あるもの探しの旅

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2018/08/26

魚舞う魚醤ジェラート Gelato Cetarese con alici secchi

トッピングはチンアナゴさながらの煮干し3匹 (笑)


 大阪の街全体が、スチームオーブンレンジで加熱されているかのような平成最後の夏。ギラつく日差しで目の前が白っぽくなり、ボーッとする意識の中で白日夢の妄想バカンス@ナポリを満喫しました(トホホ...)。

 熱帯夜が明けた本日の大阪。予想最高気温は35℃の猛暑日。かたや向こう1週間のナポリの天気予報を見る限り、最低気温は20~22℃。意外なことに日中でも30℃超えの日はありません。

 リアル避暑バカンス@ナポリ。う~む魅惑的な響きだ・・・。

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 2回シリーズでお届けした播州赤穂ネタで今回も引っ張りますが、既にメインディッシュはご紹介済み。最後に赤穂で出合ったナポリとその近郊の町ゆかりのデザートを召し上がって頂きましょう。ボナペティート~♪

 ナポリにおいては、ピッツァは〝Piatto unicoピアット・ウニコ〟(☞ 一品完結型の料理)だと考えられています。先付や前菜から始まる改まったコース料理ではなく、一皿で栄養バランスが取れる食事として庶民に受け入れらてきた歴史があります。

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【photo】この8月にリニューアルオープン5周年を迎えた仙台「Pizzeria Padrino del Shozan ピッツェリア・パドリーノ・デル・ショーザン」は、アマルフィ海岸での優雅なリゾート気分に浸れる。リニューアルオープン直後に食したナポリ菓子「Coda di Aragosta コーダ・ディ・アラゴスタ」

 イタリアの権威ある料理評価本「Gambero Rosso ガンベロ・ロッソ」誌が、Web版で2016年から実施している「Top Italian Resutaurant」の大阪編において、2年連続で選出されたのが、ザ・リッツ・カールトン大阪のイタリア料理「スプレンディード」。その立役者となったのが、2014年12月末に料理長として就任したイタリア中部マルケ州出身のオリアナ・ティラバッシさん。

 スプレンディードがこの夏実施している90分間50種以上のスイーツ食べ放題の「ピーチアフタヌーンブッフェ」に挑む強靭な別腹を備えた乙女ほどのツワモノではないため、前回・前々回のレポートでご紹介したナポリとほぼ同等の30cmサイズのピッツァを平らげた締めくくりは、サックリめの分量で仕上げたいと思います。

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 まず1品目は6月24日(日)のドルチェから。「Mio & Tempurina ミオ・エ・テンプリーナ」前稿参照で昼食を済ませた足で向かったのが、1年牡蠣の産地である赤穂市坂越(さこし)

 前もって訪れた「さくらぐみ」で、西川明男オーナーシェフがプロデュースしたナポリ菓子専門店「坂利太サリータ」が市内坂越にあるとの情報を得ていたのです。

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salita(サリータ)〟とはイタリア語で上り坂のこと。坂越の地名にちなんだ店名ですね。

 そんな洒落っ気がある西川シェフが、岡山県倉敷市の美観地区に触発され、築70年の民家を改装。ナポリ菓子「コーダ・ディ・アラゴスタ」をメインとするパステッチェリア坂利太としてオープンさせたのが2015年7月。

 モデルとなった倉敷の黒瓦を頂く切妻屋根と白塗りのなまこ壁や貼り瓦に木組みの格子窓が特徴の二層からなる蔵造りの町並みそのものは、確かに趣あるものです。

 坂越に赴く前日に訪れた倉敷美観地区の目抜き通りには、あろうことか趣味の悪い立て看板や無粋なのぼり旗が乱立。あまりのアイデンティティの無さに幻滅した湯布院「湯の坪街道」ほど地に落ちてはいませんが、せっかくの美観を損なっている印象を抱きました。

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 8世紀の中庸まで歴史を遡ることができる赤穂の製塩は、入浜式塩田開発が進んだ江戸期に規模が拡大。商都大坂のみならず、江戸へ向けて塩を荷積みする廻船や西回り航路の北前船が寄港した坂越には、文化庁が日本遺産に認定した景観保存地区の街並みが残っています。

 チュニジアンブルーの暖簾 & サインボードと小さな立て看板に留めた坂利多の外観は、歴史ある坂越地区の景観に溶け込むものでした。

 頻繁にナポリへと足を運び、自他ともに認める〝ナポリばか〟こと西川明男氏だけに、(落書きだらけである点を除けば)歴史ある街並みの景観を大切にするイタリア人に見習ったのでしょう。

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 笠が閉じた寸足らずの松茸のような形状のスポンジ生地にラム酒のシロップをたっぷり含んだ素朴な「Baba バッバ」、二枚貝状の焼き菓子「Sfogliatella スフォリアテッラ」と同じナポリっ子に愛される伝統菓子のひとつに「Coda di Aragosta コーダ・ディ・アラゴスタ」があります。

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【photo】坂利太で購入したマロンクリーム風味コーダ・ディ・アラゴスタ(540円)。チョココロネほどでなくとも、成獣になる前のモスラ幼虫と似ていなくもないかも。福島が生んだ昭和の名作曲家、古関裕而が作曲し、今は亡きザ・ピーナッツの二人が劇中歌として歌った有名なこのフレーズが浮かぶ。♫ Mothra ya Mothra, Dengan kesaktian hidupmu(♫モスラヤ モスラ ドゥンガン カサクヤン インドゥムゥ)☞ れっきとしたインドネシア語なのだそう

 前々日、さくらぐみでデザートとして出されたナポリ菓子のスフォリアテッラは、ラード溶液を塗ったセモリナ粉の生地を極薄に伸ばして幾層にも重ねたタッピと呼ばれる生地を二枚貝のような形に仕上げています。

angela_salita.jpg【photo】見本用にカットされたスフォリアテッラ(左上 税別450円)、坂利太オリジナルのマシュマロを中に仕込んだ「アンジェラ」(右3点 税別480円)、同じくホワイトチョコと生クリームを詰めて表面をブルーベリーで覆った「季節フルーツのブーケ」(左下 税別480円)

 リコッタチーズとセモリナ粉をメインにレモンやオレンジの香りを添えた中身を詰めてから焼成するスフォリアテッラと同じ焼き菓子でも、クリームを後詰めするコーダ・ディ・アラゴスタは、生地の層の間隔が広く、ざっくりしたその形状は、名前が意味する通りにまさに伊勢エビの尾。

 こよなくナポリを愛する西川シェフプロデュースの坂利太では、カスタードクリームベースのコーダ・ディ・アラゴスタと、オーブンで温めて食べるマシュマロベースのクリームを詰めたオリジナル商品「アンジェラ」をメインに置いていました。

aragosti_salita.jpg【photo】こちらはコーダ・ディ・アラゴスタ。アンジェラと同様、坂利太では常時5種類の味を用意(税別450~500円)

 成人女性の握り拳ほどの大きさのスフォリアテッラに対し、坂利太のコーダ・ディ・アラゴスタは15cm近くもあります。ゆえに店頭では食さず、マロンクリーム風味を持ち帰りました。

 夏場は坂越浦で養殖される真牡蠣はオフシーズン。坂越浦の牡蠣エキス入りのソフトクリーム「海のミルク」はありませんでしたが、体感気温が40度近い気温の中を駐車場から移動したカラダが欲したのが、地元の丸尾牧場のミルクを使用した「生乳ソフトクリーム」(税別518円)。

 カップやコーンではなく、ご覧の通りアラゴスタのコーンがソフトクリームの器となるのが坂利太流下画像

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 冷房が利いた店内から外に持ち出すと、あっという間に溶け出すのは必至。混雑する店内の隅っこであらかた食べてしまいました。

 ソフトクリームは、素材の良さを物語るコクと滑らかさが際立つプレミアムな食感。アラゴスタと同様、ソフトクリームと生地とを一緒に食べると、ラードを含んだアラゴスタの存在感が勝ってしまいます。当然、クリームを食べ尽くした最後に残るのはアラゴスタ。それが一層その印象を強くします。

 私が知る限りにおいて、ナポリにもアラゴスタの生地を使ったジェラテリアが存在しないのは、そんな理由なのでしょう。

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 2品目は8月5日(日)のドルチェ。Mio & Tempurina ミオ・エ・テンプリーナから海辺の御崎へと向かった目的は、さくらぐみに隣接する手作りジェラートの店「Sciò Sciòショーショー」。

 さくらぐみのスタッフTシャツが目的だった前回とは異なり、2度目の今回はジェラートが目当てです。 

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 冷蔵ケースの中には、ピスタチオ(+100円)・スイカ・温州ミカン・キウイバナナ・イチジクなどのジェラートと、ピーチ・スモモ・マンダリンオレンジのソルベ(=シャーベット)など、色とりどりな18種類のフレーバーが用意されていました。

 その中で、おやっ?と庄イタが思ったのが「チェターラ風」。その言葉にピンと来るアナタは、以前よりViaggio al Mondo の熱心な読者であるはず。

colatura_alici-cetara.jpg 西暦79年に発生したヴェスヴィオ火山の噴火で命を落とした博物学者プリニウスが著した「博物誌」に記載がある通り、塩蔵したイワシを主原料に発酵させた魚醤「Garum ガルム」は、古代ローマ人の食卓に欠かせない調味料でした。

 ローマ帝国の滅亡により忘れ去られたガルムは、13世紀に「Colatura コラトゥーラ」という新たな名前で復活左画像。30年ほど前に一度は途絶えた魚醤を官民挙げた取り組みで再復活させたカンパーニャ州サレルノ県Cetara チェターラ下画像の関係者が、2009年11月に開催された「男鹿・イタリア 魚醤フォーラム2009」で、しょっつるの本場・秋田県男鹿市に集いました。

 千載一遇の機会を逃してはならじと仙台から男鹿までの往復560kmを日帰りで爆走。フォーラムに参加した読み応えたっぷりな詳報を9年前にまとめています《2009.12拙稿io sono shozzurista ショッツリスト宣言」参照》

Cetaramare.jpg 「チェターラ風って、魚醤を使ったジェラート?」

 日本の生活では、ほぼ役に立たないニッチかつディープな庄イタの知識の泉から発した質問に女性スタッフは驚いた様子で問いかけを肯定。その上で、こう尋ねたのでした。

 「頻繁にイタリアに行ってらっしゃるんですか?」

 ひきつった笑いを浮かべながら問いかけを否定しつつも、心の声は、こうつぶやいていました。「Si, tutte le sere. Ma nei miei sogni . (=Yes, every night. But in my dreams.=ハイ、夜な夜な。夢の中でですけどね。)」

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 そんな〝イタリアばか〟丸出しな庄イタが注文したのは、探求心をくすぐってやまないチェターラ風とマロングラッセのダブル(上画像 税込480円)。ご覧の通り、トッピングは3匹の煮干し。

 チェターラで作られる魚醤コラトゥーラ(正確にはColatura di Alici コラトゥーラ・ディ・アリーチ)の主材料となるのがカタクチイワシです。

 果たしてどれだけの人が、庄イタのように西川シェフの遊び心を自ずから理解するかは不明ですが、昨今もてはやされるインスタ映えするビジュアル上のインパクトを狙っているのでしょう。

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 ジェラート自体は、ミルクの甘さにコラトゥーラに由来する潮の風味がいい感じのアクセントになっています。
 
 飾りじゃないのよ煮干しは。ということで3匹とも頭から食べましたが、予想通り、ジェラートとの組み合わせをうんぬんする次元ではないのでした。

 ジェラートから立ち泳ぎで海に還ろうといわんばかりの煮干しの姿から思い起こしたのが、耐えきれない暑さから逃れようと駆け込んだ京都水族館にいたコレ(笑)。

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 サワークリームやジェラートとの相性が良く、粉糖をかけて食するプレーンな「パンドーロ」と並び、イタリアでは主にクリスマスシーズンに少しづつ時間をかけて食べられるドライフルーツが入った菓子が「パネットーネ」《2007.12拙稿「クリスマスところ変われば」参照》

 先月レシピを変更したばかりで、しっとり感がアップしたのだというパネットーネも+300円で追加できます。

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 異常な暑さが続いた大阪でも、先々週の後半は猛暑が一段落。秋の気配を感じるようになりましたが、先週月曜からは再び蒸し暑さがぶり返しています。7月初旬の梅雨明けから続く酷暑を気力で乗り切っていますが、ネイティブ関西人ですら「もうエエ加減、勘弁してほしいわ」と弱音を吐いています。

 そんなさなか、イタリア・トリノ発祥のジェラテリア「GROM グロム大阪店」が9月2日(日)をもって閉店。大阪店の閉店により、GROMは日本市場から撤退することになります。

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 2003年、北イタリアにおけるスイーツの聖地トリノで1号店がオープンするや、素材を厳選したジェラートは、たちまちにして人気を博しました。2009年には新宿を皮切りに日本進出。関東圏と大阪に店舗を展開し、本場の味を届けてくれた店がなくなるのは寂しい限り。
 
 そういえば、昨年以上に鬱陶しく感じられたクマゼミたちがメスに求愛する鳴き声が、いつの間にか減ってきたように思います。

 枝先に残されたクマゼミの抜け殻に、空蝉(うつせみ)の儚さを思い、ゆく夏を惜しむ8月の最終週なのです。

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坂利太(サリータ)
・住:兵庫県赤穂市兵庫県赤穂市坂越2083
・Phone:0791-48-8658
・営:10:00~17:00
   毎週火曜・第1水曜・第3月曜定休(祝日の場合は翌日休)
・URL: https://www.facebook.com/salitaaragosta
・Pあり(海沿いのまちなみ保存地区無料駐車場を利用 )
・禁煙 ・カード不可

Sciò Sciò(ショーショー)
・住:兵庫県赤穂市兵庫県赤穂市御崎2-1
・Phone:0791-45-3030
・営:10:00~18:00
   毎週火曜・第1水曜・第3月曜定休(祝日の場合は翌日休)
・URL:https://www.facebook.com/scioscio2018/
・Pあり(伊和都比売神社近く、向かい側の御崎温泉無料駐車場を利用)
・禁煙 ・カード不可

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2018/08/12

Mio & Tempurina ミオ・エ・テンプリーナ@赤穂

そこにもナポリの風は吹いていた。


 四方を海に囲まれた温帯モンスーン気候の日本とは様相が異なる中国大陸の気候を基にした二十四節気では立秋を過ぎました。そう言われてみれば、夜の帳が下りた夙川河川敷公園からは、少し気が早い秋の虫の鳴き声が聞こえてきます。

 さりとて太陽が高い時間帯は、拙宅からクルマで12分ほどの距離にある甲子園球場からの高校球児が繰り広げる熱戦を伝えるTV中継でご覧の通り、うだるような暑さが関西では続いています。

 この時季、大阪発祥のパインアメとしょっぱい飴ちゃんをバッグに忍ばせている大阪のおばちゃんにうっかり「食欲の秋到来」などと言おうものなら、「えっ、もう秋やて?何アホなこと言うとんねん!」と突っ込まれそう。

 残暑厳しき列島各地では8月いっぱい夏祭りや花火大会が行われています。

【Movie】毎年8月12日から8月15日の4日間開催される徳島阿波おどりに先立ち、昨年8月11日に徳島市で催された選抜阿波おどり大会前夜祭より。女性の健康美が躍動する法被踊り、たおやかで息が合った妖艶な女踊り、ダイナミックな男踊りからなる各有名連の精鋭によるショーアップされたステージプログラムは見応え十分。courtesy of Tokushima Simbun

 昨年、特に見応えがあったのが、徳島市のアスティとくしま(県立産業観光交流センター)を会場に徳島阿波おどり開幕前日に行われた「選抜阿波おどり大会前夜祭」。各有名連の精鋭が揃った踊り子による演舞は、Bravissimi!!男女問わず最上級賛辞ブラボーの複数形)の一言。

 見る阿呆となった翌日は、市役所前演舞場で初日を観覧。にわか連の一員としても踊る阿呆に。2泊3日の日程で滞在した徳島で、姉妹都市である仙台の夏を彩る仙台七夕でエッセンスに触れた阿波おどりの魅力と、露地ものが旬を迎えた特産のすだちを絞った徳島の美味にどっぷりと漬かりました。

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 日盛りに日なたを歩こうものなら、命の危険を感じるほどだった今年の京都。前祭・後祭とも山鉾巡行ではなく宵山を巡った雅(みやび)やかな京都祇園祭とは対照的に、全速力で辻を曲る勇壮果敢な「やりまわし」で知られる岸和田だんじり祭を、ピエモンテ州クーネオ前世県人会の代わりに庄イタが所属している関西宮城県人会の伝手(つて)で来月訪れる予定です。

 阿波おどりの話題で始まった今回。3年前の2月、出張で訪れた高知で発見したペスト・ジェノヴェーゼ的な万能調味料、葉ニンニクの「ぬた」をViaggio al Mondoで取り上げて以来の四国ネタではありません。《2016.3拙稿「おまさん まっこと上等な「ぬた」を知っちゅうが?」参照》

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 蝉時雨と呼ぶには、ただ鬱陶しいだけで全くもって情緒に欠ける 仮に松尾芭蕉が山寺で耳にしても〝閑さや岩にしみ入る...〟の句は浮かばなかったはず)クマゼミが発するNon è bel canto(ノン・エ・ベルカント →「美しい歌」を意味するイタリアオペラ伝統の歌唱法ベルカントとは真逆)な雄叫びをBGMに、ジリジリと焼けつく夏真っ盛りの季節にお届けするナポリ第二弾。

 本来であれば、南イタリア・カンパーニャ州からのバカンス便り!!と申し上げたいところ。

 諸般の事情により(庄イタ的には甚だ不本意ながら)、ナポリまで往復する旅費と時間をかけずとも、十分に納得できるピッツァ・ナポレターナと出合うことができる兵庫県赤穂市が話の舞台です(TT)。

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 気を取り直して、庄イタの太鼓判とともに皆さまに今回ご紹介するのは、前回レポートした「さくらぐみ」から巣立った女性コンビが活躍するナポリ郷土料理の店「Mio & Tempurina ミオ・エ・テンプリーナ上画像

 さくらぐみを取り上げた前回、ナポリの道化・プルチネッラが描かれた「真のナポリピッツア協会」と「ナポリピッツァ職人協会」の看板を真っ当なピッツェリアを見分ける一つの目安として挙げました。その例外として、自薦の上で審査を受ける協会に未加盟であっても、本場の伝統に則(のっと)った製法と確かな腕を持つ店の具体例として名前のみご紹介したのをご記憶でしょうか。

 2007年に真のナポリピッツア協会日本支部が旭屋出版から発行した「真のナポリピッツァ技術教本」で紹介されている移転前のさくらぐみメンバーとして、身内からマスターと呼ばれる西川明男氏を挟んで、当時ピッツァイヨーラとして活躍していた滋賀出身の松岡佳代子さん下左画像と厨房に入っていた広島出身の柴田美緒さん下右画像のお顔を見ることができます。お二人は都合14年の長きに渡って、さくらぐみでキャリアを重ねました。

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 その間、松村さんは2度にわたって渡伊。名匠エンツォ・コッツィアのもと、ナポリ「La Notizia ラ・ノティツィア」や、2004年にスローフード協会が設立した「Università degli Studi di Scienze Gastronomiche 食科学大学」で、19世紀まで庶民は手づかみで食べていたロングパスタ下画像や揚げピッツアなどの〝Cibo di strada チーボ・ディ・ストラーダ(ストリートフード)〟やナポリの伝統食に関する講師を務め、師と慕うマエストロ、アントニオ・トゥベッリ氏上画像がナポリで営む「Timpani & Tempura ティンパニ・エ・テンプラ」、そして海の幸に恵まれた赤穂と地理的条件が似ているジェノヴァ近郊のピエヴェ・リグーレ「La Cucina di Gian Paolo Belloni ラ・クチーナ・ディ・ジャン・パオロ・べローニ」でも腕を磨きます。

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 かたやミオ・エ・テンプリーナではピッツァ以外を受け持つ柴田さんは、ヴェスビオ山の麓にあるオッタヴィアーノに6カ月滞在。イタリアを代表するグルメ評価本Gambero Rosso ガンベロ・ロッソで最高ランクの三ツ星評価を受けるパスティッチェリア「Pasquale Marigliano パシュクアーレ・マリリアーノ」で本場の技と心に触れます。

 穏やかな時間が流れ、美味しい食材と良い水があり、心地よい風が吹き抜ける赤穂の風土を気に入ったお二人は、2013年6月、柴田さんのお名前であり、イタリア語で〝私の〟という意味のMio、そして敬愛するアントニオ・トッヴェッリさんから頂いた〝可愛い天ぷらちゃん〟とでも訳せば良いニックネーム、Tempurinaをドッキングさせた名前の店をオープン。現在に至ります。 

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【photo】ロードサイドに立つミオ・エ・テンプリーナのサインボード。ロングパスタを手づかみするナポリ伝統の食べ方のシルエット、PIZZE, DOLCI, VINI,( 全て複数形でピッツァ・デザート・ワイン)に加え、気になるのが「TIMBALLI ティンバッリ」。シチリアを含め、南イタリアに異なる呼び名で同様の料理が存在するが、パスタや米とラグーソースやトマトソースなどの具を円柱状に固めたナポリの伝統料理が「TIMBALLO ティンバッロ(単数形)」。〝I PIATTI TIPICI NAPOLETANI〟 (ナポリ料理専門店)と謳っている店の性格を物語る看板に偽りはない

 ちなみに1981年に開店した日本におけるナポリピッツァの草分け的存在、さくらぐみから巣立ったピッツァイオーロ(男性)・ピッツァイヨーラ(女性)の数は、同店の西川オーナーシェフでもすぐには思い浮かばないのだそう。

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【photo】焼きあがったオーバー30cmサイズのピッツァを乗せたプレートを手にしたカメリエーレ(フロア係)が、所狭しと配置されたテーブルの間を行き交うナポリ下町のピッツェリアというよりは、つい長居をしたくなるようなゆったりとした時が流れるミオ・エ・テンプリーナ

 果せるかな、店内に足を踏み入れると同時に警察犬並みに働く庄イタの〝いい店探知嗅覚〟がビビッドに反応するホンモノだけが持つ雰囲気がMio & Tempurinaには漂っていました。

 感覚的な話なので説明しがたいのですが、良い店には吟味した食材を使用した料理から立ち上る心地よい〝香り〟が漂っていることが少なくありません。時には談笑する先客の表情から、居心地の良さをお裾分けしてもらったりもします。

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【photo】グリーンのタイルで覆われた薪窯は、西川明男師匠の門下生ゆえナポリの「Gianni Acunto ジャンニ・アクント」製。薪火の暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモツ松岡さんが選んだ小麦粉は、本場ナポリでトップシェアを誇り、さくらぐみ時代から扱いに慣れた「CAPUTO カプート社」の看板商品で、コシの強い生地に仕上がるサッコロッソをメインに使用。天候や気温によって発酵時間が短いサッコブルなどとの配合割合や水分や塩などの分量を微調整する

Lete-MioTem.jpg ピッツェリアに関しては、店の顔と言える窯の熱源が電気ではなく、食欲をそそる香りを生地につける薪火であるかどうか。そしてそれがハンドメードや国産窯より性能が高く、ピッツァの出来栄えを左右するナポリ製か。生地に使っている小麦粉の袋があれば、その銘柄も気になるところ。

【photo】ミオ・エ・テンプリーナのミネラルウォーターは、セリエA2017シーズンで強豪ユベントスと優勝争いをしたSSCナポリのユニフォームスポンサー「Leteレテ」。採水地はアペニン山脈南部のカゼルタ県プラテッラ村。硬度900以上。同じカンパーニャ州産「Ferrarelleフェラレッレ」と比べて発泡は弱め

 ミオ・エ・テンプリーナでは、イタリアのように家族が揃って和気あいあいと食事ができる空間づくりを心掛けているとのこと。事実、そこではゆったりした時間が流れていました。

 そんな空気感を醸し出す店内のインテリアや調度品からはナポリへの深い愛情、そして伝統への敬意が感じ取れるのでした。            

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 前回詳報した6月末にさくらぐみを訪れた翌々日、そして8月初旬にも再訪。味にブレがないことを確認の上で、ミルキーなモッツァレラ・ディ・ブッファラ作りに欠かせない水牛ちゃんが反芻するように胃袋の記憶を呼び戻してみます。

《6/24 アンティパスト》・・・フリット・ディ・ガンベッリ 

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赤穂産 小太海老(サルエビ)のフリット。小麦粉でカラッっと素揚げした小太海老の食感が絶妙。殻が柔らかく頭から丸かじりすると、後を引く味噌の旨味が口いっぱいに広がる。お好みでレモンを軽く絞って(860円)

《8/5 アンティパスト 》・・・インサラータ・ディ・マーレ

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 赤穂の新鮮な海の宝石サラダ ナポリ風。(ウニやアワビをエサにしているグルメな南三陸町志津川湾産の旨味の塊のようなタコの食味にはかなわないが)赤穂からほど近い明石海峡は流れが速く、歯応えのあるマダコの漁場として名高い。エビ、イカ、ひよこ豆と野菜のシンプルなサラダ(1~2人前990円/2~4人前1,510円)

《6/24 & 8/5 プリモピアット》・・・ピッツァ・マリナーラ・コン・ポモドリーニ

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 名店の誉れ高い「さくらぐみ」で、西川師匠や兵庫県明石市で「Ciroチーロ」を2004年に開いた先輩の小谷紀三子さんに鍛えられ、さくらぐみの窯を任されたピッツァイヨーラ松村さんの腕前を物語るジューシー&モチモチ&パリパリサクサクな食感が楽しめるマリナーラ。庄イタ的には前々日に古巣で食したピッツァを上回る出来栄え。Brava!!(1,510円)

《8/5 プリモピアット》・・・ピッツァ・クアットロ・スタジオーニ

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 四季を意味する名のピッツァ。新鮮な牛乳を使用するフィオル・ディ・ラッテとトマトソースをベースに、手前右から時計回りにパルミジャーノ・レッジャーノ,黒オリーブ,マッシュルーム,ハムをトッピング。バジルの香りと共に4つの味が楽しめる欲張りピッツァ(1,940円)

《6/24 プリモピアット》・・・スパゲッティ・アル・リモーネ

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 赤穂産エビのシチリアレモンクリームソース。ほのかなレモンの酸味が爽やかなクリームソースと相性の良い太めのスパゲッティに絡む(1,570円)

《6/24 セコンドピアット》・・・アル・フォルノ・デル・ジョルノ

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 赤穂産マダイのピッツァ窯ハーブ & レモン蒸し焼き。真鯛の旨味を活かし、味つけはあっさり目の仕上がり(1,990円)

《6/24 & 8/5 カッフェ》・・・エスプレッソ

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 ナポリ発祥のロースター「Izzo イッツォ」創業者が設立したエスプレッソマシンメーカー「My Way」製レバー式マシンでエスプレッソを抽出する松村さん。豆はIzzoほどストロングスタイルではなく、マシンの脇に袋があるナポリのロースター「Passalaqua パッサラックア」の「Mehari メハリ」。スプーンで砂糖を入れてもなかなか沈み込まないキメ細やかで分厚いクレマが香り高いカッフェの美味しさを物語る

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 こうしてミオ・エ・テンプリーナで登場した料理を改めて思い起こしているうち、リラックスした状況下で行うのだというエサの反芻をしている牛さんのように、タラ~リとヨダレが垂れてきました(º﹃º )。


【photo】京都市上京区の菅原院天満宮神社は、学問の神様である菅原道真が生誕した地に建つ。道真公の産湯となった「初湯の井戸」は、受験や病気平癒にご利益があるとされ、名水の誉れ高い。一般的には龍が多い手水口(ちょうずぐち)だが、牛とご縁が深かった道真公にちなんでそこでは牛。見ようによってはヨダレにも...?。(前稿でダァー!! の雄叫びと共に登場したアントニオ猪木氏と同様、本筋とは無関係です)

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 季節ごとに入れ替わるグランドメニューのセコンドピアットには、アクアパッツァ(1,990円)もオンリストしてあります。総じて魚介系の料理は素材の味を削がないよう、シンプルな味つけです。

 赤穂という土地柄を考え、これまでに訪れた2度ともピッツァ以外には魚介系の料理を食べました。肉食系の方には、阿蘇天然ミネラル豚香心ポークのロースト(1,890円)や、北海道池田町産の褐毛和種いけだ牛のビステッカ(2,910円)といった選択肢も。

 海の幸に恵まれ、自然豊かな赤穂は、大阪市内の喧騒を離れてリフレッシュするにはピッタリなロケーションといえます。

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【photo】清流千種川(ちくさがわ)が播磨灘に注ぐ赤穂市街地から川沿いに遡り、坂越(さこし)方面へ。茶臼山からは生島が防波堤となり波静かな天然の良港で、かつて北前船が寄港した坂越湾が一望のもと。坂越浦に浮かぶ生島は天然記念物に指定される常緑樹林帯で覆われ、緑豊かな坂越湾の地形から植物プランクトンが豊富なため、養殖される牡蠣は1年出荷できるほどに成長する

 先日、赤穂を訪れた折は、アルコール発酵した液体に関しては今更申し上げるまでもなく、生食するのも庄イタは大好きなブドウ、安芸クイーンやシャインマスカットなどの高級品種や、珍しい桃など、近隣で生産されるフルーツ類も豊富に出回っていました。
 
 作る人が心豊かで健やかでなければ、心に響く料理は作れないと、松村さん・柴田さんは仰います。まさにその通り。

 アントニオさん仕込みのTimballo Napoletanoも機会があれば食したみたいものです。(アントニオさんの苗字は「猪木」ではなく「トゥベッリ」です。念のため)

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Mio & Tempurina ミオ・エ・テンプリーナ

・住:兵庫県赤穂市城西町129
・Phone:0791-46-5787
・営:昼 11:30~14:00
   夜 17:30~21:00
   月曜定休
  ※木曜・金曜のみランチセット(1,620円)あり
    サラダ+ドリンク+3種類から選ぶパスタorピッツァ
   その他の日はアラカルトメニューから
・URL: https://www.facebook.com/Mio.e.Tempurina/
・Pあり・禁煙・カード不可

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2018/07/29

さくらぐみ @赤穂

そこは紛れもなくナポリだった。


 7月20日(金)、平年より8日早く東北北部が梅雨明けし、日本列島はいよいよ夏本番。23日には埼玉県熊谷市で41.1度を観測し、国内記録を5年ぶりに更新するなど、猛暑を通り越して焼けつくような酷暑が連日続いています。皆さま、どうぞくれぐれもご自愛ください。

parco_utsubo-2018.jpg【photo】緑が比較的少ない大阪市中心部にあって、貴重な緑地帯が靭公園。周辺は良質なイタリア関連ショップの集積度が高く、庄イタの出没率が高い。最高気温が38度に迫る中、シチリア料理を食べた帰りに通りかかると子どもが水遊びに興じていた

 殊勝なことを冒頭に言っておきながら、今回は日本列島をますますヒートアップさせる薪火の対流熱、炉内の輻射熱、そしてピッツァ生地が接する炉床温度が摂氏450度に達するナポリの専業工房Gianni Acunto ジャンニ・アクントの蓄熱性能に秀でた薪窯で焼き上がったばかりの香ばしいナポリピッツァが登場する「さくらぐみ」探訪記となります。

 さくらぐみ訪問といっても、幼稚園の父兄参観ではありません。かつて娘が通った幼稚園のクラスもさくら組でしたが、目指すは岡山県境に近い赤穂市。

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 昨年末、国連教育科学文化機関(ユネスコ)は、「ナポリピッツァ職人の技術と伝統」を無形文化遺産として認定しました。2010年にスペイン・イタリア・ギリシア・モロッコが共同提案した〝地中海料理〟という大きなくくりでは認定を受けていたイタリア各地の郷土料理の中で、ナポリの食文化を受け継ぐ職人技が単独の認定を受けた形です。

【Movie】ユネスコが制作したナポリピッツァ職人の技を紹介する動画(伊語・英語字幕)。時代と世代を越えて伝統の技が受け継がれるナポリをコンパクトに紹介。ナポリピッツァを愛してやまない人々によるユネスコ無形文化遺産登録を支持する署名は、「SALVATORE CUOMO & BAR 仙台(サルヴァトーレ・クオモ&バール仙台)」がオープンして間もない2016年の秋にサインした庄イタを含め、全世界で200万人以上にのぼった

 ナポリ王国の庶民食として生まれたピッツァは、イタリア統一後間もない19世紀後半、南イタリアからの移民によってアメリカ大陸に上陸。北米経由でピッツァ文化が輸入された日本では、グローバルチェーンのピザハットやドミノなどの宅配ピザをベースに、ガラパゴス的な進化を遂げてきました。

 日本人が眉をひそめる奇怪極まりない海外の〝なんちゃってSushi〟と同様、ヴェネツィアを発ったマルコポーロが目指した黄金の国ジパングでは、発祥の地ナポリで食されている生地が出来を左右するピッツァ・ナポレターナとは随分と趣が異なる創作系ピザが生まれては消えてきました。

marinala-daisa.jpg【photo】ナポリ発祥のピッツァのひとつ「マリナーラ」のトッピングは、トマトソース・オレガノ・オリーブオイル・ニンニクのみ。ゆえに生地の持ち味をダイレクトに味わえるピッツァ職人にとっての試金石的な存在。ピッツェリア新規開拓にあたって、マリナーラを食することを常とする庄イタ。東京・中目黒「Pizzeria e Trattoria da Isa ダ・イーサ」は、 2011年に発足したUnione Pizzerie Storiche Napoletane - Le Centenarie (=老舗ナポリピッツェリア連盟:通称チェンテナリエ)の日本認定1号店。ピッツェリア評価サイト「50 Top Pizza」が、昨年初めて選んだ日本のNo.1が、見識を疑ってしまう大阪の???な店。汚名挽回とばかりに2018年はダ・イーサを選出。世界チャンプ山本尚徳(ひさのり)さんの手になるこのマリナーラは、生地の絶妙なサックリ&モッチモチ感が素晴らしい。味をしめた再訪時、同じく山本氏が焼いても前回の食感とは微妙な差異があり、シンプルなれど奥深い伝統に培われたピッツァを味わい深く噛みしめた

 たとえば、コルニチョーネ(=ピッツアの縁)にソーセージやチーズが入っていたり、マヨコーンやポテト入りカレーがトッピングされていたり。外来文化を独自に変化させることを得手とするジャポネーゼが編み出したそんな日本式ピザをナポリ人に出そうものなら、顔の高さまで挙げた手の平を左右に振るイタリアンジェスチャーとともに「Ma sei scemo?(=Are you crazy?)」言われるのがオチ。

 およそ味は二の次なあまたのファストフードをグローバルビジネス化し、彼らの日常食を見る限り、味覚音痴の疑いが濃厚なスコットランド系アングロ・サクソンが発明したタバスコソースをピッツェリアでリクエストしてはあきまへん。(☞ 昨今のファミレスはどうか存じ上げませんが、日伊を問わずピッツェリアでは禁じ手扱いのタバスコ。あったとしても、せいぜい唐辛子入りオイル。昨年夏、大阪・天神橋筋のピッツェリアで禁断のタバスコを所望するアラフィフの御仁を目撃した)

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〝店選びで失敗したくない人のためのグルメサイト〟を標榜し、一般ユーザーが主観で書き込んだ口コミ情報と5点満点評価を独自のアルゴリズムで数値化する某サイトで大阪市内ではNo.1の評価だと案内された某ピッツェリア。店主が本場での修業経験があるとの触れ込みにもかかわらず、出てきたマリナーラの食パンのようなフカフカの食感は、到底再訪に値するものではありませんでした。

 その点、ピッツェリアのどこかに下記二つの目印があれば、そこが(時に例外はあるのですが)一定レベルのナポリピッツァと出合える店である目安となりうるので、覚えておいて損はしないはずです。(口コミサイトNo.1評価の某店にはどちらも見当たらなかった)

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 ピッツァイオーロ(=ピッツァ職人)の地位向上、伝統を重んじナポリピッツァの真髄を広めることを目指す「Associazione Pizzaiuoli NapoletaniAPNナポリピッツァ職人協会【左ロゴ】は、1998年にピッツァ発祥の地・ナポリで設立。世界中のピッツァイオーロが技術を競う競技大会(通称:カプート杯)を2001年から主催。これまで日本人も数々の受賞の栄誉に浴しています。

 職人協会に先立つこと14年。1984年にナポリで設立された「Associazione Verace Pizza NapoletanaAVPN 真のナポリピッツァ協会【右ロゴ】も技術の伝承、製法に関して遵守すべき規定を策定し、正統派ナポリピッツァの普及啓発に取り組んでいます。

 1997年9月、イタリア国外の店としては初めて同協会から認定されたピッツェリアが、兵庫県赤穂市の「さくらぐみ」です。

strada-sakuragumi.jpg【photo】JR赤穂線・播州赤穂駅で御崎(みさき)行きバス乗車。御崎バス停下車。クルマは御崎温泉の無料共同駐車場へ。海の安全を守る伊和都比売(いわつひめ)神社の境内を横切り、カプリ島やイスキア島の路地と雰囲気が似ている通称「きらきら坂」を下った先、左手角のさくらぐみまで徒歩3分ほど

 さくらぐみのオープンは1981年。オーナーである西川明男氏は、2006年に発足した真のナポリピッツァ協会日本支部の支部長を務め、日出づる国におけるナポリピッツァ黎明期を牽引してきました。

 2018年7月時点における真のナポリピッツァ協会の認定店舗数は日本国内に75店舗。これはイタリア国内を除けば、イタリア系移民が多いアメリカ合衆国の104軒に次ぐ多さです。

ilPizzaiolo-sendai2017.3.12.jpg【photo】ナポリピッツァ職人協会からマエストロの称号を与えられた千葉壮彦氏が、自身が在籍時に真のナポリピッツァ協会の認定店となり、後輩の育成にも尽力した「ピッツェリア・パドリーノ・デル・ショーザン」から独立。新たな挑戦として生地に使用する小麦粉のメイン銘柄をIaquone(ヤコーネ)に変更し〝真のナポリピッツァ協会の看板はもう要りません〟と、自然体で2015年10月に仙台市青葉区台原に開いた「il Pizzaiolo イル・ピッツァイオーロ」。転居の挨拶を兼ねて2017年3月12日にお伺いした折、フル回転の忙しさにもかかわらず、千葉さんのご好意でひと手間を要するMezzo mezzohalf & half)で頂いた飛び切り香ばしいマルゲリータとマリナーラ

 誤解の無いよう繰り返しますが、大阪市北区浮田「La Pizza d'Oro ラ・ピッツァ・ドーロ」や、さくらぐみ出身の女性コンビがタッグを組む赤穂市城西町「Mio & Tempurina ミオ・エ・テンプリーナ」のように同協会加盟店でなくても、イタリアや日本国内で腕を磨いたピッツァイオーロの独立などにより、美味しいナポリピッツァを提供する店は日本各地に存在しています。

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 休日出勤の代休を取った6月末の金曜日。ピッツァ・ナポレターナと本格海鮮ナポリ料理を提供する予約困難で知られるさくらぐみを訪れるべく、江戸城内での刃傷沙汰で断絶に追い込まれた浅野家が1661年(寛文元)に築城した赤穂城址がある市街から、千種川を渡って南端の赤穂御崎まで南下。

 赤穂城三ノ丸大手門近くで営業を続けたさくらぐみは、2010年4月に現在の場所に移転。そこは波静かな瀬戸内海に面しており、ナポリ湾に面したサンタ・ルチア地区のごとき抜群のロケーション。下画像

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 真のナポリピッツァ協会による審査を92番目にパスしたことを示すパーラを手にしたナポリ伝統の仮面劇に登場する道化プルチネッラと Sakuragumi a Mare(=海のさくらぐみ)と記された看板から沖合に目を転じれば、西島と家島が重なるように水平線と交わり、西の彼方にはオリーブオイルの産地・小豆島も認められます。

 それは紺碧のナポリ湾とピュアな青空とのはざまにカプリ島やイスキア島が遠望できる晴れ渡ったサンタ・ルチアからの眺望に相通じるものがあります。

terrazza-sakuragumi.jpginoki-bom-ba-ye.jpg【photo】御崎のロケーションに惚れ込んだ西川シェフの夢をひとつの形にしたテラス席。簀子(すのこ)越しに届く日差しは優しく、潮騒を乗せた風が吹き抜けてゆく心地よさは、洗濯物がはためく混沌としたナポリの路地裏よりは、ヨーロピアンリゾート気分に浸れるカプリ島やイスキア島さながら。come il Paradisooooo !!!!! 楽園ダァーーーー!!!!! 

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 まだ昼の暑さの余韻が残る18:00、広々とした店内に案内されました。さくらぐみのCena(チェーナ=夕食)は、お任せのコース料理(2名より/1人:6,300円~)となります。

 予約にあたっては、血の香りがする fegato(レバー)NG素材である点や、コース料理の中で30cmクラスのナポリサイズのピッツァが1人1枚ではボリューミーであろうこと、そしてドルチェにスフォリアテッラを食べたい旨の希望は伝えていました。

sakuragumi-forno-acunto.jpg【photo】ピッツェリアの店内で気になるのがピッツァ窯。オーダーメードの薪窯にはその店の個性が現れる。さくらぐみオーナーシェフの西川氏が代表を務めるイタリア食材専門商社の山陽水産が輸入代理店となるGianni Acunto製。席からのアングルのため分かりにくいが、炉の部分が燃え盛るヴェスヴィオ火山をかたどっており、排煙口を覆う造作はプルチネッラの仮面

 庄イタにとってのナポリピッツァがメインのピッツェリアでの飲み物の定番は、口の中をリフレッシュしてくれるガス入りミネラルウォーターか辛口ジンジャエール、アルコール飲料なら最良の選択はビールであって、ピッツアが目的ならばワインを選択することはありません。

 さくらぐみでは地場の新鮮な魚介中心のカンパーニャ州の料理を食べさせてくれるはず。そこで組み合わせを考慮してワインリストから選んだのは、同州産のヴィーノ・ビアンコ。1996年創業の新参ですが、現在はビオディナミ農法に移行している「Viticoltori De Conciliis デ・コンチリス 」という各方面から高い評価を受ける作り手です。

 選んだのは、マスカット系の甘みを帯びた香りとドライな飲み口がエキゾチックな「Zibibbo ジビッボ」(=Moscato di Alessandria=マスカット・オブ・アレキサンドリア)と並んで、南イタリアで注目に値するギリシャ起源で古代ローマ以来の歴史を有するブドウ品種「Fiano フィアーノ」から醸した「Cilento Fiano D.O.C Donnaluna 2009チレント・フィアーノDOCドンナルーナ2009」。

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 アマルフィ海岸からサレルノを経てレッジョ・カラブリアに向かう途中、サレルノ湾の最南部にギリシャ・ローマ時代の世界遺産パエストゥム遺跡があります。10kmほど内陸部に入った火山灰土壌の丘陵地帯に位置するブドウ畑は、昼夜で風向きが変わって生じる寒暖差が理想的な環境を生むのでしょう。10年近くの時を重ね、綺麗に熟成した南イタリアのヴィーノ・ビアンコをリストに載せている店は、そうはありません。

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 それでは、素晴らしい飲み口だったフィアーノの香りを反芻しつつ、この夜のコース料理をおさらいします。

付き出し水牛モッツァレラ・フレッシュミニトマト・生トウモロコシ(ゴールドラッシュ)・タラバガニ・コブトエビ(サルエビ)・大間産生ウニのコンポート コンソメジュレ風味
 
sakuragumi-a1.jpg ナポリから空輸されたミルキーなモッツァレラと糖度が高いミニトマトという鉄板の組み合わせと、ピッチピチな海の幸。つなぎ役のコンソメの旨味が演出する一体感


アンティパスト:1皿目甘海老・焼目をつけた陸奥湾産ホタテ・赤穂坂越湾産イワガキ・アスパラガス・自家製ポモドーリセッキ 紫キャベツほか野菜のブロードのズッパ

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具が盛り付けられた皿が運ばれたところに料理人としての正装であるコックコートではなく普段着っぽい(?)半袖シャツ姿の西川明男シェフが、中にスープが入ったガラスポットを手に登場。サーヴを終えるとその後姿を見なくなった

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アンティパスト:2皿目淡路産タマネギ・小太海老(サルエビ)のフリット・フルーツトマト添え 花ズッキーニの小太海老インボルティーニ レモンを絞って

アンティパスティ・ミスティ(=前菜盛り合わせ)。昼間に偵察したスーパーで予習済みのこの時季に旬を迎えた体長10cmほどの小太海老は、頭ごと食すると旨味の塊となる。肝心の画像を押さえるのを失念(TT)。senza photo... Mi scusi.


アンティパスト:3皿目(カツオ)の炙り アボカドとグリーンオリーブのソース 千切りジャガイモのフリット

kazzo-sakuragumi.jpg 表面に火入れした鰹をクリーミーなペースト状になったグリーンオリーブ&アボカドとマッチする一皿

 
パスタ料理手打ちオレキエッテ フレッシュトマトソース

primo-2018sakuragumi.jpg (特に中部以南出身の)イタリア人のDNAをくすぐるシンプルイズベストなトマトソースで味付けした大ぶりな耳たぶ型パスタ


ピッツァ(ハモ)と万願寺唐辛子 ゴルゴンゾーラのマリナーラ, 水牛モッツァレラチーズのアッフミカータ風味のマルゲリータ

pizza2018.6_sakuragumi.jpg コース料理ではプリモピアット扱いのピッツァ。アンティパストが3皿だったこともあり、1枚を2名でシェアするハーフ&ハーフで用意され胸をなでおろした。関西の夏に欠かせない鱧と京野菜の万願寺唐辛子、フレッシュトマトをトッピング。鱧料理の定番「炙り」のように香ばしい仕上がり。相方は王道のマルゲリータと思いきや、モッツアレラチーズをスモークしてあり、コクが増した変化技だった


セコンドピアット鱧の軽いフリット 松の実とレーズン 炙りモッツァレラ  パプリカとアンチョヴィのソース サマートリュフ風味 

secondo2018.6-sakuragumi.jpg 尾頭付きの鱧が2尾登場!ではなく(笑)、料理は絵皿の中心。


ドルチェ & カッフェ スフォリアテッラ 瀬戸内レモンのジェラート エスプレッソ

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リクエスト通りナポリ菓子の代表格、薄いパイ生地が幾層にも重なった中にリコッタチーズとオレンジピールが入ったスフォリアテッラが登場。極薄に伸ばした生地に使用するラード由来の油っぽさが少ない方が、芦屋「amarena」のようにカラっとしていてモアベターな印象。エスプレッソはナポリスタイルのロースターCaffè Delizia カフェ・デリツィア

 赤穂愛とナポリ愛を感じたコース料理を堪能すること3時間。21時ぐらいから混み始めるスロースターターなナポリなら、日付が変わっても互いに言いたいことを言い合って相手の話などロクに聞いてはいない宴は続きますが、ここは赤穂。名残は尽きませんが、潮時でした。

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 今年2月、レストランと隣接した一角に山陽水産取り扱いのグラニャーノ産パスタなどのイタリア食材、自家製パネットーネ、プレートなどのグッズ、シチリアのハンチング帽「コッポラ」などを扱う「Scio'Scio'ショーショー)」がオープン。オリジナルレシピのジェラートを頂くこともOK。ですが、21時過ぎにさくらぐみを出た時点でScio'Scio'は営業時間を過ぎていました。

 その日は赤穂温泉に滞在後、倉敷・岡山まで足を延ばした翌々日、再び赤穂に戻ってきた折、デザインが数種類あるスタッフTシャツ(1枚2,980円)の中から、かつてマラドーナが所属したSSCナポリのチームカラーである水色バージョンをゲット。

 こうしてめでたくユニフォームを確保。さくらぐみ編入を果たしたところで、おのおのがた、おしまいでござる。

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さくらぐみ

・住:兵庫県赤穂市御崎2-1
・Phone:0791-42-3545
・営:昼 11:30~15:30(L.O. 13:30)
   夜 18:00~22:00(L.O. 20:30)*3/20~10/10
     17:00~21:00(L.O. 19:30)*10/11~3/19
   毎週火曜,第1水曜,第3月曜定休(祝日の場合は翌日休)
・URL:http://www.vera-pizza-sakuragumi.co.jp   
Pranzo シェフお任せランチコース 3,990円(2名から)
Cena シェフお任せディナーコース 6,300円(2名から)
    1名の場合 3,990円~応相談
 

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2018/07/16

祇園祭 2018 宵山、そしてナポリ。

【はじめに】

 西日本各地に甚大な被害をもたらした梅雨前線が日本海へと北上した7月9日(月)、九州北部・中国・近畿・東海・北陸地方は一斉に梅雨明けが宣言されました。
 平成になって最多となる200名以上の犠牲が西日本各地で生じた大雨が残した容赦のない爪痕を見るにつけ、猛威を振るうことなく梅雨明けしてくれれば良かったものを、と恨み節を漏らさずにはいられません。
 もはや日本全土が災害から無縁ではいられない現実から目をそむけることは許されません。〝自分は大丈夫だろう〟という「正常性バイアス」による油断は禁物。
 まずは居住地域がハザードマップの被害想定区域にあるかを確認。気象庁のHPなどから情報収集に務め、情報入手ツールが限られる高齢者世帯など近隣に声を掛け合い、迅速に避難行動を起こすことが身を守ります。
 気象庁が「平成30年7月豪雨」と命名した豪雨禍で犠牲となられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。


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Naginatahoko2018yoiyama.jpg【photo】巡行の順番が毎年くじ引きで入れ替わる山鉾巡行で、くじ取らずと呼ばれ、前祭(さきまつり)の先陣を切るのが長刀鉾(なぎなたほこ)。宵山を迎えた7月14日。最高気温が38.5℃に達した昼の余韻を残す京都・四条通に涼を呼ぶ祇園囃子が響く

 災害や疫病が全国各地で頻発した貞観年間の869年、当時の国の数に由来する66本の鉾を立て、厄疫退散を願う祭礼を京都・八坂神社で執り行った故事を起源とするのが、京都祇園祭です。室町期に始まった山鉾巡行は、15世紀中庸には現在と変わらぬ数の山鉾が繰り出し、真夏の都大路を彩ったといいます。

 日本人の繊細な感性が磨き上げた様式美の極みともいうべき祇園祭ですが、長い歴史の中で順風満帆な歩みをしてきたわけではありません。

tokuyasama2018yoiyama.jpg【photo】謡曲に題材をとった木賊山(とくさやま)の駒形提灯に明かりが灯る宵山初日。暮れなずむ京町屋の前を浴衣姿の人々が行き交う下京区仏光寺通西洞門院西入にて。

 15世紀、都を荒廃させた応仁の乱では、山鉾のほとんどが焼き尽くされます。宝永年間・天明年間に発生した2度の大火、そして幕末の動乱では、劫火が街並みを包み、山鉾の多くが灰塵に帰しています。こうした災禍が襲う都度、京の都人たちは、たゆまぬ熱意をもって復興を遂げてきました。 

【Movie】笹の葉で作り、山鉾ごとにご利益が異なる縁起物の厄除け粽(ちまき)売りの声と祇園囃子が祭りの風情を醸し出す。毎年、前祭の先陣を切る長刀鉾と同様、最後尾の殿(しんがり)を務めるくじ取らずの絢爛豪華な船鉾(ふねほこ)。下京区新町通綾小路下ルにて

 山鉾巡行を控え、提灯の明かりが灯る中、コンチキチンの祇園囃子が流れる宵山初日の京都、そして京都と大阪との境界に位置するジャパニーズウイスキーの故郷・山崎をこの3連休に訪れました。

 ウイスキー造りに適した山崎の地は、桂川・宇治川・木津川が合流して淀川となる地。水温が異なる川が交わるため、スコットランドと同じく霧が発生しやすい環境で湿度が高く、体感的にキツいのなんの。

 最高気温が摂氏39度に迫る勢いだったこの日の京都。熟成庫で眠りについていた原酒たち下画像からは、樽から揮発する濃密なアルコール成分が立ち込めており、深呼吸をするだけで、いい気持ちになれそう。

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 海外での評価が高まり、国産シングルモルト原酒が品薄になって久しい昨今。90分のサントリー山崎蒸溜所での見学・試飲では、ホワイトオーク樽原酒、ワイン樽原酒、シングルモルト山崎をテイスティング。

 有料テイスティングカウンターでは、この先数年は滅多にお目にかかることが出来ない山崎25年、白州25年、響21年(各15mℓ 2,900円)、山崎18年、白州18年(各15mℓ 600円)などをストレートで試飲下画像。シェリー樽原酒の個性が際立ち力強い山崎18年、白州の持ち味である爽快さに深みが加わる白州25年、そして時が磨き上げた円熟味が素晴らしい響21年が特に印象に残りました。

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 山﨑蒸留所の仕込み水と同じ水脈だという伏流水「離宮の水」が湧き出す「水無瀬神宮(みなせじんぐう)」へと向かって歩き出してからも、摂取したアルコール分が全身の汗腺から揮発してゆくかのよう。酔いは回らずとも、強烈な日差しと暑さで目の前が次第に白くなってきました。

 千年の都・京都とは姉妹都市であり、溶け出したアスファルトの路面にハイヒールが刺さるサウナ風呂のごとき8月のフィレンツェの熱気を彷彿とさせたその日。朦朧とした頭に蜃気楼のように浮かんできたのは、サンタルチア通り沿いにスイカ売りの屋台が並ぶ真夏のナポリの光景。

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 南イタリア特有の強烈な日差しを受けてキラキラと輝くナポリ湾。ソレント半島まで延びるヴェスヴィオ山のなだらかな稜線が果てる先は、皇帝アウグストゥスやティべリウス帝も愛してやまなかった楽園カプリ島上画像

 そんな幻影が瞼の奥に浮かんできたのも無理からぬこと。その日は〝海の日〟なのでした。

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 ナポリ方言で歌われるカンツォーネの中で、最もポピュラーな曲が、こんな歌い出しで始まる「'O sole mio オー・ソレ・ミオ」でしょう。

 Che bella cosa e' na jurnata 'e sole, 太陽が輝く日の何と美しいことか
 n'aria serena doppo na tempesta!   嵐は去り、空は澄みわたる
 Pe' ll'aria fresca pare già na festa   すがすがしい空気は祭りの日のよう
 Che bella cosa e' na jurnata 'e sole  晴れ渡った日の何と美しいことか

 Ma n'atu sole    しかし、もう一つの太陽は
 cchiù bello, oje ne'  さらに美しい。
 'o sole mio      私の太陽は
 sta nfronte a te!   君の顔で輝く

Vedi Napoli e poi muori (=ナポリを見て死ね)〟とまで称賛される風光明媚なナポリ愛を歌った曲かと思いきや、ちゃっかり女性の美しさを褒め称えるあたりは、さすがイタリア男。

【Movie】世紀の競演と前評判が高かったコンサートを締めくくったアンコール2曲目「Nessun dorma 誰も寝てはならぬ」に先立つ同1曲目が'O sole mio。イタリア中部モデナ出身パヴァロッティv.s.マドリード出身ドミンゴ&バルセロナ出身カレーラスの歌合戦。キングオブハイCが、演出過剰なビブラートを利かせた歌唱を披露すると、負けてはならじとスペイン無敵艦隊が応じる之図

 ナポリ生まれの詩人ジョヴァンニ・カプッロのロマンティックな詞にエドゥアルド・ディ・カプアが情熱的な旋律をつけ、1898年に世に出たこの曲を十八番とするルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスの名テノール3人が、ローマ・カラカラ浴場跡で初共演したのが1990年。
 
 それは、FIFAサッカーワールドカップ・イタリア大会の前夜祭として企画され、6,000席が用意されたプレミアチケットは10分で完売。公演の模様を収録したCDはクラシック音楽としては空前のセールスを記録。'90年代の愛聴盤のひとつでもありました。

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 雨が降り出すたびに機嫌を損ね、その都度ピットインした正規ディーラーのメカニックでもトラブルの原因を特定しかねたミラノ・ピニンファリーナ工場製の先代Macchina Rossaに翻弄され続けた痛すぎるイタ車ライフも今は昔《2009.3拙稿「場の空気に関する一考察」参照》

 同じ赤のメタリックボディでも故障知らずで、ボディ形状も先代と似ていなくもない広島製アルファロメオこと、イタリアなど欧州ではMazda3と呼ばれるアクセラで兵庫県赤穂市を訪れたのは、梅雨の晴れ間の6月末のこと。

 その日、ジョルジャなどのイタリアンポップスとともに、パヴァロッティがアンコール前のメドレーでは至極真っ当に歌い上げた'O sole mio、そして20世紀初頭に活躍したナポリ出身のテノール歌手、エンリコ・カルーゾ(1873-1921)の晩年を描いたCarusoカルーソが車内には流れていました。

【Movie】音楽を通じた交流があったポピュラー音楽のアーティスト14人とパヴァロッティが1992年に共演したコンサート「Pavarotti & Friends」。病に倒れソレントで療養するエンリコ・カルーゾの魂の叫びを綴った曲Carusoを作曲者のルチオ・ダッラと熱唱した

 Qui dove il mare luccica, e dove tira forte il vento  海は輝き、強い潮風が吹き抜ける
 sulla vecchia terrazza davanti al golfo di Surriento   ソレント湾を望む古いテラスの上で
 Un uomo abbraccia una ragazza           男は若い女を抱きしめる
 dopo che aveva pianto                涙が乾ききらぬままで
 poi si schiarisce la voce e ricomincia il canto       声の調子を整え、再び歌い始める

 Te voglio bene assai                愛している
 Ma tanto tanto bene, sai               狂おしいほどに
 È una cantena ormai                 固い絆で
 che scioglie il sangue dint'e vene, sai         血潮は沸き立ちそうだ

sorrento-caruso.jpg【Photo】イタリア国内で成功を収めて渡米したエンリコ・カルーゾ(日米ではエンリコ・カルーソと発音)。テノール歌手としての円熟期に病に冒され、ここソレントで再起を期すも病状は回復せず、郷里ナポリで没した。享年48。不世出の歌劇王として名声を得たカルーゾは、ナポリ湾の彼方に沈みゆく夕陽に何を思ったのだろう

 47歳というキャリアの絶頂期にNYで病に倒れ、ナポリ湾に面した景勝地ソレントで療養生活を送る歌劇王。歌にかける情熱と諦念が入り混じった晩年の生きざまを、ボローニャ出身の歌手ルチオ・ダッラが情熱的な歌詞で表現しています。そんな曲でイメージトレーニングをしていたのには、れっきとした理由がありました。

 次回は、関西に居を移したからには、是非もので訪れたいと思っていた兵庫県赤穂市にあるピッツェリア&海鮮ナポリ料理の店「さくらぐみ」訪問レポをお届けします。

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2018/06/19

夕陽に燃え立つ萌える絶景@砺波

I've seen things you people wouldn't believe, reprise
2018 初夏。散居、ふたたび


 近畿・東海・関東甲信地方に梅雨入り宣言が発表されたのが6月6日。関西地方の平均的な梅雨入りは6月7日だそうで、ほぼ例年通りのタイミングです。

ajisai_shukugawa.jpg【Photo】夜半から降った雨が上がった夙川(しゅくがわ)公園アジサイ園の朝。野坂昭如の小説「火垂るの墓」の舞台となった満地谷にほど近い苦楽園口橋付近で蛍が舞う頃になると、公園の一角に設けられたアジサイ園が青や紫に色付き始める上画像

 10日に東北南部と北陸が、11日には東北北部が梅雨入りし、梅雨のない北海道を除いて日本列島は今年も雨の季節を迎えました。農作物にとっては欠かせない恵みの雨も度を越せば意味合いが違ってきます。

【Photo】1907年(明治40)、大阪で砂糖問屋を営む香野蔵治と櫨山慶次郎が開設した香櫨園(こうろえん)遊園地の唯一の名残が、ウオーターシュートが設けられていた夙川公民館に隣接した片鉾池。今年は陽性の梅雨だという6月の日曜日。気温が上がった梅雨の晴れ間、ウシガエルの合唱が鳴り響く池がある夙川河川緑地で涼を添える青のアジサイ下画像

IMG_3811.jpg 記憶に新しいところでは、梅雨真っ盛りの昨年6月30日から7月6日にかけて九州北部で断続的に発生した線状降水帯により、24時間雨量が600mmに達した九州北部豪雨では、福岡大分両県で40名が犠牲となりました。発生から間もなく1年となる現在も、1,100人以上が応急仮設住宅で不自由な避難生活を送ります。

 数年に一度あるかどうかという豪雨が予想される場合に出される記録的短時間大雨情報、ないしは災害発生の危機が迫っている事を意味する大雨特別警報の発令が、ここ数年全国各地で頻発しています。自助共助の精神で、大切ないのちを守る物心両面の備えを日頃からしておきたいものですね。

aKibitsu-Okayama.jpg【Photo】吉備津神社(岡山市)は、国内唯一の比翼入母屋造の拝殿・本殿が国宝。社伝によれば、祭神の吉備津彦命(きびつひこのみこと)は、備前國吉備地方の平定に際し、温羅(うら)という鬼を退治したとされ、これが桃太郎伝説のもととなった。カタツムリが木陰の葉の上でじっと雨降りを待つ梅雨の季節、咲き揃ったアジサイ2,000株が境内を彩る

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 旧暦の6月は水無月(みなづき)と呼びますが、何故に梅雨の季節が〝水が無い月〟なのか、悩んだことがありませんか?

 水無月は、中学校の国語で習った連体修飾語です。主語となる体言(月)を修飾する体言(水)が連なって意味を成す言葉なのですが、ここでキモとなるのが〝無(な)〟ですね。

 古語における〝な〟は、格助詞の〝の〟の役割。よって水無月は、水の月という意味です。謎は解けても〝な〟に〝無〟の字をあてているがゆえに、現代語では本来の意味が曖昧模糊とし、梅雨空のようにモヤモヤ感が残るのではないでしょうか。

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【Photo】多くの参詣客が訪れる出雲大社(いずもおおやしろ)に清冽な気が漲る朝一番の6時に訪れた5月某日。長さ13.5m・太さ8m・重さ4.5tの国内最大級だという大注連縄が下がる拝殿へ上画像。本殿内の神座は西向きのため、拝礼した八足門前から本殿を囲む瑞垣に沿って右回りで本殿脇へと移動し、大国主大神に一番近い場所で二礼四拍手一礼するのが出雲大社の作法。本殿を挟んで東西には19の部屋に分かれた「十九社(じゅうくしゃ)」と呼ばれる南北に長い社がある下画像。閉ざされた19の扉が開くのが旧暦10月11日から17日までの7日間。全国津々浦々から一堂に会する八百万の神の宿泊所となる

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 大国主(おおくにぬし)が日本各地に配した八百万の子神を出雲大社に呼び戻すため、出雲地方では神存月(かみありづき)と呼ぶ旧暦の10月の別称、神無月(かんなづき)も同じ文脈で、〝神の月〟ですが、日本中から神様が集う出雲地方以外では神不在の月なので、神無月という表記がしっくりきます。

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 イタリア語で6月はGiugno ジュンニョといいます。これはローマ神話の主神Jūpiter ユピテル(☞ラテン語)Giove ジョーヴェ(☞イタリア語)の妻、 Juno ユーノー(☞ラテン語)Giunone ジュノーネ(☞イタリア語)の名前に由来しています。

Volto_Galleria_Farnese.jpg【Photo】在伊フランス大使館として使われるローマ・ファルネーゼ宮殿1Fには、初期バロック絵画においてボローニャ派を牽引した画家アンニバーレ・カラッチ(1560-1609)の代表作とされる天井フレスコ画(1595-1602)がある上画像Web サイトからの事前申込制で、月・水・金曜日のみ仏・伊・英語ガイドによる内部見学が可能。中央の「バッカスとアリアドネの勝利」など、さまざまな神話の場面を描いた天井画の一部が、この「Giove e Giunone ジュピターとジューノ」下画像

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 梅雨のないイタリアでは6月の別名がMese del Sole(=太陽の月)。地中海性気候のイタリアでは、6月ともなれば日差しは強まり、ローマの最高気温は東京・大阪とさして変わりませんが、月間降雨量は40mmと東京の1/4程度。

 6月1日に発足したジュゼッペ・コンテ首相率いるポピュリスト連立政権の登場で、流入する難民受け入れを拒否するなど、EU域内から不安の目を向けられる昨今のイタリア。著作「イタリア紀行」における高揚ぶりが著しいゲーテの例を挙げるまでもなく、緯度が高いドイツ語圏などヨーロッパアルプス以北の人々が憧れる彼の国の青空には、輝く太陽が似合います。

risaia-vercelli.jpg【Photo】ヨーロッパアルプスの雪解け水が大地を潤す5月初旬の北イタリア。米作が盛んなミラノ南方のロンバルディア平原やピエモンテ州ヴェルチェッリ県では、ポー川の水利を活用し、日本の田園地帯とさして変わらぬこうした風景と出合える

 一昨年度の主食用米の作付け面積が138万haの日本に対し、21万5千haの水田面積を有するイタリア。ミラノ南部のロンバルディア平原やパヴィーア周辺地域とともにコメどころとして知られるのが、ピエモンテ州のヴェルチェッリ県。

 庄イタが前世において目にしたであろう、峩々とした白銀のアルプス山脈を映し出すヴェルチェッリの水田地帯を舞台にした映画が、1949年公開の「Riso Amaro(邦題:にがい米)」。

 主演のシルヴァーナ・マンガーノ(1930-1989)は、田植えの季節に現物支給で近郊からMondina(モンディーナ=田植え女)として駆り出される娘を演じており、機械化が進んだ1970年頃まではトリノ駅からヴェルチェッリまで鉄道が運んだ女性労働力が支えた1960年代までのイタリアの米づくりを今に伝えます。

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 ここ2年ほどの庄イタがそうであるように、瑞穂の国というと、最近では安倍明恵首相夫人が関与した「瑞穂の國記念小學院」、そして籠池泰典・諄子夫妻の夫婦漫談を(心ならずとも)思い起こしてしまうと仰る方がおいででは?

 日本国の別称である瑞穂の国は、奈良時代の編纂である日本書紀に「豊葦原瑞穂国(とよあしはらの みずほのくに)」との記載が認められます。8世紀初めに編纂された日本最古の史書である古事記では「水穂国」と記述されますが、同じ意味合いです。

kushimitama_izumo.jpg【Photo】出雲で共に国造りを行っていた少彦名(スクナヒコナ)が去り、途方に暮れる大国主のもとに三輪山の大物主(オオモノヌシ)が現れ、国づくりを手伝ったという記紀の記述を表す「ムスビの神像」が出雲大社の四之鳥居の前にある。大国主の前に「幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)」が波に乗った黄金の玉として出現。強固な神性を備えたムスビの大神となり、国づくりを完遂したという

 これら記紀が伝える神話の時代には弥生時代に日本へと伝来した稲作は伝わっていなかったはず。その出自がギリシャ・ローマにしろ、日本にしろ世の東西を問わず神話の世界は理屈では説明がつかないもの。野暮なことは言わずにおくとしましょう。

miwayama-ookamijinjya.jpg【Photo】三輪山がご神体となるため、拝殿写真中央の奥に本殿を持たない「大神(おおみわ)神社」(奈良県桜井市)は、日本最古の神社を自認。祭神である大物主が蛇神に姿を変えたという伝承にちなみ、木の洞(ほら)から白蛇が出入りする「巳の大杉」は樹齢400年写真左。地元特産の三輪素麺は、白蛇神となった大物主に由来する ... のではない

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 確かなことは、豊かに葦が生い茂り、瑞々しい稲穂が育つ国を支えるのは、雨や雪がもととなる水であり、作物を育む人の営みであるということ。

 そのいずれかが欠けても出合うことのない景観が形づくられているのが、飛騨高地を源流域とする庄川と石川県境に端を発する小矢部川とに挟まれた扇状地を形成する富山県西部の砺波平野です。

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 9年前の民主党政権時代、高速道路料金一律1,000円の恩恵に預かろうと、GWに仙台から東北道・磐越道・北陸道を経由して岐阜県郡上市を目指したことがありました。《2009.5拙稿「期間限定 散居の浮島」参照》

 そこで遭遇したのが、屋敷林「カイニョ」に囲まれた伝統的家屋「アズマダチ」で構成される国内最大規模の散居集落と水を湛えた水田とが織り成すシンメトリーな光景。田植えシーズン真っただ中に出現していた砺波の田園風景は、強い印象を残したのです下画像

 その時、加賀百万石を支えた一大穀倉地帯の砺波平野でDNAに刻まれたピエモンテの光景が蘇っていたのかもしれません。

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 関西に居を移し、前回の訪問時と比べればはるかに近くなった砺波への再訪は必須のミッションでありました。

b_simple_70_0L.jpg 朝を迎えた郡上八幡では、戊辰戦争で徳川の恩義に報いるため、江戸詰家老だった朝比奈藤兵衛の長男で弱冠17歳の朝比奈茂吉ら、薩長主導の討幕勢力についた郡上藩を脱藩し、会津藩と共に鶴ヶ城籠城戦を戦い抜いた凌霜隊45名の慰霊・顕彰碑がある郡上八幡城へ。

〝勝てば官軍〟は世の常。そんな明治の世にあって、(父である江戸家老の独断であったにせよ)藩命を受け忠義を貫いた朝比奈茂吉らは国賊として投獄・謹慎の身となります。2年4か月後に放免された後も郷里から離散するなど、苦難の人生を歩んだ凌霜隊士の遺徳を偲びました。
 
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 合掌造集落がある世界遺産・五箇村上画像を目指した東海北陸自動車道とR304を経て久方ぶりに訪れた砺波平野。今年のGW後半は全国的に好天に恵まれましたが、まさに狙い通りの展開が待ち受けていました。

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 日が傾く時間に向かったのは、9年前には午前中に訪れた散居村展望台と展望広場。そこで巡り合った息をのむ光景に、もはや多くを語る必要はないでしょう。

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 気がかりだったのは、9年前の訪問時と比べ、保守管理に手間がかかる屋敷林カイニョと木組みが美しい切妻屋敷のアズマダチ、田植えのために水を張った水田が目に見えて減っていたこと。生産農家の高齢化、消費者のコメ離れと米価低迷は、砺波伝統の美しい田園風景の維持を一層困難にしているようでした。

 それでも幸運なことに、八戸・三社大祭、京都・祇園祭、飛騨・高山祭などと共にユネスコ世界無形文化遺産に登録されている「山・鉾・屋台行事」のひとつ「城端(じょうはな)曳山祭」の宵祭りが砺波平野南端の南砺市城端地区でこの日行われていました。

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 町内6地区ごと「山宿」には恵比寿様や大黒様などの江戸期に製作された6体の御神像がおいでです。京都・祇園の一力茶屋や吉原の遊郭を模した6台の庵屋台に提灯が灯る頃、三味線と笛に江戸端唄の流れをくむ唄い手からなる袴姿の若連中が越中の小京都と呼ばれる城端の街を巡ります。

《若連中による庵唄:再生時に音が出ます》

 江戸情緒溢れる宵祭りに居合わせた翌朝は、絢爛豪華な曳山の巡行も心ゆくまで堪能できるという素敵なオマケまでついたのでした。

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2018/05/26

極楽浄土を垣間見てもうた...

2018 Ciliegi Giapponesi
a Patrimonio mondiale Sala della Fenice〝Byodoin〟
2018さくら絶景探訪 第二章 : 世界遺産「宇治平等院」編


 言葉を失う美しさ。光に包まれた浄土が、まさに出現していました。

 そこは2014年(平成26)に完了した平成の大修理で創建当初の色鮮やかさが蘇った京都宇治の世界遺産「平等院」。

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 鳥が翼を広げて飛び立つ優美な姿に似ており、江戸時代の初め頃、鳳凰堂と呼ばれるようになったもう一つの由来とされる中堂の屋根に対で頂く黄金に輝く青銅製の鳳凰は1万円札の裏側に、そして中堂を挟んで南北の翼廊からなる平等院の姿が10円硬貨の裏に刻まれています。

 分厚い札束にほくそ笑む拝金主義者は別にして、極楽浄土をそこから思い描くことは到底できないかと下画像

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 ブッダが入滅して1000年の時が経過すると、仏の教えが忘れられ、悟りを得ることのない混沌とした時代になるという末法思想が世に広まったのが平安末期。

 それは4~5年間隔で宇治川が干上がるほどの旱魃(かんばつ)が襲い、各地で飢饉や疫病が発生。平安京でも餓死者が出る時代でした。

gachizosi.jpg【Photo】国宝「餓鬼草紙」平安末期(12世紀・部分)東京国立博物館蔵 岡山の河本(こうもと)家に伝わる巻物。平安末期の六道思想は、生前の行いによって、成仏できずに餓鬼道・地獄道・修羅道・畜生道などに堕ち、6つの苦しみを味わうとした教え。この「塚間餓鬼」は、平安京の鳥野辺などの墳墓地において、身分が高いものは盛り土塚に埋葬され、庶民層は風葬が一般的だった当時の埋葬の様子を今に伝える

 末法を迎えるとされた1052年(永承7)、仏の世界を現世に出現させようと摂政・藤原道長の子頼通は、道長の別荘であった宇治殿(うじどの)を寺院に改装。阿地池(あじいけ)の中島に西方浄土を造り出すべく、翌年完成したのが、現在は平等院鳳凰堂と呼ばれる阿弥陀堂です下画像

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 ちょうどその頃、10万人以上が暮らし、平安京に次ぐ人口規模の都市だった岩手県平泉では、奥州藤原氏によって中尊寺金色堂や毛越寺、平等院を模した無量光院などの世界遺産群が造営されています。これは大和朝廷によって「征夷」の名のもとで繰り返された坂上田村麻呂の蝦夷征伐や前九年の役、さらには初代清衡は内紛で妻子を惨殺されており、多くの犠牲を生む争いのない浄土を再現しようとしたもの。

 そこでは官軍も蝦夷も関係なく、人が生きてゆく糧となったこの世に生きとし生けるもの全てが浄土に導かれるようにという願いが込められていました。そんな切なる願いも空しく、1189年(文治5)源頼朝によって奥州藤原氏は滅亡。全てが黄金に輝く極楽を再現した往時の姿を今に留めるのは中尊寺金色堂だけとなりました。有為転変は世の習い。あぁ無常。

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 昨年の紅葉シーズン、平等院では15年ぶりに夜間拝観が行われました。それに先立つ一昨年11月、庄イタは伊達政宗の嫡孫(ちゃくそん)で、19の若さで早逝した光宗の霊廟として1647年(正保4)に松島に開山した「円通院」を訪れていました。

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【Photo】円通院三慧殿(国指定重文)上画像には束帯姿で騎乗する伊達光宗像を収めた桃山様式の厨子が収められる。下画像伊達家の家紋のひとつ九曜紋とともに、慶長遣欧使節としてスペインやローマに渡った支倉六衛門常長が初めて日本に持ち込んだバラとスイセンが、ローマとフィレンツェの象徴として左右の扉に描かれる。交易を求めたローマ法王への謁見を成し遂げながら、禁教令のため帰国後は蟄居となった常長の無念も浄化されたのだろうか

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 その目的は夜間拝観。昼とは趣を異にする闇を照らすライトアップの光に照らされた円通院は強い印象を残しました。

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 仙台藩江戸屋敷にあった小堀遠州作の庭園と本堂・大悲亭を移築した円通院。本堂前の「心字の池」には、ライトアップされた紅葉がホログラムと化し、水面に幻想的なシンメトリーで映し出されていたのです上画像

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 桜の見頃に合わせ、平等院で夜間拝観が実施されることをニュースで知ったのは、吉野山を訪れた翌々日のこと。

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 仕事を終え、北浜駅から京阪電車で向かった宇治駅までは1時間弱。宇治川を渡り、茶どころ宇治ならではの店が並ぶ門前街を移動。駅から10分ほどで夜間拝観が始まる18:30過ぎには表門に到着しました。

 600円の夜間特別拝観料を支払い、古代の建造物に使われた丹土(につち)で落ち着いたベンガラ色に塗り直された表門から境内へ。その先は京都の名だたる観光スポットでは避けては通れない人また人の波。 

 真正面に鳳凰堂を見るビュースポットは入れ替え制になっており、人びとはそこを目指して5,6人ずつ横一線で並んでいます。

 それでも京都の有名な観光地には昨今つきものの古都の情緒を台無しにする中国語やハングルによる耳を突き刺す大声を張り上げての会話はあまり聞こえて来ません。何故ならば、阿地池を挟んで斜めからのアングルの鳳凰堂が、極めてフォトジェニックゆえ、行列をなす誰もがスマホやカメラでの撮影に余念がないのです(笑)。

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 死後の極楽浄土さながらに此岸(しがん)から蓮池を挟んだ彼岸の鳳凰堂は、正面が東に向いて建っています。つまりは見る者にとって、鳳凰堂は西方浄土そのものであるよう設計されているのです。

 創建当初の姿を蘇らせた平成の大修理に先立つ1950年(昭和25)の修復で使用された鉛を加熱した顔料・鉛丹が剥落したかつての外観は、侘び寂びを感じさせこそすれ、この世に極楽浄土を造り出すという創建に込められた願いは伝わりにくかったはず下画像

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 阿弥陀経の経典では、西方の彼方にある極楽浄土は黄金や七宝で出来ており、池には色とりどりのハスが咲き、良い香りがする。美しい鳥の鳴き声は説法となり、極楽に迎え入れられた者は念仏を唱えているとあります。

 落慶当時の彩色や金をふんだんに使う修復計画が発表されるや、異を唱える動きがありました。〝原典に忠実たれ〟は文化財修復の大原則。この世に浄土を顕現させようと創建された平等院に21世紀の価値観や尺度を持ち出すのはお門違いというものでしょう。

 そうは言ってみたものの、現代の照明テクノロジーにより、極楽浄土を彷彿とさせる鳳凰堂が目の前に出現しています。それは平等院を建立せしめた藤原頼道が決して目にすることがなかった到底この世のものとは思えぬ美しさでした。

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 そんなことを考えながら行列に並ぶこと35分。鳳凰堂正面に移動すると、中堂の本尊・阿弥陀如来像(国宝)と真向かいに対峙する形に上画像

 発掘調査の折、江戸時代の地層から見つかった種を発芽させたハスの葉が浮かぶ池の州浜は、1990年(平成2)に発掘された平安期の遺構や当時の文献に沿って、握り拳大の礫を敷き詰めて復元されています。

 寄木造技法を確立させた平安後期の仏師・定朝(じょうちょう)晩年の作による本尊・阿弥陀如来坐像がおいでになる中堂前には本尊を照らす開口部が大きく穿たれた石灯籠が置かれています。

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 阿弥陀如来坐像を覆い隠すように格子が設けられていますが、顔の部分のみ丸く空いています。カメラのファインダーから目を離し、しばし揺らめく燈籠の炎に浮かぶ阿弥陀如来の姿に思いを巡らせたのでした。

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 2001年(平成13)に開館したミュージアム「鳳翔館」は、中堂の屋根には金箔が蘇った複製上画像を頂く青銅製の鳳凰、天人や獅子の精緻な彫りが四面に隙間なく施された梵鐘下画像、雲上で古楽器を奏で、印を結び、舞い踊る雲中供養菩薩26体などの国宝をはじめとする平等院の所蔵品を1Fフロアに展示しており、必見です。

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miidera_bonsho.jpg【Photo】平等院の梵鐘は創建当時の鋳造。鐘楼には複製が下がるが、これほど精緻な装飾が全面になされた梵鐘は他に例を見ない。姿形が特に優れた平等院、当代きっての名手が序詞・銘文・揮毫を手がけ「三絶の鐘」の異名を持つ京都・神護寺、音色が美しい滋賀・園城寺(おんじょうじ・別名:三井寺みいでら・右画像とともに、天下の三名鐘に数えられる

 景観を損なわぬよう、半地下構造で造られたミュージアムには、臨終を迎えた者の生前の行いにより、極楽から迎えに来る仏様が異なるとする「観無量寿経」に基づく九品(くほん)来迎図など、中堂内陣の壁画や扉絵、螺鈿を嵌め込んだ天蓋(一部)などを創建当初の色鮮やかな姿で再現しています。

 極彩色で描かれたのは、阿弥陀如来が観音菩薩や勢至菩薩などの仏を伴って雲や蓮に乗って来迎する姿。そこには、混沌とした平安末期にあって、極楽浄土への往生を切望した関白・藤原頼通の思いが込められています。

 鳳翔館の1Fフロアには、中堂壁面の長押(なげし)上の壁面に本尊を囲むように配置された雲中供養菩薩52体のうち、26体を移設して展示しています。そこでは長い戦乱の世を経た11世紀の仏像群としては唯一現存する仏様を間近に見ることができます下画像4点

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 大理石の造型において卓越した才能を遺憾なく開花させ、バロック彫刻の頂点に輝く天才ジャン・ロレンツォ・ベルニーニのみならず、高い精神性を物語る日本の仏像彫刻も愛好する庄イタ。

 その原点は、わが心の故郷・山形県酒田市にある土門拳記念館で高校時代に出合った「古寺巡礼」のマスタープリントでした。リアリズム写真の巨匠は1964年(昭和39)に平等院を訪れ、阿弥陀如来坐像などを撮影。帰りしなに遭遇した〝走る風景〟と表現した刻一刻と表情を変える夕焼け空に飛び立つかのような鳳凰の姿を捉えた名作を残しています。

 2014年(平成26)、東日本大震災復興祈念特別展として仙台市博物館で開催された「奈良・国宝 室生寺の仏たち」では、室生寺で拝観するよりも遥かに間近な距離で、奈良では叶わない12体揃った十二神将像や十一面観音菩薩像とお会いすることができ、感激に浸ったものです。

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 ヒノキ一木彫りによる坐像・立像は、いずれも柔和な表情を浮かべ、美しい調べと共に天上から舞い踊りつつ降臨する姿を立体的に表現しています。本尊を囲んで漆地に華やかな彩色がなされてた当初の姿は、さぞや感動的だったことでしょう。
 
 黄金に輝く阿弥陀如来と雲中供養菩薩とに誘(いざな)われ、夢か現(うつつ)か判然とせぬまま、極楽浄土の入口に立っていたのかもしれません。

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 夜間拝観が終了する21時直前まで夢のような時を平等院で過ごした庄イタ。JR宇治駅に向かいながら、2019年のロサンゼルスを舞台とするSF映画の金字塔「ブレードランナー」のクライマックスシーンで語られるセリフを思い起こしていました。

 外見は人間と変わらずとも、知力は創造主である天才科学者タイレルに匹敵し、身体能力が極めて高い代わりに4年の寿命しか与えられていない人造人間レプリカント。その最新型ネクサス6型のロイ・バッティは、宇宙植民地で働く仲間3人と反乱を起こし、ロスに潜伏します。その目的は、残された寿命がどれほどか、延命は不可能なのかを知るため。

 ロイはハリソン・フォード演じるレプリカントを抹殺する任務を帯びた捜査官(通称:ブレードランナー)デッカードと死闘を繰り広げます。超人的な体力を備えたロイは仲間を殺した仇敵を死の淵まで追い詰めますが、自らの死が迫っていることを悟り、高層ビルの屋上から転落寸前で命を救ったデッカードを前にして語り始めます。

  I've seen things you people wouldn't believe.
  Attack ships on fire off the shoulder of Orion.
  I watched C-beams glitter in the dark near the Tannhäuser Gate.
 (and incridible mt.Yoshino full of cherry blossom, also Byodoin Temple illuminated.)

   【⇒ fabricated
  All those moments will be lost in time, ... like tears in rain.
  Time to die.

 【和訳】
  お前たち人間が信じられないような光景を俺は見てきた
  オリオンの肩(⇒「ベテルギウス星」の詩的な比喩?)を離れたところで炎に包まれた宇宙戦艦
  タンホイザーゲート近くの闇で輝きを放った閃光
  (目を疑うほどに桜が溢れんばかりの吉野山、そしてライトアップされた平等院も)
     【⇒ 書き換え 改ざん済】
  そうした瞬間瞬間も、やがて時の流れの中に消えてゆく ... 雨の中で流す涙のように
  最期の時がきたようだ

 限られた時間枠で生きる人間とて同じ宿命。人間の身勝手で造られたレプリカントの苦悩につい感情移入させてしまうロイを好演したルトガー・ハウアーは、台本にはなかった All those moments 以下のフレーズをアドリブで追加。撮影に臨んだといいます。

 吉野での感動が冷めやらぬまま平等院を訪れた庄イタも原作にはなかった〝and incridible mt.Yoshino full of cherry blossom, also Byodoin Temple illuminated..〟という一節をルトガー・ハウアーに語らせる白日夢に浸っていました。

 短い一生を終えたロイの手から空へ飛び立った白いハトは、酸性雨が降り続けるロサンゼルス上空からロイのもとへと来迎する阿弥陀如来や菩薩たちと必ずやすれ違ったことでしょう。 

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2018/05/06

太閤殿下、全山満開でござる!

2018 Ciliegi Giapponesi
a Patrimonio mondiale Monte Yoshino
2018さくら絶景探訪 第二章 : 世界遺産「吉野山」編

 あっぱれじゃ! 

 こんな感嘆の声を上げたであろう豊臣秀吉が目にした光景と同じ、いえ、恐らくはそれ以上に見事な絶景が庄イタの目の前に広がっています。

 天下を統一し、太閤として権勢の絶頂にあった豊臣秀吉が、1594年(文禄3)に諸国の大名・文人墨客ら総勢5,000名を引き連れ、奈良県吉野山で5日間にわたって催した花見の宴は、つとに有名。

yoshinohanamizu-byobu.jpg 【Photo】「豊公吉野花見図屏風」(部分・国重文・細見美術館蔵)織田信長の遺志を引き継ぐ形で戦乱の世に終止符を打った豊臣秀吉。我が世の春を謳歌する太閤が、吉野で催した花見の模様を江戸初期に描いた屏風絵。輿(こし)に乗った秀吉が、役行者が開基した「金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂」に向かわんとしている。当時の風俗が描かれており、絢爛な桃山時代の雰囲気を今に伝える


  年月を 心にかけし 吉野山 花の盛りを 今日見つるかな 

 吉野入りして3日間降り続いた雨が止み、興に乗って舞も披露した花見の宴を催した喜びを上記のように三十一文字(みそひともじ)に残しています。

kimpsenji@nakasenbon2018.jpg【Photo】上千本から続く細道を上千本口バス停近くまで下り、左手に折れる脇道を入ると「大塔宮仰徳碑」と刻まれた大きな石碑がある。武芸に秀でた大塔宮護良(おおとうのみやもりよし)親王(1308-1335)は後醍醐天皇の皇子。建武の新政(1333)で、征夷大将軍の地位を巡って父と対立。太平記によれば、同じ官職を欲していた足利尊氏によって鎌倉で幽閉され、若くして非業の最期を遂げた。討幕のため大塔宮が吉野で挙兵した地に立つと、山の稜線を越えて斜めから射す朝日が、シロヤマザクラを鮮やかに照らし出した(上画像)。その彼方に望むは、木造軸組建築として世界最大の東大寺大仏殿に次いで大きい寺院建築で、2004年にユネスコ世界文化遺産に登録された「金峯山寺蔵王堂(きんぷせんじざおうどう)」の大屋根(下画像)

〝大名より身分が低い者の姿で参加すべし〟との秀吉のお達しで、金剛杖を手にした山伏に変装したのが伊達政宗。茶屋の下人に扮する秀吉を前に、配下の者にホラ貝を吹かせて斎料を所望。洒落っ気がある秀吉を大層悦ばせた事が、政宗の小姓であった木村宇右衛門の記録によって伝えられています。

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 花見が行われる4年前、秀吉による天下統一の総仕上げとして小田原攻めに踏み切った際、先代から盟友関係にあった北条氏包囲戦への参戦要請に応じなかった政宗。五奉行筆頭の浅野長政による説得を受け、重い腰を上げて怒り心頭だったであろう秀吉の陣に参じます。

 弱冠22歳だった政宗は、到着早々、千利休による茶の手ほどきを願い出ます。命が危うい状況にあっても物怖じしない度量の大きさに齢(よわい)50を過ぎていた秀吉は感嘆します。家康のとりなしで叶った秀吉への謁見には切腹覚悟の白装束で臨む一世一代の大芝居を打った政宗。その役者ぶりを気に入った秀吉の許しを首の皮一枚で得た逸話はご存知の方が多いかと。

 太閤秀吉・関白秀次親子ほか、徳川家康・前田利家ら年長で官位も高い戦国武将が居並ぶ中、従五位下の侍従としては唯一、政宗は花見への同席を許されます。戦国の世に遅れて生まれてきた稀代の若武者が詠んだのは、文武両道の才覚を示して余りある格調高く、そして、天下人となった秀吉を持ち上げるサラリーマン処世術的な内容でした。

  君がため 吉野の山の槇の葉の 常磐(ときは)に花も色やそはまし

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 吉野山の桜は、標高が低い順に海抜200mの下千本(しもせんぼん)から中千本(なかせんぼん)、上千本(かみせんぼん)、標高700mの奥千本(おくせんぼん)まで順番に見頃を迎えます。それぞれ一目千本桜と呼ばれ、ほとんどがシロヤマザクラを主体とする全体では3万本ある桜が、今年は見渡す限り一斉に満開となっているのです(下画像)

 急に気温が上昇した4月初旬、吉野山の桜が全山一斉に満開となっているとTVニュースで知りました。関西に居を移した庄イタにとって千載一遇に違いないこんな望外の好機を逃す手はありません。 

yoshimizu2018.4.3.jpg【Photo】豊臣秀吉が吉野山滞在の本陣としたのが、中千本の吉水院。秀吉が吉野で催した花見から424年を経た今年は、世界文化遺産・吉水神社の境内から下千本から上千本まで同時に満開となった稀有なシロヤマザクラを見ることができた

 吉野の達人からは、クルマで行くのなら日の出前に標高600m付近からの展望が開ける花矢倉(はなやぐら)に着き、中千本・下千本へと、大方の流れとは逆に動くのが鉄則だと昨年聞いていました。

 意を決して当日は深夜2時半に西宮を出発。襲い掛かる睡魔を払いのけ、頭の中ではフニクリ・フニクラの替え歌「♪ 行こう 行こう 花の山へ」がリピート。阪神高速神戸線から南阪奈道路を経由し、吉野山への玄関口となる近鉄吉野神宮駅付近に到着したのが早朝4時半。

 明治天皇妃が桜をご覧になった地点に標柱が立つ「昭憲皇太后 御野立跡」ほか、クルマのすれ違いが困難な細道に土産物屋や飲食店が並ぶ下千本と中千本を通過しても、まだ外はまだ真っ暗。

kamisenbon2018.4.3.jpg【Photo】夜が明けやらぬ花矢倉からは、明かりに浮かび上がる金峯山寺蔵王堂の大屋根がランドマークとなる中千本から下千本方面まで、一幅の布を敷き詰めたように見えることから「布引の桜」と称されるシロヤマザクラが手に取るよう

 やがて商店や人家が途絶え、上千本へと登ってゆくと、ヘッドライトに照らされて漆黒の闇から浮かび上がってきたのは、道端にカメラの三脚を立ててスタンバイする人びと。その数の多さには驚きました。

 2004年(平成16)にユネスコ世界文化遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する吉野水分(みくまり)神社を暗がりの中を訪れましたが、楼門は固く閉ざされたまま。都を追われて吉野に潜伏していた源義経が、兄・頼朝が差し向けた追手から逃れた地とされる花矢倉付近で日の出を待つことしばし。

 5時前になって東の空が白み始めると、祈りの山・吉野は清浄な朝の気配に包まれます。やがて去り切らぬ夜陰に溶け込む濃緑の山並みに、微妙に色合いが異なる青白い光を放つかのようなシロヤマザクラが、至る所で眼下の山肌を覆っているのが目に飛び込んできました。

hanayagura2018.4.3.jpg【Photo】ドラマチックな演出効果をもたらす朝日が差し込み始めた6時30分。真っ暗いうちから花矢倉でスタンバイしたご褒美は、吉野ならではの唯一無二の眺めだった

 吉野のシンボルともいえるシロヤマザクラは、吉野にほど近い大和国葛城上郡(現・奈良県御所市)に生まれた修験道の開祖・役小角(えんのおづの=役行者)が衆生救済のため、千日回峰行の果てに会得した蔵王権現をヤマザクラに刻み、山上ヶ岳の山上本堂と共に献堂した金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂に由来します。

 山岳信仰の聖地でもある吉野山を埋めつくす桜は、蔵王権現への信仰の証として、平安期以降に全国の善男善女が寄進したもの。〝Roma non fu fatta in un giorno (ローマは一日にしてならず)〟というではありませんか。秀吉と家康の庇護を受けた摂津の豪商・末吉勘兵衛は、苗木1万本を寄進しています。先人は酔客で賑わう花見の名所を造ろうと意図したのではありません。

shokenkotaigo-nodachiato.jpg【Photo】明治天皇妃・昭憲皇太后は、1891年(明治24)吉野に行啓。後醍醐天皇陵墓に参詣した折の思いを「吉野山 陵(みささぎ)ちかくなりぬらん 散りくる花も うちしめりたる」という短歌に残している。桜をご覧になった場所には「昭憲皇太后 御野立跡」の石柱があり、七曲り周辺を指す下千本、金峯山寺周辺の中千本を間近にするビュースポットとなっている(上画像)

 江戸前期の儒学者貝原益軒の「和州巡覧記」には、現在の近鉄吉野駅付近から中千本まで続く坂道「七曲り」の登り口で〝童ども桜の木の高さ二尺ばかりなるを多く売る。(中略)往来の人、これを買いて、植えさせて通る〟との記述があります。蔵王権現に奉じるため植え続けられたシロヤマザクラは、このようにして山の斜面を覆う群生「一目千本桜」となったのです。

 ルーツが同じソメイヨシノとは違い、シロヤマザクラは微妙に色合いが異なるように一本ごとに先人の思いが込められている事実を知ると、移ろう季節の中で、ほんのひと時だけ目にすることができる浄土のごとき光景も、また見る目が変わってきます。

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 駐車場が満杯になる前に中千本の駐車場へと車を移動。早朝で係員が不在の場合、出庫時に代金を払うのが吉野のローカルルールです。

 元々、五郎平という人物が茶屋を営んでいた小高い丘は展望台になっています。そこから谷を挟んで10世紀初頭の延喜年間に創建された如意輪寺が桜の木々に囲まれていました(下画像)

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 寺の裏手には、1339年(延元4)、52歳で吉野に没した後醍醐天皇が永遠の眠りにつく塔尾陵があります。歴代天皇の陵墓では唯一、北側を向いているのは、帰還が叶わなかった京都が吉野からは北側に位置するがゆえ。

 宝物殿では、鎌倉期に慶派の仏師源慶によって造られた蔵王権現像(国重文)を拝観できます。この仏は、インドや中国には存在せず、山岳信仰と結びついて日本のみで信仰されてきました。過去・現在・未来を象徴する慈悲に満ちた釈迦・観音・弥勒菩薩が、猛々しい仮の姿で顕現した蔵王権現を所蔵する寺院が吉野には他にもあり、谷越えの険しい地勢を目の当たりにして如意輪寺は体力温存のためスル―。

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 そこで目指したのは、16世紀後半の天正年間に再建された修験道の根本道場・金峯山寺。蔵王堂(上画像)の本尊・金剛蔵王権現(国重文)は、通常は非公開の秘仏ですが、折しも修復中の国宝・仁王門勧進のための特別公開が、GW最終日の5月6日まで行われていました。

 大いなる慈悲を示す〝青黒(しょうこく)〟と呼ばれる深みのある蒼身で躍動する姿に魅了された金剛蔵王権現像を本尊とする世界遺産・金峯山寺蔵王堂には、かねてより公開時に訪れたいと思っていました。つづら折りの七曲りを散策してから、蔵王堂に参詣したのは公開が始まる朝8時30分ちょうど。

 果たせるかな、怒髪天を衝く憤怒の形相で仁王立ちする三体の金剛蔵王権現(撮影禁止のためリンク参照)は、迫力満点。〝こちらでご本尊と直接お話し頂けます〟と、障子で間仕切りされた「発露の間」から間近に見上げる高さ7mの秘仏を前に、日常の穢れを祓い落としたのでした。

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 足利尊氏が持明院統の光明天皇を擁立したことで京都を追われ、吉野で南朝を興した後醍醐天皇。後亀山天皇まで4代続いた大覚寺統の皇居跡に建つ「妙法殿」(上画像)の御所桜を愛でつつ、歩いて向かったのが、金峯山寺の塔頭(たっちゅう)のひとつ「脳天大神(のうてんおおかみ)」。

 首から上の病に霊験あらたかだという謳い文句に惹かれ、谷底へと続く急斜面に設けられた階段を下りました(下画像)。谷底へ続くつづら折りの階段の先に人の姿はなく、急斜面を進めど進めど、なかなか脳天大神は見えてきません。

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 どうやら途中で引き返す人が少なくないようで、2人だけ階段を登って来る人とすれ違いましたが、苦悶の表情を浮かべて息も絶え絶えになっています。それを見て「引き返そうよ」と同行者は不安顔。

 それなりの説得力がある提案でしたが、2011年(平成23)9月に「出羽三山神社」の石段2,446段を3日間の山伏体験修行で2往復している庄イタ。《2011.12拙稿「修験道体験@出羽三山 暮れゆく月山御縁年の大晦日に思うこと」参照》 初志貫徹あるのみと歩みを進めます。揺るがぬ固い意志の理由はズバリ!ボケ封じ(笑)。

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 蔵王権現の化身・脳天大神を祀った本殿に参拝(上画像)。石段が455段もあるとは知らなかったため、帰路はヘロヘロになりながら蔵王堂へと帰着。♪行きは良い良い帰りは怖い。危うく行き倒れになるところでした。

 疲れたときは甘いモノ。一息つこうと立ち寄ったカフェ「陽(ひなた)ぼっこ」でオーダーしたのが桜風味のジェラート。この日のジェラート、お味はともかく、眺めに関しては日本一だったに違いありません(下画像)

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 夜が明けやらぬうちに上千本で軽い朝食を済ませ、ジェラートで胃袋が覚醒したのか、午前11時にはお腹が空いてきました。中千本と下千本には土産物や吉野名物「柿の葉寿司」の店などが集中します。午後の吉野山探訪のために腹ごしらえ。

〝塩蔵した鯖が酢飯と馴染む夕方以降、できれば翌日召し上がって〟と勧められた「ひょうたろう」のみならず、郷土の味の食べ比べをしようと吉水神社鳥居脇の「醍予(だいよ)」で、柿の葉寿司を持ち帰りで購入。良質な葛の産地として名高い吉野での昼食は、黒門近くの「花屋」で食した吉野葛がけうどん(下画像)

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 エナジーチャージを済ませ、訪れたのが世界文化遺産「吉水神社」。鎌倉幕府滅亡後、建武の新政が破綻した後醍醐天皇は、足利尊氏が擁立した光明天皇に追われる形で吉野で南朝を興します。4代57年続いた南朝の皇居とされたのが、役小角が創建した吉水院でした。

 時代を遡れば、源義経が静御前と隠遁生活を送った当時の痕跡として、頼朝の追手を蹴散らすため、弁慶が親指で岩に押し込んだと言い伝えられる「力釘」が明治以降に吉水神社と改称された境内に残されています。そんなニッチな見物はさておき、上千本から下千本にかけてを一望する境内から一目千本のクライマックスともいうべき眺めを愛でることができました。

hitome-sennen.jpg【Photo】標柱の「名勝 吉水神社 別名 一目十年」とは、この素晴らしい風景を見ると十歳若返るという意味

 この世のものとは思えない美しい光景は、しかと目に焼きつけました。いかなる美辞麗句を書き連ねても筆舌に尽くしがたいその見事さを実感するには、吉野へ足を運ぶのが一番。そんな思いを強く抱いた庄イタ。

 早朝に上がってきた吉野神宮方面への車道は歩行者天国化されているため、駐車場を出たクルマは中千本と下千本を周回する観光車道へ。

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 上千本橋に差し掛かると、山肌を流れ下る奔流のごとき見事な「滝桜」に見送られて吉野を後にしました(上画像)
 
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2018/04/24

Il Paradiso in terra 春の楽園

【はじめに】
 サーバ容量がパンパンになり、保守作業を行う間、更新がままならぬ状況が続いておりました。現状では過去ログの一部画像が読み込めなくなっています。これまで夜なべの内職として取り組んできたブログ更新との二刀流で気長に補修作業を行います。どうかご容赦のほど願います。

 いずれにしてもネタの仕込みは怠っておりませんでした。あたかも雪解け水で満水となった黒部ダムの如く、ため込んだネタをいつでも放出できる状態です。

 2ヵ月の間、春眠をむさぼっていた「Viaggio al Mondo~あるもん探しの旅」再開第一弾は、とある桜の苗木に庄イタが呼ばれたとしか思えないお話から。

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2018 Ciliegi Giapponesi a Roma e Shukugawa

2018さくら絶景探訪「ローマ & 夙川」編

 咲き揃ったソメイヨシノのもとで、思い思いの時間を過ごす人々。さて、これはどこでしょう?

 東アジア地域を中心とするインバウンド急増に沸く大阪で、造幣局と並ぶ花見スポットである大阪城公園? それとも、見事さにおいて日本の、いや世界最高峰であろう青森・弘前公園の200万人と動員数で肩を並べる上野公園?

 いいえ、ここは永遠の都ローマ。

hanami@Lago dell'EUR Roma.jpg 1959年(昭和34)、当時の岸信介首相がイタリアやバチカン市国ほか英独仏など欧州各国を公式訪問した際、長年にわたる日伊友好の証として2本のソメイヨシノをイタリアに寄贈。自ら7月20日の植樹セレモニーに臨みました。

 作曲家レスピーギ(1879-1936)が交響詩*脚注参照の題材とした例を挙げるまでもなく、ローマで街路樹といえば、成木の形状がイチョウの葉に似た独特なフォルムのイタリアカサマツが定番。

 当時のイタリア政府が選んだ植樹先は、E.U.R(エウル)地区。ベニート・ムッソリーニ率いるファシスト党政権下の1942年にローマで開催予定だった万国博覧会会場として建設が始まるも、第二次大戦により頓挫。戦後にローマの新街区として整備が進みつつありました。

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【Photo】見ごろを迎えたローマのソメイヨシノ。背景に見える円蓋は、1938年に建設に着手し、第二次世界大戦による中断を経て1955年に完成したギリシャ十字型の「Basilica dei Santi Pietro e Paolo(=サン・ピエトロ・エ・パオロ聖堂)」。紀元前の遺構が随所に見られるローマでは最新の部類に入る

 岸総理の訪問後、追加で2,000本のソメイヨシノが人造湖Lago dell'EUR(エウル湖)を周回する散策路に植樹されます。異説を唱える向きもありますが、一般的にソメイヨシノの寿命は約60年といわれており、現在は代替わりした桜も増えています。

 ローマ在住の日本人が始めた〝Hanami〟は、やがてローマ市民にも知られるところとなり、ローマの表玄関テルミニ駅から地下鉄Met.Ro.B 線で9つ目のEUR Palasport 駅で下車、Parco Centrale del Lago(チェントラーレ・デル・ラーゴ公園)に整備された〝Passeggiata del Giappone〟(=日本の小路)でのお花見が、春先の新たな風物詩として浸透しつつあります。

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 ローマのみならず、ワシントンDC、ストックホルム、トロント、台湾など日本から海外に贈られたソメイヨシノは、例外なく江戸末期から明治初頭にかけて現在の東京都豊島区駒込で育成された原種のクローンのため、開花がシンクロするのだそう。


line-sacura.jpg 〝もののあはれ〟の象徴として、古来より日本人は儚く散る桜に特別な思いを託してきました。今年は史上最も早い開花が各地で観測され、桜前線があっという間に列島を駆け抜けました。

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【Photo】阪急電鉄神戸線で庄イタが利用する夙川駅か枝分かれする甲陽線の次駅が苦楽園口駅。夙川駅前を通る山手幹線の羽衣橋から夙川沿いに続く遊歩道を進み、苦楽園口橋からの甲山を背景とする眺めは庄イタのお気に入り〈上画像〉。クロマツの濃緑と桜花の淡いピンクの間を縫って〝阪急マルーン〟と呼ばれるシックでノーブルな色合いの阪急電車が走る〈下画像〉

hankyu-kurakuen.jpg 文豪・谷崎潤一郎(1886-1965)は、1923年(大正12)に発生した関東大震災で被災し、同年、横浜から関西に移住。1954年(昭和29)まで、京都を皮切りに西宮・芦屋・神戸での12回にも及んだ転居を繰り返す間、痴人の愛・卍・陰翳礼讃・細雪など代表作を執筆しました。

 1958年(昭和33)に竣工した幅1.8m・欄干の高さが膝の丈までしかない「こほろぎ橋」は、拙宅から徒歩60秒と至近。アーチ形をした橋脚の石橋が完成した翌年に公開された大映映画「細雪」に登場します〈下画像〉

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 阪神地域きっての桜の名所として名を馳せる夙川公園は、1932年(昭和7)から整備に着手。昭和初期に植樹された松の古木と1949年(昭和24)から南北2.8kmの一帯で植樹がなされた1,660本の桜、そして初夏にはホタルが舞い飛ぶ清流が織りなす独特の美観を生みだします。

 引越し慣れしていた大谷崎とは違い、久方ぶりの引っ越しのバタバタで、昨春は関西の桜を愛でる余裕がほとんどありませんでした。今年は「日本さくらの名所100選」に選定されている夙川沿いに多くの花見客が繰り出す週末の日中を避け、地元の利を活かして早朝や夜桜を心ゆくまで堪能できました。

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【Photo】せっかくの美観を損なう屋台や無粋な提灯がない夙川公園とはいえ、日中は多くの人出でごった返す。昼の喧騒を避け、月明かりのもと夙川河川公園を羽衣橋から苦楽園橋までの0.8kmを散策。うららかな日中とは一変した大井手橋の上流域付近。水鏡と化した川面に映り込む今を盛りの夜桜をスローシャッターで撮影。闇に浮かび上がったのは、妖艶な夜桜が織りなす異界だった


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 戦後に桜が植えられた夙川公園に先立ち、上水道施設の完成を記念して1924年(大正13)、現在も衰えを知らず毎年花開くエドヒガンザクラなど、百本あまりの桜が植えられたのが、越水浄水場からからニテコ池にかけての満地谷(まんちだに)。そこでは、およそ500本のさまざまな品種の桜を見ることができます。

nettecoi_ebbesan.jpg 戎(えべっ)さんの名で親しまれる西宮神社の東南側を囲む堅牢な大練塀(国重文)〈上画像〉が南北朝時代末期から室町時代初期頃に造営された際、土塀造りに適した土を満地谷から運出。その窪地に雨水が溜まって出来た南北に連なる3つの貯水池の総称がニテコ池です。

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 一風変わったその名は、土木作業にあたった人足たちの掛け声「(土を)練って来い」に由来するのだといいます。浄水場の池を挟んだ西側は、鬱蒼とした緑に囲まれたパナソニック創業家一族の広大な邸宅や日本銀行大阪支店長の旧官舎などがある風光明媚な地〈上画像〉

 夙川の桜が見ごろを迎えた昨年の4月頭、引っ越し後の整理に倦み果て、気分転換をしようと苦楽園橋付近を散策しました。

 居合わせた地元の方に「ご一緒にいかが」とお誘い頂いて訪れたのが、桜の一般公開が行われていた越水浄水場〈下画像〉と、中部地方以西に自生するコバノミツバツツジの樹齢200年以上の古木もあるのだという県天然記念物に指定される2万株の群生が見事な廣田神社。地名の〝西宮〟とは、元来、京都から西方にあるお宮である廣田神社を指しており、由緒正しきお社なのです。

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 施設の性格上、越水浄水場は桜の時季だけ一般に公開されます。ヤマザクラほか日本固有種の桜研究に生涯を捧げ、桜博士と呼ばれた笹部新太郎(1887-1978)監修のもと、関西では珍しいエドヒガンザクラ、オオシマザクラ、仙台枝垂(センダイシダレ)の異名を持つシダレヤマザクラ、黄緑のギョイコウなど日本古来の桜が揃えられています。

parco-nishinomiya-irei.jpg 浄水場入口の左手には、公営の満池谷霊園があり、右手には1995年(平成7)1月の阪神淡路大震災で帰らぬ人となった6,454人のうち、西宮における犠牲者1,146名を悼む慰霊塔〈下画像右側〉が建つ西宮震災記念碑公園がありました。

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 社会インフラが整った大都市を襲った直下型地震の恐ろしさをまじまじと見せつけた阪神淡路大震災。64万棟にのぼった建物の倒壊や火災による人的被害が最も深刻だったのは神戸市内だけではありません。西隣の芦屋市では444人が亡くなり、全世帯の40%にあたる61,238世帯が全半壊した西宮市を含め、兵庫県南部地域に甚大な被害が及びました。

nishinomiya-ireihi.jpg 多くの人の人生を変えた震災から23年。犠牲となった方々の名前を刻んだ追悼之碑〈上画像〉には、残された遺族がお供えしたのでしょう、花束が供えられていました。新生活をスタートさせた地が、悲しい出来事を乗り越えてきた紛れもない事実を改めて思い知りました。

 誰もが知る通り〝ねかはくは 花のしたにて春しなん そのきさらきの もちつきのころ〟に世を去った西行法師(1118~1190.3.31)は、〝仏には さくらの花をたてまつれ わがのちの世を人とぶらはば(☞私が亡くなった後、弔ってくれる人がいるのなら、仏前には桜をお供えしてほしい)〟とも詠んでいます。

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【Photo】出家した西行が庵を結んだ奈良・吉野山。夜中に西宮を出発、上千本きっての眺望が開ける花矢倉を目指した。まだ明けやらぬ西の空を振り向くと、西行が愛してやまなかったヤマザクラが描く稜線の彼方に西行も愛でたであろう望月が淡く輝いていた

 大地が生気と色を失う冬が去り、芽吹きの季節に先んじて里山に彩りを添える桜の花は、最後まで色褪せることなく散ってゆきます。その儚さや潔さを人の一生に重ね、この花はいつの時代にあっても人々から愛されてきました。


line-sacura.jpg 1年前に訪れた桜のトンネルと化したなだらかな坂道を登り、越水浄水場の正門前に立つと、その先には今年も実に見事な春爛漫の桜の園が開けていました。〈下画像〉

koshimizu2018.3.31.jpg 樹齢94年のエドヒガンザクラなど、手入れが行き届いた20種類以上の里桜・ヤマザクラが咲き誇っています。昨年そこで庄イタは、どこかしら遠慮がちにあるような1本の幼木と出合っていました。

 それは昨年3月28日、まさに庄イタが西宮に引っ越してきた日、宮城県女川町から西宮市にやってきた「津波桜」という名のソメイヨシノの苗木なのでした。(下画像)

 蕾はおろか花芽すらない苗木の前には、郷里・女川町の再生に奔走する須田善明町長からの真新しいメッセージボードが設置され、苗木の由来が紹介されています。

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 その苗木は女川を壊滅させた津波で枝を無残にへし折られながら、震災の翌月、丈の1/3ほどが残った幹から3輪の花を咲かせた旧女川第二保育所にあったソメイヨシノの孫木にあたります。〈参考:女川桜守りの会サイト

 2011年3月の東日本大震災発生直後から、西宮市は応援職員を女川町に派遣しています。また、西宮神社で十日戎に行われる有名な開門神事(かいもんしんじ)に倣い、迅速な津波避難の大切さを行事として地域に残そうと、福男ならぬ〝復興男〟選びが神社公認行事として女川で実施されています〈参考:2018年3月27日河北新報

 津波が到達した地点に桜を植える活動をしている女川町に「西宮権現平桜」と「夙川舞桜」の幼木が西宮から贈られています。津波桜は、女川町から西宮市民への感謝の気持ちを示すものでした。

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 造成された高台に整備された災害公営住宅859戸は、今年3月末に最後の引き渡しが行われました。入居者の生活支援や販路を奪われた水産業の復興など、継続的な課題は山積したまま。西宮市からは今年度も女川町に応援の職員が派遣されています。

 ソメイヨシノの苗木は、移植してから花咲くまでに2年から3年を要すると昨年聞いていました。ゆえに今年は「津波桜はどのくらい成長しただろう?」と1年ぶりの再会を心待ちにしていたのです。


line-sacura.jpg 〝確かこのあたりに津波桜があったはず〟と記憶の糸をたどりながら歩みを進めると、昨年より丈が少し伸びた若木は、予想を裏切って10輪ほどの花を枝先につけていたのです!! (下画像)
 
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 越水浄水場を管理する西宮市上下水道局浄水課の坂井元雄課長によれば、一般公開が始まる直前に花開いたのだといいます。津波に襲われながら生き抜いたソメイヨシノの強靭なDNAを受け継いでいるのでしょう。

 造園業者によるメンテナンスだけでなく、浄水場の職員の皆さんも仕事の合間に水遣りなどの世話をしてきたのだそう。

tsunami-sakura2018-2.jpg 「咲いてくれてありがとう '·. o(;△;)o」

  奇しくも津波桜が浄水場に移植されたのと同じ日に西宮に引っ越してきた庄イタは、感動に打ち震えつつ津波桜に語り掛けていました。

 早くも花開いた津波桜に負けないよう、庄イタも関西でひと花咲かせなければなりませんね。


*注釈】1879年ボローニャ生まれ、ローマで活躍した作曲家オットリーノ・レスピーギ。サンタ・チェチーリア音楽院の校長に就任した1923年、交響詩「ローマの噴水」(1916)に続く〝ローマ三部作〟2作目となる「ローマの松」の作曲に着手。現在は公園となっているボルゲーゼ家の邸宅、初期キリスト教徒が眠るカタコンベ、英雄ガリバルディの騎馬像がローマ市街を見下ろすジャニコロの丘と、カサマツがある情景を描いた交響詩の第4曲「アッピア街道の松」は、隊列を組んだ歩兵や騎兵が松並木が続くアッピア街道を行軍するパクス・ロマーナ往時の様子が目に浮かぶ。今年3月、大阪フェスティバルホールでの大阪フィル定期演奏会で、ローマ三部作を指揮したヴェローナ出身の若き天才指揮者アンドレア・バッティストーニのドラマチックで色彩豊かな情景表現は鮮烈だった

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2018/02/23

忽然と消えた●●●は神隠し?

そして浮上した被疑者 A・B・C・Dとは?


Quando sei a Roma, vivi come i romani.(伊語)(= When in Rome, do as the Romans do.)☞ 郷に入っては、郷に従え。〟これは、当サイトのカテゴリー内「Profilo プロフィール」にある通り、庄イタの行動規範です。

 今回は、このポイントを踏まえた上で話を進めます。なお、庄イタは、郷に入らずとも郷に従う(☞ イタリアに行かずともイタリア的)傾向が顕著でもあります。

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【Photo】ローマ出身の俳優・監督アルベルト・ソルディ(1920-2003)主演で1954年に公開されたコメディ映画「Un americano a Roma ローマのアメリカ人」のワンシーン。ハーレーダビッドソンを乗り回す生粋のローマっ子ナンドは、まだ見ぬアメリカへの憧れが度を越している青年。西部劇映画を見終え、ガンマン気取りで警官に怪しまれつつ帰宅。深夜の食事は、母親が用意したマカロニと菰被りボトルの赤ワインかと思いきや「俺はマカロニも赤ワインも喰わない。アメリカ人だからバゲットにジャムとヨーグルトとマスタードを塗って...」と言いつつ、バゲットに牛乳をかけて食するも、あまりに不味くて吐き出す(笑)。挙句の果て、悪態をつきながらマカロニを頬張り、「これは牛乳だ」と言いながら赤ワインをラッパ飲み。イタリアかぶれの庄イタが妙に親近感を感じるアメリカかぶれのお騒がせキャラ

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 季節の変わり目に生ずる邪気を払うべく、平安期に唐から伝来した習慣が宮中行事化した「追儺(ついな)」が、室町時代になって一般化したのが節分であるといわれています。
mamemachi_2009.jpg【Photo】ベズビオ火山に敷設された登山電車のCMソングとして世に出た「フニクリ・フニクラ(Funiculì funiculà)」。誰もが知るこの曲を全く関係ない内容に差し替えた「♪履こう履こう鬼のパンツ」という替え歌に乗せられて虎柄の丈夫なパンツは履かずとも、鬼の面をつけた父親が、子どもが撒く殻付き落花生の標的となって逃げ惑う。そんな仙台の一般家庭における節分風景の一例

 子どもが成長した近年は、豆まきすらしていなかった節分ですが、祖父母の存命中は、仙台では一般的だったと思われる勇ましい豆まきの掛け声「鬼は外 福は内 天打ち 地打ち 四方打ち 鬼の目ん玉ぶっ潰せ」とともに家の各部屋を回ったものです。

 天井・床・四方の壁に向けて撒くのは殻付きの落花生で、全ての部屋で豆まきをした後、撒いた落花生は回収。10代前半だった時分は、年齢の数の豆を食べました。

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【Photo】京都東山「青山豆十本舗」の豆まきセットの内容は、家長制度が無くなって久しい平成の世においてもお父さんが被るのがお約束であろう鬼の面、煎り大豆、そして仙台では見たことのない謎の丸干イワシ。種明かしは後ほど

 ところ変わって関西では、落花生ではなく煎り大豆が主流。行動規範に基づく異文化体験として、これまでは全く必要性を感じなかった恵方巻、そしてこちらに来て初めて知った節分イワシにも挑戦した今年。

蛇足ながら、庄イタが暮らすのは西宮市ですが、2月20日に辞職した今村岳司前市長宅では、私有地に侵入したオニに向かって「殺すぞ」と凄んでみせるのでしょうか 。よいこのみんな、こんなみっともない大人になっちゃダメだよ。

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 ここ20年ほどで急速に認知度が高まった恵方巻とは、今さらながらですが、歳徳神がいる方向を向いて無言で巻き寿司を丸かじりすると福を招くというもの。

 1980年代後半に大手コンビニのプロモーションで、それまで呼称が定まらなかった巻寿司が、恵方巻の名前で徐々に全国へと浸透します。

 恵方巻の発祥に関しては、大阪の繊維問屋街・船場の商人説ほか、遊郭起源説、戦国武将がゲン担ぎとして行った説など諸説ありますが、いずれも決め手となる文献・資料は存在せず、断定は不可能といわざるを得ません。真相が闇に包まれたままの由来について、想像が妄想の域にまで達したフェイク情報がネット上に氾濫しており、いささか辟易気味。

ehomachi_7&11-001.jpg【Photo】1998年(平成10)に初めて「恵方巻」という名前でプロモーションを仕掛け、全国区の認知度へと押し上げたのがセブン・イレブン。今年も熱い商戦を繰り広げた

 大阪鮨商組合の資料によると、節分に招運のため太巻き寿司を丸かぶりする習慣は、戦前から一部で存在していたようです。

 クリスマスのデコレーションケーキにしろ、バレンタインデーのチョコレートにしろ、お化けカボチャと仮装ゾンビが街に溢れるハロウィーンにしろ、年中行事にちなむモノが日本で広まったのには、必然性なり理由が存在したはず。

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【Photo】今年の節分2月3日恵方巻きの特設コーナーが設けられた西宮市の食品スーパー上・下画像。さまざまな具材の恵方巻に熱い視線を送る西宮市民

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 一部で過剰生産をした挙句、食物廃棄を増やしていると槍玉に上がる恵方巻。それでも西宮に引っ越して西宮市民の恵方巻購入率の高さを目の当たりにし、とやかく言うのは野暮というものと考えるようになりました。

 食卓のよき伴侶となるイタリアワインを愛する者として、あこぎな商業主義が目に余る低品質&高価格なボジョレー・ヌーボーは断じて認めるわけにはいきません。固い話は抜きにして恵方巻が家族間や社会の潤滑油だと思えば、存在価値は認めてもよろしいのでは ?

 恵方巻発祥の地とされる関西における節分事情を確かめるべく、自宅に近いikari 夙川店から、関西スーパー苦楽園店、そして阪急OASIS甲陽園店と、キャラが異なる3軒の食品スーパーを巡りました。

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 惣菜コーナーの一角は、幾種類もの恵方巻で溢れており、品定めに余念のない西宮市民の熱気が渦巻いています。バックヤードではフル回転で製造しているのでしょう、次々と恵方巻が売り場に補充され、売れ行きの良さを物語ります上画像

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pop_kansu.JPG人が群がる恵方巻もさることながら、さらに庄イタが気になったのが、特設コーナーが設けられたイワシ。関西では節分にイワシを食べる習慣があるのだといいます。

 更なる謎は関西スーパー苦楽園店のサービスカウンター前にありました。そこには1家族1本限定でお持ち帰りくださいと、ヒイラギの枝がわんさと置いてあるではありませんか。

 これは、葉付きのヒイラギの枝にイワシの頭を挿し、厄除けの「柊鰯(ヒイラギイワシ)」にするのだといいます。そこで発動したのが、冒頭で述べた行動規範 Quando sei a Roma, vivi come i romani.hiiragi_kansu.jpg

 脂が乗ったイワシを焼くと、結構な臭気を発しますよね。誰が言い出したのか不明ですが、鬼や厄はその匂いと突起状のヒイラギの葉を嫌うのだそう。これは〝ニワトリが先か卵が先か〟的な話で、イワシを食するのが先か、ヒイラギに挿す頭を得るため副次的にイワシを買うのか?


 謎は解けぬまま、恵方巻に加え、ほぼ訳もわからずに付和雷同して尾頭付きのイワシを購入。しっかりヒイラギの枝も頂いたのは申すまでもありません。

 塩焼きにしたイワシをおかずに南南東を向いて恵方巻を食した夜、厄除けの柊鰯を玄関先に掲げました下左画像

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 それから2日後。玄関先の柊鰯は、イワシの頭だけが神隠しに遭ったかのごとく忽然と消え、ただのヒイラギになってしまったのです!!!上右画像

IMG_2832.jpg アカン。追い払った厄が、また寄ってきてまう。(☜柊鰯を玄関先に掲げるメンタリティはもはや関西人ゆえ、モノローグも関西弁^^)

 氷点下の冷え込みとなった2月5日(月)の朝、出勤する時に柊鰯の無事は確認しています。イワシもろともヒイラギが吹き飛ばされる強風が吹き荒れたわけではなく、かといってイワシの頭だけが神隠しに遭ったとは到底思えません。

 床面から140cmほどの高さがあるドアホンの位置にヒイラギだけは残っているので、尾頭付きのイワシを入手すれば再生は可能です左画像

 しかし、柊鰯が復活したところで、イワシの頭が消えた理由が解明されなければ、同じことの繰り返しになるやも。

 所轄の西宮警察署に被害届を出しても窃盗事案として受理されるとは思えません。そこで対策を考えるうえで、ヒイラギには目もくれず、厄除けのイワシの頭を持ち逃げした可能性が高い不心得な容疑者を庄イタなりに炙り出してみました。

 捜査本部@庄イタ家の初動捜査線上に浮かびあがった土地勘がありそうな被疑者は4名。まずは音声のみですが、犯人の影を捉えた映像から。

 
 拙宅から徒歩30秒の距離にある夙川公園の松並木で騒ぎ立てる知能犯カラス。ヒトの8倍以上の視力とされるイヌワシなど猛禽類ほどではないにせよ、抜群の視力をもってして上空から侵入した嫌疑がかかる重要参考人(参考鳥?)A説。

 マンション2階の犯行現場へと階段から忍び込み、持ち前の身軽さでジャンプ一番、壁面タイルの目地に爪を立ててイワシの頭だけを咥えて逃亡した容疑の重要参考人(参考猫?)B・C・Dがコチラ。

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 いつも近所を徘徊している三毛猫上左画像による単独犯行説。同じく庄イタ宅と隣家の境界にある塀の上や屋根の上によく出没する左右の目の色が違うオッドアイの白猫コンビ上右画像による共犯説。

 節分から20日を経た現時点における捜査状況を皆さまにご報告しておきますと、今のところ犯人特定には至っておりません。なにせ各容疑者ともご覧の通り、なかなかシッポを出さないものですから。

 おあとがよろしいようで。

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2018/02/04

フィレンツェ in キョウト

六 根 清 浄
サンタ・マリア・ノヴェッラ・ティサネリーア京都


 関西食レポの舞台は、大阪ミナミから京都・洛中へと移ります。

【Movie & Photo】昨年7月、都大路を絢爛豪華な歴史絵巻で彩る祇園祭のハイライト、鉦や笛が鳴らすコンチキチン...という祇園囃子とともに、この放下鉾を含む33基の山鉾が巡行する前祭(さきまつり)より〈上動画HD推奨)〉。 宵山の日、観光客でごった返す四条通から離れて訪れた頂法寺 六角堂は、生け花の聖地でもある〈下画像

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 財団法人 池坊華道会での仕事があり、阪急電車で京都へと趣いたのが1月25日(木)。最寄駅となる烏丸駅に到着したのは、ちょうど小腹が空いてくる頃合いでした。

 聖徳太子に登用された遣隋使から帰国後、出家して僧侶となった小野妹子が仏前に花を供えた故事を起源として、足利将軍義正の時代に生け花の原型が発祥した地とされるのが、池坊華道会の本部に隣接する「頂法寺 六角堂」です上画像

 大阪四天王寺建立のため、用材を求めて京都入りした聖徳太子により、582年(用明天皇2)に建立されたと伝わります。

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 仏教用語の六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)から生じる欲を捨て去り、修行によって功徳を積み、不浄なる物を遠ざけ、六根清浄(ろっこんしょうじょう)の境地に至らんとする願いを込めたとされるのが多重構造の六角形をした本堂上画像

 1,400年前に遡る創建以来、幾たびかの焼失を経て、現存する本堂は1877年(明治10年)に再建されています。

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 聞いてはいたものの、軽いカルチャーショックを覚えたご飯のおかずとしてのお好み焼き、必修科目のたこ焼き&明石焼、ソース二度漬け禁止の串カツ、薄口しょうゆとダシが利いたかけ汁に角とコシがない麺に甘いお揚げが定番の大阪おうどんなど、食い倒れの街ならではの味は体験済み。

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【Photo】50回以上に及んだ大阪空襲では、大阪府下で1.5万人が犠牲となった。まだ焦土が広がっていた大阪ミナミ千日前で1946年(昭和21)に創業した「おかる」では、マヨラーならずとも、マヨネーズは是非もので。ラテアートが脚光を浴びるずっと以前から、2代目女将安達佳代子さんが始めたお好み焼きマヨアートも味わいたい〈左画像〉 休日は電話予約不可で長蛇の行列ができる「味乃屋」。お好み焼き・ネギ焼き・焼きそばと何を食べても美味。+280円でご飯・汁物・漬物が付く〈右画像

 難読地名で知られる十三(じゅうそう)ほか、京橋、鶴橋、福島から地獄谷にかけてなどのディープなエリアも徘徊。ネタは貯め込んでいるものの、Viaggio al Mondoではここまでスルーしてきました。

 正攻法を避けてきた庄イタゆえ、初の京都ネタとしてご紹介するのは、昨年の夏、洛北・貴船で食した川床料理でも、北前船での往来があった庄内では馴染み深い南禅寺の豆腐料理でも、湯葉懐石でもありません。

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【Photo】祇園祭後祭(あとまつり)に繰り出す山鉾を1本の釘も使わずに縄で組み上げる伝統の鉾建てを見学後、街の喧騒を離れて洛北・奥貴船に移動。割烹旅館「兵衛」の川床料理は、涼しげな瀬音と緑に包まれる雰囲気こそが何よりのご馳走

 昨年4月、関西に居を移してから、オン・オフを問わず京都を訪れたのは25回ほどでしょうか。日本を代表する国際観光都市は、今や完全に売り手市場。関西の他都市との比較において、お世辞にもコストパフォーマンスが高いとは言えないため、京都での食事は慎重を期さねばなりません。

 一度だけ、鯛茶漬けとおばんざい数種を京都駅近くで頂きましたが、それは100年前に大政奉還が行われた二条城や西本願寺を訪れた昼に「Pizza Mercato Kyoto ピッツァ・メルカート・キョウト」で、発酵したピッツァ生地でできたビリケンさんを彷彿とさせるピッツァイオーロ東郷智宏氏下左のマリナーラ1枚下右と、連れが持て余したマルゲリータ1/3枚を食し、それが消化しきれていなかったが故。

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 冷蔵技術が発達する以前は、鮮度が良い魚介の確保が困難であったがゆえ、和の調理法が発達した京都においても、食指が伸びるのは、我が郷里ピエモンテのみならずイタリア各地の料理がメインで、そしてまれに肩ひじ張らないビストロ系フレンチといった具合です。

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 池坊華道会には13時に伺うことになっており、正午まで少し時間があったため、早めの腹ごしらえをすることに。そこで予定通り四条通に面した大丸京都店の脇道を入ってすぐ左手にある「サンタ・マリア・ノヴェッラ・ティサネリーア京都」を訪れました。

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【Photo】二階に虫籠窓を配し、一階の店舗部分は格子窓ではなくショーウイーンドーに改装された京町家造りのサンタ・マリア・ノヴェッラ・ティサネリーア京都。1612年にフィレンツェで創業した現存する世界最古の薬局「Officina profumo-farmaceutica di Santa Maria Novella サンタ・マリア・ノヴェッラ」のハンドペイントによるグロテスク文様を施したデルータ焼きの薬壺やクラシックな意匠の製品が京都の家並みと調和する

 フィレンツェ本店から正規代理店を介して届く自然由来の原料から抽出した高貴な香り漂う製品を扱うサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局 《2008.7拙稿「典雅なイタリアの遺香 ~ i profumi di antica Italia」参照》

 東京・大阪のみならず、札幌・仙台・福岡など日本各地で13店舗を展開します。2007年OPENのリストランテ「GIAG GIOLO GINZAジャッジョーロ銀座)」を除けば、サンタ・マリア・ノヴェッラ名古屋店のように店舗兼ハーブティーサロンではなく、店舗に本格的なリストランテが併設されるのは、世界中でも京都店のみ。2004年(平成16)12月にOPENした京都店の存在は、大阪転勤前から認識はしていました。

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【Photo】サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラを覆う葺き瓦としても使われた良質のテラコッタの産地で、フィレンツェの南方15kmほどにあるインプルネータ製の壺と花が出迎えるサンタ・マリア・ノヴェッラ・ティサネリーア京都のエントランス。右手がショップ。正面奥がリストランテ。ともに出入口がサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局では唯一と思われる引き戸であるのは京都ならでは

 祇園祭の期間中最大の呼び物、山鉾巡行を控えた宵山の日、幾つもの山鉾が並ぶ四条烏丸を訪れた折、巡行の先陣を切る長刀鉾が陣取る四つ辻近くで、六角堂まで歩いて10分とかからない店を確認。京都とは姉妹都市であるフィレンツェのエッセンスを盛り込んだイタリア料理にありつこうと目論んだのです。

 平日のため事前に予約はしていませんでしたが、その日一番乗りで案内されたのが、オープンキッチンに面したカウンター席。ほどなく埋まったテーブル席を含め、庄イタ以外は、はんなりした女性客ばかりでした。

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【Photo】テーブル席最大20席+カウンター6席に対し、柿谷修平シェフ以下、木曜昼に訪れたこの日の厨房スタッフは総勢4名。「あまり今日は時間がないので」と耳打ちした女性ホールスタッフ2名が心地よいサービスをしてくれた。泡立つフルートグラスの液体は、仕事中ゆえ、オーガニックの辛口スパークリングぶどうジュース(念のため付け加えるとノンアルコール)

 紅一点とは逆のこういったケースでも物怖じせず食事が喉を通るのは、こうしたシチュエーションの場数を踏んでいるからなのか、それとも単に面の皮が厚いからなのか。

 その判断は皆さまにお任せし、この日頂いたコース料理「Completeコンプリート」をおさらいしましょう。

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Santa_Maria_Novella_Tisaneria.jpg 素材を吟味し、食べることで健康になることがコンセプトだというサンタ・マリア・ノヴェッラ・ティサネリーア京都。

 これは、六根における鼻根と舌根(嗅覚と味覚)を研ぎ澄まし、力がみなぎる健全な食材の食感や店の落ち着いた雰囲気を感じること(触覚や感覚)を通し、六根清浄の境地へと至る体験が可能だということでしょう。

・1皿目「オニオングラタンスープ」
 フランス料理でもお馴染み。そのルーツはフィレンツェの郷土料理「Carabaccia カラバッチャ」。カテリーナ・ディ・メディチの嫁ぎ先であり、当時は手づかみで食事をしていたフランス王家に持ち込んだ一つが、ヴェジタリアンだったダ・ヴィンチも好物だったというこの料理と洗練されたテーブルマナー。玉ネギを甘辛く煮込み、バゲットと溶けるチーズを加える
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・2皿目「アサリのフラン 菜の花のソース」
 アサリの出汁に生クリームを加えた具なし洋風茶わん蒸し。ほろ苦い菜の花がアクセントに

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・3皿目「Tisana di insalata(25種類の野菜とハーブのインサラータ)」
 寒鰤カルパッチョ入り上賀茂・池西農園産のセルバチコ・西洋黒ダイコン・サラダからし菜・安納芋・カリフラワー・プチトマトなど彩り豊かな25種の野菜とハーブのサラダ

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・4皿目「畑菜とイタヤ貝のペペロンチーノ・カラスミ風味」
 乳化した塩味のオイルがスパゲッティと良く絡み、冬が旬の京野菜「畑菜」と暖流系の二枚貝「イタヤ貝」の旨味を増幅させるカラスミの香り

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・5皿目「養老豚とサルスィッチャのポトフ カルタファタ仕立て」
 岐阜・養老山麓で飼育された養老山麓豚の腿肉をホロホロと崩れるほどまで煮込み、自家製サルスィッチャと芽キャベツや根菜と煮込んだポトフ。料理が運ばれてきた時点では耐熱ラップで包んであり、鉄鍋の上でグツグツと沸き立つポトフをまずは視覚で楽しみ(☞六根でいうところの「眼根」の功徳!!)、封を解くと美味しそうな香りが一気に立ち込める仕掛け

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・6皿目「八ヶ岳天然水のかき氷 京都・和束町産抹茶とともに」
 材料は二つのみ。天然の冷気だけで2週間から20日を要し、不純物が入らぬよう手数をかけて製造する山梨「蔵元 八義」から仕入れる南アルプス八ヶ岳南麓の硬度が低い伏流水から作る天然氷。そして京都府の南端に位置する宇治茶最大の産地、相楽郡和束町(わづかちょう)で有機栽培された碾茶(てんちゃ)。頭がキーンとならないサックサク&フワフワの口当たりの天然氷と抹茶の甘味と香りが調和。見事な引き算のお手前。

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・〆「サンタ・マリア・ノヴェッラのハーブティー」
 通常はエスプレッソをお願いする〆。この日ばかりは、フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会で医療救済事業を行ったドミニコ会修道士たちが編み出した処方をルーツとする癒しのハーブティーを所望。玉ネギのスライスをトッピングして焼き上げた自家製丸型フォカッチャは、残ったペペロンチーノのオイルとポトフのスープを吸わせて完食

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 こうして〝花より団子〟な昼ご飯を終え、池坊華道会へ。


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 まだ手が出せる価格ゆえにリストランテ隣のショップで取り置きをお願いしていたのが、大ぶりなセラミックのカップ

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【Photo】フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局本店には、彩色テラコッタ製の薬壷や、歴代の修道士が書き記した処方など、400年の歴史を刻んできた品々を展示するスペースを併設。日本国内のサンタ・マリア・ノヴェッラでは、薬剤の保管に用いられた薬壷のレプリカを取り扱っている上画像。高さ32cmの小さい方でも、お値段はそれなり

 フィレンツェの西15kmほどにあり、13世紀まで起源が遡るマヨリカ陶器の街、モンテルーポ・フィオレンティーノ製です。

 陶器製の茶漉しと蓋付きでティーポットの役割も果たす優れモノ。ハンドペイントならではの伝統的な絵柄の装飾が施され、ワンアンドオンリーな魅力を放っています。

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 数量限定で入荷した京都店には色合いが微妙に異なる2個だけが残っていました。選んだのは色合いが淡い方上画像。花の都・芸術の都フィレンツェが誇る伝統工芸品コレクションがまた一つ、こうして庄イタの手中に収まったとさ。めでたしめでたし。

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サンタ・マリア・ノヴェッラ・ティサネリーア京都

・住:京都市中京区 東洞院通四条上ル 阪東屋町675
・Phone:リストランテ 075-254-8692  ショップ 075-254-8691
・営:昼 11:00~15:00(L.O. 14:00)
   夜 18:00~22:00(L.O. 21:00)月曜定休
・URL:http://www.smn-tisaneria-kyoto.jp
Pranzo ランチコース
  ・Rapide ラピード 1,800円(税別・以下同様)
     (アミューズ・パスタ・ジェラート)
  ・Complete コンプリート 4,000円
     (前菜3品・パスタ・メイン・ドルチェ・ドリンク)
  ・Degstazione デグスタツィオーネ 6,000円
     (前菜4品・パスタ2品・メイン・ドルチェ・ドリンク)
Cena ディナーコース
  ・Complete コンプリート 6,800円(税・サ別・以下同様)
     (小さな前菜・前菜2品・パスタ2品・メイン・ドルチェ・ドリンク)
  ・Degstazione デグスタツィオーネ 8,800円
     (前菜4品・パスタ・メイン2品・ドルチェ・ドリンク) *ほかアラカルト各種
 

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2017/08/28

至福のデザートワイン

祝・Wine Adovocate 誌100点獲得 !
超レア。アヴィニョネージ ヴィンサント飲み比べ


 身も心もあま~くトロける「デザートワイン」はお好きでしょうか?

 北イタリアで過ごした前世を含めずとも、数限りなくワインとの出合いを経験してきた庄イタ。フィネス(⇒「洗練された高貴さ」といった意味のワインへの賛辞)を感じるヴィーノ・ロッソに負けず劣らず、いや、それ以上に色めき立つのが、甘美な夢見心地へと誘ってくれるデザートワインなのです。

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【Photo】前稿「イタリア瓶属 大移動 」で、日本国内には一握りのストックしか残っていないであろうQuorum Barbera d'Asti'99と並べてチラ見せした「BUKKURAM Passito di Pantelleria D.O.C. ブックラム・パッシート・ディ・パンテレッリア」。作り手は「Marco de Bartoli マルコ・デ・バルトリ」。グラスから立ち上がる濃密な香りを皆さまにお届けできないのが残念!!

 日本では、赤白問わずワインを飲み慣れた筋金入りのワインラヴァーでも、極甘口と聞くと及び腰になる向きが少なくないと思います。

 かたや、蜂蜜や香草を加えて葡萄酒を嗜んだ古代ローマから脈々と続く食文化を培ってきたイタリアにおいて、甘い苦いを問わずDigestivo ディジェスティーヴォ(食後酒)は欠かせない存在。

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【Photo】シチリア島の南東沖に浮かぶ火山島パンテレッリア島で造られるBUKKURAM Passito di Pantelleria 。強烈な日差しと強風が吹きすさぶもと、エジプト原産のブドウ「Zibibbo ジビッボ」を8月初旬に収穫後、4週間天日干し。マスカット由来の贅沢な香りが凝縮した庄イタが偏愛するデザートワインのひとつ(ロケ地:青森市長島「Al Centro」)

 イタリア語で男性名詞のdigestivoは、形容詞では〝消化を助ける〟という意味。元来は消化促進を目的に食事の最後に薬草入りの比較的アルコール度数が高いリキュールを少量クイッと飲むものでした。

 イタリア各地には、さまざまなリキュールが存在し、広く愛好されています。日本でもソーダ割が食前酒としてポピュラーな「CAMPARI カンパリ」のようなビター系リキュールの最右翼は、世界で最も苦い酒といわれる「Fernet Brancaフェルネット・ブランカ」。カンパリと同様ミラノが発祥です。

 形容詞では〝苦い〟を意味する「Amaroアマーロ」と呼ばれるジャンルの苦味が主体となるリキュールは、糖分抜きの薬用養命酒+煮詰めたソルマックのイタリア版カクテルといった風情です。(☜ どんな味やねん!)

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【参考】フェルネット・ブランカほどは苦み走ってはおらず、比較的アプローチしやすいアマーロがモンテネグロ。2014.5拙稿「Digestivo(=食後酒)は適量を。<後編> Tanti tanti digestivi.~5月X日はディジェスティーヴォの日~」参照

 アマーロではイタリア国内シェアNo.1の「Montenegro モンテネグロ」は、40種類の薬草・スパイスを調合。シチリア生まれの「Averna アヴェルナ」などを含め、酸いも甘いもくまなくリキュールを飲み尽くすなど、プロフェッショナルなバーテンダーといえども土台無理な話でしょう。

 例えば、アドリア海に面したマルケ州アンコーナ県を訪れた際、ジモティーとの会食の席でデザートと共に供されたのが、中部イタリアを代表する赤ワイン用ブドウ品種サンジョヴェーゼにサクランボの一種、サワーチェリーを砂糖と漬け込んだ「Vino di Visciole ヴィーノ・ディ・ヴィショレ」。存在すら知らず、初めて口にするその美味しさに魅了されました。

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 ユニークなところでは、フランチェスコ修道会が発祥とされる「Nocino ノチーノ」。熟す前の6月にクルミを収穫、ウロのまま純粋アルコールにシナモン・丁子・砂糖などと漬け込みます。

 ノチーノの本場とされるモデナと同じくオニグルミが自生する仙台では、無農薬栽培されたレモンを一定量確保できた時、レモンの果皮をアルコールに漬け込む「Crema di Limoncello クレマ・ディ・リモンチェッロ」と同様に自家製を楽しんでおりました。

【Photo】収穫したての青グルミをアルコールに漬け込んだ翌日の状態(右)と、前々年に自作したノチーノ(左)。そのうち仕込みの顛末をご紹介します 

 多種多様なイタリアン・リカーのみならず、先日、〝ジャパニーズ・ピザ〟を食べに行きましょうと某グルマン氏に誘われて伺った大阪ミナミのお好み焼き「おかる」の流れで、大人が集う隠れ家的な東心斎橋のバー「Old Course」で頂いた3年熟成した琥珀色のレアものアブサンもまた絶品なのでした。

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【Photo】大阪ミナミのバーOld Courseで頂いたアブサン「Vieux Pontarlier ヴィユー・ポンタリエ」2種。スイス国境にほど近いフランス・ポンタルリエで1915年のアブサン禁止法以前から続く蒸留所「Les Fils d'Emile Pernot エミール・ペルノ」製。厳選した地元のニガヨモギ、スペイン産アニスシード、プロヴァンス産フェンネルなどを調合。加水して飲まなかったため、美しいグリーンに変化する前のベースとなる65度のアブサン(左)を3年間オーク樽で熟成させた琥珀色の3ans(右)は、オーナー・バーテンダーの安岡啓介氏曰く「この先いつ入手できるか分からない」超限定品。馥郁たるその香りは、アブサンとは全くの別物

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 百花繚乱の食後酒の中から、一つだけ晩餐を締めくくる一杯を選ぶとすれば、とっておきのデザートワインを指名することでしょう。

 口に含んだ途端、押し寄せる百花蜜のごとき蜂蜜のさまざまなニュアンスや、完熟メロン・完熟白桃・ナッツ・カラメルソース・焦がしバター・カカオ成分70%のチョコレートなどの風味が渾然一体となって響きあいます。 

 有名どころは、仏ボルドー地方Sauternesソーテルヌ地区、ハンガリー・Tokaj トカイ地方、ドイツ・ライン河流域やモーゼル河流域のトロッケンベーレンアウスレーゼといった世界三大貴腐ワイン。

 ボトリティス・シネレア菌(貴腐菌)がブドウに付着すると、果皮には菌糸による極小な穴が無数に穿(うが)たれます。そこから水分が蒸発し、干しブドウ状態となった白ブドウを数回に分けて一粒ずつ選別しながら手摘みするのです。雨がちな年はブドウが腐敗し、作り手の努力が水泡に帰することも。貴腐ワインが高値を呼ぶ理由は、こうしたリスクと隣り合わせにある稀少性と、ブドウ畑に投下される膨大な労力とによります。
 
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【Photo】プリムール(⇒ 蔵出し前に予約購入すること)で入手したシャトー・ディケム'98。歳月を重ねることで、リリース当初の淡い飴色が次第に深みを増してゆくのは、いつの日かこのバースデーヴィンテージのボトルを開ける娘の人生に共通する(のかもしれない) 

 とは言っても、ソーテルヌの頂点に立つ「Château d'Yquemシャトー・ディケム」は、所有する東京ドーム24個分以上に匹敵する113haの広大なブドウ畑から、ブランド大好きな日本を上得意先とするLVMHLouis Vuitton Moët Hennessy)グループ傘下の潤沢な財力に物を言わせ、750mℓ容量ボトルで平均6万5千本程度、多産な年は10万本以上を生産します。

 アルプス以北の国々のように川沿いに立ち込める霧が成長を促す貴腐菌の力によるのではなく、太陽の国イタリアでは、デザートワインを造る場合、ごく一部の例外を除いて陰干ししたブドウから凝縮したワインを造る「Passitoパッシート」という手法が用いられてきました。

 トスカーナ州で陰干しブドウから造られるのが、聖なるワインという意味の「Vinsanto ヴィンサント」。なかでもVino Nobile di Montepulciano D.O.C.G. ヴィーノ・ノービレ・ディ・モンテプルチアーノの優良生産者として名高い 「Avignonesi アヴィニョネージ」は、極めつけの造り手です。

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 今回も過去ネタで恐縮ですが、話は9ヵ月前に遡ります。

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 横浜・馬車道のイタリアワイン専門店「il Calice イル・カリーチェ」で、アヴィニョネージの稀少なヴィンサントを2種類グラスで飲めるという、庄イタにとっては願ってもない機会がありました。

 用意されたのは、白ブドウ「マルヴァジア」と「トレッビアーノ・トスカーノ」を収穫後3~4ヵ月陰干ししてから除梗・圧搾し、密閉した50ℓ容量のオーク樽で10年の歳月をかけて造られる「Vin Santo di Montepluciano D.O.C ヴィンサント・ディ・モンテプルチアーノD.O.C 」(下画像左側)。

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 そして黒ブドウ「プルニョーロ・ジェンティーレ(≒ サンジョヴェーゼ)」を2月まで陰干ししてから同様の製法で作られ、高価かつ入手困難な「Occhio di Pernice Vin Santo di Montepluciano D.O.Cオッキオ・ディ・ペルニーチェ・ヴィンサント・ディ・モンテプルチアーノD.O.C 」(上画像右側)。

 いずれも圧搾した果汁を清澄し、幾度も使いまわしをする栗材の樽へと移す際、樽の底に残る代々受け継がれてきたMardeマードレと呼ばれる酵母の澱を混ぜてから密閉します。

 その酵母が神品と呼ぶにふさわしい琥珀色の濃密な液体へと10年の歳月をかけて昇華してゆく手助けをするのだといいます。

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【Photo】1999年ヴィンテージからエチケッタのデザインを一新するも、その造りは先人が培った伝統を忠実に受け継いでいるヴィンサント・ディ・モンテプルチアーノ2000 vin

 優良年に限り仕込みを行うアヴィニョネージのヴィンサントは、北米向けに2000年vinで1,500本が出荷された100mℓ瓶を除き、ハーフボトル(375mℓ)で年産1,000本前後しか市場に出回りません。ゆえに目にする機会が極めて限られる逸品です。

 日本における正規輸入元のモンテ物産が扱う2000vinのヴィンサントが参考価格41,990円、オッキオ・ディ・ペルニーチェは 54,510円。これはボルドー特別一級の栄誉に浴するシャトー・ディケムが市場に出回り始める価格の倍以上。世界一高価なワインといわれるエゴン・ミューラーのような優良生産者の手になるトロッケンベーレンアウスレーゼほどではありませんが、極甘口ワインの最高峰の一つに違いありません。

 妙なる香り。夢見心地へと誘う素晴らしい味わい。非のつけどころを見出すのが困難なこの1本の難をあえて言うなら、もう少し懐に優しい値段であってほしいことでしょうか(苦笑)。

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【Photo】収穫したブドウを6カ月陰干しすることで重量の90%を占める水分が揮発。外気に晒された屋根裏部屋での10年の樽熟成の間に50ℓ容量ギリギリに充填した液体は、わずか8ℓほどに目減りするという。これぞまさに神の雫!!

 同様の製法を6年熟成に置き換えた珠玉のヴィンサントを少量生産するのが「San Giusto a Rentennano サン・ジュスト・ア・レンテンナーノ」。キアンティ・クラシコゾーン南端の古都シエナにほど近いガイオーレ・イン・キアンティ地区にある醸造所をブドウの収穫を終えたばかりの10月に訪れた時、窓を開け放った醸造所の最上階に案内され、竹の簾に房ごと広げられたブドウや使いこまれた熟成樽を前にマードレの役割について説明を受けました。

 素晴らしい風味のヴィンサントをテイスティングしながら、熟成の鍵を握るマードレから連想したのが、代々注ぎ足しをする老舗うなぎ屋秘伝のタレ(笑)。真剣な表情で庄イタに説明を続けるルカ・マルティーニ・チガラ氏にそんなギャグが通じるわけもなく、言葉を飲み込んだのでした。

 その中でルカ氏が素晴らしいと絶賛していたのが、ほかならぬアヴィニョネージのオッキオ・ディ・ペルニーチェ・ヴィンサント・ディ・モンテプルチアーノだったのです。

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【Photo】黒ブドウから造られるヴィンサントは〝ヤマウズラの瞳〟という意味の「オッキオ・ディ・ペルニーチェ」という呼称で呼ばれる。庄イタが試飲した2000年ヴィンテージは、世界で最も影響力があるワイン評価本Wine Adovocate 誌において「イタリア国内外を問わずライバルなど存在しない」と絶賛され、98点を獲得。翌2001年vinは、1990年vin以来のパーフェクトスコア100点評価を受けた

 それはもはや液体にして液体にはあらず。濃密な琥珀色の飲む宝石と呼ぶにふさわしいトローリ高い粘性を備えています。

 きっちりグラスに15mℓずつ注がれた液体をグラスの中でスワリング(⇒ 空気に触れさせて香りを開かせるべくグラスを回すこと)すると、グラスの内側に張り付いた半液体の動きはスローモーションを見ているかのよう。

avignonesi-odp1.jpg 【Photo】白ブドウから造るヴィンサントよりも更に色合いの濃さが増すオッキオ・ディ・ペルニーチェ・ヴィン・サント・ディ・モンテプルチアーノ2000vin
 
 値段が値段だけに、なかなか手が届かない高嶺の花をグラス1杯2,000円と2,500円で味わうことができた貴重な機会。いずれも極甘口とはいえ、ただ甘ったるいのではなく、雑味のない純粋な甘味と酸味が共存しており、ベタつくことはありません。

 アヴィニョネージのヴィンサントは、観光ガイド本に紹介されている一般的なヴィンサントの飲み方であるヴィスコッティ類を浸して飲むシロモノではありません。

 サン・ジュスト・ア・レンテンナーノのヴィンサントもそうですが、もはや神秘体験に等しいアヴィニョネージのヴィンサントと巡り合う幸運に恵まれた時は、フルオーケストラの響きのように幾重にも押し寄せる万華鏡のごとき甘味とめくるめく香りに身を委ね、心ゆくまでワインと対話をするのが良ろしいかと。

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2017/04/19

土佐日記風 会津日記 【序章】 @ 摂津国

じもてぃもすなる あさらーといふものを
しょういたもしてみむとてするなり


 代々官職に就く朝廷に仕える下級貴族で、平安時代中期に藤原公任(ふじわら の きんとう)が、万葉の時代からの優れた歌人として挙げた三十六人撰(三十六歌仙)の一人としても名高い紀貫之(868 or 872~945)。

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【Photo】現存する最古の三十六歌仙を描いた絵図の部類となる「佐竹本三十六歌仙絵」下巻より紀貫之(国重要文化財・13世紀・耕三寺博物館蔵)。913年(延喜13)、律令制における正六位 大内記に叙せられた紀貫之。4年後には従五位下となり加賀国・美濃国などの次官にあたる介や大監物などを歴任。930年(延長8)に土佐守(高知の国司)となり、高知に赴任した

 土佐守として赴任した4年の任期を終えて934(承平4)に京都へと帰還する間の出来事を、58の短歌と共に日記風に綴ったのが、本邦初の紀行文とされる「土佐日記」です。

 やんごとなき身分の男性が、公式に使う文章は漢文が通例であったこの時代。公人としては異例の女性が使用するカナ文字を使い、虚構や諧謔的な表現を織り交ぜながら家人や従者と小舟に分乗しての55日間の出来事が語られます。

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【Photo】土佐の国府が置かれた現在の高知県南国市比江を出立した紀貫之ら一行。当時は大津と呼ばれた同県船戸から小舟に乗り京都へ向かった。船戸から南西12kmほどの距離にあり、古くは浦戸と呼ばれ、現在は坂本龍馬像が立つここ桂浜付近に立ち寄り、阿波・淡路・和泉と海路を進み、難波から淀川を遡上。山城国へと入り山崎からは陸路を進み、桂川を渡って二月十六日(太陽暦で3月28日)に我が家に着くまで55日を要した

  をとこもすなるにきといふものを、をむなもしてみむとてするなり。 それのとしのしはすのはつかあまりひとひのひの、いぬのときにかどです。

 【現代語訳】男性が綴る日記というものを、女性である自分も試みてみる。とある年の十二月二十一日(太陽暦で2月2日)、午後8時に出立することとなった。

 醍醐天皇(885-930)の勅命による我が国初の勅撰和歌集が「古今和歌集」です。紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑ら4人の撰者の中で中心的な役割を果たした編纂の任に当たった当時、30歳代であった紀貫之は、宮中の文書管理を担う次官級の御書所預(ごしょどころあずかり)の職にありました。

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 奈良県櫻井市にある花の寺「長谷寺」を訪れた折、宿の主から「しばらく音沙汰がなかったですね」と言われた貫之の返歌として詠まれ、古今集に収められたこの和歌は、百人一首にも取り上げられています。

 人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞむかしの かににおひける

 【現代語訳】さぁ、あなたはどうでしょうね。人の心もようは分からないけれども、馴染みの里に咲く梅の花は、昔と変わらず香っています。

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【Photo】紀貫之による自筆本の筆跡を再現した古写本「土左日記」(尊経閣文庫蔵)。現在は散逸した原本が残っていた平安時代末期から鎌倉時代初期にかけ、勅撰和歌集から秀作を選んだ小倉百人一首を成立させた藤原定家による写本

 貫之が和歌について論じた古今集の仮名序は、日本文学が漢詩の影響を脱し、源氏物語に代表される女流古典文学の確立に向けた指針を示したとされます。

  やまとうたは ひと(人)のこころをたね(種)として よろず(万)のことのは(言葉)とぞなれりける

 【現代語訳】和歌は人の心の機微を表現し、数え切れぬほどの言葉を編み出していった

 京都で生まれ、赴任先に伴ってきた可愛い盛りの女児を土佐を発つ直前に病で亡くす不運に見舞われた紀貫之。大津から浦戸に向かった12月27日に詠じたのは ー

 みやこへと おもふをもののかなしきは かへらぬひとのあればなりけり

 【現代語訳】いよいよ都へと帰還するのだけれど、どうしても悲しいのは、帰らぬ人がいるからなのだ

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【Photo】京都・嵐山付近を流れる桂川の流れを見守る松の古木とて、紀貫之が生きた時代など知るよすがもない平成の世。世界各国から訪れる観光客が行き交う渡月橋は、現在とは異なる位置にすでに架けられていた。天皇の内裏(皇居)であり、公務を執り行った京都御所近くの京都御苑の一角に紀貫之の居宅があったといわれる

 長旅を終え、貫之が京都の自宅に戻って詠んだのは、帰還の喜びではなく、人の命の儚さを憂うこの和歌でした。

 生まれしも帰らぬものを我がやどに小松のあるを見るがかなしさ

 【現代語訳】ここで生まれた我が子が帰らないというのに、元は無かった小さな松が庭に生えているのを見るのは辛い

 亡き娘を思う悲哀を込めた短歌は、時代を越えて庄イタの胸にも響いてくるのです。

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 紀貫之の生年である貞観年間は、天変地異が頻発した時代でした。

 861年(貞観3)、現在の福岡県中部の直方(おのがた)市にある須賀神社境内に記録が残る世界最古の隕石が落下。864年(貞観6)、当時は常に噴煙を上げていた富士山が大噴火を起こし、現在は青木ヶ原樹海となった膨大な溶岩を噴出。

 1000年に一度の規模といわれた東日本大震災と同規模の大津波が三陸沿岸を襲ったと推定される貞観地震の発生が869年(貞観11)。その2年後には鳥海山が噴火しています。

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【Photo】文献に残る噴火が537年から十数回を数える鳥海山。現在の頂上部が形成された1800年(寛政12)の噴火による死者は8人。直近では1974年(昭和49)に水蒸気爆発し、噴煙を上げた〈上画像〉

 マグニチュード7.4と推定される相模・武蔵地震の発生により、南関東地域に大きな被害が及んだのが878年(元慶2)。887年(仁和3)には南海トラフを震源とするマグニチュード8規模の仁和地震で近畿地方に甚大な被害が及ぶなど、大規模な地殻変動が各地で頻発します。

 794年(延暦13)、桓武天皇(737-806)により凶事が相次いだ長岡京から平安京に都が移され、1192年(建久3)に鎌倉幕府が成立するまでの平安時代の幕開けは、かくも平安ならざる天変地異が続いたのです。

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 昨年8月、天皇陛下が退位のご意向を色濃く滲ませた「お気持ち」を表明されたことで、平成の終わりが見えてきたこの春。2007年6月のブログ開設以来、Viaggio al Mondo~あるもん探しの旅は10年目を迎えます。

 10年目でひと区切り。

 私事ですが、4月の定期異動で大阪に赴任し、東北をフィールドに駆け巡ってきた庄イタにも転機が訪れました。

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【Photo】六甲山地の東端付近に源を発する夙川(しゅくがわ)。2.8kmの遊歩道が整備された公園緑地には枝ぶりが見事なクロマツと共に1,660本のソメイヨシノやオオシマザクラなどの桜並木が続く。5月から6月にかけて阪急甲陽線苦楽園駅の上流域ではホタルが見られる。そこは神戸出身の作家・野坂昭如の小説「火垂るの墓」の舞台となった

 プレ創刊100周年の1996年(平成8)、バブルの余韻に浸りつつ6年を過ごした東京支社から仙台本社に帰還。山形営業所の立ち上げに携わった2003年(平成15)に庄内系へと突然変異。創刊120周年の節目を迎えたこの春、摂津守として北前船で酒田湊から上方へと赴いた格好です。

 紀貫之が土佐から京の自邸に戻った日と同じ3月28日、かつては摂津国と呼ばれた関西に初めて居を構えました。

 そこは「さくら名所百選」に数えられる夙川(しゅくがわ)河川敷緑地・夙川公園まで徒歩30秒。天然記念物「コバノミツバツツジ群落」が見られ、参拝天照大神を祀り、阪神タイガースが必勝祈願に参詣する廣田神社も徒歩圏という風雅な地。

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【Photo】日本書紀に神功皇后の創建による記述がみられる由緒正しき廣田神社。16,000坪の境内には三本に分かれた小さな葉が特徴的なコバノミツバツツジ2万株の群落が見られ、樹齢300年を数える古木もある

 新任地は、京都へ向かう紀貫之が遡上した旧淀川の中之島を挟んで北の堂島川の南を流れる土佐掘川のほとり。対岸の中之島には日本赤煉瓦建築番付における西の横綱「大阪市中央公会堂」や、ギリシャ神殿に倣ったコリント式円柱を備えた重要文化財「中之島図書館」が、すぐ眼下にあるハイカラな土地柄でもあります。

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【Photo】ウォーターフロント中之島のシンボル的存在「大阪中央公会堂」は明治期に在阪の株式仲買人・岩本栄之助が大阪市に寄贈した現在の貨幣価値で数十億の浄財をもとに建造された

 久方ぶりに触れる外の空気は新鮮そのもの。着任早々、京都で桜を愛でる機会があったかと思えば、新世界にある串かつの名店や、迷宮のごとき天満やミナミで粉もん文化の洗礼も。どうやら新任地では、公私ともに数え切れぬほどの出会いと発見が待っているようです。

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【Photo】およそドボルザーク作曲の交響曲第9番「新世界より」が似つかわしくないエネルギッシュな喧騒に満ちた大阪・新世界。気分はガーシュイン作曲の交響詩「パリのアメリカ人」的な「ナニワの庄内系イタリア人」それとも「浪速恋しぐれ」by 岡千秋&都はるみ? 通天閣を背景に筆者近況

 仙台から伊丹空港まで1時間20分の空路で着任した庄イタとは違い、紀貫之は荒ぶる海や海賊の脅威に晒されながら、家族や従者を伴い小舟に分乗して2か月近くを要して帰京しています。

 ひとまず距離を置くこととなる東北を題材とするネタとしては、一区切りとなる物語の舞台は、福島・会津です。

 今をさかのぼること1,000年以上前に書き記された土佐日記に敬意を表した今回のタイトル。我が国初の紀行文の名高い書き出しになぞらえた本編は、また次回。

To be continued.

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2017/02/11

聖ダンデロの被昇天(2) Assunzione di San-Dan-Deloseguito

妙なる芳香で天にも昇る心持ち〈後編〉
@ヤマガタ サンダンデロ

 2016年シーズンは、解禁当初から不作が続いたアルバ産白トリュフ。12月の最終盤に至ってやっと産出量が持ち直しました。

 白トリュフを愛してやまない庄イタを、白トリュフ天国へと導く大天使ジョルジョが、堪能するのに十分なサイズの白トリュフを携え、年が改まってすぐ日本に再降臨してくれました。

 365分の1の確率で東京出張と重なった2017年(平成29)1月12日(金)の夜、銀座「ヤマガタ サンダンデロ」を会場に催されたピエモンテ料理の会で供されたメニュー(下画像)は以下の通り。

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 ジョルジョが音頭をとった乾杯の1杯は、ピエモンテ州クーネオ県ネイヴェに醸造所とブドウ畑を有する作り手Dante Rivetti ダンテ・リヴェッティの「Brut Metodo Classico Millesimato Ivan ブリュット・メトード・クラシコ・ミッレジマート・イヴァン(下画像)Metodo Classicoとは、読んで字のごとく伝統製法の意味。

 瓶詰めしたワインに酵母入りシロップを添加し、再発酵させることで発生する炭酸ガスを液体に溶け込ませる発泡性ワインの製法が瓶内二次発酵です。

 物騒かつ意味不明な「発砲」ともども、フランス産の発泡性ワインを指すCrémantクレマンとの誤用が散見されるシャンパーニュや、ミラノが州都となるロンバルディア州ブレシア県の風光明媚なイゼーオ湖の南畔地域で産出する高品質なD.O.C.GFranciacorta フランチャコルタ」は、手間の掛かるこの製法によるもの。

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 細やかな泡立ちが持続し、芳醇な香りが心地よいイヴァンは、高価なヴィンテージ・シャンパーニュと同じ36カ月を要する瓶内二次発酵後に澱引きし、コルクを打って6カ月の瓶熟成後にセラーから出荷されます。使われるブドウ品種はピノ・ネロ。ブルゴーニュ原産の高貴品種ピノ・ノアールは、イタリアではこう呼ばれます。

 白トリュフが主役となる豪奢なコース料理のプロローグを飾ったのが、ご覧の通り盛りだくさんなアンティパスト(下画像)

 ジョルジョが持参した生ソーセージ「Salsiccia サルシッチャ」2種、お手製バニェット・ヴェルデほか、ロビオラチーズと自家菜園ハーブのペースト、ズッキーニのブルスケッタ3種、リグーリア特産のオリーブ「タジャスカ」のオイル漬やヘーゼルナッツ。

antipasti2017.1-san-dan-delo.jpg ピエモンテ産D.O.P.(=保護指定原産地表示)チーズは、熟成期間が異なる牛乳製「Toma トーマ」や山羊乳製「Robiola di Roccaverano ロビオラ・ディ・ロッカベラーノ」など5種類。

 盛り合わせの中には、北海道大樹町で飼育する水牛の乳から、鮮度が命のフレッシュタイプのチーズ作りをしている竹島英俊さんの貴重なモッツァレラ・ディ・ブッファラとその製造過程で出るホエー(乳清)を原料とするリコッタ(上画像右上の2点)も。

 食肉としても美味な水牛の乳は栄養価が高く、カンパーニャ州ナポリ近郊のカゼルタやサレルノ周辺で飼育されます。その数は多くはなく、貴重な存在です。

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 日本では唯一の水牛乳によるフレッシュチーズ作りを宮崎県で行っていた竹島さん。2010年(平成22)に県内で発生した口蹄疫の影響で、やむなく全頭を殺処分し廃業を余儀なくされました。挫折を乗り越え、鶴岡での充電期間を経て今日に至っています。

 アスティ県モンフェラートで4代続く醸造所Tenuta Olim Bauda テヌータ・オリム・バウダは、ピエモンテで飲んだD.O.C.G 昇格前の「Barbera d'Asti superiore Le Rocchette バルベーラ・ダスティ・スーペリオーレ・レ・ロッケッテ」2004年ヴィンテージが印象に残り、ボトルからエチケッタ(上画像)を剝がして持ち帰った作り手。

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 今回、エレガントな「Chardonnay D.O.C. i Boschi 2013シャルドネ・イ・ボスキ」2013年とともに味わったアンティパストの中では、22年熟成のロビオラ・ディ・ロッカベラーノは特筆に値します。(下画像)

 22年の歳月を重ねた山羊乳チーズの色合いは、出来立ての純白から黄色に変化。固形からゲル状に変容したトロ~リとした食感。乳由来の甘味は消え、強い塩味・ほのかな酸味が入り混じった重層的な旨味へと変化。コクと強烈な香りが、口腔と鼻腔とを満たし、長~い余韻を残します。

vecchia-robiola22anni.jpg 2皿目「活ホタテのオーブン焼き」が運ばれてくると、トリュフとスライサーを手にしたジョルジョが、各テーブルを回り始めました。

 ジョルジョは庄イタの脇に立つや、遺留品の臭いを警察犬に嗅がせる捜査官さながらにスライスしたての白トリュフの塊を庄イタの鼻先に持ってくるスペシャルサービスをしてくれたのです。

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 それはまさに天にも昇る心持ち。現世で日本人として生を享けるおよそ1世紀前、祖国統一の気運が燃えさかったRisorgimento リソルジメント(=イタリア統一運動・1815-1871)末期、ガリバルディ率いるCamicie Rosse(赤シャツ隊)に身を投じ、前世で授かった命を捧げた(と、自身では信じて疑わない)庄イタ。

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【Photo】赤シャツ隊を率いて祖国統一を成し遂げた英雄ジュゼッペ・ガリバルディ()。イタリア国旗を手にしたViaggio al Mondoのプロフィール紹介写真と構図が似ているのは、単なる偶然か、あるいは必然か。オフに着用するアウターは、赤シャツ隊の制服と同じ配色(

 来世では、再び前世における郷里ピエモンテで、トリュフ犬に生まれ変わったとしても本望かも。(実際のトリュフ狩りでは、発見した白トリュフをトリュフ犬が食べてしまう寸前、トリュフハンターがエサを与えて犬の気をそらし、トリュフを横取りする)

 ただし、庄イタから輪廻転生したトリュフ犬は、白トリュフが地中から発する魅惑的な香りを探知すると、きっとマタタビに惚(ほう)けて喉をゴロゴロ鳴らすネコ気質な犬に突如変身。仕事そっちのけで白トリュフの法悦に浸るデクノボウなワンコに相違ありません。(下想像図)

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【Photo】ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ「Estasi di santa Teresa d'Avila 聖テレジアの法悦」(1647-1652 ローマ:サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会コルナロ礼拝堂)16世紀のスペインに実在した修道女テレジアが天使と遭遇した神秘体験を超絶技巧を駆使して大理石で具象化した盛期バロック期の傑作

 ご主人様と職務に忠実なトリュフ犬が掘り出し、トリュフハンターが手に入れた白トリュフは、時間が経過するにつれて水分と共に香り成分が揮発してしまいます。

 ジョルジョによれば、仕入れ時点の重さ185gが、会合当日には160gまで減っていたとのこと。イタリアで食するアルバ産白トリュフのクラクラするような香りを120%とすると、正直60%程度の印象だったのはやむなしでしょう。

 それでも採れたては嗅覚の針が振り切れるほどの強烈な香りを発する白トリュフ。たとえは悪いですが、腐っても鯛。前世の記憶を覚醒させるに十分なのでありました。

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 イタリア共和国全20州の中で、海に面していないのは5つ。中部ウンブリア州以外は、国境をスロベニア・オーストリア・スイス・フランスの各国と接する北部に集中し、その一つとなるのがピエモンテ州。

 この日4皿目に登場した卵を練り込んだ手打ち細麺「Tajarin al Tartufo タヤリン・アル・タルトゥフォ」ほか、「Fonduta チーズフォンデュ」、リゾット、肉を使った郷土料理に白トリュフを用いるのがピエモンテでは定番。ジョルジョのみならず庄イタにとっても海鮮系の具材は意表を突くカップリングでした。

 卓上のメニューを見た時、否応なく期待値が高まったこの創作料理。後日、土田シェフに確認したところ、全国を股に駆ける奥田シェフが、とある関西のフレンチレストランで出合った料理がベースとのこと。

 築地直送の新鮮なホタテのヒモで出汁をとり、白ワインを加えて煮込んだ生クリームソースが、生ウニがトッピングされた香ばしいホタテと白トリュフとの絶妙な一体感を生み出していたように感じました。

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【Photo】知らぬ人のないサンドロ・ボッティチェッリ「 La Nascita di Venere ヴィーナスの誕生」(1482-1485頃 フィレンツェ:ウフィッツィ美術館蔵)ギリシア神話によれば美の化身ヴィーナスは海の泡から生まれた。春の妖精ホーラが裸身を恥じる女神に淡い朱色のヴェールを掛けようとする場面を描いた人類の至宝

 土田シェフによって貝殻の中に出現していたのは、かぐわしい白トリュフと生ウニで装ったホタテが泡立つ乳の海に浮かぶ小宇宙。それは庄イタにサンドロ・ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」(上画像)を彷彿とさせたのでした。

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 妻フローラを伴った西風の神ゼフュロスのごとくホタテに新たな息吹を吹き込んだのは土田シェフ。さすれば春に咲く花が散りばめられたヴェールをヴィーナスにまとわせようとするニンフは、(ビジュアル的には違いますが)トリュフと愛嬌を振りまくジョルジョという寸法。

 郷里では魚介系の料理がほとんど食卓に登場しないピエモンテーゼ、ジョルジョを驚愕せしめた白トリュフ料理1皿目。産地でも高嶺の花である白トリュフを惜しげもなく使った2皿目は、典型的な白トリュフの食し方である「タヤリン・アル・タルトゥフォ」(下画像)。1皿目が革新ならば、2皿目は伝統への回帰といったところでしょうか。

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【Photo】タヤリン・アル・タルトゥフォ。卵黄を小麦粉に練り込み、幅2-3mmに切り分けた手打ちロングパスタ「Tagliolini タリオリーニ」をピエモンテ州では、「Tajarinタヤリン」と呼ぶ。秋を迎えたピエモンテで代表的な食べ方が、白トリュフをすりおろしたこの料理

 メニューに記載がなかった3皿目「Vitello Tonnato ヴィテッロ・トンナート」は、もともとアンティパストの一品として用意された料理です。(下画像左上)

 ところがチーズやブルスケッタなどが所狭しと並んだボリューミーな1皿目では盛り付る場所が確保できずに出番を失ったのです。こうして単品で供され、日の目を見たのでした。

 そこに「1杯お味見にどうぞ」とフロアを預かる久保副店長からテヌータ・オリム・バウダ「Nebbiolo d'Alba San Pietro ネッビオーロ・ダルバ・サン・ピエトロ」2012ヴィンテージがサービスで出てきました。

 蒸し焼きした庄内産仔牛の冷製にジョルジョが味付けしたツナをベースにタマネギやニンニクで味を整えたソースが加わったピエモンテ伝統の郷土料理とは、さすがの好相性。

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 典型的なピエモンテ料理であるイノシシの赤ワイン煮込み「Brasato ブラザート」(上画像右下)がセコンド・ピアットに控えていたため、相性を考えてオーダーしたのは、ダンテ・リヴェッティのD.O.C.G.Barbaresco Micca バルバレスコ・ミッカ2006」(上画像右上)。〝産地を訪れた年のワインは出来る限り飲んでみっか〟という自身の不文律に沿ったチョイスです。

 もう一つの選択肢だったのが、D.O.C.G.Baloro Léglise バローロ・レッリーゼ2007」(上画像左下)。相席となった新宿中村屋にお勤めというNさんのご厚意で一口グラスで味見させて頂き、より厳格で力強いバローロらしさを確かめた果報者なのでした。

 秋の収穫期にバルバレスコ村を訪れた2006年のような作柄に恵まれた年は、ネッビオーロの特徴となるタンニンが落ち着き、複雑味が増して飲み頃を迎えるまで時間を要する場合もあります。

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【Photo】2006年10月末。天使のようなグラッパ職人ロマーノ・レヴィとイタリアワイン界の巨人アンジェロ・ガヤの醸造所を訪れた鼻血が出そうなくらい中身が濃かった1日。世界で最も美しいブドウ畑の眺めだと地元の人々が胸を張る銘醸畑が広がるBarbarescoバルバレスコ村の景観は、2014年に世界文化遺産として登録された。Neive ネイヴェの市街地から2kmほど進むと、ネッビオーロが大半を占めるブドウ畑の中に浮かぶ浮舟のようなバルバレスコ村が見えてきた(画像右奥)

 しばしば〝イタリアワインの女王〟と形容されるD.O.C.G.バルバレスコ。伝統的な大樽による造りで、収穫から丸10年を経た2006年ヴィンテージは、熟成して角が取れてきたネッビオーロならではの深みのある味わいに魅了されました。

 翌日から日本橋人形町で開催される「山形・鶴岡の餅文化を味わう会」準備のため、鶴岡から出張しておいでだった「山菜屋.com」を運営する遠藤初子さん。旧知の間柄である遠藤さんと同じテーブルとなったこの日。

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【Photo】出てのお楽しみな〈Speciale piatto〉とだけメニューに記載された一皿がコレ。一味もふた味も違う山の幸を取り扱う山菜屋.comの遠藤さん手配による鶴岡朝日地区産の山栗のリゾット。一般に流通する燻蒸した栗の3倍近い糖度を有するのは、冷蔵保存するがゆえ。手作業による厳しい選別を行うことで無燻煙による栗本来の味を堪能できる

 風味が濃い山栗を鶴岡から送った当のご本人を目の前にして食するリゾット。それは数多くの生産者や食の匠とのご縁ができ、1皿の有難みを実感できた往時のアル・ケッチァーノ系列の店ならではの醍醐味でもありました。

 リグーリア州内陸部サヴォーナ県サッセロに本拠がある菓子メーカーAmaretti Virginia製の杏子風味のサックリした歯応えの伝統菓子「Amarettiアマレッティ」、鶴岡市羽黒産ブルーベリージャムとピエモンテ産ヘーゼルナッツのトルタ、そしてジョルジョが好きだという獺祭の酒粕ジェラートの3品がデザートで登場。

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 締めのカッフェを頂きながら、ジョルジョは思い出話に花を咲かせました。醸造所が1年で最も忙しい収穫期に訪れたバルバレスコの帝王こと、Anjelo Gaja アンジェロ・ガヤの醸造所訪問が、実はノーアポで、先方が困惑しながらも「ジョ、ジョルジョか...。」と、固く閉ざされた緑のゲートを開けて渋々会ってくれた件。

 そして新潟・村上経由で訪れたイル・ケッチァーノで、白トリュフを食べ損ねた件(前々回「Compagna di Piemonte = ピエモンテ同窓会 =」参照)。その珍道中ぶりとジョルジョの気さくな人柄に、テーブルでご一緒した女性たちからも笑いがこぼれます。

 鎌倉でのピエモンテ同窓会に続き、白トリュフの香りに包まれ、ひと時の昇天を果たした庄イタ。ココロの郷里ピエモンテと庄内への渇望感を癒された一夜となりました。

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2017/02/04

聖ダンデロの被昇天 Assunzione di San-Dan-Delo

妙なる芳香で天にも昇る心持ち〈前編〉
@ヤマガタ サンダンデロ

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【Photo】水の都ヴェネツィアの心臓部にあたるサン・ポーロ地区。14世紀に聖母マリアに献堂された「Basilica di Santa Maria Gloriosa dei Frari サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂」主祭壇に安置された盛期ルネッサンス期ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオ筆「Assunzione di Maria in Cielo 聖母マリア被昇天」(1516-1517)

 カトリックの教義「聖母の被昇天」を想起させる今回のタイトル。敬虔な教徒の方は、「はて、聖ダンデロなる聖人はいたっけ?」と訝(いぶか)しんでおいでかもしれません。

 第14代ローマ皇帝ハドリアヌスが、自身の霊廟として135年に造営に着手、のちに要塞化された「Castel Sant'Angeloサンタンジェロ」(下画像)と響きが似ているサンダンデロ。イタリア語表記でSan-Dan-Delo は、聖母マリアのように魂が身体もろとも神のもとに召された聖人ではありません。

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 しかし東京銀座にある「YAMAGATA San-Dan-Delo ヤマガタ サンダンデロ」で昇天の奇蹟は確かに起きたのです。

 例年1月2日早朝から仕事があるためか、曜日まわりの関係なのか、あっという間に過ぎ去った感がある正月休み明け6日のこと。

 鶴岡で出会ってから13年以上の付き合いになり、現在はヤマガタ サンダンデロの厨房を預かる土田学シェフ(下右側)Facebookに1枚の画像がアップされました。

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 官能的な白トリュフの香りに恍惚とした表情を浮かべる土田シェフの隣でお茶目に写っているのは、ここ数年、秋になると庄イタの夢枕に立ち続けた゛白トリュフの精〟ことジョルジョ・チリオ氏。〈2017.1前稿「Compagna di Piemonte = ピエモンテ同窓会 =」参照〉

 今期は当初から不作が続き、例年以上に高値を呼びました。それがシーズン最終盤になって産出量が持ち直し、高騰していた価格が幾分こなれてきたというのです。そこで昨年11月、鎌倉に持参した白トリュフの10倍以上はあろうかという巨大なアルバ産白トリュフ(下画像)を携え、再び年明けに日本へとやって来ました。

 そうしてジョルジョが懇意にしている鶴岡「al.ché-cciano アル・ケッチァーノ」の支店ヤマガタサンダンデロを会場に、白トリュフを使ったピエモンテ料理の会が1月12日(金)に催されることとなったのです。

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【Photo】一見、置きすぎてシワが寄ったジャガイモ(笑)。早合点し、うっかり茹でてしまおうものなら、後の祭りのアルバ産白トリュフ

 2009年(平成21)春、山形県が東京・銀座に開設したアンテナショップ「おいしい山形プラザ」2Fに県のたっての要請を受けて出店したことから、庄イタ的には「山形+算段+出ろ」と読み解いている同店〈2008.9拙稿「結束を再確認 生産者の会、ふたたび。@ il.ché-cciano」参照〉

 拡大路線に拍車がかかった結果、肝心な鶴岡の店は遠来の客が多い週末においてすらオーナーシェフの不在が常態化(下事例)。庄イタにとってはCry wine and sell vinegar(=羊頭狗肉)な「居ね・ケッチァーノ」と化してしまいました。

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 最も最近では2014年(平成26)6月中旬の土曜日、局アナを務める大学の後輩を案内したいという取引先の社長に懇願され、4年ぶりに席を予約。あらかじめ西田料理長に予算をお伝えし、お任せコース料理の相伴に預かりました。

 時季的にリクエストした鳥海モロヘイヤのケッカソース風味が定番の地物岩ガキや、素材の持ち味が際立つローストを指定した羽黒綿羊といった素材の素晴らしさは相変わらず。ご一緒した初訪店のお2人も納得の美味しい料理ではありました。(下画像/一部抜粋)

 なれど店主はその日も厨房には不在。驚きやワクワク感が伴わない落差を良く知る庄イタにとってはコピー・アンド・ペーストな印象は拭えません。飲食店として守るべきSincerityの欠如は、いかんともしがたいのでした。

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 心に響く料理で感動に打ち震え、余人の及ばぬ異次元へと誘われる変幻自在な食体験ができたかつての姿は今いずこ。局アナ氏がハンドルを握った帰路の車中で、頭の中でリフレインしていたのは、小学校の大先輩・土井晩翠が作詞し、ジャーマンロックの雄スコーピオンズ もカバーした名曲「荒城の月」。

 以来、姿勢に疑問を抱かざるを得ない旗艦店から足は再び遠のいたまま、今日に至っています。

 世の東西を問わず、料理の実像を深く知るには、その土地を訪れるのが一番。それは地元愛に溢れる誠実な店で味わい、背後にある風土と作り手を知ってこその話。

 庄イタと同じく往時のアル・ケッチァーノを良くご存じで、昨年末、久方ぶりに鎌倉で再会した雑誌「四季の味」前編集長・八巻元子さんも指摘されておいでだったこの定義。普遍的な真理であると確信しています。

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【Photo】白トリュフをたっぷりと使った一皿目が出たところでジョルジョに促され、厨房から出てきた土田シェフ。海鮮と白トリュフというピエモンテではありえない意表を突いた組み合わせを見事にやってのけ、ジョルジョから賞賛された。あっぱれ

 皮肉なことにその真実に気付かせてくれたのは、アル・ケッチァーノにほかなりません。2003年(平成15)春、何ら予備知識を持たず偶然に立ち寄った庄内弁で゛大切なものは足元にあったよね〟という意味を店名に込めたその店。〈2007.6拙稿「庄内系転生伝説 プロローグ~庄内系イタリア人の物語」参照〉

 風変わりな〝地場イタリアン〟なる看板を掲げ、地元のごく一部の人々を除けば、ほぼ無名であったアル・ケッチァーノ。当時は求道者のごとく料理に打ち込み、苦境に立つ生産者の支えとして奔走していた店主氏。その右腕として、草創期から影で店を支えたのが土田シェフです。

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【Photo】2000年(平成12)3月のアル・ケッチァーノ開店以来、苦楽を共にした共同経営者Aさん夫妻が、2008年3月末をもって店を去ることとなり、お別れを兼ねた晩餐に伺った夜。パティシェの本間さんが担当したメッセージ入りドルチェの盛り付けは、ドルチェ担当チーフでもあった土田料理長(当時)

 北庄内地域の言い回しで〝山形産なんでしょ〟という意味の銀座店は、2009年の開店以来、土田シェフが厨房を預かっています。2011年以降、過去3度の訪店経験から判断して、ハズレはありません。

 会費10,000円(飲み物代別)で土田シェフから提示された予定メニューをご紹介するとー

 Antipasti misti :前菜 ピエモンテの前菜盛り合わせと北海道・竹島さんのチーズ
 ・Primo Piatto :第一の皿 タヤリンの白トリュフクリーム
 ・Primo Piatto :第二の皿 リゾット 
 ・Secondo Piatto : メインディッシュ 魚料理か肉料理(奥田シェフ次第)
 ・Dolci :ドルチェ デザート盛り合わせ
 ★ ジョルジョが二つの料理に白トリュフを目の前で削ります!(^_^)v

 なんとも魅力的な内容ではありませんか。しかしながら、仕事が立て込む金曜日の19時から会がスタートし、翌土曜日が朝9時から出勤だったことから、当初は参加を見送っていました。

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【Photo】テーブルを回り、料理に白トリュフをスライスするジョルジョ。たちまちにして漂い始める強烈な芳香。鼻先で直接香りを嗅がされ理性を失い、皿の上で手を動かし続けるジョルジョに向かって「Non fermarti(=Don't Stop!!」と思わず口を突いて出た。その時、庄イタの目には、白トリュフの官能的な芳香漂う天国へと誘う天使の輪が放つ後光、そして背に生えた羽根の幻影がありありと見えた(... ような気がする。まばゆい後光を発するのは別な理由かも^^)

 ところが12日(金)に急きょ東京出張が入り状況が一変。会の2日前に土田シェフにお願いし、すべり込みで1席確保してもらった次第。予定では、当日はオーナーシェフが駆けつけるとの触れ込みでした。が、やはりというべきか、会の最後まで彼が顔を見せることはありませんでした。

 寒気の流れ込みで厳しい冷え込みとなった仙台を早朝に出発。六本木と神田神保町で都合3件の相手先を回り、夏に仙台で開催を予定している催事に関する打ち合わせを終えたのが5時過ぎ。

 夕闇迫る古本街をしばし物色後、地下鉄で向かったのが銀座。サンダンデロから徒歩で移動可能な東京駅発の最終新幹線で仙台に戻る手筈を組んでいました。

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【Photo】出張先でも小ネタには目ざとく反応。異業種混成チームからなる出張メンバーが、朝の集合場所としたのが、かの六本木ヒルズ。東京メトロ南北線の六本木一丁目駅から徒歩で移動中、路地裏で紛れもない六本木ヒルズと遭遇。モチロン完全スルー(笑)

 サンダンデロの厨房をのぞくと、土田シェフや調理スタッフの傍らでは、今回も蝶ネクタイでビシっとキメたジョルジョがアンティパストの仕込み中。

 入口で手を振る庄イタを認めると、「Chimura サ~ン, Graaaandeeee (グラ~ンデ~ ≒ 素晴らしい)」と感激を露わにして近寄ってきました。

 Grande(=長身な)ジョルジョとの2カ月ぶりの再会を祝し、グランデな男同士、イタリア式にハグで挨拶。ジョルジョの肩越しに目が釘付けとなったのが、直径がゆうに10cm以上はあるグラ~ンデなTartufo bianco(白トリュフ)。

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 「Quanto costa ? (=これはおいくら?)」という庄イタの下世話な質問にジョルジョは一言「Poco, poco. (=安い安い)」 ...てなわけ無かろうと、土田シェフに確認したジョルジョが購入時点で185gだったというトリュフの仕入れ値は、1個 €800!!!
 
 これは日本円換算で¥96,000也。シーズン当初よりは幾分値下がりしたとはいえ、さすがはグラム当たり単価が世界一高い食品といわれるアルバ産白トリュフなのでありました。

 メニューのみご紹介となった今回に続く後編では、Arcangelo Giorgio(=大天使ジョルジョ)とAngelo Tsuchida(=天使ツチダ)の導きにより、庄イタが白トリュフ天国へと昇天した一部始終をご紹介します。

to be continued.

 
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2017/01/15

Compagna di Piemonte = ピエモンテ同窓会 =

旧交を温め、白トリュフに耽溺す

 年が改まり、昨年11月に神奈川県鎌倉市JR大船駅近くの「アトリエキッチン鎌倉」で開催された「白トリュフとピエモンテ料理の夕べ」。

 魅惑的な響きと香り漂う集いの場となったアトリエキッチン鎌倉に揃ったのは、イタリア大使館の書記官や料理研究家など、20名以上の多彩な顔触れ。その中に懐かしい顔もありました。

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【Photo】2006年10月31日の朝。カネッリでの一週間を過ごしたRupestrで同行メンバーとともにセルフタイマー撮影した1枚。10年の時を経て、八巻さん(左から6番目)、ジョルジョ(中央)、西川さん(右から3番目)と庄イタ(左端)が再び集った

 まずはピエモンテ州アスティ県カネッリのアグリツーリズモ「Rupestrルペストゥル」オーナーシェフ、ジョルジョ・チリオ氏。竹灯籠に灯を点す点灯ボランティアを共に行った「宵の竹灯籠まつり」で新潟・村上を案内後、鶴岡を経て翌日仙台駅まで送った2007年10月以来の再会です。

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【Photo】2007年10月。サケが大好物というジョルジョを伴い、宵の竹灯籠まつりの折に訪れたのが新潟県村上市。古風な町屋造りの商家が建ち並ぶ鮭の町・村上をそぞろ歩きしながら立ち寄ったのが「イヨボヤ会館」や、梁と組み柱が4間幅の吹き抜け天井を支える築200年の「吉川酒舗」など。「味匠 喜っ川」で、いつになく神妙な面持ちで、芸術作品のごとき鮭の加工品を試食するジョルジョ。塩引きや酒びたし用に鮭を干している店舗奥に案内すると、両手を広げて感激を露わにした

 今シーズンは白トリュフが不作で量の確保が難しく、例年以上に貴重な白トリュフをピエモンテから携えての来日となりました。

 そして2006年10月末にイタリア・トリノで開催された「テッラ・マードレ2006」と「サローネ・デル・グスト」の取材旅行でご一緒した雑誌「四季の味」前編集長の八巻元子さん、フードライターの沖村かなみさん、盛岡在住の税理士でジョルジョから〝Azzuco アズーコ〟とピエモンテ訛りの(?)ファーストネームで呼ばれる西川温子(あつこ)さん。

piatto2012_04morioka.jpg ジョルジョとのご縁を繋いで下さった西川さんには、仙台圏で29万部を発行する月刊誌Piatto2012年4月号の巻頭特集「春の日帰りトリップ・盛岡女子旅」の地元ナビゲーターとしてご登場頂き、震災後の無事を確認していました(画像左側)

 一方、ジョルジョ、八巻さん、沖村さんとは、イタリアでご一緒した翌年の秋、西川さんも含めて鶴岡「イル・ケッチァーノ」で同窓会よろしく会食しています。

 その時もジョルジョは白トリュフを持参しており、心ゆくまでピエモンテの妙なる香りを満喫できるはずでした。

 ところが、ここで述懐する事件が起きたため、忘れがたい一夜として今も記憶に残るイル・ケッチァーノでのピエモンテ同窓会 第1章を振り返ると...。

 カネッリにある醸造所「Gancia ガンチア」の辛口スプマンテ「Carlo Gancia Metodo Classico Brut(上段左)で乾杯。お任せコース一皿目の定番「ワラサと満月の海の塩」(上段中央)以降は大皿取り分けで魚料理5皿が立て続けに運ばれてきました。

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 続いてパスタ料理3皿・ピザ1枚・アクアパッツァが次々と登場(下画像4点)。こんな大盤振る舞いが続き、肝心の真打ち白トリュフの登場を待ち焦がれるうち、胃袋の物理的な許容量は限界に到達しつつありました。

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 ジョルジョの発案でRupestr滞在中に催されたガラディナーで、テッラ・マードレ2006に招聘された奥田政行シェフが60名を超える参加者にメインディッシュとして提供したのと同じ「庄内牛の牛タン・ゴボウの香りの煮込み」(下段左)に続き、3皿目の肉料理「米沢牛のタリアータ・山ブドウのヴィンコットソース風味」(下段右)が出た後、厨房から「この後ドルチェを召し上がりますか?」とコース終了を意味する打診がありました。

 その問いかけに唖然として顔を見合わせたが、テーブルを囲んだ一同。

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 その頃から料理人としての本分以外に割く時間と労力がキャパを遥かに越え、オーバーワークで極端に疲弊していたオーナーシェフ氏。肝心の白トリュフを使った料理をなんと出し忘れたのです。ガーン....。(0д0!!)

 パサパサの状態で厨房から出てきた店主の様子からも、気力・体力ともに万全ではないことは明らか。悪びれるかのようにエヘヘ...と頭をかくシェフを前にすると、誰もが彼を叱責する気すら萎えてしまったのでした。

 満腹のあまり、ドルチェはおろか締めのカッフェすら、誰もこの夜はオーダーしなかったように記憶しています。この目でジョルジョが厨房に預けるところまでを確認した白トリュフを、私たちは一片たりとも口にすることはできませんでした。Mamma mia !!(=なんてこったい!!

。゚+(。ノдヽ。)゚+。。・゚・(*ノД`*)・゚・。(oTT) piangereeee (TTo)。・゚・(*ノД`*)・゚・。+(。ノдヽ。)゚+。゚

 心ここにあらずで質の低下が顕著となった某店からは次第に足が遠いた一方、涙なくしては語れないよもやの展開で食べ損ねた我が郷里の超高級食材、白トリュフへの思慕は募るばかり。

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 秋のトリュフ狩りシーズンを迎えると、大ぶりな白トリュフを手にした白トリュフの精が、庄イタの夢枕に立つようになりました(上画像 / イメージ図)

 悶々とした日を送る中で、西川さんから今回の企画開催を知らされました。そこに前回〝目の保養だけじゃねぇ...。〟で述べた通り、旧友から送られてきたピエモンテ土産のレシピ本に載った白トリュフのリゾットが、リベンジへと庄イタを駆り立てたのです。いざ鎌倉!

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【Photo】大船駅西口から徒歩3分のアトリエキッチン鎌倉へと向かう道すがら。店の前を流れる柏尾川に架かる電線に留まる鵜(ウ)の群れ。庄イタの目には、ウ長調の「白トリュフ序曲」の譜面であるかのように映った

 庄イタにとっては、期せずして〝ピエモンテ同窓会 第2章〟の場となったアトリエキッチン鎌倉を主宰する和田茂幸さんは、自然豊かな鎌倉市北西部に自家菜園を所有。畑とキッチンスペースを舞台に幅広い世代の食育に資するさまざまな催しを企画・運営しておいでです。

 Facebookを通じ、会費7,000円で事前に提示された白トリュフとピエモンテ料理の夕べのメニューは以下の通り。

 ・前菜:ペペロナータ(パプリカ)など自家製野菜ブルスケッタ3種
 ・チーズ:ロッカベラーノ産山羊のチーズ モスカートのモスタルダ添え
 ・パスタ:タリオリーニ 卵黄と白トリュフ添え
 ・メイン:肉ときのこの煮込み料理
 ・ドルチェ:ビスコッティなど
 ・自家製ワイン3種(シャルドネ、ドルチェット・ダスティ、モスカート・ダスティ)

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【Photo】東の空から昇ってきた晩秋の朝日に輝く朝霧が立ち込めたRupestr のブドウ畑。果樹園なども含めた耕作面積はおよそ3ha。海抜450mの高台にあるブドウ畑から北方に目線を転じた遥か先には、万年雪を頂くヨーロッパアルプスの山並みが連なる

 宿泊客を迎え入れるアグリツーリズモに改装する以前、1994年にブドウの古い品種名を名前にしたレストランとして開業したRupestr。ジョルジョは「ピエモンテの葡萄畑の景観」として2014年にユネスコ世界文化遺産に登録された地元カネッリの大手ワイナリー「Gancia ガンチア」で醸造の仕事に就いていました。

 自家製ヴィーノほか、フルーツのシロップ漬け「モスタルダ」、イタリアンパセリ・オリーブオイル・アンチョヴィなどで作るピエモンテ風ソース「バニェット・ヴェルデ」など、Rupestr製瓶詰め食品も当日は購入可とのご案内でした。とはいえ、何につけ段取り通りには物事が進まないのがイタリアです。

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 またも短命政権に終わったレンツィ元首相が推し進めた民営化が思うように捗らないイタリアの郵政公社Posteitaliane の国際郵便でカネッリから発送した販売用の荷物は指定通りの期日に届かずじまい。

 よって、Rupestr 滞在時、美味しさに刮目した微発泡性でほんのり甘いマスカット風味の「Moscato d'Asti モスカート・ダスティ」(上右側)を購入しようという目論見は、こうしてあえなく水泡に帰したのでした。Mamma mia !!!

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 一度や二度、計画が狂った程度で凹んでいては、飛びぬけて陽気なジョルジョがそうであるように、筋書きのないドラマが日常となるイタリアでは生きてゆけません。

 気を取り直し、白トリュフとピエモンテ料理の夕べの模様をさっくりとご紹介しましょう。

【Photo】夢か現(うつつ)か幻か。幾度となく夢枕に立った白トリュフの精が、庄イタの眼前に現る!!の図。概して内省的な人が多いといわれるPiemontese(=ピエモンテ人)らしからぬジョルジョ。突き抜けた陽気さから、Napoletano(=ナポリ人)に勘違いされるばかりか、そのウェット感が皆無の明朗快活さゆえ、Americano(=アメリカ人)ともいわれるのだとか(苦笑)

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 開始時刻まで幾分か早めに到着したアトリエキッチン鎌倉では、ジョルジョや八巻さんらが仕込みの真っ最中(上画像)

 自ら栽培した白ブドウ「シャルドネ」のみを使用し、数年前にRupestrの地下に完成させた醸造施設で醸すジョルジョとはおよそイメージがかけ離れた(笑)エレガントでスッキリした印象のヴィーノ・ビアンコでまずは乾杯。

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 蝶ネクタイ姿でビシっと決めたジョルジョが、冒頭にゆる~く挨拶。立食形式で肩が凝らないカジュアルな雰囲気のもとで会合はスタートしました。

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 少し熟成させた山羊乳チーズ「ロビオラ・ディ・ロッカヴェラーノ」、ズッキーニやパプリカのブルスケッタ、黒ダイコンなど鎌倉産西洋野菜のバーニャカウダ、鶏肉のキノコソース煮込など、ジョルジョがマンマのクリスティーナから受け継いだ優しい味付けがなされたお手製料理が皿盛りで登場。

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 うやうやしくジョルジョが取り出した白トリュフは、卵と白トリュフを練り込んだピエモンテの乾燥パスタ「Tajarin タヤリン」に混ぜ込んでの提供となりました(下画像)

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 本来はスライサーで白トリュフを目の前でシュリシュリしてもらい、料理にかけてもらうのが最もトリュフの香りが立つ食べ方です。今季はシーズン当初から白トリュフが不作のため価格が高騰。量の確保が困難だったため、あまねく参加者に白トリュフを楽しんでもらおうというジョルジョの配慮です。

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 それでもお代わりを所望した参加者には2皿目が行き渡る量は用意されていました。古代ローマに起源が遡るというレディ・ファーストを流儀とする庄イタは、最後に鍋にこびりついた残りをパンですくって食べるピエモンテ式食べ方を実践(上画像)

 次に予定にはなかった料理が登場。加熱すると甘味が出るポロネギ(リーキ)の旨味がジンワリ広がるリゾットです(下画像)。滋味深く優しいジョルジョの味付けに、ピエモンテ滞在中、我が家代わりに温かく迎え入れてくれたRupestrで過ごした日々が蘇ります。

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 前稿でご紹介した旧友から送られてきたRiso Gallo社発行のレシピ本101 Risotti dei migliori ristoranti del mondo.(=世界の至高のレストランのリゾット101皿)に推挙したいリゾットに続く〆のドルチェは、モスタルダが付け合わされたピエモンテの素朴な焼き菓子2種類とパンナコッタ(下画像)

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 Rupestr 滞在中、道案内をしている自覚があるのかないのか、どこへ向かうにもジョルジョは猛スピードで先導するのが常。遅れを取ってはならじと大型ワゴン車でタイヤを鳴らしつつ爆走しなくてはなりませんでした。

 時として立ち込める濃霧で前方の視界が悪い中、車酔いとも戦っていたはずの同乗者を含め、強いられる緊張から解放されたのがRupestrでジョルジョが用意する食事だったのです。

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【Photo】(左から)料理研究家の山内千夏さん、今回も元気いっぱいだったジョルジョ、同窓会メンバーの西川温子さん、同じく沖村かなみさん、同じく八巻元子さん、庄イタ

 前世の記憶を呼び覚ます白トリュフとジョルジョの手料理で、郷里への里心がむしろ募った感すらあったこの集い。年が改まってから、自分はなんと果報者なのだろうと実感した後日談がありました。それはまたいずれ。

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2017/01/06

目の保養だけじゃねぇ...。

夢か現(うつつ)か幻の食材か

 2017年の第一弾は、酉年の幕開けを告げるイタリア語で雄鶏を意味するGallo(ガッロ)にちなんだ話題から。

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【Photo】籠の鳥状態に置かれた禁断症状を和らげてくれたブラ土産。ブラ中心部、ポレンツォ通りにある菓子店兼サードウェーブ系カフェ「Bottega delle Delizie ボッテーガ・デッレ・デリツィ」のチョコレート3種。(Photo上下とも時計回りに)特産のヘーゼルナッツのクリームを約30%の割合でチョコレートに配合した「ジャンドゥーヤ」、ヘーゼルナッツクリームの割合が多い「ノチオーラ」、定番のアーモンドではなくピエモンテではへーゼルナッツを使うヌガー「トロンチーノ」をそれぞれチョコでコーティング

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 心地よい香りと希少性ゆえに高値を呼ぶ白トリュフが旬を迎えた(9月中旬~12月中旬ごろ)さなかにピエモンテ州クーネオ県Bra ブラ周辺と、ミラノおよびロンバルディア州北部の湖水地方を11日間に渡って訪れた学生時代の旧友から、ピエモンテ菓子とともに一冊の本が送られてきました。【下画像】

 見るべき場所、食べるべき店、飲むべきヴィーノに関して事前に情報提供をしたお返しに気を使ってくれたのです。ありがたや、ありがたや。

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Guida Gallo 9a edizione  101 Risotti dei migliori ristoranti del mondo.

 手元に届いたのは、リゾットを主力とする加工食品メーカーRiso Gallo社が、2013年に9版目として発行したリゾットのレシピ本です。

 同社はアドリア海の女王として君臨したヴェネツィア共和国と地中海交易の覇権を競った歴史に彩られたジェノヴァで創業。海洋交易に活路を見いだした都市国家の気風そのままに1856年の当初より南米市場を開拓。

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 1926年には稲作が盛んなロンバルディア州パヴィーア県に本拠地を移転。イタリア産米を中心とする多彩な商品を取り揃える食品メーカーとして経営規模を拡大し、今日に至っています。

【Photo】リーゾ・ガッロ社の商品ラインナップの中では、リゾットに最適なリセルヴァ・ガッロ・リーゾ・カルナローリ

 このレシピ本で紹介されているのが、イタリア全土から選りすぐったリストランテ50軒と世界各国から厳選した51軒のイタリアンレストランで提供する101のリゾット。

 4日間のピエモンテ滞在中、誕生日を迎えた友人に、Fossano フォッサーノで連泊したホテルから贈られたのだといいます。

 各レストランとシェフのプロフィール紹介が、イタリア語と英語で併記され、巻末にリゾットのRicette(レシピ)が記載される構成になっています。

 紹介されるリゾットは、どれも美味しそう。とりわけ庄イタの唾液腺を制御不能にしたのが、Risotto alla Nocciola Tonda Gentile delle Langhe IGP, Araguani in purezza e tartufo bianco. (ピエモンテ州南部ランゲ丘陵で産出する最高級ヘーゼルナッツ「トンダ・ジェンティーレ」のリゾット・ベネズエラ産ピュアチョコレート「アラグアニ」と白トリュフ風味)【下画像】

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 こちらはヴァッレ・ダオスタ特別自治州出身のシェフ、ミルコ・ザーゴ氏のスペチャリテ。イタリア名誉市民権を有する若かりし頃のロバート・デ・ニーロを碧眼にしたような風貌の持ち主です。

 プーチン大統領も常連だというロシア・モスクワのリストランテ「Syr」が2001年にオープンした当初から厨房を任されているザーゴ氏の料理人としての原点はピエモンテ料理。

 ナッツ系のフレーバーとタナロ川沿いの石灰質土壌由来のミネラリーさが特徴となるヴィーノ・ビアンコ「Roero Arneis ロエロ・アルネイス」を冷やし過ぎずに大きめのグラスで合わせたいこの一皿。ランゲ地方の伝統食材を惜しげもなく使用した逸品です。

 記載されたレシピ(4人分)をざっとおさらいすると...。

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 1.トンダ・ジェンティーレ【上画像】(400g)を1,200mℓの鶏のブロードに3時間浸す
 2.軽く炒めたカルナローリ米(240g)バター(40g)バニラビーンズ(少量)をブロード
   で加熱

 3.白ワイン「ロエロ・アルネイス」(40mℓ)を加え、乳化してとろみが出たら火を止める
 4.白ワイン(ないしはブドウの搾りかす)を塗り込んで熟成させたテストゥンチーズ
   (60g)、バター(40g)と塩コショウ(適量)で味を整える

 5.ヘーゼルナッツペースト(12g)と同量のピュアカカオで風味付け
 6.懐事情が許す限り、破産しない程度に白トリュフを思う存分にスライス!!

 こんなレシピの記載内容から完成形の味を想像するだけでも幸せな気持ちになる料理です。

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 ページをめくっていくと、Isola d'Asti イゾラ・ダスティ「Il Cascinalenuovo イル・カシナーレヌオーヴォ」【上画像】や、Canelli カネッリ「San Marco サン・マルコ」【下画像】など、庄イタが訪れたピエモンテ州のリストランテも料理とともに登場します。

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 スローフード協会が隔年で開催、東北から生産者や料理人が参加した「テッラ・マードレ」と「サローネ・デル・グスト」の取材で、2006年に訪伊した際〈2007.6拙稿「Terra Madre テッラ・マードレに参加して」「Salone del Gusto サローネ・デル・グスト体感レポート」参照〉、ご一緒した懐かしいメンバーと再会する機会が、ちょうど10年の時を経て巡ってきました。

 それは、神奈川県鎌倉のJR大船駅近くにある「アトリエキッチン鎌倉」で催された「白トリュフとピエモンテ料理の夕べ」と題された会合でのこと。

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 目の保養となるレシピ本を眺めてヨダレをダダ漏れさせるだけや、同行が特別に許されたトリュフ狩り【上・下画像】の記憶の糸をたぐり寄せ、白トリュフの香りを反芻する白日夢に溺れるだけでは到底気が済みません。

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 夢を現(うつつ)とすべく、白トリュフの芳香に誘われて〝いざ鎌倉〟とばかりに馳せ参じた当日の模様は、次回さっくりとレポートします。

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2016/12/18

神ってる(?) 聖地巡礼

2016 年末恒例            
庄イタ的流行語大賞はこんなカンジ。


 毎年12月1日に発表される今年の新語・流行語大賞にエントリーされた2016ベスト10の中で、庄イタが最も注目したのがイタリア語の「アモーレ」。

 サッカー・セリエAの名門クラブ「インテルナツィオナーレ・ミラノ」所属で、日本代表チームのDF長友佑都選手が、会見で交際相手の女優平愛梨さんを指して呼んだ表現です。

via_amore.jpg【Photo】ロケ地:愛と幸福が天から降ってくるアモーレの国イタリア。リグーリア州の世界遺産「Cinque Terre チンクエ・テッレ」を構成する五つのコムーネ(村)のうち、Monterosso モンテロッソとRiomaggiore リオマッジョーレ間約1kmが絶景のハイライトとなる全12kmの遊歩道「Via dell'Amore (=愛の小道)」。恋が成就する恋人たちの聖地に出没した挙動不審者

 よほど清廉潔白な聖人君子だと自らを勘違いしているのでしょう。寄ってたかって建前論を振りかざし、芸能人のプライベートに関し、連日のごとくゲス不倫と称して集団ヒステリー的に騒ぎ立てた週刊誌やテレビのあまりの低俗ぶりには心底うんざり。そんな今年上半期の芸能ニュースで、一服の清涼剤となった言葉でありました。

 長友選手が説明した通り、Amoreは、イタリア人が日常会話において頻繁に使う単語です。広く愛情を意味する言葉であり、それは時に恋人や夫婦間で使われる呼称であり、我が子やペットなどの愛おしい対象を指す美しい響きを持った言葉でもあります。

antonio_canova_amore_psiche-001.jpg【Photo】 ヴェネト州内陸北部のポッサーニョで生まれ、ヴェネツィアとローマで活躍した彫刻家アントニオ・カノーヴァ(1757-1822)。代表作の一つがギリシャ神話に題材をとった「Amore e Psiche アモーレ・エ・ プシュケ」。絶世の美女プシュケは美の神アフロディーテの嫉妬を買い、息子のアモーレに鉛の矢で射るよう命じるも、彼は美しい彼女に恋をしてしまう。翼を持つ神アモーレとの叶わぬ恋に身をやつした挙句、愛に殉じて永遠の眠りについたプシュケは、アモーレのキスで蘇り、結ばれる(ルーヴル美術館蔵)

 自己紹介プロフィールでも述べている通り、庄イタは野球には関心薄です。東北楽天ゴールデンイーグルスのホームスタジアムに行くのは、付き合いで1シーズンに数回だけ。しかもその目的は野球観戦ではなく「緑のイスキア」のナポリピッツァなのです。行ったら行ったで、ピッツァイヨーロの庄司建人さんからは「おや、珍しい~」と言われる始末。

joker-carte.jpg ゆえにリーグ制覇を果たした広島東洋カープの緒方監督が発信源となったという初耳の「神ってる」が年間大賞に選出されたのは、意外であり、改めてジャッポネーズィは野球が好きなのだと実感しました。

 一昨年、一世を風靡した日本エレキテル連合や、昨年ブレイクしたとにかく明るい安村などのように、恐らくは一過性になるであろう「PPAP」や、受賞者は辞退せず、胸を張って出てきて説明責任を果たしてほしかった「盛り土」、米大統領選での二者択一のババ抜きで、よもやのJOKERを引いてしまった格好の「トランプ現象」など、今年の世相を反映した言葉がベスト10入り。
 
 その中では、「千と千尋の神隠し」以来、邦画としては15年ぶりに興行収入200億円超のメガヒットとなった「君の名は。」に登場する舞台を訪れる「聖地巡礼」が社会現象化。若年層を中心に影響力は今だ衰えを知りません。

【Movie】 ©2016「君の名は。」製作委員会

 夢で体が入れ替わった高校生の男女が繰り広げる奇蹟の物語を、リリシズム溢れる透明感のある美しい映像で綴るこの作品。その舞台となった岐阜県飛騨や東京都内各所、そして秋田内陸縦貫鉄道の無人駅「前田南駅」は、訪れる巡礼者で賑わっているのだとか。

 映画で流れる劇中曲「前前前世」に反応したのが前世イタリア人。庄イタも時流に乗り遅れまいと、このファンタジーを9月に鑑賞しました。

 8割以上が20代と思われる観客で、ほぼほぼ劇場は満席。いささかアウェー感を味わいつつも、彗星が糸守へと降ってくるオープニングから運命の糸をたぐり寄せ、時空を超えて出逢う二人に自らの青春時代を重ね、キュンキュンしてしまう昭和世代なのでありました。

。.:*(*゚∀゚)*:.。.. tuo nome ..。.:*♡*:.。 your name ..。.:*(゚∀゚*)*:.。


bio-napule1.jpg【Photo】「アミーコ・ビオ・エ・ナプレ」Dランチ(3,200円)よりアンティパスティ・ミスティ/(右上から時計回りに)カポナータ・ペペロナータ・サラメミラネーゼ・コッパ・海老のクスクスサフラン風味・鯛のカルパッチョ・自社農園産カルチョフィのオイル漬け。Vine della Casa(ハウスワイン)はグラスで白をオーダー

 話は変わって、先月、泊りがけで鎌倉と横浜に出向く用事がありました(いずれも後日レポート予定)。池袋で昼時を迎えた翌日のランチは都内百貨店最大級の46店舗が集うレストラン街へとリニューアルした池袋東武百貨店の「SPICE スパイス」11F「Amico Bio e Napule アミーコ・ビオ・エ・ナプレ」へ。

bio-napule2.jpg【Photo】プリモピアット/ ピッツァ・マルゲリータ(Sサイズ)

 このピッツェリアは、南青山の名店「Antica Pizzeria e Trattoria Napule ナプレ」が、千葉県八街市(やちまたし)に所有する自家農園で栽培する野菜のほか生地に使用するMolino Grassi モリーノ・グラッシ製の小麦粉まで、オーガニックをテーマとして今年2月にオープンさせた店です。

bio-napule3.jpg【Photo】セコンドピアット/ 鶏腿肉の煮込みレモンクリームソース風味

 エスカレーターで11Fへとフロアを上がってゆく途中、6Fリビング用品フロアで「日本橋木屋」の研ぎ師が実演販売をしていました。ドイツで購入し、長く愛用した モリブデンバナジウム鋼製の包丁が、研いでも切れ味が戻らなくなったため、代替えに炭素鋼の包丁を探していたのです。

 日本橋木屋を訪れた外国人観光客が、切れ味の良い鋼(はがね)製の包丁や爪切りをこぞって買い求めているのだという昨今。それは、前世イタリア人にとっても渡りに船の展開に他ならないのでありました。

 木屋の包丁を取り扱う仙台の百貨店でも木屋の研ぎ師への刃研ぎ発注が可能だというので、即断即決。トマトの切れ味が悪くなったら、研ぎに出す潮時なのだといいます。

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 2フロア上の催事場では、山形物産展が開催されており、隣県の見知った産品が並んでいました。ざっと売り場を見渡すと、そこには馴染み深いお二人がおいででした。ちょっとしたイタズラが実は大好きな庄イタ。そっと背後から近寄ってゆきました。

 英語・イタリア語以上にヒアリングに関しては9割以上を理解する庄内弁を封印。山形県内でありながら、庄内とは異郷と呼んで差し支えない山形内陸のイントネーションで、試食用に小分けした特別栽培米つや姫を来店客に振る舞っていた男性に庄内ビギナーを装って話しかけました。

「この庄内のコメ、うめんだべが?(=美味しいのですか?)」

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 珍客の登場に目を丸くしたのが、旧知の間柄である鶴岡・「井上農場」代表の井上馨さん。その隣には奥様の悦さんもご一緒でした(上画像)〈2015.5拙稿「神通力ふたたび!? 鶴岡 後編~東京八丁堀・てんぷら小野@山形 鶴岡・井上農場」参照〉

 予想だにしない池袋での邂逅にはお互いビックリ。井上農場を取り上げた前回レポート「神通力ふたたび!?~鶴岡前・後編」 で引きの強さを発揮した庄イタですが、今回も神ってる超能力を実証した格好となりました。

 春先にお邪魔して以来、ご無沙汰していたご夫妻に「そのうち伺います」と申し上げ、レストランフロア11Fへと移動したのでした。

。.:*(*゚∀゚)*:.。.. incredibile ..。.:*!!*:.。 bikkuri pon ..。.:*(゚∀゚*)*:.。


 井上さんとの漠然とした約束を果たす日が訪れたのは、それから2週間後の12月初旬。平田赤ネギ〈2007.9拙稿「平田の赤ねぎ」参照〉が美味しくなる季節となり、山伏ポーク〈2014.7拙稿「山伏ポーク」参照〉、そして井上農場のジューシー小松菜を取り揃え、仙台で購入可能な石巻・十三浜ワカメを含め、最強豚しゃぶの具材調達に伺ったのです。

 並外れた餅の食味を知ったが最後、ほかでは満足がゆかぬのが「本女鶴」です〈2012.10拙稿「酒田女鶴と本女鶴 女鶴餅をおいて餅を語るなかれ」参照〉。生産者である酒田市布目の堀芳郎さんのもとを訪れ、希少な糯米を譲って頂くのも外せないミッションでした。

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 冬型の気圧配置による北西の季節風で発生する雪雲のヴェールで山腹を覆われることが多い鳥海山が、その日は珍しく全容を見せていました。伺った堀さん宅で糯米を3kg購入させて頂き(上画像)、今回の庄内訪問の主要目的の一つをクリア。母が此岸から旅立った今年は喪中のため正月祝いはできませんが、新たな年を迎える準備はできました。

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 堀さん宅へと向かう時間帯と重なった日没を挟んで目の当たりにしたのが、表情の異なる出羽富士の姿です。地平線に沈もうとする夕陽に照らされた赤富士(上画像)と、その後のブルーグレーの空に浮かび上がる純白の雪を頂く山肌のコントラストからなる青富士(下画像)は、もうすっかり冬の装い。

 国内有数の渡り鳥の越冬地となっている最上川河口の塒(ねぐら)に向かってゆくのは、V字型の編隊を組んだオオオハクチョウたち。時おり鳴き声を上げながら西の空へ飛んでゆきます。

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 岩ガキ目当ての7月と、シーズン最後のブドウ狩りに出向いた10月の庄内訪問時には太田政宏グランシェフの料理を食べたくて「L'Oasis ロアジス」を訪れました。〈2014.1拙稿「新春縁起藤沢カブ~年忘れ恒例食べ納め@酒田L'Oasis ロアジス」参照〉久方ぶりに酒田に投宿した今回は、JR酒田駅前の「ル・ポットフー」へ。

 全国の食通・各界の著名人から最大限の賛辞を贈られた〝フランス風郷土料理〟という新機軸を太田シェフと佐藤久一(1930~1997)が二人三脚で打ち立てたル・ポットフーは、久一が吟味した調度品が随所に散りばめられ、伝統と風格を漂わせています〈2008.3拙稿「佐藤 久一さんのこと 〈前編〉世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男の物語」参照〉

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 1975年(昭和50)に開業して以来、数々の伝説を生んだ厨房に立つのが、太田シェフの愛弟子である加藤忍シェフ。食の都庄内ならではの吟味した素材を活かす加藤シェフの味付けは庄イタ好みです。週末でほぼ満席の賑わいだった今回、ディナーで注文したのが7,500円のコース。

 アミューズのカナッペに続いてソムリエの小松俊一さんが「お箸でどうぞ」と運んできたのが、本日のオードブル「スズキとイクラのカルパッチョ風」(上画像)

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 魚料理がいつも美味しい店ですが、特にピカイチだったのが、香ばしい焼き目の入った真鯛と舞茸の香りがベストマッチだった「真鯛のキノコソース風味」(上画像)。食感の異なる3つの部位を味わえた「だだちゃ豆で育った羽黒綿羊のワイン煮込み」(下画像)では、サフォーク羊の生産者である丸山光平さんの顔が浮かぶのでした。

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 19年前のジャスコ撤退と昭和40年代に竣工したビルの老朽化による再開発計画が2度頓挫している酒田駅前。2018年に着工、2021年3月の竣工を目指す事業計画に伴い、現在の店は姿を消します。

 以前に話を伺った小松さんによれば、活かせる部材は可能な限り新店に移す予定なのだそう。

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【Photo】伝説の男・佐藤久一の審美眼で選び抜いたルポットフーの内装。地中海クルーズの客船をイメージしたメインダイニングに対し、厨房に面した「ル・シャトー」(上画像)と「ラ・スフレ」の2つの個室の壁面は、淡いグリーン地に銀白色の小鳥や草花の図柄

 出生が酒田の銘酒「初孫」改名の由来となり、映画評論家の淀川長治が世界一の映画館と評した「グリーンハウス」の若き支配人として、後半生は料理で人を幸福にすることに情熱を燃やし続けた不世出の男。その夢の結晶が、原型を留めるうちに事情が許す限り足を運びたいと願う庄イタなのです。

。.:*(*゚∀゚)*:.。.. buonisshimo ..。.:* φ(*^^*)ψ*:.。umecheno ..。.:*(゚∀゚*)*:.。


 前日に続き穏やかな天候に恵まれた翌朝は、鳥海山の伏流水が川となって流れる牛渡川へ。その目的はサケの調達です。お酒じゃありません、鮭です。(日本酒は別途「木川屋山居店」に立ち寄り、大吟醸と純米&本醸造を、おおよそ2:8の割合で混醸する買い得感満載の限定品「上喜元 翁」(1800mℓ 2,160円)を購入)

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【Photo】箕輪鮭採捕場から歩いて3分。途中に堰があるため、杉林に囲まれた中流域の流れは一見したところ緩慢な牛渡川。川岸の随所から水が湧き出している

 産卵のため牛渡川に遡上してくる1万~2万尾のサケを捕獲し、孵化・放流を行う箕輪鮭採捕場では、10月から12月の漁期に捕獲したオス鮭の風干しやトバを購入することができます。

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【Photo】箕輪鮭採捕場の目の前を流れる牛渡川下流。同じ場所を幾度も行き来し、身を横たえながら動かして川底に産卵用の凹みをつくろうとするメス。その横をオスが離れない

 新潟村上〈2007.11拙稿「鮭のまち村上」参照〉と同じく、河口からほど近い遊佐町箕輪。清らかな鳥海山の伏流水の川を遡上して禊(みそぎ)を済ませたサケは、魚体のダメージがなく沖捕りのサケと比べても味に遜色はありません。

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 採捕場の駐車場には地元庄内はもちろん、秋田ナンバーの車も。1尾1,000円で直売する捕獲したてのオス鮭と同様、売れ行きの良さを物語るかのように、この日はまだ風干しが足りないオス鮭しかなかったため、持ち帰って追熟させるべく生乾きを1尾3,000円で購入したのでした。

 池そのものがご神体として地元では篤い信仰の対象となっているのが、採捕場裏手にある「丸池様」。エメラルドグリーンに輝く湧水だけでできている池を訪れてから、久しぶりに牛渡川に沿って歩いてみました。

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 師走に入ったものの、日差しが温かく感じられたこの日。まだ秋の名残のトンボが飛んでいました。バイカモが自生する清流の上流から流されてきたのが、流れが穏やかな堰の上流部に産卵しようとして失敗したのでしょうか、羽根を動かして脱出しようともがく一匹のトンボ(下動画)

 鳥海山の水の恵みはサケだけではなく、さまざまな生態系を育む命の源になっているのです。一日一善。どれほど命を長らえるのかはわかりませんが、枯れススキの穂を差し出してトンボを救出。羽根が乾くよう日の当たる場所に置いて立ち去ったのでした。

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【Photo】箕輪鮭採捕場の裏手には、1976年(昭和51)に建立された鮭慰霊塔がある。サケ漁が終わる毎年2月、慰霊祭を執り行う石塔に鳥海山と風干されるサケが映り込んでいた

。.:* ((((° (>*:.。.. metempsicosi 。.:*ミ☆彡 *:.。rinne-tensho..。.:* <)°))))*:.。


 そして向かったのが「胴腹滝」。町内各所に鳥海の水の恵みが湧き出す地元・遊佐(ゆざ)では「どうっぱら」と呼ばれる庄内屈指の名水です。

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 人の身体を守護する子安大聖不動明王を本尊とする胴腹滝不動堂のお社を挟み、左右2筋の伏流水が岩場の中腹から滝となって湧き出しています(上画像)。湧出地点から水場まで直接引かれた水を求め、この朝も訪れる人が引きも切らず。

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 湧出地点が左右並んでいながら、飲み口が異なる胴腹滝。水場に居合わせた4人の人と言葉を交わしましたが、左右好みや用途は人ぞれぞれ。庄イタは右側の軟らかい口当たり水をいつも汲むのですが、今回は左側のキリっとしたミネラリーな印象の水も汲み、料理やコーヒーなど用途に合わせて使うことにしました。

 3,4年前に駐車場が整備されたほか、今回驚いたのが、工事現場で使われる手押しの一輪車(ネコ車)まで設置されていたこと(下画像)。これで鬱蒼とした杉林の中に延びるおよそ100mの道のりをズシリと重いポリタンクを抱えて往復する難行苦行の必要がなくなりました。

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 胴腹滝が下流で合流するのが月光川(がっこうがわ)。鳥海山を間近に仰ぐ遊佐町を流れるこの清流には、映画「おくりびと Departures」が公開された2008年(平成20)から数年の間、聖地巡礼を先取りをした格好で多くの人が訪れた場所があります。

【Movie】 ©2008「おくりびと」製作委員会
 
 アカデミー外国語映画賞を筆頭に、日本アカデミー賞の最優秀作品賞などの10部門ほか、2008年の映画賞を総なめにした感があった映画公開から8年。本木雅弘さん演じる納棺師、小林大悟が劇中で、鳥海山を背景にチェロを演奏した堤防には、現在も一脚の椅子が置いてあります。

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 庄イタ以外にも30代前半と思われ数名が、庄イタに遅れること数分後にやって来ました。庄内各地の美しい風景を四季それぞれに散りばめつつ、死を、つまりは生命の尊厳というテーマを描いたおくりびと。ひと頃のブームは去っても、人々の記憶から忘れ去られることはないのでしょう。

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 映画では川を遡上するサケを大悟が見つめるシーンが撮影された旧朝日橋。そこに立って月光川を見下ろすと、4~5年後にこの川へ戻ってくるかもしれない子孫を残すという最後の使命を果たすべく、傷ついて白化した魚体に鞭打って産卵場所を求め上流に向かわんとするサケの姿がありました(上画像)

 その上流には、すでに命脈が尽き果てた2匹のサケが、川岸に身を横たえています(下画像)。その遺骸は冬を越し、孵化した稚魚の餌となります。

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 母なる川への遡上を始める直前から一切エサを食べなくなるというサケとは違い、人は命ある限り、泣く子と空腹には勝てないのが運命(さだめ)。

 上質な脂が乗ったノドグロ炙り(⇒香り高く絶品!)・甘味とコクが堪能できるマハギの肝和え・甘エビよりも旨味が強いガサエビなど、全10貫「旬のおまかせ握り」(税込3,240円)に舌鼓を打った酒田「こい勢」に出向く前、遊佐町パレス舞鶴で開催していた「遊佐町フードフェスタ2016」会場に立ち寄って試食できたのが、高級魚「メジカ」の握り(下右画像)

 主にオホーツク海の定置網で捕獲されるシロザケのうち、およそ10,000分の1の割合でしか捕獲されず、超高値で取引されるのが鮭児です。次いで高値を呼ぶのが、1,000匹に1匹いるかどうかという希少なメジカ

 その母川となる月光川の支流である牛渡川で孵化・放流を現在実施しているのが箕輪、滝淵川の枡川、高瀬川の各漁業組合です。秋から冬場にサケ漁を行う半農半漁の組合員が、個体の識別番号をつけて放流したサケの稚魚は、日本海を北上し北海道からべーリング海域まで旅をします。

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 鼻先に目が寄っていることから目近(メジカ)の名で呼ばるこの魚。1か月~2か月後に産卵を控え、たっぷりと栄養を蓄えて生まれ故郷の川に南下を始める前に捕獲されるため、キメ細やかな身には良質な脂が乗っています。クロマグロの中トロにも似た美味は、刺身で食するのが一番。

 今回、縷々ご紹介した庄イタにとっての聖地巡礼は、流行語大賞に選出されるような移ろいやすい一過性のものではありません。

 映画「君の名は。」の主人公・立花瀧の声を演じた神木隆之介さんと同じ誕生日の庄イタも、映画冒頭で流れる瀧のモノローグと同様、これからも、ただずっと何かを、誰かを探してゆくのでしょう。

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2016/05/22

余は如何にしてバッカス信徒となりし乎

Road to バッカス @カラヴァッジョ展


 幼少期から水で薄めたヴィーノを体内に摂取することが珍しくないイタリア人は、自身のアルコール摂取に関する限界を知悉しているため、人前で泥酔する醜態を晒すことがありません。

 そんな前世における幼児体験のおかげか、庄イタは常に品行方正な飲み方を心掛けています。とはいうものの、過去において脛にキズがないわけではありません。

 東京支社勤務時代、JR市ヶ谷駅のすぐ目の前にあった越前料理店「みくに」を会場に、現在は合併により社名が無くなった某大手広告会社と全国各地の新聞社有志による宴席が例年12月に開催されていました。

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【Photo】〝百薬の長〟は楽しく適量を。和らぎ水も忘れずに。週に2日は休肝日。以上、自戒の意味を込めて。(本文と画像は関係ありません)

 そこでは大杯に注がれた日本酒を飲み干す儀式が恒例化しており、座の盛り上がりとともに、清酒+ビール、そこに+刺身のワサビ醤油、さらに+その他モロモロが加わり、正体不明の特製日本酒カクテルと化してゆくのでした。

 ゆえに悪酔い必至ゆえ、参加するブロック紙・地方紙業界では知らぬ人の無かったこの酒席。初参加した転勤1年目は、猫をかぶっていたために大過なく乗り切ったものの、標的となった2年目は翌朝出社できない羽目に。その反省から自分なりにコツとペースをつかんだつもりの3年目。事件は起きました。

 陶酔の極みへと至るディオニューソス的な盛り上がりは例年通り。被弾多数で撃沈は免れるも、したたか呑んでお開きとなりました。店の出口付近では、「次の店行くぞo(`・д・´)ノ━!!」的な雄叫びが響き渡っていましたが、奈落の底への誘いには応じない理性は働いていました。

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【Photo】酒神ディオニューソス(バッカス)とヘラクレスの酒豪ぶりを寓意化した1世紀頃のモザイク。カエサルやアウグストゥスの時代、対立するパルティア帝国への前線都市として、東地中海地域最大のローマ属州都市として栄えたアンティオキア(現トルコ南部アンタキヤ)。AD526 に発生した大地震で大打撃を受け衰退した都市の屋敷跡より出土した(本文と画像は関係ありません)

 当時、社宅があったJR常磐線松戸駅に向かうべく、背後の絶叫を振り払うように、市谷見附の横断歩道を急ぎ渡り終えました。そしてJR市ヶ谷駅の改札を通過した時、勝利を確信したのです。

 「ムフフ...。今年は昨年よりは飲んでないぞ

 市ヶ谷から4駅目の秋葉原、そしてJR山手線日暮里駅で乗り換えるため、JR総武線の各駅停車電車に乗り込んだのが、夜9時過ぎ(路線図参照)

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 ところが暖房が入った車内で酔いが回ったのでしょう。家路について安心したのも手伝い、吊革につかまったまま、知らぬうちにzzz...。ふと我に返ったのが、乗り換えるつもりだった秋葉原を14駅も通り過ぎた先の津田沼の手前。

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 「emoticon.jpg あ゛ーっ、乗り過ごした!

 かくなる上は、作戦変更。西船橋まで3駅ほど戻り、JR武蔵野線で5つ目の新松戸駅へ向かい、JR常磐線上り電車で3つ戻って松戸を目指そうと、津田沼駅で慌てて電車を降りました。

 総武線上り電車に乗り換え、西船橋駅で電車を降り、階段で武蔵野線ホームに移動。5分間隔で運行する総武線ほどは運転本数が多くはない武蔵野線ゆえ、間隔が10分以上空いていたはず。電車を待つ間、ベンチに腰掛けると再び睡魔が襲ったのです。

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 ...zzzz。そのままどれほど時間が経過したのでしょう。なかば意識が朦朧としつつも、覚醒した庄イタが乗り込んだ武蔵野線上り電車。5つ目の新松戸で乗り換えをするはずが、空いていた座席に腰掛けてしまったことで、さらに深手を負う羽目に。

 電車に揺られるうち、意識は遠のき、再び夢の世界へ。zzzzz...。トロイメライの幻聴とオーバーラップして耳に届いた車内アナウンスに促されるように目覚めたのが、終点の府中本町駅の手前。

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 西船橋から乗車して間もなく眠りにつき、新松戸で常磐線に乗り換えることなく、なんと1時間あまりをかけて関東平野を半周していたのです。そこは目指すべき松戸とは正反対の方向(上路線図参照)

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 「マンマ・ミーア!!

 もはや酔いも醒めた頭で、「やれやれ、下り電車に乗り換えて新松戸経由なら、1時間30分ほどで松戸まで戻れるかしらん」と思ったのも束の間。

 日付が変わって零時半近くに府中本町を出る下り最終電車は、わずか5つ先の東所沢駅止まりであるという冷酷な事実を車内アナウンスは告げていました。

 「オー・マイ・ガーっ!!!

【Photo】 Skrik/ The Scream by Edvard Munch,ムンク(1863-1944)「叫び」1893年 (本文と画像は関係ありません)

 朝が来れば、また出勤せねばなりません。窮地に立たされた庄イタに残された道は、少しでも家の近くまで電車で戻り、訪れたこともない東所沢から深夜タクシーに乗るしかないのでした。

 総武線の吊革、そして西船橋駅のベンチ(⇒この滞留時間が最長だった)、さらに武蔵野線の座席で、都合3時間近くも睡眠をとったため、これっぽっちも眠くありません(笑)。財布の中を確認し、所持金で社宅まで戻れるであろうことを確認。わずかな乗客を乗せた最終電車に揺られること20分にも満たない小さな旅はあっけなく終了。

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【Photo】栴檀は双葉より芳しというべきか。どう見ても成人年齢に達していないバッカス神。下から出しながら葡萄酒をグビグビ飲み続ける秘技はさすが酩酊の神 Bacco che beve / Drinking Bacchus by Guido Reni, ボローニャ派のグイド・レーニ(1575-1642)「酒を飲むバッカス」1623年 (本文と画像は関係ありません)

 否応なしに初めて降り立った終着の東所沢駅。終点とはいうものの、ヨーロッパの鉄道のような始発終着となる大きなターミナル駅でもなく、予想だにしない小さな駅だったので、タクシーがいるか不安に駆られました。

 捨てる神あれば拾う神あり。南口駅前のタクシープールには客待ちのタクシーが数台。ドライバーに「松戸まで」と告げた時のリアクションは、今もはっきりと覚えています。 

 深夜割増時間帯で、40km 離れた松戸まで乗車する上客が舞い込んだ運転手は、後部座席に乗り込んだ庄イタに対して開口一番、弾んだ声でこう言ったのです。

 「お客さーん、電車乗り過ごしちゃったんでしょ?」

 言わずもがなの指摘を受けた庄イタは、ぐうの音も出ません。自嘲的な愛想笑いを返すのがやっとでした。そうしてまんじりともせず1時間以上をかけて社宅に到着。2万円+α が飛んで行ったとさ (T T。

 この痛すぎる出来事があって以来、「酒は飲んでも飲まれるな」を信条に、宴席ではバッカス神のご加護を願うようになったのです。

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【Photo】画家としての活動は15年ほどだったにも関わらず、バロック絵画の先駆者となったカラヴァッジョ初期の傑作「バッカス」(背景)。1913年に見い出されるまで、ウフィッツィ美術館の収蔵庫で人知れず眠っていた。ギリシャ神話に登場するブドウ酒と酩酊の神は、ブランデーを中に閉じ込めたチョコレート、ロッテ「Bacchus (バッカス)」でもおなじみかと

 ドラマチックな陰影表現を取り入れ、バロック絵画への扉を開いたのが、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571-1610)。フィレンツェ・ウフィッツィ美術館で対峙して以来、日本初公開となるバッカス像との再会が、東京上野・国立西洋美術館で6月12日(日)まで開催中の「カラヴァッジョ展」で実現しました。

 次回は、庄イタのイコンともいうべき二つのバッカスを遺した不世出の天才カラヴァッジョについて語ります。

to be continued...
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2016/03/20

さくらの便りは北の国から

桜が香る〝春待ちチーズ〟共働学舎「さくら」
× バラ香るロゼ・スプマンテ+α


 仙台市街地中心部を南北に貫く東二番町通りを挟んで、仙台市役所の筋向かいが青葉区役所。その裏手にチーズ専門店「Fromagerie & Café Au Bons Ferments オー・ボン・フェルマン(下写真)はあります。

Au_Bons_Ferments.jpg

 Viaggio al Mondo では、「Sale dolce サーレ・ドルチェ(=甘い塩)」と称されるエミリア・ロマーニャ州チェルヴィアの天日塩を取り上げた折〈2008.7 拙稿「こっちの塩は甘いぞ」参照〉と、ソメイヨシノが開花した直後、仙台では最も遅い積雪記録となった降雪について記した「桜と名残り雪」でご紹介しました。〈2010.4 拙稿「桜と名残り雪」参照〉

 花便りで驚いたのが、仙台市宮城野区の榴岡天満宮で、昨年12月25日に梅が開花したこと。天満宮によれば、ここ数年、梅の開花は2月下旬から3月上旬だったといいます。極端な暖冬が自然の営みにも影響していたのですね。

Au_Bons_Ferments2.jpg【Photo】国内外のさまざまなタイプのチーズを取り揃えたある日のオー・ボン・フェルマン。フランスチーズ鑑評騎士のショップオーナー足立武彦さんは、シニアワインアドバイザーの資格も有し、店内でワインとチーズの組み合わせを体感できる催しを定期的に実施している

 そんな暖冬傾向が一変したのが、年が改まった1月中旬から。連日寒い日が続いた仙台では、梅の見頃が続いています。そんな春まだ浅い3月。スギ花粉症の方にとっては、ありがたくない花粉前線も東北まで北上。咽喉や目鼻の不快感に苛まれるじっと我慢の季節が今年もやって参りました。

 三寒四温を繰り返し、やがて寒さに震える季節が終わります。ウグイスの初鳴きを観測した仙台でも週後半からは寒さが緩み、春近しを感じる陽気となりました。日本気象協会による桜の開花予想では、総じて昨年に続き、今年も早咲きのようです。

kobai-hakubai.jpg【Photo】接ぎ木されて一株となった早咲きの紅梅と、遅咲きの白梅とが凍える寒さの中で咲き揃う。オー・ボン・フェルマンからほど近い勾当台公園の一角で見つけた小さな春の足音(2016.3.12 撮影)

 イタリアかぶれの庄イタをしても、ニッポンに生を受けて良かったと思うのが、間もなく訪れる桜の季節。うららかな陽気のもとで愛でるソメイヨシノは、こと長い冬を越す東北の地においては、春を迎えた喜びの象徴にほかなりません。

 冬から春への境となる春分の日は、昭和23年に施行された「国民の祝日に関する法律」では〝自然をたたえ、生物をいつくしむ〟日と定義されています。

 昼と夜の長さが同じになる春分の日は、年によって日が変わります。今年は本日3月20日で、日曜日と重なるため、翌日が振替休日となります。連休で得をした気分になるのは、やはり精神構造がイタリア人ゆえでしょうか。

hitome-senbon2015.jpg【Photo】1922年(大正12)に植樹されたソメイヨシノやシロヤマザクラなど、1,200本ほどの桜並木が見られる「一目千本桜」。阿武隈川の支流・白石川沿いに8kmにわたって続く宮城県南きっての桜の名所。父親が小さな男の子を乗せた車を曳く姿がほほえましい親子を見守る満開の桜(2014.4.12 撮影)

sakura_logo2.jpg カトリック国のイタリアでは、キリストの生誕を祝う「Nataleナターレ(クリスマス)」と同様、主の復活を祝う「Pasquaパスクア(復活祭)」は、重要な意味を持つ祝日。敬虔なキリスト教徒にとっては、すべからく万人に訪れる誕生より以上に十字架からの復活は、意味深い奇蹟と考えられるわけですね。

 春分の日を過ぎた最初の満月の夜が明けた日曜日がパスクアと定められており、春分の日と同じ移動祝日で、今年は3月27日。月の満ち欠けの関係から、来年は4月16日がパスクアと、振れ幅が大きい祝日でもあります。

 啓蟄を過ぎ、風ぬるむ季節の訪れを待ち焦がれる今の時季、毎年いち早く春の息吹を届けてくれるのが、ほんのりと桜の香りがするチーズ「さくら(下写真)

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 繊細な日本人の感性が生んだこのチーズは、北海道上川郡新得町の農事組合法人「共働学舎新得農場」で生産されます。1月初旬から、桜の季節が終わる5月下旬にかけての季節商品となります。

 十勝平野の最北部に拓かれた共働学舎新得農場には、自閉症や引きこもりなど、心身にハンディを抱え、一般社会に居場所を見つけられない人々が集います。そこでは日々の糧を生み出す家畜とともに、自然の摂理に沿った農作業を行うおよそ70名が、自給自足による共同生活を送っています。

 林業とソバ栽培が盛んな新得町にあって、西に日高山脈、北に大雪連峰を望む総面積70haほどの南東向き斜面に拓かれた新得農場では、有機農法による野菜・そば栽培なども行いますが、生産活動の主力は酪農。

 付加価値が高いチーズ生産ほか、ブラウンスイス種の肉牛・ホエー豚などの飼育に取り組んでいます。現在はブラウンスイス85頭とホルスタイン10頭から、朝夕2回の搾乳が行われます。

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【Photo】広大な十勝平野の北部、新得町は昼夜の寒暖差を生かしたそば栽培に適している。約6,300人の人口に対して、飼育される牛の頭数は33,000以上!!

nozomu_miyajima_libro.jpg 開設以来、農場主を務めるのは宮嶋 望氏(65)。米国内でチーズ生産量が最も多いウィスコンシン州にある農場「Vogel Farm 」での2年間の実地研修後、酪農学を専攻したウィスコンシン大学マディソン校を卒業。1978年(昭和53)に入植しました。

 6頭の乳牛からスタートし、翌年モッツァレラから着手したチーズ作りは、1984年(昭和59)に本格稼働。お手本となったのは、酪農やチーズ生産に関して工業化が進んだ米国ではなく、地域の伝統に培われた欧州各地のチーズ作りでした。

【Photo】共働学舎の理念を記した宮嶋氏の最新刊「いらない人間なんていない」(いのちのことば社2014/6刊)

 1998年(平成10)、79点が出品した「第1回 ALL JAPAN ナチュラルチーズコンテスト」(主催:中央酪農会議において「ラクレット」が最高賞を受賞。2004年(平成16)には、スイス・フランス・イタリア3ヵ国で構成する「Caseus Montanus (山のチーズ委員会)」主催の「山のチーズオリンピック」ソフトチーズ部門で、さくらが金賞に輝きます。

 共働学舎新得農場は、競争社会からドロップアウトした人々が集い、生きがいを感じる仕事を通して、自分の居場所と、もう一人の自分を見いだす場でもあります。そのありようは、色も形も異なる花たちが、共働学舎という一本の木に、それぞれのペースで花開いてゆくかのよう。そんな作り手たちの姿と、さくらとが、重なります。

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【Photo】半地下の床下に炭を敷き詰め、札幌軟石を積み上げた共働学舎新得農場のチーズ熟成庫。成形した凝乳の塊を塩水に浸し、熟成庫に移して後も、時おり塩水を染み込ませた晒(さらし)で磨きながら寝かせること3ヵ月。スイスでは表面を溶かしてジャガイモに塗って食するセミハードチーズ「ラクレット」が完成する

 トッピングされた一輪のエゾヤマザクラは、ヨーロッパの人々に日の丸を連想させ、エキゾチックな桜のフレーバーが、遠い日本を想起させるのでしょう。さくらは、国内はもとよりチーズの本場ヨーロッパで催される各種コンテストで、数々の受賞歴を積み重ねてきました。

 春先限定のさくらは、表皮までホロホロとした淡雪のようにしっとり柔らかな食感。桜餅に通じる和の香りに牛乳の甘さ、薄味の塩気、そしてヤギ乳から作るシェーブルチーズに似たほのかな酸味が加わります。出荷までの熟成期間を10日程度に留め、繊細な風味を残しています。

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 全体を覆う白い粉は、味噌の仕込みで用いる酵母「ジオトリカム・カンディダム」によるもの。カビではなく、この酵母を用いる製法で作られる共働学舎のチーズが、「プチ・プレジール」(上写真)

 プチ・プレジールを桜葉で香り付けし、熟成が進み過ぎない段階で一輪のヤマザクラを添えたソフトタイプのチーズが、さくらです(下写真)

 さくらのベースとなるPetit plaisir の意味は、フランス語で「小さな喜び」。さくらには、冬のモノクローム世界から芽吹きの季節を迎える今の時季に似つかわしい、ほんのり桜色のロゼがイメージ的にぴったりです。

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 今シーズン初のさくらは、共働学舎の各種チーズを取り扱うオー・ボン・フェルマンで例年通り購入。アドリア海に面したイタリア中部マルケ州のごく限られた地域だけで栽培されるブドウ「Lacrima ラクリマ」から醸したスプマンテを合わせてみました。

 ラクリマは、顕著なバラの香りが特徴となるアロマティックなブドウです。桜はバラ科の植物。バラの香りとの親和性は高いだろうという読みでした。ただ、果皮に割れが生じやすく、収穫時期の見極めが難しいため、栽培が難しい品種とされます。〈2011.11拙稿「ボジョレー騒動はさておき...」参照〉

 素晴らしいDOCG 白ワイン「Verdicchio dei Castelli di Jesi Riserva ヴェルディッキオ・デイ・カステッリ・ディ・イエージ・リセルヴァ」 の造り手である「Marotti Campi マロッティ・カンピ」は、通常DOC 赤ワイン「Lacrima di Morro d'Alba ラクリマ・ディ・モッロ・ダルバ」を醸すこのブドウを、アロマ感を活かすシャルマ方式(密閉タンク方式)で、発泡性のある辛口スプマンテに仕上げました。

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【Photo】イタリア中部マルケ州アンコーナ県のごく一部だけで栽培されるバラの薫香を漂わせる品種「ラクリマ」。個性的なこのブドウをスプマンテに仕立てたのが、モッロ・ダルバ地区の造り手「マロッティ・カンピ」。バラ科の桜の香りが魅力のさくらとの相性はいかに

 淡いピンクの色調からイメージする品種特有のバラ香との相性はまずまず。時間と労力を要する瓶内二次発酵を行うため、いきおい高価となるシャンパーニュやフランチャコルタのように持続性が高い細やかな泡の立ち上がるシルキーさはありません。泡の感触が食感に障(さわ)るうえ、渋みのもととなるタンニンを意外と感じるため、ガンベロロッソ式3段階評価では★で第1ラウンドを終了。

 半分ほど残ったさくらには、蜂蜜のワンダーランド「藤原養蜂場」で購入した「盛岡石割桜一番蜜」を少しだけ垂らしてみました。その途端、さくら本来の香りが数倍増しとなり、一気に花開いたのです。予定外の第2ラウンドは寺内大吉さんの採点(⇒昭和世代はご存じかと)でも1.5ランクアップで★★ の満点に迫る組み合わせとなりました(下写真)

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 さくらと合わせるため、自宅にストックしていたヴィーノとのアッビナメント(組み合わせ・マリアージュ)を試みるべく、今季2個目のさくらを買い求めようと、仕事帰りに再び訪れたオー・ボン・フェルマン。店内では、さくらと3種類の産地が異なるロゼとの組み合わせを体感するショップイベントの真っ最中でした。

 テーブル席では6名ほどが、淡いピンク色のグラス3杯と切り分けたさくらを前に、真剣な面持ちでロゼとさくらの相性を確かめています。自転車で移動中だったため、同好の輪に加わることはできません。「そっちがグラス3杯なら、こっちはボトル3本返しだっ!」 堺雅人ばりの意気込みを胸に、家路を急ぎました。

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【Photo】赤と比べて圧倒的に数少ないロゼの自宅ストック。(右から順に)「Cerasuolo Montepulciano d'Abruzzo チェラスオーロ・モンテプルチァーノ・ダブルッツォ1999」、「Dolcedorme Rosé ドルチェドルメ・ロゼ 2014」、「Principessa Cerasuolo プリチペッサ・チェラスオーロ2014」。特別な日に飲みたいアブルッツォの巨人「Valentini ヴァレンティーニ」はお飾り(^ ^; 。結局選んだのは左端のヴィーノ・ロッソ

 当初考えていたアッビナメントの本命は、カラブリア州の作り手「Ferrocinto フェッロチント」が、長期熟成型の偉大な「Taurasi タウラージ」を生む南イタリアの赤品種「Aglianicoアリアニコ」から醸したロゼ。畑の標高が400m以上と高く、南らしからぬエレガントな造りが魅力。

 対抗は2013年に新潟市西蒲区に誕生した「カンティーナ・ジーオセット」を起業した瀬戸潔さん(54)が、山形の契約農家が生産するスチューベンをチャーミングに仕上げた1本。第1ラウンドでは、さくらの繊細な風味を覆ってしまうタンニンの存在が気になったため、結局は知り合いのソムリエが推奨するプーリア州のヴィーノ・ロッソを選んでみました。

 捲土重来を期す第3ラウンド。挑戦者はイタリア半島のかかとの位置にあたるプーリア州産「Fatalone Teres ファタローネ・テレス2014」。本来は高い熟成能力を備えた力強い赤ワインとなる品種「Primitivo プリミティーヴォ」を、15℃から18℃程度に冷やして飲む造りをあえて狙った変則パターンです。

fatalone-sakura2.jpg 「Ridge」や「Clos du Val」など、成功を収めているカリフォルニアの「Zinfandel ジンファンデル」と同一品種であることが、20世紀後半のDNA検査で判明したプリミテーヴォ。色が濃いロゼ風に仕立てたファタローネ・テレスとの組み合わせは、いわば変化球勝負。

 州都Bariバーリから、どこまでも平坦な地形が続く内陸側へ40kmあまり南下した「Gioia del Colle ジョイア・デル・コッレ」は、良質な赤ワイン産地。円錐形の石積み屋根が特徴の住居「トゥルッリ」で名高い「Alberobello アルベロベッロ」の西方約30km の海抜365mの丘陵地にブドウ畑を所有する「Pasquale Petrera パスクアーレ・ペトレーラ」。

 イタリアにおけるオーガニック認証機関の先駆けであるICEAから有機認定を受けているパスクアーレ・ペトレーラ醸造所の信条は、ブドウの樹を人と同じように慈しむこと。自らが欲することをブドウにも同じように与えるため、常に細心のケアを怠りません。

 太古そこが海底だったことを物語る貝の化石が出てくる石灰岩と粘土の赤黒い土壌。ヴィーノ・ロッソとしては淡く、ロゼとしては濃い微妙な色合い(上写真)は、発酵前に果汁に果皮を浸すマセレーションを、ロゼと同程度の30時間に留めたスキンコンタクトによるもの。樹齢25年ほどのプリミティーヴォが完熟する10月後半に収穫後、樽は用いずステンレスタンクで12ヵ月、瓶内3ヵ月の熟成を経て、リリースされます。

 「Negroamaro ネグロアマーロ」種をメインとするイタリアン・ロゼの発祥とされるDOC Salice Salentino サリーチェ・サレンティーノ」を含め、お値打ち品が多いこの地域では、夏の日中は40℃越えが珍しくありません。5代前の創業者ニコラ・ペトレーラが好んだという、冷やして飲むロゼ風の仕上がりのヴィーノ・ロッソです。

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 青葉区広瀬町のワインショップ「Wine Store ブドウの木(下写真)で、さくらとの組み合わせを前提に、選択のお手伝いをして下さったのが、オーナー・ソムリエの奥山和茂さん。

tag-fatalone.jpg セラーに200種前後を取り揃えるワインには、奥山さんがプロフィールを記したタグ(右写真)が1本ごとついています。

 ワインは店内のカウンターやテーブル席でフード類と共に頂くことができます。家飲み用には、表示価格の25%引きで購入可能(6本以上の場合30%OFF)。 よって店頭価格3,440円のファタローネ・テレスの購入価格は2,580円でした。

 比較的手頃な価格帯のヴィーノ・ロッソですが、安ワインにありがちな単調さやヌケ感は皆無。ふくよかな果実の旨味が伸びやかに広がります。渋味のもととなるタンニンは希薄で、飲み口は滑らか。

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 パスクアーレ・ペトレーラ醸造所の地下セラーには、クラシックやヒーリング音楽が流れています。えもいわれぬ心地よさを感じさせる癒しの秘術は、ワインがそこで体得するのかもしれません。

 ファタローネ・テレスは過剰な自己主張をせず、繊細なさくらの風味がより引き立つよう、優しくエスコートするかのよう。ファタローネの名は、2代目フィリッポ(左写真)のニックネームにちなんだもので、il Fatalone とは、俗にいう〝女たらし〟のこと(笑)。

 ただでさえ情熱的なイタリア男をして、そう言わしめるのですから、フィリッポは相当お盛んだったのでしょう( ^0^;)。自家製のヴィーノ・ロッソと牛乳を500mℓずつ飲むことを朝の日課としていたフィリッポ。98歳で天寿を全うした日とて、その例外ではなかったといいます。そんな酒とバラの人生を謳歌したフィリッポの精神と、作り手のブドウへの愛情がこの1本に体現されているように感じました。

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 北の大地に春の訪れを告げる桜が香り立つ共働学舎のさくら。そこに集う心に悩みを抱える人たちのように遅咲きのさくらに寄り添い、引き立て役を果たしてくれたFatalone Teres 2014 vinには、アッビナメント★★に加え、あっぱれ助演男優特別賞を献上したいと思います。

【Photo】共働学舎のさくらに添付の栞(しおり)に描かれた一輪の桜

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Fromagerie & Café Au Bons Ferments
 フロマージュリー&カフェ オー・ボン・フェルマン
 住:仙台市青葉区上杉1丁目4-10 庄建上杉ビル1F
 Phone : 022-217-2202
 営) 12:00~22:00 月曜定休

Wine Store ブドウの木
 住:仙台市青葉区広瀬町3-48
 Phone : 022-796-2293
 営) ・ダイニングバー 13:00~22:00 L.O.  ・カフェ13:00~17:00 日曜定休


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2016/03/06

おまさん まっこと上等な「ぬた」を知っちゅうが?

あなたはホントに美味しい「ぬた」をご存知ですか ?

Sa la molt buona salsa verde da Tosa ?


ryoma_sakamoto.jpg タイトルがコテコテの土佐弁であることから明らかなように、出張で訪れた四国・高知で、旧交を温める機会に恵まれました。今回は高知で出合ったスーパーローカルフードをご紹介します。

 仙台から伊丹経由で高知龍馬空港入りした庄イタ。大政奉還への道筋を示した幕末の志士は、空の玄関口のニックネームとして平成の世の土佐に蘇ったぜよ。

【Photo】大阪・伊丹を経由して高知入りした庄イタを含む一行8名。出迎えて下さった高知新聞社の計らいで、高知龍馬空港から市内への移動の道すがら立ち寄ったのが、観光名所として名高い桂浜。太平洋を睥睨するかのように立つ坂本龍馬像

 出張初日の講演会会場となった自由民権記念館で地元紙・高知新聞社のS氏と合流したのが20時過ぎ。互いに旧知の仲であり東京から参加したD社のK氏を伴って、20年ぶりの再会となるS氏に案内されたのが、噂通りにがっかりポンだった(笑)観光名所「はりまや橋」からほど近い「鮨処すごろく」。

 「酔鯨」や「土佐鶴」など比較的ポピュラーな銘柄ではなく、「文佳人」「美丈夫」「しらぎく」といった地元ならではの日本酒を飲み比べ。

utsubo.jpg【Photo】端麗な飲み口で盃が進んだ文佳人特別純米を相伴に「鮨処すごろく」で食したのが、コラーゲンの宝庫なのだというウツボの唐揚げ。太平洋に面した沿岸部以外は山がちな地形の高知県。冷蔵技術が発達する以前、時間を要する内陸部までの運搬後も生きながらえる生命力が強いウツボ料理が伝わってきた

 幸いなことに鮨処すごろくは、居酒屋風の一品料理が充実しており、清流・四万十川の汽水域だけで育まれる香り高いアオサノリの天ぷら、塩味で頂くカツオのたたき、土佐清水で揚がる脂が乗った清水サバ、高知の山間部で食するのだというウツボの唐揚げなど、土佐ならではの味覚を堪能できました。

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 皿盛りの刺身の付け合わせとして小皿で登場したのが、鮮やかな緑のペースト(上写真)。前世イタリア人が、こうしたSalsa verde (=緑のペースト)で真っ先に思い浮かべるのは、リグーリア州ジェノヴァ発祥のバジル香るペスト・ジェノヴェーゼです。

 リグーリア地方では、細長く捻じったショートパスタ「Trofie トロフィエ」に和えるペスト・ジェノヴェーゼよりも、高知のサルサ・ヴェルデは幾分か淡い色合い。枝豆を漉して滑らかにした「土佐ずんだ」が登場したのか?とも思いましたが(笑)、それは「ぬた」と呼ばれる冬の土佐ではポピュラーな合わせ調味料なのでした。

 一般に「ぬた和え」=「酢味噌和え」として認識されることが多いと思います。ところが高知における「ぬた」は一味違います。

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 決め手となるのは「葉ニンニク(上写真)。結球部が肥大化する前段階で、茎と葉を食用とするのです。土佐のぬたは、ニンニク葉を刻んで鉢ですりおろし、白味噌と和え、砂糖と酢で味を調えるのが基本。柑橘栽培が盛んな高知ならではの柚子酢や麦味噌を用いたり、砂糖の分量を変えたりと、それぞれ家庭の味が存在するのだそう。

 鮨処すごろくで出されたのは、そうした自家製ぬたでした。定番のブリのみならず脂が乗ったアジやカツオとも好相性。これは断言できます。「げに うまいぜよ!(=ホント美味しい! )」

 高知新聞社のS氏は「サニーマート」や「サンシャイン」など、質と価格では全国展開する大手スーパーが到底太刀打ちできないという地元資本の食品スーパーでも置いている既製品もさることながら、手作りのぬたを推奨するのでした。

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【Photo】比較の意味で購入した食品スーパー「サニーマート」のPBブランド「よいち水産」製の「土佐のにんにくぬた」。鶏の唐揚げ、豆腐、コンニャクなど、汎用性が高い万能調味料となる

 その意味で幸運だったのが、高知での宿泊先ブライト パーク ホテルの立地と曜日回り。宿は高知城の追手門から一直線に伸びる追手筋(おうてすじ)に面しており、そこでは元禄時代から300年以上続き、現在は「日曜市」の名で知られるメルカート(街路市・マルシェ)が開かれるのです。

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【Photo】天守閣の大手(正面)に位置する追手門。本丸と大手門とを、こうして一か所から眺めることができるのは、高知城が唯一なのだという

 露店に並ぶのは、高知市近郊の農家が持ち寄る野菜や果物、山菜などの生鮮品。そして刃物・骨董・植木などの日用品。さらには創傷ややけどに効くといわれる「狸の油」といった珍品まで、品揃えのバリエーションは実に豊富。およそ430軒の露店が、1.3kmにわたって軒を連ね、観光客を含む多くの人出で賑わいます。路上で終日開かれる露天市としては、日本一の規模を誇ります。

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 2泊3日で訪れた高知出張の最終日が日曜日に当たったため、ちょうどホテルの目の前で日曜市が開催される巡りあわせに恵まれた次第。そこで早めに朝食を済ませ、南国情緒を醸し出すカナリーヤシ(フェニックス)が、中央分離帯に列をなす追手筋へと繰り出しました(上写真)

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【Photo】日曜市を散策していて目に留まった珍品の一例。土佐の大皿料理「皿鉢(さわち)料理」の「組みもの」で中心に盛られるのが、尾頭付きのまま背開きにして酢で締めたサバで酢飯を包み込んだ「サバ姿寿司」(上写真左)。その応用編「アジ姿寿司」(上写真右)。 やけどに効能があるという「狸の油」(下写真)。乗り合わせたタクシーの運転手氏に言わせると、本物とあえて銘打っているものの、実際のところは何が入っているかは闇鍋に近いのだという(笑)

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 高知城に向かう西行き2車線を車両通行禁止として日曜市は開かれます。一方で東向き2車線側を対面通行に変更(下写真)。いかにも柔軟かつ合理的なシステムではありませんか。

 これは、可動式の中央分離帯を2か所を開放することで、特段の減速指示をせぬまま、大胆にも対面通行をさせてしまうイタリアの高速道路工事でも恒常的に行われる運用法です。

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【Photo】高知での宿泊先となったブライトパークホテルの部屋から追手筋を撮影。通常は西方向に向かう車両が通る2車線を占有使用して日曜市が開かれる。設営準備中につき、まだ人影はまばら

 「自由は土佐の山間より出づ」という自由の精神を尊び、薩長の専制に反発し、自由民権運動の推進役を担った異骨相(いごっそう)気質を受け継ぐ高知市民からは、「南国土佐はラテンやき、当然ちゃ。」という声が聞こえてきそう。

 万が一の保険のため、サニーマート系列の毎日屋大橋通り店で、PBブランドよいち水産製「土佐のにんにくぬた」5袋入り1パックを入手してはありました。なれど庄イタが目指すは、前夜の打ち上げの席で地元の事情通から聞き出していた〝とある容器〟に入った自家製葉ニンニクのぬた。

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【Photo】日曜市で長ネギと横並びで売られていた高知市宗安寺地区産の「葉ニンニク」。地元では「ニンニク葉」とも。葉ニンニクは、高知と沖縄で栽培が盛んだが、ニンニク生産量が国内では最も多い青森では、葉ニンニクを見かけない

 まず見つけたのは、材料となる「葉ニンニク」そのもの。麻婆豆腐など中華料理に用いる事が多く、通常は結球部を食するニンニクを若いうちに葉と茎を食用にする野菜です。秀吉の朝鮮出兵に参加した長宗我部元親の兵が土佐に持ち帰ったとのこと。高知市に隣接する南国市に位置する高知龍馬空港の周辺でも、葉ニンニクが盛んに栽培されている様子が見て取れました。

 葉ニンニクが身近な存在である高知においては、すき焼きに入れるのは長ネギではなく葉ニンニク。焼き鳥もネギ間ではなく、葉ニンニク間。炒め物での登場率も高いとのこと。このように葉ニンニクは土佐の暮らしに深く根付いた食材なのです。

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 そこには肝心のぬたが見当たらなかったため、駅前電車通りと接する東端の「1丁目」から高知城に向かって「6丁目」まである日曜市を西へ向かって歩みを進めてゆきました。街路樹がクスノキの巨木へと変わるのが5丁目から。

 日曜市の露店にはすべからく「〇丁目北〇番」といった地番がついており、したがって位置も固定の割り当て制になっています【MAP】。

 その一角、5丁目南322番に目指すものがありました。お手製の目印だと事情通から教えられたのが、かつて駅弁とセットで売られていたお茶が入っていたポリエチレン製の茶瓶。昔懐かしい半透明のポリ容器に入った農家のお母さんお手製のぬたを遂に発見したのです。

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 爪楊枝が刺さった細切れの自家製コンニャクが、ぬたの試食用として用意されています。それは鮨処すごろくのぬたとは一味違うピリリと辛いぬたでした。冷凍すると色褪せずに日持ちすると店主の高橋光江さんから聞き出し、迷わず購入。

 すぐ近くにも赤いスクリューキャップ容器に入った自家製のぬたが置いてあったので、そちらもゲット。そうして日曜市をくまなく散策し、確保したお手製のぬたは、2個という結果でしたが、食べ比べができるという点では上々の成果と言えましょう。

 こうして初期の目的を果たしたものの、訪れてみたい場所が一つ残っていました。それは日曜市6丁目角の「ひろめ市場」。7時の開店と同時に、屋台村がオープンするというのです。

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【Photo】朝9時をまわったばかりのひろめ市場。夜9時にはあらず。これが高知における朝のスタンダードであるかどうかは定かではない

 およそ4,000平方メートルの敷地に500の客席がある飲食コーナーでは、予想通り、朝っぱらからカンパーイ!! の声が響いており、「箸拳(はしけん)」や「可杯(べくはい)」「返杯」といった酒豪文化が息づく高知ならではの土地柄に感心するやら呆れるやら。
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【Photo】ひたすら酒を呑みたいがためとしか思えない土佐伝統の「可杯(べくはい)」。大きさが異なる3つの杯(天狗・ひょっとこ・おかめ)の絵が描かれたサイコロを「♪ベロベロの神様は・・・」で始まる囃子唄とともに振り、サイコロが向いた人が絵柄の出た杯で酒を呑む。ひょっとこの口には指で塞ぐ穴が空いている。いずれも座りが悪いので、呑み干すまでは杯を置くことができない

baca-wine.jpg Quando sei a Roma, vivi come i romani (=郷に入っては郷に従え)を旅先での行動規範とし、赤ワイン体験なら数知れない庄イタ。

 大ジョッキで飲み干す「バカワイン(右写真)を、見識を広めるためと称し、出張初日にS氏に案内された2軒目「大衆酒場はりまやオリバ」で注文。同じ穴のムジナなのでした。

 お酌をしたお猪口を飲み干した相手が、即座にその杯を差し返し、一つの杯で延々と差しつ差されつを繰り返す返杯も初体験。興が乗るまま久方ぶりに興じた可杯も登場。高知2日目の夜も存分に満喫しました。

 前日の大雨から一転、青空が広がった3日目は、日曜市に繰り出すことを固く心に誓っていました。昼前の便で伊丹に向かう段取りだったため、さすがに乾杯の輪には加わることなく高知を発ちました。
 
 高知のお母さんの言いつけ通り、日曜市で手に入れた2個のぬたは、帰宅後すぐに冷凍室へと直行(下写真)

due-nuti.jpg 鮨処すごろくでは、S氏の薦めで寒ブリやアジを食べ合わせたように、ぬたは脂乗りの良い刺身との相性は抜群なのです。

 そこで翌週末、マリンゲート塩竃前に震災翌年オープンした「Pizzeria La Gita」でナポリピッツァを食すために訪れた塩竃で仲卸市場に立ち寄り、冬に旬を迎える生食可能な新鮮なメカジキを購入しました。

 メカジキは、英語でSword fish、イタリア語でPesce spadaspada =剣)と呼ばれる通り、長く尖った上顎が特徴のカジキの一種。気仙沼が水揚げ日本一ですが、これは塩竃に水揚げされた大型のメカジキだったそう。

pesca-spada@nuta.jpg 果たせるかな、宮城の味メカジキと高知の味ぬたとの食べ合わせの相性は、非のつけどころなし。はやいっさん(=もう一度)言うきに。「げに うまいぜよ!!

 19年連続日本一の記録を更新している気仙沼のカツオ水揚げ高を少なからず支えているのが、高知のカツオ漁船。

 高知の漁船員の皆様、カツオを追って黒潮を気仙沼まで北上する際は、船の冷凍庫にぬたを忘れずに保管されますよう。束の間の休息を気仙沼でとられる際、こってりとした脂が乗ったメカジキと、ぬたの食べ合わせを試されてはいかがでしょう。

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今回の高知出張ミッションの成果は、震災から5年を経る3月11日(金)と12日(土)に防災プロジェクト「いのぐ」の一環として高知新聞紙上に。河北新報朝刊には3月13日(日)に3ページ特集「高知むすび塾」詳報として掲載予定。出張の趣旨に関して皆さまが曲解なさらぬよう、付け加えておきます。

土佐の日曜市
 毎週日曜日開催: 夏期間(4月-9月)5:00~18:00
             冬期間(10月-3月)5:30~17:00
             ※ 上記は設営および撤収に要する時間を含む
             ※ 1月1日・2日・よさこい祭りと重なる場合は休み
 

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2015/08/23

知 覧 茶

70年目の夏に思う

 あまねく人は、生きる時代を選ぶことはできません。

 70年前までの日本では、個の意志では抗うことが出来ない大きな時代の潮流が存在していました。70年前の出来事は、もはや歴史の領域に入りますが、私たちの父母や祖父母が生きた時代であり、決して他人事ではありません。

 現行の日本国憲法で国民主権、言論・表現の自由が保障され、戦争放棄を宣言した戦後の視座から歴史を俯瞰することは現代人の特権です。それをどう生かすのか、思うところがあった今年の夏でした。

 70年前。大日本帝国憲法で認められていた臣民の権利は〝法律の定める範囲内〟という制約がありました。現行憲法では誰も侵すことが出来ない基本的人権を当然のこととして享受する戦後世代の目で見れば、国のありようが全く違いました。

KAHOKU_1945.8.11.jpg【Photo】昭和天皇が玉音放送で敗戦を告げる4日前、1945年8月11日の河北新報1面(部分)。報道機関への徹底した言論統制により、刀折れ矢尽きた満身創痍の状況にあっても「國民一億特攻隊たらん」と民衆は鼓舞されていた。同年3月の東京大空襲をはじめとする都市部への空襲の激化で地方への新聞輸送が不可能となり、朝日・毎日・讀賣報知の題号を各県地方紙の題字下に記載する「持ち分合同」の状況下で発行された。資材困窮のため、この頃の新聞は2~4ページ建て

 19世紀初頭までにアフリカや東南アジア諸国を植民地化していったイギリス・フランス・オランダなどに伍するべく、日清・日露の戦いで獲得した朝鮮半島や台湾・満州・南樺太といった領地にも展開した軍を指揮する統帥権は、大日本帝国憲法のもとでは天皇に帰属。結果として中国・遼東半島の警護にあたった関東軍の自作自演による柳条湖事件(1931.9)に端を発する満州事変、そして盧溝橋事件(1937.7)が発火点となった日中戦争、さらに真珠湾攻撃(1941.12)まで突き進む軍部の暴走を招く結果を招きます。

Japanese_trillion_balls_of_fire.JPG【Photo】国民生活を戦時一色に締めつける役割を果たしたオール与党化よる「大政翼賛会」が掲げた戦時スローガンの一例。国策遂行のための宣伝手段として、言論統制を担った内閣情報部が1938年から発行した週刊グラフ誌「寫眞週報」と共に仙台市歴史民俗資料館に展示されている

 「八紘一宇」を掲げ、東アジア諸国に軍事進出を図る軍政優先のため、「大政翼賛会」は〝挙国一致〟〝ぜいたくは敵だ!〟といった官製標語で国民生活の締め付けに躍起。国家総動員体制のもとで食料や生活物資は配給制となり、兵器生産のため金属類は供出を強制されました。一般公募で〝欲しがりません勝つまでは〟〝足らぬ足らぬは工夫が足らぬ〟といった戦時スローガンを唱え、鬼畜米英への敵愾心を煽っていました。

KAHOKU_1945-8-5.jpg【Photo】1945年8月5日河北新報(部分)。不足する労働力を補うため、12歳以上の女性で組織されたのが女子挺身隊。学校での授業は行われず、もんぺ姿に必勝の鉢巻を締め、軍需工場などでの勤労奉仕や銃剣や竹槍の訓練に励んだ(右上)。「これで仇打だ」の勇ましい見出しで紹介されているのは、松島の僧侶が考案した必殺の国民兵器「石弓」(右下)。この翌日、サイパンから飛来した大型爆撃機B29エノラゲイが原子爆弾を広島に投下した

 同年1月には、東條英機陸軍大臣が〝生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すことなかれ〟の一節で知られる「戦陣訓」を示達。アリューシャン列島アッツ島・サイパン島・硫黄島・沖縄など、次第に敗色濃厚となる各戦線での一部民間人を巻き込んだ玉砕、集団自決の悲劇を生む素地となります。

 物量で圧倒する米軍の猛攻に歯が立たず、多くの艦船と艦載機を一度に失い、3,000名以上が戦死して戦局の転換点となったのがミッドウェー海戦(1942.6)。22,500名が戦死した揚句、西太平洋ソロモン諸島ガダルカナル島からの撤退(1943.2)を決断した大本営は、劣勢を公にはせず「転進」と称していました。

   
【Movie】米軍からは「Kamikaze attack」と恐れられた神風特別攻撃隊と米艦船が繰り広げた死闘。そして1945年10月21日、雨の神宮外苑競技場で挙行された出陣学徒壮行式の模様を伝えるニュース映像

 兵力不足を補うため、20歳以上の学生について徴兵猶予が撤廃されたのが1943年10月。翌年には徴兵対象が19歳に引き下げられ、およそ13万人の若者が出征してゆきます。物心両面で追い込まれた軍令内部で秘密裏に開発が進められ、やがて公然と語られるようになったのが、人間を肉弾として扱う特攻作戦でした。

 特攻機や特攻艇(人間魚雷「回天」)の操縦を短期間で習得させるには、知力に優れた高等学府で学ぶ学徒兵は、軍令部や指揮官にとって(本人が望んだ姿とはおよそかけ離れた人生の幕引きを余儀なく迫られ、若くして逝った特攻兵に対して甚だ不遜な表現ながら)願ってもない戦力だったはず。

KAHOKU_1944-10-28.jpg【Photo】〝日本の被害は過少に、米英の被害は過大に〟で首尾一貫していた大本営発表によるフィリピン・レイテ沖海戦のでっち上げ戦果を伝える1944年10月28日河北新報(部分)

 1944年10月、帝国海軍第一航空艦隊司令長官に内定した大西瀧治郎中将(1891-1945)がフィリピン・マニラ基地に着任します。乗員もろとも爆装した戦闘機で敵艦に突入する特攻作戦について、指揮官は当初「統帥の外道」だとして消極的でした。逼迫する兵站と戦況の悪化を受け、同月25日のレイテ沖海戦において特攻作戦は初めて実行に移されます。

「神風(しんぷう)特別攻撃隊」として出撃した関行男大尉(23)率いる敷島隊の零戦が、250kg爆弾ともども米国・豪州の艦隊に突入。大型の正規航空母艦の半分程度の大きさの米護衛空母セントローは、弾薬庫の誘爆を引き起こし撃沈。これが海軍軍令部内で搭乗兵の死と引き換えの〝一機一艦轟沈〟という特攻への過大評価を生む結果を招きました。

KAHOKU_1944.11.3.jpg【Photo】1944年10月20日、大西司令長官臨席のもとフィリピン・クラーク基地群のマバラカット飛行場で結団式が行われた「神風特別攻撃隊」。同25日、足を負傷していた第201海軍航空隊司令の山本栄大佐と同副長玉井浅一中佐の立会いのもと、別れの水盃で特攻出陣する関隊長(左端)率いる敷島隊。1944年11月3日河北新報(部分)より
 
 河北新報紙面(1944.10.28)では、特攻は日本精神の発露であり、世界に例を見ないこの極限の武器に対抗しうる手段は存在しないとする東北大学の前身である旧制第二高等学校の校長職を前年に退官した阿刀田令造(1878-1947)の「新兵器體當り」の見出しを掲げる一文が掲載されました。戦時下の新聞・ラジオは大本営発表による嘘で固めた水増し戦果を伝えており、特攻が当時の日本人の心に引き起こした興奮ぶりを物語っています。

 表向きは志願制とされた特攻による戦死者は陸海軍合わせて6,418名(特攻隊戦没者慰霊顕彰会調べ)。前途有望な若者の犠牲を前提とする理不尽極まりない無謀な作戦に手を染めた参謀や現場指揮官、そして特攻兵を神格化して報じた報道機関、兵士を前線に送り出した当時の日本人は、一蓮托生の同時代人にほかなりません。

KAHOKU_1944-11-12.jpg【Photo】レイテ沖海戦で初出撃した神風特別攻撃隊の敷島隊5名。特攻隊員は出撃前から「神鷲」と称して神格化された。大本営が「特別攻撃隊」という表現を初めて使ったのは、真珠湾攻撃で実戦に投入された魚雷2本を搭載する2人乗り特殊潜航艇「甲標的」。片道分だけの蓄電池が動力ゆえ、帰還を想定せずに出撃し、戦死した9人は二階級特進(捕虜となった1名は対象外)。特攻ではそれが慣例化する。1944年11月12日河北新報(部分)

 薩摩半島の南、知覧(ちらん)陸軍飛行場に報道班員として滞在し、多くの特攻兵に接した高木俊朗(1908-1998)の求めに応じ、出撃前夜に「所感」を残したのが上原良司大尉です。1922年(大正11)長野に生まれ、慶応義塾大経済学部在学中に学徒出陣。1945年5月に沖縄戦における陸軍の特攻作戦の拠点となった知覧より出撃、沖縄嘉手納湾で戦死しました。享年22。

 上原大尉は、軍国主義一辺倒の当時、特攻隊員としては立場を公にすることが憚られたであろう自由主義者と自らを規定。人間の意志で自己実現を可能にする自由主義の勝利とファシズムの敗北を予見しています。1949年10月に出版されベストセラーとなった戦没学生の遺稿集「きけ わだつみのこえ」巻頭に収録された所感だけでなく、避けられぬ死を前に、頭脳明晰な青年らしい自意識の発露として学徒兵たちが遺した言葉は、70年の時を経た今も胸を打ちます。

KAHOKU_1945.7.15.jpg【Photo】敗戦1か月前の1945年7月15日付河北新報(部分)に掲載された陸軍第六航空軍の特攻基地で機体整備を受ける陸軍三式戦闘機「飛燕」(左上)。特攻機は250kg爆弾を装填し650km離れた沖縄まで3時間を要して飛行するため、機銃や無線などの計器を外し機体を軽くしていた。太平洋戦争末期には、機材が不足し、老朽機や練習機を投入せざるを得ず、大本営発表によるこの写真の撮影時期は早い時期の撮影かもしれない。基地の所在は極秘だったため、〇〇基地とだけ記載されている

 戦後、高木俊朗は、従軍体験を基に戦争の内実を文筆活動を通して問い続けました。旧軍関係者への聞き取りや資料調査を通して戦後20年目に著した「特攻基地 知覧」によれば、陸軍の戦闘機に搭載可能な陸上攻撃用爆弾を装着した航空機が体当たりで敵軍艦を撃沈できるのは、小型艦船かセントローのように艦船内の弾薬庫に誘爆する偶然が味方しなければ無理である事実を、1943年に茨城・鉾田飛行学校で行った実験の結果から作戦参謀は知っていたといいます。

 ところが、兵器の研究開発を行っていた第三陸軍航空技術研究所の所長が〝体当たり攻撃は日本精神の発露ゆえ、日本人の精神力をもってすれば、計算外の威力で敵艦を必ず撃沈可能だ〟と主張。報告を受けた参謀も先行する海軍の後塵を拝してはならじと作戦決行に踏み切ったというのです。科学技術は万能ではありませんが、航空技術開発の責任者にして、こうした精神至上主義を振りかざしていました。

873-chiran.jpg【Photo】太平洋戦争後期に実戦投入された「陸軍四式戦闘機 疾風(はやて)」。富士重工業の前身である「中島飛行機」製。唯一現存する機体は鹿児島県南九州市の「知覧特攻平和会館」(下写真)で公開されている © K.P.V.B

 運命のいたずらで生き残った隊員の証言から、少なからず特攻は命じられていたことが現在では明らかになっています。その指揮官たちは「我々もすぐ君たちの後に続いて飛び立つ」と言いつつ、悲壮な覚悟で出撃する特攻兵を次々と送り出しました。連合国側の論理で裁かれ、戦争犯罪人として戦後処刑された東條英樹などを除き、特攻を命じた指揮官は、そのほとんどが戦後まで生き延び、人生を全うします。

chiran-museum.jpg【Photo】旧知覧町が1975年に開設した「知覧特攻遺品会館」を拡充、1987年に竣工した鹿児島県南九州市「知覧特攻平和会館」は、知覧飛行場跡地の北端に建つ

 数少ない例外は、レイテ島沖海戦直前の1944年10月15日、フィリピン防衛が任務の海軍第26航空戦隊の指揮官だった有馬正文少将(1895-1944)。「戦争では年長者がまずは逝くべき」と制止を振り切って一式陸攻に乗りこみ、敵艦を目指してクラーク基地を離陸したまま消息を絶ちます。現場指揮官が率先垂範したのでは都合が悪かったのでしょう。海軍省と軍令部はこの事実をほぼ黙殺。関大尉ら敷島隊の敵艦突入だけを国民に知らしめ、国威発揚を狙いました。

 玉音放送直後に「停戦命令は出ていない」として部下を伴い特攻出撃を行ったのが、第五航空艦隊司令長官宇垣纏(まとめ)中将。そして敗戦の翌日未明、特攻兵と遺族へ詫びる遺書を残して自刃したのが大西瀧治郎中将。特攻を指揮した司令官たちは、特攻は志願制だったと口を揃え、その責任をひとり大西中将に負わせた側面がありました。

chiran-saruyama.jpg【Photo】日中戦争が3年目を迎えた1939年(昭和14)、サツマイモや茶畑が広がる知覧町西元木佐貫原地区に飛行場の建設が決まり、少年航空兵を養成する「大刀洗飛行学校知覧分教所」が日米開戦から間もなく開校。敗戦後すぐに滑走路や兵舎は取り壊され、かつての姿を取り戻した。飛行場跡を見下ろす小高い猿山からは、2本の滑走帯があった飛行場跡と、沖縄を目指して飛び立った特攻機が目印とした開聞岳が一望のもと

 GHQの占領下、極端な精神主義の悪弊に陥った戦前の反動で日本を覆った政治的作為のもとで編纂された「きけ わだつみのこえ」に対し、昭和史に詳しいノンフィクション作家、保阪正康氏(1939-)は著書「『特攻』と日本人」で、前者から漏れた学徒兵の心情にも光を当てており、特攻の実相をより多角的に知る手掛かりとなります。

 そこでは身体壮健で血気盛んな20歳前後の若者が、人生の終止符を打つ意味を煩悶しながら模索する姿が描かれます。世相が変化した現在では全く理解不能な「悠久の大義」や「七生報国」などの言葉を残し、彼らは皇国に殉じてゆきました。徹底した軍国主義教育によって人格が解体された帰結として片付けられるほど事は単純ではないように思えます。

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chiran-2014-sign.jpg【Photo】国破れて山河あり。特攻隊には飛行経験が少ない学徒兵や少年兵が指名され、初出撃が最後の出撃を意味した。エンジンを全開にして離陸後、飛行場上空を右旋回しながら翼を上下に振って見送る人々に別れを告げ、南へと飛び立っていったという。主滑走帯が延びていた北北西方向に猿山がある。現在「特攻機発進の地」と刻まれた石碑(左写真)が立つそこは、開戦前の茶畑やサツマイモ畑に戻っており、70年前の様子を窺い知ることは難しい(上写真)

 すでに確定した過去の歴史に〝もしも〟を持ち込むことは空しい試みですが、北海道を除く日本本土への空襲が可能となることを意味するサイパン島の陥落(1944.7)時点で、もしも日本が連合国側に講和を申し出れば、その後の展開はどうなったでしょう。

 日本軍が住民を楯にした結果、米軍による非戦闘員への殺戮が繰り広げられた沖縄戦(1945.3-6)や、一夜にして10万人が犠牲となった東京大空襲(1945.3)など都市部への無差別爆撃と同様、明らかに戦時国際法に抵触する広島・長崎への原爆投下(1945.8)、米英に対する仲介の打診を無視し、対日参戦したソ連が引き起こした残虐な葛根廟事件、シベリア抑留による30万以上の犠牲も免れることが出来たはず。太平洋戦争における310万人にのぼる邦人の犠牲は、大幅に少なくて済んだことは論を待つまでもありません。

chiran-entaigo-2014.10.jpg【Photo】米軍機からの空襲の標的となった知覧飛行場では、爆発から特攻機を守るため、高さ4mほどの土塁をコの字型に築き、樹木の枝で覆い隠すシェルター「掩体壕(えんたいごう)」に戦闘機を格納していた。これは掩体壕周辺の茶畑

 激動の昭和という時代は、玉音放送が流れた1945年8月15日正午を分水嶺として、いわば分厚い水槽で隔てられた水の中と外とに世界が隔絶されてしまった感があります。自由に呼吸ができる陸上からは、水中は歪曲した姿にしか映りません。戦前と戦後には時間軸だけではない決して越えることが出来ない深い溝が横たわっているように思います。

 戦前の極端な精神主義の反動としての戦後的な価値観で、過酷な時代背景の中で死を選択せざるを得なかった特攻隊員に犬死の烙印を押すのは、いささか傲慢に過ぎるのではないでしょうか。かといって英雄として特攻作戦をいたずらに美化するのでは、生を享けた時代に絶望し、散っていった若者の深い悲しみを共有することもできないはず。

chiran-bronzo.jpg【Photo】知覧特攻平和会館の敷地に立つ特攻勇士の像「とこしえに」は、愛媛県西条市出身の彫刻家、伊藤五百亀(いおき)氏の作

 戦前の日本は、偏狭なナショナリズムを煽動する国家指導者の暴走を許し、明治維新以降の国の舵取りを誤ったツケを前途ある若者に支払わせました。2年前、政権与党が国内外からの慎重な審議を求める声を押し切った特定秘密保護法と同じく、安全保障関連法案が衆院本会議で7月に強行採決されました。〝戦後レジームからの脱却〟を目指す現政権が示す国の姿(⇒《脚注》参照)には、拭い去ることが出来ない不安の影がつきまといます。

 70年前、多大な犠牲を払って日本は二度と戦争をしない誓いを立てました。以来、表向き日本は平和を謳歌してきましたが、世界に目を向ければ、争いが絶えたことがないのも厳然たる事実。今年、戦後生まれが人口の8割を越えたといいます。10年後、私たちは戦前・戦中を知る世代の体験を肉声として聞くことが困難になっているでしょう。子や孫の世代に昭和史の悲劇を繰り返させてはならない重い責務が私たちには課されているのです。

874-chiran.jpg【Photo】知覧特攻平和会館の展示より。知覧に配属された元特攻隊員で、今年4月に90歳で亡くなった板津忠正氏は、特攻隊員が集う「富屋食堂」の鳥濱トメ(1902-1992)さんと知覧で再会した時、「生き残ったのは、何かをせねばならないからだ」と諭された。郷里であった名古屋市役所職員を54歳で早期退職。遺品探しに奔走し、1,036名全員の遺影・遺品を、館長職の事務局長を自身務めていた知覧特攻平和会館で展示することが叶ったのは1995年。 © K.P.V.B

 国家が主導した昭和史最大の悲劇ともいうべき特攻。その実相をこの目で確かめ、自らの来し方を振り返り、これからの指針とする意味で、戦後70年の節目に訪れたのが、太平洋戦争末期の沖縄戦で陸軍の特攻前線基地があった鹿児島県南九州市知覧町です。

 太平洋戦争末期の沖縄戦における特攻基地は、九州各地と台湾に点在していました。4,174人が犠牲となった神風特別攻撃隊の名称で統一していた海軍は鹿児島の鹿屋などから出撃。一方、陸軍の特別攻撃隊は、439人の知覧が最多で、2,244人が帰らぬ人となりました。

56.jpg【Photo】特攻隊員が富士山に似た姿を目に焼き付けて南方へと向かった薩摩半島南端の開聞岳(924m)。その裾野にも国内産出量の2割を占める全国第2位の茶処・鹿児島を支える茶畑が広がる © K.P.V.B

 沖縄戦に出撃して亡くなった隊員1,036名の出身地は、当時日本領だった樺太・朝鮮を含む47都道府県全てに及びます。東京の86名を筆頭に、愛知43・鹿児島40と続き、東北では青森7・岩手18・宮城27・秋田9・山形10・福島22。

 かつての飛行場跡地には、沖縄戦で亡くなった陸軍特別攻撃隊全員の遺影と遺書・遺詠などを展示する「知覧特攻平和会館」があります。これは1945年5月に特攻隊員として知覧から出撃するも機体の不調で徳之島に不時着し、再出撃の命令が下らぬまま終戦を迎えた板津忠正氏(1925-2015)が、旧厚生省復員局の名簿をもとに全国各地を回って蒐集した遺品を展示し、教訓を後世へ伝えようという施設です。

te-chiran.jpg 知覧特攻平和会館へと続く沿道には、近年になって奉納された特攻隊員の姿を刻んだ石灯篭が、数え切れぬほど並び、御霊よ安らかなれの願いが街中に満ちているのを感じます。ある程度の特攻隊に関する予備知識は持ち合わせているつもりで知覧を訪れましたが、国難に殉じた兵士が遺した肉筆や遺品に直接触れるうち、やり場のない怒りと深い悲しみがこみ上げてきました。

 近代日本にあって、昭和10年代ほど国の指導者が劣化した時代は無かったと保阪正康氏は断じます。3年8カ月続いた太平洋戦争は、ある時期を越えて以降、国家間の軍事衝突の次元を超え、国家指導層が責務を放棄し、戦争終結を相手任せにし、ただ軍の体面を重んじる〝美学〟の領域に入っていたとも。

【Photo】知覧は鹿児島を代表するお茶の産地

 本来ならば人生の理想に燃える青年(最年少は17歳の少年も含まれていた!)に、逃れようのない死を強要した時代に対する痛烈な反省を忘れた時、日本は再び取り返しのつかない過ちを犯しかねません。不条理な時代を受け入れた特攻隊員の葛藤を知るにつけ、同情を禁じ得ません。どんな時代にあっても普遍的な生命尊重の大原則は守られるべきもの。

 出撃する特攻兵は水盃で出撃してゆきました。それから70年。一服の知覧茶に彼らの無念の思いを噛みしめる夏なのです。

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*****************************************************************

《注》 自民党の「日本国憲法改正草案」では、国民の生命、自由、幸福を追及できる権利は、公の秩序に反する場合は制約を受けると読み解ける(第13条)。現行憲法では「侵してはならない」思想と良心の自由は、(時の政府が)「保障する」(第19条)可塑的なものへと変質。「緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができ...(中略)国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない」(第99条)。政令は法律とは違い、国会審議を経ずに内閣の一存で定めることが出来る。安保関連法案の前提となる集団的自衛権に関する憲法解釈変更をなりふり構わず押し通した現内閣のやり口そのままに。これは近代法の模範となった独ワイマール憲法第48条「国家緊急権」を楯に「全権委任法」を成立させ、一党独裁を確立したアドルフ・ヒトラー率いるナチス党が、第二次世界大戦に突入していった経緯と恐ろしいほど酷似している。


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2015/02/01

お年取り前夜@村上・鶴岡・酒田・遊佐

【はじめに】
 サーバ更新以降、サイト内ダイレクトリンクが貼れない事象が続いています。関連アーカイブをご覧頂くには、月別アーカイブ一覧下の「検索」BOXにタイトルをコピー&ペーストするか、たくさんの皆様にアクセス頂いているおかげでキーワード検索でも上位に表示される検索エンジンを活用願います。ご不便をおかけしますが、ご容赦のほど。m(_ _)m

 はや睦月を過ぎ、今日から如月。今さら師走の話題を持ち出すのは、若干気が引けますが...。

「2014 呑み納め」レポート

 年の瀬が押し迫った12月末に庄内を訪れる(⇒「帰省する」と言った方が正確か?)ことが、2003年春に庄内系へと突然変異して以降、恒例となっている庄イタ。特に酒田女鶴と原種である(本)女鶴の餅を知ってからは、きまって酒田を訪れています。

amazake-kikkawa_20101010.jpg 仕事納めの翌日、拙稿「新年明けまして女鶴餅」(2013.1)の内容と、ほぼコピー&ペーストの行程で酒田を目指しました。

 最短ルートの最上川沿いを下るR47ではなく、大幅な回り道になることを重々承知の上で、R113を小国町から新潟・関川村を経由して村上市に立ち寄りました。その目的は「鮭を極める哲人」(2007.11)で取り上げた「味匠喜っ川」で塩引き鮭と酒びたし、リゾットやパスタの絶品ソースになる鮭のクリームスープ、さらには道中のエネルギー源となる天然麹甘酒「雪の華」を購入すること。

【photo】越後村上の風土、匠の技、そして家付き酵母が三位一体となって、芸術品のごとき域に達する塩引きや酒びたしが作られる味匠喜っ川(下写真)。天然麹甘酒「雪の華」(上写真)に用いる米麹は、丸4日間をかけて行う昔ながらの一升枡麹蓋づくりによる。「作り手の我を捨てて、謙虚な気持ちで虚心坦懐に麹と向き合うことで、やっと麹菌が目指す上品で自然な風味になってくれるようになりました」と吉川真嗣専務は語る

kikkawa_dicembre2010.jpg 目的を遂げた後は、この季節にしては比較的穏やかな冬の表情の笹川流れと沖合に浮かぶ粟島を眺めつつ、いつものようにR7ではなく日本海沿いを北上しました(下写真)

sasagawa_nagare2014.12.jpg 新潟と山形の県境にある鼠ヶ関にほど近い「あつみ温泉IC」と、山形自動車道「鶴岡JCT」間の日本海沿岸縦貫自動車道25.8kmが開通したのが2012年。これにより移動時間の短縮が図られ、村上の街と鶴岡との距離が、ぐっと近く感じられるようになっています。

 拙稿「寒鱈汁、寒鱈汁、寒鱈汁。」(2010.1)などで過去取り上げた「日本海寒鱈まつり」前売り券を「やまがたの地酒佐野屋」で購入したほか、鶴岡でも立ち回り先をウロウロ。ゆえに酒田に到着した頃には、とっぷりと日が暮れていました。

 酒田市日吉町で1867年(慶応3)に創業した酒販店「久村」では、かつて常連客が夜な夜な集い、店飲みをしていたといいます。

kumura-sakaba.jpg その棟続きで居酒屋「久村の酒場」が開業したのが1961年(昭和36)。夏場は冷蔵ショーケースを兼ねるオリジナリティ溢れるガラストップのカウンター席は、今も地元の旦那衆憩いの場として愛されています(下写真)。

kumura-sakaba-counter.jpg 昭和の風情を色濃く残す気取らない酒場は、太田和彦氏や吉田類氏らに賞賛されるなど、多くのメディアで取り上げられています。現在では、知らぬ同士も肩寄せ合って善男善女が酒田の酒肴を嗜(たしな)むことができる居心地の良い店であり続けています。

mokkiri-kumura-sakaba.jpg【photo】北庄内の地酒が揃う久村の酒場。定番は、もっきりのコップ酒(右写真)

 外呑み・家飲みともにワインが主流の庄イタではありますが、その信条は〝郷に入っては郷に従え〟。しぼりたて新酒が出回る季節に酒田を訪れたのですから、「上喜元 特別純米 仕込第一号」もっきりで乾杯!!

 定番のおでん・ゲソ揚げなどをつつきながら、二杯目は「鯉川 純米吟醸 鉄人うすにごり」。三杯目の「菊勇・三十六人衆純米吟醸あらばしり美山錦」で三段目ロケットに点火。庄イタにとって日本酒の指南役である阿部ご夫妻と、この夜初対面のお三方を含む意気投合したメンバー6名で2軒目を目指しました。

yukiguni-2014.12.jpg【photo】もっきりから打って変わって仕上げは冬が似合う名作カクテル「雪国」(左写真)

 路面が凍結した圧雪路に足元をとられながら流れた先が「ケルン」。お目当ては名高いスタンダードカクテル「雪国」を考案した国内最高齢の現役バーテンダー、井山計一さん(89歳)がシェーカーを振った一杯。途中から加わった酒田出身だという姉妹二人も加わり、袖触れ合うも他生の縁な宴席を締くくりました。

 ちなみに雪国と並ぶ店のもう一つの名物でもあるカウンター奥に掲げられる井山さんの自作による川柳は、「おいおいと追いかけて来る年の数」。

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 一年の邪気を祓(はら)う霊力が宿るとされる〝若水〟は、元旦の早朝に汲むのが本筋ですが、日程の都合で3日だけフライング。ε=ε=┏(; ̄▽ ̄)┛

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 標高2,236mの鳥海山頂には、鳥海山大物忌神社の本宮が鎮座します。大物忌神は穢れを清める神様。信仰の対象とされた鳥海山の地中で磨かれ、御神力を宿した伏流水は、若水として最適ではありませんか。

【photo】赤い尖塔に十字架を頂く白亜の鶴岡カトリック教会。木造ロマネスク様式聖堂としては東北地方では最も古い1903年(明治36)築

 かく申す庄イタ。この日カトリック鶴岡教会を訪れていました。それは初代司祭を務めたダリベル神父の出身地、ノルマンディ地方のデリブランド修道院から1903年(明治36)に献堂記念として寄贈された日本国内で唯一の黒マリア像を6年ぶりに拝観するがため。

 前回は2008年の年末。厨房に入ったオーナーシェフ自らが創作料理を出していた頃のアル・ケッチァーノで、6年連続の食べ納めに鶴岡を訪れた時のこと。(拙稿「今年も当たり年!」2008.12参照)マリア像は東北芸術工科大学で14か月を要した修復作業を終え、その年の春に聖堂の左身廊部に戻ってきていました。

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 イタリア・カトリックでは、東方三博士が救世主の誕生を祝うため、エルサレムを訪れた1月6日はエピファーナ(Epifana)の祝日。この日をもって待降節から1ヵ月以上続いたナターレ(クリスマス)の期間が終わります。その前夜、箒に跨った老婆ベファーナ(Befana)がやってきて、行いの良い子どもにはお菓子を、良くない子には炭を置いてゆくのです。(2007年11月拙稿「クリスマス ところ変われば」参照)

presepia-tsuruoka.jpg 国指定重要文化財に指定されるロマネスク様式の聖堂を訪れた27日は、上記理由でクリスマス期間だったため、6年前と同様にキリスト生誕の模様をジオラマで表現した素朴なプレゼーピオがマリア像の前に飾られていました。

 聖水で十字を切り、しばしの間、清浄な祈りの場に身を置き、心洗われてからバッカスまつり@久村の酒場に臨むという、八百万(やおよろず)の神がおわします極めて日本的な1日は、こうして暮れてゆきました。

 翌朝は湧水の郷・遊佐町へ。車のトランクスペースには、25ℓ容量のポリタンクを2個積んでいました。まずはJR遊佐駅構内の「遊佐カレー遊佐駅本店」で、カプチーノを一杯。

 カプチーノには、イタリア・ボローニャに本部を構える「Segafredo Zanettiセガフレード・ザネッティ」がブラジルの自家コーヒー園での栽培から焙煎まで一貫生産するアラビカ種・ロブスタ種を絶妙の配合でブレンドしたエスプレッソローストの豆を使っています。

 水は三ノ俣集落にある交流施設「さんゆう」前に引かれた鳥海山麓では屈指の口当たりの良い伏流水「鳥海三神の水」を用いているのだそう。なるほど仙台の「セガフレード・ザネッティ・エスプレッソ」フランチャイズ店で頂くのとは一味違う、まさに神通力のなせる丸みのあるお味でした。

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【photo】水量豊かな遊佐町「菓子舗 光月堂」の店先に湧く湧水

 遊佐カレー遊佐駅本店を運営するほか、食の都・庄内から選りすぐった食材を扱う「フーデライト庄内」代表の佐藤幸夫さんから、町内でお勧めの湧水を〝鳥海三神カプチーノ〟を飲みながら聞き出しました。

 それは、かつては菓子作りにも用いていたという「菓子舗 光月堂」の湧水。もうひとつのタンクには、10年以上に及ぶフィールドワークで発見した丸勝金物店の敷地にある「丸勝の水」を。遊佐の町場にあまた存在する鳥海山の恵みである湧水では、屈指の水量で湧出してくる丸勝の水。その美味しさもまた申し分のないものです。

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【photo】遊佐町「丸勝金物店」の敷地に設置された石盆に轟々と音を立てて湧き出す湧水

 これで新年を寿ぐにふさわしい鳥海山の御神力を備えた若水2つを確保。残る最大のミッション遂行前に、2014年の食べ納めに席をあらかじめ確保していた店の予約時刻が迫っていました。

次回「今年の女鶴餅は自家製もあっさげ」に続く


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2014/04/27

Arriva a Napoli !?

白日夢 @ Caffè Passalacqua
庄イタ流 避寒術 vol.3

 もはや避寒術など必要のないうららかな陽気に恵まれたGW前半の日本列島。
今回は、この春、白日夢のごとく儚くついえた1軒のカフェについて語ります。

caffe2-passalacqua.jpg【Photo】Arriva a Napoli!? =ナポリに到着!?)のタイトルとは裏腹に、この連休に訪れたわけではない世界三大美港に数えられるナポリ湾。サンタ・ルチア地区から突き出たCastel dell'Ovo(卵城)とヴェスヴィオ火山〈cick to enlarge〉。悲しいかなこんな風に垣間見えるこの美景のロケ地はナポリにあらず...

 庄イタ流 避寒術vol.1,vol.2で登場したピッツェリアでも使用しているナポリのコーヒーロースター、「Passalacquaパッサラックア」日本初のカフェが東京にオープンしたという情報をキャッチしたのが昨年秋。いささか話が遡りますが、雪に不慣れな東京を2度にわたって混乱に陥れた寒気団が居座る2月上旬、店を訪れました。

cafe-passalacqua2.jpg【Photo】混沌としたナポリの下町チックな新宿・歌舞伎町一番街に突如として出現した「Caffè Passalacqua」日本第1号店。再訪を誓ったはずが...。

 キモとなるロケーションが、なんとも泣かせる新宿・歌舞伎町。そう、青山でも銀座でも代官山でもなく、胡散臭さ漂う歌舞伎町のど真ん中。喧騒に満ちたナポリと雰囲気が似ていなくもありません。

 開店には少し早く着いたので、付近を散策したのがイケマセンでした。区条例で禁止されている呼び込み数人に声を掛けられること数度。「・・・キャバクラ、*☭▼$♂・・・」と執拗にまとわりついてくる荒川良々似のお兄さんからは、コンビニに退避して難を逃れました。コチラがよほど物欲しげな目つきをしていたのかも...(///△///)

caffe4-passalacqua.jpg 開店直後の店には、庄イタ以外の客はおらず、宮崎と長崎の出身だという二人の女性スタッフに話を伺いました。親会社の栄進物産株式会社(本社:五反田)が日本第1号店をオープンしたのが昨年夏。「博多で研修を受けたラテアートは、まだ練習中なんです」と語る女性バリスタに、カプチーノを所望しました。

 エスプレッソマシンはSegafredoセガフレード傘下の「La San Marco S.p.A.ラ・サンマルコ」製セミオートマチックタイプ「100 TOUCH」を使用している本格派。謙遜する彼女の言葉とは裏腹に、ロブスタ種とアラビカ種をブレンドしたmehariメハリで淹れたカプチーノは、ナポリ市内に数店あるPassalacqua直営のバール「LA MEXICOラ・メキコ」を思い起こさせます。

 店内を見渡して気になったのが、冒頭に登場したリアルなナポリ湾の美景。他愛のない話をあれこれするうち、お代わりは外せないエスプレッソ。無論のこと店頭に置いてあったアラビカ豆100%のMoana,ボディのあるmehari,バランスの良いCremadorといった全ての種類のコーヒー豆を買い求めました。

mehari-moana-cremador.jpg【Photo】ナポリで1948年に創業して以来、愛されてきたパッサラクア。伝統の深煎りアラビカ種とロブスタ種の絶妙な配合による豊かなボディと深いコク。熟練のバリスタが業務用マシンでサーヴするバールの味とはいかずとも、ナポレターナマキネッタでも本場の雰囲気の片鱗を堪能できる

 「また来て下さいね~♡」と愛想の良いお姉さんに別れを告げて後にした店が、開店から1年も経たないにもかかわらず、3月9日をもって移転のためクローズするとの衝撃的な情報をキャッチしたではありませんか!!

 移り変わりの目まぐるしい東京砂漠に蜃気楼のごとく突如現れ、そして忽然と消えていったCaffè Passalacqua。正統派ナポリスタイルと目されるブランドは、やることまでナポリ流だった恰好。

caffe6-passalacqua.jpg【Photo】この西日に浮かぶナポリ湾の美景もまた、思いもよらぬ店のクローズによって儚い夢と散った〈cick to enlarge

 移転リニューアルを期待しつつも、現在のところ店の再開に関する情報は未確認。「あれは白日夢だったのでは??」と、歌舞伎町で買い求めた豆で淹れたカッフェを飲みながらも、キツネにつままれたような気がしている庄イタなのです。

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2013/10/27

すわ119番

お役目ご免。かかしの悲哀@新潟

 所用で遠征した新潟でのこと。9月中旬から10月半ばにかけてが稲刈りシーズンとなるコシヒカリの本場は、ほとんど収穫を終えて新米が出回る時季を迎えていました。

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 大正4年、油田の採掘を試みたところ湧出したという目にも鮮やかなエメラルドグリーンの出で湯、新発田市郊外の月岡温泉のお湯(上画像)で浮世の憂さを洗い流した遠征初日。月岡の温泉街ではなく、敢えて新発田の街中に宿をとったのは、訪れてみたい店が市内にあったからです。

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 天井の梁に「明治12年5月18日建立」との旧加茂町の棟梁による銘が読み解ける古民家を移築改装した「Orga(オーガ)」で、イタリアンのエッセンスを取り入れたビストロ料理のお薦めコース(メイン魚料理5,000円・同肉料理6,000円)を予約していました。

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 前菜は「新発田産イチジクと切りたてハモン・セラーノ カッテージチーズ風味」、「鴨のテリーヌ・ピクルス添え」、「秋鮭のカナッペ」3種盛り(左写真)。2皿目はバジル風味のクスクスにトッピングされた軽く炙りにした鮮度の良い「北海道産イワシのカルパッチョ」(右写真)

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 バジルオイルが香り、火入れ感が絶妙な「サヤインゲンと北海道産ホタテ貝柱のグリエ・プロヴァンス風」(左写真)。パスタ料理は、濃厚なワタリガニの旨味がトマトソース&生クリームソースと重なる「新発田・松塚漁港産ワタリガニのトマトクリームスパゲッティ」(右写真)。皆さまが画像から想像される通りのお味(笑)。

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 電話予約の際、提示されたメインディッシュの選択肢から庄イタが所望した肉料理は、グリエした秋野菜とオーセンティックな「アイガモのロティ」(左写真)。魚をリクエストした相方は「佐渡産目鯛とホタテ貝柱のポワレ・クリームソース」(右写真)

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 庄イタ選択のデセールは「栗の焼きタルト ピスタチオとバニラアイス」(左写真)、相方は「リンゴのオーブン焼とバニラアイス」(右写真)

orga_y.kato.jpg【Photo】加藤シェフ(写真奥)が調理し、盛り付けはアシスタント。その連携が小気味良いOrgaの厨房(右写真)

 (庄イタは崇拝も信用もしていない)「ミシュランガイド東京・横浜・湘南2012」で二つ星を獲得している六本木ヒルズ「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」で2年間腕を磨くなどした加藤雄一郎オーナーシェフ。その料理は、フレンチ仕込みとはいえ、素材とソースの掛け合わせの妙より、地元を中心に調達した旬の素材感を活かした外連味(けれんみ)のないもので、飾らないビストロ料理といった印象を受けました。

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marui_niigata.jpg 再び月岡温泉で目覚めの朝風呂(上画像)を浴びてから新潟市に移動した翌日。昼食は古町の寿司・割烹「丸伊」で、北陸の高級魚ノドグロを炙り丼を、南蛮エビは握りで注文しました。

 新潟県が南蛮エビの名でブランド化を進める甘エビ。鮮度抜群の南蛮エビは、専用の南蛮エビから作ったというエビの香りがする魚醤との相性も良く極めて美味でしたが、軽くレモンを絞った藻塩が合うノドグロは、いかにも美味しそうに写っている炙り丼の品書きの写真ほどの大きさはなく、ゆえに脂の乗りも控えめ。

【Photo】花街の風情を残す新潟市古町東堀通りの一角にある寿司・割烹「丸伊」(上写真)で食した「ノドグロ炙り丼」(左画像・1,500円) 「南蛮エビ握り」 (右画像400円)

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 金沢・近江町市場で食した4年前の味が忘れられない絶品ノドグロ炙りのような大トロ白身の丼ものなら、この値付けでは無理でしょう。期待が大きかっただけに、ちょっと残念な思いをしましたが、致し方ありません

 その足で新潟伊勢丹で開催中のイタリア展を視察。それは前世イタリア人を納得させうる衣・食・住の粋が集う新宿伊勢丹のクオリティとスケールには及びませんが、充分満足のゆく物産展でした。かたや仙台では、地元の老舗百貨店が景気後退の煽りを受けてか、華のある海外物産催事を全く開催しなくなって4年が経過します。

Tsunenaga_Hasekura.jpg【Photo】幕府の許可のもと、交易を求める伊達政宗の親書を携えた支倉常長は、二つの海原を越えた2年後、マドリードで洗礼を受けた。バチカンで謁見したローマ法王パウルス5世お抱えの画家クロード・ドリュエが1615年に描いた支倉常長像(ローマ・ボルゲーゼ美術館蔵)。11月17日(日)まで仙台市博物館で開催中の「慶長遣欧使節出帆400年・ユネスコ世界記憶遺産登録記念特別展『伊達政宗の夢―慶長遣欧使節と南蛮文化』」に出品され、400年の時を経て郷里での初公開となった。目ぼしい交渉成果が得られぬまま、失意のうちに7年後帰国した常長を待ち受けていたのは、禁教令と鎖国で情勢が激変した故国だった。帰国後間もなく病没したとされ、消息すら定かではない悲運のサムライが欧州から持ち帰った資料類は、今年ユネスコ世界記憶遺産に認定された

 慶長18年(1613)、欧州との直接交易を志した伊達政宗は、家臣の支倉常長ら慶長遣欧使節をスペインとイタリアに派遣しました。九州のキリシタン大名が、領内への布教を目的に伊東マンショら4名の少年を遣わした天正遣欧使節に遅れること30年。スペインとイタリアが近世の幕開けに接触した数少ない日本人は、仙台からはるか太平洋と大西洋を帆船で渡り、両国に鮮烈な足跡を残した伊達藩のサムライでした。

delsole_yokoyama.jpg スペイン・イタリア両国との因縁浅からぬ仙台の史実からすれば、内向きで金太郎飴のような物産催事ばかりの現状が、どうしても物足りなく思えるのです。

 仙台では唯一のイタリアフェアを春に開催するのは仙台三越ですが、かつては秋にイタリアフェアを開催していた地元百貨店で、トップバリスタの妙技を披露しておいでだったのが、今回の新潟伊勢丹イタリア展会場にいらした六本木「Bar del Sole バール・デル・ソーレ」の横山千尋氏(右写真)でした。


  delsole_capcino2.jpg delsole_capcino1.jpg

 日本にエスプレッソの魅力を紹介したバリスタの草分けである横山さんに数年ぶりでカプチーノ(601円)を注文すると、イタリア製エスプレッソマシン「cimbali チンバリ」で淹れたエスプレッソに注いだフォームドミルクに目の前で庄イタには細やかなリーフ柄(右写真)を、相方には似顔絵と思しきラテアート(左写真)をそれぞれ施して下さいました。

 カプチーノのオーダー前に済ませた夕飯は、世界チャンピオンが焼き上げたマルゲリータS.T.G.(981円)

 各国のナポリピッツァ職人が技能を競うため、ナポリで毎年開催される「Pizzafest ピッツァフェスト」2003年(平成15)第9回大会で、初めてイタリア人以外で世界チャンプの栄冠に輝いたのが、当時23歳でイスキア島「Da Gaetano ダ・ガエターノ」で修行中の身だった大西誠さん。現在は札幌から熊本まで多店舗展開する「サルヴァトーレ・クオモ」で、ピッツアィオーロとして活躍中です。

 会場には、師弟関係にあり今年9月にナポリで開催された「12゜Campionato mondiale del Pizzaiuolo 第12回ナポリピッツァ職人世界選手権」のメイン部門であるS.T.G.部門(マルゲリータ&マリナーラ)で、女性初の準優勝という快挙を果たした同僚の梅澤千絵ピッツアィオーラもおいででした。

  niigata_isetan2013-2.jpg niigata_isetan2013.jpg

 本来は薪窯の対流熱で焼き上げるナポリピッツァ。消防法の制約を受ける百貨店内のイタリア展会場で、火を扱う薪窯は設置できません。そこで設えられたのが、薪窯と同じ摂氏500度を保つ高性能電気窯。これは「真のピッツァ・ナポレターナ」国際規約第3条第3項第1号に定めるピッツァ窯の規定を満たしてはいません。それでもハンデ戦を強いられた世界チャンプが、持てる技量を駆使したピッツァ・マルゲリータS.T.G.(右写真)は、熱膨張で盛り上がった生地の縁(コルニチョーネ)の食感に微細な差異を感じ、薪香が漂わない点を除けば、まごうことなき真正ピッツァ・ナポレターナ。さすが世界チャンプは弘法筆を選ばず!

 トスカーナ州サンジミニャーノで購入し、長年使用してきた丈夫なオリーブ材のカッティングボードの傷みがこのところ目立ってきたため、代替えを購入。そのほかグラニャーノ産パッケリやスパゲッティーニ、ワイン数本を調達。営業終了時刻まで会場に留まり、ついつい財布の紐が緩んだ翌朝。アメリカン・ドリームをワイナリー起業で実現したカリフォルニアの「ナパ・ヴァレー」を目指すべく、欧州系ブドウ品種を中心にワイン製造を行う「Cave d'Occi カーブドッチ」など、ワイナリー村の訪問が、この日最大の目的でした。

koshino_shizuku.jpg【Photo】JA越後中央が5年前から普及に努める統一ブランド「越の雫」の旬は8月末から11月半ば。生のまま皮を剥き、風味を増すイタドリの蜂蜜をトローリ。パルマやサン・ダニエレ産のしっとりとした生ハムとの相性は最高♪

 新潟市郊外、西蒲区下山にある「越後西川あぐりの里」で、この地域で栽培が盛んな日本イチジクの代表品種・桝井ドーフィンの特産品「越の雫」と、特別栽培コシヒカリ「寿々喜米」を玄米で購入。車に荷物を積み込んで直売所を出ると、あらかた稲刈りを終えた圃場の先に、葉が赤く色づいた遠目にも明らかな収穫期を迎えたブドウ畑が小さく見えてきました。そこだけが日本の田園風景とは異なる雰囲気を醸し出しています。

 遥かに望むブドウの丘から、田んぼの間をまっすぐ延びる道に視線を落とした時、事件は発生しました。歩道のない片側1車線の道沿いに人がうつ伏せに倒れているではありませんか。すわひき逃げ事件発生かっ?!

call_119.jpg 車を止めた脇道から50mほど離れた田んぼでは、1台のコンバインが稲刈りをしていました。人が倒れているのは、今しがた立ち寄った越後西川あぐりの里がマガモ栽培で育てたコシヒカリの刈り取りを終えた田んぼの畔(あぜ)。ここはコンバインの男性に助けを求めるか逡巡しました。鼓動の高まりを感じつつ、およそ10m前方の草むらに横たわる被害者のもとに駆け寄ろうと車を降りて近づいてゆきました。跳ね飛ばされて頭を強打したのか、頭部が大きく腫れ上がっているようにも見えます。

 「まずい。これは緊急を要する事態だっ!!

call_119-01.jpg 昨年夏、猛暑のもとで開催した「荒木飛呂彦原画展 ジョジョ展 in S市杜王町」〈2012.8拙稿「杜王銘菓『ごま蜜団子』 盛況御礼ッ! 閉幕迫るジョジョ展 in S市杜王町」参照〉実行委メンバーだった庄イタは、来場者が熱中症を発症する事態に備えて、市消防局員によるAED心肺蘇生法などの応急救命講習を受講していました。

 119番で救急搬送を要請しようと、スマホを手に被害者に歩み寄る庄イタは、被害者の様子がいささか妙ちくりんであることに気付きました。その間も目の前で横たわる男性は身動き一つしません。

 ぐったりした体を抱きかかえ、仰向けにして容態をつぶさに観察した庄イタは、疑念が確信へと変わり、こう直感しました。

call_119-03.jpg  「これは手の施しようがない」

 被害者はご覧の通り血の気が失せて顔面蒼白。救命措置を施すことなく現場を立ち去った庄イタは、こみあげてくる笑いをかみ殺しつつ、カーブドッチへと道を急いだのでした。

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2010/07/11

Osteria di Eataly オステリア・イータリー誕生

スローフード協会ご用達
Osteria del Boccondivino オステリア・デル・ボッコンディヴィーノ直伝
深谷 政宏シェフのピエモンテ料理@EATALY 代官山

esterno_slowfoood.jpg イタリア・ピエモンテ州Bra ブラにあるスローフード協会本部が入る古びた建物の棟続きに一軒のオステリアがあります。中庭に咲く藤の花がテラスに伸びる二階にある店の名は「Osteria del Boccondivino オステリア・デル・ボッコンディヴィーノ」。イタリア語で美味なものを意味するBocconeとVino(=ワイン)を掛け合わせた造語です。気取らないオステリアらしく手頃な料金で良質なピエモンテ料理を提供するこの店は、1984年12月のオープン当初から、のちにスローフード運動の母体となる「ARCI アルチ」のメンバーと深く関わってきました。

【photo】小さな村 Bra ブラの一角にあるスローフード協会本部のある二階建ての建物の入口に架かるOsteria del Boccondivino オステリア・デル・ボッコンディヴィーノの看板(右写真)

Tonno_gallina_aceto.jpg【photo】わずか€19という良心的な価格でロビオーラ・ディ・ロッカヴェラーノのトマト風味ショートパスタにドルチェとカッフェが付くオステリア・デル・ボッコンディヴィーノのセットメニュー「Colazione di Lavoro n.1」にアンティパスト(=前菜)として組み込まれる雌鳥を使った伝統料理「Tonno di gallina all'aceto balsamico トンノ・ディ・ガッリーナ・アッラ・アチェートバルサミコ」は、その名の通りツナのオイル漬けのような食感が面白い(左写真)

 カルロ・ペトリーニ会長など協会本部のスタッフが昼夜を問わず食事に訪れるこの店は、スローフード運動が目指す理念を味覚で体感するにはうってつけといえます。トリノの南方約30kmの町、カルマニョーラ産の銀毛ウサギ「Grigio di Carmagnola グリージオ・ディ・カルマニョーラ」、200年来変わらぬ製法で作られる稀少なヤギ乳主体のチーズ「Robiola di Roccaverano ロビオーラ・ディ・ロッカヴェラーノ」、牛肉のタタキ「Carne cruda カルネ・クルーダ」や皿にとぐろを巻いた状態で供される名物ソーセージ「Salsiccia di Bra サルスィッチャ・ディ・ブラ」などで生食される「Vitelli Piemontesi ヴィテッリ・ピエモンテーズィ(= ピエモンテ牛)」など、絶滅の瀬戸際にある保護すべき小規模な生産者の手になる伝統食材「Presìdio プレジディオ(= 味の箱舟)」を用いた料理がメニューに並びます。

eataly_2010.6.19.jpg【photo】中庭で新型Lancia Delta の展示会が行われる傍らのオープンカフェで人々が憩うEataly代官山。左手がマーケットゾーン、右手1Fがカフェ・パスティチェリア、エノテカ。オステリア・イータリーはその2Fにある

 今年で創刊20周年を迎えたスローフード協会が発行する美味しい料理を手頃な価格で提供する約1,700軒を網羅するレストランガイド「Osterie d'Itala オステリー・ディタリア」のみならず、さまざまなガイド本に取り上げられるこの名店で1991年から9 年にわたり研鑚を積み、つい先ごろ凱旋帰国したのが、Masa こと深谷 政宏シェフです。スローフード協会が監修して2007年にオープンした「Eataly Torino イータリー・トリノ」国外初進出のショップとして2008年9月に東京・代官山にできた「Eataly 代官山」内のレストラン「Guido per Eataly グイド・ペル・イータリー」が、このほど「Osteria di Eataly オステリア・イータリー」としてリニューアル。深谷シェフがボッコンディヴィーノ仕込みのスローフード発祥の地・ピエモンテの味を提供する店として生まれ変わりました。

masahiro_fukaya.jpg【photo】オステリア・イータリーの厨房に立つ深谷 政宏シェフ

 海外展開第一号店となった代官山のほか、現在では日本橋・八重洲に3店舗を構えるEataly。国内最大規模のイタリア食材を取り揃えるマーケットゾーンのみならず、入手困難なイタリアパンを石臼挽きしたMulino Marinoのオーガニック小麦と天然酵母で焼き上げるベーカリー、バール・パスティチェリア、日本人初のAISイタリアソムリエ協会認定ソムリエの資格を持つ林 茂CEOがセレクトしたヴィーノがずらりと揃うエノテカ、素材の良さを実感できるイートインスペースなどから構成される代官山店を訪れた6月19日(土)は、オステリアとしてのオープン初日でした。
osteria_eataly1.jpg【photo】中庭に面した側が一面ガラス張りで明るく開放的な雰囲気のオステリア・イータリーは、シンプルモダンな内装にふさわしいオステリアとして生まれ変わった(右写真)

 ここぞとばかりに食材を買い込んだマーケットゾーン前の中庭を挟んだ二階にあるオステリア・イータリーは、ガラス越しに射し込む陽光が溢れるモダンな雰囲気。真紅のヴェネツィアンガラス製シャンデリアと、ランゲ丘陵の風景写真パネルが豊穣なる北イタリアの地へと来店客を誘います。マーケットで扱う食材を使用したこの日のメニューには、プレジディオ指定を受ける岩手短角牛のほか、比内地鶏といった東北産の食材がオンリストされていました。

arneis_eataly.jpg【photo】ハウスワインはピエモンテ州Roero DOCGの作り手Castello di Santa Vittoria の白ワイン Roero Arneis と赤ワイン Nebbiolo d'Alba 。グラス(500円)カラフェ(1500円)

 期せずして11時30分の開店直後に改装後一番乗りを果たしたため、深谷シェフやフロア担当の澤口 雅史さんに話を伺うことができました。Reggero レッジェーロ(1,800円)、Piccolo ピッコロ(2,800円)、Complate コンプレート(3,800円)のランチコース3 種から、アンティパスト・パスタ・ドルチェ・カッフェがセットされたレッジェーロとVini della casa(=ハウスワイン)のヴィーノ・ビアンコ「Roero Arneis ロエロ・アルネイス」をまずはお試しとグラスでオーダーしました。

Insalada_tonna.jpg【photo】素材の味を活かしたシンプルで毎日でも食べたくなる料理を提供したいと言う深谷シェフの手になる比内地鶏を使ったインサラータ・ディ・トンナは、ボッコンディヴィーノのエッセンスを色濃く感じる
 
 アンティパストは比内地鶏をマリネした「Insalata di tonna インサラータ・ディ・トンナ」。ピエモンテ料理というと、肉の脂を多用するものを連想しますが、これは全く違います。丸ごと4時間ボイルしてから一晩冷蔵庫に置いて処理したという比内地鶏の食感は、ふんわりあくまで軽やか。見た目といい味といい紛れもなくTonno(=イタリア語でマグロの意)そのもので、言われなければ鶏肉とは思わないでしょう。ボッコンディヴィーノでは、「Tonno di gallina all'aceto balsamico トンノ・ディ・ガッリーナ・アッラ・アチェートバルサミコ」という料理が登場します。上記参照〉直訳すると「雌鳥のマグロ・バルサミコ酢風味」といったところ。雌鳥を丸ごとボイルし、一晩おいてから肉をほぐしてオリーブオイルでマリネしたもので、ピエモンテでは伝統的な調理法のひとつです。

vesuvio_eataly.jpg【photo】アスパラガスとパンチェッタのヴェズーヴィオ・オイルとチーズ風味。ヴェスヴィオ山のような形をしたこのパスタは、有史以来噴火を繰り返すこの名高い火山にほど近い山あいの町Gragannoグラニャーノで作られる

 パスタはアスパラガスとパンチェッタを細かく刻み、オイルとチーズで軽く味付けした螺旋状の円錐形をしたショートパスタ「Vesuvio ヴェズーヴィオ」。パスタ作りに理想的な環境が整ったGragnanoグラニャーノ産ショートパスタは、挽きたての小麦のように香ばしく、その格の違いを見せ付けます。ドルチェはチョコレートが添えられたミルキーなジェラート。"モカで淹れた"と但し書きのあるエスプレッソには店のサービスでピエモンテの焼き菓子が付きました。

 ミシュランガイド・イタリア版で☆評価(⇒自国フランスでの☆☆レベルを意味する)を受けるトリノのリストランテ「Guido per Eataly -Casa Vicina【Link to website】」出身の若きシェフ、Enrico Panero エンリーコ・パネッロが手掛けたこれまでのGuido per Eataly 代官山の料理は、伝統をベースに軽やかで洗練された味付けを加えたものでした。

 スローフード運動発祥の地に9年間身を置いた深谷シェフを新たに迎え入れ、オステリアとして再スタートを切ったとはいえ、これまでの方向性から大きく転換する訳ではないようです。より多くの人に良質なイタリアの味に親しんでもらうことが今回のリニューアルの目的だと澤口さんは語ります。オイルやパスタなど素材のクオリティの高さと代官山という立地を考慮すれば、コストパフォーマンスもなかなか。素材に敬意を払った深谷シェフの味付けは、好感が持てるものでした。次回は岩手短角牛を味わうとしましょう。

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Osteria di Eataly オステリア・イータリー
住:東京都渋谷区代官山町20-23 代官山ラヴェリア2F (東急東横線 代官山駅より徒歩2分
Phone:03-5784-2739
営:Pranzo 11:30‐14:30 L.O.   Cena 18:30‐21:30 L.O.
   ◆夜のコース/ Stagione・旬のおすすめ 3,000円
             Tradizione・ピエモンテ伝統料理 4,800円
              Degustazione・プリフィックス 6,000円
日曜夜・月曜定休(祝日の場合は営業・翌火曜休)
URL:http://www.eataly.co.jp/osteria/index.html
E-mail:osteria@eataly.co.jp

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2009/05/31

期間限定 散居の浮島

庄内系 北陸路を行く vol.1
5月の砺波はまるで松島だった

 見渡す限りの散居。散居を構成する家々のこんもりとした屋敷林。田植えを待つ満々と水を湛えた田んぼ。それらが生み出す美しい景観は、紛れもなく人の手が築きあげたものです。日本有数の豪雪地帯である白山と飛騨高地に端を発し、富山湾へと流れる庄川と小矢部川。その複合扇状地にある富山県西部の砺波市と南側の南砺市では、田植えを控えた毎年5月上旬、とりわけ美しい田園風景を目にすることができます。それは富山湾に出現する蜃気楼が地上に現れたようであり、鏡の海原に浮かぶ奇跡の浮島のようでもあり、多くの散居が水に浮かぶさまは日本三景の松島clicca quiさながらでもありました。
tonami_maggio2009.jpg【photo】砺波市散居村展望台から望む砺波平野の散居

 「散居」とは、農村における集落の形態のひとつで、耕作地の中に家々が点在する様式を指します。東北では岩手県奥州市胆沢区や山形県飯豊町でも同様の屋敷林を備えた散居が見られますが、砺波市から南砺市にかけての220km²に及ぶ広範な地域には、およそ7,000戸の家々が碁盤の上に散りばめられた碁石のように散在しています。この国内最大規模の散居は、範囲の大きさだけでなく水田の中に農家が100m~150mの間隔をおいて点在しており、屋敷林を備えた切妻の屋敷の形状からして、最も典型的な散居集落といわれています。砺波平野は水の確保が容易だったことから、網の目のように用水路が張り巡らされた水田が近世までに整備されました。水田と住居が隣接していれば水田の保守管理を効率的に行える上、コメの栽培にも便利だったことから散居が発達したのです。
tonami_maggio3.jpg 【photo】砺波平野の5月。水を張った田んぼには、もうひとつのカイニョに覆われたアズマダチの田園風景が描き出される

 集落を構成する家々が一箇所に集中する一般的な農村とは異なり、独立した住居が点在する砺波平野の散居では、強い冬の季節風を遮る防風と避暑を目的とする杉や欅などの屋敷林「カイニョ」で屋敷が覆われています。風が強い砺波の気候風土に適した切妻屋根の家は、三角形の妻部分の白壁に太い梁(はり)・束(つか)・貫(ぬき)が升目状に組まれた「アズマダチ」と呼ばれる明治中期以降に取り入れられた様式で造られています。カイニョに覆われた母屋の手前に納屋と蔵が加わるこの地方特有の散居住居は、端正で美しい佇まいを見せています。時として発生するフェーン現象によって気温が上昇する夏の午後でも、カイニョがある家と無い家では4~5℃の温度差が生じるそうです。フィトンチッドによる森林浴効果に加え、多様な生物を育むビオトープとしての役割も果たすLOHASな屋敷林は、多くの恵みをもたらしてくれます。2002年(平成14)には「散居景観を活かした地域づくり協定」が砺波・南砺の各地域で発効し、屋敷林の維持費用の補助に行政が乗り出しました。
tonami_maggio1.jpg【photo】鎮守の森も水に浮かぶ浮島のよう

 砺波一帯は加賀藩の領地で、山林の樹木は「七木の制」で保護を受けていました。成長が早く家屋の材料や落ち葉が燃料にもなる杉は特に重宝され、「百姓垣根七木」として屋敷内の樹木を伐採しないよう定められていました。「高(=土地)を売ってもカイニョを売るな」という砺波地方に古くから伝わる言葉は、立派なカイニョを誇りに思い、屋敷林を大切に守ろうという意思が込められています。しかしカイニョの維持には枝打ちや落ち葉の掃除など多くの手間がかかるため、最近では減少傾向にあるのだといいます。2004年(平成16)10月の台風23号では、全体の1/4にあたる14,778本のカイニョが倒れ、住居の損壊や電線の切断などの被害が出ました。わずか一夜にして砺波の美しい景観は深刻な打撃を受けたのです。散居村の景観を取り戻そうと行政が実施した助成金や苗木の配布によって、およそ1万本の植栽が住民の手で行われました。これも先祖から受け継いだかけがえのない地域資産であるカイニョに対する地元の人々の深い愛情の表れなのでしょう。
tonami_maggio2.jpg【photo】見事なまでに上下対称のシンメトリーな世界が出現する散居風景にさまざまな形をしたカイニョがアクセントを与えている

 特徴的な散居の風景は、北陸道と東海北陸道が交わる小矢部砺波ジャンクションと城端(じょうはな)SA 間の盛土によって高い視点が得られる東海北陸道沿いで見ることができます。散居を俯瞰して見渡すには、熱気球かハングライダーが最適でしょうが、なかなかそうもいきません。砺波市南部の鉢伏山にある散居村展望台や南砺市井波の閑乗寺公園からは、扇状地に広がる散居の様子が一望のもと。日没時には鏡面と化した水田に夕陽が映り込むドラマチックな光景と出合えるかもしれません。
toyama_cam2004.jpg【photo】2004年に富山県が展開したイメージアップキャンペーン【Link to Website】のポスター(上)には、豊かに水を湛えた砺波平野の散居風景が採用された。ヘッドコピーは「水の恵みの、富山から」

 2年前の9月中旬、世界文化遺産に登録されている白川郷・五箇山地方の合掌集落と飛騨高山地方を訪れました。その際、砺波ICで北陸自動車道を下車、山あいに23戸の合掌造りの家が寄り添うように残る五箇山相倉集落Clicca qui に向かう途中で通りかかったのが、砺波の散居村でした。思わぬ収穫ともいえる特徴的な散居の風景は強く印象に残り、今年のGWに郡上八幡へ遠征した際に再訪を果たしました。
tonami_maggio4.jpg【photo】一家総出で田植えの準備にあたる南砺の農家

 夏の名残のうだるような暑さのもとでも稲穂が黄金色に色付き始めた前回の訪問時とは異なる「水の里」の風景がそこには待ち受けていました。砂や小石が堆積して形成される扇状地は、保水力が弱いため水田には不向きとされます。砺波平野では庄川と支流の豊かな水の恵みによって、地中へ浸透する以上の水が供給され、十分な農業用水が確保できたことから、稲作が盛んに行われてきました。今回訪れたのが、田植えを控えた時期であったことから、満々と水を張った水田に囲まれた浮島のような散居が随所に見られました。鏡面と化した水田には、カイニョとアズマダチがくっきりと映り込み、そこに現れた見事な上下対称のシンメトリーな光景に目を奪われたのでした。

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2009/05/26

郡上八幡で水づくし

庄内系 奥美濃路を行く vol.1

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【photo】緑したたる郡上八幡を流れる吉田川

 暦通りの休みがしばらくぶりに取れた今年のGW、土日祝日ETC装着車の高速道路料金1000円均一の恩恵を受けるべく、ここぞとばかりに遠征しました。午前2時30分に仙台宮城ICを出発。向かうは岐阜県郡上市です。東北道→磐越道→北陸道→東海北陸道を経由、途中3回の休憩をはさんで650kmを走破、郡上八幡ICのETCゲートを出たのが10時30分。

 庄内地方では決しては起こらず、滅多に行かない山形内陸をたまたま走行中に何故か頻発するマシントラブルの原因と思しきエンジン関連のハーネス(=機器配線)の全交換という荒療治を施したばかりのAlfa Breraは絶好調。MT車にもかかわらず装備されているオートクルーズコントロールを駆使して快適なロングドライブとなりました。料金所の電光板が1000円と表示されるのを見て、「こんなに走っても本当に1000円なんだ!」と感動しながら(笑)、ETCゲートを通り抜けて市営駐車場に車を停め、徒歩でじっくりと街を散策しました。

ETC_1000.jpg  【photo】仙台からの通行料金が1000円の表示を見た途端、そうと判っていても「シンジラレナーイ」と叫んでしまった郡上八幡ICの料金ゲートで

 1559(永禄2)年、戦国武将 遠藤盛数によって天然の要害となる八幡山(標高354m)の頂きに八幡城clicca qui が築かれます。そこに形成された城下町である旧岐阜県郡上郡八幡町は、夜を徹して踊りの輪が続く「孟蘭盆会(うらぼんえ・8/13~16)」に最高潮を迎える7月から9月にかけ、32夜にわたって踊りの輪が広がる「郡上おどりclicca qui」の舞台となります。2004年(平成16)3月に周辺7町村が合併し、郡上市となって以降も旧八幡町一帯は郡上八幡の名で通っています。市街を東西に流れる清流吉田川は奥美濃の山々に端を発し、小駄良川・乙姫川と合流しながら街の西側で鵜飼による鮎漁が行われる長良川へと注いでいます。せせらぎの音に彩られた郡上八幡は、四方を山に囲まれており、環境省が1985年(昭和60)に選定した名水百選で第1号の指定を受けたという「宗祇水」をはじめとする湧水や井戸が町の各所にあります。郡上市民4万7千人の上水道は、カルキ臭とは無縁の石灰岩土壌が広がる市南東部の犬啼谷(いんなきだに)で採水される湧水で賄われているそうで、なんとも羨ましい限り。そこは豊かな水の恵みを生活に活かす水場「水舟」や家並みに刻まれた水路が人々の暮らしを潤す"水の町"なのでした。

shinmachi_gujyou.jpg【photo】新町通の入口で3人の踊り手がお出迎え

 歴史を感じさせる格子窓の家々が建ち並ぶことから、別名"奥美濃の小京都"とも称される郡上八幡。どこかしらレトロな薫りが漂う大阪町から観光客で賑わう新町通へと移動し、8万個の玉石が敷き詰められた散策路と水飲み場や水路が1988年(昭和63)に整備された「やなか水のこみち」へと歩みを進めました。周囲の町屋と風に揺れる柳の木がフォトジェニックな空間を生み出すそこは、観光客にとっては絶好の撮影スポットでもあります。10時30分を回ったばかりでも、GW期間中とあって入れ替わり立ち代りでカメラを前にポーズをとる人たちで一杯でした。

【photo】風にそよぐ柳のもとで清水沿いのそぞろ歩きを楽しみたい「やなか水のこみち」(左下)清らかな水が流れ出るオブジェの脇にはコップが備えられ、湧水を味わうこともできる(右下)

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                                         別段「疲れた~ orz 」という自覚はありませんでしたが、そこは長時間の運転を終えたばかり。「疲れた時は甘いもの」と言うではありませんか。お約束の記念撮影を早々に切り上げて、やなか水のこみちと新町通りが交わる場所にある「やなか屋」に立ち寄りました。店頭に引いた伏流水と葛粉とで作る涼しげな水まんじゅうに強く惹かれたからです。こしあん・抹茶・いちご・柚子・さくら・黒糖の6種類すべて一個150円。柔らかく丸みがある水と溶け合うように程よい甘さの水まんじゅうは喉をプルンと通り過ぎてゆきます。

mizumanjyu_yanaka.jpgmizimanjyu_yanaka1.jpg【photo】「やなか屋」店頭には水槽に冷たい清水が流れ出ており、その中に色とりどりの水まんじゅうが並ぶ(左)ぐい飲みのような小振りな白い陶製の器に入った水まんじゅうを、ひんやりとした水と共にクイっと一飲み。ほのかな甘みが爽やかな余韻を残す。写真手前は淡いピンクのいちご風味(右)

【photo】「いがわ小径」西側の始点には、用水路の上に洗い場が設けられている(左) 用水沿いに延びる小径は、すれ違うのがやっとほどの幅しかない(中)小径の中ほどにある洗い場は大和ハウスのCMで終盤に登場。観光客にとっては鯉にエサを与える絶好のポイントでもある(右)
igawa1.jpg igawa2.jpg igawa3.jpg 

 "力水"代わりの水まんじゅうでリフレッシュし、この町で最も水量が豊かな「島谷用水」が流れる水路沿いに整備された散策路「いがわ小径(こみち)」へと向かいました。民家の間を流れる用水沿いの狭い小径には、屋根が架かった3つの洗い場があり、今も利用者が組合を作って洗い場の清掃や管理を行っているそうです。水路には数百匹もの大きな真鯉やアマゴなどの川魚が群れをなしています。鯉に与えるエサが西側入り口に置いてあるので、観光客たちは一袋100円の顆粒状のエサを買い求めては大きく口を開けてエサに群がる鯉たちに歓声を上げるのでした。郡上鮎漁が解禁になると、篭に入れられたおとり鮎の姿もみられるのだといいます。小径の突き当たりでは、暗渠からコンクリート製の樋で吉田川の水を引いて生活用水として使っている様子が見て取れます。そこに近接して設けられた二つの洗い場は、食品や食器の洗浄用soba_heijin.jpgと下着やおむつの洗濯用とに用途が分かれており、後者の排水は用水にではなく、直接川へ流れるよう工夫されているのでした。かように水と共にあるこの地の人々の暮らしぶりは、2006年に制作された大和ハウス工業のTVCM 「共創共生 郡上八幡篇clicca qui」で紹介されました。

【photo】平甚の「もちもちざる蕎麦」(並盛・1300円)

 昼食は混雑が予想される時間帯は避けたほうが得策だろうと「そばの平甚」【Link to Website】へ。そこは多くの観光客が訪れる郡上八幡でも、最も賑わう界隈であろう宮ヶ瀬橋のたもとで、吉田川を眼下に望む絶好の位置にあります。11時を回ったばかりだというのに、でき始めた行列に並ぶこと5分。私は店の看板メニューである二八蕎麦「もちもちざる」を、家族は旬の筍を使った「若竹そば(並盛・1000円)と「とりそば(並盛・1100円)を頂きました。地元岐阜産のほか信州や北海道など国内産そば粉を八割、小麦粉を二割使用した更科系の蕎麦に欠かせないのが、冷たく清らかな水の存在です。わずかに甘めの付け汁で頂くモチモチした独特の食感の蕎麦にコシの強さを与えるのに欠かせないのが、茹で上げた蕎麦をたっぷりの冷水で締めることだとか。

【photo】軒に下がる杉玉ならぬ南天玉が目印の桜間見屋を折れると宗祇水への石畳の参道となる(左) 祠の中から湧き出す水は絹のように滑らか。室町時代の連歌師、飯尾宗祇が庵を結んだ故事にちなんで宗祇水と呼ばれる(右)
sogisui_entra.jpg sogisui.jpg 
 
 平甚と目と鼻の先にある昔懐かしいニッキ味の飴「肉桂玉」で知られる1887年(明治20)創業の「桜間見屋(おうまみや)」の角を折れた先の小駄良川沿いに、町随一の名水との誉れ高い湧水「宗祇水」があります。室町時代に形式が完成された連歌の宗匠、飯尾宗祇(1421-1502)は、各地を訪ね歩く中で、歌人として名高い郡上の領主・東常縁(とうのつねより)に古今和歌集の奥義を授かるため、郡上を訪れます。宗祇がおよそ3年の間草庵を構えたのが、この泉のほとりでした。応仁の乱以降、見直しの機運が高まった古典復興の動きの中で、伝統的な美意識を連歌に反映させた宗祇の作風は、konida_gawa.jpg後に松尾芭蕉にも影響を与えています。奉られた祠から音もなく湧き出す清水は、この地に留まった宗祇が愛飲したことから、歌人の名にちなんで「宗祇水」と呼ばれるようになったといいます。3年後の春、京に戻る宗祇は、古今伝授の師・東常縁との別れを惜しみ、この地で「三年ごし 心をつくす思ひ川 春立つ沢に湧き出づるかな」と詠みました。含んだ清水は歌人の明鏡止水な心情を表すかのように実に軟らかくまろやかな味でした。

photo】流れを間近かに清流のせせらぎに身を置くこともできる小駄良川。斜面に張り付くように狭小な敷地に建つ川沿いの人家は、3階建て・4階建ての特徴的な多重構造。裏手には川べりに降りる玉石積みの階段も備えている

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【photo】 旧越前街道沿いにある延命地蔵の右手には小さな水飲み場がある(左) 尾崎町にある水舟は住民の暮らしを支え、暮らしに潤いを与える(右)

 小駄良川に架かる朱塗りの清水橋を渡ると、鬱蒼とした雑木林に覆われた小高い山を取り囲むように旧越前街道沿いに家並みが延びる尾崎町となります。ふたつの川に挟まれた平場に寄り添うように立ち並ぶ家々の間に、清水が引かれた小さな水場を持つ延命地蔵尊と「尾崎の水舟」がひっそりとありました。街中にある水舟の多くが観光用に整備されている一方、こちら6ヶ所の水舟は生活に密着した本来の姿を留めるものです。郡上八幡の水舟は山形県遊佐町のkajimachi_gujyo.jpg湧水「神泉(かみこ)の水」などと同様に段差が設けられ、上段が飲用水、中段が食べ物の冷却用と洗浄用、下段が洗濯用となり、水と共に暮らす人々の知恵を窺い知ることができるのでした。

【photo】二階部分に斜めにせり出した防火壁「卯建」を備えた伝統的な郡上八幡の風情を漂わせる格子窓の屋並みが残る職人街、鍛冶屋町

 清水橋の上流にある洞泉橋を渡って本町を左に折れると、朱色ないしは黒格子の旧家が残る職人町・鍛冶屋町に至ります。隣家と軒を接する町屋造りの家々の二階には、防火のための袖状の白壁「宇立・卯建(うだつ)」が二階部分にせり出しています。こうした古い家並みが見られるもう一つの地区、柳町を経由したのち、濃厚な大豆の風味が味わえる「ざる豆腐」(たれ付450g500円/250g350円)が評判の「郡上豆腐」へ。昼食を済ませていたので、デザート代わりに杏仁豆腐(180円)を買い求め、宮ヶ瀬橋方向へ戻りながら食べましたが、これが美味しかった!! えてしてありがちな薬品っぽさを感じるゼラチン状の食感ではなく、まったりとした上品な甘さは癖になりそう。いっそ店に引き返そうかとも思いましたが、tirol_gujyo.jpg 子どもたちが夏場に勇気を試される吉田川への飛び込みを行うことで知られる新橋付近までその時点で戻っていたため、お替りは泣く泣く諦めたのでした。

 休憩に立ち寄った新町通の珈琲館「チロル」も、先ほどの郡上豆腐と同様、店先に清水が流れ出ています。自家焙煎したコーヒー豆をサイフォンで飲ませてくれるというので、通常の3倍の豆を使い、2/3の量しか抽出しない「ストロング」(450円)を注文しました。深いアロマに包まれたコーヒーが美味しかったのは勿論、何にもましてコップ一杯のひんやりした水の美味しさが際立っていたと言ってはお店に失礼でしょうか。

【photo】清水が流れ出す珈琲館「チロル」の店先(上) チロルの「ストロング」ブレンド(下)

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 「水の町」郡上八幡は、こうしてさまざまに水にまつわる表情を見せてくれました。「水の都」Veneziaヴェネツィアは世界的な観光地として俗化がいかに進もうと、それを補って余りある独特のオリエントの香りや地中海の覇者として君臨した栄華の遺香漂う魅力的な街ですが、奥美濃の水の町もなかなかに魅力的でした。水づくしがお題となったこの日の最終目的地、田植えを控え水を張った水田に散居集落の浮島が出現する奇跡の景観が広がる富山県砺波市へと東海北陸道を引き返す前に立ち寄らなくてはならない場所がありました。郡上市で産声を上げたという「食品サンプル」の製造現場レポートは次回「庄内系 奥美濃路を行く vol.2」でご報告!

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2007/11/21

鮭を極める哲人

「味匠 喜っ川」の深遠なる世界


 私が一年だけ山形エリアを担当した 2003年の夏。新潟県境の小国町から新潟県岩船郡関川村を経由し、庄内へと向かう途中で通りかかったのが、村上との最初の出逢いです。カーナビを頼りに迷い込んだのが、情緒ある店が点在する大町周辺と細い路地が続く寺町一帯でした。その風情ある黒塀の街並みに「へぇ~、いい町だなぁ」(寒っ! )と思ったことを今もありありと覚えています。その記憶をもとに村上を再訪したのは、本社勤務となって3年目の 2006年春のことでした。

romantei_tatetorou.jpg【photo】市民や有志のボランティアの手になる 5,000 本の竹灯籠が、黒塀の風情ある町並みに灯され、揺らめくロウソクの明かりが幽玄の世界へと誘う「宵の竹灯籠まつり」(毎年10月第二土曜・日曜に開催)。二日間の祭り期間中、この「浪漫亭」ほか市内数箇所で琴や尺八・大正琴などの市民手づくりの演奏会が催され、多くの観光客で街は賑わいをみせる

 三面川に面した「イヨボヤ会館」から国道345号線を越えて歩みを進めると、ほどなく落ち着いた寺町へと辿り着きます。特徴的な白壁土蔵造りの浄念寺の角を左折すると、そこは城下町らしい佇まいを見せる安善小路。かつて若旦那衆は、借金をしてまで料亭や置屋が点在する寺町周辺に通じる通称"親不孝坂"を行き来したのだとか。

 小路の由来となった安善寺の山門前を過ぎ、黒塀が続く通りを左に折れると、ひときわ大きなお屋敷「浪漫亭」が目に飛び込んできます。新潟の地銀「第四銀行」の支店長宅としてかつて使われていた総二階造りの屋敷の主こそ、鮭の町村上を代表する鮭の加工品を手掛ける老舗「味匠 喜っ川」の15代目 吉川 真嗣(きっかわ しんじ)専務その人です。村上の景観に重要な役割を果たしていた、この歴史的建造物が売りに出され、取り壊される可能性が強いと聞いて、自ら建物を買い取ったのが2002年。大正浪漫風の内装にリフォームして自らの住まいとする一方、後述する催し物の会場としても一般に公開。町の賑わい創出に一役買っています。

【photo】伝統文化に新たな価値を付加して見事に花開かせた"村上ルネッサンス"の仕掛け人・吉川 真嗣 専務

 大型複合商業施設誘致や旧市街の再開発に誰も異論を唱えなかった1998年。戦後にできたアーケードで覆われた大町など村上中心部の商店街は、郊外にできた大型店に客足を奪われ、すっかり活気を失っていました。持ち上がった旧市街地の道路拡張計画に対し、町屋・寺町・武家町・城址が揃って残る全国でも珍しい城下町村上の魅力を失ってはならないと、単身反旗をひるがえしたのが吉川氏でした。ここ数年で、日本の地方都市の郊外には至るところ同じような商業施設が並ぶ金太郎飴のような景観が広がるようになりました。

 かたや客足が遠のいた旧来の商店街中心部の活性化は、地方都市が抱える共通の課題です。村上には売り場と生活空間が通路で一体となった奥行きのある町屋造りの店が今もなお残っています。吉川氏は、表を素通りしただけでは判らない建物自体の魅力に着眼しました。そこで伝承されてきた雛飾りや屏風などを含め、"自らの足元にあるもの"を巧みに組み合わせて観光資源として公開し、町の活気を取り戻そうとしたのです。後に「町屋の人形さま巡り」や「屏風まつり」といった歴史ある城下町ならではの風情ある催しで、多くの人を呼び寄せることに成功します。この地域起こしの取り組みは、吉川氏が商店街を一軒ずつ説得して始まったものでした。

kikkawazashiki.jpg【photo】毎年 7月 7日・ 8日に開催される村上大祭に繰り出す「おしゃぎり(=山車)」の模型(写真右下)が飾られた「喜っ川」の茶の間。お仏壇と神棚が上下で組み合わされる村上の町屋造りの特徴を備えている。大きな一枚板の幅木が奢られた上がりかまちは来客が座敷に上がる際に使うもので、家人は一段低い右側の上がりかまちを使う点はいかにも商家らしい。写真下は毎年春に開催され、多くの観光客で町が賑わいをみせるようになった「人形さま巡り」開催中の喜っ川の茶の間。あでやかな段飾りの雛人形と全国各地から集めた素朴な土人形の数々が、落ち着いた小さな囲炉裏のある茶の間を賑やかな祝祭空間へと一変させる

kikkawa-hina.jpg【photo】"うちの人形さま"と呼び習わすほど大切に伝えられてきた村上の人形飾り。毎年 3月 1日~ 4月上旬に開催される「町屋の人形さま巡り」では、さまざまな時代の雛飾りに加え、三河から伝わった素朴な大浜人形(村上土人形)・武者人形・市松人形など 4,000体が 75軒もの町屋で公開される。一ヶ月間の人形さま巡り開催期間中に 3万人が訪れたという初年度 2000年、これといった特徴のない閑静な一地方都市であった村上市にもたらされた経済効果は1億円。それが現在では 5億円ともいわれる。まつり期間中、人口3万の村上を数多くの観光客が訪れる

 真嗣氏は現社長である父君と母上を説得し、江戸情緒溢れる瓦葺屋根と格子窓・障子戸を備えた店構えに改装します。それを皮切りに、市民基金による店舗の歴史的外観の再生と町に賑わいを取り戻すための新たな試みに着手したのです。出資者を募って黒塀を1枚1,000円で購入してもらい延伸する「黒塀プロジェクト」や、黒塀通りを5,000本の蝋燭の灯火が照らす「宵の竹灯籠まつり」、「十輪寺えんま堂の骨董市」など、城下町村上に新たな魅力を加える事業を次々と仕掛けてゆきます。その実績から、氏は2004年に国交省認定の観光カリスマ百選の一人に選定されています。今年43歳になる真嗣氏をして「まだ本業のモノ作りでは親父には敵(かな)わない」と言わしめるのが、14代目主人・吉川 哲鮭(てっしょう)氏です。来店客に気さくに話しかける哲鮭氏の語り草は、いかに村上の鮭文化が深遠なるものかを気付かせてくれることでしょう。

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【photo】鮭の町・村上の歴史と風土が生み出す塩引き鮭。現当主・吉川 哲鮭氏の手で風干しされ、旨みが凝縮した塩引き鮭の身と皮は、鮭に関する既成概念を覆して余りある

 今でこそ鮭の町として知られる村上でも、太平洋戦争を挟んで戦後間もない頃には、三面川の鮭は途絶えたといわれるほど漁獲高が激減しました。"先人が残した村上の鮭文化を絶やしてはならない"と立ち上がったのが一部の地元の人々でした。そんなひとり先代の豊蔵氏は、奥様と共に鮭料理の講習会を催し、忘れ去られようとしていた鮭料理の素晴らしさを地元の人々に伝える活動を始めたのです。そんな父の姿を目にしていた現社長の哲鮭氏は、稼業を鮭の加工一本に絞り、伝統の味に磨きをかけるべく研鑚を重ねます。やがて食料事情が豊かになり始めた高度成長期、地元でも鮭がないがしろにされた時代もあったのだそう。そんな時代に抗うように哲鮭氏は化学調味料や保存料などを一切使わずに、村上の風土に根ざした味を追求し続けてきたのです。

【photo】村上ならではの加工品「鮭の酒びたし」。喜っ川では漁期後半に汽水域で揚がった 5kg以上の赤い婚姻色が出た魚体のオス鮭のみ使用。漁期を通じて数匹しか揚がらない希少な10kgを越える個体も。遡上に備えて汽水域に留まる日数によって、鮭の顔つきが変わってくる。そこに長く留まっていた鮭ほど、オス同士の諍(いさか)いによって凄まじい形相になるという。漁期前半に多い早生(わせ)の鮭は、余分な脂肪で酸化が進むため酒びたしには不向き。卵に栄養を取られるメスも身に旨みが乗らないので使用しない。開け放たれた母屋の窓からは北西から吹く新鮮な風が出入りし、発酵という自然が織り成す神技の手助けをする

 墨痕鮮やかに「鮭」と記された「味匠 喜っ川」の暖簾をくぐると、店内には三面川の居繰網漁(いぐりあみりょう)で使われていた舟が置かれています。先代の豊蔵氏までは鮭製品だけではなく、造り酒屋も営んでいたという喜っ川。店頭には甕に入った冷たい井戸水が置かれ、かつての仕込み水を味わう事ができます。鮭を余すところなく使ったさまざまな鮭の加工品が並ぶ売り場の先は、登録有形文化財に指定された母屋と蔵になります。そこは村上の鮭文化を象徴する風情を湛(たた)えた空間でもあります。

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【photo】風乾干しされる「酒びたし」(写真右)の鮭が下がる母屋に立つ店の主人・哲鮭氏。町の北側にある下渡山や鷹取山が冷たい北風を遮り、瀬波温泉がある海岸線から 3~4キロ離れた村上の町場は、ゆっくりと熟成が進む発酵に適した湿度が保たれる。「村上の町場でなけばこの味は出せないのです」とは哲鮭氏の弁

【photo】鮭に粗塩を引く真嗣氏。一週間塩蔵した後、水洗いをして風乾干しする。梅雨時の高い湿度が塩分を身の奥まで行き渡らせ、夏の高温で発酵が進み、"仕上げの雨"こと秋雨の時期に味が落ち着く。この過程でタンパク質が旨みの成分である 20種以上ものアミノ酸に変化。一年がかりで深みのある旨みを帯びた酒びたしが生まれる。「"風味"とは風が作り出す味のことなのです」と哲鮭氏は語る
 
 鮭が銀鱗を躍らせるとは良く使われる表現ですが、燻し銀のように輝く魚体は鮭が海にいる間だけで、川へ遡上を始めた鮭は「薄ブナ色」と表現されるくすんだ色に変化します。水の臭いを頼りに生まれた川に戻った鮭が上流域に生えるブナと同じような色の魚体に変化するのは興味深い偶然といえましょう。村上では家々で男が仕込むのが習わしだという「塩引き鮭」。喜っ川では、10月下旬から11月にかけて村上の沖合いと汽水域周辺にいる鮭を使用します。塩引きに適した4.5kg以上の魚体を哲鮭氏が目利きします。一尾ずつ浸透圧が異なる鮭の状態に合わせて、塩を引く加減を変えるという哲鮭氏。塩を引いていると、鮭が「もういいよ」と手を伝って語りかけてくるのだとか。「のべつ同じ加減であれば、機械だって仕事はできるでしょう? 」もはや名人の域に達した哲人は、そう言って目を細めました。

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【photo】「簠(はんぼ)」と呼ばれる浅い楕円形の桶で4~5日寝かせた後、水洗い。その後一ヶ月弱店内に吊るされて発酵熟成される「塩引き鮭」。簠とは元来、神様への捧げ物を盛る器の名。これは鮭がいかに神聖視されていたかを物語っている。一般に流通する新巻鮭は、鮭に塩をした直後に冷凍されたもの。自然解凍によって塩を身に馴染ませるだけで、村上の塩引き鮭のように気候風土と発酵作用が味を作り上げるものではない。皮まで滋味深い塩引き鮭を一口含めばその香りと味の違いは歴然

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 2007年11月22日(木)に仙台で催される「宮城ブランド発信フェスティバル」(主催:河北新報社)の際に基調講演をしていただくべく、8月末に吉川専務のもとを訪れました。さらにイタリアから訪れたジョルジョ・チリオ氏らと「宵の竹灯籠まつり」にボランティア参加するため、再訪を果たしたのが10月14日。ちょうど今年の鮭漁が始まったばかりの時でした。その二度とも親子二代から身に余る厚遇をして頂きました。

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【photo】驚くほどの旨みを持つ村上茶を頂きながら、哲鮭氏の話を伺ううち、村上の伝統文化がいかに奥深いものかに気付くはず

 村上には「亭主の茶」という習慣が残っています。その家の主(あるじ)が、先祖伝来の茶器を使って客人をもてなすのです。お茶の栽培が奨励された江戸期においては、村上は北限の産地とされ、寒冷な気候で生育が遅い分、渋味が少なく甘さを感じる在来種のお茶が育つのです。専務には浪漫亭で、社長からは母屋の座敷で、薫り高くまろやかな村上茶でもてなしていただきました。様式美すら感じさせる澱みのない所作で淹れられた村上茶の味わいは、決して忘れ得ぬものです。

 もともとの家業であった味噌・醤油から造り酒屋を経てきた蔵に隣接して、大正期に作られたという糀室(こうじむろ)があります。江戸の創業当初から発酵食品を手掛けてきた吉川家。先祖伝来の昔ながらの完全手造りによる麹(こうじ)作りが、今もそこで行われています。麹の仕込みが行われるのは 1月~3月にかけての厳寒の時期。米を炊き上げるのは、樹齢500年の秋田杉を材料に能代の職人に特注で作ってもらったという、底板の中心に10cm弱の穴が開いた「甑(こしき)」(⇒樽型のせいろ)。厳密な温度管理を要求される麹室での麹菌の培養には、寝ずの番をしなければなりません。木目を通して余分な水分を飛ばしてくれる甑で炊き上げた米は、絶妙な具合に仕上がるといいます。村上では、正月に鮭の熟(な)れ寿司を食する習慣があります。塩引き鮭とハラコにご飯と麹を混ぜて室温に置き、発酵が進んだ一ヶ月を経過した頃が食べごろ。子どもの頃、真嗣氏はこれが大の苦手だったそうですが、今ではこの熟れ寿司を食べないと正月を迎えられないのだとか。熟れ寿司に使用する米麹を伏流水で仕込んだ天然甘酒「雪乃華」もまた絶品です。
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【photo】神棚が祀られた麹室の入口には「学を修め 技を極め 一(はじめ)に還る」という哲鮭氏の警句が貼られてあった(写真左) 良質な米麹ともち米に由来する柔らかな甘さは後を引く美味さ。天然甘酒「雪乃華」180cc 税込315円(写真右)

 作務衣姿で店に立つ哲鮭氏の頭の被り物には、魚偏に「生」と書いてサケと読む昔ながらの村上の当て字が染め抜かれています。平安期より、村上では自分たちを生かしてくれる鮭への感謝の気持ちを込めてこの字を使っていました。敢えてその字を用いて、日々鮭と向き合う哲鮭氏の姿に、鮭とともに生きてきた村上の伝統と、それを受け継ぐ者の気概を見たのでした。

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味匠 喜っ川(みしょう きっかわ)
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住所:新潟県村上市大町1-20 
TEL : 0254-53-2213    FAX : 0254-53-2213
URL : http://www.murakamisake.com/ 
※喜っ川の正式表記は「喜」の略字である「七」が三角形に組み合わされた字をあてる

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2007/11/18

鮭のまち村上

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【photo】村上城址から見た村上。正面には下渡山と日本海へと注ぐ三面川が望める

 越後村上藩15万石の城下町として栄えた新潟県村上市。
鬱蒼とした木々に覆われた臥牛山(がぎゅうざん)山頂の村上城跡からは、人口3万人あまりの村上市街と下渡山(げどやま)を巻き込むようにして日本海へと流れ着く三面川(みおもてがわ)が望めます。落ち着いた佇まいの旧市街には、昔ながらの武家屋敷や印象的な黒塀が続く寺町、町屋造りの商家の家並みが残ります。

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【photo】かつて地方銀行の支店長宅として使われていた「浪漫亭」(写真左)
趣ある金看板が目印の和菓子店「早撰堂」(写真右)
 

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【photo】名産の村上牛を食せる風情ある店構えの「江戸庄」(写真左)
〆張鶴・大洋盛など村上の銘酒は櫓が目印の「田村酒店」へ(写真右)

細工町・塩町・鍛冶町・肴町などの町名からは、町人・職人が住まったかつての名残りが伺えます。伊達藩制時代に推奨されながらも一度は途絶えた仙台堆朱の伝統を明治末期に復活させたのは、仙台に招かれた村上の堆朱職人・川崎栄之丞でした。今ではウレタン塗装が当たり前になってしまった仙台堆朱とは異なり、今も木彫りと漆塗りの匠の技を受け継ぐ村上木彫堆朱は、経産省指定の伝統的工芸品に指定されています。
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【photo】木地師・彫師・塗師らが伝統の匠の技を発揮して精緻な文様を施す村上堆朱(写真左)。かつては栽培の北限と言われた名産の「村上茶」の産地にふさわしく、茶器の種類が豊富。村上には、茶碗の欠けたところ(写真右:金色の箇所)を見事に修理する腕を持った漆職人と金細工職人がいる。鮭加工製品の老舗・喜っ川の吉川社長によれば、こうした茶碗は「景色が変わった」と言って愛でるという

 仙台の市街地を流れる広瀬川など、鮭が遡上する川は日本各地にあります。新潟と山形の県境に連なるブナ林が広がる大自然を湛えた朝日連峰に端を発する清流・三面川は、鮭の川として知られています。わけても村上の人々が営々と築いてきた鮭の食文化は特筆すべきものです。頭から尾に至るまで捨てるところなく加工・調理される村上の鮭料理は、優に100種類以上にのぼります。毎年秋になると産卵のために三面川に戻ってくる鮭は、たとえ飢饉の年でも人々の貴重なタンパク源となったことでしょう。晩秋から春にかけてこの町を訪れると、家々の軒先に下がる鮭を目にします。特徴的なのは、腹を真一文字に割くのではなく、腹びれのあたりを一箇所を残して切る「止め腹」と呼ばれる仕込み方。豊かな恵みをもたらす鮭に切腹させることを忌み嫌った城下町村上ならではの慣わしです。村上で鮭を指す言葉「イヨボヤ」の「イヨ」とは、平安時代に編纂された辞書「和名抄」によれば、魚(ウオ)から転じて魚を指す言葉です。そして「ボヤ」は魚を指す村上の方言。つまりイヨボヤとは、鮭に対する親しみと敬いの気持ちを込めた"魚の中の魚"を意味する呼び名なのです。

【photo】家々の軒先に下がる「止め腹」をした塩引き鮭は、村上の晩秋から冬にかけての風物詩

 平安中期の律令細目を記した延喜式(927年)には、村上の鮭が京都まで運ばれていたことを示す記載があります。そこには「鮭楚割(さけそわり)」⇒塩引き、干物 ・「背腸(せわた)」⇒血合いの塩辛、めふん ・「鮭内子(こごもり)」⇒子をもった雌鮭 ・「氷頭(ひず)」⇒頭部の軟骨 ・「鮭鮨(さけずし)」⇒内臓を除いた鮭に米と酒を詰めて発酵させた熟(な)れ寿司 ・「鮭子(さけこ)」⇒スジコなどの表記が見られ、当時から鮭をさまざまに加工・調理していたことが窺えます。漁業権の入札制度が導入された江戸時代、資源保護の観点から稚魚の捕獲が禁じられます。同時に鮭の成育環境保持に森が果たす役割に気付いていた村上藩は、町の対岸にあたる下渡山から河口近くにある多伎神社(たきじんじゃ)周辺のタブノキなどの照葉樹林の保護に乗り出します。現在でこそ漁業資源と森林資源が密接に関係している事は周知の事実ですが、「魚つき保安林」の先駆けともいうべき村上藩の「御留山(おとめやま)」制度によって無用の入山や、許可無く木を伐採することが制限されました。鮭の成育に果たす樹木の役割に気付いていた村上の先人の知恵には驚きを禁じえません。こうした保護政策によって、鮭がもたらす税収は村上藩の財政を支える重要な柱になってゆきます。

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【photo】白雪に覆われた朝日連峰に端を発する「三面川」。豊かな鮭文化を村上の地に育んできたのは、この母なる川にほかならない

 当時は漁獲高に応じて漁師が納める租税額が決められていました。しかし、江戸中期になると、乱獲のため鮭の漁獲量が激減します。それは漁業者と藩にとって大きな痛手となります。この状況を打開したのが、川役人をしていた下級藩士・青砥 武平治(あおと ぶへいじ・1713-1786)でした。武平治は鮭の母川回帰性を世界で最初に発見した人物として今も語り継がれています。ことによると武平治は三面川流域の人々から、鮭が生まれた川に産卵のため戻ってくるのではないかという話を耳にしていたのかもしれません。治水の専門家だった武平治は、鮭の産卵環境整備の必要性を藩に具申します。それを受けた藩は、鮭の産卵に適した流速が穏やかで清冽な湧水が湧き出る場所に産卵床が設けます。

 1763年からはおよそ30年の歳月をかけて鮭の産卵に適した水深に設計された支流(種川)が、三面川と枝分かれして造られます。武平治が考案したこの世界初の自然孵化(ふか)施設の成果は目覚しいものでした。乱獲によって漁獲高が減少する以前は、豊漁時でも200~300両ほどだった税収が、この「種川の制」が導入されるやいなや1,300両あまりに、幕末期にはおよそ2,000両へと増えたといいます。明治17年に三面川で確認された73万7千匹という遡上数は、我が国における最高記録です。

 漁業資源の枯渇が叫ばれる今、その必要性が増す "捕る漁業"から"育む漁業" への転換は、世界に先駆けて村上から始まったのでした。

【photo】鮭公園に建つ 青砥 武平治 の像

 廃藩置県後の1878年、米国で編み出された鮭の人工孵化技術を導入した日本初の人工孵化場が村上に設けられます。漁業資源保護のための鮭の捕獲は、遡上の時期に川幅いっぱいに設けられる堰(せき)「ウライ」で行われています。最盛期には1日に1,000匹あまりの鮭がかかることもあるといいます。ウライの下流域では、引き網による捕獲に加え、今日では村上だけに伝わる伝統漁法「居繰網漁(いぐりあみりょう)」が行われています。二人乗りの小さな木舟が組になって鮭を追い込むこの漁法や、針に鮭を引っかけて竿で釣り上げるダイナミックな「テンカラ漁」も晩秋から冬場にかけての村上ならではの光景です。

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【photo】三面川の居繰網漁。二人乗りの木舟が 3~4艘で一組となり、鮭を追い込んだ上で網で捕獲する

 村上と鮭の関係を知りたければ、まずは種川の堤防を挟んで隣接する鮭公園内にある「イヨボヤ会館」を訪れてみましょう。この日本で最初の鮭に関する博物館では、この地の人々がいかに鮭と深く関わってきたかを知ることができます。三面川の四季の移ろいや青砥 武平治の功績を映像で紹介しているほか、漁具の展示・子ども向けの学習コーナーなども。館内には孵化場が設けられ、漁が始まる10月中旬から4月にかけては鮭の孵化・飼育を行っています。地階は種川の川底へとつながっており、遡上シーズンには、ガラス越しに鮭が群遊する様子や、運が良ければ感動的な産卵シーンを間近かに見ることができるでしょう。

 「イヨボヤ会館」で村上と鮭に関する理解を深めたところで、ぜひとも訪れていただきたい鮭の町村上の心と技を伝える一軒の老舗へ次回「鮭を極める哲人」にてご案内します。

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イヨボヤ会館
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新潟県村上市塩町13-34  TEL 0254-52-7117 FAX 0254-53-4300
URL http://www.iwafune.ne.jp/~iyoboya/
開館時間 / 9:00 ~16:30 休館日 / 12月28日~1月4日 
入館料 : 大人600円 小中高生300円 団体料金(20名以上)大人500円 小中高生250円

村上市へのアクセス】
JR利用の場合 / JR羽越本線 村上駅下車
自動車の場合 / 磐越自動車道⇒日本海東北自動車道・中条IC下車⇒国道7号線経由 または 東北道 福島飯坂IC下車⇒国道13号線⇒米沢⇒国道287号線・国道113号線経由(※3年連続水質日本一の清流「荒川」が流れる関川村周辺の美景が楽しめるルート) または 鶴岡方面からは国道7号線⇒国道345号線経由(※周辺きっての美しさを誇る名勝「笹川流れ」を経て日本海沿いを南下するルート)


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