まりました。農家が安心してコメ作りを続けられるよう設定された購入希望者が支払う1俵(60kg)当たり2万4千円(玄米5kg 2,000円・白米同 2,100円)という対価は、農家の手取額として採算ラインの1万8千円を確保するための2008.6.11ganyuu2.jpgものです。5年間維持されるその価格の一部は、次世代を担う若者を鳴子地域に受け入れるための社会基盤整備に充てられます。

【photo】宮城内陸の最北部にある鬼首でも、秋田県境に近い最も奥部にあたる岩入地区。わずかに開けた平場の田んぼでコメ作りに希望を見出そうという試み「鳴子の米プロジェクト」が行われている

 山間地特有の寒冷な気候ゆえ、いかなる品種を試み、どんなに頑張っても美味しい米は出来ないと2年前までは言われてきた鬼首地区。実際に足をそこに運んでみると、山々に抱(いだ)かれた狭小な平場に水田が築かれていることが判ります。プロジェクト初年度から参画した「生産者の会」代表の曽根 清さんは「自分たちはこんなに美しい風景の中でコメ作りをしている」と語ります。清らかな荒雄川と青い山並み、丹念に手入れがされた田んぼが織り成す風景は、確かに美しいものです。しかし、そこには過酷な条件下で何世代にも渡って営々と続けられてきたコメ作りの労苦があったはずです。私にとって鬼首は、このような奥地でも米作りをしている人々がいることを忘れてはならないのだ、と胸に刻ませる場所となりました。
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【photo】 稲刈り交流会の冒頭、挨拶に立つプロジェクト会議代表 上野 健夫さん

 「ササニシキ」「ひとめぼれ」を生んだ宮城県古川農業試験場で、収穫が早く耐病性・耐冷性と食味に秀でた品種として2001年(平成13)に開発されながら、当初は奨励品種として認められていなかった低アミロース米「東北181号」。2006年(平成18)、この寒冷地に適した新品種を試験的に作付けしたことから物語は始まりました。地域慣行の半分までに使用する農薬を抑え、収穫後は棒がけによる天日干しで乾燥させるという取り決めのもと、鬼首地区の上流域から順に岩入集落の曽根 清さん、寒湯(ぬるゆ)集落の高橋繁俊さん、中川原集落の高橋正幸さんの3人が、10アールの水田に東北181号の苗を植えつけました。

 プロジェクトのプロデューサーとなった結城氏の意向もあり、地元の旅館関係者や購入希望者を招き、田植えや稲刈り時に生産者との交流会を実施しています。安全で美味しい米作りを続けようという作り手が、食べ手と共に手をたずさえて日本人の食を支えようとしているのです。昨年「ゆきむすび」と命名されたこのコメは、命をつなぐ米作りを人任せにしないという決意のもと、3年目を迎えた今年、35軒の農家が10ヘクタールの水田でゆきむびの栽培に挑戦しました。新たな人の輪を広げている鳴子の米プロジェクトは、今や全国から注目を集めています。今週末の19日(日)、NHK仙台放送局が鳴子の米プロジェクトをモデルに製作されたドラマお米のなみだ」が16:45から全国放映されます。この日も各メディアが交流会の取材のために訪れていました。

2008.10.11.sigsone.jpg【photo】 鎌の使い方を指南する曽根 清さん

 薄曇りの空模様が少し怪しくなってきたかと思う間もなく、にわか雨が降り出しました。大きなビニールシートで急場のテントをしつらえて、しばし雨宿り。四方を山に囲まれたそこは、変わりやすい山の天気なのでした。雨が小降りになったところでプロジェクトの世話役、大崎市鳴子総合支所の安部 祐輝さんの進行のもと、今年から鳴子の米プロジェクト会議の代表を務めている上野 健夫さんがご挨拶されました。そこで報告されたのが、従来は事務局を大崎市に置いていた鳴子の米プロジェクトが、10月1日にNPO法人として登録されたということ。今後は参加メンバーによる自主運営の道を探ってゆくのだそう。初年度から作付けをした3軒のうちの一人で前代表の曽根 清さんから鎌の扱いについて説明を受け、いよいよ稲刈りのスタートです。手刈りによる稲刈りは、私のホームグラウンド、鶴岡市を一望する櫛引地区の高台「たらのき代(だい)」で絵本作家の土田 義晴氏が10年来続けている「あーあー森 田んぼのお絵かき」で3年前の10月にやって以来。それでも体が覚えているのか、自分では手際良く刈れているつもりです。学校の実習で稲刈り体験をしたばかりの5年生の娘は、慣れた手つきで稲を刈ってゆきます。

2008.10.11inekari.jpg【photo】 頭を垂れたゆきむすびの稲穂を夢中になって刈り進むうち、およそ4アールの田んぼの稲刈りは、心をひとつにした参加者の働きによって驚くほどのスピードではかどった

 鎌での稲刈りよりも難しいのは、刈った稲穂を束にして藁で結わえる作業。こればかりはなかなか上手く出来ないので、専ら"刈る人"に徹しました。70名もの人海戦術によって予定された区画の稲刈りは順調に進み、予定より早めに終了しました。最初は一生懸命に鎌を使って稲を刈っていた小さな子どもたちは、途中から虫かごを手にカエル採りに夢中です。カエルが生育できる減農薬栽培による環境下にある後藤さんの田んぼの土は、水を抜いてしばらく経つものの柔らかく健全なものでした。刈り取った稲は、垂直に立てた高さ2mほどの棒を芯にして、通気性を確保するため螺旋状に積み上げてミノムシのような形状に仕上げます。これは旧伊達藩の内陸部で盛んだった「棒がけ」と呼ばれる天日干しの方法です。2008.10.11bougake.jpgおよそ1ヶ月間、こうして自然乾燥させることでコメの味が違ってきます。作業の最後に安部さんの呼びかけで、参加者全員で落穂拾いをして、最後の一本まで無駄にすることなく大切な稲を棒がけにしました。

【photo】 棒掛けによる自然乾燥は、鳴子の米プロジェクトに参加する農家全てが行う作業だ

 「この場所は稲を刈らずにそのままにしておいて下さい」との実行委からの指示で、田んぼの中に手付かずの一角が残されていました。そこには、鳴子の米プロジェクトと稲刈り交流会の実行委員のメンバーが、この日参加した人たちに伝えたい大切なメッセージが込められていたのです。
 それは次回【後編】「小昼(こびる)で頂く農家の味」にてご紹介します。

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2008/09/06

瓢箪(ひょうたん)から沖田ナス

置賜の沖田さんのナスは庄内・沖田で沖田ナスとなった

 何故かナスに関する"あるもん探し"が多かった今年の夏。民田ナス萬吉ナスと続いた庄内在来丸ナス3部作(?)の最後は「沖田(おきた)ナス」の登場です。紛らわしいタイトルを付けてしまいましたが、瓢箪からナスが生る奇跡の突然変異がおきたナスの話ではありません(笑)。ややこしい副題の意味は、やがてお解かりいただけますので、しばしお付き合いのほど。

chikeiken_natsu_asa.jpg【photo】フウセンカズラが夏の陽射しを和らげる。喧騒と隔絶された「知憩軒」の朝

 イタリア人と結婚したペルージャで暮らす友人のお祝い食事会が催され、鶴岡市西荒屋の農家民宿兼レストラン知憩軒で一泊した翌7月21日。海の日にふさわしいギラギラとした真夏の太陽が顔を出し、早々に目が覚めました。柔らかな肌触りで全身を優しく包み込んでくれる名湯で朝風呂を浴びようと、朝一番で湯田川温泉に向かいました。いつにない早朝に訪問した馴染みの庄イタに、いつもの柔和な笑顔で「ウチで朝ごはんを食べていったら」と声を掛けて下さったのは、旅館「ますや」の大女将・忠鉢泰子さん。

 なれど知憩軒では朝食の準備ができているはず。せっかくの女将のご好意でしたが、後ろ髪を引かれながら、ますやを辞去したのでした。そうして頂いたのが、知憩軒の朝採り野菜中心の朝ごはん。それは、あわただしい日々を送る中で蓄積する体内毒素をさらりと洗い流してくれます。フウセンカズラが這う窓からは、風鈴の音と共にすがすがしい朝の新鮮な風がすだれ越しに入ってきます。いつも"足るを知るとはかくありなん"と教えてくれる朝食。

chikeiken_asagohan.jpg 大女将の長南光(みつ)さんと話をしていると、いつしか心まで満たされてゆきます。まだ8時過ぎだというのに、蝉たちはフォルテシモで鳴いています。ふぅー、今日も暑くなりそうだ。モバイルでチェックしたその日の仙台の天気は、最高気温22℃の曇り。どんよりと薄ら寒い仙台に急いで帰る気など毛頭ありませんでした。

【photo】 自家製の梅干、ばんけ(フキノトウ)味噌、青紫蘇の味噌汁...。ほとんどが自家製の素材を使った知憩軒の朝食。薄味の出汁加減が上品なナスの煮浸し、生姜醤油の風味が心地よいサヤインゲンのおひたし、月山筍とシイタケ・厚揚げの煮物、丸ナスとキュウリの浅漬、コシヒカリのおにぎりを鮮やかな手つきで握るのは娘のみゆきさん。「うちでは伝統的な庄内の田舎料理を出しているだけ」と謙遜する長南さんだが、洗練された味付けはいずれもハイレベル(上写真)

okita_keiko.jpg【photo】鶴岡市羽黒町狩谷野目の今野恵子さんが有機無農薬で栽培する「沖田ナス」。ご子息が沖田地区の知り合いから譲られた沖田ナスの苗を自家採種しているので、沖田ナスを名乗ることができる。ほかにも先に取り上げた「民田ナス」や「萬吉ナス」、置賜地方がルーツの「薄皮丸小ナス」「梵天丸ナス」など個性派揃い


 真夏の庄内グリーンツーリズムを満喫し、かつて一緒にイタリアに行った三浦琢也さんが鶴岡市馬場町で営むナポリピッツアの店「Gozaya」でマルゲリータを注文しました。香ばしい薪の香りが漂うカウンターでアツアツの一枚を平らげ、エスプレッソを引っ掛けてから、そろそろ引き上げようかと店を出たのが13時30分過ぎ。山形自動車道・庄内あさひICの手前で高速の道路状況を確認するためにカーナビのVICS画面に目をやりました。そこには「沖田」という地名が表示されています。詳細に地名表示をするようにカーナビの設定を変えるまでは、気付かずにいましたが、そこはいつも通りかかる場所でした。

 庄内の深遠なる魅力に開眼した2003年(平成15)、沖田ナスという丸ナスの存在を初めて知ったのは、鶴岡市羽黒町の産直「あねちゃの店」でのこと。「沖田ナスは朝日村で採れるナスなのよ」と、佐藤典子店長から聞いていたので、「ここが沖田ナスの産地だな」と、ピンときました。仙台へ直行しようとしていた予定は急遽変更、少し集落の中を歩いてみました。そこの地名は鶴岡市東岩本字沖田。畑でそれらしき少しひしゃげた巾着状の丸ナスを栽培しているokita1.jpgお宅を見かけたので、畑の持ち主と思しきお宅を訪ねましたが、残念ながら留守の様子。隣のお宅のご主人に伺うと、「すぐ近くに沖田ナスの生みの親の小野寺さんが住んでいるから訪ねてみたら」と教えてくれました。

【photo】 同じ丸ナスでも、沖田ナスは民田ナスよりも幾分丈が大きい。8月の最盛期には、うっかり見逃すと一晩で巨大化してしまう(右写真)

onodera_masakazu.jpg【photo】引きの強さが奏功し、庄内地方に沖田ナスを広めた小野寺政和さんとご対面(左写真)

 目指す目印は、小野寺さんが沖田ナスを初めて育てた手掛けたというビニールハウス。それと思しきハウスすぐに見つかりましたが、中を覗くと肥料袋に仮植えした普通の形状をしたナスの苗が10本ほど。「ん?ここでいいのかな」と半信半疑のまま、隣接する小野寺姓のお宅を訪ねると、荷台に農業用水タンクを載せた軽トラックが停まっています。敷地の奥からちょうど出てきた丸顔の男性は、なんとも沖田ナスにウリふたつ(まったくもって失礼ながら、そう思ってしまったのデス...m(。_。;))m)。  

「あの~ぅ、小野寺 太(ふとし)さんのお宅はこちらでしょうか?」
  軽トラに乗り込もうとする丸顔の男性に尋ねました。
「おぉ、そうだよ。今、太は留守にしているけどね」
 よく日焼けしたその方は、先ほどの隣家のご主人に教えて頂いた太さんのお父様、政和さんなのでした。
「突然で申し訳ありませんが、沖田ナスについてちょっと調べておりまして...」

onodera_mitsuko.jpg かくなる上は、名刺を差し出して氏素性を明かした上で、これ幸いと突撃インタビューの開始です。

「今から畑に行ってナスの水やりに行くんだ」と応じた政和さん。

 小野寺さんは一旦仕事の手を休めて陽射しを避けるように私を軒下へといざないます。時計を見るとちょうど14時。まだ日盛りの太陽がジリジリと照りつけています。小野寺さんは私と並んで長椅子に腰掛けながら、家の奥に「おーい浅漬け持ってきてー」と声を掛けました。ほどなく奥様のみつ子さんが、沖田ナスの浅漬のパッケージとガラス小鉢を手に登場しました。

okita_onodera.jpg【photo】小野寺みつ子さん(右写真)の手になる沖田ナスの浅漬け(左写真)。よく冷えたコロンとした小ナスを頬張ると、うまいんだ、これが。
 
 「ウチで漬けたんだけど、無添加だから食べてみて」と、小野寺さんは封を開けて小鉢に盛ったナスを勧めます。みずみずしい蒼さのナス漬けは、いかにも美味しそう。かくなる上は遠慮無用。一粒つまんでパクリ!! 口いっぱいに、すがすがしい夏の香りとほのかな塩味が広がります。

 いつも感じることですが、私がお会いする庄内の方たちには、敷居が低い独特の懐の深さと優しさがあります。突然訪ねてきた見ず知らずの私を、こうして受け入れてくれるのですから。よく冷えた浅漬けをもう一粒頂き、(「美味しいですね」を意味する庄内弁)「んめのぉー」と口走る私に、小野寺さんは沖田ナスの由来を語り始めました。
「このナスと出合ったのは、かれこれ30年ほど前のことかなぁ・・・」

kubota_nasu.jpg 昭和40年代末に小野寺さんが世話になっていた農業改良普及員【注】が、出身地の山形県置賜(おきたま)地方に伝わる食味が優れているという2種類のナスの種を「育ててみたら」と持ってきました。ひとつは「窪田ナス」。米沢市の北東部、最上川左岸の窪田地区を中心に上杉藩政時代に家老職を務めた重臣の色部一族によって栽培が奨励されてきた丸ナスです。もうひとつが「沖田ナス」。南陽市宮内地区の沖田与太郎(おきたよたろう)が、およそ50年前に新潟から訪れた行商人から仕入れた長岡の在来ナス「巾着ナス」の系統とも、窪田ナスから外皮が柔らかい個体を選抜したともいわれる丸ナスです。

【photo】偶然通りかかった米沢市窪田町家中地区の畑でやっと見つけた窪田ナス

 周囲の勧めから自分の名前を付けて銘々した沖田ナスとしては今ひとつ普及せず、特徴をストレートに描写した「薄皮丸小ナス」と改名したところ、人気が出ていったという経緯をもつ沖田ナス(=薄皮丸小ナス)。その経緯については、沖田 与太郎と交流があった米沢市窪田町家中(かちゅう)地区で今も窪田ナスを守り伝える生産者、石山 忠美さんにも詳しく教えて頂きました。置賜地方産の丸ナスのルーツとされる窪田ナスについては、機会を改めてレポートします。

【photo】7月から10月まで毎日収穫が続くという小野寺さんの沖田ナス畑で

 旧朝日村沖田集落で生まれ育った小野寺さんは、勧められた二つのナスのうち、どうせ育てるなら、たまたま郷里の地名「沖田」の名前がかつて付いていたナスを育てようと考えたのです。もらい受けた種を徐々に増やしていった最初の10年近くは、ほぼ自家消費のみ。小野寺さんはこの品種を選抜してゆく過程で、沖田集落の生産者の手で大切に育てていったのだそう。その若干寸詰まりの巾着袋のような形状の丸ナスは、皮が柔らかく浅漬けにぴったりで、歯が弱ったお年寄りでも美味しく食べられると評判を呼んでゆきます。2004年(平成16)にR112号沿いの旧朝日村下名川地区に開店した「産直あさひ・グー」では、春は山菜、秋はキノコやトチ餅など豊かな山の恵みを扱いますが、夏から初秋にかけては沖田地区の畑で採れた沖田ナスがふんだんに店頭に並びます。

 畑の様子を見に行くという小野寺さんの軽トラックで案内されたのは、古道六十里越街道の十王峠の分水嶺から流れ出る月山水系の岩本川の豊富な水を引いた畑でした。おおよそ7月から10月上旬まで毎日収穫が続くという沖田ナスには、毎朝の水遣りが欠かせません。そこには塩ビパイプとホースを使った自作の潅漑(かんがい)施設がありました。典型的なナスの害虫であるアブラムシやアザミウマのほか、土の中にいるコガネムシの幼虫が実に付くそうで、畑には足繁く通わなくてはなりません。

okita_mizu.jpg ご自身は塩漬した翌日の新鮮な浅漬けが好きだと語る小野寺さんの奥様、みつ子さんが漬けた沖田ナスは、鶴岡市内に多店舗展開するスーパー「主婦の店」およそ十店舗にご子息の太さんが直接届けて回ります。180g入り一袋268円の浅漬けは、売り切れ続出のため、10月まで出荷は毎日続きます。私が伺った時はご不在だった太さんも父の跡を継いで専業農家として頑張っているのだそう。

【photo】沖田ナス畑の下には月山水系岩本川の農業用水。良質の水とメリハリのきいた四季が稀に見る多彩な作物をもたらす

 米沢に転封となった越後の上杉氏が、会津経由で米沢に持ち込んだ窪田ナス。その変異種かもしれない外皮の柔らかなナスを広めようとした沖田さんは、沖田ナスと名付けるも地元の置賜(⇒「おきたま」 おっと、ここにも語呂合わせが・・・)地方では別の名・薄皮丸小ナスで一般化。たまたま沖田つながりで沖田地区から沖田ナスを庄内地方に広めた小野寺 政和さん。そのご本人に私は期せずして巡り会うことが出来ました。在来作物に詳しい山形大学農学部の江頭 宏昌准教授によれば、沖田ナスは、もはや庄内の在来野菜と呼んで何ら問題がない品種なのだそうです。沖田ナスが歩んだ歴史同様、瓢箪から駒、いえ"瓢箪からナス"な展開となった今回の突撃取材には後日談があります。

okita-nasu2014.jpg【photo】コロンとした形状の沖田ナス。ナス特有のエグさがない食味の良さが身上

 とびきり海の水が綺麗な新潟山北町の「笹川流れ」と越後村上を訪れた8月12日。米沢を経由して県道101号線「米沢浅川高畠線」を通って高畠町に抜ける仙台への帰路、奥羽本線 置賜駅の手前で「窪田」の地名標識を発見しました。「おおっ、ここは窪田ナスの産地に違いない!」と、車を左折。そんなデジャヴな展開の末、最上川に架かる置賜橋を渡って立ち寄ったところは、まさしく窪田ナスが生まれた米沢市窪田町家中地区でした。

 つい先日、家中地区のとある農家で1969年(昭和44)3月11日付の新聞に包まれた窪田ナスの種が見つかりました。その種を入手した石山さんは、現在伝わる窪田ナスと比較するため、その種の発芽試験を山大農学部の江頭准教授に依頼したのだそう。江頭先生によれば、作物の種が発芽するのは、通常は冷蔵状態で保存しても10年が限度。そのため、この種の発芽は、最後の手段ともいうべき試験管内での胚培養技術を用いて試みるのだそうです。

 さて、40年もの時間(とき)を経たその種は、果たして現代のバイテク技術をもってして芽吹くのでしょうか? また、いかなる実を結ぶのでしょうか? いずれにせよ沖田ナスのルーツ探しに端を発した"あるもん探しの旅"は、まだ続きそうです。


【注】 戦後の食糧難を打開すべく、食糧増産と農業支援を目的に1948年(昭和23)に施行された「農業改良助長法」によって設立された「農業改良普及所(後に「センター」と改称)」所属の地方公務員。各都道府県には同普及所を設立・運営する義務があり〈必置義務は2004年(平成16)に撤廃〉、栽培技術指導や新品種の紹介などの営農支援を行った。

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2008/08/03

ボンディファームの夏野菜収穫

灼熱の芋掘り&情熱野菜のBBQ @村田町

【Photo】 ボンディファームの鹿股 国弘さん

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 宮城県南の村田町で自然環境循環型農業に取り組むボンディファームの鹿股 国弘さん(39歳)。宮城蔵王にほど近い粘土質の土壌が広がる畑で、9年前から無農薬・無化学肥料の野菜を育てています。農場の名前は学生時代に訪れた美しい農村風景が広がるブータン西部の農村「Bondey」から取ったもの。仙台の農家で2年間無農薬栽培と営農について学んだ後に就農、当初60アールだった畑は、他の耕作地から隔離された環境の水捌けが良い傾斜地を探して徐々に広げ、現在では9ヶ所合計120アールに広がりました。土作りを兼ねて平飼いしているニワトリの発酵鶏糞のほか、収穫した野菜の残滓や米ぬか、刈草の積み込み堆肥、草木灰などを肥料として使いますが、それも必要最小限に留めています。連作障害を避けるために年間およそ100品目もの果菜・葉菜・根菜・豆類を多品種少量生産で輪作し、土を疲れさせないように休耕期間を設けるなど、常に作物と対話しながら、村田の自然のサイクルの中で野菜作りを行っています。
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【Photo】 手前からオクラ、ズッキーニ、カボチャが育つ鹿股さんの畑。一帯は粘土質土壌のため、水捌けのよい傾斜地を選ぶという 

 夏真っ盛りの今は、旺盛な雑草と害虫との戦いに明け暮れる毎日。今年は7月に雨が多く、カビや病気の発生にも心を砕いたと言います。朝採りした野菜は、安全で美味しい食品を求める個人客にその日のうちに宅配されます。ダイコンやカブ、ニンジン、白菜、カボチャといったお馴染みの野菜に加え、ズッキーニやアーティチョークといったポピュラーな西洋野菜、さらには日本では比較的入手が難しいコールラビやラディッキオ・ロッソ(=トレビス)などの栽培を委託された飲食店からの注文が増えているのだそう。食の安全を求める意識の浸透と、特色ある食材を求める飲食店が仙台圏を中心に口コミで増えたのです。およそ20軒にのぼる取引先の飲食店に届けるのため、収穫は早朝5時には始まります。就農希望bondeyfarm 003.jpgの研修生を受け入れているものの、基本的には鹿股さんがひとりで作付けから収穫までをこなすため、配達に振り分ける労力にはおのずと限界があります。そのため、現在は原則として新規取引を手控えているのだそう。

【Photo】3種のナスを栽培する畑。隣りのビニールハウスや平飼いするニワトリの鶏舎のいずれもが、規模は決して大きくはない

 そんな鹿股さんの野菜をメインにしたふたつの企画にこの夏相次いで参加しました。今回ご紹介するのは、夏らしい陽気に恵まれた8月3日(日)、村田にある鹿股さんの畑で行われた「ボンディファームの夏野菜収穫&焼き奉行な仏伊シェフによるBBQ(バーベキュー)の饗宴(⇒勝手にネーミングしちゃいました)です。参加したのは鹿股さんの個人顧客や契約先のレストラン関係者とその顧客およそ40名あまり。そのほとんどが仙台からの参加者のようでした。小さな子ども連れの家族連れが多く、土と触れ合い、収穫の喜びに目を輝かせた子どもたちだけでなく、親世代にとっても、命を育む真っ当な食べ物がいかに作られているのかを知る機会でもありました。

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【Photo】食べ頃になったスイートパプリカ

 午前10時に村田町の丘陵にある鹿股さんのお宅に集合した参加者一同。この日の昼食となるバーベキュー用の野菜の調達のため、さっそく畑へと向かいました。土作りに欠かせない肥料を卵とともに提供してくれるニワトリをケージから放す鹿股さん。バサバサと舞い上がるニワトリに嬌声を上げるお母さんたちと、生みたての卵の温かさに歓声を上げる子どもたち。桃太郎・中玉・ミニのトマト三種やクリームピーマン、スイートパプリカが育つビニールハウスへと案内されました。この日のために、鹿股さんが収穫せずに取っておいた果菜類は「好きなだけ採っていいですよ」とのこと。それならばと、早速かじり付いたトマトやスイートパプリカは、必要最小限の水を与え、凝縮した味に仕上がっていました。小さく未熟なうちの緑色からオレンジ色に色合いが変化したスイートパプリカの果肉は、もぎたてのフルーツのよう。

bondeyfarm 006.jpg【Photo】ハウスの中で収穫した色鮮やかな夏野菜たち。白っぽいのがクリームピーマン、オレンジ色がスイートパプリカ、真っ赤に熟したトマト

 隣の区画では、水ナスに加え、丸ナスや白ナスが露地栽培されていました。「この土が不要な雑味を吸収してくれるんですよ」という鹿股さんに促されて、もぎたての水ナスや丸ナスに齧り付きます。私の本拠地・庄内で、自然界の多様な生物が生み出す生態環境によって、旨みを増すオーガニックな野菜や果物に畑で齧りつくことに何ら躊躇を覚えなくなって以来、畑で採ったばかりの野菜が一番美味しいことは織り込み済みです。 指で裂いたナスの果肉は、サクサクとした歯ごたえで、エグさは全くありません。なかでも丸ナスはリンゴのようなほのかな甘さすら感じさせ、サラダ感覚で食べられます。これには参加者一同ビックリした様子でした。

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 そこから鹿股さんが運転する軽トラックの荷台に分乗して少し離れた場所にある別の畑へ移動です。仙台市内では、まず体験できないであろう鍬(くわ)や鋤(すき)が積み込まれたオープンエアな軽トラの荷台に乗り込んだ子どもたちは、やんやの大はしゃぎ。荷台に同乗した親たちも童心に帰って楽しんでいました。コンパーチブルでライトウエイトな鹿股さんの農耕車に揺られていると、猛暑の収穫作業で火照った顔に受ける風と、四方から聞こえてくる蝉しぐれと野鳥のさえずりが心地よく感じられました。

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【Photo】 いざ、芋掘りにレッツゴー!! 草いきれを胸いっぱいに吸い込みながらの爽快な田園ドライブ(上写真)
結球部に養分を送る葉を虫に食べられてしまったコールラビ(左写真)。無農薬栽培にはこんな苦労が付き物。初夏から盛夏にかけては虫との闘いが待っている

 次なる収穫対象は、日当たりが良い南東斜面の畑で育つジャガ芋「北あかり」。籾殻が撒かれたフカフカの土に育つ鹿股さんの梅林に隣接する畑では、食用ホオズキやアーティチョーク、アスパラガス、モロヘイヤ、トウモロコシなどが育っています。「無農薬栽培がいかに大変かをお見せしましょう」という鹿股さんに見せて頂いたのが、あらかた葉を虫に食べられてしまったコールラビでした。本来は葉の光合成によって養分を蓄えて直径10cm ほどまで肥大化する茎の根元の結球部を食用にする西洋野菜です。7月の不順な天候のもと発生した害虫の総攻撃によって、あえなく生育の途中で成長が止まり、出荷できなくなってしまったようです。こうした野菜も決して無駄にはせず、緑肥として活用されるはずです。

bondeyfarm 013.jpg【Photo】次から次と土の中から現れるジャガイモに宝探し感覚の子どもたちは大喜び

 私たちのために掘り起こさずにいた長さ70mほどの1畝に北あかりは眠っているのでした。ゆうに30℃を越える気温のもと、噴き出す汗を拭いながら思い思いに散らばって土を掘り起こすと、ミミズがいるわいるわ。これこそ土が健康な証拠です。時おり登場するカエルやウニョウニョ系の虫たちに歓声を上げながらも、ゴロゴロと出てくるジャガイモ掘りに夢中になる子どもたち。炎天下で10分も芋掘りを続けると、どっと汗が噴き出してきます。大人が木陰に逃げ込んでも、子どもたちは至って元気。鋤を手にした鹿股さんのお父様にもお手伝いいただきながら、どうにか収穫を終えたのでした。
bondeyfarm 014.jpg【Photo】 土の中にはミミズがいっぱい

 再び軽トラックで鹿股さんのお宅へ戻り、さきほど採ったばかりの野菜を水洗いしてバーベキューの準備が始まりました。そこで活躍したのが、鹿股さんの顧客でもある「Enoteca il Circolo エノテカ・イル・チルコロ」のスタッフ。店でも使用している上質な備長炭を持参し、鶏・豚・ラムチョップと3種の肉も調達した吉田 克則シェフが、ここでも炭火焼肉の担当です。ギラギラした日差しと炭火の遠赤外線効果で汗だくになりながら肉の火加減をみるニクヤキスタ。炭火で炙り焼きする肉を扱わせては、デル・ピエロやクリスティアーノ・ロナウドも到底かなわない(?)ファンタジスタはさすがに絵になります
(⇒今さらヨイショかよ...(⌒▽⌒ゞ )。

 先ほど掘り出したばかりの北あかりも厚めのスライスでこんがりとグリルされたり、アルミホイルの蒸し焼きで登場です。塩とバターで頂くほっくりとした北あかり特有の口あたり。同じく収穫したての万願寺トウガラシやスイートパプリカは、吉田シェフbondeyfarm 021.jpg持参のバーニャカウダソースをつけて生のままガブリ。フレンチレストラン「Chef シェフ」の奥山ホールマネージャーや、この日採れたての白ナスと玉ネギ、中玉トマトで美味しいラタトゥイユを作って下さったワインバー併設のワインショップ「Bouchon ブウション」の日野シェフも参加しての、プロフェッショナルな料理人が饗宴する贅沢なBBQタイムとなりました。心地よい汗の後、お腹がいっぱいになった頃には、夏のギラギラした太陽が幾分傾き始めました。鬱蒼とした林の中からは延々と続くヒグラシの輪唱が聞こえてきます。けだるい夏の午後が、そうしてゆっくりと過ぎてゆくのでした。

【Photo】酷暑にもめげず活躍するニクヤキスタこと吉田シェフ

 バーベキューで食べきれなかったこの日収穫した野菜は、会費制で参加したメンバーへのお土産となりました。鹿股さん、いろいろとお世話になりました。吉田シェフ始め料理を作って頂いた皆さん、ご馳走さまでした。そして炎天下の収穫に参加した皆さん、お疲れさまでした(⌒~⌒;)

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2008/02/25

桶仕込み醪の味わい

隠し蔵「金龍蔵」訪問記

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 2月16日(土)、「みやぎの酒女性応援団」の催しが行われました。"宮城の郷土料理には宮城の地酒を"という、食と酒の地産地消の推進を目的に昨年6月に発足したこの会。Cucina(=食)とVino(=ワイン)が一心同体のイタリアでは共通言語となる「Cucina locale(=地方料理)」の素晴らしさを知る者の一人として、emblem_kinryuu.jpg旗揚げの会【Link to back number】に参加して以来、不本意ながら幽霊会員と化していました。今回は一般に開放していない酒蔵「金龍蔵」を訪れるというので、風邪気味の体をおしてマスク姿で参加しました。

【PHOTO】金龍蔵 純米吟醸のタグに描かれた仕込蔵(右)壁面には「金龍」の印がくっきり(左)軒先に下がる青々とした酒琳が新酒の仕上がりを告げる金龍蔵の門構え(下)。中央奥が仕込蔵、右手奥に土蔵

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 前身となる「糀屋酒造店」の創業が1862年(文久2年)。146年の歴史をもつこの小さな蔵は、岩手・秋田県境とほど近い宮城県内陸北部の栗原市一迫(いちはざま)にあります。栗駒山系の良質な地下水脈に恵まれ、「金龍」銘柄の佳酒を代々生み出してきました。後継者難のために縁戚関係にあった一ノ蔵の傘下となり、「金龍蔵」として再出発したのが1991年(平成3年)9月。2005年(平成17年)からは伊達藩の御用酒蔵だった仙台の勝山酒造で46年間杜氏を勤め、幾多の受賞歴を持つ南部杜氏 照井 丸實(てるいまるみ)氏を迎えて現在に至っています。ちなみにご主人を亡くされた後、4年間蔵を守った佐藤 洋子さんは、姉が嫁いだ一ノ蔵に託した蔵の真向かいで金龍蔵の小売部、糀屋酒造店として現在も金龍蔵の酒を扱っています。

【PHOTO】なまこ壁が見事な土蔵は貯蔵庫として使われている(下)

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 金龍蔵を訪ねたのは、時折にごり酒のように目の前が真っ白になる地吹雪が襲う寒さの厳しい日でした。ご案内頂いた ㈱一ノ蔵の三浦 博光取締役が運転する車は、東北自動車道を築館ICで下車。白銀の世界と化した田園風景の中を流れる一迫川を右手に見ながら走ることしばし、新酒が出来たばかりであることを示す青々とした酒琳(さかばやし/ 杉玉)が下がる門構えの金龍蔵に到着しました。雪が舞う鬱蒼とした杉林に覆われた山を背景に建つ蔵の佇まいは一幅の絵画のよう。

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 かつての文庫蔵で、現在は貯蔵庫として使われている土蔵の破風に描かれた優美な白鶴となまこ壁。切妻の大屋根の仕込蔵の漆喰の軒には黒丸に白抜きで「金龍」の筆文字。平成5年に稼動した近代的な一ノ蔵の本社蔵とは対照的に、金龍蔵は昔ながらの造り酒屋の面影を今に伝えています。

【PHOTO】寒仕込みの時期に訪れた金龍蔵の仕込蔵。およそ二日間、蔵人が寝ずの番をする麹作りに用いる麹蓋が右側に山積みされている。煉瓦の煙突はいまだ現役。すぐ背後には山が迫る

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 農閑期となる毎年11月から4月にかけて南部流の老練な蔵人6人が一つ屋根の下で同じ釜の飯を食べながら酒造りに取り組む金龍蔵。門の右手には、蔵人たちが寝泊りする木造の宿舎が建っています。そこに架かる看板には「伝統の技と心 手づくりの酒」と書かれていました。柔和な笑顔で私たち一行を出迎えて下さったのは、1941年生まれの今年で67歳になる照井杜氏でした。仙台市内の勝山から金龍蔵に移って3年目の杜氏は、「ここは寒いところで・・・」と切り出しました。なんでも仕込蔵の中で氷が張ることもあるのだとか。南西方向を山に囲まれた仕込蔵の内部に下がる温度計は摂氏5度を示していました。

【PHOTO】仕込んで2日目の醪は「蔵の華」の米粒がびっしり(上)隣りあうタンクで同じ精米度合の「美山錦」でも、10日目(左)と12日目(右)では、発酵の進み具合が明らかに異なる

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 居並ぶ仕込みタンクには木製の足場が組まれ、発酵中の醪(もろみ)を上から目にすることができました。盛んに炭酸ガスを発生させる醪からは、呑ん兵衛には堪らない芳香が立ち上ってきます。仕込み作業の経過日数によって、醪の状態が明らかに異なるのが判ります。ササニシキを生んだ宮城県古川農業試験場による初の酒造好適米「蔵の華」の醪は仕込んで2日目。発酵作用によるボコボコとした泡で波立った表面には、55%まで磨かれた米粒の存在がはっきりと確認できます。精米率50%の「美山錦」を仕込んで10日目の醪の表面は、発生する旺盛な泡で凹凸に波打っています。同じ酒米を使って2日仕込が早いタンクの醪は、表面が滑らかに変化し、既に「どぶろく」の趣を湛えていました。「山田錦」を35%まで磨き上げた大吟醸「玄昌」の醪の旨さといったら! その醪が入ったホーロー製のタンクは、この日ご一緒した会の座長を務める外崎 浩子県議と同年齢の私とも同い年。同期生(?)として「Good job!」とエールを送りました。

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【PHOTO】仕込み木桶と醪を見つめる照井杜氏

 伝統的な日本酒造りの現場で使われてきた木桶に替わって、ホーロー製のタンクが日本中の造り酒屋に普及したのは昭和30年代のこと。現在では、ホーローに起こりがちな割れや欠けのリスクが無いエポキシ樹脂やガラス繊維で表面をコーティング(=ライニング)した仕込みタンクやステンレス製が主流になりつつあります。そんな時流の変化のなかで、異彩を放つひとつのタンク、いえ仕込み桶が私の目に留まりました。それはかつて酒造りで使われていた木製の桶でした。無機質のタンクが席巻した今日、酒造用の木桶造りを手掛ける職人は我が国でも数えるほどになりました。そんな希少な木製の仕込み桶が、この山あいにある小さな蔵で使われていました。

【PHOTO】足場が組まれた仕込蔵の内部。ここから美酒が生まれる

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 味噌・醤油・日本酒など、日本の伝統的な発酵食品文化を醸成した立役者は木桶に他なりません。さまざまな微生物が発酵に及ぼす働き。米のデンプン質を糖に変える麹。糖をアルコールに変える酵母。先人は自然界に存在するこうした微生物を上手に活用する術(すべ)を長い歴史の中で見出してきたのです。素材自体が呼吸する木製の桶の内部には、麹や酵母のほかにさまざまな微生物が棲み着きます。その存在が、年ごとに異なる気候や産地の気候風土による微妙な味わいの差異を生んできました。現在も熟成にオーク樽を用いるワイン造りにおける「ヴィンテージ」の概念に近いものだといえば理解しやすいでしょう。こうした人智を超えた発酵の神秘を知るからこそ、日本酒造りの現場では、古来より神を祀ってきたのです。

【PHOTO】日本の発酵食文化を支えてきた木桶。忘れ去られようとしていた木桶に新たな価値を吹き込んだセーラ・マリ・カミングスさん

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 ここ数年、造り手の個性が反映された木桶仕込みの日本酒の良さが見直され、一部の蔵元で桶仕込みの酒が再び作られるようになりました。扱いやすいホーロータンクの登場で駆逐された木桶を使った酒造りの復活には、一人の米国人女性が関わっていました。セーラ・マリ・カミングス。1968年、アメリカ東部ペンシルバニア州生まれの彼女は、1991年からの1年間を交換留学生として関西で過ごします。そこで日本の伝統文化に触れた彼女は、'94年に長野県小布施市の栗菓子製造会社「(株)小布施堂」に就職します。当時、同社の関連会社「桝一市村酒造場」はジリ貧状態にあったといいます。'96年に日本人以外で初の利酒師の資格を取得した彼女が取り組んだのが、伝統的な日本酒造りの原点、木桶仕込みによる酒造りだったのです。古来より木の文化を大切にしてきた日本で途絶えて久しい木桶仕込み。半世紀前に木桶仕込みの経験があった杜氏 遠山 隆吉氏(当時78歳)に働きかけ、'98年から酒造りに取り掛かります。

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 仕込用の木桶は地元で調達ができなかったため、2000年に新潟の桶職人 清水 作治氏(当時70歳)に発注。その酒「白金」を2000年10月に2,000本限定で売り出したところ、たちまち評判を呼び完売。傾きかけていた250年の歴史を持つ蔵は再興への足掛かりを得たのです。セーラさんの情熱に打たれた清水さんは、2000年から一年に一つずつ木桶を仕上げますが、5年後に帰らぬ人となりました。

【PHOTO】職人の手仕事で造られるウッドワーク社の木桶は、近年その需要が高まっている(右)手前が木桶仕込みの醪、奥が「玄昌」の醪。あまりの旨さに一同感激(下)

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 '98年に同社の取締役となったセーラさんは、伝統的な木桶仕込みの酒の復興のため、'02年に「桶仕込み保存会」を立ち上げます。現在では一ノ蔵と「浦霞」銘柄で知られる宮城の「佐浦」を含む全国14都県20の蔵元と食品関連企業、桶屋などが法人会員として参加しています。46年のキャリアを持つ照井杜氏をしても、勝山酒造で醸造責任者を永年務めた父・圓五郎氏の跡を継いだ駆け出しの頃に仕込みの仕上げ段階で木桶を扱ったことがある程度だったといいます。桶仕込み保存会に加盟する酒どころ灘・伏見のお膝元、大阪府堺市にある「(株)ウッドワーク」社製の桶を使って照井杜氏が醸す醪は、ほのかな木の香りが漂い、ほんのりとした酸味と柔らかな甘さが響きあうふくよかな厚みを備えています。円熟の技が冴える造り手の名前通り、"丸み"のある味わい。桶仕込みに挑戦して3回目の醸造年度を迎えたこの冬、既に充分美味しいこの醪がどんな仕上がりになるのか新たな楽しみができました。

【PHOTO】金龍蔵の伏流水は硬度が高いため、タンクで三重にろ過して仕込みに使う

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 "杜氏が好きな食べ物を聞けば、その酒に合う肴がわかるから"と、一行を引率された「仙台の酒屋 浅野」店主・浅野 康城氏が照井杜氏に尋ねると、「刺身」がお好きだとのこと。刺身の薬味にする山葵(ワサビ)が春になると採れるという近場の沢のことや、山菜採りで遭遇した熊を撃退した武勇伝など、お人柄を偲ばせる楽しい話を伺いました。蔵の仕込み水で淹れた日本茶を頂いた後で、その仕込み水を分けてもらえることに。ウッシッシ・・・、これぞ期待通りの展開。硬度が高い強い水ゆえに、仕込み用には、3段階のろ過をかけた上で使用するのだといいます。

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 私を含めペットボトルを持参しなかったメンバーは、洗浄済みの一升瓶に水を詰めて車に積み込みました。風邪気味だったため、仕込み水で打った蕎麦を肴に金龍蔵の酒を楽しもうという夜の部の懇親会は残念ながら不参加。再び三浦取締役の車でJR仙台駅前まで送って頂きましたが、水の入った「一ノ蔵無鑑査」の一升瓶を片手に抱えて地下鉄に乗るハメとなり、呑ん兵衛オヤジさながらの風体で肩身の狭い思いをしなくてはならなかったのでした。
あ~ぁ。

【PHOTO】蔵人によって「一ノ蔵無鑑査」の一升瓶に注がれる仕込み水。口に含むと豊富なミネラルを感じる(右上)

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【PHOTO】佐藤 洋子さんが暖簾を守る「糀屋酒造店」で買い求めた「金龍蔵 純米吟醸」(左上)には照井杜氏の手書きメッセージのタグ(右上)が掛かり、バックラベルでは杜氏がにこやかに笑いかける。

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 糀屋酒造店では、地元栗原市だけで売られ、かつ新酒を仕込むこの時期限定だという「金龍 しぼりたて原酒」も入手しました。「限定」という売り文句には弱い呑ん兵衛心理を見透かされた格好ですね(笑)。照井杜氏が柄杓(ひしゃく)ですくって飲ませてくれた醪のように微量の炭酸ガスを含むこのにごり酒を味わっているうち、不思議と照井杜氏の顔が浮かんでくるのでした。
 また遊びに行きますよ、おんつぁん。
◆糀屋酒造店 : 宮城県栗原市一迫川口字中町5 営:8:30~17:30 不定休 TEL:0228-54-2262 

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2007/11/01

一匹狼のイタリアワイン商

「イタリアワイン最強ガイド」の著者でワイン商の川頭 義之氏とワイン談義に花を咲かせたEnoteca il Circoloでの一夜。いわゆるラテン系の「はじけた」お人柄ではないものの、ワインへの愛情と情熱の持ち主であることが氏の言葉の端々から伺えました。頂いた名刺に記された社名は「LupoSolitario」。伊語で「一匹狼」を意味するその気概や善し。なんとCOOLで素敵な社名でしょう。

 著書に記載されていた著者プロフィールで、大学の同窓であることは事前に知っていました。そこで大学時代の学籍番号を告げたところ、学部違いで同じ年に入学していた事が判明。あ~ら偶然。Il mondo è piccolo(=世界は狭い)。おまけに川頭氏が名刺を取り出した名刺入れは、私が愛用するショルダーバッグと同じPiero Guidiでした。日本では見かけないものの、イタリアでは人気のブランドのユーザー同士とは、これまた偶然。"Il mondo è molt piccolo(=世界はとっても狭い)"。

 川頭氏は'92年にイギリスで現在の奥様であるジョヴァンナさんと出会い、イタリアワインに本格的に目覚めたといいます。やがて「自分が口にするワインは、どんな場所でどうやって造られているのか」という興味が湧いてきたのだそう。そのため、生産者のもとを訪ね、根掘り葉掘り質問をぶつけたのだそうです。こういった行動に出る思考回路を私も持ち合わせていることを、当ブログの読者の皆様は既にご存知かと。口にするワインのほとんどがイタリアワインであること以外にも、いろいろとシロガネーゼな(?)両者には共通点があるのでした。

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【Photo】シロガネーゼな大学時代はラグビー部に所属、FWとして活躍した川頭 義之氏と奥様のジョヴァンナさん、同校の広告研究会に所属、ただのチャランポランだった筆者。数年を経た今の差は歴然...il||li _| ̄|○ il||li(写真左より)

 陰干ししたブドウで仕込む偉大な赤ワインのひとつにAmarone della Valpolicellaアマローネ・デッラ・ヴェルポリッチェラが挙げられます。川頭氏の奥様ジョヴァンナさんは、その産地に近いイタリア北東部ヴェネト州のVicenzaヴィチェンツァ出身。ヴェネト州はイタリアで3番目の生産量とDOC【注】ワイン生産量全体のおよそ25%を生産する一大ワイン産地です。願ってもない伴侶を得た川頭氏は、さまざまな地方の印象に残ったワインのCantina カンティーナ(=ワイナリー)を訪ね、ブドウ畑や醸造の過程を目にしてきたといいます。そこで実際のワイン造りに関与するEnologoエノロゴ(=醸造家・醸造コンサルタント)やAgronomoアグロノモ(=ブドウ栽培に関する責任者・栽培コンサルタント)の話を聞くうち、ワインは自然風土と密接に結びついた農産物であり、ブドウの世話をする生産者やカンティーナでワイン造りに関わる人々の努力の結晶以外の何物でもないという事実に思い至ったのです。

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【Photo】Enoteca il Circoloでこの夜飲んだヴィーノ。川頭氏が自宅で最も飲む機会が多いと語るシチリアのGulfiという造り手によるRossoibleo、 ピエモンテで最も親しまれているブドウBarberaバルベーラの特徴である酸がキレイなMonchiero CarbonePelisa、白ワイン産地として高い評価を得るフリウリでは、国際品種Merlotも高い品質を備えたものがある。Vie di RomansMaurus もそんなひとつ。Redigaffiで一躍ワイン産地として世界に名を轟かせたトスカーナの南端、スヴェレートのTua Ritaを立ち上げた伝説は余りに有名。天才と呼ばれる醸造コンサルタント、ルカ・ダットマが立ち上げた自身のカンティーナからビオディナミコ農法で栽培したブドウから造られるAltrovino(写真左より)

 出逢った翌年の'93年に結婚したお二人は、川頭氏の実家がある神奈川県藤沢市に居を構えます。イタリア育ちのジョヴァンナさんは、飲みなれたイタリアのヴィーノを地元で探したものの、当時日本に輸入されていたイタリアワインは種類が限られ、あったとしても品質が伴わないものが大方でした。そのため、わざわざ電車で青山や広尾まで出向いてヴィーノを買い求めていたといいます。"日本になければ自分たちで道筋を切り開けば良いではないか"。そうした思いから、それまで勤務していた商社を退職し、生産者とインポーターとの仲介をするフランス語で「Coutier クルティエ」と呼ばれる輸出斡旋を業務とするワイン商として'96年に独立した川頭氏。

 宮城県には駆け出し時代の苦い思い出があるそうです。とある知人の紹介で、宮城に本社があるワイン輸入会社を単身訪問した時のこと。東京を早朝に出発、仙台近郊にあったその会社の事務所で待たされること 1時間。肝心の商談はわずか15分で打ち切られ、何の成果を得ることなく神奈川の自宅へ戻ったとか。これまでも川頭氏が日本に紹介したワインを数種類愛飲してきた私ゆえ、その時の商談相手が私だったら、即・商談成立だったはず。運が悪かったのですよ、川頭さん(笑)。

 川頭ご夫妻は、トスカーナ州のワイン生産地として急速に名声を上げているMaremmaマレンマ地区にある町Montescudàioモンテスクダイオにも家を持っています。そのため日本での事務所兼住居がある東京とイタリアを行き来する生活を送っています。リグーリア海沿いのCècinaチェチナからVolterraヴォルテッラに向かって10キロほど内陸にあるこの町の南、Bolgheriボルゲリには優れたワインを生産するカンティーナが数多く存在します。イタリアワイン界の巨人アンジェロ・ガヤ氏が地元ピエモンテ州以外で新たなワイン造りの可能性を追い求めて畑をボルゲリに購入したのは、1996年のこと。現在のイタリアワイン界で最も注目を集めるエリアと言って差し支えないでしょう。

scriomessorio.jpg【Photo】Enoteca il Circolo吉田シェフ秘蔵のMessorio(右)とScrio(左)イタリアワインファン垂涎のこの二本。セラーの肥やしにせずに、そのうち開ける時は忘れずに声を掛けて下さい。お願いしまーす(^0 ^)

 カベルネ・フランから造られるPaleo,メルロ100%のMessorio,シラーのScrio といったイタリアワインラヴァーなら知らぬ者はいないカルトワインを生産するカンティーナLe Macchioleレ・マッキオレ。その3代目当主エウジェニオ・カンポルミとの出会いが、川頭氏をして「イタリアワイン最強ガイド」を世に問うきっかけになったといいます。2002年に癌のため40歳の若さで夭逝したエウジェニオは、川頭氏の表現を借りれば「勤勉で寡黙」な職人気質の人物だったのだそう。その人柄に惚れ込んだ氏は、私生活でもカンポルミ夫妻と交友を深めていったといいます。販売の手伝いのため藤崎でワイン売り場に立たれた川頭氏の脇には、エウジェニオの遺志を継いで現在ワイン造りに取り組む妻のチンツィアさんの写真が飾られていました。

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【Photo】ジャンフランコ・ガッロ渾身の一本、Vie di Romans Chardonnay。バリックを使用しながらも厚化粧な嫌味がなく、「これがシャルドネ100%のワイン?」と良い意味で先入観を覆してくれる。高価なブルゴーニュの白がお好きな方には目からウロコなはず。果実由来の甘味に続いて上品な香りが鼻腔を心地よくくすぐる。大き目のグラスで冷やしすぎずに香りを楽しみたい

 「ワイン造りの鍵は畑におけるブドウの手入れが全て」と断言するエウジェニオのほか、川頭氏が出会ったエノロゴやアグロノモが本書には登場します。たとえばLe Macchioleのエノロゴを現在も務め、自身のカンティーナDuemaniドゥエマーニをモンテスクダイオの北隣にあるRiparbellaリパルベッラで2000年に興したルカ・ダットマ氏。そしてブルゴーニュの名だたる白ワイン産地にも比肩しうると川頭氏が語る北イタリアのアルトアディジェと並ぶフリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州からはVie di Romansヴィエ・ディ・ロマンスのオーナー、ジャンフランコ・ガッロ氏。そしてピエモンテ州バルバレスコの北、Roeroロエロ地区Canale カナーレにあるMonchiero Carboneのオーナーで、川頭氏が非常に個性的で印象に残る人物と評するマルコ・モンキエロ氏、Poliziano・Lupicaia・Fonterutoli・Brancaia・Brolio などで醸造コンサルタントとしての輝かしい実績を築き、庄イタも愛飲するカルロ・フェッリーニ氏など。

 品質と価格のバランスが取れたイタリアワイン選びに実践的に役立つガイドとしての役割もさることながら、足掛け5年をかけてまとめ上げたこの本の狙いは、ワインを造る人たちにスポットライトを当てることにあったといいます。彼らが本の中で語ったワイン造りにかける情熱の発露ともいえる言葉は説得力に溢れています。そんな作り手が丹精込めて造ったワインは、雄弁に作り手の思いを伝え、造られた地の風土すら窺えると川頭氏は本の中で語っています。

 私が体験したそんな事例をご紹介しましょう。私が好きなヴィーノのひとつにSan Giusto a Rentennanoサン・ジュスト・ア・レンテンナーノのPercarlo ペルカルロがあります。イタリアを代表する赤ワイン用ブドウ品種Sangioveseサンンジョヴェーゼから造られるトスカーナ産の中では最も優れていると川頭氏も太鼓判を押すこのヴィーノ。

 2003年秋にトスカーナ州Sienaシエナを訪れた際、近郊にあるガイオーレ・イン・キアンティ地区にあるカンティーナを訪問し、オーナーであるマルティーニ・ディ・チガラ兄弟の弟、ルカ・マルティーニ・ディ・チガラ氏に畑と醸造施設を案内して頂きました。突然の訪問だったにも係わらず、彼は快く私を受け入れ、熟成中の樽からサンプルを取り出して試飲させては、感想を求めるのでした。最後にセラーで購入したPercarloとメルロから造られるLa Ricorma、そして私がこの日最も感動したデザートワインVin San Giustoに私の名入れでサインをしてくれました。

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【Photo】作柄に恵まれた2001年産Percarlo のバレルサンプルをテイスティング用グラスに注ぐルカ・マルティーニ・ディ・チガラ氏。翌2002年産のバレルサンプルは、厳しかった天候を反映してエレガントな印象。私の反応を見てルカ氏も苦笑い。結局この年はPercarlo ではなくChianti Classico Riserva Le Balòncole として、いわば格下げしてリリースされた

 昨年イタリアを訪れた際は、事前にルカ氏にアポを取って再訪を申し出ていました。その日はLucca ルッカ郊外のエレガントなリストランテ「La Morra ラ・モッラ」での豪奢な昼食に思いのほか時間を割いてしまいました。11月ともなると緯度が高いイタリアは陽が落ちるのが早くなります。「ルッカからルカのもとへ~♪」などと同行した二人の友人とお気楽なギャグを飛ばしていたのも束の間、約束の時間に遅れそうな旨をルカ氏の携帯に入れて道を急ぎました。しかし、夜に別な用事があるため、もはや待てない旨を4回目の電話でルカ氏から告げられたのです。

boccadama.jpg【PHOTO】カンティーナ訪問を果たせなかった日の夜、フィレンツェのワインバーで選んだのは4年前に訪問した際にステンレスタンクで発酵中のモスト(果汁)clicca quiを口にしていたサンジョヴェーセで醸されたPercarlo'03。再会を果たせずに失意に沈む心を穏やかに解きほぐしてくれた。遅れを取り戻そうとブンブン車を飛ばす私の運転も災いしたのか、疲れた表情を浮かべていた友人二人も初めて口にするこのワインによって力が漲ってくるのを感じたという。「凄いワイン。逃した魚は大きかったんだね」の問いに「その通り」と笑うしかなかった

 ステアリングを操る私に代わって電話でルカ氏と連絡を取ってくれたのは、中部イタリアPerugia ペルージャに暮らす私の友人Kissyでした。彼女によれば、電話の向こうでルカ氏は幾度も「Mi dispiace(=残念だけど)」と言っていたのだそう。この表現は、相手の気持ちに同調して自分も残念に思う場合に使うのです。楽しみにしていた訪問が叶わず、失意のうちに急遽予定を変更、フィレンツェに宿泊する事に。「昼をたっぷりと堪能したし、夕食は軽く」とホテルのフロントにいた男性に勧められたサンタ・クローチェ広場に面した「Boccadama ボッカダーマ(=「貴婦人の口」の意)」というワインバーに入りました。

 訪れた年のその産地のワインを入手するのを慣わしにしている私は、ワインリストから前回カンティーナを訪れた年、2003年ヴィンテージのPercarloを迷わずチョイスしました。お店でポテンシャルが高いワインを若いうちに開ける場合は、時間をかけて飲むと時の経過と共にさまざまな表情を見せてくれます。大ぶりなグラスをゆっくりとスワリングしながら、30分ほど経過すると次第に香りが開き、Percarloが秘める高貴さが片鱗を見せ始めてきました。口に含んで瞑目すると、3年前に目に焼き付けたブドウ畑の風景や、思慮深い口調の太い声でヴィーノの説明をしてくれたルカ氏の顔が浮かぶのでした。

 目的を果たせなかった"残念会"の趣で始まったその夜。カメリエーレのお兄さんのサービスで出てきた生ハムやチーズと共にPercarloをボトル半分ほど飲み進めると、先ほどまでドロドロに疲れていた心と体が嘘のようにほぐれてゆくのでした。それは、私に限った事ではなく、初めてこのワインを口にした友人二人も同じだったのです。まるで「今回会えなかったのはMi dispiaceだったけど、またチャンスはあるさ。あなたに会った年に収穫したブドウで仕込んだボクのヴィーノで、せめて今夜は楽しんでほしい」とルカが語りかけてくるかのような不思議な体験でした。

autograph.jpg【PHOTO】" La vita è breve,beviamo solo buon vino"(=人生は短い。美味しいワインだけを飲もう)という警句とともに、著書の表紙裏に川頭夫妻から頂いたサイン。若くして逝ったエウジェニオ・カンポルミのことを想起させる

 Enoteca il Circoloでの楽しい語らいの時間を共に過ごした翌日。藤崎のワインセミナー会場で再会した川頭氏の奥様ジョヴァンナさんから思わぬ素敵なプレゼントを頂きました。私のいでたちを見て「まるでイタリア人みたいですねぇ」とジョヴァンナさん。「いいえ、庄内系イタリア人です」と笑って切り返す私。ヴィーノを中心にイタリアの話で盛り上がった私には、ふさわしいイタリア名が必要だ、ということになったのです。

 そうしてジョヴァンナさんが命名して下さった名前が「Carlo カルロ」でした。大好きなワインPercarlo (「Per」= For の意の伊語+Carlo)とも繋がる素敵な名前ではありませんか。Grazie mille signora Kawazu !
これからは私を「庄内系イタリア人・カルロ」と呼んで下さいね。

【注】1963年に施行された現行のイタリアワイン法では、格付け順にDOCG(統制保証原産地呼称)、DOC(統制原産地呼称)、IGT(典型的生産地表示付・'92から導入)、VDT(テーブルワイン)の四種に大別される。生産エリア・ブドウ品種(混醸の場合は比率も)・栽培法・収穫量・醸造方法・熟成期間・アルコール度数・残糖分・酸度・エキス分などを事細かに規定。加えて国が委嘱する専門試飲委員会による官能検査も義務付けられる。格付け上の頂点にあたるDOCGに最初に指定されたのは、Baroloバローロ,Barbarescoバルバレスコ,Brunello di Montalcinoブルネッロ・ディ・モンタルチーノ,Vino Nobile di Montepulcianoヴィーノ・ノヴィーレ・ディ・モンテプルチアーノの4種。
 品質を追求する生産者は、規定に縛られないブドウ品種を使用したり醸造法を取り入れ、独自の名前を付けたワインを生産し、国際市場から高い評価を受けるようになる。Sassicaiaサッシカイアがその端緒とされる('94年にBolgheriボルゲリDOCへと昇格)。Tignanelloティニャネッロ,Ornellaiaオルネッライアなど、後に「スーパートスカーナ」ともてはやされる銘柄が後に続いた。こうして実際には、IGT・VDTクラスに傑出したワインが数多く存在する。これが大方のワイン愛好家にとってイタリアワインを判りにくくしている要因といえる


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2007/10/25

イタリアフェア雑感

ferdinando_martinotti.jpg 本国から招かれた有名リストランテのシェフや、溜め息が出そうな伝統工芸品のマエストロらが、多彩なイタリア文化の魅力を紹介してくれる百貨店のイタリアフェア。所有欲を呼び起こし、美味に事欠かない国にふさわしく、芸術の秋・食欲の秋に催されるケースが多いようです。仙台では満足できず、目の保養を兼ねて質量ともに充実した在京百貨店に出向く事もあります。

【Photo】2007年春の新宿高島屋イタリアフェアでは、ウンブリア州の銘醸「Lungarotti ルンガロッティ」ワイン博物館所蔵の陶器などが展示されたほか、ミラノの名店Peck 直営のBar でシェフを務めるフェルディナンド・マルティノッティ氏(写真左)による調理セミナーも行われた

 有名リストランテのインショップとはいえ、水も違えば素材の鮮度も違う上、まして仮設の調理設備で本国そのままの味を再現するのは至難の業です。プロ意識が高いカメリエーレが質の高いサービスをしてくれるイタリアとは違い、テーブルセッティングも侘しいしつらえであることは否めません。それでも規模が大きな東京のフェアでは、食のみならず幅広くオールマイティなイタリアの魅力の片鱗に触れることはできます。

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【Photo】2002年10月、新宿伊勢丹のイタリア展に登場した Venezia サン・マルコ広場にあるカフェ・フローリアンのインショップ。現存するイタリア最古のカフェの雰囲気を伝えようと、それなりに手をかけた内装。本店と同じリチャード・ジノリ製の特注カップに入ったカッフェには、獅子の紋章の砂糖が添えられていた。モデルは当時4歳の Mia bambina

 これが地方の百貨店の場合、呼び物は「東京にある人気店の出店」となるのがセオリーでしょうか。2007年春に開催された仙台三越のイタリアフェアには、落合 務シェフのラ・ベットラが出店、ローマ下町のトラットリアのような味付けの料理を提供しました。同年秋に開催された新潟伊勢丹イタリアフェアの呼び物は、鶴岡アル・ケッチァーノのインショップレストランでした。東京の店じゃないだろうですと? 私があの店と出合った頃とは違い、東京に活動の軸足を移した感すらあるゆえ、白羽の矢が立ったのでしょう。

piadina_fujisaki.jpg【Photo】仙台のイタリアフェアより。東京にあるナポリピッツァの頂点ともいわれた中目黒「Savoiサヴォイ」を招聘するも、電気窯では本来の味を出せるわけもなく撃沈。写真はエミリア・ロマーニャ州の気軽な郷土食Piadinaのイートイン

 各界の人たちが店の魅力を綴ったオマージュ「奇蹟のテーブル」に奥田シェフから乞われて寄稿した私の一文にあるとおり、瑞々しいシェフの感性と多彩かつ質の高い庄内の素材たちが出逢って生み出される唯一無二の世界です。「地元のため、生産者のため」の活動は、やがて新奇さを追い求める各メディアの注目を集めるようになります。

 2006年夏にTBS系列のTV番組「情熱大陸」で紹介されて以来、奥田シェフはそれまでのペースをすっかり失ってしまいました。厨房以外の活動が増えて得たものの代償は大きかった...。いち早く紙面に取り上げ、全国区デビューの一端を担い、店の歩みをずっと見てきた者の一人として、メディアの功罪を自問しつつ今そう感じています。私が感動に打ち震えた魔法のような在来作物のフルコースを出してくれた平成16年前後の頃の闊達で自在な姿にあの店が戻る日は来るのでしょうか。

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【Photo】完熟したブドウをパッシート(=陰干し)して、糖分を凝縮させて作る Rupestr ブランドの極甘口デザートワイン「INSUPERABILE」(=至極の・越えることのできない)を手にする荒井基之氏、奥田シェフ、ジョルジョ。新潟伊勢丹にて(写真右より)

 新潟伊勢丹では、たまたま来日中だったピエモンテ・カネッリでアグリツーリズモ Rupestr を経営するジョルジョ・チリオ氏も自家農園のブドウで仕込んだ Moscato d'Asti モスカート・ダスティなどを紹介。ピエモンテワインについて1時間のトークショーでお得意のエンドレスマシンガントークを繰り広げました。ジョルジョを案内して訪れた魅力溢れる鮭の町・新潟村上のご紹介は機会を改めてたっぷりと。そのほか新潟のフェアでは、イタリアワインの魅力を日本にいち早く紹介した日本ソムリエ協会副会長で渋谷ヴィーニ・ディ・アライのオーナー荒井 基之氏や、昨年イタリア・ピエモンテ州 Alba の有名なトリュフ祭り会場でもお見かけした日本人初のAISイタリアソムリエ協会認定のソムリエ資格を取得した林 茂氏らが、イタリアワインのセミナーを行いました。

bettora_mitsukoshi2007.jpg【Photo】2007年春、三越仙台店にイートインで出店した銀座「ラ・ベットラ」落合 務シェフの弟子が作ったメリハリが利いたプリモピアットのパスタ2皿。ジェノヴェーゼ(写真上)& キノコノクリームソース(写真下)は、本店の気取らない味付けとの格差は感じなかった

 先週まで仙台で行われていた藤崎イタリアフェア2007では、「イタリアワイン最強ガイド」(文藝春秋刊)の著者 川頭 義之氏がセミナーを行いました。「闘うワイン商、フランスワインに喧嘩売ります!」のオビに目が留まって書店で手にしたこの本。地域性が強い多様な食と密接に結びついたイタリアワインの魅力を知る私が激しく共感した一冊です。

 「こんな貴方におすすめします」と表紙裏にいわく、★とにかく美味しいワインが飲みたい★イタリアは好きだけど、ワインは種類が多すぎて難しい★そろそろ「ブランド信仰」を卒業したい★フランスワインは不当に高すぎると思う★ロバート・パーカーって胡散臭いと思う★能書きは嫌いだが、ワインの本質を理解したい★ワインの職人に興味がある・・・五項目該当した私は、序文「宣戦布告!」の内容に数回大きく頷きながら読み進み、"こんな本を待っていた"と確信してレジへと向かったのです。

saikyouguide.jpg 本国では見向きすらされない「ボジョレー・ヌーボー」は、初物を尊ぶ日本においては、ビジネスとして成功しています。その経緯を見ても明らかな通り、周到なプロモーションで日本のワイン市場を寡占してきたフランス。イタリアワインを特集したワイン雑誌にすら、ボルドーを紹介するタイアップ記事やフランスワインコンセイエ【注】の資格を持つ販売員がいる酒販店を紹介する冊子が綴じ込まれてきます。こうした国や業界を挙げての販促活動の巧みさは、てんでバラバラなイタリアの到底及ぶところではありません。そんなこんなでイタリアワインが過小評価されている日本の現状を苦々しく見てきた私の積年の溜飲を下げてくれたのが川頭氏の著作だったのです。

 フランスワインこそが地球上で一番だと信じ、相当額の投資をされておられる諸氏には決してこの本をお勧めしません。なぜなら、さまざまな嗜好のテイスターによるフランスワインとイタリアワインの価格帯別ブラインド対決で、次々とイタリアワインがボルドー・ブルゴーニュのワインを打ち破ってゆくのですから。しかも勝利したイタリアワインの日本での値段は、総じて比較されたフランスワインの1/3~2/3程度です。評論家からの高い評価と希少性ゆえに高騰する「スーパートスカーナ」と呼ばれる一部のトスカーナ州産を除き、コストパフォーマンスの高さはイタリアワインの魅力のひとつです(最近はユーロ高も手伝ってそのメリットが失われつつある)

 食卓で一層輝きを増す食事の良き伴侶としての魅力にかけてはピカ一のイタリアワイン。豪州やチリなどのニューワールド産の赤ワインにありがちな後味の甘ったるさが無く、綺麗な酸を備えているため、ワイン単体で飲んでも美味しく感じます。その実力は決してフランスに引けを取らないことを川頭氏の本は証明しています。

bettora_sencondo2007.jpg【Photo】2007年三越仙台店イタリアフェアの「ラ・ベットラ」イートインよりセコンド・ピアット2皿。ズバ抜けてはいないものの、手軽でフツーに美味しいこの店らしい味を提供していた

 フランスの有名シャトーのワインは、収斂(しゅうれん)性が強いタンニンが落ち着き、味わいのバランスが取れてくる飲み頃を迎えるまでに良年作で20年~30年もの長い年月を要します。イタリアにも伝統的な造りをする Barolo バローロや Brunello di Montalcino ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ、Taurasi タウラージといった同様のワインが存在します。しかし大方のイタリアワインは、ボルドーなどに比べて熟成のピークが早く訪れます。

 屋内温度が上がらない石造りのヨーロッパの家に比べ、夏季は高温になりがちな日本の住宅環境で、こうした長熟型のワインを劣化させずに保管・熟成させるには、セラーが欠かせません。予想される飲み頃を記した自作のワインリスト無しには管理不能に陥る400本以上(「異常」と言った方がふさわしいかも?)の自宅ストックを収容するため、200本収容セラーが1台、40本収容セラーが2台ある私のような熱心なワインラヴァー以外は、それ自体が決して安くは無いセラーを備えるのを躊躇することでしょう。

cellar_casa.jpg 【Photo】3台のセラーが稼働する仙台市在住の某イタリアワインラヴァーのセラールーム。収蔵するワインの9割はイタリア各地の熟成能力が高いヴィーノで占められるという

 その点、リリース時点で楽しめる状態になっている場合が多いイタリアワインはオススメです。さらに日本の家庭料理は、素材の味を生かす料理が多く、その点でもイタリアとの共通点があります。ご存知の通りイタリアの食卓にはVinoが欠かせません。日常的にワインに親しむのならば、豊富なブドウ品種のバリエーションを持つイタリアワインは日本の一般家庭の食卓でも活躍できるシーンが多いはずです。飲まず嫌いは人生の損失ですよ。

 東京から火がついたイタリアンブームに遅れることおよそ10年、ようやく仙台にもパスタとピッツァ以外のイタリア料理を提供するレストランが増えつつあります。在仙のイタリアンレストランの中にも、ようやく頑張ってるなぁという店が何軒か出て来てくれました。女性を中心にご自宅でもイタリアンを召し上がる機会は多いのではないでしょうか?

 そうしたイタリア料理の普及度合いと比較して、良き食卓の伴侶たるイタリアワインの存在感は、日本ではまだ希薄と言わざるを得ません。今ではほとんど見かけなくなったフィアスコ・ボトルという藁で覆われた独特の形状の瓶に入った安いキアンティ=イタリアワインというイメージが日本では強かったように思います。

 品質の向上が著しいキアンティ・クラシコも、かつては「白ブドウを15%混醸すべし」という組合が定めた規定に沿って作られた軽めのものが多かったのです。こうした安酒のマイナスイメージは、ようやく海外に目を向け始めたここ10年あまりの生産者の努力によって、現在では払拭されつつあります。それでも酒販店の店頭にあるイタリアワインは若干淋しい品揃えの場合があります。仙台に本社がある大手輸入酒類・食品販売店が、お膝元の店舗で扱うイタリアワインですら、同社が首都圏で展開する店舗のそれと比べて質量ともに見劣りするのが正直な印象です。

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【Photo】店が一段落したところで、Enoteca il Circolo の吉田シェフ(写真右)もワイン談義に加わった。私がプレゼントした宮城の観光情報を一冊にまとめた「宮城通本」(河北新報社発行)を前に熱くワインを語る川頭義之氏とジョヴァンナ夫人

 そんな仙台で、イタリアワインの魅力を一人でも多くの方に知っていただくには最適のキャスティングともいえる川頭氏のワインセミナーが行われるというので、楽しみにしていました。セミナーの前夜、Enoteca il Circolo の吉田シェフとインポーターのモトックスさんのご好意で、川頭氏と個人的にお会いすることができました。氏が自宅でも愛飲するという Vino 数種を傾けながらの"イタリアワインバカ一代"同士の語らいの内容は次回ご報告します。

【注】conseiller コンセイエ(=助言者:仏語)。パリに本部があるフランス食品振興会(通称SOPEXA)が認定するワイン販売員の資格。フランスワインコンセイエについてはこちらを参照http://www.conseiller.jp/index.php?action_conseiller=true

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2007/06/15

伝説のグラッパ職人、ロマーノ・レヴィ

天使のグラッパ職人は生き仏だった

 昼食にたっぷりと摂取したタルトゥフォ・ビアンコの残り香を全身から発するお大名様一行。次に目指したのは、カネッリからアルバへと西に向かう道を20キロほど進んだクーネオ県ネイヴェ。そこには知る人ぞ知るグラッパ職人であり、イタリアらしいファンタジックでハンドメイドなモノ作りの極みともいえるRomano Levi ロマーノ・レヴィさんのグラッパ蒸留所兼自宅があるのです。

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【Photo】アルプスを遠望するNeive ネイヴェの町

 カネッリと至近距離にある蒸留所への訪問は、私のたっての希望で組み込んだもの。車に乗り込む同行メンバーは一様に「誰それ? 」「何しに行くの? 」といった雰囲気でしたが、行く先を操るドライバーは私。先導するジョルジョについて「ムフフ・・伝説の人に逢わせてやるぜぃ」と、約束の4時に間に合うよう、はやる気持ちをおさえつつ道を急ぎました。ただ、1928年生まれと高齢のレヴィさんは最近体調が思わしくなく、ご本人にお会いできるかどうか、行ってみないと判らないよ、と事前にジョルジョからはクギを刺されていました。

Ciabot_Canale_Cisterna.jpg【Photo】Neive ネイヴェ近郊のブドウ畑にはCiabòt と呼ばれる農作業の間に休憩や雨宿りのための作業小屋があるのを見かける。こうしたランゲの丘の風景は、レヴィさんが描くラベルのモチーフとなっている

 ピエモンテ州はワインの銘醸地として有名ですが、とりわけクーネオ県は世界的に名高いバローロ、バルバレスコといったワインの有名産地を抱えます。ワインの醸造のため除梗され果粒となったブドウは、仕込みの途中で果皮や種を除かれます。このワイン醸造過程で不要になる残り滓を発酵・蒸留して作られるワインの副産物として世界各国で作られてきました。

coretto.jpg【Photo】希少なキアーナ牛の産地、トスカーナ州キアーナ渓谷の近くの街モンテプルチアーノのリストランテ「Borgo Buio Officina del Gustoボルゴ・ブイオ」にて。庄イタ+女性2人の両手に花の組み合わせで、やっとの思いで巨大なキアーナ牛のビステッカ(=ステーキ)を平らげた後のカッフェは、グラッパと共に登場。消化を助けるグラッパを入れた Espresso Coretto は、ビステッカ・アッラ・フィオレンティーノを食した後の定番

 こうしたいわゆる「滓(かす)取りブランデー」は、イタリアではGrappaグラッパ、フランスではEau de Vie de Marc オー・ド・ヴィー・ド・マール(Marc マールと略して呼ばれる方が多い)、スペインではAguardiente アグアルディエンテ、あるいはOrujo オルッホと呼ばれます。原料が安価に入手できるので、どちらかと言えば庶民の酒として親しまれてきたものです。

 温暖な地中海性気候のイタリアでも、北部の冬の冷え込みは相当のもの。かつて貧しい労働者たちは寒さをしのぐ手段として、また強壮剤がわりに、40度前後ものアルコール度数のグラッパをあおっていたようです。北イタリアの一般家庭では、コレット(エスプレッソにグラッパを加えたアレンジカッフェ)や、グラッパをストレートで飲みながら家族や友人同士の語らいを楽しむのが食後の習慣でした。さらに気管支炎や便秘、消毒薬や歯痛などの薬としてもグラッパは使われていたようです。

 古代ギリシャ人がエノトリア・テルス(=ワインの大地)と呼んだほど、ワインの栽培に適したイタリア。現在イタリアの全20州でワインは作られていますが、グラッパは北部イタリア各州、特にヴェネト州やピエモンテ州、フリウリ・ヴェネツィア・ジューリア州などの主要なワイン生産地でワイン醸造の副産物として、10世紀前後から製造・消費されてきました。

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【Photo】バッサーノ・デル・グラッパの町を流れるブレンダ川と、屋根のかかった木製の橋「ポンテ・ヴェッキオ」

 ルネッサンス期に蒸留技術が発展し、アルプスの麓に位置するヴェネト州北西部のバッサーノ・デル・グラッパ(=グラッパのバッサーノ)という町では、1601年に蒸留酒組合が設立されています。町を流れるブレンダ川にかかる屋根付きの木造橋ポンテ・ヴェッキオ周辺には、グラッパを取り扱う店が現在も多数立ち並びます。バッサーノ・デル・グラッパ近くにある山、モンテ・グラッパ(=グラッパ山)は、グラッパという酒名の由来ではないかという説もあります (注5)

近年、イタリア料理人気も手伝って、日本でもグラッパの名前は食後酒として広く知られるようになりました。ヴェネト州の州都ヴェネツィア特産の凝った意匠のボトルに入ったグラッパは仙台の酒販店でも見かけます。Sassicaia サッシカイアや Luce ルーチェといったトスカーナ州産の有名ワイナリー銘柄のグラッパが、実は北イタリアの蒸留所に原料が運ばれて製造されていることはあまり知られていません。

grappadiLuce.jpg【Photo】トスカーナの名門 Frescobaldi フレスコバルディとカリフォルニアの雄 Robert Mondavi ロバート・モンダビのジョイントで生まれたスーパートスカーナ「ルーチェ」。日本に初めて正規で輸入されたファーストヴィンテージの'95とバッサーノ・デル・グラッパ近郊のJacopo Poli ヤーコポ・ポリ蒸留所で造られるルーチェブランドのグラッパ

 イタリアにおいてグラッパの名が全土に浸透したのは20世紀に入ってから。それ以前はフランスと地理的に近いピエモンテ州では、ブランダBranda (=ブランデー)という呼び名が一般的だったようですし、ヴェネト州においても Graspa グラスパと呼ばれたりしていました。

 現在の欧州連合(EU)発足以前の1989年、欧州共同体(EC)体制化において、グラッパという名称がイタリア産の滓取りブランデーにのみに認められると法制化されて以降、呼称の統一が図られました。

 グラッパの原料となるワイン醸造の残り滓をイタリアでは「ヴィナッチャ」といいます。一定のクオリティを持つ製品化されたワインを蒸留して造るコニャックやアルマニャックなどのいわゆるブランデーとは異なり、素材そのものであるヴィナッチャ、特に果皮にはブドウ本来の香りが凝縮しているため、それを蒸留するグラッパは、素材となるブドウの持ち味や品質がダイレクトに蒸留後の味わいに反映されます。

grappaBerta.jpg【Photo】ニッツァ・モンフェラートにある至高の蒸留所Berta (ベルタ)。これはモスカート(マスカット)種のヴィナッチャから抽出したアルコール成分を、8年間樽で熟成させてからリリースする限定品

 ブドウ生産農家の自家蒸留も含めて、イタリアにおけるヴィナッチャを材料とする蒸留所は、20世紀初頭には二千軒ほどあったといいます。そのため、圧搾後の保管の良し悪しによって酒質にバラつきが出がちで、'80年代半ばまで、グラッパは安酒というイメージが国内では浸透していました。現在のように人気ワイナリーの名を冠したグラッパが作られることも、まして一流のリストランテの食後酒としてオンリストすることなど、想像すらできない状況だったのです。

 風光明媚なリゾート地コモ湖の北方、スイス国境に程近い山中の町、ロンバルディア州最北部に位置するソンドリオ県カンポドルチーノから、西隣のピエモンテ州でもブドウ栽培が盛んなランゲ地方のネイヴェに移り住んだセラフィーノ・レヴィは、駅近くの Via 20 Settembre (=9月20日通り)に面した一角で1925年にレヴィ・セラフィーノ蒸留所を興しました。

 ところが、彼は8年後の1933年に若くして他界。その当時7歳だった娘リディアと5歳の息子ロマーノを抱えた母テレジーナは、女手ひとつで夫が興した蒸留所を引き継ぐ決意をしたのです。

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【Photo】ネイヴェの街中にある高齢のレヴィさんと姉のリディアさんが2階で暮らす自宅兼蒸留所のレヴィ・セラフィーの蒸留所の庭にて。写真右手奥に建物をまわり込んだ場所が直火式蒸留施設となっている。

 第二次世界大戦下の1945年。遡ること2年前の1943年にイタリアは降伏文書に調印していましたが、ナチスドイツの支援を受けたムッソリーニは、ドイツの傀儡(かいらい)政権というべきイタリア社会共和国をロンバルディア州ガルダ湖畔で樹立。ローマ以北を支配下に治め、連合国側が支配する南イタリア諸州との間でイタリアは内戦状態にありました。

 そんな混迷した状況下の3月30日の朝、ニッツァ・モンフェラートとアルバを結ぶ鉄道施設を数機の爆撃機が襲撃しました。その際、ネイヴェにある小さな駅も爆撃を受けたのです。このとき姉リディアは教会に、ロマーノは地下のセラーに逃れて難を逃れました。この爆撃で8名のネイヴェ市民の命が失われました。その中にロマーノの母テレジーナが含まれていたのです。それはムッソリーニがパルチザンに捕らえられて処刑され、その二日後にヒトラーがベルリンで自殺し、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線が収拾するちょうどひと月前のことでした。

【Photo】屋根の上ではレヴィさんファンにとって永遠のアイドル? ドンナ・セルヴァティカ(直訳すると「野生の女性」→お転婆娘・じゃじゃ馬といったニュアンス)が踊る

yaneselva.jpg こうして高校を卒業したばかりのリディアと、高校在学中だったロマーノの二人だけが残されました。その当時、まだ19歳と17歳であった二人が生きてゆくための成り行きとして、蒸留所の釜にロマーノ少年が初めて火入れをしたのが1945年の秋。最初にロマーノが仕込んだヴィナッチャは、母が不慮の死を遂げる前年に遺したものでした。

 それまでは誰もグラッパの蒸留法をロマーノに教えたことはなかったといいます。爾来60年以上にわたって、レヴィさんはひたすらグラッパを作り続けているのです。姉のリディアさんが庭で摘んだミントやセージなどのハーブが入ったグラッパも作られてきましたが、80歳を迎えたリディアさんは最近病気がちのため、ハーブ入りのグラッパを見かけることは少なくなりました。

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【Photo】壁にはレヴィさんが好きだというフクロウのオブジェや、来訪した著名人の写真が飾られている。創業当初から周辺のカンティーナから秋に持ち込まれるヴィナッチャは、庭に掘られた深さ6mの貯蔵庫で保管され、天然の冷蔵庫で一冬を越す

 現在、グラッパ作りで主流なのは、スチームによる加熱方式。そのほか二重構造になった釜の間に熱湯を通して加熱する方法を取り入れている蒸留所もあります。沸点が100℃の水を使用したほうが、加熱温度が高すぎるとアルデヒドなどの悪臭成分が発生するヴィナッチャから、79℃以下で沸点に達するエチルアルコールを気化させて抽出する蒸留作業の温度管理がしやすいからです。

 かたやレヴィ・セラフィーノ蒸留所では、加水したヴィナッチャを加熱してアルコール成分を抽出するのは、創業当初から80年以上を経過した直火式のカルダイアと呼ばれる銅釜を含む蒸留装置。この蒸留装置を総称してアランビッコといいます。近所に暮らすジョルジョ・トーソさんが親子二代に渡ってアランビッコのメンテナンスを担当しています。

vinaccia_revi.jpg 【Photo】建物奥のヴィナッチャ保管場所で。アンジェロ・ガヤなどの近郊のカンティーナから、圧搾後3日以内で持ち込まれるヴィナッチャは黒いビニール袋に入っている。手前がアルコール抽出を終えたヴィナッチャで、抽出の際の燃料にまわされる。燃料の灰は、畑に撒かれ土壌改良に使われる

 ブドウの搾り滓を直火で加熱して蒸留酒を造っているのは、今日のイタリアでは唯一レヴィさんだけとなりました。自家消費用を除けば、世界でも例を見ないかもしれません。釜の熱源を両親から受け継いだ炎に頼ってきたレヴィさん。元気だった頃は朝4時に釜に火を入れ、永年の勘で温度管理を自らしていたそうです。

caldaia_revi.jpg【Photo】フクロウの小物がたくさん置かれていた作業場内部。奥のアランビッコから手前の樽にアルコールが移される

 ワインラヴァーの私が初めてロマーノ・レヴィさんを知ったのは、'90年代半ばに目に触れた雑誌の記事を通して。そこには風変わりなヘタウマ風の絵が手書きされたラベルのグラッパと、いかにもクセ者というオーラを放つレヴィさんの写真が載っていました。いわく作り手のもとを訪れないとグラッパを入手できないこと。ラベルが一枚ずつ手書きされること。機嫌が悪い時は会ってもくれず、会えたとしても譲ってくれるとは限らないこと、そこには電話すらないこと・・・・などが記されており、強烈な印象を残したことを記憶しています。(注6)

 レヴィさんの代名詞といえる手書きのラベルはグラッパ造りを始めて18年後の1963年から登場しています。著名なイタリアのワインジャーナリスト、故ルイジ・ヴェロネッリが、レヴィさんを「Grappaio Angelico (=天使のようなグラッパ職人)」と形容し、さらに1971年12月にイタリアの週刊誌 Epoca で紹介して以来、レヴィさんは生ける伝説となったのです。

UomoSelvatico.jpg【Photo】筆者所有のレヴィさんのグラッパより。右が Donna Selvatica ドンナ・セルヴァティカ。左はレヴィさん自身の投影だという Uomo Selvatico ウォモ・セルヴァティコ(「野生の男」の意)

 日々の出来事や印象的な出逢いを絵や詩で紡ぎあげるため、同じものが存在しないレヴィさんの手書きラベルをまとったグラッパには、世界中にファンがおり、プレミア価格で取引されます。日本での実勢価格は、700ml入り一本およそ2万円前後。熟成期間の長いリゼルバや、とりわけマニアに人気の高いキャラクター「Donna Selvatica ドンナ・セルヴァティカ」がラベルに登場するものとなると、一ケタ跳ね上がることも珍しくありません。

 ドンナ・セルヴァティカが誰なのか、前出の蒸留釜のメンテナンスを担当するトーソさんによって明かされています。学校まで歩いてブドウ畑を越えて通っていたレヴィさん。本稿の冒頭でご紹介したブドウ畑に点在するCiabòt と呼ばれる避難小屋の前で、朝に出逢った美しい女性がモデルなのだといいます。

 傘をさしたウォモ・セルヴァティコが、生涯独身を貫くレヴィさんなのだと仮にすれば、ファム・ファタールとの邂逅が目に浮かぶようです。

 私たちが立ち寄ったネイヴェ中心部のエノテカ(注7)では、店内の目立つ場所に鎮座したレヴィさん手書きラベルのグラッパが100エウロだったのに対し、同程度の熟成期間を経た同じような中身のグラッパでも、印刷ラベルのものは、30エウロと3倍以上の価格差がありました。

printedaquqavite.jpg【Photo】レヴィ・セラフィーノ蒸留所製の印刷ラベルのグラッパ「Acquavite di Vinaccia」。中身は同じでもプレミア価格となる手書きラベルのグラッパよりかなり割安。蒸留所で試飲用に置いてあったグラッパはこれだった

 かくするうちに、ネイヴェの町に辿り着いた一行。街の中心部の道端でジョルジョが運転するプジョーが停車しました。通りの斜め向かいには、イタリアワイン界のリーダー的存在として著名なアンジェロ・ガヤ氏と並んでバルバレスコの巨人と称されるブルーノ・ジャコーザ氏のカンティーナ(=ワイン醸造所)が何気にあるではありませんか。「おお、スゲぇ~」。

 ネイヴェはバルバレスコ村とすぐ目と鼻の先。そのためブドウ畑が広がるランゲ地区を車で走っていると、こうして有名カンティーナと突然出くわすことがあるのです。車を降りたジョルジョは、広い庭のある一軒の家の中に入ってゆきます。さまざまな草木が生い茂った庭には猫が2匹。紛れもなくこの古びた建物がロマーノさんの自宅兼蒸留所なのでした。

 建物の奥にはアルコール抽出が終わった固形のヴィナッチャがうず高く積まれた一角が。そこからは再発酵作用のため、湯気が上がっていました。蒸留釜の燃料はすべてこの使用済みのヴィナッチャを活用しています。燃やしたヴィナッチャの灰は、ブドウ農家に引き取られ肥料として活用されるといいます。

Fornenryou.jpg【Photo】使用済みのヴィナッチャ。水分を除くために木製の圧搾機(下写真左の木製の器具)にかけられた際につく縦縞模様がついているのがわかる

 私たちが訪れた10月末は、赤ワイン用ブドウ品種としては収穫時期が早いバルベーラ種やドルチェット種が仕込みを終え、そのヴィナッチャが周辺のカンティーナから持ち込まれる時期でした。11月に入ると、収穫が最晩秋となるネッビオーロ種が持ち込まれてきます。それらは黒いビニール袋に詰められた上、ひと冬を6mの深さがある貯蔵庫に埋められてから上から砂で覆われ、天然の冷蔵庫でじっくりと寝かせてから蒸留されます。

 かつては、アルネイス種やモスカート種など、白ワイン用のブドウのヴィナッチャも使用したそうですが、蒸留前に一次発酵させる必要があるため、現在では主に赤ワイン用ブドウを使用しているそうです(注8)

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【Photo】(左写真)作業中のファブリッツィオさん(上)とブルーノさん(下)/(右写真)カルダイアで煮沸されるヴィナッチャ。アルコールを帯びた蒸気が銅製の管を伝って抽出される。抽出を終え、カルダイアから取り出されたばかりのヴィナッチャ(下写真)。水分を圧搾して乾燥後、燃料となる

 作業場ではレヴィさんのアシスタントを勤めるブルーノさんとファブリッツィオさんが働いていました。蒸留作業が終盤にさしかかり、蒸留釜の蓋が外されています。ファブリッツィオさんに促され、ハシゴに登って中を覗くと、釜の中でヴィナッチャがグツグツ沸騰しています。

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 ヴィナッチャに含まれる水分とアルコールの二つの揮発成分は加熱によって水蒸気となりますが、エチルアルコールの沸点のほうが水のそれよりも低いため、ヴィナッチャに含まれるアルコール成分の抽出という蒸留の目的は、煮沸工程の前半で果たされます。

 アルコールが気化した蒸気を再び純度の高いアルコールとして液化させるために、冷却装置である銅製のパイプと蒸留塔で液化し、そこから直接パイプで樽に移された後、2年間以上に渡って熟成されます。樽の素材がトネリコとクリ材の場合は透明に、アカシアとオーク材の場合はコハク色に、材質の成分が滲み出て仕上がるそうです。最終的にそれらは混ぜあわされてアルコール度数が50~60度になるよう加水の上、瓶詰めされます。

 「わしゃ、一種類のグラッパしか作っとらんよ」と煙に巻くレヴィさんですが、調合の度合いによって、味わいはさまざま。気の良さそうなブルーノさんに勧められて、ほのかに琥珀色を帯びたグラッパを試飲していると、ジョルジョが駆け足でやってきました。数名に分かれてレヴィさんと挨拶ができるそうです。やって来てよかった!その日は天気も良く、10月下旬の北イタリアとしては、暖かだったので、レヴィさんの体調が良かったのでしょう。

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【Photo】頸椎を痛めた首を持ち上げるレヴィさんと同じポーズで記念撮影に興じるアル・ケッチァーノ奥田政行シェフ。窓際に幾重にも張られたクモの巣は埃だらけ

 敷地に入ってすぐ左手にある木の扉を開けて、裸電球の照明がぶら下がった雑然とした部屋に通されました。そこはレヴィさんが天使と交信しながらラベルを描くアトリエなのでした。壁一面に世界中から訪れる訪問者と撮られた写真や、いろいろな絵が掛けられています。西洋では知恵のシンボルといわれ、レヴィさんも好きだというさまざまなフクロウの小物が部屋中に置かれています。ファンの間では有名な? 蚊が捕れるからとそのままにしている幾重にも張られたクモの巣は埃だらけ。そこには何やら虫が引っかかっています。

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【Photo】具合が悪いレヴィさんの首に気を送るエスパー奥田。気持ちよさげな表情を浮かべるレヴィさん。エスパーとしての手腕は未知数ながら、首に気を送る筆者。(たぶん)気持ちよさげな表情を浮かべるレヴィさん。

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 窓際の机の前で手を広げ、歓迎の意を表すように穏やかな笑みを浮かべたロマーノ・レヴィさんが私の目の前にいました。椅子に座った姿は、あたかも前ローマ法王・故ヨハネ・パウロ二世のよう。友人の醸造家、ロマーノ・ドリオッティ氏を通して訪問の仲介をしてくれたのだというジョルジョが、私達を順番に紹介します。

 レヴィさんは両手で頭を持ち上げる仕草をしながら、こんな格好で申し訳ないと開口一番。頚椎を傷めて首を固定するバンドを頭に巻いていないと、頭が上がらないそうで、そのような状態にもかかわらず面会の時間を割いてくれたレヴィさんの優しさに打たれました。

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【Photo】それぞれ頂いたオリジナルラベルのグラッパを手に。手前より筆者、奥田シェフ、西川さん、ジョルジョ。シェフからのお土産・アル・ケッチァーノの純米吟醸酒「水酒蘭(ミシュラン)」を手にするレヴィさん

 ささやかな御礼代わりになればと、「レヴィさんの首が楽になるよう、気を送ってあげて」と、実はエスパーな奥田シェフに耳打ちしました。シェフが左手をレヴィさんの首に当てると、「Bene, Bene(≒あ゙~、気持ちいい)」とつぶやき、気持ちよさげ。奥田シェフほどの超能力は持ち合わせていない私もレヴィさんの首に気を送っていると、おもむろにジョルジョが私にグラッパを一本差し出しました。

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 そのボトルには、震えた字でRomano Levi 2006と直筆サインがなされ、なんとKimura と私の苗字が書かれたドンナ・セルバティカのびっくり顔のラベルが貼られていたのです(上写真)。予期せぬ展開にその瞬間、ワーオ!と思わず声を上げてしまいました。世界で一つだけしか存在しないこのラベルに描かれたセルバティカちゃんと同じような顔だったことでしょう。

 奥田シェフと西川さんにも名前入りでドンナ・セルバティカの別バリエーションで用意されていました。最近は体調が悪くて、ほとんどラベルの絵が描けないと聞いていたのですが、事前にジョルジョが手を回してくれていたのです。ありがとうレヴィさん。ありがとうジョルジョ。アトリエを出がけにお土産にと、レヴィさんの絵の焼印が押されたコルクも頂きました。

okuda2.jpg 限られた時間での出会いでしたが、えもいわれぬ包容力をたたえたレヴィさんとのまさに一期一会の時間は、メンバー全員の胸に深く刻まれた様子でした。前述の理由で手書きのグラッパは非常に量が限られてきているため、ジョルジョが手配できたグラッパは、この日訪れたメンバーのうちでも3人分だけ。しかもその3本はプレミアなしの値段でした。

 後日談で、帰路のパリ空港で、荷物整理のために奥田シェフがスーツケースから取り出したラベルに OKUDA と描かれたグラッパを見咎めたのが、同行した雑誌「四季の味」八巻編集長。「何それ?OKUDA って書いてあるじゃない!! 」と八巻さんから詰問されたシェフは、答えに窮してその場を逃げ出したとか。

 それを知ったジョルジョが、改めて八巻マンマ用のグラッパを頼もうとしたものの、私たちの訪問から間もなくレヴィさんが体調を崩して入院してしまったことを西川さんから聞きました。一日も早い回復を祈っていたこちらの願いが通じたのか、年明けの2007年1月には退院し、八巻さんとジョルジョのグラッパのラベルも描いてもらえました。同年3月に日本を訪れたジョルジョによって、そのグラッパは八巻さんに手渡されたようです。家宝にせねば。ね、八巻さん。

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【Photo】レヴィさんから贈られたボトルのバックラベル。加水してアルコール度数を51%に調整しており、「アクアヴィーテ・ディ・ヴィナッチャ」(「ヴィナッチャの生命の水」の意)と表記される

 生産手段の工業化は一定の品質を、そして技術革新はめまぐるしいモデルチェンジをもたらします。目先の新しさを追い求めるモノは、えてしてすぐに忘れ去られてしまいがち。私たちの身の回りは、そんなモノで溢れかえっています。しかし、そこには作り手の思いや顔はなかなか見えてきません。かつて優れた品質で世界を席巻した MADE IN JAPAN 製品も、グローバル化の波を受け、海外に生産拠点を移さざるを得なくなり、もともとの「売り」だった品質の低下を招いているケースも見受けられます。

 そんなマスプロダクツの論理や目先の流行とは縁のないところで、レヴィさんは昔ながらのやり方で世界にひとつだけのグラッパを造り続けてきました。伝説の人と会うために今日もネイヴェの古びた屋敷を訪れる人たちは後を絶ちません。レヴィさんから頂いたグラッパの世界にひとつだけの味わい深いラベルを眺めながら、その作り手が歩んだ80年の人生と重ね合わせ、時流に流されないレヴィさんの飄々とした生き方が世界中のファンを惹きつけてやまないのだ。と納得したのでした。

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【Photo】「天使のようなグラッパ職人」と言われる伝説の人から頂いたコルクには、レヴィさんの楽しげな絵が刻印されていた

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【注5】ほかに Grappa グラッパの語源の説として、ブドウの房を意味する Grappolo グラッポロ、果梗を意味する Graspo グラスポなどがあるが、いずれも決め手に欠ける。

【注6】そうして近郊の酒販店や酒商もレヴィさんのグラッパを入手している。彼らが上乗せする転売差益を支払いさえすれば、家を訪問せずとも入手は可能。レヴィさんイコール手書きラベルと日本では短絡的に紹介されているが、実は Acquavite di vinaccia (アックアヴィテ・ディ・ヴィナッチャ)と印刷されたラベルの「レヴィ・セラフィーノ」ブランドのグラッパも一部市場に出回っている。高齢のレヴィさんがこなせる量は限られるので、手書きラベルのグラッパの希少性は増すばかりだ。そのため、2004年の12月からは、ラベル作成を年下の友人であるマウリッツィオさんが時々手伝っているという。二人が共同作業をしたボトルには、ROMANO E MAURIZIO と記されている

【注7】酒販店のこと。私たちが訪れた「エノテカ・デル・ボルゴ・ディ・ネイヴェ」は、ワインの聖地ランゲだけあり、ざっと見たところ商品構成は地元産の赤ワイン85%、同白ワイン10%、グラッパ3%、その他2%と著しく偏っていた。こうした「地元が一番!」という、いかにもイタリアらしいスタンスに好感が持てた。
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【Photo】NEIVEの町 Via 20 Settembre に面した Enoteca del Borgo di Neive。外壁のドンナ・セルヴァティカの絵(下写真)に惹かれて店に寄った。この通りの先にレヴィさんの蒸留所がある
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 それにしてもオーナーが店の奥から切り出してきた生ソーセージ「サルシッチャ」と共にワイン数本を早朝から試飲したが、バランスの取れた気高さを感じさせる自家製バルバレスコの美味しかったこと!日本には入ってきていない銘柄だったが、ピエモンテにはこうした規模の小さなつくり手が多い。ジョルジョに言わせると規模の大きなカンティーナよりも小さなところのほうがワインの品質がいいぞ!とのこと。確かに自分の目が届く範囲でブドウを手塩にかけて育て、自家醸造する作り手のほうが信頼は置けるので、真実の一面を突いている

【注8】白ワインは、醸造過程で果粒を破砕して圧力を加えて流れ出たモスト(果汁)がアルコール発酵する前に果皮や種が取り除かれるため、色素がモストに移らない。よって、取り除かれたばかりの白ワイン用ブドウの果皮や種はアルコール発酵していない状態にある。よって、白ワイン用ブドウ品種のヴィナッチャからアルコール抽出するためには、事前に発酵させる必要がある。一方、赤ワインは果皮や種を含んだ状態でモストをアルコール発酵させるため、果皮の色素がモストに移って赤ワイン特有の色合いを呈する。グラッパの蒸留所に持ち込まれたヴィナッチャは、カンティーナの管理下ですでに発酵過程を終えているのである。素材の状態が品質の鍵を握るグラッパゆえ、傷みやすい白ワイン用ブドウのヴィナッチャを使用する場合は、その発酵にも神経を払う必要がある。

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2007/06/14

女性酒応援団を応援しよう

旨し食の伴侶に旨し酒あり。

食中酒は食事の楽しさを倍増させてくれます。
イタリアやフランス、中国、そして日本。これら世界に冠たる食文化を持つ国で
ワインや紹興酒・日本酒などの食中酒文化が発達した背景には、
単に空腹を満たすだけではなく、「食事を楽みたい」という人間の英知の積極的な関与がありました。

このほど、宮城県内で日本酒造りに携わっている女性や愛好家らによる
「みやぎの酒女性応援団」が発足するというので、友人からの誘いで、
その応援団の応援に(?)駆けつけました。
とはいえ、開始時間にすっかり遅れてしまったので、そそくさと空いていた
席に潜り込み、隣席の方にあたふたと名刺を差し出すと・・・あれ?
なぁーんだ、食Web研究所の「3人ごはんBlog」の常連客でとしても活躍中
の福田沙織さんじゃありませんか?
ハハハ・・・フードライター同士、行動パターンがどこかで被ってくるんですね。

会の設立趣旨や「酒と食の地産地消」を推し進めるための活動を繰り広げる
という方針の説明は、とうに終わったみたい。
そのため、私にとっては、ただの異業種交流会となった次第。しかも女性だらけ
L(@^▽^@)

素材の味を活かす繊細な味付けがされる日本食には、やはり日本酒が
ピタピタと合います。宮城の郷土の味の再発見。まさに「あるもん探し」。
これからの活動に期待したいですね。

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【PHOTO】蔵の酒を手にする蔵元三人娘(⇒勝手に命名)。
写真右から、㈱佐浦 内海 尚子さん、はさまや酒造店 泉 薫子さん、まるや天賞㈱ 蕪城 文子さん

同会の発起人・浅野酒店店主、浅野康城さんや、会の座長に選ばれた
外崎浩子県議らと連れ立っての飲み直しは、行きつけのEnoteca il Circoloへ。

日本酒応援団の締めだというのに、最後はイタリアワインとなるのだった・・・

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2007/06/08

Salone del Gustoサローネ・デル・グスト体感レポート

◆File2:スローフード運動の理念を体現した「サローネ・デル・グスト」

Salone_logo.jpg テッラ・マードレの会場「オーバル」に隣接する広大な「リンゴット」国際展示場では、「Salone del Gusto サローネ・デル・グスト(=「味のサロン」の意)」が催されました。10回目を迎えた当イベントのスローガンは、「GOOD,CLEAN,FAIR (=おいしく、きれいで、正しい)」

 こちらは、20ユーロの入場チケットを購入すれば、一般参加者も入場可能です。幕張メッセで開催される日本最大の食の見本市「FOODEX JAPAN」の出展ブース数はサローネより多いものの、あくまで業者向けの商談の場・見本市の性格が強いもの。一方、スローフード協会は、サローネを広く一般消費者に門戸を開放しています。

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【Photo】広大なサローネ・デル・グストの会場。世界各国の個性ある伝統食品が並ぶ "Slowfood archives"
  
 かようにサローネ・デル・グストは単なる食の見本市ではなく、スローフード運動が目指す生物多様性のあり方と、味覚・環境・社会的公正さを備えた質の高い健康な食の世界を、訪れた人が多面的に体感できる場なのでした。事実、初開催となった10年前は、食品メーカーや小売店などの商工業者出展の割合が75%だったのに対し、第一次産業に携わる人々の出展が25%の割合だったものが、今回はその割合が生産者出展75%・商工業者出展25%に逆転していたのです。

ViaDolci.jpg【Photo】来場者でごった返すサローネ会場。甘党にはたまらない菓子類がずらりのVia dei Dolci (=お菓子通り)。チョコレート作りが盛んなトリノの老舗 Venchi ほか、ほとんど全てのブースで試食が可能。生き方そのものがDolce vita (=甘い生活)なイタリア人が作るドルチェだけに、さすがに美味 "Slowfood archives"

 そこでは開場時間の11時から23時までの間、胃袋と気力が続く限り、食の五大陸一周旅行を堪能できるのです。ワインやオイル、チーズや食肉加工品、トリノ名産のチョコレートなどイタリアを代表する伝統的産品の300あまりのブースや、世界各国の特色ある食品が広大な会場にぎっしりと並び、一日で会場のすべてを食べつくし、学ぶことなど、とても不可能なスケールです。

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【Photo】イタリア・トスカーナ州アレッツオ県のアルノ川沿いのヴァルダルノ地方で作られるプレジディオ指定された独特の製法によるパンチェッタ「Valdarno Tarese」のブース

 「Ark アルカ(味の箱舟)」認定産品のなかでも、特に重要で良質な食材はスローフード協会から「Presidio プレジディオ」(=庇護・防衛の意)指定を受けます。私が訪れた2006年大会からは、個性豊かなプレジディオが、大陸別に展開するブースが300ほど設けられました。そこにはスウェーデンのトナカイの干肉や、チベット高地で飼育されるヤクの乳のチーズなどの、さまざまな国籍の生産者がおり、いわば異文化と触れ合う坩堝(るつぼ)さながらの様相を呈していました。

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【photo】パスタ製造が盛んなアブルッツォ州の小麦粉挽き職人のパスタワークショップには、同州のみならず、イタリアを代表するワイン醸造家、ジャンニ・マシャレッリ氏も登場、講座に華を添えた

  特色ある世界中の伝統食品・飲料に関するワークショップが会期中に行われ、そこでは英語の同時通訳による生産者自身や生産組合などの関係者らの解説を聞きながら、試食・試飲ができました。私が参加したのは、ふたつの講座。まずはイタリア中南部アブルッツォ州の小麦粉挽き職人ニコラ・ディ・ラッロ氏が、小麦粉を手ごねして作るパスタ「マッケローニ・アッラ・ムニャイア」 (注1)の製造過程を実演し、打ち立てのパスタを試食するというもの。

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【Photo】小麦粉挽き職人ニコラ・ディ・ラッロ氏による「マッケローニ・アッラ・ムニャイア」作りの実演。熟練のラッロ氏の手つきは日本人からみれば"うどん打ち"そのもの

 コシのある麺にトマトソースが軽めに絡めてあり、小麦の香りが活きた仕上がり。アブルッツォならではの素朴なパスタと共に出されたのは、2006年に亡くなった伝説的なワイン生産者、エドアルド・ヴァレンティーニ氏亡き後、同州のリーダーと目される著名な醸造家ジャンニ・マシャレッリ氏の赤ワインでした。ワインと共に登場したのが、アブルッツォのみならずイタリアでも屈指の醸造家、ジャンニ・マシャレッリご本人でした。イタリア人らしいビシっとしたスーツ姿の同氏の登場は事前のリリースには一切記載されておらず、私にとってはうれしい誤算です。

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【Photo】 日本人にとっての醤油味のように、イタリア人の味覚において最もベーシックな味付けとなるトマトソースによるシンプルな味付けでパスタを味わった。醤油とダシで頂く讃岐うどんと同じく、パスタのコシと小麦の香りが際立った「マッケローニ・アッラ・ムニャイア」

 フレンチオークのバリック樽100% (注2) でモンテプルチアーノ種のブドウを36カ月間長期熟成をさせるフルボディのD.O.C.赤ワインMarina Cvetic Montepulciano d'Abruzzo'03。マシャレッリ氏がアブルッツオ州キエーティ県マルッチーナに1978年から所有していたブドウ畑に新たに興したマリーナ夫人の名前を付けた醸造所、Azienda agricola Marina Cveticからの初リリースとなるモンテプルチアーノ種100%で仕込んだI.G.T.赤ワインRosso colli Aprutini ISKRA'03の2種類が用意されました。

 前者はプルーンのような上品な香りでクラシックな造り。エレガントさも持ち合わせています。スロベニア語で"閃光"や"きらめき"を意味するという後者は、よりバリックが効いたモダンでインパクト重視な味わい。タイプは違えど、フルボディでいずれも極めて魅力的。醸造家ご本人の解説を聞きながら試飲できるとは願ってもない機会。 ん~、至福のひととき。

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【Photo】Marina Cvetic Montepulciano d'Abruzzo'03Rosso colli Aprutini I.G.T ISKRA'03。記録的な夏の灼熱がイタリアを覆った年ながら、アドリア海沿岸のマルケ州とアブルッツオ州はブドウの作柄に恵まれた。輪郭を際立たせるイタリアらしい酸味もあり、さすがはマシャレリと唸らせる出来。スローフード協会が発行するワイン評価本「Vini d'Italia 2007・通称Gambero Rosso ガンベロ・ロッソ」で、前者は最高評価のTre bicchierri トレ・ビッキエリと、コストパフォーマンスに優れたワインに与えられるアスタリスクマークを共に獲得。後者はファーストヴィンテージながら、次点に当たるDue bicchierri ドゥエ・ビッキエリの評価をされた

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【Photo】ジャンニ・マシャレッリ氏と。マシャレリのトップキュベ "Villa Gemma"の'97年産は、「Vini d'Italia 2001」に掲載された全イタリアワイン12,000本あまりの頂点"ワイン・オブ・ジ・イヤー"に選ばれた。「Villa Gemma'97を持っていますよ」と、この稀代の醸造家に伝えると、トークセミナー中の近寄りがたい雰囲気を漂わせる鋭い眼光のエネルギッシュな表情から一変、破顔一笑のもと親しげに写真に納まってくれた。これが2年後の8月に急逝したジャンニとの最後の一枚となろうとは・・・

 もうひとつのワークショップは、エミリア・ロマーニャ州パルマ北東40キロのポー川沿いにあるジベッロ村で作られるプレジディオ指定の生ハム「Culatello di Zibello クラテッロ」 (注3) 。有名なパルマ産プロシュット(=生ハム)が年産900万本なのに対し、クラテッロがわずか年産5万本なのは、豚の尻から脛にかけてのごく限られた部位しか使用せず、しかも冬場にポー川の発する霧が肉の熟成に欠かせない要素になるという完全手作りなるがゆえ。需要が増えた最近は、輸出向けに本来の部位以外の肉を使用し、製造過程で一部機械を使用する製品も出回っているといいます。

 今回クラテッロ協会マッシモ・スピガローリ会長の解説で12カ月、20カ月、24カ月、36カ月の熟成期間別に試食に出されたのは、会長自身の加工場で製造された間違うことなき伝統的製法による逸品。ここでは北イタリアのトレンティーノ・アルト・アディジェ州産の辛口発泡ワイン「スプマンテ」が5種類出されました。

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【Photo】クラテッロ協会加盟の製品に張られるラベルを掲げる男性の左側がクラテッロ協会マッシモ・スピガローリ会長

 熟成期間が長いほど肉に乳酸系の発酵臭が加わり、味わいに複雑さと深みが増してゆくのがよく分かります。特に36カ月熟成を経たものは、地元エミリア・ロマーニャでも希少。かつて冷蔵技術がなかった時代、ヨーロッパの食肉加工文化は必要に迫られて発達した側面もあります。長い伝統が培ったイタリアの食肉加工技術は、イタリア屈指の美食の里といわれるエミリア・ロマーニャ州で、独自の発展を遂げたのです。ジベッロ村の自然環境を活かす人智が生み出したクラテッロの深い味わいには唸らされました。

12mesie20mesi.jpg【Photo】フレッシュ感が残る12ヶ月熟成(左) 味に幾分深みが出る20ヶ月熟成(右)

24mesie36mesi.jpg【Photo】24ヶ月熟成は更に複雑味が増す(左) 色合いが変化し、乳酸系の発酵感が強い36ヶ月熟成は全く別物。至高の味となる(右)

 そのワークショップ会場で出会ったのが、神奈川出身の茂垣綾介さん(25歳)。2003年春に渡伊し、料理修行からサラミなど肉の加工に転進したのが一年前。スピガローリ会長が経営する会社では半年ほどクラテッロ作りを学んでいるといいます。イタリアのリストランテでは、実に多くの日本人が料理修行のために働いていますが、彼は異色といってよいでしょう。

mogaki.jpg【Photo】サローネ会場で修行先のクラテッロを手にする茂垣 綾介氏。隣りは公式行事がなく、この日はリラックスモードで会場を回っていたアラン・デュカス御大。そこはさすがにプレス慣れしたもので、しっかりとカメラ目線でポーズをとってくれた。世界のトップフレンチシェフは実に如才がないのだった

 日本からはサローネ・デル・グストに築地の寿司店「寿司岩」がブース出店していたほか、「テアトロ・デル・グスト(=味覚の劇場)」と銘打たれた催しでは、江戸前握りの実演も。京都吉兆の徳岡邦夫総料理長は、湯葉と胡麻豆腐を使った懐石料理を紹介していました。世界中の有名シェフの調理の様子が間近に見られ、試食もできるこの催事のチケットは全てあっという間に売り切れたようです。

 昭和40年代から古酒を手がけてきた岐阜の蔵元「達磨正宗」の昭和54年産の古酒と鮎の熟れ寿司の組み合わせを試みるという日本人にとってもマニアックな?ワークショップや、静岡産有機栽培緑茶と和菓子のワークショップもあり、日本の食文化にスポットライトが当てられる局面もありました。

 メイン会場の州都トリノを離れたピエモンテ各地では「Gli Appuntamenti a Tavola(=食卓へのいざない)」という28ものディナーが催されました。ピエモンテ州が誇る高級食材・白トリュフの産地、クーネオ県アルバや、バローロ・バルバレスコといった名醸地のブドウ畑が広がるランゲ地方のリストランテや歴史的建造物を会場に、世界各国から選ばれた料理人が、伝統料理を振舞いました。ホスト国イタリアからも、アマルフィ近郊の名店「ドン・アルフォンソ1890」ほか各種Guida(=レストラン評価本)で高い評価を受けるシェフたちが腕を振るったのは申すまでもありません。

 主だったサローネ・デル・グストの催しをざっとご紹介しましたが、食いしん坊な私には、体と胃袋が幾つあっても足りない5日間でした。

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【注1】
アドリア海に面したアブルッツォ州では、パスタ製造が盛ん。日本でも有名なDE CECCO(イタリアでは「デ・チェッコ」と発音)やDue Pastori(ドゥエ・パストゥーリ)が本拠地を構える。こうした乾麺のほか、アブルッツォ州では、「マッケローニ・アッラ・キタッラ」という伝統的な手打ちパスタが有名。Chitarraとはイタリア語でギターのこと。弦を張った専用の道具(下写真)で生地を押し切るため、麺が四角い。

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ちなみにワークショップでラッロ氏が作ったマッケローニ・アッラ・ムニャイアは、同州南部に伝わる類似のパスタで、生地に使用したのは、デュラム小麦ではなく普通の小麦だった

【注2】
ワインの醸造過程において、ボリュームと風味付けのために樫(オーク)材の樽を使用する。一般に225リットル容量のものをバリックと呼ぶ。ワイン醸造用バリックの主な産地、アリエやトロンセなどフランス産のものは、タンニンなどのエキス成分を多く含む。一方アメリカ産のバリックは木の香りが強い。よって、カリフォルニアワインは樽香が一般に強くなる。形成過程で内側を火であぶるため、その焙煎具合もワインの仕上がりを左右する。ローストが強いと焦げた香りがワインにつく。新樽は成分が強く、一回使用した樽は、樽由来の成分が幾分穏やかになる。よって、生産者は樽の産地やロースト具合、熟成期間をいろいろと組み合わせてワインを作り出す。「新樽100%」とは、全て新樽を使用して仕込んだということ

【Photo】クラテッロ協会による審査を受けたブロック製品にのみ付けることが許されるタグ。流通市場では、ほぼパック詰めのスライス製品に限定される日本では望むべくもないが、これが本物の証

curatello.jpg【注3】
パルマやサンダニエレ産の生ハムは豚のモモからスネにかけての骨付き肉から作られる。かたやクラテッロは、骨抜きにした豚肉の尻(Culo=クーロ)からモモにかけての最上の部位のみを使用する。完成品で3キロあまりの重量しかできないクラテッロは、一本9キロ前後のパルマ産生ハムとほぼ同額。つまり3倍の値がつく。伝統的製法では、脂肪を削ぎ落とした豚肉を岩塩・コショウ・ガーリックパウダーなどで下処理。三日間の冷蔵後、細心の注意を払って再び塩を加え、白ワインで表面をさらす。これら一連の作業を終えてから、洗浄処理した膀胱に詰めた上で、ひもで網目に縛って円筒状に成形する。それを10ヶ月以上、湿度がこもったロフトと地階で自然熟成させる。

こうした製法のため、熟成過程で劣化する場合もあり、一級品はより希少性が高まる。EU統合により、画一的な衛生管理が求める動きもあり、本来のクラテッロに出会ことが困難になりつつある

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Terra Madre テッラ・マードレ」に参加して

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スローフードの祭典「テッラ・マードレ」

 食の均一化がもたらす弊害に警鐘を鳴らしたスローフード運動発祥の地がイタリア北部ピエモンテ州。その州都Torino トリノを主会場として、2006年10月末に開催された食の国際イベント「Terra Madre テッラ・マードレ(=「母なる大地」の意)」。

 グローバル化と均一化が進む世界の潮流に抗うかのように、個々の伝統に根ざした質の高い食を通じた人々の新たなネットワーク作りを模索したこのイベントには、協会が指定する「アルカ(=味の箱舟)」 (注1)登録生産者に加え、今回初めて料理人と学術研究者らが招聘され、東北からも関係者が多数参加しました。

 テッラ・マードレと同時開催されたのは、スローフード運動が目指す食の世界を体感できる「Salone del Gustoサローネ・デル・グスト(=「味のサロン」の意)」。主催は2006年が創立20周年に当たったスローフード協会です。五日間の会期中に両イベントを延べ19万人以上が訪れたといいます。幕張メッセで行われる日本最大の食の見本市「FOODEX JAPAN」の2006年における来場者は、四日間で9万5千人あまり。スローフード運動が、いまや地球規模で広がりをみせていることを物語る数字といえるでしょう。

 美食の国イタリアが誇る味の数々を求めて、実りの季節を迎えたピエモンテ州とその周辺各地を、イタリア人顔負けの"爆走系"に変身した庄内系イタリア人が訪れました。思い出すだにヨダレがじ~んわりな突撃レポートをタント・マンジャーレ(=たんと召し上がれ)。

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【photo】テッラ・マードレの会場となったリンゴット・オーバルを埋めるさまざまな国籍の人・人・人... <clicca qui> ここはトリノ冬季五輪のスピードスケート競技会場となった


◆食の新たなネットワーク作りを模索した「テッラ・マードレ」

 テッラ・マードレ2006に参加したのは、世界150カ国から1,600の生産団体・5,000人の生産者、1,000人の料理人、400人の大学研究者ら。(初の開催だった2004年の前回は、130カ国1,200の生産団体・5,000人の生産者が参加。)開会式は、トリノ冬季五輪のスピードスケート競技会場となった同市内リンゴット内の見本市会場「オーバル」で、イタリア共和国ナポリターノ大統領列席のもと、2006年10月26日に行われました。

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【photo】開会式に駆けつけたナポリターノ伊大統領 "slowfood archives"

 広大な会場内に国名のアナウンスが続くなか、国旗を掲げ民族色豊かな衣装で続々と登場する五つの大陸から集った生産者たち。その様子はテレビで観た冬季五輪の開会式さながら。各国の風土・伝統が育んだ多様な食文化を駆逐する食のグローバル化を阻止しようというスローフード運動が、世界規模で広範な支持を受けていることを実感させられます。恐らくは自分が生まれ育った土地から離れたことすらないであろう第三世界からの参加者も数多く見受けられました。

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【photo】世界中から生産者が集った開会式のオープニング "slowfood archives"

 急速な工業化・効率優先主義が招いた食のグローバル化・味の均一化に対して、スローフード運動が掲げる「地域の伝統に根ざした個性豊かな生物多様性を守る」という理想を雄弁に語る幕開けといえましょう。

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【photo】国際色豊かなテッラ・マードレの会場「オーバル」前で

 冒頭挨拶に立ったスローフード協会カルロ・ペトリーニ会長は、生産者・知識人・料理人が立場を超えてお互いを認め合い、同じ目線で消費者との新たな関係を築くように会場を埋めた参加者に訴えました。そして質の高い食に携わる人たちが異業種とつながりを持つことによって、より良い食に関する情報が発信され、やがて地球の生態系に好影響を及ぼすよう期待を表明しました。

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【photo】新たな食のコミュニティ作りを訴えるスローフード協会カルロ・ペトリーニ会長 "slowfood archives"

 テッラ・マードレ会期中、大学の研究者による集会や国・地域ごとの集会が催されました。日本をテーマにした地域集会では、日本茶の紹介がされていました。また、農業・水産業におけるアグロエコロジーやGM(遺伝子組み換え)食品に関する各種テーマごとの分科会、さらに「アルカ」指定産物の生産者による各種分科会などのさまざまな公式行事が行われました。

 地域に順応した環境負荷が少ない牧畜に関する分科会に東北から参加し、日本短角種の飼育事例発表を行った合砂 哲士(あいしゃ さとし)さん(19)=岩手県岩泉町=は、「短角種同様、絶滅の危機にある希少な牛を飼育するカメルーンやスコットランドなどの生産者と意見交換し、良い励みになった」といいます。 

 余目ネギを生産する関内 清一さん(59)=仙台市宮城野区=も「希少種の保存に意欲的な生産者同士が国境を越えて出会えたことが収穫だった」と参加の意義を振り返ります。生産者らの滞在先となったのは、冬季五輪の選手村となった施設。関内さんらは、トリノ滞在中にピエモンテのネギ生産農家を訪問し、Porro(ポッロ=ポロネギ)生産の様子を見学したそうです。訪問先の農家では、ネギ畑の中に即席のテーブルをしつらえて、地元のワインと心づくしの料理で歓待してくれたのだとか。

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【photo】ファストフード大国アメリカの食意識を変えたといわれるカリフォルニア・キュイジーヌの祖「シェ・パニース」のアリス・ウオーターズ "slowfood archives"

 今大会における生産者と並ぶもう一方の主役は、世界中から集まった1,000人の料理人でした。その中には、料理雑誌やテレビなどのさまざまなメディアに登場する有名な料理人も含まれます。日本からは、スローフード協会の末端組織にあたる「コンヴィヴィウム」から推薦され、協会本部が最終的に選抜した11人の料理人が招聘されました。

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【photo】テッラ・マードレ開会式に参加した日本の料理人の中から。右から鶴岡市「アル・ケッチァーノ」奥田政行シェフ、京都「吉兆」徳岡邦夫料理長、パリにある日本料理店で腕を奮う山形出身の女性料理人、宮城「ふみえはらはん」渋谷文枝さん

 彼らが一同に会した席上、フランスのレストラン評価本「ミシュラン」の星をもっとも多く獲得している著名な料理人アラン・デュカス氏は、食のオピニオンリーダーである料理人が固有の文化を反映した郷土料理を伝承する必要性を述べました。

 現在、世界で最も予約が困難だといわれるスペインの人気レストラン「エル・ブジ」のシェフ、フェラン・アドリア氏の「西欧の価値観に基づく料理を模倣する時代は終わった。皆さんは自身の多様性を誇りにして良い」とのスピーチに、会場は喝采に包まれました。

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【photo】エル・ブジのフェラン・アドリアは一段と大きな拍手で迎えられた

 農家レストラン「ふみえはらはん」の渋谷文枝さん(59)=宮城県加美町=は、「バイオ技術によって耐病性や収穫効率を上げる一方で、採種不能にしたため、毎年農業生産者に種子の購入を強いる "F1種子" の販売権を巨大資本が独占している現状に、改めて自然な農業のあり方でもある自家採種の大切さを痛感した」といいます。インドの経済学・物理学者のバンダーナ・シーバ女史は、綿花のF1種子販売権を独占する米国系多国籍化学メーカーM社に負債を抱えたインドの農業生産者が、数千人単位で毎年自殺に追いやられている現状を閉会式のスピーチで報告したのです。

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【photo】生産者に種子の選択の自由を与えよ!と訴えるバンダーナ・シーバ女史のスピーチに、会場はスタンディング・オベ-ションと鳴り止まない拍手に包まれた"slowfood archives"

 庄内ベジ・イタリアン「アル・ケッチァーノ」の奥田政行さん(37)=鶴岡市=は、「効率優先の風潮の中で失われた人間同士の食を通じた結びつきが、東北にはまだ残っている。関係性を重んじるスローフードの精神が息付いている東北から、大切なものは何かを、今まで通り発信してゆきたい」と抱負を語りました。

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【photo】世界中からテッラ・マードレに集った1,000人の料理人たちが、再会を誓ったファイナルセレモニー。高く放り投げたのは、協会から贈られた調理帽
 
 閉会式でジャーナリスト枠で参加した私を含む参加者全員に配布されたのは、世界中から選ばれた1,600ものプレジディオに指定された食材を紹介した冊子。その名もズバリ「Terra Madre 2006」。生物多様性と個性ある食文化の縮図ともいうべき760ページあまりの分厚いこの一冊には、各プレジディオ生産団体のプロフィールや連絡先などが記載されています。

 その冊子を手に「ここに集った皆が、帰国後も連絡を取り合おう」と、生産者・料理人・研究者・マスメディアらのネットワーク構築の意義をアピールして締めくくったペトリーニ会長の演出が印象的でした。

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【photo】閉会式で連帯の必要性をアピールするカルロ・ペトリーニ会長 "slowfood archives"


【注1】
「味の箱船」とは?
◆生産や流通の過程で効率を優先する近年の考え方、あるいは過度な衛生管理規定によって、伝統的な製法で作られる個性的で安全な食品の多くが、消滅の危機にある。スローフード協会は、それらの食品を「味の箱船」に指定して、保護に乗り出した

スローフード協会が規定した登録基準および禁止事項は以下の通り
●登録基準1:その生産物が、特別においしいこと
     (この場合の「おいしい」とは、その土地の習慣や伝統を基準にする)
●登録基準2:その生産物が、ある特定の集団の記憶と結びついており、相当程度の年月、その土地に存在 した植動物の種であること。また、その土地の原材料が使われた加工・発酵食品であるか、地域外からの原料であっても、その地域の伝統的製法で作られること。(この場合の「記憶」や「年月」は、現地の歴史に照合して判断する)
●登録基準3:その地域との環境・社会経済・歴史的なつながりがあること。
●登録基準4:小規模な生産者による、限られた生産量であること。
●登録基準5:現在、または将来的に消滅の危機にあること。

▲禁止事項1:遺伝子組み替えではないこと、遺伝子組み換え食品が生産の一部にも一切、関与していないこと。
▲禁止事項2:トレードマークや商業的ブランド名がついてない生産物であること。
▲禁止事項3:選定後も、スローフード協会のロゴやかたつむりマークを、直接、食品に掲載しない。

2005年12月にスローフードジャパンが認定した日本の「味の箱船」9品目のうち、6品目が東北から選ばれた。その6品目は以下の通り。
 「日本短角種」「安家地ダイコン」(岩手)
 「花作ダイコン」「米沢雪菜」(山形)
 「余目ネギ」「長面の焼きハゼ」(宮城)


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