あるもの探しの旅

メイン

2017/04/19

土佐日記風 会津日記 【序章】 @ 摂津国

じもてぃもすなる あさらーといふものを
しょういたもしてみむとてするなり


 代々官職に就く朝廷に仕える下級貴族で、平安時代中期に藤原公任(ふじわら の きんとう)が、万葉の時代からの優れた歌人として挙げた三十六人撰(三十六歌仙)の一人としても名高い紀貫之(868 or 872~945)。

Ki_no_Tsurayuki_(Kosanji_Onomichi).jpg

【Photo】現存する最古の三十六歌仙を描いた絵図の部類となる「佐竹本三十六歌仙絵」下巻より紀貫之(国重要文化財・13世紀・耕三寺博物館蔵)。913年(延喜13)、律令制における正六位 大内記に叙せられた紀貫之。4年後には従五位下となり加賀国・美濃国などの次官にあたる介や大監物などを歴任。930年(延長8)に土佐守(高知の国司)となり、高知に赴任した

 土佐守として赴任した4年の任期を終えて934(承平4)に京都へと帰還する間の出来事を、58の短歌と共に日記風に綴ったのが、本邦初の紀行文とされる「土佐日記」です。

 やんごとなき身分の男性が、公式に使う文章は漢文が通例であったこの時代。公人としては異例の女性が使用するカナ文字を使い、虚構や諧謔的な表現を織り交ぜながら家人や従者と小舟に分乗しての55日間の出来事が語られます。

katsurahama_kochi.jpg

【Photo】土佐の国府が置かれた現在の高知県南国市比江を出立した紀貫之ら一行。当時は大津と呼ばれた同県船戸から小舟に乗り京都へ向かった。船戸から南西12kmほどの距離にあり、古くは浦戸と呼ばれ、現在は坂本龍馬像が立つここ桂浜付近に立ち寄り、阿波・淡路・和泉と海路を進み、難波から淀川を遡上。山城国へと入り山崎からは陸路を進み、桂川を渡って二月十六日(太陽暦で3月28日)に我が家に着くまで55日を要した

  をとこもすなるにきといふものを、をむなもしてみむとてするなり。 それのとしのしはすのはつかあまりひとひのひの、いぬのときにかどです。

 【現代語訳】男性が綴る日記というものを、女性である自分も試みてみる。とある年の十二月二十一日(太陽暦で2月2日)、午後8時に出立することとなった。

 醍醐天皇(885-930)の勅命による我が国初の勅撰和歌集が「古今和歌集」です。紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑ら4人の撰者の中で中心的な役割を果たした編纂の任に当たった当時、30歳代であった紀貫之は、宮中の文書管理を担う次官級の御書所預(ごしょどころあずかり)の職にありました。

100nin-1shu.jpg

 奈良県櫻井市にある花の寺「長谷寺」を訪れた折、宿の主から「しばらく音沙汰がなかったですね」と言われた貫之の返歌として詠まれ、古今集に収められたこの和歌は、百人一首にも取り上げられています。

 人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞむかしの かににおひける

 【現代語訳】さぁ、あなたはどうでしょうね。人の心もようは分からないけれども、馴染みの里に咲く梅の花は、昔と変わらず香っています。

Tosa_nikki_copied_by_Teika.jpg

【Photo】紀貫之による自筆本の筆跡を再現した古写本「土左日記」(尊経閣文庫蔵)。現在は散逸した原本が残っていた平安時代末期から鎌倉時代初期にかけ、勅撰和歌集から秀作を選んだ小倉百人一首を成立させた藤原定家による写本

 貫之が和歌について論じた古今集の仮名序は、日本文学が漢詩の影響を脱し、源氏物語に代表される女流古典文学の確立に向けた指針を示したとされます。

  やまとうたは ひと(人)のこころをたね(種)として よろず(万)のことのは(言葉)とぞなれりける

 【現代語訳】和歌は人の心の機微を表現し、数え切れぬほどの言葉を編み出していった

 京都で生まれ、赴任先に伴ってきた可愛い盛りの女児を土佐を発つ直前に病で亡くす不運に見舞われた紀貫之。大津から浦戸に向かった12月27日に詠じたのは ー

 みやこへと おもふをもののかなしきは かへらぬひとのあればなりけり

 【現代語訳】いよいよ都へと帰還するのだけれど、どうしても悲しいのは、帰らぬ人がいるからなのだ

Togetsukyo_in_Kyoto_Arashiyama.jpg

【Photo】京都・嵐山付近を流れる桂川の流れを見守る松の古木とて、紀貫之が生きた時代など知るよすがもない平成の世。世界各国から訪れる観光客が行き交う渡月橋は、現在とは異なる位置にすでに架けられていた。天皇の内裏(皇居)であり、公務を執り行った京都御所近くの京都御苑の一角に紀貫之の居宅があったといわれる

 長旅を終え、貫之が京都の自宅に戻って詠んだのは、帰還の喜びではなく、人の命の儚さを憂うこの和歌でした。

 生まれしも帰らぬものを我がやどに小松のあるを見るがかなしさ

 【現代語訳】ここで生まれた我が子が帰らないというのに、元は無かった小さな松が庭に生えているのを見るのは辛い

 亡き娘を思う悲哀を込めた短歌は、時代を越えて庄イタの胸にも響いてくるのです。

b_ornament_66_2L.jpg 
 紀貫之の生年である貞観年間は、天変地異が頻発した時代でした。

 861年(貞観3)、現在の福岡県中部の直方(おのがた)市にある須賀神社境内に記録が残る世界最古の隕石が落下。864年(貞観6)、当時は常に噴煙を上げていた富士山が大噴火を起こし、現在は青木ヶ原樹海となった膨大な溶岩を噴出。

 1000年に一度の規模といわれた東日本大震災と同規模の大津波が三陸沿岸を襲ったと推定される貞観地震の発生が869年(貞観11)。その2年後には鳥海山が噴火しています。

vulcano-chokaisan.jpg

【Photo】文献に残る噴火が537年から十数回を数える鳥海山。現在の頂上部が形成された1800年(寛政12)の噴火による死者は8人。直近では1974年(昭和49)に水蒸気爆発し、噴煙を上げた〈上画像〉

 マグニチュード7.4と推定される相模・武蔵地震の発生により、南関東地域に大きな被害が及んだのが878年(元慶2)。887年(仁和3)には南海トラフを震源とするマグニチュード8規模の仁和地震で近畿地方に甚大な被害が及ぶなど、大規模な地殻変動が各地で頻発します。

 794年(延暦13)、桓武天皇(737-806)により凶事が相次いだ長岡京から平安京に都が移され、1192年(建久3)に鎌倉幕府が成立するまでの平安時代の幕開けは、かくも平安ならざる天変地異が続いたのです。

b_ornament_66_2L.jpg

  
 昨年8月、天皇陛下が退位のご意向を色濃く滲ませた「お気持ち」を表明されたことで、平成の終わりが見えてきたこの春。2007年6月のブログ開設以来、Viaggio al Mondo~あるもん探しの旅は10年目を迎えます。

 10年目でひと区切り。

 私事ですが、4月の定期異動で大阪に赴任し、東北をフィールドに駆け巡ってきた庄イタにも転機が訪れました。

shukugawa-sakura2017.jpg

【Photo】六甲山地の東端付近に源を発する夙川(しゅくがわ)。2.8kmの遊歩道が整備された公園緑地には枝ぶりが見事なクロマツと共に1,660本のソメイヨシノやオオシマザクラなどの桜並木が続く。5月から6月にかけて阪急甲陽線苦楽園駅の上流域ではホタルが見られる。そこは神戸出身の作家・野坂昭如の小説「火垂るの墓」の舞台となった

 プレ創刊100周年の1996年(平成8)、バブルの余韻に浸りつつ6年を過ごした東京支社から仙台本社に帰還。山形営業所の立ち上げに携わった2003年(平成15)に庄内系へと突然変異。創刊120周年の節目を迎えたこの春、摂津守として北前船で酒田湊から上方へと赴いた格好です。

 紀貫之が土佐から京の自邸に戻った日と同じ3月28日、かつては摂津国と呼ばれた関西に初めて居を構えました。

 そこは「さくら名所百選」に数えられる夙川(しゅくがわ)河川敷緑地・夙川公園まで徒歩30秒。天然記念物「コバノミツバツツジ群落」が見られ、参拝天照大神を祀り、阪神タイガースが必勝祈願に参詣する廣田神社も徒歩圏という風雅な地。

hirota-jinjya-tsutsuji.jpg

【Photo】日本書紀に神功皇后の創建による記述がみられる由緒正しき廣田神社。16,000坪の境内には三本に分かれた小さな葉が特徴的なコバノミツバツツジ2万株の群落が見られ、樹齢300年を数える古木もある

 新任地は、京都へ向かう紀貫之が遡上した旧淀川の中之島を挟んで北の堂島川の南を流れる土佐掘川のほとり。対岸の中之島には日本赤煉瓦建築番付における西の横綱「大阪市中央公会堂」や、ギリシャ神殿に倣ったコリント式円柱を備えた重要文化財「中之島図書館」が、すぐ眼下にあるハイカラな土地柄でもあります。

osaka_chuo-kokaido.jpg

【Photo】ウォーターフロント中之島のシンボル的存在「大阪中央公会堂」は明治期に在阪の株式仲買人・岩本栄之助が大阪市に寄贈した現在の貨幣価値で数十億の浄財をもとに建造された

 久方ぶりに触れる外の空気は新鮮そのもの。着任早々、京都で桜を愛でる機会があったかと思えば、新世界にある串かつの名店や、迷宮のごとき天満やミナミで粉もん文化の洗礼も。どうやら新任地では、公私ともに数え切れぬほどの出会いと発見が待っているようです。

shinsekai_2017.4.3.jpg

【Photo】およそドボルザーク作曲の交響曲第9番「新世界より」が似つかわしくないエネルギッシュな喧騒に満ちた大阪・新世界。気分はガーシュイン作曲の交響詩「パリのアメリカ人」的な「ナニワの庄内系イタリア人」。通天閣を背景に筆者近況

 仙台から伊丹空港まで1時間20分の空路で着任した庄イタとは違い、紀貫之は荒ぶる海や海賊の脅威に晒されながら、家族や従者を伴い小舟に分乗して2か月近くを要して帰京しています。

 ひとまず距離を置くこととなる東北を題材とするネタとしては、一区切りとなる物語の舞台は、福島・会津です。

 今をさかのぼること1,000年以上前に書き記された土佐日記に敬意を表した今回のタイトル。我が国初の紀行文の名高い書き出しになぞらえた本編は、また次回。

To be continued.

baner_decobanner.gifブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 

2017/02/11

聖ダンデロの被昇天(2) Assunzione di San-Dan-Deloseguito

妙なる芳香で天にも昇る心持ち〈後編〉
@ヤマガタ サンダンデロ

 2016年シーズンは、解禁当初から不作が続いたアルバ産白トリュフ。12月の最終盤に至ってやっと産出量が持ち直しました。

 白トリュフを愛してやまない庄イタを、白トリュフ天国へと導く大天使ジョルジョが、堪能するのに十分なサイズの白トリュフを携え、年が改まってすぐ日本に再降臨してくれました。

 365分の1の確率で東京出張と重なった2017年(平成29)1月12日(金)の夜、銀座「ヤマガタ サンダンデロ」を会場に催されたピエモンテ料理の会で供されたメニュー(下画像)は以下の通り。

menu2017.1-san-dan-delo.jpg

 ジョルジョが音頭をとった乾杯の1杯は、ピエモンテ州クーネオ県ネイヴェに醸造所とブドウ畑を有する作り手Dante Rivetti ダンテ・リヴェッティの「Brut Metodo Classico Millesimato Ivan ブリュット・メトード・クラシコ・ミッレジマート・イヴァン(下画像)Metodo Classicoとは、読んで字のごとく伝統製法の意味。

 瓶詰めしたワインに酵母入りシロップを添加し、再発酵させることで発生する炭酸ガスを液体に溶け込ませる発泡性ワインの製法が瓶内二次発酵です。

 物騒かつ意味不明な「発砲」ともども、フランス産の発泡性ワインを指すCrémantクレマンとの誤用が散見されるシャンパーニュや、ミラノが州都となるロンバルディア州ブレシア県の風光明媚なイゼーオ湖の南畔地域で産出する高品質なD.O.C.GFranciacorta フランチャコルタ」は、手間の掛かるこの製法によるもの。

dante-rivetti-brut.jpg salute-san-dan-delo.jpg

 細やかな泡立ちが持続し、芳醇な香りが心地よいイヴァンは、高価なヴィンテージ・シャンパーニュと同じ36カ月を要する瓶内二次発酵後に澱引きし、コルクを打って6カ月の瓶熟成後にセラーから出荷されます。使われるブドウ品種はピノ・ネロ。ブルゴーニュ原産の高貴品種ピノ・ノアールは、イタリアではこう呼ばれます。

 白トリュフが主役となる豪奢なコース料理のプロローグを飾ったのが、ご覧の通り盛りだくさんなアンティパスト(下画像)

 ジョルジョが持参した生ソーセージ「Salsiccia サルシッチャ」2種、お手製バニェット・ヴェルデほか、ロビオラチーズと自家菜園ハーブのペースト、ズッキーニのブルスケッタ3種、リグーリア特産のオリーブ「タジャスカ」のオイル漬やヘーゼルナッツ。

antipasti2017.1-san-dan-delo.jpg ピエモンテ産D.O.P.(=保護指定原産地表示)チーズは、熟成期間が異なる牛乳製「Toma トーマ」や山羊乳製「Robiola di Roccaverano ロビオラ・ディ・ロッカベラーノ」など5種類。

 盛り合わせの中には、北海道大樹町で飼育する水牛の乳から、鮮度が命のフレッシュタイプのチーズ作りをしている竹島英俊さんの貴重なモッツァレラ・ディ・ブッファラとその製造過程で出るホエー(乳清)を原料とするリコッタ(上画像右上の2点)も。

 食肉としても美味な水牛の乳は栄養価が高く、カンパーニャ州ナポリ近郊のカゼルタやサレルノ周辺で飼育されます。その数は多くはなく、貴重な存在です。

olim-bauda-barbera.jpg

 日本では唯一の水牛乳によるフレッシュチーズ作りを宮崎県で行っていた竹島さん。2010年(平成22)に県内で発生した口蹄疫の影響で、やむなく全頭を殺処分し廃業を余儀なくされました。挫折を乗り越え、鶴岡での充電期間を経て今日に至っています。

 アスティ県モンフェラートで4代続く醸造所Tenuta Olim Bauda テヌータ・オリム・バウダは、ピエモンテで飲んだD.O.C.G 昇格前の「Barbera d'Asti superiore Le Rocchette バルベーラ・ダスティ・スーペリオーレ・レ・ロッケッテ」2004年ヴィンテージが印象に残り、ボトルからエチケッタ(上画像)を剝がして持ち帰った作り手。

olum-bauda-chardonnay.jpg

 今回、エレガントな「Chardonnay D.O.C. i Boschi 2013シャルドネ・イ・ボスキ」2013年とともに味わったアンティパストの中では、22年熟成のロビオラ・ディ・ロッカベラーノは特筆に値します。(下画像)

 22年の歳月を重ねた山羊乳チーズの色合いは、出来立ての純白から黄色に変化。固形からゲル状に変容したトロ~リとした食感。乳由来の甘味は消え、強い塩味・ほのかな酸味が入り混じった重層的な旨味へと変化。コクと強烈な香りが、口腔と鼻腔とを満たし、長~い余韻を残します。

vecchia-robiola22anni.jpg 2皿目「活ホタテのオーブン焼き」が運ばれてくると、トリュフとスライサーを手にしたジョルジョが、各テーブルを回り始めました。

 ジョルジョは庄イタの脇に立つや、遺留品の臭いを警察犬に嗅がせる捜査官さながらにスライスしたての白トリュフの塊を庄イタの鼻先に持ってくるスペシャルサービスをしてくれたのです。

sliced-tartufo-capesante.jpg

 それはまさに天にも昇る心持ち。現世で日本人として生を享けるおよそ1世紀前、祖国統一の気運が燃えさかったRisorgimento リソルジメント(=イタリア統一運動・1815-1871)末期、ガリバルディ率いるCamicie Rosse(赤シャツ隊)に身を投じ、前世で授かった命を捧げた(と、自身では信じて疑わない)庄イタ。

CAMICE-ROSSE-kappa.jpg GIUSEPPE-GARIBARDI.jpg

【Photo】赤シャツ隊を率いて祖国統一を成し遂げた英雄ジュゼッペ・ガリバルディ()。イタリア国旗を手にしたViaggio al Mondoのプロフィール紹介写真と構図が似ているのは、単なる偶然か、あるいは必然か。オフに着用するアウターは、赤シャツ隊の制服と同じ配色(

 来世では、再び前世における郷里ピエモンテで、トリュフ犬に生まれ変わったとしても本望かも。(実際のトリュフ狩りでは、発見した白トリュフをトリュフ犬が食べてしまう寸前、トリュフハンターがエサを与えて犬の気をそらし、トリュフを横取りする)

 ただし、庄イタから輪廻転生したトリュフ犬は、白トリュフが地中から発する魅惑的な香りを探知すると、きっとマタタビに惚(ほう)けて喉をゴロゴロ鳴らすネコ気質な犬に突如変身。仕事そっちのけで白トリュフの法悦に浸るデクノボウなワンコに相違ありません。(下想像図)

Maria-Teresa-Bernini.jpg

【Photo】ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ「Estasi di santa Teresa d'Avila 聖テレジアの法悦」(1647-1652 ローマ:サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会コルナロ礼拝堂)16世紀のスペインに実在した修道女テレジアが天使と遭遇した神秘体験を超絶技巧を駆使して大理石で具象化した盛期バロック期の傑作

 ご主人様と職務に忠実なトリュフ犬が掘り出し、トリュフハンターが手に入れた白トリュフは、時間が経過するにつれて水分と共に香り成分が揮発してしまいます。

 ジョルジョによれば、仕入れ時点の重さ185gが、会合当日には160gまで減っていたとのこと。イタリアで食するアルバ産白トリュフのクラクラするような香りを120%とすると、正直60%程度の印象だったのはやむなしでしょう。

 それでも採れたては嗅覚の針が振り切れるほどの強烈な香りを発する白トリュフ。たとえは悪いですが、腐っても鯛。前世の記憶を覚醒させるに十分なのでありました。

capesante-tartufo-bianco.jpg

 イタリア共和国全20州の中で、海に面していないのは5つ。中部ウンブリア州以外は、国境をスロベニア・オーストリア・スイス・フランスの各国と接する北部に集中し、その一つとなるのがピエモンテ州。

 この日4皿目に登場した卵を練り込んだ手打ち細麺「Tajarin al Tartufo タヤリン・アル・タルトゥフォ」ほか、「Fonduta チーズフォンデュ」、リゾット、肉を使った郷土料理に白トリュフを用いるのがピエモンテでは定番。ジョルジョのみならず庄イタにとっても海鮮系の具材は意表を突くカップリングでした。

 卓上のメニューを見た時、否応なく期待値が高まったこの創作料理。後日、土田シェフに確認したところ、全国を股に駆ける奥田シェフが、とある関西のフレンチレストランで出合った料理がベースとのこと。

 築地直送の新鮮なホタテのヒモで出汁をとり、白ワインを加えて煮込んだ生クリームソースが、生ウニがトッピングされた香ばしいホタテと白トリュフとの絶妙な一体感を生み出していたように感じました。

Botticelli-nascita_di_Venere.jpg

【Photo】知らぬ人のないサンドロ・ボッティチェッリ「 La Nascita di Venere ヴィーナスの誕生」(1482-1485頃 フィレンツェ:ウフィッツィ美術館蔵)ギリシア神話によれば美の化身ヴィーナスは海の泡から生まれた。春の妖精ホーラが裸身を恥じる女神に淡い朱色のヴェールを掛けようとする場面を描いた人類の至宝

 土田シェフによって貝殻の中に出現していたのは、かぐわしい白トリュフと生ウニで装ったホタテが泡立つ乳の海に浮かぶ小宇宙。それは庄イタにサンドロ・ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」(上画像)を彷彿とさせたのでした。

tajarin-tartufo-giorgio.jpg

 妻フローラを伴った西風の神ゼフュロスのごとくホタテに新たな息吹を吹き込んだのは土田シェフ。さすれば春に咲く花が散りばめられたヴェールをヴィーナスにまとわせようとするニンフは、(ビジュアル的には違いますが)トリュフと愛嬌を振りまくジョルジョという寸法。

 郷里では魚介系の料理がほとんど食卓に登場しないピエモンテーゼ、ジョルジョを驚愕せしめた白トリュフ料理1皿目。産地でも高嶺の花である白トリュフを惜しげもなく使った2皿目は、典型的な白トリュフの食し方である「タヤリン・アル・タルトゥフォ」(下画像)。1皿目が革新ならば、2皿目は伝統への回帰といったところでしょうか。

tajarin-tartufo-sandandelo.jpg

【Photo】タヤリン・アル・タルトゥフォ。卵黄を小麦粉に練り込み、幅2-3mmに切り分けた手打ちロングパスタ「Tagliolini タリオリーニ」をピエモンテ州では、「Tajarinタヤリン」と呼ぶ。秋を迎えたピエモンテで代表的な食べ方が、白トリュフをすりおろしたこの料理

 メニューに記載がなかった3皿目「Vitello Tonnato ヴィテッロ・トンナート」は、もともとアンティパストの一品として用意された料理です。(下画像左上)

 ところがチーズやブルスケッタなどが所狭しと並んだボリューミーな1皿目では盛り付る場所が確保できずに出番を失ったのです。こうして単品で供され、日の目を見たのでした。

 そこに「1杯お味見にどうぞ」とフロアを預かる久保副店長からテヌータ・オリム・バウダ「Nebbiolo d'Alba San Pietro ネッビオーロ・ダルバ・サン・ピエトロ」2012ヴィンテージがサービスで出てきました。

 蒸し焼きした庄内産仔牛の冷製にジョルジョが味付けしたツナをベースにタマネギやニンニクで味を整えたソースが加わったピエモンテ伝統の郷土料理とは、さすがの好相性。

dante-rivetti-nebbiolo2012.jpg dante-rivetti-barbaresco2006.jpg
dante-rivetti-Barolo2007.jpg brasato-chinghale.jpg

 典型的なピエモンテ料理であるイノシシの赤ワイン煮込み「Brasato ブラザート」(上画像右下)がセコンド・ピアットに控えていたため、相性を考えてオーダーしたのは、ダンテ・リヴェッティのD.O.C.G.Barbaresco Micca バルバレスコ・ミッカ2006」(上画像右上)。〝産地を訪れた年のワインは出来る限り飲んでみっか〟という自身の不文律に沿ったチョイスです。

 もう一つの選択肢だったのが、D.O.C.G.Baloro Léglise バローロ・レッリーゼ2007」(上画像左下)。相席となった新宿中村屋にお勤めというNさんのご厚意で一口グラスで味見させて頂き、より厳格で力強いバローロらしさを確かめた果報者なのでした。

 秋の収穫期にバルバレスコ村を訪れた2006年のような作柄に恵まれた年は、ネッビオーロの特徴となるタンニンが落ち着き、複雑味が増して飲み頃を迎えるまで時間を要する場合もあります。

comune_barbaresco-2006.10.24.jpg

【Photo】2006年10月末。天使のようなグラッパ職人ロマーノ・レヴィとイタリアワイン界の巨人アンジェロ・ガヤの醸造所を訪れた鼻血が出そうなくらい中身が濃かった1日。世界で最も美しいブドウ畑の眺めだと地元の人々が胸を張る銘醸畑が広がるBarbarescoバルバレスコ村の景観は、2014年に世界文化遺産として登録された。Neive ネイヴェの市街地から2kmほど進むと、ネッビオーロが大半を占めるブドウ畑の中に浮かぶ浮舟のようなバルバレスコ村が見えてきた(画像右奥)

 しばしば〝イタリアワインの女王〟と形容されるD.O.C.G.バルバレスコ。伝統的な大樽による造りで、収穫から丸10年を経た2006年ヴィンテージは、熟成して角が取れてきたネッビオーロならではの深みのある味わいに魅了されました。

 翌日から日本橋人形町で開催される「山形・鶴岡の餅文化を味わう会」準備のため、鶴岡から出張しておいでだった「山菜屋.com」を運営する遠藤初子さん。旧知の間柄である遠藤さんと同じテーブルとなったこの日。

risotto-marrone-sansaiya.jpg

【Photo】出てのお楽しみな〈Speciale piatto〉とだけメニューに記載された一皿がコレ。一味もふた味も違う山の幸を取り扱う山菜屋.comの遠藤さん手配による鶴岡朝日地区産の山栗のリゾット。一般に流通する燻蒸した栗の3倍近い糖度を有するのは、冷蔵保存するがゆえ。手作業による厳しい選別を行うことで無燻煙による栗本来の味を堪能できる

 風味が濃い山栗を鶴岡から送った当のご本人を目の前にして食するリゾット。それは数多くの生産者や食の匠とのご縁ができ、1皿の有難みを実感できた往時のアル・ケッチァーノ系列の店ならではの醍醐味でもありました。

 リグーリア州内陸部サヴォーナ県サッセロに本拠がある菓子メーカーAmaretti Virginia製の杏子風味のサックリした歯応えの伝統菓子「Amarettiアマレッティ」、鶴岡市羽黒産ブルーベリージャムとピエモンテ産ヘーゼルナッツのトルタ、そしてジョルジョが好きだという獺祭の酒粕ジェラートの3品がデザートで登場。

dolci-sandandelo2017.jpg

 締めのカッフェを頂きながら、ジョルジョは思い出話に花を咲かせました。醸造所が1年で最も忙しい収穫期に訪れたバルバレスコの帝王こと、Anjelo Gaja アンジェロ・ガヤの醸造所訪問が、実はノーアポで、先方が困惑しながらも「ジョ、ジョルジョか...。」と、固く閉ざされた緑のゲートを開けて渋々会ってくれた件。

 そして新潟・村上経由で訪れたイル・ケッチァーノで、白トリュフを食べ損ねた件(前々回「Compagna di Piemonte = ピエモンテ同窓会 =」参照)。その珍道中ぶりとジョルジョの気さくな人柄に、テーブルでご一緒した女性たちからも笑いがこぼれます。

 鎌倉でのピエモンテ同窓会に続き、白トリュフの香りに包まれ、ひと時の昇天を果たした庄イタ。ココロの郷里ピエモンテと庄内への渇望感を癒された一夜となりました。

baner_decobanner.gifブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2017/02/04

聖ダンデロの被昇天 Assunzione di San-Dan-Delo

妙なる芳香で天にも昇る心持ち〈前編〉
@ヤマガタ サンダンデロ

Assunzione-Maria-Tiziano-frari.jpg

【Photo】水の都ヴェネツィアの心臓部にあたるサン・ポーロ地区。14世紀に聖母マリアに献堂された「Basilica di Santa Maria Gloriosa dei Frari サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂」主祭壇に安置された盛期ルネッサンス期ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオ筆「Assunzione di Maria in Cielo 聖母マリア被昇天」(1516-1517)

 カトリックの教義「聖母の被昇天」を想起させる今回のタイトル。敬虔な教徒の方は、「はて、聖ダンデロなる聖人はいたっけ?」と訝(いぶか)しんでおいでかもしれません。

 第14代ローマ皇帝ハドリアヌスが、自身の霊廟として135年に造営に着手、のちに要塞化された「Castel Sant'Angeloサンタンジェロ」(下画像)と響きが似ているサンダンデロ。イタリア語表記でSan-Dan-Delo は、聖母マリアのように魂が身体もろとも神のもとに召された聖人ではありません。

CastelSantAngelo.jpg

 しかし東京銀座にある「YAMAGATA San-Dan-Delo ヤマガタ サンダンデロ」で昇天の奇蹟は確かに起きたのです。

 例年1月2日早朝から仕事があるためか、曜日まわりの関係なのか、あっという間に過ぎ去った感がある正月休み明け6日のこと。

 鶴岡で出会ってから13年以上の付き合いになり、現在はヤマガタ サンダンデロの厨房を預かる土田学シェフ(下右側)Facebookに1枚の画像がアップされました。

giorgio_tsuchida_tartufo.jpg

 官能的な白トリュフの香りに恍惚とした表情を浮かべる土田シェフの隣でお茶目に写っているのは、ここ数年、秋になると庄イタの夢枕に立ち続けた゛白トリュフの精〟ことジョルジョ・チリオ氏。〈2017.1前稿「Compagna di Piemonte = ピエモンテ同窓会 =」参照〉

 今期は当初から不作が続き、例年以上に高値を呼びました。それがシーズン最終盤になって産出量が持ち直し、高騰していた価格が幾分こなれてきたというのです。そこで昨年11月、鎌倉に持参した白トリュフの10倍以上はあろうかという巨大なアルバ産白トリュフ(下画像)を携え、再び年明けに日本へとやって来ました。

 そうしてジョルジョが懇意にしている鶴岡「al.ché-cciano アル・ケッチァーノ」の支店ヤマガタサンダンデロを会場に、白トリュフを使ったピエモンテ料理の会が1月12日(金)に催されることとなったのです。

tartufo2017-1san-dan-delo.jpg

【Photo】一見、置きすぎてシワが寄ったジャガイモ(笑)。早合点し、うっかり茹でてしまおうものなら、後の祭りのアルバ産白トリュフ

 2009年(平成21)春、山形県が東京・銀座に開設したアンテナショップ「おいしい山形プラザ」2Fに県のたっての要請を受けて出店したことから、庄イタ的には「山形+算段+出ろ」と読み解いている同店〈2008.9拙稿「結束を再確認 生産者の会、ふたたび。@ il.ché-cciano」参照〉

 拡大路線に拍車がかかった結果、肝心な鶴岡の店は遠来の客が多い週末においてすらオーナーシェフの不在が常態化(下事例)。庄イタにとってはCry wine and sell vinegar(=羊頭狗肉)な「居ね・ケッチァーノ」と化してしまいました。

exp-out-of-mind2017.jpg

 最も最近では2014年(平成26)6月中旬の土曜日、局アナを務める大学の後輩を案内したいという取引先の社長に懇願され、4年ぶりに席を予約。あらかじめ西田料理長に予算をお伝えし、お任せコース料理の相伴に預かりました。

 時季的にリクエストした鳥海モロヘイヤのケッカソース風味が定番の地物岩ガキや、素材の持ち味が際立つローストを指定した羽黒綿羊といった素材の素晴らしさは相変わらず。ご一緒した初訪店のお2人も納得の美味しい料理ではありました。(下画像/一部抜粋)

 なれど店主はその日も厨房には不在。驚きやワクワク感が伴わない落差を良く知る庄イタにとってはコピー・アンド・ペーストな印象は拭えません。飲食店として守るべきSincerityの欠如は、いかんともしがたいのでした。

al-che5-2014.6.jpgal-che1-2014.6.jpgal-che2-2014.6.jpg
al-che3-2014.6.jpgal-che4-2014.6.jpgal-che6-2014.6.jpg

 心に響く料理で感動に打ち震え、余人の及ばぬ異次元へと誘われる変幻自在な食体験ができたかつての姿は今いずこ。局アナ氏がハンドルを握った帰路の車中で、頭の中でリフレインしていたのは、小学校の大先輩・土井晩翠が作詞し、ジャーマンロックの雄スコーピオンズ もカバーした名曲「荒城の月」。

 以来、姿勢に疑問を抱かざるを得ない旗艦店から足は再び遠のいたまま、今日に至っています。

 世の東西を問わず、料理の実像を深く知るには、その土地を訪れるのが一番。それは地元愛に溢れる誠実な店で味わい、背後にある風土と作り手を知ってこその話。

 庄イタと同じく往時のアル・ケッチァーノを良くご存じで、昨年末、久方ぶりに鎌倉で再会した雑誌「四季の味」前編集長・八巻元子さんも指摘されておいでだったこの定義。普遍的な真理であると確信しています。

tsucchi-giorgio.jpg

【Photo】白トリュフをたっぷりと使った一皿目が出たところでジョルジョに促され、厨房から出てきた土田シェフ。海鮮と白トリュフというピエモンテではありえない意表を突いた組み合わせを見事にやってのけ、ジョルジョから賞賛された。あっぱれ

 皮肉なことにその真実に気付かせてくれたのは、アル・ケッチァーノにほかなりません。2003年(平成15)春、何ら予備知識を持たず偶然に立ち寄った庄内弁で゛大切なものは足元にあったよね〟という意味を店名に込めたその店。〈2007.6拙稿「庄内系転生伝説 プロローグ~庄内系イタリア人の物語」参照〉

 風変わりな〝地場イタリアン〟なる看板を掲げ、地元のごく一部の人々を除けば、ほぼ無名であったアル・ケッチァーノ。当時は求道者のごとく料理に打ち込み、苦境に立つ生産者の支えとして奔走していた店主氏。その右腕として、草創期から影で店を支えたのが土田シェフです。

tsuchida_alche2009.4.jpg

【Photo】2000年(平成12)3月のアル・ケッチァーノ開店以来、苦楽を共にした共同経営者Aさん夫妻が、2008年3月末をもって店を去ることとなり、お別れを兼ねた晩餐に伺った夜。パティシェの本間さんが担当したメッセージ入りドルチェの盛り付けは、ドルチェ担当チーフでもあった土田料理長(当時)

 北庄内地域の言い回しで〝山形産なんでしょ〟という意味の銀座店は、2009年の開店以来、土田シェフが厨房を預かっています。2011年以降、過去3度の訪店経験から判断して、ハズレはありません。

 会費10,000円(飲み物代別)で土田シェフから提示された予定メニューをご紹介するとー

 Antipasti misti :前菜 ピエモンテの前菜盛り合わせと北海道・竹島さんのチーズ
 ・Primo Piatto :第一の皿 タヤリンの白トリュフクリーム
 ・Primo Piatto :第二の皿 リゾット 
 ・Secondo Piatto : メインディッシュ 魚料理か肉料理(奥田シェフ次第)
 ・Dolci :ドルチェ デザート盛り合わせ
 ★ ジョルジョが二つの料理に白トリュフを目の前で削ります!(^_^)v

 なんとも魅力的な内容ではありませんか。しかしながら、仕事が立て込む金曜日の19時から会がスタートし、翌土曜日が朝9時から出勤だったことから、当初は参加を見送っていました。

giorgio-tartufo-sandandelo.jpg

【Photo】テーブルを回り、料理に白トリュフをスライスするジョルジョ。たちまちにして漂い始める強烈な芳香。鼻先で直接香りを嗅がされ理性を失い、皿の上で手を動かし続けるジョルジョに向かって「Don't Stop!!」と思わず口を突いて出た。その時、庄イタの目には、白トリュフの官能的な芳香漂う天国へと誘う天使の輪が放つ後光、そして背に生えた羽根の幻影がありありと見えた(... ような気がする。まばゆい後光を発するのは別な理由かも^^)

 ところが12日(金)に急きょ東京出張が入り状況が一変。会の2日前に土田シェフにお願いし、すべり込みで1席確保してもらった次第。予定では、当日はオーナーシェフが駆けつけるとの触れ込みでした。が、やはりというべきか、会の最後まで彼が顔を見せることはありませんでした。

 寒気の流れ込みで厳しい冷え込みとなった仙台を早朝に出発。六本木と神田神保町で都合3件の相手先を回り、夏に仙台で開催を予定している催事に関する打ち合わせを終えたのが5時過ぎ。

 夕闇迫る古本街をしばし物色後、地下鉄で向かったのが銀座。サンダンデロから徒歩で移動可能な東京駅発の最終新幹線で仙台に戻る手筈を組んでいました。

6ppongi_hills2017.1.jpg

【Photo】出張先でも小ネタには目ざとく反応。異業種混成チームからなる出張メンバーが、朝の集合場所としたのが、かの六本木ヒルズ。東京メトロ南北線の六本木一丁目駅から徒歩で移動中、路地裏で紛れもない六本木ヒルズと遭遇。モチロン完全スルー(笑)

 サンダンデロの厨房をのぞくと、土田シェフや調理スタッフの傍らでは、今回も蝶ネクタイでビシっとキメたジョルジョがアンティパストの仕込み中。

 入口で手を振る庄イタを認めると、「Chimura サ~ン, Graaaandeeee (グラ~ンデ~ ≒ 素晴らしい)」と感激を露わにして近寄ってきました。

 Grande(=長身な)ジョルジョとの2カ月ぶりの再会を祝し、グランデな男同士、イタリア式にハグで挨拶。ジョルジョの肩越しに目が釘付けとなったのが、直径がゆうに10cm以上はあるグラ~ンデなTartufo bianco(白トリュフ)。

tartufo-san-dan-delo2017.jpg

 「Quanto costa ? (=これはおいくら?)」という庄イタの下世話な質問にジョルジョは一言「Poco, poco. (=安い安い)」 ...てなわけ無かろうと、土田シェフに確認したジョルジョが購入時点で185gだったというトリュフの仕入れ値は、1個 €800!!!
 
 これは日本円換算で¥96,000也。シーズン当初よりは幾分値下がりしたとはいえ、さすがはグラム当たり単価が世界一高い食品といわれるアルバ産白トリュフなのでありました。

 メニューのみご紹介となった今回に続く後編では、Arcangelo Giorgio(=大天使ジョルジョ)とAngelo Tsuchida(=天使ツチダ)の導きにより、庄イタが白トリュフ天国へと昇天した一部始終をご紹介します。

to be continued.

 
baner_decobanner.gifブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 

2017/01/15

Compagna di Piemonte = ピエモンテ同窓会 =

旧交を温め、白トリュフに耽溺す

 年が改まり、昨年11月に神奈川県鎌倉市JR大船駅近くの「アトリエキッチン鎌倉」で開催された「白トリュフとピエモンテ料理の夕べ」。

 魅惑的な響きと香り漂う集いの場となったアトリエキッチン鎌倉に揃ったのは、イタリア大使館の書記官や料理研究家など、20名以上の多彩な顔触れ。その中に懐かしい顔もありました。

@_Rupestr2006-10-31.jpg

【Photo】2006年10月31日の朝。カネッリでの一週間を過ごしたRupestrで同行メンバーとともにセルフタイマー撮影した1枚。10年の時を経て、八巻さん(左から6番目)、ジョルジョ(中央)、西川さん(右から3番目)と庄イタ(左端)が再び集った

 まずはピエモンテ州アスティ県カネッリのアグリツーリズモ「Rupestrルペストゥル」オーナーシェフ、ジョルジョ・チリオ氏。竹灯籠に灯を点す点灯ボランティアを共に行った「宵の竹灯籠まつり」で新潟・村上を案内後、鶴岡を経て翌日仙台駅まで送った2007年10月以来の再会です。

giorgio_kikkawa-2007.jpg

【Photo】2007年10月。サケが大好物というジョルジョを伴い、宵の竹灯籠まつりの折に訪れたのが新潟県村上市。古風な町屋造りの商家が建ち並ぶ鮭の町・村上をそぞろ歩きしながら立ち寄ったのが「イヨボヤ会館」や、梁と組み柱が4間幅の吹き抜け天井を支える築200年の「吉川酒舗」など。「味匠 喜っ川」で、いつになく神妙な面持ちで、芸術作品のごとき鮭の加工品を試食するジョルジョ。塩引きや酒びたし用に鮭を干している店舗奥に案内すると、両手を広げて感激を露わにした

 今シーズンは白トリュフが不作で量の確保が難しく、例年以上に貴重な白トリュフをピエモンテから携えての来日となりました。

 そして2006年10月末にイタリア・トリノで開催された「テッラ・マードレ2006」と「サローネ・デル・グスト」の取材旅行でご一緒した雑誌「四季の味」前編集長の八巻元子さん、フードライターの沖村かなみさん、盛岡在住の税理士でジョルジョから〝Azzuco アズーコ〟とピエモンテ訛りの(?)ファーストネームで呼ばれる西川温子(あつこ)さん。

piatto2012_04morioka.jpg ジョルジョとのご縁を繋いで下さった西川さんには、仙台圏で29万部を発行する月刊誌Piatto2012年4月号の巻頭特集「春の日帰りトリップ・盛岡女子旅」の地元ナビゲーターとしてご登場頂き、震災後の無事を確認していました(画像左側)

 一方、ジョルジョ、八巻さん、沖村さんとは、イタリアでご一緒した翌年の秋、西川さんも含めて鶴岡「イル・ケッチァーノ」で同窓会よろしく会食しています。

 その時もジョルジョは白トリュフを持参しており、心ゆくまでピエモンテの妙なる香りを満喫できるはずでした。

 ところが、ここで述懐する事件が起きたため、忘れがたい一夜として今も記憶に残るイル・ケッチァーノでのピエモンテ同窓会 第1章を振り返ると...。

 カネッリにある醸造所「Gancia ガンチア」の辛口スプマンテ「Carlo Gancia Metodo Classico Brut(上段左)で乾杯。お任せコース一皿目の定番「ワラサと満月の海の塩」(上段中央)以降は大皿取り分けで魚料理5皿が立て続けに運ばれてきました。

carlo_gancia-metodo-classico.jpg il_che-2007.10.14.jpg il_che-2007.10.14-1.jpg
il_che-2007.10.14-2.jpg il_che-2007.10.14-12.jpg il_che-2007.10.14-11.jpg

 続いてパスタ料理3皿・ピザ1枚・アクアパッツァが次々と登場(下画像4点)。こんな大盤振る舞いが続き、肝心の真打ち白トリュフの登場を待ち焦がれるうち、胃袋の物理的な許容量は限界に到達しつつありました。

il_che-2007.10.14-5.jpg il_che-2007.10.14-3.jpg
il_che-2007.10.14-4.jpg il_che-2007.10.14-6.jpg

 ジョルジョの発案でRupestr滞在中に催されたガラディナーで、テッラ・マードレ2006に招聘された奥田政行シェフが60名を超える参加者にメインディッシュとして提供したのと同じ「庄内牛の牛タン・ゴボウの香りの煮込み」(下段左)に続き、3皿目の肉料理「米沢牛のタリアータ・山ブドウのヴィンコットソース風味」(下段右)が出た後、厨房から「この後ドルチェを召し上がりますか?」とコース終了を意味する打診がありました。

 その問いかけに唖然として顔を見合わせたが、テーブルを囲んだ一同。

il_che-2007.10.14-13.jpg il_che-2007.10.14-10.jpg il_che-2007.10.14-7.jpg
il_che-2007.10.14-8.jpg il_che-2007.10.14-14.jpg il_che-2007.10.14-9.jpg

 その頃から料理人としての本分以外に割く時間と労力がキャパを遥かに越え、オーバーワークで極端に疲弊していたオーナーシェフ氏。肝心の白トリュフを使った料理をなんと出し忘れたのです。ガーン....。(0д0!!)

 パサパサの状態で厨房から出てきた店主の様子からも、気力・体力ともに万全ではないことは明らか。悪びれるかのようにエヘヘ...と頭をかくシェフを前にすると、誰もが彼を叱責する気すら萎えてしまったのでした。

 満腹のあまり、ドルチェはおろか締めのカッフェすら、誰もこの夜はオーダーしなかったように記憶しています。この目でジョルジョが厨房に預けるところまでを確認した白トリュフを、私たちは一片たりとも口にすることはできませんでした。Mamma mia !!(=なんてこったい!!

。゚+(。ノдヽ。)゚+。。・゚・(*ノД`*)・゚・。(oTT) piangereeee (TTo)。・゚・(*ノД`*)・゚・。+(。ノдヽ。)゚+。゚

 心ここにあらずで質の低下が顕著となった某店からは次第に足が遠いた一方、涙なくしては語れないよもやの展開で食べ損ねた我が郷里の超高級食材、白トリュフへの思慕は募るばかり。

fato-tartufo_bianco.jpg

 秋のトリュフ狩りシーズンを迎えると、大ぶりな白トリュフを手にした白トリュフの精が、庄イタの夢枕に立つようになりました(上画像 / イメージ図)

 悶々とした日を送る中で、西川さんから今回の企画開催を知らされました。そこに前回〝目の保養だけじゃねぇ...。〟で述べた通り、旧友から送られてきたピエモンテ土産のレシピ本に載った白トリュフのリゾットが、リベンジへと庄イタを駆り立てたのです。いざ鎌倉!

U_TANCHO_OFUNA.jpg

【Photo】大船駅西口から徒歩3分のアトリエキッチン鎌倉へと向かう道すがら。店の前を流れる柏尾川に架かる電線に留まる鵜(ウ)の群れ。庄イタの目には、ウ長調の「白トリュフ序曲」の譜面であるかのように映った

 庄イタにとっては、期せずして〝ピエモンテ同窓会 第2章〟の場となったアトリエキッチン鎌倉を主宰する和田茂幸さんは、自然豊かな鎌倉市北西部に自家菜園を所有。畑とキッチンスペースを舞台に幅広い世代の食育に資するさまざまな催しを企画・運営しておいでです。

 Facebookを通じ、会費7,000円で事前に提示された白トリュフとピエモンテ料理の夕べのメニューは以下の通り。

 ・前菜:ペペロナータ(パプリカ)など自家製野菜ブルスケッタ3種
 ・チーズ:ロッカベラーノ産山羊のチーズ モスカートのモスタルダ添え
 ・パスタ:タリオリーニ 卵黄と白トリュフ添え
 ・メイン:肉ときのこの煮込み料理
 ・ドルチェ:ビスコッティなど
 ・自家製ワイン3種(シャルドネ、ドルチェット・ダスティ、モスカート・ダスティ)

alba_azienda-rupestr.jpg

【Photo】東の空から昇ってきた晩秋の朝日に輝く朝霧が立ち込めたRupestr のブドウ畑。果樹園なども含めた耕作面積はおよそ3ha。海抜450mの高台にあるブドウ畑から北方に目線を転じた遥か先には、万年雪を頂くヨーロッパアルプスの山並みが連なる

 宿泊客を迎え入れるアグリツーリズモに改装する以前、1994年にブドウの古い品種名を名前にしたレストランとして開業したRupestr。ジョルジョは「ピエモンテの葡萄畑の景観」として2014年にユネスコ世界文化遺産に登録された地元カネッリの大手ワイナリー「Gancia ガンチア」で醸造の仕事に就いていました。

 自家製ヴィーノほか、フルーツのシロップ漬け「モスタルダ」、イタリアンパセリ・オリーブオイル・アンチョヴィなどで作るピエモンテ風ソース「バニェット・ヴェルデ」など、Rupestr製瓶詰め食品も当日は購入可とのご案内でした。とはいえ、何につけ段取り通りには物事が進まないのがイタリアです。

cuccina-bottiglia-rupestr.jpg moscato-rupestr.jpg

 またも短命政権に終わったレンツィ元首相が推し進めた民営化が思うように捗らないイタリアの郵政公社Posteitaliane の国際郵便でカネッリから発送した販売用の荷物は指定通りの期日に届かずじまい。

 よって、Rupestr 滞在時、美味しさに刮目した微発泡性でほんのり甘いマスカット風味の「Moscato d'Asti モスカート・ダスティ」(上右側)を購入しようという目論見は、こうしてあえなく水泡に帰したのでした。Mamma mia !!!

giorgio-kamakura.jpg

giorgio@atrie-kitchin2016-11.jpg

 一度や二度、計画が狂った程度で凹んでいては、飛びぬけて陽気なジョルジョがそうであるように、筋書きのないドラマが日常となるイタリアでは生きてゆけません。

 気を取り直し、白トリュフとピエモンテ料理の夕べの模様をさっくりとご紹介しましょう。

【Photo】夢か現(うつつ)か幻か。幾度となく夢枕に立った白トリュフの精が、庄イタの眼前に現る!!の図。概して内省的な人が多いといわれるPiemontese(=ピエモンテ人)らしからぬジョルジョ。突き抜けた陽気さから、Napoletano(=ナポリ人)に勘違いされるばかりか、そのウェット感が皆無の明朗快活さゆえ、Americano(=アメリカ人)ともいわれるのだとか(苦笑)

mamma-yamaki.jpg

 開始時刻まで幾分か早めに到着したアトリエキッチン鎌倉では、ジョルジョや八巻さんらが仕込みの真っ最中(上画像)

 自ら栽培した白ブドウ「シャルドネ」のみを使用し、数年前にRupestrの地下に完成させた醸造施設で醸すジョルジョとはおよそイメージがかけ離れた(笑)エレガントでスッキリした印象のヴィーノ・ビアンコでまずは乾杯。

cena_tartufi_cucina_piemontesi2016.11.jpg

 蝶ネクタイ姿でビシっと決めたジョルジョが、冒頭にゆる~く挨拶。立食形式で肩が凝らないカジュアルな雰囲気のもとで会合はスタートしました。

atrie_kitchin_2016.11_0.jpg atrie_kitchin_2016.11_3.jpg
atrie_kitchin_2016.11_2.jpg atrie_kitchin_2016.11_1.jpg

 少し熟成させた山羊乳チーズ「ロビオラ・ディ・ロッカヴェラーノ」、ズッキーニやパプリカのブルスケッタ、黒ダイコンなど鎌倉産西洋野菜のバーニャカウダ、鶏肉のキノコソース煮込など、ジョルジョがマンマのクリスティーナから受け継いだ優しい味付けがなされたお手製料理が皿盛りで登場。

tajarin-uovo-tartufo.jpg giorgio@attie-kitchin2-2016.11.jpg

 うやうやしくジョルジョが取り出した白トリュフは、卵と白トリュフを練り込んだピエモンテの乾燥パスタ「Tajarin タヤリン」に混ぜ込んでの提供となりました(下画像)

tajarin-al-tartufo-bianco.jpg

 本来はスライサーで白トリュフを目の前でシュリシュリしてもらい、料理にかけてもらうのが最もトリュフの香りが立つ食べ方です。今季はシーズン当初から白トリュフが不作のため価格が高騰。量の確保が困難だったため、あまねく参加者に白トリュフを楽しんでもらおうというジョルジョの配慮です。

tajarin-ancora.jpg

 それでもお代わりを所望した参加者には2皿目が行き渡る量は用意されていました。古代ローマに起源が遡るというレディ・ファーストを流儀とする庄イタは、最後に鍋にこびりついた残りをパンですくって食べるピエモンテ式食べ方を実践(上画像)

 次に予定にはなかった料理が登場。加熱すると甘味が出るポロネギ(リーキ)の旨味がジンワリ広がるリゾットです(下画像)。滋味深く優しいジョルジョの味付けに、ピエモンテ滞在中、我が家代わりに温かく迎え入れてくれたRupestrで過ごした日々が蘇ります。

risotto-atrie-kitchin.jpg

 前稿でご紹介した旧友から送られてきたRiso Gallo社発行のレシピ本101 Risotti dei migliori ristoranti del mondo.(=世界の至高のレストランのリゾット101皿)に推挙したいリゾットに続く〆のドルチェは、モスタルダが付け合わされたピエモンテの素朴な焼き菓子2種類とパンナコッタ(下画像)

dolci-atrie-kitchin.jpg

 Rupestr 滞在中、道案内をしている自覚があるのかないのか、どこへ向かうにもジョルジョは猛スピードで先導するのが常。遅れを取ってはならじと大型ワゴン車でタイヤを鳴らしつつ爆走しなくてはなりませんでした。

 時として立ち込める濃霧で前方の視界が悪い中、車酔いとも戦っていたはずの同乗者を含め、強いられる緊張から解放されたのがRupestrでジョルジョが用意する食事だったのです。

Compagna-Piemonte.jpg

【Photo】(左から)料理研究家の山内千夏さん、今回も元気いっぱいだったジョルジョ、同窓会メンバーの西川温子さん、同じく沖村かなみさん、同じく八巻元子さん、庄イタ

 前世の記憶を呼び覚ます白トリュフとジョルジョの手料理で、郷里への里心がむしろ募った感すらあったこの集い。年が改まってから、自分はなんと果報者なのだろうと実感した後日談がありました。それはまたいずれ。

baner_decobanner.gifブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 

2017/01/06

目の保養だけじゃねぇ...。

夢か現(うつつ)か幻の食材か

 2017年の第一弾は、酉年の幕開けを告げるイタリア語で雄鶏を意味するGallo(ガッロ)にちなんだ話題から。

bottega-delizie-bra.jpg

【Photo】籠の鳥状態に置かれた禁断症状を和らげてくれたブラ土産。ブラ中心部、ポレンツォ通りにある菓子店兼サードウェーブ系カフェ「Bottega delle Delizie ボッテーガ・デッレ・デリツィ」のチョコレート3種。(Photo上下とも時計回りに)特産のヘーゼルナッツのクリームを約30%の割合でチョコレートに配合した「ジャンドゥーヤ」、ヘーゼルナッツクリームの割合が多い「ノチオーラ」、定番のアーモンドではなくピエモンテではへーゼルナッツを使うヌガー「トロンチーノ」をそれぞれチョコでコーティング

dolci-delizia-bra.jpg

 心地よい香りと希少性ゆえに高値を呼ぶ白トリュフが旬を迎えた(9月中旬~12月中旬ごろ)さなかにピエモンテ州クーネオ県Bra ブラ周辺と、ミラノおよびロンバルディア州北部の湖水地方を11日間に渡って訪れた学生時代の旧友から、ピエモンテ菓子とともに一冊の本が送られてきました。【下画像】

 見るべき場所、食べるべき店、飲むべきヴィーノに関して事前に情報提供をしたお返しに気を使ってくれたのです。ありがたや、ありがたや。

guida-gallo.jpg

Guida Gallo 9a edizione  101 Risotti dei migliori ristoranti del mondo.

 手元に届いたのは、リゾットを主力とする加工食品メーカーRiso Gallo社が、2013年に9版目として発行したリゾットのレシピ本です。

 同社はアドリア海の女王として君臨したヴェネツィア共和国と地中海交易の覇権を競った歴史に彩られたジェノヴァで創業。海洋交易に活路を見いだした都市国家の気風そのままに1856年の当初より南米市場を開拓。

Riserva-Carnaroli.jpg

 1926年には稲作が盛んなロンバルディア州パヴィーア県に本拠地を移転。イタリア産米を中心とする多彩な商品を取り揃える食品メーカーとして経営規模を拡大し、今日に至っています。

【Photo】リーゾ・ガッロ社の商品ラインナップの中では、リゾットに最適なリセルヴァ・ガッロ・リーゾ・カルナローリ

 このレシピ本で紹介されているのが、イタリア全土から選りすぐったリストランテ50軒と世界各国から厳選した51軒のイタリアンレストランで提供する101のリゾット。

 4日間のピエモンテ滞在中、誕生日を迎えた友人に、Fossano フォッサーノで連泊したホテルから贈られたのだといいます。

 各レストランとシェフのプロフィール紹介が、イタリア語と英語で併記され、巻末にリゾットのRicette(レシピ)が記載される構成になっています。

 紹介されるリゾットは、どれも美味しそう。とりわけ庄イタの唾液腺を制御不能にしたのが、Risotto alla Nocciola Tonda Gentile delle Langhe IGP, Araguani in purezza e tartufo bianco. (ピエモンテ州南部ランゲ丘陵で産出する最高級ヘーゼルナッツ「トンダ・ジェンティーレ」のリゾット・ベネズエラ産ピュアチョコレート「アラグアニ」と白トリュフ風味)【下画像】

Risotto_nocciola-araguani-tartufo.jpg

 こちらはヴァッレ・ダオスタ特別自治州出身のシェフ、ミルコ・ザーゴ氏のスペチャリテ。イタリア名誉市民権を有する若かりし頃のロバート・デ・ニーロを碧眼にしたような風貌の持ち主です。

 プーチン大統領も常連だというロシア・モスクワのリストランテ「Syr」が2001年にオープンした当初から厨房を任されているザーゴ氏の料理人としての原点はピエモンテ料理。

 ナッツ系のフレーバーとタナロ川沿いの石灰質土壌由来のミネラリーさが特徴となるヴィーノ・ビアンコ「Roero Arneis ロエロ・アルネイス」を冷やし過ぎずに大きめのグラスで合わせたいこの一皿。ランゲ地方の伝統食材を惜しげもなく使用した逸品です。

 記載されたレシピ(4人分)をざっとおさらいすると...。

tonda_gentile.jpg

 1.トンダ・ジェンティーレ【上画像】(400g)を1,200mℓの鶏のブロードに3時間浸す
 2.軽く炒めたカルナローリ米(240g)バター(40g)バニラビーンズ(少量)をブロード
   で加熱

 3.白ワイン「ロエロ・アルネイス」(40mℓ)を加え、乳化してとろみが出たら火を止める
 4.白ワイン(ないしはブドウの搾りかす)を塗り込んで熟成させたテストゥンチーズ
   (60g)、バター(40g)と塩コショウ(適量)で味を整える

 5.ヘーゼルナッツペースト(12g)と同量のピュアカカオで風味付け
 6.懐事情が許す限り、破産しない程度に白トリュフを思う存分にスライス!!

 こんなレシピの記載内容から完成形の味を想像するだけでも幸せな気持ちになる料理です。

casinanelnuovo_isoladasti.jpg risotto_casinanelnuovo.jpg

 ページをめくっていくと、Isola d'Asti イゾラ・ダスティ「Il Cascinalenuovo イル・カシナーレヌオーヴォ」【上画像】や、Canelli カネッリ「San Marco サン・マルコ」【下画像】など、庄イタが訪れたピエモンテ州のリストランテも料理とともに登場します。

san-marco_canelli.jpg risotto_san-marco.jpg

 スローフード協会が隔年で開催、東北から生産者や料理人が参加した「テッラ・マードレ」と「サローネ・デル・グスト」の取材で、2006年に訪伊した際〈2007.6拙稿「Terra Madre テッラ・マードレに参加して」「Salone del Gusto サローネ・デル・グスト体感レポート」参照〉、ご一緒した懐かしいメンバーと再会する機会が、ちょうど10年の時を経て巡ってきました。

 それは、神奈川県鎌倉のJR大船駅近くにある「アトリエキッチン鎌倉」で催された「白トリュフとピエモンテ料理の夕べ」と題された会合でのこと。

tartufo-hunt2.jpg

 目の保養となるレシピ本を眺めてヨダレをダダ漏れさせるだけや、同行が特別に許されたトリュフ狩り【上・下画像】の記憶の糸をたぐり寄せ、白トリュフの香りを反芻する白日夢に溺れるだけでは到底気が済みません。

tartufo-hunt3.jpg

 夢を現(うつつ)とすべく、白トリュフの芳香に誘われて〝いざ鎌倉〟とばかりに馳せ参じた当日の模様は、次回さっくりとレポートします。

baner_decobanner.gifブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 

2016/12/18

神ってる(?) 聖地巡礼

2016 年末恒例            
庄イタ的流行語大賞はこんなカンジ。


 毎年12月1日に発表される今年の新語・流行語大賞にエントリーされた2016ベスト10の中で、庄イタが最も注目したのがイタリア語の「アモーレ」。

 サッカー・セリエAの名門クラブ「インテルナツィオナーレ・ミラノ」所属で、日本代表チームのDF長友佑都選手が、会見で交際相手の女優平愛梨さんを指して呼んだ表現です。

via_amore.jpg【Photo】ロケ地:愛と幸福が天から降ってくるアモーレの国イタリア。リグーリア州の世界遺産「Cinque Terre チンクエ・テッレ」を構成する五つのコムーネ(村)のうち、Monterosso モンテロッソとRiomaggiore リオマッジョーレ間約1kmが絶景のハイライトとなる全12kmの遊歩道「Via dell'Amore (=愛の小道)」。恋が成就する恋人たちの聖地に出没した挙動不審者

 よほど清廉潔白な聖人君子だと自らを勘違いしているのでしょう。寄ってたかって建前論を振りかざし、芸能人のプライベートに関し、連日のごとくゲス不倫と称して集団ヒステリー的に騒ぎ立てた週刊誌やテレビのあまりの低俗ぶりには心底うんざり。そんな今年上半期の芸能ニュースで、一服の清涼剤となった言葉でありました。

 長友選手が説明した通り、Amoreは、イタリア人が日常会話において頻繁に使う単語です。広く愛情を意味する言葉であり、それは時に恋人や夫婦間で使われる呼称であり、我が子やペットなどの愛おしい対象を指す美しい響きを持った言葉でもあります。

antonio_canova_amore_psiche-001.jpg【Photo】 ヴェネト州内陸北部のポッサーニョで生まれ、ヴェネツィアとローマで活躍した彫刻家アントニオ・カノーヴァ(1757-1822)。代表作の一つがギリシャ神話に題材をとった「Amore e Psiche アモーレ・エ・ プシュケ」。絶世の美女プシュケは美の神アフロディーテの嫉妬を買い、息子のアモーレに鉛の矢で射るよう命じるも、彼は美しい彼女に恋をしてしまう。翼を持つ神アモーレとの叶わぬ恋に身をやつした挙句、愛に殉じて永遠の眠りについたプシュケは、アモーレのキスで蘇り、結ばれる(ルーヴル美術館蔵)

 自己紹介プロフィールでも述べている通り、庄イタは野球には関心薄です。東北楽天ゴールデンイーグルスのホームスタジアムに行くのは、付き合いで1シーズンに数回だけ。しかもその目的は野球観戦ではなく「緑のイスキア」のナポリピッツァなのです。行ったら行ったで、ピッツァイヨーロの庄司建人さんからは「おや、珍しい~」と言われる始末。

joker-carte.jpg ゆえにリーグ制覇を果たした広島東洋カープの緒方監督が発信源となったという初耳の「神ってる」が年間大賞に選出されたのは、意外であり、改めてジャッポネーズィは野球が好きなのだと実感しました。

 一昨年、一世を風靡した日本エレキテル連合や、昨年ブレイクしたとにかく明るい安村などのように、恐らくは一過性になるであろう「PPAP」や、受賞者は辞退せず、胸を張って出てきて説明責任を果たしてほしかった「盛り土」、米大統領選での二者択一のババ抜きで、よもやのJOKERを引いてしまった格好の「トランプ現象」など、今年の世相を反映した言葉がベスト10入り。
 
 その中では、「千と千尋の神隠し」以来、邦画としては15年ぶりに興行収入200億円超のメガヒットとなった「君の名は。」に登場する舞台を訪れる「聖地巡礼」が社会現象化。若年層を中心に影響力は今だ衰えを知りません。

【Movie】 ©2016「君の名は。」製作委員会

 夢で体が入れ替わった高校生の男女が繰り広げる奇蹟の物語を、リリシズム溢れる透明感のある美しい映像で綴るこの作品。その舞台となった岐阜県飛騨や東京都内各所、そして秋田内陸縦貫鉄道の無人駅「前田南駅」は、訪れる巡礼者で賑わっているのだとか。

 映画で流れる劇中曲「前前前世」に反応したのが前世イタリア人。庄イタも時流に乗り遅れまいと、このファンタジーを9月に鑑賞しました。

 8割以上が20代と思われる観客で、ほぼほぼ劇場は満席。いささかアウェー感を味わいつつも、彗星が糸守へと降ってくるオープニングから運命の糸をたぐり寄せ、時空を超えて出逢う二人に自らの青春時代を重ね、キュンキュンしてしまう昭和世代なのでありました。

。.:*(*゚∀゚)*:.。.. tuo nome ..。.:*♡*:.。 your name ..。.:*(゚∀゚*)*:.。


bio-napule1.jpg【Photo】「アミーコ・ビオ・エ・ナプレ」Dランチ(3,200円)よりアンティパスティ・ミスティ/(右上から時計回りに)カポナータ・ペペロナータ・サラメミラネーゼ・コッパ・海老のクスクスサフラン風味・鯛のカルパッチョ・自社農園産カルチョフィのオイル漬け。Vine della Casa(ハウスワイン)はグラスで白をオーダー

 話は変わって、先月、泊りがけで鎌倉と横浜に出向く用事がありました(いずれも後日レポート予定)。池袋で昼時を迎えた翌日のランチは都内百貨店最大級の46店舗が集うレストラン街へとリニューアルした池袋東武百貨店の「SPICE スパイス」11F「Amico Bio e Napule アミーコ・ビオ・エ・ナプレ」へ。

bio-napule2.jpg【Photo】プリモピアット/ ピッツァ・マルゲリータ(Sサイズ)

 このピッツェリアは、南青山の名店「Antica Pizzeria e Trattoria Napule ナプレ」が、千葉県八街市(やちまたし)に所有する自家農園で栽培する野菜のほか生地に使用するMolino Grassi モリーノ・グラッシ製の小麦粉まで、オーガニックをテーマとして今年2月にオープンさせた店です。

bio-napule3.jpg【Photo】セコンドピアット/ 鶏腿肉の煮込みレモンクリームソース風味

 エスカレーターで11Fへとフロアを上がってゆく途中、6Fリビング用品フロアで「日本橋木屋」の研ぎ師が実演販売をしていました。ドイツで購入し、長く愛用した モリブデンバナジウム鋼製の包丁が、研いでも切れ味が戻らなくなったため、代替えに炭素鋼の包丁を探していたのです。

 日本橋木屋を訪れた外国人観光客が、切れ味の良い鋼(はがね)製の包丁や爪切りをこぞって買い求めているのだという昨今。それは、前世イタリア人にとっても渡りに船の展開に他ならないのでありました。

 木屋の包丁を取り扱う仙台の百貨店でも木屋の研ぎ師への刃研ぎ発注が可能だというので、即断即決。トマトの切れ味が悪くなったら、研ぎに出す潮時なのだといいます。

kiya-ikebukuro.jpg

 2フロア上の催事場では、山形物産展が開催されており、隣県の見知った産品が並んでいました。ざっと売り場を見渡すと、そこには馴染み深いお二人がおいででした。ちょっとしたイタズラが実は大好きな庄イタ。そっと背後から近寄ってゆきました。

 英語・イタリア語以上にヒアリングに関しては9割以上を理解する庄内弁を封印。山形県内でありながら、庄内とは異郷と呼んで差し支えない山形内陸のイントネーションで、試食用に小分けした特別栽培米つや姫を来店客に振る舞っていた男性に庄内ビギナーを装って話しかけました。

「この庄内のコメ、うめんだべが?(=美味しいのですか?)」

inoue3_ikebukuro2016.jpg

 珍客の登場に目を丸くしたのが、旧知の間柄である鶴岡・「井上農場」代表の井上馨さん。その隣には奥様の悦さんもご一緒でした(上画像)〈2015.5拙稿「神通力ふたたび!? 鶴岡 後編~東京八丁堀・てんぷら小野@山形 鶴岡・井上農場」参照〉

 予想だにしない池袋での邂逅にはお互いビックリ。井上農場を取り上げた前回レポート「神通力ふたたび!?~鶴岡前・後編」 で引きの強さを発揮した庄イタですが、今回も神ってる超能力を実証した格好となりました。

 春先にお邪魔して以来、ご無沙汰していたご夫妻に「そのうち伺います」と申し上げ、レストランフロア11Fへと移動したのでした。

。.:*(*゚∀゚)*:.。.. incredibile ..。.:*!!*:.。 bikkuri pon ..。.:*(゚∀゚*)*:.。


 井上さんとの漠然とした約束を果たす日が訪れたのは、それから2週間後の12月初旬。平田赤ネギ〈2007.9拙稿「平田の赤ねぎ」参照〉が美味しくなる季節となり、山伏ポーク〈2014.7拙稿「山伏ポーク」参照〉、そして井上農場のジューシー小松菜を取り揃え、仙台で購入可能な石巻・十三浜ワカメを含め、最強豚しゃぶの具材調達に伺ったのです。

 並外れた餅の食味を知ったが最後、ほかでは満足がゆかぬのが「本女鶴」です〈2012.10拙稿「酒田女鶴と本女鶴 女鶴餅をおいて餅を語るなかれ」参照〉。生産者である酒田市布目の堀芳郎さんのもとを訪れ、希少な糯米を譲って頂くのも外せないミッションでした。

mezuru2016.jpg

 冬型の気圧配置による北西の季節風で発生する雪雲のヴェールで山腹を覆われることが多い鳥海山が、その日は珍しく全容を見せていました。伺った堀さん宅で糯米を3kg購入させて頂き(上画像)、今回の庄内訪問の主要目的の一つをクリア。母が此岸から旅立った今年は喪中のため正月祝いはできませんが、新たな年を迎える準備はできました。

chokai-rosso2016.12.3.jpg

 堀さん宅へと向かう時間帯と重なった日没を挟んで目の当たりにしたのが、表情の異なる出羽富士の姿です。地平線に沈もうとする夕陽に照らされた赤富士(上画像)と、その後のブルーグレーの空に浮かび上がる純白の雪を頂く山肌のコントラストからなる青富士(下画像)は、もうすっかり冬の装い。

 国内有数の渡り鳥の越冬地となっている最上川河口の塒(ねぐら)に向かってゆくのは、V字型の編隊を組んだオオオハクチョウたち。時おり鳴き声を上げながら西の空へ飛んでゆきます。

chokai-blu2016.12.3.jpg

 岩ガキ目当ての7月と、シーズン最後のブドウ狩りに出向いた10月の庄内訪問時には太田政宏グランシェフの料理を食べたくて「L'Oasis ロアジス」を訪れました。〈2014.1拙稿「新春縁起藤沢カブ~年忘れ恒例食べ納め@酒田L'Oasis ロアジス」参照〉久方ぶりに酒田に投宿した今回は、JR酒田駅前の「ル・ポットフー」へ。

 全国の食通・各界の著名人から最大限の賛辞を贈られた〝フランス風郷土料理〟という新機軸を太田シェフと佐藤久一(1930~1997)が二人三脚で打ち立てたル・ポットフーは、久一が吟味した調度品が随所に散りばめられ、伝統と風格を漂わせています〈2008.3拙稿「佐藤 久一さんのこと 〈前編〉世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男の物語」参照〉

lepotaufeu1-2016.12.3.jpg

 1975年(昭和50)に開業して以来、数々の伝説を生んだ厨房に立つのが、太田シェフの愛弟子である加藤忍シェフ。食の都庄内ならではの吟味した素材を活かす加藤シェフの味付けは庄イタ好みです。週末でほぼ満席の賑わいだった今回、ディナーで注文したのが7,500円のコース。

 アミューズのカナッペに続いてソムリエの小松俊一さんが「お箸でどうぞ」と運んできたのが、本日のオードブル「スズキとイクラのカルパッチョ風」(上画像)

lepotaufeu2-2016.12.3.jpg

 魚料理がいつも美味しい店ですが、特にピカイチだったのが、香ばしい焼き目の入った真鯛と舞茸の香りがベストマッチだった「真鯛のキノコソース風味」(上画像)。食感の異なる3つの部位を味わえた「だだちゃ豆で育った羽黒綿羊のワイン煮込み」(下画像)では、サフォーク羊の生産者である丸山光平さんの顔が浮かぶのでした。

lepotaufeu3-2016.12.3.jpg

 19年前のジャスコ撤退と昭和40年代に竣工したビルの老朽化による再開発計画が2度頓挫している酒田駅前。2018年に着工、2021年3月の竣工を目指す事業計画に伴い、現在の店は姿を消します。

 以前に話を伺った小松さんによれば、活かせる部材は可能な限り新店に移す予定なのだそう。

lepotaufeu2015.11.jpg

【Photo】伝説の男・佐藤久一の審美眼で選び抜いたルポットフーの内装。地中海クルーズの客船をイメージしたメインダイニングに対し、厨房に面した「ル・シャトー」(上画像)と「ラ・スフレ」の2つの個室の壁面は、淡いグリーン地に銀白色の小鳥や草花の図柄

 出生が酒田の銘酒「初孫」改名の由来となり、映画評論家の淀川長治が世界一の映画館と評した「グリーンハウス」の若き支配人として、後半生は料理で人を幸福にすることに情熱を燃やし続けた不世出の男。その夢の結晶が、原型を留めるうちに事情が許す限り足を運びたいと願う庄イタなのです。

。.:*(*゚∀゚)*:.。.. buonisshimo ..。.:* φ(*^^*)ψ*:.。umecheno ..。.:*(゚∀゚*)*:.。


 前日に続き穏やかな天候に恵まれた翌朝は、鳥海山の伏流水が川となって流れる牛渡川へ。その目的はサケの調達です。お酒じゃありません、鮭です。(日本酒は別途「木川屋山居店」に立ち寄り、大吟醸と純米&本醸造を、おおよそ2:8の割合で混醸する買い得感満載の限定品「上喜元 翁」(1800mℓ 2,160円)を購入)

ushiwatari2016.12.jpg

【Photo】箕輪鮭採捕場から歩いて3分。途中に堰があるため、杉林に囲まれた中流域の流れは一見したところ緩慢な牛渡川。川岸の随所から水が湧き出している

 産卵のため牛渡川に遡上してくる1万~2万尾のサケを捕獲し、孵化・放流を行う箕輪鮭採捕場では、10月から12月の漁期に捕獲したオス鮭の風干しやトバを購入することができます。

minowa-sake-A2016.12.jpg

【Photo】箕輪鮭採捕場の目の前を流れる牛渡川下流。同じ場所を幾度も行き来し、身を横たえながら動かして川底に産卵用の凹みをつくろうとするメス。その横をオスが離れない

 新潟村上〈2007.11拙稿「鮭のまち村上」参照〉と同じく、河口からほど近い遊佐町箕輪。清らかな鳥海山の伏流水の川を遡上して禊(みそぎ)を済ませたサケは、魚体のダメージがなく沖捕りのサケと比べても味に遜色はありません。

minowa-sakeB2016.12.jpg

 採捕場の駐車場には地元庄内はもちろん、秋田ナンバーの車も。1尾1,000円で直売する捕獲したてのオス鮭と同様、売れ行きの良さを物語るかのように、この日はまだ風干しが足りないオス鮭しかなかったため、持ち帰って追熟させるべく生乾きを1尾3,000円で購入したのでした。

 池そのものがご神体として地元では篤い信仰の対象となっているのが、採捕場裏手にある「丸池様」。エメラルドグリーンに輝く湧水だけでできている池を訪れてから、久しぶりに牛渡川に沿って歩いてみました。

ushiwatarigawa2016.12.4.jpg

 師走に入ったものの、日差しが温かく感じられたこの日。まだ秋の名残のトンボが飛んでいました。バイカモが自生する清流の上流から流されてきたのが、流れが穏やかな堰の上流部に産卵しようとして失敗したのでしょうか、羽根を動かして脱出しようともがく一匹のトンボ(下動画)

 鳥海山の水の恵みはサケだけではなく、さまざまな生態系を育む命の源になっているのです。一日一善。どれほど命を長らえるのかはわかりませんが、枯れススキの穂を差し出してトンボを救出。羽根が乾くよう日の当たる場所に置いて立ち去ったのでした。

sake-ireito-minowa.jpg

【Photo】箕輪鮭採捕場の裏手には、1976年(昭和51)に建立された鮭慰霊塔がある。サケ漁が終わる毎年2月、慰霊祭を執り行う石塔に鳥海山と風干されるサケが映り込んでいた

。.:* ((((° (>*:.。.. metempsicosi 。.:*ミ☆彡 *:.。rinne-tensho..。.:* <)°))))*:.。


 そして向かったのが「胴腹滝」。町内各所に鳥海の水の恵みが湧き出す地元・遊佐(ゆざ)では「どうっぱら」と呼ばれる庄内屈指の名水です。

1doppara2016.12.jpg

 人の身体を守護する子安大聖不動明王を本尊とする胴腹滝不動堂のお社を挟み、左右2筋の伏流水が岩場の中腹から滝となって湧き出しています(上画像)。湧出地点から水場まで直接引かれた水を求め、この朝も訪れる人が引きも切らず。

2doppara.2016.12.jpg

 湧出地点が左右並んでいながら、飲み口が異なる胴腹滝。水場に居合わせた4人の人と言葉を交わしましたが、左右好みや用途は人ぞれぞれ。庄イタは右側の軟らかい口当たり水をいつも汲むのですが、今回は左側のキリっとしたミネラリーな印象の水も汲み、料理やコーヒーなど用途に合わせて使うことにしました。

 3,4年前に駐車場が整備されたほか、今回驚いたのが、工事現場で使われる手押しの一輪車(ネコ車)まで設置されていたこと(下画像)。これで鬱蒼とした杉林の中に延びるおよそ100mの道のりをズシリと重いポリタンクを抱えて往復する難行苦行の必要がなくなりました。

3doppara.2016.12.jpg

 胴腹滝が下流で合流するのが月光川(がっこうがわ)。鳥海山を間近に仰ぐ遊佐町を流れるこの清流には、映画「おくりびと Departures」が公開された2008年(平成20)から数年の間、聖地巡礼を先取りをした格好で多くの人が訪れた場所があります。

【Movie】 ©2008「おくりびと」製作委員会
 
 アカデミー外国語映画賞を筆頭に、日本アカデミー賞の最優秀作品賞などの10部門ほか、2008年の映画賞を総なめにした感があった映画公開から8年。本木雅弘さん演じる納棺師、小林大悟が劇中で、鳥海山を背景にチェロを演奏した堤防には、現在も一脚の椅子が置いてあります。

chokai-okuribito.jpg

 庄イタ以外にも30代前半と思われ数名が、庄イタに遅れること数分後にやって来ました。庄内各地の美しい風景を四季それぞれに散りばめつつ、死を、つまりは生命の尊厳というテーマを描いたおくりびと。ひと頃のブームは去っても、人々の記憶から忘れ去られることはないのでしょう。

sake@gakko-river2016.12.jpg

 映画では川を遡上するサケを大悟が見つめるシーンが撮影された旧朝日橋。そこに立って月光川を見下ろすと、4~5年後にこの川へ戻ってくるかもしれない子孫を残すという最後の使命を果たすべく、傷ついて白化した魚体に鞭打って産卵場所を求め上流に向かわんとするサケの姿がありました(上画像)

 その上流には、すでに命脈が尽き果てた2匹のサケが、川岸に身を横たえています(下画像)。その遺骸は冬を越し、孵化した稚魚の餌となります。

asahibashi-yuza2016.12.jpg

 母なる川への遡上を始める直前から一切エサを食べなくなるというサケとは違い、人は命ある限り、泣く子と空腹には勝てないのが運命(さだめ)。

 上質な脂が乗ったノドグロ炙り(⇒香り高く絶品!)・甘味とコクが堪能できるマハギの肝和え・甘エビよりも旨味が強いガサエビなど、全10貫「旬のおまかせ握り」(税込3,240円)に舌鼓を打った酒田「こい勢」に出向く前、遊佐町パレス舞鶴で開催していた「遊佐町フードフェスタ2016」会場に立ち寄って試食できたのが、高級魚「メジカ」の握り(下右画像)

 主にオホーツク海の定置網で捕獲されるシロザケのうち、およそ10,000分の1の割合でしか捕獲されず、超高値で取引されるのが鮭児です。次いで高値を呼ぶのが、1,000匹に1匹いるかどうかという希少なメジカ

 その母川となる月光川の支流である牛渡川で孵化・放流を現在実施しているのが箕輪、滝淵川の枡川、高瀬川の各漁業組合です。秋から冬場にサケ漁を行う半農半漁の組合員が、個体の識別番号をつけて放流したサケの稚魚は、日本海を北上し北海道からべーリング海域まで旅をします。

nodoguro-koise2016.12.jpg gasaebi-koise2016.12.jpg
mahagi-koise2016.12.jpg mejica-yuza2016.12.jpg

 鼻先に目が寄っていることから目近(メジカ)の名で呼ばるこの魚。1か月~2か月後に産卵を控え、たっぷりと栄養を蓄えて生まれ故郷の川に南下を始める前に捕獲されるため、キメ細やかな身には良質な脂が乗っています。クロマグロの中トロにも似た美味は、刺身で食するのが一番。

 今回、縷々ご紹介した庄イタにとっての聖地巡礼は、流行語大賞に選出されるような移ろいやすい一過性のものではありません。

 映画「君の名は。」の主人公・立花瀧の声を演じた神木隆之介さんと同じ誕生日の庄イタも、映画冒頭で流れる瀧のモノローグと同様、これからも、ただずっと何かを、誰かを探してゆくのでしょう。

baner_decobanner.gifブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2016/05/22

余は如何にしてバッカス信徒となりし乎

Road to バッカス @カラヴァッジョ展


 幼少期から水で薄めたヴィーノを体内に摂取することが珍しくないイタリア人は、自身のアルコール摂取に関する限界を知悉しているため、人前で泥酔する醜態を晒すことがありません。

 そんな前世における幼児体験のおかげか、庄イタは常に品行方正な飲み方を心掛けています。とはいうものの、過去において脛にキズがないわけではありません。

 東京支社勤務時代、JR市ヶ谷駅のすぐ目の前にあった越前料理店「みくに」を会場に、現在は合併により社名が無くなった某大手広告会社と全国各地の新聞社有志による宴席が例年12月に開催されていました。

sake-yawaragi-acqua.jpg

【Photo】〝百薬の長〟は楽しく適量を。和らぎ水も忘れずに。週に2日は休肝日。以上、自戒の意味を込めて。(本文と画像は関係ありません)

 そこでは大杯に注がれた日本酒を飲み干す儀式が恒例化しており、座の盛り上がりとともに、清酒+ビール、そこに+刺身のワサビ醤油、さらに+その他モロモロが加わり、正体不明の特製日本酒カクテルと化してゆくのでした。

 ゆえに悪酔い必至ゆえ、参加するブロック紙・地方紙業界では知らぬ人の無かったこの酒席。初参加した転勤1年目は、猫をかぶっていたために大過なく乗り切ったものの、標的となった2年目は翌朝出社できない羽目に。その反省から自分なりにコツとペースをつかんだつもりの3年目。事件は起きました。

 陶酔の極みへと至るディオニューソス的な盛り上がりは例年通り。被弾多数で撃沈は免れるも、したたか呑んでお開きとなりました。店の出口付近では、「次の店行くぞo(`・д・´)ノ━!!」的な雄叫びが響き渡っていましたが、奈落の底への誘いには応じない理性は働いていました。

Dionyusos-heracles.jpg

【Photo】酒神ディオニューソス(バッカス)とヘラクレスの酒豪ぶりを寓意化した1世紀頃のモザイク。カエサルやアウグストゥスの時代、対立するパルティア帝国への前線都市として、東地中海地域最大のローマ属州都市として栄えたアンティオキア(現トルコ南部アンタキヤ)。AD526 に発生した大地震で大打撃を受け衰退した都市の屋敷跡より出土した(本文と画像は関係ありません)

 当時、社宅があったJR常磐線松戸駅に向かうべく、背後の絶叫を振り払うように、市谷見附の横断歩道を急ぎ渡り終えました。そしてJR市ヶ谷駅の改札を通過した時、勝利を確信したのです。

 「ムフフ...。今年は昨年よりは飲んでないぞ

 市ヶ谷から4駅目の秋葉原、そしてJR山手線日暮里駅で乗り換えるため、JR総武線の各駅停車電車に乗り込んだのが、夜9時過ぎ(路線図参照)

JR-Tokyo.jpg

 ところが暖房が入った車内で酔いが回ったのでしょう。家路について安心したのも手伝い、吊革につかまったまま、知らぬうちにzzz...。ふと我に返ったのが、乗り換えるつもりだった秋葉原を14駅も通り過ぎた先の津田沼の手前。

sobuline-JREast.jpg

 「emoticon.jpg あ゛ーっ、乗り過ごした!

 かくなる上は、作戦変更。西船橋まで3駅ほど戻り、JR武蔵野線で5つ目の新松戸駅へ向かい、JR常磐線上り電車で3つ戻って松戸を目指そうと、津田沼駅で慌てて電車を降りました。

 総武線上り電車に乗り換え、西船橋駅で電車を降り、階段で武蔵野線ホームに移動。5分間隔で運行する総武線ほどは運転本数が多くはない武蔵野線ゆえ、間隔が10分以上空いていたはず。電車を待つ間、ベンチに腰掛けると再び睡魔が襲ったのです。

JRE_MusashinoLin.jpg

 ...zzzz。そのままどれほど時間が経過したのでしょう。なかば意識が朦朧としつつも、覚醒した庄イタが乗り込んだ武蔵野線上り電車。5つ目の新松戸で乗り換えをするはずが、空いていた座席に腰掛けてしまったことで、さらに深手を負う羽目に。

 電車に揺られるうち、意識は遠のき、再び夢の世界へ。zzzzz...。トロイメライの幻聴とオーバーラップして耳に届いた車内アナウンスに促されるように目覚めたのが、終点の府中本町駅の手前。

LineMap_Musashino.jpg

 西船橋から乗車して間もなく眠りにつき、新松戸で常磐線に乗り換えることなく、なんと1時間あまりをかけて関東平野を半周していたのです。そこは目指すべき松戸とは正反対の方向(上路線図参照)

scream-munch.jpg

 「マンマ・ミーア!!

 もはや酔いも醒めた頭で、「やれやれ、下り電車に乗り換えて新松戸経由なら、1時間30分ほどで松戸まで戻れるかしらん」と思ったのも束の間。

 日付が変わって零時半近くに府中本町を出る下り最終電車は、わずか5つ先の東所沢駅止まりであるという冷酷な事実を車内アナウンスは告げていました。

 「オー・マイ・ガーっ!!!

【Photo】 Skrik/ The Scream by Edvard Munch,ムンク(1863-1944)「叫び」1893年 (本文と画像は関係ありません)

 朝が来れば、また出勤せねばなりません。窮地に立たされた庄イタに残された道は、少しでも家の近くまで電車で戻り、訪れたこともない東所沢から深夜タクシーに乗るしかないのでした。

 総武線の吊革、そして西船橋駅のベンチ(⇒この滞留時間が最長だった)、さらに武蔵野線の座席で、都合3時間近くも睡眠をとったため、これっぽっちも眠くありません(笑)。財布の中を確認し、所持金で社宅まで戻れるであろうことを確認。わずかな乗客を乗せた最終電車に揺られること20分にも満たない小さな旅はあっけなく終了。

Drinking_Bacchus.jpg

【Photo】栴檀は双葉より芳しというべきか。どう見ても成人年齢に達していないバッカス神。下から出しながら葡萄酒をグビグビ飲み続ける秘技はさすが酩酊の神 Bacco che beve / Drinking Bacchus by Guido Reni, ボローニャ派のグイド・レーニ(1575-1642)「酒を飲むバッカス」1623年 (本文と画像は関係ありません)

 否応なしに初めて降り立った終着の東所沢駅。終点とはいうものの、ヨーロッパの鉄道のような始発終着となる大きなターミナル駅でもなく、予想だにしない小さな駅だったので、タクシーがいるか不安に駆られました。

 捨てる神あれば拾う神あり。南口駅前のタクシープールには客待ちのタクシーが数台。ドライバーに「松戸まで」と告げた時のリアクションは、今もはっきりと覚えています。 

 深夜割増時間帯で、40km 離れた松戸まで乗車する上客が舞い込んだ運転手は、後部座席に乗り込んだ庄イタに対して開口一番、弾んだ声でこう言ったのです。

 「お客さーん、電車乗り過ごしちゃったんでしょ?」

 言わずもがなの指摘を受けた庄イタは、ぐうの音も出ません。自嘲的な愛想笑いを返すのがやっとでした。そうしてまんじりともせず1時間以上をかけて社宅に到着。2万円+α が飛んで行ったとさ (T T。

 この痛すぎる出来事があって以来、「酒は飲んでも飲まれるな」を信条に、宴席ではバッカス神のご加護を願うようになったのです。

LOTTE-Bacchus.jpg

【Photo】画家としての活動は15年ほどだったにも関わらず、バロック絵画の先駆者となったカラヴァッジョ初期の傑作「バッカス」(背景)。1913年に見い出されるまで、ウフィッツィ美術館の収蔵庫で人知れず眠っていた。ギリシャ神話に登場するブドウ酒と酩酊の神は、ブランデーを中に閉じ込めたチョコレート、ロッテ「Bacchus (バッカス)」でもおなじみかと

 ドラマチックな陰影表現を取り入れ、バロック絵画への扉を開いたのが、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571-1610)。フィレンツェ・ウフィッツィ美術館で対峙して以来、日本初公開となるバッカス像との再会が、東京上野・国立西洋美術館で6月12日(日)まで開催中の「カラヴァッジョ展」で実現しました。

 次回は、庄イタのイコンともいうべき二つのバッカスを遺した不世出の天才カラヴァッジョについて語ります。

to be continued...
baner_decobanner.gifブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2016/03/20

さくらの便りは北の国から

桜が香る〝春待ちチーズ〟共働学舎「さくら」
× バラ香るロゼ・スプマンテ+α


 仙台市街地中心部を南北に貫く東二番町通りを挟んで、仙台市役所の筋向かいが青葉区役所。その裏手にチーズ専門店「Fromagerie & Café Au Bons Ferments オー・ボン・フェルマン(下写真)はあります。

Au_Bons_Ferments.jpg

 Viaggio al Mondo では、「Sale dolce サーレ・ドルチェ(=甘い塩)」と称されるエミリア・ロマーニャ州チェルヴィアの天日塩を取り上げた折〈2008.7 拙稿「こっちの塩は甘いぞ」参照〉と、ソメイヨシノが開花した直後、仙台では最も遅い積雪記録となった降雪について記した「桜と名残り雪」でご紹介しました。〈2010.4 拙稿「桜と名残り雪」参照〉

 花便りで驚いたのが、仙台市宮城野区の榴岡天満宮で、昨年12月25日に梅が開花したこと。天満宮によれば、ここ数年、梅の開花は2月下旬から3月上旬だったといいます。極端な暖冬が自然の営みにも影響していたのですね。

Au_Bons_Ferments2.jpg【Photo】国内外のさまざまなタイプのチーズを取り揃えたある日のオー・ボン・フェルマン。フランスチーズ鑑評騎士のショップオーナー足立武彦さんは、シニアワインアドバイザーの資格も有し、店内でワインとチーズの組み合わせを体感できる催しを定期的に実施している

 そんな暖冬傾向が一変したのが、年が改まった1月中旬から。連日寒い日が続いた仙台では、梅の見頃が続いています。そんな春まだ浅い3月。スギ花粉症の方にとっては、ありがたくない花粉前線も東北まで北上。咽喉や目鼻の不快感に苛まれるじっと我慢の季節が今年もやって参りました。

 三寒四温を繰り返し、やがて寒さに震える季節が終わります。ウグイスの初鳴きを観測した仙台でも週後半からは寒さが緩み、春近しを感じる陽気となりました。日本気象協会による桜の開花予想では、総じて昨年に続き、今年も早咲きのようです。

kobai-hakubai.jpg【Photo】接ぎ木されて一株となった早咲きの紅梅と、遅咲きの白梅とが凍える寒さの中で咲き揃う。オー・ボン・フェルマンからほど近い勾当台公園の一角で見つけた小さな春の足音(2016.3.12 撮影)

 イタリアかぶれの庄イタをしても、ニッポンに生を受けて良かったと思うのが、間もなく訪れる桜の季節。うららかな陽気のもとで愛でるソメイヨシノは、こと長い冬を越す東北の地においては、春を迎えた喜びの象徴にほかなりません。

 冬から春への境となる春分の日は、昭和23年に施行された「国民の祝日に関する法律」では〝自然をたたえ、生物をいつくしむ〟日と定義されています。

 昼と夜の長さが同じになる春分の日は、年によって日が変わります。今年は本日3月20日で、日曜日と重なるため、翌日が振替休日となります。連休で得をした気分になるのは、やはり精神構造がイタリア人ゆえでしょうか。

hitome-senbon2015.jpg【Photo】1922年(大正12)に植樹されたソメイヨシノやシロヤマザクラなど、1,200本ほどの桜並木が見られる「一目千本桜」。阿武隈川の支流・白石川沿いに8kmにわたって続く宮城県南きっての桜の名所。父親が小さな男の子を乗せた車を曳く姿がほほえましい親子を見守る満開の桜(2014.4.12 撮影)

sakura_logo2.jpg カトリック国のイタリアでは、キリストの生誕を祝う「Nataleナターレ(クリスマス)」と同様、主の復活を祝う「Pasquaパスクア(復活祭)」は、重要な意味を持つ祝日。敬虔なキリスト教徒にとっては、すべからく万人に訪れる誕生より以上に十字架からの復活は、意味深い奇蹟と考えられるわけですね。

 春分の日を過ぎた最初の満月の夜が明けた日曜日がパスクアと定められており、春分の日と同じ移動祝日で、今年は3月27日。月の満ち欠けの関係から、来年は4月16日がパスクアと、振れ幅が大きい祝日でもあります。

 啓蟄を過ぎ、風ぬるむ季節の訪れを待ち焦がれる今の時季、毎年いち早く春の息吹を届けてくれるのが、ほんのりと桜の香りがするチーズ「さくら(下写真)

sakura-2nd2016.jpg

 繊細な日本人の感性が生んだこのチーズは、北海道上川郡新得町の農事組合法人「共働学舎新得農場」で生産されます。1月初旬から、桜の季節が終わる5月下旬にかけての季節商品となります。

 十勝平野の最北部に拓かれた共働学舎新得農場には、自閉症や引きこもりなど、心身にハンディを抱え、一般社会に居場所を見つけられない人々が集います。そこでは日々の糧を生み出す家畜とともに、自然の摂理に沿った農作業を行うおよそ70名が、自給自足による共同生活を送っています。

 林業とソバ栽培が盛んな新得町にあって、西に日高山脈、北に大雪連峰を望む総面積70haほどの南東向き斜面に拓かれた新得農場では、有機農法による野菜・そば栽培なども行いますが、生産活動の主力は酪農。

 付加価値が高いチーズ生産ほか、ブラウンスイス種の肉牛・ホエー豚などの飼育に取り組んでいます。現在はブラウンスイス85頭とホルスタイン10頭から、朝夕2回の搾乳が行われます。

tokachiphoto_00115.jpg

【Photo】広大な十勝平野の北部、新得町は昼夜の寒暖差を生かしたそば栽培に適している。約6,300人の人口に対して、飼育される牛の頭数は33,000以上!!

nozomu_miyajima_libro.jpg 開設以来、農場主を務めるのは宮嶋 望氏(65)。米国内でチーズ生産量が最も多いウィスコンシン州にある農場「Vogel Farm 」での2年間の実地研修後、酪農学を専攻したウィスコンシン大学マディソン校を卒業。1978年(昭和53)に入植しました。

 6頭の乳牛からスタートし、翌年モッツァレラから着手したチーズ作りは、1984年(昭和59)に本格稼働。お手本となったのは、酪農やチーズ生産に関して工業化が進んだ米国ではなく、地域の伝統に培われた欧州各地のチーズ作りでした。

【Photo】共働学舎の理念を記した宮嶋氏の最新刊「いらない人間なんていない」(いのちのことば社2014/6刊)

 1998年(平成10)、79点が出品した「第1回 ALL JAPAN ナチュラルチーズコンテスト」(主催:中央酪農会議において「ラクレット」が最高賞を受賞。2004年(平成16)には、スイス・フランス・イタリア3ヵ国で構成する「Caseus Montanus (山のチーズ委員会)」主催の「山のチーズオリンピック」ソフトチーズ部門で、さくらが金賞に輝きます。

 共働学舎新得農場は、競争社会からドロップアウトした人々が集い、生きがいを感じる仕事を通して、自分の居場所と、もう一人の自分を見いだす場でもあります。そのありようは、色も形も異なる花たちが、共働学舎という一本の木に、それぞれのペースで花開いてゆくかのよう。そんな作り手たちの姿と、さくらとが、重なります。

tokachiphoto_00338.jpg

【Photo】半地下の床下に炭を敷き詰め、札幌軟石を積み上げた共働学舎新得農場のチーズ熟成庫。成形した凝乳の塊を塩水に浸し、熟成庫に移して後も、時おり塩水を染み込ませた晒(さらし)で磨きながら寝かせること3ヵ月。スイスでは表面を溶かしてジャガイモに塗って食するセミハードチーズ「ラクレット」が完成する

 トッピングされた一輪のエゾヤマザクラは、ヨーロッパの人々に日の丸を連想させ、エキゾチックな桜のフレーバーが、遠い日本を想起させるのでしょう。さくらは、国内はもとよりチーズの本場ヨーロッパで催される各種コンテストで、数々の受賞歴を積み重ねてきました。

 春先限定のさくらは、表皮までホロホロとした淡雪のようにしっとり柔らかな食感。桜餅に通じる和の香りに牛乳の甘さ、薄味の塩気、そしてヤギ乳から作るシェーブルチーズに似たほのかな酸味が加わります。出荷までの熟成期間を10日程度に留め、繊細な風味を残しています。

peti-prejir.jpg

 全体を覆う白い粉は、味噌の仕込みで用いる酵母「ジオトリカム・カンディダム」によるもの。カビではなく、この酵母を用いる製法で作られる共働学舎のチーズが、「プチ・プレジール」(上写真)

 プチ・プレジールを桜葉で香り付けし、熟成が進み過ぎない段階で一輪のヤマザクラを添えたソフトタイプのチーズが、さくらです(下写真)

 さくらのベースとなるPetit plaisir の意味は、フランス語で「小さな喜び」。さくらには、冬のモノクローム世界から芽吹きの季節を迎える今の時季に似つかわしい、ほんのり桜色のロゼがイメージ的にぴったりです。

sakura-2016.jpg

 今シーズン初のさくらは、共働学舎の各種チーズを取り扱うオー・ボン・フェルマンで例年通り購入。アドリア海に面したイタリア中部マルケ州のごく限られた地域だけで栽培されるブドウ「Lacrima ラクリマ」から醸したスプマンテを合わせてみました。

 ラクリマは、顕著なバラの香りが特徴となるアロマティックなブドウです。桜はバラ科の植物。バラの香りとの親和性は高いだろうという読みでした。ただ、果皮に割れが生じやすく、収穫時期の見極めが難しいため、栽培が難しい品種とされます。〈2011.11拙稿「ボジョレー騒動はさておき...」参照〉

 素晴らしいDOCG 白ワイン「Verdicchio dei Castelli di Jesi Riserva ヴェルディッキオ・デイ・カステッリ・ディ・イエージ・リセルヴァ」 の造り手である「Marotti Campi マロッティ・カンピ」は、通常DOC 赤ワイン「Lacrima di Morro d'Alba ラクリマ・ディ・モッロ・ダルバ」を醸すこのブドウを、アロマ感を活かすシャルマ方式(密閉タンク方式)で、発泡性のある辛口スプマンテに仕上げました。

lacryma-sakura.jpg lacryma-sakura2.jpg

【Photo】イタリア中部マルケ州アンコーナ県のごく一部だけで栽培されるバラの薫香を漂わせる品種「ラクリマ」。個性的なこのブドウをスプマンテに仕立てたのが、モッロ・ダルバ地区の造り手「マロッティ・カンピ」。バラ科の桜の香りが魅力のさくらとの相性はいかに

 淡いピンクの色調からイメージする品種特有のバラ香との相性はまずまず。時間と労力を要する瓶内二次発酵を行うため、いきおい高価となるシャンパーニュやフランチャコルタのように持続性が高い細やかな泡の立ち上がるシルキーさはありません。泡の感触が食感に障(さわ)るうえ、渋みのもととなるタンニンを意外と感じるため、ガンベロロッソ式3段階評価では★で第1ラウンドを終了。

 半分ほど残ったさくらには、蜂蜜のワンダーランド「藤原養蜂場」で購入した「盛岡石割桜一番蜜」を少しだけ垂らしてみました。その途端、さくら本来の香りが数倍増しとなり、一気に花開いたのです。予定外の第2ラウンドは寺内大吉さんの採点(⇒昭和世代はご存じかと)でも1.5ランクアップで★★ の満点に迫る組み合わせとなりました(下写真)

sakura-miele.jpg

 さくらと合わせるため、自宅にストックしていたヴィーノとのアッビナメント(組み合わせ・マリアージュ)を試みるべく、今季2個目のさくらを買い求めようと、仕事帰りに再び訪れたオー・ボン・フェルマン。店内では、さくらと3種類の産地が異なるロゼとの組み合わせを体感するショップイベントの真っ最中でした。

 テーブル席では6名ほどが、淡いピンク色のグラス3杯と切り分けたさくらを前に、真剣な面持ちでロゼとさくらの相性を確かめています。自転車で移動中だったため、同好の輪に加わることはできません。「そっちがグラス3杯なら、こっちはボトル3本返しだっ!」 堺雅人ばりの意気込みを胸に、家路を急ぎました。

vini-rosati2.jpg

【Photo】赤と比べて圧倒的に数少ないロゼの自宅ストック。(右から順に)「Cerasuolo Montepulciano d'Abruzzo チェラスオーロ・モンテプルチァーノ・ダブルッツォ1999」、「Dolcedorme Rosé ドルチェドルメ・ロゼ 2014」、「Principessa Cerasuolo プリチペッサ・チェラスオーロ2014」。特別な日に飲みたいアブルッツォの巨人「Valentini ヴァレンティーニ」はお飾り(^ ^; 。結局選んだのは左端のヴィーノ・ロッソ

 当初考えていたアッビナメントの本命は、カラブリア州の作り手「Ferrocinto フェッロチント」が、長期熟成型の偉大な「Taurasi タウラージ」を生む南イタリアの赤品種「Aglianicoアリアニコ」から醸したロゼ。畑の標高が400m以上と高く、南らしからぬエレガントな造りが魅力。

 対抗は2013年に新潟市西蒲区に誕生した「カンティーナ・ジーオセット」を起業した瀬戸潔さん(54)が、山形の契約農家が生産するスチューベンをチャーミングに仕上げた1本。第1ラウンドでは、さくらの繊細な風味を覆ってしまうタンニンの存在が気になったため、結局は知り合いのソムリエが推奨するプーリア州のヴィーノ・ロッソを選んでみました。

 捲土重来を期す第3ラウンド。挑戦者はイタリア半島のかかとの位置にあたるプーリア州産「Fatalone Teres ファタローネ・テレス2014」。本来は高い熟成能力を備えた力強い赤ワインとなる品種「Primitivo プリミティーヴォ」を、15℃から18℃程度に冷やして飲む造りをあえて狙った変則パターンです。

fatalone-sakura2.jpg 「Ridge」や「Clos du Val」など、成功を収めているカリフォルニアの「Zinfandel ジンファンデル」と同一品種であることが、20世紀後半のDNA検査で判明したプリミテーヴォ。色が濃いロゼ風に仕立てたファタローネ・テレスとの組み合わせは、いわば変化球勝負。

 州都Bariバーリから、どこまでも平坦な地形が続く内陸側へ40kmあまり南下した「Gioia del Colle ジョイア・デル・コッレ」は、良質な赤ワイン産地。円錐形の石積み屋根が特徴の住居「トゥルッリ」で名高い「Alberobello アルベロベッロ」の西方約30km の海抜365mの丘陵地にブドウ畑を所有する「Pasquale Petrera パスクアーレ・ペトレーラ」。

 イタリアにおけるオーガニック認証機関の先駆けであるICEAから有機認定を受けているパスクアーレ・ペトレーラ醸造所の信条は、ブドウの樹を人と同じように慈しむこと。自らが欲することをブドウにも同じように与えるため、常に細心のケアを怠りません。

 太古そこが海底だったことを物語る貝の化石が出てくる石灰岩と粘土の赤黒い土壌。ヴィーノ・ロッソとしては淡く、ロゼとしては濃い微妙な色合い(上写真)は、発酵前に果汁に果皮を浸すマセレーションを、ロゼと同程度の30時間に留めたスキンコンタクトによるもの。樹齢25年ほどのプリミティーヴォが完熟する10月後半に収穫後、樽は用いずステンレスタンクで12ヵ月、瓶内3ヵ月の熟成を経て、リリースされます。

 「Negroamaro ネグロアマーロ」種をメインとするイタリアン・ロゼの発祥とされるDOC Salice Salentino サリーチェ・サレンティーノ」を含め、お値打ち品が多いこの地域では、夏の日中は40℃越えが珍しくありません。5代前の創業者ニコラ・ペトレーラが好んだという、冷やして飲むロゼ風の仕上がりのヴィーノ・ロッソです。

budonoki-okuyama.jpg

 青葉区広瀬町のワインショップ「Wine Store ブドウの木(下写真)で、さくらとの組み合わせを前提に、選択のお手伝いをして下さったのが、オーナー・ソムリエの奥山和茂さん。

tag-fatalone.jpg セラーに200種前後を取り揃えるワインには、奥山さんがプロフィールを記したタグ(右写真)が1本ごとついています。

 ワインは店内のカウンターやテーブル席でフード類と共に頂くことができます。家飲み用には、表示価格の25%引きで購入可能(6本以上の場合30%OFF)。 よって店頭価格3,440円のファタローネ・テレスの購入価格は2,580円でした。

 比較的手頃な価格帯のヴィーノ・ロッソですが、安ワインにありがちな単調さやヌケ感は皆無。ふくよかな果実の旨味が伸びやかに広がります。渋味のもととなるタンニンは希薄で、飲み口は滑らか。

fatalone_filippo.jpg

 パスクアーレ・ペトレーラ醸造所の地下セラーには、クラシックやヒーリング音楽が流れています。えもいわれぬ心地よさを感じさせる癒しの秘術は、ワインがそこで体得するのかもしれません。

 ファタローネ・テレスは過剰な自己主張をせず、繊細なさくらの風味がより引き立つよう、優しくエスコートするかのよう。ファタローネの名は、2代目フィリッポ(左写真)のニックネームにちなんだもので、il Fatalone とは、俗にいう〝女たらし〟のこと(笑)。

 ただでさえ情熱的なイタリア男をして、そう言わしめるのですから、フィリッポは相当お盛んだったのでしょう( ^0^;)。自家製のヴィーノ・ロッソと牛乳を500mℓずつ飲むことを朝の日課としていたフィリッポ。98歳で天寿を全うした日とて、その例外ではなかったといいます。そんな酒とバラの人生を謳歌したフィリッポの精神と、作り手のブドウへの愛情がこの1本に体現されているように感じました。

fiore-sakura.jpg

 北の大地に春の訪れを告げる桜が香り立つ共働学舎のさくら。そこに集う心に悩みを抱える人たちのように遅咲きのさくらに寄り添い、引き立て役を果たしてくれたFatalone Teres 2014 vinには、アッビナメント★★に加え、あっぱれ助演男優特別賞を献上したいと思います。

【Photo】共働学舎のさくらに添付の栞(しおり)に描かれた一輪の桜

banner_kyodogakusha.jpg

*****************************************************************

Fromagerie & Café Au Bons Ferments
 フロマージュリー&カフェ オー・ボン・フェルマン
 住:仙台市青葉区上杉1丁目4-10 庄建上杉ビル1F
 Phone : 022-217-2202
 営) 12:00~22:00 月曜定休

Wine Store ブドウの木
 住:仙台市青葉区広瀬町3-48
 Phone : 022-796-2293
 営) ・ダイニングバー 13:00~22:00 L.O.  ・カフェ13:00~17:00 日曜定休


baner_decobanner.gif
ブログランキング・にほんブログ村へ

2016/03/06

おまさん まっこと上等な「ぬた」を知っちゅうが?

あなたはホントに美味しい「ぬた」をご存知ですか ?

Sa la molt buona salsa verde da Tosa ?

ryoma_sakamoto.jpg タイトルがコテコテの土佐弁であることから明らかなように、出張で訪れた高知で、旧交を温める機会に恵まれました。

 仙台から伊丹経由で高知龍馬空港入りした庄イタ。大政奉還への道筋を示した幕末の志士は、空の玄関口のニックネームとして平成の世の土佐に蘇ったぜよ。

【Photo】大阪・伊丹を経由して高知入りした庄イタを含む一行8名。出迎えて下さった高知新聞社の計らいで、高知龍馬空港から市内への移動の道すがら立ち寄ったのが、観光名所として名高い桂浜。太平洋を睥睨するかのように立つ坂本龍馬像

 出張初日の講演会会場となった自由民権記念館で地元紙・高知新聞社のS氏と合流したのが20時過ぎ。互いに旧知の仲であり東京から参加したD社のK氏を伴って、20年ぶりの再会となるS氏に案内されたのが、噂通りにがっかりポンだった(笑)観光名所「はりまや橋」からほど近い「鮨処すごろく」。

 「酔鯨」や「土佐鶴」など比較的ポピュラーな銘柄ではなく、「文佳人」「美丈夫」「しらぎく」といった地元ならではの日本酒を飲み比べ。

utsubo.jpg【Photo】端麗な飲み口で盃が進んだ文佳人特別純米を相伴に「鮨処すごろく」で食したのが、コラーゲンの宝庫なのだというウツボの唐揚げ。太平洋に面した沿岸部以外は山がちな地形の高知県。冷蔵技術が発達する以前、時間を要する内陸部までの運搬後も生きながらえる生命力が強いウツボ料理が伝わってきた

 幸いなことに鮨処すごろくは、居酒屋風の一品料理が充実しており、清流・四万十川の汽水域だけで育まれる香り高いアオサノリの天ぷら、塩味で頂くカツオのたたき、土佐清水で揚がる脂が乗った清水サバ、高知の山間部で食するのだというウツボの唐揚げなど、土佐ならではの味覚を堪能できました。

nuta_sugoroku.jpg

 皿盛りの刺身の付け合わせとして小皿で登場したのが、鮮やかな緑のペースト(上写真)。前世イタリア人が、こうしたSalsa verde (=緑のペースト)で真っ先に思い浮かべるのは、リグーリア州ジェノヴァ発祥のバジル香るペスト・ジェノヴェーゼです。

 リグーリア地方では、細長く捻じったショートパスタ「Trofie トロフィエ」に和えるペスト・ジェノヴェーゼよりも、高知のサルサ・ヴェルデは幾分か淡い色合い。枝豆を漉して滑らかにした「土佐ずんだ」が登場したのか?とも思いましたが(笑)、それは「ぬた」と呼ばれる冬の土佐ではポピュラーな合わせ調味料なのでした。

 一般に「ぬた和え」=「酢味噌和え」として認識されることが多いと思います。ところが高知における「ぬた」は一味違います。

ninniku-ha.jpg

 決め手となるのは「葉ニンニク(上写真)。結球部が肥大化する前段階で、茎と葉を食用とするのです。土佐のぬたは、ニンニク葉を刻んで鉢ですりおろし、白味噌と和え、砂糖と酢で味を調えるのが基本。柑橘栽培が盛んな高知ならではの柚子酢や麦味噌を用いたり、砂糖の分量を変えたりと、それぞれ家庭の味が存在するのだそう。

 鮨処すごろくで出されたのは、そうした自家製ぬたでした。定番のブリのみならず脂が乗ったアジやカツオとも好相性。これは断言できます。「げに うまいぜよ!(=ホント美味しい! )」

 高知新聞社のS氏は「サニーマート」や「サンシャイン」など、質と価格では全国展開する大手スーパーが到底太刀打ちできないという地元資本の食品スーパーでも置いている既製品もさることながら、手作りのぬたを推奨するのでした。

nuta@sunnymart.jpg

【Photo】比較の意味で購入した食品スーパー「サニーマート」のPBブランド「よいち水産」製の「土佐のにんにくぬた」。鶏の唐揚げ、豆腐、コンニャクなど、汎用性が高い万能調味料となる

 その意味で幸運だったのが、高知での宿泊先ブライト パーク ホテルの立地と曜日回り。宿は高知城の追手門から一直線に伸びる追手筋(おうてすじ)に面しており、そこでは元禄時代から300年以上続き、現在は「日曜市」の名で知られるメルカート(街路市・マルシェ)が開かれるのです。

castello-kochi.jpg

【Photo】天守閣の大手(正面)に位置する追手門。本丸と大手門とを、こうして一か所から眺めることができるのは、高知城が唯一なのだという

 露店に並ぶのは、高知市近郊の農家が持ち寄る野菜や果物、山菜などの生鮮品。そして刃物・骨董・植木などの日用品。さらには創傷ややけどに効くといわれる「狸の油」といった珍品まで、品揃えのバリエーションは実に豊富。およそ430軒の露店が、1.3kmにわたって軒を連ね、観光客を含む多くの人出で賑わいます。路上で終日開かれる露天市としては、日本一の規模を誇ります。

nichiyouichi@kochi.jpg

 2泊3日で訪れた高知出張の最終日が日曜日に当たったため、ちょうどホテルの目の前で日曜市が開催される巡りあわせに恵まれた次第。そこで早めに朝食を済ませ、南国情緒を醸し出すカナリーヤシ(フェニックス)が、中央分離帯に列をなす追手筋へと繰り出しました(上写真)

saba-sugatazushi.jpg

【Photo】日曜市を散策していて目に留まった珍品の一例。土佐の大皿料理「皿鉢(さわち)料理」の「組みもの」で中心に盛られるのが、尾頭付きのまま背開きにして酢で締めたサバで酢飯を包み込んだ「サバ姿寿司」(上写真左)。その応用編「アジ姿寿司」(上写真右)。 やけどに効能があるという「狸の油」(下写真)。乗り合わせたタクシーの運転手氏に言わせると、本物とあえて銘打っているものの、実際のところは何が入っているかは闇鍋に近いのだという(笑)

olio-tanuki.jpg

 高知城に向かう西行き2車線を車両通行禁止として日曜市は開かれます。一方で東向き2車線側を対面通行に変更(下写真)。いかにも柔軟かつ合理的なシステムではありませんか。

 これは、可動式の中央分離帯を2か所を開放することで、特段の減速指示をせぬまま、大胆にも対面通行をさせてしまうイタリアの高速道路工事でも恒常的に行われる運用法です。

mercato-domenica@kochi.jpg

【Photo】高知での宿泊先となったブライトパークホテルの部屋から追手筋を撮影。通常は西方向に向かう車両が通る2車線を占有使用して日曜市が開かれる。設営準備中につき、まだ人影はまばら

 「自由は土佐の山間より出づ」という自由の精神を尊び、薩長の専制に反発し、自由民権運動の推進役を担った異骨相(いごっそう)気質を受け継ぐ高知市民からは、「南国土佐はラテンやき、当然ちゃ。」という声が聞こえてきそう。

 万が一の保険のため、サニーマート系列の毎日屋大橋通り店で、PBブランドよいち水産製「土佐のにんにくぬた」5袋入り1パックを入手してはありました。なれど庄イタが目指すは、前夜の打ち上げの席で地元の事情通から聞き出していた〝とある容器〟に入った自家製葉ニンニクのぬた。

ha-ninnicu.jpg

【Photo】日曜市で長ネギと横並びで売られていた高知市宗安寺地区産の「葉ニンニク」。地元では「ニンニク葉」とも。葉ニンニクは、高知と沖縄で栽培が盛んだが、ニンニク生産量が国内では最も多い青森では、ほぼ見かけない

 まず見つけたのは、材料となる「葉ニンニク」そのもの。麻婆豆腐など中華料理に用いる事が多く、通常は結球部を食するニンニクを若いうちに葉と茎を食用にする野菜です。秀吉の朝鮮出兵に参加した長宗我部元親の兵が土佐に持ち帰ったとのこと。高知市に隣接する南国市に位置する高知龍馬空港の周辺でも、葉ニンニクが盛んに栽培されている様子が見て取れました。

 葉ニンニクが身近な存在である高知においては、すき焼きに入れるのは長ネギではなく葉ニンニク。焼き鳥もネギ間ではなく、葉ニンニク間。炒め物での登場率も高いとのこと。このように葉ニンニクは土佐の暮らしに深く根付いた食材なのです。

nuta-roten.jpg

 そこには肝心のぬたが見当たらなかったため、駅前電車通りと接する東端の「1丁目」から高知城に向かって「6丁目」まである日曜市を西へ向かって歩みを進めてゆきました。街路樹がクスノキの巨木へと変わるのが5丁目から。

 日曜市の露店にはすべからく「〇丁目北〇番」といった地番がついており、したがって位置も固定の割り当て制になっています【MAP】。

 その一角、5丁目南322番に目指すものがありました。お手製の目印だと事情通から教えられたのが、かつて駅弁とセットで売られていたお茶が入っていたポリエチレン製の茶瓶。昔懐かしい半透明のポリ容器に入った農家のお母さんお手製のぬたを遂に発見したのです。

tosanuta.jpg tosanuta2.jpg

 爪楊枝が刺さった細切れの自家製コンニャクが、ぬたの試食用として用意されています。それは鮨処すごろくのぬたとは一味違うピリリと辛いぬたでした。冷凍すると色褪せずに日持ちすると店主の高橋光江さんから聞き出し、迷わず購入。

 すぐ近くにも赤いスクリューキャップ容器に入った自家製のぬたが置いてあったので、そちらもゲット。そうして日曜市をくまなく散策し、確保したお手製のぬたは、2個という結果でしたが、食べ比べができるという点では上々の成果と言えましょう。

 こうして初期の目的を果たしたものの、訪れてみたい場所が一つ残っていました。それは日曜市6丁目角の「ひろめ市場」。7時の開店と同時に、屋台村がオープンするというのです。

hirome-mercato.jpg

【Photo】朝9時をまわったばかりのひろめ市場。夜9時にはあらず。これが高知における朝のスタンダードであるかどうかは定かではない

 およそ4,000平方メートルの敷地に500の客席がある飲食コーナーでは、予想通り、朝っぱらからカンパーイ!! の声が響いており、「箸拳(はしけん)」や「可杯(べくはい)」「返杯」といった酒豪文化が息づく高知ならではの土地柄に感心するやら呆れるやら。
bekuhai.jpg

【Photo】ひたすら酒を呑みたいがためとしか思えない土佐伝統の「可杯(べくはい)」。大きさが異なる3つの杯(天狗・ひょっとこ・おかめ)の絵が描かれたサイコロを「♪ベロベロの神様は・・・」で始まる囃子唄とともに振り、サイコロが向いた人が絵柄の出た杯で酒を呑む。ひょっとこの口には指で塞ぐ穴が空いている。いずれも座りが悪いので、呑み干すまでは杯を置くことができない

baca-wine.jpg Quando sei a Roma, vivi come i romani (=郷に入っては郷に従え)を旅先での行動規範とし、赤ワイン体験なら数知れない庄イタ。

 大ジョッキで飲み干す「バカワイン(右写真)を、見識を広めるためと称し、出張初日にS氏に案内された2軒目「大衆酒場はりまやオリバ」で注文。同じ穴のムジナなのでした。

 お酌をしたお猪口を飲み干した相手が、即座にその杯を差し返し、一つの杯で延々と差しつ差されつを繰り返す返杯も初体験。興が乗るまま久方ぶりに興じた可杯も登場。高知2日目の夜も存分に満喫しました。

 前日の大雨から一転、青空が広がった3日目は、日曜市に繰り出すことを固く心に誓っていました。昼前の便で伊丹に向かう段取りだったため、さすがに乾杯の輪には加わることなく高知を発ちました。
 
 高知のお母さんの言いつけ通り、日曜市で手に入れた2個のぬたは、帰宅後すぐに冷凍室へと直行(下写真)

due-nuti.jpg 鮨処すごろくでは、S氏の薦めで寒ブリやアジを食べ合わせたように、ぬたは脂乗りの良い刺身との相性は抜群なのです。

 そこで翌週末、マリンゲート塩竃前に震災翌年オープンした「Pizzeria La Gita」でナポリピッツァを食すために訪れた塩竃で仲卸市場に立ち寄り、冬に旬を迎える生食可能な新鮮なメカジキを購入しました。

 メカジキは、英語でSword fish、イタリア語でPesce spadaspada =剣)と呼ばれる通り、長く尖った上顎が特徴のカジキの一種。気仙沼が水揚げ日本一ですが、これは塩竃に水揚げされた大型のメカジキだったそう。

pesca-spada@nuta.jpg 果たせるかな、宮城の味メカジキと高知の味ぬたとの食べ合わせの相性は、非のつけどころなし。はやいっさん(=もう一度)言うきに。「げに うまいぜよ!!

 19年連続日本一の記録を更新している気仙沼のカツオ水揚げ高を少なからず支えているのが、高知のカツオ漁船。

 高知の漁船員の皆様、カツオを追って黒潮を気仙沼まで北上する際は、船の冷凍庫にぬたを忘れずに保管されますよう。束の間の休息を気仙沼でとられる際、こってりとした脂が乗ったメカジキと、ぬたの食べ合わせを試されてはいかがでしょう。

*****************************************************************

今回の高知出張ミッションの成果は、震災から5年を経る3月11日(金)と12日(土)に防災プロジェクト「いのぐ」の一環として高知新聞紙上に。河北新報朝刊には3月13日(日)に3ページ特集「高知むすび塾」詳報として掲載予定。出張の趣旨に関して皆さまが曲解なさらぬよう、付け加えておきます。

土佐の日曜市
 毎週日曜日開催: 夏期間(4月-9月)5:00~18:00
             冬期間(10月-3月)5:30~17:00
             ※ 上記は設営および撤収に要する時間を含む
             ※ 1月1日・2日・よさこい祭りと重なる場合は休み
 

baner_decobanner.gif
ブログランキング・にほんブログ村へ

2015/08/23

知 覧 茶

70年目の夏に思う

 あまねく人は、生きる時代を選ぶことはできません。

 70年前までの日本では、個の意志では抗うことが出来ない大きな時代の潮流が存在していました。70年前の出来事は、もはや歴史の領域に入りますが、私たちの父母や祖父母が生きた時代であり、決して他人事ではありません。

 現行の日本国憲法で国民主権、言論・表現の自由が保障され、戦争放棄を宣言した戦後の視座から歴史を俯瞰することは現代人の特権です。それをどう生かすのか、思うところがあった今年の夏でした。

 70年前。大日本帝国憲法で認められていた臣民の権利は〝法律の定める範囲内〟という制約がありました。現行憲法では誰も侵すことが出来ない基本的人権を当然のこととして享受する戦後世代の目で見れば、国のありようが全く違いました。

KAHOKU_1945.8.11.jpg【Photo】昭和天皇が玉音放送で敗戦を告げる4日前、1945年8月11日の河北新報1面(部分)。報道機関への徹底した言論統制により、刀折れ矢尽きた満身創痍の状況にあっても「國民一億特攻隊たらん」と民衆は鼓舞されていた。同年3月の東京大空襲をはじめとする都市部への空襲の激化で地方への新聞輸送が不可能となり、朝日・毎日・讀賣報知の題号を各県地方紙の題字下に記載する「持ち分合同」の状況下で発行された。資材困窮のため、この頃の新聞は2~4ページ建て

 19世紀初頭までにアフリカや東南アジア諸国を植民地化していったイギリス・フランス・オランダなどに伍するべく、日清・日露の戦いで獲得した朝鮮半島や台湾・満州・南樺太といった領地にも展開した軍を指揮する統帥権は、大日本帝国憲法のもとでは天皇に帰属。結果として中国・遼東半島の警護にあたった関東軍の自作自演による柳条湖事件(1931.9)に端を発する満州事変、そして盧溝橋事件(1937.7)が発火点となった日中戦争、さらに真珠湾攻撃(1941.12)まで突き進む軍部の暴走を招く結果を招きます。

Japanese_trillion_balls_of_fire.JPG【Photo】国民生活を戦時一色に締めつける役割を果たしたオール与党化よる「大政翼賛会」が掲げた戦時スローガンの一例。国策遂行のための宣伝手段として、言論統制を担った内閣情報部が1938年から発行した週刊グラフ誌「寫眞週報」と共に仙台市歴史民俗資料館に展示されている

 「八紘一宇」を掲げ、東アジア諸国に軍事進出を図る軍政優先のため、「大政翼賛会」は〝挙国一致〟〝ぜいたくは敵だ!〟といった官製標語で国民生活の締め付けに躍起。国家総動員体制のもとで食料や生活物資は配給制となり、兵器生産のため金属類は供出を強制されました。一般公募で〝欲しがりません勝つまでは〟〝足らぬ足らぬは工夫が足らぬ〟といった戦時スローガンを唱え、鬼畜米英への敵愾心を煽っていました。

KAHOKU_1945-8-5.jpg【Photo】1945年8月5日河北新報(部分)。不足する労働力を補うため、12歳以上の女性で組織されたのが女子挺身隊。学校での授業は行われず、もんぺ姿に必勝の鉢巻を締め、軍需工場などでの勤労奉仕や銃剣や竹槍の訓練に励んだ(右上)。「これで仇打だ」の勇ましい見出しで紹介されているのは、松島の僧侶が考案した必殺の国民兵器「石弓」(右下)。この翌日、サイパンから飛来した大型爆撃機B29エノラゲイが原子爆弾を広島に投下した

 同年1月には、東條英機陸軍大臣が〝生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すことなかれ〟の一節で知られる「戦陣訓」を示達。アリューシャン列島アッツ島・サイパン島・硫黄島・沖縄など、次第に敗色濃厚となる各戦線での一部民間人を巻き込んだ玉砕、集団自決の悲劇を生む素地となります。

 物量で圧倒する米軍の猛攻に歯が立たず、多くの艦船と艦載機を一度に失い、3,000名以上が戦死して戦局の転換点となったのがミッドウェー海戦(1942.6)。22,500名が戦死した揚句、西太平洋ソロモン諸島ガダルカナル島からの撤退(1943.2)を決断した大本営は、劣勢を公にはせず「転進」と称していました。

   
【Movie】米軍からは「Kamikaze attack」と恐れられた神風特別攻撃隊と米艦船が繰り広げた死闘。そして1945年10月21日、雨の神宮外苑競技場で挙行された出陣学徒壮行式の模様を伝えるニュース映像

 兵力不足を補うため、20歳以上の学生について徴兵猶予が撤廃されたのが1943年10月。翌年には徴兵対象が19歳に引き下げられ、およそ13万人の若者が出征してゆきます。物心両面で追い込まれた軍令内部で秘密裏に開発が進められ、やがて公然と語られるようになったのが、人間を肉弾として扱う特攻作戦でした。

 特攻機や特攻艇(人間魚雷「回天」)の操縦を短期間で習得させるには、知力に優れた高等学府で学ぶ学徒兵は、軍令部や指揮官にとって(本人が望んだ姿とはおよそかけ離れた人生の幕引きを余儀なく迫られ、若くして逝った特攻兵に対して甚だ不遜な表現ながら)願ってもない戦力だったはず。

KAHOKU_1944-10-28.jpg【Photo】〝日本の被害は過少に、米英の被害は過大に〟で首尾一貫していた大本営発表によるフィリピン・レイテ沖海戦のでっち上げ戦果を伝える1944年10月28日河北新報(部分)

 1944年10月、帝国海軍第一航空艦隊司令長官に内定した大西瀧治郎中将(1891-1945)がフィリピン・マニラ基地に着任します。乗員もろとも爆装した戦闘機で敵艦に突入する特攻作戦について、指揮官は当初「統帥の外道」だとして消極的でした。逼迫する兵站と戦況の悪化を受け、同月25日のレイテ沖海戦において特攻作戦は初めて実行に移されます。

「神風(しんぷう)特別攻撃隊」として出撃した関行男大尉(23)率いる敷島隊の零戦が、250kg爆弾ともども米国・豪州の艦隊に突入。大型の正規航空母艦の半分程度の大きさの米護衛空母セントローは、弾薬庫の誘爆を引き起こし撃沈。これが海軍軍令部内で搭乗兵の死と引き換えの〝一機一艦轟沈〟という特攻への過大評価を生む結果を招きました。

KAHOKU_1944.11.3.jpg【Photo】1944年10月20日、大西司令長官臨席のもとフィリピン・クラーク基地群のマバラカット飛行場で結団式が行われた「神風特別攻撃隊」。同25日、足を負傷していた第201海軍航空隊司令の山本栄大佐と同副長玉井浅一中佐の立会いのもと、別れの水盃で特攻出陣する関隊長(左端)率いる敷島隊。1944年11月3日河北新報(部分)より
 
 河北新報紙面(1944.10.28)では、特攻は日本精神の発露であり、世界に例を見ないこの極限の武器に対抗しうる手段は存在しないとする東北大学の前身である旧制第二高等学校の校長職を前年に退官した阿刀田令造(1878-1947)の「新兵器體當り」の見出しを掲げる一文が掲載されました。戦時下の新聞・ラジオは大本営発表による嘘で固めた水増し戦果を伝えており、特攻が当時の日本人の心に引き起こした興奮ぶりを物語っています。

 表向きは志願制とされた特攻による戦死者は陸海軍合わせて6,418名(特攻隊戦没者慰霊顕彰会調べ)。前途有望な若者の犠牲を前提とする理不尽極まりない無謀な作戦に手を染めた参謀や現場指揮官、そして特攻兵を神格化して報じた報道機関、兵士を前線に送り出した当時の日本人は、一蓮托生の同時代人にほかなりません。

KAHOKU_1944-11-12.jpg【Photo】レイテ沖海戦で初出撃した神風特別攻撃隊の敷島隊5名。特攻隊員は出撃前から「神鷲」と称して神格化された。大本営が「特別攻撃隊」という表現を初めて使ったのは、真珠湾攻撃で実戦に投入された魚雷2本を搭載する2人乗り特殊潜航艇「甲標的」。片道分だけの蓄電池が動力ゆえ、帰還を想定せずに出撃し、戦死した9人は二階級特進(捕虜となった1名は対象外)。特攻ではそれが慣例化する。1944年11月12日河北新報(部分)

 薩摩半島の南、知覧(ちらん)陸軍飛行場に報道班員として滞在し、多くの特攻兵に接した高木俊朗(1908-1998)の求めに応じ、出撃前夜に「所感」を残したのが上原良司大尉です。1922年(大正11)長野に生まれ、慶応義塾大経済学部在学中に学徒出陣。1945年5月に沖縄戦における陸軍の特攻作戦の拠点となった知覧より出撃、沖縄嘉手納湾で戦死しました。享年22。

 上原大尉は、軍国主義一辺倒の当時、特攻隊員としては立場を公にすることが憚られたであろう自由主義者と自らを規定。人間の意志で自己実現を可能にする自由主義の勝利とファシズムの敗北を予見しています。1949年10月に出版されベストセラーとなった戦没学生の遺稿集「きけ わだつみのこえ」巻頭に収録された所感だけでなく、避けられぬ死を前に、頭脳明晰な青年らしい自意識の発露として学徒兵たちが遺した言葉は、70年の時を経た今も胸を打ちます。

KAHOKU_1945.7.15.jpg【Photo】敗戦1か月前の1945年7月15日付河北新報(部分)に掲載された陸軍第六航空軍の特攻基地で機体整備を受ける陸軍三式戦闘機「飛燕」(左上)。特攻機は250kg爆弾を装填し650km離れた沖縄まで3時間を要して飛行するため、機銃や無線などの計器を外し機体を軽くしていた。太平洋戦争末期には、機材が不足し、老朽機や練習機を投入せざるを得ず、大本営発表によるこの写真の撮影時期は早い時期の撮影かもしれない。基地の所在は極秘だったため、〇〇基地とだけ記載されている

 戦後、高木俊朗は、従軍体験を基に戦争の内実を文筆活動を通して問い続けました。旧軍関係者への聞き取りや資料調査を通して戦後20年目に著した「特攻基地 知覧」によれば、陸軍の戦闘機に搭載可能な陸上攻撃用爆弾を装着した航空機が体当たりで敵軍艦を撃沈できるのは、小型艦船かセントローのように艦船内の弾薬庫に誘爆する偶然が味方しなければ無理である事実を、1943年に茨城・鉾田飛行学校で行った実験の結果から作戦参謀は知っていたといいます。

 ところが、兵器の研究開発を行っていた第三陸軍航空技術研究所の所長が〝体当たり攻撃は日本精神の発露ゆえ、日本人の精神力をもってすれば、計算外の威力で敵艦を必ず撃沈可能だ〟と主張。報告を受けた参謀も先行する海軍の後塵を拝してはならじと作戦決行に踏み切ったというのです。科学技術は万能ではありませんが、航空技術開発の責任者にして、こうした精神至上主義を振りかざしていました。

873-chiran.jpg【Photo】太平洋戦争後期に実戦投入された「陸軍四式戦闘機 疾風(はやて)」。富士重工業の前身である「中島飛行機」製。唯一現存する機体は鹿児島県南九州市の「知覧特攻平和会館」(下写真)で公開されている © K.P.V.B

 運命のいたずらで生き残った隊員の証言から、少なからず特攻は命じられていたことが現在では明らかになっています。その指揮官たちは「我々もすぐ君たちの後に続いて飛び立つ」と言いつつ、悲壮な覚悟で出撃する特攻兵を次々と送り出しました。連合国側の論理で裁かれ、戦争犯罪人として戦後処刑された東條英樹などを除き、特攻を命じた指揮官は、そのほとんどが戦後まで生き延び、人生を全うします。

chiran-museum.jpg【Photo】旧知覧町が1975年に開設した「知覧特攻遺品会館」を拡充、1987年に竣工した鹿児島県南九州市「知覧特攻平和会館」は、知覧飛行場跡地の北端に建つ

 数少ない例外は、レイテ島沖海戦直前の1944年10月15日、フィリピン防衛が任務の海軍第26航空戦隊の指揮官だった有馬正文少将(1895-1944)。「戦争では年長者がまずは逝くべき」と制止を振り切って一式陸攻に乗りこみ、敵艦を目指してクラーク基地を離陸したまま消息を絶ちます。現場指揮官が率先垂範したのでは都合が悪かったのでしょう。海軍省と軍令部はこの事実をほぼ黙殺。関大尉ら敷島隊の敵艦突入だけを国民に知らしめ、国威発揚を狙いました。

 玉音放送直後に「停戦命令は出ていない」として部下を伴い特攻出撃を行ったのが、第五航空艦隊司令長官宇垣纏(まとめ)中将。そして敗戦の翌日未明、特攻兵と遺族へ詫びる遺書を残して自刃したのが大西瀧治郎中将。特攻を指揮した司令官たちは、特攻は志願制だったと口を揃え、その責任をひとり大西中将に負わせた側面がありました。

chiran-saruyama.jpg【Photo】日中戦争が3年目を迎えた1939年(昭和14)、サツマイモや茶畑が広がる知覧町西元木佐貫原地区に飛行場の建設が決まり、少年航空兵を養成する「大刀洗飛行学校知覧分教所」が日米開戦から間もなく開校。敗戦後すぐに滑走路や兵舎は取り壊され、かつての姿を取り戻した。飛行場跡を見下ろす小高い猿山からは、2本の滑走帯があった飛行場跡と、沖縄を目指して飛び立った特攻機が目印とした開聞岳が一望のもと

 GHQの占領下、極端な精神主義の悪弊に陥った戦前の反動で日本を覆った政治的作為のもとで編纂された「きけ わだつみのこえ」に対し、昭和史に詳しいノンフィクション作家、保阪正康氏(1939-)は著書「『特攻』と日本人」で、前者から漏れた学徒兵の心情にも光を当てており、特攻の実相をより多角的に知る手掛かりとなります。

 そこでは身体壮健で血気盛んな20歳前後の若者が、人生の終止符を打つ意味を煩悶しながら模索する姿が描かれます。世相が変化した現在では全く理解不能な「悠久の大義」や「七生報国」などの言葉を残し、彼らは皇国に殉じてゆきました。徹底した軍国主義教育によって人格が解体された帰結として片付けられるほど事は単純ではないように思えます。

chiran-2014-10.jpg

chiran-2014-sign.jpg【Photo】国破れて山河あり。特攻隊には飛行経験が少ない学徒兵や少年兵が指名され、初出撃が最後の出撃を意味した。エンジンを全開にして離陸後、飛行場上空を右旋回しながら翼を上下に振って見送る人々に別れを告げ、南へと飛び立っていったという。主滑走帯が延びていた北北西方向に猿山がある。現在「特攻機発進の地」と刻まれた石碑(左写真)が立つそこは、開戦前の茶畑やサツマイモ畑に戻っており、70年前の様子を窺い知ることは難しい(上写真)

 すでに確定した過去の歴史に〝もしも〟を持ち込むことは空しい試みですが、北海道を除く日本本土への空襲が可能となることを意味するサイパン島の陥落(1944.7)時点で、もしも日本が連合国側に講和を申し出れば、その後の展開はどうなったでしょう。

 日本軍が住民を楯にした結果、米軍による非戦闘員への殺戮が繰り広げられた沖縄戦(1945.3-6)や、一夜にして10万人が犠牲となった東京大空襲(1945.3)など都市部への無差別爆撃と同様、明らかに戦時国際法に抵触する広島・長崎への原爆投下(1945.8)、米英に対する仲介の打診を無視し、対日参戦したソ連が引き起こした残虐な葛根廟事件、シベリア抑留による30万以上の犠牲も免れることが出来たはず。太平洋戦争における310万人にのぼる邦人の犠牲は、大幅に少なくて済んだことは論を待つまでもありません。

chiran-entaigo-2014.10.jpg【Photo】米軍機からの空襲の標的となった知覧飛行場では、爆発から特攻機を守るため、高さ4mほどの土塁をコの字型に築き、樹木の枝で覆い隠すシェルター「掩体壕(えんたいごう)」に戦闘機を格納していた。これは掩体壕周辺の茶畑

 激動の昭和という時代は、玉音放送が流れた1945年8月15日正午を分水嶺として、いわば分厚い水槽で隔てられた水の中と外とに世界が隔絶されてしまった感があります。自由に呼吸ができる陸上からは、水中は歪曲した姿にしか映りません。戦前と戦後には時間軸だけではない決して越えることが出来ない深い溝が横たわっているように思います。

 戦前の極端な精神主義の反動としての戦後的な価値観で、過酷な時代背景の中で死を選択せざるを得なかった特攻隊員に犬死の烙印を押すのは、いささか傲慢に過ぎるのではないでしょうか。かといって英雄として特攻作戦をいたずらに美化するのでは、生を享けた時代に絶望し、散っていった若者の深い悲しみを共有することもできないはず。

chiran-bronzo.jpg【Photo】知覧特攻平和会館の敷地に立つ特攻勇士の像「とこしえに」は、愛媛県西条市出身の彫刻家、伊藤五百亀(いおき)氏の作

 戦前の日本は、偏狭なナショナリズムを煽動する国家指導者の暴走を許し、明治維新以降の国の舵取りを誤ったツケを前途ある若者に支払わせました。2年前、政権与党が国内外からの慎重な審議を求める声を押し切った特定秘密保護法と同じく、安全保障関連法案が衆院本会議で7月に強行採決されました。〝戦後レジームからの脱却〟を目指す現政権が示す国の姿(⇒《脚注》参照)には、拭い去ることが出来ない不安の影がつきまといます。

 70年前、多大な犠牲を払って日本は二度と戦争をしない誓いを立てました。以来、表向き日本は平和を謳歌してきましたが、世界に目を向ければ、争いが絶えたことがないのも厳然たる事実。今年、戦後生まれが人口の8割を越えたといいます。10年後、私たちは戦前・戦中を知る世代の体験を肉声として聞くことが困難になっているでしょう。子や孫の世代に昭和史の悲劇を繰り返させてはならない重い責務が私たちには課されているのです。

874-chiran.jpg【Photo】知覧特攻平和会館の展示より。知覧に配属された元特攻隊員で、今年4月に90歳で亡くなった板津忠正氏は、特攻隊員が集う「富屋食堂」の鳥濱トメ(1902-1992)さんと知覧で再会した時、「生き残ったのは、何かをせねばならないからだ」と諭された。郷里であった名古屋市役所職員を54歳で早期退職。遺品探しに奔走し、1,036名全員の遺影・遺品を、館長職の事務局長を自身務めていた知覧特攻平和会館で展示することが叶ったのは1995年。 © K.P.V.B

 国家が主導した昭和史最大の悲劇ともいうべき特攻。その実相をこの目で確かめ、自らの来し方を振り返り、これからの指針とする意味で、戦後70年の節目に訪れたのが、太平洋戦争末期の沖縄戦で陸軍の特攻前線基地があった鹿児島県南九州市知覧町です。

 太平洋戦争末期の沖縄戦における特攻基地は、九州各地と台湾に点在していました。4,174人が犠牲となった神風特別攻撃隊の名称で統一していた海軍は鹿児島の鹿屋などから出撃。一方、陸軍の特別攻撃隊は、439人の知覧が最多で、2,244人が帰らぬ人となりました。

56.jpg【Photo】特攻隊員が富士山に似た姿を目に焼き付けて南方へと向かった薩摩半島南端の開聞岳(924m)。その裾野にも国内産出量の2割を占める全国第2位の茶処・鹿児島を支える茶畑が広がる © K.P.V.B

 沖縄戦に出撃して亡くなった隊員1,036名の出身地は、当時日本領だった樺太・朝鮮を含む47都道府県全てに及びます。東京の86名を筆頭に、愛知43・鹿児島40と続き、東北では青森7・岩手18・宮城27・秋田9・山形10・福島22。

 かつての飛行場跡地には、沖縄戦で亡くなった陸軍特別攻撃隊全員の遺影と遺書・遺詠などを展示する「知覧特攻平和会館」があります。これは1945年5月に特攻隊員として知覧から出撃するも機体の不調で徳之島に不時着し、再出撃の命令が下らぬまま終戦を迎えた板津忠正氏(1925-2015)が、旧厚生省復員局の名簿をもとに全国各地を回って蒐集した遺品を展示し、教訓を後世へ伝えようという施設です。

te-chiran.jpg 知覧特攻平和会館へと続く沿道には、近年になって奉納された特攻隊員の姿を刻んだ石灯篭が、数え切れぬほど並び、御霊よ安らかなれの願いが街中に満ちているのを感じます。ある程度の特攻隊に関する予備知識は持ち合わせているつもりで知覧を訪れましたが、国難に殉じた兵士が遺した肉筆や遺品に直接触れるうち、やり場のない怒りと深い悲しみがこみ上げてきました。

 近代日本にあって、昭和10年代ほど国の指導者が劣化した時代は無かったと保阪正康氏は断じます。3年8カ月続いた太平洋戦争は、ある時期を越えて以降、国家間の軍事衝突の次元を超え、国家指導層が責務を放棄し、戦争終結を相手任せにし、ただ軍の体面を重んじる〝美学〟の領域に入っていたとも。

【Photo】知覧は鹿児島を代表するお茶の産地

 本来ならば人生の理想に燃える青年(最年少は17歳の少年も含まれていた!)に、逃れようのない死を強要した時代に対する痛烈な反省を忘れた時、日本は再び取り返しのつかない過ちを犯しかねません。不条理な時代を受け入れた特攻隊員の葛藤を知るにつけ、同情を禁じ得ません。どんな時代にあっても普遍的な生命尊重の大原則は守られるべきもの。

 出撃する特攻兵は水盃で出撃してゆきました。それから70年。一服の知覧茶に彼らの無念の思いを噛みしめる夏なのです。

te2-chiran.jpg

*****************************************************************

《注》 自民党の「日本国憲法改正草案」では、国民の生命、自由、幸福を追及できる権利は、公の秩序に反する場合は制約を受けると読み解ける(第13条)。現行憲法では「侵してはならない」思想と良心の自由は、(時の政府が)「保障する」(第19条)可塑的なものへと変質。「緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができ...(中略)国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない」(第99条)。政令は法律とは違い、国会審議を経ずに内閣の一存で定めることが出来る。安保関連法案の前提となる集団的自衛権に関する憲法解釈変更をなりふり構わず押し通した現内閣のやり口そのままに。これは近代法の模範となった独ワイマール憲法第48条「国家緊急権」を楯に「全権委任法」を成立させ、一党独裁を確立したアドルフ・ヒトラー率いるナチス党が、第二次世界大戦に突入していった経緯と恐ろしいほど酷似している。


baner_decobanner.gif
ブログランキング・にほんブログ村へ

2015/02/01

お年取り前夜@村上・鶴岡・酒田・遊佐

【はじめに】
 サーバ更新以降、サイト内ダイレクトリンクが貼れない事象が続いています。関連アーカイブをご覧頂くには、月別アーカイブ一覧下の「検索」BOXにタイトルをコピー&ペーストするか、たくさんの皆様にアクセス頂いているおかげでキーワード検索でも上位に表示される検索エンジンを活用願います。ご不便をおかけしますが、ご容赦のほど。m(_ _)m

 はや睦月を過ぎ、今日から如月。今さら師走の話題を持ち出すのは、若干気が引けますが...。

「2014 呑み納め」レポート

 年の瀬が押し迫った12月末に庄内を訪れる(⇒「帰省する」と言った方が正確か?)ことが、2003年春に庄内系へと突然変異して以降、恒例となっている庄イタ。特に酒田女鶴と原種である(本)女鶴の餅を知ってからは、きまって酒田を訪れています。

amazake-kikkawa_20101010.jpg 仕事納めの翌日、拙稿「新年明けまして女鶴餅」(2013.1)の内容と、ほぼコピー&ペーストの行程で酒田を目指しました。

 最短ルートの最上川沿いを下るR47ではなく、大幅な回り道になることを重々承知の上で、R113を小国町から新潟・関川村を経由して村上市に立ち寄りました。その目的は「鮭を極める哲人」(2007.11)で取り上げた「味匠喜っ川」で塩引き鮭と酒びたし、リゾットやパスタの絶品ソースになる鮭のクリームスープ、さらには道中のエネルギー源となる天然麹甘酒「雪の華」を購入すること。

【photo】越後村上の風土、匠の技、そして家付き酵母が三位一体となって、芸術品のごとき域に達する塩引きや酒びたしが作られる味匠喜っ川(下写真)。天然麹甘酒「雪の華」(上写真)に用いる米麹は、丸4日間をかけて行う昔ながらの一升枡麹蓋づくりによる。「作り手の我を捨てて、謙虚な気持ちで虚心坦懐に麹と向き合うことで、やっと麹菌が目指す上品で自然な風味になってくれるようになりました」と吉川真嗣専務は語る

kikkawa_dicembre2010.jpg 目的を遂げた後は、この季節にしては比較的穏やかな冬の表情の笹川流れと沖合に浮かぶ粟島を眺めつつ、いつものようにR7ではなく日本海沿いを北上しました(下写真)

sasagawa_nagare2014.12.jpg 新潟と山形の県境にある鼠ヶ関にほど近い「あつみ温泉IC」と、山形自動車道「鶴岡JCT」間の日本海沿岸縦貫自動車道25.8kmが開通したのが2012年。これにより移動時間の短縮が図られ、村上の街と鶴岡との距離が、ぐっと近く感じられるようになっています。

 拙稿「寒鱈汁、寒鱈汁、寒鱈汁。」(2010.1)などで過去取り上げた「日本海寒鱈まつり」前売り券を「やまがたの地酒佐野屋」で購入したほか、鶴岡でも立ち回り先をウロウロ。ゆえに酒田に到着した頃には、とっぷりと日が暮れていました。

 酒田市日吉町で1867年(慶応3)に創業した酒販店「久村」では、かつて常連客が夜な夜な集い、店飲みをしていたといいます。

kumura-sakaba.jpg その棟続きで居酒屋「久村の酒場」が開業したのが1961年(昭和36)。夏場は冷蔵ショーケースを兼ねるオリジナリティ溢れるガラストップのカウンター席は、今も地元の旦那衆憩いの場として愛されています(下写真)。

kumura-sakaba-counter.jpg 昭和の風情を色濃く残す気取らない酒場は、太田和彦氏や吉田類氏らに賞賛されるなど、多くのメディアで取り上げられています。現在では、知らぬ同士も肩寄せ合って善男善女が酒田の酒肴を嗜(たしな)むことができる居心地の良い店であり続けています。

mokkiri-kumura-sakaba.jpg【photo】北庄内の地酒が揃う久村の酒場。定番は、もっきりのコップ酒(右写真)

 外呑み・家飲みともにワインが主流の庄イタではありますが、その信条は〝郷に入っては郷に従え〟。しぼりたて新酒が出回る季節に酒田を訪れたのですから、「上喜元 特別純米 仕込第一号」もっきりで乾杯!!

 定番のおでん・ゲソ揚げなどをつつきながら、二杯目は「鯉川 純米吟醸 鉄人うすにごり」。三杯目の「菊勇・三十六人衆純米吟醸あらばしり美山錦」で三段目ロケットに点火。庄イタにとって日本酒の指南役である阿部ご夫妻と、この夜初対面のお三方を含む意気投合したメンバー6名で2軒目を目指しました。

yukiguni-2014.12.jpg【photo】もっきりから打って変わって仕上げは冬が似合う名作カクテル「雪国」(左写真)

 路面が凍結した圧雪路に足元をとられながら流れた先が「ケルン」。お目当ては名高いスタンダードカクテル「雪国」を考案した国内最高齢の現役バーテンダー、井山計一さん(89歳)がシェーカーを振った一杯。途中から加わった酒田出身だという姉妹二人も加わり、袖触れ合うも他生の縁な宴席を締くくりました。

 ちなみに雪国と並ぶ店のもう一つの名物でもあるカウンター奥に掲げられる井山さんの自作による川柳は、「おいおいと追いかけて来る年の数」。

koln2014.12.jpg

 一年の邪気を祓(はら)う霊力が宿るとされる〝若水〟は、元旦の早朝に汲むのが本筋ですが、日程の都合で3日だけフライング。ε=ε=┏(; ̄▽ ̄)┛

tsuruoka-catholic.jpg

 標高2,236mの鳥海山頂には、鳥海山大物忌神社の本宮が鎮座します。大物忌神は穢れを清める神様。信仰の対象とされた鳥海山の地中で磨かれ、御神力を宿した伏流水は、若水として最適ではありませんか。

【photo】赤い尖塔に十字架を頂く白亜の鶴岡カトリック教会。木造ロマネスク様式聖堂としては東北地方では最も古い1903年(明治36)築

 かく申す庄イタ。この日カトリック鶴岡教会を訪れていました。それは初代司祭を務めたダリベル神父の出身地、ノルマンディ地方のデリブランド修道院から1903年(明治36)に献堂記念として寄贈された日本国内で唯一の黒マリア像を6年ぶりに拝観するがため。

 前回は2008年の年末。厨房に入ったオーナーシェフ自らが創作料理を出していた頃のアル・ケッチァーノで、6年連続の食べ納めに鶴岡を訪れた時のこと。(拙稿「今年も当たり年!」2008.12参照)マリア像は東北芸術工科大学で14か月を要した修復作業を終え、その年の春に聖堂の左身廊部に戻ってきていました。

st.maria-tsuruoka.jpg st-maria-tsuruoka2.jpg
 イタリア・カトリックでは、東方三博士が救世主の誕生を祝うため、エルサレムを訪れた1月6日はエピファーナ(Epifana)の祝日。この日をもって待降節から1ヵ月以上続いたナターレ(クリスマス)の期間が終わります。その前夜、箒に跨った老婆ベファーナ(Befana)がやってきて、行いの良い子どもにはお菓子を、良くない子には炭を置いてゆくのです。(2007年11月拙稿「クリスマス ところ変われば」参照)

presepia-tsuruoka.jpg 国指定重要文化財に指定されるロマネスク様式の聖堂を訪れた27日は、上記理由でクリスマス期間だったため、6年前と同様にキリスト生誕の模様をジオラマで表現した素朴なプレゼーピオがマリア像の前に飾られていました。

 聖水で十字を切り、しばしの間、清浄な祈りの場に身を置き、心洗われてからバッカスまつり@久村の酒場に臨むという、八百万(やおよろず)の神がおわします極めて日本的な1日は、こうして暮れてゆきました。

 翌朝は湧水の郷・遊佐町へ。車のトランクスペースには、25ℓ容量のポリタンクを2個積んでいました。まずはJR遊佐駅構内の「遊佐カレー遊佐駅本店」で、カプチーノを一杯。

 カプチーノには、イタリア・ボローニャに本部を構える「Segafredo Zanettiセガフレード・ザネッティ」がブラジルの自家コーヒー園での栽培から焙煎まで一貫生産するアラビカ種・ロブスタ種を絶妙の配合でブレンドしたエスプレッソローストの豆を使っています。

 水は三ノ俣集落にある交流施設「さんゆう」前に引かれた鳥海山麓では屈指の口当たりの良い伏流水「鳥海三神の水」を用いているのだそう。なるほど仙台の「セガフレード・ザネッティ・エスプレッソ」フランチャイズ店で頂くのとは一味違う、まさに神通力のなせる丸みのあるお味でした。

kogetsudo-yuza.jpg kogetsudo-yuza2.jpg
【photo】水量豊かな遊佐町「菓子舗 光月堂」の店先に湧く湧水

 遊佐カレー遊佐駅本店を運営するほか、食の都・庄内から選りすぐった食材を扱う「フーデライト庄内」代表の佐藤幸夫さんから、町内でお勧めの湧水を〝鳥海三神カプチーノ〟を飲みながら聞き出しました。

 それは、かつては菓子作りにも用いていたという「菓子舗 光月堂」の湧水。もうひとつのタンクには、10年以上に及ぶフィールドワークで発見した丸勝金物店の敷地にある「丸勝の水」を。遊佐の町場にあまた存在する鳥海山の恵みである湧水では、屈指の水量で湧出してくる丸勝の水。その美味しさもまた申し分のないものです。

marusho-yuza2.jpg marusho-yuza.jpg
【photo】遊佐町「丸勝金物店」の敷地に設置された石盆に轟々と音を立てて湧き出す湧水

 これで新年を寿ぐにふさわしい鳥海山の御神力を備えた若水2つを確保。残る最大のミッション遂行前に、2014年の食べ納めに席をあらかじめ確保していた店の予約時刻が迫っていました。

次回「今年の女鶴餅は自家製もあっさげ」に続く


baner_decobanner.gif
ブログランキング・にほんブログ村へ

2014/04/27

Arriva a Napoli !?

白日夢 @ Caffè Passalacqua
庄イタ流 避寒術 vol.3

 もはや避寒術など必要のないうららかな陽気に恵まれたGW前半の日本列島。
今回は、この春、白日夢のごとく儚くついえた1軒のカフェについて語ります。

caffe2-passalacqua.jpg【Photo】Arriva a Napoli!? =ナポリに到着!?)のタイトルとは裏腹に、この連休に訪れたわけではない世界三大美港に数えられるナポリ湾。サンタ・ルチア地区から突き出たCastel dell'Ovo(卵城)とヴェスヴィオ火山〈cick to enlarge〉。悲しいかなこんな風に垣間見えるこの美景のロケ地はナポリにあらず...

 庄イタ流 避寒術vol.1,vol.2で登場したピッツェリアでも使用しているナポリのコーヒーロースター、「Passalacquaパッサラックア」日本初のカフェが東京にオープンしたという情報をキャッチしたのが昨年秋。いささか話が遡りますが、雪に不慣れな東京を2度にわたって混乱に陥れた寒気団が居座る2月上旬、店を訪れました。

cafe-passalacqua2.jpg【Photo】混沌としたナポリの下町チックな新宿・歌舞伎町一番街に突如として出現した「Caffè Passalacqua」日本第1号店。再訪を誓ったはずが...。

 キモとなるロケーションが、なんとも泣かせる新宿・歌舞伎町。そう、青山でも銀座でも代官山でもなく、胡散臭さ漂う歌舞伎町のど真ん中。喧騒に満ちたナポリと雰囲気が似ていなくもありません。

 開店には少し早く着いたので、付近を散策したのがイケマセンでした。区条例で禁止されている呼び込み数人に声を掛けられること数度。「・・・キャバクラ、*☭▼$♂・・・」と執拗にまとわりついてくる荒川良々似のお兄さんからは、コンビニに退避して難を逃れました。コチラがよほど物欲しげな目つきをしていたのかも...(///△///)

caffe4-passalacqua.jpg 開店直後の店には、庄イタ以外の客はおらず、宮崎と長崎の出身だという二人の女性スタッフに話を伺いました。親会社の栄進物産株式会社(本社:五反田)が日本第1号店をオープンしたのが昨年夏。「博多で研修を受けたラテアートは、まだ練習中なんです」と語る女性バリスタに、カプチーノを所望しました。

 エスプレッソマシンはSegafredoセガフレード傘下の「La San Marco S.p.A.ラ・サンマルコ」製セミオートマチックタイプ「100 TOUCH」を使用している本格派。謙遜する彼女の言葉とは裏腹に、ロブスタ種とアラビカ種をブレンドしたmehariメハリで淹れたカプチーノは、ナポリ市内に数店あるPassalacqua直営のバール「LA MEXICOラ・メキコ」を思い起こさせます。

 店内を見渡して気になったのが、冒頭に登場したリアルなナポリ湾の美景。他愛のない話をあれこれするうち、お代わりは外せないエスプレッソ。無論のこと店頭に置いてあったアラビカ豆100%のMoana,ボディのあるmehari,バランスの良いCremadorといった全ての種類のコーヒー豆を買い求めました。

mehari-moana-cremador.jpg【Photo】ナポリで1948年に創業して以来、愛されてきたパッサラクア。伝統の深煎りアラビカ種とロブスタ種の絶妙な配合による豊かなボディと深いコク。熟練のバリスタが業務用マシンでサーヴするバールの味とはいかずとも、ナポレターナマキネッタでも本場の雰囲気の片鱗を堪能できる

 「また来て下さいね~♡」と愛想の良いお姉さんに別れを告げて後にした店が、開店から1年も経たないにもかかわらず、3月9日をもって移転のためクローズするとの衝撃的な情報をキャッチしたではありませんか!!

 移り変わりの目まぐるしい東京砂漠に蜃気楼のごとく突如現れ、そして忽然と消えていったCaffè Passalacqua。正統派ナポリスタイルと目されるブランドは、やることまでナポリ流だった恰好。

caffe6-passalacqua.jpg【Photo】この西日に浮かぶナポリ湾の美景もまた、思いもよらぬ店のクローズによって儚い夢と散った〈cick to enlarge

 移転リニューアルを期待しつつも、現在のところ店の再開に関する情報は未確認。「あれは白日夢だったのでは??」と、歌舞伎町で買い求めた豆で淹れたカッフェを飲みながらも、キツネにつままれたような気がしている庄イタなのです。

baner_decobanner.gif

2013/10/27

すわ119番

お役目ご免。かかしの悲哀@新潟

 所用で遠征した新潟でのこと。9月中旬から10月半ばにかけてが稲刈りシーズンとなるコシヒカリの本場は、ほとんど収穫を終えて新米が出回る時季を迎えていました。

terme_tsukioka.jpg

 大正4年、油田の採掘を試みたところ湧出したという目にも鮮やかなエメラルドグリーンの出で湯、新発田市郊外の月岡温泉のお湯(上画像)で浮世の憂さを洗い流した遠征初日。月岡の温泉街ではなく、敢えて新発田の街中に宿をとったのは、訪れてみたい店が市内にあったからです。

   orga_shibata.jpg orga_hari.jpg

 天井の梁に「明治12年5月18日建立」との旧加茂町の棟梁による銘が読み解ける古民家を移築改装した「Orga(オーガ)」で、イタリアンのエッセンスを取り入れたビストロ料理のお薦めコース(メイン魚料理5,000円・同肉料理6,000円)を予約していました。

   orga_01.jpg orga_02.jpg

 前菜は「新発田産イチジクと切りたてハモン・セラーノ カッテージチーズ風味」、「鴨のテリーヌ・ピクルス添え」、「秋鮭のカナッペ」3種盛り(左写真)。2皿目はバジル風味のクスクスにトッピングされた軽く炙りにした鮮度の良い「北海道産イワシのカルパッチョ」(右写真)

   orga_03.jpg orga_04.jpg 

 バジルオイルが香り、火入れ感が絶妙な「サヤインゲンと北海道産ホタテ貝柱のグリエ・プロヴァンス風」(左写真)。パスタ料理は、濃厚なワタリガニの旨味がトマトソース&生クリームソースと重なる「新発田・松塚漁港産ワタリガニのトマトクリームスパゲッティ」(右写真)。皆さまが画像から想像される通りのお味(笑)。

   orga_05.jpg orga_06.jpg

 電話予約の際、提示されたメインディッシュの選択肢から庄イタが所望した肉料理は、グリエした秋野菜とオーセンティックな「アイガモのロティ」(左写真)。魚をリクエストした相方は「佐渡産目鯛とホタテ貝柱のポワレ・クリームソース」(右写真)

   orga_08.jpg orga_07.jpg

 庄イタ選択のデセールは「栗の焼きタルト ピスタチオとバニラアイス」(左写真)、相方は「リンゴのオーブン焼とバニラアイス」(右写真)

orga_y.kato.jpg【Photo】加藤シェフ(写真奥)が調理し、盛り付けはアシスタント。その連携が小気味良いOrgaの厨房(右写真)

 (庄イタは崇拝も信用もしていない)「ミシュランガイド東京・横浜・湘南2012」で二つ星を獲得している六本木ヒルズ「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」で2年間腕を磨くなどした加藤雄一郎オーナーシェフ。その料理は、フレンチ仕込みとはいえ、素材とソースの掛け合わせの妙より、地元を中心に調達した旬の素材感を活かした外連味(けれんみ)のないもので、飾らないビストロ料理といった印象を受けました。

terme_tsukioka2.jpg

marui_niigata.jpg 再び月岡温泉で目覚めの朝風呂(上画像)を浴びてから新潟市に移動した翌日。昼食は古町の寿司・割烹「丸伊」で、北陸の高級魚ノドグロを炙り丼を、南蛮エビは握りで注文しました。

 新潟県が南蛮エビの名でブランド化を進める甘エビ。鮮度抜群の南蛮エビは、専用の南蛮エビから作ったというエビの香りがする魚醤との相性も良く極めて美味でしたが、軽くレモンを絞った藻塩が合うノドグロは、いかにも美味しそうに写っている炙り丼の品書きの写真ほどの大きさはなく、ゆえに脂の乗りも控えめ。

【Photo】花街の風情を残す新潟市古町東堀通りの一角にある寿司・割烹「丸伊」(上写真)で食した「ノドグロ炙り丼」(左画像・1,500円) 「南蛮エビ握り」 (右画像400円)

  marui_nodoguro.jpg marui_nanbanebi.jpg

 金沢・近江町市場で食した4年前の味が忘れられない絶品ノドグロ炙りのような大トロ白身の丼ものなら、この値付けでは無理でしょう。期待が大きかっただけに、ちょっと残念な思いをしましたが、致し方ありません

 その足で新潟伊勢丹で開催中のイタリア展を視察。それは前世イタリア人を納得させうる衣・食・住の粋が集う新宿伊勢丹のクオリティとスケールには及びませんが、充分満足のゆく物産展でした。かたや仙台では、地元の老舗百貨店が景気後退の煽りを受けてか、華のある海外物産催事を全く開催しなくなって4年が経過します。

Tsunenaga_Hasekura.jpg【Photo】幕府の許可のもと、交易を求める伊達政宗の親書を携えた支倉常長は、二つの海原を越えた2年後、マドリードで洗礼を受けた。バチカンで謁見したローマ法王パウルス5世お抱えの画家クロード・ドリュエが1615年に描いた支倉常長像(ローマ・ボルゲーゼ美術館蔵)。11月17日(日)まで仙台市博物館で開催中の「慶長遣欧使節出帆400年・ユネスコ世界記憶遺産登録記念特別展『伊達政宗の夢―慶長遣欧使節と南蛮文化』」に出品され、400年の時を経て郷里での初公開となった。目ぼしい交渉成果が得られぬまま、失意のうちに7年後帰国した常長を待ち受けていたのは、禁教令と鎖国で情勢が激変した故国だった。帰国後間もなく病没したとされ、消息すら定かではない悲運のサムライが欧州から持ち帰った資料類は、今年ユネスコ世界記憶遺産に認定された

 慶長18年(1613)、欧州との直接交易を志した伊達政宗は、家臣の支倉常長ら慶長遣欧使節をスペインとイタリアに派遣しました。九州のキリシタン大名が、領内への布教を目的に伊東マンショら4名の少年を遣わした天正遣欧使節に遅れること30年。スペインとイタリアが近世の幕開けに接触した数少ない日本人は、仙台からはるか太平洋と大西洋を帆船で渡り、両国に鮮烈な足跡を残した伊達藩のサムライでした。

delsole_yokoyama.jpg スペイン・イタリア両国との因縁浅からぬ仙台の史実からすれば、内向きで金太郎飴のような物産催事ばかりの現状が、どうしても物足りなく思えるのです。

 仙台では唯一のイタリアフェアを春に開催するのは仙台三越ですが、かつては秋にイタリアフェアを開催していた地元百貨店で、トップバリスタの妙技を披露しておいでだったのが、今回の新潟伊勢丹イタリア展会場にいらした六本木「Bar del Sole バール・デル・ソーレ」の横山千尋氏(右写真)でした。


  delsole_capcino2.jpg delsole_capcino1.jpg

 日本にエスプレッソの魅力を紹介したバリスタの草分けである横山さんに数年ぶりでカプチーノ(601円)を注文すると、イタリア製エスプレッソマシン「cimbali チンバリ」で淹れたエスプレッソに注いだフォームドミルクに目の前で庄イタには細やかなリーフ柄(右写真)を、相方には似顔絵と思しきラテアート(左写真)をそれぞれ施して下さいました。

 カプチーノのオーダー前に済ませた夕飯は、世界チャンピオンが焼き上げたマルゲリータS.T.G.(981円)

 各国のナポリピッツァ職人が技能を競うため、ナポリで毎年開催される「Pizzafest ピッツァフェスト」2003年(平成15)第9回大会で、初めてイタリア人以外で世界チャンプの栄冠に輝いたのが、当時23歳でイスキア島「Da Gaetano ダ・ガエターノ」で修行中の身だった大西誠さん。現在は札幌から熊本まで多店舗展開する「サルヴァトーレ・クオモ」で、ピッツアィオーロとして活躍中です。

 会場には、師弟関係にあり今年9月にナポリで開催された「12゜Campionato mondiale del Pizzaiuolo 第12回ナポリピッツァ職人世界選手権」のメイン部門であるS.T.G.部門(マルゲリータ&マリナーラ)で、女性初の準優勝という快挙を果たした同僚の梅澤千絵ピッツアィオーラもおいででした。

  niigata_isetan2013-2.jpg niigata_isetan2013.jpg

 本来は薪窯の対流熱で焼き上げるナポリピッツァ。消防法の制約を受ける百貨店内のイタリア展会場で、火を扱う薪窯は設置できません。そこで設えられたのが、薪窯と同じ摂氏500度を保つ高性能電気窯。これは「真のピッツァ・ナポレターナ」国際規約第3条第3項第1号に定めるピッツァ窯の規定を満たしてはいません。それでもハンデ戦を強いられた世界チャンプが、持てる技量を駆使したピッツァ・マルゲリータS.T.G.(右写真)は、熱膨張で盛り上がった生地の縁(コルニチョーネ)の食感に微細な差異を感じ、薪香が漂わない点を除けば、まごうことなき真正ピッツァ・ナポレターナ。さすが世界チャンプは弘法筆を選ばず!

 トスカーナ州サンジミニャーノで購入し、長年使用してきた丈夫なオリーブ材のカッティングボードの傷みがこのところ目立ってきたため、代替えを購入。そのほかグラニャーノ産パッケリやスパゲッティーニ、ワイン数本を調達。営業終了時刻まで会場に留まり、ついつい財布の紐が緩んだ翌朝。アメリカン・ドリームをワイナリー起業で実現したカリフォルニアの「ナパ・ヴァレー」を目指すべく、欧州系ブドウ品種を中心にワイン製造を行う「Cave d'Occi カーブドッチ」など、ワイナリー村の訪問が、この日最大の目的でした。

koshino_shizuku.jpg【Photo】JA越後中央が5年前から普及に努める統一ブランド「越の雫」の旬は8月末から11月半ば。生のまま皮を剥き、風味を増すイタドリの蜂蜜をトローリ。パルマやサン・ダニエレ産のしっとりとした生ハムとの相性は最高♪

 新潟市郊外、西蒲区下山にある「越後西川あぐりの里」で、この地域で栽培が盛んな日本イチジクの代表品種・桝井ドーフィンの特産品「越の雫」と、特別栽培コシヒカリ「寿々喜米」を玄米で購入。車に荷物を積み込んで直売所を出ると、あらかた稲刈りを終えた圃場の先に、葉が赤く色づいた遠目にも明らかな収穫期を迎えたブドウ畑が小さく見えてきました。そこだけが日本の田園風景とは異なる雰囲気を醸し出しています。

 遥かに望むブドウの丘から、田んぼの間をまっすぐ延びる道に視線を落とした時、事件は発生しました。歩道のない片側1車線の道沿いに人がうつ伏せに倒れているではありませんか。すわひき逃げ事件発生かっ?!

call_119.jpg 車を止めた脇道から50mほど離れた田んぼでは、1台のコンバインが稲刈りをしていました。人が倒れているのは、今しがた立ち寄った越後西川あぐりの里がマガモ栽培で育てたコシヒカリの刈り取りを終えた田んぼの畔(あぜ)。ここはコンバインの男性に助けを求めるか逡巡しました。鼓動の高まりを感じつつ、およそ10m前方の草むらに横たわる被害者のもとに駆け寄ろうと車を降りて近づいてゆきました。跳ね飛ばされて頭を強打したのか、頭部が大きく腫れ上がっているようにも見えます。

 「まずい。これは緊急を要する事態だっ!!

call_119-01.jpg 昨年夏、猛暑のもとで開催した「荒木飛呂彦原画展 ジョジョ展 in S市杜王町」〈2012.8拙稿「杜王銘菓『ごま蜜団子』 盛況御礼ッ! 閉幕迫るジョジョ展 in S市杜王町」参照〉実行委メンバーだった庄イタは、来場者が熱中症を発症する事態に備えて、市消防局員によるAED心肺蘇生法などの応急救命講習を受講していました。

 119番で救急搬送を要請しようと、スマホを手に被害者に歩み寄る庄イタは、被害者の様子がいささか妙ちくりんであることに気付きました。その間も目の前で横たわる男性は身動き一つしません。

 ぐったりした体を抱きかかえ、仰向けにして容態をつぶさに観察した庄イタは、疑念が確信へと変わり、こう直感しました。

call_119-03.jpg  「これは手の施しようがない」

 被害者はご覧の通り血の気が失せて顔面蒼白。救命措置を施すことなく現場を立ち去った庄イタは、こみあげてくる笑いをかみ殺しつつ、カーブドッチへと道を急いだのでした。

baner_decobanner.gif

2010/07/11

Osteria di Eataly オステリア・イータリー誕生

スローフード協会ご用達
Osteria del Boccondivino オステリア・デル・ボッコンディヴィーノ直伝
深谷 政宏シェフのピエモンテ料理@EATALY 代官山

esterno_slowfoood.jpg イタリア・ピエモンテ州Bra ブラにあるスローフード協会本部が入る古びた建物の棟続きに一軒のオステリアがあります。中庭に咲く藤の花がテラスに伸びる二階にある店の名は「Osteria del Boccondivino オステリア・デル・ボッコンディヴィーノ」。イタリア語で美味なものを意味するBocconeとVino(=ワイン)を掛け合わせた造語です。気取らないオステリアらしく手頃な料金で良質なピエモンテ料理を提供するこの店は、1984年12月のオープン当初から、のちにスローフード運動の母体となる「ARCI アルチ」のメンバーと深く関わってきました。

【photo】小さな村 Bra ブラの一角にあるスローフード協会本部のある二階建ての建物の入口に架かるOsteria del Boccondivino オステリア・デル・ボッコンディヴィーノの看板(右写真)

Tonno_gallina_aceto.jpg【photo】わずか€19という良心的な価格でロビオーラ・ディ・ロッカヴェラーノのトマト風味ショートパスタにドルチェとカッフェが付くオステリア・デル・ボッコンディヴィーノのセットメニュー「Colazione di Lavoro n.1」にアンティパスト(=前菜)として組み込まれる雌鳥を使った伝統料理「Tonno di gallina all'aceto balsamico トンノ・ディ・ガッリーナ・アッラ・アチェートバルサミコ」は、その名の通りツナのオイル漬けのような食感が面白い(左写真)

 カルロ・ペトリーニ会長など協会本部のスタッフが昼夜を問わず食事に訪れるこの店は、スローフード運動が目指す理念を味覚で体感するにはうってつけといえます。トリノの南方約30kmの町、カルマニョーラ産の銀毛ウサギ「Grigio di Carmagnola グリージオ・ディ・カルマニョーラ」、200年来変わらぬ製法で作られる稀少なヤギ乳主体のチーズ「Robiola di Roccaverano ロビオーラ・ディ・ロッカヴェラーノ」、牛肉のタタキ「Carne cruda カルネ・クルーダ」や皿にとぐろを巻いた状態で供される名物ソーセージ「Salsiccia di Bra サルスィッチャ・ディ・ブラ」などで生食される「Vitelli Piemontesi ヴィテッリ・ピエモンテーズィ(= ピエモンテ牛)」など、絶滅の瀬戸際にある保護すべき小規模な生産者の手になる伝統食材「Presìdio プレジディオ(= 味の箱舟)」を用いた料理がメニューに並びます。

eataly_2010.6.19.jpg【photo】中庭で新型Lancia Delta の展示会が行われる傍らのオープンカフェで人々が憩うEataly代官山。左手がマーケットゾーン、右手1Fがカフェ・パスティチェリア、エノテカ。オステリア・イータリーはその2Fにある

 今年で創刊20周年を迎えたスローフード協会が発行する美味しい料理を手頃な価格で提供する約1,700軒を網羅するレストランガイド「Osterie d'Itala オステリー・ディタリア」のみならず、さまざまなガイド本に取り上げられるこの名店で1991年から9 年にわたり研鑚を積み、つい先ごろ凱旋帰国したのが、Masa こと深谷 政宏シェフです。スローフード協会が監修して2007年にオープンした「Eataly Torino イータリー・トリノ」国外初進出のショップとして2008年9月に東京・代官山にできた「Eataly 代官山」内のレストラン「Guido per Eataly グイド・ペル・イータリー」が、このほど「Osteria di Eataly オステリア・イータリー」としてリニューアル。深谷シェフがボッコンディヴィーノ仕込みのスローフード発祥の地・ピエモンテの味を提供する店として生まれ変わりました。

masahiro_fukaya.jpg【photo】オステリア・イータリーの厨房に立つ深谷 政宏シェフ

 海外展開第一号店となった代官山のほか、現在では日本橋・八重洲に3店舗を構えるEataly。国内最大規模のイタリア食材を取り揃えるマーケットゾーンのみならず、入手困難なイタリアパンを石臼挽きしたMulino Marinoのオーガニック小麦と天然酵母で焼き上げるベーカリー、バール・パスティチェリア、日本人初のAISイタリアソムリエ協会認定ソムリエの資格を持つ林 茂CEOがセレクトしたヴィーノがずらりと揃うエノテカ、素材の良さを実感できるイートインスペースなどから構成される代官山店を訪れた6月19日(土)は、オステリアとしてのオープン初日でした。
osteria_eataly1.jpg【photo】中庭に面した側が一面ガラス張りで明るく開放的な雰囲気のオステリア・イータリーは、シンプルモダンな内装にふさわしいオステリアとして生まれ変わった(右写真)

 ここぞとばかりに食材を買い込んだマーケットゾーン前の中庭を挟んだ二階にあるオステリア・イータリーは、ガラス越しに射し込む陽光が溢れるモダンな雰囲気。真紅のヴェネツィアンガラス製シャンデリアと、ランゲ丘陵の風景写真パネルが豊穣なる北イタリアの地へと来店客を誘います。マーケットで扱う食材を使用したこの日のメニューには、プレジディオ指定を受ける岩手短角牛のほか、比内地鶏といった東北産の食材がオンリストされていました。

arneis_eataly.jpg【photo】ハウスワインはピエモンテ州Roero DOCGの作り手Castello di Santa Vittoria の白ワイン Roero Arneis と赤ワイン Nebbiolo d'Alba 。グラス(500円)カラフェ(1500円)

 期せずして11時30分の開店直後に改装後一番乗りを果たしたため、深谷シェフやフロア担当の澤口 雅史さんに話を伺うことができました。Reggero レッジェーロ(1,800円)、Piccolo ピッコロ(2,800円)、Complate コンプレート(3,800円)のランチコース3 種から、アンティパスト・パスタ・ドルチェ・カッフェがセットされたレッジェーロとVini della casa(=ハウスワイン)のヴィーノ・ビアンコ「Roero Arneis ロエロ・アルネイス」をまずはお試しとグラスでオーダーしました。

Insalada_tonna.jpg【photo】素材の味を活かしたシンプルで毎日でも食べたくなる料理を提供したいと言う深谷シェフの手になる比内地鶏を使ったインサラータ・ディ・トンナは、ボッコンディヴィーノのエッセンスを色濃く感じる
 
 アンティパストは比内地鶏をマリネした「Insalata di tonna インサラータ・ディ・トンナ」。ピエモンテ料理というと、肉の脂を多用するものを連想しますが、これは全く違います。丸ごと4時間ボイルしてから一晩冷蔵庫に置いて処理したという比内地鶏の食感は、ふんわりあくまで軽やか。見た目といい味といい紛れもなくTonno(=イタリア語でマグロの意)そのもので、言われなければ鶏肉とは思わないでしょう。ボッコンディヴィーノでは、「Tonno di gallina all'aceto balsamico トンノ・ディ・ガッリーナ・アッラ・アチェートバルサミコ」という料理が登場します。上記参照〉直訳すると「雌鳥のマグロ・バルサミコ酢風味」といったところ。雌鳥を丸ごとボイルし、一晩おいてから肉をほぐしてオリーブオイルでマリネしたもので、ピエモンテでは伝統的な調理法のひとつです。

vesuvio_eataly.jpg【photo】アスパラガスとパンチェッタのヴェズーヴィオ・オイルとチーズ風味。ヴェスヴィオ山のような形をしたこのパスタは、有史以来噴火を繰り返すこの名高い火山にほど近い山あいの町Gragannoグラニャーノで作られる

 パスタはアスパラガスとパンチェッタを細かく刻み、オイルとチーズで軽く味付けした螺旋状の円錐形をしたショートパスタ「Vesuvio ヴェズーヴィオ」。パスタ作りに理想的な環境が整ったGragnanoグラニャーノ産ショートパスタは、挽きたての小麦のように香ばしく、その格の違いを見せ付けます。ドルチェはチョコレートが添えられたミルキーなジェラート。"モカで淹れた"と但し書きのあるエスプレッソには店のサービスでピエモンテの焼き菓子が付きました。

 ミシュランガイド・イタリア版で☆評価(⇒自国フランスでの☆☆レベルを意味する)を受けるトリノのリストランテ「Guido per Eataly -Casa Vicina【Link to website】」出身の若きシェフ、Enrico Panero エンリーコ・パネッロが手掛けたこれまでのGuido per Eataly 代官山の料理は、伝統をベースに軽やかで洗練された味付けを加えたものでした。

 スローフード運動発祥の地に9年間身を置いた深谷シェフを新たに迎え入れ、オステリアとして再スタートを切ったとはいえ、これまでの方向性から大きく転換する訳ではないようです。より多くの人に良質なイタリアの味に親しんでもらうことが今回のリニューアルの目的だと澤口さんは語ります。オイルやパスタなど素材のクオリティの高さと代官山という立地を考慮すれば、コストパフォーマンスもなかなか。素材に敬意を払った深谷シェフの味付けは、好感が持てるものでした。次回は岩手短角牛を味わうとしましょう。

************************************************************************
Osteria di Eataly オステリア・イータリー
住:東京都渋谷区代官山町20-23 代官山ラヴェリア2F (東急東横線 代官山駅より徒歩2分
Phone:03-5784-2739
営:Pranzo 11:30‐14:30 L.O.   Cena 18:30‐21:30 L.O.
   ◆夜のコース/ Stagione・旬のおすすめ 3,000円
             Tradizione・ピエモンテ伝統料理 4,800円
              Degustazione・プリフィックス 6,000円
日曜夜・月曜定休(祝日の場合は営業・翌火曜休)
URL:http://www.eataly.co.jp/osteria/index.html
E-mail:osteria@eataly.co.jp

baner_decobanner.gif

2009/05/31

期間限定 散居の浮島

庄内系 北陸路を行く vol.1
5月の砺波はまるで松島だった

 見渡す限りの散居。散居を構成する家々のこんもりとした屋敷林。田植えを待つ満々と水を湛えた田んぼ。それらが生み出す美しい景観は、紛れもなく人の手が築きあげたものです。日本有数の豪雪地帯である白山と飛騨高地に端を発し、富山湾へと流れる庄川と小矢部川。その複合扇状地にある富山県西部の砺波市と南側の南砺市では、田植えを控えた毎年5月上旬、とりわけ美しい田園風景を目にすることができます。それは富山湾に出現する蜃気楼が地上に現れたようであり、鏡の海原に浮かぶ奇跡の浮島のようでもあり、多くの散居が水に浮かぶさまは日本三景の松島clicca quiさながらでもありました。
tonami_maggio2009.jpg【photo】砺波市散居村展望台から望む砺波平野の散居

 「散居」とは、農村における集落の形態のひとつで、耕作地の中に家々が点在する様式を指します。東北では岩手県奥州市胆沢区や山形県飯豊町でも同様の屋敷林を備えた散居が見られますが、砺波市から南砺市にかけての220km²に及ぶ広範な地域には、およそ7,000戸の家々が碁盤の上に散りばめられた碁石のように散在しています。この国内最大規模の散居は、範囲の大きさだけでなく水田の中に農家が100m~150mの間隔をおいて点在しており、屋敷林を備えた切妻の屋敷の形状からして、最も典型的な散居集落といわれています。砺波平野は水の確保が容易だったことから、網の目のように用水路が張り巡らされた水田が近世までに整備されました。水田と住居が隣接していれば水田の保守管理を効率的に行える上、コメの栽培にも便利だったことから散居が発達したのです。
tonami_maggio3.jpg 【photo】砺波平野の5月。水を張った田んぼには、もうひとつのカイニョに覆われたアズマダチの田園風景が描き出される

 集落を構成する家々が一箇所に集中する一般的な農村とは異なり、独立した住居が点在する砺波平野の散居では、強い冬の季節風を遮る防風と避暑を目的とする杉や欅などの屋敷林「カイニョ」で屋敷が覆われています。風が強い砺波の気候風土に適した切妻屋根の家は、三角形の妻部分の白壁に太い梁(はり)・束(つか)・貫(ぬき)が升目状に組まれた「アズマダチ」と呼ばれる明治中期以降に取り入れられた様式で造られています。カイニョに覆われた母屋の手前に納屋と蔵が加わるこの地方特有の散居住居は、端正で美しい佇まいを見せています。時として発生するフェーン現象によって気温が上昇する夏の午後でも、カイニョがある家と無い家では4~5℃の温度差が生じるそうです。フィトンチッドによる森林浴効果に加え、多様な生物を育むビオトープとしての役割も果たすLOHASな屋敷林は、多くの恵みをもたらしてくれます。2002年(平成14)には「散居景観を活かした地域づくり協定」が砺波・南砺の各地域で発効し、屋敷林の維持費用の補助に行政が乗り出しました。
tonami_maggio1.jpg【photo】鎮守の森も水に浮かぶ浮島のよう

 砺波一帯は加賀藩の領地で、山林の樹木は「七木の制」で保護を受けていました。成長が早く家屋の材料や落ち葉が燃料にもなる杉は特に重宝され、「百姓垣根七木」として屋敷内の樹木を伐採しないよう定められていました。「高(=土地)を売ってもカイニョを売るな」という砺波地方に古くから伝わる言葉は、立派なカイニョを誇りに思い、屋敷林を大切に守ろうという意思が込められています。しかしカイニョの維持には枝打ちや落ち葉の掃除など多くの手間がかかるため、最近では減少傾向にあるのだといいます。2004年(平成16)10月の台風23号では、全体の1/4にあたる14,778本のカイニョが倒れ、住居の損壊や電線の切断などの被害が出ました。わずか一夜にして砺波の美しい景観は深刻な打撃を受けたのです。散居村の景観を取り戻そうと行政が実施した助成金や苗木の配布によって、およそ1万本の植栽が住民の手で行われました。これも先祖から受け継いだかけがえのない地域資産であるカイニョに対する地元の人々の深い愛情の表れなのでしょう。
tonami_maggio2.jpg【photo】見事なまでに上下対称のシンメトリーな世界が出現する散居風景にさまざまな形をしたカイニョがアクセントを与えている

 特徴的な散居の風景は、北陸道と東海北陸道が交わる小矢部砺波ジャンクションと城端(じょうはな)SA 間の盛土によって高い視点が得られる東海北陸道沿いで見ることができます。散居を俯瞰して見渡すには、熱気球かハングライダーが最適でしょうが、なかなかそうもいきません。砺波市南部の鉢伏山にある散居村展望台や南砺市井波の閑乗寺公園からは、扇状地に広がる散居の様子が一望のもと。日没時には鏡面と化した水田に夕陽が映り込むドラマチックな光景と出合えるかもしれません。
toyama_cam2004.jpg【photo】2004年に富山県が展開したイメージアップキャンペーン【Link to Website】のポスター(上)には、豊かに水を湛えた砺波平野の散居風景が採用された。ヘッドコピーは「水の恵みの、富山から」

 2年前の9月中旬、世界文化遺産に登録されている白川郷・五箇山地方の合掌集落と飛騨高山地方を訪れました。その際、砺波ICで北陸自動車道を下車、山あいに23戸の合掌造りの家が寄り添うように残る五箇山相倉集落Clicca qui に向かう途中で通りかかったのが、砺波の散居村でした。思わぬ収穫ともいえる特徴的な散居の風景は強く印象に残り、今年のGWに郡上八幡へ遠征した際に再訪を果たしました。
tonami_maggio4.jpg【photo】一家総出で田植えの準備にあたる南砺の農家

 夏の名残のうだるような暑さのもとでも稲穂が黄金色に色付き始めた前回の訪問時とは異なる「水の里」の風景がそこには待ち受けていました。砂や小石が堆積して形成される扇状地は、保水力が弱いため水田には不向きとされます。砺波平野では庄川と支流の豊かな水の恵みによって、地中へ浸透する以上の水が供給され、十分な農業用水が確保できたことから、稲作が盛んに行われてきました。今回訪れたのが、田植えを控えた時期であったことから、満々と水を張った水田に囲まれた浮島のような散居が随所に見られました。鏡面と化した水田には、カイニョとアズマダチがくっきりと映り込み、そこに現れた見事な上下対称のシンメトリーな光景に目を奪われたのでした。

baner_decobanner.gif

2009/05/26

郡上八幡で水づくし

庄内系 奥美濃路を行く vol.1

gujyou_yoshidagawa.jpg

【photo】緑したたる郡上八幡を流れる吉田川

 暦通りの休みがしばらくぶりに取れた今年のGW、土日祝日ETC装着車の高速道路料金1000円均一の恩恵を受けるべく、ここぞとばかりに遠征しました。午前2時30分に仙台宮城ICを出発。向かうは岐阜県郡上市です。東北道→磐越道→北陸道→東海北陸道を経由、途中3回の休憩をはさんで650kmを走破、郡上八幡ICのETCゲートを出たのが10時30分。

 庄内地方では決しては起こらず、滅多に行かない山形内陸をたまたま走行中に何故か頻発するマシントラブルの原因と思しきエンジン関連のハーネス(=機器配線)の全交換という荒療治を施したばかりのAlfa Breraは絶好調。MT車にもかかわらず装備されているオートクルーズコントロールを駆使して快適なロングドライブとなりました。料金所の電光板が1000円と表示されるのを見て、「こんなに走っても本当に1000円なんだ!」と感動しながら(笑)、ETCゲートを通り抜けて市営駐車場に車を停め、徒歩でじっくりと街を散策しました。

ETC_1000.jpg  【photo】仙台からの通行料金が1000円の表示を見た途端、そうと判っていても「シンジラレナーイ」と叫んでしまった郡上八幡ICの料金ゲートで

 1559(永禄2)年、戦国武将 遠藤盛数によって天然の要害となる八幡山(標高354m)の頂きに八幡城clicca qui が築かれます。そこに形成された城下町である旧岐阜県郡上郡八幡町は、夜を徹して踊りの輪が続く「孟蘭盆会(うらぼんえ・8/13~16)」に最高潮を迎える7月から9月にかけ、32夜にわたって踊りの輪が広がる「郡上おどりclicca qui」の舞台となります。2004年(平成16)3月に周辺7町村が合併し、郡上市となって以降も旧八幡町一帯は郡上八幡の名で通っています。市街を東西に流れる清流吉田川は奥美濃の山々に端を発し、小駄良川・乙姫川と合流しながら街の西側で鵜飼による鮎漁が行われる長良川へと注いでいます。せせらぎの音に彩られた郡上八幡は、四方を山に囲まれており、環境省が1985年(昭和60)に選定した名水百選で第1号の指定を受けたという「宗祇水」をはじめとする湧水や井戸が町の各所にあります。郡上市民4万7千人の上水道は、カルキ臭とは無縁の石灰岩土壌が広がる市南東部の犬啼谷(いんなきだに)で採水される湧水で賄われているそうで、なんとも羨ましい限り。そこは豊かな水の恵みを生活に活かす水場「水舟」や家並みに刻まれた水路が人々の暮らしを潤す"水の町"なのでした。

shinmachi_gujyou.jpg【photo】新町通の入口で3人の踊り手がお出迎え

 歴史を感じさせる格子窓の家々が建ち並ぶことから、別名"奥美濃の小京都"とも称される郡上八幡。どこかしらレトロな薫りが漂う大阪町から観光客で賑わう新町通へと移動し、8万個の玉石が敷き詰められた散策路と水飲み場や水路が1988年(昭和63)に整備された「やなか水のこみち」へと歩みを進めました。周囲の町屋と風に揺れる柳の木がフォトジェニックな空間を生み出すそこは、観光客にとっては絶好の撮影スポットでもあります。10時30分を回ったばかりでも、GW期間中とあって入れ替わり立ち代りでカメラを前にポーズをとる人たちで一杯でした。

【photo】風にそよぐ柳のもとで清水沿いのそぞろ歩きを楽しみたい「やなか水のこみち」(左下)清らかな水が流れ出るオブジェの脇にはコップが備えられ、湧水を味わうこともできる(右下)

yanaka_komichi.jpg

suibon_yanaka.jpg
                                         別段「疲れた~ orz 」という自覚はありませんでしたが、そこは長時間の運転を終えたばかり。「疲れた時は甘いもの」と言うではありませんか。お約束の記念撮影を早々に切り上げて、やなか水のこみちと新町通りが交わる場所にある「やなか屋」に立ち寄りました。店頭に引いた伏流水と葛粉とで作る涼しげな水まんじゅうに強く惹かれたからです。こしあん・抹茶・いちご・柚子・さくら・黒糖の6種類すべて一個150円。柔らかく丸みがある水と溶け合うように程よい甘さの水まんじゅうは喉をプルンと通り過ぎてゆきます。

mizumanjyu_yanaka.jpgmizimanjyu_yanaka1.jpg【photo】「やなか屋」店頭には水槽に冷たい清水が流れ出ており、その中に色とりどりの水まんじゅうが並ぶ(左)ぐい飲みのような小振りな白い陶製の器に入った水まんじゅうを、ひんやりとした水と共にクイっと一飲み。ほのかな甘みが爽やかな余韻を残す。写真手前は淡いピンクのいちご風味(右)

【photo】「いがわ小径」西側の始点には、用水路の上に洗い場が設けられている(左) 用水沿いに延びる小径は、すれ違うのがやっとほどの幅しかない(中)小径の中ほどにある洗い場は大和ハウスのCMで終盤に登場。観光客にとっては鯉にエサを与える絶好のポイントでもある(右)
igawa1.jpg igawa2.jpg igawa3.jpg 

 "力水"代わりの水まんじゅうでリフレッシュし、この町で最も水量が豊かな「島谷用水」が流れる水路沿いに整備された散策路「いがわ小径(こみち)」へと向かいました。民家の間を流れる用水沿いの狭い小径には、屋根が架かった3つの洗い場があり、今も利用者が組合を作って洗い場の清掃や管理を行っているそうです。水路には数百匹もの大きな真鯉やアマゴなどの川魚が群れをなしています。鯉に与えるエサが西側入り口に置いてあるので、観光客たちは一袋100円の顆粒状のエサを買い求めては大きく口を開けてエサに群がる鯉たちに歓声を上げるのでした。郡上鮎漁が解禁になると、篭に入れられたおとり鮎の姿もみられるのだといいます。小径の突き当たりでは、暗渠からコンクリート製の樋で吉田川の水を引いて生活用水として使っている様子が見て取れます。そこに近接して設けられた二つの洗い場は、食品や食器の洗浄用soba_heijin.jpgと下着やおむつの洗濯用とに用途が分かれており、後者の排水は用水にではなく、直接川へ流れるよう工夫されているのでした。かように水と共にあるこの地の人々の暮らしぶりは、2006年に制作された大和ハウス工業のTVCM 「共創共生 郡上八幡篇clicca qui」で紹介されました。

【photo】平甚の「もちもちざる蕎麦」(並盛・1300円)

 昼食は混雑が予想される時間帯は避けたほうが得策だろうと「そばの平甚」【Link to Website】へ。そこは多くの観光客が訪れる郡上八幡でも、最も賑わう界隈であろう宮ヶ瀬橋のたもとで、吉田川を眼下に望む絶好の位置にあります。11時を回ったばかりだというのに、でき始めた行列に並ぶこと5分。私は店の看板メニューである二八蕎麦「もちもちざる」を、家族は旬の筍を使った「若竹そば(並盛・1000円)と「とりそば(並盛・1100円)を頂きました。地元岐阜産のほか信州や北海道など国内産そば粉を八割、小麦粉を二割使用した更科系の蕎麦に欠かせないのが、冷たく清らかな水の存在です。わずかに甘めの付け汁で頂くモチモチした独特の食感の蕎麦にコシの強さを与えるのに欠かせないのが、茹で上げた蕎麦をたっぷりの冷水で締めることだとか。

【photo】軒に下がる杉玉ならぬ南天玉が目印の桜間見屋を折れると宗祇水への石畳の参道となる(左) 祠の中から湧き出す水は絹のように滑らか。室町時代の連歌師、飯尾宗祇が庵を結んだ故事にちなんで宗祇水と呼ばれる(右)
sogisui_entra.jpg sogisui.jpg 
 
 平甚と目と鼻の先にある昔懐かしいニッキ味の飴「肉桂玉」で知られる1887年(明治20)創業の「桜間見屋(おうまみや)」の角を折れた先の小駄良川沿いに、町随一の名水との誉れ高い湧水「宗祇水」があります。室町時代に形式が完成された連歌の宗匠、飯尾宗祇(1421-1502)は、各地を訪ね歩く中で、歌人として名高い郡上の領主・東常縁(とうのつねより)に古今和歌集の奥義を授かるため、郡上を訪れます。宗祇がおよそ3年の間草庵を構えたのが、この泉のほとりでした。応仁の乱以降、見直しの機運が高まった古典復興の動きの中で、伝統的な美意識を連歌に反映させた宗祇の作風は、konida_gawa.jpg後に松尾芭蕉にも影響を与えています。奉られた祠から音もなく湧き出す清水は、この地に留まった宗祇が愛飲したことから、歌人の名にちなんで「宗祇水」と呼ばれるようになったといいます。3年後の春、京に戻る宗祇は、古今伝授の師・東常縁との別れを惜しみ、この地で「三年ごし 心をつくす思ひ川 春立つ沢に湧き出づるかな」と詠みました。含んだ清水は歌人の明鏡止水な心情を表すかのように実に軟らかくまろやかな味でした。

photo】流れを間近かに清流のせせらぎに身を置くこともできる小駄良川。斜面に張り付くように狭小な敷地に建つ川沿いの人家は、3階建て・4階建ての特徴的な多重構造。裏手には川べりに降りる玉石積みの階段も備えている

ozaki_mizubune.jpgenmeijizo_ozaki.jpg

【photo】 旧越前街道沿いにある延命地蔵の右手には小さな水飲み場がある(左) 尾崎町にある水舟は住民の暮らしを支え、暮らしに潤いを与える(右)

 小駄良川に架かる朱塗りの清水橋を渡ると、鬱蒼とした雑木林に覆われた小高い山を取り囲むように旧越前街道沿いに家並みが延びる尾崎町となります。ふたつの川に挟まれた平場に寄り添うように立ち並ぶ家々の間に、清水が引かれた小さな水場を持つ延命地蔵尊と「尾崎の水舟」がひっそりとありました。街中にある水舟の多くが観光用に整備されている一方、こちら6ヶ所の水舟は生活に密着した本来の姿を留めるものです。郡上八幡の水舟は山形県遊佐町のkajimachi_gujyo.jpg湧水「神泉(かみこ)の水」などと同様に段差が設けられ、上段が飲用水、中段が食べ物の冷却用と洗浄用、下段が洗濯用となり、水と共に暮らす人々の知恵を窺い知ることができるのでした。

【photo】二階部分に斜めにせり出した防火壁「卯建」を備えた伝統的な郡上八幡の風情を漂わせる格子窓の屋並みが残る職人街、鍛冶屋町

 清水橋の上流にある洞泉橋を渡って本町を左に折れると、朱色ないしは黒格子の旧家が残る職人町・鍛冶屋町に至ります。隣家と軒を接する町屋造りの家々の二階には、防火のための袖状の白壁「宇立・卯建(うだつ)」が二階部分にせり出しています。こうした古い家並みが見られるもう一つの地区、柳町を経由したのち、濃厚な大豆の風味が味わえる「ざる豆腐」(たれ付450g500円/250g350円)が評判の「郡上豆腐」へ。昼食を済ませていたので、デザート代わりに杏仁豆腐(180円)を買い求め、宮ヶ瀬橋方向へ戻りながら食べましたが、これが美味しかった!! えてしてありがちな薬品っぽさを感じるゼラチン状の食感ではなく、まったりとした上品な甘さは癖になりそう。いっそ店に引き返そうかとも思いましたが、tirol_gujyo.jpg 子どもたちが夏場に勇気を試される吉田川への飛び込みを行うことで知られる新橋付近までその時点で戻っていたため、お替りは泣く泣く諦めたのでした。

 休憩に立ち寄った新町通の珈琲館「チロル」も、先ほどの郡上豆腐と同様、店先に清水が流れ出ています。自家焙煎したコーヒー豆をサイフォンで飲ませてくれるというので、通常の3倍の豆を使い、2/3の量しか抽出しない「ストロング」(450円)を注文しました。深いアロマに包まれたコーヒーが美味しかったのは勿論、何にもましてコップ一杯のひんやりした水の美味しさが際立っていたと言ってはお店に失礼でしょうか。

【photo】清水が流れ出す珈琲館「チロル」の店先(上) チロルの「ストロング」ブレンド(下)

cafe_tirol_gujyo.jpg

 「水の町」郡上八幡は、こうしてさまざまに水にまつわる表情を見せてくれました。「水の都」Veneziaヴェネツィアは世界的な観光地として俗化がいかに進もうと、それを補って余りある独特のオリエントの香りや地中海の覇者として君臨した栄華の遺香漂う魅力的な街ですが、奥美濃の水の町もなかなかに魅力的でした。水づくしがお題となったこの日の最終目的地、田植えを控え水を張った水田に散居集落の浮島が出現する奇跡の景観が広がる富山県砺波市へと東海北陸道を引き返す前に立ち寄らなくてはならない場所がありました。郡上市で産声を上げたという「食品サンプル」の製造現場レポートは次回「庄内系 奥美濃路を行く vol.2」でご報告!

baner_decobanner.gif

2007/11/21

鮭を極める哲人

「味匠 喜っ川」の深遠なる世界

「鮭のまち村上」より続き

 私が一年だけ山形エリアを担当した 2003年の夏。新潟県境の小国町から新潟県岩船郡関川村を経由し、庄内へと向かう途中で通りかかったのが、村上との最初の出逢いです。カーナビを頼りに迷い込んだのが、情緒ある店が点在する大町周辺と細い路地が続く寺町一帯でした。その風情ある黒塀の街並みに「へぇ~、いい町だなぁ」(寒っ! )と思ったことを今もありありと覚えています。その記憶をもとに村上を再訪したのは、本社勤務となって3年目の 2006年春のことでした。

【photo】
市民の手になる 5,000 本の竹灯籠が、黒塀の風情ある町並みに灯され、揺らめくロウソクの明かりが幽玄の世界へと誘う「宵の竹灯籠まつり」(10月第二土曜・日曜に開催)。二日間の祭り期間中、この「浪漫亭」ほか市内数箇所で琴や尺八・大正琴などの市民手づくりの演奏会が催される


 三面川に面した「イヨボヤ会館」から国道345号線を越えて歩みを進めると、ほどなく落ち着いた寺町へと辿り着きます。特徴的な白壁土蔵造りの浄念寺の角を左折すると、そこは城下町らしい佇まいを見せる安善小路。かつて若旦那衆は、借金をしてまで料亭や置屋が点在する寺町周辺に通じる通称"親不孝坂"を行き来したのだとか。小路の由来となった安善寺の山門前を過ぎ、黒塀が続く通りを左に折れると、ひときわ大きなお屋敷「浪漫亭」が目に飛び込んできます。新潟の地銀「第四銀行」の支店長宅としてかつて使われていた総二階造りの屋敷の主こそ、鮭の町村上を代表する鮭の加工品を手掛ける老舗「味匠 喜っ川」の15代目 吉川 真嗣(きっかわ しんじ)専務その人です。村上の景観に重要な役割を果たしていた、この歴史的建造物が売りに出され、取り壊される可能性が強いと聞いて、自ら建物を買い取ったのが2002年。大正浪漫風の内装にリフォームして自らの住まいとする一方、後述する催し物の会場としても一般に公開。町の賑わい創出に一役買っています。

【photo】伝統文化に新たな価値を付加して見事に花開かせた"村上ルネッサンス"の仕掛け人・吉川 真嗣 専務

 大型複合商業施設誘致や旧市街の再開発に誰も異論を唱えなかった1998年。戦後にできたアーケードで覆われた大町など村上中心部の商店街は、郊外にできた大型店に客足を奪われ、すっかり活気を失っていました。持ち上がった旧市街地の道路拡張計画に対し、町屋・寺町・武家町・城址が揃って残る全国でも珍しい城下町村上の魅力を失ってはならないと、単身反旗をひるがえしたのが吉川氏でした。ここ数年で、日本の地方都市の郊外には至るところ同じような商業施設が並ぶ金太郎飴のような景観が広がるようになりました。

 かたや客足が遠のいた旧来の商店街中心部の活性化は、地方都市が抱える共通の課題です。村上には売り場と生活空間が通路で一体となった奥行きのある町屋造りの店が今もなお残っています。吉川氏は、表を素通りしただけでは判らない建物自体の魅力に着眼しました。そこで伝承されてきた雛飾りや屏風などを含め、"自らの足元にあるもの"を巧みに組み合わせて観光資源として公開し、町の活気を取り戻そうとしたのです。後に「町屋の人形さま巡り」や「屏風まつり」clicca qui といった歴史ある城下町ならではの風情ある催しで、多くの人を呼び寄せることに成功します。この地域起こしの取り組みは、吉川氏が商店街を一軒ずつ説得して始まったものでした。

kikkawazashiki.jpg【photo】毎年 7月 7日・ 8日に開催される村上大祭に繰り出す「おしゃぎり(=山車)」の模型(写真右下)が飾られた「喜っ川」の茶の間。お仏壇と神棚が上下で組み合わされる村上の町屋造りの特徴を備えている。大きな一枚板の幅木が奢られた上がりかまちは来客が座敷に上がる際に使うもので、家人は一段低い右側の上がりかまちを使う点はいかにも商家らしい。写真下は毎年春に開催され、多くの観光客で町が賑わいをみせるようになった「人形さま巡り」開催中の喜っ川の茶の間。あでやかな段飾りの雛人形と全国各地から集めた素朴な土人形の数々が、落ち着いた小さな囲炉裏のある茶の間を賑やかな祝祭空間へと一変させる

kikkawahina.jpg【photo】"うちの人形さま"と呼び習わすほど大切に伝えられてきた村上の人形飾り。毎年 3月 1日~ 4月上旬に開催される「町屋の人形さま巡り」では、さまざまな時代の雛飾りに加え、三河から伝わった素朴な大浜人形(村上土人形)・武者人形・市松人形など 4,000体が 75軒もの町屋で公開される。一ヶ月間の人形さま巡り開催期間中に 3万人が訪れたという初年度 2000年、これといった特徴のない閑静な一地方都市であった村上市にもたらされた経済効果は1億円。それが現在では 5億円ともいわれる。まつり期間中、人口3万のこの町は、たいへんな賑わいをみせる

 真嗣氏は現社長である父君と母上を説得し、江戸情緒溢れる瓦葺屋根と格子窓・障子戸を備えた店構えに改装します。それを皮切りに、市民基金による店舗の歴史的外観の再生と町に賑わいを取り戻すための新たな試みに着手したのです。出資者を募って黒塀を1枚1,000円で購入してもらい延伸する「黒塀プロジェクト」や、黒塀通りを5,000本の蝋燭の灯火が照らす「宵の竹灯籠まつり」、「十輪寺えんま堂の骨董市」など、城下町村上に新たな魅力を加える事業を次々と仕掛けてゆきます。その実績から、氏は2004年に国交省認定の観光カリスマ百選の一人に選定されています。今年43歳になる真嗣氏をして「まだ本業のモノ作りでは親父には敵(かな)わない」と言わしめるのが、14代目主人・吉川 哲鮭(てっしょう)氏です。来店客に気さくに話しかける哲鮭氏の語り草は、いかに村上の鮭文化が深遠なるものかを気付かせてくれることでしょう。

    s-shiobiki.jpg kikkawashiobiki.jpg

【photo】鮭の町・村上の歴史と風土が生み出す塩引き鮭。現当主・吉川 哲鮭氏の手で風干しされ、旨みが凝縮した塩引き鮭の身と皮は、鮭に関する既成概念を覆して余りある

 今でこそ鮭の町として知られる村上でも、太平洋戦争を挟んで戦後間もない頃には、三面川の鮭は途絶えたといわれるほど漁獲高が激減しました。"先人が残した村上の鮭文化を絶やしてはならない"と立ち上がったのが一部の地元の人々でした。そんなひとり先代の豊蔵氏は、奥様と共に鮭料理の講習会を催し、忘れ去られようとしていた鮭料理の素晴らしさを地元の人々に伝える活動を始めたのです。そんな父の姿を目にしていた現社長の哲鮭氏は、稼業を鮭の加工一本に絞り、伝統の味に磨きをかけるべく研鑚を重ねます。やがて食料事情が豊かになり始めた高度成長期、地元でも鮭がないがしろにされた時代もあったのだそう。そんな時代に抗うように哲鮭氏は化学調味料や保存料などを一切使わずに、村上の風土に根ざした味を追求し続けてきたのです。

【photo】村上ならではの加工品「鮭の酒びたし」。喜っ川では漁期後半に汽水域で揚がった 5kg以上の赤い婚姻色が出た魚体のオス鮭のみ使用。漁期を通じて数匹しか揚がらない希少な10kgを越える個体も。遡上に備えて汽水域に留まる日数によって、鮭の顔つきが変わってくる。そこに長く留まっていた鮭ほど、オス同士の諍(いさか)いによって凄まじい形相になるという。漁期前半に多い早生(わせ)の鮭は、余分な脂肪で酸化が進むため酒びたしには不向き。卵に栄養を取られるメスも身に旨みが乗らないので使用しない。開け放たれた母屋の窓からは北西から吹く新鮮な風が出入りし、発酵という自然が織り成す神技の手助けをする

 墨痕鮮やかに「鮭」と記された「味匠 喜っ川」の暖簾をくぐると、店内には三面川の居繰網漁(いぐりあみりょう)で使われていた舟が置かれています。先代の豊蔵氏までは鮭製品だけではなく、造り酒屋も営んでいたという喜っ川。店頭には甕に入った冷たい井戸水が置かれ、かつての仕込み水を味わう事ができます。鮭を余すところなく使ったさまざまな鮭の加工品が並ぶ売り場の先は、登録有形文化財に指定された母屋と蔵になります。そこは村上の鮭文化を象徴する風情を湛(たた)えた空間でもあります。

    tesshoushachou.jpg sakebitashi.jpg

【photo】風乾干しされる「酒びたし」(写真右)の鮭が下がる母屋に立つ店の主人・哲鮭氏。町の北側にある下渡山や鷹取山が冷たい北風を遮り、瀬波温泉がある海岸線から 3~4キロ離れた村上の町場は、ゆっくりと熟成が進む発酵に適した湿度が保たれる。「村上の町場でなけばこの味は出せないのです」とは哲鮭氏の弁

【photo】鮭に粗塩を引く真嗣氏。一週間塩蔵した後、水洗いをして風乾干しする。梅雨時の高い湿度が塩分を身の奥まで行き渡らせ、夏の高温で発酵が進み、"仕上げの雨"こと秋雨の時期に味が落ち着く。この過程でタンパク質が旨みの成分である 20種以上ものアミノ酸に変化。一年がかりで深みのある旨みを帯びた酒びたしが生まれる。「"風味"とは風が作り出す味のことなのです」と哲鮭氏は語る
 
 鮭が銀鱗を躍らせるとは良く使われる表現ですが、燻し銀のように輝く魚体は鮭が海にいる間だけで、川へ遡上を始めた鮭は「薄ブナ色」と表現されるくすんだ色に変化します。水の臭いを頼りに生まれた川に戻った鮭が上流域に生えるブナと同じような色の魚体に変化するのは興味深い偶然といえましょう。村上では家々で男が仕込むのが習わしだという「塩引き鮭」。喜っ川では、10月下旬から11月にかけて村上の沖合いと汽水域周辺にいる鮭を使用します。塩引きに適した4.5kg以上の魚体を哲鮭氏が目利きします。一尾ずつ浸透圧が異なる鮭の状態に合わせて、塩を引く加減を変えるという哲鮭氏。塩を引いていると、鮭が「もういいよ」と手を伝って語りかけてくるのだとか。「のべつ同じ加減であれば、機械だって仕事はできるでしょう? 」もはや名人の域に達した哲人は、そう言って目を細めました。

         sakehannbo.jpg
【photo】「簠(はんぼ)」と呼ばれる浅い楕円形の桶で4~5日寝かせた後、水洗い。その後一ヶ月弱店内に吊るされて発酵熟成される「塩引き鮭」。簠とは元来、神様への捧げ物を盛る器の名。これは鮭がいかに神聖視されていたかを物語っている。一般に流通する新巻鮭は、鮭に塩をした直後に冷凍されたもの。自然解凍によって塩を身に馴染ませるだけで、村上の塩引き鮭のように気候風土と発酵作用が味を作り上げるものではない。皮まで滋味深い塩引き鮭を一口含めばその香りと味の違いは歴然

 2007年11月22日(木)に仙台で催される「宮城ブランド発信フェスティバル」(主催:河北新報社)の際に基調講演をしていただくべく、8月末に吉川専務のもとを訪れました。さらにイタリアから訪れたジョルジョ・チリオ氏らと「宵の竹灯籠まつり」にボランティア参加するため、再訪を果たしたのが10月14日。ちょうど今年の鮭漁が始まったばかりの時でした。その二度とも親子二代から身に余る厚遇をして頂きました。

    shachouocha.jpg murakamicha.jpg
【photo】驚くほどの旨みを持つ村上茶を頂きながら、哲鮭氏の話を伺ううち、村上の伝統文化がいかに奥深いものかに気付くはず

 村上には「亭主の茶」という習慣が残っています。その家の主(あるじ)が、先祖伝来の茶器を使って客人をもてなすのです。お茶の栽培が奨励された江戸期においては、村上は北限の産地とされ、寒冷な気候で生育が遅い分、渋味が少なく甘さを感じる在来種のお茶が育つのです。専務には浪漫亭で、社長からは母屋の座敷で、薫り高くまろやかな村上茶でもてなしていただきました。様式美すら感じさせる澱みのない所作で淹れられた村上茶の味わいは、決して忘れ得ぬものです。

 もともとの家業であった味噌・醤油から造り酒屋を経てきた蔵に隣接して、大正期に作られたという糀室(こうじむろ)があります。江戸の創業当初から発酵食品を手掛けてきた吉川家。先祖伝来の昔ながらの完全手造りによる麹(こうじ)作りが、今もそこで行われています。麹の仕込みが行われるのは 1月~3月にかけての厳寒の時期。米を炊き上げるのは、樹齢500年の秋田杉を材料に能代の職人に特注で作ってもらったという、底板の中心に10cm弱の穴が開いた「甑(こしき)」(⇒樽型のせいろ) 【clicca qui】。厳密な温度管理を要求される麹室での麹菌の培養には、寝ずの番をしなければなりません。木目を通して余分な水分を飛ばしてくれる甑で炊き上げた米は、絶妙な具合に仕上がるといいます。村上では、正月に鮭の熟(な)れ寿司を食する習慣があります。塩引き鮭とハラコにご飯と麹を混ぜて室温に置き、発酵が進んだ一ヶ月を経過した頃が食べごろ。子どもの頃、真嗣氏はこれが大の苦手だったそうですが、今ではこの熟れ寿司を食べないと正月を迎えられないのだとか。熟れ寿司に使用する米麹を伏流水で仕込んだ天然甘酒「雪乃華」もまた絶品です。
     koujimuro.jpg amazake.jpg
【photo】神棚が祀られた麹室の入口には「学を修め 技を極め 一(はじめ)に還る」という哲鮭氏の警句が貼られてあった(写真左) 良質な米麹ともち米に由来する柔らかな甘さは後を引く美味さ。天然甘酒「雪乃華」180cc 税込315円(写真右)

 作務衣姿で店に立つ哲鮭氏の頭の被り物には、魚偏に「生」と書いてサケと読む昔ながらの村上の当て字が染め抜かれています。平安期より、村上では自分たちを生かしてくれる鮭への感謝の気持ちを込めてこの字を使っていました。敢えてその字を用いて、日々鮭と向き合う哲鮭氏の姿に、鮭とともに生きてきた村上の伝統と、それを受け継ぐ者の気概を見たのでした。

************************************************************************

味匠 喜っ川(みしょう きっかわ)
kikkawalogo.jpgmishoukikkawa.jpg
住所:新潟県村上市大町1-20 
TEL : 0254-53-2213    FAX : 0254-53-2213
URL : http://www.murakamisake.com/ 
※喜っ川の正式表記は「喜」の略字である「七」が三角形に組み合わされた字をあてる

baner_decobanner.gif

2007/11/18

鮭のまち村上

s-2006.3.5%20031.jpgs-2006.3.5%20032.jpg

【photo】村上城址から見た村上。正面には下渡山と日本海へと注ぐ三面川が望める

 越後村上藩15万石の城下町として栄えた新潟県村上市。
鬱蒼とした木々に覆われた臥牛山(がぎゅうざん)山頂の村上城跡からは、人口3万人あまりの村上市街と下渡山(げどやま)を巻き込むようにして日本海へと流れ着く三面川(みおもてがわ)が望めます。落ち着いた佇まいの旧市街には、昔ながらの武家屋敷や印象的な黒塀が続く寺町、町屋造りの商家の家並みが残ります。

   ROMANTEIKUROBEI.jpg SOUSENDO.jpg
 

【photo】かつて地方銀行の支店長宅として使われていた「浪漫亭」(写真左)
趣ある金看板が目印の和菓子店「早撰堂」(写真右)
 

           EDOSHOU.jpg TAMURASAKETEN.jpg
 

【photo】名産の村上牛を食せる風情ある店構えの「江戸庄」(写真左)
〆張鶴・大洋盛など村上の銘酒は櫓が目印の「田村酒店」へ(写真右)

細工町・塩町・鍛冶町・肴町などの町名からは、町人・職人が住まったかつての名残りが伺えます。伊達藩制時代に推奨されながらも一度は途絶えた仙台堆朱の伝統を明治末期に復活させたのは、仙台に招かれた村上の堆朱職人・川崎栄之丞でした。今ではウレタン塗装が当たり前になってしまった仙台堆朱とは異なり、今も木彫りと漆塗りの匠の技を受け継ぐ村上木彫堆朱は、経産省指定の伝統的工芸品に指定されています。
s-tsuishu.jpg urushiyakin.jpg

【photo】木地師・彫師・塗師らが伝統の匠の技を発揮して精緻な文様を施す村上堆朱(写真左)。かつては栽培の北限と言われた名産の「村上茶」の産地にふさわしく、茶器の種類が豊富。村上には、茶碗の欠けたところ(写真右:金色の箇所)を見事に修理する腕を持った漆職人と金細工職人がいる。鮭加工製品の老舗・喜っ川の吉川社長によれば、こうした茶碗は「景色が変わった」と言って愛でるという

 仙台の市街地を流れる広瀬川など、鮭が遡上する川は日本各地にあります。新潟と山形の県境に連なるブナ林が広がる大自然を湛えた朝日連峰に端を発する清流・三面川は、鮭の川として知られています。わけても村上の人々が営々と築いてきた鮭の食文化は特筆すべきものです。頭から尾に至るまで捨てるところなく加工・調理される村上の鮭料理は、優に100種類以上にのぼります。毎年秋になると産卵のために三面川に戻ってくる鮭は、たとえ飢饉の年でも人々の貴重なタンパク源となったことでしょう。晩秋から春にかけてこの町を訪れると、家々の軒先に下がる鮭を目にします。特徴的なのは、腹を真一文字に割くのではなく、腹びれのあたりを一箇所を残して切る「止め腹」と呼ばれる仕込み方。豊かな恵みをもたらす鮭に切腹させることを忌み嫌った城下町村上ならではの慣わしです。村上で鮭を指す言葉「イヨボヤ」の「イヨ」とは、平安時代に編纂された辞書「和名抄」によれば、魚(ウオ)から転じて魚を指す言葉です。そして「ボヤ」は魚を指す村上の方言。つまりイヨボヤとは、鮭に対する親しみと敬いの気持ちを込めた"魚の中の魚"を意味する呼び名なのです。

【photo】家々の軒先に下がる「止め腹」をした塩引き鮭は、村上の晩秋から冬にかけての風物詩

 平安中期の律令細目を記した延喜式(927年)には、村上の鮭が京都まで運ばれていたことを示す記載があります。そこには「鮭楚割(さけそわり)」⇒塩引き、干物 ・「背腸(せわた)」⇒血合いの塩辛、めふん ・「鮭内子(こごもり)」⇒子をもった雌鮭 ・「氷頭(ひず)」⇒頭部の軟骨 ・「鮭鮨(さけずし)」⇒内臓を除いた鮭に米と酒を詰めて発酵させた熟(な)れ寿司 ・「鮭子(さけこ)」⇒スジコなどの表記が見られ、当時から鮭をさまざまに加工・調理していたことが窺えます。漁業権の入札制度が導入された江戸時代、資源保護の観点から稚魚の捕獲が禁じられます。同時に鮭の成育環境保持に森が果たす役割に気付いていた村上藩は、町の対岸にあたる下渡山から河口近くにある多伎神社(たきじんじゃ)周辺のタブノキなどの照葉樹林の保護に乗り出します。現在でこそ漁業資源と森林資源が密接に関係している事は周知の事実ですが、「魚つき保安林」の先駆けともいうべき村上藩の「御留山(おとめやま)」制度によって無用の入山や、許可無く木を伐採することが制限されました。鮭の成育に果たす樹木の役割に気付いていた村上の先人の知恵には驚きを禁じえません。こうした保護政策によって、鮭がもたらす税収は村上藩の財政を支える重要な柱になってゆきます。

      s-miomotegawa.jpg
【photo】白雪に覆われた朝日連峰に端を発する「三面川」。豊かな鮭文化を村上の地に育んできたのは、この母なる川にほかならない

 当時は漁獲高に応じて漁師が納める租税額が決められていました。しかし、江戸中期になると、乱獲のため鮭の漁獲量が激減します。それは漁業者と藩にとって大きな痛手となります。この状況を打開したのが、川役人をしていた下級藩士・青砥 武平治(あおと ぶへいじ・1713-1786)でした。武平治は鮭の母川回帰性を世界で最初に発見した人物として今も語り継がれています。ことによると武平治は三面川流域の人々から、鮭が生まれた川に産卵のため戻ってくるのではないかという話を耳にしていたのかもしれません。治水の専門家だった武平治は、鮭の産卵環境整備の必要性を藩に具申します。それを受けた藩は、鮭の産卵に適した流速が穏やかで清冽な湧水が湧き出る場所に産卵床が設けます。

 1763年からはおよそ30年の歳月をかけて鮭の産卵に適した水深に設計された支流(種川)が、三面川と枝分かれして造られます。武平治が考案したこの世界初の自然孵化(ふか)施設の成果は目覚しいものでした。乱獲によって漁獲高が減少する以前は、豊漁時でも200~300両ほどだった税収が、この「種川の制」が導入されるやいなや1,300両あまりに、幕末期にはおよそ2,000両へと増えたといいます。明治17年に三面川で確認された73万7千匹という遡上数は、我が国における最高記録です。

 漁業資源の枯渇が叫ばれる今、その必要性が増す "捕る漁業"から"育む漁業" への転換は、世界に先駆けて村上から始まったのでした。

【photo】鮭公園に建つ 青砥 武平治 の像

 廃藩置県後の1878年、米国で編み出された鮭の人工孵化技術を導入した日本初の人工孵化場が村上に設けられます。漁業資源保護のための鮭の捕獲は、遡上の時期に川幅いっぱいに設けられる堰(せき)「ウライ」で行われています。最盛期には1日に1,000匹あまりの鮭がかかることもあるといいます。ウライの下流域では、引き網による捕獲に加え、今日では村上だけに伝わる伝統漁法「居繰網漁(いぐりあみりょう)」が行われています。二人乗りの小さな木舟が組になって鮭を追い込むこの漁法や、針に鮭を引っかけて竿で釣り上げるダイナミックな「テンカラ漁」も晩秋から冬場にかけての村上ならではの光景です。

            Iguriami.jpg
【photo】三面川の居繰網漁。二人乗りの木舟が 3~4艘で一組となり、鮭を追い込んだ上で網で捕獲する

 村上と鮭の関係を知りたければ、まずは種川の堤防を挟んで隣接する鮭公園内にある「イヨボヤ会館」を訪れてみましょう。この日本で最初の鮭に関する博物館では、この地の人々がいかに鮭と深く関わってきたかを知ることができます。三面川の四季の移ろいや青砥 武平治の功績を映像で紹介しているほか、漁具の展示・子ども向けの学習コーナーなども。館内には孵化場が設けられ、漁が始まる10月中旬から4月にかけては鮭の孵化・飼育を行っています。地階は種川の川底へとつながっており、遡上シーズンには、ガラス越しに鮭が群遊する様子や、運が良ければ感動的な産卵シーンを間近かに見ることができるでしょう。

 「イヨボヤ会館」で村上と鮭に関する理解を深めたところで、ぜひとも訪れていただきたい鮭の町村上の心と技を伝える一軒の老舗へ次回「鮭を極める哲人」にてご案内します。

************************************************************************

イヨボヤ会館
iyoboyakaikan.jpg
新潟県村上市塩町13-34  TEL 0254-52-7117 FAX 0254-53-4300
URL http://www.iwafune.ne.jp/~iyoboya/
開館時間 / 9:00 ~16:30 休館日 / 12月28日~1月4日 
入館料 : 大人600円 小中高生300円 団体料金(20名以上)大人500円 小中高生250円

村上市へのアクセス】
JR利用の場合 / JR羽越本線 村上駅下車
自動車の場合 / 磐越自動車道⇒日本海東北自動車道・中条IC下車⇒国道7号線経由 または 東北道 福島飯坂IC下車⇒国道13号線⇒米沢⇒国道287号線・国道113号線経由(※3年連続水質日本一の清流「荒川」が流れる関川村周辺の美景が楽しめるルート) または 鶴岡方面からは国道7号線⇒国道345号線経由(※周辺きっての美しさを誇る名勝「笹川流れ」を経て日本海沿いを南下するルート)


baner_decobanner.gif

Maggio 2017
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

archive.gif

Copyright © KAHOKU SHIMPO PUBLISHING CO.