あるもの探しの旅

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2012/04/07

三陸の宝・十三浜ワカメ ふたたび。

ワカメしゃぶしゃぶ@石巻市北上町十三浜

 東北最大の1級河川・北上川は、岩手県北部の西岳付近に端を発し、全国第4位の流域面積1万150㎡、同7位の河川延長249kmを有する大河です。宮城県登米(とめ)市津山町柳津(やないづ)で新北上川・旧北上川の二手に分かれた流れは、旧北上川が石巻市街地を抜け石巻湾へ、新北上川が同市飯野川で大きく左折し、追波湾で太平洋に注ぎ、その長い旅を終えます。


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 緑豊かな奥羽山脈と北上山地の間を南進して流れる北上川は、途中で雫石川・稗貫川・和賀川・迫川・江合川など多くの支流と合流します。山の養分を蓄えた滔々とした流れの最下流域では、河口から10km以上に渡って自生する葦(ヨシ)が、およそ120haにもなる国内最大級の葦原を形成しています。

 生活排水や産業排水などの河川への流入によって、窒素やリン成分が過剰に増えて富栄養化すると、海では赤潮発生の原因となります。水鳥や魚類の産卵場所ともなる多くの微生物が棲む葦原には、水の浄化作用があり、天然の浄化槽ともいえる新北上川の汽水域は、ベッコウシジミやマハゼ・サクラマスなどの良質な漁場となります。

kamiwarisaki_2009capodanno.jpg【Photo】平成の大合併で南三陸町と石巻市になった旧志津川町・戸倉村と旧北上町・十三浜村の境になる「神割崎」。伝説によると、昔は境界が曖昧なため、そこでは領地争いが絶えなかったという。大きな鯨が岩場に打ち上げられ、所有をめぐって両村民の間で諍いが起きたある夜のこと。天地を揺るがす雷鳴とともに落雷があった翌朝、鯨と巨岩が真っ二つに裂けていた。これを神の裁きと受け止めた村民らは、長年の領地争いに終止符を打った。この岩の左側が南三陸町、右側が石巻市北上町となる(上写真)
沖合に避難して助かった漁船が停泊する大室漁港 (下写真・クリックで拡大)

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 その北岸に当たる河口から南三陸町の景勝地「神割崎」に至るリアス式海岸特有の入り組んだ岩場と入江が続く13の集落(北から順に小滝・大指・小指・相川・小泊・大室・小室・白浜・長塩谷・立神・月浜・吉浜・追波)を総称する石巻市北上町十三浜は、良質なワカメ産地として知られます。岩手・宮城の三陸沿岸は、国内のワカメ生産のおよそ75%を賄う一大産地。北上川の河口に近く、藻類の生育に必要な珪素・窒素・リンといった栄養塩分が多い滋養豊かな親潮のもとで育つ南三陸「十三浜ワカメ」は、肉厚で弾力があり食味に優れることから、岩手田老の「真崎ワカメ」と並び称される逸品です。

13terre_harvest.jpg【Photo】収穫されたワカメを加工場に運び出す相川の漁師たち

 全国内生産高に占める養殖ワカメの割合は94%(2006年統計)。かつては海が荒れて打ち上げられた天然ワカメを採取する拾い漁でした。養殖漁業への転機となったのが、1960年(昭和35)のチリ地震津波。半世紀前に地球の裏側から押し寄せたこの津波で大きな打撃を受けた三陸地域振興のため、ギャンブル性の高い捕る漁業から安定した収入が得られる育てる漁業への移行が本格化します。当初の水平筏式から、現在三陸地域で広く採り入れられている延縄式養殖法の確立により、今日では養殖ワカメが主流となりました。

 共助の精神が根付く固い絆で結ばれた630世帯2,000人が暮らしていた十三浜。近年では、収益性の高い養殖ホタテやコンブ漁を主体に、サケの定置網漁や、アワビ・ウニといった海の恵みを糧として人々は暮らして来ました。これまで幾度となく津波被害に見舞われてきた地ゆえ、今回も迅速な避難誘導はなされたものの、収穫期に入ったばかりのワカメと養殖設備、漁船などの漁具、作業所、漁港はもとより、沿岸部に建つ家屋のほとんどが流失・半壊以上の被害を受けました。物心両面で受けた痛手の深さは計りしれません。

13terre_2harvest.jpg【Photo】港で収穫したばかりのワカメを芽カブ・茎ワカメとに手分けして切り分ける

 警察庁が震災一年を控えた3月9日に発表した十三浜地区における犠牲者・行方不明者数は136。全校児童・教職員の8割にあたる84人が津波にのまれる惨劇の舞台となった大川小学校がある釜谷地区では、被災自治体の中で最も多くの犠牲者が出た石巻でも最多となる258名が亡くなっています。そこは十三浜で被災した185世帯が仮設住宅で避難生活を送る追波にっこりサンパークとは、北上川を挟んですぐ対岸にあります。過酷な状況に直面する十三浜で養殖ワカメの収穫が始まったという知らせが届いたのが2月末。そこで全国から寄せられた物心両面の支援に対する感謝と、地域復興を願う「福興祭」が行われた3月4日(日)、相川漁港を訪れました。

13terre_aikawa.jpg【Photo】洋上から見た十三浜・相川。背後には北上山地の南端にあたる山々が控え、生活排水を含まない良質な山の水が湾内へと流れ込む

 現在も橋が流された個所があり、被災直後は石巻市北上総合支所や南三陸町戸倉方面と結ぶR398が随所で寸断され、完全に孤立した相川地区。1933年(昭和8)の昭和三陸津波で被災後、海抜約30mの高台に29世帯が集団移転した集団地に昨年の震災直前に完成した「相川子育て支援センター」が福興祭の会場となりました。そこは相川運動公園やにっこりサンパークに造られた仮設住宅への入居が完了した7月までは、相川・小指・大室の3地域の一次避難所となりました。

13terre_barca.jpg【Photo】私たちが乗船した佐々木昭一さん所有のホタテ養殖に用いる漁船

 朝が早い浜ゆえ、早朝5時には漁に出るのが常。この日は午前11時からの福興祭に先立ち、朝9時から洋上でワカメの収穫体験を行うというので、佐々木昭一さん・昭繁さん親子の船に同乗させて頂きました。

 それは地震発生直後、昭繁さんが舵をとって沖合まで避難させたホタテ養殖用のやや船体の大きな漁船でした。十三浜で津波の難をそうして逃れた船は被災前の3割にとどまります。この一年で窮状を知った全国各地の漁協などから数隻の漁船が十三浜に贈られましたが、操舵室が船の中央にある漁船は、甲板上の積み込みスペースが少なく、養殖漁業には不向き。延縄でのワカメ養殖には、小回りが利く小型船が適しますが、ワカメ養殖用の船は津波で失いました。そのため重油価格高騰の折、たった1艘だけ残った燃費効率の悪い船を使わざるを得ないのです。

13terre_2.jpg【Photo】大海原へと向かう船上では自然と気持ちが高ぶる。ワカメ養殖のあらましと被災してからの胸の内を語って下さった佐々木昭一さんと舵を取る昭繁さん

 ご一緒したのは、被災直後から十三浜の支援を行ってきた仙台友の会に所属するライターの小山厚子さん、同じく元ハウンドドッグのメンバーで、現在は水源地の環境保護に取り組むNPO法人「水守の郷・七ヶ宿」 Link to Website代表を務める海藤節生さんと同志の山形県高畠町から訪れたボランティアの人々ら男女18名。日差しはあるものの、洋上を吹き抜ける冷たい風に顔がこわばり、波をかき分けて進む船上で足元がおぼつかないライフジャケットを着用した参加者とは対照的に、大海原へと漕ぎ出す佐々木さん親子は、凛々しい海の男そのもの。

13terre_3_1.jpg【Photo】港から1km以上離れると、海の青さが増してくる。紺碧の海の彼方に開けるのは北上川の河口。地盤沈下が著しい河口南側の長面湾手前のキャンプ場や海水浴場があった低地帯はことごとく水没した

 「あそに津波で流された橋がそっくりそのまま沈んでいます」
 船上で岩壁から100m以上離れた湾内を指さす昭一さんの目線の先には、南隣りの小泊集落へと向かうR398に架かっていた橋が沈んでいるのでした。津波で流された養殖施設や建物など、浜の暮らしで積み上げてきた全ての痕跡は、大量の瓦礫と化して海中に沈んでいたため、その撤去から始めた被災後のワカメ養殖。芽カブの種付けに着手できたのは、例年より一月ほど遅れた昨年11月でした。

13terre_4.jpg 【Photo】養殖ホタテの稚貝が入った網を海中からウインチで引き上げる昭一さん。成貝として出荷できるまで最低2年は要する。収益性が高いホタテ養殖には、幾層にも重なったカゴが必要で初期投資額がかさむ。そのため、海の男たちは3~4ヵ月で収穫できるワカメを主体に養殖再開にこぎつけた (※Photoクリックで別画像がOPEN)
 
 ワカメを湯通し後に塩蔵するほとんどの加工・貯蔵施設が被災したため、相川や大室には白いテント張りの仮設加工所が援助によって作られました。それでも作業は思うようには捗らず、収穫期を迎えてもそのままの放置されたワカメも海上に散見されました。海水中にはワカメを食い荒らす水生生物もいるため、あまり長い期間に渡って海中に取り置くと商品価値が下落しかねません。相川漁港の沖合1.5kmまでが、漁業権があるそうですが、現状では借入金を増やすわけにもゆかないため、被災前の規模までは養殖施設を戻せないとのこと。「亡くなった多くの仲間にはこうした言い方は申し訳ないが、むしろ生き残ったことで辛い思いを一杯しました」と佐々木さんは語るのでした。
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【Photo】ご多分に洩れず高齢化が進む十三浜・相川の漁師うちでは若手の佐々木昭繁さん

 古タイヤの下半分をコンクリートで固め、フック状になった上半分に種付けするロープを通し、それが海上で水平になるよう浮き玉を付け、重量2tのアンカーとして海中へと投入したのが10月になってから。長さ100m~200m程度の延縄を等間隔に並べ直す作業も手間のかかる仕事です。その一角には、まだ小ぶりな養殖ホタテの延縄と、今季は漁を終えた秋鮭の定置網も設けられていました。こうした養殖施設が洋上の至るところにありましたが、今年は被災前の7~8割まで戻すのがやっとだったそう。

 延縄ロープにびっしりと付着した色ツヤの良いワカメを茎部分から鎌で刈り取ると、あっという間にカゴは満杯に。ごく一部で再開した三陸の養殖ガキ生産者は、今シーズンのカキは生育が早かったと口を揃えましたが、これは津波によって陸地の養分が海水中に流入し、プランクトンが増加したことが一因と考えらます。ワカメも生育は順調で、収穫期が早い塩釜種や4月に収穫を行う岩手種ともに良好な作柄とのこと。

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【Photo】長さ2m前後まで成長したワカメの延縄ロープにフックをかけ、電動ウインチで手繰り寄せる(左写真) ローブに張り付いた茎の根元から鎌で刈り取る参加者(右写真)クリックで拡大

 岩手では夏場に自生する天然ワカメの芽カブを採苗し、海中での培養を経て種付けを行います。1953年(昭和28)に牡鹿郡女川町小乗浜(このりはま)で日本初の養殖が始まったワカメ養殖技術発祥の地・宮城では、各地の漁協から種付け用の芽カブを購入してきました。夏場は海中の瓦礫処理に追われた今季は、県内の芽カブの絶対量が不足。そのため、南三陸から芽カブを購入していた青森市から10,000m分の種苗を無償提供されたほか、研究用に気仙沼の芽カブを保管していた徳島からは8,000m分、養殖ワカメ生産量日本一の岩手からも芽カブを調達。こうしてさまざまな地区の芽カブを種付けしたため、従来の十三浜ワカメとは幾分食感が異なるもの含まれるのだといいます。
 13terre_7.jpg【Photo】収穫したワカメから切り分けた芽カブ。独特の粘りがあり、さっと湯がいてからニンニク醤油でたたきにしても美味

 放射性物質による海洋汚染を引き起こした東電による原発事故発生2ヵ月後の検査で、福島南部・いわき市沿岸で採取されたワカメから、暫定基準値の2.4倍もの放射性セシウムが検出されました。ワカメは1年生ゆえ、高濃度汚染水が流出した海域で育った昨年のワカメは既に枯死・融解しています。厚生労働省は、穀類・肉・魚・野菜など一般食品に適用する1kgあたり500ベクレル以下という従来の基準値を、今月から100ベクレル以下の規制値へと厳格化。今なお山積みされ復興の足かせとなっている瓦礫受け入れ拒否を叫ぶ人たちを見るにつけ、放射線に対する根強い不安を取り除く必要性を痛感します。

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【Photo】コリコリした食感の茎ワカメを味噌と味醂風味に漬け込んだ漁師料理(左写真) すがすがしい生姜の香りが心地よい茎ワカメの浅漬け(右写真)

 今なお払拭しきれない消費者の懸念に応えるべく、宮城県漁協十三浜支所では、残留放射線の数値について、国の定めよりも厳しい肉・卵20ベクレル、野菜・魚・加工食品50ベクレル以下という厳格な自主基準を設けている「生活クラブ連合」に検査を依頼しています。2週間ごとに実施される米国製NaIシンチレーションカウンターによる検査結果は、ヨウ素131・セシウム134・137について常に検出限界値(3~12ベクレル/kg)以下というもの。ちなみに岩手県漁連が検査を委託する機関の検出限界値は20ベクレル以下。十三浜ワカメの安全性は十分に担保されています。

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【Photo】ホタテの稚貝が惜しげもなく入った味噌汁はうま味もたっぷり(左写真)  芽カブの和え物(右写真)
 
 刈り取ったワカメは、漁港に戻ってから必要なだけを皆で分け合いました。犠牲者の冥福を祈る黙祷に始まった福興祭では、浜のお母さんたちが料理を準備して下さっていました。寄贈された太鼓と獅子頭のお披露目を兼ねて獅子舞が披露され、明るい笑顔が戻る中、用意された仕出し弁当と共に頂いたのが、茎ワカメの浅漬け・味噌を味醂で溶いて蕎麦つゆを加え半日漬け込んだ酒の肴にもピッタリな茎ワカメ・まだ小さな稚貝ながらホタテのうま味たっぷりの味噌汁、そして収穫したての生ワカメのしゃぶしゃぶ。採れたては濃い茶褐色のワカメをサッと湯がくと、鮮やかな緑色へと変わります。ぽん酢につけてコリコリした食感のワカメしゃぶしゃぶを一体何杯お代わりしたことでしょう。
 
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【Photo】褐色の生ワカメをお湯でさっと湯がいた瞬間、鮮やかな緑色に変色する(左写真) ぽん酢で頂くわかめしゃぶしゃぶは、旬の走りならではの風味(右写真)

 宮城に遅れること数日、生産量日本一の岩手でも収穫が本格化、養殖ワカメは収穫の最盛期を現在迎えています。加工所が壊滅した漁協は、保存がきく塩蔵ではなく、賞味期間が短い生ワカメで全量を出荷せざるをえないケースも少なくありません。生命の源である海のミネラル成分や食物繊維をふんだんに含む旬の採れたてワカメを楽しむなら今が好機。サラダでよし、しゃぶしゃぶでよし、味噌汁の具でもよし。毎日の食卓に欠かせない味噌汁ならば深い味わいの仙台味噌でどうぞ。庄内系らしからぬ(笑)こんな手前味噌で今回は締めくくるとします。

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2011/12/03

復活宣言

絶品「さんまつくだ煮」を再び@気仙沼

 盆暮れの家人の里帰りなどで、年間に何度か気仙沼を訪れる私がこれまで試した中で、最も美味しいサンマ佃煮の造り手としてご紹介した(有)ケイ。「自分や家族が食べるものなら、安心できない素材は使わないでしょ?」と語るのは、魚の扱いを知り尽くした元・網元の菅原 啓さん・義子さんご夫妻。

kei_sanma.jpg 【Photo】ケイの「さんまつくだ煮」の詰め合わせ用パッケージには、代表の菅原義子さんの手になる大海原を行くサンマ漁船が描かれている

 地元の味噌醤油醸造元「平野商店」が、化学調味料や防腐剤などを使用せずに仕込んだ味噌と醤油で、素材のうま味を手間を惜しまず引き出すケイの「網元逸品 さんまつくだ煮」は、海と共にある漁師町・気仙沼の心意気を示します。

 3.11直後、情報が寸断して混乱した状況下、気仙沼を襲った大津波の映像を見るにつけ、気仙沼湾に面した魚町に建つケイの社屋兼住居に暮らす菅原啓さん、義子さんご夫妻の安否が気にかかっていました。その無事を知った顛末は、「海の男は不屈だった」Link to backnumberでご紹介した通り。

kobayashi_osechiS.jpg【Photo】東日本大震災で被災したものの、復興に向けて歩み出した食品加工業者・生産者の製品を積極的にメニューに取り入れた「㈱こばやし」のおせち新聞広告※Photoクリックで拡大

 それから半年を経た9月初旬、仕事で気仙沼を訪れる機会がありました。仙台のお弁当製造会社「こばやし」が、被災企業支援のため、来年のおせちと本日12月3日に東京駅で先行発売される新商品「ありがとうの詩(うた)」に使う具材の製造元を訪れ、少しずつでも事業を再開し、復興に向けて歩み出した姿を取材するというものでした。

bento_grazie.jpg【Photo】お弁当に添付されるリーフレットには、支援に対する被災地からのありがとうの気持ちを綴った最優秀作5点のいずれかが収録される。悲しみの淵にあっても、人をおもんばかる投稿者の優しさに胸が熱くなること必至。幕の内弁当「ありがとうの詩」1,000円(税込)12月9日よりJR仙台駅売店・首都圏主要駅売店・こばやし本社ショールームで販売するほか、宮城県内での各種会合・会議にお届け可

 「ありがとうの詩」は、国内外から寄せられた支援に対する被災地からの感謝の言葉をしたためた詩を河北新報社が募集、詩集や曲として発売し、売り上げを被災地復興に役立てようという企画です。被災3県から460点以上の応募があり、最優秀に選ばれた5作品が本日の河北新報朝刊18面に掲載されています。優秀作の45点も、今後随時朝刊紙上で発表して参ります。

 企画趣旨に賛同し、本日先行発売されたこばやしの新商品には、最優秀5編のいずれかが、具材を提供した6つの生産者紹介とともに入っています。いずれも心に響く言葉が並ぶ秀作揃い。来週9日(金)には仙台駅店頭にも並ぶとのこと。被災地域支援のため、県に売り上げの一部を寄託するというこの新商品。作り手の顔が見える具材ともども、くれぐれもかみしめてお召し上がりください。

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【Photo】稼働したばかりの新工場で取材に応じて頂いた女川町「蒲鉾本舗 高政」菊地繁志工場長の取材風景(左写真) 万石浦に面した加工場が被災したものの、アワビの養殖を再開した石巻市「ヤマサ正栄水産」阿部正栄社長(右写真)

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 さて、時折激しい雨が降るあいにくの空模様となった取材当日。訪れたのは活アワビ柔らか煮を提供する石巻市「ヤマサ正栄水産」、御膳蒲鉾穴子の製造元・女川町「蒲鉾本舗 高政」、そして4月に被災見舞いに伺った際、流されなかったさんまつくだ煮をお土産に頂いてしまった気仙沼「ケイ」の3社。偶然にもその日の朝食に並んだのが、頂戴したのち冷凍保存していたケイのさんまつくだ煮・醤油味でした。

【Photo】被災前に作ってあったというケイのさんまつくだ煮醤油味が、偶然にも訪れる日の朝食として食卓に並んだ

 地殻変動により平均70cm前後の地盤沈下に見舞われた南三陸地域にあって、ケイは気仙沼湾に面した魚町に社屋があります。伺ったのが大潮の時期だったこともあり、津波に耐えた鉄筋3階建てのケイの社屋は、夕刻になると海水が基礎部分までヒタヒタと上がって来るのでした。

kei_2011,09,01.jpg【Photo】地盤沈下のため、気仙沼市魚町に建つケイの社屋前は、大潮の時期ということもあり冠水被害が著しかった

 難を逃れた菅原ご夫妻と久々の再会を果たした後、建屋の3階で話を伺うことができました。かつては事務室として使っていた1階部分を仮設の加工場に改装、保健所の許可を得てプロパンガスを熱源に佃煮の製造を一部再開する段取りであること、少し離れた場所に小さな加工場を新たに設ける予定であることを伺いました。

2011.09.01yoshiko_sugawara.jpg【Photo】気仙沼湾に係留されたサンマ漁船を前に「5年以内に後継者も見つけなきゃ」と語る菅原義子さん。御歳72とは思えないパワーにはいつも圧倒される

 目黒さんま祭など、首都圏で開催される物産市でも多くの固定ファンを獲得しているケイのさんま佃煮。ほかでは真似のできない美味しさであるケイの佃煮をまた食べたいという声に背中を押されたと語る義子さん。「津波に負けてはいられない。もう歳だけど、あと5年は頑張ろうと思うようになったのよ」と語ります。その力強い言葉を伺ったのち、サンマ船やカツオ漁船が接岸する桟橋へ移動して撮影となりました。

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 取材を終え、帰りしなに頂いたのが、地元の酒蔵「角星」に依頼され、「がんばろう...けせんぬま!」の手書き文字入りラベルを絵心のある義子さんが描いたという「金紋両国 吟醸酒」。気仙沼産の酒造好適米「蔵の華」を使ったその酒を、菅原さんは支援してくれた方たちへの返礼に贈っているのだそう。

【Photo】義子さんお手製ラベルの「金紋両国」には、仲睦まじいご菅原夫妻のようなイキの良さそうなサンマと颯爽と海原をゆくサンマ漁船が描かれている。背景に見える法被(はっぴ)は、かつて網元だったご主人・菅原 啓さんと義子さんに知り合いが大漁旗を加工して贈ったもの

 一昨日、宮城県庁1階ホールで行われていた気仙沼物産市で、ケイのさんまつくだ煮を売っているところに被災後初めて出くわしました。義子さんのように元気な網元あみちゃんのパッケージを目にした私は、嬉しさのあまり思わず大人買い。久々のさんまつくだ煮は、ケイが製造を再開した暁に祝杯を上げようと取っておいた義子ラベルの金紋両国の酒肴として感慨深く頂きました。

 ささやかな復活を果たしたケイ。水産関連業などの事業再開の知らせが届くようになった一方、皮肉なことに被災地への関心は薄れるばかりです。3.11から間もなく9カ月を迎えようという被災地をいま訪れると、瓦礫の撤去は確かに進んでいます。それでも厳しい雇用環境が続く中、生活再建の目途すらつかない方たちが大勢いらっしゃいます。被災地域の自立のためには、もはや施しだけではなく事業再建に向けて立ちあがった人々を支えることが肝要。これからも末長いご支援をお願いします。

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さんまつくだ煮 (有)ケイ
住:気仙沼市魚町2-5-17
Phone:0226-22-0327 Fax:0226-22-3331
E-mail:sanmakei@yahoo.co.jp

◆さんまつくだ煮(味噌味・醤油味) 各420円 化粧箱入りもあります

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2011/11/10

祝・初出荷。仙台せり

香り高き和製ハーブ「仙台せり」
 @朝市・夕市ネットワーク合同市

 宮城県内の農漁業者50名ほどで構成されるNPO法人「朝市夕市ネットワーク」(本部:仙台市)では、毎月1回、生産者が直接対面販売を行う定期合同市を開催しています。会場は仙台市青葉区の勾当台市民広場。頻繁に催しが行われるそこでは、今週も8日・9日の2日間、県内各地から自慢の鍋料理が揃った「仙臺 鍋まつり」Link to websiteが催され、多くの人出で賑わいました。

takahiro_miura.jpg【Photo】本日11月10日(木)、恒例の「朝市夕市ネットワーク合同市」に今季初出荷となるセリを出品した三浦隆弘さん

 有機農法で栽培された新鮮な農産物や、私が知る限りにおいて三陸随一の美味しいワカメ産地である石巻市北上町十三浜の漁業者、糖度15度にもなる県産ミヤギシロメの豆乳と伊豆大島のにがりで作る濃厚な豆腐など、いずれ劣らぬこだわりの生産者が集います。15年に渡って開催されている催しだけに、固定ファンが多く、午前中には売り切れることも珍しくありません。ゆえに可能な限り早めに足を運ぶようにしています。


 東日本大震災では、朝市夕市ネットワーク加盟生産者のうち10名ほどが命を落としたり、漁具を津波で失うなどしました。灌漑施設が津波で壊滅したため、コメの作付を見送った生産者もおり、春先は合同市の開催を見送らざるを得ないこともありましたが、夏以降は出店可能なメンバーが出店するようになりました。

seri1_miura.jpg【Photo】今シーズン初物となる三浦さんのセリ。来月にはシャキシャキした茎とゴボウのような風味がある根がもう一回り太くなる

 仙台市役所で打ち合わせを終えた今日、目の前の勾当台市民広場で合同市が開催されていました。震災前の半分ほどの出店数ではありましたが、旬の新鮮な作物やこだわりの加工品類が並んでいます。ざっと見渡した中に、河北新報朝刊に連載された「食でつなごう」執筆者の一人で、名取市下余田の専業農家・三浦隆弘さん(31)の顔がありました。現在は地域SNS「ふらっと」 Link to websiteで、被災後の東北の声を発信する「オピのおび」ブロガーとしてお世話になっています。

 ミョウガタケ、セリ、仙台長ナスといった特徴ある在来作物が作られる名取市下余田地区は、震災で多くの犠牲者が出た閖上(ゆりあげ)から2kmほど内陸側に位置します。堤防のような盛り土構造の仙台東部道路のお陰で、津波による直接の浸水被害はありませんでしたが、農業用水の確保に欠かせない灌漑施設が壊滅したため、コメの作付ができなかったといいます。

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 名取川水系の豊富な地下水脈を利用して江戸初期から下余田地区周辺で栽培されてきたセリは、宮城が全国一の生産量(2010年)。その大方が名取で栽培されています。およそ40軒の農家が一斉にセリの植え付けを行うのが3月から4月。寒さが増す年の瀬に出荷のピークを迎えます。ハゼの焼き干でダシをとった澄まし汁に千切りにした凍り豆腐・ゴボウ・ニンジン・大根といった野菜にハラコ(イクラ)とともにトッピングされるセリは、伝統的な正月料理「仙台雑煮」の具として無くてはならないもの。ここ数年、三浦さんが仕掛け人となった「せり鍋」や「せりしゃぶ」といった新メニューも登場しています。

 7代続くセリ農家を継いだ三浦さんは、子どもやその親に農業生産現場を知ってもらうため、2004年(平成16)に「なとり農と自然のがっこう」を開講。削減対象農薬や化学肥料を使わない有機農法を通して、食べる人の安全に配慮した持続可能な農業に取り組んできた三浦さんにとって大きな心配の種となったのが、東京電力福島第一原子力発電所の放射線漏れ事故でした。原発から85kmの下余田で暮らす三浦さんは、震災直後から複数の線量計を常に携帯、今日も3台の線量計を合同市に持参していました。

 先月末、東京の専門調査機関に根付きの状態で送って検査を依頼したセリの残留放射性物質検査の結果は、放射性ヨウ素(I-131)・放射性セシウム(Cs-134・137)・放射性カリウム(K-40)とも、1kg当たり1ベクレル以下の測定可能下限値で測定されない「検出せず」というもの。国が定めた暫定基準値が2,000ベクレル以下ですから文句なしの結果です。これで出荷のメドがつきました。 

seri3_miura.jpg【Photo】東京電力福島第一原発事故の影響が気になる方は、こちらをご確認の上、安心してお召しあがり下さい。東京の専門機関に委託した検査報告書のコピー ※Photoクリックで拡大

 蔵王からの冷たい風が吹き抜けるセリ畑の水は冬でも12~13℃ほど。腰まで水に浸かって全て手作業で行われる収穫作業は、否応なしに体温を奪ってゆきます。寒さが募るこれからの最盛期から見れば、まだ茎や根が細く、香りも優しいセリですが、まずはおひたしにで旬の到来を感じたのでした。

 秋田が生んだ魚醤の傑作「しょっつる」で味付けするきりたんぽ鍋の主役は、日本海の荒波を乗り越えてやってくるハタハタですが、隠れた主役の座にあるのが三浦さんのセリ。今年もこのかぐわしい和製ハーブとともに季節が巡ってくることに感謝しつつ、この週末は鶴岡でいよいよ公開される在来作物の生産者を追った山形発ドキュメンタリー映画「よみがえりのレシピ」Link to Website公開初日に向けて庄内入りです。

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2011/10/01

「気仙パン」は不滅です

郷愁をそそる菓子パンのマスターピース
 「クリームサンド」(通称:「気仙パン」)@気仙沼

kesen_pan1.jpg クリーム色のメラミン樹脂製ランチプレート、先割れスプーン、カワイの肝油ドロップ、カセイの耳輪印ジャム、三角テトラパックの牛乳、当番が終わると洗濯をするため家に持ってゆく白衣・・・。同世代の方にとっては懐かしいであろう小学校時代の給食にまつわる記憶の品々です。

 現在は国内外からのお見舞いや激励のメッセージで埋め尽くされる仙台市役所1Fロビーですが、3.11以前は各種展示を行う市民ギャラリーの役割を果たしていました。そこでは年に1度、時代ごとの給食を再現して当時の写真とともに変遷ぶりを展示しており、懐かしそうに足を止める市民の姿がありました。 コチラを参照)

【Photo】気仙沼永遠のローカルフード「クリームサンド」126円(フレッシュ製パン)

 1976年(昭和51)に米飯給食が始まる以前は、第二次大戦後に日本を統治した農業大国でもある米国の戦略もあり、給食の主食はパンばかり。当時は食パンよりもコッペパンが多かったように記憶していますが、現在は月1回程度しかコッペパンの出番はないようです。表面にこんがりと焼きが入ったコッペパンを横から割いて、透明なビニールの小袋に入ったカセイのチョコスプレッドやイチゴミックスジャムをサンドして食べていた頃が懐かしく思い起こされます。大手メーカーによる寡占化とベーカリーの選択肢が増えた平成の世になってからは、"唯一の例外"を除いてコッペパンの姿をめっきり見かけなくなりました。

kesen_pan3.jpg その唯一の例外が、気仙沼地域限定で不動の人気を誇る「クリームサンド」です。「気仙パン」とも呼ばれるクリームサンドは、今から50年ほど前に、気仙沼市新町にあった「奥玉屋」で産声を上げました。その発祥の地は、新鮮な三陸の酒肴、漁師町らしいぶっきらぼうな親方がカウンターの中からストライクで投げてくる!! おしぼり、瓶ビールは冷蔵ケースから客自身が持ってくるという独自のルール、帰りのお土産に頂くイカの切れ込み(塩辛)などで知られる名物居酒屋「いろり」の近くでした。

【Photo】オリジナルのクリームサンドに加え、21世紀を迎えて以降に登場した「黒糖クリームサンド」126円(フレッシュ製パン)

 クリームサンドは、横に切れ目が入ったコッペパンに、ピーナツクリームが挟まった素朴なパンで、気仙沼出身者であれば、誰もが一度は口にしているのだといいます。ピーナツクリームとはいえ、1960年(昭和35)に誕生した「SONTON(ソントン)」のピーナツクリームのように、ピーナツバターの風味が勝ったものではなく、ホイップクリームが程よく配合された秘伝の黄金比率がキモ。元祖の奥玉屋が店を畳んだ後、クリームサンドの製造を引き継いだのが、近くの古町にあった「気仙沼製パン」。気仙沼市本吉町出身の家人によれば、気仙沼周辺の小売店・スーパーの店頭にあまねく気仙パンは並び、広く浸透していたそうです。

kesen_pan2.jpg【Photo】生地に練りこんだ黒糖がピーナッツクリームと絶妙のハーモニーを生む(フレッシュ製パン)

 初めて私がこのパンと出合ったのは、学校給食を卒業して久しい'90年頃だったでしょうか。「懐かしい~」と言いながら気仙沼市内の大型店で家人が手にした白い包装のパンには、緑色のレトロな文字で商品名と乳牛のイラストが印刷されていました。仙台出身の私にとっては、初めてだけど何故か懐かしい印象を与えるそのパンは、味もまた郷愁をそそるのでした。以来、クリームサンドと後に登場する黒糖クリームサンドは気仙沼を訪れるたび、二度三度と( ̄皿 ̄;購入するマストアイテムとなりました。

 気仙沼製パンが1990年代半ばに倒産、職人がそのまま移る形でその味はJR気仙沼駅近くで1995年(平成7)11月に創業した「フレッシュ製パン」に引き継がれます。私が初めて気仙沼でこのパンと出合った頃のパッケージにはなかった「気仙沼発」という、気仙沼ローカルフードとしての明確な宣言が後にパッケージに追加されました。現在2名代表制を敷く同社の最高経営責任者のお母様、高橋まさ子さんによれば、区画整理のため住まいがあった桃生郡河北町(現・石巻市)飯野に移転したのが2001年(平成13)。

kesen_pan4.jpg それは同社が「コンセプトリンク(株)フレッシュ製パン」と社名変更した翌年のこと。プレーン生地と黒糖配合生地の2種類がある同社のクリームサンドは、気仙沼市内のイオン、マルホンカウボーイといった商業施設のほか、三陸道河北IC近くのR45沿いにある「道の駅 上品(じょうぼん)の郷」などで購入することができます。

【Photo】パッケージングはフレッシュ製パンと似ているものの、パン生地表面に皺が寄ったのが特徴の気仙沼パン工房のクリームサンド(右)と黒糖クリームサンド(左)ともに126円

hideko_suzuki.jpg クリームサンドには、もうひとつの製造元が存在します。書体は異なるものの、白地にグリーンの文字と乳牛のイラストというパッケージの基本デザインは共通の「気仙沼パン工房」製のものです。長年に渡ってクリームサンド作りに携わってきた熟練の職人が加わることで、「昔懐かしい味がする」と口コミが広がり、こちらも気仙沼市民の支持を得てゆきます。後発の気仙沼パン工房が、パッケージデザインを踏襲した事実からも、いかにクリームサンドが広く行き渡っていたかが分かります。

【Photo】今年のお盆時期に訪れた気仙沼パン工房の店頭に建つ鈴木秀子さん。地元の味を懐かしむ帰省客のため、休み返上で店を開けていると顔がほころぶ

kesen_pan5.jpg 「気仙沼の味として親しまれてきたクリームサンドを地元で復活させたかった」と語るのは、かつて気仙沼製パンで働いていたという気仙沼パン工房の鈴木秀子代表。定番のプレーン生地のほか、黒糖配合生地と黒ごまを加えた生地が後に加わり、最近ではコーヒークリーム・栗クリーム・くるみクリームといった独自のラインナップを増やしています。市内本郷の目抜き通り沿いにある店舗兼工場は津波で浸水しましたが、現在は営業を再開。地元資本のスーパー片浜屋のほか、(本来126円の商品が1個150円で売られているため私は手を出しませんが)仙台市青葉区のサンモール一番町で週末に開催されるマルシェジャポンでも販売されます。

【Photo】気仙沼パン工房のクリームサンド(右)と黒糖クリームサンド(左)

 ひとつひとつ職人がハンドメードする気仙沼発のクリームサンド。原材料にさまざまな添加物が加わるオートメーション化された大手のパンとは異なり、製造日から2日もすると、生地が硬くなりますが、そんな時はレンジで軽くチンすれOK。両社を食べ比べると、生地の見た目や食感がやはり異なります。B級なれど永久に気仙沼地域で愛されるであろうクリームサンド。お好みの味を探してみては?
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コンセプトリンク株式会社 フレッシュ製パン
住:石巻市飯野字大筒前東1番14-2
Phone:0225-62-0047
URL:http://www.cream-sand.com/
E-Mail:info@cream-sand.com

気仙沼パン工房
住:気仙沼市本郷9−3
Phone:0226-22-5121
URL:なし

2011/09/17

女川再生への第一歩

がんばっぺ女川
蒲鉾本舗 高政 女川本店「万石の里」開店

 昨日の河北新報朝刊TV面には、黒地を背景にうっすらキツネ色に焼きあがった美味しそうな笹かまぼこの写真が掲載されました。それは宮城県牡鹿郡女川町の蒲鉾店「高政」(高橋正典社長)が、9月1日に稼動した新工場内に昨日開店させた本店「万石の里」誕生を告げる広告です。 ※(クリックで拡大)

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 一見、何気ない新店OPENの広告ですが、そこには震災で町の8割が壊滅した地元・女川の再生にかける高政の決意が込められています。その熱き思いを示すかのように湯気がうっすらと立ち上る蒲鉾の写真に魅せられた私は、自宅近くのスーパーにある高政の売り場に直行、笹かまぼこと揚げかまぼこがお買い得価格でセットされた「開店記念セット」をゲットしたのでした。うー、広告効果抜群!?


大きな地図で見る

 高政の本社工場がある万石浦は、石巻市渡波から女川へと向かうJR石巻線沿いに広がる内海です。外海に面した開口部が250mほどしかなく、津波による被害が甚だしかった石巻と女川の境界にありながら、宮城県内では唯一ほとんど津波被害を受けませんでした。そのため、カキやホタテの養殖いかだが無傷で残っています。

mangokuura_2011.9.1.jpg【Photo】全国屈指のヒラメ釣りのメッカでもある万石浦は、宮城県内では唯一、津波による被害を受けなかった。2011年9月、船上でカキ養殖棚の手入れをする万石浦の漁師

 とはいえ、入り江が深く切れ込んだ女川湾に面して建っていたマリンパル女川の外壁だけを残して町の中心部を壊滅させた津波は、R398沿いでは最も高台となった同町旭ヶ丘付近をも越えて万石浦方向へと抜けて行きました。高政の本社工場がある女川町浦宿浜は、万石浦の最深部にあたり、標高が比較的高い場所だったため、建物が浸水被害を受けることはありませんでしたが、自宅にいた高橋政一会長ほか、従業員が津波の犠牲となりました。

takamasa_kaitenkinenset.jpg【Photo】高政「開店記念セット」笹かまぼこ(吉次2枚・石持2枚)揚げかま(上からプレーン「たかまさ」具だくさんの「海老」「五目」「貝柱」)一口サイズの「ぷちあげ」で1,000円のお買い得価格

 被災前はおよそ40軒の水産加工業者が町を支えていた水産の町・女川にあって、元々は新鮮な魚のすり身を製造するのを本業としていた高政。現社長の祖父で創業者の高橋政助氏が鮮魚商を始めたのが1937年(昭和12)。自社ブランドの蒲鉾で市場に参入したのは1994年(平成6)からと、県内の大手かまぼこ製造業者の中では後発組と言ってよいでしょう。

 それでも素材を扱ってきた長い経験を活かし、すり身を加工する段階で魚肉の純度を上げるために通常は3回繰り返す「水晒し」工程を多くても2回までに留め、噛めば噛むほど原料の吉次やイシモチなどの風味が味わえる独自の製法を編み出しました。仙台市内の老舗百貨店に直営店を構えて以降、贈答用としても全国の百貨店・大手スーパーとの取引を開始、順調に業績を伸ばしています。

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【Photo】高級白身魚の代名詞「吉次」を使った高政の肉厚な笹かまぼこ。上品でふんわりとした素材の持ち味を生かすため、焼きは弱めに入れるのだという。そのままガブリ!

 「会社は地域の皆んなによって生かされている」が口ぐせだった政一会長の遺志を受け、正典社長を先頭に応急修理で復活させた製造ライン1系統で、冷蔵していたすり身から揚げかまぼこの製造を再開したのが3月28日。揚げたてのかまぼこ延べ10万食以上を避難所で配布しました。冷たいおにぎりしか口にできなかった当時、通常の5割増の厚さに仕上げた善意のかまぼこは、笑顔を忘れていた被災地に温かな心も届けていたのです。

takamasa_shinkoujyou.jpg 【Photo】笹かまぼこ製造ラインが2セット、揚げかまぼこが3セットの新工場は従来の4倍の製造能力を備える

 3.11と4.7に起きた震度6の揺れで製造設備に被害が出たため、4月18日に直営店舗での販売を再開したものの、製造ラインの一部だけで操業を強いられてきました。当初計画から3ヶ月遅れで新工場の「火入れ式」が行われたのが9月1日のこと。その日、石巻を経由して訪れた女川は、廃墟となった町が折からの猛烈な雨に打たれて一層くすんで見えました。その日私が女川を訪れたのは、事業再開に向けて歩みだした企業の食品を使ったお弁当の製品化しようという仙台のお弁当製造会社の取材に同行したため。

 ご対応いただいたのは社長のご子息で取締役企画部長の高橋正樹さん。製造工程でCO2を排出しない業界初となるオール電化工場は、旧工場の4倍の製造能力を備えています。食べる人の安心のため、スクリーニング放射線測定器を導入して原料の安全性を確認しています。この測定器は、一部で水揚げが再開した地元の漁師にも貸し出されるのだといいます。

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 地域復興のために取り組んだのが、新工場稼動によって使わなくなった隣接する旧工場と300tの収容能力を備えた冷蔵施設を被災した地元の同業者に無償で提供すること。あわせて今回の新工場・新本店の稼動によって、高政では52名を新規採用しました。町の中心部が建築制限区域に指定され、復興へのロードマップが見えてこない中、人口流出を少しでも食い止めるため、年度内に新卒者の採用を予定するなど、生き残った企業としての責務を果たすのだと正樹さんは力強く語りました。

【Photo】キツネ色になるまで焼き目を付ける「石持」笹かまぼこ。使う素材によって、焼き加減を変えるのも高政のこだわり

 最新鋭の製造ラインの見学コースが設けられた工場に併設される本店には、笹かまぼこの手焼き体験コーナーと揚げたてのかまぼこを頂ける一角を設置。数量限定「御膳蒲鉾」は本店でしか入手できない職人こだわりの逸品です。再起を目指す地元同業者の製品や「がんばっぺ女川! おだつなよ(=石巻地方で「いい気になるな」を意味する方言)津波」とプリントされたTシャツなども販売しています。

 16日から19日(祝)までの4日間はグランドオープンフェアを開催。毎日先着200名に工場で焼きたての笹かまぼこと「笹かませんべい」各1枚づつがプレゼントされるようです。この連休は石巻・女川へGo!!
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takamasa_mangoku.jpg高政 女川本店「万石の里」
住:宮城県牡鹿郡女川町浦宿浜字浜田21
Phone:0225-53-5411
営:8:30~18:30 不定休
駐車場:大型バス4台・乗用車20台
URL:http://www.takamasa.net/.
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2011/09/11

2011年・世界チャンプバリスタが来仙

念力で呼ばれてしまいました(笑)
 @ La Casa del Caffe Bal Musette

 スペシャルティコーヒーの持ち味を存分に、かつ手軽に味わうことができる唯一のツール「Aeropress エアロプレス《Link to backnumber 》」を昨年10月に入手した「La Casa del Caffe Bal Musette ラ・カーサ・デル・カッフェ・バル・ミュゼット」を訪れた今日の午後。仙台市の北部郊外に店があるため、平日は行く機会に恵まれない店の赤い扉を開いたのは久しぶりのことでした。

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 オーナーの川口バリスタには内緒ですが、ほんの5分前までは水を汲みに行くつもりで泉IC付近のR4を北に向かって走行中だったのです。それが何故か突如として気が変わり、隠し味の塩が味の幅を広げるバニラアイスにエスプレッソを加えたアッフォガート・サーレを注文していました。

 「こちらからご連絡しようと思っていたところに、先ほどお見えになったので、驚いてしまいました」と川口さん。マカロンに限らず最近続いている言霊現象が逆の形で表れたのでしょう。エスプレッソマシンの使い手として超一流の川口さん。最近はテレパシーの遣い手としても修行を積んでいるのかも。

 念力を使って川口さんが私に伝えたかった内容は下記を参照願います。
 http://balmusette.exblog.jp/14516734/

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 今年6月、南米コロンビアの首都ボゴタで開催されたワールド・バリスタ・チャンピオンシップ(以下WBCと略)で優勝したのは、中米エル・サルバドル出身のアレハンドロ・メンデス氏(当時23歳)。2000年の第1回モナコ大会以降、コーヒー生産国で初開催されたWBCで初めて消費国以外から優勝者が出たのです。

 通常、WBCの優勝者を招くには高額なギャランティが必要となります。アレハンドロは2001年にエル・サルバドルで死者1,149名・負傷者8,000名、150万人以上が被災した大地震が2度に渡って起きた際、日本から被災地に対して救援活動が行われた恩返しをする意味で、現在の勤務先である故国のカフェ「Viva Espresso」 の理解を得て報酬を求めずに来日するのだといいます。

 川口さんが念力で私だけではなく、世界チャンプまでも呼んだのかもしれない今回のチャリティイベントには、「コーヒー好きは皆友だち」を合言葉に集ったコーヒーショップの従業員、カフェオーナーから一般のコーヒー好きのメンバーが、東日本大震災の被災地に温かいコーヒーを届ける活動を展開した団体「Coffee Amigos (コーヒー・アミーゴス)」もサポートにあたります。

 Coffee Amigos にも参加し、大手コーヒー会社勤務時代に世界のコーヒー生産地を巡り、独立後の2008年には「Grand Cru Cafe グラン・クリュ・カフェ」なる新たなコンセプトの優れたコーヒー豆を発掘し続けるコーヒーハンター、Jose(ホセ)こと川島 良彰氏のセミナーも同日開催。WBCバリスタ世界チャンプの技とパフォーマンスにライブで触れることができるまたとないチャンス。プロフェッショナルのみならず、コーヒーを愛する方ならどなたでも歓迎とのこと。 Don't miss it!!
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アレハンドロ&ホセ川島ジャムセッション
日時:2011年9月27日(火)17:00~
会場:仙台コミュニケーションアート専門学校 第2校舎
    仙台市宮城野区榴ヶ岡4-11-20《JR仙台駅 東口より徒歩15分》
会費:5,000円 (収益はあしなが育英会の東北レインボーハウス建設資金に役立てられます)
定員:先着100名

◆お問合わせ・申し込みは
 musette@bal-musette.com に空メールを送信。送られてくるエントリーシートに必要事項を記入、再度返信でエントリー完了
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2011/09/10

ココロもトロけるソフトクリーム

あったかい気持ちをありがとう。
ソフトクリーム被災地キャラバン presented by 日世

okashi_1hourou.jpg【Photo】追波湾に流れ着く北上川河口域には、ベッコウシジミや十三浜のワカメなどを育む豊かな生態系を生む広大な葦原があった。津波でこの風景が一変する5ヶ月前の2010年10月11日、石巻ロケが行われた映画「エクレール・お菓子放浪記」より。74名もの児童が命を落とす痛ましい悲劇の舞台となった大川小学校はこのロケ地の対岸にある
©2011「エクレール・お菓子放浪記」製作委員会

 西村滋の自伝的小説を映画化した「エクレール・お菓子放浪記」《Link to Website 》のキャッチフレーズは「お菓子はやさしさを運んでくる。」エキストラとして出演した石巻市民の2/3が津波で命を落とし、跡形もなく全壊した映画館「岡田劇場」など、映画の随所に登場するメーンロケ地・宮城県石巻市の原風景の記憶は、今となっては映像の中に刻まれるだけとなりました。

hashiura_ishinomaki2011.9.jpg【Photo】石巻市北上町橋浦と釜谷地区を結ぶ新北上大橋は津波で一部が流出。橋が架かる東北最大の大河・北上川河口部の流域面積が日本一だった葦原も被災直後は壊滅と伝えられたが、再生が進みつつあり、ベッコウシジミ漁も残された船で再開した ※Photoクリックで拡大

 幼くして両親を亡くした主人公アキオ少年が、孤児院を脱走するも、空腹に耐えきれず菓子を盗んだところを刑事の遠山に見つかります。事情を察した遠山の取り計らいでアキオは少年院ではなく感化院に入所することになります。そんなアキオに遠山が差し出したのは二つの菓子パン。

okashi_2hourou.jpg 生まれて初めて心ゆくまで味わう甘味にアキオは魅了されます。大好きなお菓子に生きる希望を託し、さまざまな人との出会いと別れを繰り返しながら、戦中戦後の混乱した時代を生き抜いてゆくアキオ。その健気な姿に被災地の明日を担う子どもたちをつい重ねて見てしまうのは、私だけではないでしょう。
©2011「エクレール・お菓子放浪記」製作委員会

 エクレア(Éclair=フランス語読みでエクレール)が歌詞に出てくる童謡「お菓子と娘」をアキオに教える感化院の教師・陽子は、「あなたがお菓子になって、みんなの心を優しい気持ちにしてあげて」と諭します。思わず顔をしかめる辛さ、苦さ、酸っぱさとは違って、甘いお菓子は人を幸せな気持ちで満たしてくれるもの。

 今、被災地にお菓子を通した支援の輪が広がっています。

 江陽グランドホテル(仙台市青葉区)で9月4日(日)に催されたキリンビバレッジ主催「紅茶で笑顔を、ティーパーティー」には、避難生活を送る石巻市や女川町などの子ども243名と保護者220名が招待されました。同社の「午後の紅茶」とともに振舞われたのは、被災地から参加した45人の宮城県洋菓子協会加盟のパティシェが作る県産イチゴやブドウ・バナナなどを使ったフルーツケーキ。何かと不自由を強いられる避難生活を送る子どもたちは、顔を輝かせながら一心にケーキを食べていました。

nikkun_seichan.jpg ニックン・セイチャンのキャラクターでもお馴染みのソフトクリーム総合メーカー「日世(本社:大阪府茨木市)は、切迫した被災地の状況が報道されていた3月下旬、社業を通じて復興を応援するという方針を打ち出します。ソフトクリームを製造するフリーザーを積み込んだ車で被災地に赴き、美味しいソフトクリームを無償で提供、避難生活を送る人々に笑顔を取り戻してもらおうという「日世ソフトクリームキャラバン」はこうしてスタートします。(※ 詳しくはコチラ⇒ http://www.nissei-com.co.jp/dreamcar.jsp

 ソフトクリームが日本に初めて上陸したのは、戦後の厳しい食糧事情が続いていた1951年(昭和26)7月3日に神宮外苑で催された進駐軍主催のカーニバルだったとされます。アキオがお菓子に夢を託した時代、ソフトクリームを広く日本中に紹介したのが、日世です。朝鮮戦争の特需に沸く日本各地には、進駐軍からフリーザーが払い下げられてゆきました。百貨店の食堂やカフェで提供された甘くひんやりトロけるソフトクリームは、焦土と化した国土の再建に向けて走り出した日本人の心を捉えたのです。

dreamcar_nissei.jpg【photo】つい目尻が下がる美味しい北海道ソフトクリームを仕事の合間に頂けるという思わぬプレゼントに時ならぬ長蛇の列ができた河北新報社本社1階の旧新聞用紙搬入ゲート

 車両の改造を行うにも物資調達がままならない当時の状況を打開し、6月末に完成したのが特注の「日世ソフトドリームカー」です。津波で107名が犠牲となった宮城県七ヶ浜町の仮設住宅で500食を提供した6月29日(水)以降、太平洋側の東北3県にある学校・幼稚園・保育所・避難所などでたくさんの笑顔を届けてきたキャラバンご一行が、石巻での支援活動を終えた9月2日(金)の夕刻、被災地の報道機関として奔走する河北新報社員にも心和むひと時を贈りたいと、勤務先を慰問に訪れて下さいました。

nissei_freezer.jpg【photo】一時は製造が追いつかなくなるほどの盛況ぶりに、スタッフの方たちはフル回転

 「あの極限状況にあって新聞が届くとは思っていなかった」という声が多く寄せられた被災翌日。襲いかかる幾多の困難を乗り越えて被災実態を伝える朝刊をお届けできた要因のひとつが、市内泉区にある免震構造の印刷工場です。2003年(平成15)末に新工場が稼動する以前に輪転機が据え付けられていた本社社屋1階は、現在倉庫として使われています。17時過ぎ、社内アナウンスで、かつての新聞用紙搬入ゲートに日世ソフトドリームカーが到着したことが告げられると、あっという間に長い行列が。
 
 白と小麦色のソフトクリームのようなツートンカラーの車体に積み込まれたのは、毎時240個の製造能力を備えたサーバー2基。フル稼働する日世スタッフの方にご提供頂いたのは、業界のリーディングカンパニー日世が誇るプレミアムソフトの最高峰「ソフォーレ」と双璧をなす「北海道ソフトクリーム」。北海道の大自然が育んだ厳選された生乳と生クリームのみを原料に使用しているのだといいます。

hokkaidou_soft.jpg【Photo】贅沢な風味はまさにプレミアム。滑らかでコクのあるリッチな味わいの北海道ソフトクリーム

 上質なシルクのような滑らかな口どけとともに乳脂肪分8%、無脂乳固形分10%の濃厚なミルクの甘さが口腔を満たしてゆきます。プレミアムというだけあって、コクのあるまったりとした味わいは感動もの。現在の「伊達なソフトクリーム」になる以前、大崎市岩出山「あ・ら・伊達な道の駅」で出していた忘れがたいROYCEソフトクリームをも凌駕する贅沢な味わいを楽しみました。

 思いもかけぬプレゼントに大喜びの女性社員はもちろん、日頃は時間に追われ眉間に皺をよせた男性の同僚たちも、ソフトクリームを手にすると自然と笑みがこぼれてきます。翌日は仙台市内の被災地域にある保育所や公園でソフトクリームの提供活動を行う予定だという日世ソフトクリームキャラバンのスタッフの方たちの優しさと、思えば震災発生後は初めて口にするソフトクリームの際立った美味しさに感激もひとしおでした。

 たくさんのやさしい気持ちを運んで下さった日世ソフトクリームキャラバンの皆さん、本当にありがとうございました。
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2011/08/13

不死鳥のごときブドウ

桔梗さんは津波に屈しない

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 3月11日から5ヶ月を経た今月11日、福島と県境を接する宮城県亘理郡山元町では、町主催の合同慰霊祭が行われました。その模様が、昨日の河北新報朝刊で報じられています。

 16,600人の町民のうち、710名が死亡、7名が行方不明となった山元町。1,600名が参列した慰霊祭で「お別れの言葉」を述べた遺族代表2人のうちのひとりが、同町で1902年(明治35)に創業し、宮城県内唯一の自家詰めワイナリー「桔梗長兵衛商店」の当主で津波の犠牲となった桔梗 幸博さん(54)の奥様、理恵さんでした。

uva_kikyo.jpg【Photo】
震災発生から5ヵ月目を迎えた8月11日、同町山下中学校体育館でしめやかに行われた山元町合同慰霊祭(上写真)
ワイナリー周辺に咲く花を描くのが好きだったよし子さんが描いたブドウの絵(左写真)。基礎だけが残る玄関跡に落ちていたので、屋根が残る醸造所に移しておいた

 ご主人と義母のよし子さん(79)を今回の震災で亡くした理恵さんは、「2人の無念を思うと涙が止まらないが、生かされた命を大切にし、精一杯生きてゆきたい」と言葉を詰まらせながら祭壇に向かって呼びかけました。

 当日、同じく合同慰霊祭を行った亘理町から山元町にかけての津波が襲った耕作地では、土壌の除塩作業に協力しあう人の姿を多く目にしました。汚れちまった悲しみに覆い尽くされた被災地にも、かつての日常を取り戻そうという人々の努力によって、少しずつ変化が生まれています。

uva_yamamoto.jpg【Photo】桔梗長兵衛商店(写真中央奥)に納入するブドウを育てていた契約畑には新たな苗が植えられていた

 その日、被災後初めて訪れた桔梗長兵衛商店は、記憶の中にあるかつての姿と重ね合わせるのが不可能なほど様相が変わっていました。うず高く積まれた瓦礫置き場の向かいにある桔梗さんのお住まいは基礎部分が残るだけで、醸造施設だけがかろうじて姿を残すのみ。

 花好きだったよし子さんのスケッチブック・充填機・ビンなどが砂に混じって散乱する内部は、あの日から時間が止まったかのよう。宮城県内唯一の歴史あるワイナリーを襲った過酷な現実を目のあたりにし、改めて胸が締め付けられます。犠牲となったお2人のご冥福を祈って手を合わせました。

【Photo】桔梗屋の葡萄液ことブドウジュース

succo_uva.kikyo.jpg 道路を挟んだ海側に目を転じると、自衛隊が整地し、持ち主が土壌の除塩を行ったのでしょう、まばらに植えられたブドウの若木が育つ一角がありました。枝の剪定や蔓の誘引など、きちんと手入れがされています。自宅の片付け作業中だった畑の持ち主に声を掛けて話を伺うことができました。ワインと並ぶ桔梗長兵衛商店の看板商品だった葡萄液に加工する北米原産のブドウ「コンコード」を代々栽培してきたというご主人。被災した現在は仮設住宅に入居しながら、ブドウの世話をしているのだそう。宮城では唯一、栽培が綿々と行われてきたこの地域ならではのブドウに対する愛着を感じさせてくれました。

 そして桔梗さんのことに話が及ぶと、思いもかけない言葉を私は耳にしたのです。

  「桔梗さんが育てていたブドウが何本か残っているよ」

uva2_yukihiro.jpg 先ほどまでいた醸造所から見た桔梗さんの畑もまた、津波によって根こそぎにされていました。そこは、もはや雑草が繁茂する荒地としか目に映りません。予想だにしない言葉に促され、足を踏み入れたかつての畑は、雑草の根元が津波が運んだ塩分を含む海砂で覆われています。砂浜に生える草のような雑草は、膝まで埋まるほどの丈に伸びていました。

【Photo】破壊された醸造所(写真奥)に隣接する桔梗さんのブドウ畑。一面の雑草が生い茂る荒地と化したと思いきや...

uva_yukihiro.jpg uva3_yukihiro.jpg【Photo】津波の直撃を受け、塩害の影響があるにもかかわらず、強靭な生命力で試練を耐え抜いた桔梗さんのブドウ。青々とした葉を付けて実を結び、不死鳥のように枝を伸ばす先の空には、桔梗さんの不屈の遺志を表すかのようにハート型の雲がかかっていた

 根をしっかりと張った古木ゆえ、たとえ津波で根こそぎにされず残っていても、塩害で立ち枯れしているのだろう。そう思いつつ歩みを進めた私は、ブドウの樹の前で目を疑いました。なんとブドウは青々とした葉を付けていたのです。もはや世話をする人がいなくなったため、枝と蔓が複雑に絡まりあってはいますが、中には小さな緑の房を結んだ樹すらあります。

 「よくぞ耐え抜いて...」思わず私はブドウに語りかけていました。生活のすべてを無残に破壊し、醸造家の命まで奪った大津波。過酷な状況を不死身の生命力をもってして乗り越え、逞しく生き抜いたブドウを前にして、さまざまな想いが去来しました。

 合同慰霊祭で理恵さんが誓った通り、大学で醸造を専攻する娘さんら残された家族4人で精一杯これからの人生を歩んでいくことでしょう。天国に召された幸博さんとよし子さんが、その歩みを先代と幸博さんが大切に育ててきたブドウの葉陰からきっと見守ってくれるはずです。

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2011/07/23

アクロバットもスゴイんです

プルチネッラ.jpg世界第3位・銅メダルの妙技。
飛ばして、回して、回って、回る~ 夢想花ならぬ
夢想ピッツァ@Pizzeria Padrino

 本場ナポリの味を伝える「真のナポリピッツァ協会」認定店の証しである道化プルチネッラの看板を、私の気持ちの中では既に掲げている「Pizzeria Padrino ピッツェリア・パドリーノ」〈Link to backnumber〉。イタリア・ナポリから5月にやって来るはずだった認定審査員が、震災と原発事故のため来日を取りやめたため、宮城初の認定店誕生は秋に延期となりました。Twitter で庄イタをフォローして下さっている方にだけは、一次審査をパスした時点で、店名を伏せてつぶやいていましたが。

 本登録に向けた肩慣らしを兼ねてか、プリモ・ピッツァイオーロの千葉 壮彦(たけひこ)さんが、先月ナポリ郊外の町「Nolaノラ」にある大規模な商業施設内で開催された「PizzaFesta ピッツァフェスタ」の「X Campionato mondiale del pizzaiuolo 第10回ピッツァ職人世界選手権(通称:Trofeo Caputo カプート杯)」に出場しました。

全員集合.jpg【photo】イタリア各地はもちろん、アメリカ・ブラジル・日本・スペイン・フランス・イギリスなどからピッツァ職人世界選手権に出場した各国のピッツァイオーロ

 「Associazione Pizzaiuoli Napoletani ナポリピッツァ職人組合」が主催するこの競技会には、イタリア本国はモチロン、北米・南米・ヨーロッパ各国など世界中から腕自慢のPizzaiuolo(ピッツァイオーロ=ピッツァ職人)が参加します。メイン競技となるピッツァナポレターナS.T.G.部門で、昨年イタリア人以外で初優勝したのが、名古屋市中区にある真のナポリピッツァ協会認定店「Cesari チェザリ」牧島 昭成さん。

東北魂.jpg【Photo】競技に臨む千葉 壮彦さん(左)と、昨年の世界最優秀ピッツアイオーロ牧島 昭成さん(右)

 ナポリピッツァ本来の姿を追求する牧島さんが在籍するチェザリは、ピッツェリア・パドリーノと同じくセルフサービスを導入、直径25cmのマリナーラを350円、マルゲリータ550円という、あっぱれなナポリ現地価格で提供。いつも長蛇の行列が絶えないのだといいます。

 現在のところ3人しかいない「ナポリピッツァ世界大使」としてナポリピッツァ職人組合から任命された牧島さんは、本場の味を多くの人に楽しんでもらおうと、ナポリピッツァを提供する店が無い空白地域や今回の震災被災地に赴き、移動式の薪窯で焼きたてを無償提供する「夢ピッツァ」活動も実践しています。

     

 全国から駆けつけた35人のピッツァイオーロによる宮城県山元町・亘理町などで行われた炊き出しには、地元からピッツェリア・パドリーノ千葉さんや車に窯を積んだ移動ピッツェリア「ベルテンポ」荘司 洋典さんらが参加。東北からは盛岡「Piace ピアーチェ」八柳 達彦さん、横手市十文字町「こじこじ」佐藤 直樹さん、鶴岡「緑のイスキア」庄司 祐子さん・健人さん〈Link to backnumber〉らが参加。食を通して被災地の子どもたちを支援しようというOne Life Japan プロジェクト発起人のサルヴァトーレ・クオモ氏と協力して七ヶ浜町や南相馬を訪れるなど精力的に活動。今後は石巻や陸前高田での炊き出しも予定しているとのこと。

日本ブースにて.jpg

 第9回大会で世界最優秀ピッツアイオーロの称号を手にした牧島さんの余勢を買い、国外では最大規模となる40名のピッツァイオーロが今年エントリーしたのが日本。千葉さんは、独学でマスターしたというアクロバット部門にエントリーしました。なでしこジャパンの世界一達成という偉業に隠れてしまった格好ですが、結果は3位。

 先日、14時前にピッツァ・マリナーラを食べに行った際、オネダリをして銅メダルの妙技を披露してもらいました。忙しい時間を除けば、練習用の生地でその技を快く見せて頂けるかもしれません。純粋にエンターテインメントとして、専用のピザ生地を回転させながら観客に向かって投げ飛ばすThrow Dough なるパフォーマンスとして変化させたアメリカのような国もありますが、ピッツァは食べてなんぼ。パフォーマンスだけをお願いするのはご遠慮くださいね(笑)。まずは下記動画でその技をご覧下さい。

  

 焼いて良し、飛ばしてよし、回してよしのこの見事な腕前。ナプレの香坂師匠やナポリのDi Matteo だけでなく、海老一染之助・染太郎師匠にも弟子入りしてたんじゃ...。(「Bravo!!」と声を掛ければ、いつもより余計に回してくれるはず)

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Pizzeria Padrino ピッツェリア・パドリーノ
住:仙台市青葉区上杉2-1-50 勝山館1F
Phone:022-222-7834
営:昼11:30~15:30 夜17:30~20:30
  月曜定休(祝日の場合は翌日休)
URL:http://www.shozankan.com

2011/06/18

Colletta per Giappone (イタリアから届いた義援金)

Gent.mi italiani
Come ben saprete abbiamo subito danni distruttivi a causa del terremoto e dello Tsunami: dove abito nella provincia di Miyaghi, nei paesi vicini all provincia di Iwate e nella stupenda costa della provincia di Fukushima.
Sono passati quasi 3 mesi ma la situazione è ancora molto critica in tutta la zona colpita.
Credo che sarà davvero molto difficile la situazione ancora per molto tempo anche solo per trovare le forze di riprendersi, nonostante molte persone cerchino di sollevare quelle persone che hanno perso un membro della famiglia o che hanno perso la casa e tutto il denaro, o che sono hanno dovuto trasferirsi lontano dalla propria città a causa del problema della centrale nucleare di Fukushima.
In questa situazione così critica, ho avuto la piacevole notizia dalla Sig.ra Mayumi Nakagawara (la quale da giornalista ha pubblicato 2 libri sui vini italiani che amo perchè riesce a comuncare bene il fascino dei vini) di questa intenzione di raccogliere fondi dalle cantine italiane, da giornalisti del settore e da associazioni italiane per cercare di sostenerci.
Come Voi italiani avete ricostruito il vostro Paese dopo la seconda guerra mondiale, anche Noi giapponesi non possiamo arrenderci a questa orribile calamità naturale come ci ricordano le generazioni dei nostri genitori che hanno saputo ricostruire miracolosamente a seguito dei numerosi incendi causati dalle bombe durante la seconda guerra mondiale, oltre alla terribile bomba atomica di Hiroshima, città che oggi si è popolata di 1.000.000 di persone e vanta della presenza della sede centrale dell'azienda di automobili MAZDA, famosa in tutto il mondo.
Noi siamo sicuri di rinascere anche grazie alla vostra cortesia.Mi auguro che potremo fare un brindisi con un calice di vino italiano e con il sorriso grazie a persone preziose che ci stanno aiutando in un periodo così doloroso.
9 Giugno,2011
Hiroto Carlo KIMURA (日本語の原文はコチラ【pdf】


イタリアワイン関係者からの義援金

m_nakagawara.jpg【photo】イタリア各地に広がる人脈を生かして義援金を募って下さった中川原まゆみさん〈撮影:渡邉 高士 氏〉

 中部イタリア、エミリア・ロマーニャ州Bologna ボローニャ在住のワインジャーナリスト中川原まゆみさんからメールが届いたのが4月21日。東日本大震災に関するニュースが、連日イタリア国内で報道されていた頃です。被災地の惨状に心を痛めた中川原さんが、ワイン生産者や生産組合、ジャーナリスト仲間らに声を掛けて集めたという総額11,515ユーロの義援金の送り先に関して情報がほしいという内容でした。以前、中川原さんの著作をご紹介したこともあり、何かお役に立つのなら、喜んでお引き受けする旨をお返事しました。

 日本円に換算して130万円ほどの募金を被災したレストランや酒販店に直接届けたいというのが中川原さんのお申し出でした。状況を探るため心当たりに直接打診したほか、被災地の支局に勤務経験のある同僚記者にも動いてもらいました。東北一円を営業エリアとしてカバーするイタリア食材専門のインポーター「モンテ物産」ほか、イタリアワインを多く扱う卸業者にも情報提供を求め、特に被害がひどかった岩手・宮城・福島の3県の候補から、最終的に下記5店に義援金を贈ることにしました。

◆ 「レストランまるみつ」 岩手県宮古市藤の川
 岩手短角牛を用いたハンバーグが人気の宮古湾に面した南欧風レストラン。被災状況はオーナーソムリエ古舘 英樹さんのブログで。http://ariv.blog.so-net.ne.jp/2011-03-20 
 

「レストランまるみつ」周辺の状況をGoogleマップで見る

◆ 「Ozio オッツィオ」  宮城県亘理郡山元町山寺
Ozio_yamamoto.jpg 宮城県南では珍しい石窯で焼くピザと旬の素材で作る創作パスタ&ドルチェの隠れ家的なイタリアン。海岸から1km と離れておらず、平坦な地形が災いして津波の直撃を受けた店が全壊。店のHPには、映画界に復帰したシュワルツェネッガー元カリフォルニア州知事のような石川オーナーのメッセージがひと言。「I'll be back ... 」

◆ 「ぱぴハウス2号店・3号店」 宮城県多賀城市および同山元町坂元
 社会福祉法人「臥牛三敬会」が、障害をもつ若者の就労支援施設として運営するイタリアンレストラン。両店舗とも津波により大きな被害clicca quiを受けた。

◆ 「Al Fiore アル・フィオーレ仙台市太白区向山
alfiore_distribuito.jpg 斜め向かいに建っていた「鹿落旅館」の崩壊で店に通じる道路が封鎖され、インフラも戻らず4月末まで休業。その間、目黒浩敬シェフは被災3県の支援が行き渡らない避難所に連日出向き、炊き出しに奔走。店を再開した今も依頼が入るため、取引先から一部食材の提供を受けながら、数百名単位の炊き出しを毎週のように継続中。

◆「Est Est エスト・エスト福島県いわき市平字堂ノ前
 イタリア風居酒屋。建物には大きな被害はなかったが、什器類が損壊。現在は営業を再開。

 食器やワインが割れた、平常営業ができずに売り上げが激減した・・・といった震災の影響は、程度の差こそあれ、ほぼ例外なくあったかと思います。原発事故により立ち入り禁止区域に指定され、いつ店を再開できるのか見通しが全く立たない店舗があることも承知しています。

 ヴェロネリが発行する著名なワイン評価本「I VINI DI VERONELLI」のテイスターとして知られるジジ・ブロッツォーニ氏など、イタリアワインに関わる方たちから寄せられた思いもかけぬ浄財。どこに渡るかも知れぬ赤十字経由ではなく、再起を期するイタリアワインのユーザーに直接お渡ししたいという中川原さんの真摯なお気持ちを生かすよう、中川原さんと相談の上で以上のような段取りをとった次第です。

514px-Michelangelo_Caravaggio_007.jpg 被災状況を伝える写真に、私からのメッセージを添えてイタリア語への翻訳をお願いした中川原さんにお送りし、今週ボローニャから義援金を送金して頂きました。津波による被害は、地震保険の対象外であり、公的な保障もされない中で、自発的に動いてくださった中川原さんと、それに応えてくれた人たちに改めて御礼を申し上げたいと思います。

【photo】ウフィッツィ美術館所蔵のカラヴァッジョ作「Bacchus バッカス」。今回義援金を寄せてくれた「I Giusti & Zanza イ・ジュスティ・エ・ザンツァ」が自社のワイン「Nemorino」のエチケッタに使っている。再起の1杯に

 最後は善意を受け取られた皆さんへの私からのお願いで締めくくるとしましょう。店舗再開の暁には、募金に協力して下さった生産者のワインで祝杯をどうぞ上げて下さい。さらには再開した店のワインリストに下記のワインを加えて頂ければ、被災地で暮らす皆が心優しき生産者のワインを楽しむことができます。イタリアワインを愛する者として、また今回の橋渡し役として、これに勝る幸せはありません。

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募金に協力頂いた主な生産者(括弧は輸入業者)
I Giusti & Zanza / Toscana (中島董商店)
 イ・ジュスティ・エ・ザンツァ / トスカーナ州ピサ県ファウリア
   *URL:http://www.igiustiezanza.it/
Fratelli Serio e Battista Borgogno / Piemonte (中島董商店)
 フラテッリ・セリオ・エ・バッティスタ・ボルゴーニョ / ピエモンテ州クーネオ県バローロ
   *URL:http://www.borgognoseriobattista.it/
Capovilla / Veneto (スリー・リヴァーズ)
 カポヴィッラ蒸留所 / ヴェネト州ヴィチェンツァ県バッサーノ・デル・グラッパ
   *URL:なし
Azienda Vinicola Pietracupa / Campania (ウインターローズ)
 ピエトラクーパ / カンパーニャ州アヴェリーノ県モンテフレッダーネ
   *URL:なし 
Stefano Ferrucci / Emilia-Romagna (アビコ)
 ステファーノ・フェルッチ / エミリア・ロマーニャ州ラヴェンナ県カステル・ボロニェーゼ
   *URL:http://www.stefanoferrucci.it/home.html
Bisol / Veneto (パシフィック洋行)
 ビゾル / ヴェネト州トレヴィーゾ県ヴァルドッビアーデネ
   *URL:http://www.bisol.it/
Tenuta San Francesco / Campania (テラヴェール)
 テヌータ・サン・フランチェスコ / カンパーニャ州サレルノ県トラモンティ
   *URL:http://www.vinitenutasanfrancesco.it/
Josephus Mayr / Trentino-Alto Adige (アビコ)
 ジョセフ・マイアー/ トレンティーノ=アルト・アディジェ州ボルツァーノ県コルネード・アッリザルコ
   *URL:なし

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2011/06/12

海の男は不屈だった@気仙沼

絶品サンマ佃煮の復活を祈って

kesennuma_myojinmaru.jpg 【Photo】津波によって陸上に打ち上げられ、5月23日にクレーン船でようやく海に戻された女川港船籍の遠洋マグロ延縄船「第3明神丸」(379トン・左)と、船首を除いて焼けただれた漁船(右)。写真奥が気仙沼市魚町周辺。4月9日撮影

 発生から3ヵ月が過ぎた東日本大震災。巨大津波が襲った三陸沿岸の被災地では、津波の爪痕と同様、心に受けた傷から必死に立ち直ろうとしています。23年分のゴミに相当するといわれる瓦礫の撤去は、2割ほどが仮置き場に移送されたに過ぎず、順次入居が始まった仮設住宅も、必要数の半分に過ぎない中で、被災者は生活再建に向けた長い道のりを歩み始めようとしています。

sakanamachi_2011.4.9.jpg【photo】被災後1ヵ月になろうとする4月9日、瓦礫と化した人の暮らしの痕跡や重油タンクが無残に散乱する気仙沼市魚町。この駐車場の右隣りにケイの建屋がある

 高濃度の放射能を含んだ冷却水が漏れ出して海洋汚染の懸念が高まる原子炉のメルトダウンという重大な事実を発表しなかった東京電力の姿勢には、怒りを通り越して呆れるばかり。国策として原発建設を推し進めた当事者である野党を含め、党内ですら政争に明け暮れる為政者たちは、復興の道筋すら示されず、焦燥感に駆られる被災者の声に耳を傾けるつもりはないのでしょうか。

 被災前、私が気仙沼を訪れると必ず買っていたものがあります。それは有限会社ケイの「網元逸品 さんまつくだ煮」。最初にその味を知ったのは、ご縁あって気仙沼市魚町に事務所を訪ねた5年ほど前。気仙沼湾に面した海岸沿い建つ加工場を備えた事務所兼住宅は、1897年(明治30創業)に創業した「菅長水産」時代のもの。幾艘もの漁船を率いる網元だった海の男、菅原啓さん、義子さん夫妻が営むケイの事務所でご馳走になったのがきっかけです。

【Photo】遠洋マグロ漁船の一大拠点であった気仙沼港(下写真)。燃料の高騰や漁獲量の減少などで往時の1/3以下に減船を強いられた。出港する大型サンマ船などを、乗組員の家族や市民が豊漁と航海の安全を祈って盛大に見送る「出船送り」の風習が昨年5月に復活。活気ある街を取り戻そうという試みが行われていた ※2011年1月、被災前の姿を写したPhoto クリックで拡大
kesennuma_2011.1.2 (2).jpgkei_sanma1.jpg 【Photo】魚を知り尽くした元・網元が作るさんまつくだ煮。絵心のある奥様が描いた笑顔を振りまく「あみもとあみちゃん」が目印(右写真)

 国内有数の遠洋マグロ延縄漁業拠点として栄えた気仙沼の海で生きてきた人らしく、青地に白い漁船のイラストをあしらった詰め合わせ用の青い箱は、素朴な手作り感溢れるもの。

 「どうぞ召し上がってみて」という義子さん。商品化して間もない2005年(平成17)、毎年大阪で開催される「全国水産加工たべもの展」に出品したケイのさんまつくだ煮は、水産物佃煮部門で最高賞の農林水産大臣賞、次点の水産庁長官賞に続く大阪府知事賞を受賞しています。全国から選りすぐった約3,000点の中から認められた気仙沼の逸品を勧められて遠慮する手はありません。

kei_sanma2.jpg【Photo】素朴だけれど、たまらなく美味しいケイのさんまつくだ煮味付けは、醤油味と味噌味(写真)の二種類。無添加の味噌・醤油を作っていた市内の老舗「平野本店」が、津波被害を免れたのが救い

 なるほど、それはそれまで食べた中では、間違いなくダントツに美味しく、それでいてどこか懐かしさを覚えるサンマの佃煮でした。天然素材だけを使う旨味が詰まった骨まで柔らかい佃煮は、常温でも温めても、最高のご飯のおかずとなります。そんな正直な感想をつい言ったものですから、同行した社の後輩ともども、温かいご飯まで奥様に持ってきていただき、すっかり恐縮したものです。

 漁場として世界でも稀な好条件が揃った三陸の海。気仙沼はリアス式海岸特有の入り組んだ地形の湾口に気仙沼大島があるため、波静かな天然の良港です。毎年秋、滋養豊富な親潮に乗って養分をたっぷりと体内に蓄えながら三陸沖を南下してきたサンマを集魚灯で集め、魚体へのダメージが少ない棒受網漁ですくい上げるよう捕獲します。

kei_sugawara.jpg【Photo】気仙沼ならではのさんま佃煮の傑作は、こうして海の男が工房でじっくりと時間と手間をかけて作り出す。(上写真) 被災後初めて伺った当日はお会いできなかったものの、後日NHK仙台放送局の番組「被災地からの声」に登場、「あんまり頑張らずに頑張ります」と語った菅原 義子さん(右下写真・NHK番組画面より)yoshiko-sugawara.jpg

 ケイで用いるサンマは水揚げ後すぐに氷漬けされ、マイナス40度で冷蔵されます。こうして鮮度を保ったサンマに下処理を加え、「すぐそこで作ってもらっているのよ」という醤油・味噌をベースに、みりん・日本酒・生姜・唐辛子で味を整え、照りを出す水飴を加えてじっくりと愛情込めて煮込みます。

 私のお気に入りは味噌味。旨味の塊のような味付けは真似のできない美味しさです。すっかり入れ込み、気仙沼魚市場前の海鮮市場「海の市」や、同市八日町の「横田屋本店《Link to Website》 」で購入するだけでなく、時には事前に菅原さんにお願いして業務用の大容量パッケージを事務所で譲って頂いたりもしました。

sugacho_suisan.jpg【Photo】気仙沼湾の目の前に建つケイ本社兼住宅。津波は建物2階の天井部分まで押し寄せ、菅原さんご夫妻は従業員ともども3階に逃れ命拾いをした

 気仙沼大島が防潮堤の役割を果たしたとはいえ、今回の津波は気仙沼市街地では、海抜12mの地点まで達しました。もともと水産会社だったケイの事務所は、観光桟橋がある気仙沼湾の最深部に位置し、海に面した場所にあります。電気が復旧してからTVで目にしたのが、鳴り響く警告音と避難を呼びかける防災無線の中、台風で増水した濁流のように気仙沼湾内に流入する津波の模様でした。その衝撃的な映像に安否が気になったのが菅原さんご夫妻のことでした。

 県がまとめた避難者名簿には名前が見当たらず、電話回線が遮断して安否が分からないまま、不安な気持ちでいた3月中旬、建物の2階まで押し寄せた津波を3階に避難して難を逃れた気仙沼市魚町の菅原啓という76歳の人物のコメントが、新聞に掲載されていることをネットで知りました。魚町近辺で3階建ての建物で命拾いをした同姓同名のほかの人物がいるとは思えません。この小さな記事でご主人の無事を確信しました。

messagio_sugawara.jpg【Photo】ご夫妻の無事を知らせる走り書き

 震災発生から1ヵ月近くを経た4月9日(日)、避難所へ生活物資を届けるために被災後初めて気仙沼入りした足でケイの事務所を訪れました。ダンボール紙にご夫妻の無事を知らせる走り書きのメッセージがあるそこにご夫妻はお留守でしたが、家を流されて3階で一緒に暮らしているという親戚の方から、被災当時の模様と、あみもとあみちゃんのようにいつもお元気な奥様が、事業再開に向けて張り切っていることを伺って安心しました。

 被災見舞いに伺ったにもかかわらず、津波に浸からなかった佃煮を私に下さる始末で、お渡ししようとしたお代は、どうしても受け取って頂けませんでした。事務所の泥かきをしている所に伺って、なんとも申し訳ないことをしました。同社のさんま佃煮に惚れ込み、人気の駅弁「宮城まるごと弁当」の一品として扱っていた弁当製造業の「株式会社 こばやし」(仙台市宮城野区)でも、具体的に動き出したケイの事業再開に合わせて絶品のさんまつくだ煮を具材に復帰させる予定とのこと。

 幾度となく荒海を乗り越えてきた網元ご夫妻のこと。再びあの味と出合える日がまた来ることでしょう。

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2011/04/16

This is real Fukushima 

風評被害に負けない! 福島

 新潟を含む東北ブロックで、唯一Viaggio al Mondo で取り上げていなかったのが福島です。正直、このような形で母の郷里について語るのは、忸怩たる思いです。

【Movie】3月21日にイタリア放送協会RAIのニュースチャンネルTG3が伝えた福島第一原発事故を巡るニュース「Fukushima, emergenza e speranza(=福島、緊急事態と希望)」

 この一ヵ月、Fukushima が世界の耳目を集めています。国際評価基準(INES)の暫定評価でレベル7という原発事故としては最悪の暫定評価となった事態を受け、EU諸国は日本からの輸入食品に安全性を証明する書類の添付を義務付けるよう求めています。

 人々の暮らしを根こそぎにする惨禍をもたらした地震と津波は抗いがたい天災ですが、東京電力福島第一原子力発電所で起きている事態は、地震への備えを怠った慢心が招いた人災といわざるをえません。資源の乏しい日本が、過剰なまでに膨大な電力の使用を前提に繁栄を謳歌するために、原子力発電は国策として推進されてきました。

hanamiyama_2010.4.jpg【photo】まさに「うつくしま ふくしま」。花盛りの福島市花見山(撮影:2010年4月24日)

 推進派の主張通りに原子力発電所が安全な施設なら、供給エリアに原発があっておかしくありません。年間総発電量の5%前後が失われる送電ロス削減のためにも、エネルギーの一大消費地である東京都心に造るべきです。

 にもかかわらず、国は巨額の交付金を還元してまで、産業基盤が限られた地方で原発建設を進めてきました。今回の事態を招いた東電を例に挙げれば、東京都心からおよそ200km離れた福島や新潟、現在建設が進む青森県東通村に至っては、550kmもの遠隔地です。こうした不条理なエネルギー政策を決定する経済産業省がある霞ヶ関や、東電本社がある内幸町から遠く離れた立地ばかり自己保身をするかのように選んだ理由は、今回の震災によって皮肉な形で白日のもととなりました。

enbangyoza_yamame.jpg【photo】福島名物「円盤餃子」

 チェルノブイリ原発事故の記憶から抱いてきた漠然とした不安は、今や現実として私たちの目の前にあります。対峙する放射能が目に見えない相手であることと、セシウムやヨウ素など放射線についての知識が、一般人には欠如していることが不安を増幅させています。東大病院で放射線治療を担当する専門家集団「チーム中川」によるブログやツイッターによる解説が、放射線がヒトに与える影響について分かりやすく解説しています。

                       ■ ブログ: http://tnakagawa.exblog.jp/
                       ■ ツイッター: http://twitter.com/#!/team_nakagawa

 かき菜やホウレンソウなど、3月中の検査で福島と茨城の葉物野菜の一部からヨウ素(I-131)やセシウム(Cs-137)などが検出されたことがセンセーショナルに報じられました。対象品目の残留放射性物質は、4月に入っていずれも基準値を下回るようになりました。大気中に放出された放射性物質の影響を受けにくいハウス栽培や、問題の原発から離れた産地の野菜は、安全性が確認されています。ここは、やみくもに恐怖心を抱くのではなく、正確な情報収集に努めて冷静な対応をしたいところ。

fragora_fukushima.jpg【photo】福島の生産農家が丹精込めたハウス栽培の青果物。極めて美味。なのに出荷できず廃棄せざるを得ないのが現状

 食品による健康被害を気にするのなら、栄養バランスや加工食品に使用される食品添加物の過剰摂取にこそ気を遣うべき。成長期の子どもの前でタバコを吸うなど、もってのほかです。ところが、食品衛生法が定める安全基準をクリアして出荷された生鮮品や乳製品の多くが、福島や茨城産というだけで買い叩かれ、一般消費者から敬遠され、売り場から姿を消しているのが実情です。原発の事態収拾の目処が立たない現状では、この状況がいつまで続くのか全く見通しがつきません。

 おそらくは長期化が避けられない逆境にあっても、決して負けない福島を発信する取り組みが始まっています。県観光物産交流協会が東京・東葛西に設置しているアンテナショップ「ふくしま市場〈Link to website〉」では、今月上旬から「東北大震災に負けるな! フェア」を実施、都内在住の県出身者らで賑わっている様子が報道されています。

 昨年10月、株式会社第一印刷(本社:福島市)の呼びかけに応じた福島県内の各業種30社ほどで発足したプロジェクト「福の鳥」は、世界に通用する新たな地域ブランドを創出しようというもの。同プロジェクトでは、焼き鳥や牛乳味噌鍋などを新たな名物に育てようと活動してきました。
 ForzaFukushima.jpg  ■ 「がんばっぺ! 福島」トップページURL: http://fukunotori.com/fight/index.html

 県土面積が全国第3位と広い福島は、原発から半径30km以内に設定されている自主的避難を求める「緊急時避難準備区域」外の放射線による健康への心配がないエリアがほとんどです。原発事故が引き起こした風評被害の広がりを受けて、プロジェクトでは桜の名所として知られる福島市の「花見山」を第一弾として取り上げるなど、福島の魅力を紹介するサイト「がんばっぺ! 福島」を立ち上げました。

ganbatte-zzoi.jpg【photo】
例年、多くの花見客で賑わう福島市の桜の名所「花見山」で開催を予定していたという物産市。今回の事態を受け、会場を急遽仙台に移して実施した。山形県米沢市でも今月中に開催予定とのこと

 風評被害に負けない福島をPRするプロジェクトによる「がんばってっつぉい福島! いちば」が、4月8日(金)~10日(日)の3日間、仙台市青葉区本町で開催されました。物産市の会場となったのは本町家具の街。本町商店街振興組合理事長で「家具の大丸〈Link to website〉」代表取締役社長の大村 正さんと、各地の産直施設と独自のルートをもつイベント会社Y.M.O代表 湯浅 輝樹さんが、企画実現に協力しました。

IMG_5327.jpg IMG_0176.jpg【photo】「がんばってっつぉい福島! いちば」当日の模様 〈右写真協力:(株)第一印刷〉
※photoクリックで拡大

 旬を迎えたハウス栽培のニラ・キュウリ・イチゴといった青果物のほか、スルメとニンジンを醤油ベースで和えた福島北部地域の郷土の味いかにんじん・あんぽ柿・味噌・漬物などの加工品、手ぬぐい・会津木綿製品・ポストカードなど福島の各種産品が出品され、3日間で30万円ほどの売り上げがあったといいます。

DVC00355.jpg DSC08414.jpg【photo】「がんばってっつぉい福島! いちば」当日の模様 〈写真協力:(株)第一印刷〉
※photoクリックで拡大

 福島市郊外の飯坂温泉「佐久商店〈Link to website 〉」店長の佐藤ユウ子さんは、店頭で元気と笑顔を振りまいておいででした。自信作のいかにんじん「錦秋」を味見をした私は、鮮度抜群のイチゴやキュウリとともに、購入を即断しました。タレントの佐藤B作さんの弟さんが営むという同店は、取り扱う果物にも品質へのこだわりが感じられます。

ikaninjin_kinshu.jpg【photo】佐久商店のいかにんじん「錦秋」

 店頭を今回のイベントに提供した大村社長は、「被災者同士、カラ元気でもいいから前に向かって進む姿を発信したかったのに加え、自分たちが取り扱う品に絶対的な自信を持つ福島の方たちとコラボすることで、ホンモノだけを扱う本町家具の町の魅力を伝えたかった」と今回の試みについての意義を語ります。本町商店街振興組合では、今後も福島とのコラボによる催しを検討してゆくそうです。

 4月17日(日)には、宮城郡大和町宮床の「大師山 法楽寺〈Link to website 〉」で、福島産野菜の即売会が実施されます。福島の農家が置かれている現状に心を痛めた住職の遠藤龍地さんが、JA福島に話しを持ちかけて実現の運びとなりました。前日ご自身がワゴン車を運転して福島に出向き、仕入れた青果類を午前10時から境内で即売します(雨天時は本堂で実施)。

 「良いことも悪いことも、自らの行いの結果。だから福島で起きていることは、決して他人事ではなく、これまでの自分の生き方や暮らしのありようを見つめ直す機会として考えて欲しい」と遠藤住職。仙台方面からは、泉パークタウンを大和町ミヤヒル36ゴルフクラブ方向に向かい、宮床小学校の右側です。買い物袋を持参の上、お越し下さいとのこと。売り切れの際はご容赦を。

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大師山 法楽寺
宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1
Phone: 022-346-2106
法楽寺URL:http://www.hourakuji.net/index.html
住職のブログ「想いの記」より
東北関東大震災・被災の記(その29)「福島県の野菜を食べよう会」を行う理由

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2011/03/20

明日に向けて思うこと

 悲しみに覆い尽くされた1週間あまりが過ぎた。

「君が疲れきって無力感にさいなまれている時、瞳が涙に濡れているなら、私がぬぐい取ってあげる。辛い時だって君のそばにいるから・・・」

 心が萎えそうになる今だからこそ、ポール・サイモンが紡いだこんな歌い出しで始まる誰もが知っている曲に、ひとときだけ身を委ねてみるのもいい。

  

 アート・ガーファンクルは天使のように美しい歌声で、こうも励ましてくれる。
 「友達が必要なら、君のすぐ後ろをついてゆこう、荒れ狂う奔流に架かる橋のように、私が身を挺して不安を取り除いてあげる」 

Bridge over Troubled Water :Simon and Garfunkel
 
明日に架ける橋:サイモンとガーファンクル


 この数日、国内外を問わず多くの人々からお見舞いを頂きました。地震発生時は出張で青森にいたため、どうにかこうして生き延びています。当初は把握すらできなかった沿岸地域の被害状況が明らかになるにつれ、自然の猛威を前にした人間の無力さをイヤというほど見せつけられ、ともすると陰鬱な気持ちになります。

 M9.0という非情なまでの破壊力を持った地震と津波、追い討ちをかける東京電力福島第1原子力発電所の事故、そして送電線の先にある関東圏でも巻き起こっている物資の買い占めと物流の寸断とによるモノ不足に、最大の被災地である東北の人々は苦しみ、翻弄されています。

 震災発生後5日目にようやく無事の確認がとれた義理の父母が暮らす気仙沼地域もそうですが、本当に助けを必要としている人に、救いの手が一刻も早く差し伸べられることを願わずにはいられません。

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