三陸の宝・十三浜ワカメ ふたたび。
ワカメしゃぶしゃぶ@石巻市北上町十三浜
東北最大の1級河川・北上川は、岩手県北部の西岳付近に端を発し、全国第4位の流域面積1万150㎡、同7位の河川延長249kmを有する大河です。宮城県登米(とめ)市津山町柳津(やないづ)で新北上川・旧北上川の二手に分かれた流れは、旧北上川が石巻市街地を抜け石巻湾へ、新北上川が同市飯野川で大きく左折し、追波湾で太平洋に注ぎ、その長い旅を終えます。
緑豊かな奥羽山脈と北上山地の間を南進して流れる北上川は、途中で雫石川・稗貫川・和賀川・迫川・江合川など多くの支流と合流します。山の養分を蓄えた滔々とした流れの最下流域では、河口から10km以上に渡って自生する葦(ヨシ)が、およそ120haにもなる国内最大級の葦原を形成しています。
生活排水や産業排水などの河川への流入によって、窒素やリン成分が過剰に増えて富栄養化すると、海では赤潮発生の原因となります。水鳥や魚類の産卵場所ともなる多くの微生物が棲む葦原には、水の浄化作用があり、天然の浄化槽ともいえる新北上川の汽水域は、ベッコウシジミやマハゼ・サクラマスなどの良質な漁場となります。
【Photo】平成の大合併で南三陸町と石巻市になった旧志津川町・戸倉村と旧北上町・十三浜村の境になる「神割崎」。伝説によると、昔は境界が曖昧なため、そこでは領地争いが絶えなかったという。大きな鯨が岩場に打ち上げられ、所有をめぐって両村民の間で諍いが起きたある夜のこと。天地を揺るがす雷鳴とともに落雷があった翌朝、鯨と巨岩が真っ二つに裂けていた。これを神の裁きと受け止めた村民らは、長年の領地争いに終止符を打った。この岩の左側が南三陸町、右側が石巻市北上町となる(上写真)
沖合に避難して助かった漁船が停泊する大室漁港 (下写真・クリックで拡大)
その北岸に当たる河口から南三陸町の景勝地「神割崎」に至るリアス式海岸特有の入り組んだ岩場と入江が続く13の集落(北から順に小滝・大指・小指・相川・小泊・大室・小室・白浜・長塩谷・立神・月浜・吉浜・追波)を総称する石巻市北上町十三浜は、良質なワカメ産地として知られます。岩手・宮城の三陸沿岸は、国内のワカメ生産のおよそ75%を賄う一大産地。北上川の河口に近く、藻類の生育に必要な珪素・窒素・リンといった栄養塩分が多い滋養豊かな親潮のもとで育つ南三陸「十三浜ワカメ」は、肉厚で弾力があり食味に優れることから、岩手田老の「真崎ワカメ」と並び称される逸品です。
【Photo】収穫されたワカメを加工場に運び出す相川の漁師たち
全国内生産高に占める養殖ワカメの割合は94%(2006年統計)。かつては海が荒れて打ち上げられた天然ワカメを採取する拾い漁でした。養殖漁業への転機となったのが、1960年(昭和35)のチリ地震津波。半世紀前に地球の裏側から押し寄せたこの津波で大きな打撃を受けた三陸地域振興のため、ギャンブル性の高い捕る漁業から安定した収入が得られる育てる漁業への移行が本格化します。当初の水平筏式から、現在三陸地域で広く採り入れられている延縄式養殖法の確立により、今日では養殖ワカメが主流となりました。
共助の精神が根付く固い絆で結ばれた630世帯2,000人が暮らしていた十三浜。近年では、収益性の高い養殖ホタテやコンブ漁を主体に、サケの定置網漁や、アワビ・ウニといった海の恵みを糧として人々は暮らして来ました。これまで幾度となく津波被害に見舞われてきた地ゆえ、今回も迅速な避難誘導はなされたものの、収穫期に入ったばかりのワカメと養殖設備、漁船などの漁具、作業所、漁港はもとより、沿岸部に建つ家屋のほとんどが流失・半壊以上の被害を受けました。物心両面で受けた痛手の深さは計りしれません。
【Photo】港で収穫したばかりのワカメを芽カブ・茎ワカメとに手分けして切り分ける
警察庁が震災一年を控えた3月9日に発表した十三浜地区における犠牲者・行方不明者数は136。全校児童・教職員の8割にあたる84人が津波にのまれる惨劇の舞台となった大川小学校がある釜谷地区では、被災自治体の中で最も多くの犠牲者が出た石巻でも最多となる258名が亡くなっています。そこは十三浜で被災した185世帯が仮設住宅で避難生活を送る追波にっこりサンパークとは、北上川を挟んですぐ対岸にあります。過酷な状況に直面する十三浜で養殖ワカメの収穫が始まったという知らせが届いたのが2月末。そこで全国から寄せられた物心両面の支援に対する感謝と、地域復興を願う「福興祭」が行われた3月4日(日)、相川漁港を訪れました。
【Photo】洋上から見た十三浜・相川。背後には北上山地の南端にあたる山々が控え、生活排水を含まない良質な山の水が湾内へと流れ込む
現在も橋が流された個所があり、被災直後は石巻市北上総合支所や南三陸町戸倉方面と結ぶR398が随所で寸断され、完全に孤立した相川地区。1933年(昭和8)の昭和三陸津波で被災後、海抜約30mの高台に29世帯が集団移転した集団地に昨年の震災直前に完成した「相川子育て支援センター」が福興祭の会場となりました。そこは相川運動公園やにっこりサンパークに造られた仮設住宅への入居が完了した7月までは、相川・小指・大室の3地域の一次避難所となりました。
【Photo】私たちが乗船した佐々木昭一さん所有のホタテ養殖に用いる漁船
朝が早い浜ゆえ、早朝5時には漁に出るのが常。この日は午前11時からの福興祭に先立ち、朝9時から洋上でワカメの収穫体験を行うというので、佐々木昭一さん・昭繁さん親子の船に同乗させて頂きました。
それは地震発生直後、昭繁さんが舵をとって沖合まで避難させたホタテ養殖用のやや船体の大きな漁船でした。十三浜で津波の難をそうして逃れた船は被災前の3割にとどまります。この一年で窮状を知った全国各地の漁協などから数隻の漁船が十三浜に贈られましたが、操舵室が船の中央にある漁船は、甲板上の積み込みスペースが少なく、養殖漁業には不向き。延縄でのワカメ養殖には、小回りが利く小型船が適しますが、ワカメ養殖用の船は津波で失いました。そのため重油価格高騰の折、たった1艘だけ残った燃費効率の悪い船を使わざるを得ないのです。
【Photo】大海原へと向かう船上では自然と気持ちが高ぶる。ワカメ養殖のあらましと被災してからの胸の内を語って下さった佐々木昭一さんと舵を取る昭繁さん
ご一緒したのは、被災直後から十三浜の支援を行ってきた仙台友の会に所属するライターの小山厚子さん、同じく元ハウンドドッグのメンバーで、現在は水源地の環境保護に取り組むNPO法人「水守の郷・七ヶ宿」 〈Link to Website〉代表を務める海藤節生さんと同志の山形県高畠町から訪れたボランティアの人々ら男女18名。日差しはあるものの、洋上を吹き抜ける冷たい風に顔がこわばり、波をかき分けて進む船上で足元がおぼつかないライフジャケットを着用した参加者とは対照的に、大海原へと漕ぎ出す佐々木さん親子は、凛々しい海の男そのもの。
【Photo】港から1km以上離れると、海の青さが増してくる。紺碧の海の彼方に開けるのは北上川の河口。地盤沈下が著しい河口南側の長面湾手前のキャンプ場や海水浴場があった低地帯はことごとく水没した
「あそに津波で流された橋がそっくりそのまま沈んでいます」
船上で岩壁から100m以上離れた湾内を指さす昭一さんの目線の先には、南隣りの小泊集落へと向かうR398に架かっていた橋が沈んでいるのでした。津波で流された養殖施設や建物など、浜の暮らしで積み上げてきた全ての痕跡は、大量の瓦礫と化して海中に沈んでいたため、その撤去から始めた被災後のワカメ養殖。芽カブの種付けに着手できたのは、例年より一月ほど遅れた昨年11月でした。
【Photo】養殖ホタテの稚貝が入った網を海中からウインチで引き上げる昭一さん。成貝として出荷できるまで最低2年は要する。収益性が高いホタテ養殖には、幾層にも重なったカゴが必要で初期投資額がかさむ。そのため、海の男たちは3~4ヵ月で収穫できるワカメを主体に養殖再開にこぎつけた (※Photoクリックで別画像がOPEN)
ワカメを湯通し後に塩蔵するほとんどの加工・貯蔵施設が被災したため、相川や大室には白いテント張りの仮設加工所が援助によって作られました。それでも作業は思うようには捗らず、収穫期を迎えてもそのままの放置されたワカメも海上に散見されました。海水中にはワカメを食い荒らす水生生物もいるため、あまり長い期間に渡って海中に取り置くと商品価値が下落しかねません。相川漁港の沖合1.5kmまでが、漁業権があるそうですが、現状では借入金を増やすわけにもゆかないため、被災前の規模までは養殖施設を戻せないとのこと。「亡くなった多くの仲間にはこうした言い方は申し訳ないが、むしろ生き残ったことで辛い思いを一杯しました」と佐々木さんは語るのでした。

【Photo】ご多分に洩れず高齢化が進む十三浜・相川の漁師うちでは若手の佐々木昭繁さん
古タイヤの下半分をコンクリートで固め、フック状になった上半分に種付けするロープを通し、それが海上で水平になるよう浮き玉を付け、重量2tのアンカーとして海中へと投入したのが10月になってから。長さ100m~200m程度の延縄を等間隔に並べ直す作業も手間のかかる仕事です。その一角には、まだ小ぶりな養殖ホタテの延縄と、今季は漁を終えた秋鮭の定置網も設けられていました。こうした養殖施設が洋上の至るところにありましたが、今年は被災前の7~8割まで戻すのがやっとだったそう。
延縄ロープにびっしりと付着した色ツヤの良いワカメを茎部分から鎌で刈り取ると、あっという間にカゴは満杯に。ごく一部で再開した三陸の養殖ガキ生産者は、今シーズンのカキは生育が早かったと口を揃えましたが、これは津波によって陸地の養分が海水中に流入し、プランクトンが増加したことが一因と考えらます。ワカメも生育は順調で、収穫期が早い塩釜種や4月に収穫を行う岩手種ともに良好な作柄とのこと。

【Photo】長さ2m前後まで成長したワカメの延縄ロープにフックをかけ、電動ウインチで手繰り寄せる(左写真) ローブに張り付いた茎の根元から鎌で刈り取る参加者(右写真)※クリックで拡大
岩手では夏場に自生する天然ワカメの芽カブを採苗し、海中での培養を経て種付けを行います。1953年(昭和28)に牡鹿郡女川町小乗浜(このりはま)で日本初の養殖が始まったワカメ養殖技術発祥の地・宮城では、各地の漁協から種付け用の芽カブを購入してきました。夏場は海中の瓦礫処理に追われた今季は、県内の芽カブの絶対量が不足。そのため、南三陸から芽カブを購入していた青森市から10,000m分の種苗を無償提供されたほか、研究用に気仙沼の芽カブを保管していた徳島からは8,000m分、養殖ワカメ生産量日本一の岩手からも芽カブを調達。こうしてさまざまな地区の芽カブを種付けしたため、従来の十三浜ワカメとは幾分食感が異なるもの含まれるのだといいます。
【Photo】収穫したワカメから切り分けた芽カブ。独特の粘りがあり、さっと湯がいてからニンニク醤油でたたきにしても美味
放射性物質による海洋汚染を引き起こした東電による原発事故発生2ヵ月後の検査で、福島南部・いわき市沿岸で採取されたワカメから、暫定基準値の2.4倍もの放射性セシウムが検出されました。ワカメは1年生ゆえ、高濃度汚染水が流出した海域で育った昨年のワカメは既に枯死・融解しています。厚生労働省は、穀類・肉・魚・野菜など一般食品に適用する1kgあたり500ベクレル以下という従来の基準値を、今月から100ベクレル以下の規制値へと厳格化。今なお山積みされ復興の足かせとなっている瓦礫受け入れ拒否を叫ぶ人たちを見るにつけ、放射線に対する根強い不安を取り除く必要性を痛感します。

【Photo】コリコリした食感の茎ワカメを味噌と味醂風味に漬け込んだ漁師料理(左写真) すがすがしい生姜の香りが心地よい茎ワカメの浅漬け(右写真)
今なお払拭しきれない消費者の懸念に応えるべく、宮城県漁協十三浜支所では、残留放射線の数値について、国の定めよりも厳しい肉・卵20ベクレル、野菜・魚・加工食品50ベクレル以下という厳格な自主基準を設けている「生活クラブ連合」に検査を依頼しています。2週間ごとに実施される米国製NaIシンチレーションカウンターによる検査結果は、ヨウ素131・セシウム134・137について常に検出限界値(3~12ベクレル/kg)以下というもの。ちなみに岩手県漁連が検査を委託する機関の検出限界値は20ベクレル以下。十三浜ワカメの安全性は十分に担保されています。

【Photo】ホタテの稚貝が惜しげもなく入った味噌汁はうま味もたっぷり(左写真) 芽カブの和え物(右写真)
刈り取ったワカメは、漁港に戻ってから必要なだけを皆で分け合いました。犠牲者の冥福を祈る黙祷に始まった福興祭では、浜のお母さんたちが料理を準備して下さっていました。寄贈された太鼓と獅子頭のお披露目を兼ねて獅子舞が披露され、明るい笑顔が戻る中、用意された仕出し弁当と共に頂いたのが、茎ワカメの浅漬け・味噌を味醂で溶いて蕎麦つゆを加え半日漬け込んだ酒の肴にもピッタリな茎ワカメ・まだ小さな稚貝ながらホタテのうま味たっぷりの味噌汁、そして収穫したての生ワカメのしゃぶしゃぶ。採れたては濃い茶褐色のワカメをサッと湯がくと、鮮やかな緑色へと変わります。ぽん酢につけてコリコリした食感のワカメしゃぶしゃぶを一体何杯お代わりしたことでしょう。

【Photo】褐色の生ワカメをお湯でさっと湯がいた瞬間、鮮やかな緑色に変色する(左写真) ぽん酢で頂くわかめしゃぶしゃぶは、旬の走りならではの風味(右写真)
宮城に遅れること数日、生産量日本一の岩手でも収穫が本格化、養殖ワカメは収穫の最盛期を現在迎えています。加工所が壊滅した漁協は、保存がきく塩蔵ではなく、賞味期間が短い生ワカメで全量を出荷せざるをえないケースも少なくありません。生命の源である海のミネラル成分や食物繊維をふんだんに含む旬の採れたてワカメを楽しむなら今が好機。サラダでよし、しゃぶしゃぶでよし、味噌汁の具でもよし。毎日の食卓に欠かせない味噌汁ならば深い味わいの仙台味噌でどうぞ。庄内系らしからぬ(笑)こんな手前味噌で今回は締めくくるとします。



【Photo】ケイの「さんまつくだ煮」の詰め合わせ用パッケージには、代表の菅原義子さんの手になる大海原を行くサンマ漁船が描かれている
【Photo】お弁当に添付されるリーフレットには、支援に対する被災地からのありがとうの気持ちを綴った最優秀作5点のいずれかが収録される。悲しみの淵にあっても、人をおもんばかる投稿者の優しさに胸が熱くなること必至。幕の内弁当「ありがとうの詩」1,000円(税込)12月9日よりJR仙台駅売店・首都圏主要駅売店・こばやし本社ショールームで販売するほか、宮城県内での各種会合・会議にお届け可


【Photo】地盤沈下のため、気仙沼市魚町に建つケイの社屋前は、大潮の時期ということもあり冠水被害が著しかった
【Photo】気仙沼湾に係留されたサンマ漁船を前に「5年以内に後継者も見つけなきゃ」と語る菅原義子さん。御歳72とは思えないパワーにはいつも圧倒される
【Photo】本日11月10日(木)、恒例の「朝市夕市ネットワーク合同市」に今季初出荷となるセリを出品した三浦隆弘さん
【Photo】今シーズン初物となる三浦さんのセリ。来月にはシャキシャキした茎とゴボウのような風味がある根がもう一回り太くなる

クリーム色のメラミン樹脂製ランチプレート、先割れスプーン、カワイの肝油ドロップ、カセイの耳輪印ジャム、三角テトラパックの牛乳、当番が終わると洗濯をするため家に持ってゆく白衣・・・。同世代の方にとっては懐かしいであろう小学校時代の給食にまつわる記憶の品々です。
その唯一の例外が、気仙沼地域限定で不動の人気を誇る「クリームサンド」です。「気仙パン」とも呼ばれるクリームサンドは、今から50年ほど前に、気仙沼市新町にあった「奥玉屋」で産声を上げました。その発祥の地は、新鮮な三陸の酒肴、漁師町らしいぶっきらぼうな親方がカウンターの中からストライクで投げてくる!! おしぼり、瓶ビールは冷蔵ケースから客自身が持ってくるという独自のルール、帰りのお土産に頂くイカの切れ込み(塩辛)などで知られる名物居酒屋「いろり」の近くでした。
【Photo】生地に練りこんだ黒糖がピーナッツクリームと絶妙のハーモニーを生む(フレッシュ製パン)
それは同社が「コンセプトリンク(株)フレッシュ製パン」と社名変更した翌年のこと。プレーン生地と黒糖配合生地の2種類がある同社のクリームサンドは、気仙沼市内のイオン、マルホンカウボーイといった商業施設のほか、三陸道河北IC近くのR45沿いにある「道の駅 上品(じょうぼん)の郷」などで購入することができます。
クリームサンドには、もうひとつの製造元が存在します。書体は異なるものの、白地にグリーンの文字と乳牛のイラストというパッケージの基本デザインは共通の「気仙沼パン工房」製のものです。長年に渡ってクリームサンド作りに携わってきた熟練の職人が加わることで、「昔懐かしい味がする」と口コミが広がり、こちらも気仙沼市民の支持を得てゆきます。後発の気仙沼パン工房が、パッケージデザインを踏襲した事実からも、いかにクリームサンドが広く行き渡っていたかが分かります。
「気仙沼の味として親しまれてきたクリームサンドを地元で復活させたかった」と語るのは、かつて気仙沼製パンで働いていたという気仙沼パン工房の鈴木秀子代表。定番のプレーン生地のほか、黒糖配合生地と黒ごまを加えた生地が後に加わり、最近ではコーヒークリーム・栗クリーム・くるみクリームといった独自の
【Photo】全国屈指のヒラメ釣りのメッカでもある万石浦は、宮城県内では唯一、津波による被害を受けなかった。2011年9月、船上でカキ養殖棚の手入れをする万石浦の漁師
【Photo】高政「開店記念セット」笹かまぼこ(吉次2枚・石持2枚)揚げかま(上からプレーン「たかまさ」具だくさんの「海老」「五目」「貝柱」)一口サイズの「ぷちあげ」で1,000円のお買い得価格

【Photo】笹かまぼこ製造ラインが2セット、揚げかまぼこが3セットの新工場は従来の4倍の製造能力を備える
高政 女川本店「万石の里」 

【Photo】追波湾に流れ着く
生まれて初めて心ゆくまで味わう甘味にアキオは魅了されます。大好きなお菓子に生きる希望を託し、さまざまな人との出会いと別れを繰り返しながら、戦中戦後の混乱した時代を生き抜いてゆくアキオ。その健気な姿に被災地の明日を担う子どもたちをつい重ねて見てしまうのは、私だけではないでしょう。
ニックン・セイチャンのキャラクターでもお馴染みのソフトクリーム総合メーカー「日世」(本社:大阪府茨木市)は、切迫した被災地の状況が報道されていた3月下旬、社業を通じて復興を応援するという方針を打ち出します。ソフトクリームを製造するフリーザーを積み込んだ車で被災地に赴き、美味しいソフトクリームを無償で提供、避難生活を送る人々に笑顔を取り戻してもらおうという「日世ソフトクリームキャラバン」はこうしてスタートします。(※ 詳しくはコチラ⇒
【photo】つい目尻が下がる美味しい北海道ソフトクリームを仕事の合間に頂けるという思わぬプレゼントに時ならぬ長蛇の列ができた河北新報社本社1階の旧新聞用紙搬入ゲート
【photo】一時は製造が追いつかなくなるほどの盛況ぶりに、スタッフの方たちはフル回転
【Photo】贅沢な風味はまさにプレミアム。滑らかでコクのあるリッチな味わいの北海道ソフトクリーム
【Photo】
【Photo】桔梗長兵衛商店(写真中央奥)に納入するブドウを育てていた契約畑には新たな苗が植えられていた
道路を挟んだ海側に目を転じると、自衛隊が整地し、持ち主が土壌の除塩を行ったのでしょう、まばらに植えられたブドウの若木が育つ一角がありました。枝の剪定や蔓の誘引など、きちんと手入れがされています。自宅の片付け作業中だった畑の持ち主に声を掛けて話を伺うことができました。ワインと並ぶ桔梗長兵衛商店の看板商品だった葡萄液に加工する北米原産のブドウ「コンコード」を代々栽培してきたというご主人。被災した現在は仮設住宅に入居しながら、ブドウの世話をしているのだそう。宮城では唯一、栽培が綿々と行われてきたこの地域ならではのブドウに対する愛着を感じさせてくれました。
先ほどまでいた醸造所から見た桔梗さんの畑もまた、津波によって根こそぎにされていました。そこは、もはや雑草が繁茂する荒地としか目に映りません。予想だにしない言葉に促され、足を踏み入れたかつての畑は、雑草の根元が津波が運んだ塩分を含む海砂で覆われています。砂浜に生える草のような雑草は、膝まで埋まるほどの丈に伸びていました。
【Photo】津波の直撃を受け、塩害の影響があるにもかかわらず、強靭な生命力で試練を耐え抜いた桔梗さんのブドウ。青々とした葉を付けて実を結び、不死鳥のように枝を伸ばす先の空には、桔梗さんの不屈の遺志を表すかのようにハート型の雲がかかっていた
世界第3位・銅メダルの妙技。
【photo】イタリア各地はもちろん、アメリカ・ブラジル・日本・スペイン・フランス・イギリスなどからピッツァ職人世界選手権に出場した各国のピッツァイオーロ
【Photo】競技に臨む千葉 壮彦さん(左)と、昨年の世界最優秀ピッツアイオーロ牧島 昭成さん(右)
【photo】イタリア各地に広がる人脈を生かして義援金を募って下さった中川原まゆみさん〈撮影:渡邉 高士 氏〉
宮城県南では珍しい石窯で焼くピザと旬の素材で作る創作パスタ&ドルチェの隠れ家的なイタリアン。海岸から1km と離れておらず、平坦な地形が災いして津波の直撃を受けた店が全壊。
斜め向かいに建っていた「鹿落旅館」の崩壊で店に通じる道路が封鎖され、インフラも戻らず4月末まで休業。その間、目黒浩敬シェフは被災3県の支援が行き渡らない避難所に連日出向き、炊き出しに奔走。店を再開した今も依頼が入るため、取引先から一部食材の提供を受けながら、数百名単位の炊き出しを毎週のように継続中。
被災状況を伝える写真に、私からの
【Photo】津波によって陸上に打ち上げられ、5月23日にクレーン船でようやく海に戻された女川港船籍の遠洋マグロ延縄船「第3明神丸」(379トン・左)と、船首を除いて焼けただれた漁船(右)。写真奥が気仙沼市魚町周辺。4月9日撮影
【photo】被災後1ヵ月になろうとする4月9日、瓦礫と化した人の暮らしの痕跡や重油タンクが無残に散乱する気仙沼市魚町。この駐車場の右隣りにケイの建屋がある
【Photo】魚を知り尽くした元・網元が作るさんまつくだ煮。絵心のある奥様が描いた笑顔を振りまく「あみもとあみちゃん」が目印(右写真)
【Photo】素朴だけれど、たまらなく美味しいケイのさんまつくだ煮味付けは、醤油味と味噌味(写真)の二種類。無添加の味噌・醤油を作っていた市内の老舗「平野本店」が、津波被害を免れたのが救い
【Photo】気仙沼ならではのさんま佃煮の傑作は、こうして海の男が工房でじっくりと時間と手間をかけて作り出す。(上写真) 被災後初めて伺った当日はお会いできなかったものの、後日NHK仙台放送局の番組「被災地からの声」に登場、「あんまり頑張らずに頑張ります」と語った菅原 義子さん(右下写真・NHK番組画面より)
【Photo】気仙沼湾の目の前に建つケイ本社兼住宅。津波は建物2階の天井部分まで押し寄せ、菅原さんご夫妻は従業員ともども3階に逃れ命拾いをした
【Photo】ご夫妻の無事を知らせる走り書き
【photo】まさに「うつくしま ふくしま」。花盛りの福島市花見山(撮影:2010年4月24日)
【photo】福島名物「円盤餃子」
【photo】福島の生産農家が丹精込めたハウス栽培の青果物。極めて美味。なのに出荷できず廃棄せざるを得ないのが現状
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【photo】佐久商店のいかにんじん「錦秋」
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