あるもの探しの旅

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2015/10/18

山に聞き 牛に聞く

中 洞 牧 場 牛 乳
健やかで幸せな牛から おいしい牛乳
自然と共生する「日本の山地(やまち)酪農」
〈2015.7.18拙稿〉【 続 編 】

nakahora1-2015.7.13.jpg【Photo】今年は10月6日に初霜が降りたという中洞牧場。夏の盛り、爽風が吹き抜けてゆく山の稜線など、牛は思い思いの居心地の良いお気に入りの場所で青草を食む

 この夏に出合い、ススキの綿毛が秋風に揺れる季節へと移り変わった今、改めて噛みしめ直している言葉を今回のタイトルとしました。そう、あたかも牛の反芻のように。

casa-nakahora.jpg【Photo】中洞牧場の事務作業、牧場長の中洞夫妻・社員・研修生の住まい、見学者の宿泊などの役割を果たす研修棟(上写真・黒屋根の建物)完成記念として入口の壁に掲げられているのが、額装された下写真の言葉

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 盛岡から東へ車でおよそ2時間。すでに朝は氷点下の冷え込みになっているという岩手県下閉伊郡岩泉町で、年間を通して屋外で牛を放牧する山地酪農を実践。並外れた美味しさを体験できる牛乳と乳製品を生産する「中洞(なかほら)牧場」で、2012年6月に完成した研修棟の入口にこの言葉は掲げられていました。

 牧場長の中洞 正さんからサイン入りで頂戴した最新刊「山地酪農家 中洞正の生きる力」(六曜社刊)にも同じ言葉が記されています。

autograph-nakahora.jpg【Photo】最新刊の表紙裏にスラスラとサインをして頂き、落款を捺印された途端、中洞さんは頭をかきながら「あ゛っ~、押す向きを間違えちゃった」(笑)

 庄イタが中洞牧場を訪れたのは好天に恵まれた7月中旬。抜けるような青空からは真夏の日差しが降りそそいでいました。北上山地の標高710m~860mに拓かれた中洞牧場ですが、まだ昼前だというのに、車の温度計が示す外気温は、28℃を越えていました。

 日本の酪農ではごく一般的な濃厚飼料を与えるためのケージ飼いする牛舎が存在しない中洞牧場。生体リズムで乳が張ってくる朝夕2回、群れで行動する牛たちは総面積50haにおよぶ広大な牧草地から自発的に搾乳所へと集まってきます。

 通常、いずれ出荷する家畜には名前を付けません。牛には出生後すぐに10桁の数字からなる個体認識番号を記した耳標(じひょう)と呼ばれる黄色いタブが付けられるだけです。

 中洞牧場はその点でも違います。「大島優子」(!!)「悦子」「ゆかり」「すず」といったヤマトナデシコ系に加え、ニュージーランド生まれのジャージー牛は、青い目を連想させる「バーバラ」や「ニコール」。我が郷里・ピエモンテ州ランゲ丘陵の森の良い香りが漂ってきそうな「トリュコ」だっています。「きなこ」「みたらしこ」といった和風スイーツ系の「黒蜜」もいますが、「壇蜜」はいませんでした。

yco-e-nakahora.jpg【Photo】1999年8月生まれで現在16歳で最年長のY子。中洞さんが歩み寄ると、顎を中洞さんの膝に預け、安らいだ表情を浮かべ(⇒そう庄イタには見えた)、瞑目したままじっと動かなくなった

 こうした名前は、搾乳をはじめとする牛の世話や、製品の加工、灌木の伐採など、牧場の運営・管理作業を住み込みで行う社員や研修生が名付け親となって付けたものです。南部曲がり屋の一つ屋根の下で牛馬を家族同様に扱ってきたこの地方の伝統が、そうさせるのかもしれません。

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 広大な牧草地を中洞さんの案内のもと車で巡る中洞牧場の見学ツアーは、山を切り開いた地形そのままの急斜面もありスリル満点。運動豊富でいずれ劣らぬアスリート揃いの牛たちは、急斜面をものともせず移動し、食べ頃の野シバが生えている場所で時間を過ごすのだといいます。

nakahora2-2015.7.13.jpg 離乳後に独り立ちしたばかりのつぶらな瞳の仔牛ですら、トゲのある野バラほかアジサイ・ワラビなど食用として適さない植物には草食動物の本能から口をつけません(上写真)。ちょうど今頃の10月半ばには牧草を食べ尽くすため、採草地から採取した乾草やサイレージが飼料に切り替わります。
nakahora6-2015.7.13.jpg すると青草の水分とカロテン由来の緑がかった青白い色のさらっとした飲み口から、乾草中心の給餌によって乳脂肪分が増加し、色が黄色く濃厚な味に変化します。それでも超高温殺菌によるタンパク変性が起きない中洞牧場牛乳の飲み口は、後味に重ったるさが残りません。FOODEX JAPAN 2013において実施された「ご当地牛乳グランプリ」で、実質的な頂点に輝いた中洞牧場牛乳の卓越した風味に関しては既報の通りです。

【Photo】中洞牧場の研修棟に到着してすぐ出していただいたウエルカムドリンク。前日に搾乳して殺菌したコップ1杯のジャージー乳。温めて飲むとまた格別とはいうものの、牛たちを眺めながら頂くひんやり冷たい牛乳の美味しいのなんのったら!!

 牧場を巡る見学ツアーの途中、中洞さんは何度か車を停めてさまざまな話をして下さいました。牧場訪問直後のレポート「中洞牧場牛乳」では触れなかった内容を今回はご紹介します。

nakahora3-2015.7.13.jpg【Photo】牧草地の境界線に立つ中洞さん。1984年に11頭のホルスタインとともに入植した当初は、境界の先に広がるような灌木とクマザサなどが生い茂る手つかずの土地だったという

 牛を野に放つと木の葉や野草を食べながら徐々に日当たりの良い空間ができ始めます。上写真にある境界の手前側に生えている再生力に優れた在来の野シバが表土を覆うまでに3年ほどを要し、それで植生は安定します。

 一般的な日本の酪農では欠かすことのできない濃厚飼料の原料となる輸入穀物で常に問題視されるのが、遺伝子組み換えやポストハーベスト農薬。そうした不安要素とは無縁の無施肥・無農薬で育つ青草や自家製の乾草を食べる健康な牛の排泄物は、野シバの良き養分となります(下写真)

nakahota7-2015.7.13.jpg 放牧を初めて30年以上、外来種のカモガヤなど生育が早いために牧草地で導入されるイネ科の植物には投与される場合が多い化学肥料に頼らずとも、中洞さんは自然の摂理に寄り沿いつつ、牛と人の共同作業で緑なす健全な放牧地を作り上げてきたのです。

 野シバの上を歩いてみると、上質なカーペットのように弾力があり、フカフカであることに気付きます。これは長い年月をかけて幾層にも重なったランナーから出る根がびっしりと表土を覆っている証拠です。中洞さんの説明では、A3判の用紙大の面積に生えている野シバの根を繋ぎ合わせると、その長さはなんと20mから30mにも達するのだといいます。

nakahora4-2015.7.13.jpg【Photo】野シバは地上と地中にランナー(葡伏茎)を横に延ばしながら根を地中深くまで張って次第に大地を覆ってゆく。冬は枯れるが、春になると新芽を出して幾層にもそれが重なり合うことでバリアの役割を果たして他の植物の侵入を阻む

 その保水力たるや、ブナにも引けを取らぬ相当なものでしょう。温暖化が原因とされる地球規模の気象の極端化によって、局地的な豪雨による土砂災害が頻発しています。表土が流出しやすい傾斜地の土壌保全に果たす野シバの力は想像を遥かに超えていました。

jimin-koyaku.jpg【Photo】3年前の年末総選挙で自民党が掲げた選挙公約ポスター(大笑)。当時政権の座にあった民主党への批判票で圧勝した自民党のどなたか、お得意の「丁寧な説明」をして下さいな

 およそ食糧自給の重要性など念頭にない経団連や産業界の後押しを受け、日本の食を支える心ある人々が被る損失は、補助金で穴埋めしようという安易な瀬踏みをしている現政権によって、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)に参加する道筋がつきました。

 秘密裏に進んだ妥結実態が次第に明らかになるに従って、一次産業従事者からは将来への不安の声が上がっています。現状でも歯止めがきかない耕作放棄地の拡大が懸念される中で、放牧地への転用を期待する声も聞かれます。

 安心して口にできる乳製品を届けたいという一心で歩み続けてきた中洞さんの30年におよぶ足跡は、資源に乏しい日本が、これから歩むべきひとつのロードマップと言えるのではないでしょうか。

nakahora-curry.jpg 見学終了後は、中洞さんと共同生活を送る牧場のスタッフの胃袋も満たす「牧場カレーライス」(上写真・1000円)を中洞牧場長とともに食しました。これは中洞牧場から岩手畜産流通センターに出荷され、食肉に加工された牛肉を使っているのだそう。面倒を見てくれた人たちの労働の糧となることで、牛は最後まで役目を立派に果たしてくれているのです。

nakahora-ice-milk.jpg 食後は中洞さんのご好意で地元の和グルミと絶品ミルクの風味、隠し味の生醤油の香りが混然一体となって調和する限定品カップアイス(上写真)がデザートで登場。これがまた結構なお味で。

 中洞さん、牧場の皆さん、ご馳走さまでした~。(^0^ 
大変お世話になりました。 m(_ _)m

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中 洞 牧 場

住:岩手県下閉伊郡岩泉町上有芸字水堀287
・Phone:050-2018-0112
・URL: http://nakahora-bokujou.jp/index.html
・事業主体:農業生産法人 株式会社 企業農業研究所
       株式会社 山地酪農研究所
・見学随時:詳細はコチラ参照
・問い合わせ:https://nakahora-bokujou.jp/bokujou/mail.cgi


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2015/07/18

中 洞 牧 場 牛 乳

健やかで幸せな牛から おいしい牛乳

自然と共生する「日本の山地(やまち)酪農


 JR盛岡駅から東へ、R455を田野畑村方向、ないしはR106を宮古市に向かって車で2時間余り。目指す「中洞牧場(なかほらぼくじょう)」は、岩手県下閉伊郡岩泉町の山林を切り開いた真っただ中にあります。

1-yamachi001.jpg【Photo】年間を通して放牧するため、牛舎が存在しない中洞牧場。牧草ではなく回復力が旺盛な野芝が生えている。春先の淡い緑(上)が盛夏には濃い緑の野芝に覆われる(下)

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 中洞牧場では、365日昼夜を問わず広さ50haの急峻な山あり牧草地ありの自然豊かな環境のもと、現在88頭の牛を完全放牧により飼育しています。

power_alive_tadashi-nakahora.jpg 1984年(昭和59)の創業から6年後の1990年(平成2)、年間昼夜通して屋外で牛を飼育する「中洞式山地(やまち)酪農」を確立したのが、1952年に岩手県宮古市で生まれた牧場主の中洞正さん。

 中洞さんが2006年から客員教授を務める母校の東京農業大学在学中、植物生態学者で昭和40年代から野芝を牛の飼料に活用する日本型山間酪農を提唱していた猶原恭爾(なおはらきょうじ)氏と出会います。

【Photo】「黒い牛乳」(2009.7幻冬舎メディアコンサルティング刊)などの著作を通して、牛と人と自然の持続可能な未来を提示し、日本の酪農のあり方に警鐘を鳴らす中洞氏の最新刊「中洞正の生きる力」(2013.9六耀社刊)

 岩泉と隣接する岩手県下閉伊郡田野畑村で「田野畑山地酪農牛乳」を生産する「熊谷牧場くがねの牧」熊谷隆幸さんや「吉塚牧場志ろがねの牧」吉塚公雄さんも中洞さんと同様、猶原博士の薫陶を受けた教え子です。

1-winter-nakahora.jpg【Photo】冬の中洞牧場。乳が張った牛たちは、朝の搾乳時刻になると自ら搾乳所に集まってくる。搾乳を終えた牛たちは山へと戻って思い思いの時間を過ごし(上写真)、夕刻には再び搾乳所に集まって来る(下写真)

1-yamachi032.jpg 山地酪農の聖地ともいうべきそこは、標高710m~860mで真冬には氷点下20℃にもなる北上山地。苦手な暑さをしのぐ夏毛から冬毛に生え換わった牛たちは寒さにはめっぽう強く、たとえ吹雪の日でも窪地や物陰に身を寄せ合って夜を明かします。

 1日2回(朝6時30分と夕刻4時)の搾乳時間になると、乳が張った牛たちは「お乳搾って~」といわんばかりに山から搾乳所に列をなして自発的に集まってきます。搾乳するのはジャージー牛(オス)とホルスタイン(メス)の自然交配により仔牛を生んで間もないF1交雑種が主で、その数はシーズンによって異なりますが、30頭前後。

nakahora-jyasi.jpg【Photo】巨乳好きならたまらないはずのサービスショット(´`)。ガンジー種もいる中洞牧場の主力はジャージー種。仔牛を生んで10カ月間は乳が出る。草や藁といった人間の食料とならない飼料から牛乳を生みだす牛は、人類の歴史の中で大きな役割を果たしてきた

1-DSCF5991.jpg 日本で飼育される乳牛は99%が白黒まだら模様のホルスタイン種です。体がひとまわり小さな中洞牧場のジャージー種から搾乳できる量は、泌乳量が多いホルスタインの3分の2ほどの年間4,000ℓ程度。

 1997年(平成9)に製品化プラントまで自作してしまった中洞牧場では、中洞さんを含めて現在12名の牧場スタッフほか数名の研修生が、生乳の加工から商品の出荷までを一貫して行います。

 アジア最大級の食品・飲料見本市FOODEX JAPAN 2013において実施された「ご当地牛乳グランプリ」には、日本各地から48点の味自慢の牛乳がエントリー。「中洞牧場牛乳」を含む5点が最高金賞に選出されました。

 1,592名の審査員によるネーミング・パッケージデザイン・商品のこだわり審査に加え、最高金賞5点の中で唯一、5段階評価による試飲審査で満点を獲得したのが、中洞牧場牛乳でした。その違いの理由はどこにあるのでしょう。

nakahora-jyasi2.jpg【Photo】牛が排泄する堆肥は、草食ゆえにチッソ・リン酸・カリウムを豊富に含む。そのため中洞牧場では一切の化学肥料を必要としない。放牧される乳牛の頭数が適正なため、回復力が旺盛な野芝で植生が安定している

 〝牛が健やかで幸せであること〟を中洞さんは真っ先に挙げます。現在の日本の酪農では、草食動物である牛に穀物を与えるのが一般的。1951年(昭和26)に定められた乳等省令(乳及び乳製品の成分規格等に関する省令)では、無脂乳固形分8.0%以上、乳脂肪分3.0%以上を牛乳と規定しています。

 ところが1987年(昭和62)に大手乳業メーカーの要請を受けた全農とホクレンなど農協関連の集乳団体が、買い取る生乳の乳脂肪率を3.2%から3.5%へ引き上げます。同時に規定に満たない生乳の買い取り価格を半値にしたことが大きく影響しています。日本の酪農家の9割以上は、こうした大手組織に生乳を出荷しています。

nakahora-holstinef1.jpg【Photo】中洞牧場の健康な牛は獣医や人の手を借りることなく仔牛を出産し、仔牛は半日もすると母牛の後を追いかけるようになる

 ホルスタインの場合、青草を食べる放牧では乳脂肪値3.5%は得られません。青草や稲藁など自給可能な粗飼料ではなく、多くを米国からの輸入に依存するトウモロコシや大豆粕など高カロリーの濃厚飼料が必須の存在となります。これを契機に広大な牧草地は不要となり、牛の運動量を抑制する牛舎飼いが普及しました。

1-camui_oxx.jpg バイオエタノール燃料としてのトウモロコシの需要拡大と円安による飼料代の高騰により、日本の酪農経営は非常に厳しい状況に置かれています。

【Photo】種牛の責務である世継ぎを設けるため、発情したメスのご機嫌をとりつつ「モ~、大変」と日々奮闘。中洞牧場の明日を担うオスのジャージー種「カムイ」

 とあるTV番組で、米国の某有名プレミアアイスクリームブランドが、原材料に採用した乳脂肪率4.0%の牛乳を生産する北海道東の農協が紹介されていました。一頭ごとの数値チェックによる給餌管理は、放牧と穀類を6割以上含む配合飼料を併用していました。

Y-ko.jpg 草食動物である牛に高カロリーな濃厚飼料を過剰に与えると胃潰瘍が頻発します。さらにケージ飼いの牛は足が弱るため、家畜としての寿命はせいぜい5-6年。20年といわれる天寿を全うすることなく一生を終えます。(参考:中央酪農会議HP

 獣医による人工授精で牛が人間の管理下で誕生する一般的な酪農とは違い、自然分娩で誕生する中洞牧場の仔牛は、母牛から生後すぐに引き離されることもありません。乳離れするまでの2ヶ月間は仔牛が飲んだ残りを人が頂くのです。本来、自然界では牛は少なくとも20年は生きるといわれる動物。

【Photo】中洞さんと現在の中洞牧場の最高齢1999年8月生まれの「Y子」。命名の理由は、生まれたばかりの頃の顔のブチがアルファベットの「Y」だったから

 中洞さんは獣医が「老衰死」と死亡診断書に記載する牧場は、日本中探してもウチぐらいだろうと笑います。一頭ごとに名前をつける中洞牧場における最高齢記録は、19歳で仔牛を生んだ雌「ボス」。現在の最高齢は8月で満16歳になる「Y子」。中洞さんに言わせると、一番の別嬪さんなのだそう。

1-19nerBoss.jpg【Photo】5~6年で家畜としての役割を終え、肉牛として出荷される日本の酪農では、仔牛を2回生むのがせいぜい。2013年の秋、中洞牧場では19歳のメス牛「ボス」が、15頭目となるであろう仔牛を生んだ

 自然交配・自然分娩による中洞牧場では、牛たちは広大な敷地で青草や灌木の葉を食(は)み、時に急斜面を移動しつつ、牛の生体リズムに合わせた生活を送ります。人が最低限の伐採を行うと、片っぱしから牛たちが枝の葉を食べ、次に下草を食べてゆきます。(中洞氏は牛による「舌草刈り」と呼んでいる)

1-yamachi038.jpg【Photo】枝打ちした広葉樹の葉は、急斜面を登ってきた牛たちのご飯に早変わり。葉が無くなった枝は運搬が楽になり、作業効率が上がって一石二鳥なのだという

 ストレスフリーな中洞牧場で暮らす牛たちは、草を食べ続けるために第一胃が発達して胴体が幅広いのが外見上の特徴。こうした健康な牛が排泄する堆肥は、自然に生えてくる生命力が強い野芝の養分となり、次第に大地を覆ってゆきます。

1-19er-boss2.jpg【Photo】泌乳量を高めるため、高カロリーな配合飼料を与えて牛に負担を強いる日本の酪農では例外中の例外と言ってよい19歳で仔牛を生んだメス牛「ボス」の搾乳

 安価な輸入材に押されて林業が衰退し、日本の山林の多くは管理が行き届かず荒れ果てています。保水力が弱まった山は土砂災害を誘発しています。

 世界の飢餓人口は8億人以上。ヒトの食糧となるトウモロコシではなく、食料資源として競合しない野芝と乾草を飼料とする山地酪農。中洞牧場の取り組みは、放置されたままの国土の7割を占める山林と共生し、資源低投入型の持続可能な酪農の在るべき姿を提示しているように思います。

 中洞牧場では、生乳に摂氏65℃で30分の低温保持殺菌を施します。これは生乳の味を大切にするため。同様に生クリーム成分である脂肪球を砕かないノンホモジナイズ製法のため、中洞牧場牛乳は静置しておくと、上からバター状の脂肪球、生クリーム、牛乳の三層に分かれてきます。

1-DSCF6030.jpg 草食の証であるうっすら黄色がかった中洞牧場牛乳を、軽く振って一口飲んでみましょう。哺乳類のDNAを細胞レベルで歓喜させる豊かなコク、生クリーム由来の甘い香り、スッキリ爽やかな後味に感動すら覚えるはず。

 乳脂肪率が高い牛乳=美味しい牛乳だと思っておいでの方は、乳脂肪分3.0%以上との記載に驚きを禁じ得ないでしょう。水分が多い夏草を食べる季節は、それが自然の摂理。自家調達する干し草を雪の上で与える冬期間は、数値が3.5%近辺まで変化します。

【Photo】前回「Il dolce e l'amaro スウィート & ビター〈後編〉」において既報の通り、仙台藤崎本館地下2Fで中洞牧場牛乳を取り扱う(720mℓ1,180円 500mℓ 810円 130mℓ 270円)

 日本で流通する9割以上の牛乳は、処理効率と殺菌効果の高い120℃以上で1-3秒の超高温瞬間殺菌を採用しています。どうやら高乳脂肪率信仰に支配された日本の消費者は、加熱により牛乳のタンパク質が変性して焦げた味をコク、ねっとりとしたしつこさを濃厚な旨味だと勘違いしているようです。

Leonardo_da_Vinci_attributed_-_Madonna_Litta.jpg 〝牛の血液から生成される牛乳を人間が飲むこと自体が不自然〟を筆頭に、〝乳糖不耐症が多い日本人はタンパク質を分解する消化酵素を持ち合わせていない〟とか、〝乳糖が骨粗鬆症を引き起こす〟など、納得しうる論拠に乏しい牛乳悪者論がネット上を中心に散見されます。

 牛の乳を人間が飲むのが不自然なる説が正しければ、乳離れ後の赤ちゃんがタンパク源を得るために残された唯一の道は、人食い人種。

 〝極端な情報に振り回されず、偏った食スタイルを見直し、バランスのとれた食生活を送るべき〟との正鵠を得た意見に救いを見る庄イタであります。

 永遠の都ローマを紀元前753年に建国した双生児ロムルスとレムスは、テヴェレ川に捨てられ、オオカミの乳で育ちました。これは神話の域を出ませんが、食事もワインもイタリア偏重の生活スタイルを変えるつもりは毛頭ございません。(^ ^;

【Photo】レオナルド・ダ・ヴィンチ作「授乳の聖母」(〈右上〉サンクトペテルブルク・エルミタージュ美術館所蔵) 作者不詳「カピトリヌスの雌狼」(〈下〉ローマ・カピトリーノ美術館所蔵 ※近年の研究により、紀元前5世紀エトルリア時代の作という定説が覆り、中世説が有力となった)

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中 洞 牧 場

住:岩手県下閉伊郡岩泉町上有芸字水堀287
・Phone:050-2018-0112
・URL: http://nakahora-bokujou.jp/index.html
・事業主体:農業生産法人 株式会社 企業農業研究所
       株式会社 山地酪農研究所
・見学随時:詳細はコチラ参照
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2014/11/16

発進! みちのく潮風トレイル

新たな地平を求め、歩く速さで旅しよう。

 旅を愛する者として、移動手段のスピード化がもたらす恩恵を否定はしません。仙台-函館間をおよそ2時間半で結ぶ北海道新幹線新函館開業は、確かに楽しみではあります。ですが、移動速度が増すほど、旅の印象は、希薄にならざるを得ない側面があることもまた否めません。

mutsuminato-stn2014.jpg【Photo】八戸市街から蕪島・種差海岸方面への道すがら、早起きしてでも訪れたいのが、「イサバのカッチャ(=市場のお母さん)」像が出迎えるJR陸奥湊駅前の朝市(上写真)

isaba-kaccha.jpg【Photo】日曜以外の早朝3:00~正午まで、水揚げされたばかりのピッチピチの魚介や惣菜などを扱う市が並ぶ「陸奥湊駅前朝市」には、大型の物販・飲食施設「八食センター」とは違った魅力が充満。今年7月中旬の訪問時は、店頭でウニの殻を剥くカッチャと馴染み客との南部弁を駆使したほとんど意味不明な会話や、爽やかな苦味のある八戸の伝統作物「糠塚キュウリ」とも出合えた

ichiba-gohan2014.jpg その土地の光や風を肌身で感じ、街並みや人々の暮らしぶりに触れることで、旅先の印象はずっと濃密になります。歩く速度で旅することで、あっという間に風景が切り替わってゆく車窓越しでは決して得られない出合いや感動が待っているはず。

【Photo】昭和の雰囲気漂う陸奥湊駅前通りや、入口に惹かれた市場の地階を一巡。店の下見をした上で、朝ご飯を食したのが朝市の一角、八戸市営魚菜小売市場にある「朝めし処」。活きの良い魚介とカッチャが居並ぶ市場で買った刺身や、脂乗りが良い大振りな八戸前沖サバの塩焼き(350円)など、店頭に並ぶ八戸の味を温かいご飯(100円)とともに早朝5時から10時まで頂ける(毎週日曜・第二土曜日・年始休)

 このほど青森県八戸市蕪島から岩手・宮城を経て福島県相馬市松川浦までの南北700kmを結ぶ新たな道、「みちのく潮風トレイル」が設定されました。これは東日本大震災からの復興に資する「グリーン復興プロジェクト」を推進する環境省による取り組みの一環です。

 山の頂きを目指す欧州発祥のアルピニズムとは違い、じっくりと時間をかけて里山を移動しながら自然と触れ合うことを目的とするロングトレイル。北米で1960年代に誕生し、総延長3,500kmに及ぶアパラチアントレイルをはじめ、米国では広く普及しています。
 
kosode-gyoko2014.jpg【Photo】放送終了から2年が過ぎた今も多くの「あまロス症候群」の観光客が訪れる久慈市小袖漁港。有村架純がブレイクした当たり役、若き日の天野春子の逃避場所であり、能年玲奈演じる主人公天野アキが海中にダイブした灯台はドラマそのまま。なれど昨年まで残っていた春子がマジックでなぐり書きした「 東京 原宿 表参道 海死ね ウニ死ね・・・」の文字は、もはやかすれて判読できないという

 信州・信越地域や北海道、九州など、日本には10箇所以上のロングトレイルが存在します(参考)。東北では初となるみちのく潮風トレイルは、社会現象化したNHK朝ドラ「あまちゃん」の舞台となった久慈市小袖と、八戸市でヒッチコックの名作「鳥」を実体験できる海鳥の一大繁殖地・蕪島の間が、昨年11月に先行開通しています。

kosode2-gyoko2014.jpg【Photo】天野アキが海女クラブの面々に素潜り漁を叩き込まれた小袖漁港。透明度が高い入江では、7~9月の間、観光客向けに海女による素潜りによるウニ漁の実演が披露される 

 北限の海女で一躍有名になった小袖を思い立って訪れたのは今年7月。まめぶ汁を味わい、能年玲奈演じる天野アキが劇中で海に飛び込んだ灯台、夏ばっぱや美寿々さん、安部ちゃんら海女クラブの先輩に素潜り漁を教わった「袖が浜漁港」こと小袖漁港など、ロケ地を訪れるうち、あまロス症候群がむしろ重症化した庄イタ。

mamebu-jiru.jpg【Photo】久慈市山形町にある「道の駅白樺の里やまがた」(ふるさと物産センター)食事処「食楽」のまめぶ汁(500円)。特産の山形村短角牛を使用した焼肉定食やハンバーグ定食(1,000円)といったメニューも見逃せない

 来訪客がどこから訪れたかをシールを貼って自己申告するボードは、国内用と海外用の2枚が用意されていました。いまだ衰えないあまちゃん人気を裏付けるように、くまなく日本全国にシールが貼られています。そこで庄イタはまだ空欄だったITALYに緑色のシールを貼り、北三陸に確かな足跡を残してきました。\('jjj')/

 青森・岩手に遅れること1年近くを経た10月9日にルートが開通したのが福島県相馬市松川浦と新地町区間。宮城で整備が遅れていた理由は、3年8カ月前に発生した東日本大震災で最多の犠牲者・行方不明者を出し、復興はおろか復旧すらままならない被災地の現状があります。

kesenuma_2014.7.16.jpg【Photo】被災前は事業所や店舗が並んでいた旧JR南気仙沼駅方向を、気仙沼市仲町の旧河北新報気仙沼総局ビルから見た今年7月の光景。これが震災から3年半を過ぎた被災地の現実〈click to open another cut

 五輪開催のために街並みが一変したという50年前を彷彿とさせる莫大な社会資本が、半世紀を経た今、再び東京に集中投入されています。建築資材高騰と人手不足が、人々の記憶の片隅に追いやられた感すらある被災地復興の重い足かせとなっている現状には、東北の視点から疑問を呈さざるを得ません。

 輝きを増す光と深い影とが交差し、複雑な想いが去来する中で、700億もの国費を投じて解散総選挙が行われようとしています。〝誰がやっても同じ〟という、よく耳にする諦めの連鎖からは決して潮目の変化は生まれません。来るべき師走選挙では、納税者の権利はしっかりと行使しようではありませんか。

frier-michinoku_trail.jpg 暦の上ではノヴェンバ―となった11月1日(土)、宮城でのキックオフイベント「みちのく潮風トレイルフェスティバル! in 石巻・女川」が、石巻市の中瀬公園で開催されました。次回「駅弁? 空弁? いいえ、道弁です」では、その模様をご報告します。

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2014/08/03

夏だ! 海だっ!! ウニだぁ~!!!

Porco Rosso @ Ofunato 大船渡 ポルコ・ロッソ

 郷土再生の槌音が響く南三陸に、深い地元愛を感じさせる1軒のトラットリアがあります。その名は「Trattoria Porco Rosso トラットリア・ポルコ・ロッソ」。1992年(平成4)に公開された宮崎駿監督の映画「紅の豚」主人公、ポルコ・ロッソをどことなく彷彿とさせる風貌のオーナーシェフ、山﨑純さんが1998年(平成10)に郷里の岩手県大船渡市で開業したイタリアン・レストランです。

    locandina-porco-rosso.jpg figure-porco-rosso.jpg

【Photo】「飛べねぇ豚はただの豚だ」 1920年代のアドリア海を舞台に、自ら魔法をかけて空飛ぶ豚ポルコ・ロッソに姿を変えた退役イタリア空軍パイロット、マルコの生きざまを描いた宮崎駿監督作品「紅の豚」イタリア語版「PORCO ROSSO」(左)
大船渡「トラットリア・ポルコ・ロッソ」のカウンターには、トレンチコートとボルサリーノのソフト帽で決めたポルコ・ロッソのフィギュアが一体(右)

 南に向けて開けた大船渡湾は、開口部1km、奥行き6km。波穏やかな天然の良港です。南三陸特有の入り組んだリアス式内湾には、背後に迫る北上山地から滋養豊かな川水が湾内に流入し、ホタテ・カキ・アワビといった海の幸の養殖が盛ん。末崎半島の景勝地・碁石海岸の対岸に位置する長崎海岸や沖合の大ビラ磯・小ビラ磯といった岩礁などでは、5月末から8月中旬まで漁期となるキタムラサキウニが旬を迎えています。

cape-ozaki-ofunato.jpg【Photo】大船渡湾に突き出た尾崎岬から長崎海岸方向を望む。幼生を放流し、エサとなる昆布を増やすなどの地元漁師の努力によって、全国屈指の水揚げを誇る三陸のウニやアワビなどの漁業資源が守られてきた

 鉄路が寸断された現在は、BRT(バス高速輸送システム)が気仙沼との間を代行運行するJR大船渡線の終着駅、盛(さかり)駅から徒歩圏内のポルコ・ロッソ。盛駅は三陸鉄道南リアス線の始発駅でもあり、今年4月、運休していた釜石--吉浜間が復旧、全線運行再開を果たしました。実際の三陸鉄道の車両が登場したNHK連続テレビ小説「あまちゃん」冒頭の「きたてつ」こと北三陸鉄道開業シーンさながらの祝賀ムードに地元は沸きました。

 しかし沿線で暮らす住民が激減した今、その前途は復興への道のりと同様、楽観できるものではありません。沿線の風景は変わってしまいましたが、変化に富んだ海岸線と海の美しさ、無口でも情に厚い人たち、そして海の幸の美味しさは変わりません。

ofunato-onsen.jpg【Photo】末崎半島(右)と尾崎岬(左)に挟まれた大船渡湾の開口部付近には、ホタテやカキの養殖いかだが敷設される。湾を見下ろす高台の絶好のロケーションに大船渡温泉が先月末オープン(写真右下の建物)〈click to enlarge

 7月31日(木)には、大船渡湾を見下ろす高台に日帰り入浴可能な温泉を備えたホテル「大船渡温泉」が開業。そこで起きた現実を目に焼き付け、世界三大漁場に数えられる三陸の幸を味わい、肉厚の「恋し浜ホタテ」の産地・小石浜では、奉納されたホタテの絵馬が凄いことになっている駅舎が必見の「恋し浜駅」など、沿線をじっくりと訪れてはいかがでしょう。

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【Photo】盛駅からほど近いトラットリア・ポルコ・ロッソ。東日本大震災の津波は、2.5kmほど港から内陸にある店の階段まで遡上してきた(左) 山﨑純オーナーシェフ。開店前の仕込み中に伺ったこの日は、コックコートではなく赤いTシャツ姿。「出来すぎやん!」と内心突っ込みを入れつつ、ポルコ・ロッソ氏にハイ、チーズ(右)

 東日本大震災では、コンクリート製エントランスの1段目まで津波が到達したというポルコ・ロッソ。店は津波被害は免れたものの、多くの取引先や知人が被災しました。不自由な避難生活を送る市民のため、山﨑シェフは1日2回の食事をピーク時で1日2,000食、通算17万食も作って届けるボランティアを5カ月続けました。7カ月後、店の再開に至る経緯は「わわプロジェクト」サイトを参照願います。

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【Photo】殻の腹面中央にある口で海藻類を食べて育つ三陸のキタムラサキウニ。漁期の8月中旬までは鮮度の良い生ウニがメニューにオンリストされる(左) 7月下旬、陸前高田市米崎のリンゴ畑では、特産のリンゴが次第に色付き始めていた(右)

trattoria-porco-rosso.jpg【Photo】木の温かさが伝わるトラットリア・ポルコ・ロッソ店内。カウンター席からは厨房がすぐ目の前。気さくなオーナー・シェフのキャラクターもあいまって、オープンキッチンの開放的で気取らない雰囲気の中、素材の持ち味を活かした料理を楽しめる

 東京とローマでの修行を経た山﨑シェフが、元々は銭湯だった建物の一角に現在の店を開いたのが1998年(平成10)。地元を離れて、改めて郷里の食材の価値を再認識したといいます。ポルコ・ロッソでは、昼夜ともに地元・南三陸の素材を積極的に取り入れており、夜はアラカルト、昼は4つのコース中心といったメニュー構成。

 大船渡の海の幸だけでなく、「無機と有機のカタチ」で特異な樹形に関して触れた陸前高田米崎特産のリンゴ、大船渡の西隣にある住田町「ありす畜産」の「ありすポーク」など、手書きの黒板メニュー(下写真。2014年7月中旬 click to enlarge)には、山﨑シェフが惚れ込んだ気仙地方の食材がふんだんに登場します。

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 前置きはこのあたりにして、春から夏にかけて庄イタが味わった「ランチコース(3,240円)」および「ドンナコース(コース名は女性コースなれど男性でも注文可。2,160円)」から一例をご紹介しましょう。(お手頃な「セットメニュー(1,300円)」とランチコースに魚料理か肉料理のセコンドピアットが付く「ポルココース(4,320円)」も選択可)

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【Photo】7月のある日、カウンターで頂いたランチコースより。〈アミューズ〉オーガニックなニンジンのムースとスカンピ(手長エビ)のジュレ、地物生ウニのトッピングカクテル(左)
5月。〈前菜盛り合わせ〉住田町ありすポークの低温ロースト・陸前高田市米崎町産細谷さんの無袋栽培完熟リンゴの無糖コンフィチュールのせ、自家製パンチェッタとサルーミ、カポナータのブルケッタ(右)

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【Photo】これも風薫る5月。〈温かい前菜〉真マスと米崎リンゴの重ね焼き、春野菜のアッロースト(左)
〈4種から選ぶ本日のパスタ〉春キャベツとアスパラ孟宗筍のスパゲッティ(右)

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【Photo】海が輝きを増す7月。〈温かい前菜〉キュウリウオ科の白身魚チカと米崎リンゴの重ね焼き、ナスとカボチャのアッロースト(左) 〈4種から選ぶ本日のパスタ〉地物焼きキタムラサキウニと活ホタテのクリームソーススパゲッティーニ。生ウニもオマケの大盤振る舞い特別バージョン(+800円)。悶絶必至(右)

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【Photo】クセになって再訪した8月初旬。〈4種から選ぶ本日のパスタ〉生ウニのクリームソーススパゲッティーニ。ふっくらとした生ウニの甘味が軽いガーリックとアンチョビの優しい生クリームと絡む(左手前) 焼きウニとホタテのクリームソーススパゲッティーニ。バターでソテーした活ホタテの旨味が加わった濃厚なクリームソース。絶品。(右手前)

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【Photo】セットメニューとドンナコースに組み込まれる「馬車に乗ったモッツァレラ」。パンでモッツァレラチーズを挟み焼きするナポリを州都とするカンパーニャ州の伝統料理「La mozzarella in carrozza モッツァレラ・イン・カロッツァ」(左)
〈ドルチェ盛り合わせ〉米崎・細谷さんのリンゴ果汁で作ったジュレ、大船渡牛乳と河内山さんの卵プルプルプリン、シェフに恋するカタラーナと、コクが増す順に食べるよう指定。プレートでは、スカーフを風になびかせたポルコ・ロッソ(山﨑シェフご本人かも?)が、グーサイン b(^ー°)(右)

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jun-yamazaki2.jpgTrattoria Porco Rosso トラットリア・ポルコ・ロッソ
住:岩手県大船渡市盛町字町10-1
  (ショッピングセンター「サンリア」並び)
Phone:0192-26-0801
営:11:30~15:00(L.O.14:00) 18:00~22:00(LO21:00)
火曜定休(ただし「年中夢中」) 18席 カード不可 
P:3台(店の前が満車の場合はご相談を)
最寄駅:JR大船渡線/三陸鉄道南リアス線 盛駅徒歩約4分

シェフの気まぐれブログ:
http://ameblo.jp/porcorosso-blog/  

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2014/04/13

Ti piace la pizza napoletana?(=ナポリピッツァはお好き?)

庄イタ流 避寒術 vol.2
ナポリピッツァ紀行@盛岡Piace

capitalism_SATOYAMA.jpg 森林資源活用による新たな社会価値創造を提唱し、ベストセラーとなった「里山資本主義」の著者である地域エコノミスト・藻谷浩介氏の講演を聞く機会がありました。

 五輪招致成功に湧く東京では、2000年から2010年までの10年で、現役世代の人口比率が頭打ちから減少へと転じ、65歳以上の人口比率が加速度的に増加しています。団塊の世代が退職年齢を迎え、介護施設への入所がままならない待機高齢者問題が首都圏では深刻化しています。その一方、東北では、過去10年で高齢化の進展に歯止めがかかりました。人口減少で未来の展望が描けない地方、活力ある首都圏という構図は、もはや過ぎ去ったと藻谷氏は強調します。

 生きるために不可欠な食料燃料を金銭で調達することに何ら疑問を挟まず、繁栄を謳歌してきた戦後ニッポン。物流が麻痺して水と食料と燃料が消えた2011年3月11日からの数日間。関東以北では、戦後の食糧難を乗り越え、高度成長を成し遂げて以降、初めて生存を脅かされる情況に追い込まれたはずです。いかに手元に現金があろうと、それは役に立たず、営々と築き上げた社会システムが、いかに脆弱であるかが露呈しました。

 最たる例がコンビニエンスストア。発注システムの機能停止で震災後アッという間に店頭から食品が消え、その後は内側から盗難防止の目張りをして店を閉めたまましばらく機能停止に陥ります。震災から1カ月ほどの間、仙台で頼りになったのは個人経営の専業店や小さな食品スーパーです。

co-op-miyagi-tomizawa2011.3.16.jpg【Photo】2011年3月16日みやぎ生協富沢店。頻発する強い余震と雪が舞う中、食料を求めて整然と並ぶ人々(画像提供:みやぎ生活協同組合 出典「河北新報震災アーカイブ」)

 震災発生当時、宮城県内で48店舗を展開していた「みやぎ生協」は、名取市閖上と石巻の店舗を津波で閉鎖する打撃を受けつつも、延べ500名以上を派遣した「コープこうべ」ほか全国の生協組織の物心両面の支援を得て、被害が甚大だった沿岸部などの災害時応急物資協定を結んでいた県内22自治体に緊急物資と希望を届けました。

 グループを挙げた支援体制で生活物資を調達、震災発生からわずか2日で営業を再開したダイエー仙台店には、寒空のもと、カセットコンロ用ボンベや食料を求め、多い時には勾当台公園付近まで1km以上にも及ぶ長蛇の列ができました。目指す日用品売り場には、当時入手が困難を極めた生鮮品・牛乳・ボンベなどが揃っていました。

 藻谷氏が提唱する里山資本主義と対極にある「マネー資本主義」の行き着く果てがリーマンショックと、そこからギリシャ・スペイン・イタリアに飛び火したユーロ危機です。マネーゲームに明け暮れる拝金主義と無縁の人々は、そうした騒動には動じない強さを備えています。
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 藻谷氏が物流と情報が途絶する逼迫した情況下でも、秩序が保たれた理由として著作中で挙げ、講演でも述べられたのが、東北の食料自給率の高さ。水と食料とエネルギーの一大消費地である東京の縮図的な仙台ですら、親類縁者に農家が存在する場合が多く、主食のコメに関しては送られたストックで急場をしのげたというのです。このほど文庫化された「河北新報のいちばん長い日」にある通り、震災発生直後から不夜城と化した勤務先でも、限られた量ながらコメが集められ、女性社員が中心となり組織された「おにぎり部隊」によって、泥だらけになって取材の最前線に向かう記者の兵糧が確保されました。

 水と食料と再生可能エネルギー資源の宝庫でもある東北。研究者の間ですら日本では起こり得ないと考えられていたM9.0の破壊エネルギーにより、震度6強(宮城野区)の揺れに見舞われた仙台では、津波浸水域を除き、都市ガス以外の社会インフラは震災後1週間でほぼ復旧しました。中心部の地盤が強固なうえ、1978年(昭和53)に発生した宮城県沖地震(M7.4)後の法改正で建築物の耐震基準が強化されており、はからずも都市機能の強靭さを実証した格好です。

 講演の冒頭、旧長州藩出身の自分が東北に来て偉そうなことを語るのは気が引けると語り、会場の失笑を誘った藻谷氏。安全保障上の観点から、国家中枢機能の仙台への一部移転を提唱しました。同郷人である安倍首相は、生きる糧を海外に依存する環太平洋連携協定(TPP)に活路を求める経済界におもねり、ご執心の対外的な脅威への備えに比べ、首都圏での防災対策は、とても万全とは言えません。

onagawa2014.3.15.jpg【Photo】今年3月16日に行われた復幸祭前日の宮城県女川町。ここにJR石巻線女川駅と町役場があった。今は大型工事車両が行き交い、復興に向けた槌音が響く。女川町では、この一帯を嵩上げし、水産加工施設ゾーン、旧「マリンパル女川」周辺の海沿いはメモリアル公園として整備予定

 現政権がいかに被災地復興の加速化を標榜するも、東京五輪の誘致は、復興の足かせとなる人手不足と建築資材の高騰という事態を招いています。消費増税後の休日に日本橋三越で書籍や食品など総額で約4万円の買い物パフォーマンスをTVカメラの前でしてみせた安倍首相。これはサラリーマンの平均的な小遣い1カ月分に相当します。その重みを果たして宰相は理解しているのでしょうか。...いささか愚痴を並べすぎたようです。この辺で口直しを。

ponte_kaiun_primavera.jpg【Photo】♪春のうららの北上川...。そんな鼻歌が出そうな春の陽気のもと盛岡でもソメイヨシノが本日開花。北上川に架かる開運橋と冬の名残りを留める岩手山。目指すPiaceは駅から開運橋を渡ってまもなく右手

 安価な輸入材に押され、日本の里山の多くは放置されたまま荒れ放題です。そうした森林資源活用によるエネルギー安全保障の必要性と地方活性化を提唱する藻谷氏に倣って、岩手最北にあたる洋野町の薪を熱源とするナポリピッツァの話題に急転直下変わります。
 
piace_morioka.jpg全国の県庁所在地で、冬の平均気温が札幌に次いで低いのが盛岡。1月と2月の平均最低気温が-5℃台、寒波到来時には放射冷却によって-10℃台まで、過去には-20℃以下にまで冷え込んだことも。そんな盛岡を避寒目的でこの冬2回訪れました。それは「Piace ピアーチェ」のナポリピッツァを熱々で頬張るためです。

 オーナー・ピッツァイォーロ八柳達彦さんが郷里で開業したこのピッツェリアは、2001年10月のオープン。2010年に北上川に架かる開運橋にほど近い現在の場所に移転したのち、2011年(平成23)9月に東北で2番目、世界では373番目となる「真のナポリピッツァ協会」認定店となりました。
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 同協会日本支部支部長で、日本初の認定店「さくらぐみ」西川明男氏、副支部長「パルテノペ」渡辺陽一氏と審査を行ったのが、ナポリ本部の主任技術指導員であるガエターノ・ファツィオ氏。八柳さんは開業前にナポリ沖・イスキア島にあるガエターノ氏の店「Da Gaetanoダ・ガエターノ」で、半年間腕を磨きました。認定以来、シリアルナンバーの入ったカードを添えて師匠仕込みのピッツァを提供しています。

【Photo】ピアーチェのピッツァには、通し番号入りのカードが添えられる。認定番号にちなみ「3」と「7」がついた末尾番号は次回来店時に特典あり(右)

piace1_morioca.jpg【Photo】ナポリピッツァの美味しさの決め手となる生地の味を左右する水・酵母・小麦の配合具合を、長年の経験と勘で気温や湿度に合わせ微妙に調整する。小麦粉は世界で最も精製管理がしっかりしているといわれる国産と、本国のピッツァイォーロの支持が高いナポリの製粉会社「CAPUTO」の高精製率「tipo00(ドッピオゼロ)」の「Rinforzato(通称:サッコ・ロッソ)」を混合(左)

 JR盛岡駅から徒歩6分、車で訪れたなら複合商業施設「Cross Teraceクロステラス」の立体駐車場へ。そこからは店はもうすぐ。時間に余裕があればビルを素通りする手はありません。1F産直「賢治の大地館」は岩手各地の良質な産品が揃います。

piace3s_morioca.jpg イタリア・マルケ州のオーガニック製品生産組合「La Terra e il Cielo」など、国内外の安全で高品質な食品を扱う産直「ちいさな野菜畑」、「青龍水」や「大慈清水」といった伏流水の水場がある鉈屋町から、歴史ある町並みが残る紺屋町近辺、そしてハニーハント気分が楽しめる「藤原養蜂場」ともども、賢治の大地館は盛岡中心エリアの要チェックポイントです。

 クロステラスビル西口前の横断歩道を渡り、開運橋方向に歩みを進めると、窯で燃える薪火の香りが漂うPiaceはもう目の前。通りに面してガラス張りのPiace。ゆえに作業台に向かいGianni Acunto製薪窯の前に立つ八柳さんの姿を外から目にすることができるでしょう。

【Photo】薪の火加減に常に目を配り、対流熱で上昇する炉床温度は450度近辺に。火の通り具合を確認しながら、時おりパーラでピッツァの向きを変える八柳達彦ピッツァイォーロ(上写真)。ナポリピッツァの最大の魅力である生地の風味を知るには、トマトソースにモッツァレラチーズをトッピングせず、オレガノとニンニク風味の伝統的なナポリ生まれのマリナーラ(27cm・1050円)を(下写真)

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 昨年12月の訪問時は、昼の開店時刻11時より少し早く到着したので、八柳さんとあれこれ言葉を交わしました。ナポリで生まれ、世界中で愛されるナポリピッツァの本当の美味しさをそのままに、素材に恵まれた盛岡で多くの人に味わってほしい。そう八柳さんは語ります。

piace10morioca.jpg【Photo】ナポリピッツァの定番「ピッツァ・マルゲリータ」。ミニサラダとドリンクがセットされるランチメニューでは女性でも一枚いけそうな24cmの大きさでジャスト1000円。本場レベルの27cmにサイズアップされる単品オーダーは1300円

 庄イタと同様、かつて仙台の「ピッツェリア・ナプレ」で初めてナポリピッツァと出合ったという八柳さん。その言葉には、薪が燃え出すと摂氏500度に達する窯の炉内と同じくらい熱い思いが込められています。それでいて語り口は、表面がカリッと焼き上がったピッツァのコルニチョーネ(額縁)の内側のようにモチモチ柔らかいソフトなもの。

 八柳さんの話を伺いながら、庄イタの目線は、作業台の壁面に設えられた神棚の下へ。炉内の対流熱でピッツァを調理する際に向きを変えたり窯への出し入れに使う柄のついた器具「パーラ」と協会発行の認定証との間には、現在よりもスリムだった修行当時のガエターノ師匠の写真が飾ってあります。

 2012年3月、月刊誌Piattoの盛岡プチトリップ特集の取材スタッフを案内して食事に伺った時は、協会による審査時にガエターノさんが訪れた際の写真なども並んでいました。それも恩師への敬愛の情の表れなのでしょう。今年2月にお邪魔する前は、正月を控えた昨年末の訪問だっただけに、二次発酵させ熟成中の生地が「師匠へのお供え餅みたいですね」という庄イタのボケた突っ込みに苦笑いする八柳さんなのでした。

piace_caffe.jpg 日曜以外の月~土は、ミニサラダとドリンクがサービスされるランチメニューがあり、通常サイズの27cmより小さめ24cmサイズのピッツァ3種(マルゲリータほか)と旬のパスタ3種が選べます。ナポリから週3日空輸される水牛モッツァレラを使った協会認定店ならではの「マルゲリータD.O.C.」(2000円)もお試しを。

 そうそう、エスプレッソには前回軽くご紹介したナポリのロースター「Passalacqua パッサルアックア」の豆を使用していることを申し添えておきます。次回"Arriva a Napoli !? 白日夢@Caffè Passalacqua"では、堂々のナポリロケ敢行予定。

Continua / to be continued

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piace11morioca.jpgPizzeria Piace ピッツェリア・ピアーチェ

・住:盛岡市大通3-6-23
・Phone/Fax:019-624-1234
・営: 11:00~15:00(L.O.)14:30
   17:00~22:00(L.O.)21:30
・定休:日曜日  ・完全禁煙  ・カード不可
・2500円以上の飲食で、クロステラスパーキングまたはダイヤパーキングの30分サービス券進呈

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2014/03/16

無機と有機のカタチ

1a94646752251c584e497a57a7ba1bfb.pngニュートンも驚愕!! 
庄イタ、万有引力を発見せり? @陸前高田

 
 昨年12月、所用で大船渡に向かう移動の折、震災前は高田松原として知られた陸前高田の海岸線に沿って遥か彼方へと延びる建設中の架橋に目を奪われました。何故なら、それは横浜ベイブリッジはおろか、世界最長の吊り橋である全長3,900mの明石海峡大橋を彷彿とさせる巨大スケールゆえのこと。「命の道」として急ピッチで整備が進む復興道路こと三陸縦貫自動車道の唐桑高田道路区間が広田湾を跨ぐ雄姿かと思いきや・・・。

ponte1kibou.jpg【Photo】復元された奇跡の一本松を背景に車両が往来するR45の頭上を跨ぐ巨大な吊り橋。その正体は...。(別アングル拡大表示

 それは、旧市街南側にある標高120mの山を海抜40mの高さまで切り崩し、高台移転を果たすための宅地造成工事によって発生する土砂を、かさ上げを要する旧市街地域まで運搬する空中ベルトコンベヤー・プラント設備なのでした。3年前のあの日、出張先の青森から仙台へ移動するバスのカーラジオから繰り返し聞こえたのは「陸前高田の街が津波で壊滅した」という耳を疑うようなフレーズ。

ponte2kibou.jpg【Photo】高台移転用地となる背後の山から掘削した土砂を、かさ上げを要する高田地区などに運搬する架橋に設けられるベルトコンベヤーの出発点

 名取市閖上や女川などと同じく、原形をとどめないほどに根こそぎにされた陸前高田の惨状は、不足していたガソリンの供給が安定し、仙台の情況が少し落ち着いた同年6月、しっかりと目に焼き付けてきました。もはや枝先が枯れ始めていた奇跡の一本松近くのアスファルトの裂け目で懸命に咲く野の花に心救われたものです。

ipponmatsu_miracolo.jpg【Photo】猛威をふるう津波によって、ことごとくなぎ倒された高田松原のクロマツ林。唯一残った樹齢260年のこの巨木自身も、恐らくは予想だにしない形で、被災した陸前高田市民の心のよりどころとなった。塩害によって枯死し、根元から切り出される前、2011年6月に訪れた奇跡の一本松

 今は土煙が舞う茫漠とした更地となった旧市街地で、ひときわ目を引くこの吊り橋。支柱の高さ42.6m、橋脚の主塔間隔が220mあり、全長は3kmに及びます。ダンプカーによる搬出では10年以上を要する膨大な土砂を、3年で処理する能力を備えているといいます。大きな痛手を受けた陸前高田の将来を担う市内の小学生を対象に名前が公募され、応募総数236件から「希望のかけ橋」と名付けられました。稼働開始は3月24日(月)。架橋の名付け親となった9名と「ゆめちゃん橋」「がんばっぺし!ブリッジ」など、佳作に入選した児童も土砂搬送投入式典に招待されるそうです。

ponte3kibou.jpg 政府が最重要課題として掲げる「復興加速化」のシンボルとして陸前高田の人々が期待を寄せる竣工間近い希望のかけ橋を、日曜日に訪れました。コンベヤーは途中で枝分かれしており、高層の建物がない現在の旧市街地域で、圧倒的な存在感があります。それは郷土復活にかける陸前高田の人々の鋼(はがね)の意思を表すかのように、大地にしっかりと橋脚を据えています。陸前高田を新たに再生させる担い手となる子どもたちには、この吊り橋のように陸前高田にどっしりと根を下ろして、震災の記憶を末代まで語り継いでほしいものです。

ponte4kibou.jpg【Photo】陸前高田再生の足取りが加速することを期待される「希望のかけ橋」。左右に分岐した終点(上2点)からは、土砂を採掘する始点は遥か遠方(別アングル拡大表示

 震災犠牲者を悼み、教訓を後世に伝えるため、国は被害が著しかった東北3県に国営の「復興祈念施設」を設置する方針を打ち出しています。避難者の生活再建をまずは優先する福島は立地にまで話が及んでいませんが、国内最多の犠牲者・行方不明者3,961名が出た石巻が有力な候補地となっている宮城と同様、岩手県内最多の1,814名が犠牲または行方不明となった陸前高田が候補地に挙げられています。

ponte5kibou.jpg 奇跡の一本松と同じく震災遺構として市が保存を検討しているのが、建物内部の損傷が著しい道の駅「高田松原タピック45」。祈りの場としての復興祈念公園の整備もさることながら、そこで起こった想像を絶する出来事を何より雄弁に物語る震災遺構の保存は、焦眉の急だと考える庄イタ。慰霊碑と祭壇が設けられたそこには、盛岡中学(現・盛岡一高)の修学旅行で高田松原を訪れたことがある石川啄木の歌集「一握の砂」に収められた一節を刻んだ歌碑がありました。

 頬につたふ
 なみだのごはず
 一握の砂を示しし人を忘れず

意訳:「頬を流れる涙を拭おうともせず、浜辺から一握りの砂を手に取って差し示し、限りある人生を懸命に生きなさいと諭したあなたを私は忘れない」

 啄木の曾孫が揮毫したというこの碑によって、26歳で夭折した歌人が詠んだこの歌は、新たな意味を得て気仙地方の人々の癒しとなることでしょう。

muscat_cider.jpg 慰霊碑に立ち寄り、改めて震災犠牲者の冥福を祈ったのち、一部が先行して通行可能な三陸自動車道で、今月23日から供用開始となる陸前高田ICの先にあたる通岡IC近くの米崎(よねさき)を訪れました。そこは背後に緑豊かな北上山地が広がり、気仙川が鉄分などの養分を広田湾に運ぶため、カキ・ホタテ・ワカメなどの養殖が盛んで、定置網にかかる海産物にも事欠かない陸前高田にあって、リンゴやブドウの産地としての歴史を積み上げてきた地区です。

 1970年(昭和45)発売のロングセラー「マスカットサイダー」製造元である「神田葡萄園」をのちに創業する熊谷福松が、宮城県利府町から持ち込んだ和梨に次いでリンゴ栽培を米崎で始めたのが明治の中ごろ。これが岩手県におけるリンゴ栽培の嚆矢となりました。

 岩手は全国第3位のリンゴ産地で、その主産地は県南部から挙げると奥州市江差区、花巻および盛岡周辺、二戸など。そうした内陸部と比べて年間日照時間が長く、平均気温が高い陸前高田では、収穫の最盛期となる11月末でも比較的温暖ゆえ、糖度の高い蜜入りリンゴが収穫できるといいます。岩手でのリンゴ栽培の特徴は、脚立を使った高所作業を極力減らし、作業効率を上げるため、果樹の高さを低く抑制する矮化(わいか)栽培が普及している点。

pom_yonesaki.jpg【Photo】「奇跡のリンゴ」で知られる木村秋則さんの自然農法を実践するリンゴ畑ほか、日本一のリンゴ産地である弘前のリンゴ畑では見たこともないほど、枝が極端に下を向くよう剪定されたリンゴ果樹が見られる陸前高田市米崎町(写真上・下とも)

 米崎地区の高台では、150軒近くのリンゴ生産者が、およそ70haの栽培面積で、「ふじ」「ジョナゴールド」「王林」などの品種を栽培しています。高齢化が進むリンゴ農家にとって、矮化栽培は作業負荷を軽減するため歓迎されます。桜前線を追いかけるように北上するリンゴの芽吹きと開花に向け、訪れたリンゴ畑では枝の剪定と有機質肥料の施肥を終えていました。葉を落としたリンゴの果樹は、四半世紀前から導入された矮化栽培が徹底され、ほとんど全てが特異な姿格好をしています。

pom_yonesaki2.jpg 枝から落下するリンゴをもとに「全ての物体は互いに引き合い、その力は物体の質量の積に比例し、距離の2乗に反比例する」という万有引力の数式(banyuuinnryoku.jpg)につながる発想を得たのが、近代物理学への扉を開いた天才アイザック・ニュートンです。

 あたかも大地に引き寄せられるかのように、まるで稲妻のごとく下向きに枝を伸ばす米崎のリンゴ。ニュートンが米崎リンゴの極端に矮化した樹形を目のあたりにしたら、これも地球の引力のなせる業なのかと目を皿のように丸くして、「驚き桃の木リンゴの木!!!」と叫んだかもしれませんね。

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2013/07/21

箸で食するソフトクリーム

マルカン百貨店のあっぱれソフトクリーム
昭和ノスタルジアな王道デパート大食堂@イーハトーブ花巻


 北上山地育ちの日本短角種を目当てに盛岡市紺屋町のイタリアン「Due Mani ドゥエ・マーニ」を訪れた日のこと。ここには短角牛のスペシャリスト、久慈市山形町の短角牛専門店「短角考房北風土」の佐々木透さんが牛肉を納めていますLink to Backnumber。これまで食したテールのボッリートやハツのソテーなど、産地ならではの素材を活かした小澤智範シェフの丁寧な仕事ぶりが光る小さな店ゆえ事前予約は必須のミッション。

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【Photo】ソフトクリームのはずが冒頭から肉塊の登場で恐縮ですが。。。稀少な日本短角種のさらに稀少な部位テールとハツのアレンジが光る盛岡ドゥエ・マーニの2皿。黒毛よりも強い短角牛のうま味が滋味に満ちた冬野菜と混然一体となったテールのボッリート(左写真)は骨までしゃぶり尽くす美味さ。 春から秋は野山を駆け巡っていた健康体の短角牛のハツは赤身肉のような食味。レアに火入れしたソテーに合わせてオーダーしたIL VEIの「Val Tidone Rosso」を使ったバルベーラ+ボナルタベースのソースとの相性はPerfetto!!(=完璧)

 予約時刻に遅れてはならじと早めに仙台を出発したので、予約を入れた12時までは時間の余裕がありました。そこで最寄の盛岡ICから4つ手前の花巻南ICで途中下車。目指すは花巻市中心部にある「マルカン百貨店」6Fの大展望大食堂。何故ならそこは噂に漏れ聞く名物があるのです。

MARUKAN.jpg【Photo】現社長の佐々木一(はじめ)氏の先代、故・四郎氏が1951年(昭和26)に創業した洋品店「丸乾」が発祥。当時隣にあった壽デパート跡地に建つ現在の「マルカン百貨店」は1973年の竣工。以来「マルカン」の略称で花巻市民に愛され続けている。金太郎飴のように画一的なテナントで構成される郊外店には真似のできない"新しきがゆえに尊からず"な店づくりで末永く頑張ってほしい。花巻が誇るべき文化遺産6階大食堂を擁する商業施設なのだから

 宮沢賢治の童話を寓意化したステンドグラスがある上町商店街のアーケード「メルヘンプロムナード」裏手側に2層の立体駐車場があり、誘導にあたる2、3人の男性の案内で下層に車を停めました。入庫時刻を刻印することも、駐車券を渡されることもないその駐車場は、太っ腹にも駐車無料なのでした。

 下町テイストの商品が並ぶ1F婦人服売り場は日曜日というのに人影まばら。エレベーターに乗り合わせた7名は、脇目もふらず全員が6Fまで直行です。その扉が開くと、デパートの食堂で高揚感を覚えた幼少の頃にタイムスリップしたかのよう光景が広がっていました(下写真)。日本橋と同じ「ランドマーク」という名に変わる前の仙台三越にも、かつては食堂がありました。半ズボンをはいてヤマハ音楽教室に通っていた頃はショーウインドーの中で燦然と輝くお子様ランチに胸ときめかせたものです。

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 そんな記憶をフラッシュバックさせるホール両サイドのショーウインドーには、蛍光灯で照らされた食品サンプルが目移りするほどバリエーション豊かに並びます。その数およそ250点!! 盛岡の予約をしていなければ、左右のウインドーをじ~っくりと品定めした上で「Cotoletta alla Milanese=(本来は牛肉を用いる)ミラノ風カツレツ」のように薄めのトンカツとスパゲティ・ナポリタンがサラダとともにハイブリッドにドッキングした驚愕のスペチャリテ(?)「ナポリカツスパゲティ」(550円)を注文したことでしょう。

marukan_reception.jpg【Photo】対面式の食券売り場

 プリンに誇らしげに立つ日の丸やシロップ漬けのサクランボが、今も昔も子ども心をわしづかみにするお子様ランチ(510円)ほか、卵焼きにたっぷりとケチャップがかかったオムライス(470円)、「いいね!」サインをしながらシュワちゃんが燃えたぎる溶鉱炉に消えていった「ターミネーター2」のようにカニのハサミがトロけたチーズの中でVサインをしているグラタン(450円)、アルデンテなパスタが日本で市民権を得る前に活躍したパルメザン粉チーズとタバスコがセットされるケチャッピーな「ナポリタン」(420円)など、昭和世代の郷愁をそそるメニューが満載!!

 生クリームてんこ盛りのいちごパフェ(580円)、どう見てもココアパウダーを振ったパフェにしか見えないティラミス(410円)など、お手頃価格でも盛りが良いメニューが多いように思います。盛岡にベツバラを確保しておかなくてはならないこの日は、花巻のローカル百貨店マルカンデパート大食堂の名をとりわけ有名にしている名物ソフトクリーム(150円)を一点買い。

 いかなる原価計算なのか、わずか40円の価格差で一気に1/3サイズとなるミニソフト(110円)、中ジョッキサイズの透明なカップに8合目まで収まった安定度が高いカップソフト(150円)や、コーヒーパウダーが載った大人のカップソフト(250円)といったバリエーションも。コーンからうず高くトグロを巻くソフトクリームの尋常ならざる大きさを目の当たりにして、連れと二人で一個をシェアすることにしました。

marukan_inside.jpg【Photo】番号札の立つテーブルの島ごと、ほうじ茶の入ったポットが律義に置かれる。食事を終えても追い立てられることなど決してないはずの全560席。近所から買い物に来ました的な寛いだ雰囲気に満ちた憩いのオアシス

 とやかくするうちにも、「今日はここで市民集会でもあるのだろうか?」と思うほどエレベーターで次々とお客さんが上がってきます。面白がって眺めていたウインドー前にはいつしか人垣が。営業開始から30分あまりを経た11時過ぎだというのに、すべからく先客がいる窓際だけでなく、広大なフロアのテーブルは4割ほどがすでに埋まっています。

marukan_inside2.jpg 「花巻市民は日曜ブランチでマルカンデパートの大食堂を利用しているのか??」 そんな疑問を抱きつつ人だかりをかき分けて食券を購入。省力化が進んだ昨今では当たり前な自販機ではなく、売り子の店員さんから食券を手渡されます。食券を手に番号札の立つテーブルにつくとフロア係がやって来て半券だけを残して厨房にオーダーを入れるのが、ここでのローカルルールのようでした。

【Photo】お母さんがナポリタンを食べる隣でお父さんがソフトクリームを食し、短パン姿の息子が向かいでラーメンを食する。遠野への鉄路の道すがら花巻にも寄ったであろう柳田國男が言うところの「ハレ」と「ケ」が一体となった家族の肖像がマルカンデパート大食堂の日常

 11時10分を過ぎ、周囲のテーブルは老若男女を問わず幅広い客層で埋まってゆきます。従業員食堂を兼ねているのか、館内で働く仕事着姿の人もちらほら。オープンキッチンのため、白衣姿の調理スタッフが立ち働く中の様子はカウンター越しに眺めることができます。席からざっと見回しても、先客はかなりの割合でソフトクリームを注文しています。厨房にはソフトクリームマシンが確認できるだけで6台も並んでおり、この大展望大食堂はソフトクリーム目当ての観光客はもちろん、花巻市民の広範な支持を受ける様子が窺えます。

marukan_softcream.jpg 広々としたフロアには、客を「ご主人さま」と呼ぶイマドキのアキバ系「メイド」ではなく、年齢層は幅広くともカチューシャ+制服姿のウエートレスがテーブルの間を行きかっています。久しくお会いしていない正統派ウエートレスさんに昭和世代の庄イタは萌え~ すべからくフロア係は制服ウエートレスではなく、ゆえに食券を手渡したのは偶然目が合ったアルバイト風のお兄ちゃんだったのが心残りでしたが(笑)。

【Photo】鎮座するだけで特別なご馳走に見えるステンレス製ソフトクリームホルダーを見るのも久方ぶり。高さ25cmはあろうかというマルカン百貨店名物のソフトクリーム

 正統派ウエートレスさんのみならず、時代が平成に変わって久しいことを忘れさせる店内の雰囲気を楽しめるのもこの食堂のサービスであるように思えます。例えばオレンジ色のプラスチック製割り箸入れ(上写真)や、ど~んと大きな醤油さしなどの卓上備品、楽しげに語らう周囲の人たちも大切な店の一部に映ります。

 運ばれてきたソフトクリームは噂に違わぬ難攻不落の巨大サイズ。周囲のテーブルではこれを箸を使って食べています。それに倣って時に横をこそげ落とすように、時に挟むように割り箸を使って食べてみると、それが理に叶った方法であることがわかります。軸は空洞になっており、こそげ落とす際に横向きに力をかけると、全体がピサの斜塔のように傾いてしまいます。バウムクーヘンのように箸で輪切りにするのが最も安定した食べ方なのでした。
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【Photo】庄イタの鉄則「Quando sei a Roma, vivi come i romani(=郷に入っては郷に従え)」に従い、世界をアッと言わせた旧グランドプリンスホテル赤坂新館解体工事のように箸で輪切りにして上から攻め落とすのが正解のマルカンソフトクリーム。焦ってヘタをするとこうなる

 2011年9月、被災地慰問で勤務先を訪れて下さった日世ソフトクリームキャラバンでご提供頂いた日世プレミアムソフト「北海道ソフトクリーム」や大崎市R47沿いの「あ・ら・伊達な道の駅」で扱うROYCEのレシピによる「伊達なソフトクリーム」(250円)ほどキメ細やかで乳脂肪分が多いタイプではありません。

 農水省の統計による人口10万人あたりの生乳生産量では、北海道に次ぐ岩手だけに、酪農県の心意気をソフトの並外れた大きさで表現したのでしょう。通常より低温で固めに練り上げるため、粘度が高く腰砕けになることも、溶けて流れ落ちることもほとんどないため、焦ってパク付く必要はありません。大柄だから、お手頃価格だからといって、決して雑な仕事などしないのがこの道10年以上の精鋭女性スタッフ。

 一人ですべてを平らげるとおなかが冷えることもあるでしょう。その時はポット備え付けのお茶を頂けばオッケーと至れり尽くせり。いやはや恐れ入りました。次回訪問時は胸ときめく食事メニューも頂くことにします。
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 【マルカン百貨店の場所を大きな地図で見る】
   

マルカン百貨店(通称:マルカンデパート)
住: 岩手県花巻市上町6-2
Phone: 0198-23-2968
URL : http://www.marukan-group.jp/
6F大展望大食堂: 営 10:30~19:00(L.O.18:50)全席禁煙
他フロア:営 10:00~19:00 無休 
※メニューの値段は2013年7月時点
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2011/07/17

酪農県の誇り、岩泉ヨーグルト

もうひとつの世界が認めた東北のこころ

IMG_2848-1.jpg【photo】昔ながらの山里の暮らしが息付く「バッタリー村」こと岩手県久慈市山形町荷軽部。放牧される牛が厩舎で過ごす冬に与える飼料用デントコーンと牧草が山あいの耕作地で育つ。岩手北東部では、3年に一度は冷害に見舞われ、栽培技術が向上する大正時代までは稲作が困難であった。五穀豊穣の五穀が、水稲・麦・アワ・小豆・大豆の5種類を指すように、弥生時代にコメが伝来する以前より、人々の命を支えた雑穀の豊かな文化が育まれた

2007_10kuji.jpg【Photo】内陸へ物資を運ぶ古道「塩の道」が通っていた山あいに開かれた久慈市山形町の牧草地で放牧される黒毛和牛と短角牛

 東北で酪農が盛んな地域といえば、旧南部藩が治めた岩手県北部の北上山地周辺を真っ先に思い浮かべます。農業生産の9割を酪農が占め、市町村単位では全国で2番目に酪農を営む戸数が多い葛巻町は、8,000の人口に対し、乳牛の数が11,000頭あまり。伊達62万石を支えた水田と屋敷林「イグネ」が平地に広がる旧仙台藩領の岩手県南部とは明らかに異なる傾斜地が多い北の風土のもとで、山の恵みを活かした炭焼きと牛飼いを生業とする循環型の暮らしが営まれてきました。

 農林水産統計によれば、肉用牛・乳牛とも飼育数が全国で最も多いのは、延べ面積が広い北海道。岩手は栃木に次いで乳牛飼育数全国3位、肉用牛は鹿児島・宮崎・熊本に続く5番目。一戸当たり平均飼育数は、全国平均で前年比微減の乳牛67.8頭・肉用牛38.9頭。県別では経営規模が大きい北海道が、乳牛107.5頭・肉用牛178.3頭と桁違いに多いのに対し、岩手は各34.7頭・14.9頭という少なさ(H22年度調べ)。山間地という地理的palazzo_kimoiri.jpg制約ゆえですが、言い換えれば、目が届く範囲の牛を手塩にかけて育てていることを意味します。

【Photo】7棟の南部曲り家を移築、江戸の山里を再現した「遠野ふるさと村」最大の古民家は、地元・附馬牛(つきもうし)の庄屋が暮らした江戸末期の家。写真右手が住居、左手は厩舎(右写真)

早坂高原【岩泉町】.jpg【Photo】標高900m前後の山間地になだらかな草原が広がる岩泉町早坂高原。冷涼な高原性の気候のもとで放牧される日本短角種(左写真)

 高原に開かれた牧草地「野場(やば)」では、春の訪れとともに牛の放牧が始まります。その群れは種付け用の牡牛1頭に対し、雌牛が40頭前後。牧草地を思い思いに移動しながらひと夏を過ごした牛たちは、晩秋に人里の厩舎へと戻され、自然交配によって春先に生まれた子牛が、母牛と共に野に放たれます。この冬季舎飼ないしは夏山冬里の暮らしのなかで生まれた人家と厩舎がL字型で一体となった「南部曲り家」は、牛馬を家族と同じく大切に扱うこの地域特有の住居形態です。

 久慈・野田・普代・宮古など三陸沿岸から内陸部の盛岡や鹿角へと続く「塩の道」を通り、塩や海産物を運ぶ賦役についたのが、在来の南部牛。黒毛和牛とともに、この地域で数多く飼育される日本短角種〈Link to backnumber 〉のルーツとなった牛を曳いた牛方が、山中で歩みを進めながら口ずさんだ牛方節をもとに作られたのが、「♪ 田舎なれども 南部の国は 西も東も 金の山」 と唄われる南部民謡「南部牛追唄」です。

 ホルスタイン種が葛巻町や岩泉町などに導入されたのは明治20年代後半。以来、酪農は農業生産額のほとんどを占める基幹産業として地域と暮らしを支えています。1976年(昭和51)には、のちに環境共生型の町おこしで目覚しい成果をあげる「葛巻町畜産開発公社」が発足。1984年(昭和59)岩泉で入植以降、畜舎に牛を戻さない日本初の通年昼夜放牧や、国産飼料だけによる牛の飼育をいち早く導入した中洞 正氏が、「中洞牧場」(2008年「しあわせ乳業」に社名変更)で森林資源維持にも寄与する山地(やまち)酪農を実践するなど、可能性に富む酪農が行われています。

袖山高原2-1.jpg【Photo】「ミルクとワインとクリーンエネルギーの町」を標榜する葛巻町のシンボル、風力発電の風車が回る袖山高原に放牧されるホルスタイン

 山林面積が町全体の93%で、森林の年間酸素排出量が400万人分の年間呼吸量に該当する107万1212トンに達する岩泉。1992年(平成4)に「酸素一番宣言」を行うほど、大気中の酸素量が多いのがこの町。豊かな森の2/3を占める広葉樹林が恵まれた水資源をもたらす素晴らしい環境のもとで牛たちは育ちます。2004年(平成16)には、町が事業主体となった第3セクター「岩泉乳業」が設立され、各町内の酪農家が出荷する高品質の原乳を使用した乳製品を製造・出荷しています。

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 生乳を全て岩泉乳業に出荷する沢中地区の阿部 隆一さん(53)は、脱サラしたお父様の跡を継いだ二代目。飼養するホルスタインは、徐々に頭数を増やし、現在38頭。奥様の恵美子さん・お母様の良子さんの3人で牛の世話をしています。飼料は自家調達するイネ科の牧草が中心で、全体の7割を占める粗飼料類の自給率は100%を達成。スノーブランドの信用を失墜させた食中毒事件で注目された生乳の衛生管理の信用度を知る指針となる細菌数は、国が定めた安全基準の1/2に過ぎない15,000/mℓという確かな品質。

 「基本に忠実なだけです」と控えめに語る隆一さんですが、酪農家同士の情報交換などを通し、品質を高めることに日々余念がありません。高タンパクの濃厚飼料を給餌する割合を高めて確保する搾乳量の全国平均が一頭当たり8,500kgといわれるなか、阿部さんは年間7,000kg余りに留め、牛に無理をさせません。牛にとって、岩泉は宮沢賢治が言うところの理想郷「イーハトーブ」にほかならないようです。

iwaizumi_plant_nuovo.jpg【Photo】今年5月下旬に完成した岩泉乳業のヨーグルト製造専用工場

 そんな恵まれた環境のもとで育つ牛から搾った生乳の風味を活かすよう、岩泉乳業では牛乳製造工程において一般的な120℃~150℃で2~3秒の超高温瞬間滅菌ではなく、85℃で15分間殺菌を行う高温保持殺菌を採用しています。これはタンパク質の熱変成によって牛乳本来の味を失わないため。脂肪球を破砕しないノンホモジナイズ製法で75℃15分の殺菌を行い、甘味の強い生クリーム成分がビン上部浮いてくる「くずまき高原牛乳」、63℃30分低温殺菌のしあわせ乳業「四季むかしの牛乳」ともども、牛乳本来の味を知る意味で、一度は試してみる価値はあります。

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 私が美味しさにハマっているのが、2006年夏に岩泉乳業が発売した「岩泉ヨーグルト」。同社には「岩泉のむヨーグルト」や生乳100%を発酵させたカップ入り「岩泉プレーンヨーグルト」もありますが、イチオシはたっぷり2kg容量(1,200円)とジャストサイズな1kg(800円)の2種類がラインナップされる業務用の加糖タイプ(右写真)。クリーミーでまったりとした口どけ、ほのかな酸味と優しい甘さの黄金比率、記憶の奥底に刻まれた離乳前の幸せが蘇る(?)おっぱいの香り...。そのいずれもがこれまで食べてきたヨーグルトには無かったものです。原料表示に生乳・砂糖・乳製品(=乳酸菌)とある通り、素材は至ってシンプル。加糖してはいますが、生乳由来の甘さを感じる程度で、甘さにしつこさはありません。

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 保存料や食感を良くする増粘剤のペクチン・香料など食品添加物を加えず、この素晴らしい風味を生み出す要因は、原料乳の厳しい品質管理と発酵過程にあります。85℃15分間殺菌された生乳を35℃まで温度を下げ、種菌となる乳酸菌を加え、容器に充填の上、18時間をかけてじっくりと発酵を待ちます。一般的には、40℃の状態で4~6時間程度の発酵で酸度が0.8%程度に達した時点で、温度を一気に10℃ほどに下げて、乳酸菌の発酵活動を止めてしまいます。冷蔵状態でも乳酸菌の活動はわずかに進みますので、店頭に製品が並ぶ時点で酸度1%前後の食べ頃を迎えるのです。

 じっくり時間をかけて製造される岩泉ヨーグルトは、1/3 の時間で作られる大手の観点からすれば、はなはだ非効率的(笑)。なれど、家族同様に牛を大切にする酪農に生きる地域の皆さんでなければ、この味は出せないはず。地元の後押しや口コミでその美味しさが伝わり、売り上げは右肩上がりだといいます。昨年は需要に供給が追い付かず、品薄状態が続きました。そのため今年5月に生産設備を増設し、増え続ける需要に応えています。

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 今年5月、ベルギーに本部がある品質認証機関「モンドセレクション」は、岩泉ヨーグルトと岩泉のむヨーグルトに食品部門の金賞を授与しました。これは透明度世界一に認定される地中湖がある岩泉町の鍾乳洞「龍泉洞」で採取した伏流水を同町の第三セクター「岩泉産業開発」が製品化した「龍泉洞の水」が2001年に最高金賞に輝いたのに続く受賞です。食品の評価は、味・香り・外観・アロマ・舌触りなど官能上の基準と、成分・パッケージ・調理法なども加味した客観評価を照らし合わせて最低8人の専門審査員が100点満点で評価するのだといいます。金賞は出品されたなかから、平均総合点80点以上の製品に対して与えられます。

 岩泉乳業に生乳を全量出荷している前出の阿部 隆一さんは、今回の受賞は、生産者にとっても励みになると語ります。古くは日清製菓のココナッツサブレが金賞受賞を、最近ではサントリーのプレミアムモルツが最高金賞受賞をPRしたことで有名になったためか、日本からの出品ばかりが多いモンドセレクションが認めるまでもなく、その美味しさは以前からこのヨーグルトを愛用していた私が太鼓判を押します。そう、Viaggio al Mondo セレクション最高金賞として。
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岩泉ヨーグルト
製造元:岩泉乳業株式会社
Phone:0194-22-3800
URL:http://www.iwaizumilk.co.jp/cm/index.html
※ 仙台周辺では、スーパーモリヤ系列のビッグハウス富谷店・八乙女店・大野田店・小牛田店・築館店で岩泉ヨーグルト(1kg)と岩泉のむヨーグルト(750mℓ)を、それぞれ580円・295円の売価で扱う。
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2009/06/28

初めてだけど「まだ来すた」

農家レストラン「まだ来すた」 @ 奥州市胆沢区


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【photo】農家レストラン「まだ来すた」の目印は、散居村の中を延びる道沿いに立つ大きなこの看板

 私の身の回りでは、ほとんど耳にすることが無くなった宮城のお国言葉で「また来たよ」を意味する「まだ来すた」という農家レストランを初めて訪れたのは、日本三大散居の胆沢を訪れた日のこと。明治生まれの私のNonna(祖母)が時折使っていたものの、今となっては懐かしい響きを持つ maddachista とイタリア語ならば表記されるであろう(?)このお店。食事を終えた先客も思わず顔をほころばせた「また来(ご)ざいね~」(→「また来てくださいね」の意)という元気なはじけた声で来店客を送り出す農家のマンマ7名が5年前に立ち上げた農事組合法人によって運営されているのでした。

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 薪を積み上げた大きな木妻(キヅマ)で仕切られた敷地には、明治期に建てられた旧家の作業場を改装したというレストランの建物を挟んで、手前には入母屋造りの民家を改修した市営の農業研修施設、奥には馬小屋と納屋を改装した野菜ソムリエのいる産直「おだづめ」と南部小麦を使った焼菓子を扱う「おやつ屋」が併設されています。

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【photo】農家のお母さんとの会話が楽しいカウンター席ほかテーブル席が配置された「まだ来すた」店内 (上写真)
産直「おだづめ」(左下写真)と菓子店「おやつ屋」
(右下写真)


 引き戸を開けて店内に足を踏み入れると、梁を渡した高い天井と木製のカウンターとテーブル、昔懐かしいダルマストーブや仙台箪笥などが配置された民芸調の空間が出迎えてくれます。壁には筆書きの和紙が張り出され、この店の食に関する三つのこだわり宣言が記されていました。胆沢のものを使うこと。胆沢の心を伝えること。真心を大切にすること。

kamado_madakista.jpg【photo】自家精米した籾殻をダルマストーブの燃料にして炊く香り高いごはんが人気。かまど炊きならではの香ばしい「おこげ」もお願いすれば混ぜてもらえる

 提供する料理に使用される素材は、ほとんどが地元産だといいます。お米はもみ殻を燃料に釜で炊き上げる天日干しした特別栽培米ひとめぼれ。うどんに使用する小麦はグルテンが柔軟で腰のある仕上がりになる南部小麦の玄麦。豆腐には全量胆沢産の大豆を使い、たっぷりの野菜とおからを和えたハンバーグなどの「豆太郎」と呼ばれる料理として提供されます。籾殻の強すぎない柔らかな火で炊いたお米は、えもいわれぬ柔らかな香りを漂わせます。

mametaro_madakista.jpg【photo】豆太郎セット(左)

 肉類も当然地元産にこだわり、地元の地鶏、胆沢黒毛和牛、ランドレース種×大ヨークシャー種×デュロック種の交配種「やまゆりポーク」などを使用しているのだそう。この日は店自慢の糠釜ごはんに、豆腐と野菜のハンバーグ、サラダと小鉢、具だくさんの味噌汁、デザートにコーヒーが付いた豆太郎セットと、柔らかく煮込んだ奥州牛すじ煮セット(ともに1,050円)を頂きました。つやのある粒が立った香りのよいご飯はお代わり自由だというので、もう一膳所望しました。

oushugyu_madakista.jpg【photo】奥州牛すじ煮セット(右)

 ご飯を待つ間に眺めた壁の張り出しには「古き良き時代に新しさを知る 忘れかけていたなつかしい味がここにある 手作りの良さを地元素材で伝えたい 安心安全を真心をこめて」と書かれています。その言葉通り、化学調味料を用いない自然な味付けを施された飾らない料理は、いずれも食べる人を思ったお母さんのぬくもりが伝わる家庭の味なのでした。

 「また来ざいね~」という天真爛漫な明るい声に見送られて店を後にしました。

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農家レストラン まだ来すた
住所:岩手県奥州市胆沢区若柳字大立目19
phone:0197-46-4241  月定休
営:11:00-16:00 (4月-12月)
  11:00-15:00 (1月-3月・金土日のみ)
◆食べログもチェック⇒農家レストラン まだ来すた (和食(その他) / 奥州市その他)
昼総合点★★★☆☆ 3.5

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2009/06/21

散居ふたたび

「日本三大散居」@岩手県奥州市胆沢区

 歌舞伎「桜門五三桐」で京都南禅寺の三門の上に立った石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな。春の眺めは価(あたい)千金とは、小せえ小せえ。この五右衛門の目から見れば、価万両、万々両」と見得を切る名ゼリフ。そして松島の絶景を前に言葉を失った松尾芭蕉が、やっと捻り出した句「松島や ああ松島や 松島や」。これらはいずれも後世の創作で、どうやら史実とは異なるようです。

 今を遡ること320年前に記された紀行文「奥の細道」には、旅の最大の目的地であった松島訪問を果たした芭蕉の句が残されていません。満開の桜を前に雄弁な大盗賊とは対照的に、さすがの俳聖も浮島が生み出す奇観を的確に表現する言葉が見つからなかったのでしょう。isawa_sinistra.jpg【photo】焼石岳(写真奥)から奥州市胆沢区へと延びる扇状地は、水に恵まれた穀倉地帯。そこに日本三大散居のひとつに数えられる散居風景が広がっている

 この春、富山県砺波平野の浮島【Link to back number】が織り成す散居風景を前にした私も「絶景かな、絶景かな。この庄内系の目から見れば価万€(エウロ)、万々€ 」と口走り、「浮島や ああ浮島や 浮島や」と呟いたとか、呟かなかったとか...。コメ作りを営む人々が作り出した農村風景の白眉ともいえる散居。その特徴が最も顕著に見られる砺波平野を一年で最も美しいであろう時期に訪れた上は、残る日本三大散居も見ておかなくては。そのひとつ島根県出雲平野は、いかにETC装着車の休日高速料金が1000円といえども、さすがに遠いっす┐(´~`;)┌ 。京都議定書で掲げた ‐6%のCO2削減目標達成に協力するためにも、遠方への移動は差し控えることにしました。

isawa_destra.jpg【photo】見分森公園展望台から眺めた上写真の風景から東側に連続して広がる散居。屋敷の北西側を覆うように茂る居久根

 そこで5月24日(日)に訪れたのが、岩手県奥州市胆沢区の散居です。奥羽山系の焼石岳(1548m)南麓から流れる胆沢川とその支流が北上川へと注ぐ扇状地に位置する奥州市は、2006年(平成18)に 水沢市・江刺市・胆沢郡前沢町・同胆沢町・同衣川村が合併して誕生しました。そこはかつて大和朝廷に反旗を翻し、坂上田村麻呂に滅ぼされた蝦夷の英雄アテルイの本拠地であり、平安末期の平泉に黄金文化を花開かせた奥州藤原氏の勢力下にありました。廃藩置県後は岩手県に編入されましたが、戦国末期から江戸期には伊達氏が治めた地方です。

 東北自動車道を平泉前沢ICで下車、その地勢を確認するために、散居の様子が地上から確認できる展望台が整備された見分森公園展望台へと向かいます。小高い丘に造られた展望台からは、360度のパノラマが一望のもと。低い雲が垂れ込めたこの日は北に聳える岩手山と早池峰山こそ確認できませんでしたが、西側の雲の合間に残雪を頂く焼石岳と田植えを終えて間もない田んぼに囲まれた散居の様子が間近かに眺められました。砺波の散居展望台がある夢の平地区は、庄川を挟んだ山の上にあるため、散居とはいささか距離がありますが、この見分森公園展望台は散居村との距離が近く、「居久根(エグネ)」と呼ばれる屋敷林を備えた散居の様子が手に取るよう。散居を仔細に観察できる点では、胆沢の散居もなかなかですが、散居村自体の規模の大きさと屋敷林「カイニョ」を備え、ヨーロッパの町並みに相通じる統一感すら感じさせる切妻の住まい「アズマダチ」が点在する景観の美しさでは砺波に軍配が上がるでしょうか。
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【photo】
大きな杉木立と軒先程度の背丈の竹垣(写真右側)、青々とした生垣(写真左側)、が組み合わされた居久根。その一部(真ん中部分)が木妻になっている胆沢における典型的な散居

 鳥の目線で散居風景をしばし堪能した後、地域内を車で回ってみました。冬の季節風を遮るため、胆沢の散居は北西側を杉木立の居久根で囲まれています。数が少ないため探すのに苦労しましたが、居久根の一角を丸太や流木などを縦横交互に積み上げて、本来は稲藁や麦藁の屋根を葺いて(最近はトタンで代用されるケースがほとんど)、塀状にする胆沢地域特有の木妻(キヅマ)が残る家もわずかながら認められました。木妻はかつて焚き木用の薪として、風除けとして、さらには塀の代わりとして大切にされたのだといいます。岩手県内屈指の穀倉地帯ならではの伝統的な散居様式の住まいが点在する一方で、残念ながら没個性な今風の住宅や店舗が徐々に散居の景観を侵食している印象は拭えませんでした。
isawa_kizuma.jpg【photo】 昼食に訪れた農家レストラン「まだ来(き)すた」には、長さ10mはあろうかという「木妻」が組まれていた。薪を背丈ほどの高さまで縦横交互に積み重ねてトタン葺きの屋根をのせたそれは、立派な塀の役割を果たす

 世界文化遺産に指定されて以降、テーマパークと見まごうばかりに観光地化が進む白川郷はいささか興醒めにしても、先月訪れた世界文化遺産、五箇山に残る合掌造りの家々は、養蚕が盛んであった雪深い山あいの暮らしから生まれたものです。その幾つかが本来の用途を離れて資料館や土産物店・民宿などの観光資源として命脈を保っていたとしても、屋根の葺き替えなどの保守管理に大変な労力を要する歴史的な町並みが今も保たれていること自体は、とても尊いことです。水が豊かな扇状地ゆえに発達した胆沢の散居は、コメ作りを続けてきた先人の知恵と工夫の結晶でもあります。そんなかけがえの無い散居を末永く守り伝えてほしいものですね。

 散策の合間に立ち寄ったのは、散居村からほど近い旬の地の物を食べさせてくれる一軒の農家レストランでした。そのレポートは次回「初めてだけど まだ来すた」【Link to next issue】」にて。

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2008/06/25

元気いっぱい!放牧牛

いわて山形村短角牛 牧場めぐり


 「夏山冬里」で飼育される短角牛の放牧が始まったというので、先月中旬、仙台市青葉区にあるイタリアン「Enoteca il Circolo エノテカ・イル・チルコロ」の吉田 克則シェフと岩手県久慈市山形町に出向いて牧場の牛たちを見てきました。

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【Photo】霧にかすむ久慈市短角牛基幹牧場

 庄イタが提唱し、生産現場を料理人と共に訪問するツアーは以前にも実施しています。2006年7月には、山形県庄内町の立谷沢川沿いでオーガニックなハーブと食用鳩を育てる「スパール」の山澤 清さんや、同町で発酵サイレージなどの粗飼料や安全な国産配合飼料を与えて飼育される庄内牛、だだちゃ豆の鞘や稲ワラを食べて臭みのない肉質に育つサフォーク羊を手がける鶴岡市羽黒町の「花沢ファーム」、同町で飼育されるキメの細やかな肉と美味しい脂身が堪らない山伏豚を扱う鶴岡市みどり町の「クックミートマルヤマ」などにご案内しています。

 これがきっかけで、山伏豚を店の看板メニューとして成長させた吉田シェフの声掛けで、そのとき同行されたのが、当時、太白区向山に店を構えて間もなかった「AL FIORE アル・フィオーレ」の目黒シェフと、青葉区一番町「IL CUORE イル・クオーレ」の渡辺シェフでした。高い志を持った生産者と安全で美味しい食材を求める意欲ある料理人を単なる食べ手の立場を越えて「繋(つな)ぐ」のも、それぞれにご縁が生まれた者としては嬉しいことです。

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 遠征には絶好の好天に恵まれたこの日。朝9時に東北道 泉PA・スマートICで合流した吉田シェフ家族の alfa 155と私のalfa Brera は、危惧されたマシントラブルもなく高速を北上、予約していた盛岡市の「パイオニア牧場 」(上写真)に予定より幾分早い時刻に到着しました。

 〝牧場〟とはいうものの、牧場併設のバーベキューハウスではなく、 (吉田シェフは最初そのように思ったのだとか...^ ^;) 盛岡市街中心部にあるれっきとしたレストランです。オーナーシェフの多田 久雄さんは、岩手の風土が生んだ短角牛に深い愛着を持ち、これまでその味を伝えてきました。多田シェフにこの日用意いただいたのは、短角牛の厚切りリブロースとサーロインのバーベキューセット。

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【Photo】レストランパイオニア牧場でのランチ「短角牛のリブロース(左)とサーロイン(右)、旬の野菜いろいろバーベキューセット」

 あれっ?? 短角牛の味わいのバリエーションを体感してもらうため、予約の電話では多田シェフにシチューなどの煮込みなども出してくれるようお願いしたのですが、すっかり抜けていたようです。モォ~、多田シェフったらぁ。

sig.tada_pioneer.jpg 【Photo】ある時は岩手短角牛の伝道師、またある時はレストラン「パイオニア牧場」のお茶目なシェフ、多田久雄さん

 いずれにせよ、ここはグリルする肉のファンタジスタ、「Nicuyakista ニクヤキスタ」を自認する吉田シェフの出番。一定期間、冷蔵で熟成させてグルタミン酸やイノシン酸などの旨み成分を増した庄内牛や山伏豚をいつも店で提供している肉のスペシャリストでもあるシェフに「餅は餅屋」と" 焼き奉行 "をお願いする流れに。オフだというのにモーしわけない!?

 グリルした短角牛を噛み締めると、深みのある旨みが肉汁と共に滲み出してきます。吉田シェフも改めて短角牛の「赤身」の魅力を再確認したようで、「脂がしつこくないですね」とも。自然放牧で傾斜地の草原を移動しながら肥育される短角牛は、もとより脂肪分が少ないのですが、脂自体のしつこさがないため、食べ疲れすることがありません。

 持ち帰り用にと打診した自家製ビーフシチューの缶詰めは残念ながら在庫切れとのこと。すべて自分の手作業で缶詰めまでこなすため、「あれ作るのって、大変なの」と笑う多田シェフ。牛肉の旨みに溢れた短角牛のシチューは、フルボディなカベルネ系の赤ワインとよく合います。

 聞けば、今食べた肉は久慈市山形町にある短角牛専門の精肉店「食考房 北風土」〈Link to Backnumber〉から仕入れたものだそう。その北風土の佐々木 透さんとは、放牧場で翌日お会いすることになっていました。夕食を弘前のイタリアン「ダ・サスィーノ」で予約していた私たちは、多田シェフに見送られ、さらに北を目指しました。

【Photo】久慈市短角牛基幹牧場で放牧が始まった短角牛の親子。生後間もない毛羽立った子牛のかわいいこと!
bambinitankaku.jpg  海から吹き付ける冷たい東風「ヤマセ」の影響からか、八戸道を東に移動するに従って空模様がどんよりとしてきた翌朝。九戸(くのへ)IC近くの道の駅「おりつめ」で待ち合わせした佐々木さんの先導で久慈市山形町荷軽部にある「久慈市短角牛基幹牧場」を訪れました。

 肉付きの良い牛を集めるため、「エリート牧場」とも呼ばれるそこへは、牛舎へ牛を戻す「山下げ」直前の昨年10月以来の再訪です。海抜400m以上と標高が 高いため、5月なかばとはいえ肌寒さすら感じます。牧草地の中を進みながら「フンを踏んだら大変なので、足元に注意して下さい」とオヤジギャグをかます佐々木さん。確かに、あちらこちらにエリートたちが残した地雷が落ちています。侮るなかれ、この有機肥料は、牧草と土を肥やすミミズなどにとっての大切な養分となるのですから。これぞ資源低投入循環型畜産。

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【Photo】 放牧期間中の牛たちの主食は天然の青草

 5月9日に牛舎から放牧場に牛を移す「山上げ」をされたばかりの短角牛たちは、60 ヘクタールにも及ぶ広大な牧草地の思い思いの場所を移動しながら草を食み、あるいはリラックスしている状態で行うという反芻(はんすう)をしながら座り込んで寛いでいる様子。放牧中に自然交配される短角牛の出産シーズンは2月から3月にかけて。生まれてまだ間もない子牛は、甘え盛りで、母牛からあまり離れようとはしません。飼育環境が山あいの傾斜地のため、おのずと運動量が豊富になる放牧牛は、舎飼いの牛と比べて心臓が大きくなるそうです。

 佐々木さんが営む北風土で冷凍保管されている成牛の心臓を見せていただきましたが、私の拳ふたつ分ほどの大きさでした。高地トレーニングを積むアスリートと同じで、放牧中の短角牛は心肺機能が発達、心拍数が減少する一方、赤血球が増えて余分な脂肪の蓄積が抑制されるのだそう。これは、逆に出荷を控えた牛舎での肥育段階で与えられる粗飼料や配合飼料の吸収効率が上がる効果もあるのだといいます。

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【Photo】すぐにそれと判るたくましい体躯の種牛(中央)が、一頭のメスの後をついて離れない。実に職務に忠実なエリート君。健康な肉牛を提供してくれるよう、産めよ増やせよ、ってか

 母牛と子牛合わせておよそ200頭が放牧されている中で一頭しかいないオスの種牛は、ガッシリと体が一回り大きく一目瞭然。ストレスフリーな自然環境の中では、繁殖率も上がるらしく、メスの分娩間隔が短くなる傾向があるそうです。発情牛が発する匂いに誘われるのか、マッチョな種牛が一頭のメスの後を追うようについてゆきます。佐々木さんの話では、ハーレムさながらの環境に置かれた種牛は、山下げの頃になるとゲッソリしているのが解るといいます。(笑) 種付けの激務がたたるためか、去勢した牛と比べて種牛は寿命が短いのだそう。両手に花の? 種牛に「男はつらいよ」と声を掛けたくなりますが、ヤツは"トラさん"ではなく、"ウシさん"なのでした...(爆)。

【Photo】佐々木さんが厚い信頼を寄せる肥育農家のひとり、落安兼雄さん。「牛が可愛くてね」と目を細める

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 すっかり体が冷えてしまったところで車に戻り、ヒエやアワなど雑穀類を脱穀・製粉するためにこの地域で伝統的に作られてきた「バッタリ」こと水車小屋を復活させた「バッタリー村」を通り抜けて、出荷を控え牛舎で肥育中の短角牛も視察。その足で北風土に立ち寄り、ストーブで暖をとりながら作業場での佐々木さんと吉田シェフの食談義が始まりました。

 出荷価格に高値がつき肥育農家にとって収益性が高い黒毛和牛、それもA-5ランククラスの銘柄牛の人気が日本では高いですね。つい最近も岐阜の「飛騨牛」において、偽装が疑われる事例がありました。そんな霜降り信仰が支配する市場では出荷価格が引く抑えられがちな短角牛(黒毛A-2ランク程度の枝肉価格だといいます)を大切に守り育てる生産者に惚れ込んで北風土を立ち上げたという佐々木さん。

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【Photo】北風土の作業場で思いのたけを語り合う佐々木さん(右)と吉田シェフ(左)

 20年前、北東北3県と北海道で2万2千頭あまりが飼育されていた短角牛のメスは、今や6千頭ほど。採算性を理由に黒毛に切り替える生産者が後を絶ちません。一部では枝肉価格の向上を目的とした黒毛和牛との交雑(F-1化)がなされ、純血種の希少性は増しています。北風土では、飲食店との取引きに際して、まず料理人に飼育現場に足を運んでもらい、互いに顔の見える関係でパートナーシップを築きたいと語ります。

 吉田シェフは短角牛一筋の情熱家、佐々木さんの熱い語りに魅せられたようで、一時間以上に及んだ語らいの末、晴れて取引き成立。今回もこうして新たなご縁を繋ぐことができました。今月から屠畜・枝肉加工後4週間熟成させた24ヶ月月齢から28ヶ月月齢の食べ頃を迎えた短角牛を新メニューがエノテカ・イル・チルコロに登場しています。

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【Photo】 アラカルトはもちろん、プリフィクスのディナーコースでもチョイス可能な山形町産短角牛の煮込みグレモラータ風味。重過ぎない味付けのグレモラータソースが短角牛の個性を最大限に引き出してくれる。付け合せは吉田シェフがおまけしてくれた特別栽培米ササニシキのグリーンピースリゾット

 リブロースの煮込みグレモラータ風味と、未食ながらニクヤキスタが本領発揮する炭火でグリエするビステッカがそれです。鶏のブロードを使用した短角牛の柔らかな煮込みは、味覚中枢を至福の喜びで満たす肉の芳香がムンムン。細かくスライスしてオイルで炒めた玉ネギ・ニンジン・セロリに、レモン果皮の砂糖漬けと少量のニンニク・パセリで香り付けした Gremolata グレモラータソースが爽やかな柑橘系の香りを添えてくれます。仙台で由緒正しき山形町産のエリート短角牛が頂ける店はそうはありません。
百聞は一食にしかず。andiamo!(= Let's go!

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レストランパイオニア牧場
※現在は移転し「レストラン PIONEER FARM」として営業中
住) 盛岡市本町通2-1-34
Phone:019-656-6224
営) 11:30~14:30
   17:30~22:00(L.O.21:30)

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※現在は「カフェ・エ・デリ・チルコロ」に業態変更
Enoteca il Circolo エノテカ・イル・チルコロ
住) 仙台市青葉区国分町1-7-10 SKビル1F
phone/fax : 022-227-0180
休) 日曜・祝日 
営) 12:00 - 13:45(火~土)
    18:00 - 23:00(L.O.22:00)
◎アラカルトメニュー(ディナータイムのみ

岩手県久慈市山形町産短角牛の煮込みグレモラータ風味  2,800円
同上   ビステッカ(炭火焼ステーキ)   3,900円


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2008/05/03

うまっ!! 短角牛

短角牛一筋。熱い男の手ごねハンバーグ

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【Photo】岩手県久慈市にある「久慈市短角牛基幹牧場(通称:エリート牧場)」で。60ヘクタールにも及ぶ広大な放牧場でのんびりと草を食む短角牛たち

 思わず「うまっ!!」と口をついて出た「ウシ」の肉。そんなギャグはサラリと流してお付き合いのほど...(^0^;

 味を感知する舌の表面にある器官「味蕾(みらい)」の数が、およそ四万個まで増えて、人間に備わる五感のひとつ「味覚」が形成されるのは10歳前後の児童期とされます。加齢とともに味蕾は数が減ってゆき、成人では八千個が平均だといわれます。昨今、味を感知できない味覚障害の子どもが増加したことで、幼児期に味覚のトレーニングを積むことの大切さが改めて指摘されています。甘味・辛味・酸味・苦味・塩辛味と、古来より中国で分類された「五味」に加え、昆布やカツオなどのダシが生み出す「旨味」を感じる日本人の繊細な味覚を是非とも子どもたちに育みたいものですね。

 いわゆる"キレやすい"子どもやアレルギー体質の子どもの増加を見ても、毎日の食事を通して体内に取り込まれる化学物質が、遺伝子レベルを含めて人間に何ら悪影響を及ぼさないと言い切ることができるでしょうか?そのためには、スナック菓子やインスタントラーメンなどに使用される化学調味料と、市販の加工食品で多用されるタンパク加水分解物や防腐剤などの食品添加物の弊害から子どもたちを遠ざけなくてはなりません。 食にまつわる不安が増す時代だからこそ、子どもには良質で安全な食べ物を選びたいと思うのが親心。
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【Photo】牛舎で干草やサイレージなどを与えられ肥育中の短角牛

 子どもが好きな料理といえば、寿司、カレー、ハンバーグが定番です。食べ盛りのお子さんがおいでの家庭でも、家族で気兼ねなく行ける手頃な値段の寿司店が増え、今や寿司ネタも大方が輸入物に依存しています。

 成長期の子どもにとって良質なタンパク質の摂取は欠かせません。ところが、東南アジアのマングローブ林を伐採し、抗生剤を投与されて養殖されるエビや、不気味な排水を垂れ流しする中国から流れ出る大量の有機塩素系農薬やダイオキシン・水銀など、広く魚介の体内に残留する環境汚染物質も気になります。市販のカレールウには多くの場合、動物由来油脂や化学調味料・乳化剤・香料などが含まれます。

 「お肉大好き!」という子どもが多いなか、スーパーで扱う焼き鳥のは、産地を遡ると多くは劣悪な飼育環境で育つ中国産。BSEや鳥インフルエンザの発生が報告されて以来、食肉をめぐる不安も増大しています。「・・・いちいちそんなことを気にしていたら、何も食べられなくなる。」そんなお母さんたちの声が聞こえてきそうです。便利さと引き換えに失ったものは少なくはない。そんな思いがよぎります。

atsuiotokosasaki.jpg 東北の風土に根ざした健康で良質な牛肉だけを扱う精肉店をご紹介します。日本短角種(短角牛)を専門に扱う「短角考房 北風土」を岩手県久慈市山形町で営むのは佐々木 透さん(43歳)。かつて八戸藩と南部藩にまたがる三陸沿岸から北上産地を抜けて盛岡・鹿角といった内陸を結ぶ山間地を踏み固めて造られた"塩の道" を、塩や米を背に往き来したのが"赤べこ"の愛称で呼ばれた南部牛でした。傾斜地を歩むのに適した丈夫な脚を持つこの荷役牛と、1871年(明治4年)に米国から輸入されたショートホーン種(英国原産の世界三大肉用牛のひとつ)を交配して誕生したのが日本短角牛です。

kitafuudo.jpg【Photo】「北風土」の看板が目印の自宅兼事務所兼作業場「短角考房 北風土」で保冷中の肉を前に立つ佐々木 透さん

 東北の厳しい気候のもと、雪に覆われる冬は牛舎で過ごし、春に親子で山あいの牧草地に放たれて自然放牧で育ちます。夏の間、澄んだ空気と水のもと、広大な放牧地で豊かな牧草を食(は)みながら肥育されます。

 放牧期間中に自然交配がなされ、秋に里に降りる頃には、一回りも二回りも体が大きくなっています。そこでは牛の排泄物が土地を肥やし、牧草が育つ循環型の牧畜が成り立っているのです。この「夏山冬里」飼育によって、短角牛は大自然の中で暑さ寒さと病気に強い健康体に育ちます。こうして幾世代にわたって品種改良を加えられた肉用牛は、1957年(昭和32年)、固有の日本短角種として認定されました。現在、日本で飼育される肉用牛の95%は黒毛和種。霜降り信仰に支配された市場では、短角牛は乳牛並みの値段でしか取引されません。最盛期には300戸の肥育農家で年間4千頭あまりが出荷されていましたが、ここ10年でその数は1/4ほどに激減しています。人為的に網の目のようにサシを入れる霜降りの肉質に仕上げる黒毛和牛全盛の中、消滅の危機にある伝統食品を守る「味の箱舟」を推進するスローフード協会は、日本短角種をプレシディオ 〈注〉に指定しています。
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【Photo】。短角牛は温和な性格で人なつこい。牛舎で飼われる牛たちは、アポなし訪問者であるこちらに興味津々の様子で顔を出してきた

 短角考房 北風土の佐々木さんは、上質とされる黒毛和牛特有の柔らかさと甘味をもたらすのは、脂肪分だと語ります。ビッシリとサシが入った霜降り牛肉のとろけるような食感は、確かに脂身そのもの。牛舎の中で霜降りに仕上げるのに欠かせない濃厚飼料は、青草を食べる牛にとってハイカロリーなトウモロコシや大豆・油かす・麦などが主原料となります。濃厚飼料は、およそ9割を米国などからの輸入に依存しているのが現状。たとえ食味は優れていても、健康的な牛といえるでしょうか。かたや放牧中は傾斜地を移動しながら自然の青草だけを食べ、冬を越す牛舎では、干草や草を発酵させたサイレージ、デントコーンといった粗(そ)飼料で育つ短角牛。サシがほどんど無い肉質の短角牛は赤身が多く、しかもその肉には旨みの元となるグルタミン酸・アラニン・グリシンなどの成分が、黒毛和牛と比較すると飛びぬけて多いのです。噛み締めると口の中にじんわりと広がる牛肉本来の旨みと甘さ。短角牛は牛肉の美味しさを改めて教えてくれることでしょう。

 佐々木さんは高校時代、大手スーパーの精肉部門でアルバイトを始め、そのまま就職。肉を扱う技術を身に付けました。1995年に地元食材の加工・販売を行う目的で設立された第三セクターの「総合農舎山形村」の設立に協力。そこで短角牛と出合います。安全で美味しい地元原産の短角牛の良さをもっと多くの人に知ってほしいと考えた佐々木さんは、調理師免許を取得。惚れ込んだ生産者と消費者を直接つなぐため、7年後に農舎の職を辞し、2004年(平成16年)4月、短角牛を専門に扱う短角考房 北風土を自宅の裏に立ち上げました。地元の農協からの依頼で、食感を良くするため、肉の繊維に沿った包丁の入れ方や加熱の仕方、部位別の料理法など、短角牛の肉の扱い方を指南することに情熱を燃やす佐々木さん。モモ肉はカルパッチョに、肩ロースネックやスネ肉・モツは煮込み料理に、外モモや肩ロース・ランイチは焼肉やしぐれ煮にと、さまざまなレシピを公開しています。子どもたちが大好きなハンバーグを作り始めたのも、短角牛の美味しさを幅広い人たちに紹介したいという思いから。ミンチにした短角牛に玉ネギ・ニンジン・鶏卵などを加えたハンバーグの美味しさは評判を呼び、今では地元だけでなく、盛岡からも直接買い求めに来る顧客が増えたといいます。

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【Photo】ナイフが不要なほど柔らかいハンバーグからは、切らずとも肉汁が溢れ出る

 昨年10月、放牧地と牛舎をご案内いただくため、佐々木さんのもとを訪れました。短角牛にかける想いを滔々(とうとう)と語る佐々木さん。「熱い人だなぁ」というのが第一印象。BSE騒動以来、子牛の価格が跳ね上がったため、肥育農家の経営を圧迫しているのだそう。ご自宅で民泊を受け入れ、自ら調理した短角牛の料理を遠来の客に振舞っています。訪問を前に、あの感動を再び味わおうとハンバーグを先日注文しました。前回より若干値上がりをしたハンバーグは、1ヶ160gのものが2ヶ入りで900円。

 冷凍状態で届いたハンバーグの肉汁を逃さないため、佐々木さんの指定どおりに冷蔵室で解凍すること丸一日。こんがりとフライパンで焼き目をつけたハンバーグに佐々木さんオススメのニンニクを加えた醤油を加熱した香ばしいタレでハンバーグをほおばると、口の中にはたっぷりとした肉汁とともにふんわりとした肉の旨みが溢れんばかりに広がります。そこで口を突いて出たのが「うまっ!!」の一言。ぜひお子さんにこの短角牛のハンバーグを食べさせてあげて下さい。そして、できることなら人懐っこいこの牛たちが育つ放牧地を見せてあげて下さい。

 山での放牧を再開した短角牛と佐々木さんとの再会を果たすために今月再び久慈を訪れるので、改めて山での放牧の様子をご紹介します。 (⇒※レポートはこちらをClick!)

短角考房 北風土
岩手県久慈市山形町霜畑5-9 電話:0194-75-2370


〈注〉バックナンバー「Terra Madreテッラ・マードレに参加して」文末(注1)脚注参照のこと

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