あるもの探しの旅

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2016/09/29

鳴子「むすびや」復活へむけて

鳴子の米プロジェクトの新たな挑戦


 コメ余りによる生産者米価の低迷、そして住民の高齢化と人口減少に直面した我が国の中山間地域では、耕作放棄地が広がり続けています。

 その典型的な縮図ともいえる一つが、秋田・山形との県境に位置し、宮城県内で唯一の特別豪雪地帯に指定されている宮城県北部の大崎市鳴子温泉地域

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【Photo】9月末の週末。実りの季節を迎え、黄金色に染まる宮城県大崎市鳴子温泉鬼首 上川原地区

 なかでも山間部の鬼首(おにこうべ)地区は、長雨と冷夏を引き起こすオホーツク海高気圧が優勢な夏に吹く東風「やませ」の影響を受けやすく、かつては年によって皆無作となる稲作農家も少なからずありました。「鬼首のコメはまずくて牛も食べない」と揶揄され悔しい思いをしたそうです。

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【Photo】鳴子温泉郷の入口にある上川原地区から、28年に及ぶ難工事の末、昨年11月に開通したR108花渕山バイパスを経由して秋田県境へ向かって20kmあまり。栗駒山系の峰々が迫る山あいを流れる荒雄川。日の目を見ることがなかった東北181号の試験栽培が2006年に行われたのは、ここ鬼首中川原地区と山あいへと更に分け入った寒湯(ぬるゆ)地区・岩入(がにゅう)地区だった

 温泉街の近くを流れる江合川(荒雄川)の源流域となる鬼首地区と中山平地区のコメ作りに一つの希望の光を灯したのが、2001年(平成13)に「ササニシキ」や「ひとめぼれ」を育種した宮城県古川農業試験場で寒冷地向けに開発された品種「東北181号」でした。

 2005年(平成17)の秋、生命と生存のための食糧の作り手と農地保全の大切さを訴え続けてきた民俗研究家・結城登美雄氏の提唱により、生産者・旅館経営者・直売所グループのお母さん・木工品の職人・行政ら30名で構成される「鳴子の米プロジェクト会議」が発足します。 

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【Photo】鳴子温泉郷の最深部にあたる鬼首(おにこうべ)。トンボが舞う田んぼで収穫を待つばかりとなった鳴子の米プロジェクトの象徴であるコメ「ゆきむすび」。9月に収穫される早生種で、今年も収穫が始まった9月24日(土)、通りかかった鬼首では、頭(こうべ)を垂れた稲穂が秋風に吹かれていた

 プロジェクトが掲げた目標は、生産者だけでなく地域を挙げて地元のコメ作りを支えること、生産者が持続可能な価格設定をすること、食べる人と作る人との信頼関係を構築すること。

 その理念と実践を知って以降、ずっとずっと庄イタが応援している取り組みです。

〈2008.10 拙稿「鳴子の米プロジェクト」稲刈り交流会【前編】【後編】 
 2014.6 拙稿「ゆきむすび 田植え交流会2014」【前編】【後編】参照〉

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【Photo】雪深い山里で命の糧を作る人の思いが一粒ごとに込められている「ゆきむすび」。事前に予約し、毎年手元に届くのを心待ちにしている新米のパッケージに記されたメッセージ。豊という漢字の旧字体〝豐〟は、穀物を足付きの器「高坏(たかつき)」に盛った様子が語源。旧字体には、山の中で育つ稲穂が見て取れる

 国の減反政策により、作付けが行われることがなかった東北181号の奨励品種登録を目指す実証実験として、2006年(平成18)5月中旬、残雪に包まれた栗駒山系の冷たい雪解け水が流れ込む鬼首の稲作農家3戸が、10アールずつ合計三反歩の水田で試験栽培の田植えを行いました。

 東北181号は、コメどころ宮城の代表的な奨励品種「ササニシキ」や「ひとめぼれ」が生育できない山間地特有の日照量が限られる冷涼な気象条件に見事適合。豊かな実りを得たのです。

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【Photo】杭掛けの準備を整え、収穫を待つゆきむすびと、すでに刈り取りを終え、杭掛けされたゆきむすび。ここは荒雄岳を迂回するように鬼首の最深部に分け入った上ノ台地区。廃屋が散見されるこの一帯で大地を耕す人がいなくなった時、こうした瑞穂の国の原風景は、たちまちにして失われてしまう

 地域の相互扶助「結(ゆい)」の復活、そして農村と都市とを結ぶ懸け橋となることを願い、2007年12月に「ゆきむすび」と名付けられた東北181号は、県の奨励品種として翌年2月登録されます。

 今年度産米の稲作農家が農協から受け取る仮渡し金は、宮城ひとめぼれで1俵60kgあたり1万1千円程度が見込まれています。農家の採算ラインを大きく下回る1万円を割る事態に至った米価の暴落にひとまず歯止めがかかった格好ではあります。

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【Photo】30万~20万年前の火山活動で形成された鬼首カルデラの平野部分、上山崎地区の大場隆英さんの圃場。手間がかかる杭掛け・日差しを浴びた天日乾燥による「ゆきむすび」は500俵限定。11月末にで予約者の手元に届く

 余剰小麦の輸出拡大を図る米国の意向で推し進められた戦後の復興期に始まったパン給食が功を奏し、コメ中心だった日本人の食生活は様変わりしました。北米や豪州など9割を輸入に依存する小麦とは違って、コメは自給可能な日本人の伝統的な主食です。

 瑞穂の国ニッポンの国土保全にも役立つコメ作りを続けていくうえで、1年間の労働や必要経費を差し引いた対価として、果たしてこれは妥当な額なのでしょうか?

 日本の農業が国際市場で競争に打ち勝つというお題目のもと、農地の大規模集約化を目指そうと、平成19年度産米からは、4haに満たない耕作地の稲作農家への国の財政支援が打ち切られました(中山間地域には基準の8割程度の緩和措置あり)

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【Photo】鬼首・山崎前地区でゆきむすびを育てている大場市雄さんの圃場。繁殖牛1頭を飼い、その発酵堆肥をコメ作りに活用。杭がけのため稲を束ねていた奥様は「鬼首は雪深いけれど、春が来れば自然に解けるから苦にならない」とカラカラと笑った

 国の方針転換により、担い手として国の支援対象となったのは、鳴子地域の稲作農家620戸のうち、わずか5戸に過ぎません。

 グローバル化・空洞化が進む工業生産品と同じ市場原理を導入した霞が関の発想と地域の実情とのズレは明白でした。「このままでは地域の疲弊は進む一方。」そんな危機感からスタートした鳴子の米プロジェクト発足3年目の2008年(平成20)、推進母体である鳴子の米プロジェクト会議は、恒常的な組織としてNPO法人化されます。

 鳴子の米プロジェクトでは、農家の手取り額として玄米1俵あたり1万8千円を保証。購入者が支払う60kgあたり2万4千円との差額6千円は、若者を中心に地域を支える後継者を育成するためと事務局運営の必要経費に充てています。

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【Photo】(株)こばやし(本社:仙台市宮城野区)が2008年(平成20)に発売した駅弁「宮城ろまん街道」(税込850円)。2つのおむすびに使用されるお米は「ゆきむすび」。包装紙には鳴子の米プロジェクトに当時参加していた鬼首と中山平地区の作り手24名の顔が揃う

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 ゆきむすびは、低アミロース米特有のモチモチした粘りが強い食感と、特Aの常連である宮城産ひとめぼれに勝るとも劣らない食味の良さを兼ね備えます。炊き立てはもちろん、冷めても美味しいため、お弁当やおにぎりにも向く用途の広いお米です。

「初めて人に美味しいと言ってもらえるコメができました。」東北181号の試験栽培への協力を2006年2月に決断した曽根清さん(上画像左から11番目・故人)の言葉は、今も耳に残っています。〈2010.12拙稿「酷暑を乗り越えた『初ゆき』の味」参照〉

 食べる人の安全を考え、除草剤や化学肥料の使用を県の慣行栽培比5割以下までに抑えたゆきむすびの対価は、ごはん茶碗1膳あたり約24円。米国資本の某ファストフードのハンバーガーは100円。子どもたちに伝えたい味は果たしてどちらでしょうか?

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【Photo】冷めても美味しく用途の広い「ゆきむすび」。全ての商品にゆきむすびを使用するおにぎり専門店「おむすび権米衛アパホテル神田神保町駅東店(下)のように、おむすびやお弁当が美味しいのは言わずもがな。加工品で庄イタが最も愛好するのが、濃醇な甘酸っぱさが堪能できる「ゆきむすび 鬼のどぶろく」(上・300mℓ 税込750円)

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 9月24日(土)、秋田・湯沢に向かう道すがら立ち寄った鬼首では、好天のもと早生種であるゆきむすびの稲刈りに汗を流す農家の姿が見られました。

 プロジェクト発足3年目からゆきむすびを栽培しているという山崎前地区の大場市雄さんによれば、寒冷地での栽培に適したゆきむすびゆえ、初夏に高温傾向が続いた今年は分けつ数が少ない上、スズメによる食害も少なからず発生。収量的には少ないとのこと。

 ゆきむすびの購入者も参加して例年行われる5月末の田植え交流会や9月末の稲刈り交流会で振る舞われる食事でお世話になる「やまが旬の市」のお母さんたちも、ゆきむすびの栽培農家にとって、除草や病害虫との闘いに加え、今年は暑さで苦労したと口を揃えます。

 今年も予約済みの28年度産米。12月初旬、鳴子に受け取りに行くことになっています。手を合わせて頂くことにしましょう。

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【Photo】親・子・孫。先祖伝来の田んぼに家族三世代が集い、ゆきむすびの収穫・杭掛け作業に精を出す。鬼首・上山崎地区にて
 
 NPO法人鳴子の米プロジェクトが、大切な命の糧を作る人と食べる人との縁を結ぶ場所として、大崎市鳴子温泉要害地区のR47に面した農協の施設を借り受け、おむすびを提供する「むすびや」を土日限定営業でオープンしたのが2009年12月。

 麹南蛮味噌焼き、青菜漬巻き、クルミ炊き込み、きな粉、古代米炊き込みなど、地元のお母さんが握った鬼首産ゆきむすび100%のおにぎりは常時10種(120~140円)。岩手・野田村の塩、宮城・七ヶ浜「星のり店」の海苔といった選りすぐりの海産物ともコラボ。

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 具だくさんの味噌汁・煮物の小鉢・漬物と、宝石のような前出のおむすびから2つが選べる農作業の合間に田んぼで食する「小昼(こびる)」をイメージした「小昼らんち」(600円)も人気を博しました。

 こうして過去形で語るのには理由があります。鳴子温泉を訪れる観光客や地元の人々で賑わったむすびやは、2011年(平成23)の東日本大震災で設備が損傷。2013年末の賃借契約満了をもって建物が取り壊されたのです。

 再開を待ちわびる声に背中を押されたNPO法人鳴子の米プロジェクトでは、比較的少額な個人からの寄付金を募るクラウドファンディングの手法を取り入れて待望久しい「むすびや」営業再開に向けて始動しました。

logo_musubiya@narugo.jpg 9月15日、READYFORに支援窓口が開設された「鳴子の米プロジェクト、伝説のおにぎり屋『むすびや』を復活!」。

 来年4月の復活を目指し、資金の一部250万円をインターネットを介して2か月間で調達しようという試みです。

 おむすび10個引換券(学生限定)ないしはサンクスレターが届く一口3千円ほか、鳴子の温泉宿利用券と交流会無料参加資格が得られる一口1万円から5万円まで、多彩な特典つきの支援コースが用意されます。

 11月14日(月)23時までに目標額に達しない場合、善意が活かされることはありません。現時点で目標額の40%強の資金協力を得ています。

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【Photo】北東イタリア・チロル地方に相通じる景観を生む神室連山を背景に一面の穂波で黄金色に染まった鬼首。そこに人の温もりを感じるのは、営々と築かれてきた耕土の営みがあってこそ

 2007年3月4日、東北181号が初めて世に出た「鳴子の米発表会」で配布されたパンフレットに記された鳴子の米プロジェクトの提唱者である結城登美雄氏の言葉の一節を最後にご紹介しておきましょう。

 ----この世には、あきらめてはいけないことがあり、失ってはならないことがあります。私たちの「生命と生存のための食料」(ソクラテスの言葉)と、それを育ててくれる人びとと大切な農地の存在です。

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鳴子の米プロジェクト 

◆28年度産ゆきむすびのご予約はFAX(0229-29-9437)で。
 申込書はこちら 201604yukimusubiyoyaku

◆「むすびや」復活のご支援はREADYFORサイトで。
 申込みはこちら https://readyfor.jp/projects/musubiya

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2016/01/10

苦難を乗り越え、かなえた夢の雫

鼎ヶ浦の美酒「酒也 鼎心(かなえ)

 皆さま、本年も「Viaggio al Mondo~あるもん探しの旅~」をご贔屓に預かりますよう、お願い致します。一陽来復。2016年の幕開けを飾るのは、穏やかな新年を迎えた宮城県気仙沼市本吉町大谷海岸からの初日の出の画像から。

alba-2016@oya.jpg 出合いから5年を経た今も鮮烈に記憶に残っている美酒にまつわる物語を2016年幕開けの話題として今回はご紹介します。発端は2011年に年が改まった日。それは東日本大震災発生が発生する2ヶ月あまり前のことでした。

fukuyoshi-otokoyama-daigin.jpg【Photo】キンキ(吉次)、唐桑産カキ、サンマなど、気仙沼で揚がった鮮度抜群の地物を丹念に火入れ。〝日本一の焼き魚〟を食べさせてくれる海鮮居酒屋「福よし」。ご主人の村上健一さんの筆になる福よしオリジナルラベルの伏見男山純米大吟醸の相伴は、絶品の烏賊腑味噌焼き

 気仙沼の地酒といえば、「金紋両国」・「船尾灯(ともしび)」・「別格」・「福宿(ふくやどり)」などの銘柄を醸す角星(明治39年創業)と、「伏見男山」・「蒼天伝」が二枚看板となる男山本店(大正元年創業)が両雄。

 2011年3月に発生した東日本大震災では、両社とも内陸部にあった酒蔵は大きな被害を免れました。しかしながら、ともに国指定有形登録文化財に指定されていた趣ある本社屋が津波で壊滅。震災発生から5年を迎え、嵩上げや防潮堤工事が進むなか、現地再建に向けてそれぞれ始動しています。

iwao-saya_okoshi.jpg【Photo】津波で店舗兼自宅が流失。現在も大谷小中仮設住宅で暮らしながら、親類宅の敷地に設置したコンテナの仮店舗で業務を続ける大越商店。2013年4月に訪れた店舗の中で宿題をしていた長女の彩弥ちゃん(当時小学3年生)と大越巌さん(当時46歳)。先日会った彩弥ちゃんは、お父さんの胸ぐらいの背丈まで背が伸びていた

 震災直前の5年前、初めて口にしたのが「鼎心かなえ」という気仙沼の酒。同市本吉町大谷(おおや)の酒販店「大越商店」の現当主・大越巌さんが、1993年(平成5)から栽培に取り組み始めた地元のコメと水だけを使い、男山本店に750ℓ容量のタンク1つ分だけ醸造を委託したという極めて稀少な純米吟醸酒でした。

 朱色のラベルは、大越さん自身による墨痕鮮やかな〝酒也 鼎心〟の揮毫。口に含むと完熟メロンに通じる上品な吟醸香が適度にあり、長い余韻を伴った芳醇なコメの旨みがどこまでも広がるのでした。

kanae_hiire.jpg【Photo】もろみを搾った生原酒を湯煎した「純米吟醸 鼎心 火入 無濾ろ過原酒」。大越巌さんの筆によるラベル

 気仙沼市本吉町大谷は、遠浅の海原に面した全幅1kmの砂浜が弧を描く白砂青松の地。「日本の水浴場55選」や「快水浴場100選」として、環境庁から認定を受けた大谷海岸には〝日本一海水浴場に近い駅〟といわれたJR気仙沼線の大谷海岸駅がありました。

 ピンク色のハマナスが浜辺を彩る季節、宮城だけでなく岩手県南や山形内陸から訪れる海水浴客で賑わいました。海沿いを並走するR45には道の駅「はまなすステーション」が併設され、定置網にかかったマンボウが、のんびりと水槽で漂う姿に和んだものです。

 しかしながら、地区の世帯のおよそ半数にあたる1,670棟の家屋が流失する大きな被害を受け、75名が犠牲となった震災を境に、こうした記憶の中の風景は全て過去形で語らざるを得なくなりました。

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【Photo】仙台でガソリンの供給が幾分なりとも改善し、生活物資や食料を積み込んだ車で気仙沼を被災後初めて訪れたのが2011年4月10日。20m超の津波で全壊した道の駅はまなすステーション展望台の最上部から心が折れそうになりながら撮影した1枚。大谷の人々の暮らしが無残に打ち砕かれた爪痕が痛々しい変わり果てた光景。瓦礫を取り除いただけで砂塵が漂うR45とJR気仙沼線の線路が延びる方角に大越商店があった(上写真)。同日撮影した下写真右手の建物が大越さんが地震と遭遇した「はななす海洋館」の一部

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 大谷海岸には9.8mの防潮堤が整備される計画で、黒い土嚢の仮堤防が築かれている現在は、ほとんど美しい海を眺めることができません。R45から大谷漁港に分岐する脇道沿いに、かつて酒類とLPガスを扱う大越商店はありました。

 あの日、大越さんは酒の配達に来ていた大谷海岸に面した「はまなす海洋館」で、体験したことのない強烈な揺れに遭遇します。6mの津波襲来をカーラジオのニュースが告げていたため、車で2分とかからない距離の海抜5m地点に建っていた店舗兼自宅に営業車で急ぎ戻りました。

 家族をワゴン車に乗せて高台に避難させ、業務用の車を移動させようと自宅に再び戻ったところで津波が大越さんを襲います。膝まで水につかりながら、かろうじて動いた車で高台まで避難し、紙一重で難を逃れることができました。

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【Photo】2013年5月。遠目には震災前とさして変わらぬ気仙沼湾を眼下に見渡す標高239mの安波山(あんばさん)山頂からの眺め。震災で発生した火災で焼け野原となった鹿折(ししおり)と南気仙沼は地表が露出している(両端)。外洋に面した沖合いに気仙沼大島があるため、波静かで天然の良港であるこの入江を「鼎ヶ浦」と命名したのは仙台藩学問所「養賢堂」指南役を務めた詩人・書家の油井牧山(ゆいぼくさん 1799-1861)

 千葉での会社勤めを経て家業を継いで間もない大越巌さんが、地元のコメと水だけで地元の蔵人が作った本当の地酒を自身の手で作ろうと一念発起したのが24歳のとき。

 酒造りや酒米に関する書籍をむさぼり読み、県内外の酒米生産者や農協・蔵元を訪問。種籾を手に吟醸酒の醸造に必要な1,500kgの酒造好適米の栽培に協力してくれる農家探しに明け暮れること数ヵ月。

shikomi-mizu_otokoyama.jpg【Photo】鼎心にも使用される男山本店の仕込み水は、北上山地の伏流水が湧出する旧JR大船渡線の上鹿折駅近くにある、この個人宅の井戸を使用している

 ようやく見つけた地元3軒の農家の水田で、支援者とともに気仙地域で初めてとなる酒造好適米「美山錦」を作付けしたのが1993年(平成5)の春。種籾の確保や田植えから始めた大越さんの挑戦に天は味方をしてくれませんでした。外米の緊急輸入に踏み切った「平成の大凶作」にあたったこの年の収穫はわずか360kg。初年度は酒造りを見送り、2軒の生産農家が加わった翌年は、猛暑による水不足と収穫期の長雨と台風の直撃に見舞われました。

 初年度の10倍にあたる3,600kgの美山錦と新たに「亀の尾」を収穫した2年目。男山本店の蔵人から指導を仰ぎ、1基の750ℓタンクに仕込んでから上槽。念願かなって初めて吟醸酒が仕上がったのが1995年3月。自身で本物の地酒を作ろうと思い立ってから4年の歳月が流れていました。

 「理想とは程遠い出来でした」大越さんは笑いながら、そう当時を振り返ります。田植えや稲刈りに参加した支援メンバー15名が考えた150もの候補から、その酒を「鼎心」と名付けます。

【Movie】岩手県境に近い気仙沼市北西部の山あいにある水清らかな廿一(にじゅういち)地区。初年度から酒米の植え付けに協力してきた農家のひとり千葉清幸さんの圃場。当初は信州生まれの酒造好適米「美山錦」を作付けしていたが、現在は平成9年に奨励品種に採用された宮城県古川農業試験場生まれの「蔵の華」を酒米としている

 蜂ヶ崎・神明崎・柏崎という3つの岬に内湾を囲まれた気仙沼湾は、別名「鼎ヶ浦」と呼ばれ、高校の校名にもなっていたほど地元では馴染みある言葉。もともと〝鼎〟は中国最古の王朝「夏」以来、王権の象徴とされた3本足の青銅製炊器の呼称です。鼎心とは栽培農家・蔵元・飲み手が三位一体となって、王位の称号にふさわしい酒を目指そうという気概を込めた名前なのです。

 以来、生産農家と支援者に支えられ、合計90アールの水田に作付を行ってきたコメ作り。理想の味を求め、男山本店の杜氏との二人三脚で鼎心の酒質を高めてきた大越さんにとって、二度目の大きな試練となったのが東日本大震災でした。

 避難所暮らしを続けていた2011年5月、大谷海岸から少し内陸部に入った本吉町寺谷の親類宅の敷地に現在の仮店舗を構えます。

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 不屈の精神で、震災発生の翌年から醸造を再開。一昨年からは、仕込みを大越さんと気心が知れた同級生の杜氏が担当するようになりました。その結果、鼎心の完成度が更に高まった印象があります。

 今醸造年度27BYは11月末に搾りを行いました。今年も納得の仕上がりだという搾りたての「純米吟醸 槽口(ふなぐち)無ろ過生原酒」を、大晦日に伺った仮店舗で購入しました。

 フレッシュな飲み口を堪能できる搾りたてを楽しむもよし。しばらくは冷蔵し、まろやかさが加わった円熟の味を堪能するもよし。

 今年7月には5年あまりを過ごした仮設住宅を出る予定という大越さん。その再出発のお祝いを兼ね、震災から5年を経る3月11日以降、貴重な新酒を開けるつもりです。

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okoshi-shoten_2013.jpg大越商店
・仮店舗住所:宮城県気仙沼市本吉町寺谷88-13
・Phone:0226-44-2701
・F a x :0226-44-2212
純米吟醸 酒也 鼎心(かなえ)
 1800mℓ 税込3,085円 / 720mℓ 税込1,644円


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2015/03/09

Made in TOHOKU 仙台・東北が世界に誇れるモノづくり展

Sendai and Tohoku presents its arts and crafts to the world.
東北の手しごとを、見て・聞いて・感じよう

 東北六県と新潟の伝統工芸品を紹介する企画展「Made in TOHOKU-仙台・東北が世界に誇れるモノづくり展」が、東北電力グリーンプラザで現在開催されています。(入場無料・14日まで)
madeinTohoku-01.jpg 仙台市・仙台観光コンベンション協会・東北電力グリーンプラザが主催するこの催しには複数の知人が絡んでおり、開幕初日3月4日に伺ったほか、一昨日も会場に足を運んで来ました。

logo-WCDRR.jpg フライヤー(上写真)には、企画展の最終日3月14日(土)に開幕する「第3回国連防災世界会議」の公式ロゴマークがあしらわれています。仙台出身のデザイナー佐藤悠さんが手掛けたロゴ(右)の5つの色は、5大陸の人と人が手を携えて行動を起こす姿を表現したといいます。

FLAG-wcdrr.jpg 国連(UN)が主導するこの国際会議は、世界が連携して自然災害による犠牲と損失を防ぐ指針を打ち出すため、10年に一度開催。潘基文(パン・ギムン)国連事務総長ほか世界193の国と地域から首脳級・閣僚級など5,000人以上が参加する本体会議は、国連総会に次ぐ規模。

 第1回は1994年(平成6)に横浜で、第2回は2005年(平成17)に神戸を会場に開催されており、今回、東日本大震災の被災地・仙台市をメイン会場に開催されることになりました。これは日本がさまざまな自然災害に見舞われてきた事実と無関係ではありません。

【Photo】国連が作成した幾何学模様のキービジュアルと略称WCDRRをデザイン化した歓迎フラッグが各所に掲げられる仙台市内(左・下)

 「東日本大震災の経験と教訓を世界へ」をテーマに国や実行委などが主催する10件の総合フォーラムほか、国内外の企業・団体・NGO・大学などが企画し、仙台市内各所で開催される市民参加型のパブリック・フォーラムは350件以上。これは神戸で開催された第2回会議の10倍という特筆すべき数字です。

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 5日間の会期中、国内外の随行者・プレス関係者を含め、延べ4万人が参加する見込みです。これは東北で開催される国際会議としては過去最大規模。震災発生当時、過酷な状況にあっても互いに助け合い、思いやりを忘れない東北の人々を、驚きをもって世界が賞賛したことを皆さんもご記憶かと思います。

benjyogami.jpg【Photo】庄イタの周辺では、耳にすることが最近めっきり少なくなった仙台弁。「ようこそいらっしゃいました」を意味する「よくござった」と語りかけるかのような藩制時代以来の仙台の工芸品「堤人形」。その特徴は鮮やかな朱色。時を経ると色合いに深みが加わる。これは男女一対の「赤芥子」(別の雅号:厠神)。ロケ地:仙台市歴史民俗資料館の某所。ヒント:植村花菜の代表曲

 東北の暮らしの中で育まれた手仕事もまた、世界に誇るべきもの。この機会に東北6県と新潟から選りすぐった伝統工芸の素晴らしさを再認識したいものです。

 「手しごとミュージアム」には、伝統の技に現代性を取り入れた暮らしを彩る逸品が揃います。例えば青森・BUNACO、岩手・南部鉄器、秋田・曲げわっぱ、宮城・鳴子漆器、山形・天童木工、福島・ノダテマグ、新潟・越後三条打刃物。

madeinTohoku-2.jpg 「プレミアムギャラリー」では、仙台で生まれた11品目の伝統工芸品と出合うことができます。一昨年、数量限定でGUCCIとコラボしたバッグが話題を呼んだ仙台平の紋付袴、松川だるまに代表される仙台張子、名工・田村政孝氏が200もの工程を経て編み出す稀少性の高い仙台竿、堅牢さと装飾性を兼ね備えた仙台箪笥などなど。

 さらに見逃せないのが、国内外で活躍する仙台ゆかりのアーティストの感性が、伝統の技と出合って誕生した「クリエイティブプレミアム」。固定概念を破るプロダクツで注目される尾方釿一氏や木村浩一郎氏らが手掛けた玉虫塗や仙台堆朱を取り入れた作品は、見る人のイマジネーションをかきたててくれるでしょう。

 メイン会場である東北電力グリーンプラザ以外の仙台市内各所でも、Made in TOHOKUのコラボ企画が展開されます。
madeinTohoku-3.jpg 11日(水)まで藤崎7階催事場で開催されている「Made in TOHOKU」には、イラストレーター佐藤純子さんの下絵をもとに遠刈田系こけし工人・小笠原義雄氏が絵付けした12カ月ごと異なる花をあしらった愛らしいサイズの12本揃いの「花こよみ」が限定50セットで登場。

 仙台木地製作所とセレクトショップBEAMSが連携して2年前に登場するや話題をさらった本藍を使った青いこけしが「fennica indigo kokesi」。完売必至の予想通り、3月8日(日)にビームス仙台で発売されたインディゴこけし300本は、開店前から行列ができ、数分で完売したといいます。

madeinTohoku-4.jpg 工人がモノ作りについて語るトークイベントが行われるアクアホールには、宮城を代表する銘酒のひとつ「浦霞」と堤焼の酒器との四季ごとの組み合わせや、洋風のテーブルセッティングに曲げわっぱを調和させる組み合わせを提案する一角も。
 
 仙台市内の飲食店17店舗では、堤焼や玉虫塗、埋もれ木細工など、今回展示されている伝統工芸品で宮城の味を味わえる企画を展開中。

 遠来のお客様が数多く仙台を訪れるこの機会に、存分に宮城・仙台の粋を見て・触れて・味わって頂けるよう、改めて地元を知ることが肝要。311以降、国内外から差しのべられた温かい支援への感謝の心を込めたおもてなしを心がけたいものですね。

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Made in TOHOKU
仙台・東北が世界に誇れるモノづくり展

メイン会場:東北電力グリーンプラザ 仙台市青葉区一番町3丁目7-1電力ビル1F
日時:2015年3月4日(水)~14日(土)10:00-18:00 
   ●3月9日(月)は休館 最終日は16時まで
URL:手とてとテ http://tetotetote-sendai.jp/
問:Made in TOHOKU事務局 022-214-2772
  (株式会社ディー・エム・ピー内 ※平日10:00‐18:00)

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2014/12/23

色彩の魔術師

北海道や北陸以北の日本海側で大雪となった昨日は冬至。新月と冬至が重なる「朔旦冬至(さくたんとうじ)」は、月と太陽が同じ日に生まれ変わる19年に1度の日。冬来たりなば春遠からじ。サーバ引越しで新規更新ができない情況に見舞われたViaggio al Mondo ~あるもん探しの旅ですが、試行錯誤の末、更新する手立てはつきました。リンクタグが貼れないという制約はあるものの、まずは復活を宣言し、前々回の続編をお届けします。

「レモン色づくアマルフィの海辺」より続き

 サレルノ「Creazioni Luciano s.r.l.クレアツィオーニ・ルチアーノ」で制作される陶板画は、月刊情報誌「Piatto」12月号の読者プレゼントとしてご提供頂いた「POSITANOポジターノ」(下写真)でもお分かりの通り、図柄の浮き立った輪郭の内側に目にも鮮やかな彩色が施されています。

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【Photo】彩色タイルで装飾されたポジターノ「Chiesa di Santa Maria Assuntaサンタ・マリア・アッスンタ教会」のクーポラ(下写真参照)。釉薬を施して焼成した後の仕上がりを想定し、浮き彫りの高低(=型をとる石膏板に刻む溝)で円屋根の文様を表現したクレアツィオーニ・ルチアーノ作「POSITANOポジターノ」(上写真)

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【Photo】9世紀に町が建設され、ヴェネツイア、ジェノヴァ、ピサとともに海洋都市として繁栄したアマルフィ。その中心に建ち10世紀当時の遺構が残るドゥオーモ周辺を淡い色彩を用いマットな仕上がりで細密に再現した「AMALFI DUOMO」(上写真)

 家族経営のクレアツィオーニ・ルチアーノ工房では、兄ルチアーノはマネジメント、弟ロベルトがデザインを担当。風景を題材とする作品では、キュビズムの影響を感じつつも、カラフルでキュートな先代ランベルトの作風(下写真)と、より具象的なロベルトの作品とでは、親子でも個性が異なります。

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 絵柄のモチーフは前編で登場したレモンや風景・町並みのほか、ポンペイでモザイクが発掘された絵柄そのままの〝猛犬注意〟、ギリシャ神話に登場する12星座の意匠、ロッビア工房の作風を彷彿とさせる宗教上の題材など、多岐に渡ります。

 今夏、仙台市青葉区一番町の情報ステーション「仙台なびっく」に期間限定でクレアツィオーニ・ルチアーノ工房の作品を取り扱う「ベスト・オブ・サレルノ」がチャリティ出店しました。サレルノ在住で同店を運営する株式会社繋(けい)代表を務める藤原佳代さん(仙台市出身)がルチアーノ社に制作を依頼したのが、この「SENDAI」。

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【Photo】仙台の夏を彩る七夕飾りをデザイン化した作品「SENDAI」は、津波で親を亡くした震災遺児の支援に売り上げが寄付される

 この和洋折衷な作品を語るとき、避けては通れないのが1980年に南イタリアで発生したイルピニア地震です。同年11月23日午後7時35分、カンパーニャ州アヴェリーノ県イルピニア地方を震源とするマグニチュード6.9の大地震が発生(下図参照)。90秒続いた強い揺れで震源に近いアヴェリーノ県・サレルノ県・ポテンザ県では多くの建物が倒壊。20万人以上が家を失い、第二次大戦後のイタリアでは最悪となる2,914名が犠牲となりました。 Terremoto_irpinia1980_shakemap.jpg

 現在クレアツィオーニ・ルチアーノ工房の社長を務めるルチアーノ・タスタルディさんは当時18歳。東日本大震災の映像は、31年前にサレルノを襲った悲劇の記憶を呼び起こしました。藤原さんから相談を持ちかけられたルチアーノ氏にとって、サレルノからできる支援の一つのかたちが、岩手・宮城・福島の被災3県で1,724名にのぼる津波で親を亡くした震災遺児の支援に売り上げを役立ててもらおうと制作したこの作品だったのです。

 こちらはロベルト・タスタルディさんが「SENDAI」を制作する模様を収めた動画。作業は石膏板に下絵をトレースし、手作業で溝を刻み、基盤を作成します。前述のサンタ・マリア・アッスンタ教会のクーポラに見るように、溝の深さや幅は、輪郭と模様を表現する場合とでは異なります。


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 イタリアの観光地にある土産物店では、ご覧のような中国製のコピー商品(右写真)を置いているケースがあります。こうしたまがい物は、手彫りする溝の太さにムラや曲がりがあり、色が入り混じるなど彩色も粗雑。熟練の職人が作業にあたるルチアーノ工房の作品と比べると、仕上がりの落差は一目瞭然なのがお分かり頂けるかと思います。

 石膏の基盤に粘土を圧着し、厚さ8mmほどの絵柄の型をとります。次に原版を1050℃で素焼きします。凸状の輪郭で囲まれた内側にエナメル染料や色ガラスを鮮やかな手つきで流し込み、釉薬を表面に吹きかけて950℃で再焼成すると、色鮮やかな世界に1枚だけの陶板画が完成です。

 今回、サーバ移行に伴う不調により、後編のアップが10日ほど遅れました。リンク先のタグ付けができない歯がゆい状況は変わっておりませんが、何とかお約束は果たした格好です。

 ルチアーノ社の陶板画以外にも、前回ご紹介のセレクトショップ「ベスト・オブ・サレルノ」では、サレルノ発の食品も取扱っています。予定より遅れることは、南イタリアでは日常茶飯事ですが(苦笑)、お詫びとして次回はオイシイ番外編をお届けします。

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Creazioni Luciano s.r.l.
・Ufficio(本社):via G. Pastore,26 Località Cupa Siglia 84131-Salerno(SA)ITALIA Phone: +39.089.384.944 Fax: +39.089.893.856.710
・Negozio (ショップ):Vicolo della Neve 34/36-Salerno(SA)ITALIA Phone:+39.089.296.1469
URL: http://www.creazioniluciano.com/it
E-mail: info@creazioniluciano.com baner_decobanner.gif

2014/11/23

駅弁? 空弁? いいえ「道弁」です。

「みちのく潮風トレイル」の道連れには道弁を


shiokazetrail_press1.jpg 11月1日(土)、まさに〝雨降って地固まる〟空模様のもと行われた「みちのく潮風トレイル」のキックオフイベント「みちのく潮風トレイルフェスティバル! in 石巻・女川」。会場は宮城県石巻市中瀬の石ノ森萬画館に隣接した特設テントです。

 セレモニーの冒頭、みちのく潮風トレイルのうたが披露された会場には、東日本大震災の発生直後に山形市の東北芸術工科大の学生が立ち上げた復興ボランティア組織、「福興会議」のメンバーが核となり、全国から集結した大学生によるプロジェクト「あるいて、つないで、みちになる」に参加した3人の姿がありました。

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【Photo】全国から参加した大学生が、みちのく潮風トレイルを踏破するプロジェクト「あるいて、つないで、みちになる」23日間の行程を通して、メンバーが感じたままの印象を詳細に綴ったフリーペーパーの一部(上・右) 画像拡大可〈click to enlarge

 これは8月20日~9月11日までの23日間をかけて、青森県八戸市と福島県相馬市を南北の起点に岩手県大船渡市恋し浜で合流すべく、みちのく潮風トレイルを二手に分かれ1チーム4名で350kmを踏破するというもの。参加メンバーが行程で感じたことを日記風にまとめたフリーペーパーには、みちのく潮風トレイルを旅した記録がびっしりと記されています。

arahama_sendai2011.3.24.jpg【Photo】震災発生の翌朝、200から300のご遺体が海岸で発見されたという一報が駆け巡った仙台市若林区荒浜で2011年3月25日に撮影した1枚。屋上に避難した住民が助かった4階建ての荒浜小学校が原形をとどめる以外、基礎だけを残して流失した住宅の残骸が累々と続く。仙台市はともに震災遺構として保存する意向。彼方に遠望する仙台の街並みとのコントラストは、現在も固定化されたまま〈click to enlage

 家族や家財産を津波に持って行かれ、喪失感に苛(さいな)まれながらも、大いなる恵みをもたらす海から離れずに暮らす人たち。目の当たりにして言葉を失った南三陸町防災庁舎石巻市立大川小学校。そうした震災の痕跡や自分と向き合いながら一歩づつ歩みを進めた先々で、五感で感じ取ったままが切々と語られます。

arahama-sendai_2013.jpg【Photo】仙台市若林区荒浜に建立された荒浜慈聖観音は、この地を襲った9mの津波と同じ高さ。黒御影石に刻まれた荒浜地区の犠牲者190人の名前と年齢を凝視していた庄イタに、木製の慰霊塔に手を合わせていた年配の男性が「どちらからいらしたのですか?」と声をかけてきた。仙台市内のみなし仮設にお住まいというその男性は、私と同じ年齢のご子息を津波で亡くされたという。合掌(上写真)

 「日頃は仙台で暮らしており、ほとんどが初めて訪れる場所を自分の足で歩き、津波の痕跡が色濃く残る地域の実相に肌身で触れた体験は、得がたい財産になった」とは、相馬市を起点に北上する4人チームのリーダー格として参加した東北芸術工科大3年小松大知さん(仙台市出身)のコメント。

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 9月に開催された「ツール・ド・東北2014」で、キャロライン・ケネディ駐日米国大使など、出走者から「美味しい~❤」と大好評を博したサンマつみれ・木綿豆腐・長ネギ入りの郷土料理「女川汁」がセレモニー会場で振舞われました。

 そして試食販売ブースでお披露目されたのが、潮風トレイルのコースとなる石巻市や女川町の海の幸を使った3つのご当地弁当、名付けて「道弁」。お弁当とはいうものの、歩いて食することができるよう、中身は地元の具材を用いたおむすびが主役。女川町で寿司店併設の鮮魚店を再開した親子や、石巻市雄勝、同鮎川の漁師のお母さんたちが、地元の味をおにぎりに仕上げました。

 道弁のプロデュースには、「東北食べる通信」を創刊し、2014年度グッドデザイン金賞を受賞したNPO法人「東北開墾」が当たっており、セレモニー会場では代表理事を務める高橋博之氏が、食を通じた新しいコミュニティづくりと題するディスカッションに参加していました。

package-michiben.jpg 道弁のパッケージ(上写真)は、被災からの再起を目指す作り手の営みと産地MAPの紹介リーフレットを兼ねています。道弁を手にした人が、そこを訪れ、交流することで、食材の作り手と食する人とのご縁を繋ぎ、結ぶ媒介役を果たして欲しいという願いが込められているのですね。

 インターネットの普及で、情報を得ることは、いとも容易になりました。しかし、文字面や映像といったうわべの知識だけでは見えてこない作り手の想いや、産地の風土・文化に直接触れることで、初めて気づくことがあるはず。それが何よりの味付けとなり、人の命を支える食べ物の作り手への敬意や、食材への感謝に結びつくことを、庄イタもViaggio al Mondoを介してお伝えしてきました。

 以下、道弁のラインナップをご紹介します。まずは道弁エントリー番号1番、石巻市雄勝地区の行政区長が推薦した選抜女性メンバーで結成された「おがつスターズ」から。浜言葉で「人たち」を意味する「すたず」とスターズの秀逸な掛け言葉(笑)。

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【Photo】(写真左から)宮城で最もホタテ養殖が盛んな雄勝。水揚げしたての大ぶりな帆立貝を煮込んで一晩味を染ませ、炊き込みご飯にした看板メニューの「ホタテ」。活アナゴを天ぷらにしただけの素材の味が引き立つ「アナゴの天むす」。雄勝湾や追波湾の昆布を乾燥後、荒削りしたとろろ昆布で塩むすびをふんわり包み込んだ「とろろ昆布いずれも画像拡大可〈click to enlarge


 道弁エントリー番号2番、女川町小乗浜「おかせい」。女川で70年近く続く水産物加工卸会社。加工場や売り場を流失し、避難所暮らしの中で口にした寿司の味に発奮した兄が卸し担当、弟が小売担当となり、ふさぎ込んでいた父の背中を押す形で震災から7カ月後に寿司や海鮮丼を提供する寿司店を開業。

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【Photo】(写真左から)脂が乗って肉厚と築地の仲買人から指名買いが入る宮城産アナゴ煮を甘辛く味付けした「アナゴ煮」。おかあさんたちが殻むきし味付けしたホヤと紫蘇の香りが酢飯とベストマッチする「ホヤとしそ」。志津川に代表されるアワビを食した三陸のタコは、明石と並び称される逸品。「おかせい」の看板商品「たこめしの素」にも用いる煮付けたタコがたっぷり入った「タコ 画像拡大可〈click to enlarge


 道弁エントリー番号3番、石巻市鮎川「ぼっぽら」。牡鹿半島の先端部にある鮎川は、捕鯨の一大拠点だった。牡鹿の方言で「急に、備えなしに」を意味する「ぼっぽら」という名のお弁当屋を2012年7月に立ち上げたお母さんたちが、クジラやホヤを使った弁当を注文に応じて手作りする。

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【Photo】(写真左から)金華山沖は黒潮と親潮が出合う世界三大漁場。リアス式の入り組んだ地形が複雑な潮流を生み、肉厚のワカメが養殖される。冬に種付けして春には収穫できるため、浜復活に向けた第一歩となった磯の香が広がる「ワカメ」。近海で捕獲されたクジラを余すところなく使うのが、ニッポンの鯨食文化。種類によって食べ方を変える鮎川のお母さんがお薦め「ツチクジラのつくだ煮」。国内生産高の9割を占める宮城の養殖ギンザケ。脂が乗ったギンザケとベストマッチな海苔を巻いた「焼きギンザケ 画像拡大可〈click to enlarge
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 米どころ宮城ならではの冷めてもなお美味しいご飯のお味は、宮城の観光PRキャラクター「むすび丸」も太鼓判。さて、あなたはどの道弁を、みちのく潮風トレイルを巡る旅の道連れになさいますか?
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みちのく潮風トレイル
 URL: http://www.tohoku-trail.go.jp/

おがつスターズ
 住:宮城県石巻市雄勝町雄勝字伊勢畑24
 Phone:080-8221-1430
 営:電話での注文に応じて弁当販売、ケータリングに対応 不定休
 URL: https://www.facebook.com/ogatsustars
 メニュー:旬の素材を使ったお弁当 (例:ホタテご飯500円)

おかせい
 住:宮城県牡鹿郡女川町小乗浜字小乗115
 Phone:0225-53-2739
 営:11:00-16:00(鮮魚販売は8:00-17:00) 水曜定休
 URL: http://www.rakuten.co.jp/okasei/
 メニュー:寿司・海鮮丼ほか魚介料理(例:特撰女川丼2500円)

ぼっぽら食堂
 住:宮城県石巻市鮎川浜北18-4
 Phone:080-2816-1389
 営:11:00-13:00(売り切れ次第終了) 日曜定休 臨時休あり
 URL: http://mermamaid.com/
 メニュー:日替わり弁当500円 ※完全手作りのため当日10:00頃までに電話注文

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2014/11/16

発進! みちのく潮風トレイル

新たな地平を求め、歩く速さで旅しよう。

 旅を愛する者として、移動手段のスピード化がもたらす恩恵を否定はしません。仙台-函館間をおよそ2時間半で結ぶ北海道新幹線新函館開業は、確かに楽しみではあります。ですが、移動速度が増すほど、旅の印象は、希薄にならざるを得ない側面があることもまた否めません。

mutsuminato-stn2014.jpg【Photo】八戸市街から蕪島・種差海岸方面への道すがら、早起きしてでも訪れたいのが、「イサバのカッチャ(=市場のお母さん)」像が出迎えるJR陸奥湊駅前の朝市(上写真)

isaba-kaccha.jpg【Photo】日曜以外の早朝3:00~正午まで、水揚げされたばかりのピッチピチの魚介や惣菜などを扱う市が並ぶ「陸奥湊駅前朝市」には、大型の物販・飲食施設「八食センター」とは違った魅力が充満。今年7月中旬の訪問時は、店頭でウニの殻を剥くカッチャと馴染み客との南部弁を駆使したほとんど意味不明な会話や、爽やかな苦味のある八戸の伝統作物「糠塚キュウリ」とも出合えた

ichiba-gohan2014.jpg その土地の光や風を肌身で感じ、街並みや人々の暮らしぶりに触れることで、旅先の印象はずっと濃密になります。歩く速度で旅することで、あっという間に風景が切り替わってゆく車窓越しでは決して得られない出合いや感動が待っているはず。

【Photo】昭和の雰囲気漂う陸奥湊駅前通りや、入口に惹かれた市場の地階を一巡。店の下見をした上で、朝ご飯を食したのが朝市の一角、八戸市営魚菜小売市場にある「朝めし処」。活きの良い魚介とカッチャが居並ぶ市場で買った刺身や、脂乗りが良い大振りな八戸前沖サバの塩焼き(350円)など、店頭に並ぶ八戸の味を温かいご飯(100円)とともに早朝5時から10時まで頂ける(毎週日曜・第二土曜日・年始休)

 このほど青森県八戸市蕪島から岩手・宮城を経て福島県相馬市松川浦までの南北700kmを結ぶ新たな道、「みちのく潮風トレイル」が設定されました。これは東日本大震災からの復興に資する「グリーン復興プロジェクト」を推進する環境省による取り組みの一環です。

 山の頂きを目指す欧州発祥のアルピニズムとは違い、じっくりと時間をかけて里山を移動しながら自然と触れ合うことを目的とするロングトレイル。北米で1960年代に誕生し、総延長3,500kmに及ぶアパラチアントレイルをはじめ、米国では広く普及しています。
 
kosode-gyoko2014.jpg【Photo】放送終了から2年が過ぎた今も多くの「あまロス症候群」の観光客が訪れる久慈市小袖漁港。有村架純がブレイクした当たり役、若き日の天野春子の逃避場所であり、能年玲奈演じる主人公天野アキが海中にダイブした灯台はドラマそのまま。なれど昨年まで残っていた春子がマジックでなぐり書きした「 東京 原宿 表参道 海死ね ウニ死ね・・・」の文字は、もはやかすれて判読できないという

 信州・信越地域や北海道、九州など、日本には10箇所以上のロングトレイルが存在します(参考)。東北では初となるみちのく潮風トレイルは、社会現象化したNHK朝ドラ「あまちゃん」の舞台となった久慈市小袖と、八戸市でヒッチコックの名作「鳥」を実体験できる海鳥の一大繁殖地・蕪島の間が、昨年11月に先行開通しています。

kosode2-gyoko2014.jpg【Photo】天野アキが海女クラブの面々に素潜り漁を叩き込まれた小袖漁港。透明度が高い入江では、7~9月の間、観光客向けに海女による素潜りによるウニ漁の実演が披露される 

 北限の海女で一躍有名になった小袖を思い立って訪れたのは今年7月。まめぶ汁を味わい、能年玲奈演じる天野アキが劇中で海に飛び込んだ灯台、夏ばっぱや美寿々さん、安部ちゃんら海女クラブの先輩に素潜り漁を教わった「袖が浜漁港」こと小袖漁港など、ロケ地を訪れるうち、あまロス症候群がむしろ重症化した庄イタ。

mamebu-jiru.jpg【Photo】久慈市山形町にある「道の駅白樺の里やまがた」(ふるさと物産センター)食事処「食楽」のまめぶ汁(500円)。特産の山形村短角牛を使用した焼肉定食やハンバーグ定食(1,000円)といったメニューも見逃せない

 来訪客がどこから訪れたかをシールを貼って自己申告するボードは、国内用と海外用の2枚が用意されていました。いまだ衰えないあまちゃん人気を裏付けるように、くまなく日本全国にシールが貼られています。そこで庄イタはまだ空欄だったITALYに緑色のシールを貼り、北三陸に確かな足跡を残してきました。\('jjj')/

 青森・岩手に遅れること1年近くを経た10月9日にルートが開通したのが福島県相馬市松川浦と新地町区間。宮城で整備が遅れていた理由は、3年8カ月前に発生した東日本大震災で最多の犠牲者・行方不明者を出し、復興はおろか復旧すらままならない被災地の現状があります。

kesenuma_2014.7.16.jpg【Photo】被災前は事業所や店舗が並んでいた旧JR南気仙沼駅方向を、気仙沼市仲町の旧河北新報気仙沼総局ビルから見た今年7月の光景。これが震災から3年半を過ぎた被災地の現実〈click to open another cut

 五輪開催のために街並みが一変したという50年前を彷彿とさせる莫大な社会資本が、半世紀を経た今、再び東京に集中投入されています。建築資材高騰と人手不足が、人々の記憶の片隅に追いやられた感すらある被災地復興の重い足かせとなっている現状には、東北の視点から疑問を呈さざるを得ません。

 輝きを増す光と深い影とが交差し、複雑な想いが去来する中で、700億もの国費を投じて解散総選挙が行われようとしています。〝誰がやっても同じ〟という、よく耳にする諦めの連鎖からは決して潮目の変化は生まれません。来るべき師走選挙では、納税者の権利はしっかりと行使しようではありませんか。

frier-michinoku_trail.jpg 暦の上ではノヴェンバ―となった11月1日(土)、宮城でのキックオフイベント「みちのく潮風トレイルフェスティバル! in 石巻・女川」が、石巻市の中瀬公園で開催されました。次回「駅弁? 空弁? いいえ、道弁です」では、その模様をご報告します。

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2014/10/05

いちごワイン by 山元いちご農園

山元いちごの幸せ便

 復活を遂げつつある「仙台いちご」。その最大の産地は、福島との県境を接する宮城県最南部の沿岸部、亘理郡山元町亘理町の沿岸浜通りです。

yamamoto-ichigo1.jpg 震災前は東北最大のイチゴ産地であり、地域の基幹産業であったイチゴの生産園地96ヘクタールのうち、91ヘクタールが津波で流失。129の生産者がいた山元町では98%にあたる124軒、251の生産農家がいた亘理でも9割以上の232人が被災する文字通りの壊滅的な被害を受けました。

 郷里再生に向けた旗頭となるべく、震災発生の3カ月後の2011年6月、3軒のいちご農家が農業生産法人「山元いちご農園」(岩佐隆 代表取締役)を立ち上げました。

【photo】津波浸水域でいち早くイチゴ栽培の復活に取り組んだ「山元いちご農園」では、除塩を必要としない高設式のEM栽培を取り入れ震災翌年2月に完熟イチゴを初出荷した

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yamamoto-ichigo.jpg 国や団体などの助成と借入金を元手に、総事業費4億8,000万をかけて10棟の大型ハウスを整備。40人を新規雇用し、震災翌年の2月に初出荷にこぎ着けました。復活して3回目となる仙台いちごにとって最大の需要期となるクリスマスに向け、冬いちごの出荷が今月末には始まります。

 JAみやぎ亘理管内には復興交付金を活用した最新鋭設備を備えた栽培・育苗合わせて458棟の大型鉄骨ハウスが集積した「いちご団地」と選果場が完成。昨年11月上旬には「感謝の心」というラベルを貼った主力品種「とちおとめ」や「もういっこ」を仙台市場ほか北海道・京浜方面に出荷。稼働2年目の今年も、地域再生に向けて歩みを続けています。

yamamoto-ichigo3.jpg【photo】真っ赤に色付いた山元いちご農園の朝採りイチゴ(上・左)

 多くの犠牲を生んだ震災発生以降、東北大災害研や電通グループとの共同作業で、庄イタが取り組んでいるのが、地域事情に応じた津波避難訓練モデル構築を目指す「カケアガレ!日本」です。

 今年6月14日(土)、自動車を使った津波避難訓練が山元町で行われました。翌日には同町花釜地区で住民による意見交換会があり、カケアガレ!日本企画委員会として聞き取り調査を実施。その際、昼食に立ち寄ったのが、山元いちご農園が今年2月にオープンさせた「Berry Very Labo ベリー・ベリー・ラボ」。

 地場産品の直売所を併設したそこでは、自家製イチゴをたっぷり使ったフードメニューやドリンクメニューを味わうことができます。お腹を空かせた庄イタがオーダーしたのが、ベリー・ベリー・ラボがイチオシする「いちごカレー」と「フレッシュいちごジュース」。収穫期の最終盤に差し掛かりつつあった主力品種「とちおとめ」と、甘めのカレーとの意表を突いた組み合わせです。

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【photo】ベリー・ベリー・ラボの人気メニュー「いちごカレー」(写真左・右) 「イチゴとシーフードのクリームパスタ」(ともにサラダ付き850円・税込918円)や「おすすめランチ」(11:00~13:30/サラダ付き850円・税込918円)。 いちご100%使用の「いちごジュース」(380円・税込410円)

 甘酸っぱさとマイルドなスパイシーさが入り混じるそのお味にご興味がおありなら、30分食べ放題の摘み取り体験ができるイチゴ狩りがてら、どうぞ山元にお出掛けください。摘み取り体験ができるのは1月初旬から6月中旬にかけて。お帰りには、お隣り亘理町・JR常磐線山下駅近くの洋菓子店「お菓子のアトリエ・リモージュ」の看板商品、上質な生クリームとスポンジ生地の中に隠れんぼをした亘理産イチゴを求肥で包み込んだ冬季限定「イチゴのシルキーケーキ」のお買い求めもお忘れなく。

yamamoto-wine7.jpg【photo】山元いちご農園産イチゴを100%使用した「いちごワイン」。色合いが綺麗なフロストボトル(左)と紫外線による変質防止効果の高いグリーンボトル(右)の2種類(中身は同一)

 姿恰好が個性的など、規格外のイチゴに新たな付加価値を与えるべく、山元いちご農園が六次化の成果として商品化したのが「いちごワイン」。10月4日(土)、ベリー・ベリー・ラボで、齊藤俊夫町長や阿部均町議会議長を招いてのお披露目会が行われました。

yamamoto-wine8.jpg【photo】ベリー・ベリー・ラボのテラス席からは、発災から3年半を経過し、集団移転用地の嵩上げ工事が進む山元町の姿を見ることができる。今年12月には常磐自動車道の未開通区間だった相馬IC-山元IC間が開通する

 冒頭、挨拶に立った岩佐社長が語ったのが、かつて地元・山元のイチゴを使った果実酒を作りたいと互いに夢を語った一年後輩の故・桔梗幸博さんのこと。宮城県内初のイチゴ果実酒を製品化した桔梗長兵衛商店は、ご当主の幸博さんが犠牲となり、残念ながら廃業に追いやられました。が、このほど山元いちご農園が100本の数量限定で製品化したいちごワインの誕生を、きっと亡き桔梗さんも天国で喜んでいることでしょう。

yamamoto-wine9.jpg いちごワイン醸造の委託先として選んだのが、郷里再生に向けて歩み始めたばかりで、まだ体制が万全とはいえない山元いちご農園の事情を何かにつけ勘案してくれた酒田市浜中の「オードヴィ庄内」。庄内砂丘特産のメロンや、刈屋梨を使用した果実酒の製造実績があり、パートナーシップを組んだのだそう。

 グラスからはイチゴ果汁100%ならではの甘酸っぱい香りが立ちあがってきます。口に含んだロゼのような美しい色合いの液体は、香りから予想したほど甘口ではありません。イチゴを生食するよりも複雑味があり、安価なワインにありがちな薄っぺらさや水っぽさもありません。

 「ほぉ~、なかなかのお味」

 そう思って改めて眺めたエチケットには、赤く熟したイチゴのイラストが描かれ、青いガクは山元町の鳥であるツバメをデザインしたもの。キャッチフレーズは「山元いちごの幸せ便」。ほんのり甘酸っぱいこのワインが、きっと味わった人と山元町に幸せを運ぶ青い鳥になってくれることでしょう。
yamamoto-wine10.jpg
◆ 山元いちご農園 いちごワイン
 ・原材料: 山元町産イチゴ、
       酸化防止剤(脱硫酸塩)
 ・アルコール分: 8%
 ・720mℓ:2,000円 ・360mℓ:1,200円(各税別)
 ・フロストボトル・グリーンボトルの2種類
  (中身は同一)
 ・初ヴィンテージは100本限定

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山元いちご農園株式会社
 Berry Very Labo ベリー・ベリー・ラボ
 住:宮城県亘理郡山元町山寺字稲実60
 Phone:0223-37-4356
 営:10:00-17:00 月曜定休
 URL: http://yamamoto-ichigo.com/
     http://berryverylabo.com/

 【商品取り扱い】
        ・山元いちご農園内 Berry Very Labo ベリー・ベリー・ラボ 
        ・橋元商店 山元町山寺頭無161-1 Phone:0223-37-0036 
                 営:7:00-19:00 第1・3・5日曜定休
        ・仙台名店ドットコム http://www.sendaimeiten.com/

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2014/08/03

夏だ! 海だっ!! ウニだぁ~!!!

Porco Rosso @ Ofunato 大船渡 ポルコ・ロッソ

 郷土再生の槌音が響く南三陸に、深い地元愛を感じさせる1軒のトラットリアがあります。その名は「Trattoria Porco Rosso トラットリア・ポルコ・ロッソ」。1992年(平成4)に公開された宮崎駿監督の映画「紅の豚」主人公、ポルコ・ロッソをどことなく彷彿とさせる風貌のオーナーシェフ、山﨑純さんが1998年(平成10)に郷里の岩手県大船渡市で開業したイタリアン・レストランです。

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【Photo】「飛べねぇ豚はただの豚だ」 1920年代のアドリア海を舞台に、自ら魔法をかけて空飛ぶ豚ポルコ・ロッソに姿を変えた退役イタリア空軍パイロット、マルコの生きざまを描いた宮崎駿監督作品「紅の豚」イタリア語版「PORCO ROSSO」(左)
大船渡「トラットリア・ポルコ・ロッソ」のカウンターには、トレンチコートとボルサリーノのソフト帽で決めたポルコ・ロッソのフィギュアが一体(右)

 南に向けて開けた大船渡湾は、開口部1km、奥行き6km。波穏やかな天然の良港です。南三陸特有の入り組んだリアス式内湾には、背後に迫る北上山地から滋養豊かな川水が湾内に流入し、ホタテ・カキ・アワビといった海の幸の養殖が盛ん。末崎半島の景勝地・碁石海岸の対岸に位置する長崎海岸や沖合の大ビラ磯・小ビラ磯といった岩礁などでは、5月末から8月中旬まで漁期となるキタムラサキウニが旬を迎えています。

cape-ozaki-ofunato.jpg【Photo】大船渡湾に突き出た尾崎岬から長崎海岸方向を望む。幼生を放流し、エサとなる昆布を増やすなどの地元漁師の努力によって、全国屈指の水揚げを誇る三陸のウニやアワビなどの漁業資源が守られてきた

 鉄路が寸断された現在は、BRT(バス高速輸送システム)が気仙沼との間を代行運行するJR大船渡線の終着駅、盛(さかり)駅から徒歩圏内のポルコ・ロッソ。盛駅は三陸鉄道南リアス線の始発駅でもあり、今年4月、運休していた釜石--吉浜間が復旧、全線運行再開を果たしました。実際の三陸鉄道の車両が登場したNHK連続テレビ小説「あまちゃん」冒頭の「きたてつ」こと北三陸鉄道開業シーンさながらの祝賀ムードに地元は沸きました。

 しかし沿線で暮らす住民が激減した今、その前途は復興への道のりと同様、楽観できるものではありません。沿線の風景は変わってしまいましたが、変化に富んだ海岸線と海の美しさ、無口でも情に厚い人たち、そして海の幸の美味しさは変わりません。

ofunato-onsen.jpg【Photo】末崎半島(右)と尾崎岬(左)に挟まれた大船渡湾の開口部付近には、ホタテやカキの養殖いかだが敷設される。湾を見下ろす高台の絶好のロケーションに大船渡温泉が先月末オープン(写真右下の建物)〈click to enlarge

 7月31日(木)には、大船渡湾を見下ろす高台に日帰り入浴可能な温泉を備えたホテル「大船渡温泉」が開業。そこで起きた現実を目に焼き付け、世界三大漁場に数えられる三陸の幸を味わい、肉厚の「恋し浜ホタテ」の産地・小石浜では、奉納されたホタテの絵馬が凄いことになっている駅舎が必見の「恋し浜駅」など、沿線をじっくりと訪れてはいかがでしょう。

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【Photo】盛駅からほど近いトラットリア・ポルコ・ロッソ。東日本大震災の津波は、2.5kmほど港から内陸にある店の階段まで遡上してきた(左) 山﨑純オーナーシェフ。開店前の仕込み中に伺ったこの日は、コックコートではなく赤いTシャツ姿。「出来すぎやん!」と内心突っ込みを入れつつ、ポルコ・ロッソ氏にハイ、チーズ(右)

 東日本大震災では、コンクリート製エントランスの1段目まで津波が到達したというポルコ・ロッソ。店は津波被害は免れたものの、多くの取引先や知人が被災しました。不自由な避難生活を送る市民のため、山﨑シェフは1日2回の食事をピーク時で1日2,000食、通算17万食も作って届けるボランティアを5カ月続けました。7カ月後、店の再開に至る経緯は「わわプロジェクト」サイトを参照願います。

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【Photo】殻の腹面中央にある口で海藻類を食べて育つ三陸のキタムラサキウニ。漁期の8月中旬までは鮮度の良い生ウニがメニューにオンリストされる(左) 7月下旬、陸前高田市米崎のリンゴ畑では、特産のリンゴが次第に色付き始めていた(右)

trattoria-porco-rosso.jpg【Photo】木の温かさが伝わるトラットリア・ポルコ・ロッソ店内。カウンター席からは厨房がすぐ目の前。気さくなオーナー・シェフのキャラクターもあいまって、オープンキッチンの開放的で気取らない雰囲気の中、素材の持ち味を活かした料理を楽しめる

 東京とローマでの修行を経た山﨑シェフが、元々は銭湯だった建物の一角に現在の店を開いたのが1998年(平成10)。地元を離れて、改めて郷里の食材の価値を再認識したといいます。ポルコ・ロッソでは、昼夜ともに地元・南三陸の素材を積極的に取り入れており、夜はアラカルト、昼は4つのコース中心といったメニュー構成。

 大船渡の海の幸だけでなく、「無機と有機のカタチ」で特異な樹形に関して触れた陸前高田米崎特産のリンゴ、大船渡の西隣にある住田町「ありす畜産」の「ありすポーク」など、手書きの黒板メニュー(下写真。2014年7月中旬 click to enlarge)には、山﨑シェフが惚れ込んだ気仙地方の食材がふんだんに登場します。

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 前置きはこのあたりにして、春から夏にかけて庄イタが味わった「ランチコース(3,240円)」および「ドンナコース(コース名は女性コースなれど男性でも注文可。2,160円)」から一例をご紹介しましょう。(お手頃な「セットメニュー(1,300円)」とランチコースに魚料理か肉料理のセコンドピアットが付く「ポルココース(4,320円)」も選択可)

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【Photo】7月のある日、カウンターで頂いたランチコースより。〈アミューズ〉オーガニックなニンジンのムースとスカンピ(手長エビ)のジュレ、地物生ウニのトッピングカクテル(左)
5月。〈前菜盛り合わせ〉住田町ありすポークの低温ロースト・陸前高田市米崎町産細谷さんの無袋栽培完熟リンゴの無糖コンフィチュールのせ、自家製パンチェッタとサルーミ、カポナータのブルケッタ(右)

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【Photo】これも風薫る5月。〈温かい前菜〉真マスと米崎リンゴの重ね焼き、春野菜のアッロースト(左)
〈4種から選ぶ本日のパスタ〉春キャベツとアスパラ孟宗筍のスパゲッティ(右)

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【Photo】海が輝きを増す7月。〈温かい前菜〉キュウリウオ科の白身魚チカと米崎リンゴの重ね焼き、ナスとカボチャのアッロースト(左) 〈4種から選ぶ本日のパスタ〉地物焼きキタムラサキウニと活ホタテのクリームソーススパゲッティーニ。生ウニもオマケの大盤振る舞い特別バージョン(+800円)。悶絶必至(右)

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【Photo】クセになって再訪した8月初旬。〈4種から選ぶ本日のパスタ〉生ウニのクリームソーススパゲッティーニ。ふっくらとした生ウニの甘味が軽いガーリックとアンチョビの優しい生クリームと絡む(左手前) 焼きウニとホタテのクリームソーススパゲッティーニ。バターでソテーした活ホタテの旨味が加わった濃厚なクリームソース。絶品。(右手前)

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【Photo】セットメニューとドンナコースに組み込まれる「馬車に乗ったモッツァレラ」。パンでモッツァレラチーズを挟み焼きするナポリを州都とするカンパーニャ州の伝統料理「La mozzarella in carrozza モッツァレラ・イン・カロッツァ」(左)
〈ドルチェ盛り合わせ〉米崎・細谷さんのリンゴ果汁で作ったジュレ、大船渡牛乳と河内山さんの卵プルプルプリン、シェフに恋するカタラーナと、コクが増す順に食べるよう指定。プレートでは、スカーフを風になびかせたポルコ・ロッソ(山﨑シェフご本人かも?)が、グーサイン b(^ー°)(右)

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jun-yamazaki2.jpgTrattoria Porco Rosso トラットリア・ポルコ・ロッソ
住:岩手県大船渡市盛町字町10-1
  (ショッピングセンター「サンリア」並び)
Phone:0192-26-0801
営:11:30~15:00(L.O.14:00) 18:00~22:00(LO21:00)
火曜定休(ただし「年中夢中」) 18席 カード不可 
P:3台(店の前が満車の場合はご相談を)
最寄駅:JR大船渡線/三陸鉄道南リアス線 盛駅徒歩約4分

シェフの気まぐれブログ:
http://ameblo.jp/porcorosso-blog/  

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2014/07/12

第二十八共徳丸に思う

 沖縄から南東北の日本海側に深い爪痕を残した台風8号。空模様を気にしながら、津波防災関連の仕事で岩手県陸前高田市と宮城県気仙沼市に出張した日は、震災から3年4ヶ月目の月命日でした。

rikutaka-2014.7.11.jpg【Photo】高台に移転した陸前高田の仮庁舎から旧市街地に戻ると、およそ10mの嵩上げを要する旧市街中心部に土砂を運搬する「希望の架け橋」と名付けられたベルトコンベアーの巨大プラントが、さらにスケールアップして稼働中〈click to enlarge

 県境を越えて気仙沼に入ると、台風の接近による時化(しけ)から避難したと思われるカツオ一本釣り漁船が、魚市場脇の桟橋に多数停泊中でした。魚市場に併設される観光施設「海の市」は、建物2階にあるフカヒレ生産高日本一の気仙沼ならではの「シャークミュージアム」がこの春先行OPEN。津波の直撃を受けて休業中だった1階の物販ゾーンが、来週19日に待望の再出発を果たします。

porto_kesennuma2014.7.11.jpg【Photo】気仙沼魚市場脇の桟橋には、漁期を迎えたものの、水揚げが遅れていたカツオ一本釣り漁船が、台風を避ける為に多数停泊していた〈click to enlarge

 地盤沈下と津波の猛威に晒された魚市場付近の岸壁は、海中のがれき撤去と補修がほぼ終わり、今では大型の漁船が接岸できるようになっています。港に停泊中は、思い思いの時間を過ごす船員たちの姿が見られます。こうした何気ない営みに海と生きる町・気仙沼の日常が、ほんの少しでも戻ってきていることを感じることができました。

28er-kyotoku-maru.jpg【Photo】見覚えのある名前、青と赤の配色。「二」の文字がなければ、昨年10月末に解体された「第十八共徳丸」の残像と出合ったかのよう〈click to enlarge

 宮崎や高知停泊中の漁船の中で、庄イタが船尾に書かれた船名に目が止まったのが「第二十八共徳丸」。

 そう、気仙沼市鹿折地区の海岸から750mも内陸側に打ち上げられ、保存か解体かで議論を呼んだ大型巻き網船「第十八共徳丸」(330トン)と同じ福島県いわき市の水産会社「儀助漁業」が所有する漁船です。

18er_kyotoku-2013.8.jpg【Photo】流出した燃料用の重油タンクに引火して焼け野原となり、気仙沼の中でも被害が著しかった鹿折地区に打ち上げられたまま、解体される間の2年半を陸で過ごした「第十八共徳丸」。現在、気仙沼市中心部の浸水域一帯では、大規模な嵩上げ工事が行われている〈click to enlarge 

 昨年夏に実施された気仙沼市民対象の意向アンケートでは、第十八共徳丸を保存すべきと考える人が16%に留まり、保存は必要ないとする意見が68%を占めました参考データ。被災地においてすら震災の記憶の風化は進んでいます。

 苦い経験を繰り返さぬよう、震災遺稿として船を残すべきだとする人々からの非難を承知で、「目にするのは苦痛だから撤去すべき」との声に配慮して解体という苦渋の選択に踏み切った船主の柳内克之社長(41)は、排水量375トンの同じ名前を付けた大型船を地元いわきで建造し、昨年1月に進水式を終えています。

18er-kyotoku_2013.8-2.jpg【Photo】3.11以降、打ち上げられた第十八共徳丸の船首部分には自動車が下敷きとなっていた〈another picture〉。紆余曲折を経て解体された後、気仙沼市全体でいまだに230人にのぼる行方不明者の捜索が行われたが、発見には至らなかった

 保存か解体かで物議をかもした船と同じ名前を新造船に付けた理由が、昨年末の河北新報に掲載された柳内社長のインタビュー記事で明かされていました。苦しい時に助けてもらった船が陸で朽ち果ててゆくのを見るのは忍びなかったこと。そして大海原に向けて出港した船は、大漁旗をなびかせて戻ってきたほうが、気仙沼が活気づき、気仙沼市民もまた嬉しいだろうこと。

2014.7-mercato_kesennuma.jpg【Photo】水揚げされたばかりのカツオ(写真手前)を手分けして保冷箱に詰める作業で活況を呈する復旧した気仙沼魚市場。隣接する海の市は7月19日(土)3年4か月ぶりの再OPENを果たす

 一方で、震災発生当時、チリ地震津波(1960年・昭和35)を体験した人の多くが存命し、昭和三陸津波(1933年・昭和8)や明治三陸地震津波(1896年・明治29)の教訓を刻んだ石碑が、三陸沿岸には317カ所も存在していたといいます。にもかかわらず、およそ2万人の人命が失われた事実を私たちは重く受け止めなければなりません。

 当初は後世のために船を保存すべきだと考えていた庄イタも、その船主の言葉に溜飲を下げました。かく申すものの、文字や映像などの記録だけでは、大津波の猛威を実感として感じることはできないと囁くもう一人の自分が、今も確かに存在します。

 理不尽にも突如として生命を絶たれた多くの犠牲を無にしないため、万が一への備えを怠ってはなりません。街の再生に欠かせない土地の嵩上げのため、第十八共徳丸を解体・撤去した気仙沼市民の選択に対する評価は、子や孫たちによって30年後・50年後になされることでしょう。

2014.7-mercato_kesennuma2.jpg【Photo】カメラのフラッシュ気付き、見学者デッキの庄イタに向かって高々と両手に持ったカツオを掲げて下さったサービス精神溢れる海の男が若干2名(笑)

 一回り船体が小さく、数字は異なっても先代と同じ青と赤の配色の第二十八共徳丸が、気仙沼に停泊する姿は、感慨深いものがありました。新造された共徳丸が、再び大漁旗を掲げて入港すること、そして一日も早い復興を願って第十八共徳丸の解体と新造を決めた船主と被災者の選択は正しかった、と後世まで言い伝えられるよう、切に願います。

 今回は自戒の念を込めて2000年前にユリウス・カエサルがガリア戦記第3巻18節に残した警句で締めくくりましょう。
   ・quod fere libenter homines id quod volunt credunt. 【ラテン語原文】
   ・えてして人は自らが欲する現実しか見ようとしない。【現代語意訳】

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2014/03/16

無機と有機のカタチ

1a94646752251c584e497a57a7ba1bfb.pngニュートンも驚愕!! 
庄イタ、万有引力を発見せり? @陸前高田

 
 昨年12月、所用で大船渡に向かう移動の折、震災前は高田松原として知られた陸前高田の海岸線に沿って遥か彼方へと延びる建設中の架橋に目を奪われました。何故なら、それは横浜ベイブリッジはおろか、世界最長の吊り橋である全長3,900mの明石海峡大橋を彷彿とさせる巨大スケールゆえのこと。「命の道」として急ピッチで整備が進む復興道路こと三陸縦貫自動車道の唐桑高田道路区間が広田湾を跨ぐ雄姿かと思いきや・・・。

ponte1kibou.jpg【Photo】復元された奇跡の一本松を背景に車両が往来するR45の頭上を跨ぐ巨大な吊り橋。その正体は...。(別アングル拡大表示

 それは、旧市街南側にある標高120mの山を海抜40mの高さまで切り崩し、高台移転を果たすための宅地造成工事によって発生する土砂を、かさ上げを要する旧市街地域まで運搬する空中ベルトコンベヤー・プラント設備なのでした。3年前のあの日、出張先の青森から仙台へ移動するバスのカーラジオから繰り返し聞こえたのは「陸前高田の街が津波で壊滅した」という耳を疑うようなフレーズ。

ponte2kibou.jpg【Photo】高台移転用地となる背後の山から掘削した土砂を、かさ上げを要する高田地区などに運搬する架橋に設けられるベルトコンベヤーの出発点

 名取市閖上や女川などと同じく、原形をとどめないほどに根こそぎにされた陸前高田の惨状は、不足していたガソリンの供給が安定し、仙台の情況が少し落ち着いた同年6月、しっかりと目に焼き付けてきました。もはや枝先が枯れ始めていた奇跡の一本松近くのアスファルトの裂け目で懸命に咲く野の花に心救われたものです。

ipponmatsu_miracolo.jpg【Photo】猛威をふるう津波によって、ことごとくなぎ倒された高田松原のクロマツ林。唯一残った樹齢260年のこの巨木自身も、恐らくは予想だにしない形で、被災した陸前高田市民の心のよりどころとなった。塩害によって枯死し、根元から切り出される前、2011年6月に訪れた奇跡の一本松

 今は土煙が舞う茫漠とした更地となった旧市街地で、ひときわ目を引くこの吊り橋。支柱の高さ42.6m、橋脚の主塔間隔が220mあり、全長は3kmに及びます。ダンプカーによる搬出では10年以上を要する膨大な土砂を、3年で処理する能力を備えているといいます。大きな痛手を受けた陸前高田の将来を担う市内の小学生を対象に名前が公募され、応募総数236件から「希望のかけ橋」と名付けられました。稼働開始は3月24日(月)。架橋の名付け親となった9名と「ゆめちゃん橋」「がんばっぺし!ブリッジ」など、佳作に入選した児童も土砂搬送投入式典に招待されるそうです。

ponte3kibou.jpg 政府が最重要課題として掲げる「復興加速化」のシンボルとして陸前高田の人々が期待を寄せる竣工間近い希望のかけ橋を、日曜日に訪れました。コンベヤーは途中で枝分かれしており、高層の建物がない現在の旧市街地域で、圧倒的な存在感があります。それは郷土復活にかける陸前高田の人々の鋼(はがね)の意思を表すかのように、大地にしっかりと橋脚を据えています。陸前高田を新たに再生させる担い手となる子どもたちには、この吊り橋のように陸前高田にどっしりと根を下ろして、震災の記憶を末代まで語り継いでほしいものです。

ponte4kibou.jpg【Photo】陸前高田再生の足取りが加速することを期待される「希望のかけ橋」。左右に分岐した終点(上2点)からは、土砂を採掘する始点は遥か遠方(別アングル拡大表示

 震災犠牲者を悼み、教訓を後世に伝えるため、国は被害が著しかった東北3県に国営の「復興祈念施設」を設置する方針を打ち出しています。避難者の生活再建をまずは優先する福島は立地にまで話が及んでいませんが、国内最多の犠牲者・行方不明者3,961名が出た石巻が有力な候補地となっている宮城と同様、岩手県内最多の1,814名が犠牲または行方不明となった陸前高田が候補地に挙げられています。

ponte5kibou.jpg 奇跡の一本松と同じく震災遺構として市が保存を検討しているのが、建物内部の損傷が著しい道の駅「高田松原タピック45」。祈りの場としての復興祈念公園の整備もさることながら、そこで起こった想像を絶する出来事を何より雄弁に物語る震災遺構の保存は、焦眉の急だと考える庄イタ。慰霊碑と祭壇が設けられたそこには、盛岡中学(現・盛岡一高)の修学旅行で高田松原を訪れたことがある石川啄木の歌集「一握の砂」に収められた一節を刻んだ歌碑がありました。

 頬につたふ
 なみだのごはず
 一握の砂を示しし人を忘れず

意訳:「頬を流れる涙を拭おうともせず、浜辺から一握りの砂を手に取って差し示し、限りある人生を懸命に生きなさいと諭したあなたを私は忘れない」

 啄木の曾孫が揮毫したというこの碑によって、26歳で夭折した歌人が詠んだこの歌は、新たな意味を得て気仙地方の人々の癒しとなることでしょう。

muscat_cider.jpg 慰霊碑に立ち寄り、改めて震災犠牲者の冥福を祈ったのち、一部が先行して通行可能な三陸自動車道で、今月23日から供用開始となる陸前高田ICの先にあたる通岡IC近くの米崎(よねさき)を訪れました。そこは背後に緑豊かな北上山地が広がり、気仙川が鉄分などの養分を広田湾に運ぶため、カキ・ホタテ・ワカメなどの養殖が盛んで、定置網にかかる海産物にも事欠かない陸前高田にあって、リンゴやブドウの産地としての歴史を積み上げてきた地区です。

 1970年(昭和45)発売のロングセラー「マスカットサイダー」製造元である「神田葡萄園」をのちに創業する熊谷福松が、宮城県利府町から持ち込んだ和梨に次いでリンゴ栽培を米崎で始めたのが明治の中ごろ。これが岩手県におけるリンゴ栽培の嚆矢となりました。

 岩手は全国第3位のリンゴ産地で、その主産地は県南部から挙げると奥州市江差区、花巻および盛岡周辺、二戸など。そうした内陸部と比べて年間日照時間が長く、平均気温が高い陸前高田では、収穫の最盛期となる11月末でも比較的温暖ゆえ、糖度の高い蜜入りリンゴが収穫できるといいます。岩手でのリンゴ栽培の特徴は、脚立を使った高所作業を極力減らし、作業効率を上げるため、果樹の高さを低く抑制する矮化(わいか)栽培が普及している点。

pom_yonesaki.jpg【Photo】「奇跡のリンゴ」で知られる木村秋則さんの自然農法を実践するリンゴ畑ほか、日本一のリンゴ産地である弘前のリンゴ畑では見たこともないほど、枝が極端に下を向くよう剪定されたリンゴ果樹が見られる陸前高田市米崎町(写真上・下とも)

 米崎地区の高台では、150軒近くのリンゴ生産者が、およそ70haの栽培面積で、「ふじ」「ジョナゴールド」「王林」などの品種を栽培しています。高齢化が進むリンゴ農家にとって、矮化栽培は作業負荷を軽減するため歓迎されます。桜前線を追いかけるように北上するリンゴの芽吹きと開花に向け、訪れたリンゴ畑では枝の剪定と有機質肥料の施肥を終えていました。葉を落としたリンゴの果樹は、四半世紀前から導入された矮化栽培が徹底され、ほとんど全てが特異な姿格好をしています。

pom_yonesaki2.jpg 枝から落下するリンゴをもとに「全ての物体は互いに引き合い、その力は物体の質量の積に比例し、距離の2乗に反比例する」という万有引力の数式(banyuuinnryoku.jpg)につながる発想を得たのが、近代物理学への扉を開いた天才アイザック・ニュートンです。

 あたかも大地に引き寄せられるかのように、まるで稲妻のごとく下向きに枝を伸ばす米崎のリンゴ。ニュートンが米崎リンゴの極端に矮化した樹形を目のあたりにしたら、これも地球の引力のなせる業なのかと目を皿のように丸くして、「驚き桃の木リンゴの木!!!」と叫んだかもしれませんね。

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2014/02/09

K-port @気仙沼

想いをカタチに。

 東日本大震災の発災後すぐ、「Kizuna311」プロジェクトを立ち上げ、表現者としての立場から被災地支援に立ち上がったのが、俳優の渡辺謙さんでした。仕事の合間を見つけては岩手の陸前高田と釜石、宮城は気仙沼、福島には葛尾(かつらお)などに幾度となく足を運び、被災地で暮らす人々の声に耳を傾けてきました。

 NHK大河ドラマの史上最高平均視聴率を記録した「独眼竜政宗」で主役を演じ、トム・クルーズと共演した映画「ラストサムライ」でアカデミー賞にノミネートされた国際派俳優と比肩するのはおこがましいですが、庄イタが一昨年から関わっているプロジェクトが「カケアガレ!日本」。津波による犠牲者を二度と出さぬよう、自力避難が困難な高齢者が多い沿岸地域や、近くに高台がない平野部などに、地域課題に即した津波避難訓練を習慣として根付かせようという試みです。

 復興庁の「新しい東北先導モデル事業」に採択された、この命と地域を守る訓練プログラム策定のため、「東北大学災害科学国際研究所(IRIDeS)」の研究者ほかでチームを組み、昨年12月から宮城県内の沿岸16市町の防災担当部署に課題抽出のためのヒアリングを実施しています。今月16日、根本匠復興大臣ご臨席のもとKKRホテル仙台で開催される「津波避難のための防災・減災シンポジウム」では、不肖・庄イタが、カケアガレ!日本の取り組みをご紹介します。

yeti2014.1.21.jpg【Photo】古来いわく「腹が減っては戦ができぬ」。当日11時までに電話予約すれば食することができる気仙沼「Yetiイエティ」のネパール料理「ダルバート」。気仙沼への到着時刻が読めず、ダルバートを予約できなかったものの、この日食したのは充実のランチCセット。カレーはテークアウトも可能ゆえ、好物のキーマと定番のマトンを持ち帰り

 住民の多くが犠牲となった閖上(ゆりあげ)が海沿いにある名取市役所で仕事を終え、午後に設定していた気仙沼市役所に向かった1月末。同じ宮城県内とはいえ、名取からは三陸自動車道を経由しても片道2時間半を要する移動が伴います。気仙沼市では、昨年11月2日に行われた総合防災訓練を受けて、高齢者などの避難行動要支援者対策をテーマとするワークショップを階上(はしかみ)地区で別途実施しており、今後の取り組みの方向性を模索するために市の危機管理担当部門を幾度か訪れていました。

 そこに「Yetiイエティ」が存在することで、知る人ぞ知るネパール・インド料理の聖地となった気仙沼に到着したのが2時過ぎ。3時からの打ち合わせを控え、Yetiのランチ営業時間にもどうにか間に合いました。深みのある味わいが魅力のマトンカレーと豆の風味が生きたダールカレー、チキンティッカ、シークカバブなどがワンプレートになったCセットで内燃機関を活性化。市役所での打ち合わせを終えると、すでに西の空に陽は傾き、足もとから底冷えがしてきました。

shunsaiya-ken2014.1.21.jpg【Photo】国内水揚げ高の9割を占めるサメが三陸沖から鮮度の高いまま調達でき、冬場の乾燥した北西の季節風のもとで天日干しされることで高い品質が保証される日本一の生産高を誇るフカヒレの町が気仙沼。産地ならではのリーズナブルな価格で、豪奢なフカヒレ姿煮が入った「ふかひれラーメン」(@旬菜屋KEN)


 失われた日常を取り戻そうと懸命な被災地で消費を行うことを心がけている庄イタ。高級食材フカヒレを、銀座アスター仕込みの中華料理としてリーズナブルに堪能できるばかりか、銘酒愛好者が集う店として知る人ぞ知る店であった「でまえれすとらん」が、南気仙沼から震災の半年前に「旬菜屋KEN」として田中前に移転して以降は店を訪れていませんでした。前身のでまえれすとらんでは、ズワイガニの旨味がたっぷりのフカヒレで倍増するスープに悶絶する忘れもしない「フカヒレ・カニあんかけラーメン」が定番でしたが、夕食は大振りなフカヒレ姿煮がドーンと鎮座する「ふかひれラーメン」(1500円)で軽めに夕食を済ませました。

KEI_maitake.jpg【Photo】岩手・宮城内陸地震で打撃を受けた栗原産の菌床栽培マイタケを使い、無添加にこだわって新たな佃煮名人伝説を打ち立てた気仙沼ケイの「舞茸つくだ煮」。 

 昨年末、「(有)ケイ」の佃煮名人、菅原義子さんが、誰にも真似のできない味の決め手となる秘伝の製法で作る「さんまつくだ煮」と、義子名人ならではの絶品「舞茸つくだ煮」を購入しようと魚町にあるケイの仮設製造施設兼事務所を訪れた折。そこには渡辺さんの奥様で女優の南果歩さんと義子さんが店の前で並んだ写真が飾ってありました。聞けば、「近くを散策していたら、美味しそうな香りがしたので」と、店を突然訪れたのだそう。

 それは、ご主人の渡辺謙さんが出資し、気仙沼観光桟橋前に開いたカフェ「K-Port」がオープンした昨年11月25日翌朝のこと。それにしても南さん、嗅覚細胞がヒトの倍もあるニャンコ顔負けの警察犬のようなスルドイ嗅覚をお持ちのようで(笑)。

kport2014.1.21-2.jpg 100km以上離れた仙台への帰路に就く前にクールダウンするため、被災地との対話を重ねた渡辺謙さんが、人と人を結ぶ場として気仙沼にプレゼントしたK-Portに立ち寄ることにしました。ガラスを多用したせんだいメディアテークを手掛けたほか、世界的に評価される建築家の伊東豊雄氏が設計したという不規則な五角形をした黒い建物から灯台のように明かりがこぼれるK-Portは、復興屋台村気仙沼横丁のすぐ隣。目の前には気仙沼大島へのフェリーが出る観光桟橋があります。

kport2014.1.21-3.jpg 入り口でスリッパに履き替えて店内に入るシステムは、自宅のような感覚で寛いでほしいという思いからなのでしょう。天井が高く柱のないフローリングの開放的な室内は、海に面する側が大きなガラス窓になっています。

otokoyamahonten_2011.4.10.jpg そこからは、気仙沼湾と魚町の街並みを見渡すことができます。1915年(大正4)と1929年(昭和4)に発生した二度の大火で市街地を焼失後、昭和初期に建てられた造り酒屋「男山本店」や「角星店舗・旧酒造場」、「武山米店」など国登録有形文化財が点在する歴史ある屋並みが津波で流失し、空き地ばかりが目立つ今は、すっかり風景が一変しました。

【Photo】気仙沼湾に面して魚町にあった木造3階建ての洋風建築の男山本店は1932年(昭和7)築。3階部分を残して流失したが、街の復興に向け、復元を目指して曳家され、元の場所で保存されている(左写真)

kport2014.1.21-4.jpg kport2014.1.21-6.jpg【Photo】K-portのエントランスからはイルミネーションきらめく夜の気仙沼湾が一望のもと(上写真)

 被災後しばらくは、夜になると闇が支配していた内湾一帯にも、人の営みの息吹が感じられる明かりが徐々に戻ってきています。薄暮の迫る内湾に夜の帳(とばり)が次第に忍び寄り、灯リ始めた街の明かりに交じって、街に活気を取り戻そうと取り付けられたイルミネーションが、内湾の波間に反射して波間でキラキラと輝きます。窓越しに眺める気仙沼は、震災前と変わらぬ姿でそこにあるかのよう。

【Photo】このオリジナルマグカップは1,000円で購入可(右写真)

 定番ホットドリンクは、ドリップコーヒー(380円)、カフェラッテ・カプチーノ(各400円)、ココア・カフェモカ・キャラメルモカ(各450円)。コールドドリンクは、オレンジジュース・ジンジャエールなどソフトドリンク4種(各300円)、アイスコーヒー・アイスティー(各380円)、アイスラッテ(400円)、アイスココア・アイスモカ・アイスキャラメルモカ(各450円)。ふたつの冬季限定ドリンク「しょうがはちみつ」と「ゆずはちみつ」(各400円)という選択肢から、体の芯から温まろうと注文したのが、しょうがはちみつ。すりおろした生姜と蜂蜜の風味が生きたホットドリンクで気持ちまで温まりました。

kport2014.1.21-5.jpg 三國清三シェフが監修した土日のみ20食限定の「おかえりカレー」(1,500円)ほかの定番フードは、焼成に理想的な500度以上をキープする機能を備えた電気窯「e-Napoli500」で焼き上げる世界の遠洋マグロ漁基地の名前がついたピッツァ。地元「ケセンヌマ(=マリナーラ」)」(780円)、南アフリカ「ケープタウン(=マルゲリータ)」(980円)、南米ペルー「カリャオ」(=南米の魚介マリネ「セビチェ」を用いたピッツァ)」(1,280円)、カナリア諸島「ラスパルマス(=クアトロフォルマッジ)」(1,380円)。マグロ関連産業の集積が進むインドネシア「バリ」(580円)は、生地に胡麻かクルミのソースで味付けし、アイスクリームをのせたデザートピッツァ。渡辺謙さんが思い入れのある「パンケーキ」(チョコレートシロップ・バター・メープルシロップ風味の3枚セット500円)は土日は14:00以降に食することができます。

kport2014.1.21-7.jpg 開店後、月一回ペースで気仙沼入りしている渡辺さんに代わって店長を任されているのが、東京都八王子市出身の小林峻さん(25・右写真のごとくイケメン!!)。東松島市と仙台で震災後ボランティア活動を行い、K-portの開店と同時に気仙沼に居を移したのだそう。

 訪れた際にカウンターにおいでだった2名の女性スタッフは地元出身。K-portオープン後、幅広い層のお客様が足を運んで下さっていますと目を輝かせ笑顔をみせてくれました。

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DSCF2023.jpgK-port(ケーポート)
住:宮城県気仙沼市港町1-3
営:10:00-18:00(店内でイベント・ライブがある場合は変更あり) 無休
Phone:0226-25-9915
URL: http://www.k-port.org/
facebook: https://www.facebook.com/k.port.kesennuma?fref=ts
Mail: info@k-port.org 
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2013/06/30

潮騒ダー

みんな一緒に~ 「イチ,ニー,サン,シオサイ・ダー!!
海の男のサイダーはちょっぴり塩辛かった

shiosai_da1.jpg 海岸段丘の切り立った断崖が続き、このほど三陸復興国立公園に指定された北三陸では、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」に登場する「潮騒のメモリーズ」ことアキちゃん&ユイちゃんが歌う「潮騒のメモリー」で盛り上がりを見せている昨今。同国立公園の南端にあたる南三陸・気仙沼から新登場したこの夏オススメの海塩入りサイダー「潮騒ダー」にちなんだアントニオ猪木風コールにご唱和いただけたでしょうか?

【Photo】この夏、南三陸でブレイクしそうな「潮騒ダー」。そのラベルに描かれるのは、昇る朝日を背景にカツオが威勢よく跳ねる荒ぶる海。そして大漁と書かれた赤フン一丁の姿で腕組みをして仁王立ちする海の男。そんな彼が口にくわえるのが「潮騒ダー」。良い子はこんなワイルドな飲み方をしてはイケマセン

 相当にひねりの効いたネーミングとラベルが目を引くこのサイダーは、気仙沼市松川にある牛乳販売店「千葉一商事」の千葉清英さん(43)が、仙台市宮城野区の「トレボン食品」に製造を委託した新商品。シュワシュワの泡と、昭和を思い起こさせる懐かしいサイダー風味に、熱中症予防にピッタリな塩味がしっかりと加わっている点がミソ。そこに使われているのが、大潮ともなると高さ10m以上まで岩場から海水をクジラのごとく吹き上げる「潮吹き岩」で知られる観光地、気仙沼市階上(はしかみ)の岩井崎で採取した海水をろ過して作った海塩です。では何故に岩井崎の塩なのか?

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【Photo】気仙沼市観光キャラクター「ホヤぼーや」が、ギフト用途に震災の記憶を書き記せるスペースがとられた潮騒ダーのラベル

 東日本大震災で愛妻・幼い二人の娘・義父母と義妹らを揃って亡くした千葉さんは、昨年9月11日付河北新報朝刊の連載企画「これから-大震災を生きる」に、唯一無事だった息子の瑛太君とともに紹介されています。同年8月26日付の河北「3.11記憶 あなたを忘れない」では、気仙沼市階上観光協会による岩井崎での塩作り復活に向けた取り組みがスタートしたことが報じられました。この連載は、震災で犠牲となった市井の人々の足跡を偲び、生きた証を語り継ぐのが目的です。

 藩制時代には仙台藩の御塩場(おしおば)として、今回の震災で全壊した気仙沼向洋高校が建つ場所で入浜式製塩が行われていた階上。1896年(明治29)に発生した明治三陸大津波で御塩場が壊滅して以降、塩作りの伝統は久しく途絶えます。文献をもとに薪と平釜による伝統的な塩造り復活に取り組んだのが、同市波路上上明戸の遠藤伊勢治郎さんLink to Website。納得のゆく出来栄えが得られた2005年、「伊勢治郎こだわりの塩」として製品化にこぎつけるも今回の津波で帰らぬ人となりました。享年81歳。

iwaisaki_1.jpg【Photo】大津波に堪えて残った第9代横綱秀ノ山像と龍の被災松のシルエットが夕陽に浮かび上がる

seien_iwaisaki.jpg 東京目黒の名物催事「目黒のさんま祭」で提供されるサンマ5,000尾分の振り塩や、地元の菓子舗サイトウの「しぶきの舞」などに広く使われたのは、定年退職後にゼロから始めた遠藤さんの塩作りにかける情熱とたゆまぬ努力が編み出した柔らかな塩味が好評を博したがゆえ。伊勢治郎名人の遺志を継いだ観光協会の有志が伝統を絶やしてはならないと、県やNPOなどの助成を受け、レンガ造りの製塩体験施設がボランティアの協力のもとログハウス併設で整備されたのが昨年11月。

【Photo】2011年11月、岩井崎伝統の塩づくり復活の狼煙(のろし)を上げたレンガ造りの製塩施設

 人力で汲み上げた海水500kgを薪で煮詰めること丸5日。平釜からはおよそ10kgの海塩「岩井崎の塩」が得られます。天日干しをするなど、文字通り手塩をかけて塩作りをしていた遠藤さんが行っていた塩づくり体験学習も復活しています。そこは風光明媚な海原に面して銅像が立つ郷里出身の第9代横綱秀ノ山や、昇り龍のごとき形状で残った被災松のすぐ近く。

iwaisaki_2.jpg【Photo】海と共に生きる町・気仙沼。「けせもい」の不屈の気概を示すかのように、今にも海に向けて動き出しそうな龍の被災松

 「仙台・宮城デスティネーションキャンペーン」は6月末をもって幕を閉じました。荒砥沢ダム付近で山体崩落が発生し、祭畤(まつるべ)大橋が落橋、17名が犠牲となった震度6強の大地震があったことが、ともすると忘れられがちな「平成20年 岩手・宮城内陸地震」の発生から5年を経た今も客足が途絶えたままの栗駒山周辺を含め、復旧途上にある被災地を、これから先も応援してゆかねばなりません。今年の夏は潮騒に誘われて海の幸の宝庫・南三陸や栗駒周辺を訪れてみてはいかがでしょう。旅のお伴は潮騒ダーで決まり!!ですね。

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◆潮騒ダー
 340mℓ 復興祈願価格230円
 問:トレボン食品お客様相談室
 Phone:022-256-4137

◆岩井崎 塩づくり体験学習
 問:気仙沼市階上観光協会 
 Phone:0226-27-5410


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2012/12/09

復活、金華さばみそ煮缶

待ってましたの製造再開!

 脂が乗った新鮮な秋サバを冷凍保存せず、石巻魚市場で買い付けてすぐ生のまま加工する「フレッシュパック」ゆえの美味しさに魅せられ、被災前から我が家の食卓に上っていたのが、「木の屋石巻水産 さばみそ煮」。石巻市魚町にあった本社前に据え付けられた鯨の大和煮缶詰をかたどった巨大な魚油タンクは、津波で横倒しになり、世に広く知られることとなりました。

tank_kinoya.jpg【Photo】津波の直撃を受け、全壊した本社工場からおよそ300m内陸側に流され、県道脇で野ざらしとなっていた木の屋石巻水産の巨大な魚油タンク(撮影:2011年7月)。震災の記憶を風化させないため「震災遺構として保存すべき」との意見がある一方で、「震災を思い出す」という被災者心情を慮って今年6月に解体された(上写真)
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【Photo】昨年の夏、石巻を訪れた際に立ち寄った道の駅「上品の郷」で販売していた木の屋石巻水産 希望の缶詰。当然のごとく大人買い(右写真)

 津波で全壊した本社屋に隣接する倉庫で保管していた製品も被災。ヘドロまみれになった缶詰80万個を大量に発生したハエと暑さの中で従業員がかき集め、全国から支援に訪れたボランティアの助けも借り、8月3日に最後の1缶の作業を終えるまで4カ月を要して洗浄。昨年夏に道の駅「上品の郷」で購入した正規の商品ラベルすらない「希望の缶詰」は、万感の思いとともに手を合わせて頂きました。

【Movie】ヘドロの中からかき出した80万個の缶詰を「希望の缶詰」として出荷に至るまでの道のりをダイジェストした動画。復興元年といわれた今年はもうすぐ暮れようとしているが、復興はおろか復旧の歩みすら遅々として進まない。三陸の厳しい現実をどうか忘れないでm(_ _)m

 善意の人々が加わって手洗いした缶詰は、津波に浸かったため一部に錆や凹みはあるものの品質に影響はなく、世に知れたブランド鯖が青ざめる(⇒鯖は青魚なので当然なのだが...)美味しさ。いえ、販売に至る経緯を知っていただけに、かえって有難味も加わって五臓六腑に旨さが沁み渡ったのでした。

 捕鯨基地として、余すところなく鯨を活用する素晴らしい食文化が培われた鮎川港を擁する石巻で1957年(昭和32)に創業した木の屋石巻水産。希少な須の子ほか同社の鯨大和煮缶は、岩手県内の水産加工業者の協力を得て一足先に製造販売の再開にこぎ着けました。その一方で、世界三大漁場の金華山沖で揚がる金華サバを使った同社のさば缶は久しく入手ができない状態が続いてきました。金華サバが最も美味しくなる秋サバの旬にこだわって県内の協力工場に社員が出向いて製造を委託、今月1日からようやく販売がを再開したばかり。待ってましたとばかりに入手しました。

misoni_kinkasaba.jpg【Photo】金華サバの旬(9月~11月末)を待ってOEM生産を再開した「木の屋石巻水産 さばみそ煮」。漁獲量が少なかった今年は早期に売り切れること間違いなし。被災前や希望の缶詰で親しんだ美味しさを忘れられないファンの方は、石巻の内陸側に隣接する美里町に現在建設中で来春稼働する同社新工場で生産される1年後を待たず、今すぐ買うっきゃない!!

minoya_sabakan.jpg 和の鉄人・道場六三郎氏が味噌汁用に普段使いするという同郷の高砂長寿味噌で味付け、加工に当たって化学調味料や保存料類を使わずに製造。ホンマグロの大トロのように口の中でふっくらトロける食感は、さすがは西の関サバ、東の金華サバと称された旬の金華サバ。欠品中に代用品として食べた他産地の高額な缶詰でも太刀打ちできない美味しさです。この味にして輸送や冷蔵の必要がない産地直送価格の一缶398円はご立派。養殖を再開した宮城の牡蠣の9割を死滅させる原因となった海水温の高さが災いし、金華山沖での鯖の水揚げが少なかったため、今年度の生産は当初目標の1割に留まったといいます。

【Photo】脂がよく乗ったふっくらとした食感は魚体の大きな旬の金華サバを厳選し、冷凍せずに加工し缶に手詰めするがゆえ(上写真)。復興元年の今年は計画の1割程度に留まる製造数とのことで、来年の漁期まで庄イタが自家消費する必要数を確保したのだった(下写真)

cans_kinoya.jpg 現状で入手できるのは、石巻市吉野町に開設した仮本社事務所併設の直売店や同市中央「石巻まちなか復興マルシェ」、三陸自動車道「石巻河南I.C.」を降りてすぐにある道の駅「上品の郷」、「やまや」各店、仙台駅構内1F「食材王国みやぎ」などのほか、10缶以上で送料無料で購入できる同社のWEBサイト限定です。海と共に生きる町、石巻ならではの数量限定の美味をぜひお試し下さい。決して損はさせませんので。ただし生産量が少ないだけに早期の売り切れは必至。今秋の漁獲分が完売すれば、また1年待たなくてはなりません。かくなる上は逡巡している余裕はありません。善は急げ~♪ (ちょっと煽りすぎかも...)


◆お買い求めはコチラから ⇒ http://kinoya.co.jp/eccube/
  問:木の屋石巻水産 Phone:0225-23-1234

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2012/09/01

Yeti イエティ @気仙沼

深遠なるスパイスのラビリンス(迷宮)
ネパール・インド料理レストラン「Yeti イエティ」

 北カフカス(コーカサス)のイングーシ共和国でYeti(イエティ=雪男)を捕獲したという、耳目をそばだてるような出来事をロシアのインタファクス通信が伝えたのが昨年末。捕えられ、奇声を上げながらオリを両手でゆするのは、全身を黒い毛に覆われた体長2mのUMA(未確認動物)のメスだとする触れ込みの生物。
 
     

【Movie】イングーシ共和国で捕獲されたYetiの正体が暴き出される衝撃の結末をお見逃しなく

 ここはロシア人のジョークに世界が振り回された格好ですが、それも無理からぬこと。極寒のツンドラ地帯であるロシア・西シベリア地方ケメロヴォ州で、ロシア・中国・モンゴル・アメリカ・カナダ・スウェーデンなど7カ国の専門家による国際会議が催されたのが同年10月。大規模な捜索が行われた上で、足跡や毛といった存在を示す物証が得られたことから、95%の確率で雪男が同州に存在するという結論が導き出されていました。

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【Photo】1951年にイギリス隊のエリック・シプトンらによって足跡が発見されて以降、空想による雪男=類人猿のイメージが出来上がった。日本のヒマラヤ登山隊を案内するシェルパのテントをイエティが夜襲した(左写真)、などと報じる当時のゴシップ誌

 ヒマラヤの山岳民族シェルパ族の呼び名でYeti 、北米ではBigfootと呼ばれる雪男。このイングーシでの噴飯もののイエティ捕獲劇はともかく、その存在の真偽はどうなのでしょう。今年6月に山と渓谷社から興味深い一冊「イエティ = ヒマラヤ最後の謎『雪男』の真実= 」が出版されました。長年にわたる現地での聞き取り調査を踏まえてその正体に迫ったのが、弘前市の登山家・ルポライターの根深 誠氏。そこで導かれる結論はここでは伏せますが、いずれにしても今回のタイトルから、"すわ一大事、気仙沼に雪男が出没したのかッ!?"などと早合点しないで下さい(笑)。

yeti_outlook.jpg【Photo】山岳用品をメインとするアウトドア用品店を併設する「Yeti イエティ」では、ネパールの定番料理「Daal bhaat ダルバートセット(1700円)」とネパール風居酒屋メニューが充実した夜も狙い目

 その正体は「Yeti イエティ」という名のネパール・インド料理店。内偵を進めていたYetiの実態に迫るため、このほど気仙沼を訪れて確認したのは、フカヒレやホルモンで知られる水産の街・気仙沼こそが、南三陸地域のみならず東北を代表するネパール・インド料理の紛れもない聖地であるという意外な事実。香辛料を多用するインド料理は日本でもポピュラーですが、気仙沼Yetiで食することができるのは、厨房を預るデバック・ケーシー氏の出身地であるネパールと料理と隣接する北インドの料理。

 Yetiとの邂逅は3年前の夏。家人の里帰りでお盆に訪れる気仙沼では、マンボウなどの新鮮な魚介中心の食事となります。生ものが続くと、夏場はスパイシーな料理が欲しくなるもの。そんな時に出合ったのが、田中前の表通りを少し入った路地裏に突如として現れたYetiでした。

yeti_setA.jpg

【Photo】大きなナンはフレームアウト(笑)。ある日のランチAセット。気仙沼Yeti にて

 どことなく場違いな印象がありながらも、美味しそうなオーラを放つその店。吸い込まれるようにドアを開いた初訪問では、定番インド料理をワンプレートで組み合わせたターリーを、ヒマラヤで発見されたYetiの足跡のように大きくフカフカのナンと組み合わせて頂きました。

yeti_2011.8.jpg【Photo】2011年8月のお盆休み、被災した店を同年7月末に再開して間もないYetiをランチタイムに訪れた際の忘れがたい再会のワンプレート。この時も5辛でお願いしたマトンカレー(写真奥)はほとんど真っ赤(笑)。串焼きにするシシカバブやタンドーリチキンと同じく、タンドール(石窯)で焼きたてをハフハフさせながらカレーと頂く大きなナンもまた美味で食べごたえ十分

 鼻腔から脳天まで鋭角的に突き抜ける辛さのワサビは別にして、唐辛子系の辛さに対する耐性が常軌を逸しているとまでいわれる庄イタ(爆)。特産のPeperoncino ペペロンチーノ(=唐辛子)を使った料理が多いイタリア南部カラブリア州出身Calabrese カラブレーゼの身内がどうやら前世では存在したようです。ゆえにこの時も、ネパールを離れたのち、北海道から岩手・滝沢村を経て気仙沼に来たという達者な日本語で話しかけてくるタカリ族のフロアスタッフに「辛さはVery very very Hot ね」などと図に乗って口走ったものです。

yeti_colors.jpg【Photo】最近Yetiでは、辛味の調整を後盛り可能なシステムに変更した

 マイルドな日本人仕様ではない満足のゆく辛さ、深みのある万華鏡のようにスパイスが渾然一体となってフルオーケストラのようにフォルテシモで響きあう美味しさ。予期せぬ本物との出合いでした。それからというもの、選択可能な7段階の辛さで一番ホットな「5辛」をお願いするのが常でした。現在は辛味調味料を後盛り可能な日本的システムに変更したので、どなたでも安心です。

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【Photo】充実のタルカーリが追加となるある日のランチBセット。気仙沼Yeti にて

 根深 誠氏とは同郷の出身で長年交流があり、ヒマラヤ山中の6,000m付近の雪渓で、イエティと思われる足跡をかつて目撃したと語るのが、店のオーナーである小野一太さん。ネパール人スタッフが本場の味を気仙沼で提供する店を胸まで届く高さの津波が襲ったのが昨年3月11日。山とカレーを愛する小野さんは、揺れが収まるや否やスタッフにパスポートを持って近くの高台に避難するよう促したのだといいます。彼らの無事を被災後まもなくTwitterで教えて下さったのが、仙台市泉区高森にある「カレーと珈琲の店 あちゃーる」のご主人、森 好宏さんでした。

 世界の屋根と呼ばれるエベレストをはじめとする8,000m級の山々と深い谷に囲まれた多民族国家ネパール。未曾有の津波を経験しながら、厳しい環境で生き抜く術を知っている山岳民族ならではのタフネスゆえか、再び気仙沼に戻ってきたスタッフのデバック・ケーシー氏を中心に店の再開に漕ぎ着けたのが昨年7月。

misoramen_hikadoshokudo.jpg 長いこと復活を待ちわびた滋味深い味噌ラーメンを食べさせてくれる気仙沼市本吉町日門「南三陸ドライブイン ひかど食堂」と同様、昨年の気仙沼へのお盆の帰省の折、営業を再開した南三陸ドライブイン ひかど食堂とYetiを訪れたのは申すまでもありません。

【Photo】気仙沼市本吉町日門のR45沿いに建つ「南三陸ドライブイン ひかど食堂」には、1m50cmほどの津波が襲い、自宅にいた先代が亡くなった。寄せられた支援と関係者の熱意で昨年も披露された地元の伝統芸能「平磯虎舞」復活にも奔走したご主人が研究を重ねた味噌ラーメン(700円)は、庄イタも20年来食べ続けている変わらぬ美味しさ

 気仙沼を訪れた先日、念願のネパール料理「Daal bhaat ダルバート」を食することができました。あちゃーるでも東京・小岩にあるネパール料理「サンサール」仕込みのスパイシーなダルバートに震災後力を入れています。

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【Photo】気仙沼Yeti のダルバート

 ダール(Daal=挽き豆を使った香辛料スープ)、バート(Bhaat=インディカ米飯)が語源となるダルバートは、ダールとバートに加えて香辛料を多用するタルカーリ(Tarkaarii=野菜中心の副菜・カレーといったおかず)、アチャール(Acaar=大根などの漬物)をワンプレートに盛り付けたネパール伝統の家庭料理。

 Yeti ではディナー限定で登場するダルバート(1,700円)は、以下の組み合わせとなります(ランチタイムにダルバートを希望する場合は、AM11:00までにお店にTELのこと)。さらっとした食感のインディカ米と混ぜて頂く2種類のスープ風カレー2種。鶏肉が入った野菜たっぷりのネパールカレーと、レンズ豆・ヒヨコ豆・皮なし緑豆ムングダルの3種豆入りダルスープ。

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【Photo】スープカレーのようなさらっとした食感が特徴のネパールのカレー。野菜たっぷりなチキンカレー(左写真) 豆を用いるダルスープ(右写真)はネパールでは馴染み深い料理。ネパール人は右手だけを使ってご飯とルーをせっせと混ぜながら食する

   yeti_talcurry2.jpg yeti_talcurry1.jpg

 おかずとなるTarkaariiタルカーリはホウレンソウのカレー炒め物・サーグ(左上写真)と、ジャガイモのマサラ風味炒め。つけ合わせはダイコンとトマトのネパール風スパイシーな漬け物アチャール2種(右上写真)。締めはシナモンが香る<ミルクティー(右下写真)

   yeti_samosa.jpg yeti_chai.jpg

debag&sunita.jpg 故国の味を忠実に再現したダルバートは、まさに珠玉の逸品でした。連れがオーダーしたインドカレーも、サモサ(左上写真)などを含めて被災前と比べて更にワンステージ上がった印象。ふっかふかのナンの美味しさも以前と変わりません。デバックさんいわく、5辛が自分たちのスタンダードな辛さであり、その辛さが伴わないと本当の美味しさは生まれないとのこと。エスニック系の辛い物好きの方は、ぜひそのウマ辛ぶりをご堪能下さい。

【Photo】本国の調理師免許を持ち、カトマンズの有名ホテル、ジ・エベレスト・ホテルで腕を磨いたデバッグ・ケーシー氏と奥様のスニータ・ケーシーさんがYetiの厨房を預かる

 ラーメンと並ぶニッポン人の国民食カレー。その発祥の地インド・ネパールのマザーフードに触れ、その目からウロコの美味しさにノックアウトされたければ、昼食はひかど食堂の味噌ラーメン、夕食はイエティでダルバートと、飛びきりな国民食のハシゴができる気仙沼へ今すぐGo!

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ネパール・インド料理レストラン Yetiイエティ
住:宮城県気仙沼市田谷20-11
営:11:00~15:00 17:00~22:00
   月曜定休  P有り
Phone:0226-25-7096

   
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Yetiインド料理 / 不動の沢駅南気仙沼駅

夜総合点★★★★★ 5.0
昼総合点★★★★ 4.5

2012/04/07

三陸の宝・十三浜ワカメ ふたたび。

ワカメしゃぶしゃぶ@石巻市北上町十三浜

 東北最大の1級河川・北上川は、岩手県北部の西岳付近に端を発し、全国第4位の流域面積1万150㎡、同7位の河川延長249kmを有する大河です。宮城県登米(とめ)市津山町柳津(やないづ)で新北上川・旧北上川の二手に分かれた流れは、旧北上川が石巻市街地を抜け石巻湾へ、新北上川が同市飯野川で大きく左折し、追波湾で太平洋に注ぎ、その長い旅を終えます。


大きな地図で見る

 緑豊かな奥羽山脈と北上山地の間を南進して流れる北上川は、途中で雫石川・稗貫川・和賀川・迫川・江合川など多くの支流と合流します。山の養分を蓄えた滔々とした流れの最下流域では、河口から10km以上に渡って自生する葦(ヨシ)が、およそ120haにもなる国内最大級の葦原を形成しています。

 生活排水や産業排水などの河川への流入によって、窒素やリン成分が過剰に増えて富栄養化すると、海では赤潮発生の原因となります。水鳥や魚類の産卵場所ともなる多くの微生物が棲む葦原には、水の浄化作用があり、天然の浄化槽ともいえる新北上川の汽水域は、ベッコウシジミやマハゼ・サクラマスなどの良質な漁場となります。

kamiwarisaki_2009capodanno.jpg【Photo】平成の大合併で南三陸町と石巻市になった旧志津川町・戸倉村と旧北上町・十三浜村の境になる「神割崎」。伝説によると、昔は境界が曖昧なため、そこでは領地争いが絶えなかったという。大きな鯨が岩場に打ち上げられ、所有をめぐって両村民の間で諍いが起きたある夜のこと。天地を揺るがす雷鳴とともに落雷があった翌朝、鯨と巨岩が真っ二つに裂けていた。これを神の裁きと受け止めた村民らは、長年の領地争いに終止符を打った。この岩の左側が南三陸町、右側が石巻市北上町となる(上写真)
沖合に避難して助かった漁船が停泊する大室漁港 (下写真・クリックで拡大)

13terre_1.jpg

 その北岸に当たる河口から南三陸町の景勝地「神割崎」に至るリアス式海岸特有の入り組んだ岩場と入江が続く13の集落(北から順に小滝・大指・小指・相川・小泊・大室・小室・白浜・長塩谷・立神・月浜・吉浜・追波)を総称する石巻市北上町十三浜は、良質なワカメ産地として知られます。岩手・宮城の三陸沿岸は、国内のワカメ生産のおよそ75%を賄う一大産地。北上川の河口に近く、藻類の生育に必要な珪素・窒素・リンといった栄養塩分が多い滋養豊かな親潮のもとで育つ南三陸「十三浜ワカメ」は、肉厚で弾力があり食味に優れることから、岩手田老の「真崎ワカメ」と並び称される逸品です。

13terre_harvest.jpg【Photo】収穫されたワカメを加工場に運び出す相川の漁師たち

 全国内生産高に占める養殖ワカメの割合は94%(2006年統計)。かつては海が荒れて打ち上げられた天然ワカメを採取する拾い漁でした。養殖漁業への転機となったのが、1960年(昭和35)のチリ地震津波。半世紀前に地球の裏側から押し寄せたこの津波で大きな打撃を受けた三陸地域振興のため、ギャンブル性の高い捕る漁業から安定した収入が得られる育てる漁業への移行が本格化します。当初の水平筏式から、現在三陸地域で広く採り入れられている延縄式養殖法の確立により、今日では養殖ワカメが主流となりました。

 共助の精神が根付く固い絆で結ばれた630世帯2,000人が暮らしていた十三浜。近年では、収益性の高い養殖ホタテやコンブ漁を主体に、サケの定置網漁や、アワビ・ウニといった海の恵みを糧として人々は暮らして来ました。これまで幾度となく津波被害に見舞われてきた地ゆえ、今回も迅速な避難誘導はなされたものの、収穫期に入ったばかりのワカメと養殖設備、漁船などの漁具、作業所、漁港はもとより、沿岸部に建つ家屋のほとんどが流失・半壊以上の被害を受けました。物心両面で受けた痛手の深さは計りしれません。

13terre_2harvest.jpg【Photo】港で収穫したばかりのワカメを芽カブ・茎ワカメとに手分けして切り分ける

 警察庁が震災一年を控えた3月9日に発表した十三浜地区における犠牲者・行方不明者数は136。全校児童・教職員の8割にあたる84人が津波にのまれる惨劇の舞台となった大川小学校がある釜谷地区では、被災自治体の中で最も多くの犠牲者が出た石巻でも最多となる258名が亡くなっています。そこは十三浜で被災した185世帯が仮設住宅で避難生活を送る追波にっこりサンパークとは、北上川を挟んですぐ対岸にあります。過酷な状況に直面する十三浜で養殖ワカメの収穫が始まったという知らせが届いたのが2月末。そこで全国から寄せられた物心両面の支援に対する感謝と、地域復興を願う「福興祭」が行われた3月4日(日)、相川漁港を訪れました。

13terre_aikawa.jpg【Photo】洋上から見た十三浜・相川。背後には北上山地の南端にあたる山々が控え、生活排水を含まない良質な山の水が湾内へと流れ込む

 現在も橋が流された個所があり、被災直後は石巻市北上総合支所や南三陸町戸倉方面と結ぶR398が随所で寸断され、完全に孤立した相川地区。1933年(昭和8)の昭和三陸津波で被災後、海抜約30mの高台に29世帯が集団移転した集団地に昨年の震災直前に完成した「相川子育て支援センター」が福興祭の会場となりました。そこは相川運動公園やにっこりサンパークに造られた仮設住宅への入居が完了した7月までは、相川・小指・大室の3地域の一次避難所となりました。

13terre_barca.jpg【Photo】私たちが乗船した佐々木昭一さん所有のホタテ養殖に用いる漁船

 朝が早い浜ゆえ、早朝5時には漁に出るのが常。この日は午前11時からの福興祭に先立ち、朝9時から洋上でワカメの収穫体験を行うというので、佐々木昭一さん・昭繁さん親子の船に同乗させて頂きました。

 それは地震発生直後、昭繁さんが舵をとって沖合まで避難させたホタテ養殖用のやや船体の大きな漁船でした。十三浜で津波の難をそうして逃れた船は被災前の3割にとどまります。この一年で窮状を知った全国各地の漁協などから数隻の漁船が十三浜に贈られましたが、操舵室が船の中央にある漁船は、甲板上の積み込みスペースが少なく、養殖漁業には不向き。延縄でのワカメ養殖には、小回りが利く小型船が適しますが、ワカメ養殖用の船は津波で失いました。そのため重油価格高騰の折、たった1艘だけ残った燃費効率の悪い船を使わざるを得ないのです。

13terre_2.jpg【Photo】大海原へと向かう船上では自然と気持ちが高ぶる。ワカメ養殖のあらましと被災してからの胸の内を語って下さった佐々木昭一さんと舵を取る昭繁さん

 ご一緒したのは、被災直後から十三浜の支援を行ってきた仙台友の会に所属するライターの小山厚子さん、同じく元ハウンドドッグのメンバーで、現在は水源地の環境保護に取り組むNPO法人「水守の郷・七ヶ宿」 Link to Website代表を務める海藤節生さんと同志の山形県高畠町から訪れたボランティアの人々ら男女18名。日差しはあるものの、洋上を吹き抜ける冷たい風に顔がこわばり、波をかき分けて進む船上で足元がおぼつかないライフジャケットを着用した参加者とは対照的に、大海原へと漕ぎ出す佐々木さん親子は、凛々しい海の男そのもの。

13terre_3_1.jpg【Photo】港から1km以上離れると、海の青さが増してくる。紺碧の海の彼方に開けるのは北上川の河口。地盤沈下が著しい河口南側の長面湾手前のキャンプ場や海水浴場があった低地帯はことごとく水没した

 「あそに津波で流された橋がそっくりそのまま沈んでいます」
 船上で岩壁から100m以上離れた湾内を指さす昭一さんの目線の先には、南隣りの小泊集落へと向かうR398に架かっていた橋が沈んでいるのでした。津波で流された養殖施設や建物など、浜の暮らしで積み上げてきた全ての痕跡は、大量の瓦礫と化して海中に沈んでいたため、その撤去から始めた被災後のワカメ養殖。芽カブの種付けに着手できたのは、例年より一月ほど遅れた昨年11月でした。

13terre_4.jpg 【Photo】養殖ホタテの稚貝が入った網を海中からウインチで引き上げる昭一さん。成貝として出荷できるまで最低2年は要する。収益性が高いホタテ養殖には、幾層にも重なったカゴが必要で初期投資額がかさむ。そのため、海の男たちは3~4ヵ月で収穫できるワカメを主体に養殖再開にこぎつけた (※Photoクリックで別画像がOPEN)
 
 ワカメを湯通し後に塩蔵するほとんどの加工・貯蔵施設が被災したため、相川や大室には白いテント張りの仮設加工所が援助によって作られました。それでも作業は思うようには捗らず、収穫期を迎えてもそのままの放置されたワカメも海上に散見されました。海水中にはワカメを食い荒らす水生生物もいるため、あまり長い期間に渡って海中に取り置くと商品価値が下落しかねません。相川漁港の沖合1.5kmまでが、漁業権があるそうですが、現状では借入金を増やすわけにもゆかないため、被災前の規模までは養殖施設を戻せないとのこと。「亡くなった多くの仲間にはこうした言い方は申し訳ないが、むしろ生き残ったことで辛い思いを一杯しました」と佐々木さんは語るのでした。
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【Photo】ご多分に洩れず高齢化が進む十三浜・相川の漁師うちでは若手の佐々木昭繁さん

 古タイヤの下半分をコンクリートで固め、フック状になった上半分に種付けするロープを通し、それが海上で水平になるよう浮き玉を付け、重量2tのアンカーとして海中へと投入したのが10月になってから。長さ100m~200m程度の延縄を等間隔に並べ直す作業も手間のかかる仕事です。その一角には、まだ小ぶりな養殖ホタテの延縄と、今季は漁を終えた秋鮭の定置網も設けられていました。こうした養殖施設が洋上の至るところにありましたが、今年は被災前の7~8割まで戻すのがやっとだったそう。

 延縄ロープにびっしりと付着した色ツヤの良いワカメを茎部分から鎌で刈り取ると、あっという間にカゴは満杯に。ごく一部で再開した三陸の養殖ガキ生産者は、今シーズンのカキは生育が早かったと口を揃えましたが、これは津波によって陸地の養分が海水中に流入し、プランクトンが増加したことが一因と考えらます。ワカメも生育は順調で、収穫期が早い塩釜種や4月に収穫を行う岩手種ともに良好な作柄とのこと。

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【Photo】長さ2m前後まで成長したワカメの延縄ロープにフックをかけ、電動ウインチで手繰り寄せる(左写真) ローブに張り付いた茎の根元から鎌で刈り取る参加者(右写真)クリックで拡大

 岩手では夏場に自生する天然ワカメの芽カブを採苗し、海中での培養を経て種付けを行います。1953年(昭和28)に牡鹿郡女川町小乗浜(このりはま)で日本初の養殖が始まったワカメ養殖技術発祥の地・宮城では、各地の漁協から種付け用の芽カブを購入してきました。夏場は海中の瓦礫処理に追われた今季は、県内の芽カブの絶対量が不足。そのため、南三陸から芽カブを購入していた青森市から10,000m分の種苗を無償提供されたほか、研究用に気仙沼の芽カブを保管していた徳島からは8,000m分、養殖ワカメ生産量日本一の岩手からも芽カブを調達。こうしてさまざまな地区の芽カブを種付けしたため、従来の十三浜ワカメとは幾分食感が異なるもの含まれるのだといいます。
 13terre_7.jpg【Photo】収穫したワカメから切り分けた芽カブ。独特の粘りがあり、さっと湯がいてからニンニク醤油でたたきにしても美味

 放射性物質による海洋汚染を引き起こした東電による原発事故発生2ヵ月後の検査で、福島南部・いわき市沿岸で採取されたワカメから、暫定基準値の2.4倍もの放射性セシウムが検出されました。ワカメは1年生ゆえ、高濃度汚染水が流出した海域で育った昨年のワカメは既に枯死・融解しています。厚生労働省は、穀類・肉・魚・野菜など一般食品に適用する1kgあたり500ベクレル以下という従来の基準値を、今月から100ベクレル以下の規制値へと厳格化。今なお山積みされ復興の足かせとなっている瓦礫受け入れ拒否を叫ぶ人たちを見るにつけ、放射線に対する根強い不安を取り除く必要性を痛感します。

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【Photo】コリコリした食感の茎ワカメを味噌と味醂風味に漬け込んだ漁師料理(左写真) すがすがしい生姜の香りが心地よい茎ワカメの浅漬け(右写真)

 今なお払拭しきれない消費者の懸念に応えるべく、宮城県漁協十三浜支所では、残留放射線の数値について、国の定めよりも厳しい肉・卵20ベクレル、野菜・魚・加工食品50ベクレル以下という厳格な自主基準を設けている「生活クラブ連合」に検査を依頼しています。2週間ごとに実施される米国製NaIシンチレーションカウンターによる検査結果は、ヨウ素131・セシウム134・137について常に検出限界値(3~12ベクレル/kg)以下というもの。ちなみに岩手県漁連が検査を委託する機関の検出限界値は20ベクレル以下。十三浜ワカメの安全性は十分に担保されています。

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【Photo】ホタテの稚貝が惜しげもなく入った味噌汁はうま味もたっぷり(左写真)  芽カブの和え物(右写真)
 
 刈り取ったワカメは、漁港に戻ってから必要なだけを皆で分け合いました。犠牲者の冥福を祈る黙祷に始まった福興祭では、浜のお母さんたちが料理を準備して下さっていました。寄贈された太鼓と獅子頭のお披露目を兼ねて獅子舞が披露され、明るい笑顔が戻る中、用意された仕出し弁当と共に頂いたのが、茎ワカメの浅漬け・味噌を味醂で溶いて蕎麦つゆを加え半日漬け込んだ酒の肴にもピッタリな茎ワカメ・まだ小さな稚貝ながらホタテのうま味たっぷりの味噌汁、そして収穫したての生ワカメのしゃぶしゃぶ。採れたては濃い茶褐色のワカメをサッと湯がくと、鮮やかな緑色へと変わります。ぽん酢につけてコリコリした食感のワカメしゃぶしゃぶを一体何杯お代わりしたことでしょう。
 
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【Photo】褐色の生ワカメをお湯でさっと湯がいた瞬間、鮮やかな緑色に変色する(左写真) ぽん酢で頂くわかめしゃぶしゃぶは、旬の走りならではの風味(右写真)

 宮城に遅れること数日、生産量日本一の岩手でも収穫が本格化、養殖ワカメは収穫の最盛期を現在迎えています。加工所が壊滅した漁協は、保存がきく塩蔵ではなく、賞味期間が短い生ワカメで全量を出荷せざるをえないケースも少なくありません。生命の源である海のミネラル成分や食物繊維をふんだんに含む旬の採れたてワカメを楽しむなら今が好機。サラダでよし、しゃぶしゃぶでよし、味噌汁の具でもよし。毎日の食卓に欠かせない味噌汁ならば深い味わいの仙台味噌でどうぞ。庄内系らしからぬ(笑)こんな手前味噌で今回は締めくくるとします。

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2011/12/03

復活宣言

絶品「さんまつくだ煮」を再び@気仙沼

 盆暮れの家人の里帰りなどで、年間に何度か気仙沼を訪れる私がこれまで試した中で、最も美味しいサンマ佃煮の造り手としてご紹介した(有)ケイ。「自分や家族が食べるものなら、安心できない素材は使わないでしょ?」と語るのは、魚の扱いを知り尽くした元・網元の菅原 啓さん・義子さんご夫妻。

kei_sanma.jpg 【Photo】ケイの「さんまつくだ煮」の詰め合わせ用パッケージには、代表の菅原義子さんの手になる大海原を行くサンマ漁船が描かれている

 地元の味噌醤油醸造元「平野商店」が、化学調味料や防腐剤などを使用せずに仕込んだ味噌と醤油で、素材のうま味を手間を惜しまず引き出すケイの「網元逸品 さんまつくだ煮」は、海と共にある漁師町・気仙沼の心意気を示します。

 3.11直後、情報が寸断して混乱した状況下、気仙沼を襲った大津波の映像を見るにつけ、気仙沼湾に面した魚町に建つケイの社屋兼住居に暮らす菅原啓さん、義子さんご夫妻の安否が気にかかっていました。その無事を知った顛末は、「海の男は不屈だった」Link to backnumberでご紹介した通り。

kobayashi_osechiS.jpg【Photo】東日本大震災で被災したものの、復興に向けて歩み出した食品加工業者・生産者の製品を積極的にメニューに取り入れた「㈱こばやし」のおせち新聞広告※Photoクリックで拡大

 それから半年を経た9月初旬、仕事で気仙沼を訪れる機会がありました。仙台のお弁当製造会社「こばやし」が、被災企業支援のため、来年のおせちと本日12月3日に東京駅で先行発売される新商品「ありがとうの詩(うた)」に使う具材の製造元を訪れ、少しずつでも事業を再開し、復興に向けて歩み出した姿を取材するというものでした。

bento_grazie.jpg【Photo】お弁当に添付されるリーフレットには、支援に対する被災地からのありがとうの気持ちを綴った最優秀作5点のいずれかが収録される。悲しみの淵にあっても、人をおもんばかる投稿者の優しさに胸が熱くなること必至。幕の内弁当「ありがとうの詩」1,000円(税込)12月9日よりJR仙台駅売店・首都圏主要駅売店・こばやし本社ショールームで販売するほか、宮城県内での各種会合・会議にお届け可

 「ありがとうの詩」は、国内外から寄せられた支援に対する被災地からの感謝の言葉をしたためた詩を河北新報社が募集、詩集や曲として発売し、売り上げを被災地復興に役立てようという企画です。被災3県から460点以上の応募があり、最優秀に選ばれた5作品が本日の河北新報朝刊18面に掲載されています。優秀作の45点も、今後随時朝刊紙上で発表して参ります。

 企画趣旨に賛同し、本日先行発売されたこばやしの新商品には、最優秀5編のいずれかが、具材を提供した6つの生産者紹介とともに入っています。いずれも心に響く言葉が並ぶ秀作揃い。来週9日(金)には仙台駅店頭にも並ぶとのこと。被災地域支援のため、県に売り上げの一部を寄託するというこの新商品。作り手の顔が見える具材ともども、くれぐれもかみしめてお召し上がりください。

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【Photo】稼働したばかりの新工場で取材に応じて頂いた女川町「蒲鉾本舗 高政」菊地繁志工場長の取材風景(左写真) 万石浦に面した加工場が被災したものの、アワビの養殖を再開した石巻市「ヤマサ正栄水産」阿部正栄社長(右写真)

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 時折激しい雨が降るあいにくの空模様となった取材当日。訪れたのは活アワビ柔らか煮を提供する石巻市「ヤマサ正栄水産」、御膳蒲鉾穴子の製造元・女川町「蒲鉾本舗 高政」、そして4月に被災見舞いに伺った際、津浪で流されなかった"奇跡の"と形容詞をつけたくなるさんまつくだ煮をお土産に頂いた気仙沼「ケイ」の3社。偶然にもその日の朝食に並んだのが、頂戴したのち冷凍保存していたケイのさんまつくだ煮・醤油味でした。

【Photo】被災前に作ってあったというケイのさんまつくだ煮醤油味が、偶然にも訪れる日の朝食として食卓に並んだ

 地殻変動により平均70cm前後の地盤沈下に見舞われた南三陸地域にあって、ケイは気仙沼湾に面した魚町に社屋があります。伺ったのが大潮の時期だったこともあり、津波に耐えた鉄筋3階建てのケイの社屋は、夕刻になると海水が基礎部分までヒタヒタと上がって来るのでした。

kei_2011,09,01.jpg【Photo】地盤沈下のため、気仙沼市魚町に建つケイの社屋前は、大潮の時期ということもあり冠水被害が著しかった

 難を逃れた菅原ご夫妻と久々の再会を果たした後、建屋の3階で話を伺うことができました。かつては事務室として使っていた1階部分を仮設の加工場に改装、保健所の許可を得てプロパンガスを熱源に佃煮の製造を一部再開する段取りであること、少し離れた場所に小さな加工場を新たに設ける予定であることを伺いました。

2011.09.01yoshiko_sugawara.jpg【Photo】気仙沼湾に係留されたサンマ漁船を前に「5年以内に後継者も見つけなきゃ」と語る菅原義子さん。御歳72とは思えないパワーにはいつも圧倒される

 目黒さんま祭など、首都圏で開催される物産市でも多くの固定ファンを獲得しているケイのさんま佃煮。ほかでは真似のできない美味しさであるケイの佃煮をまた食べたいという声に背中を押されたと語る義子さん。「津波に負けてはいられない。もう歳だけど、あと5年は頑張ろうと思うようになったのよ」と語ります。その力強い言葉を伺ったのち、サンマ船やカツオ漁船が接岸する桟橋へ移動して撮影となりました。

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 取材を終え、帰りしなに頂いたのが、地元の酒蔵「角星」に依頼され、「がんばろう...けせんぬま!」の手書き文字入りラベルを絵心のある義子さんが描いたという「金紋両国 吟醸酒」。気仙沼産の酒造好適米「蔵の華」を使ったその酒を、菅原さんは支援してくれた方たちへの返礼に贈っているのだそう。

【Photo】義子さんお手製ラベルの「金紋両国」には、仲睦まじいご菅原夫妻のようなイキの良さそうなサンマと颯爽と海原をゆくサンマ漁船が描かれている。背景に見える法被(はっぴ)は、かつて網元だったご主人・菅原 啓さんと義子さんに知り合いが大漁旗を加工して贈ったもの

 一昨日、宮城県庁1階ホールで行われていた気仙沼物産市で、ケイのさんまつくだ煮を売っているところに被災後初めて出くわしました。義子さんのように元気な網元あみちゃんのパッケージを目にした私は、嬉しさのあまり思わず大人買い。久々のさんまつくだ煮は、ケイが製造を再開した暁に祝杯を上げようと取っておいた義子ラベルの金紋両国の酒肴として感慨深く頂きました。

 ささやかな復活を果たしたケイ。水産関連業などの事業再開の知らせが届くようになった一方、皮肉なことに被災地への関心は薄れるばかりです。3.11から間もなく9カ月を迎えようという被災地をいま訪れると、瓦礫の撤去は確かに進んでいます。それでも厳しい雇用環境が続く中、生活再建の目途すらつかない方たちが大勢いらっしゃいます。被災地域の自立のためには、もはや施しだけではなく事業再建に向けて立ちあがった人々を支えることが肝要。これからも末長いご支援をお願いします。

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さんまつくだ煮 (有)ケイ
住:気仙沼市魚町2-5-17
Phone:0226-22-0327 Fax:0226-22-3331
E-mail:sanmakei@yahoo.co.jp

◆さんまつくだ煮(味噌味・醤油味) 各420円 化粧箱入りもあります

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2011/11/10

祝・初出荷。仙台せり

香り高き和製ハーブ「仙台せり」
 @朝市・夕市ネットワーク合同市

 宮城県内の農漁業者50名ほどで構成されるNPO法人「朝市夕市ネットワーク」(本部:仙台市)では、毎月1回、生産者が直接対面販売を行う定期合同市を開催しています。会場は仙台市青葉区の勾当台市民広場。頻繁に催しが行われるそこでは、今週も8日・9日の2日間、県内各地から自慢の鍋料理が揃った「仙臺 鍋まつり」Link to websiteが催され、多くの人出で賑わいました。

takahiro_miura.jpg【Photo】本日11月10日(木)、恒例の「朝市夕市ネットワーク合同市」に今季初出荷となるセリを出品した三浦隆弘さん

 有機農法で栽培された新鮮な農産物や、私が知る限りにおいて三陸随一の美味しいワカメ産地である石巻市北上町十三浜の漁業者、糖度15度にもなる県産ミヤギシロメの豆乳と伊豆大島のにがりで作る濃厚な豆腐など、いずれ劣らぬこだわりの生産者が集います。15年に渡って開催されている催しだけに、固定ファンが多く、午前中には売り切れることも珍しくありません。ゆえに可能な限り早めに足を運ぶようにしています。


 東日本大震災では、朝市夕市ネットワーク加盟生産者のうち10名ほどが命を落としたり、漁具を津波で失うなどしました。灌漑施設が津波で壊滅したため、コメの作付を見送った生産者もおり、春先は合同市の開催を見送らざるを得ないこともありましたが、夏以降は出店可能なメンバーが出店するようになりました。

seri1_miura.jpg【Photo】今シーズン初物となる三浦さんのセリ。来月にはシャキシャキした茎とゴボウのような風味がある根がもう一回り太くなる

 仙台市役所で打ち合わせを終えた今日、目の前の勾当台市民広場で合同市が開催されていました。震災前の半分ほどの出店数ではありましたが、旬の新鮮な作物やこだわりの加工品類が並んでいます。ざっと見渡した中に、河北新報朝刊に連載された「食でつなごう」執筆者の一人で、名取市下余田の専業農家・三浦隆弘さん(31)の顔がありました。現在は地域SNS「ふらっと」 Link to websiteで、被災後の東北の声を発信する「オピのおび」ブロガーとしてお世話になっています。

 ミョウガタケ、セリ、仙台長ナスといった特徴ある在来作物が作られる名取市下余田地区は、震災で多くの犠牲者が出た閖上(ゆりあげ)から2kmほど内陸側に位置します。堤防のような盛り土構造の仙台東部道路のお陰で、津波による直接の浸水被害はありませんでしたが、農業用水の確保に欠かせない灌漑施設が壊滅したため、コメの作付ができなかったといいます。

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 名取川水系の豊富な地下水脈を利用して江戸初期から下余田地区周辺で栽培されてきたセリは、宮城が全国一の生産量(2010年)。その大方が名取で栽培されています。およそ40軒の農家が一斉にセリの植え付けを行うのが3月から4月。寒さが増す年の瀬に出荷のピークを迎えます。ハゼの焼き干でダシをとった澄まし汁に千切りにした凍り豆腐・ゴボウ・ニンジン・大根といった野菜にハラコ(イクラ)とともにトッピングされるセリは、伝統的な正月料理「仙台雑煮」の具として無くてはならないもの。ここ数年、三浦さんが仕掛け人となった「せり鍋」や「せりしゃぶ」といった新メニューも登場しています。

 7代続くセリ農家を継いだ三浦さんは、子どもやその親に農業生産現場を知ってもらうため、2004年(平成16)に「なとり農と自然のがっこう」を開講。削減対象農薬や化学肥料を使わない有機農法を通して、食べる人の安全に配慮した持続可能な農業に取り組んできた三浦さんにとって大きな心配の種となったのが、東京電力福島第一原子力発電所の放射線漏れ事故でした。原発から85kmの下余田で暮らす三浦さんは、震災直後から複数の線量計を常に携帯、今日も3台の線量計を合同市に持参していました。

 先月末、東京の専門調査機関に根付きの状態で送って検査を依頼したセリの残留放射性物質検査の結果は、放射性ヨウ素(I-131)・放射性セシウム(Cs-134・137)・放射性カリウム(K-40)とも、1kg当たり1ベクレル以下の測定可能下限値で測定されない「検出せず」というもの。国が定めた暫定基準値が2,000ベクレル以下ですから文句なしの結果です。これで出荷のメドがつきました。 

seri3_miura.jpg【Photo】東京電力福島第一原発事故の影響が気になる方は、こちらをご確認の上、安心してお召しあがり下さい。東京の専門機関に委託した検査報告書のコピー ※Photoクリックで拡大

 蔵王からの冷たい風が吹き抜けるセリ畑の水は冬でも12~13℃ほど。腰まで水に浸かって全て手作業で行われる収穫作業は、否応なしに体温を奪ってゆきます。寒さが募るこれからの最盛期から見れば、まだ茎や根が細く、香りも優しいセリですが、まずはおひたしにで旬の到来を感じたのでした。

 秋田が生んだ魚醤の傑作「しょっつる」で味付けするきりたんぽ鍋の主役は、日本海の荒波を乗り越えてやってくるハタハタですが、隠れた主役の座にあるのが三浦さんのセリ。今年もこのかぐわしい和製ハーブとともに季節が巡ってくることに感謝しつつ、この週末は鶴岡でいよいよ公開される在来作物の生産者を追った山形発ドキュメンタリー映画「よみがえりのレシピ」Link to Website公開初日に向けて庄内入りです。

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2011/10/01

「気仙パン」は不滅です

郷愁をそそる菓子パンのマスターピース
 「クリームサンド」(通称:「気仙パン」)@気仙沼

kesen_pan1.jpg クリーム色のメラミン樹脂製ランチプレート、先割れスプーン、カワイの肝油ドロップ、カセイの耳輪印ジャム、三角テトラパックの牛乳、当番が終わると洗濯をするため家に持ってゆく白衣・・・。同世代の方にとっては懐かしいであろう小学校時代の給食にまつわる記憶の品々です。

 現在は国内外からのお見舞いや激励のメッセージで埋め尽くされる仙台市役所1Fロビーですが、3.11以前は各種展示を行う市民ギャラリーの役割を果たしていました。そこでは年に1度、時代ごとの給食を再現して当時の写真とともに変遷ぶりを展示しており、懐かしそうに足を止める市民の姿がありました。 コチラを参照)

【Photo】気仙沼永遠のローカルフード「クリームサンド」126円(フレッシュ製パン)

 1976年(昭和51)に米飯給食が始まる以前は、第二次大戦後に日本を統治した農業大国でもある米国の戦略もあり、給食の主食はパンばかり。当時は食パンよりもコッペパンが多かったように記憶していますが、現在は月1回程度しかコッペパンの出番はないようです。表面にこんがりと焼きが入ったコッペパンを横から割いて、透明なビニールの小袋に入ったカセイのチョコスプレッドやイチゴミックスジャムをサンドして食べていた頃が懐かしく思い起こされます。大手メーカーによる寡占化とベーカリーの選択肢が増えた平成の世になってからは、"唯一の例外"を除いてコッペパンの姿をめっきり見かけなくなりました。

kesen_pan3.jpg その唯一の例外が、気仙沼地域限定で不動の人気を誇る「クリームサンド」です。「気仙パン」とも呼ばれるクリームサンドは、今から50年ほど前に、気仙沼市新町にあった「奥玉屋」で産声を上げました。その発祥の地は、新鮮な三陸の酒肴、漁師町らしいぶっきらぼうな親方がカウンターの中からストライクで投げてくる!! おしぼり、瓶ビールは冷蔵ケースから客自身が持ってくるという独自のルール、帰りのお土産に頂くイカの切れ込み(塩辛)などで知られる名物居酒屋「いろり」の近くでした。

【Photo】オリジナルのクリームサンドに加え、21世紀を迎えて以降に登場した「黒糖クリームサンド」126円(フレッシュ製パン)

 クリームサンドは、横に切れ目が入ったコッペパンに、ピーナツクリームが挟まった素朴なパンで、気仙沼出身者であれば、誰もが一度は口にしているのだといいます。ピーナツクリームとはいえ、1960年(昭和35)に誕生した「SONTON(ソントン)」のピーナツクリームのように、ピーナツバターの風味が勝ったものではなく、ホイップクリームが程よく配合された秘伝の黄金比率がキモ。元祖の奥玉屋が店を畳んだ後、クリームサンドの製造を引き継いだのが、近くの古町にあった「気仙沼製パン」。気仙沼市本吉町出身の家人によれば、気仙沼周辺の小売店・スーパーの店頭にあまねく気仙パンは並び、広く浸透していたそうです。

kesen_pan2.jpg【Photo】生地に練りこんだ黒糖がピーナッツクリームと絶妙のハーモニーを生む(フレッシュ製パン)

 初めて私がこのパンと出合ったのは、学校給食を卒業して久しい'90年頃だったでしょうか。「懐かしい~」と言いながら気仙沼市内の大型店で家人が手にした白い包装のパンには、緑色のレトロな文字で商品名と乳牛のイラストが印刷されていました。仙台出身の私にとっては、初めてだけど何故か懐かしい印象を与えるそのパンは、味もまた郷愁をそそるのでした。以来、クリームサンドと後に登場する黒糖クリームサンドは気仙沼を訪れるたび、二度三度と( ̄皿 ̄;購入するマストアイテムとなりました。

 気仙沼製パンが1990年代半ばに倒産、職人がそのまま移る形でその味はJR気仙沼駅近くで1995年(平成7)11月に創業した「フレッシュ製パン」に引き継がれます。私が初めて気仙沼でこのパンと出合った頃のパッケージにはなかった「気仙沼発」という、気仙沼ローカルフードとしての明確な宣言が後にパッケージに追加されました。現在2名代表制を敷く同社の最高経営責任者のお母様、高橋まさ子さんによれば、区画整理のため住まいがあった桃生郡河北町(現・石巻市)飯野に移転したのが2001年(平成13)。

kesen_pan4.jpg それは同社が「コンセプトリンク(株)フレッシュ製パン」と社名変更した翌年のこと。プレーン生地と黒糖配合生地の2種類がある同社のクリームサンドは、気仙沼市内のイオン、マルホンカウボーイといった商業施設のほか、三陸道河北IC近くのR45沿いにある「道の駅 上品(じょうぼん)の郷」などで購入することができます。

【Photo】パッケージングはフレッシュ製パンと似ているものの、パン生地表面に皺が寄ったのが特徴の気仙沼パン工房のクリームサンド(右)と黒糖クリームサンド(左)ともに126円

hideko_suzuki.jpg クリームサンドには、もうひとつの製造元が存在します。書体は異なるものの、白地にグリーンの文字と乳牛のイラストというパッケージの基本デザインは共通の「気仙沼パン工房」製のものです。長年に渡ってクリームサンド作りに携わってきた熟練の職人が加わることで、「昔懐かしい味がする」と口コミが広がり、こちらも気仙沼市民の支持を得てゆきます。後発の気仙沼パン工房が、パッケージデザインを踏襲した事実からも、いかにクリームサンドが広く行き渡っていたかが分かります。

【Photo】今年のお盆時期に訪れた気仙沼パン工房の店頭に建つ鈴木秀子さん。地元の味を懐かしむ帰省客のため、休み返上で店を開けていると顔がほころぶ

kesen_pan5.jpg 「気仙沼の味として親しまれてきたクリームサンドを地元で復活させたかった」と語るのは、かつて気仙沼製パンで働いていたという気仙沼パン工房の鈴木秀子代表。定番のプレーン生地のほか、黒糖配合生地と黒ごまを加えた生地が後に加わり、最近ではコーヒークリーム・栗クリーム・くるみクリームといった独自のラインナップを増やしています。市内本郷の目抜き通り沿いにある店舗兼工場は津波で浸水しましたが、現在は営業を再開。地元資本のスーパー片浜屋のほか、(本来126円の商品が1個150円で売られているため私は手を出しませんが)仙台市青葉区のサンモール一番町で週末に開催されるマルシェジャポンでも販売されます。

【Photo】気仙沼パン工房のクリームサンド(右)と黒糖クリームサンド(左)

 ひとつひとつ職人がハンドメードする気仙沼発のクリームサンド。原材料にさまざまな添加物が加わるオートメーション化された大手のパンとは異なり、製造日から2日もすると、生地が硬くなりますが、そんな時はレンジで軽くチンすれOK。両社を食べ比べると、生地の見た目や食感がやはり異なります。B級なれど永久に気仙沼地域で愛されるであろうクリームサンド。お好みの味を探してみては?
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コンセプトリンク株式会社 フレッシュ製パン
住:石巻市飯野字大筒前東1番14-2
Phone:0225-62-0047
URL:http://www.cream-sand.com/
E-Mail:info@cream-sand.com

気仙沼パン工房
住:気仙沼市本郷9−3
Phone:0226-22-5121
URL:なし

2011/09/17

女川再生への第一歩

がんばっぺ女川
蒲鉾本舗 高政 女川本店「万石の里」開店

 昨日の河北新報朝刊TV面には、黒地を背景にうっすらキツネ色に焼きあがった美味しそうな笹かまぼこの写真が掲載されました。それは宮城県牡鹿郡女川町の蒲鉾店「高政」(高橋正典社長)が、9月1日に稼動した新工場内に昨日開店させた本店「万石の里」誕生を告げる広告です。 ※(クリックで拡大)

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 一見、何気ない新店OPENの広告ですが、そこには震災で町の8割が壊滅した地元・女川の再生にかける高政の決意が込められています。その熱き思いを示すかのように湯気がうっすらと立ち上る蒲鉾の写真に魅せられた私は、自宅近くのスーパーにある高政の売り場に直行、笹かまぼこと揚げかまぼこがお買い得価格でセットされた「開店記念セット」をゲットしたのでした。うー、広告効果抜群!?


大きな地図で見る

 高政の本社工場がある万石浦は、石巻市渡波から女川へと向かうJR石巻線沿いに広がる内海です。外海に面した開口部が250mほどしかなく、津波による被害が甚だしかった石巻と女川の境界にありながら、宮城県内では唯一ほとんど津波被害を受けませんでした。そのため、カキやホタテの養殖いかだが無傷で残っています。

mangokuura_2011.9.1.jpg【Photo】全国屈指のヒラメ釣りのメッカでもある万石浦は、宮城県内では唯一、津波による被害を受けなかった。2011年9月、船上でカキ養殖棚の手入れをする万石浦の漁師

 とはいえ、入り江が深く切れ込んだ女川湾に面して建っていたマリンパル女川の外壁だけを残して町の中心部を壊滅させた津波は、R398沿いでは最も高台となった同町旭ヶ丘付近をも越えて万石浦方向へと抜けて行きました。高政の本社工場がある女川町浦宿浜は、万石浦の最深部にあたり、標高が比較的高い場所だったため、建物が浸水被害を受けることはありませんでしたが、自宅にいた高橋政一会長ほか、従業員が津波の犠牲となりました。

takamasa_kaitenkinenset.jpg【Photo】高政「開店記念セット」笹かまぼこ(吉次2枚・石持2枚)揚げかま(上からプレーン「たかまさ」具だくさんの「海老」「五目」「貝柱」)一口サイズの「ぷちあげ」で1,000円のお買い得価格

 被災前はおよそ40軒の水産加工業者が町を支えていた水産の町・女川にあって、元々は新鮮な魚のすり身を製造するのを本業としていた高政。現社長の祖父で創業者の高橋政助氏が鮮魚商を始めたのが1937年(昭和12)。自社ブランドの蒲鉾で市場に参入したのは1994年(平成6)からと、県内の大手かまぼこ製造業者の中では後発組と言ってよいでしょう。

 それでも素材を扱ってきた長い経験を活かし、すり身を加工する段階で魚肉の純度を上げるために通常は3回繰り返す「水晒し」工程を多くても2回までに留め、噛めば噛むほど原料の吉次やイシモチなどの風味が味わえる独自の製法を編み出しました。仙台市内の老舗百貨店に直営店を構えて以降、贈答用としても全国の百貨店・大手スーパーとの取引を開始、順調に業績を伸ばしています。

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【Photo】高級白身魚の代名詞「吉次」を使った高政の肉厚な笹かまぼこ。上品でふんわりとした素材の持ち味を生かすため、焼きは弱めに入れるのだという。そのままガブリ!

 「会社は地域の皆んなによって生かされている」が口ぐせだった政一会長の遺志を受け、正典社長を先頭に応急修理で復活させた製造ライン1系統で、冷蔵していたすり身から揚げかまぼこの製造を再開したのが3月28日。揚げたてのかまぼこ延べ10万食以上を避難所で配布しました。冷たいおにぎりしか口にできなかった当時、通常の5割増の厚さに仕上げた善意のかまぼこは、笑顔を忘れていた被災地に温かな心も届けていたのです。

takamasa_shinkoujyou.jpg 【Photo】笹かまぼこ製造ラインが2セット、揚げかまぼこが3セットの新工場は従来の4倍の製造能力を備える

 3.11と4.7に起きた震度6の揺れで製造設備に被害が出たため、4月18日に直営店舗での販売を再開したものの、製造ラインの一部だけで操業を強いられてきました。当初計画から3ヶ月遅れで新工場の「火入れ式」が行われたのが9月1日のこと。その日、石巻を経由して訪れた女川は、廃墟となった町が折からの猛烈な雨に打たれて一層くすんで見えました。その日私が女川を訪れたのは、事業再開に向けて歩みだした企業の食品を使ったお弁当の製品化しようという仙台のお弁当製造会社の取材に同行したため。

 ご対応いただいたのは社長のご子息で取締役企画部長の高橋正樹さん。製造工程でCO2を排出しない業界初となるオール電化工場は、旧工場の4倍の製造能力を備えています。食べる人の安心のため、スクリーニング放射線測定器を導入して原料の安全性を確認しています。この測定器は、一部で水揚げが再開した地元の漁師にも貸し出されるのだといいます。

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 地域復興のために取り組んだのが、新工場稼動によって使わなくなった隣接する旧工場と300tの収容能力を備えた冷蔵施設を被災した地元の同業者に無償で提供すること。あわせて今回の新工場・新本店の稼動によって、高政では52名を新規採用しました。町の中心部が建築制限区域に指定され、復興へのロードマップが見えてこない中、人口流出を少しでも食い止めるため、年度内に新卒者の採用を予定するなど、生き残った企業としての責務を果たすのだと正樹さんは力強く語りました。

【Photo】キツネ色になるまで焼き目を付ける「石持」笹かまぼこ。使う素材によって、焼き加減を変えるのも高政のこだわり

 最新鋭の製造ラインの見学コースが設けられた工場に併設される本店には、笹かまぼこの手焼き体験コーナーと揚げたてのかまぼこを頂ける一角を設置。数量限定「御膳蒲鉾」は本店でしか入手できない職人こだわりの逸品です。再起を目指す地元同業者の製品や「がんばっぺ女川! おだつなよ(=石巻地方で「いい気になるな」を意味する方言)津波」とプリントされたTシャツなども販売しています。

 16日から19日(祝)までの4日間はグランドオープンフェアを開催。毎日先着200名に工場で焼きたての笹かまぼこと「笹かませんべい」各1枚づつがプレゼントされるようです。この連休は石巻・女川へGo!!
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takamasa_mangoku.jpg高政 女川本店「万石の里」
住:宮城県牡鹿郡女川町浦宿浜字浜田21
Phone:0225-53-5411
営:8:30~18:30 不定休
駐車場:大型バス4台・乗用車20台
URL:http://www.takamasa.net/.
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2011/09/11

2011年・世界チャンプバリスタが来仙

念力で呼ばれてしまいました(笑)
 @ La Casa del Caffe Bal Musette

 スペシャルティコーヒーの持ち味を存分に、かつ手軽に味わうことができる唯一のツール「Aeropress エアロプレス《Link to backnumber 》」を昨年10月に入手した「La Casa del Caffe Bal Musette ラ・カーサ・デル・カッフェ・バル・ミュゼット」を訪れた今日の午後。仙台市の北部郊外に店があるため、平日は行く機会に恵まれない店の赤い扉を開いたのは久しぶりのことでした。

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 オーナーの川口バリスタには内緒ですが、ほんの5分前までは水を汲みに行くつもりで泉IC付近のR4を北に向かって走行中だったのです。それが何故か突如として気が変わり、隠し味の塩が味の幅を広げるバニラアイスにエスプレッソを加えたアッフォガート・サーレを注文していました。

 「こちらからご連絡しようと思っていたところに、先ほどお見えになったので、驚いてしまいました」と川口さん。マカロンに限らず最近続いている言霊現象が逆の形で表れたのでしょう。エスプレッソマシンの使い手として超一流の川口さん。最近はテレパシーの遣い手としても修行を積んでいるのかも。

 念力を使って川口さんが私に伝えたかった内容は下記を参照願います。
 http://balmusette.exblog.jp/14516734/

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 今年6月、南米コロンビアの首都ボゴタで開催されたワールド・バリスタ・チャンピオンシップ(以下WBCと略)で優勝したのは、中米エル・サルバドル出身のアレハンドロ・メンデス氏(当時23歳)。2000年の第1回モナコ大会以降、コーヒー生産国で初開催されたWBCで初めて消費国以外から優勝者が出たのです。

 通常、WBCの優勝者を招くには高額なギャランティが必要となります。アレハンドロは2001年にエル・サルバドルで死者1,149名・負傷者8,000名、150万人以上が被災した大地震が2度に渡って起きた際、日本から被災地に対して救援活動が行われた恩返しをする意味で、現在の勤務先である故国のカフェ「Viva Espresso」 の理解を得て報酬を求めずに来日するのだといいます。

 川口さんが念力で私だけではなく、世界チャンプまでも呼んだのかもしれない今回のチャリティイベントには、「コーヒー好きは皆友だち」を合言葉に集ったコーヒーショップの従業員、カフェオーナーから一般のコーヒー好きのメンバーが、東日本大震災の被災地に温かいコーヒーを届ける活動を展開した団体「Coffee Amigos (コーヒー・アミーゴス)」もサポートにあたります。

 Coffee Amigos にも参加し、大手コーヒー会社勤務時代に世界のコーヒー生産地を巡り、独立後の2008年には「Grand Cru Cafe グラン・クリュ・カフェ」なる新たなコンセプトの優れたコーヒー豆を発掘し続けるコーヒーハンター、Jose(ホセ)こと川島 良彰氏のセミナーも同日開催。WBCバリスタ世界チャンプの技とパフォーマンスにライブで触れることができるまたとないチャンス。プロフェッショナルのみならず、コーヒーを愛する方ならどなたでも歓迎とのこと。 Don't miss it!!
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アレハンドロ&ホセ川島ジャムセッション
日時:2011年9月27日(火)17:00~
会場:仙台コミュニケーションアート専門学校 第2校舎
    仙台市宮城野区榴ヶ岡4-11-20《JR仙台駅 東口より徒歩15分》
会費:5,000円 (収益はあしなが育英会の東北レインボーハウス建設資金に役立てられます)
定員:先着100名

◆お問合わせ・申し込みは
 musette@bal-musette.com に空メールを送信。送られてくるエントリーシートに必要事項を記入、再度返信でエントリー完了
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2011/09/10

ココロもトロけるソフトクリーム

あったかい気持ちをありがとう。
ソフトクリーム被災地キャラバン presented by 日世

okashi_1hourou.jpg【Photo】追波湾に流れ着く北上川河口域には、ベッコウシジミや十三浜のワカメなどを育む豊かな生態系を生む広大な葦原があった。津波でこの風景が一変する5ヶ月前の2010年10月11日、石巻ロケが行われた映画「エクレール・お菓子放浪記」より。74名もの児童が命を落とす痛ましい悲劇の舞台となった大川小学校はこのロケ地の対岸にある
©2011「エクレール・お菓子放浪記」製作委員会

 西村滋の自伝的小説を映画化した「エクレール・お菓子放浪記」《Link to Website 》のキャッチフレーズは「お菓子はやさしさを運んでくる。」エキストラとして出演した石巻市民の2/3が津波で命を落とし、跡形もなく全壊した映画館「岡田劇場」など、映画の随所に登場するメーンロケ地・宮城県石巻市の原風景の記憶は、今となっては映像の中に刻まれるだけとなりました。

hashiura_ishinomaki2011.9.jpg【Photo】石巻市北上町橋浦と釜谷地区を結ぶ新北上大橋は津波で一部が流出。橋が架かる東北最大の大河・北上川河口部の流域面積が日本一だった葦原も被災直後は壊滅と伝えられたが、再生が進みつつあり、ベッコウシジミ漁も残された船で再開した ※Photoクリックで拡大

 幼くして両親を亡くした主人公アキオ少年が、孤児院を脱走するも、空腹に耐えきれず菓子を盗んだところを刑事の遠山に見つかります。事情を察した遠山の取り計らいでアキオは少年院ではなく感化院に入所することになります。そんなアキオに遠山が差し出したのは二つの菓子パン。

okashi_2hourou.jpg 生まれて初めて心ゆくまで味わう甘味にアキオは魅了されます。大好きなお菓子に生きる希望を託し、さまざまな人との出会いと別れを繰り返しながら、戦中戦後の混乱した時代を生き抜いてゆくアキオ。その健気な姿に被災地の明日を担う子どもたちをつい重ねて見てしまうのは、私だけではないでしょう。
©2011「エクレール・お菓子放浪記」製作委員会

 エクレア(Éclair=フランス語読みでエクレール)が歌詞に出てくる童謡「お菓子と娘」をアキオに教える感化院の教師・陽子は、「あなたがお菓子になって、みんなの心を優しい気持ちにしてあげて」と諭します。思わず顔をしかめる辛さ、苦さ、酸っぱさとは違って、甘いお菓子は人を幸せな気持ちで満たしてくれるもの。

 今、被災地にお菓子を通した支援の輪が広がっています。

 江陽グランドホテル(仙台市青葉区)で9月4日(日)に催されたキリンビバレッジ主催「紅茶で笑顔を、ティーパーティー」には、避難生活を送る石巻市や女川町などの子ども243名と保護者220名が招待されました。同社の「午後の紅茶」とともに振舞われたのは、被災地から参加した45人の宮城県洋菓子協会加盟のパティシェが作る県産イチゴやブドウ・バナナなどを使ったフルーツケーキ。何かと不自由を強いられる避難生活を送る子どもたちは、顔を輝かせながら一心にケーキを食べていました。

nikkun_seichan.jpg ニックン・セイチャンのキャラクターでもお馴染みのソフトクリーム総合メーカー「日世(本社:大阪府茨木市)は、切迫した被災地の状況が報道されていた3月下旬、社業を通じて復興を応援するという方針を打ち出します。ソフトクリームを製造するフリーザーを積み込んだ車で被災地に赴き、美味しいソフトクリームを無償で提供、避難生活を送る人々に笑顔を取り戻してもらおうという「日世ソフトクリームキャラバン」はこうしてスタートします。(※ 詳しくはコチラ⇒ http://www.nissei-com.co.jp/dreamcar.jsp

 ソフトクリームが日本に初めて上陸したのは、戦後の厳しい食糧事情が続いていた1951年(昭和26)7月3日に神宮外苑で催された進駐軍主催のカーニバルだったとされます。アキオがお菓子に夢を託した時代、ソフトクリームを広く日本中に紹介したのが、日世です。朝鮮戦争の特需に沸く日本各地には、進駐軍からフリーザーが払い下げられてゆきました。百貨店の食堂やカフェで提供された甘くひんやりトロけるソフトクリームは、焦土と化した国土の再建に向けて走り出した日本人の心を捉えたのです。

dreamcar_nissei.jpg【photo】つい目尻が下がる美味しい北海道ソフトクリームを仕事の合間に頂けるという思わぬプレゼントに時ならぬ長蛇の列ができた河北新報社本社1階の旧新聞用紙搬入ゲート

 車両の改造を行うにも物資調達がままならない当時の状況を打開し、6月末に完成したのが特注の「日世ソフトドリームカー」です。津波で107名が犠牲となった宮城県七ヶ浜町の仮設住宅で500食を提供した6月29日(水)以降、太平洋側の東北3県にある学校・幼稚園・保育所・避難所などでたくさんの笑顔を届けてきたキャラバンご一行が、石巻での支援活動を終えた9月2日(金)の夕刻、被災地の報道機関として奔走する河北新報社員にも心和むひと時を贈りたいと、勤務先を慰問に訪れて下さいました。

nissei_freezer.jpg【photo】一時は製造が追いつかなくなるほどの盛況ぶりに、スタッフの方たちはフル回転

 「あの極限状況にあって新聞が届くとは思っていなかった」という声が多く寄せられた被災翌日。襲いかかる幾多の困難を乗り越えて被災実態を伝える朝刊をお届けできた要因のひとつが、市内泉区にある免震構造の印刷工場です。2003年(平成15)末に新工場が稼動する以前に輪転機が据え付けられていた本社社屋1階は、現在倉庫として使われています。17時過ぎ、社内アナウンスで、かつての新聞用紙搬入ゲートに日世ソフトドリームカーが到着したことが告げられると、あっという間に長い行列が。
 
 白と小麦色のソフトクリームのようなツートンカラーの車体に積み込まれたのは、毎時240個の製造能力を備えたサーバー2基。フル稼働する日世スタッフの方にご提供頂いたのは、業界のリーディングカンパニー日世が誇るプレミアムソフトの最高峰「ソフォーレ」と双璧をなす「北海道ソフトクリーム」。北海道の大自然が育んだ厳選された生乳と生クリームのみを原料に使用しているのだといいます。

hokkaidou_soft.jpg【Photo】贅沢な風味はまさにプレミアム。滑らかでコクのあるリッチな味わいの北海道ソフトクリーム

 上質なシルクのような滑らかな口どけとともに乳脂肪分8%、無脂乳固形分10%の濃厚なミルクの甘さが口腔を満たしてゆきます。プレミアムというだけあって、コクのあるまったりとした味わいは感動もの。現在の「伊達なソフトクリーム」になる以前、大崎市岩出山「あ・ら・伊達な道の駅」で出していた忘れがたいROYCEソフトクリームをも凌駕する贅沢な味わいを楽しみました。

 思いもかけぬプレゼントに大喜びの女性社員はもちろん、日頃は時間に追われ眉間に皺をよせた男性の同僚たちも、ソフトクリームを手にすると自然と笑みがこぼれてきます。翌日は仙台市内の被災地域にある保育所や公園でソフトクリームの提供活動を行う予定だという日世ソフトクリームキャラバンのスタッフの方たちの優しさと、思えば震災発生後は初めて口にするソフトクリームの際立った美味しさに感激もひとしおでした。

 たくさんのやさしい気持ちを運んで下さった日世ソフトクリームキャラバンの皆さん、本当にありがとうございました。
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2011/08/13

不死鳥のごときブドウ

桔梗さんは津波に屈しない

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 3月11日から5ヶ月を経た今月11日、福島と県境を接する宮城県亘理郡山元町では、町主催の合同慰霊祭が行われました。その模様が、昨日の河北新報朝刊で報じられています。

 16,600人の町民のうち、710名が死亡、7名が行方不明となった山元町。1,600名が参列した慰霊祭で「お別れの言葉」を述べた遺族代表2人のうちのひとりが、同町で1902年(明治35)に創業し、宮城県内唯一の自家詰めワイナリー「桔梗長兵衛商店」の当主で津波の犠牲となった桔梗 幸博さん(54)の奥様、理恵さんでした。

uva_kikyo.jpg【Photo】
震災発生から5ヵ月目を迎えた8月11日、同町山下中学校体育館でしめやかに行われた山元町合同慰霊祭(上写真)
ワイナリー周辺に咲く花を描くのが好きだったよし子さんが描いたブドウの絵(左写真)。基礎だけが残る玄関跡に落ちていたので、屋根が残る醸造所に移しておいた

 ご主人と義母のよし子さん(79)を今回の震災で亡くした理恵さんは、「2人の無念を思うと涙が止まらないが、生かされた命を大切にし、精一杯生きてゆきたい」と言葉を詰まらせながら祭壇に向かって呼びかけました。

 当日、同じく合同慰霊祭を行った亘理町から山元町にかけての津波が襲った耕作地では、土壌の除塩作業に協力しあう人の姿を多く目にしました。汚れちまった悲しみに覆い尽くされた被災地にも、かつての日常を取り戻そうという人々の努力によって、少しずつ変化が生まれています。

uva_yamamoto.jpg【Photo】桔梗長兵衛商店(写真中央奥)に納入するブドウを育てていた契約畑には新たな苗が植えられていた

 その日、被災後初めて訪れた桔梗長兵衛商店は、記憶の中にあるかつての姿と重ね合わせるのが不可能なほど様相が変わっていました。うず高く積まれた瓦礫置き場の向かいにある桔梗さんのお住まいは基礎部分が残るだけで、醸造施設だけがかろうじて姿を残すのみ。

 花好きだったよし子さんのスケッチブック・充填機・ビンなどが砂に混じって散乱する内部は、あの日から時間が止まったかのよう。宮城県内唯一の歴史あるワイナリーを襲った過酷な現実を目のあたりにし、改めて胸が締め付けられます。犠牲となったお2人のご冥福を祈って手を合わせました。

【Photo】桔梗屋の葡萄液ことブドウジュース

succo_uva.kikyo.jpg 道路を挟んだ海側に目を転じると、自衛隊が整地し、持ち主が土壌の除塩を行ったのでしょう、まばらに植えられたブドウの若木が育つ一角がありました。枝の剪定や蔓の誘引など、きちんと手入れがされています。自宅の片付け作業中だった畑の持ち主に声を掛けて話を伺うことができました。ワインと並ぶ桔梗長兵衛商店の看板商品だった葡萄液に加工する北米原産のブドウ「コンコード」を代々栽培してきたというご主人。被災した現在は仮設住宅に入居しながら、ブドウの世話をしているのだそう。宮城では唯一、栽培が綿々と行われてきたこの地域ならではのブドウに対する愛着を感じさせてくれました。

 そして桔梗さんのことに話が及ぶと、思いもかけない言葉を私は耳にしたのです。

  「桔梗さんが育てていたブドウが何本か残っているよ」

uva2_yukihiro.jpg 先ほどまでいた醸造所から見た桔梗さんの畑もまた、津波によって根こそぎにされていました。そこは、もはや雑草が繁茂する荒地としか目に映りません。予想だにしない言葉に促され、足を踏み入れたかつての畑は、雑草の根元が津波が運んだ塩分を含む海砂で覆われています。砂浜に生える草のような雑草は、膝まで埋まるほどの丈に伸びていました。

【Photo】破壊された醸造所(写真奥)に隣接する桔梗さんのブドウ畑。一面の雑草が生い茂る荒地と化したと思いきや...

uva_yukihiro.jpg uva3_yukihiro.jpg【Photo】津波の直撃を受け、塩害の影響があるにもかかわらず、強靭な生命力で試練を耐え抜いた桔梗さんのブドウ。青々とした葉を付けて実を結び、不死鳥のように枝を伸ばす先の空には、桔梗さんの不屈の遺志を表すかのようにハート型の雲がかかっていた

 根をしっかりと張った古木ゆえ、たとえ津波で根こそぎにされず残っていても、塩害で立ち枯れしているのだろう。そう思いつつ歩みを進めた私は、ブドウの樹の前で目を疑いました。なんとブドウは青々とした葉を付けていたのです。もはや世話をする人がいなくなったため、枝と蔓が複雑に絡まりあってはいますが、中には小さな緑の房を結んだ樹すらあります。

 「よくぞ耐え抜いて...」思わず私はブドウに語りかけていました。生活のすべてを無残に破壊し、醸造家の命まで奪った大津波。過酷な状況を不死身の生命力をもってして乗り越え、逞しく生き抜いたブドウを前にして、さまざまな想いが去来しました。

 合同慰霊祭で理恵さんが誓った通り、大学で醸造を専攻する娘さんら残された家族4人で精一杯これからの人生を歩んでいくことでしょう。天国に召された幸博さんとよし子さんが、その歩みを先代と幸博さんが大切に育ててきたブドウの葉陰からきっと見守ってくれるはずです。

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2011/07/23

アクロバットもスゴイんです

プルチネッラ.jpg世界第3位・銅メダルの妙技。
飛ばして、回して、回って、回る~ 夢想花ならぬ
夢想ピッツァ@Pizzeria Padrino

 本場ナポリの味を伝える「真のナポリピッツァ協会」認定店の証しである道化プルチネッラの看板を、私の気持ちの中では既に掲げている「Pizzeria Padrino ピッツェリア・パドリーノ」〈Link to backnumber〉。イタリア・ナポリから5月にやって来るはずだった認定審査員が、震災と原発事故のため来日を取りやめたため、宮城初の認定店誕生は秋に延期となりました。Twitter で庄イタをフォローして下さっている方にだけは、一次審査をパスした時点で、店名を伏せてつぶやいていましたが。

 本登録に向けた肩慣らしを兼ねてか、プリモ・ピッツァイオーロの千葉 壮彦(たけひこ)さんが、先月ナポリ郊外の町「Nolaノラ」にある大規模な商業施設内で開催された「PizzaFesta ピッツァフェスタ」の「X Campionato mondiale del pizzaiuolo 第10回ピッツァ職人世界選手権(通称:Trofeo Caputo カプート杯)」に出場しました。

全員集合.jpg【photo】イタリア各地はもちろん、アメリカ・ブラジル・日本・スペイン・フランス・イギリスなどからピッツァ職人世界選手権に出場した各国のピッツァイオーロ

 「Associazione Pizzaiuoli Napoletani ナポリピッツァ職人組合」が主催するこの競技会には、イタリア本国はモチロン、北米・南米・ヨーロッパ各国など世界中から腕自慢のPizzaiuolo(ピッツァイオーロ=ピッツァ職人)が参加します。メイン競技となるピッツァナポレターナS.T.G.部門で、昨年イタリア人以外で初優勝したのが、名古屋市中区にある真のナポリピッツァ協会認定店「Cesari チェザリ」牧島 昭成さん。

東北魂.jpg【Photo】競技に臨む千葉 壮彦さん(左)と、昨年の世界最優秀ピッツアイオーロ牧島 昭成さん(右)

 ナポリピッツァ本来の姿を追求する牧島さんが在籍するチェザリは、ピッツェリア・パドリーノと同じくセルフサービスを導入、直径25cmのマリナーラを350円、マルゲリータ550円という、あっぱれなナポリ現地価格で提供。いつも長蛇の行列が絶えないのだといいます。

 現在のところ3人しかいない「ナポリピッツァ世界大使」としてナポリピッツァ職人組合から任命された牧島さんは、本場の味を多くの人に楽しんでもらおうと、ナポリピッツァを提供する店が無い空白地域や今回の震災被災地に赴き、移動式の薪窯で焼きたてを無償提供する「夢ピッツァ」活動も実践しています。

     

 全国から駆けつけた35人のピッツァイオーロによる宮城県山元町・亘理町などで行われた炊き出しには、地元からピッツェリア・パドリーノ千葉さんや車に窯を積んだ移動ピッツェリア「ベルテンポ」荘司 洋典さんらが参加。東北からは盛岡「Piace ピアーチェ」八柳 達彦さん、横手市十文字町「こじこじ」佐藤 直樹さん、鶴岡「緑のイスキア」庄司 祐子さん・健人さん〈Link to backnumber〉らが参加。食を通して被災地の子どもたちを支援しようというOne Life Japan プロジェクト発起人のサルヴァトーレ・クオモ氏と協力して七ヶ浜町や南相馬を訪れるなど精力的に活動。今後は石巻や陸前高田での炊き出しも予定しているとのこと。

日本ブースにて.jpg

 第9回大会で世界最優秀ピッツアイオーロの称号を手にした牧島さんの余勢を買い、国外では最大規模となる40名のピッツァイオーロが今年エントリーしたのが日本。千葉さんは、独学でマスターしたというアクロバット部門にエントリーしました。なでしこジャパンの世界一達成という偉業に隠れてしまった格好ですが、結果は3位。

 先日、14時前にピッツァ・マリナーラを食べに行った際、オネダリをして銅メダルの妙技を披露してもらいました。忙しい時間を除けば、練習用の生地でその技を快く見せて頂けるかもしれません。純粋にエンターテインメントとして、専用のピザ生地を回転させながら観客に向かって投げ飛ばすThrow Dough なるパフォーマンスとして変化させたアメリカのような国もありますが、ピッツァは食べてなんぼ。パフォーマンスだけをお願いするのはご遠慮くださいね(笑)。まずは下記動画でその技をご覧下さい。

  

 焼いて良し、飛ばしてよし、回してよしのこの見事な腕前。ナプレの香坂師匠やナポリのDi Matteo だけでなく、海老一染之助・染太郎師匠にも弟子入りしてたんじゃ...。(「Bravo!!」と声を掛ければ、いつもより余計に回してくれるはず)

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Pizzeria Padrino ピッツェリア・パドリーノ
住:仙台市青葉区上杉2-1-50 勝山館1F
Phone:022-222-7834
営:昼11:30~15:30 夜17:30~20:30
  月曜定休(祝日の場合は翌日休)
URL:http://www.shozankan.com

2011/06/18

Colletta per Giappone (イタリアから届いた義援金)

Gent.mi italiani
Come ben saprete abbiamo subito danni distruttivi a causa del terremoto e dello Tsunami: dove abito nella provincia di Miyaghi, nei paesi vicini all provincia di Iwate e nella stupenda costa della provincia di Fukushima.
Sono passati quasi 3 mesi ma la situazione è ancora molto critica in tutta la zona colpita.
Credo che sarà davvero molto difficile la situazione ancora per molto tempo anche solo per trovare le forze di riprendersi, nonostante molte persone cerchino di sollevare quelle persone che hanno perso un membro della famiglia o che hanno perso la casa e tutto il denaro, o che sono hanno dovuto trasferirsi lontano dalla propria città a causa del problema della centrale nucleare di Fukushima.
In questa situazione così critica, ho avuto la piacevole notizia dalla Sig.ra Mayumi Nakagawara (la quale da giornalista ha pubblicato 2 libri sui vini italiani che amo perchè riesce a comuncare bene il fascino dei vini) di questa intenzione di raccogliere fondi dalle cantine italiane, da giornalisti del settore e da associazioni italiane per cercare di sostenerci.
Come Voi italiani avete ricostruito il vostro Paese dopo la seconda guerra mondiale, anche Noi giapponesi non possiamo arrenderci a questa orribile calamità naturale come ci ricordano le generazioni dei nostri genitori che hanno saputo ricostruire miracolosamente a seguito dei numerosi incendi causati dalle bombe durante la seconda guerra mondiale, oltre alla terribile bomba atomica di Hiroshima, città che oggi si è popolata di 1.000.000 di persone e vanta della presenza della sede centrale dell'azienda di automobili MAZDA, famosa in tutto il mondo.
Noi siamo sicuri di rinascere anche grazie alla vostra cortesia.Mi auguro che potremo fare un brindisi con un calice di vino italiano e con il sorriso grazie a persone preziose che ci stanno aiutando in un periodo così doloroso.
9 Giugno,2011
Hiroto Carlo KIMURA
 

(日本語原文)
親愛なるイタリアの皆様へ
 東日本大震災では、イタリアでも皆さんがご覧になった通り、私が暮らす宮城県と隣接する岩手・福島の美しい沿岸地域は、津波によって壊滅的な被害を受けました。震災発生から3ヶ月を過ぎようとする今もなお、生活基盤の全てが打ち砕かれた被災地では、過酷な状況が続いています。
 津波によって愛する家族を奪われ、家と財産を失い、東京電力福島第一原子力発電所の事故によって住み慣れた故郷を追われた人々にとっては、「生きる希望を持って」と励まされても、再び立ち上がる気力すら持てないのが現実かもしれません。
 瓦礫と化した被災地の状況を前に、私たちが悲しみに打ちひしがれていたとき、私が愛してやまないイタリアワインの魅力を余すところなく伝える著作を2冊著した中川原まゆみさんから、中川原さんが呼びかけて下さったイタリア各地の生産者や生産組合、ジャーナリストの皆さんが義援金を寄せて頂いたことを知ったのです。
 中川原さんからのお申し出は、思いもかけないことでした。
 そう、第二次世界大戦で荒れ果てた国土を復興させたイタリア国民の皆さんと同じように、今回の無慈悲な天災に私たちは負けるわけにはいかないのです。私の父母の世代の日本人もまた、焦土と化した焼け跡から奇跡と言われた復興を成し遂げたのですから。
 エノラゲイによって原子爆弾を投下され広島は、皆さんの中にも乗っていらっしゃる方がおいでかもしれない日本が誇る自動車メーカーMAZDA 本社があり、100万人を超える人口を擁する大都市となりました。
 今回、皆さんからお寄せいただいたご厚意をバネに、私たちは必ずや復活することを皆様にお誓いします。苦しい時を支えてくれる大切な人と囲む食卓に、楽しい語らいと笑顔をくれるイタリアワインで、いつの日か復興の祝杯を挙げる日が来ることを信じています。
 2011年6月9日 木村浩人

イタリアワイン関係者からの義援金

m_nakagawara.jpg【photo】イタリア各地に広がる人脈を生かして義援金を募って下さった中川原まゆみさん〈撮影:渡邉 高士 氏〉

 中部イタリア、エミリア・ロマーニャ州Bologna ボローニャ在住のワインジャーナリスト中川原まゆみさんからメールが届いたのが4月21日。東日本大震災に関するニュースが、連日イタリア国内で報道されていた頃です。被災地の惨状に心を痛めた中川原さんが、ワイン生産者や生産組合、ジャーナリスト仲間らに声を掛けて集めたという総額11,515ユーロの義援金の送り先に関して情報がほしいという内容でした。以前、中川原さんの著作をご紹介したこともあり、何かお役に立つのなら、喜んでお引き受けする旨をお返事しました。

 日本円に換算して130万円ほどの募金を被災したレストランや酒販店に直接届けたいというのが中川原さんのお申し出でした。状況を探るため心当たりに直接打診したほか、被災地の支局に勤務経験のある同僚記者にも動いてもらいました。東北一円を営業エリアとしてカバーするイタリア食材専門のインポーター「モンテ物産」ほか、イタリアワインを多く扱う卸業者にも情報提供を求め、特に被害がひどかった岩手・宮城・福島の3県の候補から、最終的に下記5店に義援金を贈ることにしました。

◆ 「レストランまるみつ」 岩手県宮古市藤の川

 岩手短角牛を用いたハンバーグが人気の宮古湾に面した南欧風レストラン。被災状況はオーナーソムリエ古舘英樹さんのブログで。
 http://ariv.blog.so-net.ne.jp/2011-03-20 

◆ 「Ozio オッツィオ」  宮城県亘理郡山元町山寺

Ozio_yamamoto.jpg 石窯で焼くピザと旬の素材で作る創作パスタ&ドルチェの隠れ家的なイタリアン。海岸から1km と離れておらず、平坦な地形が災いして津波の直撃を受けた店が全壊。店のHPには、シュワルツェネッガー元カリフォルニア州知事のような石川オーナーのメッセージがひと言。「I'll be back ... 」


◆ 「ぱぴハウス2号店・3号店」 宮城県多賀城市および同山元町坂元

papi_house.jpg 社会福祉法人「臥牛三敬会」が、障害をもつ若者の就労支援施設として運営するイタリアンレストラン。両店舗とも津波により大きな被害を受けた。

◆ 「Al Fiore アル・フィオーレ仙台市太白区向山

alfiore_distribuito.jpg 斜め向かいに建っていた「鹿落旅館」の崩壊で店に通じる道路が封鎖され、インフラも戻らず4月末まで休業。その間、目黒浩敬シェフは被災3県の支援が行き渡らない避難所に連日出向き、炊き出しに奔走。店を再開した今も依頼が入るため、取引先から一部食材の提供を受けながら、数百名単位の炊き出しを毎週のように継続中。

◆「Est Est エスト・エスト福島県いわき市平字堂ノ前

 イタリア風居酒屋。建物には大きな被害はなかったが、什器類が損壊。現在は営業を再開。

 食器やワインが割れた、平常営業ができずに売り上げが激減した・・・といった震災の影響は、程度の差こそあれ、ほぼ例外なくあったかと思います。原発事故により立ち入り禁止区域に指定され、いつ店を再開できるのか見通しが全く立たない店舗があることも承知しています。

 ヴェロネリが発行する著名なワイン評価本「I VINI DI VERONELLI 」のテイスターとして知られるジジ・ブロッツォーニ氏など、イタリアワインに関わる方たちから寄せられた思いもかけぬ浄財。

 どこにどう渡るかも知れぬ赤十字経由ではなく、再起を期するイタリアワインのユーザーに直接お渡ししたいという中川原さんの真摯なお気持ちを生かすよう、中川原さんと相談の上で以上のような段取りをとった次第です。

514px-Michelangelo_Caravaggio_007.jpg 冒頭でご紹介した私からの感謝のメッセージに、被災状況を伝える写真を添えてイタリア語への翻訳をお願いした中川原さんにお送りし、今週ボローニャから義援金を送金して頂きました。

 津波による被害は、地震保険の対象外であり、現状では公的な保障もされません。

 そんな中で、自発的に動いてくださった中川原さんと、それに応えてくれた人たちに改めて御礼を申し上げたいと思います。

【photo】ウフィッツィ美術館所蔵のカラヴァッジョ作「Bacchus バッカス」。今回義援金を寄せてくれた「I Giusti & Zanza イ・ジュスティ・エ・ザンツァ」が自社のワイン「Nemorino」のエチケッタに使っている。再起の1杯に

 最後は善意を受け取られた皆さんへの私からのお願いで締めくくるとしましょう。店舗再開の暁には、募金に協力して下さった生産者のワインで祝杯をどうぞ上げて下さい。

 さらには再開した店のワインリストに下記の作り手のワインを加えて頂ければ、被災地で暮らす皆が心優しき生産者のワインを楽しむことができます。イタリアワインを愛する者として、また今回の橋渡し役として、これに勝る幸せはありません。

************************************************************************
募金に協力頂いた主な生産者(括弧は輸入業者)
I Giusti & Zanza / Toscana (中島董商店)
 イ・ジュスティ・エ・ザンツァ / トスカーナ州ピサ県ファウリア
   *URL:http://www.igiustiezanza.it/
Fratelli Serio e Battista Borgogno / Piemonte (中島董商店)
 フラテッリ・セリオ・エ・バッティスタ・ボルゴーニョ / ピエモンテ州クーネオ県バローロ
   *URL:http://www.borgognoseriobattista.it/
Capovilla / Veneto (スリー・リヴァーズ)
 カポヴィッラ蒸留所 / ヴェネト州ヴィチェンツァ県バッサーノ・デル・グラッパ
   *URL:http://www.capovilladistillati.it/
Azienda Vinicola Pietracupa / Campania (ウインターローズ)
 ピエトラクーパ / カンパーニャ州アヴェリーノ県モンテフレッダーネ
   *URL:なし 
Stefano Ferrucci / Emilia-Romagna (アビコ)
 ステファーノ・フェルッチ / エミリア・ロマーニャ州ラヴェンナ県カステル・ボロニェーゼ
   *URL: http://www.stefanoferrucci.it
Bisol / Veneto (パシフィック洋行)
 ビゾル / ヴェネト州トレヴィーゾ県ヴァルドッビアーデネ
   *URL:http://www.bisol.it/
Tenuta San Francesco / Campania (テラヴェール)
 テヌータ・サン・フランチェスコ / カンパーニャ州サレルノ県トラモンティ
   *URL:http://www.vinitenutasanfrancesco.it/
Josephus Mayr / Trentino-Alto Adige (アビコ)
 ジョセフ・マイアー
   / トレンティーノ=アルト・アディジェ州ボルツァーノ県コルネード・アッリザルコ
   *URL:http://www.mayr-unterganzner.it/welcome

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2011/06/12

海の男は不屈だった@気仙沼

絶品サンマ佃煮の復活を祈って

kesennuma_myojinmaru.jpg【Photo】津波によって陸上に打ち上げられ、5月23日にクレーン船でようやく海に戻された女川港船籍の遠洋マグロ延縄船「第3明神丸」(379トン・左)と、船首を除いて焼けただれた漁船(右)。写真奥が気仙沼市魚町周辺。4月9日撮影

 発生から3ヵ月が過ぎた東日本大震災。巨大津波が襲った三陸沿岸の被災地では、津波の爪痕と同様、心に受けた傷から必死に立ち直ろうとしています。23年分のゴミに相当するといわれる瓦礫の撤去は、2割ほどが仮置き場に移送されたに過ぎず、順次入居が始まった仮設住宅も、必要数の半分に過ぎない中で、被災者は生活再建に向けた長い道のりを歩み始めようとしています。

sakanamachi_2011.4.9.jpg【photo】被災後1ヵ月になろうとする4月9日、瓦礫と化した人の暮らしの痕跡や重油タンクが無残に散乱する気仙沼市魚町。この駐車場の右隣りにケイの建屋がある

 高濃度の放射能を含んだ冷却水が漏れ出して海洋汚染の懸念が高まる原子炉のメルトダウンという重大な事実を発表しなかった東京電力の姿勢には、怒りを通り越して呆れるばかり。国策として原発建設を推し進めた当事者である野党を含め、党内ですら政争に明け暮れる為政者たちは、復興の道筋すら示されず、焦燥感に駆られる被災者の声に耳を傾けるつもりはないのでしょうか。

 被災前、私が気仙沼を訪れると必ず買っていたものがあります。それは有限会社ケイの「網元逸品 さんまつくだ煮」。最初にその味を知ったのは、ご縁あって気仙沼市魚町に事務所を訪ねた5年ほど前。気仙沼湾に面した海岸沿い建つ加工場を備えた事務所兼住宅は、1897年(明治30創業)に創業した「菅長水産」時代のもの。

 かつて幾艘もの漁船を率いた網元の正月の神棚(下写真)。「開運福禄寿」や気仙地方特有の漁網をかたどった切り子が祀られる。今も海とともに生きる菅原啓さん、義子さん夫妻が営むケイの事務所でご馳走になったのがきっかけです。

kei-kamidana2015.2.26.jpg
【Photo】遠洋マグロ漁船の一大拠点であった気仙沼港。燃料の高騰や漁獲量の減少などで往時の1/3以下に減船を強いられた。出港する大型サンマ船などを、乗組員の家族や市民が豊漁と航海の安全を祈って盛大に見送る「出船送り」の風習が昨年5月に復活。活気ある街を取り戻そうという試みが行われていた矢先、未曾有の災害が気仙沼を襲った(下写真:2011年1月撮影。被災2ヶ月前の気仙沼漁港)

kesennuma_2011.1.2 (2).jpg

【Photo】魚を知り尽くした元・網元が作るさんまつくだ煮。絵心のある奥様の血を引く娘さんが描いた「あみもとあみちゃん」が美味しさと笑顔の輪を広げる(右写真)

kei_sanma1.jpg 国内有数の遠洋マグロ延縄漁業拠点として栄えた気仙沼の海で生きてきた人らしく、青地に白い漁船のイラストをあしらった詰め合わせ用の青い箱は、素朴な手作り感溢れるもの。

 「どうぞ召し上がってみて」という義子さん。商品化して間もない2005年(平成17)、毎年大阪で開催される「全国水産加工たべもの展」に出品したケイのさんまつくだ煮は、水産物佃煮部門で最高賞の農林水産大臣賞、次点の水産庁長官賞に続く大阪府知事賞を受賞しています。全国から選りすぐった約3,000点の中から認められた気仙沼の逸品を勧められて遠慮する手はありません。

kei_sanma2.jpg【Photo】手描きのパッケージと同様に素朴だけれど、たまらなく美味しいケイのさんまつくだ煮味付けは、醤油味と味噌味(写真)のほか醤油味ごぼう入が加わり全3種類。味付けに使う無添加の味噌・醤油を作っていた市内の老舗「平野本店」が、津波被害を免れたのが救い

 なるほど、それはそれまで食べた中では、間違いなくダントツに美味しく、それでいてどこか懐かしさを覚えるサンマの佃煮でした。天然素材だけを使う旨味が詰まった骨まで柔らかい佃煮は、常温でも温めても、最高のご飯のおかずとなります。そんな正直な感想をつい言ったものですから、同行した社の後輩ともども、温かいご飯まで奥様に持ってきていただき、すっかり恐縮したものです。

 漁場として世界でも稀な好条件が揃った三陸の海。気仙沼はリアス海岸特有の入り組んだ地形の湾口に気仙沼大島があるため、波静かな天然の良港です。毎年秋、滋養豊富な親潮に乗って養分をたっぷりと体内に蓄えながら三陸沖を南下してきたサンマを集魚灯で集め、魚体へのダメージが少ない棒受網漁ですくい上げるよう捕獲します。

kei_sugawara.jpg【Photo】気仙沼ならではのさんま佃煮の傑作は、こうして海の男が工房でじっくりと時間と手間をかけて作り出す。(上写真) 被災後初めて伺った当日はお会いできなかったものの、後日NHK仙台放送局の番組「被災地からの声」に登場、「あんまり頑張らずに頑張ります」と語った菅原 義子さん(右下写真・NHK番組画面より)yoshiko-sugawara.jpg

 ケイで用いるサンマは水揚げ後すぐに氷漬けされ、マイナス40度で冷蔵されます。こうして鮮度を保ったサンマに下処理を加え、「すぐそこで作ってもらっているのよ」という醤油・味噌をベースに、みりん・日本酒・生姜・唐辛子で味を整え、照りを出す水飴を加えてじっくりと愛情込めて煮込みます。

 私のお気に入りは味噌味。旨味の塊のような味付けは真似のできない美味しさです。すっかり入れ込み、気仙沼魚市場前の海鮮市場「海の市」や、同市八日町の「横田屋本店《Link to Website》 」で購入するだけでなく、時には事前に菅原さんにお願いして業務用の大容量パッケージを事務所で譲って頂いたりもしました。

sugacho_suisan.jpg【Photo】気仙沼湾の目の前に建つケイ本社兼住宅。津波は建物2階の天井部分まで押し寄せ、菅原さんご夫妻は従業員ともども3階に逃れ命拾いをした

 気仙沼大島が防潮堤の役割を果たしたとはいえ、今回の津波は気仙沼市街地では、海抜12mの地点まで達しました。もともと水産会社だったケイの事務所は、観光桟橋がある気仙沼湾の最深部に位置し、海に面した場所にあります。電気が復旧してからTVで目にしたのが、鳴り響く警告音と避難を呼びかける防災無線の中、台風で増水した濁流のように気仙沼湾内に流入する津波の模様でした。その衝撃的な映像に安否が気になったのが菅原さんご夫妻のことでした。

 県がまとめた避難者名簿には名前が見当たらず、電話回線が遮断して安否が分からないまま、不安な気持ちでいた3月中旬、建物の2階まで押し寄せた津波を3階に避難して難を逃れた気仙沼市魚町の菅原啓という76歳の人物のコメントが、新聞に掲載されていることをネットで知りました。魚町近辺で3階建ての建物で命拾いをした同姓同名のほかの人物がいるとは思えません。この小さな記事でご主人の無事を確信しました。

messagio_sugawara.jpg【Photo】ご夫妻の無事を知らせる走り書き

 震災発生から1ヵ月近くを経た4月9日(日)、避難所へ生活物資を届けるために被災後初めて気仙沼入りした足でケイの事務所を訪れました。ダンボール紙にご夫妻の無事を知らせる走り書きのメッセージがあるそこにご夫妻はお留守でしたが、家を流されて3階で一緒に暮らしているという親戚の方から、被災当時の模様と、あみもとあみちゃんのようにいつもお元気な奥様が、事業再開に向けて張り切っていることを伺って安心しました。

 被災見舞いに伺ったにもかかわらず、津波に浸からなかった佃煮を私に下さる始末で、お渡ししようとしたお代は、どうしても受け取って頂けませんでした。事務所の泥かきをしている所に伺って、なんとも申し訳ないことをしました。

 同社のさんま佃煮に惚れ込み、人気の駅弁「宮城まるごと弁当」の一品として扱っていた弁当製造業の「株式会社こばやし」(仙台市宮城野区)でも、動き出したケイの事業再開に合わせて絶品のさんまつくだ煮を具材に復帰させる予定とのこと。

 幾度となく荒海を乗り越えてきた網元ご夫妻のこと。再びあの味と出合える日がまた来ることでしょう。

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2011/04/16

This is real Fukushima 

風評被害に負けない! 福島

 新潟を含む東北ブロックで、唯一Viaggio al Mondo で取り上げていなかったのが福島です。正直、このような形で母の郷里について語るのは、忸怩たる思いです。

【Movie】3月21日にイタリア放送協会RAIのニュースチャンネルTG3が伝えた福島第一原発事故を巡るニュース「Fukushima, emergenza e speranza(=福島、緊急事態と希望)」

 この一ヵ月、Fukushima が世界の耳目を集めています。国際評価基準(INES)の暫定評価でレベル7という原発事故としては最悪の暫定評価となった事態を受け、EU諸国は日本からの輸入食品に安全性を証明する書類の添付を義務付けるよう求めています。

 人々の暮らしを根こそぎにする惨禍をもたらした地震と津波は抗いがたい天災ですが、東京電力福島第一原子力発電所で起きている事態は、地震への備えを怠った慢心が招いた人災といわざるをえません。資源の乏しい日本が、過剰なまでに膨大な電力の使用を前提に繁栄を謳歌するために、原子力発電は国策として推進されてきました。

hanamiyama_2010.4.jpg【photo】まさに「うつくしま ふくしま」。花盛りの福島市花見山(撮影:2010年4月24日)

 推進派の主張通りに原子力発電所が安全な施設なら、供給エリアに原発があっておかしくありません。年間総発電量の5%前後が失われる送電ロス削減のためにも、エネルギーの一大消費地である東京都心に造るべきです。

 にもかかわらず、国は巨額の交付金を還元してまで、産業基盤が限られた地方で原発建設を進めてきました。今回の事態を招いた東電を例に挙げれば、東京都心からおよそ200km離れた福島や新潟、現在建設が進む青森県東通村に至っては、550kmもの遠隔地です。こうした不条理なエネルギー政策を決定する経済産業省がある霞ヶ関や、東電本社がある内幸町から遠く離れた立地ばかり自己保身をするかのように選んだ理由は、今回の震災によって皮肉な形で白日のもととなりました。

enbangyoza_yamame.jpg【photo】福島名物「円盤餃子」

 チェルノブイリ原発事故の記憶から抱いてきた漠然とした不安は、今や現実として私たちの目の前にあります。対峙する放射能が目に見えない相手であることと、セシウムやヨウ素など放射線についての知識が、一般人には欠如していることが不安を増幅させています。東大病院で放射線治療を担当する専門家集団「チーム中川」によるブログやツイッターによる解説が、放射線がヒトに与える影響について分かりやすく解説しています。

                       ■ ブログ: http://tnakagawa.exblog.jp/
                       ■ ツイッター: http://twitter.com/#!/team_nakagawa

 かき菜やホウレンソウなど、3月中の検査で福島と茨城の葉物野菜の一部からヨウ素(I-131)やセシウム(Cs-137)などが検出されたことがセンセーショナルに報じられました。対象品目の残留放射性物質は、4月に入っていずれも基準値を下回るようになりました。大気中に放出された放射性物質の影響を受けにくいハウス栽培や、問題の原発から離れた産地の野菜は、安全性が確認されています。ここは、やみくもに恐怖心を抱くのではなく、正確な情報収集に努めて冷静な対応をしたいところ。

fragora_fukushima.jpg【photo】福島の生産農家が丹精込めたハウス栽培の青果物。極めて美味。なのに出荷できず廃棄せざるを得ないのが現状

 食品による健康被害を気にするのなら、栄養バランスや加工食品に使用される食品添加物の過剰摂取にこそ気を遣うべき。成長期の子どもの前でタバコを吸うなど、もってのほかです。ところが、食品衛生法が定める安全基準をクリアして出荷された生鮮品や乳製品の多くが、福島や茨城産というだけで買い叩かれ、一般消費者から敬遠され、売り場から姿を消しているのが実情です。原発の事態収拾の目処が立たない現状では、この状況がいつまで続くのか全く見通しがつきません。

 おそらくは長期化が避けられない逆境にあっても、決して負けない福島を発信する取り組みが始まっています。県観光物産交流協会が東京・東葛西に設置しているアンテナショップ「ふくしま市場〈Link to website〉」では、今月上旬から「東北大震災に負けるな! フェア」を実施、都内在住の県出身者らで賑わっている様子が報道されています。

 昨年10月、株式会社第一印刷(本社:福島市)の呼びかけに応じた福島県内の各業種30社ほどで発足したプロジェクト「福の鳥」は、世界に通用する新たな地域ブランドを創出しようというもの。同プロジェクトでは、焼き鳥や牛乳味噌鍋などを新たな名物に育てようと活動してきました。
 ForzaFukushima.jpg  ■ 「がんばっぺ! 福島」トップページURL: http://fukunotori.com/fight/index.html

 県土面積が全国第3位と広い福島は、原発から半径30km以内に設定されている自主的避難を求める「緊急時避難準備区域」外の放射線による健康への心配がないエリアがほとんどです。原発事故が引き起こした風評被害の広がりを受けて、プロジェクトでは桜の名所として知られる福島市の「花見山」を第一弾として取り上げるなど、福島の魅力を紹介するサイト「がんばっぺ! 福島」を立ち上げました。

ganbatte-zzoi.jpg【photo】
例年、多くの花見客で賑わう福島市の桜の名所「花見山」で開催を予定していたという物産市。今回の事態を受け、会場を急遽仙台に移して実施した。山形県米沢市でも今月中に開催予定とのこと

 風評被害に負けない福島をPRするプロジェクトによる「がんばってっつぉい福島! いちば」が、4月8日(金)~10日(日)の3日間、仙台市青葉区本町で開催されました。物産市の会場となったのは本町家具の街。本町商店街振興組合理事長で「家具の大丸〈Link to website〉」代表取締役社長の大村 正さんと、各地の産直施設と独自のルートをもつイベント会社Y.M.O代表 湯浅 輝樹さんが、企画実現に協力しました。

IMG_5327.jpg IMG_0176.jpg【photo】「がんばってっつぉい福島! いちば」当日の模様 〈右写真協力:(株)第一印刷〉
※photoクリックで拡大

 旬を迎えたハウス栽培のニラ・キュウリ・イチゴといった青果物のほか、スルメとニンジンを醤油ベースで和えた福島北部地域の郷土の味いかにんじん・あんぽ柿・味噌・漬物などの加工品、手ぬぐい・会津木綿製品・ポストカードなど福島の各種産品が出品され、3日間で30万円ほどの売り上げがあったといいます。

DVC00355.jpg DSC08414.jpg【photo】「がんばってっつぉい福島! いちば」当日の模様 〈写真協力:(株)第一印刷〉
※photoクリックで拡大

 福島市郊外の飯坂温泉「佐久商店〈Link to website 〉」店長の佐藤ユウ子さんは、店頭で元気と笑顔を振りまいておいででした。自信作のいかにんじん「錦秋」を味見をした私は、鮮度抜群のイチゴやキュウリとともに、購入を即断しました。タレントの佐藤B作さんの弟さんが営むという同店は、取り扱う果物にも品質へのこだわりが感じられます。

ikaninjin_kinshu.jpg【photo】佐久商店のいかにんじん「錦秋」

 店頭を今回のイベントに提供した大村社長は、「被災者同士、カラ元気でもいいから前に向かって進む姿を発信したかったのに加え、自分たちが取り扱う品に絶対的な自信を持つ福島の方たちとコラボすることで、ホンモノだけを扱う本町家具の町の魅力を伝えたかった」と今回の試みについての意義を語ります。本町商店街振興組合では、今後も福島とのコラボによる催しを検討してゆくそうです。

 4月17日(日)には、宮城郡大和町宮床の「大師山 法楽寺〈Link to website 〉」で、福島産野菜の即売会が実施されます。福島の農家が置かれている現状に心を痛めた住職の遠藤龍地さんが、JA福島に話しを持ちかけて実現の運びとなりました。前日ご自身がワゴン車を運転して福島に出向き、仕入れた青果類を午前10時から境内で即売します(雨天時は本堂で実施)。

 「良いことも悪いことも、自らの行いの結果。だから福島で起きていることは、決して他人事ではなく、これまでの自分の生き方や暮らしのありようを見つめ直す機会として考えて欲しい」と遠藤住職。仙台方面からは、泉パークタウンを大和町ミヤヒル36ゴルフクラブ方向に向かい、宮床小学校の右側です。買い物袋を持参の上、お越し下さいとのこと。売り切れの際はご容赦を。

************************************************************************
大師山 法楽寺
宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1
Phone: 022-346-2106
法楽寺URL:http://www.hourakuji.net/index.html
住職のブログ「想いの記」より
東北関東大震災・被災の記(その29)「福島県の野菜を食べよう会」を行う理由

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2011/03/20

明日に向けて思うこと

 悲しみに覆い尽くされた1週間あまりが過ぎた。

「君が疲れきって無力感にさいなまれている時、瞳が涙に濡れているなら、私がぬぐい取ってあげる。辛い時だって君のそばにいるから・・・」

 心が萎えそうになる今だからこそ、ポール・サイモンが紡いだこんな歌い出しで始まる誰もが知っている曲に、ひとときだけ身を委ねてみるのもいい。

  

 アート・ガーファンクルは天使のように美しい歌声で、こうも励ましてくれる。
 「友達が必要なら、君のすぐ後ろをついてゆこう、荒れ狂う奔流に架かる橋のように、私が身を挺して不安を取り除いてあげる」 

Bridge over Troubled Water :Simon and Garfunkel
 
明日に架ける橋:サイモンとガーファンクル


 この数日、国内外を問わず多くの人々からお見舞いを頂きました。地震発生時は出張で青森にいたため、どうにかこうして生き延びています。当初は把握すらできなかった沿岸地域の被害状況が明らかになるにつれ、自然の猛威を前にした人間の無力さをイヤというほど見せつけられ、ともすると陰鬱な気持ちになります。

 M9.0という非情なまでの破壊力を持った地震と津波、追い討ちをかける東京電力福島第1原子力発電所の事故、そして送電線の先にある関東圏でも巻き起こっている物資の買い占めと物流の寸断とによるモノ不足に、最大の被災地である東北の人々は苦しみ、翻弄されています。

 震災発生後5日目にようやく無事の確認がとれた義理の父母が暮らす気仙沼地域もそうですが、本当に助けを必要としている人に、救いの手が一刻も早く差し伸べられることを願わずにはいられません。

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