あるもの探しの旅

メイン

2016/05/14

正真正銘、これぞトリュフチョコレート!!

アルバの薫り高きトリュフ入りトリュフチョコ


 2010年10月にオープンした旧店舗近くにこの春移転し、装いを一新した福島市「Osteria delle Gioie オステリア・デッレ・ジョイエ」。

 信仰するバッカス神との対面をウフィツィ美術館以来、久方ぶりに果たした「カラヴァッジョ展」、異才ぶりに圧倒された「若冲展」と続いたGW期間中の東西美術展巡り。その締めくくりとして、福島県立美術館で開催された「フェルメールとレンブラント 17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち 」を鑑賞がてら、1カ月半ぶりに店を訪れました。

OsteriaGioie2.jpg OsteriaGioie.jpg
Osteria-Gioie.jpg【Photo】移転前のダークグリーンの外壁とオレンジ色の扉から、黒を基調としたシックな外装に生まれ変わったファサードとエントランス(右)。 外扉を開けると、ワインボトルをかたどった内扉が出迎えてくれる(左)。 旧店舗より広くなった店内はカウンタ-席をセンターに配し、明るく開放的な雰囲気

rigatoni-al-maiale-e-pomodoro.jpg

sugopo-modoro@gioie.jpg【Photo】昨年11月、旧店舗で食したランチコース「Degustazione 」のプリモピアット「自然放牧豚の自家製サルシッチャと自家製サンマルツァーノトマトソース・ペコリーノ風味リガトーニ」(上写真)の味に魅了され、帰り際に購入した「Sugo al pomodoro fresco con San Marzano フレッシュサンマルツァーノトマトのソース 我が家風」(左写真)。イタリアの家庭と同じく夏の収穫期にまとめて製造、瓶詰めする

 サンマルツァーノトマトの自家製ソースしかり、ラグーしかりの滋味あふれる味付けで、いつに変わらぬ身も心も満たされるコストパフォーマンスの高いランチコース「Degustazione デグスタッツィオーネ」(税込2,940円)を頂きました。

 会計を済ませたところに厨房から出ていらした梅田勝実シェフとご挨拶を交わし、5月25日に開催する生産者交流イベント「自由で自然な仲間のマルシェ ナチュラ・フクシマ」について教えていただいた折のこと。

stuzzuchino-zuppa2016.3.21.jpg antipasti-misti2016.5.7.jpg
primo-bongole2016.3.21.jpg condo-maiale2016.3.21.jpg
dolci2016.5.7.jpg bevande-caffe2016.3.21.jpg
【Photo】(3月中旬から5月初旬にかけてのDegustazione コースより。左上から順に)イタリア種の黄色いニンジンポタージュ、アンティパスティ・ミスティ(奥州いわいどりレバーのブルスケッタ、プロシュット、白いんげん豆、赤ダイコンとヘーゼルナッツ、イタリア風卵焼き、カポナータ、ニンジンのマリネ)、熊本産アサリのポモドーロソース・レモンの香りスパゲティ(⇒ 絶品!)、ふるや農園自然放牧豚肩ロースのグリッア、ピスタチオのジェラート・ブラッドオレンジのソルベ、SIMONELLI で淹れるLAVAZZA

 横目でレジカウンターのガラスケースの中に鎮座する「トリュフ入りチョコレート(下写真)の存在を見逃さないトリュフ犬顔負けの庄イタなのでした。

dulcis-tuber-tartufo.jpg

 シニョーラ梅田から「お味見にどうぞ」と渡されたトリュフチョコからは、庄イタの嗅覚細胞に深く染みついた特徴的な白トリュフに通じる芳香が包み越しに立ち昇ってきます。

 人間の五感において記憶の最も奥底に刻まれるのは嗅覚。ある香りを嗅いだ途端に、遠い過去のシーンが突如として蘇った経験をお持ちの方は、少なくないかと。

 めくるめく香りに誘われるように、5粒入りパッケージ(税込1,260円)を所望。その時イメージしたのは、定番のNebbiolo ネッビオーロ、それも極めつけの作り手との組み合わせ(下写真)

dulciu-tuber-rinaldi.jpg

 熟成によって現れる妖艶なトリュフ香が顕著なバローロを醸すのが、「Giuseppe Rinaldi ジュゼッペ・リナルディ」。

 獣医の資格を有する 5代目当主のBeppe ベッペことジュゼッペ・リナルディ氏は、地元バローロでは、郷土史家としても知られる舌鋒鋭いキャラの濃い人物。申請手続きをすれば容易に取得できるはずの認証機関による有機認定には全く無頓着。

 2人の娘との共同作業で祖父の代から受け継ぐ4カ所のブドウ畑8haから、土着品種の良さを認識させてくれる「Freisaフレイザ」、「Ruché ルケ」ほか、「Dolchettoドルチェット」、「Barberaバルベーラ」などの黒ブドウから年産平均3.8万本のヴィーノ・ロッソを生産します。

vini-rinaldi.jpg

 単一畑Le Coste レ・コステ産ネッビオーロ15%に、同Brunate ブルナーテ産のネッビオーロをブレンドする「Brunate ブルナーテ」、単一畑Cannubi San Lorenzo カンヌビ・サン・ロレンツォ, 同Ravera ラヴェーラ, レ・コステの3つを瓶詰め前にブレンドする「Tre tine トレ・ティーネ」のクリュ・バローロ2種が、生産量全体の半数を占めます。

 世に名高い名醸地を1980年代から2000年代初頭にかけて席巻したモダニズムの嵐など、5代目にとってはどこ吹く風。先人が培った伝統に敬意を払い、1カ月を要する一次発酵には足踏み破砕の名残りとなる上部開放式の木製樽「Tini ティーニ」を、発酵後の熟成には、ファシズム期に普及したクロアチア東部・Slavonija スラヴォニア地方産オーク材を使った2,000ℓクラスの大樽「Botte ボッテ」を用います。(下写真)

Rinaldi-cantina.jpg

no-barrique-no-bel.jpg 225ℓ 容量のオーク樽(通称 Barrique バリック)は、ワインとの接触面積が多い分、木質由来の甘いバニラ香がワインに反映され、土地や作り手の個性が薄れる側面も。よって近年では地元では「Fustoフスト」と呼ばれる500~600ℓ容量のオーク樽やボッテの良さが見直され、地域性と伝統への回帰が顕著となっています。

 なるほど熟成庫の壁には、親戚筋にあたるバローロ村の伝説的な作り手「Bartolo Mascarello バルトロ・マスカレッロ」の先代が手書きした秀逸なマニフェスト「No Barrique No Berlusconi」(=反バリック樽, 反ベルルスコーニ)の有名なエチケッタ(ラベル)が掲げられています(右写真)

 バローロ5大クリュでは最北のLa Mora ラ・モーラ村は、優美で比較的早くからアプローチしやすいタイプのバローロとなります。深みのある偉大なバローロへと変貌してゆく単一畑ブルナーテで収穫されたブドウの発酵には、1世紀以上に渡って使われてきた栗材とオーク材を組み合わせた黒光りするひと際大きな専用樽を使用します。(上動画の1分20秒過ぎから登場)

 DOCGバローロに関しては、イタリアワイン法が規定する法定熟成期間36カ月を上回る樽熟42カ月が、ジュゼッペ・リナルディにおけるスタンダード。

 バローロ村の北東15kmと至近のピエモンテ州クーネオ県Alba アルバの街では、トリュフシーズンの秋に「Fiera Internazionale del Tartufo Bianco d'Alba(白トリュフ祭り)」が毎年開催され、黒トリュフでは到底代えがきかない魅惑的な香りに魅了された人々が世界中から集います。

CassaforteBIG.jpg

 アルバ市街地の北を流れるタナロ川を挟んで川向かいにあたるPiobesi d'Alba ピオベシ・ダルバには、グラッパの蒸留元として、またグラッパ入りチョコでも名高い「Sibona シボーナ」があります。

 そのグラッパとも相性が良かろうサマートリュフを練り込んだ正真正銘のトリュフチョコ製造元「TartufLanghe タルトゥフランゲ」もまた、ピオベシ・ダルバに製造所を構え、パスタやペースト類など、トリュフを使った加工食品を世に送り出してきました。

 タルトゥフランゲの自信作、フリーズドライ加工した夏トリュフ入りのトリュフホワイトチョコ「Dulcis Tuber Plalina con Tartufo(下写真)には、熟成してこそ真価を発揮するバローロではなく、早飲みが可能なDOCLanghe Nebbiolo ランゲ・ネッビオーロ2011」を合わせてみました。

langhe-nebbi-tartufo.jpg

 醸造所の前に広がる3haのクリュ「ラヴェーラ」の樹齢が若いブドウを用いるDOC ランゲ・ネッビオーロは、大樽による熟成期間18カ月。平均年産はわずか5,500本。熱烈な信者が多いバローロよりも希少性は高いかもしれません。

 完璧な仕上がりとなった前年ほどではないにせよ、夏の猛暑と収穫期の好天で優良な2011年ヴィンテージは、ネッビオーロの特性といえる強靭なタンニンが意外なほどソフト。若飲みできるワインは、ともすると抜栓後のヘタリも早いのですが、大樽で時を重ねたヴィーノは、そんなことはありません。時間をかけて変化してゆくさまをじっくりと味わえます。

langhe-nebbi2011 (2).jpg

 樹齢が高いネッビオーロ、特にバローロほどの高貴な複雑味はないにせよ、出汁がきいた旨味をたっぷりと堪能でき、エレガントな血筋の良さは十分に感じられます。インパクト重視でグイグイ押しまくるのではなく、ジ~ンワリ心に沁みる寄り添い型ヴィーノ・ロッソ。

 重量ベースでは0.3%の含有量ながら、芳醇で濃厚な香りが特徴の夏トリュフ(Tuber Aestivum Vitt.)がしっかりと存在感を示し、ピエモンテ産ヘーゼルナッツの風味が、かすかな塩味を伴ったホワイトチョコと相まって、予想通りランゲ・ネッビオーロ2011との良好なカップリングが成立します。

 国家財政は火の車で、公務員の仕事ぶりはいい加減でも、人生を謳歌する名人たるイタリア人の仕事って、何故にこうも味わい深いのでしょうね。

*****************************************************************

logo_gioie.jpgOsteria delle Gioie オステリア・デッレ・ジョイエ
 ・住:福島市鳥谷野字二ツ石12-3
 ・Phone:024-529-6656
 ・営:11:30-14:00 L.O. 18:30-20:30 L.O.
 ・水曜日・第二火曜日定休 Pあり カード可 禁煙
 ・URL:https://www.facebook.com/OsteriaDelleGioie/?fref=ts


baner_decobanner.gif
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2015/12/06

再見。菓子の樹

蘇る昭和の記憶。
超能力シリーズ@福島・相馬


kashinoki-alpha_1987.jpg
【Photo】社会人として、庄イタがまだ駆け出しだった頃、公私ともにお世話になったのが、仙台が政令指定都市となる以前で、区制施行前の仙台市二十人町にあったケーキショップ「菓子の樹」。河北新報社が仙台圏で29万部を発行する月刊誌Piattoの前身にあたる河北アルファ1987年12月号に掲載された同店のペイドパブリシティ

 今日、仙台市営地下鉄東西線が開業し、来春にはJR仙台駅東西自由通路が拡充。エキナカを含む商業施設の集積が加速度的に進む仙台駅東口は、この先、装いを一新することでしょう。

 広瀬通りからJR仙台駅北側の線路を跨いでいた「X橋」の先で、道はかつて南北二手の細道に分岐していました。東行き一方通行の北側は鉄砲町。西行き一方通行の南側が二十人町。

 その昔、戦災による焼失を免れたこの地域は、古い木造家屋と低層の店舗が密集。大型商業施設やオフィスビルが集中する駅西側とは対照的な古い街並みがレトロな雰囲気を醸し出していました。

 現在、かつてのX橋は片側3車線の宮城野橋に架け替えられました。榴ヶ岡公園に向かう幅40mの都市計画道路「元寺小路福室線」が東西を貫き、仙台アンパンマンこどもミュージアムが開館。楽天Koboスタジアム宮城に向かう「宮城野通り」と国道45号線とに挟まれた仙台市宮城野区二十人町一帯は、〝駅裏〟と揶揄された昭和の面影は全くみられなくなりました。

Sendaieki-higashi_2015.12.jpg【Photo】駅西口の高層ビルAER(写真奥)から真っ直ぐ延びる片側3車線の都市計画道路「元寺小路福室線」に組み込まれた格好の二十人町。そこに「菓子の樹」があった頃は一方通行だった当時の街並みは、区画整理によって一変した

 1960年度に着手し、半世紀以上を要した大規模な区画整理事業。駅東口の複合ビルBiVi北隣にあったJR仙石線の仙台駅は、同線の地下化により15年前に廃止(「までぇに街いま」参照)。高層のオフィスビルやマンション、そして空地を転用した駐車場が目立つ没個性的で無機的な現在の街並みを見るにつけ、過ぎ去った時代にノスタルジアを覚える昭和世代の庄イタなのです。

mappa-sendai1969.jpg【Map】かつてのX橋と鉄砲町・二十人町周辺。現在もある榴岡小学校前の通りを除き、仙台駅東口周辺が、いかに現在とは異なるかが、一目瞭然。1969年(昭和44)発行の国土地理院仙台市街地図より(出典:21世紀版みやぎ地図百科 / 2001年河北新報社発行)

 元寺小路福室線沿いの現在地に移転する前の「いたがき本店」が、左側にあった二十人町の通りに面して手前右側に「菓子の樹」というケーキショップがありました。

 庄イタよりも幾分か年長にお見受けした女性店主の田中さんからは、相馬の実家から地飼いしているニワトリの卵を毎日取り寄せてケーキ作りに使っていることを当時伺っていました。クリスマスシーズンに社内でケーキの注文を取りまとめていた数店舗の中で、ケーキ好きの間で最も人気があったのが、菓子の樹だったと記憶しています。

 特に好きだったのが、洋酒をきかせた甘さ控えめのチョコレートケーキ(上写真左側)。良質な生チョコレートクリームでコーティングされたしっとりふわふわのスポンジ生地には、ふんだんにイチゴが挟み込まれていました。クリスマス時期だけではなく、ショートケーキでも店頭に出ていたため、しばしば買い求めていました。

kashinoki-bldg-soma.jpg そして時代は平成へと変わり、6年間の東京勤務から仙台に戻る頃には、区画整理事業によって、立ち退きが進み、空地が目立つようになっていました。そんな二十人町の街並みから菓子の樹は知らぬ間に無くなっていたのです。去る者は日々に疎し。激変した二十人町付近を通りかかっても、菓子の樹を思い起こすことは次第になくなってゆきました。

 それから20年近い時を経たつい先日。仕事で訪れた福島県相馬市でのこと。ちょうど昼時だったので、つきぢ田村で修業した親方が厳選した相馬の素材をビュッフェ形式で味わえるコスパ抜群の「までいにランチ」を頂こうと「割烹やました」を半年ぶりに訪れました。しかしながら、までいにランチは10月末をもって終了したとのこと。う~ん残念 !!

 そのため、スマホで検索したランチが充実したJR相馬駅近くの中華料理店「李龍(リーロン)」を訪れることに。初めて訪れる李龍の駐車場に車を停め、何気なく視線を送ったのが、向かいの5階建てビル。四角形の小さな看板に目が釘付けとなりました。

kashinoki-soma.jpg まごうことなく「菓子の樹」。1階は閉鎖され、テナント募集の表示があり、営業している様子はありません。連絡先の電話番号の主は「田中」とあります。間違いありません。見覚えのある茶色に白い文字の懐かしいロゴタイプを目にして、店の前に樹木が生えていた二十人町にあった当時の菓子の樹の記憶が蘇りました。

 李龍のフロア係の女性に訊ねたところ、以前は菓子の樹として営業していたものの、昨年秋からは空き店舗となっているのだそう。それまではパティスリー・シュシュという名のケーキショップとして人に貸していたとのこと。

riryu-hanakago-lunch.jpg【Photo】ズワイガニとレタスの炒飯・豚チリ卵・豚角煮・海老マヨ・生春巻・肉みそがけ豆腐・チーズ春巻・点心二種盛り・大根サラダ・玉子豆腐・杏仁豆腐。全11品の彩り豊かな味を楽しめる「李龍」冬かごランチ(税込980円・1日20食限定)。ジャスミンティーとコーヒーがフリードリンクサービスで付くという大盤振る舞い (◆李龍 / 住所:福島県相馬市中村1-2-6  Phone:0244-36-6833)

 偶然が重なった結果、ピンポイントで空白の年月をたぐり寄せ、懐かしい菓子の樹の消息を知っただけでも収穫でした。そのうえ李龍で食した「冬かごランチ」が、コストパフォーマンスが高い充実した内容で、ご覧の通りボリューミーであったことを申し添えておきます。

baner_decobanner.gif
ブログランキング・にほんブログ村へ

2014/11/16

発進! みちのく潮風トレイル

新たな地平を求め、歩く速さで旅しよう。

 旅を愛する者として、移動手段のスピード化がもたらす恩恵を否定はしません。仙台-函館間をおよそ2時間半で結ぶ北海道新幹線新函館開業は、確かに楽しみではあります。ですが、移動速度が増すほど、旅の印象は、希薄にならざるを得ない側面があることもまた否めません。

mutsuminato-stn2014.jpg【Photo】八戸市街から蕪島・種差海岸方面への道すがら、早起きしてでも訪れたいのが、「イサバのカッチャ(=市場のお母さん)」像が出迎えるJR陸奥湊駅前の朝市(上写真)

isaba-kaccha.jpg【Photo】日曜以外の早朝3:00~正午まで、水揚げされたばかりのピッチピチの魚介や惣菜などを扱う市が並ぶ「陸奥湊駅前朝市」には、大型の物販・飲食施設「八食センター」とは違った魅力が充満。今年7月中旬の訪問時は、店頭でウニの殻を剥くカッチャと馴染み客との南部弁を駆使したほとんど意味不明な会話や、爽やかな苦味のある八戸の伝統作物「糠塚キュウリ」とも出合えた

ichiba-gohan2014.jpg その土地の光や風を肌身で感じ、街並みや人々の暮らしぶりに触れることで、旅先の印象はずっと濃密になります。歩く速度で旅することで、あっという間に風景が切り替わってゆく車窓越しでは決して得られない出合いや感動が待っているはず。

【Photo】昭和の雰囲気漂う陸奥湊駅前通りや、入口に惹かれた市場の地階を一巡。店の下見をした上で、朝ご飯を食したのが朝市の一角、八戸市営魚菜小売市場にある「朝めし処」。活きの良い魚介とカッチャが居並ぶ市場で買った刺身や、脂乗りが良い大振りな八戸前沖サバの塩焼き(350円)など、店頭に並ぶ八戸の味を温かいご飯(100円)とともに早朝5時から10時まで頂ける(毎週日曜・第二土曜日・年始休)

 このほど青森県八戸市蕪島から岩手・宮城を経て福島県相馬市松川浦までの南北700kmを結ぶ新たな道、「みちのく潮風トレイル」が設定されました。これは東日本大震災からの復興に資する「グリーン復興プロジェクト」を推進する環境省による取り組みの一環です。

 山の頂きを目指す欧州発祥のアルピニズムとは違い、じっくりと時間をかけて里山を移動しながら自然と触れ合うことを目的とするロングトレイル。北米で1960年代に誕生し、総延長3,500kmに及ぶアパラチアントレイルをはじめ、米国では広く普及しています。
 
kosode-gyoko2014.jpg【Photo】放送終了から2年が過ぎた今も多くの「あまロス症候群」の観光客が訪れる久慈市小袖漁港。有村架純がブレイクした当たり役、若き日の天野春子の逃避場所であり、能年玲奈演じる主人公天野アキが海中にダイブした灯台はドラマそのまま。なれど昨年まで残っていた春子がマジックでなぐり書きした「 東京 原宿 表参道 海死ね ウニ死ね・・・」の文字は、もはやかすれて判読できないという

 信州・信越地域や北海道、九州など、日本には10箇所以上のロングトレイルが存在します(参考)。東北では初となるみちのく潮風トレイルは、社会現象化したNHK朝ドラ「あまちゃん」の舞台となった久慈市小袖と、八戸市でヒッチコックの名作「鳥」を実体験できる海鳥の一大繁殖地・蕪島の間が、昨年11月に先行開通しています。

kosode2-gyoko2014.jpg【Photo】天野アキが海女クラブの面々に素潜り漁を叩き込まれた小袖漁港。透明度が高い入江では、7~9月の間、観光客向けに海女による素潜りによるウニ漁の実演が披露される 

 北限の海女で一躍有名になった小袖を思い立って訪れたのは今年7月。まめぶ汁を味わい、能年玲奈演じる天野アキが劇中で海に飛び込んだ灯台、夏ばっぱや美寿々さん、安部ちゃんら海女クラブの先輩に素潜り漁を教わった「袖が浜漁港」こと小袖漁港など、ロケ地を訪れるうち、あまロス症候群がむしろ重症化した庄イタ。

mamebu-jiru.jpg【Photo】久慈市山形町にある「道の駅白樺の里やまがた」(ふるさと物産センター)食事処「食楽」のまめぶ汁(500円)。特産の山形村短角牛を使用した焼肉定食やハンバーグ定食(1,000円)といったメニューも見逃せない

 来訪客がどこから訪れたかをシールを貼って自己申告するボードは、国内用と海外用の2枚が用意されていました。いまだ衰えないあまちゃん人気を裏付けるように、くまなく日本全国にシールが貼られています。そこで庄イタはまだ空欄だったITALYに緑色のシールを貼り、北三陸に確かな足跡を残してきました。\('jjj')/

 青森・岩手に遅れること1年近くを経た10月9日にルートが開通したのが福島県相馬市松川浦と新地町区間。宮城で整備が遅れていた理由は、3年8カ月前に発生した東日本大震災で最多の犠牲者・行方不明者を出し、復興はおろか復旧すらままならない被災地の現状があります。

kesenuma_2014.7.16.jpg【Photo】被災前は事業所や店舗が並んでいた旧JR南気仙沼駅方向を、気仙沼市仲町の旧河北新報気仙沼総局ビルから見た今年7月の光景。これが震災から3年半を過ぎた被災地の現実〈click to open another cut

 五輪開催のために街並みが一変したという50年前を彷彿とさせる莫大な社会資本が、半世紀を経た今、再び東京に集中投入されています。建築資材高騰と人手不足が、人々の記憶の片隅に追いやられた感すらある被災地復興の重い足かせとなっている現状には、東北の視点から疑問を呈さざるを得ません。

 輝きを増す光と深い影とが交差し、複雑な想いが去来する中で、700億もの国費を投じて解散総選挙が行われようとしています。〝誰がやっても同じ〟という、よく耳にする諦めの連鎖からは決して潮目の変化は生まれません。来るべき師走選挙では、納税者の権利はしっかりと行使しようではありませんか。

frier-michinoku_trail.jpg 暦の上ではノヴェンバ―となった11月1日(土)、宮城でのキックオフイベント「みちのく潮風トレイルフェスティバル! in 石巻・女川」が、石巻市の中瀬公園で開催されました。次回「駅弁? 空弁? いいえ、道弁です」では、その模様をご報告します。

baner_decobanner.gif

2014/10/25

秋点描2014 福島・裏磐梯

色彩溢れる季節。 うつくしま ふくしまPART2
@裏磐梯・五色沼(副題:色気より食い気)編

 
 10月末から11月初旬にかけてR115土湯峠を福島市から猪苗代側に越えると、沿道のカラマツが陽を浴びて黄金色に輝く素晴らしい光景が待っています。「磐梯吾妻スカイライン」で、すがすがしい秋の空気を胸いっぱいに吸い込み、次々と登場する絶景を目に焼き付け、心ゆくまで秋を満喫したため、昼食の時間が押していました。

   incontra-1.jpg incontra-2.jpg
   incontra-3.jpg incontra-4.jpg
【Photo】福島県猪苗代町「クッチィーナ・インコントラ」秋のある日のCランチ(アンティパスティ・ミスティ、プリモ、セコンド、ドルチェ、エスプレッソほかドリンク/3200円)。今年3月に訪れ、鮮烈な印象を残した大阪北区曽根崎のワインバー「カンティネッタ・バルベーラ」の厨房を東日本大震災発生当時に預かっていた平山真吾シェフ(同店の森勝寛マネージャーは、「イタリアワイン普及協会」発起人やチャリティワイン会「カンサイータリー」代表を務め、311被災地の復興支援に尽力中m(_ _)m)。風評被害で観光客が減少した郷里のため、実家が営むペンション「あるぱいんロッジ」内に開業、今年8月に1周年を迎えた。Complimenti Shingo! Forza bella Fukushima!!

 昨年秋に訪れた猪苗代町のイタリアン「Cucina Incontra クッチィーナ・インコントラ)」に時間があれば行きたかったのですが、同行した娘が「お腹へった~」と訴えるため、「中津川渓谷レストハウス」に駆け込みました。"郷に入っては郷に従え"を身上とする庄イタが注文したのは、会津地域ではポピュラーな「ソースかつ丼」。つゆだくソースの味付けが濃い目で、ちょっと喉が渇きました(笑)。

sauce katsudon-nakatsugawa.jpg【Photo】再訪を目論んでいたクッチィーナ・インコントラでの自家製の有機野菜やベリー類を取り入れた猪苗代イタリアンとの出合い(=伊語Incontra)は結局果たせず。空腹には勝てず(-▽-)、やむなく中津川レストハウスで食したのは、全く方向性が異なるコチラ(950円)...。う~む。

 気を取り直して色付き始めた木々に囲まれた散策路へ。ドングリが散りばめられた遊歩道を10分弱下ると、渓流の瀬音が聞こえてきます。上記動画でマイナスイオンのお裾分けをどうぞ。

lago-onogawa2014.jpg【Photo】冬季は氷結し、ワカサギ釣りのメッカとなる小野川湖。周囲の山々が上の方から次第に色づき始めていた〈click to enlage

 秋元湖から先が、昨年7月から恒久無料開放となった「磐梯吾妻レークライン」。小野川湖を経て訪れたのは五色沼の自然探勝路。

bihsamon2014.jpg【Photo】山麓に大きな惨禍をもたらした磐梯山の噴火から126年。多くの観光客を惹き付けてやまない水と森が織りなす美景が魅力の五色沼。最も大きな毘沙門沼には貸しボートも〈click to enlage

 五色沼とは点在する湖沼群の総称。その東端に位置し、最も大きく駐車場に隣接する毘沙門沼ほか、赤沼・青沼・瑠璃沼・弁天沼・深泥(みどろ)沼など、さまざまに表情が異なる小湖沼が全長3.7kmの遊歩道に沿って次々と現れます。

benten1numa2014.jpg【Photo】青い森の中でひっそりと静まりかえった弁天沼はエメラルドグリーンの水鏡と化し、岸辺のヨシが微妙な色合いの変化を見せる〈click to enlage

 1888年(明治21)7月15日、数回に渡って噴火した磐梯山は、大規模な水蒸気爆発による山体崩壊を引き起こします【*参考】。北麓を襲った大量の土砂は住民477人の命を奪い、谷を埋め、川を堰き止めました。その結果、大小300ほどの湖沼群が裏磐梯地域に出現。現在のような変化に富んだ美しい景観が生まれました。

   nakatsugawa2014.jpg bishamonnuma2014.jpg
【Photo】抜けるような青空や瑠璃色の湖面と深まりゆく秋の色との美しいコントラストを描き出す秋の裏磐梯

 水底の土壌や湧水の混入具合、植生の違い、天候や季節、時間帯など、さまざまな要素の組み合わせによって、同じ沼でも、色合いや表情を大きく変わるのだといいます。この日、特に印象に残ったのが五色沼では二番目に大きな弁天沼。岸辺のヨシと背景の針葉樹が青と緑のグラデーションを湖面に描いてみせてくれました。

benten2numa2014.jpg【Photo】日本画壇に足跡を残した東山魁夷画伯の代表作「緑響く」を意識した一枚〈click to enlage

 家路に就く前に土湯温泉に寄ってから、五穀豊穣への感謝を神に捧げる稲荷神社の例大祭で盛り上がる福島駅前に。法被や晒し姿の女性たちを乗せた23台の連山車が祭囃子が響く駅前通りに繰り出し、市民たちの熱気で溢れていました。

inari-reitaisai2014.jpg【Photo】自然美に圧倒され続けた秋の一日の締めくくりは、福島市民が心待ちにする秋の宵祭りの人為の美しさに心打たれた

 その足で向かったのは、すぐ近くで開催されていた「世界の屋台」という催し。目指す屋台は「Osteria delle Gioie オステリア・デッレ・ジョイエ」。以前アップした「ビジュアル系インパナータ」では、店名を伏せてアップしましたが、昨年の「ワイン・ヴァン・ヴィーノフクシマ」以降、抜きん出た梅田勝実シェフの料理にすっかり魅了されている庄イタなのです。

    antipasti_2013.11.jpg sakuraebi_2013.11.jpg
    shirasu2014.3.jpg saltinbocca2014.jpg
【Photo】福島市「Osteria delle Gioie オステリア・デッレ・ジョイエ」ある日のテーブルより。11月。トスカーナ風アンティパスティ・ミスティ(左上)、5月。サクラエビと春キャベツのスパゲッティ(右上)、3月。駿河湾のシラスと今時期のルッコラのスパゲッティ・パン粉とともに(左下)、10月。肉汁への誘い再び。ジューシーな秋のサルティンボッカ(右下)

 なれど、その日は福島市の名物B級グルメ、円盤餃子を食べたいという家族の求めに応じ、飯坂温泉に本店がある「餃子照井 南矢野目店」で軽く腹ごしらえを済ませていました。

    yatai-del-mondo2014.jpg porchetta-gioie.jpg
【Photo】「世界の屋台」会場でのオステリア・デッレ・ジョイエ。「サン・ジェルヴァジオ」の珠玉の食後酒「ヴィンサント・レチナイオ」を店頭で発見、「これも持ち帰りで」と口走り、スィニョーラ・ウメダに呆れられる庄イタなのだった(左)、会場で食したのはイタリア産のポークを使った本格的なポルケッタ。旨し(右)

 そのため催し物会場で食したのはシェフお手製「ポルケッタ」だけ。しかも家族サービスに徹したこの日。開店4周年の振るまい酒、IL VEI Rossoの相伴に預かる家人を横目に、帰路の運転のためにヴィーノはぐっと我慢(T_T)。

    lanciola-chianti.jpg porpette-tankaku.jpg
【Photo】フィレンツェのドゥオーモの屋根瓦に使われている素焼の陶器の一大産地であるインプルネータ近郊に醸造所がある「Lanciolaランチオーラ」。キアンティ・クラシコ・エリアにもブドウ畑があるが、これは醸造所に隣接したキアンティ・コッリ・フィオレンティーニ・ゾーンのブドウから醸し、法定熟成期間26カ月を経てリリースされ、10年以上に及ぶ長期熟成をするリゼルヴァ(左)、夏山冬里で育つ健全な岩手山形村短角牛ポルペッテと豚サルシッチャのトマト煮込み(右)

 野菜と肉の旨味と滋味に満ちた「岩手山形村短角牛ポルペッテと豚サルシッチャのトマト煮込み」は、フィレンツェの南郊外に醸造所がある「Lanciola ランチオラ」の「Chianti colli Fiorentini Riserva キアンティ・コッリ・フィオレンティーニ・リゼルヴァ2003」を相伴に自宅で頂きました。

 食い気抜きで錦秋の福島を格調高くお伝えした前編から一転。やはり色気より食い気優先のレポートとなった後半。存分に食欲の秋も満喫できました。また行こうっと。
**************************************************
◆ クッチィーナ・インコントラ
 住:福島県耶麻郡猪苗代町字土町38 あるぱいんロッジ内
 Phone:0242-62-3350
 営:昼/11:30~14:00L.O. 火曜定休(祝日の場合翌日)
      1200円(平日のみ),1800円,3200円
   夜/ 完全予約制 4500円より。委細応相談
 URL:http://www.alpinelodge.jp/index.html

◆ Osteria delle Gioie オステリア・デッレ・ジョイエ
 住:福島県福島市黒岩字堂ノ後22-1
 Phone:024-529-6656
 営:11:30~14:00(L.O) 18:00~20:30(L.O) 水曜、第2・第4火曜定休

baner_decobanner.gif

2014/10/19

秋点描2014 福島・吾妻連峰

 興味・関心が赴くまま、"狭くディープに"をポリシーに綴る「Viaggio al Mondo~あるもん探しの旅」。今回は珍しく写真メーンのビジュアル系の内容です。

色彩溢れる季節。 うつくしま ふくしまPART1
@磐梯吾妻スカイライン編

 標高の高い山からは初冠雪の便りが届くようになり、季節が日本列島を北から南へ急ぎ足で駆け下っています。山肌が色付く季節の移ろいと福島の美味を求め、紅葉の見頃を迎えた吾妻連峰から裏磐梯エリアまで足を延ばしてきました。

 東北自動車道の福島飯坂ICを下車。目指すは観光果樹園の店頭に和ナシと一緒にリンゴが並び始め、秋の深まりを感じるフルーツラインの先に続く山岳観光道路「磐梯吾妻スカイライン」。

azuma-1.jpg【Photo】彩り豊かな季節を迎えた磐梯吾妻スカイラインの紅葉。庄イタが訪れた12日から1週間を経た現在、「浄土平」と「双竜の辻」付近はすでに落葉。「天狗の庭」や「天風境」が色あせ始め。見頃は高湯温泉周辺と吾妻スキー場周辺〈click to enlage

そこは作家・井上靖が命名した景勝地「吾妻八景」をはじめとする太古からの火山活動が創り上げたダイナミックで変化に富む展望が開ける風光明媚な観光ルートです。

azuma-3.jpg【Photo】視界の利かない雲を抜けると、季節の贈り物の素晴らしい光景が待っていた吾妻八景のひとつ「天狗の庭」。正面奥が吾妻小富士の北斜面〈click to enlage

 磐梯吾妻スカイラインは、東日本大震災が発生した2011年から、風評対策として時限措置的に無料開放されてきました。昨年7月からは近郊の有料道路「磐梯吾妻レークライン」「磐梯山ゴールドライン」ともども、恒久的な無料開放に移行しています。
 
azuma-2.jpg【Photo】天狗の庭から振り返る景勝地・吾妻八景「つばくろ谷」や「白樺の峰」は雲海の中〈click to enlage

 全長29kmの磐梯吾妻スカイライン沿道と近郊には、土湯・高湯・飯坂など、多くの温泉地や果樹園が点在します。「日本の道100選」に選ばれる福島を代表する観光道路だけに、紅葉の見ごろを迎え、好天に恵まれた10月12日(日)は、休日とあって関東圏を含む数多くの自動車やバイクで賑わっていました。

azuma-4.jpg【Photo】火山性ガスや土壌の影響で岩肌がむき出しの一切経山。浄土平へと向かう磐梯吾妻スカイライン〈click to enlage

 最高地点が標高1,620mを通る山岳道路には、前日猪苗代で開催された「CYCLE AID JAPAN 2014 in 郡山 ツール・ド・猪苗代湖」の参加者と思われる本格的なロードバイクで駆るタフなヒルクライマーの姿もちらほら。

azuma-5.jpg【Photo】紅葉の盛りを迎えた「天風境」。高山(たかやま)の中腹、切り立った岩肌を流れ落ちる「幕滝」をお見逃しなく〈click to enlage

 標高750mの高原地帯に乳白色の硫黄泉が湧く高湯温泉を過ぎた頃から、次第に山岳特有のガスがかかり、視界が遮られてきました。北から南へ蔵王連峰と福島盆地、霊山から安達太良までの展望が眼下に開けるはずの吾妻八景「白樺の峰」と「つばくろ谷」は文字通りの五里霧中。

 それが吾妻小富士(1707m)の北斜面と浄土平を見上げる吾妻八景「天狗の庭」の手前で、天上界へと至ったかのように眼下に雲海が広がる素晴らしい視界が開けてきたのです。

azuma-6.jpg【Photo】紅葉の盛りを迎えた「磐梯吾妻スカイライン」。色付いた木々が葉を落とし、山が冬の装いに変わる11月中旬には冬季閉鎖となり、長い冬籠りを迎える。森羅万象、美しさは時に移ろいやすく、そして儚い

 ビジターセンターやレストハウスが整備された天上界ならぬ吾妻八景「浄土平」から吾妻小富士の噴火口までは徒歩で10分弱の道のり。対峙する一切経山(1949m)の山肌からは白い噴煙が上ってゆきます。荒々しい岩肌をさらすカルデラにあるレストハウス前の浄土平駐車場を過ぎると、それまでの茜色と黄色を基調とする錦絵の世界が、アオモリトドマツや植生の北限となるシラビソなどの緑豊かな針葉樹林帯となります。

azuma-7.jpg【Photo】なだらかな稜線を描く安達太良山(写真左)の上には、智恵子抄に登場する「ほんとうの空」がどこまでも続いていた。吾妻八景「双竜の辻」より〈click to enlage

 ほどなく左手にはなだらかな稜線の安達太良、右手には爆裂噴火が残した鋭角的なシルエットの裏磐梯の大パノラマが展開する「双竜の辻」に。本来は磐梯山の左手に猪苗代湖と右手には桧原湖や小野川湖など、裏磐梯の湖沼群が眺められるはずですが、雲のヴェールに覆われていたのでした。

azuma-8.jpg【Photo】作家・井上靖は、安達太良山と磐梯山を相対する二頭の竜に見たてて、この地を「双竜の辻」と命名した〈click to enlage

 それでも高村智恵子が東京では決して見る事が出来ないと嘆いた「ほんとうの空」と峰々が描く青のグラデーションが遥か地平まで続く素晴らしい眺望と出合うことができました。

azuma-9.jpg【Photo】1888年(明治21)の大噴火による山体崩壊の痕跡が認められる磐梯山。本来ならば磐梯山を挟んで左手奥には猪苗代湖が、右手前に見える秋元湖と並んで桧原湖や五色沼などの湖沼群が遠望される景勝地「双竜の辻」〈click to enlage

 渓谷から高山(たかやま/1805m)へと吹き抜ける風が、あたかも天翔るようだと井上靖が命名した「天風境」では、再び錦綾なす秋の色どりを愛でることができました。

 1960年代に流行した昭和歌謡風に表現すれば、♪森と泉に囲まれたブルー・ブルー・ブルー・・・な後半、「秋点描2014@裏磐梯~色彩溢れる季節。 うつくしま ふくしまPART2@裏磐梯・五色沼編」に続く。
baner_decobanner.gif

2014/01/30

ビジュアル系インパナータ

肉汁への誘(いざな)

 正月休み明けからフルスロットルで多忙な日が続いており、更新が滞ってしまいました。こんな忙しい時にはココロの栄養補給が欠かせません。

 ということで、今回はあっさりと手短にビジュアル勝負で参ります。この画像が持つ強烈な誘因効果で、再訪を目論む庄イタの席が確保できなくなることを恐れるため、あえて店名は伏せることをご了承願いますm(_ _)m。

 背景に店のロゴがぼんやりと見える福島市の某イタリアンで、すぐにそれとわかる鳥の羽根がエチケッタに描かれたBruno Rocca ブルーノ・ロッカのヴィーノとともに食した「仔牛肉のインパナータ」。香ばしくカラッと揚がった衣にサックリとナイフを入れると、ドンピシャの加減で火の通ったキメ細やかな繊維質から溢れるがごとく滲み出す肉汁肉汁肉汁...。

 inpanata_gioie.jpg

 モ~タイヘン。忙中「歓」あり。

************************************************************************

ロケ地:上記理由により今回はナイショ。(近日公開予定)baner_decobanner.gif

2013/12/29

ことだまみしらず

 会津身不知柿について記した前回12月15日(日)、NHK大河ドラマ「八重の桜」が最終回を迎えました。武家社会が終焉を迎えた幕末から、薩長土肥による藩閥主導で中央集権型の富国強兵国家建設へとひた走った激動の時代。抗いようのない歴史の大きなうねりに直面した会津の群像と、時代の転換点を恩讐を越えて生きた綾瀬はるか演じる新島八重の姿に、改めて感銘を受けた庄イタなのでした。

 徳川への忠誠を貫いたことが徒(あだ)となり、勝ち目のない闘いへ追い込まれていった会津。八重は戊辰戦争の端緒となった鳥羽・伏見の戦い(1868・慶応4年1月)で2歳年下の弟・三郎を失います。後の鶴ヶ城籠城戦では、亡き弟の形見となった軍服を着用し、八重は戦いに臨むのです。

tsurugajyo.jpg【Photo】2011年春の改修によって、藩制期の赤瓦が蘇った会津若松城(鶴ヶ城)

 奥羽諸藩による会津救済の嘆願に耳を貸さなかった西軍の主力部隊は同年6月に白河口、次いで9月に二本松へ進軍。雪中戦を不利と見て母成峠から一気呵成に会津若松へ侵攻したのが10月8日午前。越後口、日光口と三方に守備が分散し、迎撃態勢が整わない混乱の中、予備役であった白虎隊や家老・西郷一族のような婦女子の自刃、そして薙刀で銃列に斬り込んだ婦女隊など、幾多の惨劇が起こります。

 斬髪・男装し、スペンサー銃を携え悲壮な覚悟で籠城戦に臨む八重。火力で圧倒する西軍との絶望的な闘いの中、玄武隊員として参戦していた高島流砲術師範の父・山本権八が11月1日に戦死。そうした幾多の血が流された挙句、藩主・松平容保が白旗を掲げたのが11月6日。その2日後、奥羽越列藩同盟諸藩の中で最後まで抵抗した庄内藩が降伏したことで、越後と会津が主戦場となった戊辰戦争がほぼ終結。旧幕臣の榎本武揚や新撰組残党らが最後の抵抗を試みた蝦夷地・函館で収束を迎えます。

tsurugajyo_inverno.jpg【Photo】純白の雪をまとい、無垢姿となった冬の会津若松城(鶴ヶ城)

 明治新政府によって賊軍の汚名を着せられた東北諸藩でも、京都守護職として倒幕派掃討の任を負った会津藩は、とりわけ8月18日の政変や禁門の変で朝敵とされた長州藩の怨恨を買っていました。会津松平家は断絶こそ免れますが、旧領地は政府直轄となり、隣接する猪苗代ないしは下北半島への転封を迫られます。八重の桜では山本家が身を寄せた米沢でのつましい暮らしを中心に描かれましたが、旧会津藩士は謹慎が解かれた1870年(明治3)、新天地・下北を目指します。

 ところが斗南藩と名付けられた現在のむつ市・小川原湖周辺は、旧禄23万石と比較にならない3万石とは名ばかりの極寒の荒地。郷里で帰農した若干名を除き、旧藩士2万人のうち、移住した1万7千人には慣れない土地での過酷な授産生活が待ち受けていました。

 8歳で経験した会津戦争で母と姉妹らが自刃、のちに陸軍大将を務めた柴五郎(1860-1945)の回顧録「ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書」(石光真人編著/中公新書)に「挙藩流罪という史上にかつてなき極刑」という表現にある通り、栄養不足などで移住先で命を落とす者が続出した耐乏生活は辛酸を極めました。

kotodama_mishirazu.jpg

 今年の夏、青森・三沢を訪れた折、三沢市先人記念館に展示されていたのが、一片の褪色した緋毛せんの切れ端「泣血氈(きゅうけつせん)」。命運尽きて西軍の軍門に降った松平容保が臨んだ降伏調印の場に敷かれていた緋毛氈を藩士らが切り分け、敗戦の無念を胸に刻んだ印とされます。斗南藩主として下北に移った松平容保の嫡男・容大(かたはる)が、1871(明治4)7月の廃藩置県により東京に帰還。斗南県が弘前・黒石や旧南部領七戸などとともに青森県へ編入されると、旧会津藩士はその多くが会津へ帰還する道を選んだといいます。

【Photo】「八重の桜」最終回の再放送日に頂き物をした身不知柿

yaenosakura_last.jpg 八重の桜最終回「いつの日も花は咲く」は、会津戦争終結から30年後が描かれます。1896年(明治29)、日清戦争で篤志看護婦として負傷兵の看護にあたった献身的な活動に対し、八重は民間出身の女性として初叙勲の栄に浴します。翌年春、会津に戻った八重は、元・家老の西郷頼母と再会。満開の桜を愛でる二人が交わした言葉が印象的でした。

 ・八重「花は散らす風を恨まねえ、ただ一生懸命に咲いてる」
 ・頼母「八重、にしゃ(会津弁で「お前は」)桜だ。花は散っても時が来るとまた花を咲かせる。何度も何度も花を咲かせろ」

 大河ドラマの最後に発した八重の言葉は「私はあきらめない」という会津訛りのモノローグでした。今は寒く厳しい季節のさなかにある会津・福島にも、春が訪れれば桜の花は咲き、来年の秋が巡ってくれば、身不知柿が橙色の実を結びます。

 深い悲しみの淵から立ち上がり、新たな地平を切り開いた一人の会津女性の目線で描かれた大河ドラマの終章をリアルタイムで視聴はできませんでしたが、再放送の21日(土)は自宅で過ごしていました。その日の朝、知り合いから、"お裾分け"と手提げ袋に入った頂き物をしました。そこにはなんと会津身不知柿が入っていたのです。

 そこで浮かんだ言葉が「言霊(ことだま)」。古来、言葉には霊的な力が宿ると考えられ、言葉にしたことが、吉凶禍福いずれにも物事に対して影響を及ぼすと考えられてきました。

   mishirazu_kotodama.jpg mishirazu2_kotodama.jpg
【Photo】言霊で拙宅に届いたとしか思えない身不知柿。カキと相性の良いドングリの香り漂うスペイン産ハモンセラーノを巻いて食した

 志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具(しきしまの やまとのくには ことだまの さきはふくにぞ まさきくありとぞ)
訓読み:磯城島の 大和の国は 言霊の 助くる国ぞ ま幸くありこそ/ 万葉集巻十三
志貴嶋(しきしまの)」は、「倭」やまと(=大和)に掛かる枕詞。事霊=言霊。事象と言葉を同一視した古代日本の考え方による。
 【意訳】 大和の国は言葉の霊力によって幸福がもたらされる

 遣唐使への送別に詠まれたと推測されるこの歌は、山部赤人とともに歌聖として別格の扱いを受ける三十六歌仙の筆頭格にあたる飛鳥時代の歌人・柿本人麻呂歌集に収められています。没後1300年あまりを経た現在も、歌人として広く名を知られる人麻呂は、持統天皇治世前後の飛鳥時代に詠んだ短歌・長歌が残されているだけで、極めて謎の多い人物です。「色は匂へど 散りぬるを」で始まるいろは歌の作者だという説や、百済からの亡命者だったという推測すら存在し、生没や来歴は何一つ確かなことはありません。

 柿にちなむ姓を名乗る歌人が和歌に詠んだ言霊が実際に形となったエピソードをもって、新たな年が佳き年であるように望みを託す型どおりのご挨拶が、言霊となって実現するよう願いを込め、この1年を締めくくることにします。

 皆さま、どうぞよい年をお迎えください。baner_decobanner.gif
 

2013/12/15

会津の橙、「身不知柿」

terme_ashinomaki.jpg ぽつぽつと降りだした雨に急かされるように後にした大内宿。R118下野街道を大川ダムから大川(阿賀川)沿いに進むと、渓谷を見下ろす芦ノ牧温泉を通ります。「牛乳屋食堂」の看板を左折した先は会津鉄道芦ノ牧温泉駅。小さな木造の駅舎にいつの間にか住みついたのだという「バス」という名のメス猫が名誉駅長を務めています。どうやら"構内巡回"の名目で職場から姿をくらますことが多いらしく、空振りのリスクは避けることにしました。本能と欲求に忠実な仕事ぶりは動画とブログ「ネコ駅長『ばす』の日記」で。

【Photo】会津若松市街地と大内宿まで、ともに車でおよそ30分の中間地点にある芦ノ牧温泉郷

 大内宿近辺では目にすることすら稀だった人家が道沿いに増え、その庭先を飾る鮮やかな橙(だいだい)色に目を奪われるようになりました。登る日輪が照らす東の空、沈みゆく夕陽に燃える西の空、そして茶の間ではコタツの卓上に置かれたミカンの色である橙色の語源となった「橙(ダイダイ)」は"代々"につながる縁起物ゆえ、正月飾りに欠かせません。Bitter orange(英語:ビターオレンジ)、Arancio amaro(イタリア語:アランチョ・アマーロ)という名の通り、酸味と苦味が強く生食には適しません。地球温暖化が進む昨今、その栽培の北限は福島浜通りから宮城県南にまで達しようとしています。しかるに冬の冷え込みが厳しい会津での露地栽培は不可能。会津で橙色の果物といえば、「身不知(みしらず)」をおいて他にはありません。

mishirazu_cac hi2013.jpg【Photo】すっかり葉を落とした枝からこぼれんばかりに橙色の実をたわわに結んだ身不知柿が冬近しを告げる。会津若松市大戸町雨屋にて

 現在の二本松市小浜一帯を治めていた戦国武将・大内氏が、西念寺の僧侶夕安(せきあん)を中国に留学させ、帰朝時に中国から苗木を持ち帰ったため、「西念寺柿」という別称も存在する身不知柿。父・輝宗の弔い合戦に臨んだ伊達政宗に追われ、会津に逃れた大内・畠山ら二本松勢とともに16世紀末に会津へと持ち込まれたといわれます。

mishirazu2_cachi.jpg【Photo】晩秋の雨にしっとりと濡れ、より一層鮮やかさを増した身不知柿

 初代・朝宗が居城を構えた伊達氏発祥の地が福島県伊達市。同市北部の梁川町五十沢(いさざわ)地区から宮城県丸森町耕野(こうや)地区にかけては、寒風に晒して柿渋を抜き、うま味を凝縮させる「あんぽ柿」ないしは「ころ柿」と呼ばれる干し柿の一大産地です。そこで使われるのは同じ渋柿でも「蜂屋柿(はちやがき)」と「平核無(ひらたねなし)」。明治期には甘柿・渋柿あわせて1,000種類が存在したという日本では、現在およそ300種が栽培されているといいますから、ところ変われば品変わる、ですね。

 身不知柿という風変わりな名の由来には諸説あります。まずは重さで枝が折れるほど大量の実を結ぶ身のほど知らずの柿だからというもの。我を忘れて食べ過ぎてしまうから、という異説にも頷けます。さらには蘆名と伊達が領地争いを繰り広げた室町期、ときの足利将軍に献上したところ、「これほど美味しい柿を知ることがなかった」と賞賛を得たという伝承も存在します。当の柿は真相を黙して語りませんが、その真相やいかに。

mishirazu3_cachi2013.jpg 会津を訪れたのは11月半ば。現在では会津一円で栽培される身不知柿が色づく季節を迎えていました。そぼ降る雨の中、柿を収穫していた方がおいでだったので、千載一遇の機会と路肩に停めた車を降り、話しかけました。話が出来すぎですが、そこは会津若松市大戸町雨屋。南会津鉄道の無人駅「あまや」がある地区です。阿賀川扇状地の南端にあたるそこから3kmあまり北上すると、皇室に献上する身不知柿の樹が西向きの斜面を覆う一大産地、門田町御山(もんでんまちおやま)となります。

【Photo】見ず知らずの庄イタに、雨の中で収穫したばかりの身不知柿を分けて下さったのがこの方。重ねて謝意をお伝えして、ありがたく頂戴した

 「これが身不知柿ですか?」という庄イタの問いに脚立の上で柿もぎ作業中だった男性は、収穫の手を休めずに「そうですよ」と応じます。聞けば畑の持ち主から依頼され、一人で収穫を行っているところでした。10月下旬から11月いっぱいが収穫時期となる身不知柿も、近年では温暖化の影響で、色付きが遅れがちなのだそう。ムラなく色がつくよう育てるのが栽培農家の腕の見せ所なのだといいます。卒爾ながら声を掛けた私としばし言葉を交わし、「食べきれないから持って行って」と採ったばかりの身不知柿を「まだ渋抜きしていませんよ」と袋に入れて渡して下さいました。

mishirazu4_cachi.jpg【Photo】コロンとした丸みを帯びた形状の身不知柿。一大産地の会津若松市門田町御山に隣接する同市大戸町雨屋のR118沿いには、収穫期には直売所が開設される

 ドライアイスを使う炭酸ガスによる渋抜きでは、4~5日で柿渋を感じなくなるため、パリっとした固めの食感となります。酒造りが盛んな会津では、渋抜きには伝統的に日本酒の副産物としてできる焼酎を用いてきました。会津の花春酒造では柿渋抜き専用の甲乙混和焼酎を発売しているほど。ヘタの部分を焼酎に浸して袋で密封すると、柿渋が抜けるまでの目安は2週間。正月までは日持ちする肉質が固めの身不知柿も、その頃には食感に柔らかさが出てきます。

mishirazu5_cachi.jpg【Photo】収穫直後を頂き、焼酎でさわしてほぼ1カ月を経た身不知柿。甘さがより一層のって、目の詰まった果肉の食感には柔らかさが加わった

 期せずして鶴岡の知人が送ってきたフルーツタウン櫛引産の庄内柿との食べ比べとなった今年。さわして(=渋抜きして)から2週間目に、もう大丈夫かと袋から取り出した身不知柿は、すっきりとした上品な甘さの後に渋みがまだ幾分残りながらも、シャキシャキとした歯ごたえが感じられました。ならばと再度焼酎に浸して1週間ほど経過した身不知柿は、もはや完全に柿渋が抜けて味がより濃厚になり、まったりとした食感に変わっていました。

 う~ん、おいしい。

 丸森や庄内の柿より、遥か遠方の奈良や和歌山産が幅を利かせる仙台では、身不知柿を見かけることはまずありません。ならば会津を訪れて一粒で二度おいしい身不知柿を召し上がってください。どのタイミングで食するかはお好み次第。ただし、"ならぬことは、ならぬものです"という会津藩士としての規範を定めた「什の掟(じゅうのおきて)」にある通り、戸外で物を食べてはなりませぬ。こらんしょ、ふくしま会津。

 驚愕の後日談、「ことだまみしらず」につづく。
  to be continued.baner_decobanner.gif 

2013/12/08

晩秋の三原色、黄・朱・橙。

深まる秋の大内宿@会津

 黄金色に輝くカラマツの森と燃え立つように色付いた裏磐梯の山並みをいくつ越えたことでしょう。深まる秋を映し出す"うつくしまふくしま"の美景に、幾度となく車を停めて見入ったものです。

hidama_toge.jpg【Photo】秋の装いを深める氷玉峠。現在は自動車で難なく越えることができる「大内宿こぶしライン」も、かつては深い谷と急峻な山を越える下野街道の難所だった。大内宿のひとつ手前の宿場であり、つい数分前に通過した関山宿は、山肌を流れる雲の下に覆われていた 

 会津若松から会津美里を経て日光へと続いていた石畳や復元された茶屋一里塚、苔むした石碑などが随所に残る国史跡「下野街道(別名:会津西街道・南山通り)」に沿って整備された県道131号下郷会津本郷線(通称「大内宿こぶしライン」)で氷玉峠を越えて目指すは、いにしえの宿場町の面影を今に伝える大内宿。本来の読みである「おおちじゅく」は、時の変遷を経て「おおうちじゅく」の呼び名が一般的になりました。

oouchi_jyuku-2013.jpg【Photo】海抜665mの高地にあり、1年の半分近くは雪景色に変わる大内宿。草屋根を根雪が覆い隠すまでの束の間、周囲の山並みは燃え立つかのように秋色に染まる。集落北端の扇屋分家脇の階段をいくばくか登った小高い子安観音堂からの眺望。高度成長期には赤や青のトタン屋根が浸食した家並みは、苔むす草屋根が軒を並べる往時の姿を取り戻しつつある

 観光シーズンの週末には、会津若松から芦ノ牧温泉を経てR118を南下するルートとの合流地点まで渋滞が続き、5km進むのに1時間を要することもあるのだといいます。そのため、観光バスの混雑が予想される湯ノ上会津高田線ルートを避けたのが奏功。10時を回ったばかりということもあって、意外なほどスムーズに大内宿に到着しました。それでも日光方面からR121を北上してくる関東方面からの車も相まって、家並みに最も近い有料駐車場はすでに満杯。蕎麦打ち体験ができる「食の館」から、4~5分徒歩で移動する必要がある宿場北側の駐車場に誘導されました。

shohou_ji-ouchi.jpg【Photo】茅葺き屋根の家並みが軒を連ねる宿場北側の高台に建つ浄土宗正法寺の境内をイチョウが黄色に染める

 1580年(天正18)の秀吉による奥州仕置で会津に入部し、鶴ヶ城を築城した蒲生氏郷の治世には、近郊の村とともに宿駅としての役割を担っていたとされる大内村。徳川の治世となった17世紀には、会津松平家初代・保科正之が、総勢600名にもなる参勤交代の休憩所とした400坪の本陣や、その半分ほどの脇本陣「石原屋」と肝煎住居「美濃屋」を除き、街道に面した間口がおおよそ七間半(約13.5m)、奥行き十一間半(約21m)の建坪40坪の短冊型に屋敷割がなされます。21世紀を迎えた今も、江戸にタイムスリップしたかのような街並みが保存されています。

 古来あまたの人馬が通り過ぎてきた大内宿。かつての宿場へと歩みを進めると、路傍に立つ庚申塔や巳待塔、湯殿山碑などがまずは出迎えてくれます。「浅沼食堂」を営む扇屋分家の前に立つと、南側へと緩やかに傾斜した全幅7m近い旧街道の両側に軒を連ねる茅葺きの家並みが目に入ってきます。会津若松から険しい山越えを強いられたかつての旅人の目には、さぞ人の温もりを感じてほっとする光景だったはずです。

oouchi_jyuku5-2013.jpg 大内宿が人や物資の往来で賑わった当時、山水を引いて街道の真ん中を流れていた水路は、1886年(明治19)に街道の両端へと移設され、現在も用水路として使われています。水場が設けられた水路と家屋の軒下との間は、観光地化が進んだ昭和40年代に作られた植え込みを含めて2間(約3.6m)ほどの仕切りのない空間になっています。

 手入れの行き届いた茅葺屋根は、数軒単位で共有する茅場で収穫し、屋根裏で保管するカヤを融通しあう相互扶助「無尽」に支えられた共同体「結(ゆい」)」によって保たれてきたもの。寄棟造りや兜造りの現存家屋46軒が、南北450mにわたって整然と軒を連ねる統一感ある佇まいは、木造と石造りの違いはあれど、庄イタの目には景観保護の意識が高い欧州の旧市街地と重なって見えるのでした。

S50_ouchijyuku.jpg【Photo】観光客が訪れるようになり、いにしえの街道は1970年(昭和45)アスファルト舗装された。突き当たりに位置し、現在は食事処となった扇屋分家がそうであるように、アルミサッシではなく上部が障子張りの木製「上透かし雨戸」が見られる。煙突の役割を果たす「煙出し」や、寄棟屋根の尾根にあたる棟押え「軒(ぐし)」の一部に青や赤のトタンが見られるものの、茅留めに木材を使う会津の伝統的な建築様式が主流だった1975年頃の大内宿 〈画像出典〉:図説日本の町並み第2巻「南東北」第一法規出版 1982年刊 / 撮影:馬場直樹

 街道に面した2室が客間として使われたのは、3代会津藩主・松平正容(まさかた)の代に参勤交代路が白河街道に移った江戸初期17世紀中葉まで。その後は、会津23万石のコメを江戸へと運ぶ廻米など物資の輸送路として命脈を保ちます。18世紀初頭には類焼家屋が60軒にも及んだ大火に見舞われます。南会津地域に残る茅葺き集落でも、1907年(明治40)の火災で全戸焼失後に再建された人馬一体の暮らしを物語る茅葺き曲家の町並みが2年前に「重要伝統的建造物群保存地区」の指定を受けた南会津町舘岩の「前沢集落」、1896年(明治29)に同じく集落が全焼した同町「水引集落」とは違って、その後は大きな火災もなく200年以上を経て今日に至っています。

S57_ouchijyuku.jpg【Photo】重要伝統的建造物群保存地区に指定され、茅葺きへの葺き替えなどの修景に着手する前、1980年(昭和55)頃の大内宿。現在は無粋なカラートタン葺きの住宅は姿を消し、家並みの東西に迂回道路が新設されて車を締め出した旧街道のアスファルトや電柱は撤去された。路上のTOYOTA初代セリカに時の変遷を感じる 〈画像出典〉:図説日本の町並み第2巻「南東北」第一法規出版 1982年刊 / 撮影:馬場直樹

 余剰電力で揚水発電を行う目的で1974年(昭和49)に着工した大内ダム(画像のダム湖上方が大内宿)に姿を変えた大内沼から大内峠付近は、戊辰の役で戦場となりました。日光口守備隊長・山川大蔵指揮の会津藩士と新政府軍双方による焼き討ちをかろうじて免れます。廃藩置県後の1884年(明治17)、県令三島通庸の独断で着工した会津三方(さんぽう)道路が阿賀川沿いに開削されて以降は、旅人の姿も途絶えます。太平洋戦争前には会津若松-会津田島間に鉄路が敷設され、陸の孤島と化した大内宿はタイムカプセルに納められたかのようにひっそりと命脈を保ってきました。

 1878年(明治11)6月末、英国人女性紀行作家イザベラ・バードがこの地で一泊しています。しかしながら家並みには特段触れずに"山にかこまれた美しい谷間の中にあった"と「日本奥地紀行(原題『Unbeaten Tracks in Japan』)」で簡潔に記しています。

miyamototsune_showa_nippon.jpg それから90年の時を経た1967年(昭和42)、武蔵野美術大学の学生が、甲州で出逢った会津の茅葺き職人「会津茅手(かやて)」研究のため、大内宿を訪れます。それが当時、民俗学者・宮本常一の門下生として同大建築学科に在籍し、現在は母校で教鞭をとる相沢韶男(つぐお)教授。

【Photo】1967年9月、初めて大内宿を訪れた相沢韶男氏が夢中でフィルムに収めたという大内宿。タバコの葉を家並みの前に干す大内宿が表紙に使われた「あるくみるきく双書 宮本常一とあるいた昭和の日本16巻東北③」(農山漁村文化協会 2012年刊)

 中山道・甲州街道・六十里越街道の田麦俣など、各地の宿場を探訪してきた相沢青年は、目にしたこともない宿場時代そのままの面影を留めていた大内宿に魅了されます。恩師が所長を務めていた「日本観光文化研究所」の刊行物で2度にわたって大内宿を紹介。これが大内宿が世に知られる端緒となります。足繁く会津に通うなかで目の当たりにした伝統美を破壊しながら日本中に蔓延していた(相沢教授の言葉を借りれば)無国籍な「官軍建築」の浸食に危機感を抱くようになります。

 電源三法交付金がもたらした徒(あだ)花である赤や青のトタン屋根への葺き替えとアルミサッシ化など景観改変を憂い、宮本常一が朝日新聞紙上で文化財保護の必要性を訴えたのが1969年(昭和44)6月。すぐに観光客が訪れるようになり、炭焼きと自給自作に等しい稲作や葉タバコ栽培、出稼ぎ茅手を生業としてきたムラは、観光業に新たな活路を見出します。その年、旧街道がアスファルト舗装されたことに象徴される開発か景観保護かで意見が二分したまま、街並み保存を旗印に下郷町長に就任した大塚実氏の努力もあって、1980年(昭和55)に景観保護条例が制定され、修景と景観保護に向けた機運が高まります。長年に及ぶ相沢氏らの働きかけに文化庁が法令改正に動き、全国で3例目となる重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けたのが1981年(昭和56)。

oouchi_jyuku2-2013.jpg【Photo】有料駐車場からの経路となる南側から見た大内宿。信州高遠(たかとう)育ちの保科正之がもたらした大根のすり汁を加えた「高遠そば」をネギ1本で食する「ねぎ蕎麦」として観光客向けに売り出した「三澤屋」前を流れる洗い場が設けられた用水路

 現在は年間100万人を超える観光客が訪れる一大観光地と化したかつての宿場町。現在の表通りは、いかにも一見の観光客向け土産物店や飲食店で占められ、幾分なりとも興ざめを覚悟せねばなりません。それは何も大内宿に限った話ではなく、世界遺産の白川郷を訪れた際にも同じ印象を抱きました。とはいえかく申す自分も一介の観光客。地域資産に魅力を見出した若い世代が戻って町並み保存に取り組む現在の大内宿に対してモノ申す立場ではありません。

snowfesta-ouchijyuku.jpg【Photo】例年2月の第二土曜・日曜に開催される「大内宿雪まつり」

 まして会津は国賊の汚名を着せられ、斗南へと流刑同然に追いやられました。いびつな明治以降の国造りの中であてがわれた原発が引き起こした人災にこれから先も翻弄され続けなければならない相双地域など、多くの人々が会津若松でも避難生活を送っています。そこを旅することも、きっと福島再生の力になるはず。年明け2月8日(土)・9日(日)には雪灯篭が灯る夜をオススメしたい「大内宿雪まつり」が行われるほか、2015年4月の大型観光キャンペーン「ふくしまデスティネーションキャンペーン」のプレキャンペーンイヤーとなる来年。懐の深い魅力に満ちた会津と福島を訪れてはいかがでしょう。

tateiwa_kabu.jpg【Photo】大内宿から下野街道を日光方面へ南下した山あいの南会津町舘岩の在来作物「舘岩カブ」。惜しむらくは焼畑作から現在は畑栽培に移行している。2つの製造元が甘酢漬として製品化。稲作が困難な山間高冷地の貴重な命の糧として自家採種で300年以上にわたって受け継がれてきた。漬物のほか、かつては雑穀に混ぜて食された

 「今年は初雪が遅くてなし」と、土産物店「叶屋」の若旦那が温かい茶を勧めながら話しかけてきました。そこで目にとまったのが、隣接する南会津町舘岩の高原地域に伝わる在来作物「舘岩カブ」の甘酢漬。このカブのルーツは、平家に反旗を翻して都を追われた高倉宮以仁王が持ち込んだとも、近江(滋賀県)蒲生郡日野出身の蒲生氏郷が会津入部の折に持参した近江野菜「日野菜カブ」だともいわれます。しかしながら、藤沢カブの焼畑の一角で研究用に栽培されていた細長く深紅の日野菜カブとは著しく形状が異なることは確か。

tateiwa_kabu2.jpg【Photo】舘岩カブは辛味が少なく子どもでも食べやすい。写真奥は民田ナス辛子漬

 「おしゃべりな畑(山形大学出版会 2010年刊)には、数多くの在来カブが伝承されてきた山形県最上地域を行商で訪れた近江商人が日野菜カブの種をもたらしたことが「やまがたフィールド科学センター」山﨑彩香さんによって紹介されています。会津から越後・庄内を経て最上に種が伝播していったのでしょうか。山形在来作物研究会会長で山形大学農学部の江頭宏昌准教授は、天候不順で食料が不足しそうな年でも、飢饉に備えて8月のお盆時期に播種すれば10月中旬に収穫できる救荒作物として、東北の山あいでカブが大切にされてきた事実を指摘します。

 武蔵野美大の相沢教授は、"草屋根は数万年単位の技術伝承の結果"だと語ります。そして次世代にそれを伝えてゆく意義を、1969年9月「あるく みる きく31号」(日本観光文化研究所)で発表した「草屋根-会津茅手見聞録」が再録された「あるく みる きく双書 宮本常一とあるいた昭和の日本16巻東北③」(農山漁村文化協会 2012刊)のあとがきで強調しています。黄色に色付いたイチョウの葉が舞う晩秋の大内宿で、鮮やかな朱に染まった舘岩カブに、地域資産を伝えてゆくことの価値を改めて感じ入ったのでした。

 開店時刻の10時をまわって30分ほどというのに、少なくとも1時間待ちを宣告されそうな繁盛ぶりの高遠そばは予定通りパス。昼食の予約をしていた猪苗代湖畔のイタリアン「cucina Incontra クッチィーナ・インコントラ」への道すがら遭遇した秋の会津を彩る3原色のひとつ、色鮮やかな「(だいだい)」に関する話題は次回、会津の橙「身不知柿」で。 to be continued.
baner_decobanner.gif

2013/10/06

ワイン ヴァンヴィーノ フクシマ

winevinvino_frier.jpgこれは楽しいゾッ!!
ワイン・フードとも
豊富な選択肢で内容充実。
ワインの祭典@福島市


 澄み切った秋空から、まばゆい日差しが降り注いだ9月29日(日)、歩行者天国として開放された福島駅前通り商店街で「ワイン ヴァンヴィーノ フクシマ2013」が開催されました。会場となったJR福島駅東口の目抜き通りには、イタリアン・フレンチ・スペイン・トルコなど、多彩な21の飲食ブースが勢揃い。グラス売りで国内外のワイン・シェリー・シードル・グラッパなどのほか、各ショップのセレクトによるフード類も用意され、延べ1万人以上の来場者で賑わいを見せました。

 震災で疲弊した福島の活性化と福島のワイン文化・食文化の発展を目的として、2011年9月に8店舗が参加してスタートしたこの催し。春と秋に開催された昨年までは、復興庁福島復興局が現在入居する福島駅東口の複合ビル「AXC(アックス)」が会場でした。4回目の開催を迎えた今年は、福島駅前通り商店街の設立50周年を記念事業として、同商店街振興組合が主催。前回の9店舗から一気に21店舗へとスケールアップした会場は、芳醇なワインの香りに包まれました。

winevin_01.jpg【Photo】ワイン ヴァンヴィーノ フクシマ2013の会場となった福島駅前通り商店街。地元の老舗百貨店「中合(なかごう)(写真右手)も開催に向け全面協力、通りはいつもの週末の数倍の人出で終日賑わった

 仙台でも年に数回開催される複数のワインインポーターによる業務店向け合同試飲会は、あくまで商談が目的。そのため会場には必ず吐き出し用ポットが用意されます。ゆえに、味覚と嗅覚は若干なりとも麻痺してくるかもしれませんが、その気になれば百本単位でワインを試飲できます。

winevin_03.jpg【Photo】相双・阿武隈地域からの避難生活を福島市で送る農家のお母さんたちが運営する産直「かーちゃん ふるさと農園 わいわい」の野菜ピクルス。シャキシャキした歯応えと爽やかな酸味が素材を引き立てる。新鮮な野菜を加工したピクルスの相伴は、ボルドーブレンドによるイタリア・ヴェネト州の名品「カーポ・ディ・スタート・エティケッタネラ

 一方、ワイン ヴァンヴィーノ フクシマは、一般市民を対象にしており、純粋にワインを楽しむのが目的。プラ製のグラスを一個200円で購入すれば、1杯あたり60mℓ目安でグラス売りされるワインを購入できるシステム。その価格帯は100円~10,000円(⇒ ロマネ・サン・ヴィヴァン1998/ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ)と幅広い選択肢が用意されました。

winevin_06.jpg 前回まではワイン愛好家に向けたチケット制の催しでしたが、福島市の玄関口にあたる駅前商店街が会場となった今回。日頃からワインに親しんでいる人だけではなく、日曜日の買い物に訪れた子ども連れやカップル、ベビーカーを押したママ友同士など、幅広い客層が参加し、グラス片手にたくさんの笑顔が溢れました。

winevin_7S.jpg【Photo】各ブースではワインに合わせるフード類も用意。自家製塩麹に漬け込んだアオスタ風蝦夷鹿のロースト、チリエ風鴨腿肉コンフィ、トリッパのフィレンツェ風煮込、ノルチア風熟成プロシュット、キアンティ風フォカッチャが一皿1500円で味わえる本格的なアンティパスティ・ミスティ(左写真)が長蛇の列を呼んだ「オステリア・デッレ・ジョイエ」(上写真)では、ワインに加えてかつてピエモンテ州ネイヴェにある蒸留所を訪れたこんなレアものグラッパも30mℓワンショット2,000~3,000円で提供

 こうした催しが福島で行われていることは、昨年から噂に聞いていましたが、参加するのは今回が初めて。午前10時40分に福島駅に到着し、すぐに庄イタが行動に移したのは、開店準備中の各店ブースを一巡することでした。事前にWebサイトでワインリストフードメニューがアップされてはいましたが、店の前に並ぶワインの銘柄を改めて確認し、すっきりめの白ワインで喉を潤してから、フルボディの赤ワインに至るまで、飲む順番をざっと組み立てるのです。また、そうすることで、メニューの文字面だけは読み取れない各ショップの持ち味や個性、いわば"こっちの水は甘いぞ""というオーラの強弱を感じることもできますから。

winevin_09.jpg【Photo】スローフード運動発祥の地でスローフード協会本部があるピエモンテ州ブラで1年おきの奇数年に開催される「Cheese」には、小規模な生産者が伝統的な製法で造るチーズが世界から一堂に会する。「Cheese2013」で買い付けしたチーズが呼び物となった「クチーナ・ルスティカ ラ・セルヴァティカ」のブース(左写真)

 フード類に関する一番のお目当ては、9月20日~23日までイタリア・ピエモンテ州Braブラで開催されたチーズの祭典「Cheese2013」を訪れた福島市「クチーナ・ルスティカ ラ・セルヴァティカ」の安齊朋大(ともひろ)シェフが現地で調達したチーズ類。300種以上のチーズが存在するイタリア国内は無論のこと、各国の伝統製法で作られた小規模な作り手による個性豊かなナチュラルチーズは、スローフード協会の眼鏡にかなったものばかり。開幕20分前にいち早く会場入りしたのは、日本では入手困難な希少性の高いチーズを食べ逃してなるものかという一心からでした。

    winevin_10.jpg winevin_12.jpg
【Photo】クチーナ・ルスティカ ラ・セルヴァティカ安齊朋大シェフ(右写真)に見繕ってもらった白ワイン用と赤ワイン用のチーズ(各1,000円)。手前から時計回りにサフラン風味の羊乳チーズ、ボッタルガ(からすみ)を練り込んだ羊乳チーズ、ヴィナッチャ(ブドウの搾りかす)と灰に漬けた「バラディン」、牛と羊の混入フレッシュでクリーミーな「ロビオラ・ボシナ」は白ワインと(左写真)。 胡椒入り「ぺコリーノ・ペペ」、コク深い「モリテルノ」、カカオ豆とラム酒の香り「カルブル」、ヴェネト州の銘酒アマローネに漬け込む「ウブリアーコ」は赤ワイン用

 前日イタリアから帰国し、ブラから持参したチーズを前に準備に余念がない安齊シェフに話しかけたところ、こちらを一瞥して「庄内系さんですよね」と笑顔で一言。私とはこの日初対面でしたが、安齊シェフはViaggio al Mondoの読者でいらしたのです。 いきなり素性が知れて面喰らいましたが、それはそれ。時間が許す限り、そして体力・気力が続く限り、ワインの祭典を満喫するつもりでした。

   winevin_14.jpg winevin_15.jpg
【Photo】口開けの1杯目は「北の巨匠」と称される醸造家ジャンフランコ・ガッロがイタリア最北部フリウリ・ヴェネツィア・ジューリア州で手掛ける「Vie di Romans Chardonnay ヴィエ・ディ・ロマンス・シャルドネ2010」(800円)。美しい酸味を基軸にクリスタルのように透き通った豊かな果実味とボリュームを備え、長~い余韻を残す。直筆サイン入りの5リットル容量の巨大ボトル入りゆえ、猪苗代「クッチィーナ・インコントラ」平山真吾シェフ(左写真)が、カラフェからサーヴしたこの珠玉のワインは20年は熟成を続ける。マグナム以上の大きなボトルはワインの熟成がゆっくりと進み、長い時間を要して到達する高みも通常の750mℓフルボトルより、より高みへと至る。「フルボトル6.5本分の巨大なボトルを収穫後わずか3年で開けるのは勿体ないなぁ」と思いつつ、北の巨匠は期待に違わぬ美味しさで魅了した

   winevin_21.jpg winevin_16.jpg
【Photo】2杯目@ラ・セルヴァティカ。世界遺産の塔の町サン・ジミニャーノ原産で、レオナルド・ダ・ヴィンチが愛飲した歴史あるこのブドウ品種を手掛ける「Panizziパニッツィ」は1989年に出来た比較的新しい造り手ながら品質は折り紙付き。「Vernaccia di San Gimignano Riserva ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ・リゼルヴァ2009」(1,000円)。12ヵ月間のバリック熟成をしながらも嫌みな樽香はなく、ナッツや柑橘系にエキゾチックな苦味が加わる。10年近い熟成も可能(左写真)。 3杯目@福島市「アルソーニ」。"イタリアワインの帝王"こと「GAJAガヤ」が、メルロやカベルネの聖地として脚光を浴びるトスカーナ州ボルゲリで1996年に取得した醸造所「Ca'Marcanda カ・マルカンダ」。2009年初ヴィンテージの白ワイン「Vistamare ヴィスタマーレ2009」(1,500円)。ティレニア海を遠望する畑で育つ白品種ヴェルメンティーノとヴィオニエの混醸。このファーストヴィンテージからしてその名に恥じぬ高次元で調和する絶妙のバランス。有無をも言わさぬさすがの旨さに脱帽(右写真)

   winevin_17.jpg winevin_18.jpg
【Photo】4杯目から赤ワイン@クッチィーナ・インコントラ。東京から駆けつけたインポーターAltolivello アルトリヴェッロ伊東長敏社長にお願いしたトスカーナ州ピサ県で天才醸造家ルカ・ダットーマがエノロゴを務める「SanGervasioサンジェルヴァジオ」の「Rossoロッソ2006」(600円)。サンジョヴェーゼを主体にメルロとカベルネをブレンドしたミディアムボディのコストパフォーマンスが良いワイン。良年ならではの伸びやかで溌剌とした風味は、赤ワイン用に見繕っていただいたチーズにも好相性(左写真) 5杯目@ラ・セルヴァティカ。2011年から単独のDOCGとして認められ、ドルチェットが堂々の主役を張るピエモンテ州ドリアーニ。かつて安齊シェフが訪れた思い入れのある造り手だという「Quinto Chionettiクイント・キオネッティ」の「Dolcetto di Dogliani Briccolero ドルチェット・ディ・ドリアーニ・ブリッコレーロ2010」(800円)。醸造はステンレスタンクだけを使い、一切の工程で樽を用いない稀有な存在。ブドウ由来の若々しいベリー系の香りと豊かなタンニン。ボリューミーな味わい(右写真) 

 あらかじめ決めていたもう一つの要チェックポイントが、福島市「オステリア・デッレ・ジョイエ」オーナーシェフの梅田勝実さんが用意する北イタリアおよび中部イタリアの地方料理。梅田シェフとは2年前の11月、イタリアからいわゆる自然派と呼ばれる醸造元15社を招いて仙台市内5店舗で同時開催された「ヴィナイオッティマーナ2011」の2次会場でお会いしていました。梅田シェフは自然派ワインに傾倒しておいでのようで、11本全てがそちら系の濃いラインナップ。味にばらつきが多く、造りが多少とも個性的ゆえ、庄イタは積極的にアプローチしないこのジャンルですが、気になるワインが数本置いてありました。「前菜盛り合わせ」は赤ワインとの相性が良さそうだったので、序盤はチーズから攻めることにしました。

   winevin_19.jpg winevin_04S.jpg
【Photo】6杯目@オステリア・デッレ・ジョイエ。1980年の自家詰め開始よりウンブリア州モンテファルコでビオディナミ農法を実践する孤高の造り手が「Paolo Beaパオロ・ベア」。風味を凝縮させるための低収量と選別を徹底、自然酵母の使用、そして清澄濾過を行わずにボトリングされる「Montefalco Sagrantino モンテファルコ・サグランティーノ2003」(1,500円)は、プルーンのニュアンスを強く感じ、元来厳格なタンニンを備えたサグランティーノにしては意外なほど柔和な表情を湛える。25anniで有名なアルノルド・カプライとは方向性が異なるが、この品種の可能性を示す(左写真)。 7杯目@ヴィヴィフィカーレ(福島市)。ヴェネト州ヴェネツィア北方の造り手「Conte Loredan Gasparini コンテ・ロレダン・ガスパリーニ」のフラッグシップ「Capo di Stato Etichetta nera カーポ・ディ・スタート・エティケッタ・ネラ'97」(800円)。公式晩餐会で出されたこのワインに感銘を受けた元フランス大統領シャルル・ド・ゴールが、国家元首を意味する「Capo di Stato」と名付けた逸話が残る。カベルネ・ソーヴィニヨン+カベルネ・フラン+メルロ+マルヴェックというボルドーブレンドの深みと複雑味を感じる隠れた名品。しかもグレートヴィンテージ'97!!(右写真)

   winevin_20.jpg winevin_22.jpg
【Photo】8杯目@オステリア・デッレ・ジョイエ。"No Barrique,No Berlusconi"という辛辣なエチケッタを残した伝説のバローロ生産者「Bartolo Mascarello バルトロ・マスカレッロ」。バローロ・ボーイズの活躍で脚光を浴びたクリュの概念やバリック樽を否定し、伝統的なセメントタンクでの発酵と大樽熟成による造りを生涯貫いた。娘マリア・テレーザが醸造所を引き継いだ今も、カンヌビ・ロッケなど4つのバローロ地区最良の区画に所有する畑で栽培するネッビオーロから単一のBaroloを造る。この2007年(1,500円)は前年に続く優良年で、厳格さは残しつつも抜栓後4時間を経て柔らかさもあり、素晴らしい資質を遺憾なく発揮(左写真) 9杯目@オステリア・デッレ・ジョイエ。締めくくりはトスカーナ州シエナ東方のカステルヌオーヴォ・ベラルデンガのChianti Colli Senesiキアンティ・コッリ・セネージ地区に位置し、ジョヴァンナとステファーノ夫妻による「Pacinaパーチナ」のデザートワイン「Vinsanto del Chianti ヴィンサント・デル・キアンティ2005」(600円/30mℓ)。消毒用ボルドー液以外を用いない農法で育てた白ブドウのマルヴァシアとトレッビアーノを収穫後に陰干し、寒暖差が激しい屋根裏部屋などで5年以上熟成させると、ブドウの純粋かつ官能的な甘味が抽出された琥珀色のエッセンスへと昇華、贅沢な余韻に浸れる(右写真) 

 時間が経つのを忘れ、気がつけば4時間30分あまり会場をウロウロしていた庄イタ。ヴィンサントをお願いしたオステリア・デッレ・ジョイエでは「たくさんご注文頂いて♪」と奥様からサン・ペルグリーノの炭酸水の差し入れも頂戴してしまいました。そろそろ中合の地階へ移動して家族への福島土産を購入しなくてはなりませんが、午前中にラ・セルヴァティカのブースに立ち寄った際、ワインリストに記載された「Etlivin.s.r.l秘蔵のイタリアワイン」(1,500円)なる存在が気になっていました。そこには日本でイタリアワインが現在ほどの地位をマーケットで築く以前の'85年、イタリア専業のインポーターとして創業した「Etlivinエトリヴァン」の佐々木玲子さんがおいでした。

   winevin_23.jpg winevin_24S.jpg
 佐々木さんは、秘蔵のイタリアワインこと木箱入りマグナムボトルの「Linsieme l'Italia del Vino decennale selezione Fattorieリンシエメ・リタリア・デル・ヴィーノ・デッチェナーレ・セレツィオーネ・ファットリ」(左写真)という長たらしい名前のヴィーノがいかなるものかを説明して下さいました。かの「Sassicaiaサッシカイア」を生んだ醸造家、故ジャコモ・タキスが、イタリア各州の優れた造り手のワインをブレンド、1999年に2,265本だけマグナムボトルに瓶詰めした超レア物なのだといいます。バックラベル(右写真)にはブレンド用にワインを提供した32のそうそうたる顔ぶれの生産者名が列記され、しかもイタリアではGrande Annata(=グレートヴィンテージ)として名高い1997年がズラリ。

 日本市場では流通せず、国内では存在しえない貴重なボトルが目の前にありました。ここを素通りしては一生の不覚。末代まで禍根を残すことになります。条件反射のように「一杯飲ませて下さい」と口走り、残り少なくなった千円札を2枚差し出す庄イタなのでした。バルベーラ+ネッビオーロ+モンテプルチアーノ+サンジョヴェーゼ+ネレッロマスカレーゼ+カンノナウ+その他モロモロという、通常ではありえない「ちゃんぽん」に等しい組み合わせが破綻をきたさずに綺麗に熟成を重ね、しっとりとした落ち着いた表情で魅せてくれたのは、さすが稀代の醸造家ジャコモ・タキスの手腕なのでしょう。

winevin_26.jpg【Photo】太陽が少し傾き始める16時を迎えてなお、多くの参加者で盛り上がりを見せる会場。ムルソーやニュイ・サン・ジョルジュなど、ブルゴーニュの醸造所から提供されたワインが出品されたオークションの売り上げは、福島復興のための基金に寄付される。後ろ髪を引かれる思いで会場を後にした

 恐らくは一期一会となるワインとの出逢いを最後に果たしたワイン ヴァンヴィーノ フクシマ。集客目標として掲げた3,000人を結果的に3倍以上も上回る成功を収めた今回の催しにあたり、尽力された皆さんに心より敬意を表します。次回開催の折に仕事が入らなければ、必ずや駆けつけることをお誓いします。I shall return.
baner_decobanner.gif

2011/10/23

和ナシのルーツのハナシ

利府で長十郎を指名買い
番外編・ナシの原木「ヤマナシ」の古木は300歳!?

itounashi_2.jpg【Photo】利府町加瀬の伊藤恒雄さん宅で指名買いした「長十郎」とお土産に頂いた「二十世紀」。郷土資料館向かいの公園にある日野藤吉が初めて利府で栽培を始めた「真鍮梨」の古木の赤く色付いた葉が華を添える
 
 直売所で試食した刹那、その味に魅了された長十郎を生産する梨栽培農家・伊藤恒雄さん宅を訪れ、長十郎を指名買いした日、気になる情報を郷土資料館で入手しました。前回述べたとおり、利府における梨栽培は先駆者となった日野藤吉以来127年の歴史があります。資料館で手にした利府町誌には利府町大町の板橋繁春さん宅に推定樹齢300年の古木があるという記述があったのです。

 リンゴの古木を訪ねてつがる市を訪れるなど《Link to backnumber》、果樹の古木には目がない(笑)私の好奇心がムクムクと頭をもたげる情報ではありませんか! ここは仙人のような古木とお目にかからなくては、とリサーチ開始です。

nashikoboku_1.jpg【Photo】利府町大町の板橋繁春さん宅の敷地内にある梨の古木。一説には樹齢300年ほどだという自生種のヤマナシ ※Photoクリックで拡大

 郷土資料館の裏手には「十符の里農産物直売所 ふれあい館」があり、そこに居合わせた事情通の男性客から、250軒ほどの梨生産農家があるという利府でも伊藤さんが五本の指に入る梨農家であること、味の決め手はどれだけ手間と愛情をかけるかであることなどを伺いました。ところが梨の古木について話が及ぶと、その方はおろか、直売所の職員兼生産者の方たちでも、町誌に記述されていた梨の古木については、一様にご存知ないのでした。


 資料館の方から頂いた地図を手に徒歩で訪れたのが、そこからすぐ近くの板橋重春さん宅。ご高齢の板橋さんは体調が優れず、玄関先で応対して下さったのですが、裏手の畑にその樹があるとのこと。お許しを頂き伺った畑の片隅で、古木は突然の訪問者の私を出迎えてくれました。
nashikoboku_2.jpg
 二階の屋根を越える10mあまりの高さで幹が切られた古木は、町が立てた標柱によれば、梨の原種「ヤマナシ」という品種。地表から斜めに生えた周囲3mほどの幹の根元には大きなウロがあり、そこから真上にくの字に折れ曲がって緑の葉を茂らせています。下から見た限りでは、実をつけているようには見えませんでした。

 現在の栽培品種のような食感ではなく、小粒で硬いため、今では食用とされなくなったこの梨。かつては「石子梨」と呼ばれたのだとか。晩秋の霜が降りる頃になって甘味が出るため、その昔は多くの実を結ぶ石子梨は食用にもされたようです。

【Photo】訪れる人もない古木の片わらに利府町が立てた標柱

 その豊産ぶりを示す原種梨に通じる梨の古木の姿は、果樹栽培が盛んな福島で見たことがあります。福島市置賜町の東北電力福島営業所前には2本の梨の古木があります。さまざまな花々が色彩豊かに咲き揃う福島市郊外の花見山を訪れた昨年の4月24日(土)夕刻、福島駅前にある「山女」で名物の円盤餃子を食べに行く途中、白い花を咲かせた梨の古木を目にしました。

nashi3_fukushima.jpg【Photo】清楚な白い花を愛でるには、皮肉なことに縦横に走る電線が玉にキズ。東北電力福島営業所(写真右)前にある梨の古木

 それは大正期まで酒造業を営んでいた加賀屋総本家別邸に植えられたという樹齢100年~150年と推測される2本の梨。社屋の前を通る吾妻通りの慢性的な渋滞解消のため、道路拡張に伴う移植計画が浮上したこともありますが、枯死のリスクを避けるため、梨を愛する地元の強い要望を受ける形で、移植が実行に移されることはありませんでした。

        nashi1_fukushima.jpg nashi2_fukushima.jpg
【Photo】地元の要望を受けて当初計画が変更となり、移植を免れた東北電力福島営業所の梨 ※Photoクリックで拡大

 溢れんばかりに花を咲かせた梨の樹は、中国唐代の詩人・白居易が長編漢詩「長恨歌」の一節で「梨花一枝春帯雨」と詠じた涙を流す楊貴妃の美しい姿を想起させました。遥か昔の故事に思いを馳せながら梨の花を愛でるのも結構ですが、やはり梨は美味しく食べてナンボ。

 放射線スクリーニング検査で安全性が担保されている福島産の梨生産農家の梨の作柄も利府梨同様に今年は良い出来だといいます。利府のように糖度の高い長十郎は栽培されていませんが、晩生の「新高」が間もなく旬を迎えます。寒暖差が大きく果樹栽培に適した福島盆地の梨も美味しいですよ。
baner_decobanner.gif

2011/04/16

This is real Fukushima 

風評被害に負けない! 福島

 新潟を含む東北ブロックで、唯一Viaggio al Mondo で取り上げていなかったのが福島です。正直、このような形で母の郷里について語るのは、忸怩たる思いです。

【Movie】3月21日にイタリア放送協会RAIのニュースチャンネルTG3が伝えた福島第一原発事故を巡るニュース「Fukushima, emergenza e speranza(=福島、緊急事態と希望)」

 この一ヵ月、Fukushima が世界の耳目を集めています。国際評価基準(INES)の暫定評価でレベル7という原発事故としては最悪の暫定評価となった事態を受け、EU諸国は日本からの輸入食品に安全性を証明する書類の添付を義務付けるよう求めています。

 人々の暮らしを根こそぎにする惨禍をもたらした地震と津波は抗いがたい天災ですが、東京電力福島第一原子力発電所で起きている事態は、地震への備えを怠った慢心が招いた人災といわざるをえません。資源の乏しい日本が、過剰なまでに膨大な電力の使用を前提に繁栄を謳歌するために、原子力発電は国策として推進されてきました。

hanamiyama_2010.4.jpg【photo】まさに「うつくしま ふくしま」。花盛りの福島市花見山(撮影:2010年4月24日)

 推進派の主張通りに原子力発電所が安全な施設なら、供給エリアに原発があっておかしくありません。年間総発電量の5%前後が失われる送電ロス削減のためにも、エネルギーの一大消費地である東京都心に造るべきです。

 にもかかわらず、国は巨額の交付金を還元してまで、産業基盤が限られた地方で原発建設を進めてきました。今回の事態を招いた東電を例に挙げれば、東京都心からおよそ200km離れた福島や新潟、現在建設が進む青森県東通村に至っては、550kmもの遠隔地です。こうした不条理なエネルギー政策を決定する経済産業省がある霞ヶ関や、東電本社がある内幸町から遠く離れた立地ばかり自己保身をするかのように選んだ理由は、今回の震災によって皮肉な形で白日のもととなりました。

enbangyoza_yamame.jpg【photo】福島名物「円盤餃子」

 チェルノブイリ原発事故の記憶から抱いてきた漠然とした不安は、今や現実として私たちの目の前にあります。対峙する放射能が目に見えない相手であることと、セシウムやヨウ素など放射線についての知識が、一般人には欠如していることが不安を増幅させています。東大病院で放射線治療を担当する専門家集団「チーム中川」によるブログやツイッターによる解説が、放射線がヒトに与える影響について分かりやすく解説しています。

                       ■ ブログ: http://tnakagawa.exblog.jp/
                       ■ ツイッター: http://twitter.com/#!/team_nakagawa

 かき菜やホウレンソウなど、3月中の検査で福島と茨城の葉物野菜の一部からヨウ素(I-131)やセシウム(Cs-137)などが検出されたことがセンセーショナルに報じられました。対象品目の残留放射性物質は、4月に入っていずれも基準値を下回るようになりました。大気中に放出された放射性物質の影響を受けにくいハウス栽培や、問題の原発から離れた産地の野菜は、安全性が確認されています。ここは、やみくもに恐怖心を抱くのではなく、正確な情報収集に努めて冷静な対応をしたいところ。

fragora_fukushima.jpg【photo】福島の生産農家が丹精込めたハウス栽培の青果物。極めて美味。なのに出荷できず廃棄せざるを得ないのが現状

 食品による健康被害を気にするのなら、栄養バランスや加工食品に使用される食品添加物の過剰摂取にこそ気を遣うべき。成長期の子どもの前でタバコを吸うなど、もってのほかです。ところが、食品衛生法が定める安全基準をクリアして出荷された生鮮品や乳製品の多くが、福島や茨城産というだけで買い叩かれ、一般消費者から敬遠され、売り場から姿を消しているのが実情です。原発の事態収拾の目処が立たない現状では、この状況がいつまで続くのか全く見通しがつきません。

 おそらくは長期化が避けられない逆境にあっても、決して負けない福島を発信する取り組みが始まっています。県観光物産交流協会が東京・東葛西に設置しているアンテナショップ「ふくしま市場〈Link to website〉」では、今月上旬から「東北大震災に負けるな! フェア」を実施、都内在住の県出身者らで賑わっている様子が報道されています。

 昨年10月、株式会社第一印刷(本社:福島市)の呼びかけに応じた福島県内の各業種30社ほどで発足したプロジェクト「福の鳥」は、世界に通用する新たな地域ブランドを創出しようというもの。同プロジェクトでは、焼き鳥や牛乳味噌鍋などを新たな名物に育てようと活動してきました。
 ForzaFukushima.jpg  ■ 「がんばっぺ! 福島」トップページURL: http://fukunotori.com/fight/index.html

 県土面積が全国第3位と広い福島は、原発から半径30km以内に設定されている自主的避難を求める「緊急時避難準備区域」外の放射線による健康への心配がないエリアがほとんどです。原発事故が引き起こした風評被害の広がりを受けて、プロジェクトでは桜の名所として知られる福島市の「花見山」を第一弾として取り上げるなど、福島の魅力を紹介するサイト「がんばっぺ! 福島」を立ち上げました。

ganbatte-zzoi.jpg【photo】
例年、多くの花見客で賑わう福島市の桜の名所「花見山」で開催を予定していたという物産市。今回の事態を受け、会場を急遽仙台に移して実施した。山形県米沢市でも今月中に開催予定とのこと

 風評被害に負けない福島をPRするプロジェクトによる「がんばってっつぉい福島! いちば」が、4月8日(金)~10日(日)の3日間、仙台市青葉区本町で開催されました。物産市の会場となったのは本町家具の街。本町商店街振興組合理事長で「家具の大丸〈Link to website〉」代表取締役社長の大村 正さんと、各地の産直施設と独自のルートをもつイベント会社Y.M.O代表 湯浅 輝樹さんが、企画実現に協力しました。

IMG_5327.jpg IMG_0176.jpg【photo】「がんばってっつぉい福島! いちば」当日の模様 〈右写真協力:(株)第一印刷〉
※photoクリックで拡大

 旬を迎えたハウス栽培のニラ・キュウリ・イチゴといった青果物のほか、スルメとニンジンを醤油ベースで和えた福島北部地域の郷土の味いかにんじん・あんぽ柿・味噌・漬物などの加工品、手ぬぐい・会津木綿製品・ポストカードなど福島の各種産品が出品され、3日間で30万円ほどの売り上げがあったといいます。

DVC00355.jpg DSC08414.jpg【photo】「がんばってっつぉい福島! いちば」当日の模様 〈写真協力:(株)第一印刷〉
※photoクリックで拡大

 福島市郊外の飯坂温泉「佐久商店〈Link to website 〉」店長の佐藤ユウ子さんは、店頭で元気と笑顔を振りまいておいででした。自信作のいかにんじん「錦秋」を味見をした私は、鮮度抜群のイチゴやキュウリとともに、購入を即断しました。タレントの佐藤B作さんの弟さんが営むという同店は、取り扱う果物にも品質へのこだわりが感じられます。

ikaninjin_kinshu.jpg【photo】佐久商店のいかにんじん「錦秋」

 店頭を今回のイベントに提供した大村社長は、「被災者同士、カラ元気でもいいから前に向かって進む姿を発信したかったのに加え、自分たちが取り扱う品に絶対的な自信を持つ福島の方たちとコラボすることで、ホンモノだけを扱う本町家具の町の魅力を伝えたかった」と今回の試みについての意義を語ります。本町商店街振興組合では、今後も福島とのコラボによる催しを検討してゆくそうです。

 4月17日(日)には、宮城郡大和町宮床の「大師山 法楽寺〈Link to website 〉」で、福島産野菜の即売会が実施されます。福島の農家が置かれている現状に心を痛めた住職の遠藤龍地さんが、JA福島に話しを持ちかけて実現の運びとなりました。前日ご自身がワゴン車を運転して福島に出向き、仕入れた青果類を午前10時から境内で即売します(雨天時は本堂で実施)。

 「良いことも悪いことも、自らの行いの結果。だから福島で起きていることは、決して他人事ではなく、これまでの自分の生き方や暮らしのありようを見つめ直す機会として考えて欲しい」と遠藤住職。仙台方面からは、泉パークタウンを大和町ミヤヒル36ゴルフクラブ方向に向かい、宮床小学校の右側です。買い物袋を持参の上、お越し下さいとのこと。売り切れの際はご容赦を。

************************************************************************
大師山 法楽寺
宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1
Phone: 022-346-2106
法楽寺URL:http://www.hourakuji.net/index.html
住職のブログ「想いの記」より
東北関東大震災・被災の記(その29)「福島県の野菜を食べよう会」を行う理由

baner_decobanner.gif

Giugno 2016
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
Copyright © KAHOKU SHIMPO PUBLISHING CO.