あるもの探しの旅

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2017/03/12

当選スマすたー

善因善果 あるいは 因果応報

 前触れもなく届いた小包の発送元は青森県観光国際戦略局誘客交流課。読んで字の通り、青森県庁でインバウンドを含む観光に関する業務を担当する部署のよう。観光情報サイトアプティネットにもその部署名が出ています。

 送り状の品名欄には「目指せ東北6県制覇!スマホスタンプラリー プレゼント」と記載してあります(下画像)

 その下に「青森県特産品詰め合わせセット」とプレゼント内容が明記されたスタンプラリーのタイトルには心当たりがありました。

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 昨年7月15日から2017年1月9日まで、東北各県とNEXCO東日本は、初の共同主催による「高速道路でつないで集めるスマートフォンスタンプラリー」を実施しました。

 これは東北の観光スポット・道の駅・高速道路のSA・PAなど各地に設定されたラリー対象地点で、スマホの専用サイトにアクセスすると、自動的にスタンプがもらえる仕組み。東北各県の観光スポット5カ所+高速道路SA・PA1カ所で合計6カ所のスタンプをゲットすると、県単位の制覇賞に応募でき、各県の特産品が抽選で当たるという内容です。

 東北をフィールドに駆ける庄イタは、紅葉シーズンを迎える頃には青森から福島まで6県全てを制覇していました。

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 応募から時間が経過していたため、キャンペーンの存在すら忘れかけていた今日この頃。届いた小包を開封すると、「プレゼント当選のお知らせ」と記された挨拶状が入っています(上画像)

 みごと当選したのは、合計360名に当たる「1県制覇賞」。地元宮城や隣接する4県に先駆け、東北6県の中では最初にコンプリートした青森の特産品セットなのでした。

 思い起こせば、このキャンペーンに応募したのは昨年8月初旬。本州最北の青森を目指して自宅を出発したのは草木も眠る丑三つ時を過ぎた頃。仙台から東北自動車道を北進。休憩を挟みながら八戸には早朝に到着し、三沢から十和田・青森、黒石・弘前・五所川原を経て深浦まで4日をかけて青森各地を巡りました。

tori-iwakisan.jpg【Photo】本州最北の最高峰が岩木山(標高1,625m)。奈良時代後期の780年(宝亀11)まで起源が遡る山頂付近に鎮座する奥宮と本殿(国重文)に向かって参道が続く岩木山神社。古事記に登場する初代神武天皇の即位から数えて2,600年目にあたるとされ、国主導により、さまざまな記念行事が催された1940(昭和15)に創建されたことを示す「奉献 紀元二千六百年八月一日」の銘が入った一之鳥居越しに象形文字のような形状の岩木山が、頂きをのぞかせる

romon-iwakisan-jinjya.jpg【Photo】1589年(天正17)の岩木山噴火で焼失後、徳川3代将軍家光の治世下だった1628年(寛永5)に再建された楼門(国重文)。丹(に)塗り一色に染められた二層の入母屋造り。上層までの通し円柱に渡された梁の幅を指す桁行(けたゆき)17.7m、高さは17.85m

comainu-iwaki-destra.jpg comainu-iwaki-sinistra.jpg【Photo】楼門を囲む玉垣の標柱と一体化した極めて特徴的な狛犬。楼門に向かって右側の阿形(あぎょう)は柱で爪を研ぐネコさながら。逆立ちしている左側の吽形(うんぎょう)に至っては、これまたポールダンスに興じるネコさながら

chozu^iwakisan.jpg【Photo】ギリシャ神話が起源で、映画ハリーポッターと賢者の石に登場する地獄の番犬ケルベロスや、ゴジラのライバル・キングギドラを思わせる三つ頭の龍から滔々と流れ出る岩木山神社の手水。岩木山を源流としており、お清めだけでなく、極めてパワフルな印象の水。京都・清水寺「音羽の滝」と同じような柄の長い柄杓から手に取ってご神水をゴクリ。内と外から穢れを落として体内浄化したのが、今回プレゼント当選の決め手となったかも

 その詳細は、仙台でアムさんメロンとの奇蹟的な遭遇を果たした一件を記した「フェロモンメロン 奇蹟の遭遇@道の駅フェスタ in 仙台」に続く五回シリーズの長編で既報の通りです。〈2016.8拙稿「Breakfast at Mutsuminato 陸奥湊で朝食を」~2016.10拙稿「カレー + 味噌 + 牛乳 +バター 青森発。華麗なる四位一体ラーメン」参照〉

wespa_tsubakiyama2016.8.jpg【Photo】種差海岸から日本海側まで青森を横断、JR五能線の駅がある西津軽郡深浦町の宿泊施設「WeSPa椿山」で迎えた朝。グループやファミリーで楽しめる施設内に湧出する天然温泉「鍋石温泉」は、日本海に面したドーム型露天風呂で、泉質はナトリウム塩化物強塩泉 (高張性中性高温泉)。4月~10月までの天候が良い日は、ドームが解放され、眼下に広がる日本海の素晴らしい眺望と、肌触りの良いかけ流しの温泉を満喫できる。コテージの宿泊客以外にも500円で日帰り入浴可

 二度目となる八戸三社大祭では、奇想天外な山車のスペクタクルと時代行列や法霊神楽を堪能。涼を呼ぶ奥入瀬から硫黄の香り漂う混浴の千人風呂で名高い酸ヶ湯温泉に浸かろうと八甲田を越えて青森市入り。熱気渦巻く青森ねぶたの余韻冷めやらぬ翌日は、田舎館村で芸術的な田んぼアートに接し、五所川原では立佞武多(たちねぷた)のド迫力に圧倒されました。

carpaccio-casa-del-cibo2016.jpg【Photo】瞬間燻製した朝獲れ八戸前沖サバのカルパッチョ仕立て ハーブと茄子のピューレ。昨年8月、八戸市湊高台「カーサ・デル・チーボ」プリフィックスのCコース(2,950円)で5つの選択肢から選んだアンティパスト。海水温が低い北緯40度近辺の八戸近海で、不飽和脂肪酸を含む脂肪を組成の3割近くまで蓄える「八戸前沖サバ」。朝に水揚げされたサバを燻製仕立てにした一品。一昨年11月、同市六日町「サバの駅」で食したジューシーで香ばしい脂を堪能できる「銀サバ串焼き」(下画像)や「船上活〆(じめ)陸凍サバ」とはまた違った八戸前沖サバの魅力を再認識

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 ヒラメ漬け丼@陸奥湊「みなと食堂」、八戸前沖サバ炙り焼きの朝ごはん@市営魚菜小売市場、八戸イタリアン@「カーサ・デル・チーボ」、マリナーラ&ラニチキン@三沢「Pizzeria Massimo」、青森イタリアン@「Al Centro アル・チェントロ」などは、7月から8月にかけて2度の青森遠征で再訪。

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【Photo】八戸で迎えた2日目の朝。腹ごしらえをしようと向かった先は、JR陸奥湊駅前の昭和感が色濃く漂う市営魚菜小売市場。半身を平らげるとお腹がいっぱいになるサイズの八戸前沖サバの炙り焼きをメインディッシュに、小川原湖産しじみの味噌汁、長芋の千切りなど、南部地域の味が揃ったオリジナル朝ごはん

 新機軸としては、味噌カレー牛乳ラーメン@青森「札幌館」、同「味の札幌 大西」を挙げなくてはなりません。しじみラーメンを目当てに津軽半島十三湖まで遠征するも、お気に入りだった民宿岩亮は知らぬ間に廃業。代役に訪れたのが正解だった「しじみ亭奈良屋」のしじみづくしなど、ご紹介しきれないほどの美味との出合いを青森で果たしました。

shijimi-zukushi-naraya.jpg【Photo】(右手前より順に)しじみチャウダー・しじみラーメン・しじみ汁・しじみバター炒め・豆腐のしじみ南蛮漬のせ・漬物・津軽りんごコンポート・しじみ味噌と佃煮・しじみ釜飯。産卵を控えて身が肥えた十三湖特産の大和しじみを一度に味わえた北津軽郡中泊町しじみ亭奈良屋「しじみづくし」(1,836円)。

 イタリアと庄内への偏向ぶりが著しいViaggio al Mondoとしては珍しく、ほぼ青森一色だった昨夏。〝狭くディープに〟のコンセプトはそのままに宗旨替えをした格好となりました。

 それゆえ5回シリーズの青森紀行レポートを通し、微力ながら青森の交流人口の押し上げに寄与できたかもしれません。青森遠征の折に参詣した八戸・蕪島神社、青森・善知鳥(うとう)神社、弘前・岩木山神社の神々が、庄イタの行いをご覧になっていたのでしょう。

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 香川がうどん県なら、りんご県と呼びたいのが青森。小包には津軽産のリンゴ加工品が3種類、同封されていました。1品目は上北農産加工農業協同組合の焼肉用たれ「スタミナ源」(下画像)

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 発売から半世紀年以上を経たロングセラー商品で、県内シェアは7割と圧倒的。仙台でも目にする機会が少なくありません。

 青森県産の醤油をベースに、生産量日本一のリンゴやニンニクなどの野菜類、隠し味にリンゴ酢などを加えたまろやかな風味。焼肉だけでなく、万能タレとして愛されています。

 長さ10mほどの陳列棚の両サイドをスルメなどの乾き物系が埋め尽くし、呑ん兵衛な県民性が垣間見えるなど、ディープな青森の魅力を凝縮した食品スーパー「カブセンター」で購入していたのが、同組合のピリ辛風味焼肉用たれ「辛味家(画像右)でした。

 こうして頂き物をするだけではなく、ここ数年、夏に欠かせない「アムさんメロン」の食味コンテスト出品作を大人買いしたことは言うに及ばず、イタリア国旗と同じ配色の看板が庄イタには極めて好印象な地元資本のカブセンターで、当選の祝杯となったキリン一番搾り「青森づくり」や青森産リンゴ果汁100%のシャイニーアップルジュース「赤のねぶた」をケース買いするなど、あまたの青森県産品を購入していました。

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【Photo】当選の祝杯は、カブセンター八戸長苗代店で購入したキリンビール北海道千歳工場製の「一番搾り青森づくり」。2杯目が青森紀行の流れで訪れた秋田市で入手した「秋田づくり」。コチラは副原料に「あきたこまち」を使用。3杯目は同じく酒田で購入した「山形づくり」。いずれも同社仙台工場製。「●●づくり」というネーミングに横槍を入れた某同業者のように固いことは言わず、まずは乾杯!! \(●^^●

 東日本大震災が起きた2011年の秋、「どうぞ召し上がって下さい」と収穫したリンゴを庄イタの拙宅に送って下さったのが、弘前市でリンゴを栽培する一戸清隆さん。一戸さんへの感謝の気持ちを忘れず、クリスタルのようにキラキラした透明度が高い味わいのみずみずしい蜜入りリンゴを、購入時期をずらして毎年2回購入してもいます。

 そんな律儀な庄イタを当選とするとは、青森県観光国際戦略局誘客交流課の皆さん、お目が高い

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 2品目と3品目は「青森りんごキャンディ」と「まるごとりんごパイ 気になるリンゴ」。自社のリンゴ園を弘前市郊外に所有する菓子メーカーラグノオささきの製品です。とりわけ同社の「パティシェのりんごスティック」は、仙台でも目にする機会が多く、弘前を代表する菓子メーカーとしての地位を築いています。

 青森りんごキャンディを一粒ほおばると、中にはトロ~リとした濃縮リンゴ果汁が詰まっています。爽やかな風味のキャンディに、甘酸っぱい青春の思い出が蘇ります。

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 津軽を訪れると、リンゴ畑が地の果てまで続く風景を目にします。国内生産のおよそ6割を占めるリンゴ王国・青森の主力品種が「ふじ」。

 ふじは青森県南津軽郡藤崎町で育成され、完熟の証である蜜入りが良く食味の良さから海外でも人気が高い品種。

 まるごとりんごパイ 気になるリンゴは、ふじをまるごと1個シロップ漬けにし、芯抜きした部分にはジューシーなスポンジがぎっしり。全体をパイ生地で覆って焼き上げたスイーツです。

 サックリ&しっとりしたパイ生地の中身に隠れているふじは、収穫後間もない蜜入りリンゴのシャキッとした食感が残っており、なかなかに美味。

 スタンプラリー事務局の皆様、どうもご馳走さまでした。

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 善き行いが善き結果に結び付いた善因善果なこの一件。このように青森で訪れた蕪嶋神社・善知鳥神社・岩木山神社の神々による霊力のほか、もう一つだけ、心当たりとなる要因があります。

 2度目の青森遠征の折、日本海側の深浦を朝に発って秋田を縦断、庄内まで南下していました。秋田竿灯まつり最終日と重なったその日。秋田市青柳町にある本格ナポリピッツァの店「COSI COSI コジコジ秋田山王店」を再訪するも臨時休業。代打の「オステリア ムーリベッキ」は特筆すべき収穫が無いまま初訪店を終了。

 口直しは、6月に続いて訪れた甘味処「広栄堂」で。伏流水を冷却した氷柱を丹念に手回しして削り出したパウダースノーのごときフワフワの食感が素晴らしい61種類が揃う当店のかき氷。看板メニューは、とぐろを巻いたソフトクリームがトッピングされたかき氷、生グレープフルーツソフト。通称「生グソ」(笑)。

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【Photo】店頭に「生グソ始めました」の貼り紙がある秋田市民が愛してやまない甘味処「広栄堂」にて。生グレープフルーツソフト(通称「生グソ」/手前・500円)と生イチゴソフト(奥・520円)。綿菓子のようにふわっふわの氷の中に果肉がふんだんに入っており、着色シロップ風味の一般的なかき氷の追従を許さない美味しさもてんこ盛り

iwagaki2016.jpg 秋田市の最高気温が31度を超す暑さだったこの日。激混みの店内で頂いた生グソで勢いづき、日本海沿岸東北自動車道を山形県境まで南下しました。

 見慣れた庄内側とは左右が逆の姿で鳥海山が「お帰り~」と出迎えてくれた秋田県にかほ市で、お盆前には必ず立ち寄る道の駅象潟「ねむの丘」へ。その目的は天然岩ガキです。

 産卵期を迎え、ぷっくりと膨らんだ大ぶりな乳白色の天然岩ガキは、酷暑を乗り切る滋養豊富な夏が旬の海の幸。昨夏食べ比べた中で最も身入りが良かったのが、新潟・笹川流れ産でした。その味をたとえるなら♪ ミルキーはママの味

 生グソと生岩ガキでロングドライブの疲れも吹き飛び、酒田花火ショーと重なった酒田に滞在した翌日は鶴岡まで南下。秋田で食べ損ねたナポリピッツァを「穂波街道 緑のイスキア」で食した昼過ぎには36度を超える猛暑の中、海の守り神・龍神信仰の寺で、かつて人面魚で一世を風靡した善寶寺にも詣でていました。

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【Photo】善寶寺境内(部分)。(手前より)釈迦三尊と十大弟子、羅漢様など個性豊かな表情の木像500体を配した五百羅漢堂は、1855年(安政2)に落慶法要が執り行われた。1867年(慶応3)に上棟した山門は、見事な透かし彫りが施された二層造り。魚の供養を願って創建された五重塔は、1893年(明治26)に完成。すべて登録有形文化財。zenpoji_omamori.jpg

 開祖妙達上人の生誕1150年に当たった昨年。7月中旬から10月末までの期間限定で、奥の院龍王殿所蔵の龍道大龍王と戒道大龍女のご尊体が開山以来初めて一般公開されていたのです。

【Photo】善寶寺参拝の折に頂戴した龍神様の守護札(右)が当選の手助けとなった。...のかも

 庄内系を名乗る以上、千載一遇の機会を逃すはずもありません。拝観後に足を運んだ善寶寺を守護する二体の龍神が棲むという貝喰(かいばみ)の池では、なかなか遭遇できないという人面魚が出迎えてくれたのでした(下画像)

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 こうしてプチ幸運が重なった挙句の今回のプレゼント当選で、終わりよければすべてよしとなった格好。

 めでたしめでたし。

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2016/11/28

Bianco e Nero ~ Capitolo Nero ~

【黒編】クラシックな黒漆喰の内蔵(うちぐら)

奥ゆかしくも豪奢な内蔵めぐり
@秋田県横手市増田

 秋田県横手市十文字町から岩手県奥州市に通じる小安街道(現R397)と、宮城県大崎市鬼首に抜ける手倉街道(R398)が交差し、藩制時代より人馬と物資が行き交う要衝の地であった横手市増田地区。

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【Photo】戦国時代より増田の中心部を東西に流れる用水路「下夕堰」(下画像)に架かる中町橋のたもとに位置する「山吉肥料店」。町並みを南北に貫く中七日町通りに面した主屋の建造は明治中期

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 373年前より佐竹藩公認の定期市が立つ増田には、18世紀に開山した吉乃鉱山で活況を呈した明治から昭和初期にかけて、表通りに面して建築様式の異なる切妻屋根の商家が建ち並ぶ家並みが形成されました。

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【Photo】白壁と黒梁のコントラストが美しい「日の丸醸造所」は「まんさくの花」銘柄を醸す増田で唯一現存する酒蔵。現在の主屋は明治期の建造。(国登録有形文化財)

 目抜き通りの「中七日町通り」沿いには、5間から7間(9m~12.6m)の間口に対し、裏通りまで通じる奥行きが50間から最大100間(90~180m)もの細長~い敷地を有する商家が並びます。これは通りに面した間口の大きさに応じて租税額が定められた時代の名残。

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【Photo】代々の地主であった「佐藤與五兵衛家」の主屋は、明治後期から大正期の重厚な造り。秋田本店の北都銀行の前身にあたる増田銀行発足時は監査役を務めた家柄。(蛇足ながら、前世イタリア人的感覚からすれば、無粋なコンクリートむき出しの電柱が、景観を破壊している日本の現状をつくづく勿体ないと感じる一事例)

 いくつかの主屋は、妻側に白壁と梁組みや梁首が組み合わされ、下屋庇(げやひさし)を備え、町屋建築特有の通路「通り土間(トオリ)」が家の中を貫きます。敷地を抜けた裏通りには掘割が引かれ、今も一部が残る黒塀と門構えの落ち着いた佇まいを見せていたのだといいます。

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【Photo】造り酒屋「石理酒造」を営んでいた石田家が迎賓用に吟味した秋田杉やヒノキ、台湾産のタイサンボクなどの部材を取り寄せて建てた「旧石田理吉家」主屋は昭和12年竣工。茅葺の低層住宅が主流であった当時としては珍しかった木造3階建て(横手市指定文化財)

 2013年(平成25)、国の重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けた景観を構成する店舗兼住宅のほとんどが土蔵を有しています。4,100棟が現存する蔵とラーメンのまちとして名高い福島県喜多方と同様、商家は現役として現在も使われています。

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【Photo】山吉肥料店の主屋を東西に抜ける「通り土間(トオリ)」。表通りに面した左手には店舗兼事務所・神棚仏壇がある次の間・座敷・居室と続き、右手に水場、最奥部が内蔵。裏口を抜けた先は堀沿いの洗濯場、外蔵、来客用の別宅、裏門という配置になっている

 その最大の特徴は、商家の構造。表通りをそぞろ歩きしても存在が窺い知れない土蔵は、鞘(さや)と称される建屋の内部に造られています。土壁の蔵は水気を嫌うため、「内蔵(うちぐら)」と呼ばれており、これは豪雪地帯なるがゆえの工夫が生んだ産物でもあります。

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【Photo】明治前期に竣工した「佐藤又六家」の主屋内部と文庫蔵(国登録有形文化財)

 加えて土蔵は白黒のナマコ壁上部は漆喰の白壁が定番ですが、増田の内蔵は事情が異なります。漆喰仕上げでも難易度が高く、その技術の粋を極め、贅を尽くした黒漆喰磨き仕上げの壁や、観音開きの扉には組み木による亀甲文様などの鞘飾りを施した明治から昭和初期にかけての壮麗な蔵が数多く残ります。

100views_edo_shirokiya.jpg【Photo】歌川広重筆「名所江戸百景」第44景「日本橋通一丁目略図」

 江戸黒と呼ばれた黒漆喰の土蔵は、歌川広重が幕末期の江戸の街並みを描いた連作浮世絵「名所江戸百景」の日本橋志ろ木屋(後に東急百貨店日本橋店・現在のコレド日本橋)や、埼玉県川越市の明治末期の街並みにも見ることができます。

 なかでも増田の内蔵は、NHK大河ドラマ「真田丸」のタイトルを製作した(公社)日本左官会議の議長を務める挾土秀平氏ら専門家が、国内で最も優れた事例であると太鼓判を押しており、漆喰磨き土蔵建築の粋を極めた遺構と言って過言ではありません。

 一般公開される商家の中で、国登録有形文化財として登録されるのは9件。黒光りする黒漆喰は、1世紀以上は輝きを失わないといわれます。これは松を不完全燃焼させた際に出る煤(すす)「松煙(しょうえん)」や黒雲母の粉末を漆喰に混ぜ、ムラが出ないよう石灰を主成分とする下地の表面へ均等にコテで塗り、丹念に木綿・絹・素手の順に磨き上げた地元の職人の卓越した技巧によるもの。

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【Photo】コンクリートの登場により、昭和初期に終焉を迎えた増田の土蔵文化を築き上げた職人技の集大成となった「山吉肥料店」の内蔵正面。もともとは貴重品を収蔵し、防火目的で造られた土蔵。財力と壁の厚さを物語る五層重ねで密閉性(=防火性能)も高い扉には白縁取りがなされ、ネズミ除けの白蛇装飾も施されるなど、装飾性も極めて高い

 川連漆器の秀品を展示即売する川連漆器伝統工芸館から移動して増田へと移動、「日の丸醸造」の次に訪れた「佐藤多三郎家」の明治後期に建てられた座敷蔵の黒光りする壁を前に「これは黒漆仕上げですか?」と、ご説明頂いた奥様に質問したほど。

 現存する内蔵は48棟。この日伺った中では、明治後期~大正にかけての建造と推定される店蔵を構える「旧村田薬局」の明治初期~中期に建てられた内蔵を高齢者の居室として使っています。基本的な構造として1階が蔵座敷(初期においては板張りの1室構造、時代を追うにつれて畳敷きの座敷との組み合わせも登場)、2階が収納庫となっています。

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【Photo】佐藤多三郎家の内蔵は明治後期に建造。深みのある輝きを放つ黒漆喰壁と繊細な鞘飾りが見事で、増田に贅を尽くした蔵が建ち始めた頃の遺構としても貴重な存在。基礎部分には、銀を採掘した湯沢市院内(いんない)地域で産出する凝灰岩「院内石」が用いられている(横手市指定文化財)

 最盛期にどれほどの数の内蔵が増田にはあったのか、興味が湧いたので横手市歴史まちづくり課に問い合わせてみました。(公社)文化財協会による初調査が2003年(平成15)だったように、類い稀な文化的な価値が認識されたのはここ数年に過ぎません。長きにわたって他人の目に触れることがなかったがゆえ、増田の内蔵に関する信頼できる過去の統計が存在しないとのこと。

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【Photo】現在は観光物産センター蔵の駅として稼働している明治中期の「旧石平金物店」内蔵は、後に登場する蔵と比べれば、比較的に簡素な造りとなっている

 二階の梁の材質や太さ、本数にごだわり、家紋を掲げる妻壁側の観音開きとなる扉に施された防火上の機能が美的配慮までに昇華した「重ね」の数や白い縁取り、ネズミ除けのヘビをかたどった装飾など、基本的な蔵の構造は共通していても、それぞれの細部に個性が見て取れます。

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【Photo】太物商から医院に転じた佐藤家。明治後期の「佐藤多三郎家」内蔵二階部分。梁は栗の巨木、柱には秋田杉をともに漆をかけて使用(横手市指定文化財)

 内蔵を見て回るうち、増田の旦那衆が互いに張り合うよう意匠を凝らし、吉乃鉱山や商いがもたらす富を、豪奢な内蔵にひたすら注ぎ込んでいたことがわかります。

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【Photo】安価に施工できるコンクリート建築が増えていった昭和初期に建てられた山吉肥料店の内蔵。増田の蔵文化の集大成。職人技の極致ともいえる技巧が随所に駆使されている(上画像)。ネズミ除けの白ヘビが踊る扉や窓には白縁で強調された5段の「重ね」(下右)、白壁と漆塗りの鞘飾りとの境界を視覚的に引き締める黒漆喰の「見切り」は、とりわけ凝った造作がなされている(下左)

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 紀元前のギリシャ・ローマからビザンティン、ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロック、新古典主義まで近世に至る各時代様式で建造された聖堂や建築物に囲まれて過ごした前世で目が肥えたせいか、機能性を追求したバウハウスなどのモダニズムが登場する以前の建物にも関心が高い庄イタ。

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【Photo】1689年(元禄2)創業の「日の丸醸造所」内蔵は、明治41年築。黒漆喰で覆われた外壁を、漆磨き仕上げの亀甲文様鞘飾りが引き立てる(上画像)。蔵座敷内部(下画像)は漆仕上げを施した5寸5分(16.665cm)角の青森ヒバを通し柱として一尺(30.3cm)間隔で配した白壁とのコントラストが見事(国登録有形文化財)

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mansakunohana.jpg【Photo】「日の丸醸造所」の内蔵を自由見学後、直売所で購入したのが、内蔵の佇まいがラベルに描かれた蔵元限定の純米吟醸「日の丸(蔵ラベル)」(720mℓ/1500円)

 前回詳報した「佐藤養助 総本店」の稲庭うどん、淡麗系の魚介スープが旨い「丸竹食堂」の十文字ラーメン、そして現時点では秋田県内唯一の「真のナポリピッツァ協会」認定店「COSI COSI コジコジ秋田山王店」ほどのレベルではありませんが、店名通りソコソコのナポリピッツァを食することができる「同十文字本店」など、持ち前の嗅覚を働かせ、食欲を満たすだけでは物足りません。

 紅葉や桜が武家屋敷通りに彩りを添える時季、多くの観光客で賑わう角館(かくのだて)の知名度は全国区ですが、知る人ぞ知る横手市増田の贅を尽くした内蔵は一見の価値ありです。

【Movie】通常は非公開の山吉肥料店内蔵の内部を撮影した貴重な映像を含む横手市製作による増田の紹介映像

 10月初旬に開催され、今年で11回目を迎えた「蔵の日」には、一般公開していない内蔵を含む歴史的建造物がお披露目されます。

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【Photo】横手市増田を訪れた庄イタ流腹ごしらえ〈その1〉。同市十文字町「丸竹食堂」の透き通るような魚介系スープの上品なコクと旨味に相性が良い細麺の組み合わせにはファンが多い。中華そば(上・450円)チャーシューメン(下・600円)と価格も良心的〈住:横手市十文字町本町7-1 Phone: 0182-42-1056)

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 通常は、観光協会が運営する観光案内所「蔵の駅(旧石平金物店)」や、漆蔵資料館となっている「佐藤養助商店」、主屋を修復中の「旧佐藤予與五兵衛家・佐忠商店」など7件は無料公開。

 昭和初期の薬局そのままのお宝も見逃せない「旧村田薬局」、三階建ての木造建築「旧石田理吉家」など12件は、維持管理費として一人200円~300円の有料で見学できます。

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【Photo】横手市増田を訪れた庄イタ流腹ごしらえ〈その2〉。秋田県内では数少ない賞味に値するナポリピッツアを食することができる「コジコジ十文字本店」のイタリア中部地震チャリティ期間限定メニュー「ピッツア・アマトリチャーナ」(上)、定番のポルケッタ(下)〈住:横手市十文字町西上45-3 Phone: 0182-23-5454)

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 先祖が残した内蔵を店舗や住居の一部として大切に使っている所有者の手が空いていれば、建物について説明を受けることもOK(一部要予約)。

 水神様をまつる小正月行事「かまくら」(下画像)に代表される冬の横手は純白の季節。そんな時季に訪れるシックな黒漆喰による蔵のクラシックな造作の見事さに、きっと目を白黒させることでしょう。

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 Bianco e Neroというタイトルのオチがついたところで、お後がよろしいようで。

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◆内蔵の公開予定は増田町観光協会サイトでチェック 
 http://masudakanko.com/

◆最新の公開状況に関する問い合わせは下記案内所まで
 増田の町並み案内所「ほたる」Phone:0182-23-6331
 ・増田観光物産センター「蔵の駅」Phone:0182-45-5311 

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2016/11/19

Bianco e Nero ~ Capitolo Bianco ~

【白編】たおやかなり、稲庭うどん

湯沢市稲庭はグラニャーノだった
@秋田県湯沢市稲庭町

 白黒を意味するお題のゆえんは、前・後編を読み進むうちに白黒がはっきりするでしょう。

 国内外を問わず、いわゆる〝三大●●〟は、あまた存在しています。

 世界三大料理は中華・フランス・トルコ。珍味ならば、世界ではキャビア・フォアグラ・トリュフ。日本にあっては、塩ウニ・このわた・からすみ。

 食べ物以外に目を転じ、真っ先に頭に浮かんだのが三大美女(笑)。三人揃ってお目にかかりたいものの、全て物故者であることが残念なクレオパトラ・楊貴妃・小野小町。

matsushima-tamonzan.jpg【Photo】日本三景松島を代表する景観が見られる「松島四大観」の一つ、宮城県七ヶ浜町「多聞山」。眼下に鹽竈神社のご神馬が余生を過ごした馬放島(まはなしじま)と、灯台がある地蔵島が横たわる松島湾南部の美景。彼方には大高森と金華山を望む

 絶景においては、松島・天橋立・宮島の日本三景。滝は、華厳・那智の両名瀑に伍せんと名乗りを上げる茨城・袋田 vs 仙台・秋保大滝。

 ガッカリ系の観光地なら、マーライオン・人魚姫像・小便小僧。日本では、札幌時計台・高知はりまや橋・長崎オランダ坂。そして女性の容姿に関するネガティブな評価として噂が流布する仙台・水戸・名古屋など、不名誉な三大●●も存在します。

 こうした三大●●には、言った者勝ちの側目も少なからずあるかと。

inaniwa-udon2.jpg【Photo】雪国秋田の風土が生んだ稲庭うどん

 前回取り上げたラーメンでは、札幌・喜多方・博多。長崎五島・名古屋きしめん・富山氷見・群馬水沢などが〝我こそは〟と手を挙げるであろう「日本三大うどん」。

うどん県〟こと香川「讃岐うどん」が西の横綱とすれば、東の横綱は秋田「稲庭うどん」であることに異論を挟む余地はないかと思います。

 二者択一で、うどんか蕎麦かと問われれば、蕎麦が優勢な東日本・東北地方にあって、例外的にひときわ輝く存在感を放つのが稲庭うどんです。

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 稲庭うどんが生産される秋田県南の内陸部に位置する湯沢・雄勝地域の生まれだとされる小野小町や、秋田市出身のタレント佐々木希のような、たおやかな秋田美人の透き通る肌のようにキメ細やかで色白、絹のごとく滑らかな喉越し、スリムな細麺ながら強靭なコシ。

yosuke-sato-factory.jpg【Photo】佐藤養助 総本店では、製麺の工程をガラス越しに見学可能。塩水を加え、空気を加えるよう練り、ビニールで覆って踏みつけ、延べ棒で一定の厚さに伸ばした生地を包丁で裁断(右)、角をとるように手で丸める「小巻」(左)

nai_yosuke.jpg tsubushi_yosuke.jpg【Photo】佐藤養助 総本店における製造工程より。小巻した生地を2本の棒によりをかけながら均等な太さにあや掛けする「綯(ぬ)い」(左)、あや掛けした生地を平らにする「つぶし」(右)

 栗駒山系の清冽な伏流水・塩・小麦粉だけを原材料とする生地作りから製麺・乾燥まで、丸3日を要する手作業による練り・小巻・綯(ぬ)い・つぶし・延ばし・乾燥・選別と工程を重ねる中で、麺の内部に多数生じる筒状の気泡が、生めんにはない持続性を持つ無類のコシの強さを生むのだといいます。

sato-yosuke-factory2.jpg【Photo】茹で上りが均一になるよう、目と手で一本づつ選別を行う。最終工程を担当するのはすべて女性。およそ人間技とは思えぬ速さと正確さが要求される

  何かにつけイタリアナイズされた庄イタゆえ、外食を含む麺類消費のダントツ首位はパスタです。2番手の蕎麦に続き、うどんはラーメンと周回遅れで3番手争いをする位置づけでしょうか。

 それでも軽めに食事を済ませたい時などに重宝するのが、稲庭うどんです。食欲の秋を迎えたとある休日。県境を越え、秋田県南の内陸部湯沢市稲庭町の「佐藤養助 総本店(下画像)を訪れました。

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 乾麺ゆえ、茹で時間さえ誤らなければ、稲庭うどん本来の美味しさは家庭でも味わうことは可能です。ですが、熟練の職人の手作業による製造の様子をつぶさに見学することができる佐藤養助 総本店で食する稲庭うどんは、一味違うのです。

 長崎・島原や奈良・三輪といった手延べ素麺が、量産のため機械化された一方、1665年(寛文5)まで遡る創始以来の伝統製法を今に伝える稲庭うどん。

ppastificio-yosuke_sato.jpg【Photo】稲庭干饂飩の宗家・佐藤吉右衛門の四男、二代目佐藤養助が創業した1860年(寛文5)から数えて150年目の2008年(平成18)に竣工した佐藤養助総本店の見学コーナーに展示される創業者が小巻された生地を綯う様子を再現した人形

 稲庭うどん作りの現場に触れ、思い起こしたのが、乾燥パスタの聖地グラニャーノ〈2010.7拙稿「珠玉のパスタ、Gragnano グラニャーノ」参照〉。栗駒山系の清冽な水とラッターリ山系の良質な硬度の低い伏流水を用い、寒暖差の大きい内陸に位置する両者には、うどんとパスタの違いはあれど、一味違う麺の産地としての共通項を見いだせます。

 うどん発祥の地とされる福岡「天神店」ほか、東京「銀座 佐藤養助」ほか「日比谷店」、「赤坂店」などの直営店があります。

yosuke-sato2016.9.jpg【Photo】佐藤養助直営店共通メニュー「天せいろ醤油」(1,500円)は、稲庭うどん本来のコシの強さを堪能できる。胡麻味噌だれ(1,560円)も選択できる。薩摩地鶏・名古屋コーチンと並ぶ日本三大地鶏、比内地鶏を温かいつけだれで頂ける「あったか比内地鶏つけうどん」(1,450円・冬季限定)もお薦め

 産地の湯沢は、雪国秋田でもとりわけ雪深い特別豪雪地帯に指定される地。冬の足音が迫りくるこれからの季節「雪道はちょっと...」と二の足を踏む方でも、こうした直営店で稲庭うどんの魅力を体感することが可能です。

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 現場を訪れることで見えてくるディテールから本質を見極めんとする庄イタと同様、稲庭うどんの里・湯沢市稲庭町を訪れるなら、その普段使いの器ともなる同市川連町の伝統工芸品「川連(かわつら)漆器」を展示する「川連漆器伝統工芸館」に立ち寄った後、ぜひ足を延ばしたいのが、横手盆地の南東部にあたる隣町の横手市増田地区。

 次回Bianco e Nero ~ Capitolo Nero ~編「【黒編】クラシックな黒漆喰の内蔵(うちぐら)~奥ゆかしくも豪奢な内蔵めぐり~」を乞うご期待

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佐藤養助 総本店
 ・住:秋田県湯沢市稲庭町稲庭80
 ・Phone:0183-43-2911
 ・営:見学 9:00 ~ 16:00 販売 9:00 ~ 17:00 食事 11:00 ~ 17:00
    無休(年末年始休み)
 ・URL:https://www.sato-yoske.co.jp/shop/head-shop.html

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2016/09/17

躍動、縦横無尽。

青森ねぶた祭&五所川原立佞武多(たちねぷた)の偉容

◆青森ねぶた祭 編◆
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Feeding The Planet, Energy For Life.(地球に食料を、生命にエネルギーを)〟をテーマに昨年5月1日から10月31日までイタリア・ミラノで開催された「 Expo Milano 2015 (ミラノ国際博覧会)」には、140を超える国と国際機関がパビリオンを出展。184日間の会期中、2,150万人が訪れました。

 岩手県産のカラマツを木組み工法で組み上げた外観の日本館はとりわけ好評を博し、連日入館待ちの長蛇の列。入館者の9割が規則に縛られることを嫌うイタリア人だったにもかかわらず、最長で9時間も(!!)並んだことが、驚きをもって地元メディアで紹介されました。

Expo2015Milano.jpg【Photo】ミラノ万博には、2001年に大英博物館に出品したねぶたが世界最高のペーパークラフトと評され、2012年に第6代ねぶた名人の称号を授与されたねぶた師・北村隆氏が太陽と地球を表現した「日天・水天」が、八戸港からジェノヴァまで海を渡って凱旋した

 7月11日の「ジャパンデー」には「東北復興祭りパレード」が行われ、東日本大震災で寄せられた支援への感謝を込めて東北6県の夏祭りが披露されました。福島わらじまつり仙台七夕秋田竿灯まつりなどとともに、青森ねぶた「日天・水天」(上画像 / 幅6m・高さ4.5m・奥行き4.5mも出陣。

【Movie】2015年7月11日にミラノ万博ジャパンデーの目玉として催された「東北復興祭りパレード」

 毎年8月2日~7日に開催される青森ねぶた祭に繰り出す大勢の囃子・跳人(はねと)に先導された赤・青・黒などの原色を配した大型ねぶた(幅9m・高さ5m・奥行き7mが宵闇に鮮やかに浮かび上がる大迫力を再現できたかは、正直微妙なところ。

 欲を言えば青森ねぶたの運行は、あっけらかんとひたすら明るい真夏のイタリアの太陽のもとではなく、熱い情念が解き放たれる夜間であってほしかったのですが...。

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画像提供:(公社)青森観光コンベンション協会

 短い北東北の夏に燃え立つ燎原(りょうげん)の火のごとく、青森県内各地で催されるねぶた(ねぷた)祭。好天に恵まれた今年は、東北三大夏祭りでは最多となる276万人を集めた青森ねぶた祭、武者絵などが描かれた大小80台の扇型山車が「ヤーヤドー」の掛け声で繰り出す弘前ねぷたまつり、後述する五所川原立佞武多(たちねぷた)などは、実物に触れてこそ、溢れんばかりの熱気やスケールが体感できます。

 このところ、めっきり日が暮れるのが早くなりました。ここにご紹介するのは、お囃子と「ラッセラー、ラッセラー」の掛け声とともに真夏の夜を熱く焦がした熱気渦巻く青森ねぶた祭に出陣した大型ねぶた22台の中から選ばれた入賞作。今更ではありますが、どうぞご覧ください。

nebuta2016taisho.jpg青森ねぶた「ねぶた大賞」:蝦夷ケ島夷酋(えぞがしまいしゅう)と九郎義経

竹浪比呂央氏 作(JRねぶた実行プロジェクト)

nebuta2016chijisho.jpg青森ねぶた「県知事賞」:俵藤太(たわらのとうた)と竜神
北村 隆氏 作(ヤマト運輸ねぶた実行委員会)

shichou.jpg青森ねぶた「市長賞」:箭根森八幡(やのねもりはちまん)
竹浪比呂央氏 作(青森菱友会)
画像提供:(公社)青森観光コンベンション協会

aomorinebuta-shimin.jpg青森ねぶた「商工会議所会頭賞」:陰陽師(おんみょうじ)、妖怪退治
北村麻子氏 作(あおもり市民ねぶた実行委員会)

 唯一の女性ねぶた師・北村麻子氏は、昨年秋に長女を出産したばかり。大型ねぶた5作目「陰陽師、妖怪退治」は、背面の「送り」もサービスショットでご紹介します(下画像)

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 化け猫の顔にいたずら書きをする子、化け猫のヒゲを引っ張る子、大泣きする子。母親となった北村氏が、子育てと仕事を両立させながら取り組んだ新作ならではのディテールではないでしょうか。

nebuta-hitachi.jpg青森ねぶた「観光コンベンション協会会長賞」:忠臣蔵

北村蓮明氏 作(日立連合ねぶた委員会)

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◆五所川原 立佞武多 編◆  
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 青森ねぶたの熱気と余韻を残したまま迎えた翌日。既報の田舎館村・田んぼアート会場〈2016.9拙稿「シン・ゴジラ出現!@田舎館村」参照〉・弘前「岩木山神社」や、出回り始めていた「嶽きみ」〈2013.9拙稿「キミだけを想ってる 」参照〉の確保に訪れた嶽地区など岩木山麓を経て、五所川原市に庄イタは出没しておりました。

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【Photo】年間を通して大型立佞武多を展示する「立佞武多の館」から姿を現した「忠孝太鼓」。全高17m・重さ18t。二層重ねの大太鼓は、直径2.4mで、迫力の重低音を響かせる

 今年7月中旬、「アムさんメロン」〈2013.8拙稿「庄内系イタリア人的青森〈後編〉」参照〉が出品される青森マルシェを昨年に続いて訪れた足で、五所川原「立佞武多(たちねぷた)の館」を訪れていました。

 そこで安土桃山時代に歌舞伎の源流となる「かぶき踊り」を編み出した出雲阿国を題材に、今年の立佞武多に初お目見えする「歌舞伎創生 出雲阿国(いずものおくに)」を担当した立佞武多師・齊藤忠大(ただひろ)さんの躍動感あふれる下絵(下画像)を目にしていたのです。

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 青森ねぶたにしろ、弘前ねぷたにしろ、歌舞伎や神話などに題材をとった男性的な〝ますらをぶり〟な作例が多いかと思います。そんな中で、2006年(平成18)に五所川原市観光物産課副主幹(当時)三上敦行氏が手掛け、鬼子母神が題材となった「絆」に続き、女性を題材とした今年の新作立佞武多は、完成形を是非とも見たいと思ったのです。

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【Photo】かぶき踊りを舞う出雲阿国を題材とする新作「歌舞伎創生 出雲阿国」の大きく跳ね上げた左足を真下から。アンクレット風の朱数珠 & ペディキュア風の赤い爪紅(つまべに)で女子力アゲアゲ。着物の裾からのぞく生おみ足に萌え~ 之図

 組み上げると高さ23m・幅8mに達する巨大な立佞武多。「ヤッテマレ、ヤッテマレ」の掛け声や勇壮な太鼓やお囃子とともに、あでやかに舞う出雲阿国が市街地を練り歩く姿を想像しながら、期待を胸に五所川原入りしました。

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【Photo】立佞武多の館から姿を現した2014年製作「国性爺合戦 和籐内(こくせんやがっせん わとうない)(前方)、2015年製作「津軽十三浦伝説 白髭水と夫婦梵鐘(しらひげみずとめおとぼんしょう)(後方)

 8月4日~8日までの祭り初日に登場する五所川原が生んだ大スター吉幾三さんの生歌唱パレードと並ぶ(?)見ものの一つは、巨大な大型立佞武多が立佞武多の館から出陣する場面。

 地上6階建て(高さ38m)の建物に設けられた可動式のゲートから、二層建ての八尺(直径約2.42m)太鼓の上にねぷた飾り「三日月祈願 山中鹿之介」を据え付けた「忠孝太鼓」に先導され、ここ3年で製作された大型立佞武多3台が、開口部に接触せぬよう、スローモーションのようにゆっくりと姿を現すさまは圧巻です。

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【Photo】大勢の引き手に導かれて立佞武多の館を出陣し、通りへと繰り出す2016年新作「歌舞伎創生 出雲阿国」(上画像6点)。女性の体重を明らかにするのは無粋なれど、総重量は19t。五所川原市街地中心部を巡回するスタート地点で「忠孝太鼓」と「歌舞伎創生 出雲阿国」が相まみえるさまは、特撮映画ゴジラ対キングギドラさながら(下画像)

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 市街地と沿道の観客を見下ろしながら練り歩く大型立佞武多。それはフルCGで製作されたシン・ゴジラの虚構世界が、あたかも目の前で現実となったかのよう。

2014watonai.jpg【Photo】立佞武多の館では3年ごとに常設展示する大型立佞武多の入れ替えを行う。今年が最後の出番となった2014年製作「国性爺合戦 和籐内」(鶴谷昭法氏作)は、来年の新作立佞武多の完成を待って解体される。勿体ないので、どなたかご自宅の改築またはビル新築を前提に引き取りませんか?

 3Dメガネをかけずとも、VFXを駆使したインディペンデンス・デイ:リサージェンスを凌ぐド迫力を味わえた五所川原立佞武多を、とくとご覧ください。

2015shirahigemizu.jpg【Photo】2015年製作「津軽十三浦伝説 白髭水と夫婦梵鐘」(福士裕朗氏作)

  2016年の〝たをやめぶり〟な新作「歌舞伎創生 出雲阿国」のあでやかな舞いを正面より見上げる之図。(下画像)

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 迫力に気おされ、番傘を差した阿国の後ろ姿を見送る之図。奥は立佞武多の館に帰還せんとする国性爺合戦 和籐内。(下画像)

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 八戸・青森・五所川原と青森県を横断し、ド派手で奇想天外な山車や勇壮なねぶた、そして規格外の大きさの立佞武多を間近にして、物体の大きさを捉える感覚に微妙な狂いが生じていたような気がします。

 そのダメ押しとなったのが、五所川原から鰺ヶ沢・深浦を経由して日本海沿いを花火大会が開催される酒田を目指して南下した途中・秋田県能代市でのこと。

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【Photo】2013年(平成25)、1世紀ぶりに復活した能代七夕を彩るどこかポップな極彩色の大型行燈。手前の「嘉六(かろく)」は高さ17.6m、奥に控える「愛季(ちかすえ)」は高さ24.1m

 R7を南下中に通りかかった能代市役所の裏手には、8月3日・4日に開催される能代七夕「天空の不夜城」に繰り出す大型燈籠2基(上画像)が展示されており、横浜中華街の牌楼(パイロウ)的な存在感を示していました。

 度肝を抜かれたのが、立佞武多より高く、燈籠としては日本一の高さだという24.1mの「愛季(ちかすえ)」。

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 明かりが灯った状況(上画像)とは違い、いわゆる〝昼行燈(ひるあんどん)〟でしたが、Beijing opera(ペキン・オペラ)こと京劇を思わせるビビッドな配色とキッチュな造型、そして型破りの大きさに目を丸くしました。

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 中秋の名月を過ぎ、もはや真夏の夜の夢にも思える五所川原立佞武多、青森ねぶた祭、八戸三社大祭と、青森を巡った3つの夏祭りをシリーズで回顧してきました。

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 こうして北東北のスペクタクルを体感した挙句、巨大な異形の人形が多数繰り出すイタリア・トスカーナ州のビーチリゾートViareggio ヴィアレッジョで開催される「Carnevale di Viareggio ヴィアレッジョのカーニバル」(上画像)が、妙に思い起こされるオチがついた夏でした。

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2016/07/02

召しませ、ジュンサイ²タリアン

つるん、プルン。ジュンサイの里@秋田県三種町


 4月下旬から9月初旬にかけて収穫期を迎えるのが、天然の透明なジュレに包まれたハゴロモモ科(スイレン科)の水生植物「ジュンサイ(下画像)です。

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 生ジュンサイの収穫が最盛期となるのが6月中旬から7月半ばの頃。第226代ローマ教皇グレゴリウス13世が16世紀に制定し、世界中に広まったグレゴリオ暦には6月31日(語呂合わせで〝ジュンサイ=JUNE 31)〟は存在しないため、半ば強引に1日振り替えた7月1日が「ジュンサイの日」だってご存知でしたか?

 1957年(昭和32)に着工した干拓事業により、男鹿半島の付け根に琵琶湖に次ぐ大きさで広がっていた汽水湖「八郎潟」に、JR山手線の内側に匹敵する面積の耕作地が出現。秋田県南秋田郡大潟村が誕生しました。

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 大潟村の外周に残る八郎湖の北東側に位置する秋田県山本郡旧琴丘町・旧山本町・旧八竜町の3町が2006年(平成18)に合併して誕生した三種町(みたねちょう)は、ジュンサイ生産量が国内生産の8割以上を占めるダントツの日本一。

 その生育には、白神山地や出羽丘陵を水源とする池沼と根を張る適度な水深(50~80cm)が欠かせません。水田からの転用を含め、町内には200を越すジュンサイ沼があり、小舟を棒で操りながら、一株ごと手摘みで収穫を行う生産者の姿が田園風景に溶け込んでいます。

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【Photo】水と緑豊かな三種町森岳地区。幼葉の大きさが5.6cmを超えると商品価値が落ちるため、ジュンサイの収穫は時間との勝負。作業は早朝から夕刻まで続く。ふらりと立ち寄ってお話を伺った生産者の髙松隆司さんのジュンサイ沼。6月27日にNHK総合TVで放送され、7月15日に再放送予定の「鶴瓶の家族に乾杯」で、ジュンサイ好きだという俳優の綾野剛さんが三種町を訪れた中で、髙松さんが奥様と登場するよもやのデジャヴ(下画像)が発生。これもこのところ冴えわたる庄イタの神通力のなせるスゴ業か!?

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 食用とするのは、楕円形をした幼葉の若芽と葉柄のごく小さな部分。幼葉の大きさが3cm以内・茎が1cm以内の小ぶりなものが最良とされ、7月初旬に最盛期を迎えるゼリー状の粘膜が多い「一番芽」は、とりわけ珍重されます。

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 ジュンサイは組成の9割を水分が占めており、水のキレイさは生育にとっての必須条件。生活排水や除草剤の混入による水質悪化により、ジュンサイは数を減らしています。

 生産者の高齢化と後継者不足もあいまって、1990年代初頭と比べ産出量が1/3に減少するなど、希少性は高まるばかり。地物が比較的安価に入手可能な地元以外、安価な中国産に比べて希少価値が高い国産のジュンサイは、今や高級食材の仲間入りをしています。

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【Photo】5月中旬から8月中旬まで体験可能な三種町のジュンサイ摘みは、今シーズンから同町鹿渡「道の駅ことおかサンバリオ」内の「観光情報センター」で受け付ける(Phone:0185-88-8819 / 受付 9:00~17:00)。山の養分を含んだ伏流水を引いた申し分のない条件を備えた志戸田友彦さんの圃場「里山志戸田園」(予約制 / 9:00~16:00)

 味に癖がなく、プルプル&つるんとした食感が独特なジュンサイは、下茹でした上で冷やして酢の物やお吸い物の具として頂くのが一般的。

 手延べによるツルツル&シコシコした喉越しの「稲庭うどん」や、半殺しにした「あきたこまち」を手で丸めた「だまこもち」(= 球体きりたんぽ)と「比内地鶏」を鍋仕立てにした「森岳(もりたけ)じゅんさい鍋」の具材としても見逃せません。

 赤飯、納豆、茶わん蒸しに砂糖を入れる甘口好みの秋田県民は、ジュンサイを黒蜜で味付けし、和菓子感覚で食することも。

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【Photo】ジュンサイ摘み採り体験料金は、大人(中学生以上) 1,800円、子ども(小学生)1,000円(2016年7月現在)。水面を覆う葉をかき分けながらの摘み採り体験は、年齢性別に関係なく夢中になること請け合い。採ったジュンサイは持ち帰ることができる。雨具ほか紫外線と暑さ対策、そして水分補給をお忘れなく

 庄内系の血が騒ぐ孟宗・岩ガキ・寒ダラ・だだちゃ豆など、季節ものは旬を外さないのが鉄則。涼を呼ぶ食感が魅力のジュンサイもまた同様です。

 一度は訪れてみたかった三種町での生ジュンサイ摘みを初めて体験したのが、一昨年の8月18日(上画像)。もはやシーズン終盤ではありましたが、それでも2時間で1kg以上の収穫がありました(下画像)

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 その折に地場の素材を取り入れたイタリア料理をコースで食べさせてくれた「農園りすとらんて herberry ハーベリー」再訪を主目的に、ベストシーズンに遅れをとってはならじと、2年ぶりとなる三種町を訪れたのが、週末の都合がついた6月上旬。

 昼にマリナーラを食した真のナポリピッツァ協会認定店「コジコジ 秋田山王店」と、月刊専門料理6月号(柴田書店刊)で特集された全国の厳選イタリア料理店50店で、唯一秋田から登場した大仙市「リストランテ giueme ジュエーメ」を翌日訪れるのも秋田遠征の動機となりました。

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【Photo】和食のイメージが強いジュンサイに潮の香りのアオサを加え、コク出しにアサリのブロードをベースにスープ仕立てにしたherberry のスペチャリテ「森岳産生ジュンサイとアオサのズッパ(2014 ver)」は、いわば水を味わう料理

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【Photo】herberryの客席からは大きなガラス窓越しの外の眺めが目を楽しませてくれる。驟雨に洗われた白い花を咲かせたニセアカシアの木々に囲まれた庭園。料理に使うハーブやブルーベリー、ブドウ、花々などが彩りを添える景色もご馳走のうち(上画像)

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【Photo】5月から11月の搾乳期に数量限定で登場する「ヤギのプリン」。2014年の初訪店時は、Richard Ginori の伝統柄フィレンツェのプレートで登場。繁忙時を除き、好みのWEDGWOOD のカップ&ソーサーを選んで心豊かに食後の一杯を楽しめる

 herberryでは、目の前の農園で栽培する野菜・ハーブ・ベリー類のほか、ニワトリとヤギを飼育。卵と授乳期にはヤギ乳も自家調達します。この春からは巣箱を用意して日本ミツバチを飼育。ハニーハントにも挑戦中。

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【Photo】厨房を預かる秋田市出身の山本智さん・津軽出身で接客とドルチェ担当の眞紀子さん夫妻。退職後に横浜から三種町に移住。2011年(平成23)7月にオープンした店舗兼住宅の広~い敷地には〝自産店消〟を掲げる夫妻が飼育する「メイ」と「さつき」ファミリーのヤギ小屋も建つ(下画像)。ヤギは自家製チーズやドルチェの材料となるミルクだけでなく、畑で使う堆肥ももたらしてくれる

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 旬を迎えた産地ならではの〝ジュンサイ²タリアン〟は今回も健在でしたが、収穫のピークには少し早かったよう。狙い目だったジュンサイのフルコースは、次回にお預けとなりました。

 ★教訓:急いては事を仕損じる(π_π)。

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【Photo】リチャード・ジノリのイタリアンフルーツに盛り付けされた2014年盛夏のアンティパスト。(上から時計回りに)白キスのエスカベーシュ、サーモンオレンジマリネのクリームチーズ、八森港 舌平目のチーズパン粉ソテー、三種町さくらだ畜産 和牛タリアータ 旬のブルーベリーソース風味、炙り鴨のオレンジソース、アスパラガスのさっぱりディップ風味、八竜砂丘メロンとパルマハム

 会社務めをしていた当時、海外に出張した折に買い揃えたという名窯「リチャード・ジノリ」のプレートが次々と登場するherberry で頂いたスタンダードコース(5,400円)の内容をご紹介しましょう。

・インサラータ:
 八峰町八森港(はっぽうちょうはちもりこう)で揚がったマゾイ(キツネメバル)のカルパッチョ ピンクペッパーの香り 新たまねぎのサラダ仕立て
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・スープ:
 三種町森岳 生ジュンサイとアオサのズッパ(2016 ver
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・アンティパスト・ミスト:
 男鹿沖 ミズダコの柔らか煮・セロリのさっぱりドレッシング、
 かわい農場 中ヨークシャー交雑豚ロースのロースト・セージバター風味、
 アスパラと海老のキッシュ
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・お口直し:
 五城目 ラズベリーと白ワインのコンポート・ゼリー寄せ
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・プリモピアット:
 桜田畜産 和牛テールの煮込みリガトーニ・リガーテ
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・セコンドピアット:
 トキシラズのムニエル・ジュンサイと白いんげんのジェノヴェーゼ風味、
 カポナータ
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・ドルチェ & ハーブティー
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 この日は最寄の宿泊施設が改装中で、車で20分以上離れた森岳温泉に投宿しました。よって前世イタリア人には選択の余地がないフランス産ワインだけが記載されたワインリストは一瞥するも、庄イタの夕食には付き物のヴィーノではなくサン・ペレグリーノの炭酸水で通したのでした。

 コースの締めは、好みのウエッジウッドのカップ&ソーサーをチョイスするコーヒー or 紅茶 or ハーブティー。別腹発動のドルチェが「ジュンサイの和風ティラミス」(下画像)

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 ジュンサイをトッピングし、きな粉を盛ったマスカルポーネと黒蜜風味のスポンジ生地との間には、ジュンサイが挟まっています。黒蜜&きな粉の相性の良さは無論のこと、とろ~り、ぷるん、つるん、プチンと、口の中でめまぐるしく入れ替わる食感の変化が、なんとも楽しい一品でした。

 希望コースを伝える予約の際、食材の希望やアレルギーの有無などをお伝えした上で伺うのが得策。車で10分とかからない近場には、先月リニューアルしたばかりの素泊可能な温泉宿泊施設「砂丘温泉 ゆめろん」があります。アグリツーリズモやオーベルジュ感覚で、ゆったりと食事を楽しめるお店です。

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herberry-casa.jpg農園りすとらんて herberry ハーベリー
 住:秋田県山本郡三種町大口西山根170
 Phone:0185-85-3232
 営:・Pranzo / Cafe: 11:00~16:00 
    ※14:00以降のカフェ利用を除き要予約
   ・Cena :18:30~ ※2日前まで要予約: 3,240円・5,400円・8,640円~
    月曜・火曜定休(祝日は営業) Pあり 禁煙
 URL http://www.herberry.biz/

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2015/10/11

Composta di fico con buon vino del casa

イチジクのコンポートと実力発揮のイタリアワイン


 イチジクが旬を迎えています。旧約聖書「創世記」では、楽園エデンで無垢な日々を送っていたアダムとイブが、蛇にそそのかされ、リンゴとイチジクのいずれかと考えられる禁断の果実を食べたことで、人は知恵を得たとされています。

 互いの裸体を恥じた2人が身につけたのは、かつて武田久美子が写真集My Dear Stephanieで、世の男性諸氏の目を丸くさせた貝殻ビキニではなく、(^ ^; イチジクの葉でした(⇒リンゴの葉はあまりに小さいゆえ当然かと)。知恵を手に入れた代償として楽園を追放された人類にとって、初めての衣装はイチジクだったのですね。

Otranto-cattedorale-faciata.jpg【Photo】ビザンティン帝国の拠点として聖地エルサレムへ向かう巡礼者や十字軍が行き交ったのが、イタリア最東端に位置する港町プーリア州Otranto オートラント。11世紀にノルマン人が初期キリスト教聖堂の遺跡があった地に創建したロマネスク様式の「Cattedrale 大聖堂」(上写真)

Cacciata-Paradiso-catedrale-Otranto.jpg【Photo】ロマネスク彫刻が施された柱頭を頂く円柱がアーチを支えるオートラント大聖堂の身廊部で見逃してならないのが、床一面に敷き詰められたキリスト教や土着の多神教から題材をとった生命の樹を中心とする12世紀のモザイク画。その一部、このアダムとイブが手にする禁断の果実は、まさにイチジク(上写真)

iwagaki-fukura2015.7.jpg  紀元前9400年頃にはヨルダンでイチジクが栽培されていた痕跡が発見されており、最も初期に食用とされた作物のひとつと考えられます。トルコ・エジプト・アルジェリアなど、イタリアを含む地中海沿岸で盛んに栽培されているイチジクですが、庄イタの行動エリアでイチジク産地といえば、その北限とされる秋田県にかほ市を挙げずにはおけません。

【Photo】今年7月19日、遊佐町吹浦で食した金浦産天然岩ガキ。ここ数年で最も岩ガキの身入りが良かったこの夏。殻付き特大(600円)を注文し、ヨダレを流しながら待つことしばし。ご覧の通りプックリとメタボな大トロ状態の身を口に含むと...。 口の中はトロけるようなハーレムと化し、その甘い至福の余韻はいつ果てるともなく延々1時間は続いた

 山形県最北の遊佐町と県境を接するにかほ市を毎年欠かさずに訪れているのは、滋養豊富な鳥海山の伏流水が育んだ岩ガキを食さんがため。2005年(平成17)、仁賀保町・象潟町と合併し、にかほ市の一部となった旧金浦町ほか、象潟・小砂川・吹浦と産地が密集するこの地域の岩ガキが旬を迎える夏だけでなく、鳥海山の南裾野には名水スポットが数多く存在しており、年間を通して庄イタの出没率が高いエリアです。

kaneura_onsuiro2007.jpg【Photo】獅子ヶ鼻湿原付近から湧出する膨大な量の伏流水は、夏でも水温7℃前後。太陽熱で水温を上げるため、浅く広く作られた金浦温水路 <拙稿「日本初の温水路 先人の英知が遺した日本初の太陽光温水装置『上郷温水路群』@ 秋田・象潟」2009.8参照>

 真夏でも手を切るほど冷たい鳥海山の伏流水を主に水田の農業用水として活用するため、先人が苦労して整備した日本初の温水路群の現地リサーチのため、にかほ市大竹地区を過去にも訪れています。そこはイチジク生産が盛んな土地でもありました。

s-suke69_nikaho.jpg【Photo】イチジク栽培の北限とされる秋田県にかほ市大竹地区の「いちじく屋 佐藤勘六商店」(http://ichijiku-ya.com/ )の看板商品「いちじく甘露煮」は、この地方の伝統的な味付け。R7道の駅象潟「ねむの丘」でも入手可

 旧金浦町大竹地区を中心に1世紀の歴史があるこの地のイチジク栽培。昭和40年代に栽培が本格化したのがホワイトゼノア種。寒冷地でも栽培可能で、小ぶりながら風味がよく型崩れしにくいため、完熟前に収穫して保存食として主に甘露煮に加工してきました。

 ところが、カミキリムシによる食害によって、この20年ほどで栽培面積が半減。現在およそ40の生産農家の高齢化もあいまって生産者数も激減しています。事態打開のため、生産者や地元の加工業者・自治体などで構成される「にかほ市いちじく振興会」が一昨年に発足。「プロジェクト九(←「イチジク」と読ませる)」と銘打った新たな販路拡大に向けた取り組みが始動しました。3軒の農家が鳥による食害防止ネットで木を覆って完熟させた生食用ホワイトゼノアの出荷も昨年から始まっています。

 生活のあらゆるシーンが多分にイタリアナイズされた庄イタとしては、イタリアでもポピュラーな果実であるイチジクをコンポート(赤ワイン煮)で食するのが常道(下写真)。その相伴はヴィーノ・ロッソをおいてほかにはありません。

composto-fico.jpg

 先日訪れた仙台市青葉区国分町のワインバー「土筆」では、新潟・佐渡産のイチジクのコンポートにリコッタチーズを載せ、生ハムで包み込んだ一品が登場。酸味・甘味・塩味が絡み合い、北イタリアのエレガントなピノ・ネロ100%のヴィーノ・ロッソと絶妙なアッビナメントを体感できました。

 かたや、ワインセラーに常時300本以上のイタリアワインのストックを抱える仙台市青葉区某所の闇リストランテ「Taverna Carloタヴェルナ・カルロ」でも、この時季の定番はイチジクのコンポート。シナモンスティック・スターアニス(八角)・クローブ(丁子・チョウジ)で香り付けしたコンポートは、フレッシュチーズと軽めのヴィーノ・ロッソとの相性が抜群。

 コンポートの仕込みに用いるのは長期熟成に向くそれなりの価格のセラーアイテムではありません。そこで登場するのが、階段下のパントリーに無造作に置かれた「CO-OP ITALIA イタリア生協連合会」と「日本生協連」が提携し、日本市場では2011年から発売されているヴィーノ・ロッソ。ブドウ品種はサンジョヴェーゼが主体となります。

vino-rosso-coop-italia.jpg パルマハム、パルミジャーノ・レッジャーノ、アチェート・バルサミコ・トラディショナーレなど、珠玉の食材が揃う美食の州エミリア・ロマーニャ州で1963年に発足した生産協同組合「Cevico チェヴィーコ」。4,500軒あまりのブドウ生産者、15の醸造所が加盟するイタリア国内屈指の規模の生産組合です。

 イタリアワイン法で最上位にあたるDOCG(統制保証原産地呼称)を白ワインとして初めて認定された「Albana di Romagna アルバーナ・ディ・ロマーニャ」ほか、加盟する複数の醸造所が、DOC(統制原産地呼称)・IGT(典型的生産地表示)クラスのヴィーノを厳格な品質管理のもとで年間10万トン生産しています。

coop-italia-bianco.jpg CO-OP ITALIA では1紙パック入りを主力としてベストセラーを続けるというだけあって、デーリーユースにピッタリなイタリアの王道をゆく安定感のある味わい。日本市場には750mℓ 容量ボトルで輸入されています。みやぎ生協での実勢価格はなんと500円台。

 魅了される香りや多彩なニュアンスを感じる複雑味、長い余韻といった卓越したワインが持ち合わせる美質を求めるのは無理でも、守備範囲が広そうな親しみやすい「だし」系の旨味が広がります。たかがワンコイン+αの安ワインと侮るなかれ。気取らずにワインと共に日本の食卓を彩るのには、こうしたミディアム・ライトボディタイプはむしろ好都合。ヴィンテージ表記はありませんが、コストパフォーマンスに優れたチャーミングなヴィーノです。

 トレッビアーノ種が主体という白(左上写真)も試しましたが、赤はアルコール度数が11%、白は10.5%と低めなので、良い意味でスルスルと飲めてしまいます。イタリア人のソウルフードと言っても良いシンプルなトマトソースのパスタや白身肉には鉄板でしょうし、家族で囲む毎日の食卓で本領を発揮するイタリアワインの魅力が十分味わえます。

 今年も判で押したように決まり文句のグレート・ヴィンテージを吹聴し、11月第3木曜の解禁日に向けた商戦真っ最中の「某ージョレ・●ーボー」なんかより、よほど胸を張ってオススメできる魅力的な酒質を備えています。

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2013/10/20

Bigでビックリ、西明寺栗。

日本一の栗とカタクリの里、仙北市西木町でクリ拾い

 JR秋田新幹線ならば、角館駅で角館と鷹ノ巣とを結ぶ秋田内陸縦断鉄道に乗り換え、2つ目の「西明寺駅」か次の「八津駅」で降車。秋田自動車道経由なら「大曲IC」下車、R105で25Km離れた角館経由で。秋田空港からは40kmほどR46を進み角館を経て。そこは実りの季節に訪れたい日本一大きいといわれる「西明寺栗」の里。観光栗園でクリ拾いが始まったという知らせを受け、秋のすがすがしい陽気のもと、仙北市角館と同西木町西明寺小山田地区を訪れました。

saimyoji_01.jpg【Photo】佐々木栗園の娘さんが手にした西明寺栗は、ズシリと重い40g超の4Lサイズ

 2005年(平成17)の広域合併で仙北市となった旧角館市・旧田沢湖町・旧西木村は、古来「北浦」と呼ばれており、藩制期は佐竹北家の領地でした。伝承では佐竹の殿様が飢饉に備えるため、平安初期に栽培が始まった丹波(京都)や養老(美濃)からクリを取り寄せ、岩手境となる秋田駒ケ岳の山麓で栽培を奨励したのが始まりとされます。

saimyoji_02M.jpg【Photo】西明寺栗の産地、大仙市西明寺八津・鎌足地区。秋田内陸線八津駅には、鷹ノ巣駅方面への上りが1日9本、角館駅方面への下りが1日8本停車。そこは雄物川水系の河川が創った肥沃な穀倉地である横手盆地(仙北平野)最北端に位置する

 夏の最高気温が37℃前後までに達する一方で、夜間は涼しい盆地性気候のこの地域。この寒暖差で風味を増し、かんじきを履いて根雪の上で剪定を行う冬場の耐寒性に優れているため、特別豪雪地帯に指定される雪深い条件下での省力栽培に適合し、北浦栗はクリ栽培に適した田沢湖西畔の西木や西明寺へと次第に広まってゆきました。

saimyoji_03.jpg【Photo】収穫期を迎えた西明寺栗。並外れたその大きさ・重さゆえ、食べ頃を迎えた完熟のクリは、ほとんどがパックリと開いたイガの開口部が次第に大きくなり、実が1個づつこぼれ落ちるようにして落下する

 西明寺周辺では、現在も一般家庭の庭先で栗の木が育っている光景が珍しくありません。300年前まで遡る長い栽培の歴史において、大きな実を付ける個体が生まれます。先人の努力により選抜と改良を重ねて優良種を固定し、今日に至っています。1998年(平成10)に収穫された天地47mm×左右57mm、重さ66gを最高記録とする日本一大きい西明寺栗として、その名を轟かせています。

 秋田県広報協会発行の県政広報誌「あきた」162号(1975年11月発行)によれば、クリの新芽に産卵し、枝を枯死させる害虫クリタマバチによる被害で、県全体の栽培面積が1/5の40ヘクタールまで激減したのが1950年代末から1960年代初頭にかけて。

saimyouji_04.jpg【Photo】昭和中期、日本各地でクリを枯らしたクリタマバチ禍を乗り越えた古木が、今年も大玉の実を結んだ佐々木栗園の栗林。200年の樹齢を物語る幹の太さが印象的(上写真) 現在の主力品種は、西明寺1号・2号。市場には滅多に流通しない3Lクラスが珍しくない(下写真)

saimyoji_1.jpg 害虫被害を免れた木が多かった旧西木村西明寺に県営試験農園が造られたのが1961年(昭和36)。耐性の強いクリから育成した苗木が移植され、現在の主力となる西明寺1号(善兵衛)、2号(茂左衛門)のほか、3号(寒月)、4号(駒錦)、5号(早生種)が選抜されます。これが県奨励品種として採用され、今日に至ります。

 自然交配の野性種シバグリを品種改良したニホングリは同品種間での受粉率が著しく低いため、栽培においては異なる品種同士を混植するのが普通。西明寺では奨励5品種を中心に収穫時期の分散を図りながら栽培が行われています。「あきた」162号による各品種特性は以下の通り。

◆西明寺1号=樹勢が極めて強く大樹となる。果実は20~30gの大粒が中心で、甘味があり、生乾食用・加工用ともに向く。熟期は10月中旬で収量が多い

◆西明寺2号=優れた樹勢、樹姿、収量、品質、食味は1号とほぼ同等だが、果実は大きさ3cm強・重さ25~35gとより大きめ

◆西明寺3号=昭和39年に選抜。樹勢・樹姿よく、大樹となる。果実は25~30g。堅密で甘味強く、煮崩れしないためシロップ詰めなど加工用に向く

◆西明寺4号=2号の予備品種として選抜。果実は35gと最も大きいが、風味がやや劣る

◆西明寺5号=早苗種として選抜。樹勢・樹姿は他と同じだが、果実は15gほどと比較的小ぶりで収量が少ない。熟期は9月上旬

 クリ拾いに伺ったのは、角館市街から6kmあまり北に位置する仙北市西木町小山田鎌足の「佐々木栗園」。  【Photo】観光栗園の受け付けは農家民宿「くりの木」(下写真)へ

saimyoji_05.jpg そこは出羽山地と奥羽山脈とに囲まれた肥沃で平坦な穀倉地帯である横手盆地の最北部。10代の頃から父親のクリ栽培を手伝ってきたというご主人の佐々木茂義さんは、先代から受け継いだ西明寺栗を栽培して47年のベテラン。奥様の弘子さんは農家民宿「くりの木」も営んでおいでです。

 ランチタイムと重なった角館からの道すがら、木元恵子さんと料理研究家の千恵子さん親子が営む「ガーデンカフェ&デリカ kimoto」に寄りました。R105沿いにあるこちらの「秋の味覚ランチ」(1,500円)には西明寺栗を使った栗ご飯がつくからです。ローズヒップが色付いたバラが絡まる窓の外には、稲刈りを終えた秋の田園風景が見渡せます。(下写真)

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 田沢湖・角館観光連盟から「秋田美人証明書」を公布された千恵子さんは留守でしたが(残念っ!)、「Tale Padre tale Figlio(=この親にしてこの子あり)」という諺を地でゆくお母さまの恵子さんがいらっしゃいました。この日は仙北市主催の観光誘客会議出席のため不在だった千恵子さんは、10月から始まった「秋田ディスティネーションキャンペーン」のPRで角館町観光協会が結成した「秋田美人100人隊」隊長として、今年5月に観光キャラバンで仙台にいらしていたのです。

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【Photo】西明寺栗の栗ご飯(左写真) 西明寺栗のシフォンケーキはテークアウトも可能

 おかずのワンプレートは、花好きの恵子さんが摘んだ秋の生花や、自家製のニンジン、イチゴの葉を彩りに盛り付けてあります。ほっこりと優しい和栗の甘味と、有機栽培の自家製ひとめぼれ新米で炊いた栗ご飯の美味しさが、クリ拾いへの期待感を否応なく高めます。西明寺栗のシフォンケーキも完食し、店を後にしました。

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【Photo】日本一大きな西明寺栗と日本一の群生地が見られるカタクリの里・西明寺のロードサインは、「くり」&「クリ」のオンパレード。佐々木栗園がある八津・鎌足地区へは「かたくり館」の看板が目印

 西木温泉ふれあいプラザ「クリオン」と市営交流施設「かたくりの館」と、"クリつながり"な施設前を通り過ぎ、秋田内陸線八津駅の踏切を渡り、バイカモが流れにたゆとう堀沿いの道を進むと、ほどなく農家民宿「くりの木」に到着しました。最寄駅の秋田内陸線「八津駅」からは徒歩10分前後の距離でしょう。

saimyoji_09.jpg【Photo】段々に整地された斜面に植林されたクリは、日照を考慮してか、木の間隔が広い。西明寺栗といえど、適切な間伐と剪定、施肥などの手入れが十分でないと、大きな実は結ばないという。日本一大きな栗の称号は、生産農家のたゆまぬ努力が生んだ結晶でもある

 娘の佐々木こう子さんから、2kgほどのクリが入る袋を渡され、裏手の栗林に案内されました。長靴や手袋の用意が必要かを事前に確認しましたが、全て不要とのこと。なぜなら西明寺栗は食べ頃を迎えると、イガがパックリと開いて巨大なクリの実が大きな音を立てて落ちてくるのでした。生い茂った下草は害虫クリシギゾウムシにとって格好の棲息場所となり、落ちたクリに卵を産み、幼虫が果実を食い荒らしてしまいます。そのため下草は丹念に刈り取られます。

katakuri_2012-5.jpg【Photo】八津・鎌足地区の栗林は、4月中・下旬にかけて国内最大規模で群生するユリ科の多年草「カタクリ」の花畑と化す。うつむき加減に淡い紫の花を咲かせるカタクリの花言葉は「初恋」。楚々として可憐な秋田美人のようなカタクリの自生面積は20haにも及び、ローマのコロッセオや東京ドームがすっぽり4個分という広さに相当する。西明寺全体で50haの栗林がある日本一大きなクリの里は、日本一のカタクリの里でもある 

 某老舗和菓子処が所有する栗園でクリ拾いをした数年前。クリを食い荒らして逃走したクマの巨大な置き土産(笑)にビビっただけに、「ここにクマは出没しますか?」と問うた庄イタ。すると「出ますよ~」と、こう子さんは事もなげ。「大きいクリを選んで下さいね~」と言い残して戻ってゆきました。

 そうして栗林に残された庄イタ。クマの足音に聞こえなくもないガサッ!という、枝から落ちたクリがたてる音にビビりながらも、日本一大きいクリの誘惑には勝てません。西明寺栗としては出荷されないLサイズに満たないものや、虫喰いを慎重に除きながらの宝探しが始まりました。

saimyoji_12.jpg【Photo】イガごと落ちるこうしたクリは珍しく、ほとんどは大きく開いたイガからバラバラにこぼれ落ちるのが西明寺栗の特徴。3Lサイズの西明寺栗と比較すると、ひときわ小さく見えるスズムシは、深まる秋に何を思う

 口を開けた特大サイズのイガごと落ちているクリも、一応あるにはありますが、ほとんどは落下した実だけが転がっています。なるほど、これならば長靴で踏みつけてイガを開き、トングでほじくり出す必要はありません。1964年(昭和39)に発足した「西明寺栗生産出荷組合」では、無農薬・有機栽培による丹念な土作り、剪定と整枝による日照の確保や適切な施肥などで味と大きさの追及に余念がありません。

saimyoji_13.jpg【Photo】クリ拾いの成果(右写真)

 クリには大きさと重さによって統一規格が存在します。組合員が西明寺栗として出荷するのは、大きさ33mm以上、重さ11g以上クラスのLサイズ以上としています。およそ30分ほどで大きさ40mm以上重さ21g~30g以上の3L~4Lサイズのクリを中心に1.9kgほどが収穫できました。

 観光栗園として開放している丘陵部の栗林は赤土土壌で、40年もすると樹勢が衰えるため、若木に植え替えをしなければなりません。私が案内された自宅裏手の栗林と桧木内川(ひのきないがわ)の中州に所有する栗畑には樹齢200年を越える現役の古木もあるのだといいます。

 3ヵ所都合5haの栗林で奨励5品種の西明寺栗を栽培するという佐々木さん。その作業場には、朝から昼前まで近所のクリ拾い名人に収穫を手伝ってもらったという西明寺栗が、大きなカゴ入りで4つ。収穫したクリの選別は、傾斜のついた目の大きさが異なる金網を振動させることで移動しながら行われます。こう子さんは分別作業を実演して下さいました。

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【Photo】午前中に収穫された西明寺栗が大きな赤いカゴ入りで4箱(右写真)。5haの栗林を所有する佐々木栗園では、収穫シーズンを迎えるとパートを雇わないと収穫が追いつかないという。収穫したクリの大きさ選別は、最上流のSから最後のLLまでブロックごとサイズが異なる網目に高低差をつけ、網目部分を電動で振動させることでクリが移動し、最後まで残るのが3Lという具合のブラボーな専用選果機で行う(左写真)

 収穫したクリは入園料200円+1kg当たり800円で持ち帰りができます。生栗は放置すると虫が発生するため、佐々木栗園では虫止め処理をしてから直接販売、発送にも対応します。生産者によって栽培する品種が異なるため、収穫の旬は異なります。自宅に持ち帰ったクリは虫止めしてあれば冷蔵室で1ヵ月程度置くか1~2日天日干しすると甘味が増します。

 佐々木栗園では、年によっては3週間、平年で2週間程度クリ拾い体験ができますが、伊豆大島に甚大な被害を与えた台風26号による強風のため、ほとんど落果してしまった今年は、今月17日で観光栗園を切り上げたそうです。開花期の6月末に天候がぐずついた今年は、ただでさえ収量が少ないうえ、収穫期に台風が来襲したため、わずか1週間での終了となった次第。自然相手の仕事には、人の力ではどうしようもない領域があるものです。

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 帰路、西明寺栗を用いた生ケーキや焼菓子を取り揃えた角館の洋菓子店「プチフレーズ」で、トッピングのマロンクリームと1個丸ごと甘露煮にした西明寺栗がスポンジ生地に隠れた「西明寺モンブラン」(右写真/368円)と、マロンペーストに包まれた中身の甘露煮のサイズによって400円~700円と価格に幅があるパイ生地で包んだ「西明寺栗くん」(左写真)も買い求めました。和菓子がお好きな方なら、ペーストにした西明寺栗を練り込んだ「くら吉」の期間限定商品「西明寺栗生あんもろこし」という選択肢もあります。

 青森・三内丸山遺跡からも多数のクリが発見されたという事実から、日本で稲作が始まる以前、豊かな狩猟文化が花開いた縄文人の食を支えたことが分かっているクリ。西明寺栗は、圧力釜で茹で栗にしたり、定番の栗ご飯でも美味ですが、佐々木栗園でも全国発送に対応する渋皮煮や甘露煮のほか、栗きんとんといった加工品にも向きます。びっくりな大きさに歓声を上げながら、童心に帰ってクリ拾いに興じる秋の一日。ホント楽しいですよ。来シーズンはぜひ!
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農家民宿くりの木 (佐々木栗園)
住:秋田県仙北市西木町小山田字鎌足186
Phone:0187-47-3046 
※ 栗拾いは要予約 入園料200円 拾った栗は1キロ当たり800円で持ち帰り可
  今年度のクリ拾いは終了。直接販売は在庫が無くなり次第終了につき、要問合せ
  全国発送可 P:あり
※ 宿泊:1泊2食付き 6,000円 1泊素泊まり 4,000円/ 母屋に宿泊/冬期間暖房費別途
Facebookで最新情報をチェック:https://www.facebook.com/farm.kurinoki

ガーデンカフェ&デリカ kimoto
住:秋田県仙北市西木町西荒井字熊野田107-3
Phone:0187-47-2948
営: 9:00~19:00 (ランチ&カフェ 12:00~16:00)
定休:第2・第4水曜
P:あり
URL: http://www.e-kimoto.jp/ Blog:http://kimotosan.exblog.jp/

角館プチ・フレーズ
住:秋田県仙北市角館町大風呂2
Phone:0187-54-1997
営: 9:00~20:00 年中無休
P:7台分
URL: http://www.kakunodate-puchi.com/


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2013/06/25

水が合うハナシ

力水@湯沢 vs 神泉の水@遊佐

 
 食べ物・飲み物ではなく、湧水に関するトピックスが続いて恐縮ですが、カテゴリーのタイトルにある通り"水はすべての始まり"です。出張先の旧久保田藩(秋田藩)で、栗駒水系の伏流水と出合うも、結局は旧庄内藩領内で鳥海水系の湧水の類い稀な魅力を再認識した次第。

kurikoma_buna.jpg【Photo】岩手・秋田・宮城の3県にまたがる栗駒山(1627m)秋田県側の標高1000m付近。6月上旬とはいえ直射日光が射さない斜面には雪が例年以上に多く残る。幾層にもなったブナの腐葉土は保水力が高く、地中へと浸透してゆく。ブナの森は豊富な伏流水の供給源でもある

 出張で秋田県南部の湯沢市稲庭を訪れた先日、次なる目的地にかほ市へ車で移動する道すがら、湯沢市古館山にある名水百選「力水」に立ち寄りました。鎌倉期に小野寺氏が古館山の頂きに築いた湯沢城は、関ヶ原の合戦以降、佐竹南家の三代目佐竹義種の居城となるも、1620年(元和6)の一国一城令により廃城となりました。現在は散策コースとして整備された古館山の一角が中央公園となり、市民憩いの場となっています。酒処・秋田だけあって人口24,000人弱の湯沢市街地には、爛漫で知られる秋田銘醸の大きな醸造所のほか、大小7軒の造り酒屋が点在しています。

fukukomachi_yuzawa.jpg 欧州最大かつ国際的に最も権威ある酒類評価会とされるインターナショナル・ワイン・チャレンジSAKE部門の金賞受賞酒「純米大吟醸 雪月花」を醸す両関酒造、同鑑評会出品292蔵元689銘柄の最高峰「Champion Sake チャンピオン・サケ」に昨年度輝いた「大吟醸 福小町」や「角右衛門」銘柄などを展開する木村酒造など、栗駒山系の豊富な水資源を活かした酒造りが行われています。

【Photo】秋田湯沢・木村酒造の福小町(右写真)。馥郁としたコメの旨味と酸味が醸し出す綺麗な造りの純米吟醸(左)、山田錦を精米率40%まで磨き、伝統の寒造りで頂点を極めたチャンピオン・サケ大吟醸(右)

chikara_mizu1.jpg【Photo】古館山を居城とした佐竹南家の御用水として使われた力水は、緑豊かな山裾に今もこんこんと湧き出す(左写真)

 名水百選・力水の標柱が建つ山裾の水場からは二筋の清らかな伏流水が湧き出ており、そこが水汲み場として整備されています。手入れが行き届いた水場の入口には「飲むと力が出る」という力水の由来を記した石碑があり、それによるとこの水は佐竹南家の御膳水として用いられ、殿様はこの水を「体に力がつく」と好んで愛用したのだとか。されば鳥海高原を越え、日本海に面するにかほ市まで移動後、仙台へと日帰りする力を得ようと飲んでみました。

 力水は年間を通して水温12℃前後、硬度約39、pH8.2の中性の軟水です。毎分およそ20ℓの湧出量がありましたが、次第にその量が減少しているとのこと。きりっと冷えた力水は、その名の通りロングドライブで疲弊した交感神経を覚醒させるのでした。

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 佐竹南家の屋敷跡に建っていた小学校では、飲用水として用いたこの水を「おしず(=清水)さん」と呼び、水温10~15℃の湧水でしか棲息できない淡水魚イバラトミヨを飼っていたのだといいます。力水を水源とする池には日本各地で生息数が激減するモリアオガエルも棲息していたといいますから、よほど自然豊かな環境だったのでしょう。

 佐竹の殿様が愛でた力水で元気回復、西馬内盆踊りで有名な羽後町から矢島街道と鳥海高原を経て、最終目的地にかほ市役所に駆け込んだのは17時をわずかばかり過ぎた頃でした。打ち合わせを終え、そこから仙台に戻るには、酒田みなとICから山形自動車道を使うのが時間的には最も早いルートとなります。その経路となるR7の遊佐町女鹿には、Viaggio al Mondo~あるもん探しの旅~で幾度か登場した湧水ポイントがあります。そう、女鹿集落のシンボルともいえる「神泉の水(かみこのみず)」です。

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 「水が合う、水が合わない」という言い回しがあります。あわただしく出張帰りに寄ったこの日、つくづくその言葉を実感しました。口あたりが極めて柔らかいだけでなく、飲み込んだ水がすぅ~っとカラダに浸み込んでゆく独特の感覚を体感できる稀有な湧水が神泉の水なのです。そのため、庄内系にメタモルフォーゼした10年前に初めてここを訪れて以来、神泉の水は過剰な塩分を含むスポーツドリンク類よりも遥かにスムーズに最もカラダに同化し、しっくりと馴染む水として私の中では最上位に君臨する水であり続けています。

【Photo】地区の暮らしとともにある遊佐町女鹿「神泉の水」

 熱帯に匹敵する年間降水量がある鳥海山周辺には、湧水ポイントが数多く存在しています。火山性土壌の影響で酸性度が高く飲用に適さない北側の湧水を除き、そのいずれもが庄内きっての美味しい伏流水ばかり。これまでViaggio al Mondoに登場しただけでも、牛渡川Link to backnumber、釜磯Link to backnumberゆりんこ・湯ノ澤霊泉Link to backnumber、胴腹滝Link to backnumber、さんゆう・鳥海三神の水同左etc ・・・。

 仙台に帰着するまで150km以上の距離を残し、すでに400kmを走破していたこの日。飲み込んだ神泉の水は、特異な浸透圧を備えた分子構造なのか、体感的には胃壁からたちまちにして体と同化してゆきます。その独特な感覚はこの湧水特有のもの。力水が交感神経を活性化させるムチ入れの水ならば、神泉の水は緊張が解き放たれカタルシスが得られる水。いわば副交感神経のスイッチが入る癒しの水。

kamiko_mizu-3.jpg【Photo】できることなら仙台の自宅まで誘引したいくらいの(笑)塩ビ製のパイプから直接水が注ぐ最上段が飲用。とりわけそこは汚さぬように気をつけたい

 夕刻を迎え、鍋やペットボトルを手に地区の人たちが水を汲んでは持ち帰ってゆきます。佐竹南家の殿様が愛飲した力水も間違いなく美味しい伏流水ですが、神泉の水ほど速やかにナノレベルの細胞にまで水が浸透してはゆきません。それほど水が合う庄内系にとっては奇跡の水である神泉の水は、集落から離れた上手の湧出地点から水場へと引かれています。不動尊が見守る水場は、女鹿の人々が大切に伝えてきたもの。

 6段に分かれた神泉の水は用途がそれぞれ決まっています。最上部は水汲み用、次が食べ物の冷却保存用、3・4段目が食品の洗浄、次が生活用具の洗浄、最下段がおむつ洗い。水場の周囲は人家なので、車は路肩に停車させアイドリングストップ。水場を守る地元の方優先です。


より大きな地図で 栗駒水系「力水」 vs 鳥海水系「神泉の水」 を表示

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2011/07/30

10年もの岩ガキ @象潟

鳥海山が育んだ海の加糖練乳・岩ガキ &
  この道50年以上、加藤名人との出会い

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【photo】岩ガキ漁に用いる小型漁船が陸揚げされた小砂川漁港

 にかほ市象潟町小砂川(こさがわ)は、山形県飽海郡遊佐町と県境を接する秋田最南端の地。沖合いの洋上には飛島を、緑の段丘の先には溶岩や火山灰が幾層にも重なった典型的なコニーデ式火山の扇形をした稜線を描く鳥海山が間近かに迫ります。海沿いを進む旧7号線・羽州浜街道沿いに人家が点在する小砂川は、農地には不向きな起伏に富んだ地形ゆえ、おもに漁業を生業とする280世帯が暮らします。


大きな地図で見る

 山形県境となる三崎公園の周辺は、鳥海山の溶岩流が日本海の荒波によって浸食された断崖の岩場となっています。かつては浜街道きっての難所とされた三崎峠も、現在はキャンプ場を備えた公園として整備されました。海沿いを走るR7にせよ、車窓に美しいオーシャンビューが広がる羽越本線を利用するにせよ、現在では想像すらつきませんが、1804年(文化元年)に発生した大地震で象潟一帯が隆起して陸地化する前は、松島のような幾多の浮島・九十九島(つくもじま)が織りなす見事な美観だったといいます。

marina_kosagawa.jpg【photo】砂浜の至るところから夏でも10℃ほどしかない鳥海山の清冽な伏流水が湧き出す。湧水が幾筋もの流れを砂浜に刻みながら日本海へと戻ってゆく小砂川海水浴場

 今から322年前の1689年(元禄2)6月16日(陽暦8月1日)、俳聖・松尾芭蕉は、おくの細道の最終目的地・象潟を訪れます。景勝地として知られた象潟への道すがら、酒田からの道筋で最も難渋した三崎峠には、有耶無耶の関があったと伝えられます。9世紀に朝廷が蝦夷に備えた有耶無耶(うやむや)の関は、宮城・山形県境の笹谷峠に設置されたとする説もあり、時を隔てた今となっては、その在り処は文字通りうやむや...。

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 秋口の産卵を控え、たっぷりと抱卵したミルキーな岩ガキを目当てに象潟まで足を延ばした2年前の8月、県境手前の脇道を入った小砂川漁港を訪れました。港へと向かう道筋に数軒の番屋があり、午前の素潜り漁を終えた漁師たちが休憩時間を過ごしていました。そこでお会いしたのが、加盟する15人の組合員全てが夏は岩ガキ漁を行う小砂川漁協の組合長を務める菅原 光禧さん(75)。

【photo】松尾芭蕉を慕って明治26年におくの細道を巡り、紀行「はて知らずの記」を残した正岡 子規が象潟を訪れた際、ウチに立ち寄ったんだよと語る菅原 光禧さん

 海流の関係で、湾内に砂が堆積しやすい小砂川は、定期的に浚渫する必要があるのだそう。漁港を維持するのもご苦労が絶えないのです。山形県吹浦から象潟にかけての一帯は、至る所で膨大な年間雨量に達する鳥海山の伏流水が湧出する地点があります。それは海中とて同じで、養分豊富な海水のもとで増殖する植物プランクトンを目当てに動物プランクトンが集まります。そうした場所にはプランクトンを餌にする天然岩ガキの群生がわんさと見られます。人家が多い象潟市街中心部や酒田市街から離れた小砂川のエメラルドグリーンの澄んだ海は、生活排水が流れ込む川が無いため、とりわけ岩ガキにとって恵まれた環境となります。

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【photo】店頭で殻を開けサッと水洗い。産地ならではの鮮度抜群の岩ガキゆえ、レモンを利かせ過ぎないほうが、持ち味を満喫できる

 例年6月末から7月上旬に解禁となる岩ガキ漁は、8月いっぱいが漁獲期。庄内浜から由利沿岸の天然岩ガキ漁は、素潜りで行われます。昨年「カワいすぎる海女」で有名になった岩手県久慈市小袖地区で100年以上の伝統がある北限の海女を挙げるまでもなく、素潜り漁は女性のイメージがあります。由利から吹浦にかけての漁場では、水深5~15mの岩場やコンクリート製テトラポットに張り付いた天然ものを専用の金具を用いて捕獲しますが、海に入るのはもっぱら男の仕事です。

maestro_sumoguriryo.jpg【photo】どうです、この風格。今年で82歳ながら現役バリバリ素潜り漁名人、加藤 長三さん

 「誰よりもいい岩ガキを採ってくる」と7歳後輩の菅原さんが語るのが、80歳を越えながら、海が荒れない限りは漁に出ているという加藤 長三さん(82)。加藤さんは現在のように岩ガキが一般に流通する以前から、半世紀以上に渡って素潜り漁を続けてきたのだといいます。海を知り尽くした寡黙な海の男は、多くを語るでもなく窓の外に広がるグランブルーな大海原へと目線を送るのでした。冬が旬のマガキ特有の香りが苦手な私をも虜にする今が旬の岩ガキ。冬ガキにはない甘味の強い風味が広く知られるようになりました。シーズンの週末ともなれば、岩ガキ目当ての長い行列が道の駅に出現します。

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 賢明なViaggio al Mondo 読者は、そうした長蛇の列には並ばず、象潟や吹浦にある鮮魚店を覗いてみることをオススメします。小砂川・象潟・金浦などの産地名・船名など、トレーサビリティ情報を表示した保冷ケースから取り出した鮮度抜群のリーズナブルな岩ガキを店頭で食することができます。

 最後に私の握りこぶしよりも遥かに大きな小砂川産10年もの岩ガキのあで姿お見せしましょう。養分豊かな海水温が低い海域の岩場に張り付き、長い時をかけてじっくりと栄養を蓄え、卵を孕んだ熟女ならではのフェロモンがムンムン(笑)。いかがです? ヨダレが垂れてくるでしょ?!

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2010/05/09

(みやび)に香る「いぶりがっこ」

薪の香は 移りにけりな だいこんに...
    これぞ秋田が生んだ珠玉の発酵食品

iburigakko_barolo.jpg【photo】協働学舎のカマンベール「笹ゆき」と絶妙の組み合わせとなるいぶりがっこ。イタリアワインの王Baroloバローロ屈指の名醸「E・Pira e Figli エンリコ・ピラー・エ・フィリ」きっての高貴な単一畑Cannubi カンヌビ'96 と十分に渡りあう。収穫後14年を経てやっと飲み頃の入口に差し掛かった著名な女性醸造家キアラ・ボスキスが手掛ける素晴らしい一本と掛け算の好相性を発揮。Buonissimo!

 まずは前々回「桜と名残り雪」でご紹介した共働学舎新得農場の世界が認めるカマンベールとベストマッチなワインの良き伴侶のタネ明かしから。チラ見せした写真でお察しの通り、それは秋田県南部で愛されてきた漬物「いぶりがっこ」です。

iburigakko_image.jpg【photo】雪国・秋田の風土が生んだ保存食いぶりがっこは漬け込む前工程として燻煙処理を施す。香ばしい広葉樹の香りが深い味わいを生む(右写真)

 大根を糠漬けする一般的な沢庵漬けのようにまず寒風のもとで日干しされるのではなく、収穫後に水洗いした秋大根を囲炉裏の上に吊り下げて燻醸・乾燥させてから糠漬けするのが伝統的な製法です。これは晩秋から冬場は雪模様が続き、冬の日照時間が全都道府県の中で最も少なく、北西の季節風が山々によって遮られる秋田内陸地方特有の気象条件ゆえのこと。小正月に横手で行われる行事「かまくら」をみても判るとおり、そこは我が国屈指の豪雪地帯なのです。ゆえにいぶりがっこは雪国で暮らす人の知恵が生んだ産物といえます。

sannai_PA.JPG【photo】横手市山内筏地区にある秋田自動車道山内PA‎より大日向山(写真左手奥)方向を望む。いぶりがっこはこの山里の風土から生まれた(上写真) 無添加・無着色の手作業で作られる秋田県湯沢市 伊藤漬物本舗のいぶりがっこ。決して見栄えは良くないが・・・(下写真)

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 黒ずんでしなびたその外観は、お世辞にも食欲をそそるものではありません。それでもひとたびスライスしたそれを口に含めば、パリっとした歯ごたえと、燻煙する薪に使われるナラやサクラ・リンゴといった広葉樹の心地よい香りが後を引きます。「がっこ」は秋田の方言で漬物のこと。一風変わった名前は「(みやび)るもの」が語源といわれるのも合点がゆきます。スモーキーな香りと入り混じるのは、米糠に含まれる微生物の働きによって醸成される深い旨味。そのまま頂いても充分に美味しいのですが、熟成が進んだカマンベールとミディアム~フルボディで味の構成要素が複雑な赤ワインとの饗宴はまた格別。・・・こりゃ、たまらんわ。

 いぶりがっこ作りが盛んな秋田県南、奥羽山脈沿いの仙北・平鹿・雄勝地域にあって、とりわけ多くの農家が自家製いぶりがっこを作っているのが、横手市街から南西方向に直線距離で15kmほど離れた山内(さんない)地区です。秋田自動車道横手ICから山あいに入り込み、優に30分を要するそこは、隣接する東成瀬村にほど近い山里。自家消費する分だけを作る例を含めて100軒以上の農家がいぶりがっこ作りを行う地区の腕自慢が持ち寄るがっこの味・色・香り・歯ざわりなどのiburinpic_2010.jpg出来栄えを競う「いぶりんピック」が2007年(平成19)から横手市と山内いぶりがっこ生産者の会により行われています。その狙いは農家の高齢化により減り続けている伝統技術の伝承・保護と、メディアを通した知名度の向上にあります。

【photo】「さて今年の出来栄えは?」 真剣な表情で味・色合い・歯応えなどをチェックする五十嵐 忠悦横手市長ら8人の審査員。今年1月に開催された第4回いぶりんピックのクラシカル部門には「山内いぶりがっこ生産者の会」会員農家から27人が丹精込めた自家製いぶりがっこを出品した 〈写真提供:横手市産業経済部〉

 化学調味料など一切の人工的な添加物を用いない本来の味を追求する「自家製法部門」、市販の調味料を使用した「漬物の素部門」、特に規定を設けない「フリースタイル部門」という3カテゴリーが設けられ、27名の生産者が43点を出品して完成度を競ったのが初年度。3回目の昨年からは、それまでの自家製法部門にあたる横手市民を対象とする「いぶりがっこクラシカルスタイル部門」と、県外からも参加可能で大根以外の食品でエントリーする「いぶりフリースタイル部門」の2ジャンルとなりました。

medalist_iburinpic.jpg【photo】いぶりがっこの象形文字が秀逸な横断幕が掲げられた審査会場に勢揃いした第4回いぶりんピックのメダリストたち。クラシカル部門で金、フリー部門で銀のダブル受賞を果たし、金樽を手にする高橋トシさん(写真中央)。フリー部門で金賞に輝いた宮城県名取市在住の鈴木敬一さん(右から2番目)〈写真提供:横手市産業経済部〉

 クラシカルスタイル部門でいぶりがっこ本来の味を競う山内地区の方たちは、初代自家製法部門優勝者のレシピを基にした統一ブランド「金樽」(1本700円・約400g)を数量限定で一昨年より販売しています。いぶりんピック優勝者には、伝統的ないぶりがっこ作りに欠かせない秋田杉を用いた樽にちなんで金メダルならぬ「金樽」が贈られます。コンテスト優勝者のレシピを再現した最強のいぶりがっことも呼ぶべき金樽ブランドで全国におらが郷土食の素晴らしさを発信をしようという試みです。

iburi_gakkou.jpg 【photo】生産農家による大根の栽培から実際の漬け込みまでの実技指導と講習などが行われる「山内いぶり学校」。6 回のカリキュラムを終え、2009年3月に実施された卒業試験を無事クリア、卒業式後に晴れがましい表情を見せる20名の第一期生〈写真提供:横手市産業経済部〉

 山内地区の農家が廃校となった地元の小学校で横手市民を対象にいぶりがっこ作りを伝授する「山内いぶり学校」が2008年(平成20)から開設されています。同年11月に行われた開校式の模様は、第一期生となった横手市在住のフードコーディネーター、「オフィスNORIMAKI」代表のたなかのりこさんが、食WEB研究所「ご当地グルメ発見伝」にレポを投稿されています。ともすると埋もれがちな地域資産を掘り起こし、そこに広がりと持続性を求めるには、まずは足元から。これは鉄則ですね。

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 小泉 武夫 東京農大名誉教授は、今年1月の第59回河北文化賞贈呈式で記念講演を行いました。「発酵王国・東北の食文化」と題する講演の中で、肉・魚・チーズなどを燻製にしたスモーキーな味を一般に好む欧米人に、いぶりがっこは充分通用しうる世界に誇るべき発酵食品であると発酵学の権威は太鼓判を押しました。金樽ブランドのいぶりがっこはアジア諸国へも輸出するそうです。寿司・天ぷらに続いて五大陸に雄飛せよ! われらが世界ブランド iburigakko!!

【photo】横手市中心部から奥羽山脈の懐深くに分け入る山内三又地区。山里の風土が生んだいぶりがっこを作り続けて40年以上という高橋麗子さん

 名人の呼び声が高い山内三又(みつまた)地区の高橋 麗子さん(76歳)は、ご子息の登さん(60歳)の奥様で第1回いぶりんピックで最優秀となる自家製法部門金賞の栄誉に輝いた篤子さん(58歳)とともに、栽培する1万2千本から3千本の青首大根と近年復活を遂げた在来種の「山内ニンジン」(⇒詳しくはコチラを毎年漬け込んでいます。

 囲炉裏のある家庭が少なくなった現在では、燻煙専用の「いぶり小屋」で大根を燻醸するようになりました。いぶり小屋には煙が上から抜けやすい茅葺屋根が適しています。火を扱う作業であることに加え、煙を絶やしてはいけないため、昼夜を問わず細心の注意が求められます。加えて煙が均等に回るよう、吊り下げた大根の吊り下げる場所を定期的に移動しなくてはなりません。青首大根は組成の90%以上が水分のために重く、縄1本につき12本前後の大根が下がる重さは10kg以上。数多くのカバーが生まれたプラターズの名曲 Smoke gets in your eyes ではありませんが、煙が目にしみるいぶり小屋での作業は生易しいものではありません。

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 【photo】収穫した大根の葉を落とし、水洗いしてから燻煙するのがいぶりがっこ作りの手順。高橋麗子さんは熟練の手さばきで次々と大根を結えてゆく(左写真) いぶり小屋で作業にあたる高橋 登さん・篤子さんご夫妻。火加減には細心の注意が必要(右写真)

 例年11月上旬から12月中旬にかけて漬け込み作業を行う高橋さん宅では、燻醸にはナラとサクラの薪を使い、地元の方たちの言い回しで"4泊5日"をかけています。日って昼夜を問わない作業を表す面白い表現ですよね。家ごとの味があるいぶりがっこだけに、家庭によって薪の種類や燻す長さは丸4日から6日と幅があり、漬け込みに使用する味付けの材料もまたさまざま。高橋家では、11月上旬から12月中旬にかけて行う漬け込みには、糠のほかに玄米・ざらめ砂糖・海塩・麹などの自然素材だけを使います。

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【photo】4泊5日の燻煙工程を終えた大根を紐からはずす高橋麗子さん。煤(すす)を洗い流してから、樽で漬け込まれる(左写真)。  がっこの漬かり具合をみる初代いぶりんピック金賞の栄誉に輝いた嫁の篤子さん(右写真)

 半世紀近くいぶりがっこを作り続けてきた麗子さん直伝の製法を受け継ぐ篤子さんは、仕上がりの発色を良くするためにウコンや紅花を用いるなど、ちょっとした工夫を加えています。細身のニンジンは仕上がりが早いものの、大根は秋田杉の樽でおよそ50日間漬け込みます。寒さが厳しく仕上がりが幾分遅れたという今年は、3月24日に最後の作業を終えたそうです。とりわけ雪が多い地域ゆえ、仕上がったいぶりがっこは雪室で保存します。近頃は体調が優れずに伏せる日が多くなったという麗子さんですが、またお元気になって伝統の味を末永く伝えてほしいものです。

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 残念なことに一般に流通するいぶりがっこの中には、市販される多くの漬物がそうであるようにソルビン酸K(保存料)、サッカリン(甘味料)、タートラジン(一般に黄色4号と呼ばれる着色料)といった人工的な添加物や「アミノ酸等」と表記されるうま味調味料(=化学調味料)を用いた製品が見受けられます。 秋田県内に店を構える大手スーパーや道の駅などで扱ういぶりがっこにしても大方はそう。(シーズンには30軒ほどの農家の手作り品がズラリと並ぶR107沿いにある「道の駅さんない・ウッディらんど」の売店はこの限りにあらず)

【photo】伊藤漬物本舗のいぶりがっこは、合成着色料・保存料・人工甘味料などの添加物を使用しないため、いぶりがっこ本来の味を知りたい方にお勧めしたい逸品だ

 特に味覚の形成途中にある子どもにはホンモノの味を覚えてほしいと思う者のひとりゆえ、繊細な味覚をもつ日本人が大切にしてきた自然な旨味を活かした伝統食が、こうした状況に陥っている事実は全くもって残念なことです。ともすると見栄えを重視しがちな消費者心理も問題ですが、どちらにせよ無添加の漬物を届けてくれる良心的な生産者の存在は有難いもの。

iburigakko_ito2.jpg 【photo】これが自然ないぶりがっこの色。しみじみと味わいたい

 平安前期の女流歌人で、秋田美人の元祖ともいうべき小野小町の出生地とされるのが秋田県湯沢市です。小町の故郷で1965年(昭和40)に創業した伊藤漬物本舗は、そんな品質にこだわったいぶりがっこを届けてくれる生産者です。同社では、年産約2万本のいぶりがっこや秋田県南特産の「ナスの花ずし」などの製品を13年前から無添加に切り替えています。仙台市青葉区サンモール一番町で先月開催された物産市マルシェ・ジャポン【注】会場に、同社の伊藤 明美 代表の姿がありました。

 素材の味を活かすよう低塩化したという同社のいぶりがっこは、けれんみの無いしみじみとした味が魅力です。燻煙材に使用する薪はサクラとナラが8対2の割合。akemi_ito.jpgナラ材よりもスモーキーな香りがしっかりと付くサクラをメインに、4泊5日で燻煙をかけた後、全て手作業で漬け込みを行います。「正直な漬物」をモットーに作る伝統を重んじたいぶりがっこを気軽に楽しんで欲しいと考えた伊藤さんは、食べやすいように小分けにした真空パックのワンコイン製品や、スルメと昆布の旨味を効かせたいぶりがっこの松前漬、素材を燻すという秋田の食文化に着想を得たこの春発表の自信作「燻り塩」と「燻り醤油」などの新商品開発にも意欲的に取り組んでいます。基礎調味料を燻すことによって料理の味の幅が広がるので、ぜひ組み合わせの妙を楽しんで欲しいとのこと。

 【photo】いぶりがっこを筆頭に食品を燻す秋田の食文化の啓蒙に意欲的な伊藤明美社長。年間100日は全国の物産展などに出向いて直接消費者と接するという二代目は「仙台でも声をかけてくれるお馴染みさんが増えました」と笑顔で語る

 古今和歌集に収められた「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に」は、晩年の小野小町が詠んだものとされます。自分が無為に時を過ごしている間に、桜の色もいつしか移り変わってすっかり色あせてしまった、という意味。絶世の美貌を称えられた小町も寄る年波には勝てず、見頃をとうに過ぎ、散りゆく桜に自身を重ね合わせて儚(はかな)さを憂いています。黒ずんで皺だらけのいぶりがっこは、年老いた卒塔婆小町の肌を連想させなくもありませんね。いぶりがっこの里で生まれた六歌仙への返歌で今回は締めくくるとしましょう。

 薪の香は 移りなけりな だいこんに 雅香ひと口 噛み締めし間に
   ・・・オソマツ ( ̄ー ̄;)

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伊藤漬物本舗
秋田県湯沢市角間字白山下26
phone:0183-73-7716
F a x :0183-72-6823
URL: http://www.aiakita.jp/itou.html
E-mail :info@ito-tsukemono.co.jp

※仙台では藤崎、ザ・モール仙台長町、SELVAなどに出店している漬物専門店「丸越」で伊藤漬物本舗のいぶりがっこを扱う

【注】 生産者と消費者を結び、食料自給率向上・地産地消を推進するといいながら、産地を想起するにはおよそミスマッチな仏語のネーミングと、短絡的な仏国=アコーディオンという前世イタリア人が鼻白む(笑)BGMが流れる会場。高齢化が進む生産現場の実態と地域性を無視した画一的な霞ヶ関の発想が破綻を来たした証に、仙台では回を追うごとに出店者が著しく減少している。火を見るよりも明らかな予想通りの展開だが、事業仕分けで廃止が決まり、今や「マルシェ・ドボン」と呼びたいこの事業に6億円もの多額の税金が投入された事実を鑑みると思いは複雑。う~む...

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2009/12/23

io sono shozzurista ショッツリスト宣言

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地域資源こそ活性化の切り札
 男鹿・イタリア魚醤フォーラム2009

 11月22日(日)、秋田県男鹿市で伝統的な魚醤「しょっつる」で男鹿地域に活力を与えようという催しが行われました。県内外はもちろんのこと、イタリアと韓国からのゲストを含めて150名以上が参加して行われたこの催しを主催した「男鹿半島まるごと博物館協議会」は、男鹿地域の活性化を目指して地元に光を当てようと圏域の観光・商工団体・NPOらで今年3月に組織された団体です。

 同協議会では、内閣府が推進する「地方の元気再生事業」に採択された「男鹿半島『神の魚ハタハタ・地魚』復活プロジェクト」で、ハタハタをはじめとするアジ・イワシ・コウナゴなど男鹿の豊かな水産資源を起爆剤とした複合的な地域活性化に取り組んでいます。ここ一ヶ月間で彼らが仕掛けたハタハタとしょっつるに関する催しが立て続けに行われています。

 「おら家(え)のしょっつる料理博覧会」が行われたのが12月13日(日)。一口にしょっつると言っても使う魚の種類やその部位など、製法や熟成期間によって、さまざまな味があることが協議会による調査で改めて浮き彫りになっています。会場となった男鹿市脇元公民館には、仕込まれて44年を経たヴィンテージものなど多種多様な自家製しょっつるが集められ、興味深げに味見する来場者の姿が見られました。ハタハタを使う代表的な秋田の郷土料理「しょっつる鍋」と、しょっつるを使った伝統的な家庭料理「しょっつるなます」koushu_shotturu.jpg「ねりけもち」などに加え、新たな感覚を盛り込んだ創作料理、新旧あわせて15点ほどの紹介と試食も行われました。

 12月12日(土)・15日(火)の両日、男鹿市船川港の産直施設「かねがわ畑」で開催された「ハタハタしょっつる講習会」には各日30名が参加。男鹿地域で最もハタハタ漁が盛んな同市北浦在住で、自家製しょっつるを作り続けて40年というベテラン鎌田 妙子さん(75)が、熟練の技でしょっつる作りの手順を指南しました。自家製のしょっつる作りは初めてという参加者たちは、3年後の出来上がりを楽しみに旬のハタハタ10kgを仕込んだ樽を自宅に持ち帰りました。

 協議会がこうした一連の取り組みを仕掛ける背景には、かつて男鹿では当たり前のように見られた自家製のしょっつるを作る家庭が、現在確認されている限りにおいて、10世帯ほどしかなく、いずれも70歳以上の高齢者が作っているという現実があります。このままでは、伝統ある男鹿のしょっつる文化の多様性は数年後に失われてしまうに違いありません。

 tsugio_yamamoto.jpg hideki_sugiyama.jpg anna_ferrazzano.jpg 【photo】挨拶に立った男鹿半島まるごと博物館協議会 山本 次夫会長(左写真)とカンパーニャ州サレルノ県アンナ・フェラッツァーノ副知事(右写真)、冒頭の講演でショッツリスト宣言を発表する秋田県水産振興センター杉山 秀樹所長(中央写真)

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 こうした状況のもとで行われた「男鹿・イタリア魚醤フォーラム2009」のテーマは「魚醤文化の交流と、その利用法を探る」というもの。今や日本食はブームの域を超えて世界中へと広がりつつあり、もはや味付けのベースに醤油が欠かせない sushi、tempura、sukiyakiは世界共通語です。穀物から作られる現代の醤油のルーツと考えられる中国の醤(ひしお)は、魚や肉の動物タンパクから作られたもので、魚醤は醤油よりも歴史的には古いものです。中国で誕生した醤油を独自に発展させた醤油文化の本家を自認するニッポン人なら、そもそも魚醤が果たしてイタリアに存在するのか、いぶかしく思われる方もおいででしょう。

【photo】アンチョビやコラトゥーラに加工される地中海産カタクチイワシ。なかでもチェターラのイワシは形が小ぶりだという(右上写真)

secondo_squizzano.jpg rucia_di_mauro.jpg yukio_watanabe.jpg【photo】渡部 幸男男鹿市長の講演「男鹿の地域づくりについて」(右写真)セコンド・スクイッツァート チェターラ町長による講演「チェターラ市と魚醤」(左写真)父が創業したIASA s.r.l.を兄と共同経営するルチア・ディ・マウロさんの講演「チェターラの魚醤・コラトゥーラ」(中央写真)

 かつてイタリアには古代ローマ時代に広く使われた魚醤「Garum ガルム」が存在しました。帝政ローマ初期、初代皇帝アウグストゥスから二代ティベリウスの治世に美食家として鳴らしたApiciusアピキウスの料理本「De Re Coquinaria デ・レ・コンクイナリア」には、ギリシャ発祥とされる万能調味料ガルムに関する記述が残されています。紀元前8世紀から南部沿岸やシチリアを足がかりにイタリアへの入植を進めたギリシャ人は、カタクチイワシなどから作る魚醤の製造法をもたらしていたのです。ローマ帝国の滅亡とともに忘れ去られたガルムは、13世紀に「Colatura コラトゥーラ」と名前を変えて復活します。

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【photo】講演を終え、男鹿・チェターラ相互に贈り物の交換。男鹿には海洋都市ならではのイルカがモチーフとなったチェターラの紋章入りプレートが、イタリア側にはナマハゲの面と写真集が贈られ、大喜びのチェターラ市長とサレルノ県副知事(左写真) 魚醤の町という共通点を生かして今後も交流を続けることを誓い、固い握手を交わす両首長

 第二次大戦後、いち早く復興を遂げたイタリア北部・中部と比べて所得水準が低かった南イタリアの小さな漁村でも、1980年代以降はコラトゥーラを貧しさの象徴と考える風潮が広まり、16世紀まで遡るチェターラの魚醤を作る人がいなくなって、20年ほど前に一度は途絶えます。風前の灯火である男鹿の自家製しょっつると同じ状況が20年前にイタリアでも起こっていたのです。歴史ある魚醤コラトゥーラが人々の記憶から薄れかけた頃、21世紀に入って南イタリア・サレルノ県のアマルフィ海岸にある小さな漁村「Cetara チェターラ」で再び蘇ります。

Cetaramare.jpg【photo】今ではコラトゥーラの町としてイタリアで広く認知されるチェターラ。古代ローマ時代の魚醤ガルムの流れを汲むコラトゥーラと並ぶ町のシンボルは、アラブやノルマンなどの外敵から町を守ってきた写真中央の「Torre di Cetara チェターラ塔」

 その推進役となったのが、現職に就任して3年目というセコンド・スクイッツァート町長や「Associazione Amici delle Alici di Cetara チェターラ・カタクチワシ協会」を2002年に立ち上げたピエトロ・ペッシェ(pesce=伊語で「魚」の意。名は体を表す!会長、地元のリストランテ「San Pietro サン・ピエトロ」のフランチェスコ・タンマーロ シェフら、チェターラ人のアイデンティティーともいうべきコラトゥーラに誇りを持つ人々でした。伝統的な食文化の復興という共通命題のもと、彼らは各人各様の役割を果たしました。

forum_gyosho.jpg【photo】秋田県立大谷口吉光教授がコーディネーターを務めた魚醤フォーラム「しょっつるで男鹿を元気に」。コラトゥーラを使った料理で観光客増に結び付け、町の活力を得た経験に基づき、魚醤復活に奔走したイタリア側メンバーから、しょっつるを地域おこしに役立てようと一歩を踏み出した男鹿の人々に向けて、力強いエールが送られた

 2003年、スローフード協会はコラトゥーラを伝統的な製法で作られる保護すべき食材「Presidio プレジディオ」に指定します。これが契機となり、それまでは過去の遺物として忘れ去られていたコラトゥーラがメディアを通して広く知られるようになります。紺碧の地中海から切り立った断崖沿いにまばゆい太陽が織りなす絶景が続く世界遺産の「Costiera Amalfitana アマルフィ海岸」にあって、静かな漁村チェターラを観光客が訪れることなど、20年前まではあり得なかったのです。

pietro_pesce.jpg【photo】チェターラ・カタクチワシ協会ピエトロ・ペッシェ会長

 ♪ Vide 'o mare quant'e bello! Spira tantu sentimento,...(美しい海よ! 私の感傷を誘う...)と自分のもとを去った恋人に切なく語りかけるカンツォーネの名曲「帰れソレントへ」。その舞台となった港町ソレントからサレルノまでのおよそ50kmは、切り立った断崖が続きます。その間に点在するポジターノやアマルフィといった宝石のように美しい海辺の町の影に隠れていた人口2,400人の小さな漁村が、現在ではコラトゥーラを使った料理を目当てに足を運ぶ観光客で賑わっています。

amici_cetara@terra_madre.jpg【photo】2006年10月に開催されたスローフード協会主催の「サローネ・デル・グスト」。プレジディオの一角にあった「チェーターラ・カタクチワシ協会」のブース。右から5人目が今回来日した現町長セコンド・スクイッツァート氏、4人目がコラトゥーラ料理を提供するリストランテ「サン・ピエトロ」シェフ、フランチェスコ・タンマーロ氏

 今回のフォーラムには、イタリアからコラトゥーラを通して地域おこしに成功したチェターラ町長と、サレルノ県アンナ・フェラッツァーノ副知事ら行政関係者、コラトゥーラ復活の仕掛け人であるチェターラ・カタクチワシ協会ピエトロ・ペッシェ会長、イタリア初の瓶入りツナのオイル漬を商品化する一方で、木樽による伝統的なコラトゥーラの製法を守る「IASA s.r.l.(=有限会社)」の女性生産者ルチア・ディ・マウロさん、コラトゥーラを積極的に取り入れたチェターラの郷土料理を提供して人気を集めるリストランテ「サン・ピエトロ」のフランチェスコ・タンマーロ シェフらが来日。「こんだに大勢のイタリアの人がんだが男鹿さ来てけで...(=こんな大勢のイタリアの人たちが男鹿に来てくれて...)」と地元は歓迎ムード。

prodcut_colatura.jpg【photo】日本の漬物と同じく重石で蓋をした木樽で塩漬けにして仕込まれる伝統的なコラトゥーラの製法。4ヶ月を経過するとこうして宙づりにされ、樽の底に穴をあけてコラトゥーラが一滴ずつ集められる

 迎える日本側は、男鹿半島まるごと博物館協議会の山本次夫会長、渡部幸男男鹿市長、チェターラとの交流のきっかけを作り、ハタハタと塩だけで作る伝統的なしょっつるを復活させた「諸井醸造所」諸井秀樹代表、「地産地消を進める会」代表を務める谷口吉光 秋田県立大教授、秋田で幅広く活躍する料理研究家・米本かおりさん、試食会でフランチェスコとのコラボで料理を振舞った秋田市のイタリアンレストラン「Osteria Arca オステリア・アルカ」の作左部史寿オーナーシェフら多彩な顔ぶれが揃いました。

colatura_cetara.jpg【photo】IASA社製のコラトゥーラ・ディ・アリーチ

 20世紀初頭にアンチョビの製造を始めたディ・マウロ家。漁師であった父が1969年に創業した現在の会社を兄と営むルチアさんによれば、チェターラがあるサレルノ湾近海では、3月から7月上旬にかけてカタクチイワシ漁が行われます。サレルノ湾のイワシは小型で、特有の味を醸しだします。気温の低い夜間に漁が行われ、生きたまま加工場に運ばれてくるイワシの頭と内臓を除いて塩漬けするアンチョビと基本的な製法は同じ。閉じ蓋に重石を乗せた「Terzigno テルツィーニョ」という名の木製の樽で熟成させると、次第に液体が遊離してきます。木樽を使うことで独特の香りがコラトゥーラに移り、複雑味が加わります。仕込んでおよそ5ヶ月を経過した10月末から11月にかけて、樽の底に「avrialeアヴリアーレ」と呼ばれる道具で穴をあけ、したたり落ちる濃い琥珀色の液体を一滴ずつビンに集めます。100kgのイワシから10ℓのコラトゥーラが作られます。

    【コラトゥーラ作りの模様をまとめた動画
    

 このようにして作られる薫り高い調味料「Colatura di alici コラトゥーラ・ディ・アリーチ 」は、サラダや野菜の煮込みから魚料理、パスタ料理に至るまで、幅広く用いられてきました。カトリック教国イタリアでは、救世主の誕生を待ちわびる待降節の最後の晩には、伝統的に肉食を慎み、魚を食べる習慣があります。チェターラではクリスマスイブの晩餐に用いる特別な贈り物としてもコラトゥーラが珍重されてきました。午前中のフォーラムでは、一度は失われたコラトゥーラをいかにして地域活性化に結びつけたのか、自身の体験をもとにセコンド・スクイッツァート町長は成功のカギとして4つのポイントを挙げました。

● 原料となるイワシ漁に携わる漁師の暮らしを守ること
● コラトゥーラの製造者が品質にこだわった良いものを作ること
● 料飲店の協力を得てコラトゥーラを料理に取り入れ、人々に良さを理解してもらうこと
● マスメディアと連携して多くの人々にコラトゥーラの町チェターラを知らしめること


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 チェターラは世界的に知名度の高いアマルフィ海岸という絶好のロケーションにあります。加えて近くに人口15万人のサレルノ、105万人のナポリといった大きな都市があったため、多くの観光客を引き寄せることができました。一方でスクイッツァート町長は、共通の目標に向かって歩調を揃えるのが苦手なイタリアの国民性を克服する必要性を課題として挙げました。地域ごと独立した都市国家として競い合った歴史が長く、統一国家としては150年に満たないイタリア。やることがバラバラで好き勝手な立ち振る舞いはイタリア人の専売特許です。対照的に巧みなプロモーションを繰り広げ、日本で確固とした地位を築いたボルドーワインは別格にしても、イタリアにも1934年に発足し、ハードチーズの王様として世界に冠たる名声を得たパルミジャーノ・レッジャーノの生産者組合「Consorzio del Formaggio Parmigiano-Reggiano パルミジャーノ・レッジャーノチーズ協会」の例だってあるのですから。 Forza(=頑張れ) Cetara,forza colatura!

mangiare_cucina.jpg 【photo】コラトゥーラを使った南イタリアらしい郷土料理とカンパーニャ州のヴィーノやリモンチェッロなどのリキュールが用意された試食会場

 魚醤を使ったチェターラ料理が用意された試食会では、参加者が用意された料理に舌鼓を打ちました。作佐部シェフによれば、青魚を用いるコラトゥーラのほうが、ハタハタを使うしょっつると比べてパンチが利いた味だといいます。イワシと並ぶチェターラの重要な漁業資源であるマグロのオイル漬けとアンチョビが前菜に用意され、サン・ピエトロのシェフ、フランチェスコ・タンマーロさんが作った耳のような形状をしたパスタ「オレキエッテ」は松の実と一緒にコラトゥーラとオイルでシンプルに味付けしてあります。ハタハタやイカなどの魚介をオリーブオイルで素揚げしたフリットもコラトゥーラで味付けして頂きました。由利本荘市から参加した吉尾 聖子さんは、普段はしょっつる鍋でしか用いない魚醤の幅広い使い方が面白かったと感想を述べ、JR東日本の奥村 聡子観光開発課長は、土産品としてのしょっつるの可能性にも期待を寄せたいと語りました。

orecchiette_colatura.jpg antipasti_iasa.jpg fritti_al_mare.jpg 【photo】日伊のシェフによる料理が並んだ饗宴より。コラトゥーラ風味のオレキエッテ(左写真)IASA社製のオイル漬マグロとアンチョビ(中央写真)ハタハタほか魚介のフリット(右写真)

 1969年から韓国の魚醤「ミョルチッチョ」を済州島で作る魚醤生産者でもあるジャーナリスト、キム・チン・ファ氏と同島のシーフードレストラン「真味名家」を営むカン・チャン・クン氏も会場に駆けつけ〈clicca qui〉、海と共にある三ヵ国の人々が、共通項である魚醤を通して活発な意見交換が行われたフォーラムの冒頭で、かつて県の水産技師当時にハタハタの全面禁漁の必要性を漁師たちに説いてまわった秋田県水産振興センター杉山 秀樹所長から発表されたのが「ショッツリスト宣言」でした。

 今回のフォーラムは、秋田の人々にとって主なしょっつるの用途であるハタハタを用いたしょっつる鍋だけではない、調味料としての汎用性の高さを知ってもらう狙いがありました。宣言には、先人の知恵の結晶であるしょっつるを愛し、世界各地の食文化・歴史と深いかかわりを持ちながら存在する魚醤文化の普遍性を知り、新たな発想を取り入れることで美味しさを再認識し、行政・漁業者・生産者・料理人・消費者が結束して地域固有の食遺産を継承してゆこうという、高い志と強い決意が込められていました。

moroi_compact (187x250).JPG 300名以上の申し込みがあったフォーラムの参加者150名には、催しを主催した男鹿半島まるごと博物館協議会から「Myしょっつる運動」への参加が呼びかけられました。諸井醸造所が製造する秋田県産ハタハタのみを使用し、通常の5倍にあたる10年熟成させた「十年熟仙」が入った携帯用の小瓶が希望者に配布されたのです。固定概念にとらわれず、自由な発想でさまざまな料理にしょっつるを使う事で、普及と利用拡大を目指すこの運動の趣旨に賛同して、私も一本バッグの中にしょっつるを忍ばせています。以来、さまざまな食事にシュッと吹きかけ、しょっつるとの相性を試したり、知り合いの手に吹きかけて本物の香りを体験してもらっています。

【photo】さまざまな食事に使って下さいと「Myしょっつる運動」への参加を呼びかけ、主催者から希望者に配布された携帯に便利な小型容器に入った諸井醸造所製の10年熟成しょっつる「十年熟仙」(手前中央)

 チェターラの人々が成し遂げた"コラトゥーラ・ルネッサンス"とでも呼ぶべき取り組みは、忘れられていた郷土の味に新たな角度から光を当てたものです。諸井醸造所の諸井 秀樹代表は午後のフォーラムで、もっと地元の人々がしょっつるを使い、自信を持つことの大切さを訴え、アドバイザーとして参加した渡辺 幸男男鹿市長は、地元の人々が自由な発想で付加価値をつけて外に発信することの大切さを痛感したと述べました。ひとかたならぬ郷土愛に裏打ちされたお国自慢にかけてはイタリア人の右に出る民族は稀でしょう。

 コラトゥーラを通して活力ある町作りに成功したチェターラのセコンド・スクイッツァート町長が「現在の男鹿を見ていると数年前の自分たちの姿を見ているようだ。成功を信じて頑張ってほしい」と会場に呼びかけると、会場を埋めるショッツリストたちは拍手で応え、実り多いフォーラムを締めくくりました。
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2009/12/13

秋田の味「しょっつる」

「神の魚」
 復活にまつわる二つの神話

 
kanpuzan_22.11.09.jpg【photo】男鹿半島の中央に位置する寒風山頂から眺めた雲間から射す神々しい陽光に輝く日本海の南はるか彼方には鳥海山が遠望される(上写真)。標高355mの山頂からは、琵琶湖に次ぐ日本第二位の広さだった八郎潟の干拓事業で広大な耕作地が生まれた大潟村(下写真)がすぐ目の前。

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北に目を転ずれば世界自然遺産白神山地の山並みも一望のもと
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 ♪ コラ 秋田名物 八森ハタハタ、男鹿で男鹿ブリコ、アーソレソレ・・・。大館の「曲げわっぱ」や能代の「春慶塗」など、秋田音頭の歌詞に登場する秋田名物の冒頭に出てくるのが、県最北の八森漁港に揚がる魚偏に神と書く魚「鰰(ハタハタ)」と、奇習ナマハゲで知られる男鹿半島一帯がおもな産卵場となるハタハタの卵「ブリコ」です。海藻に産み付けられたブリコが冬の日本海の荒波で引き離され、海岸線に打ち上げられて波打ち際が茶褐色に染まる光景は、津軽・秋田・北庄内にかけての冬の風物詩です。

namahage_22.11.09.jpg【photo】秋田市方面から男鹿半島へと向かう船川街道沿いの「男鹿総合観光案内所(通称:なまはげ案内所)」前にある巨大な二体のナマハゲ。大晦日の晩、「わりご(悪い子)はいねがー、泣く子はいねがー」という怒声を上げ、出刃包丁を手に登場するナマハゲが体長15mまで巨大化したド迫力に思わず腰がすくむ。デカッ...!!(゚ロ゚)

 普段は沖合いの水深250m 近辺の日本海に生息するハタハタの漁期は、産卵のために海岸線近くの浅瀬まで上がってくる10月~12月。秋田県沿岸の八森・男鹿・象潟周辺はハタハタが好んで産卵するホンダワラ類の海藻が多く、稚魚のエサとなるプランクトンが豊富な好条件が整っていたため、その一帯がハタハタの主な漁場となります。秋田の人々は、雷鳴が轟く冬場になると、産卵のために接岸してくる通称「季節ハタハタ」を心待ちにします。そのためハタハタは魚偏に雷と書く「鱩」という字で、カミナリウオという別名もあるほど。雷神は「ハタタガミ」とも呼ばれることから、ハタハタの名の由来とも考えられています。

hatahati.jpg 【photo】産卵を控えた季節ハタハタのメスは、独特のぬめりを伴ったプチプチした食感のブリコを抱えているために腹部が大きい(写真上列に並ぶ4匹の右から2番目)。旬の白身の美味しさはオスに軍配が上がる

 沖合いの底引き網漁と接岸する季節ハタハタを狙う定置網と刺し網による漁によって、漁獲高が最も多かった1966年(昭和41)には、県全体で年間2万トンを超える水揚げを記録しましたが、沿岸整備による産卵環境の悪化や乱獲が影響して次第に水揚げが減少してゆきます。漁獲高が1万トンを割った翌年の1977年(昭和52)に4,500トンまで落ち込んだ水揚げは、1992年(平成4)には、わずか70トンに激減しました。

 そこで秋田の漁師たちは、世界でも例を見ない3年間の全面禁漁を実施し、漁業資源保護に乗り出します。ハタハタ漁で生計を立ててきた漁師にとっては、苦渋の選択でしたが、事態はあわや絶滅かという局面まで逼迫していたのです。生息数が一定の回復を見せた1995年(平成7)10月の漁獲再開後は、県の予測に基づく推計生息数の半分は資源として保護するために漁獲枠を設けています。'96年以降、青森・秋田・山形・新潟の4県は、体長15cm未満のハタハタを漁獲禁止とする史上初の複数県による漁業資源保護協定を締結。2,600トンの漁獲枠が設定された今年は、11月24日に男鹿半島北側の北浦港に初水揚げがあり、今月8日には秋田全域に季節ハタハタが接岸し、いま漁の最盛期を迎えています。

shottsuru_nabe11.12.09.jpg【photo】霞ヶ関の農水官僚が6億もの税金を投入して始めた「マルシェ・ジャポン」。事業仕分けで来年度の廃止が宣告され、ドボン!と沈没したこの意味不明な根無し草イベントと対極の発想で仙台のNPO「朝市夕市ネットワーク」が毎月運営する合同市。そこで入手した宮城県名取市の専業農家・三浦 隆弘さん自慢のかぐわしい根付きセリが入るある日の庄内系流「しょっつる鍋」。定番の子持ちハタハタ・豆腐・ゴボウのほか、加熱によって旨味と甘さが増す酒田市「平田赤ねぎ生産組合」が出荷する「平田赤ねぎ」を加える。味付けはハタハタ100%の伝統製法で作られる「諸井醸造所」のしょっつる。同じく伝統的な杉樽仕込みの鶴岡市羽黒町 亀の井酒造「くどき上手 純米吟醸 桶仕込」との相性は完璧!!

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 ハタハタ漁の再開以降、秋田県水産振興センターの手で人工授精が行われ、毎年400万尾から500万尾の稚魚が放流されています。人工授精は隣接する青森・鰺ヶ沢や山形・鶴岡などでも実施しているほか、現在では山陰から北海道にかけて行われています。護岸工事によって藻場が減少している海岸には、人工的にブロックを整備して藻場の回復を図るとともに、漁師が海藻を巻きつけた使い古しの魚網を設置するなどして、資源の回復に取組んでいます。こうした栽培漁業へ転換した効果が表れ、2002年(平成14)に秋田県の「県の魚」となったハタハタの県内漁獲高は3,000トン前後まで回復しています。

hatahata_sushi.jpg【photo】男鹿の正月に欠かせないハタハタ寿司。麹をたっぷりと用いていており、フナを使う癖の強い熟れ寿司とは違って、はるかに上品で食べやすい

 ウロコが無く加熱すると骨と柔らかなクセのない白身が簡単に離れるハタハタは、新鮮なら刺身でよし、おろし醤油で頂く湯上げでよし、塩焼きでよし、煮てよし、田楽でよしと、さまざまな味付けで食されます。師走を迎える頃から、正月を迎えるために秋田の一般家庭で作られるのがハタハタ寿司です。同じ発酵食品である日本酒と合う保存食としても親しまれてきたこの熟(な)れ寿司には、各世帯ごとの味があり、互いに交換して味自慢をするのだとか。

 同様に、かつて男鹿の各家庭で作られていたのが、ハタハタの生魚と塩を原料とする魚醤「しょっつる」でした。醤油がまだ高級品だった昭和初期まで、秋田・男鹿地方の家庭では日々の食卓で使う基本調味料、いわゆる「サ・シ・ス・セ・ソ」の醤油に代わる手前味噌ならぬ自家製の「手前しょっつる」を作っていました。しかしながら、今ではそうした自家製のしょっつるを作っているのは、男鹿市1万3千世帯のなかで把握される限りでは70歳代以上の高齢者がいる数十軒の家しかありません。多様なしょっつる文化は今や風前の灯火といわざるを得ないのです。

hideki_moroi.jpg【photo】諸井醸造所 3代目 諸井 秀樹 代表

 ハタハタの不漁による価格の高騰や3年に及んだ禁漁によって、男鹿のしょっつる製造業者は次々と廃業に追い込まれます。残った業者は安価に手に入る代替品のイワシやアジを使用したため、強い魚臭さが出るだけでなく、化学調味料を使用したり安価な東南アジアの魚醤や水を混入したしょっつるが出回るようになります。こうして塩とハタハタだけで作られる男鹿のしょっつるは、漁獲の減少とともに姿を消してゆきます。伝統的な本物の味が忘れ去られてしまうことに危機感を抱いたのが、男鹿市船川港にある「諸井醸造所」を営む諸井 秀樹さんです。1930年(昭和5)に創業した味噌・しょうゆ醸造元の三代目は、20年ほど途絶えていた男鹿伝統の味復活に向けて動き出します。それは1997年(平成9)、諸井さんが43歳の時でした。

spaghetti_hatahata.jpg【photo】淡白なハタハタを使ったスパゲティの味付けにも、ハタハタをの湯上げした茹で汁にしょっつるを加え、仕上げに10年熟成のしょっつるで香り付け 
 
 ハタハタを原料とする男鹿に伝わるしょっつるの製法は、熟練者の勘によるものだったため、体系的にまとまった資料が存在しませんでした。諸井さんには、家業を継いで10年目の1983年(昭和58)に自己流でしょっつる作りを試みたものの、断念した経験がありました。そこで諸井さんはパン生地の発酵に使われる「白神こだま酵母」を開発するなど、食品加工業者に対する技術指導や情報提供などを行う「秋田県総合食品研究所」応用発酵部門の協力や、自家製しょっつるを作っていた漁師の助言を得て、わずかに残っていた文献をひもといて試験醸造に着手します。ハタハタの浜値は現在キロ200円前後に低迷しており、諸井さんが漁師の生活維持を心配するほど暴落しています。'95年の禁漁明け直後の浜値はキロ3,000円を突破、'97年当時でもキロ1,000円以上もする高級魚と化したハタハタだけを使う諸井さんの取り組みは、採算をまったく度外視したものでした。

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【photo】諸井さんが苦心の末に見出したのが「ハタハタ7:天日塩3」という黄金比率。1トンのハタハタから出来上がるしょっつるは500リットルに過ぎない(左写真) 前年に仕込んだばかりのタンクには、まだ原型を留めた発酵途中のハタハタがびっしり(中央写真) もろみは月に一度撹拌され、空気に触れることで発酵が促される。あとは時間が味を仕上げてくれる(右写真)

 無謀だという周囲の制止に耳を貸さず、伝統製法によるしょっつるの復活に没頭する諸井さんを突き動かしていたのは、本物だけがもつ美味しさと男鹿の風土に根ざした食文化を絶やしてはならないという使命感でした。新鮮な男鹿産のハタハタと男鹿の天日塩と混ぜ合わせて5トン容量のホーロータンクで漬け込み、月に一度だけ撹拌して熟成させること最低2年。気温や湿度などの気候条件が異なるもとで、なかなか思うような結果が得られず、雑菌が繁殖して腐敗させてしまい、泣く泣くタンク全量を廃棄処分した苦い経験もあります。幾度もの試行錯誤の末、ようやく完成をみたのは2000年(平成12)のこと。最初にしょっつる作りに挑んだ時から17年の歳月が経過していました。澄み切った琥珀色のかぐわしい液体を口にした昔のしょっつるを知る人は、「久しく忘れていた本物の味が記憶の底から蘇った」と諸井さんの労作を褒めたたえたといいます。

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【photo】諸井醸造所では8 基のタンクでしょっつるを仕込んでいる。熟成庫には一切生臭さはなく、理想的な発酵がなされていることが窺える(左写真) 限定品の「十年熟仙」用のもろみ。白身魚特有の上品な味わいに磨きが掛かったしょっつるは全て布で漉した後、通常のしょっつるに施す加熱処理を加えず、通し番号の入ったボトルに詰められて出荷される(中央写真) 最低2年の熟成期間中に、魚体のタンパク質はグルタミン酸やアミノ酸成分に変化して旨味の詰まった原液に変化する。布で漉した澄み切った琥珀色を呈するハタハタ100%のしょっつるは、不快な魚臭さを全く感じさせないばかりか、加熱すると甘みが加わって味に深みを与える(右写真)

 近年のエスニックブームで、魚醤としてはタイのナンプラーやベトナムのニョクマムのほうが、むしろ日本では入手しやすく、その料理を口にする機会が多いかもしれません。醤油が広く普及した日本では、江戸初期以来の伝統に培われた魚醤は秋田のしょっつると石川県能登地方のイカの腑を原料とする「いしる」が残る程度。かつて日本三大魚醤といわれたコウナゴ(小女子)の稚魚イカナゴの生魚と塩を原料とする香川の「イカナゴ醤油」が、一般家庭の食卓からほぼ途絶えて久しい今、300年前からイカの塩辛を仕込む際に、「つゆ」と呼ばれる腑を仕込んだ魚醤を仕込みダレとして使っている酒田沖に浮かぶ飛島や、最近になって鮭を原料とする魚醤を作り始めた岩手県釜石市などの動きはあるにせよ、bottiglia-shottsuru.jpgハタハタと海塩から作られる男鹿伝統のしょっつるは、四方を海に囲まれた日本が誇るべき天然素材のみを用いた希少な食文化の遺産です。2006年(平成18)、スローフード協会は漁師が資源を回復させたハタハタから作るしょっつるを、絶滅に直面した保護すべき伝統食品を選定対象とする「味の箱舟」に登録しました。

【photo】八森漁港のおかみさんで組織する秋田県漁協 北部総括支所 女性部ひより会が製品化した「鍋通亭しょっつる」と並んで希少なハタハタ100%を貫く諸井醸造所の「秋田しょっつる」(130g・写真左) 醸造家の情熱と10年の歳月が作り出した魂の一滴を味わいたい「十年熟仙」(200mℓ・写真右 ※今年販売された1999年製造分は完売)

 去る11月22日(日)、秋田県男鹿市で「男鹿・イタリア魚醤フォーラム2009」が開催されました。今回の催しではギリシャ・古代ローマ時代の万能調味料「Garum ガルム」の流れをくんだ魚醤の生産者など関係者一行が男鹿を訪れました。そのきっかけは、ノンフィクション作家の島村 菜津さんが南イタリア・アマルフィ海岸の小さな漁村Cetara チェターラを訪れた際に出合ったカタクチワシ(=alice アリーチェ/ 複数形:alici)を原料とする「Colatura di alici コラトゥーラ・ディ・アリーチ」の存在を諸井さんに伝えたことでした。

slowfish_07genova.jpg【photo】2007年にジェノヴァで開催された「Slow Fish」には、スローフード協会が特に保護すべき食品「プレジディオ」に認定する20の海産物がブース参加。コラトゥーラの生産者らで組織するカタクチイワシ協会のコーナーでは、日本と同じ形状の木樽で塩蔵されるイワシの展示、コラトゥーラの試食が行われたArchivio Slow Food / Egidio Nicora

 2007年5月4日から7日の4日間、イタリア・リグーリア州ジェノヴァでスローフード協会が開催した「Slow Fish スローフィッシュ【Link to website】」では、海の生物多様性と持続可能な漁業、伝統的な魚食文化の保護に向けた意見交換などが行われました。この催しに「スローフード秋田」の会員として参加した諸井さんは、今回男鹿を訪れたチェターラのコラトゥーラ生産者らと出会い、意気投合します。コラトゥーラが地域活性化に果たす役割がいかに大きいものかを知るにつけ、その後も交流を続けてきました。次回 io sono shozzurista ショッツリスト宣言では、男鹿地域の人々にとって示唆に富んだ提言がなされたフォーラムの模様をお伝えします。

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諸井醸造所
住:秋田県男鹿市船川港船川字化世沢176
Phone:0185-24-3597
F a x:0185-23-3161
URL:www.shottsuru.jp
E-mail:shottsuru@basil.ocn.ne.jp
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2009/09/06

象潟の岩ガキ

旨さに参りましたっ m( _ _ )m
 @道の駅象潟「ねむの丘」直売所

 滋養強壮効果が高い栄養素が豊富で、まったりとしたその食感から「海のミルク」ともいわれる日本海の岩ガキ。そろそろ産卵期に入るため、最も水揚げが多い秋田県象潟(きさかた)周辺における今年の漁期は8月いっぱいで終了しました。そもそも食べ物には最も美味しい""があるからこそ、有り難みが増すのであって、年中同じものばかりでは季節感などあろうはずもなく、味気ない食生活になってしまいます。加温のために化石燃料を消費したり、海外から輸入するなど生産と輸送に余計なコストをかけてまで一年中同じものを食べようというのは、倣岸な発想だと思うのですが、いかがでしょう。

iwagaki_il_che.jpg【photo】 私がこれまで食べてきた鶴岡「アル・ケッチァーノ」の岩ガキ料理の中で最も美味しかったのは、今回象潟を訪れたちょうど1年前の2008年8月22日夜に奥田シェフが「イル・ケッチァーノ」を貸切のマンツーマンで作ってくれたこの温製岩ガキ。同店の人気メニュー「岩ガキの鳥海モロヘイヤのケッカソース」が、生の岩ガキを使用するのに対し、こちらは甘さがとろける絶妙な火加減で吹浦産の岩ガキが調理されていた。隠し味程度にほんのかすかに香る控えめなレモンとエシャロット、岩ガキの旨味が渾然一体となって調和するのは、まろやかなピュアオリーブオイルがつなぎの役割を果たすゆえ。シンプルなれどさすがのセンスが光る一品。Perfetto!!(ペルフェット!!=完璧)

 私が庄内系にメタモルフォーゼした2003年(平成15)の夏がそうであったように、太平洋高気圧よりオホーツク海高気圧が優勢な場合、北東から吹き付ける冷たい海風「やませ」の影響で、東北の太平洋側はすっきりしない天候の夏となります。今年も気象庁は東北の梅雨明けを特定しないまま9月を迎えてしまいました。そんな年でも東北を南北に貫く奥羽山脈が、季節風を遮って天候に顕著な違いをもたらすため、私のホームグラウンドである美味の宝庫・庄内地方を始めとする日本海側では、夏の陽射しを浴びることができる確率がぐっと高くなります。

nalanda_tandole.jpg【photo】酒田市あきほ町のインド料理店「ナーランダ」のタンドーリチキンセット。スープ・サラダ・仙台時代と変わらぬGANESHの「新茶の紅茶」を使用したアッサムティー(チャイ)などのソフトドリンクがセットで1,800円。この日の組み合わせはキーマカレー。タンドーリチキンまたはシシカバブの肉料理とカレー・ミニサラダとのセットは1,050円

 夏らしい夏を求めて訪れる庄内浜の夏の味覚といえば、何をおいても岩ガキを挙げなくてはなりません。南から鼠ヶ関・由良・吹浦と名だたる産地があります。なかでも鳥海山の伏流水が海中に湧き出してくる吹浦産の岩ガキは、象潟と並んで味には定評があります。マガキのヨード香が苦手ゆえ、生ガキを食べない私でも、庄内浜で揚がる天然物の岩ガキは全然オッケーどころか、大の好物。鳥海山の伏流水は養分が豊富で、そこに集まるプランクトンを餌に水温が低い汽水帯で5年以上、時には10年をかけてじっくりと育ったカキが水揚げされます。分厚く大振りな殻に入った身には海の旨味がたっぷりと詰まっています。マガキにはない濃厚な甘さは、岩ガキならではのもの。吹浦産の岩ガキがどうして美味しいかは、昨年6月に「プリップリでとろける吹浦の岩ガキ」【Link to back number】で触れています。

nalanda_maharaja.jpg【photo】ナーランダの看板メニュー「マハラジャカレー」。金管楽器のように突き抜ける鋭角的な辛さではなく、弦楽器や木管楽器なども加わったフルオーケストラの響きのように複雑で奥行きのある辛味に、まろやかな酸味も加わって見事な調和と厚みが生まれる。ライス付800円・ナーン付900円。要予約にてカレー(5人前)のテイクアウトも可

 象潟の温水路を訪れた8月22日(土)のこと。昼食は酒田市あきほ町のインド料理店「ナーランダ」でタンドーリチキンとキーマカレーのセットを頂きました。まだ時代が昭和だった頃、仙台市内の小松島に知る人ぞ知るインドカレーの名店ナーランダはありました。仙台で本格インド料理を提供する草分けであった1980年(昭和55)にオープンしたその店は、平成の世になり私が転勤で東京で暮らした6年の間に店を畳んでいたのです。消息が分からぬまま数年が過ぎ、オーナーの高橋ご夫妻と、桂小金治も思わずもらい泣きしそうな【注】 涙の再会を酒田で果たしたのが2003年の夏。じんわりとした辛味にもまして誠実なご主人の人柄が滲み出た旨味の勝った辛口のマハラジャカレーは、高橋オーナーが仙台時代からこだわりを持って作り続けている3日間じっくりと煮込んだ変わらぬ味が魅力です。店に立つお母さんの背中で眠っていた息子さんも今や高校生。たまに店の手伝いをしており、時の流れを感じさせます。私のように往時の味を懐かしみ仙台から足を運ぶファンも少なくないそうです。

tsuchida_kisakata.jpg【photo】道の駅象潟「ねむの丘」の直売コーナーにある2軒の鮮魚店のひとつ「土田水産」の店頭に並ぶ象潟産天然岩ガキ。捕獲後時間の経過と共に薄れてゆく海の塩味を生食で顕著に感じるのは朝採りゆえの新鮮さの証。一個600円(特大)から350円までと大きさによって値段が異なる

 この日、今シーズン最後となるであろう岩ガキを食べようと心に決めていました。当初は吹浦の道の駅 鳥海「ふらっと」と、道の駅象潟「ねむの丘」で岩ガキのハシゴをするつもりだったのですが、腹持ちの良いカレーセットとナーンでお腹は膨れたまま、一向に食欲は戻りません。そのため手前の吹浦はスルーして、にかほ市象潟へと直行しました。直売所には、佐々木鮮魚店と土田水産が軒を並べており、「今すぐむいて生で食べられます」と書かれた土田水産の店頭に並ぶ大きな殻付きの岩ガキを目にした途端、私の胃袋は蠕動(ぜんどう)運動を始めました。いわゆる別腹を確保しようという食いしん坊共通の生体反応ですね(^ー^)。その卓上には、道の駅象潟オリジナルのyuzuponz.jpg「ゆずぽんず」が置いてあります。土田水産会長の土田 吉樹さんによれば、当初はレモンを添えて岩ガキを出していた土田水産でも、柚子とローヤルゼリー・ハチミツが入った「ゆずぽんず」が岩ガキによく合うと好評なことから、近年ではゆずぽんずに切り替えたそうです。

【photo】岩ガキとの相性を考慮して製品化された道の駅象潟オリジナル「ゆずぽんず」(500mℓ入 / 577円・税込)。物産コーナーで購入可

 道の駅象潟に地物の岩ガキが登場するのは6月初旬から。鳥海山の伏流水が海中に湧出する場所が多い上、付近に生活排水が流れ込むような川が無いことから、とりわけ綺麗な海水に恵まれた小砂川(こさがわ)産が先陣を切ります。7月には月末まで漁が行われる小砂川と月初から漁が始まる象潟産が共に店頭に並びます。甘味が強く、地元でも時に人気が高い小砂川は、磯場近くの汽水帯で漁が行われます。かたや象潟では、比較的沖合いの水深7m~10mほどの海域で潜水漁が8月末まで行われます。そのため、ともに朝採りで店頭に並ぶ小砂川と象潟では、食べた時に感じる塩味や甘さの濃淡に違いが出ます。

iwagaki_kisakata.jpg【photo】象潟産天然岩ガキ。ふっくらとした身の中はさながらとろける生クリームのよう・・・。あぁ、来年の漁期が待ち遠しい

 象潟で代々鮮魚店を営む土田会長の説明によると、小砂川産の岩ガキは伏流水の影響で水温が低く、成長のスピードが遅いものの、豊富なプランクトンをたっぷりと採り込みながら大きくなってゆくといいます。小砂川産の岩ガキは、主に汽水帯に棲息するため、塩気はほとんど感じません。この日頂いた象潟沖の岩ガキは小砂川と比べれば伏流水の湧出口は少ないために甘味と同時に塩味を感じました。それでも海水がきれいなため、雑味の無い岩ガキ本来の味が楽しめるとのこと。確かにそのクリーミーな甘さは、吹浦産の上をいっているかもしれません。吹浦の岩ガキはプリッとした食感ですが、象潟のそれは加糖練乳のような甘くトロける食感なのです。これはもはや海のミルクどころか「海のコンデンスミルク」といった方がふさわしいでしょう。

 「(象潟・小砂川・金浦など)地元の岩ガキ以外は口にしたことが無い」と、なんとも羨ましいことを仰るにかほ市農林水産課の佐々木 善博さんは、半生になるまで火を通すことによって、より甘味を強く感じる「焼きガキ」もお薦めだと語ります。とろ~り半生で頂く小砂川の岩ガキ...。頭の中で想像は広がるばかりですが、こちらは来年の楽しみにとっておきます。


大きな地図で見る

(岩ガキとは全く関係のない蛇足ながら...)【注】 「ナーランダ」がまだ仙台にあった頃の1987年まで日本テレビ系列で毎週火曜日19時30分から放送されていた人探しとご対面が売りの公開TV番組「それは秘密です!!」をご記憶でしょうか? 司会の桂小金治が涙ながらに波乱万丈なエピソードを切々と読み上げた後に、一般視聴者が生き別れとなった親兄弟や恩人などと数十年ぶりに感動の再会を果たすというもの。ご対面を果たした一般視聴者を前に感極まって号泣する小金治をはじめ、レギュラー出演者であった三橋達也やケント・デリカットはおろか、会場の観客、恐らくは番組視聴者までがほぼ全員もらい泣きするという世にも稀な人情番組だった

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道の駅 象潟 ねむの丘
住所: 秋田県にかほ市象潟町字大塩越73−1‎
Phone: 0184-32-5588(代)
営:1F 物産館 9:00-19:00
  2F レストラン 眺海 11:00-16:00 17:00-20:30(L.O.20:00)
  4F 展望温泉 眺海の湯 9:00-21:00 
URL: http://nemunooka.jp/
◆土田水産  Phone: 0184-43-3052
◆佐々木鮮魚店 Phone: 0184-43-5650


インドカレーのやかた「ナーランダ」
住所:山形県酒田市あきほ町658-2
Phone:0234-24-9456
営:11:30-14:30(L.O.14:00)
  17:30-20:45(L.O.20:15)
定休:木曜(祝日の場合は営業)
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2009/08/30

日本初の温水路

先人の英知が遺した日本初の太陽光温水装置
 「上郷温水路群」@ 秋田・象潟

kotaki_chokai.jpg【photo】万年雪を頂く鳥海山の懐に抱かれた秋田県にかほ市象潟町上郷地区。鳥海山の豊かな水が稲穂の中を流れる小滝温水路。一見ありふれた農業用水路だが・・・

 秋田県にかほ市象潟町上郷(かみごう)地区一帯では、秋田・山形県境にそびえる鳥海山の稜線が北側に延びる緩やかな傾斜地でコメ作りが盛んに行われています。そこでは紀元前466年に起きた鳥海山の大規模な噴火などによって吹き飛ばされた巨大な岩の塊が田んぼの所々に見られます。この地のコメ作りには、鳥海山が深いかかわりを持っており、今回はそこに記された昭和初期から脈々と続けられてきた人々の英知の足跡をたどってみましょう。

agariko_daio.jpg【photo】樹齢300年以上と推定される奇形ブナ「あがりこ大王」は、中島台の森の主クリックで拡大

 北西の季節風によって、山頂東側の積雪が多い年で50m、年間降水量が20,000mℓと、熱帯雨林並みの降水量に達するといわれる鳥海山は、豊かな水の恵みを人里にもたらします。上郷地区から鳥海山の山腹に向かう県道象潟・矢島線の先にある「中島台レクレーションの森MAP」には、全長5km の遊歩道が整備され、2時間20分ほどでブナの森を探索できます。そこには幹周りが7.62mと日本一の太さがある「あがりこ大王」をはじめとする奇形ブナの森があり、樹齢300年を超える威容を誇るあがりこ大王の枝越しからも万年雪を頂く鳥海山頂が垣間見られますclicca qui 。森を管理する田中 二三男さんによると、特に朝早い時間帯には、森と付近の路上でクマを目にすることは決して珍しいことではないそうです。

detsubo.jpg【photo】豊富な伏流水の湧出により、ブナの木漏れ日を映す水面には絶えず複雑な流紋が描き出される。獅子ヶ鼻湿原の「出壷」
 
 遊歩道で巡る先に広がる獅子ヶ鼻湿原には、鳥海山の伏流水が湧き出すスポットが数多くあり、年間通して水温7℃あまりという冷たい水が随所で湧き出してきます。手を切るように冷たい水には、1分と手を浸していられません。"クマの水飲み場"という物騒な異名を持つ「出壺」では、今年のように少ない年でも毎秒200ℓ、多いときには400ℓも湧き出してくるという水が岩の隙間へと渦を巻きながら吸い込まれてゆくダイナミックな水の動きが見られますclicca qui 。そこは、苔むした岩肌から大量の伏流水がほとばしり出る「元滝clicca qui 」と並んで、鳥海山の豊かな水の循環を目の当たりにできる格好の場所です。

【photo】マリモとはいうものの、藻ではなく苔が水の中で成長した「鳥海マリモ」(下写真左)
鳥越川から温水路への取水口。獅子ヶ鼻湿原から3kmの導水トンネルを抜けてきた水は一段と冷え込んでおり、川霧が漂うそこは夏でもひんやりと涼しい(下写真右)

shusuiko_onsuiro.jpg chokai_marimo.jpg

 水深約2mの底がくっきりと見て取れるほど透明度が高い水ですが、数値が7より多ければアルカリ性、少なければ酸性の度合いが高くなるpH値が、火山性土壌の影響によって4.6~4.7%という酸性を示します。そのため殺菌効果は高いものの飲用には適しません。その流れの先には、水苔が流水の中に堆積して形作られた天然記念物「鳥海マリモ」が群生します。湿原付近から湧出した水は、赤川・鳥越川・岩股川となって流れ出し、発電用に引かれた水路には、水温が気温よりもはるかに低いために水面からは霧が立ち込めています。

 雪解け水が地中にしみ込んだ伏流水は、標高550mの獅子ヶ鼻湿原一帯から湧出し、川となって標高200mの上郷地区に流れ着く時点でも、水量が豊かなだけに10℃ほどまでしか水温が上がりません。稲が健全に生育するためには最低でも15℃の水温が必要なため、かつては上郷に暮らす人々は、冷たい川の水口にある水田一枚を稲を植えない捨て田としてあてがわざるを得なかったといいます。

kamigo_haichizu.jpg【photo】県道象潟・矢島線の道沿いの場所(「現在地」と表記)に建つサインボードに記してある「上郷温水路群」の配置・・・①大森温水路 ②水岡温水路 ③長岡温水路 ④象潟温水路 ⑤小滝温水路

 1926年(昭和2)1月、豊富な鳥越川の水を活用した横岡第一水力発電所が稼働、さらなる水温低下の要因となる延長3kmの導水トンネルを掘削した電力会社から住民に補償金17,000 円(現在の貨幣価値換算で約1千万円)が支払われます。当時の上郷村長岡集落の世話役であった佐々木順治郎(1882-1952)は、日当たりの良い場所に傾斜が少なく、できうる限り水路幅を確保する一方で水深を浅くした農業用水路を作ることで、水の温度を上げられないかと思案します。水路には随所に高低差のある落差工が設けられ、水が滝となって揉まれることで摩擦熱がkisakata_onsuiro.jpg生じて温度が上昇しやすいよう設計されます。冷水による生育障害で思うようにコメの反収が上がらなかった地区の人々は、順治郎の呼びかけに応じて、農作業の合間や農閑期に労を惜しまずに岩を運び水路を広げる土木作業を行いました。現在のように重機で工事を行ったのではなく、全て人力でなされたという作業はさぞ大変だったことでしょう。

【photo】水路幅を広げ、水深を浅くした象潟温水路を流れる水に日差しが燦々と注ぐ。こうして10℃前後と水温の低い水は徐々に温められる

 最初に着工した長岡温水路が完成すると、水路の入り口から耕作地に至るまでに水温が平均で3.8℃、最高8℃も上昇してコメの収量が徐々に上がってゆく期待通りの成果をもたらします。考案者として陣頭に立った順治郎が温水路の効果を見届けるようにこの世を去ったのは、温水路整備が秋田県営の事業となった翌年の1952年(昭和27)のこと。以降1960年(昭和35)までの間に長岡・大森・水岡・小滝・象潟という合計5つの温水路が上郷地区周辺に整備されます。これらの温水路は現在「上郷温水路群」と総称され、総延長6,281mに合計215カ所の落差工が設けられ、今もすべて現役の農業用水路として活躍しています。

kotaki_onsuiro1.jpg【photo】県道象潟・矢島線沿いを流れるため、上郷温水路群のなかでは、最も場所が判りやすい小滝温水路。流れに手を入れてみると、獅子ヶ鼻湿原の手を切るような水とは違い、太陽のぬくもりが感じられ、温水路の効果を実感できた

 鳥海山を背景に青々とした水田が広がる田園風景に溶け込む幾つもの階段状の流れを形成する温水路と初めて遭遇したのが2年前の夏。それは中島台の奇形ブナの森を目指していたに過ぎない私にとって、全く偶然の出合いでした。融雪水の低温障害という厳しい自然条件に立ち向かおうとした人智が作り出した見事な仕掛けを前にして、そこを取り巻く周囲の環境や作られた目的は全く異なるものの、前世イタリア人である私は、とある既視感(デジャヴ)に見舞われたのです。水が階段状の段差を流れ下るさまは、南イタリア・ナポリ近郊 Caserta カセルタにある世界遺産の壮大なバロック様式の「Reggia di Caserta e Parco カセルタ王宮と庭園」の全長3kmに及ぶ建築家ルイージ・ヴァンヴィテッリが設計した階段状の水路を彷彿とさせたのでした。

reggia_caserta.jpg【photo】ナポリ王国の威信をかけて1752年に造営が始まったカセルタ王宮のバロック庭園(左写真)。階段状の水路が延々と続く片道3kmの庭園は、往復歩くと足が棒になること請け合いなので、園内を走るバスか馬車で奥まで進み、彼方に見えるファサードの幅が250mもある巨大な宮殿まで緩やかな下り道を徒歩で戻って来るのが得策。野村不動産のマンション「PROUD」シリーズの最新CMに登場するのが、この庭園。モデルの森下久美さんと"世界一の時間へ"ひとときの現実逃避を図りたい方は〈コチラ〉をチェック・プリーズ(笑)。ロングバージョンでは、呆れかえるほど長大なこの庭園のスケールが空撮の動画でご覧頂けます

 とりたてて物理や土木工学に関する知識があったわけではない一介の農民であった佐々木順治郎が、日本で初めて考案し、住民と手を携えて作り上げた上郷温水路群は、2003年(平成15)に社団法人 土木学会によって土木学会選奨土木遺産として認証されました。その意義は、"鳥海山からの融雪水による冷水害対策として、水路幅を広く、水深を浅くし、落差工を連続させた日本で初めての温水路である"というものでした。加えて2006年(平成18)には農林水産省によって、"日本の農業を支えてきた代表的な用水"として疎水百選のひとつに選定されます。

kotaki_onsuiro2.jpg【photo】土木学会選奨土木遺産の記念プレート(写真手前)とベンチが設置された親水空間となった小滝温水路の下流部分。そこでは地域の子ども達が温水路について学ぶ校外学習が行われる

 コメの収量を上げる効果が実証された温水路は、後に上郷地区だけでなく、鳥越川下流域の白雪川沿いに1962年(昭和37)~1967年(昭和42)にかけて、この一帯に存在する温水路では最長となる7,190mに及ぶ「岱山(たいやま)温水路」が整備されます。さらに1975年(昭和50)~1982年(昭和57)には、最も新しい温水路として1,306mの長さを持つ「金浦(このうら)温水路」が作られました。

kaneura_onsuiro.jpg【photo】白雪川水系の温水路では最も新しい昭和57年に完成した金浦温水路。落差工部分に岩を積み上げた初期の温水路とは違い、最新の土木工学に基づき、全体がRC作りとなっている。15mもある水路幅のスケールは右側に停車しているalfa Breraと比較すれば一目瞭然クリックで拡大

 毎年6月第一土曜日には、田植えを終えた地区の人々が、温水路の清掃や周辺の草刈りなどの奉仕作業「早苗饗(さなぶり)普請」を行います。早苗饗は読んで字の通り、無事に田植えを終えた農家の人々が、五穀豊穣をもたらす田の神に感謝の意を表すため、6月初旬ごろに行う宴を指します。上郷の人々は、祖先が汗を流して築き上げた温水路への感謝を田の神を敬う心と共に絶えず抱いてきました。毎年7月には、上郷温水路のある5つの集落の人々が、水源となる鳥越川上流域にある大水揚場までの10kmを片道2時間をかけて遡上、水神に参詣するとともに水源付近の倒木を除くなどの手入れを実施しています。

kisakata_tsukumojima.jpg【photo】白雪川水系の温水路の水は、上郷など鳥海山麓の水田のみならず、名勝「九十九島(つくもじま)」で知られるこの象潟付近の田畑をも潤し、やがて日本海へと注ぎ、日本一美味しいといわれる岩ガキをはじめとする海の幸をも涵養している

 佐々木順治郎の発案から80年あまり。鳥海山と太陽の恵みを活かした温水路は、どれだけの豊かな稔りと人々の心に潤いをもたらしたことでしょう。ブナの森に端を発する清らかな水は、これからも決して枯れることなく大地を満たしてゆくに違いありません。

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