あるもの探しの旅

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2017/03/12

当選スマすたー

善因善果 あるいは 因果応報

 前触れもなく届いた小包の発送元は青森県観光国際戦略局誘客交流課。読んで字の通り、青森県庁でインバウンドを含む観光に関する業務を担当する部署のよう。観光情報サイトアプティネットにもその部署名が出ています。

 送り状の品名欄には「目指せ東北6県制覇!スマホスタンプラリー プレゼント」と記載してあります(下画像)

 その下に「青森県特産品詰め合わせセット」とプレゼント内容が明記されたスタンプラリーのタイトルには心当たりがありました。

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 昨年7月15日から2017年1月9日まで、東北各県とNEXCO東日本は、初の共同主催による「高速道路でつないで集めるスマートフォンスタンプラリー」を実施しました。

 これは東北の観光スポット・道の駅・高速道路のSA・PAなど各地に設定されたラリー対象地点で、スマホの専用サイトにアクセスすると、自動的にスタンプがもらえる仕組み。東北各県の観光スポット5カ所+高速道路SA・PA1カ所で合計6カ所のスタンプをゲットすると、県単位の制覇賞に応募でき、各県の特産品が抽選で当たるという内容です。

 東北をフィールドに駆ける庄イタは、紅葉シーズンを迎える頃には青森から福島まで6県全てを制覇していました。

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 応募から時間が経過していたため、キャンペーンの存在すら忘れかけていた今日この頃。届いた小包を開封すると、「プレゼント当選のお知らせ」と記された挨拶状が入っています(上画像)

 みごと当選したのは、合計360名に当たる「1県制覇賞」。地元宮城や隣接する4県に先駆け、東北6県の中では最初にコンプリートした青森の特産品セットなのでした。

 思い起こせば、このキャンペーンに応募したのは昨年8月初旬。本州最北の青森を目指して自宅を出発したのは草木も眠る丑三つ時を過ぎた頃。仙台から東北自動車道を北進。休憩を挟みながら八戸には早朝に到着し、三沢から十和田・青森、黒石・弘前・五所川原を経て深浦まで4日をかけて青森各地を巡りました。

tori-iwakisan.jpg【Photo】本州最北の最高峰が岩木山(標高1,625m)。奈良時代後期の780年(宝亀11)まで起源が遡る山頂付近に鎮座する奥宮と本殿(国重文)に向かって参道が続く岩木山神社。古事記に登場する初代神武天皇の即位から数えて2,600年目にあたるとされ、国主導により、さまざまな記念行事が催された1940(昭和15)に創建されたことを示す「奉献 紀元二千六百年八月一日」の銘が入った一之鳥居越しに象形文字のような形状の岩木山が、頂きをのぞかせる

romon-iwakisan-jinjya.jpg【Photo】1589年(天正17)の岩木山噴火で焼失後、徳川3代将軍家光の治世下だった1628年(寛永5)に再建された楼門(国重文)。丹(に)塗り一色に染められた二層の入母屋造り。上層までの通し円柱に渡された梁の幅を指す桁行(けたゆき)17.7m、高さは17.85m

comainu-iwaki-destra.jpg comainu-iwaki-sinistra.jpg【Photo】楼門を囲む玉垣の標柱と一体化した極めて特徴的な狛犬。楼門に向かって右側の阿形(あぎょう)は柱で爪を研ぐネコさながら。逆立ちしている左側の吽形(うんぎょう)に至っては、これまたポールダンスに興じるネコさながら

chozu^iwakisan.jpg【Photo】ギリシャ神話が起源で、映画ハリーポッターと賢者の石に登場する地獄の番犬ケルベロスや、ゴジラのライバル・キングギドラを思わせる三つ頭の龍から滔々と流れ出る岩木山神社の手水。岩木山を源流としており、お清めだけでなく、極めてパワフルな印象の水。京都・清水寺「音羽の滝」と同じような柄の長い柄杓から手に取ってご神水をゴクリ。内と外から穢れを落として体内浄化したのが、今回プレゼント当選の決め手となったかも

 その詳細は、仙台でアムさんメロンとの奇蹟的な遭遇を果たした一件を記した「フェロモンメロン 奇蹟の遭遇@道の駅フェスタ in 仙台」に続く五回シリーズの長編で既報の通りです。〈2016.8拙稿「Breakfast at Mutsuminato 陸奥湊で朝食を」~2016.10拙稿「カレー + 味噌 + 牛乳 +バター 青森発。華麗なる四位一体ラーメン」参照〉

wespa_tsubakiyama2016.8.jpg【Photo】種差海岸から日本海側まで青森を横断、JR五能線の駅がある西津軽郡深浦町の宿泊施設「WeSPa椿山」で迎えた朝。グループやファミリーで楽しめる施設内に湧出する天然温泉「鍋石温泉」は、日本海に面したドーム型露天風呂で、泉質はナトリウム塩化物強塩泉 (高張性中性高温泉)。4月~10月までの天候が良い日は、ドームが解放され、眼下に広がる日本海の素晴らしい眺望と、肌触りの良いかけ流しの温泉を満喫できる。コテージの宿泊客以外にも500円で日帰り入浴可

 二度目となる八戸三社大祭では、奇想天外な山車のスペクタクルと時代行列や法霊神楽を堪能。涼を呼ぶ奥入瀬から硫黄の香り漂う混浴の千人風呂で名高い酸ヶ湯温泉に浸かろうと八甲田を越えて青森市入り。熱気渦巻く青森ねぶたの余韻冷めやらぬ翌日は、田舎館村で芸術的な田んぼアートに接し、五所川原では立佞武多(たちねぷた)のド迫力に圧倒されました。

carpaccio-casa-del-cibo2016.jpg【Photo】瞬間燻製した朝獲れ八戸前沖サバのカルパッチョ仕立て ハーブと茄子のピューレ。昨年8月、八戸市湊高台「カーサ・デル・チーボ」プリフィックスのCコース(2,950円)で5つの選択肢から選んだアンティパスト。海水温が低い北緯40度近辺の八戸近海で、不飽和脂肪酸を含む脂肪を組成の3割近くまで蓄える「八戸前沖サバ」。朝に水揚げされたサバを燻製仕立てにした一品。一昨年11月、同市六日町「サバの駅」で食したジューシーで香ばしい脂を堪能できる「銀サバ串焼き」(下画像)や「船上活〆(じめ)陸凍サバ」とはまた違った八戸前沖サバの魅力を再認識

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 ヒラメ漬け丼@陸奥湊「みなと食堂」、八戸前沖サバ炙り焼きの朝ごはん@市営魚菜小売市場、八戸イタリアン@「カーサ・デル・チーボ」、マリナーラ&ラニチキン@三沢「Pizzeria Massimo」、青森イタリアン@「Al Centro アル・チェントロ」などは、7月から8月にかけて2度の青森遠征で再訪。

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【Photo】八戸で迎えた2日目の朝。腹ごしらえをしようと向かった先は、JR陸奥湊駅前の昭和感が色濃く漂う市営魚菜小売市場。半身を平らげるとお腹がいっぱいになるサイズの八戸前沖サバの炙り焼きをメインディッシュに、小川原湖産しじみの味噌汁、長芋の千切りなど、南部地域の味が揃ったオリジナル朝ごはん

 新機軸としては、味噌カレー牛乳ラーメン@青森「札幌館」、同「味の札幌 大西」を挙げなくてはなりません。しじみラーメンを目当てに津軽半島十三湖まで遠征するも、お気に入りだった民宿岩亮は知らぬ間に廃業。代役に訪れたのが正解だった「しじみ亭奈良屋」のしじみづくしなど、ご紹介しきれないほどの美味との出合いを青森で果たしました。

shijimi-zukushi-naraya.jpg【Photo】(右手前より順に)しじみチャウダー・しじみラーメン・しじみ汁・しじみバター炒め・豆腐のしじみ南蛮漬のせ・漬物・津軽りんごコンポート・しじみ味噌と佃煮・しじみ釜飯。産卵を控えて身が肥えた十三湖特産の大和しじみを一度に味わえた北津軽郡中泊町しじみ亭奈良屋「しじみづくし」(1,836円)。

 イタリアと庄内への偏向ぶりが著しいViaggio al Mondoとしては珍しく、ほぼ青森一色だった昨夏。〝狭くディープに〟のコンセプトはそのままに宗旨替えをした格好となりました。

 それゆえ5回シリーズの青森紀行レポートを通し、微力ながら青森の交流人口の押し上げに寄与できたかもしれません。青森遠征の折に参詣した八戸・蕪島神社、青森・善知鳥(うとう)神社、弘前・岩木山神社の神々が、庄イタの行いをご覧になっていたのでしょう。

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 香川がうどん県なら、りんご県と呼びたいのが青森。小包には津軽産のリンゴ加工品が3種類、同封されていました。1品目は上北農産加工農業協同組合の焼肉用たれ「スタミナ源」(下画像)

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 発売から半世紀年以上を経たロングセラー商品で、県内シェアは7割と圧倒的。仙台でも目にする機会が少なくありません。

 青森県産の醤油をベースに、生産量日本一のリンゴやニンニクなどの野菜類、隠し味にリンゴ酢などを加えたまろやかな風味。焼肉だけでなく、万能タレとして愛されています。

 長さ10mほどの陳列棚の両サイドをスルメなどの乾き物系が埋め尽くし、呑ん兵衛な県民性が垣間見えるなど、ディープな青森の魅力を凝縮した食品スーパー「カブセンター」で購入していたのが、同組合のピリ辛風味焼肉用たれ「辛味家(画像右)でした。

 こうして頂き物をするだけではなく、ここ数年、夏に欠かせない「アムさんメロン」の食味コンテスト出品作を大人買いしたことは言うに及ばず、イタリア国旗と同じ配色の看板が庄イタには極めて好印象な地元資本のカブセンターで、当選の祝杯となったキリン一番搾り「青森づくり」や青森産リンゴ果汁100%のシャイニーアップルジュース「赤のねぶた」をケース買いするなど、あまたの青森県産品を購入していました。

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【Photo】当選の祝杯は、カブセンター八戸長苗代店で購入したキリンビール北海道千歳工場製の「一番搾り青森づくり」。2杯目が青森紀行の流れで訪れた秋田市で入手した「秋田づくり」。コチラは副原料に「あきたこまち」を使用。3杯目は同じく酒田で購入した「山形づくり」。いずれも同社仙台工場製。「●●づくり」というネーミングに横槍を入れた某同業者のように固いことは言わず、まずは乾杯!! \(●^^●

 東日本大震災が起きた2011年の秋、「どうぞ召し上がって下さい」と収穫したリンゴを庄イタの拙宅に送って下さったのが、弘前市でリンゴを栽培する一戸清隆さん。一戸さんへの感謝の気持ちを忘れず、クリスタルのようにキラキラした透明度が高い味わいのみずみずしい蜜入りリンゴを、購入時期をずらして毎年2回購入してもいます。

 そんな律儀な庄イタを当選とするとは、青森県観光国際戦略局誘客交流課の皆さん、お目が高い

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 2品目と3品目は「青森りんごキャンディ」と「まるごとりんごパイ 気になるリンゴ」。自社のリンゴ園を弘前市郊外に所有する菓子メーカーラグノオささきの製品です。とりわけ同社の「パティシェのりんごスティック」は、仙台でも目にする機会が多く、弘前を代表する菓子メーカーとしての地位を築いています。

 青森りんごキャンディを一粒ほおばると、中にはトロ~リとした濃縮リンゴ果汁が詰まっています。爽やかな風味のキャンディに、甘酸っぱい青春の思い出が蘇ります。

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 津軽を訪れると、リンゴ畑が地の果てまで続く風景を目にします。国内生産のおよそ6割を占めるリンゴ王国・青森の主力品種が「ふじ」。

 ふじは青森県南津軽郡藤崎町で育成され、完熟の証である蜜入りが良く食味の良さから海外でも人気が高い品種。

 まるごとりんごパイ 気になるリンゴは、ふじをまるごと1個シロップ漬けにし、芯抜きした部分にはジューシーなスポンジがぎっしり。全体をパイ生地で覆って焼き上げたスイーツです。

 サックリ&しっとりしたパイ生地の中身に隠れているふじは、収穫後間もない蜜入りリンゴのシャキッとした食感が残っており、なかなかに美味。

 スタンプラリー事務局の皆様、どうもご馳走さまでした。

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 善き行いが善き結果に結び付いた善因善果なこの一件。このように青森で訪れた蕪嶋神社・善知鳥神社・岩木山神社の神々による霊力のほか、もう一つだけ、心当たりとなる要因があります。

 2度目の青森遠征の折、日本海側の深浦を朝に発って秋田を縦断、庄内まで南下していました。秋田竿灯まつり最終日と重なったその日。秋田市青柳町にある本格ナポリピッツァの店「COSI COSI コジコジ秋田山王店」を再訪するも臨時休業。代打の「オステリア ムーリベッキ」は特筆すべき収穫が無いまま初訪店を終了。

 口直しは、6月に続いて訪れた甘味処「広栄堂」で。伏流水を冷却した氷柱を丹念に手回しして削り出したパウダースノーのごときフワフワの食感が素晴らしい61種類が揃う当店のかき氷。看板メニューは、とぐろを巻いたソフトクリームがトッピングされたかき氷、生グレープフルーツソフト。通称「生グソ」(笑)。

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【Photo】店頭に「生グソ始めました」の貼り紙がある秋田市民が愛してやまない甘味処「広栄堂」にて。生グレープフルーツソフト(通称「生グソ」/手前・500円)と生イチゴソフト(奥・520円)。綿菓子のようにふわっふわの氷の中に果肉がふんだんに入っており、着色シロップ風味の一般的なかき氷の追従を許さない美味しさもてんこ盛り

iwagaki2016.jpg 秋田市の最高気温が31度を超す暑さだったこの日。激混みの店内で頂いた生グソで勢いづき、日本海沿岸東北自動車道を山形県境まで南下しました。

 見慣れた庄内側とは左右が逆の姿で鳥海山が「お帰り~」と出迎えてくれた秋田県にかほ市で、お盆前には必ず立ち寄る道の駅象潟「ねむの丘」へ。その目的は天然岩ガキです。

 産卵期を迎え、ぷっくりと膨らんだ大ぶりな乳白色の天然岩ガキは、酷暑を乗り切る滋養豊富な夏が旬の海の幸。昨夏食べ比べた中で最も身入りが良かったのが、新潟・笹川流れ産でした。その味をたとえるなら♪ ミルキーはママの味

 生グソと生岩ガキでロングドライブの疲れも吹き飛び、酒田花火ショーと重なった酒田に滞在した翌日は鶴岡まで南下。秋田で食べ損ねたナポリピッツァを「穂波街道 緑のイスキア」で食した昼過ぎには36度を超える猛暑の中、海の守り神・龍神信仰の寺で、かつて人面魚で一世を風靡した善寶寺にも詣でていました。

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【Photo】善寶寺境内(部分)。(手前より)釈迦三尊と十大弟子、羅漢様など個性豊かな表情の木像500体を配した五百羅漢堂は、1855年(安政2)に落慶法要が執り行われた。1867年(慶応3)に上棟した山門は、見事な透かし彫りが施された二層造り。魚の供養を願って創建された五重塔は、1893年(明治26)に完成。すべて登録有形文化財。zenpoji_omamori.jpg

 開祖妙達上人の生誕1150年に当たった昨年。7月中旬から10月末までの期間限定で、奥の院龍王殿所蔵の龍道大龍王と戒道大龍女のご尊体が開山以来初めて一般公開されていたのです。

【Photo】善寶寺参拝の折に頂戴した龍神様の守護札(右)が当選の手助けとなった。...のかも

 庄内系を名乗る以上、千載一遇の機会を逃すはずもありません。拝観後に足を運んだ善寶寺を守護する二体の龍神が棲むという貝喰(かいばみ)の池では、なかなか遭遇できないという人面魚が出迎えてくれたのでした(下画像)

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 こうしてプチ幸運が重なった挙句の今回のプレゼント当選で、終わりよければすべてよしとなった格好。

 めでたしめでたし。

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2016/12/18

神ってる(?) 聖地巡礼

2016 年末恒例            
庄イタ的流行語大賞はこんなカンジ。


 毎年12月1日に発表される今年の新語・流行語大賞にエントリーされた2016ベスト10の中で、庄イタが最も注目したのがイタリア語の「アモーレ」。

 サッカー・セリエAの名門クラブ「インテルナツィオナーレ・ミラノ」所属で、日本代表チームのDF長友佑都選手が、会見で交際相手の女優平愛梨さんを指して呼んだ表現です。

via_amore.jpg【Photo】ロケ地:愛と幸福が天から降ってくるアモーレの国イタリア。リグーリア州の世界遺産「Cinque Terre チンクエ・テッレ」を構成する五つのコムーネ(村)のうち、Monterosso モンテロッソとRiomaggiore リオマッジョーレ間約1kmが絶景のハイライトとなる全12kmの遊歩道「Via dell'Amore (=愛の小道)」。恋が成就する恋人たちの聖地に出没した挙動不審者

 よほど清廉潔白な聖人君子だと自らを勘違いしているのでしょう。寄ってたかって建前論を振りかざし、芸能人のプライベートに関し、連日のごとくゲス不倫と称して集団ヒステリー的に騒ぎ立てた週刊誌やテレビのあまりの低俗ぶりには心底うんざり。そんな今年上半期の芸能ニュースで、一服の清涼剤となった言葉でありました。

 長友選手が説明した通り、Amoreは、イタリア人が日常会話において頻繁に使う単語です。広く愛情を意味する言葉であり、それは時に恋人や夫婦間で使われる呼称であり、我が子やペットなどの愛おしい対象を指す美しい響きを持った言葉でもあります。

antonio_canova_amore_psiche-001.jpg【Photo】 ヴェネト州内陸北部のポッサーニョで生まれ、ヴェネツィアとローマで活躍した彫刻家アントニオ・カノーヴァ(1757-1822)。代表作の一つがギリシャ神話に題材をとった「Amore e Psiche アモーレ・エ・ プシュケ」。絶世の美女プシュケは美の神アフロディーテの嫉妬を買い、息子のアモーレに鉛の矢で射るよう命じるも、彼は美しい彼女に恋をしてしまう。翼を持つ神アモーレとの叶わぬ恋に身をやつした挙句、愛に殉じて永遠の眠りについたプシュケは、アモーレのキスで蘇り、結ばれる(ルーヴル美術館蔵)

 自己紹介プロフィールでも述べている通り、庄イタは野球には関心薄です。東北楽天ゴールデンイーグルスのホームスタジアムに行くのは、付き合いで1シーズンに数回だけ。しかもその目的は野球観戦ではなく「緑のイスキア」のナポリピッツァなのです。行ったら行ったで、ピッツァイヨーロの庄司建人さんからは「おや、珍しい~」と言われる始末。

joker-carte.jpg ゆえにリーグ制覇を果たした広島東洋カープの緒方監督が発信源となったという初耳の「神ってる」が年間大賞に選出されたのは、意外であり、改めてジャッポネーズィは野球が好きなのだと実感しました。

 一昨年、一世を風靡した日本エレキテル連合や、昨年ブレイクしたとにかく明るい安村などのように、恐らくは一過性になるであろう「PPAP」や、受賞者は辞退せず、胸を張って出てきて説明責任を果たしてほしかった「盛り土」、米大統領選での二者択一のババ抜きで、よもやのJOKERを引いてしまった格好の「トランプ現象」など、今年の世相を反映した言葉がベスト10入り。
 
 その中では、「千と千尋の神隠し」以来、邦画としては15年ぶりに興行収入200億円超のメガヒットとなった「君の名は。」に登場する舞台を訪れる「聖地巡礼」が社会現象化。若年層を中心に影響力は今だ衰えを知りません。

【Movie】 ©2016「君の名は。」製作委員会

 夢で体が入れ替わった高校生の男女が繰り広げる奇蹟の物語を、リリシズム溢れる透明感のある美しい映像で綴るこの作品。その舞台となった岐阜県飛騨や東京都内各所、そして秋田内陸縦貫鉄道の無人駅「前田南駅」は、訪れる巡礼者で賑わっているのだとか。

 映画で流れる劇中曲「前前前世」に反応したのが前世イタリア人。庄イタも時流に乗り遅れまいと、このファンタジーを9月に鑑賞しました。

 8割以上が20代と思われる観客で、ほぼほぼ劇場は満席。いささかアウェー感を味わいつつも、彗星が糸守へと降ってくるオープニングから運命の糸をたぐり寄せ、時空を超えて出逢う二人に自らの青春時代を重ね、キュンキュンしてしまう昭和世代なのでありました。

。.:*(*゚∀゚)*:.。.. tuo nome ..。.:*♡*:.。 your name ..。.:*(゚∀゚*)*:.。


bio-napule1.jpg【Photo】「アミーコ・ビオ・エ・ナプレ」Dランチ(3,200円)よりアンティパスティ・ミスティ/(右上から時計回りに)カポナータ・ペペロナータ・サラメミラネーゼ・コッパ・海老のクスクスサフラン風味・鯛のカルパッチョ・自社農園産カルチョフィのオイル漬け。Vine della Casa(ハウスワイン)はグラスで白をオーダー

 話は変わって、先月、泊りがけで鎌倉と横浜に出向く用事がありました(いずれも後日レポート予定)。池袋で昼時を迎えた翌日のランチは都内百貨店最大級の46店舗が集うレストラン街へとリニューアルした池袋東武百貨店の「SPICE スパイス」11F「Amico Bio e Napule アミーコ・ビオ・エ・ナプレ」へ。

bio-napule2.jpg【Photo】プリモピアット/ ピッツァ・マルゲリータ(Sサイズ)

 このピッツェリアは、南青山の名店「Antica Pizzeria e Trattoria Napule ナプレ」が、千葉県八街市(やちまたし)に所有する自家農園で栽培する野菜のほか生地に使用するMolino Grassi モリーノ・グラッシ製の小麦粉まで、オーガニックをテーマとして今年2月にオープンさせた店です。

bio-napule3.jpg【Photo】セコンドピアット/ 鶏腿肉の煮込みレモンクリームソース風味

 エスカレーターで11Fへとフロアを上がってゆく途中、6Fリビング用品フロアで「日本橋木屋」の研ぎ師が実演販売をしていました。ドイツで購入し、長く愛用した モリブデンバナジウム鋼製の包丁が、研いでも切れ味が戻らなくなったため、代替えに炭素鋼の包丁を探していたのです。

 日本橋木屋を訪れた外国人観光客が、切れ味の良い鋼(はがね)製の包丁や爪切りをこぞって買い求めているのだという昨今。それは、前世イタリア人にとっても渡りに船の展開に他ならないのでありました。

 木屋の包丁を取り扱う仙台の百貨店でも木屋の研ぎ師への刃研ぎ発注が可能だというので、即断即決。トマトの切れ味が悪くなったら、研ぎに出す潮時なのだといいます。

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 2フロア上の催事場では、山形物産展が開催されており、隣県の見知った産品が並んでいました。ざっと売り場を見渡すと、そこには馴染み深いお二人がおいででした。ちょっとしたイタズラが実は大好きな庄イタ。そっと背後から近寄ってゆきました。

 英語・イタリア語以上にヒアリングに関しては9割以上を理解する庄内弁を封印。山形県内でありながら、庄内とは異郷と呼んで差し支えない山形内陸のイントネーションで、試食用に小分けした特別栽培米つや姫を来店客に振る舞っていた男性に庄内ビギナーを装って話しかけました。

「この庄内のコメ、うめんだべが?(=美味しいのですか?)」

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 珍客の登場に目を丸くしたのが、旧知の間柄である鶴岡・「井上農場」代表の井上馨さん。その隣には奥様の悦さんもご一緒でした(上画像)〈2015.5拙稿「神通力ふたたび!? 鶴岡 後編~東京八丁堀・てんぷら小野@山形 鶴岡・井上農場」参照〉

 予想だにしない池袋での邂逅にはお互いビックリ。井上農場を取り上げた前回レポート「神通力ふたたび!?~鶴岡前・後編」 で引きの強さを発揮した庄イタですが、今回も神ってる超能力を実証した格好となりました。

 春先にお邪魔して以来、ご無沙汰していたご夫妻に「そのうち伺います」と申し上げ、レストランフロア11Fへと移動したのでした。

。.:*(*゚∀゚)*:.。.. incredibile ..。.:*!!*:.。 bikkuri pon ..。.:*(゚∀゚*)*:.。


 井上さんとの漠然とした約束を果たす日が訪れたのは、それから2週間後の12月初旬。平田赤ネギ〈2007.9拙稿「平田の赤ねぎ」参照〉が美味しくなる季節となり、山伏ポーク〈2014.7拙稿「山伏ポーク」参照〉、そして井上農場のジューシー小松菜を取り揃え、仙台で購入可能な石巻・十三浜ワカメを含め、最強豚しゃぶの具材調達に伺ったのです。

 並外れた餅の食味を知ったが最後、ほかでは満足がゆかぬのが「本女鶴」です〈2012.10拙稿「酒田女鶴と本女鶴 女鶴餅をおいて餅を語るなかれ」参照〉。生産者である酒田市布目の堀芳郎さんのもとを訪れ、希少な糯米を譲って頂くのも外せないミッションでした。

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 冬型の気圧配置による北西の季節風で発生する雪雲のヴェールで山腹を覆われることが多い鳥海山が、その日は珍しく全容を見せていました。伺った堀さん宅で糯米を3kg購入させて頂き(上画像)、今回の庄内訪問の主要目的の一つをクリア。母が此岸から旅立った今年は喪中のため正月祝いはできませんが、新たな年を迎える準備はできました。

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 堀さん宅へと向かう時間帯と重なった日没を挟んで目の当たりにしたのが、表情の異なる出羽富士の姿です。地平線に沈もうとする夕陽に照らされた赤富士(上画像)と、その後のブルーグレーの空に浮かび上がる純白の雪を頂く山肌のコントラストからなる青富士(下画像)は、もうすっかり冬の装い。

 国内有数の渡り鳥の越冬地となっている最上川河口の塒(ねぐら)に向かってゆくのは、V字型の編隊を組んだオオオハクチョウたち。時おり鳴き声を上げながら西の空へ飛んでゆきます。

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 岩ガキ目当ての7月と、シーズン最後のブドウ狩りに出向いた10月の庄内訪問時には太田政宏グランシェフの料理を食べたくて「L'Oasis ロアジス」を訪れました。〈2014.1拙稿「新春縁起藤沢カブ~年忘れ恒例食べ納め@酒田L'Oasis ロアジス」参照〉久方ぶりに酒田に投宿した今回は、JR酒田駅前の「ル・ポットフー」へ。

 全国の食通・各界の著名人から最大限の賛辞を贈られた〝フランス風郷土料理〟という新機軸を太田シェフと佐藤久一(1930~1997)が二人三脚で打ち立てたル・ポットフーは、久一が吟味した調度品が随所に散りばめられ、伝統と風格を漂わせています〈2008.3拙稿「佐藤 久一さんのこと 〈前編〉世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男の物語」参照〉

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 1975年(昭和50)に開業して以来、数々の伝説を生んだ厨房に立つのが、太田シェフの愛弟子である加藤忍シェフ。食の都庄内ならではの吟味した素材を活かす加藤シェフの味付けは庄イタ好みです。週末でほぼ満席の賑わいだった今回、ディナーで注文したのが7,500円のコース。

 アミューズのカナッペに続いてソムリエの小松俊一さんが「お箸でどうぞ」と運んできたのが、本日のオードブル「スズキとイクラのカルパッチョ風」(上画像)

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 魚料理がいつも美味しい店ですが、特にピカイチだったのが、香ばしい焼き目の入った真鯛と舞茸の香りがベストマッチだった「真鯛のキノコソース風味」(上画像)。食感の異なる3つの部位を味わえた「だだちゃ豆で育った羽黒綿羊のワイン煮込み」(下画像)では、サフォーク羊の生産者である丸山光平さんの顔が浮かぶのでした。

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 19年前のジャスコ撤退と昭和40年代に竣工したビルの老朽化による再開発計画が2度頓挫している酒田駅前。2018年に着工、2021年3月の竣工を目指す事業計画に伴い、現在の店は姿を消します。

 以前に話を伺った小松さんによれば、活かせる部材は可能な限り新店に移す予定なのだそう。

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【Photo】伝説の男・佐藤久一の審美眼で選び抜いたルポットフーの内装。地中海クルーズの客船をイメージしたメインダイニングに対し、厨房に面した「ル・シャトー」(上画像)と「ラ・スフレ」の2つの個室の壁面は、淡いグリーン地に銀白色の小鳥や草花の図柄

 出生が酒田の銘酒「初孫」改名の由来となり、映画評論家の淀川長治が世界一の映画館と評した「グリーンハウス」の若き支配人として、後半生は料理で人を幸福にすることに情熱を燃やし続けた不世出の男。その夢の結晶が、原型を留めるうちに事情が許す限り足を運びたいと願う庄イタなのです。

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 前日に続き穏やかな天候に恵まれた翌朝は、鳥海山の伏流水が川となって流れる牛渡川へ。その目的はサケの調達です。お酒じゃありません、鮭です。(日本酒は別途「木川屋山居店」に立ち寄り、大吟醸と純米&本醸造を、おおよそ2:8の割合で混醸する買い得感満載の限定品「上喜元 翁」(1800mℓ 2,160円)を購入)

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【Photo】箕輪鮭採捕場から歩いて3分。途中に堰があるため、杉林に囲まれた中流域の流れは一見したところ緩慢な牛渡川。川岸の随所から水が湧き出している

 産卵のため牛渡川に遡上してくる1万~2万尾のサケを捕獲し、孵化・放流を行う箕輪鮭採捕場では、10月から12月の漁期に捕獲したオス鮭の風干しやトバを購入することができます。

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【Photo】箕輪鮭採捕場の目の前を流れる牛渡川下流。同じ場所を幾度も行き来し、身を横たえながら動かして川底に産卵用の凹みをつくろうとするメス。その横をオスが離れない

 新潟村上〈2007.11拙稿「鮭のまち村上」参照〉と同じく、河口からほど近い遊佐町箕輪。清らかな鳥海山の伏流水の川を遡上して禊(みそぎ)を済ませたサケは、魚体のダメージがなく沖捕りのサケと比べても味に遜色はありません。

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 採捕場の駐車場には地元庄内はもちろん、秋田ナンバーの車も。1尾1,000円で直売する捕獲したてのオス鮭と同様、売れ行きの良さを物語るかのように、この日はまだ風干しが足りないオス鮭しかなかったため、持ち帰って追熟させるべく生乾きを1尾3,000円で購入したのでした。

 池そのものがご神体として地元では篤い信仰の対象となっているのが、採捕場裏手にある「丸池様」。エメラルドグリーンに輝く湧水だけでできている池を訪れてから、久しぶりに牛渡川に沿って歩いてみました。

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 師走に入ったものの、日差しが温かく感じられたこの日。まだ秋の名残のトンボが飛んでいました。バイカモが自生する清流の上流から流されてきたのが、流れが穏やかな堰の上流部に産卵しようとして失敗したのでしょうか、羽根を動かして脱出しようともがく一匹のトンボ(下動画)

 鳥海山の水の恵みはサケだけではなく、さまざまな生態系を育む命の源になっているのです。一日一善。どれほど命を長らえるのかはわかりませんが、枯れススキの穂を差し出してトンボを救出。羽根が乾くよう日の当たる場所に置いて立ち去ったのでした。

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【Photo】箕輪鮭採捕場の裏手には、1976年(昭和51)に建立された鮭慰霊塔がある。サケ漁が終わる毎年2月、慰霊祭を執り行う石塔に鳥海山と風干されるサケが映り込んでいた

。.:* ((((° (>*:.。.. metempsicosi 。.:*ミ☆彡 *:.。rinne-tensho..。.:* <)°))))*:.。


 そして向かったのが「胴腹滝」。町内各所に鳥海の水の恵みが湧き出す地元・遊佐(ゆざ)では「どうっぱら」と呼ばれる庄内屈指の名水です。

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 人の身体を守護する子安大聖不動明王を本尊とする胴腹滝不動堂のお社を挟み、左右2筋の伏流水が岩場の中腹から滝となって湧き出しています(上画像)。湧出地点から水場まで直接引かれた水を求め、この朝も訪れる人が引きも切らず。

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 湧出地点が左右並んでいながら、飲み口が異なる胴腹滝。水場に居合わせた4人の人と言葉を交わしましたが、左右好みや用途は人ぞれぞれ。庄イタは右側の軟らかい口当たり水をいつも汲むのですが、今回は左側のキリっとしたミネラリーな印象の水も汲み、料理やコーヒーなど用途に合わせて使うことにしました。

 3,4年前に駐車場が整備されたほか、今回驚いたのが、工事現場で使われる手押しの一輪車(ネコ車)まで設置されていたこと(下画像)。これで鬱蒼とした杉林の中に延びるおよそ100mの道のりをズシリと重いポリタンクを抱えて往復する難行苦行の必要がなくなりました。

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 胴腹滝が下流で合流するのが月光川(がっこうがわ)。鳥海山を間近に仰ぐ遊佐町を流れるこの清流には、映画「おくりびと Departures」が公開された2008年(平成20)から数年の間、聖地巡礼を先取りをした格好で多くの人が訪れた場所があります。

【Movie】 ©2008「おくりびと」製作委員会
 
 アカデミー外国語映画賞を筆頭に、日本アカデミー賞の最優秀作品賞などの10部門ほか、2008年の映画賞を総なめにした感があった映画公開から8年。本木雅弘さん演じる納棺師、小林大悟が劇中で、鳥海山を背景にチェロを演奏した堤防には、現在も一脚の椅子が置いてあります。

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 庄イタ以外にも30代前半と思われ数名が、庄イタに遅れること数分後にやって来ました。庄内各地の美しい風景を四季それぞれに散りばめつつ、死を、つまりは生命の尊厳というテーマを描いたおくりびと。ひと頃のブームは去っても、人々の記憶から忘れ去られることはないのでしょう。

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 映画では川を遡上するサケを大悟が見つめるシーンが撮影された旧朝日橋。そこに立って月光川を見下ろすと、4~5年後にこの川へ戻ってくるかもしれない子孫を残すという最後の使命を果たすべく、傷ついて白化した魚体に鞭打って産卵場所を求め上流に向かわんとするサケの姿がありました(上画像)

 その上流には、すでに命脈が尽き果てた2匹のサケが、川岸に身を横たえています(下画像)。その遺骸は冬を越し、孵化した稚魚の餌となります。

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 母なる川への遡上を始める直前から一切エサを食べなくなるというサケとは違い、人は命ある限り、泣く子と空腹には勝てないのが運命(さだめ)。

 上質な脂が乗ったノドグロ炙り(⇒香り高く絶品!)・甘味とコクが堪能できるマハギの肝和え・甘エビよりも旨味が強いガサエビなど、全10貫「旬のおまかせ握り」(税込3,240円)に舌鼓を打った酒田「こい勢」に出向く前、遊佐町パレス舞鶴で開催していた「遊佐町フードフェスタ2016」会場に立ち寄って試食できたのが、高級魚「メジカ」の握り(下右画像)

 主にオホーツク海の定置網で捕獲されるシロザケのうち、およそ10,000分の1の割合でしか捕獲されず、超高値で取引されるのが鮭児です。次いで高値を呼ぶのが、1,000匹に1匹いるかどうかという希少なメジカ

 その母川となる月光川の支流である牛渡川で孵化・放流を現在実施しているのが箕輪、滝淵川の枡川、高瀬川の各漁業組合です。秋から冬場にサケ漁を行う半農半漁の組合員が、個体の識別番号をつけて放流したサケの稚魚は、日本海を北上し北海道からべーリング海域まで旅をします。

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 鼻先に目が寄っていることから目近(メジカ)の名で呼ばるこの魚。1か月~2か月後に産卵を控え、たっぷりと栄養を蓄えて生まれ故郷の川に南下を始める前に捕獲されるため、キメ細やかな身には良質な脂が乗っています。クロマグロの中トロにも似た美味は、刺身で食するのが一番。

 今回、縷々ご紹介した庄イタにとっての聖地巡礼は、流行語大賞に選出されるような移ろいやすい一過性のものではありません。

 映画「君の名は。」の主人公・立花瀧の声を演じた神木隆之介さんと同じ誕生日の庄イタも、映画冒頭で流れる瀧のモノローグと同様、これからも、ただずっと何かを、誰かを探してゆくのでしょう。

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2016/07/19

この味、摘果されてこそ

辛味がすがすがしいメロン子の辛子漬け @ 庄内


 あすは檜(ヒノキ)になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。でも、永久に檜にはなれないんだってそれであすなろうと言うのよ。

井上靖「あすなろ物語」(新潮文庫)より

 作家・井上靖の半自伝的小説「あすなろ物語」。第一章「深い深い雪の中で」には、親元を離れて血縁関係がない祖母・りょうと二人で中伊豆・天城の土蔵の中で暮らす13歳の少年・鮎太と、りょうの姪で19歳の冴子とのこんなやり取りが描かれます。

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【Photo】下北半島と津軽半島には、青森ヒバの約8割が密生する。霊場恐山へと向かう道すがらの冷水(ひやみず)峠。5月初旬でも山肌に残る雪と鬱蒼としたヒバの自然林が周囲に広がる冷水峠に湧き出す「恐山冷水」。862年(貞観4)の慈覚大師による開山以来、霊界との境界へと入る手水として、そして険しい道のりを越えて霊場詣でをする人々の喉を潤してきた

「翌檜(アスナロ)」はヒノキ科の常緑樹。「青森ヒバ」の別名で知られる北方系の変種「ヒノキアスナロ」は、下北半島や津軽半島に広く分布しており、青森県の県木となっています。

 あすなろ物語において、天城温泉に逗留していた東京の大学生・加島との叶わぬ恋を精算するため、心中して果てた冴子が鮎太に語るのは、抗うことができない人の運命の悲哀。

 森羅万象、物事に始まりがあれば、いつか訪れる終わりは不可避なもの。生きとし生けるものには、すべからく遅かれ早かれ逃れることができない生命の終焉が待ち受けています。

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【Photo】「アムさんメロン」〈2016.6拙稿「フェロモンメロン」参照〉が先陣を切る「つがりあんメロン」5品種のうち、7月末からお盆前が出荷の最盛期となる主力ネット系品種「アーバンデリシャス」(奥)。トンネルの外まで伸びたツタの先端部に遅咲きした花のため摘まれる運命にあるメロンの幼果(手前)・ロケ地:青森県つがる市木造町出来島メロンロード

 それは動物だけでなく、植物とて同じ。芽が出て花が咲き、受粉して実を結び、やがて種が母なる大地と結ばれることで、次なる世代へといのちの循環が繋がってゆきます。

 そうした起承転結、いわば生命の摂理を全うできない存在が、ヒトが美味しく口にするために摘まれる果実や野菜です。

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【Photo】庄内砂丘メロンの緑肉系代表品種が「アンデスメロン」・ロケ地:山形県酒田市浜中(上画像)。直径10cmにも満たない幼果の段階で摘まれたアンデスメロンのメロン子(下画像)。熟すと表皮を覆う網目(ネット)が入っておらず、最近ではあまり見かけなくなった「プリンスメロン」のような外見。

 受粉前の蕾や花のまま人の手で摘まれるのが、リンゴ、梨、柿、桃など。〈2008.6拙稿「♪ リンゴの花びらが~ リンゴの花びらドルチェは、はじらう乙女 francesca の味」,2009.4拙稿「『芽出し』と『芽摘み』の春」参照〉

 そして幼果のうちに間引きされるのが、剪定されてから摘房されるブドウ、青ミカンとして流通する柑橘、そして今回取り上げる摘果メロン「小メロン」です。

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 風味を良くするため、メロン1株に多くても4玉以上を残さない庄内では、ただ廃棄するのではなく漬物加工用となる摘果したメロンを「メロン子」と呼びます。作物に対する愛情を感じる呼称ですよね。

 トロ~リ、ジューシーな果肉の完熟メロンとは異なり、メロン子の魅力は、すがすがしい青いウリの風味とパリっとした食感。

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【Photo】庄内砂丘メロンの主産地、酒田市浜中。庄内空港と日本海沿岸東北自動車道のすぐ近く。冬の強烈な季節風による飛び砂被害を防ぐクロマツの人工防砂林に守られるように露地トンネル栽培される砂丘メロンの畑

 夏季にオホーツク海高気圧の勢力が増すと、東北地方の太平洋側に長雨と冷涼な夏の元凶となる北東の季節風「東風(やませ)」が吹き付けます。その影響を受けない日本海側の豊富な日照量と、昼夜の寒暖差が大きく水はけのよい庄内砂丘は、メロン栽培にうってつけ。

 さらに庄内きっての酒どころ鶴岡市大山〈2012.2拙稿「大山新酒・酒蔵まつりpart.1 および part.2」参照〉が南隣にあり、赤川河口の北には銘酒「初孫」蔵元「東北銘醸」があることからも分かるように、砂丘一帯は灌漑設備を必要としないほどの良質な地下水脈に恵まれています。南北35kmに及ぶ庄内砂丘の規模は日本最大。全国で4番目の生産量を支えるメロンの一大産地です。

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【Photo】庄内空港ビルを出て日本海沿岸道方向に右折してすぐに出迎えてくれる砂丘メロンのオブジェ。多彩な食材に恵まれた食の都庄内には、このほか庄内柿・あつみ豚・刈屋梨・温海蕪といった産物の巨大オブジェがロードサイド各所に設置されている

 庄内・津軽・茨城などメロンの主要産地以外では馴染みが薄いかもしれない摘果メロンには、ネット系品種に見られる登熟過程で果皮を覆ってゆく網目がありません。

 摘果されたメロンは、そのまま廃棄されるだけでなく、庄内地方では漬物用として出荷されるケースも少なくありません。主な食べ方は、試験前に庄イタが得意だった一夜漬け(^^; 、皆さまが暑さのあまりそうならぬことをお祈りするビール漬けや、冷酒にピッタリの「竹の露」や「上喜元」など地元の酒粕で漬け込んだ粕漬けなど。

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【Photo】国内消費のほぼ全量をカナダからの輸入に依存しているオリエンタルマスタード(和がらし)。その原料となるのがカラシ菜。独自に編み出した輪作体系による資源低投入型有機農業を実践する鶴岡市三和「月山パイロットファーム」では、漬物の加工用に自家採種によるカラシ菜の栽培を行っている。5月半ば。残雪の月山を背景に人の背丈よりも高いカラシ菜の花が咲き揃う <画像提供:東海林 晴哉 氏>

 摘果メロンのほか、キュウリや丸ナスなどに関して庄内ならではの食べ方が「辛子漬け」です。それに欠かせないのが、山形県東田川郡庄内町跡(あと)地区や鶴岡市「月山パイロットファーム」で自家採種による栽培が行われているアブラナ科の「カラシ菜」。

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【Photo】月山パイロットファームでは最も手が掛かる和がらしの収穫~加工までを全て人の手で行う。6月末。蒸し暑さと土埃との闘いでもある刈り取り・実落とし作業をしたカラシ菜の種子は、大きさ1mm~2mmほど。種子を脱穀した後、梅雨の晴れ間を見計らって天日干しを行うことで、祖先から受け継いだ和がらし本来の風味を味わうことができる <画像提供:東海林 晴哉 氏>

 その種子を脱穀後に天日干しして作られるのが「和がらし」(下画像)です。ピリっとした和辛子の風味が爽やかな「メロン子の辛子漬け」は、ご飯や冷たい麺類は勿論、ビールや冷酒との相性も抜群。

 仙台朝市・今庄青果本店でも6月~7月にかけては入手可能な庄内産のメロン子を使った辛子漬けの代表的なレシピをご紹介しましょう。

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【材料】
 メロン子 1kg
 塩 50g
 砂糖 100g
 和がらし粉 50g
 酒または焼酎 100cc

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【作り方】

・メロン子を縦に4~8等分にカットする(小さいうちは種子部分はそのままでもOK)

・あらかじめよく混ぜ合わせた塩・砂糖・和がらし粉をメロン子にからませ、日本酒または焼酎を加える

・ビニール袋に入れて2日ほど冷蔵庫に置くと美味しい漬物の完成。

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 それではボナペティ~ト♥
 
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2016/06/26

念ずれば すなわち是 通ず(≒ 届く)

イリュージョン・チェリー from 庄内

フェロモンメロン ~ 奇蹟の遭遇@道の駅フェスタ in 仙台」続編

 言霊(ことだま)アムさんメロンの甘い香りに包まれた拙宅に、言霊フルーツ第2弾が届いたのは、もはや必然だったのかもしれません。

 それが届いたのは、山形内陸で、お久しぶり & お初にお目にかかる場所を訪れた休日明け。蕎麦を食したいと言う家人を伴い、今の時季はサクランボ狩りに向かう車で渋滞必至のR48は避けたほうが得策と考え、山形自動車道笹谷峠経由で山形市を訪れたのが先週日曜日。

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 それがアンビリーバボーな言霊果実第2弾の伏線となりました。

 J.S.バッハをBGMに冬の変わり蕎麦「柚子切り」を食したのが今年1月末。〈2016.2拙稿「Pizzoccheri al citron giapponesi 柚子切りは J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲とともに」参照〉山形市を訪れたのは半年ぶりです。

 伺ったのは山形では最古参のそば処だという有名店「そば処 庄司屋本店」。

 慶応年間に創業したこの蕎麦処を訪れるのは、山形総局に勤務していた2003年(平成15)、蕎麦好きの総局長Kさんと訪れて以来。

 庄司屋本店再訪の目的は、期間 & 数量限定の「天保そば」。

 1998年(平成10)、福島県双葉郡大熊町の古民家の解体中、屋根裏の古びた俵の中から、炭や灰に覆われた玄ソバが発見されます。これは天明の大飢饉を生き延びた祖先が、再び襲う飢饉への備えに残したと推測されるもの。

 前々回の〝屋根裏カラヴァッジョ〟@トゥルーズは150億円相当ですが、子孫に託され160年の時を経て屋根裏から目覚めた天保そば@福島の価値は、まさにPriceless

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 とはいえ傷みが目立つ玄ソバを発芽させようという研究機関や大学による試みは、ことごとく失敗。1999年(平成11)に発芽から開花・結実・収穫までを成し遂げたのが、福島の製粉業者仲間から100gの玄ソバが送られてきた山形市「鈴木製粉所」社長の鈴木彦市氏(故人)

 品種改良がなされる前の江戸末期からタイムトンネルを越えて復活した天保そば。製粉業者や蕎麦店主などで構成される「幻の山形天保そば保存会」では、交雑を避けるため、酒田から39km沖合いの飛島で原種栽培を行うなどして作付を増やしてきました。

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 2005年(平成17)からは保存会メンバーの蕎麦店で生そばの提供を始めました。今年も6月1日から会員が営む上記13店舗で、昨年秋に収穫し、低温保存していた天保そばの提供が始まっています。早い店では1週間から10日ほどで完売するのだといいます。

 江戸風の上品な更科とコシの強い田舎の相盛りが庄イタの定番だった庄司屋本店。12時半を過ぎ、混み合う蔵座敷には、早咲きのヒマワリを生けた鉢と最上川の雪景を描いた真下慶治の風景画「デルタが見える最上川」が掛かり、夏と冬とが共存しているようでした。

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 山形内陸ならではの「板そば」(1人前1,450円)には目もくれず、一点買いした「せいろ天保そば」(同1,080円)は、これまで食べてきたいかなる蕎麦とも異なるものでした。

 雑味のない本枯節と利尻昆布で出汁をとる辛口そばつゆ、蕎麦粉10割+つなぎ1割の「といち」が基本の庄司屋。パスタで例えれば、ブロンズダイス成形による表面の細かい凹凸があるルヴィタタイプの天保そばは、コシがありながらも、もちっとした食感が特徴。力強い蕎麦の香りの後に甘味が残ります。

 蕎麦湯には柚子七味を加え、稀少な江戸の味を堪能した余韻に浸ることしばし。白濁した蕎麦湯の後は、蔵王温泉の白濁した強酸性の硫黄泉が恋しくなります。温泉街がある蔵王の標高880m地点に向かう前にチェックしたのが、旬真っ盛りのサクランボ。春先から温暖だった今年は豊作なのだとか。

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 昼夜の寒暖差が大きい盆地性気候で果樹栽培に適した山形県内陸部。サクランボ栽培が盛んな村山地域でも、全生産量の3割程度しかない秀クラス以上で大玉Lサイズの代表品種「佐藤錦」は、たとえバラ詰めだとしても1kg4,000円を下回ることはありません。まして贈答用の手詰めともなれば価格は推して知るべし。

 仙台とそう変わらぬ産地価格を前に、無念のスルーを決断したのです。

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 蔵王へ向かう道すがら、平清水の窯元「七右エ門窯」を訪れ、震災で破損して揃いが不足していた湯飲み茶碗を五客購入しました。

 窯元の敷地内には酒田在住の日本酒師匠Aさんご推奨の純米酒専門店「正酒屋六根浄」があります。初対面の店主・熊谷太郎さんからお薦め頂いたのが、福島県郡山市田村町で、江戸中期の1711年に創業した金寶(きんぽう)酒造・仁井田本家の純米吟醸「田村」。

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 自社田で蔵人が無農薬自然栽培する「亀の尾」を全量使用しており、18代目蔵元とこの道60年の杜氏をはじめとする作り手の思いが伝わる1本。平清水で購入した茶碗は、酒器にも適しているようで。。。(^ω^;)

 凄みすら感じるコメの旨味。素材の良さを余すところなく引き出したふっくらとした味わい深さと力強さを兼ね備えた田村は、冷で良し、燗で良し。これは旨い!!

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 そして翌月曜日。拙宅に届いたのが、品名に「佐藤錦」と記載されたこちらの箱(上)。前日、山形で購入を見送ったサクランボが、イリュージョンのごとく目の前にありました。

 すわプリンセス・テンコーこと2代目引田天功の所業か? そんな妄想を巡らせるまでもなく、送り主は鶴岡在住の知人でした。

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 高まる期待を胸に開けてびっくり玉手箱。中身は高級品の証であるぎっしり手詰めの言霊サクランボ。箱に記載された生産者名は平藤丈司さん。

 昨年JA全農山形などが主催した佐藤錦に次ぐ優良品種として期待がかかる新品種「紅秀峰」の品評会において、食の都・庄内地域から唯一入賞を果たしている生産者です。

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 いわずもがなですが、これまた旨い!! どうもごちそうさまでした。(昨年は送り主に牛タンをお送りした今年のお返し。今年はちょっと気張らねば...。)
  
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2016/02/07

Pizzoccheri al citron giapponesi

柚子切りは J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲とともに


Hoya-soba2014akagawa.jpg【Photo】鶴岡市宝谷(ほうや)。8月の朝。白い花を咲かせたソバの蜜を吸いに来た小さな蜂。蕎麦どころ山形県下において、玄ソバ産出量が最も多いのが鶴岡市。「ふるさとむら宝谷」では、地元産の蕎麦粉を打った「宝谷そば」を食することができる

 庄イタにとって、現在の主食はイタリアン。なれど過去において、蕎麦食いを極めた男といえば、誰あろう、私なのです。

 そう豪語するには、理由があります。まずはピエモンテ州で生を受けた前世において、隣接するイタリア最北部、ロンバルディア州北部ソンドーリオ県Valtellina ヴァルテッリーナ地方に、十字軍の時代から根付いているソバ食文化に(おそらく)触れた原体験があってこそ。

 ミラノの北、コモ湖からアルプス側へとさらに北上したヴァルテッリーナ地方は、寒冷な気候と痩せた土壌ゆえに小麦の栽培が困難な土地柄。ソバの実を挽いた平打ちのショートパスタ「Pizzoccheri ピッツォッケリ」を食します。〈2008.1拙稿「すったもんだのお年越し」,2010.1拙稿「ソムリエfromトリノ」参照〉

Morbegno_sondorio.jpg【Photo】コモ湖へと流れ込むアッダ川上流域。アルプスの急峻な山あいにV 字型渓谷が形づくられ、そこにわずかな平地が東西に広がっている。こうしたヴァルテッリーナ地方の典型的な風景は、山あいに平地が開ける信州や山形内陸と相通じる
 
 ヴァルテッリーナと似通った風土が、世界最大のソバ産出国であり、消費国たるロシア。蕎麦粥の「каша カーシャ」は、ロシア版おふくろの味。そば粉クレープ「galetteガレット」は、フランス北部ブルターニュの郷土食。アジア地域では、そば粉を用いる「平壌冷麺(ピョンヤンネンミョン)」の本場である朝鮮半島ほか、ネパールなど標高2000mを超えるチベット高地でも、香辛料とともに韃靼(だったん)ソバを食します。

raksi-yeti.jpg 蛇足ながら、気仙沼が誇るネパール・インド料理の名店「Yetiイエティ」<2012.9「Yeti イエティ@気仙沼」参照>オーナーの小野一太さんから、ヒマラヤ登山で訪れたネパール土産として頂いた蒸留酒が「raksi ロキシー」。昨年の地震で大きな被害が出たカトマンズ周辺の先住民族や、山岳民族の家庭では、専用の器具を用いて自家蒸留します。原料には、山間地では貴重な白米ではなく、多くの場合、ヒエやソバなどの雑穀を用いるとのこと。

【Photo】無造作なペットボトル詰めパッケージが、何よりの自家製の証。Yeti オーナーの小野さんから頂いたネパールの庶民にとっては身近な蒸留酒「ロキシー」。琥珀色の焼酎はストレートで馬子にも衣裳な江戸切子の酒器でクイッとな

 蕎麦食いを極めたと自認するもう一つの理由は、蕎麦好きだった父に連れられ、中学に通い始めた頃から、仙台では蕎麦どころと喧伝される山形内陸部で蕎麦屋巡りのお供を重ねたがゆえ。大学生活や支社勤務で通算10年以上を過ごした東京生活でも、都内ほか松戸小淵沢・信州などの名店を訪れたものです。

 最新の統計である2014年(平成26)の国内そば生産高では、北海道が作付面積21,600ha・収穫量13,000tで第1位。作付面積では4,880haの山形県が第2位、長野県が4,060haで続きます。収穫量では第2位の長野県が2,560t。第3位は茨城県で2,120t。山形県は僅差の2,100tで4番目となります。

 仙台と隣接する村山地域を中心にハシゴすることも珍しくなかった「そば街道」。そうして長年にわたって続けた蕎麦屋通いから、きっぱりと決別したのが2003年(平成15)。同じ山形県でありながら、内陸とは異次元の多彩な食体験ができることを実感した食の都・庄内と出合うまでのことでした。

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【Photo】「♪ 冬が来れば思い出す」 更科の一番粉に絡むふんわりとした柚子の香りが季節を感じさせる変わり蕎麦「柚子切り」。ロケ地:山形市「手打 梅蕎麦」(ゆず切り 1,200円)

 もはや食傷気味の蕎麦ではありますが、それでも寒い季節に食したいのが、季節の変わり蕎麦「柚子切り」です。その味を覚えたのが、JR山手線目黒駅東口近くのビルの谷間に暖簾を掲げていた今はなき「目黒一茶庵」。

 一茶庵系ならではの変わり蕎麦の極めつけが、年間を通して目黒一茶庵では定番だった柚子切り。辛口のつけ汁と好相性の香り高くコシの強い蕎麦を、仕舞屋(しもたや)風の座敷で、せんべい座布団と小ぶりな卓袱台で頂くという、気取らない雰囲気までがご馳走だったように思います。

 庄イタにとってはセンチメンタルジャーニーに他ならない目黒近辺では、目黒通りからプラチナ通りに左折すると、およそ30年前の開店当初から通っていた「利庵(としあん)」があります。運が良ければ、目黒一茶庵よりも上品な印象の柚子切りを、行列が絶えないその店で食することができるでしょう。

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【Photo】山形市上町「手打蕎麦 竹ふく」。更科粉に柚子を練りこんだ柚子切りと上品なもりそばの組み合わせ「二色せいろ」(950円)。単品の「柚子切り」(1,030円)も

 角が立った極太の手打ち田舎蕎麦ゆえに、数本ずつ噛むように食し、うすもり(1人前)板蕎麦を食べ進めるうちに顎が疲れてくるのが、山形県村山市「あらきそば」。個人の好みですが、のど越しも重要な蕎麦の風味のファクターだと考える庄イタ。あらきそばに限らず、板蕎麦の多くは、つけ汁が甘い点も致命的。ゆえに山形営業所に勤務した1年間で訪れたのは一度のみで、その後は足が向かなくなりました。

 山形市の「手打蕎麦 竹ふく」は、「神田まつや」などで修業した主人が打つ江戸風蕎麦。蔵王の伏流水を打ち水とする地粉「でわかおり」を主体に、玄そば10割につなぎ1割未満の十一(といち)の細打ちで、あくまでものど越し爽快。辛口でスッキリしたつけ汁と上品な更科蕎麦との組み合わせの妙は、神田まつやに相通じるところ。

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【Photo】この1月末、久方ぶりに訪れた山形市東原町「手打 梅蕎麦」。山形産と北海道産の玄そばの更科粉・一番粉・二番粉を調合。とても十割とは思えない極細に仕上げてもコシがあり、辛めのつゆとの馴染みが良い。もりそばと柚子切りとの組み合わせ「二色せいろ」(1,000円)

 定番のもりそばに加え、桜・青紫蘇・菊・柚子と四季ごとの変わり蕎麦も同時に味わえる「二色盛り」がお勧めです。とりわけ12月~2月に供される柚子切りは、冬ならではの醍醐味といえる逸品。今シーズン初訪問の竹ふくで二色せいろを食した1月末、久方ぶりにハシゴをしたくなりました。出がけの〆は蕎麦猪口で蕎麦湯を1杯半。

 その足で向かったのが、竹ふく店主・山川敦司さんの実家が営む「手打 梅蕎麦」です。2003年10月からの半年間、梅蕎麦から徒歩2分の〝食住近接〟の場所に住んでいました。その年のGW明けに遠征した旧・櫛引町で、当時全くの無名であった「アル・ケッチァーノ」を発掘していました。<2007.6拙稿「庄内系転生伝説 プロローグ」参照>

 往時は庄内に軸を置き、野に山に、そして厨房で刻苦勉励していた奥田シェフ (遠い目)。その水先案内のもと、いのちを支える食を介した得がたい出会いを重ねて庄内系へと変容。山形内陸各地のそば街道巡礼からは足を洗って5か月が経過していました。2004年4月に仙台へと戻ってからも、柚子切りの季節には年1回ペースでリピートしていたのが、変わり蕎麦を供する竹ふくか梅蕎麦のいずれかでした。

umesoba2006.11.jpg

【Photo】柚子切りを始めたことを電話で確認し、梅蕎麦を訪れた2006年11月末。柚子切りの「二色せいろ」。極細の度合いが今年(上写真)と比べ、それほどでもなかったことがわかる

 ところが5年ほど前、神田やぶそばの「せいろう」を思わせるほど、梅蕎麦の盛りが妙に少なくなりました。必然的に梅蕎麦からは足が遠のきましたが、今回は竹ふくで二色せいろを食した後だったので、かえって極薄盛りで好都合。そう踏んで久方ぶりのハシゴ蕎麦を決行したのです。
    

【Movie】少年時代のパブロ・カザルス(1876-1973)が、バルセロナの楽器店で古い楽譜を発見するまでは、久しく世に知られることがなかったヨハン・セバスチャン・バッハの「無伴奏チェロ組曲」。ひときわ味わい深いこの演奏は、母国の旧ソ連を追われ、艱難辛苦を乗り越えた生きざまが音に深みを与える当代屈指のチェリスト、ミシャ・マイスキーによるもの。愛器モンターニャは、1720年ヴェネツィア製

 変わらぬ店構えの暖簾をくぐると、まず耳に入ってくるのが店内に流れるJ.S.バッハ無伴奏チェロ組曲第一番。私がこの店と出合った13年前から、梅蕎麦のBGMは唯一無二。心の奥底に響くこの名曲です。(動画を再生しつつ読み進むと、疑似体験が可能かと)

 店主・山川純司さんが打つ香り高くコシの強い細打ち蕎麦は、以前よりもさらに極細へと進化し健在でした。この時季の変わり蕎麦は柚子切りであることは織り込み済み。チェロの旋律に浸りながらテーブル席で待つことしばし。運ばれてきた二色せいろは、嬉しいことにかつてのボリュームを取り戻していました。

ume-sobayu.jpg【Photo】蕎麦の茹で汁だけでなく、相当の割合でそば粉を溶かし込み、白濁したトロ~っと粘性が高いゲル状を呈する梅蕎麦の蕎麦湯。徳利や猪口は山形市千歳山に文化年間より伝わる平清水焼

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 人の声に最も近いといわれるチェロの内省的な響き。無伴奏組曲のはずが、極細ゆえの心地よいのど越しを堪能すべく、ズズズ・・・と威勢よく蕎麦をすする庄イタが奏でる調べが合いの手となり、サラバンドと重なります。

 そこにはフーガト短調のように複数の旋律が重なり合うことで調和を生み出すポリフォニーが成立していたのです。それは大バッハもびっくりポンな対位法なのでありました。

 米国の前衛音楽家ジョン・ケージ(1912-1992)や、Starless And Bible Black におけるキング・クリムゾンのような偶然性が生み出すインプロビゼーション(即興演奏)の妙といえなくもありません。

 梅蕎麦での楽しみが、〆の蕎麦湯です。茹で湯とは別誂えで、そば粉を加える梅蕎麦の白濁した蕎麦湯は、ポレンタの濃厚スープか煮詰まったポタージュを噛みしめるかの如き食感。旨し蕎麦の余韻まで味わえます。

J.S.Bach.jpg

 ドイツ・チューリンゲン地方で存命中、J.S.バッハは、作曲家としてよりも教会オルガンの即興演奏家として知られました。

 蕎麦を食するズズズ・・・という音と、無伴奏チェロ組曲第一番との不協和音とも、和音とも受けとれる即興が繰り広げられる梅蕎麦。少なくとも梅蕎麦の蕎麦湯に関しては、きっとバッハも「Wunderbar ! ブンダバー! (=素晴らしい!と感心してくれることでしょう。

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手打蕎麦 竹ふく
住:山形市上町2-3-1
Phone:023-643-8003
URL: http://www.ab.auone-net.jp/~takefuku/
営:11:30-15:00 水曜定休
24席 禁煙 無料P(10台分)あり

手打 梅蕎麦
住:山形市東原町3丁目5-10
Phone:023-622-8377
営:11:30-14:30 火曜定休 年始休
URL:なし
24席 禁煙 無料P(11台分)あり

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2015/11/28

食の都 庄内 ~庄内平野の四季と恵み~

じ~んわり訪れたくなるプロモーション動画

 お堅いイメージが強かったお役所仕事の殻を破るような意表を突いた自治体のプロモーションビデオが、今年は話題を呼びました。

 宮崎県小林市に移住したフランス人男性が地元の魅力を流暢な方言で紹介する「ンダモシタン小林」、県内各地の温泉でシンクロナイズドスイミングを披露し、おんせん県をアピールする大分県「シンフロ」、関の孫六を代表格とする刀鍛冶の伝統を受け継ぐ刃物の町・岐阜県関市「もしものハナシ」などなど。

 山形県庄内総合支庁では、2004年(平成16)から「食の都庄内」事業を展開しています。前出の事例のようにインパクト勝負路線ではなく、心にしみる映像で庄内の食の魅力を10分ほどにまとめたプロモーション動画「食の都 庄内 ~庄内平野の四季と恵み~」を新たに公開しました。

YouTube_shoku_miyako=shonai.jpg【Photo】庄内屈指の夕陽ビュースポットが、酒田市松山地区の高台にある「眺海の森」。田植え前後の水ぬるむ季節。眼下を流れる最上川と日本海、そして水を張った水田が水鏡と化し、日本海に沈む夕陽が庄内平野を茜色の残照で染め上げる

 〝食の都〟といわれて庄イタが真っ先に思い浮かぶのはイタリア・ボローニャ。近隣のモデナやパルマからは、12年以上の熟成を経たアチェート・バルサミコ・トラディツィオナーレ、ハードチーズの王様パルミジャーノ・レッジャーノクラテッロ・ディ・ジベッロを頂点にパルマハムなど、風味に秀でた食材が産出されます。そうした高級素材を生かした美味を味わえるボローニャは、総じて料理がおいしいイタリアでも、とりわけ美食の町として認知されています。

 世間一般には、フランスのリヨン、スペインのサン・セバスチャン、中国の広州なども食の都として名が挙がるでしょうか。味にうるさいイタリア人も舌を巻くほどハイレベルなイタリアンレストランが群雄割拠する東京にも世界各国の料理が揃っており、負けてはいないと仰る向きもおありでしょう。

creative-tsuruoka.jpg しかしながら、山紫水明の肥沃な大地から実に多彩な食材が季節ごとに揃い、地元の素材を生かした伝統的な郷土料理が味わえる点で、名実ともに食の都と呼ぶにふさわしいのが山形県庄内地方です。鶴岡市は日本で唯一、ユネスコの食文化創造都市として認定されています。

 春夏秋冬の移り変わりがはっきりとした気候風土。山・里・川・海の多彩な地勢。世代を超えて自家採種を繰り返しながら受け継がれてきた70品目を超える特色ある在来作物。個性豊かな作物と同様に魅力的な生産者。地元にある素材を縦横無尽に使用する料理人や加工業者。こうした人と風土と自然と伝統の連関が生み出す世にもまれな地域こそ、良質な水に恵まれた庄内地方なのです。

1-food053.jpg【Photo】鶴岡市羽黒町手向(とうげ)の宿坊や、羽黒山神社参籠所「斎館」では、出羽三山一帯で採れる旬の山菜や胡麻豆腐を伝統的な味付けで供する精進料理を食することができる(※冬期間も休まず営業・要予約:0235-62-2357)

繝ュ繧ウ繧呵オ、.jpg 山岳信仰の聖地・出羽三山を訪れる巡礼者を迎える宿坊では、餡かけ胡麻豆腐・ズイキ胡麻味噌和え・月山筍など、山伏が食する精進料理が振る舞われます。庄内ならではの行事食では、七福神の大黒天が嫁を迎えて年越しをする「大黒様のお歳夜(としや)」にあたる12月9日、二股の「まっか大根」と黒豆ご飯などの豆を用いたさまざまな料理と、ハタハタと豆腐の田楽焼きが各家庭の夕餉に並びます。

 Viaggio al Mondo ~あるもん探しの旅~では、一般公開に先駆けてご紹介した映画「よみがえりのレシピ」制作委員会と、在来作物をライフワークとする写真家・東海林晴哉さんの映像提供のもと、動画制作に携わったのは、ドキュメンタリー映画監督の渡辺智史さんが共同代表を務めるクリエーティブ集団「いでは堂」。
 

【Movie】プロモーション動画に登場する食の都庄内を支える食材を順に列挙すると・・・。孟宗筍、月山筍、だだちゃ豆、外内島キュウリ、民田ナス、早田ウリ、砂丘メロン、遊佐パプリカ、天然岩ガキ、刈屋梨、庄内柿、平田赤ネギ、温海カブ、藤沢カブ、酒造り@竹の露酒造、庄内おばこサワラ、寒鱈。 ほとんどがViaggio al Mondoで過去にご紹介してきた旬の逸品揃い

 ここで縷々述べるより、まずは動画をご覧ください。3分半のダイジェスト版もありますが、お勧めは10分におよぶ長尺バージョン。映像で庄内の魅力を知り、実際に彼の地を訪れ、懐が深い食の都庄内の神髄に迫られんことをお勧めします。
きっとあなたの人生が豊かになりますよ。

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2015/05/24

神通力ふたたび!? 鶴岡 後編

東京八丁堀・てんぷら小野@山形 鶴岡・井上農場

「神通力ふたたび!? 鶴岡 前編」より続き

 
「それにしても凄いタイミングで姿を現すね~。
 これから志村さんが、ここで天麩羅を揚げてくれるから、一緒にどう?

 鶴岡市街から北上して酒田を目指したはずが、突如気が変わって車を乗り付けた「井上農場」。小松菜を栽培するビニールハウス前に建つ交流施設「i 庵銘田(アイアンメイデン)」を掃除中だったご主人、井上馨さんの言葉通り、それはまさに千載一遇の機会だったのです。

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【Photo】収穫したトマトを手に交流施設「i 庵銘田」に集った井上ファミリー(全員にはあらず)。安全で美味しく健やかな未来を託す心強い担い手の皆さん

 井上農場をノーアポで訪れる場合、ご自宅を経由することなくビニールハウスに向かうことは、田植えや稲刈りの時季を除けば、まずありません。ところが、この日に限っては農場へ直行。するとそこで八丁堀「てんぷら小野」2代目、志村幸一郎さんが、井上家の皆さんのために天麩羅を揚げるというではありませんかっ!!!

 諸状況の変化により、震災後は鶴岡を訪れる頻度がめっきり減っている庄イタではありますが、志村さんの天麩羅を井上農場で頂いた経験は、過去にもありました。

Inoue_tenpura2012.7.jpg【Photo】2011年7月。井上農場で催されたガーデン天ぷらパーティのひとこま。仙台から両親と共に参加した中学生を相手に、堪能な英語を駆使してHow to cook delicious TEMPRAの極意をレクチャーする「てんぷら小野」2代目志村幸一郎さん

 最初は2011年(平成23)7月末。同年3月の震災発生で混乱を極め、その年初めて鶴岡を訪れる契機を作って下さったのが、井上さんでした。井上農場に志村さんをお招きして催すガーデン天ぷらパーティに誘っていただいたのです。

 それは井上さんが実践してきた〝顔の見える関係作り〟のための農業生産者と都市生活者の交流を目的に2013年4月に完成した交流施設の建設に向けて動き出していた頃のこと。会場は現在16棟あるビニールハウスの一角に資材やトラクターを置いているスペース。そこで志村さんが天麩羅を揚げるという趣向でした。

  1-tenpura_inoue2011.jpg tenpura_inoue-iwagaki.jpg 

【Photo】2011年7月。井上農場で催されたガーデン天ぷらパーティ用に持参した岩ガキを身剥きするヤマガタサンダンデロの土田学シェフ(上左写真)。 今も思い出すだにヨダレがジワ~っと滲み出すのは、志村さんがサックリ&ジューシーに揚げたこの岩ガキの天ぷら((上右写真) 八丁堀「てんぷら小野」では、細やかな気遣いの行き届いた天ぷらコースを堪能できる(下右写真)

shimura-hachobori_ono.jpg  日盛りの熱気が残る中、サクサク揚げたての熱々に舌鼓を打ったのは、鶴岡に帰省中だった「ヤマガタサンダンデロ」土田学シェフが剥き身にした旬の岩ガキ、井上農場の圃場を流れる農業用水路で捕獲し、汁物としてもこの日登場した活ドジョウ、生命力漲る庄内の夏野菜などなど。

 かねがね井上さんから噂には聞いていた八丁堀のお店にもその後お邪魔し、対面式カウンター席で頂く志村さんの細やかな気遣いが行き届いた天麩羅コースを堪能した翌年夏。再びお声掛け頂いた井上さんには早々に参加表明をし、勇んで鶴岡へと赴きました。

 会場となった井上農場のライスセンターに揃った顔ぶれは、鯉川酒造の佐藤一良代表、青嵐舎の篠清久さん育さん夫妻〈拙稿:2010.10「豊穣なる山の恵み」参照〉、雑誌クロワッサンで2007年から翌年にかけて28回の庄内の食にまつわる連載を担当した編集者の斎藤理子さんら。ところが、その中に肝心の志村幸一郎さんの姿はありません。

tempra_fes2012inoue.jpg【Photo】2012年8月。井上農場のライスセンターで開催された2回目。会の趣旨は〝天ぷらまつり@井上農場supported by Tempra Ono〟だったはずが、よもやの熱中症の発症により2代目は不在。そこで「Oh,No!」と叫ばずとも済んだのは、ヤマガタサンダンデロ 土田シェフ、東京駅グランスタ Yudero191 小林シェフらが急遽登板したがゆえ

 ひとりいらした奥様の志村茜さん(上写真右から2人目)によれば、鶴岡を訪れる前日、あろうことかご主人が熱中症を発症。大事には至らなかったものの、2代目の天麩羅はお預けとなる想定外の展開となったのです。そこで強力なピンチヒッターとして土田シェフが再び登場。人間万事塞翁が馬。

1-tomato3.jpg【Photo】井上農場の夏は樹熟トマトの旬。中玉トマトの収穫を行う代表井上馨さん、奥様の悦さん、長女佳奈子さん(写真左より)

 その後リベンジを果たすべく、八丁堀のお店に2度ほど伺ったのですが、i庵銘田のお披露目会など、井上農場で志村さんの天麩羅を頂く機会には、都合が折り合わず参加できずにいました。そこに巡ってきた願ってもない機会。日帰りで仙台に戻る予定は即刻変更。急きょお仲間に加えて頂き、会場となる交流施設に一泊することにしました。

 一宿一飯の恩義をお返しするためにも、これまでも幾度となくViaggio al Mondo-あるもん探しの旅でご紹介してきた井上農場について、改めてご紹介しましょう。

 〝家族に食べさせたい安全な農作物〟を理念に掲げる井上さん。月山3合目に源流を発し、修験者が水垢離をする祓川が、京田川と呼び名が変わってもなお生活排水の影響を受けない上流域の養分豊富な雪解け水を農業用水として使用します。土作りのために鹿児島から取り寄せるのが、JAS有機認証基準に沿った抗生物質を不投与の発酵鶏糞や有機肥料。

1-oyako.jpg【Photo】庄内平野が黄金色に染まる秋。井上農場では新米の収穫に忙しい季節。井上馨さんを挟んで、長男貴利さんと奥様

 慣行栽培の1/4以下に使用を抑えた除草剤などの農薬を極力使用せず、サトウキビの糖蜜や自然由来の有機肥料を葉面に散布するなど、〝食べた人が幸せを感じる〟ための手間を惜しみません。安全でおいしい農産物の生産に取り組んできた井上さんは、2011年に農林水産大臣賞を授与され、同年の山形県ベストアグリ賞にも輝いています。

1-kakouhin.jpg【Photo】〝家族に食べさせたい〟をコンセプトに作られる井上農場のお米と農産加工品の一部(上写真)。樹上で完熟してから収穫するトマトは大玉・中玉・ミニトマト各種を栽培(下写真は凝縮した酸味と甘味のバランスがよい品種ハニーエンジェル)。旬の美味しさをそのまま密封したレトルトパックやドライトマトにも加工する

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 そうして丹精込めて育てられる井上農場のお米は、(コシヒカリの数値を基準とする食味計や味度計で足切りを行うため、受賞銘柄がコシヒカリに偏在する傾向が顕著なコメ食味コンクールが、お米の美味しさの絶対評価だとは微塵も思わないことを前置きした上で)これまで「お米日本一コンテストinしずおか」や「東京〝粋な〟ごはんグランプリ」などで数々の栄誉に浴しています。

 こうしたコンテスト受賞米の多くは、精米5キロで5,000円以上の価格設定がなされます。井上農場のお米と出合った2003年(平成15)以降、価格は変動せず、我が家の定番となった「はえぬき」や「ひとめぼれ」は5キロ2,500円、「つや姫」や「コシヒカリ」でも3,000円台。昨今の消費低迷とコメ余りのスパイラルにより、生産者米価が低迷しています。いかなる時代にあっても、命を支える食料を作る人と食べる人が互いに支え合い、ともに顔が見える信頼に裏打ちされた関係性に勝る絆はありません。

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【Photo】昨年8月半ば、お米を購入するため井上さん宅へ伺うと、「ハイ、お土産❤」と佳奈子さんからお米と一緒に手渡されたのが、イチゴ箱入り樹熟トマト3種てんこ盛り詰め合わせ。ミニトマト「ラブリー藍」、薄皮で食べやすい「ピンキー」、生食でも極めて美味なれど、加熱すると甘味が増すため、オリーブオイルや少量のニンニクとともにソースにもなる「シシリアンルージュ」。... いつもスミマセン(^0^;

 生産調整(減反)対策で植え付けを始めた飼料用米を含むお米と並ぶ井上農場の屋台骨を支えるのが園芸作物。鶴岡市への合併前、藤島町時代から町を挙げて特産化に取り組んだのが完熟トマトです。井上農場の「樹熟トマト」は、「たかくんの茶豆」名で出荷される枝豆と共に夏の主力となります。前編で触れた小松菜は1年を通して生産しますが、とりわけ肉厚&ジューシーで美味しく感じるのは、ハウスの外が白銀と化す真冬です。

 現在の親子2代による生産体制が固まったのは、庄内農業高校を卒業してすぐの長男・貴利さんが就農した2000年(平成12年)。教師を志すも先代が病に倒れたため、若くして家業を継いだ馨さんが受け継いだ3haの水田を12haに拡大。併せて遠赤外線乾燥機を備えたライスセンターを建設。順次拡大した耕作地は現在30haにまで広がっています。

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【Photo】収穫後すぐに湯むきした樹熟トマトにグラニュー糖と微量のレモン果汁を加え、素材の味を活かしたトマトジャム。8年前に鶴岡旬菓処「福田屋」の協力のもと加工品第一弾として製品化(旧パッケージ・左写真) 昨年から庄内町の鯉川酒造に醸造を委託している井上農場産の特別栽培米つや姫を全量使用した純米吟醸「別嬪(Beppin)うすにごり」(右写真)

 収穫したコメの乾燥には、摂氏60度以上の熱風を循環させるタイプがかつては一般的でした。安心で美味しい農産物を心がける井上さんは、太陽光に含まれる遠赤外線で天日乾燥に近いコメの変質を防ぐ摂氏30度前後で最適な水分量に調整する機能を備えた乾燥機を導入。耕作地の拡大に対応すべく、2011年には、収穫後も品質を損なうことなく玄米を貯蔵できる低温保管施設を建設しました。

 惜し気もなく大吟醸酒を使用する贅沢極まりない「醤油の実」〈2011.6拙稿「銀しゃりには醤油の実のみ」参照〉やトマトジャムなどの加工品は、自家消費と一部顧客向けに出していました。長女の佳奈子さんが家業を本格的に手伝うようになった最近では、チョコレートをコーティングしたつや姫のポン菓子、ドライトマト(⇒イタリアで言うところのPomodori Secchiポモドーリセッキ)、ドライ小松菜、トマトのレトルトパック、甘酒など、六次化による新境地も開拓。

i-an-tempra1.jpg【Photo】井上農場の未来を担う元気いっぱいの子どもたちが見つめる中、i庵銘田で仕事を始めたてんぷら小野の志村幸一郎さんは、国際会議など海外での活動歴が少なくない。いかなる状況下でも見事に仕事を成し遂げることを実証する之図 その1

 そして酒販免許を取得し、昨年から取り組んだのが、仕込みに井上農場産つや姫を使用し、鯉川酒造に醸造を委託した純米吟醸うすにごり別嬪(Beppin)。鯉川酒造には、「スローフードジャパン燗酒コンテスト2014」お値打ち燗酒・熱燗部門で最高金賞受賞に輝いたコストパフォーマンスの高い「純米別嬪」があります。

 蔵元が得意とするぬる燗から常温で旨味が際立たせるコンセプトはそのままに、麹米が山田錦、もろみとなる掛米は雪化粧で精米歩合65%の別嬪とは異なり、Beppinの仕込みには井上農場産つや姫を使用し、うす濁りに仕上げられています。精米歩合50%の吟醸酒ですが、ぬる燗でもイケるのは、大吟醸古酒をフルボディの赤ワインの代役に仕立ててしまう鯉川さんらしいところ。

i-an-tempra2.jpg【Photo】今年の春リニューアルした致道博物館の食事処「汁けっちぁーの」を任された海藤道子さん(写真右)らも途中参加。国際派のMr.Koichiro Shimuraは、いかなる状況下でも見事に仕事を成し遂げることを実証する之図 その2

 ふとした気まぐれで井上農場に立ち寄ったその日、井上馨さんのご好意で同席させて頂いた宴には、Beppinが2本一升瓶で用意されていました。そこにお腹を空かせて勢揃いしたのが、農場の将来を担う内孫6人。中でもこの日を指折り楽しみにしていたのが、年長のここみちゃんでした。

 2年前の春、諸事情により平日の昼に開催されたため、庄イタは参加できなかったi庵銘田のお披露目会に駆けつけた志村夫妻。井上農場の子どもたちに食べてもらう天ぷらを別皿に確保したはずが、参加メンバーの胃袋にいつの間にか収まっていました。

i-an-tempra3.jpg【Photo】すぐ目の前で志村さんが揚げた天ぷらを、勢揃いした井上家の内孫6人が一心不乱に口に運ぶ。この日をとりわけ楽しみにしていたのが、前編で悦さんの近くを離れずにいた頃が懐かしい年長のここみちゃん(写真中央)

 学校から帰宅し、天ぷらがないことを知ったここみちゃんの落胆した表情が忘れられず、別件で鶴岡を訪れることになっていた志村さんが、子どもたちにお腹いっぱい天ぷらを食べてもらうため、この日が実現したのだそう。

 そんな心優しい志村さんが、手際良く天ぷらを揚げる様子を歓声を上げながら興味深そうに見守る子どもたち。大家族ならではの賑やかな宴は、こうして始まりました。ビールで口を潤してからBeppinで乾杯。そうこうするうち次々と揚がってきたのが、志村夫妻が鶴岡で見立てたフキノトウ、タラノメ、アイコといった山の幸。さらには、フグ、スルメイカ、ホタテなどの海の幸。

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【Photo】志村さんがi庵銘田で揚げて下さった天麩羅。ほろ苦くも香味のすがすがしさが口いっぱいに広がるフキノトウ(左写真) タラノメと烏賊(右写真) 

 1本目のBeppinが結構な早さで空こうとする頃、井上家の台所から鍋ごと届いたのが、奥様の悦さんが作って下さった鶴岡の郷土料理「孟宗汁」でした。井上家の孟宗汁を頂くのは、この日が初めて。庄イタが狂喜したことは申すまでもありません。孟宗筍を口にしてこそ、初めて春の訪れを実感するのが庄内人たる所以。

 ザク切りやいちょう切りにした朝採りの孟宗、厚揚げ(庄内では「油揚げ」と呼ぶ)、生椎茸の基本具材3点は外さず、白味噌仕立てにする孟宗汁。豚肉・酒粕の有無など家庭ごとの味が存在します。浅田真央さん流に言えば、メンタリティにおいてイタリアと庄内のハーフハーフである庄イタ宅でも、10年以上作り続けている孟宗汁には、我が家の味が確立しています。 

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【Photo】悦さんが鍋ごと届けて下さった井上家の孟宗汁(右写真)悪魔祓いを意味するScacciadiavoliは、1884年創業のモンテファルコ最古参の醸造所。伝統の地ブドウ「Sagrantinoサグランティーノ」で造られるモンテファルコ・サグランティーノは、知る人ぞ知る高い熟成能力を秘めた逸品(左写真) この夜、偶然の巡りあわせで、お流れを頂く幸運に恵まれたモンテファルコ・ロッソ2012(右写真)

 庄イタにとって棚からボタ餅のご馳走は、志村さんの天麩羅、Beppin、そして井上家の孟宗汁だけではありません。Beppinの横には「Montefalco Rossoモンテファルコ・ロッソ」とエチケッタに記されたヴィーノ・ロッソが鎮座していたのです。産地はイタリア・ウンブリア州ペルージャ県の名醸地モンテファルコゆえ、出元の察しはついていましたが、作り手は初めて目にする日本未上陸の「Colle Mora コッレ・モッラ」。

montefalco-sagrantino.jpg【Photo】長期熟成能力を備えたウンブリアの地ブドウ品種サグランティーノ。「悪魔祓い」を意味するScacciadiavoliのモンテファルコ・サグランティーノ2004は、飲み頃を迎えるまでセラーで熟成中

 井上さんに確認した出元は、カゴの鳥状態の庄イタに「いつでも泊まりに来て」と言ってくれているペルージャ在住のKishieThomasPlacidi夫妻。それはプラチディ夫妻のもとを訪れた共通の知人Fさんに託された井上さんへのお土産でした。モンテファルコにある醸造所では最古参のスカッチャディアヴォリの旗艦Montefalco Sagrantinoモンテファルコ・サグランティーノ2004をトーマスからプレゼントされた経験を持つ庄イタには願ってもない1本です。


 こうして期せずしてイタリアの緑の心臓と呼ばれるウンブリア州にあって、「Torgianoトルジャーノ」と並び称される名醸地のヴィーノ・ロッソのお流れにもありつけるという、4つ目の棚ボタにまで預かった次第。Volere è potere.まさに意志あるところに道は開ける。もはやこの引きの強さを神通力と呼ばずして、何と解釈すればよいのでしょう。

1-DSCF5483-002.jpg いつの間にか志村さんは、長男貴利さんの末娘ひなちゃんを肩車をして、名だたる究極のパフォーマー軍団のステージで登場しても喝采を浴びそうな立ち姿で天ぷらを揚げています(笑)。

 念願がかなってお腹いっぱい天ぷらを食べることができたここみちゃん達が自宅に戻ってからは、悦さんや地区の会合から戻った貴利さんもi庵銘田に合流。互いに信頼を寄せる大人たちの語らいの時は、いつ果てるでもなく夜は更けてゆくのでした。

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井上農場
住:鶴岡市渡前字白山前14
交流施設・ライスセンター所在地:鶴岡市渡前字山道東91
Phone / Fax : 0235-64-2805 (9:00~18:00)
URL:http://www11.ocn.ne.jp/~inoue-fm/
e-mail: order@inoue.farm
i 庵銘田には冷蔵庫や調理設備が一通り揃う。折り畳み式のシングルベッドがあるので、庄イタが震災以降実践しているように車に積み込んだ寝袋があれば、難なく宿泊も可能。(事前に申し出れば貸布団の手配も可)日帰り入浴施設「やまぶし温泉ゆぽか」と庄イタも入浴回数券を持っている「ぽっぽの湯」は、それぞれ車で10分以内の距離。
 何より魅力的なのは立地。i庵銘田は圃場のど真ん中に建つため、夏には生命力に満ちたトマトや畑の野菜を食することが可能。「朝はパン食~♪」なんていう野暮はやめて、井上農場のご飯を食したい。安息日を除いて毎朝行われるスタッフミーティングが行われる現場で味わう食事と時間に、真の豊かさを見い出すはず。なお、宿泊代は馨さんへの心づけとして一升瓶を持参(←庄イタの場合)

てんぷら小野
住:東京都中央区八丁堀2-15-5 第5三神ビル3F
Phone:03-3552-4600  土日祝定休
営:月曜 17:30~21:00L.O.
  火曜~金曜 昼11:30~14:00L.O.  夜17:30~21:00L.O.
URL:http://tempura-ono.com/?lang=ja


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2015/05/02

日本海ひな街道 2015 reprise

お雛様の画像を追加しました!

 酒田雛街道2015スタンプラリー当選者発表にある通り、庄イタと思われる〝宮城県仙台市の木村様〟が当選した招福の縁起物である傘福。

 発表から半月を経過した今のところ、手元には届いておらず、悶々とした日々を送っております(- x -〃)。

 誕生が待たれる英国王室ウィリアム王子とキャサリン妃の第2子が、女児か男児かと同様、傘福が晴れて庄イタにもとに届くかどうか。William Hill(ウイリアム・ヒル)など、大手ブックメーカーで賭け事の対象になっているか否かは存じ上げません。

aioisama-honmake.jpg【Photo】江戸後期に京都で作られ、酒田・本間家に手で代々受け継がれてきた百歳雛「相生様(あいおいさま)」〈画像提供:本間家旧本邸〉

 さて、今回ご紹介している本間家旧本邸が所蔵する「相生様」のほか、前回「神通力ふたたび!? 酒田編」で、当初は掲出できなかった風間家・白崎家の雛段飾り、雛道具、犬筥(いぬばこ)、さらに別カットの相生様の合計5点の画像を関係各位のご厚意により、掲載のご許可を頂戴しました。

 まったくもって自画自賛ですが、追加前と比べて見応えが遥かに増したように思います。来春の「日本海ひな街道」に向けたイメージトレーニングを兼ね、よろしければ再訪下さい。

(今度こそ)「神通力ふたたび!? 鶴岡前編」に続く。
to be continued.

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reprise :このほど日本武道館で49年ぶりの凱旋公演を果たした著名な英国の音楽家が所属した偉大なバンドの名盤Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band。タイトルチューンとは別バージョンの曲名で使用した「繰り返し」を意味する言葉


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2015/04/20

日本海ひな街道2015

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神通力ふたたび!? 酒田編

Da cosa nasce cosa.〟「物事は思わぬ展開をする」といった意味のイタリアの諺(ことわざ)です。

 予想だにしないことが起こるのは世の東西を問いません。〝The dog that trots about finds a bone.〟(⇒駆け回る犬が骨を見つける=犬も歩けば棒にあたる) この江戸かるたでもお馴染みの諺には、こんな英語の言い回しが存在します。

 アンビリーバボーな展開に遭遇することが少なくないのは、前々回、気仙沼の郷土料理「あざら」をご紹介した折に触れた荷受人の参上事件を引き起こした庄イタも例外ではないようです。

 見事な時代雛が数多く残る庄内地域に春の訪れを告げるのが、日本海ひな街道。今月初旬に閉幕した2015シーズン最終盤に滑り込みで訪れた酒田と鶴岡で、自身の〝引きの強さ〟を再認識する新たな出来事が起こりました。

 鶴岡での出来事は後編でご紹介することにして、酒田で発揮した(のかもしれない)神通力について今回は語ります。

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【Photo】風間家7代当主幸右衛門が住居兼店舗として建造した丙申堂。庄内地域特有の冬の暴風に耐える4万個の石を並べた杉皮葺き石置き屋根が特徴。2000年(平成12)国指定重文指定を受けた

 所有権を巡る訴訟の和解が成立し、酒田から鶴岡にこの春65年ぶりの里帰りを果たしたのが、江戸後期に京都と江戸で作られた風間家のお雛様。鶴岡きっての豪商・風間家の住まいであった旧風間家住宅「丙申堂」で、雛飾り56点が公開されるとあって、庄イタも第二の故郷である庄内へ里帰りし、実家でお過ごしの男雛・女雛と久方ぶりにお逢いせねば、と思っていたのです。

 呉服や太物(→綿織物や麻織物の総称)を扱う庄内藩の御用商人から明治以降は金融業に転じ、鶴岡きっての豪商となった風間家。1896年(明治29)築の商家造りの母屋の建坪は380坪。丙申堂以外では、酒田の鐙屋にだけ見られる五枚重ね構造の杉皮葺き石置き屋根が特徴です。

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【Photo】風間家9代目故・眞一氏の姉のために大正末期に手に入れたという古今雛。明治から昭和にかけて三代に渡って活躍した東京の人形師「永徳齋」二代目、気品ある作風で名工の誉れ高い山川慶次郎(1858-1927)の作

 手前の仏間と部屋続きの御座敷で風間家のお雛様が一般公開されるのは今年が初めて。座敷の幅に合うよう作られた雛段の最上段に公家の正装姿で居並ぶ古今雛は、しっかりと正面を見据えて少し取り澄ました表情。京製のお雛様に共通する切れ長のまなざしが、そうした印象を与えるのかもしれません。対して玉眼を与えられ、現代に通じる写実的な江戸製の古今雛は、端正なお顔を少し下に向け、訪れる人に春を迎えた悦びを語りかけるかのよう。

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【Photo】公益財団法人本間美術館が所蔵する風間家雛段飾り。1996年(平成8年)に始まった酒田雛街道が20周年を迎える来春から3年間は本間美術館で、その翌年は鶴岡丙申堂で公開される <画像提供:本間美術館>

 風間家に伝わるお雛様は、長いこと酒田の「本間美術館」で公開されてきました。9年前の春、庄イタが初めてこのお雛様とお会いしたのも本間美術館本館の表座敷でのこと。

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【Photo】風間家の雛飾りに添えられる押絵細工の技法による雛菓子。上方の細工菓子が庄内で独自の発展を遂げた例。菊水・短冊・鯛・桃・竹梅扇・鶴など、おめでたい意匠を組み合わせる

 日本国憲法が施行された1947年(昭和22)5月、戦後初の私設美術館として出発した本間美術館。その設立趣旨は、太平洋戦争で疲弊した人々の心に潤いを与え、地方の文化芸術の発展に寄与すること。公益の精神が息づく庄内と、現在は公益財団法人化された本間美術館を語る時、本間家の存在を忘れてはなりません。

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【Photo】公益財団法人本間美術館が所蔵する白崎家雛段飾り。酒田雛街道20周年「雛祭古典人形展」(2016年2月27日(土)~4月4日(月))で公開予定 <画像提供:本間美術館>

 およそ450年前の永禄年間に酒田に移住した本間家。北前船と最上川舟運で繁栄した酒田湊を拠点に商業・金融業を営む傍ら、本邦随一の大地主として名を馳せました。これは東北を襲った飢饉で打ち捨てられ、荒れ地と化した耕作地を蘇らせるため、田畑を買い足しては土地改良と水利事業を行った結果です。

 本間家中興の祖、三代目本間光丘が、飛砂害に苦しむ沿岸部に私財を投じて植林を始め、庄内砂丘一帯に今では1,000万本を越える防砂林を形成するのがクロマツです。〈拙稿「だだちゃ豆は、ががちゃの賜物」(2009.8)冒頭参照〉。世のため身を挺して大地に根を張るクロマツと同様、公益のために尽力したのが本間家でした。

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【Photo】現在は本間美術館本館として広く公開される本間家別荘「清遠閣」。池泉回遊式庭園「鶴舞園」は、第10代庄内藩主酒井忠器(ただかた)公の命名。本間家4代光道が、北前船が欠航する冬の港湾従事者の失業対策に作庭した。200年以上の時を重ね、いずれも格別の趣と風格がある

 本間美術館が創設された昭和22年は、敗戦国日本が、米軍の占領下にあった時代。食料不足にあえぐ都市部では闇市が立ち、ヤミ米に手を出すことをしなかった佐賀の裁判官が栄養失調で死亡するなど、世相は混沌としていました。そんな時代にあって、日本人に誇りと心の潤いを取り戻す美術館としての新たな役割を与えられたのが、1813年(文化10)に竣工した本間家の別荘「清遠閣」です。

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【Photo】JR酒田駅から徒歩5分の本間美術館から直線距離にしておよそ1km、歩いて15分あまりの本間家旧本邸。漆喰の白壁と瓦の塀で囲まれ武家屋敷の風格を漂わせる

 清遠閣は、庄内藩主酒井家の領内巡視時の休憩所としても供され、明治以降は本間家の賓客を迎え入れてきました。昭和天皇が摂政・皇太子時代の1925年(大正14)、東北行幸で酒田を訪れた際の滞在先として二階を増築。酒田の迎賓館としての役割も担います。

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【Photo】樹齢400年を超す堂々たる枝ぶりのアカマツ「伏龍の松」と、丸に本の字を組み合わせた本間家の家紋入り赤瓦屋根が訪れる人を出迎える本間家旧本邸

 本間家所有の北前船6艘で、米を運んだ上方からの帰路、古手(ふるて=古着)や雛人形などの物資と共に運んだ各地の銘石を池の周囲に配した回遊式庭園「鶴舞園(かくぶえん)」。秀峰鳥海山を借景とする庭園は、清遠閣の手漉(てす)きガラスの窓越しに眺めることができます(下写真)。

1-cul200-seienkaku.jpg 美術館として生まれ変わって以降、一般に公開されてきたのが、庄内藩酒井家や米沢藩上杉家など諸大名からの拝領品。そして丸山応挙・歌川広重・藤原定家・松尾芭蕉の書画などの本間家による蒐集品。さらに安井曾太郎、棟方志功、土門拳など当代きっての芸術家による作品に酒田市民は間近に触れることができました。

 激動の時代を乗り越えた本間家所蔵のお雛様を公開する「雛祭古典人形展」が本間美術館で初開催されたのが1948年(昭和23)。

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【Photo】徳川家から拝領したことを物語る葵の御紋入りの精緻な蒔絵が施された碁・双六・将棋などの雛道具(上写真)など、雛街道で展示される所蔵品は毎年入れ替わる。独自の発展を遂げた酒田・鶴岡の菓子職人が、伝統の技で仕上げた雛菓子<拙稿「お雛様は、いとをかし」2009.5参照>もお見逃しなきよう <所蔵・画像提供:本間家旧本邸>;

〝西の堺、東の酒田〟と並び称された商都酒田の繁栄を支えた三十六人衆など、年を追うごと新たな旧家の由緒ある時代雛が公開されてゆきます。これが市民の評判を呼び、現在各地で春先に開催されるお雛様を公開する催しの端緒となりました。

 空襲を受け廃墟と化した都市部では、多くの人がバラック小屋で夜露をしのぐ寝食にすら事欠いた当時。公開された珠玉の美術品や雛人形は、人々の心に希望の光を灯したことでしょう。

aioi-sama-primavera.jpg【Photo】白髪の男雛・女雛で対となる百歳雛を本間家では「相生様」と呼び慣わしてきた  <所蔵・画像提供:本間家旧本邸>

 長く厳しいモノトーンの季節に別れを告げ、庄内各地でも梅の花がほころび始める頃。目にも鮮やかな緋色の雛段にお出ましになる時代雛。優美なほほ笑みを浮かべるお雛様と相見える時、去来する春を迎える悦びと、当時の日本人の思いは相重なるのではないでしょうか。

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【Photo】雛人形と一緒に飾られる雌雄一対の犬筥(いぬばこ・幅30cm・高さ19cm)は、中に雛道具を収納できる。多産でお産が軽い犬は子孫繁栄を願う女児の守り神とされ、本間家に伝わるこの犬筥は狛犬のように口が阿吽(あうん)の相をしている <所蔵・画像提供:本間家旧本邸>

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 知恩報徳」を代々の家訓として、福祉・慈善事業に尽力してきた風間家。丙申堂を管理運営する公益財団法人克念社が、本間家による所有を認めた上で、風間家のお雛様が4年ごとに丙申堂で公開されることとなりました。第二次大戦が終わって70年目を迎える今年。両家の歩み寄りを一番喜んでおられるのは、ほかならぬ風間家のお雛様に違いありません。

 鶴岡から酒田に移動したのは、思うところがあり、羽黒山頂にある出羽三山神社の開祖・蜂子皇子を祀る蜂子神社と出羽神社三神合祭殿に詣でんがため。隋神門から数えて山頂まで本来は2,446段あるはずが、二の坂から上は雪に覆われていた石段&雪山登山に等しい参道を難行して往復した後のこと。

【Photo】樹齢300~500年を数える杉並木の間をゆく出羽三山神社参道。最も長く急勾配の「二の坂」から先の石段と石畳は、雪に覆われていた

 酒田雛街道では「雛の味わい」と題し、市内の各飲食店で雛祭りにちなんだ特別メニューを提供します。今回は太田政宏グランシェフのもとで研鑽を積んだ武田亘シェフが厨房を預かる「フランス風郷土料理レストラン欅」で「ひなランチ」を頂きました。

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【Photo】レストラン欅「ひなランチ」(パンまたはライス・コーヒー付 / 税込2,160円)
1皿目:「ヤリイカのキモト(アサツキ)詰めトマトソース」

keyaki2015hina3.jpg【Photo】3皿目(上):庄内浜の春告げ魚の代表格がサクラマス。「サクラマスとプリプリ海老のポワレ・帆立エキス入り白ワインバターソース」2皿目(左下):野菜のうまみが溶け出したスープの中に浮かび上がってくるのは、桜の花をかたどったニンジン。そんな演出に思わず笑みがこぼれる「和野菜と紅花のスープ」 4皿目(右下):菱餅と同じ3色。お雛まつりにちなんだデザート「抹茶とイチゴのムース」

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 酒田でお雛様にお会いするために今回まず伺ったのは、これまで何度か訪れている本間美術館ではなく、本間光丘が幕府の巡見使を迎え入れる本陣として、1768年(明和5)に建てた「本間家旧本邸」。旗本二千石の格式を備えた武家屋敷造りと商家造りを合体させた全国でも例を見ない特異な構造をしています。

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 庄内藩酒井家に献上後、住まいとして拝領し、仏間より北側の商家造りの部分を歴代本間家が住居としたのは1945年(昭和20)春まで。光丘が造った当主の部屋は、家が栄える吉方とされた北西の角にあり、狭さといい、薄暗さといい、日本一の大地主の主人が過ごす部屋としては意外なほど質素な造り。

 いかなる時も町と共に歩み、公益に資することを旨とした本間家。1949年(昭和24)から1976年(昭和51)まで旧本邸は公民館として利用されたのだといいます。

 本間家旧本邸で、とりわけ印象深いのは、「相生様(あいおいさま)」と本間家では呼ばれてきた百歳雛。ともに白髪が生えるまで仲睦まじくという願いを込めたお雛さまです。

 百歳雛は山居倉庫の敷地に建つ「酒田夢の倶楽(華の館)」にも、どれほど眺めても見飽きない加藤家の古今雛と共に展示されており、雛街道開催中の酒田では、必ずお目にかかってきました。

 酒田市内で展示されるお雛様の展示場所3か所をコンプリートすると、風間家のお雛様と共に丙申堂の雛段に飾られていたような「傘福」ほか、お雛様関連グッズが抽選で当たる「雛めぐりスタンプラリー」にも参加。旧家に眠っていた可愛らしいお雛様が展示されていた「マリーン5清水屋」6Fの専用応募箱に投函し、家路に就きました。

 スタンプラリーに応募したこと自体、さして気にも留めずに今日まで過ごしてきた庄イタ。「そういえば」と思い、改めてスタンプラリーの応募台紙を兼ねた酒田雛街道のパンフレットを見直しました。そこには4月3日応募締め切りの抽選結果は、酒田の観光情報を紹介するWEBサイト「さかたさんぽ」で発表とあります。

 そこで4月14日付で発表されていた当選者リストに何の気なしにアクセスすると...。

Σje.Σje.Σje.( ゚ Д ゚;!!!!

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 仙台市在住の同姓の方で「我こそ酒田雛街道スタンプラリーに応募し、傘福をゲットした強運の持ち主だっ!!」と仰る方は、どうぞコメントをお寄せ下さい。庄イタの淡い期待は即刻打ち捨てますので。

 当選者発表にある通り、全国から寄せられた応募総数は1,267件。さて、1,267分の2の確率で見事当選した(はずの)傘福が、自宅あてに届くのかどうか、もうドキドキですわ(笑)。 


「神通力ふたたび!? 鶴岡編」に続く。
to be continued.


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2015/02/28

日本海寒鱈まつり2015@鶴岡〈後編〉

《前編「1年ぶりの湯田川温泉」より続き》

あの人もこの人も、あれもこれも、お久しぶりね~
5年ぶりの寒鱈まつり

 前編で述べた通り、「日本海寒鱈まつり」前夜の1月17日(土)は、鶴岡の奥座敷こと湯田川温泉に宿泊しました。そのため特設会場となる鶴岡銀座商店街には、10時30分の開始後間もない11時前に余裕をもって無事到着。

festa-kandara2015.jpg【Photo】作曲家の中田喜直が「雪の降るまちを」の着想を得たとされる鶴岡。目抜き通りの銀座通り商店街に雪が舞う。寒鱈まつりにふさわしく、底冷えする(あいにくの?)吹雪交じりの空模様のもとで開催された第27回鶴岡日本海寒鱈まつり会場

 酒田中町通りでは28年前、鶴岡銀座通りでは27年前から冬の観光行事として開催されている寒鱈まつり。鶴岡市由良や、現在は鶴岡市に編入された旧温海町道の駅「しゃりん」、遊佐町「鱈ふくまつり」など、寒の季節に庄内各地で開催されるこの催しには、毎年多くの人が訪れます。
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【Photo】庄内浜に揚がる海産物の旬と美味しさ、調理法、さばき方など、庄内ならではの魚食文化に関する啓発を行う「庄内浜文化伝道師」でもある「魚神」上林榮孝社長が、寒鱈汁を味噌で味付け。第27回鶴岡日本海寒鱈まつり会場にて

 庄内浜では、産卵を控えた寒の時季に水揚げされる真ダラを寒ダラと呼び、とりわけ珍重します。白子が入った10kgクラスのオスで、魚体へのダメージが少ない延縄漁による釣り物ならば、軽く1万越えは確実。漁獲量が多い底引き網漁物ですら、1万円近くの高値を呼びます。

 そんな寒ダラが千両役者ぶりを発揮する庄内地方の郷土料理が「どんがら汁寒鱈汁)」です。

 身(胴)とガラ(アラ)を全て使い切るどんがら汁には、豆腐やダイコンなどの脇役を入れる派・入れない派、味付けが味噌だけ派・酒粕を加える派など、家ごと異なる流儀と味があります。同様に寒鱈まつりでも店ごと味付けが異なるため、会場内で食べ歩きできるのが最大の魅力。

 今回、庄イタが寒鱈まつりを訪れたのは5年ぶり。魚市場青年部、鮨商組合、麺類食堂組合などの常連に交じって新規参入組も加わり、今年は全14団体が参加。燃料費の高騰や消費増税を受け、鱈汁は1杯600円となりましたが、催しを主催した鶴岡銀座商店街振興組合・日本海寒鱈まつり実行委員会によれば、およそ2万人が訪れたといいます。

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【Photo】 一昨年、鮮魚店の2/3ほどを和食処として改装する以前の「魚神」本店では、土日休日限定でアラ汁を無料で提供していた(上右写真。現在は休止)。ガラから滲み出した旨味たっぷりの醤油仕立てのアラ汁の旨かったのなんの...( º﹃º` )。
 遠~いその味の記憶を頼りに、行列に並んだ魚神が鶴岡郵便局と共同出店したテント裏には、地物の証である由良漁港に水揚げした船名とオス・メスの違い、魚体の重量を記した保冷箱が山積み(上左写真)

tsuruoka-kandara-matsuri2014.jpg【Photo】鍋から立ち上る湯気とともに、鱈汁の香りが鶴岡銀座通りを包み込む(画像提供:鶴岡市食文化推進室)

 27回目の開催を迎え、庄イタのようなリピーターが少なからず存在するこの催し。行列で隣り合わせたのは、毎年のように訪れているという仙台の女性グループ。世界一のクラゲ展示で人気の加茂水族館と寒鱈まつりをカップリングし、今年も昨年同様にバス4台を仕立てた河北新報トラベルのツアー参加者でした。

 この日も貸切桧風呂で朝湯を満喫した湯田川温泉ますや旅館では、食べる量をセーブし、早めに朝食を済ませていました。それでも会場に到着した11時時点での空腹感は、ほぼ皆無(笑)。

 そこで腹ごなしを兼ねて、まずは南北に450mほどの寒鱈まつり会場をぐるりと一巡。これは目当ての団体の出店ブースの行列の出来具合をチェックするためでもあります。

 リピーターが多いということは、出店者それぞれに異なる味付けとの再会を心待ちにしているファンがいるということ。長い行列は人気度のバロメーターと見ることもできるでしょう。

 時折激しく雪が舞う鶴岡銀座商店街通りには、テント張りの店がズラ~リ。鱈汁のおいしそうな香りが鼻腔をくすぐると、それまでの満腹感がたちまちにして雲散霧消。食欲スイッチオン!!

uoshin-dongara2-2015.jpg【Photo】鍋から立ち上る湯気に乗って漂ってくるどんがら汁の香りが激しく食欲をそそる(上写真)。底冷えする鶴岡銀座通りにできた行列に並ぶ人々の熱い目線は鍋にくぎ付け(下写真)。

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 寒鱈汁の基本は味噌ベース。酒粕がきいたパンチのある味付けが例年なされる鶴岡銀座商店街婦人会は2杯目に回す戦法で臨んだ今年。寒鱈汁のゆうパックを冬季限定で取り扱う鶴岡郵便局が、鮮魚店兼和食処「魚神(うおしん)」と共同で出店するテントをまずは目指しました。

 魚神は、山形道・鶴岡IC近くに2店舗を構える鮮魚店で、由良漁港直送の海産物を中心に扱っています。庄内観光物産館内の店にほど近い淀川町にある本店は、和食処メインの店舗として一昨年リニューアル。

festa4-kandara2015.jpg【Photo】魚神の神林社長が自ら味付けした寒鱈汁。ご覧の通り、たっぷりのガラから滲み出たコクと旨味に天然岩ノリの磯の香りが加わり、期待通りのそれはそれは結構な一杯

 改装前の魚神本店で、週末限定で振る舞われていたのが、ガラがたっぷりと入った醤油仕立てのアラ汁。それは魚を扱うプロとしての心意気を示して余りある忘れ難い逸品でした(現在は提供休止)。無料サービスでも決して手を抜かないアラ汁の記憶が、庄イタをして、その行列へと導いたのです。

festa5-kandara2015.jpg【Photo】お久しぶりね~♪ 鶴岡銀座商店街婦人会のお母さんたちお手製のどんがら汁は、5年ぶりの滋味深い母なる味

 果たせるかな、それは産卵を控えて養分を蓄えたアブラワタなどのガラから滲み出たコクが、味噌の風味と絡んで、まさに王道を行くどんがら汁。1杯目の余勢を駆って向かったのは、毎回必ず完食している鶴岡銀座商店街婦人会のブースです。

festa6-kandara2015.jpg【Photo】鶴岡銀座商店街婦人会の寒鱈汁。酒粕のきき具合は例年通り。盛りを含めて今回は少しお上品な仕上がりだったかも

 2杯目の鶴岡銀座商店街婦人会は、観光客向けに万人受けするよう、今年はソフィストケイトされた印象。気持ち的には、もう一杯食したいところでしたが、真ダラのようなお腹周りになりかねません。ますや旅館で食した前夜分を含め、タイプの異なる寒鱈汁3杯を食し、ドンもガラも 身も心も満たされて会場を後にしました。

 冬来たりなば春遠からじ。国内有数の渡り鳥の越冬地である宮城県北の伊豆沼周辺では、例年より1週間早くオオハクチョウやマガンの北帰行が始まりました。最上川河口周辺でも、間もなくハクチョウたちがシベリアに向けて旅立つことでしょう。

 明日から弥生3月。西回り航路の表玄関だった江戸期の繁栄ぶりを窺わせる壮麗な時代雛が、庄内で独自の発展を遂げた雛菓子とともに出迎えてくれる「日本海ひな街道」が、先行した酒田に続き、鶴岡ほか各地で始まります。


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2015/02/21

日本海寒鱈まつり2015@鶴岡〈前編〉

 年間を通して最も気温が低い季節の出口が遠くに見えてきた感がある今日この頃。寒の時季に庄イタが条件反射的に恋しくなるのが、薪火の香り漂うナポリピッツァと庄内の郷土料理「どんがら汁」。(⇒ 一体どんな組み合わせだよッ\(`-´) )

 鉛色の雲が低く垂れこめ、怒涛渦巻く厳しい表情を見せる冬の日本海。そんな季節、鶴岡・庄内観光物産館や酒田・海鮮市場といった物産施設や市中の鮮魚店の主役は、産卵期を迎えた真鱈(マダラ)。庄内浜では、小寒から節分までの寒入り時季が漁の最盛期となるマダラ。鮮度が高い釣り物には1万円前後の高値が付くことも。

Dongara-Zuppa-Kandara.jpg【Photo】寒の時期に揚がる真ダラの脂が乗った白身(胴・ドン)は勿論のこと、タヅ・タダミ(白子)、骨、目玉、エラといった内臓(ガラ)まで余すところなく使う豪快な庄内浜の郷土料理「どんがら汁(=寒鱈汁。略して鱈汁とも)」。〝たらふく〟の語源とされる旺盛な食欲でイカやカニなどを捕食し、ふんだんに栄養を蓄えたアブラワタ(肝臓)は、深い味わいを醸し出す文字通りのキモとなる(画像提供:鶴岡市食文化推進室)

 その地の多彩で奥深い魅力を知り、その奥義に精通した庄内系たらんと欲し、それを自任し、かくあるべしと自らに課し、ゆえに言葉に責任を持つ以上、日々の鍛練を怠っては、庄内系の名折れというもの。

kandara_Biglietto2015.jpg 東日本大震災の発生を受けて、被災地では復興・減災に関するさまざまな事案が同時並行的に展開しています。そのため、かつてのような頻度で彼の地を訪れることが出来ず、丹精込めた生命の糧をお世話になっている庄内の皆さんに不義理を重ねていることに忸怩たる思いでおりました。

 このままではイカン!!と一念発起したのが昨年末。年末のレポートでご報告した聖地・庄内訪問の折、自らを追い込む意味で、2010年1月に開催された「第22回日本海寒鱈まつり」以来、久しく参加していないこの催しの前売り券(右写真)を購入したのです。

 今年で27回目を迎えた鶴岡日本海寒鱈まつり開催にあわせ、5年ぶりとなるこの催しに参加した庄イタ。前編ではまつり前夜に投宿した湯田川での顛末を一席。

あの人もこの人も、あれもこれも、お久しぶりね~
1年ぶりの湯田川温泉。

 明治維新以降、多極分散型ではなく東京一極集中の国づくりを進めてきた日本。急速に進んだ経済のグローバル化は、産業の空洞化と地方の疲弊という負の側面をもたらしました。

 国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)は、文化の多様性保持と、関連産業が発展することで地域が活力を生み出すべく、自治体間連携を促進させる「創造都市ネットワークThe Creative Cities Network)」を2004年(平成16)に創設しました。

tri-jizou.jpg【Photo】湯田川温泉へと向かうR345湯田川街道沿いにある通称「飴舐め地蔵」。庄内地方では、路傍の地蔵にお手製の下げ飾りを奉納する習慣がある。口に飴を擦り込んで願掛けをすると願いが叶うという三体のお地蔵様。折からの地吹雪のため、口の周りではなく顔の半分が粉糖のような雪で覆われ、寒さに凍えていた

 エントリーは、文学、映画、音楽、工芸、デザイン、メディア・アート、食文化の7カテゴリーで強みを有する自治体による申告制。カテゴリーごとの専門家委員会による審査を通過すれば、「Creative City(創造都市)」として認定されます。

shomen-terme.jpg【Photo】優しい肌触りの豊富なお湯は源泉かけ流し。湯田川温泉「正面湯」

 昨年12月、かねてより産官学を挙げてGastronomy(ガストロノミー=食文化)分野での創造都市登録を目指してきた鶴岡市が、フロリアノーポリス(ブラジル)、順徳(中国)とともに日本国内では初となる認証を受けました。これで世界8都市が、ガストロノミー分野での認定都市となりました。

 2015年2月現在、7分野で全69都市が登録されている創造都市には、日本では以下の6都市が指定を受けています。名古屋・神戸(デザイン)、金沢(工芸)、札幌(メディア・アート)、浜松(音楽)、そして鶴岡(食文化)。

 新たに登録を目指す動きも顕在化しています。新潟市はコメを中心としたガストロノミー分野で登録を目指す一方、アジア初の国際ドキュメンタリー映画祭を'89年から開催してきた山形市は、映画部門で今年申請の予定です。

 一方で、ユネスコ世界遺産委員会が認証し、世界161カ国、1,007件が登録される「世界遺産(World Heritage)」は、富岡製糸工場や石見銀山などの例を見ても、知名度向上による波及効果が広く認識されています。かたや創造都市ネットワークは、そうした広がりを現状ではまだ持ち合わせていません。

cena-masuya-20150117.jpg【Photo】日本海寒鱈まつり前夜、湯田川温泉ますや旅館の夕食から。羽黒宿坊の精進料理「胡麻豆腐の餡かけ」、「ひろっこ(アサツキ)とエゴ(海藻の一種)の酢味噌和え」、「カラゲ(エイの干物からかい)の煮物」、「鮭の粕漬け焼物」、「田川カブ甘酢漬」、荒波が打ちつける岩場で浜の女性たちが手摘みする天然岩ノリをトッピングする味噌味の「どんがら汁」(下写真)ほか、冬ならではの庄内の味が並んだ

masuya-zuppa-dongara.jpg それでも人口流出と高齢化が進む地方都市にとって、交流人口の増加や新たな雇用確保などのプラス効果が期待されるこの取り組み。食文化創造都市への認定を受け、真価が問われる今後の展開に注目したいところです。

 東北各地を訪れてきた庄イタが、改めて申し上げたいのが、〝食〟を軸に俯瞰した山形県庄内地方は、極めて魅力溢れる地域であるということ。その概略は、拙稿「鶴岡のれん」〈2013.11〉でも歳時記的に述べたので、ここでは繰り返しません。

masuya-fujisawakabu-tempura.jpg【Photo】サクっと揚がった天麩羅の衣の中は、濃厚な生クリームのごとき白子。紅白の色合いや姿格好、すがすがしい余韻を残す辛味からして、すぐにそれと分かった藤沢カブ(上写真中央) 藤沢カブと庄内浜産天然寒ブリを大根おろしでみぞれ煮に。素材の素晴らしさもあり、氷見の寒ブリを使ったブリ大根に勝るとも劣らぬ旨さ。恐れ入りました(下写真)

fujisawakabu-mizore.jpg 鶴岡市域では、現在確認されているだけで50品目の在来作物が存在します(拙稿「どこかの畑の片すみで」〈2007.12〉参照)。北前船交易や山岳信仰を通して域外との歴史的な交流があり、そうした中で固有の文化が育まれ、表情豊かな四季折々の食材を取り入れた特徴ある伝統食が受け継がれてきました。そんな数ある中のひとつが、どんがら汁です。

 激しい吹雪に見舞われた月山道路や強風による地吹雪でR112の視界が遮られる中、1年ぶり以上となる湯田川温泉の定宿「ますや旅館」に着く頃には、風格と趣ある瓦屋根の共同浴場「正面湯」には明かりが灯っていました。

kiyoko-goto2015.jpg masatoshi-goto2015.jpg
【Photo】山の畑が深い根雪に覆われるこの季節。とりわけ貴重な藤沢カブを雪室から掘り出し、庄イタに分けて下さった後藤清子さん(左)と後藤勝利さん(右)ありがとうございます~(T_T)

 夕餉の食卓には、ひそかに期待していた女将特製のどんがら汁が。無論それは美味でしたが、望外の喜びだったのが、天然物ならではの上品な脂が乗った庄内浜産寒ブリと藤沢カブのみぞれ煮を食することができたこと。

 天ぷらでも供された藤沢カブは、宿泊前日に女将の中鉢泰子さんが、生産者の後藤勝利さんに「少しでいいから分けてもらえないか」と相談して届けてもらったと伺い、女将の心遣いに感激しきり。

fujisawa-kabu2015.1.jpg【Photo】11月に山の畑から掘り出し、泥つきのまま、雪室に保存しておいた藤沢カブ

 在来作物の研究に携わっている山形大学農学部の江頭宏昌准教授によれば、穀物が不作となりそうな天候不順の年でも、お盆時期に播種すれば秋に収穫可能なカブは、飢えをしのぐ越冬食としての意味合いがあったといいます。東北の中山間地に在来系のカブが多く存在するのは、先人の知恵でもあるのです。

 寒鱈まつり会場に向かう前に、後藤さんに一言お礼を申し上げたく、久方ぶりにご自宅に伺いました。すると後藤さんは、収穫したまま雪室に保存していた藤沢カブと、奥様の清子さんお手製の甘酢漬けをお土産に分けて下さいました。

 湿度100%の雪中で保存した藤沢カブは、みずみずしさを保ったまま細胞が凍らないよう化学変化を起こします。すると辛味に甘さが加わるのです。今は深い雪に覆われた山中の畑に採種のため残しているカブを掘り起こしに行かない限り、みずみずしい藤沢カブを手にすることはできません。

 頂戴した藤沢カブは、仙台に戻ってから浅漬けにしたほか、パクリ専門の闇リストランテ「Taverna Carlo(タベルナ・カルロ)」で、みぞれ煮ますや風にして食し、感激の余韻に浸ることができました。後藤さん、本当にありがとうございました。

 こうして久しくご無沙汰していた人たちとの再会を果たし、アツアツの寒鱈汁を頂く前から、ほっこりとココロ癒された湯田川を後にして、寒鱈まつりが開催される鶴岡銀座商店街を目指したのでした。to be continued.

日本海寒鱈まつり2015@鶴岡〈後編〉

「5年ぶりの寒鱈まつり」に続く。


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2015/02/08

今年の女鶴餅は自家製もあっさげ

お年取り前夜@村上・鶴岡・酒田・遊佐 「2014 呑み納めレポート」より続き

食べ納め@酒田L'Oasis ロアジス
「女鶴」と血統を受け継ぐ新品種「酒田まめほの香」


 1年を締めくくる恒例の食べ納めは、今回もあらかじめ予約していた酒田・清水屋マリーン5「L'Oasisロアジス」へ。(昨年のくだりは拙稿「新春縁起藤沢カブ」〈2014.1〉参照)

gran-chef-Ota2013.1.jpg【Photo】年回りが幾つも離れた後輩の指導にあたる傍ら、厨房の第一線で活躍する太田政宏グランシェフ(写真中央。月刊誌Piatto2013年3月号特集「日本海ひな街道」取材時に撮影)

 今でこそ定着した〝地産地消〟という言葉はおろか、概念すら存在しなかった1970年代初頭。豊かな山海の美味に恵まれた庄内地方ならではの〝フランス風郷土料理〟と称される誰もなしえなかった新境地を、故・佐藤久一氏との共同作業で開拓したグランシェフ、太田政宏さんが、厨房の指揮を執ります(拙稿「佐藤久一さんのこと」〈2008.3〉参照)

l'oasis2014-1.jpg【Photo】アミューズ。由良寒ダラのカクテル仕立て。マッシュポテトと生クリームを和えた優しい味付けとフワフワの食感が夢見心地へと誘い、新たな美味との出合いへの期待を高める。庄内豚のパテとピクルス、鴨のスモーク

 第一線から一度は身を引くも、ロアジス開業と同時に現場復帰。生涯現役を宣言し、後進の指導に当たりながら満70歳を超えて活躍する太田さんは、まさに料理人の鏡。輝かしい実績もさることながら、庄イタが心底から尊敬する方なのであります。

l'oasis2014-2.jpg【Photo】オードブル。庄内浜産ホウボウの洋風天ぷら フレッシュなトマトソースとエシャロット風味。ほのかな衣の塩味が絶妙

 1年ぶりに訪れた店内は、上方の影響を受けた酒田言葉で語らう人々で賑わっていました。年の瀬を迎えて店内は満席。その様子は、日本随一のフランス料理と賞賛された「ル・ポットフー」伝説の揺籃期を見るよう。

l'oasis2014-3.jpg【Photo】3種類から選べるスープ。旬を迎えたガサエビのマリニエール。庄イタが高校時代に酒田東急インに移転後のル・ポットフーで食した記憶が今も鮮明な一皿

 なぜならそこは、伝説の原点となるも、1976年(昭和51)に発生した酒田大火で焼失した清水屋デパートが建っていた場所。しかもJR酒田駅前に建設された東急イン(現・ホテルイン酒田駅前)に移る以前にル・ポットフーがあったのと同じ5階フロア。料理を待つ間、ふと40数年前にタイムスリップしたかのような感覚に捉われました。

l'oasis2014-4.jpg【Photo】メイン。庄内浜産黒メバルと温製小松菜、ホタテ貝柱と天使のエビのポワレ

 新奇さをてらわず、王道をゆくオーセンティックなフレンチなればこそ、違いが際立つ太田さんの円熟した味に魅了されたことは申し添えるまでもありません。

l'oasis2014-5.jpg【Photo】デセール。紅玉のキッシュ、ショコラとイチゴのアイスクリーム

 「お越しになる時は、いつも混んでいてあまりお構いできずに申し訳ありません」と仰るフロア係三川美和子さんや、忙しく立ち振る舞う厨房から、わざわざ見送りにいらして頂いたグランシェフに恐縮しつつ、お礼を申し上げて失礼しました。

 残すは新年を迎えるにあたっての最重要ミッション。酒田女鶴本女鶴を入手することです。

sakatameduru-yakihaze.jpg【Photo】仙台雑煮の庄イタ家における必須アイテム2点。餅は渡部正宏さんが天日乾燥した酒田女鶴の丸餅。津波で甚大な被害を受けた北上川河口に位置する石巻・長面湾の焼きハゼ。干しズイキと羅臼昆布との合わせ出汁で上品なコクと深みを出す

 古来より、歳神様をお迎えする神と人との交歓の儀式でもあった正月には、鏡餅をお供えし、白米が貴重品だった藩制時代にあっても、統制外だった糯米から作るお餅が庶民の食卓に上る最高の贅沢でした。

 伊達政宗の命を受けた川村孫兵衛による北上川の大規模改修により、新田開発が進み、港湾整備がなされた石巻から海路で運ばれた伊達藩領のコメは、江戸の米相場を左右する大きな影響力を持っていました。

 幕末まで幾度となく見舞われた飢饉への備えから、伊達藩は米作に重きをおきました。現在の宮城県北や岩手県一ノ関市周辺にかけての穀倉地帯では、庶民による餅食文化が花開きました。

 これは反面、コメ以外の特産品開発に無頓着だったがため、伊達藩では味噌のような一部例外を除いて商品経済が発達しなかったという作家・司馬遼太郎の「街道をゆく」における分析は、正鵠を得ていると庄イタは考えます。

Carnaroli-riso.jpg【Photo】頭を垂れた稲穂が風に揺れる季節。どこのコメどころかと思いきや、看板にはリゾットに最適なコメ「CARNAROLI(カルナローリ)」の表示が???

 曾祖父の代まで遡ると、地元で世界農業遺産指定に向けた機運が高まる沃土「大崎耕土」の心臓部にあたる涌谷(わくや)町で広大な水田を有する地主だったという庄イタのルーツ。孫兵衛による改修前は、暴れ川だった迫川・江合川・旧北上川に挟まれた涌谷町や美里町にかけて現在広がる美田は、天賦のものではなく、先人の努力の結晶にほかなりません。

primavera-riso.jpg【Photo】雪解け水を張った水田は、稲の植え付け前の季節にだけ出現する水鏡と化し、残雪を頂く山並みを映し出す。どこぞや東北で春先に出現する田園風景と思いきや、ここはイタリア屈指の米どころピエモンテ州ヴェルチェッリ県

 イタリアの代表的な水田地帯であるピエモンテ州ノヴァーラNovaraとヴェルチェッリVercelli周辺からミラノ西方のロンバルディア州の田園風景に、妙に懐かしさを覚えるのは、そんな出自や前世から受け継ぐDNAが影響しているのでしょう。

mezuru.jpg mamehonoka.jpg【Photo】女鶴(左写真手前)と酒田女鶴の血統を引く新品種「酒田まめほの香」(右写真手前)

 かつて出合ったことのない素晴らしい食味に驚愕した糯米「酒田女鶴」を知ったのが2009年(平成21)。作り手である酒田市吉田の渡部正弘さん・由美子さんとの幸運な出会いがあったのが2年後の産直山居館でのこと。その収穫作業の真っ最中に伺ったのが翌2012年10月。

 講談社勤務の編集者から、のちに酒田市助役に転じた伊藤珍太郎の名著「庄内の味」に記述があり、存在だけは知っていたのが酒田女鶴の原種「女鶴」。

nunome2014.12.jpg【Photo】血筋を絶やすことなく女鶴を植えつけてきた堀芳郎さんの圃場。純白の根雪に覆われた田んぼを吹き抜けてゆく北風が肌を刺す

 効率化の波にのまれて消えていった幻の品種が、その持てる美点を最も発揮するとされた飽海郡北平田村(現酒田市)円能寺に隣接する布目(ぬのめ)で今日まで命脈を繋ぐことができた恩人・堀芳郎さんとのご縁をたぐり寄せるように出会ったくだりは拙稿「酒田女鶴と本女鶴〈2012.10〉」を参照願います。

meduru.jpg【Photo】蒸しあげたばかりの女鶴。「女鶴の餅の肌も雪のように白かったならばさらにたいへんなものであろうとおもうが、見た目において多少のひけ目はあってもこの餅、舌にのせてからはあまりに優秀である」(伊藤珍太郎著「改訂・庄内の味」〈1981「本の会」刊〉より)

 もはや代えがきかない女鶴の素晴らしい食感を、R18な表現で例えるならば、雪国育ちの日本女性のしっとりとキメ細やかで滑らかな玉の肌。女鶴を搗(つ)きあげた餅の吸い着くような粘りとコシ・伸びは尋常ならざるものがあります。

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【Photo】女鶴は自宅で蒸し上げ、餅やパン生地を自家製できる自動生地捏ね機で楽チン餅つき(上写真)。産直あさひグーで購入したヤマグルミを使い、胡桃餅として正月の食卓を飾った(下写真)

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 久々に伺った渡部さんのもとには、2007年(平成19)から庄内バイオ研修センターで開発に取り組み、渡部さんの実験圃場で収穫したという糯米「酒田まめほの香(酒田糯14号)」の餅がありました。

 2004年(平成16)に新潟で品種登録された赤糯米「紅香」に酒田女鶴を交配し、それぞれの特徴である枝豆の香りと女鶴の血をひく優れた食味を兼ね備えた新品種なのだといいます。

mamehonoka-mochi.jpg【Photo】2015年度からの本格市場参入を目指し、種苗法に基づく品種登録申請を昨年行った「酒田まめほの香」(左写真)

 納屋には精米した糯米があり、その香りはまさに枝豆。旬は重ならないので冷凍物かフリーズドライのだだちゃ豆で炊き込みご飯にしたり、茶豆を挽いた「づんだ」と和えてづんだ餅にすれば香りが増幅しそうです。旬が重なるホッコクアカエビ(甘エビ)や数の子との食べ合わせは鉄板でしょう。

mamehonoka-zoni.jpg【Photo】渡部さんから頂いた酒田まめほの香の丸餅を仙台雑煮で試食。酒田女鶴から受け継いだ粘りと滑らかな舌触り。枝豆の残り香がほのかに漂う。最大の特徴である枝豆の香りは、焼いたままで食すると、さらに強く感じる(右写真)

 物々交換の良き伝統が残る庄内の生産者の例に倣って、酒田女鶴と豆ほの香餅の代金を受け取ろうとしない渡部さん。このままでは申し訳ないので、産直で別途購入することにしました。

 ご自身が育てた酒田まめほの香を手渡すよう、渡部さんから頼まれてお邪魔したのが堀芳郎さん宅。女鶴の餅つきをするのは例年30日だと伺っていました。過去2年は菓子折の箱に入った丸餅を物々交換で頂いていましたが、今回は最大のミッション達成のため、精米のまま女鶴を購入させて頂くことに。

akanegi2-goto2014.jpg akanegi-goto2014.jpg

 里雪で畑が覆われる前の昨年11月上旬、酒田市飛鳥の後藤博さんから根付きのままで譲って頂き、今も庄イタ宅の庭に植えてあるのが「平田赤ネギ」(拙稿〈2007.9〉参照)。前日、鶴岡市みどり町「クックミートマルヤマ」で山伏ポーク(拙稿〈2014.7〉参照)のバラ肉しゃぶ用スライス(右下写真)を確保していました。

yamabushi-shabu2014.jpg yamabushi201412.jpg

 十三浜のワカメ(拙稿〈2012.4〉参照)を含め、これまで皆さまに幾度となくお勧めしてきた〝天下無敵の豚しゃぶ〟の具材となる冬場が最も美味しくなる小松菜を入手するために寄ったのが、鶴岡市渡前の井上農場です。周囲を雪に囲まれながらも幾分温かさを感じるビニールハウス内では、馨さん・悦さん夫妻が小松菜の収穫を行っておいででした。

inoue-nojyo2014.12.jpg【Photo】井上農場ではご自宅に隣接した納屋で小松菜の袋詰め作業中だったご長男貴利さんから庄イタ家定番のコメ「はえぬき」5kgと小松菜5把を購入。近くのビニールハウスでは、奥様が小松菜の収穫中。「悦さーん」と背後からお名前を呼ぶと、驚いたように振り向いた悦さん。庄イタの姿を認めると、いつもの飛びきりの笑顔で迎えてくれた

 独特な石油系の香り漂う特徴的な泉質が気に入って、10年以上通い続けているのが長沼温泉の日帰り入浴施設「ぽっぽの湯」。ご近所住まいでもないのに欠かさず所有している入浴回数券で心身ともにリフレッシュ。

Gassan2014.12.28.jpg【Photo】井上農場のビニールハウスを裏手に回ると、神々しい輝きを放つ月山が雪原の先に一望のもと

 純白の衣を纏った月山に見送られながら帰宅した後、取りかかったのが餅作りです。自宅には堀さん宅のように杵と臼はありませんが、生地こね機「レディースニーダーKN-30」にお出まし願いました。搗(つ)きたての女鶴は胡桃餅で、雑煮で食したのが酒田女鶴と酒田まめほの香。堀さんや渡部さんのような整った仕上がりには程遠くとも、得がたい美味しさに変わりはありません。ご縁に感謝。

自家製もあっさげ」という今回のタイトルの意味が最後まで謎だった方への脚注 ☞ 「・・・さげ」は、上方では「・・・さかい」という表現の影響を受けた庄内地方の言い方。「あっさげ」とは「あるから」「あるので」の意味。角餅文化の東日本では珍しく西日本の丸餅を食する庄内ならでは言い回し

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2015/02/01

お年取り前夜@村上・鶴岡・酒田・遊佐

【はじめに】
 サーバ更新以降、サイト内ダイレクトリンクが貼れない事象が続いています。関連アーカイブをご覧頂くには、月別アーカイブ一覧下の「検索」BOXにタイトルをコピー&ペーストするか、たくさんの皆様にアクセス頂いているおかげでキーワード検索でも上位に表示される検索エンジンを活用願います。ご不便をおかけしますが、ご容赦のほど。m(_ _)m

 はや睦月を過ぎ、今日から如月。今さら師走の話題を持ち出すのは、若干気が引けますが...。

「2014 呑み納め」レポート

 年の瀬が押し迫った12月末に庄内を訪れる(⇒「帰省する」と言った方が正確か?)ことが、2003年春に庄内系へと突然変異して以降、恒例となっている庄イタ。特に酒田女鶴と原種である(本)女鶴の餅を知ってからは、きまって酒田を訪れています。

amazake-kikkawa_20101010.jpg 仕事納めの翌日、拙稿「新年明けまして女鶴餅」(2013.1)の内容と、ほぼコピー&ペーストの行程で酒田を目指しました。

 最短ルートの最上川沿いを下るR47ではなく、大幅な回り道になることを重々承知の上で、R113を小国町から新潟・関川村を経由して村上市に立ち寄りました。その目的は「鮭を極める哲人」(2007.11)で取り上げた「味匠喜っ川」で塩引き鮭と酒びたし、リゾットやパスタの絶品ソースになる鮭のクリームスープ、さらには道中のエネルギー源となる天然麹甘酒「雪の華」を購入すること。

【photo】越後村上の風土、匠の技、そして家付き酵母が三位一体となって、芸術品のごとき域に達する塩引きや酒びたしが作られる味匠喜っ川(下写真)。天然麹甘酒「雪の華」(上写真)に用いる米麹は、丸4日間をかけて行う昔ながらの一升枡麹蓋づくりによる。「作り手の我を捨てて、謙虚な気持ちで虚心坦懐に麹と向き合うことで、やっと麹菌が目指す上品で自然な風味になってくれるようになりました」と吉川真嗣専務は語る

kikkawa_dicembre2010.jpg 目的を遂げた後は、この季節にしては比較的穏やかな冬の表情の笹川流れと沖合に浮かぶ粟島を眺めつつ、いつものようにR7ではなく日本海沿いを北上しました(下写真)

sasagawa_nagare2014.12.jpg 新潟と山形の県境にある鼠ヶ関にほど近い「あつみ温泉IC」と、山形自動車道「鶴岡JCT」間の日本海沿岸縦貫自動車道25.8kmが開通したのが2012年。これにより移動時間の短縮が図られ、村上の街と鶴岡との距離が、ぐっと近く感じられるようになっています。

 拙稿「寒鱈汁、寒鱈汁、寒鱈汁。」(2010.1)などで過去取り上げた「日本海寒鱈まつり」前売り券を「やまがたの地酒佐野屋」で購入したほか、鶴岡でも立ち回り先をウロウロ。ゆえに酒田に到着した頃には、とっぷりと日が暮れていました。

 酒田市日吉町で1867年(慶応3)に創業した酒販店「久村」では、かつて常連客が夜な夜な集い、店飲みをしていたといいます。

kumura-sakaba.jpg その棟続きで居酒屋「久村の酒場」が開業したのが1961年(昭和36)。夏場は冷蔵ショーケースを兼ねるオリジナリティ溢れるガラストップのカウンター席は、今も地元の旦那衆憩いの場として愛されています(下写真)。

kumura-sakaba-counter.jpg 昭和の風情を色濃く残す気取らない酒場は、太田和彦氏や吉田類氏らに賞賛されるなど、多くのメディアで取り上げられています。現在では、知らぬ同士も肩寄せ合って善男善女が酒田の酒肴を嗜(たしな)むことができる居心地の良い店であり続けています。

mokkiri-kumura-sakaba.jpg【photo】北庄内の地酒が揃う久村の酒場。定番は、もっきりのコップ酒(右写真)

 外呑み・家飲みともにワインが主流の庄イタではありますが、その信条は〝郷に入っては郷に従え〟。しぼりたて新酒が出回る季節に酒田を訪れたのですから、「上喜元 特別純米 仕込第一号」もっきりで乾杯!!

 定番のおでん・ゲソ揚げなどをつつきながら、二杯目は「鯉川 純米吟醸 鉄人うすにごり」。三杯目の「菊勇・三十六人衆純米吟醸あらばしり美山錦」で三段目ロケットに点火。庄イタにとって日本酒の指南役である阿部ご夫妻と、この夜初対面のお三方を含む意気投合したメンバー6名で2軒目を目指しました。

yukiguni-2014.12.jpg【photo】もっきりから打って変わって仕上げは冬が似合う名作カクテル「雪国」(左写真)

 路面が凍結した圧雪路に足元をとられながら流れた先が「ケルン」。お目当ては名高いスタンダードカクテル「雪国」を考案した国内最高齢の現役バーテンダー、井山計一さん(89歳)がシェーカーを振った一杯。途中から加わった酒田出身だという姉妹二人も加わり、袖触れ合うも他生の縁な宴席を締くくりました。

 ちなみに雪国と並ぶ店のもう一つの名物でもあるカウンター奥に掲げられる井山さんの自作による川柳は、「おいおいと追いかけて来る年の数」。

koln2014.12.jpg

 一年の邪気を祓(はら)う霊力が宿るとされる〝若水〟は、元旦の早朝に汲むのが本筋ですが、日程の都合で3日だけフライング。ε=ε=┏(; ̄▽ ̄)┛

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 標高2,236mの鳥海山頂には、鳥海山大物忌神社の本宮が鎮座します。大物忌神は穢れを清める神様。信仰の対象とされた鳥海山の地中で磨かれ、御神力を宿した伏流水は、若水として最適ではありませんか。

【photo】赤い尖塔に十字架を頂く白亜の鶴岡カトリック教会。木造ロマネスク様式聖堂としては東北地方では最も古い1903年(明治36)築

 かく申す庄イタ。この日カトリック鶴岡教会を訪れていました。それは初代司祭を務めたダリベル神父の出身地、ノルマンディ地方のデリブランド修道院から1903年(明治36)に献堂記念として寄贈された日本国内で唯一の黒マリア像を6年ぶりに拝観するがため。

 前回は2008年の年末。厨房に入ったオーナーシェフ自らが創作料理を出していた頃のアル・ケッチァーノで、6年連続の食べ納めに鶴岡を訪れた時のこと。(拙稿「今年も当たり年!」2008.12参照)マリア像は東北芸術工科大学で14か月を要した修復作業を終え、その年の春に聖堂の左身廊部に戻ってきていました。

st.maria-tsuruoka.jpg st-maria-tsuruoka2.jpg
 イタリア・カトリックでは、東方三博士が救世主の誕生を祝うため、エルサレムを訪れた1月6日はエピファーナ(Epifana)の祝日。この日をもって待降節から1ヵ月以上続いたナターレ(クリスマス)の期間が終わります。その前夜、箒に跨った老婆ベファーナ(Befana)がやってきて、行いの良い子どもにはお菓子を、良くない子には炭を置いてゆくのです。(2007年11月拙稿「クリスマス ところ変われば」参照)

presepia-tsuruoka.jpg 国指定重要文化財に指定されるロマネスク様式の聖堂を訪れた27日は、上記理由でクリスマス期間だったため、6年前と同様にキリスト生誕の模様をジオラマで表現した素朴なプレゼーピオがマリア像の前に飾られていました。

 聖水で十字を切り、しばしの間、清浄な祈りの場に身を置き、心洗われてからバッカスまつり@久村の酒場に臨むという、八百万(やおよろず)の神がおわします極めて日本的な1日は、こうして暮れてゆきました。

 翌朝は湧水の郷・遊佐町へ。車のトランクスペースには、25ℓ容量のポリタンクを2個積んでいました。まずはJR遊佐駅構内の「遊佐カレー遊佐駅本店」で、カプチーノを一杯。

 カプチーノには、イタリア・ボローニャに本部を構える「Segafredo Zanettiセガフレード・ザネッティ」がブラジルの自家コーヒー園での栽培から焙煎まで一貫生産するアラビカ種・ロブスタ種を絶妙の配合でブレンドしたエスプレッソローストの豆を使っています。

 水は三ノ俣集落にある交流施設「さんゆう」前に引かれた鳥海山麓では屈指の口当たりの良い伏流水「鳥海三神の水」を用いているのだそう。なるほど仙台の「セガフレード・ザネッティ・エスプレッソ」フランチャイズ店で頂くのとは一味違う、まさに神通力のなせる丸みのあるお味でした。

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【photo】水量豊かな遊佐町「菓子舗 光月堂」の店先に湧く湧水

 遊佐カレー遊佐駅本店を運営するほか、食の都・庄内から選りすぐった食材を扱う「フーデライト庄内」代表の佐藤幸夫さんから、町内でお勧めの湧水を〝鳥海三神カプチーノ〟を飲みながら聞き出しました。

 それは、かつては菓子作りにも用いていたという「菓子舗 光月堂」の湧水。もうひとつのタンクには、10年以上に及ぶフィールドワークで発見した丸勝金物店の敷地にある「丸勝の水」を。遊佐の町場にあまた存在する鳥海山の恵みである湧水では、屈指の水量で湧出してくる丸勝の水。その美味しさもまた申し分のないものです。

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【photo】遊佐町「丸勝金物店」の敷地に設置された石盆に轟々と音を立てて湧き出す湧水

 これで新年を寿ぐにふさわしい鳥海山の御神力を備えた若水2つを確保。残る最大のミッション遂行前に、2014年の食べ納めに席をあらかじめ確保していた店の予約時刻が迫っていました。

次回「今年の女鶴餅は自家製もあっさげ」に続く


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2014/10/11

ブドウ畑でつかまえて

The Catcher not in the Rye but the Grape
ちょっと気難しい「安芸クイーン」にまつわるあれこれ

 夢中になってライ麦畑で遊んでいるうち、崖っぷちから転落しそうになる子どもを捕まえて助けるような大人を目指す16歳の少年、ホールデン・コールフィールドが主人公として登場するJ・D・サリンジャーの小説「ライ麦畑でつかまえて」とは全く無関係の動物に関するオチですが、今回もお付き合いのほど願います。

deraware2012.8_sakuma.jpg【photo】フルーツタウン櫛引西荒屋のブドウシーズン幕開けは、8月には収穫が始まるデラウエア(手前)とスチューベン(奥)から。佐久間良一・みつご夫妻のブドウ園地にて

 大粒ブドウがシーズンを迎える頃になると、毎年通っているのが、佐久間良一・みつご夫妻が育てるブドウが、たわわに実を結ぶ鶴岡市西荒屋のブドウ園。ご自宅近くの畑ではデラウエアとスチューベンを、少し離れた園地では、さまざまな大粒品種と甲州。そして変わり種では醸造用ブドウ品種のメルロを栽培。佐久間さん夫妻とは、もう10年来のお付き合いをさせて頂いています。

cortese-nishiaraya_2012.9.jpg【photo】イタリア・ピエモンテ州原産のブドウ「コルテーゼ」。アスティ県カネッリのアグリツーリズモ「Rupestrルペストゥル」を訪れた佐久間さんのため、オーナーのジョルジョが苗を調達した

 高温多湿な日本では栽培が難しく、納得のゆく収穫にはまだ至っていないようですが、DOCG白ワイン「Gaviガーヴィ」の原料となるピエモンテ州原産の醸造用ブドウ品種「コルテーゼ」の若樹も育てている佐久間さん。佐久間さんが晩酌で楽しむ知る人ぞ知る銘酒スーペル・ショーナイ同様、ガヴィ村で生産される「Gavi di Gaviガヴィ・ディ・ガヴィ」ならぬ「Gavi di Shonai」誕生の日を楽しみにしていますよ、佐久間さん。

 2003年(平成15)秋、櫛引町(現・鶴岡市)に店を構えて当時3年目だったイタリアンレストランのオーナーシェフ氏に案内されたのが同町西荒屋にある佐久間さんの園地。仕入れ契約を結んだばかりというブドウ畑では、イタリア原産の青ブドウ、ゴールドフィンガーや醸造用品種のメルロなど、さまざまな品種が栽培されていました。

pione-2014.jpg【photo】高級品種ピオーネ。ほかに黒ブドウは巨峰、ハニーブラックなどを栽培

 撮影がてら、あれこれ味見をした中で最も気に入ったのが、高貴で上品な甘さが持ち味の「安芸クイーン」。安芸国(広島)生まれのこちらの女王様は昨年のように雨が多いと実割れを起こしたり、色が乗らなかったりで、栽培が難しい品種だと語る佐久間さん。ご主人の体調が優れなかった一昨年は、あまり畑仕事ができなかった様子がブドウの作柄に表れていたりもしました。

aki-queen2014.jpg【photo】着色不良を克服した2014年ヴィンテージの安芸クイーン。糖度が高く、香りも良い。そのほか赤系ブドウはシナノスマイル、ゴルビーなど、青ブドウはハニーシードレス、シャインマスカット、瀬戸ジャイアンツなどを栽培

kerokero1_sakuma.jpg 樹皮のすぐ内側にある養分の通り道「師部」を取り除く環状剥皮(はくひ)処理を行うことで、果樹にストレスを与え、ここ数年の着色不良を克服した今シーズン。電話で畑の様子を問い合わせた上で、日帰りで慌ただしくブドウ狩りに赴いたのが9月末。昼夜の寒暖差が大きかった今年は、安芸クイーンの色付きや味の乗りも良く、風味の良い房を選んで大人買い。11年前に魅了された本来の風味を自宅で堪能することができました。

【photo】青系イタリア品種、ゴールドフィンガーの枝に陣取り、高みから睨みをきかせる小さな青ガエル。緑の葉に囲まれてじっと動かないその姿は、カメレオンさながらの忍者ぶり

 晩熟の甲州を残すだけで、もはや大粒種のシーズンは終了間近。過熟気味のブドウからは、なかば発酵した果汁が滴り流れ、その甘い香りに小バエが寄ってきます。そんなブドウ畑には体長3cmにも満たないニホンアマガエルの姿が見られます。ブドウの房の上で身じろぎひとつせず、じっと身を潜める小さなハンターは、小バエを捕食せんと狙っているのです。

kerokero_2013.9sakuma.jpg【photo】出来が良かった今年よりも色付きは今ひとつでも、味は乗っていた昨年9月末の安芸クイーン。ブドウの上で虎視耽々、もとい蛙視耽々(?)とブドウに寄ってくる獲物を待ちうけるニホンアマガエル

 ブドウ狩りの剪定バサミの先端を近づけると、パクっと喰らいついてくるお腹を空かせたそそっかしいカエルも。誰に教えられなくても餌の在り処と、自らの居場所をちゃんと心得ているのですね。


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2014/09/20

沖田ナスにはキアンティ・クラシコ

庄内系イタリアンなワインのアンティパスト@Taverna Carlo

 個性豊かな在来作物の宝庫である庄内地方に「沖田ナス」を普及させたきっかけを作った小野寺政和さんとの偶然のなせる遭遇について記したのが6年前の夏。
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 在来系のナスとして知名度が高い「民田ナス」よりも沖田ナスは外皮が軟らかく、ナスにありがちなエグミを感じさせません。庄イタが食したあらゆるナスの中で、食味の良さは「萬吉ナス」の澄み切った味に次ぐものです。鶴岡市沖田地区に最も近い産直「あさひ・グー」では、秋口にかけて収穫したての沖田ナスのほか、浅漬け、ビール漬け、辛子漬け、粕漬けなどの加工品が並びます。
2014okita-nasu.jpg 発酵食品である漬物と醸造酒の相性の良さには体験的に気付いており、かねてよりタヴェルナ・カルロでは実践してきました。いまや「カマンベール+いぶりがっこ+日本酒」のコンビネーションは広く知られています。ワインラヴァーを自任する庄イタとしては、「カマンベール+いぶりがっこ+スモーキーなシャルドネやコクのあるピノ・グリージョなどの白ワイン」を合わせたいところ。

castello_fonterutoli_99.jpg【photo】「まだ少し早いかな?」と思いつつ抜栓したキアンティ・クラシコ・リゼルヴァ「Castello Fonterutoliカステッロ・フォンテルートリ」'99ヴィンテージ。案の定、熟成の途上にあることは口に含んだ途端に判明。岩手県山形村短角牛の相伴として、今年の春に開けてしまったのが、明らかな"お手付き"だったフラッグシップは現在ストック切れ(右写真)

【photo】かかる状況下、セラーから一掴みしたカステッロ・ディ・フォンテルートリのストックより。(下写真左から)フィネスを感じるマイ・フェイバリッツ「Siepiシエーピ」'98、今回'08ヴィンテージを開けた「Ser Lapoセル・ラーポ」'07、若飲みできるスタンダード・クラスでもハイレベルな「キアンティ・クラシコ」'06〈click to enlarge

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 辛味が心地よい「藤沢カブ」の甘酢漬けとサンジョヴェーゼ50%+メルロ50%で上質なフィネスを感じさせるお気に入りの1本、シエーピとの酸味つながりな意表を突いた組み合わせの良さを記したのは、7年前に遡る2007年6月の「藤沢周平の故郷の味」。

 1970年代までは藁づとに包まれた安酒のイメージが強かったキアンティ。フィレンツェとシエナの間に広がる生産地域の中核をなし、さまざまな個性を備えるキアンティ・クラシコの品質向上に早い時期から取り組んだのが1435年創業の名門「Castello di Fonterutoliカステッロ・ディ・フォンテルートリ」です。

 つい先日、シエーピとは異なるカステッロ・ディ・フォンテルートリのヴィーノ・ロッソと沖田ナスとの香りつながりな最良のアッビナメント(=組み合わせ。マリアージュ)を見出しました。

 それはキアンティ・クラシコ・リセルヴァSER LAPO 2008。現在で24代目となるマッツェイ家のSER LAPOセル・ラーポ(1350-1412)が、1398年12月16日に記した公式文書に「キァンティ」という名が初めて登場していることから、キァンティの祖といわれる偉大な祖先に敬意を表して1983年から作られています。

mazzei-stampa.jpg【photo】エチケッタには、誉れ高きマッツェイ家の紋章を刻印した赤い封蝋とセル・ラーポが残した手書き文字があしらわれる(右写真)。E de' dare, a dì 16 diciembre, fiorini 3 soldi 26 denari 8 a Piero di Tino Riccio,per barili 6 di vino di Chianti ....li detti paghamo per lettera di Ser Lapo Mazzei =「マッツェイ家のセル・ラーポは、この書面をもって、キアンティ・ワイン6樽の対価として12月16日に3フローリン26ソルド8デナロ(⇒それぞれ中世フィレンツェ共和国の通貨単位)をピエロ・ディ・ティーノ・リッチョに支払うよう指示する」という1398年の記述(下写真)scrittaSerLapo.jpg

 イタリアワイン界で引く手あまたの天才醸造家、(光栄にも私と同じ名前の)カルロ・フェリーニが手掛けるカステッロ・ディ・フォンテルートリのキアンティ・クラシコ3種の中では、ミドルレンジに当たるヴィーノです。1990年代前半には日本市場でも流通しており、その味は長らく記憶に残るものでした。

 ノーマルのキアンティ・クラシコやリゼルヴァとは違って、セル・ラーポは取り扱うインポーターが無くなって、長らく日本で姿を見ることはありませんでした。現在は首都圏を中心に9店舗を展開する「Eataly」の独占販売となっています。実勢価格で3千円そこそこと、デイリーユースにも無理のない値付けがされています。

SerLapo-okita2.jpg【photo】キアンティ・クラシコ・リゼルヴァ・セル・ラーポ2008と小野寺政和さん・太さん親子が育てた沖田ナス浅漬けの和洋折衷な組み合わせ@Taverna Carlo

 セル・ラーポは、例年ちょうど今頃の9月中旬に収穫が始まる樹齢10年~20年のサンジョヴェーゼ90%、9月上旬に収穫されるメルロー10%というセパージュ。標高220m~510mの間に広がる石灰岩土壌の畑で手摘みされたブドウは、除梗・破砕後にステンレスタンクで28℃~30℃に管理され、15~18日間のマセレーション(果皮と種を除かぬまま果汁に浸すこと)を行い、225ℓ容量のフレンチバリック樽(半数が新樽)で12カ月、瓶詰め後5カ月の熟成を経てリリースされます。

 今回抜栓したのは2008年ヴィンテージ。軽く10年は熟成するポテンシャルのヴィーノゆえ、更に作柄の良い2006年や2007年には手を触れず、まずまずの年だったこの年から開けた次第。サンジョヴェーゼ特有のスミレ香が心地よく、新樽由来の適度なロースト香がインクや黒ブドウ由来のスグリ、ビターチョコレートなどの複雑な構成要素の中に、血筋の良さを感じるカルロ・フェリーニらしさが綺麗に溶け込んでいます。フラッグシップに当たる「Castello Fonterutoli 」ほど目の詰まった凝縮感はありませんが、ミディアム~フルの体躯を備えています。

 イタリアワインの在庫が豊富なタヴェルナ・カルロには、この夜、南チロル地方アルト・アディジェ産のアロマティックな「Gewürztraminerゲヴュルツトラミネール/ Cantina Traminカンティーナ・トラミン'13」も抜栓して3日目で選択肢としてはありました。しかしフローラルでアロマティックな白ワインが好相性とは思えず、キアンティ・クラシコ・リセルヴァにお出まし願いました。

SerLapo-okita.jpg 主張しすぎないソフトなタンニンと上品なバランスの良さが身上のセル・ラーポ。抜栓後2日目で、初日よりも空気に触れた分、香りが開いています。そこで実感したのが、オーク樽熟成を経たキアンティ・クラシコ・リゼルヴァと沖田ナス浅漬けとの相性の良さ。キアンティ・クラシコの屋台骨となるサンジョヴェーゼのアロマと綺麗な酸味が、沖田ナスの青い印象の香りと重層的に響き合います。「これは素晴らしい組み合わせだっ!

【photo】醸造所を昼に訪れ、テラス席を希望すれば、カステリーナ・イン・キアンティの眺望とトスカーナの伝統料理を蔵出しのヴィーノとともに楽しめるカンティーナ直営の「Osteria di Fonterutoliオステリア・ディ・フォンテルートリ」。イタリア人も驚く好相性な沖田ナスの浅漬けをメニュー化するよう強く進言したいが、如何?

 仙台市北部郊外にあるJAみどりの直営の「元気くん市場」には、一ノ蔵農社など松山・美里町周辺の生産者直送の在来ナス「仙台長ナス」が置いてあります。添加物オンパレードの市販の漬け物を良しとしないタヴェルナ・カルロでは、夏の名残りのこの季節、沖田ナスだけでなく仙台長ナスの自家製浅漬けも登場します。ただし仙台長ナスではナス特有の苦み・エグミが残るため、それを洗い流すにはやはり日本酒ですね。

 キアンティ・クラシコを沖田ナスの浅漬けと組み合わせるのは、いわば変化球勝負。肉厚の遊佐町産パプリカ、玉ネギ、トマト、セロリなどの野菜と一緒に素揚げした沖田ナスを煮込んだシチリアンな「カポナータ」では、直球で相性の良さを実感できたことも申し添えておきます。
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2014/07/27

メロンまつり 好評開催中~ ♪

青森・津軽代表 つがる市 木造産 アムさんメロン
                               &
山形・庄内代表 酒田市 浜中産 アンデスメロン

 まだ気象庁は梅雨明けを宣言していませんが、夏本番を思わせる酷暑が東北でも続いています。ここは熱中症予防のためにも、こまめな水分補給を怠ってはなりません。とはいえ、ミネラルウオーターやスポーツドリンクばかり続いては、どこか味気ない。そこで積極的に摂取したいのが、ジューシーなフルーツです。

amu-san2014.jpg【Photo】これは7月12日に弘前で開催された品評会に出品された「アムさんメロン」。置いておくだけで、えもいわれぬ強い芳香が漂う。天候に恵まれた今年は6月5日の初競りで、秀2Lサイズ1箱(8kg入)が、過去最高となる20万円のご祝儀相場を付けた。品評会に出品されるアムさんメロンは糖度16度以上

 6月上旬~8月上旬にかけての旬を心待ちにしていたのが、時に18度を超える驚異の糖度に達する「アムさんメロン(品種名:ゆうかメロン)」。

 甘い香りに吸い寄せられるように出合った黄色味を帯びた少し風変わりな名前のメロンが放つ香りに「これは只者ではない」と直感。青森市内で購入して以来、見事にハマってしまいました。

 正直に言います。「アムさん、私はもうアナタの虜です」 ^_^;

amu2-san2014.jpg【Photo】黄色味を帯びた外皮ギリギリまで食べることができるのは完熟の証し。薄緑色のアムさんメロンの果肉は、あくまで香り高く、あくまで甘く、あくまでジューシー。その味と香りは、メロン好きには堪らないはず

 初出荷から1ヵ月あまりを経た7月10日前後に出荷のピークを迎え、そこから1週間程度の梅雨明け前が品質的には最も優れているというハウス栽培のアムさんメロン。

 五所川原の立佞武多(たちねぷた)を目当てに青森を訪れた昨年は、アムさんメロンのシーズン最終盤。そのためか、五所川原市内の某大手商業施設で購入したメロンの味には今一つ納得がゆきませんでした。

 このままで夏を終わらせるわけにはいかない!と7月中盤以降から出回るトンネル栽培の「ゆうかメロン」で溜飲を下げた経緯は、「ゆうかメロン」でリベンジマッチ(2013.9)で詳述しています。

2014-0713-a+marche.jpg【Photo】県が主催する「あおもり立志挑戦塾」と「若手農業トップランナー塾」の卒塾生が運営する産直市、あおもりマルシェ。青森の魅力発信と地産地消を通して、もっと青森が好きになる場所づくりを目指している

 弘前市で青果市場を運営する弘果弘前中央青果の統一商標「つがりあんメロン」の先陣を切るアムさんメロン。庄イタにとって絶好のリベンジマッチの機会に今年は恵まれました。それは7月13日(日)にJR新青森駅前で開催する「あおもりマルシェ」に、つがりあんメロン品評会に出品された秀品が販売されるという耳寄りな情報を、前日入りした青森市で偶然ラジオでキャッチしたからです。

a-marcato2014.7.jpg【Photo】品評会出品のアムさんメロンを目当てに午前9時のスタート時刻前に会場到着。多くの人出で賑わった9回目となる「あおもりマルシェ」会場

 「青森オリジナルメロン生産連絡協議会」で次世代育成事業を担当する同会青年部が主催する品評会。今年は22件の出品があり、荷姿(玉揃い)・形状・ネット張り・糖度・食味の5つの観点から50点満点で採点が行われました。今回で9回目の開催となるあおもりマルシェには、最優秀の金賞ほか銀賞・銅賞に輝いたアムさんメロンなど、入賞作や品評会に出品されたメロンが販売されるというではありませんか。これを見逃す手はありません。

a-marcato2014.7-1.jpg【Photo】前日に行われた品評会で、金・銀・銅の各賞や入賞を果たしたアムさんメロン(上写真)はじめ、品評会出品作(下写真)まで、いずれ劣らぬアムさんメロンが揃った第9回あおもりマルシェ

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 旧木造町(きづくりまち)出身の同僚からは、本場でメロンを購入するなら、つがる市木造近郊の生産者がメロンを持ち寄るJA直売所を薦めてもらっており、当初はそのつもりでいました。なれど品評会出品作が購入できるとあれば、予定変更です。

a-mercato2014.7-3.jpg【Photo】品評会で金賞に輝いたアムさんメロン(右写真)

 マルシェは9時開場でしたが、ラジオ放送されたこともあり、定刻前に会場入り。目指すアムさんメロンのブースでは、誇らしげに「金賞」「銀賞」・・・のタグの付いた化粧箱入りアムさんメロンが並んでいました。

 温度と水に関する徹底した品質管理のもと、1株4玉まで制限し15度以上まで糖度を高めるつがりあんメロンでも、アムさんメロンは完熟で出荷されるため日持ちせず、県外にはまず出回りません。仙台でも「アーバンデリシャス」や「ハニーゴールデン」といったつがりあんメロンは稀に見かけるものの、アムさんメロンは見たことがありません。

 割高なネット通販はさておき、味をしめた一昨年以降、地元の小売店を数軒回って相場をチェックしてありました。青森オリジナルメロン生産連絡協議会青年部の方にあれこれ質問しながら、カットされたカップメロンを味見。まだ雪が残る3月初旬に定植、5月の開花期・肥育期も安定した天候に恵まれた今年の作柄は大変良いとのこと。出品作はいずれも糖度16度以上の個体を揃えたといいます。

a-mercato2014.7-4.jpg【Photo】青森オリジナルメロン生産連絡協議会青年部の方のアドバイスを参考に、庄イタが購入した3個の跡がぽっかりと空いた青森マルシェのアムさんメロン販売ブース

 ディスプレーされたメロンは黄色味の強いものもあれば、グリーンの割合が若干強いもの、表面を覆うネットの目が細かく滑らかなもの、幾分目が浮き立ったものなど、微妙な違いがあります。登熟期間の違いによってこうした差が出るそうで、それぞれの違いによって糖度や日持ちが異なることなど、専門の立場から購入に際してのアドバイスを頂きました。

melone-amu&andes.jpg【Photo】期せずして東北のメロン産地の両雄が揃った津軽産アムさんメロン(写真右)と庄内産マスクメロン(写真左)

 9時の開場前に呼び物となる最優秀の金賞ほか入賞作を購入しては、アンフェアな抜け駆けの謗(そし)りを受けかねません。会場で購入したのは、色味の異なる出品作(1個1,000円)を3個。そして辛子漬けにすると美味な「メロン子」こと、摘果されたタカミメロン(6個入り100円)と十三湖特産の大和シジミすくい取り(1回400円)。こうして願ってもない秀品のアムさんメロンを入手したマルシェ会場では、ほかに津軽産リンゴ、サクランボ、田子ニンニクなどの青果品ほか、黒石つゆ焼きそばの飲食コーナーなど、多彩なブースが揃っていました。

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 3年目を迎え、知名度が向上したことも手伝って、主催者発表によれば物産市が開かれていた5時間で、10,000人が訪れたという今回の青森マルシェ。今年度は5回の開催を予定しており、今後は8月10日(日)・9月21日(日)・10月12日(日)13日(月・祝)に、今回と同じJR新青森駅前(無料P有)が会場となります。

【Photo】庄内砂丘産のアンデスメロンは庄イタにとって長年親しんだ味。食べる1時間前に冷蔵庫に入れ、冷え過ぎないところでパルマ産プロシュットと合わせる鉄板の組み合わせ

 果たせるかな、翌週末まで追熟期間を置いて食したアムさんメロンは、これまでの中ではピカイチの美味しさ。「糖度が高いのは概して色合いが緑がかってネットが盛り上がったアムさんですよ」と、教えて頂いたアドバイス通り。女性に接するのと同様、外見に惑わされないようにせねば、と認識を新たにしたのでした。

sweetruby&andes.jpg【Photo】今年で作付4年目となり、つがりあんメロンでは最も新しい品種、本日現在まだ追熟中の「スウィートルビー」(写真左)を購入したその日に、鶴岡在住の知人から贈られてきた庄内砂丘産アンデスメロン(写真右)

 青森オリジナルメロン生産連絡協議会の方が、アムさんメロン以外で特にお薦めのつがりあんメロンとして挙げた赤肉品種の「スウィートルビー」を、仙台で見つけて購入した先週日曜の夕刻、インターフォンで「宅急便で~す」の声が響きました。

 それは鶴岡在住の知人から贈られてきた庄内砂丘メロンではありませんか。産地は日本一の大地主といわれた酒田・本間家3代目本間光丘らが、私財を投じ、沿岸の砂が冬の強風で飛散するのを防ごうとクロマツを植林したことに端を発する見事な松林が広がる酒田市浜中。

hamanakaM_melon2007.7.jpg【Photo】海・里・山の豊富な食材が四季折々に揃う「食の都・庄内」にあって、マスクメロンの産地がここ庄内砂丘。鶴岡・湯野浜から酒田・最上川河口域までの海岸沿いの道沿いにクロマツ林とアンデスメロンや鶴姫レッドなどのメロンを栽培するハウスやトンネルが点在。クロマツ林の彼方に夕陽が沈む酒田市浜中「庄内夕日の丘オートキャンプ場」にて(上写真)、夏場の浜中では荷台いっぱいにメロンを積んだこんな軽トラと遭遇することも珍しくない(下写真)

melon_carry.jpg つがりあんメロンの一大産地である津軽半島南部の沿岸と同様、昼夜の寒暖差が大きく水はけの良い鶴岡市北部から遊佐町にかけての日本海沿岸の砂地は、土壌に余分な水分が残らないため、味が凝縮したメロンやスイカの栽培に適しています。

 届いたのはマスクメロンのオブジェがロードサイドにある庄内空港からほど近く、庄内夕陽の丘オートキャンプ場から撮影した上の1枚に写っている浜中乙に直売所がある高橋農園のアンデスメロンでした。図らずも、こうして3種類のメロンが我が家に揃い踏みしたのです。間もなく露地物の「ゆうかメロン」がベストシーズンを迎えます。そして桃で一番好きな品種「あかつき」が福島でたわわに実る本格的な夏の訪れを待つばかり。ということで、メロンまつりin SENDAI 2014、絶賛開催中!!!

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2014/07/21

山伏ポーク

Taverna Carlo タヴェルナ・カルロ
或る夜のテーブルより

 食の都・庄内は品質の高い豚肉の宝庫でもあります。庄内地域全体では、大小80の生産者が年産8万頭を出荷しています。地元産の飼料用米で育ったヘルシーな「こめ育ち豚」〈拙稿:「応援しよう!こめ育ち豚」(2009.7)参照〉に関しては、とんかつと豚肉料理 平田牧場仙台ファーストタワー店がオープンした2009年7月に既報の通り。無敵のコストパフォーマンスも相まって庄イタがイチ押しするのが「山伏ポーク」。ゴールドでもプラチナでもない知る人ぞ知るこの銘柄豚は、修験と信仰の山、月山・羽黒の麓で育ちます。

kobaecha-2014.9.jpg【Photo】頭を垂れた稲穂が黄金色に染まる実りの季節。月山山系の裾野を進む庄内こばえちゃラインの沿道からは、鶴岡・三川・酒田方面と鳥海山の眺望が手に取るよう。あまたの食材に恵まれた食の都・庄内では、蕎麦を決して売りにしないものの、山形県内では鶴岡市が最多の産出地となるソバの白い花が咲く標高が高い地域で、山伏ポークは飼育される。鶴岡市羽黒町川代付近にて

yamabushi-shabu-2014.6.jpg 「庄内こばえちゃライン」の愛称で呼ばれる庄内東部広域農道からは、豊饒なる庄内平野と日本海が眼下に一望のもと。山伏豚は、月山の裾野に延びる庄内こばえちゃライン沿いの鶴岡市羽黒町地域の清涼な環境のもとで育ちます。その優れた肉質は、月山水系の滋養豊かな水と抗菌剤を使用しない穀物主体の配合飼料で180~190日をかけ、出荷に適した体重110kgまで肥育されることで育まれます。

【Photo】夏を元気に乗り切るため、積極的に食卓に取り入れたいのが豚しゃぶ。居並ぶ銘柄豚の中から庄イタがイチオシは山伏ポーク。新鮮な山伏ポークは、全くと言ってよいほどアクが出ない。ほんのり甘い脂と香りのよいキメ細やかな赤身のハーモニーが秀逸なバラ肉をぜひ!

 真っ白な良質の脂身とキメ細やかな肉質の山伏豚の魅力が発揮される部位の一つが、ほんのり甘く香りのよい脂身と淡いピンク色のシルキーなキメ細かい赤身との黄金比率を味わえるバラ肉。その美点を活かす山伏豚しゃぶで最強の共演者「平田赤ネギ」〈拙稿(2007.9)参照〉を得た山伏ポークは、飛ぶ豚、もとい飛ぶ鳥をも落とす無敵の風味で食べる人を魅了します。それは冷しゃぶとて同様。冬場が旬となる濃厚なネギの芳香が甘味に昇華する平田赤ネギとの共演は叶わぬものの、肉厚の「十三浜ワカメ」〈拙稿(2012.4)参照〉が脇を固め、堂々の主役ぶり。

yamabushi-roast-2014.6.jpg【Photo】肩ロース500gに対して岩塩7g、潰したホワイトペッパー3g、ニンニクスライス2片、ローリエ3枚で15時間マリネ。火を通しすぎないようローストすれば、たとえ藤沢カブはなくとも、雪がしんしんと降り積もるあの夜の感動が蘇るアル・ケッチァーノ風山伏豚のロースト

 バラ肉のカロリーを気にされる方でも、しゃぶしゃぶと湯煎して脂肪分を洗い落とすので安心。100gの豚肉には一日の必要量の半分を賄えるほどのビタミンB1が豊富に含まれています。ビタミンB類は糖質の代謝に関与してエネルギーを作り出すため、夏バテ予防にピッタリ。東北も梅雨明けまでカウントダウンとなったこれからの季節、独自の配合飼料を与えることでコレステロール分を通常比で2割カットしたという山伏豚の冷しゃぶで夏を乗り切りましょう!!

 肉の味がわかる方ならば、リピート必至の山伏豚との出合いは、もう10年以上前に遡ります。鮮烈な印象を残したのは、2004年(平成16)の暮れも押し迫った大雪の中、鶴岡「アル・ケッチァーノ」で食した在来作物フルコースの最後に「新作です」と奥田シェフが運んできた「山伏豚肩ロースマリネのロースト藤沢カブの焼畑仕立て」。料理の背景が見事なまでに表現されたその一皿で感涙に打ち震えた体験の顛末は、「奇蹟のテーブル」に記した通り。如才ないオーナーシェフがメディアの寵児と化し、店が変貌する以前の話で、ほぼ月3回の頻度で仙台から通っていた頃の事です。

rodano2004-con-yamabushi.jpg【Photo】山伏豚ローストには、ゲヴルツトラミネール+リースリング+シャルドネという珍しいセパージュの南トスカーナ・スヴェレート産ヴィーノ・ビアンコ「Lodanoロダーノ2004」をチョイス。「REDIGAFFIレデガッフィ」で知られるTUA RITAが年産3千本を極少生産

 鶴岡市羽黒町の養豚農家が生産する(ランドレース×大ヨークシャー)×デュロックの三元交配による銘柄豚「高品質庄内豚」の中でも、鮮度が良く、肉塊が程よい大きさで身肉がしまっている個体に限定される山伏ポーク。かつて羽黒農協が所有していたこの銘柄を、1981年(昭和56)から独占的に扱うのが、元々は羽黒町でお兄さんと一緒に養豚農家を営んでいたという鶴岡市みどり町の精肉店「クックミートマルヤマ」の丸山完さん。

 余談ですが、調理師免許を持つ二代目の浩孝さんは、先日まで鶴岡まちなかキネマで公開されたドキュメンタリー映画「ある精肉店のはなし」上映実行委の中心的役割を果たした行動派の一面を持っています。

kan_maruyama.jpg【Photo】店を継いだご子息の浩孝さんが商品化するも、委託製造先の事情で残念ながら現在は休止中で復活が待たれる「庄内カレー」を手にするクックミートマルヤマの丸山完代表

 山形県下の養豚農家として、法人化にいち早く取り組み、生産と販売を分業化。当初から自動給餌器を取り入れ、豚舎への第三者の立ち入りを制限するなど、衛生面に配慮した生産現場は兄が、販売は弟の完さんが担当。現在の店舗がある鶴岡市みどり町に直売所を出したのが1971年(昭和46)。以来、丸山精肉店、クックミートマルヤマと店名は変わりましたが、品質第一を貫く姿勢は、確かな目利きによる仕入れと店頭での丁寧な仕事ぶりから伺うことができます。

 ご自身もかつては生コンのミキサーで飼料の配合をした経験をお持ちで、生産者の立場を心得ている丸山さん。1995年(平成7)に当時の庄内1市7町1村の農協が広域合併した「JA庄内たがわ」発足当時、広域化したことによる庄内豚の品質のバラツキに危機感を覚え、独自に設けた厳しい基準に沿った肥育を実践する羽黒地域の生産者のみに仕入れ先を限定しています。

ja-n-japan-feeds.jpg【Photo】山伏ポークの飼料を生産する「JA全農北日本くみあい飼料石巻工場」(写真中央)は、宮城県石巻港に面しており、震災の津波で大打撃を受け、被災直後は飼料の生産・供給が全面停止。周辺はいまだ津波の爪痕が痛々しいが、白煙を上げる日本製紙石巻工場(写真左奥)ともども現在は復旧し、山伏ポークの変わらぬ美味しさを支えている〈撮影:2014年3月〉

 庄イタが山伏ポークと出合った当時は、意識の高い12軒の養豚農家が山伏豚として店頭に並ぶ高品質庄内豚を生産していました。安定した供給が可能な輸入食肉の増加と、生産者の高齢化によって、生産農家の数は現在6軒にまで減少しています。これは山伏豚に限った話ではなく、私が庄内系にメタモルフォーゼした2003年(平成15)、山形県内で240戸だった養豚農家は昨年の農水省統計では120戸に半減。全国ベースでは過去10年で9,430戸が5,570戸に減少。みやぎ野ポークの産地、宮城県に至っては460戸が165戸まで激減しています。〈*注1〉参照

s-miali-selvatica2005.5.30.jpg【Photo】毎年5月を迎える頃、「スタジオセディック(旧「庄内映画村」)」庄内オープンセットに隣接する自然豊かな月山山麓の100ha近い広大な放牧地で委託放牧される丸山光平さんの緬羊たち。「放牧を始めたよ」という知らせを受た2005年(平成17)5月上旬、月山高原牧場では、ストレスフリーな環境のもとで羊たちが草をはんでいた

 遺伝子組み換え(GMO)やポストハーベスト農薬への不安が拭いきれない飼料で育つ外国産食肉は、国産と比べて安価ではあります。山伏ポークはNON-GMO、ポストハーベストフリーのトウモロコシや大豆を主体とする原料だけを使用する「JA全農北日本くみあい飼料(株)」石巻工場で生産される飼料を生育に合わせて与えられ育ちます。そのため、東日本大震災で同工場が津波で被災して以降、指定配合飼料による給餌ができず、山伏ポークの名が店頭から消えた時期がありました。食の信頼を裏切る事例に事欠かない時代にあって、こうした真摯な姿勢は、さすがですね、丸山さん。

maiali-haguro_2012.8.jpg【Photo】ジンギスカンブームが去った1980年代後半には羽黒町内で唯一の緬羊生産者となった丸山光平さんの羊舎ですくすくと育つサフォーク。いわゆる羊臭さを感じさせない素晴らしい肉質は、未体験の方には未知のもの。もはや異次元の美味しさは決して他の追従を許さない

 山伏ポークと並ぶクックミートマルヤマの看板が、食の都・庄内にして唯一無二、孤高の風味を誇る緬羊(めんよう)を飼育する丸山光平さんが代表を務める月山高原花沢ファームの羽黒緬羊。品種は英国原産のサフォーク種です。冬季を除き、一般向けに羽黒緬羊を扱うのもまたクックミートマルヤマだけ。春に月山高原牧場で放牧され、秋に山を下りる間、自然交配で種付けされたサフォーク羊のベビーラッシュは翌春。月齢12カ月に満たないラムは肉が柔らかですが、丸山さんが出荷するのは、摂取した餌による肉質の向上が顕著に表れる月齢15カ月前後のフォゲットが中心。

haguro-miale-al.che.jpg【Photo】「行ってみたいから案内して」というメンバーに付き添いで5年ぶり(!)に訪れた鶴岡アル・ケッチァーノにリクエストし、西田シェフが調理して下さった「羽黒緬羊のシンプルロースト」。初めてこの肉を食したメンバーは一様に「こんなヒツジの肉は初めて」と予想通りのリアクション

 青草中心の飼料では、クセの少ないラムでさえ特有の臭みが必ず残ります。丸山光平さんは、出荷前になると穀類中心の給餌に切り替え、稲ワラや庄内ならではのとある飼料を与えることでこの問題を克服しました。それは加工用に大量に発生し、廃棄されていた特産の「だだちゃ豆」の莢(さや)。給餌の様子を見せて頂いたことがありますが、羊たちはだだちゃ豆の莢を一心不乱についばみながら、口々に「ウメェ~」。

 生産履歴がつまびらかな国産肉を食することで、日本国内の食料生産者を支えることになります。鮮度を大切にするため、注文した部位を目の前でスライサーにかけてくれるクックミートマルヤマのような精肉店は貴重な存在。意欲的な生産者と二人三脚で品質向上に努めるこうした小売店と繋がることは、食の安心・安全に無頓着ではいられない私たちには心強い味方です。生産者と小売店と消費者が近しい関係にあることを感じさせてくれるこの店に、庄イタはこれからも通い続けることでしょう。

【備考】スライサーで冷しゃぶ用に薄くスライスして頂いた山伏ポークのバラ肉と、ロースト用の肩ロースの調理事例ロケ地は、ワインセラーに常時300本近いイタリアワインのストックを抱える仙台市青葉区某所の超穴場「Taverna Carlo タヴェルナ・カルロ」。食材調達に費やす労力は厭わないが、ボルドーやブルゴーニュのストックが圧倒的に少ないため、赤い表紙の某グルメ評価本の覆面調査員からは見向きもされない(爆)
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クックミートマルヤマ
住:鶴岡市みどり町20-35
Phone:0235-23-5246 FAX:0235-25-7724
営:9:00~22:00 日曜定休
1kgより代引きで宅配可。送料別途。
URL: http://www.tawarayasan.com/umai/cmm/index.htm

〈*注1〉 「農林水産省畜産統計調査」による全国での豚の飼養頭数は、2003年(H15)9,725,000頭⇒2013年(H25)9,685,000頭。ほぼ半減している生産戸数と比して飼養数は、ほぼ横ばい。山形における飼養頭数は181,900頭(H15)⇒160,400頭(H25)宮城は233,100頭(H15)⇒211,800頭(H25)と各1割減。この数字から読み取れるように、養豚農家一戸あたりの平均飼養頭数が1,031.3頭(H15)⇒1,738.8頭(H25)と大規模集約化が進んでいる。
東北6県で目を引くのが福島県の推移。同年比での生産戸数は210戸(H15)⇒113戸(H23.2月調査)⇒81戸(H25)。飼養頭数が226,600頭(H15)⇒184,200頭(H23.2月調査)⇒141,400頭(H25)。過去10年で生産戸数が62%減、飼養頭数も6割ほどに減少。それもそのはず。東京電力福島第一原発から20km圏内で飼育されていた牛3,500頭、豚3万頭、鶏68万羽、馬100頭の多くは畜舎で餓死し、事故後に警戒区域や立ち入り制限区域とされた地域で今年1月までに人の手で安楽死処分された牛は1,692頭、豚は3,372頭にのぼる。飼い主の無念はいかばかりだろうか
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2014/01/03

新春縁起藤沢カブ

年忘れ恒例食べ納め@酒田「L'Oasis ロアジス」

 新年を迎えるにあたり、一昨年末は糯米として空前絶後の食感と風味を備える本女鶴を杵搗きした丸餅を入手するため、大雪の中を訪れた酒田「こい勢」旬の地魚おまかせ握りをもって、(大晦日の晩には鶴岡市田川の地粉「でわかおり」で打った「鬼坂そば」で年越しはしましたが...)年を〆る食べ納めとしました。

※昨年の食べ納めレポートはコチラ ⇒《Link to Backnumber

 本女鶴の味が忘れられず、今年も生産者の堀芳郎さんに餅をお願いしていたため、歳末は再び酒田を訪れました。あまたの候補から食べ納めの店に選んだのは、「ル・ポットフー」と「レストラン欅」を舞台に、故・佐藤久一(1930-1997)と二人三脚で"フランス風郷土料理"という新境地を切り開いた功労者である伝説のグランシェフ、太田政宏さんが厨房を取り仕切るフレンチ「L'Oasis ロアジス」。前身となる中合清水屋から経営を引き継ぎ、2012年3月末に地元資本でリニューアルオープンした「マリーン5清水屋」の呼び物として、鳴り物入りで入居したフランス料理店です。

monsieur_ota.jpg【Photo】太田政宏グランシェフ

 まだ酒田市民がフランス料理に馴染みの薄かった時代。庄内浜の海の幸を中心とするフランス風郷土料理は、広く地元の支持を集めただけでなく、「生まれて初めて体験した料理」と絶賛した開高健ほか、評判を聞きつけて訪れた丸谷才一、古今亭志ん朝、山口瞳ら多くの食通たちを唸らせてきました。後進の育成や市民向け料理教室にも積極的に取り組んでいるほか、10年前の制度創設当初から任に就いている「食の都庄内親善大使」としても活躍中です。

 1943年(昭和18)、横浜生まれの太田シェフが、レストラン欅の開店準備に奔走していた佐藤久一に誘われる形で酒田に居を移したのが1967年(昭和42)、24歳の時。爾来40年以上に渡って、質と種類において築地と大田を擁する東京をも凌駕する食材に恵まれた庄内ならではスタイルを追及してきました。料理人として一時代を築き、60代の後半を迎えた一時期、太田さんは第一線を退かれたことがあります。父を模範に背中を見て育ったご子息が、酒田市内に開店したフランス料理店「Nico ニコ」を食事に訪れた際、客としておいでだった太田さんとお会いし、ご挨拶を交わしたことが幾度かあります。コックコートに身を包んだ姿のイメージが強かったせいもあり、食事を終えてご家族と店を出るジャケット姿の太田さんを見送りながら、少し淋しい気がしたものです。

meyaki_1967.jpg【Photo】1971年(昭和46)、料理長を任され順調な船出をして4年を経たレストラン欅の面々と。日本のフランス料理界の父・辻静雄やポール・ボキューズらから直接薫陶を受けていた若き日の太田シェフ(左端)。写真中央が13歳年上にあたる佐藤久一 (写真提供/荘内振興株式会社 代表取締役会長 小林元雄氏)

 そうした復帰を望む声が少なからずあったのでしょう、マリーン5清水屋の新たな顔として、かつてル・ポットフー伝説が生まれた同じ5Fフロアへのロアジス開店を機に再登板。現場復帰の祝意をお伝えしようと開店後ほどなく店を訪れた時は、1時間半待ちの盛況ぶりでした。"手頃な値段で本物を提供する"というル・ポットフーや欅で積み上げたコンセプトを踏襲したメニュー構成はこれまで通り。客席から中の様子が見える半開放の厨房で指揮を執る太田シェフの姿に見とれたものです。大晦日のNHK紅白歌合戦で、庄イタのように"あまロス症候群"で悶々としていた人々が幾分なりとも溜飲を下げたあまちゃん風に表現すれば、まさに「カッケー」の一言。

loasis7_2013.jpg【Photo】新生「マリーン5清水屋」5Fフロアの一角に誕生したオアシスを意味する「L'Oasis ロアジス」

 現場復帰を機に、生涯現役を宣言した太田シェフ。庄内におけるキャリアの出発点となった店の名に佐藤久一が込めた"山居倉庫の欅のように酒田に根を張り、大きく育ってほしい"という願いを具現化しました。輝かしい実績を築き、いかに名が知れようと料理人の本分は厨房にあり、唯一光り輝く場所は、幸せな食べ手がいる現場をおいてほかにはあり得ません。昨年、古希を迎えた太田シェフ。庄イタが高校時代に初めて食し、感激したマエストロの料理は、今も変わらず瑞々しい感性を感じさせます。慌ただしい年の瀬を迎え、後輩に囲まれて現場に立つ太田シェフの姿に、改めて崇敬の念を抱いた庄イタなのでした。

 一年を締めくくるテーブルで選んだのは、旬の地元食材を散りばめ、素材の確かさを表現した王道のフルコース。メインディッシュの魚料理と肉料理をそれぞれ3種から選べるプリフィックスのメニュー内容にして、良心的な3,500円という価格設定は、食の都庄内ならではの醍醐味と申せましょう。

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【Photo】〈アミューズ〉ニンジンのムース,ニンジンのマリネ,庄内もち豚のテリーヌとピクルス(左写真) 〈オードヴル〉カワハギの和風天ぷらフレッシュトマト風味,クレソンとエシャレット(右写真)

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【Photo】〈スープ〉ガサエビのマリニエール(+200円)(左写真) 〈ポワソン〉スズキ・ホタテ・エビのポワレ、升田カブのフライ,平田赤ネギとサヴォイアキャベツの温製(右写真)

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【Photo】〈ガルニチュール〉庄内もち豚バラ肉・脛肉の腸詰めと(過去にドイツ語圏で3度食した本家筋よりも遥かに美味しい)アイスバイン,焼きポレンタ・温製カブ添え(左写真)〈デセール〉カラメルのムース、バニラアイスクリーム、フルーツ添え(右写真)

 ご覧の通り、盛り付けを含めてオーセンティックな王道フレンチ。ゆえに食してみると太田シェフの手腕がより一層際立ちます。バリエーション豊富な庄内ならではのフランス風郷土料理という新機軸が健在であることを一皿ごと感じます。例えばガサエビのマリニエール(=漁師風)。白ワインと塩・バターを加えてガサエビを煮込んだフュメのコク豊かな太田シェフが編み出した看板スープです。ル・ポットフーや欅で食した印象よりもスッキリした透明感の高さを感じ、フロア係の三川美和子さんに「レシピを変えましたか?」と尋ねました。厨房に確認して下さった三川さんによると、バターの配分を少し抑え、オリーブオイルの比率を高めているとのこと。食べ手の健康を慮(おもんぱか)って下さっているのでした。
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 そんな風にレストラン欅時代からお世話になっている三川さん、そして厨房からわざわざ見送りにいらした太田シェフにお礼を申し上げて店を後にしました。この後、本女鶴餅を入手するため堀芳郎さんと、ご縁を繋いで下さった酒田女鶴の生産者・渡部正宏さん・由美子さん夫妻のもとを訪れます。そこで初期の目標を達しただけでなく、渡部さんの酒田女鶴を1袋購入すると、彦太郎糯の丸餅が2袋ついてきました。はえぬきの新米と小松菜を購入するため、午前中に立ち寄った鶴岡の井上農場でも、杵つきの丸餅を土産に頂戴していたため、数年分まとめて正月祝いができそうな状況に (*^▽^*)。

 雪が少ない今年は、冬季限定で湧水で融雪する道が出現する「さんゆう」で鳥海の伏流水を汲みがてら、鳥海山麓・金俣地区産の地粉で打った「金俣そば(4食入り2,300円)を縁起年越し用に調達。刻んだ平田赤ネギと盛岡「小さな野菜畑」で購入しておいた「味の箱舟」認定の安家地大根(あっかずでぇご)をおろして薬味とし、庄内と南部の共演による年越し準備をつつがなく終えたのです。今年最初の更新に当たり、命の糧となる食べ物を介した多くの縁を頂く庄内で時として起こる言霊現象を最後にご紹介しておきます。

fujisawa_kab2013-2.jpg【Photo】積雪が多かった過去二年と比べ、今のところ圧倒的に雪が少ないこの冬の庄内地方。計画伐採された山肌を焼畑にして藤沢カブを栽培している後藤勝利さんが、今年使った区画

 前日は鶴岡の湯田川温泉に投宿しました。多忙であった昨年は、湯田川に隣接する藤沢にお住まいで、例年何度かお邪魔していた藤沢カブ生産者・後藤勝利(まさとし)さん・清子さん夫妻に不義理をしていました。宿を引き払ってから、後藤さんお手製の甘酢漬けを直売以外で唯一置いている温泉街にある土産物店「ぱろす湯田川」で購入。その足でご在宅かどうか分からぬまま後藤さん宅へ車を走らせました。

fujisawa_kab2013.jpg 今年3月で廃校が決まっている湯田川小学校前を通り過ぎ、T字路に差し掛かかり一時停止したところで遭遇した軽トラックの運転席には、なんと後藤勝利さんがっ!!!! \(゜o゜)\。

 引きの強さ(ただし庄内地域限定)が、またも発揮された格好です。ついぞ昨年は訪れることのできなかった毎年場所を変える畑の在りかを教わり、浅漬け用に生の藤沢カブを土産として頂きました。カブのひげ根取りの手伝いすらすることなく頂き物をしたのでは申し訳が立ちません。物々交換の文化が今も根付く庄内に入っては庄内ルールに準じるのがセオリー。新潟で前日入手していた笹川流れの海塩を置いて後藤さん宅を辞去しました。

 紅白のおめでたい藤沢カブで新たな年を迎えた「Viaggio al Mondo ~あるもん探しの旅」。今年もよろしくお付き合いのほど、お願いします。

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L'Oasis ロアジス
住:酒田市中町2-5-1 マリーン5清水屋 5F
Phone:0234-24-0112
営: 昼11:30-14:00 夜(前日まで要予約)17:00~21:00(L.O.19:30) 水曜定休
・ランチ:ランチコース2,100円 魚ランチ1,500円~ 肉ランチ1,500円~ お子様ランチ1,000円
・ディナー:Aコース4,400円 Bコース6,600円 など
  
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2013/11/21

鶴岡のれん

料理人がおすすめする郷土食

 「料理人がおすすめする郷土食」をテーマに鶴岡市内の42店舗が参加し、限定メニューを提供する「鶴岡のれん」が、11月16日(土)から12月1日(日)までの16日間にわたって開催されています。 

 海・川・山・里の彩り豊かで個性的な旬の食材が揃い、その地ならではの祭事・行事と深く結びついた伝統料理が四季折々に味わえる食の都・庄内。

 七福神の大黒天が年越しをする「大黒様のお歳夜(としや)」にあたる12月9日の夜には、二股の「まっか大根」と黒豆ご飯などの豆を用いたさまざまな料理と、秋田沖から南下してくるハタハタと豆腐の田楽焼きが庄内の各家庭の食卓に並びます。

dengaku_hatahata6592.jpg【Photo】まっか大根や黒豆とともに大黒様のお歳夜に欠かせないハタハタの田楽焼き

 怒涛渦巻く冬の日本海ならではの恵みである高級魚「寒鱈」を余すところなく使い、岩ノリをトッピングして酒粕を加えた味噌仕立ての「どんがら汁」も冬の庄内には欠かせない味。ほら貝を吹き鳴らしながら山伏が家々を回る松の勧進と、大晦日に神事が執り行われる松例祭が明けると、北前船が上方の食文化を庄内に運んだことを物語る西日本で主流の丸餅で新たな年を祝います。毎年2月1日、夜を徹して能を奉納する黒川能「王祇祭」では、名物の豆腐焼きが演者・参加者に振る舞われます。

 海運で栄えた往時を偲ばせる京都や江戸から運ばれた時代雛が微笑みかける日本海ひな街道では、職人技が光る雛菓子が雛段に供えられます。その頃、雪解け水で増水した赤川河口域では日本海へ下ったヤマメが成長した「雪代鱒」こと、春の訪れを告げるサクラマスが遡上を始めます。湯田川で種籾を温泉に浸して発芽を促す芽出しが行われるのが4月始め。やがて芽吹きの季節を迎える山々は、山菜の宝庫と化すのです。灰汁で炊いた黄色い餅米を笹の葉で包んだ「笹巻」は、端午の節句に食されます。初夏の気配を感じる5月中旬に登場する孟宗筍を使った郷土料理の白眉が「孟宗汁」。修験の信仰が息づく羽黒の宿坊では、「月山筍」や生姜を薬味に餡かけにする胡麻豆腐など、独自の発展を遂げた精進料理が供されます。

ougisai_tofu.jpg【Photo】山椒のきいたつけ汁で食する王祇祭の焼き豆腐

 温海川など山あいの清流でアユ漁が始まり、鼠ヶ関や由良で夏イカ漁が最盛期を迎え、天然岩ガキ漁が解禁される頃、まばゆい日射しに輝く水平線上には入道雲が現れます。京都の影響が色濃い「南禅寺豆腐」の冷や奴と、ツルツルした喉越しが良い「麦切り」が恋しい盛夏を彩るのは、森屋初という女性が明治後期に選抜育種した「藤十郎」の直系品種「白山(しらやま)」など、サヤごと味噌汁の具にもする「だだちゃ豆」、京からやってきた宮大工が種をもたらしたとされる「民田ナス」、弘法大師が口にしたという伝承が残る「外内島キュウリ」など。

 秋の収穫に向け、「温海カブ」、「田川カブ」、「藤沢カブ」など田川地区の山中で、在来のカブの焼畑と播種が行われるのが、夜空を光と感動で覆い尽くす赤川花火大会の前後。その頃、湯野浜から酒田を経て遊佐まで続く砂丘地帯ではアンデスメロンが、松ヶ岡ではモモが出荷の最盛期を迎えます。

dewanomochi_onodera.jpg【Photo】「庄内協同ファーム」代表小野寺喜作さんの圃場で収穫を待つ糯米「でわのもち」

 あまたの食材に恵まれているため、山形内陸のように蕎麦を呼び物にしない庄内ですが、県内で玄ソバの産出量が最も多いのが実は鶴岡。新蕎麦が出回る頃、「はえぬき」や「つや姫」などの銘柄米が誕生した同市藤島地区など庄内一円では、穂先を垂れた黄金色の稲穂と、秋風に運ばれてくる稲ワラの香りが収穫の季節到来を告げます。五穀豊穣を願い3月に里へと迎えた田の神を再び山に送る「田の神上げ」の日、初めて口にする新米と「もって菊」、口細ガレイ、秋鮭と大根の煮物が食卓に上がります。

 舞茸、もだし、ナラタケなど天然物のキノコは、山沿いで秋から冬にかけて食される「納豆汁」に欠かせません。フルーツタウン櫛引で、大玉ブドウがたわわに実を結ぶ頃、明治時代に新潟からもたらされた庄内柿の代表品種「平核無(ひらたねなし)」が橙に色づき始め、収穫を待つばかりとなります。月山が頂きを白く染めてほどなく、藩制期以来の酒造りの歴史を刻む鶴岡市大山では、寒仕込みが始まります。仕上がった新酒は、2月の「大山新酒・酒蔵まつり」でお披露目されます。

 こうして訪れるたび、庄イタを魅了してやまない食材の豊かさ、季節ごとの営みと密接に結びついた郷土の味の多彩さぶりには目を見張るものがあります。

 「酒の肴」をテーマに、JR鶴岡駅から鶴岡銀座周辺の歓楽街に向かって、ほぼ一直線に参加30店が集中し、今年6月に開催された第1回鶴岡のれんは、500円のチケット制で各店自慢のお酒とお通しがセットされる企画でした。ワンコインの明朗会計で、心ゆくまでハシゴ酒ができるだけに、左党の諸兄諸姉から好評を博し、用意したチケット700枚はたちまち完売。「お通し」とはいえ、「白山だだちゃ豆のかき揚げ」、「庄内孟宗汁餃子」、「サクラマスと月山筍のマリネ」など、鶴岡ならではの旬の味を取り入れた店もあり、"らしさ"は楽しめたはずです。

tsuruoka_gohan2.jpg【Photo】昼・夜それぞれ趣向を凝らした各店の限定メニューが味わえる「鶴岡のれん」vol.2の〈夜の部〉パンフレット

 2回目の開催となる今回は、食の都・庄内らしさを、より前面に打ち出し、鶴岡の味を主役に据えています。昼の部に26店、夜の部には30店の合計56店、昼夜とも参加の店があるため、実数で42店が参加。1枚500円からのチケット制で、店によって500円~3000円と、チケットの必要枚数が異なります。鼠ヶ関、三瀬、湯野浜、藤島、羽黒、櫛引と、参加店が広域に広がり、東北の自治体では最も市域が広い鶴岡ならではの多彩な旬のエッセンスを味わうことができそうです。

biglietto-tsuruoka-noren.jpg 企画担当の鶴岡市食文化推進室の阿部知弘さんによれば、参画を機に鶴岡でしか味わえない在来作物をメニューに取り入れた事例もあり、店側の意欲向上にも結び付いているとのこと。敷居が高いであろう割烹も参加しているこの企画。鶴岡市民からも歓迎されているそうです。

 チケット購入の上、3~5店舗を回って対象の料理を食べるとスタンプがもらえ、その個数に応じて、つや姫5kgや月山ワイン、郷土料理のレシピ本「たんぼの味~庄内・やまがたのお米で作るレシピ集」などが抽選で当たるスタンプラリーも好評実施中。まずはWebにアクセス。昼の部、夜の部それぞれ用意されたパンフレットでじっくりと品定めの上、今回も完売必至のチケットを確保し、いざ晩秋の鶴岡へ!!

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鶴岡のれん vol.2
料理人がおすすめする郷土食 
●期間:2013年11月16日(土)〜12月1日(日)
●主催:鶴岡食文化創造都市推進協議会 http://www.creative-tsuruoka.jp/
●チケットは下記各所にて:
 ・鶴岡市観光案内所(JR鶴岡駅内/ Phone:0235-25-7678)
 ・出羽商工会本所(鶴岡市藤島字笹花33-1/ Phone:0235-64-2130)
  同櫛引支所・同三川支所・同朝日支所・同羽黒支所・同大山支所・同温海支所
 ・鶴岡食文化産業創造センター(鶴岡市馬場町14−1/ Phone:0235-29-1287)
 ・鶴岡市 食文化推進室(鶴岡市馬場町9-25/ Phone:0235-25-2111)
【問】:鶴岡市企画部 政策推進課 食文化推進室 / Phone:0235-25-2111(代)

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2013/08/18

赤川花火大会2013

3年ぶりの感動日本一@鶴岡

 第23回「赤川花火大会 翔habataki-感動日本一への挑戦」が、8月17日(土)、鶴岡市赤川河畔を会場に開催されました。27年ぶりの復活となった1991年(平成3)、1,500発で再スタートして以降、質量ともにスケールアップし、目の肥えた花火ファンの支持を不動のものとしている赤川花火大会。こと知名度の点では、600m上空に直径550mの大輪の花を咲かせる正三尺玉やフェニックス花火など、2日間で延べ2万発を打ち上げ、その起源が1879年(明治12)まで遡る「長岡まつり大花火大会」や、1910年(明治43)から開催され、今年87回目を数える全国花火競技大会「大曲の花火」などの伝統ある大会と現状で比べれば、赤川は一歩譲るかもしれません。

akagawa2013poster.jpg【第23回 赤川花火大会 「翔 habataki」 実行委作成ポスター】 花火撮影:井上真也氏click to enlarge

 しかしながら、歴代の青年会議所有志が中心となって運営し、全国デザイン花火競技会でもある同大会には、世界的にもレベルが高い日本屈指の花火師が全国から参加します。夜空を彩る1万2千発のデザイン花火や割物の尺玉が、赤川に架かる羽黒橋と三川橋の間の羽黒町側河川敷の全幅700mを使って打ち上げられ、すぐ目の前の天空を色とりどりの光で埋め尽くします。さまざまなジャンルの音楽と静と動を組み合わせた光の芸術の大迫力は、"感動日本一"の呼び声に違わぬもの。大会運営の良さもあり、開催地の人口を遥かに超える観客が会場に殺到し、終了後に大渋滞に巻き込まれ疲労困憊、フィナーレの感動が吹き飛ぶ残念な結果を見ることもありません。

akagawa_2013.jpg【Photo】第20回記念大会に訪れて以来、3年ぶりに訪れた今年の赤川花火大会で夜空を焦がすデザイン花火。Bravooooo(=たまや~)!!!!!

 通称「アカハナ」こと赤川花火大会に庄イタがデビューした2004年(平成16)。作家・藤沢周平への再評価の機運が高まって「海坂の大花火」が大会テーマだった第14回大会の印象は鮮烈でした。10・9・8・・・のカウントダウンに続く1曲目Queenの「I Was Born to Love You」でセンセーショナルに幕開けしたオープニングのワイドスターマインで、一気にヒートアップ。シェフの好意で一緒に花火を楽しませてもらったアル・ケッチァーノの若手スタッフたちは感動のあまり瞳を潤ませています。ビバ青春!

 「You raise me up-あなたがいれば立ち上がれる」が大会テーマだった翌15回大会。そのエンディングは、TBS系「世界遺産」のテーマ曲「The Song of Life」が使われた市民花火との2部構成でした。さまざまな歌手がカバーしたこの年の大会テーマと同名の曲ですが、ここで使われたのは、日本では最も知られるケルティック・ウーマンのバージョンではなく、ジョシュ・グローバンの力強い美声。「エレクトリック・ミュージカル・ワイド花火」と形容されるデザイン花火が、曲とシンクロしながら百花繚乱のクライマックスへと至り、鳥肌が立つほどの感動を覚えたのを鮮明に記憶しています。

 クラシック音楽あり、J-POPあり、子ども向け演出ありで、幅広い世代が楽しめる大会全体の構成に感心したものです。それ以来、赤川花火大会の日は、ランチ営業だけで店を切り上げ、スタッフ全員で花火見物をするアル・ケッチアーノ特設席に同席させてもらうのが庄イタ家の恒例行事となりました。

akagawa_poster2011.jpg 【第21回 赤川花火大会「希望の光」 実行委作成ポスター】  花火撮影:加藤隆志氏click to enlarge

 東日本大震災が発生した2年前の夏は、実行委が当初予定していた「飛躍の翼」から「希望の光-復興に勇気 子どもたちに笑顔 東北に未来を」へと大会テーマを変更。全国で催事の中止が相次いだ中、被災地に勇気と希望を届けようと、震災で最大の犠牲者を出した石巻や南三陸町の子どもらを招待してくれました。この「希望の光プロジェクト」は、「飛躍の扉-明るい未来へ天空からのメッセージ」をテーマとした昨年は福島から、今年は岩手の小学生が招待され、鶴岡の子どもたちと共に仙台・八軒中で有名になった合唱曲「あすという日が」をオープニングで披露しました。

【Movie】10分に及ぶフィナーレ「輝け! 響け! 未来へ、翔け!!」は長野県の(有)伊那火工 堀内煙火店による感動スペクタクル巨編。心震える感動日本一体験をどうぞ

 混乱のさなかにあった2年前の8月、そして昨年も赤川花火を見ることはできずにいましたが、3年ぶりに訪れた今回、やはりアカハナは素晴らしいとつくづく実感できました。効果のほどは???ですが、夕凪で時おり立ちこめる花火の煙を河川敷を埋める観客が一斉にうちわで追い払う恒例「パタパタ」にも参加。尺玉が上空で炸裂する空気の振動を肌で感じ、上空から燃え尽きた花火の灰が降り注ぐライブの素晴らしさには及びませんが、33万人(実行委発表)が体感したフィナーレの感動を少しだけお裾分けします。抑制の利いた前半から一転、5分過ぎから堰を切ったように溢れ出す光の洪水は圧巻!!

 仙台七夕花火祭や泉区民ふるさとまつりなど地元の花火は勿論のこと、隅田川や大曲の花火も体験した庄イタがイチオシする赤川花火大会。その素晴らしさを知らなかったというアナタ、来年の開催日は8月16日(土)です。Don't miss it.
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 ■ 赤川花火大会実行委員会(公益社団法人鶴岡青年会議所内)
   URL:http://akagawahanabi.net/
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2013/06/25

水が合うハナシ

力水@湯沢 vs 神泉の水@遊佐

 
 食べ物・飲み物ではなく、湧水に関するトピックスが続いて恐縮ですが、カテゴリーのタイトルにある通り"水はすべての始まり"です。出張先の旧久保田藩(秋田藩)で、栗駒水系の伏流水と出合うも、結局は旧庄内藩領内で鳥海水系の湧水の類い稀な魅力を再認識した次第。

kurikoma_buna.jpg【Photo】岩手・秋田・宮城の3県にまたがる栗駒山(1627m)秋田県側の標高1000m付近。6月上旬とはいえ直射日光が射さない斜面には雪が例年以上に多く残る。幾層にもなったブナの腐葉土は保水力が高く、地中へと浸透してゆく。ブナの森は豊富な伏流水の供給源でもある

 出張で秋田県南部の湯沢市稲庭を訪れた先日、次なる目的地にかほ市へ車で移動する道すがら、湯沢市古館山にある名水百選「力水」に立ち寄りました。鎌倉期に小野寺氏が古館山の頂きに築いた湯沢城は、関ヶ原の合戦以降、佐竹南家の三代目佐竹義種の居城となるも、1620年(元和6)の一国一城令により廃城となりました。現在は散策コースとして整備された古館山の一角が中央公園となり、市民憩いの場となっています。酒処・秋田だけあって人口24,000人弱の湯沢市街地には、爛漫で知られる秋田銘醸の大きな醸造所のほか、大小7軒の造り酒屋が点在しています。

fukukomachi_yuzawa.jpg 欧州最大かつ国際的に最も権威ある酒類評価会とされるインターナショナル・ワイン・チャレンジSAKE部門の金賞受賞酒「純米大吟醸 雪月花」を醸す両関酒造、同鑑評会出品292蔵元689銘柄の最高峰「Champion Sake チャンピオン・サケ」に昨年度輝いた「大吟醸 福小町」や「角右衛門」銘柄などを展開する木村酒造など、栗駒山系の豊富な水資源を活かした酒造りが行われています。

【Photo】秋田湯沢・木村酒造の福小町(右写真)。馥郁としたコメの旨味と酸味が醸し出す綺麗な造りの純米吟醸(左)、山田錦を精米率40%まで磨き、伝統の寒造りで頂点を極めたチャンピオン・サケ大吟醸(右)

chikara_mizu1.jpg【Photo】古館山を居城とした佐竹南家の御用水として使われた力水は、緑豊かな山裾に今もこんこんと湧き出す(左写真)

 名水百選・力水の標柱が建つ山裾の水場からは二筋の清らかな伏流水が湧き出ており、そこが水汲み場として整備されています。手入れが行き届いた水場の入口には「飲むと力が出る」という力水の由来を記した石碑があり、それによるとこの水は佐竹南家の御膳水として用いられ、殿様はこの水を「体に力がつく」と好んで愛用したのだとか。されば鳥海高原を越え、日本海に面するにかほ市まで移動後、仙台へと日帰りする力を得ようと飲んでみました。

 力水は年間を通して水温12℃前後、硬度約39、pH8.2の中性の軟水です。毎分およそ20ℓの湧出量がありましたが、次第にその量が減少しているとのこと。きりっと冷えた力水は、その名の通りロングドライブで疲弊した交感神経を覚醒させるのでした。

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 佐竹南家の屋敷跡に建っていた小学校では、飲用水として用いたこの水を「おしず(=清水)さん」と呼び、水温10~15℃の湧水でしか棲息できない淡水魚イバラトミヨを飼っていたのだといいます。力水を水源とする池には日本各地で生息数が激減するモリアオガエルも棲息していたといいますから、よほど自然豊かな環境だったのでしょう。

 佐竹の殿様が愛でた力水で元気回復、西馬内盆踊りで有名な羽後町から矢島街道と鳥海高原を経て、最終目的地にかほ市役所に駆け込んだのは17時をわずかばかり過ぎた頃でした。打ち合わせを終え、そこから仙台に戻るには、酒田みなとICから山形自動車道を使うのが時間的には最も早いルートとなります。その経路となるR7の遊佐町女鹿には、Viaggio al Mondo~あるもん探しの旅~で幾度か登場した湧水ポイントがあります。そう、女鹿集落のシンボルともいえる「神泉の水(かみこのみず)」です。

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 「水が合う、水が合わない」という言い回しがあります。あわただしく出張帰りに寄ったこの日、つくづくその言葉を実感しました。口あたりが極めて柔らかいだけでなく、飲み込んだ水がすぅ~っとカラダに浸み込んでゆく独特の感覚を体感できる稀有な湧水が神泉の水なのです。そのため、庄内系にメタモルフォーゼした10年前に初めてここを訪れて以来、神泉の水は過剰な塩分を含むスポーツドリンク類よりも遥かにスムーズに最もカラダに同化し、しっくりと馴染む水として私の中では最上位に君臨する水であり続けています。

【Photo】地区の暮らしとともにある遊佐町女鹿「神泉の水」

 熱帯に匹敵する年間降水量がある鳥海山周辺には、湧水ポイントが数多く存在しています。火山性土壌の影響で酸性度が高く飲用に適さない北側の湧水を除き、そのいずれもが庄内きっての美味しい伏流水ばかり。これまでViaggio al Mondoに登場しただけでも、牛渡川Link to backnumber、釜磯Link to backnumberゆりんこ・湯ノ澤霊泉Link to backnumber、胴腹滝Link to backnumber、さんゆう・鳥海三神の水同左etc ・・・。

 仙台に帰着するまで150km以上の距離を残し、すでに400kmを走破していたこの日。飲み込んだ神泉の水は、特異な浸透圧を備えた分子構造なのか、体感的には胃壁からたちまちにして体と同化してゆきます。その独特な感覚はこの湧水特有のもの。力水が交感神経を活性化させるムチ入れの水ならば、神泉の水は緊張が解き放たれカタルシスが得られる水。いわば副交感神経のスイッチが入る癒しの水。

kamiko_mizu-3.jpg【Photo】できることなら仙台の自宅まで誘引したいくらいの(笑)塩ビ製のパイプから直接水が注ぐ最上段が飲用。とりわけそこは汚さぬように気をつけたい

 夕刻を迎え、鍋やペットボトルを手に地区の人たちが水を汲んでは持ち帰ってゆきます。佐竹南家の殿様が愛飲した力水も間違いなく美味しい伏流水ですが、神泉の水ほど速やかにナノレベルの細胞にまで水が浸透してはゆきません。それほど水が合う庄内系にとっては奇跡の水である神泉の水は、集落から離れた上手の湧出地点から水場へと引かれています。不動尊が見守る水場は、女鹿の人々が大切に伝えてきたもの。

 6段に分かれた神泉の水は用途がそれぞれ決まっています。最上部は水汲み用、次が食べ物の冷却保存用、3・4段目が食品の洗浄、次が生活用具の洗浄、最下段がおむつ洗い。水場の周囲は人家なので、車は路肩に停車させアイドリングストップ。水場を守る地元の方優先です。


より大きな地図で 栗駒水系「力水」 vs 鳥海水系「神泉の水」 を表示

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2013/03/02

お雛様めぐりは「日本海ひな街道」へ Piatto3月号こぼれ話

201303cover.jpg  
毎月第一土曜日発行のPiatto3月号は本日発行。仙台市区部中心エリアの河北新報読者の皆さまには、山形県山辺町ふるさと資料館所蔵の古今雛が表紙となった広告特集「山形百彩 山形春紀行雛物語」と同日配布となりました。

 春の観光シーズン幕開けを飾る催しが、ここ数年、東北各地で開催されるようになった「雛まつり」です。いち早く雛祭りを観光の目玉にしたのが、紅花商人が最上川交易で得た富で得た京都や江戸のひな人形を公開した山形県河北町谷地のひなつり。紅花の産地となる山形内陸には、そうした上方や江戸で作られた時代雛が今に伝えられ、各地で「雛街道」と称する観光行事が行われています。

【Photo】色とりどりの傘福と、辻村寿三郎氏の妖艶な創作人形「さかたの雛あそび」が展示される酒田市日吉町の国指定文化財「山王くらぶ」で撮影されたPiatto3月号表紙(上写真) 酒田きっての料亭だった相馬屋を改装した相馬樓。茶房くつろぎ処では、大型の雛段の上段で次郎左衛門雛(左)と享保雛(右)が並んで訪れる人をお出迎え(下写真)

1303-tokusyu1.jpg 谷地のほか各地の雛まつりをこれまで10年にわたって訪れてきた庄イタが、これぞ珠玉!!とお勧めするのが、最上川交易における内陸への中継地点として、そして北前船交易の拠点として「西の堺・東の坂田(=酒田)」と日本永代蔵で井原西鶴に繁栄ぶりを称えられた酒田と、徳川四天王に数えられる譜代大名の酒井家が治めた城下町・鶴岡を中心に珠玉のお雛様が伝わる庄内地域。現代に作風が受け継がれる時代雛、古今雛の祖とされる原舟月の作になる雛人形が数多く残るなど、いずれ劣らぬお雛様の質の高さと数の多さには圧倒されるほど。

 その象徴が、Piatto3月号日本海ひな街道特集の導入を飾った二対のお雛さま。それは「本間さまには及びもないが せめてなりたや殿さまに」とまでいわれた酒田を代表する豪商・大地主の本間家のお雛さまと、明治以降も旧領地に残った数少ない大名・酒井家伝来の由緒正しきお雛さまです。

本間家旧本邸_相生様.jpg【Photo】交易で大いに栄えた湊酒田を代表する豪商の並はずれた繁栄ぶりが伺える本間家旧本邸に4月上旬まで展示される「相生様(百歳雛)」

 本間家繁栄の礎を築いたのが本間光丘(みつおか)。幕府の巡見使を迎えるため、明和年間に光丘が建造したのが、武家屋敷と商家造りが合体した本間家本邸です。天井まで届きそうな高さ2m、幅1間半(約2m72cm)の赤い雛段に飾られる京都で江戸末期に作られた古今雛(男雛31cm、女雛27cm)を今月号ではご紹介しました。見逃してならないのは、古今雛と並んで微笑む白髪の「相生様(あいおいさま)」(男雛26cm、女雛22cm)。ともに白髪になるまで連れ添えるようにという願いが込められたお雛様です。

1303-tokusyu2-03.jpg【Photo】今年も酒田夢の倶楽で無料公開される加藤家古今雛(江戸後期・江戸製) 惜しげもなく金糸を使った刺繍が施された衣装、ガラスを組み込んだ優しげな眼差しと穏やかな表情、ともに40cm以上ある堂々たる見事な造り...。いずれを取っても訪れる価値十分  (写真協力:コマツコーポレーション)

 庄イタの意向で、一昨年のPiatto3月号でご紹介したため、今号では取り上げませんでしたが、酒田を訪れたならば是非ともご覧頂きたいのが、洛中洛外図屏風を背に柔和な微笑みを浮かべる江戸時代末期に江戸で作られた加藤家の古今雛(男雛43cm、女雛40cm)。華麗な鳳凰の刺繍を施した衣装と透かし細工の冠を戴くお雛様、端正なお顔立ちの内裏様、そして雅楽五人囃子は、今年も酒田の観光スポットとして外せない山居倉庫内の「酒田夢の倶楽」で出合うことができます。

sannnou_kasafuku2009.jpg【Photo】映画「おくりびと」がアカデミー外国語映画賞を受賞し、空前の賑わいとなった2009年に訪れた「山王くらぶ」の999個の飾りが下がる傘福。今回の取材で目にした下げ飾りは、4年前よりはるかに手が込んだ造りだった

 国登録文化財「山王くらぶ」は、料亭「宇八樓」であった時代、竹久夢二も訪れた1895年(明治28)築の風情ある木造建築。取材に訪れた日も地元の女性たちが下げ飾り作りに励んでいました。最近では4年前にも999の飾りが下がる大きな傘福を目当てに訪れていますが、当時と比べると一つ一つが、明らかに手の込んだ作りになっているのがわかります。リピーターの方でも決して見飽きることはないはずです。
 
 「鶴岡雛物語」として初公開された1995年(平成7)から18年目となる今年も、会期中は「致道博物館」の御隠殿に展示される酒井家伝来の有職雛(男雛20cm、女雛18cm)。今号の制作スケジュールの都合で、鶴岡を訪れたのは、まだ展示が始まる前。そのため、酒井家十八代当主の忠久氏・天美さんご夫妻のお宅に伺っての取材となりました。

hina-tool-hosokawa.jpg【Photo】徳川四天王筆頭格の酒井家伝来のお雛さまと同様、見逃せないのが、極小サイズの雛道具に精緻な蒔絵が描かれた逸品の数々。庄内藩酒井家酢漿草・熊本藩細川家九曜雛道具(上写真・江戸中期 致道博物館蔵) 田安徳川家葵雛道具(下写真・江戸後期 酒井家蔵)

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 お殿様のもとに参上するとあって、世が世なら"失礼があっては打ち首獄門"と緊張しきりだったこの日。前日スタッフで撮影前に昼食を頂いた酒田「ル・ポットフー」や投宿した湯田川温泉の宿などで、「酒井の殿様のご自宅に参上して取材する」と明かすと、かつての領民の末裔である皆さんから「へぇ~」ときまって感心されるのでした(笑)。2006年7月に酒田市産業会館で行われた「奇蹟のテーブル」出版記念パーティやその他の会合でご夫妻とはお会いしたことがあったほか、寒河江に嫁がれた長女の賀世さんに仲立ちをお願いしていたこともあり、忠久さん・天美さん夫妻は笑顔で出迎えて下さいました。

8th_tonohan.jpg 国の名勝に指定された庭の雪景を望むお座敷の床の間には、藤沢周平の小説「義民が駆ける」で描かれる幕府の三方領知替え案に対し、領民挙げての反対が巻き起こった10代藩主忠器(1790-1854)の筆になる立雛の掛軸が下がります。忠器公治世下の天保3年、酒田で創業した「御菓子司 小松屋」の精緻な芸術品のような雛菓子と、江戸後期に京都で作られた公家の装束の有職雛と愛らしい笑顔の稚児雛が、そこで待っていてくれました。それらが一般公開されるひな街道期間中は、田安徳川家から輿入れした姫君持参の見事な細工が施された必見の雛道具や、その小ささに感嘆する貝合わせもあわせて展示され、必見です。

【Photo】酒井忠器(ただかた)公が描いた立雛。封建時代ゆえ男雛の大きさが目立つが、形勢がすっかり逆転した現代では、女雛をはるかに大きく描かなくてはならないだろう(右上写真)
 
1303-tokusyu2.jpg【Photo】ひな街道開催期間中の4月3日(日)まで致道博物館の御隠殿に展示される酒井家の有職雛と稚児雛(上写真)

 荘内銀行の前身となる貸金業を営み、明治期の庄内では本間家に注ぐ大地主であった風間家の邸宅「丙申堂」。2005年に公開された映画「蝉しぐれ」で、牧文四郎(市川染五郎)とおふく(木村佳乃)の再会シーンの撮影が行われました。独自の発展を遂げた庄内の雛菓子作りを、この道60年の本間三男さんの手ほどきのもと、丙申堂で体験できるのが3月10日(日)。Link to backnumber翌週17日(日)に菓子作り体験が行われる鶴岡市本町の三井家蔵屋敷では、全国でも現存する人形が数えるほどしかない「古今斎」を名乗った名工・三代目原舟月(しゅうげつ)の内裏雛と雅楽七人囃子が穏やかな笑みを浮かべて出迎えてくれます。

 健やかな女児の成長を願う雛まつり。そんな優しい日本の伝統の精華の数々が、これだけ揃う地域は東北では他にありません。寒さが一段と身にしみたこの冬。水温む優しい春のきざしを探しに日本海ひな街道を訪れてみませんか。

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2013/02/03

ワイルドだろぉ どん(胴)抜きどんがら汁

湯田川女将直伝「アク入り どんがら汁」
更にワイルド「胴抜きアク入り がらがら汁」

yura_winter.jpg【Photo】雪雲が低く垂れこめる日が続く1月半ばにしては珍しく、雲間から陽が差した鶴岡由良海岸。それでも荒ぶる冬の日本海は人を寄せ付けない厳しい表情を見せる

 寒さが最も厳しい季節、庄内各地で開催される「寒鱈まつり」。平成元年にスタートしたこの催しは、酒田・鶴岡とも毎年2万人以上が訪れる観光行事として定着しました。その呼びものが厳しい庄内の風土が生んだ野趣あふれる郷土料理「寒鱈汁」。荒れる冬の日本海で揚がる真ダラを余すところなく使い、味噌で味付けし、岩ノリを散らして振る舞われます。複数の出店が並ぶ酒田と鶴岡の寒鱈まつりでは、底冷えする屋外で食べ比べをするうち、心身ともに満たされてきますLink to Backnumber

yura_dongara_jiru.jpg【Photo】ガラが多めで地元の人たちからの支持が高い由良寒鱈まつりで振る舞われる寒鱈汁。他会場と同じ一杯500円

 日が近い「大山新酒酒蔵まつりLink to Backnumber」を優先した昨年と、雪が多かった一昨年は、寒鱈まつり参加を見送りましたが、Piatto3月号で特集する「日本海ひな街道」の取材で、先月末に酒田・鶴岡を訪れました。その折に投宿した鶴岡の湯田川温泉の湯宿「ますや旅館」で、これまで食してきたあまたの寒鱈汁の記憶をたどっても、とりわけ印象に残る"これぞ真髄っ!!"という文字通りの「どんがら汁」と出合いました。一般的には寒鱈汁と呼ばれるそれは、豪快で威勢のよいどんがら汁という庄内での呼び名の方が感覚的にはしっくりきます。

bagno_masuya.jpg【Photo】湯田川温泉ますや旅館2階の貸切檜風呂。源泉かけ流しの柔らかなお湯を心ゆくまで堪能できる至福のテルマエ

 春が遅い東北でも初夏の兆しが感じられる5月中旬ともなると、食べずにはいられないのが、初夏の庄内に欠かせない孟宗汁。メンタリティが庄内に帰化して10年になる庄イタをして、孟宗尽しの夕餉Link to Backnumberで唸らせてくれるのが、料理上手な女将の中鉢泰子さん。聞けば贅沢にも5kgクラス以上のオス鱈を仕入れているのだといいます。白子の需要が高まった近年では、庄内浜で揚がるオスはメスのおよそ倍。その対価として日本銀行券で福沢諭吉樋口一葉を差し出さなければならない高級魚。魚体へのダメージが少ない延縄漁法で捕れた型の良いタラともなると、、物によっては諭吉先生3枚近くの出費は覚悟です。

cena2013.1.28_masuya.jpg【Photo】出張で訪れたこの日は、ますや旅館の平日限定ビジネスプラン(2食付6,975円!!)を10年目にして初めて利用。華美な演出は無くとも、心尽くしの庄内ならではの手料理が並ぶ夕餉。嬉しいことに鍋には高価なオス鱈を使った郷土料理の「どんがら汁」が登場。ブラボー!!!

 開湯の伝説による「白鷺の湯」という別名を持つ湯田川温泉のお湯は、肌触りの柔らかい癒し系。全市町村にさまざまな温泉が存在する山形県下でも、庄イタが愛してやまない温泉です。飲泉するとその素晴らしさがより一層おわかり頂けるはず。仙台から撮影のため酒田まで赴いて頂いたモデルの高以さんとメイクさん、スタイリストさんをお乗せしての月山越えとなったこの日。ますや旅館自慢の檜造りの湯船に浸かっていると、心身ともに緊張が解き放たれてゆくのでした。

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【Photo】ますや旅館の夕食から。煮溶かした海藻を冷やし固めた庄内の郷土食「えご」と「ひろっこ(アサツキ)」、タコの酢味噌和え(左写真) 湯田川郊外の山で伝統的な焼畑農法で作られる藤沢カブ《Link to Backnumber》の甘酢漬と白菜の浅漬(右写真)

 同行したディレクター、ライター、カメラマンとともに頂いた夕食で、グツグツと音を立てる鍋の木蓋を開けると、白子やアブラワタが入った寒鱈汁がご開帳。寒鱈の旬真っ盛りだっただけに、密かに期待はしていたのですが、そのアラの多さは期待以上。寒鱈まつり会場では観光客向けにアラの量が少ないことが多く、正直ちょっと物足りなさを覚えることも。数年前、ますや以外の湯田川の宿で登場した寒鱈汁も、ちょっとお上品な印象でした。それだけにジモティ仕様のワイルドなどんがら汁と出合えたことは望外の幸せ。

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【Photo】小鉢に入った岩ノリを散らして頂く湯田川温泉ますや旅館のどんがら汁は、白子・アブラワタ・胃袋などのガラがたっぷり、うま味もたっぷり。その秘密は・・・。

 ところが、湯田川は初めてだというディレクターとライターの女性2名は、中骨やガラがたっぷりと入ったどんがら汁に戸惑っている様子。コクの決め手であるアブラワタ(肝臓)、タツ(白子の南庄内での呼称)、コリコリとした胃袋などに紛れて箸で探さないと白身が出てこない寒鱈汁は、「食べるところがない...(,,-_-)」と顔に書いてある初めての2人には、ハードルが高い上級者向けだったのかもしれません。

 庄イタが驚いたのは翌朝。女将に尋ねたところ、ますやのどんがら汁は、なんとアクを取らずに作るとのこと。鱈汁には家それぞれの作り方があって当然ですが、庄内の食に関する我がバイブルである伊藤珍太郎の名著「改訂庄内の味」(「本の会」刊・昭和56)には、とある料理通から聞いた話として、アクをすくい取らないと汁に生臭さが残ると記されています。鶴岡の鮮魚店や大方の作り方指南にも、必ず"アクは取る"とあります。これは天動説が信じられていた17世紀、ローマで異端裁判にかけられたガリレオ・ガリレイが唱えた地動説に等しい衝撃の新説!!

garagara_jiru.jpg【Photo】真鱈のガラだけで作った自家製「アク入りがらがら汁」。土曜の朝と言うことで、つい庄内の酒に手が伸び...

 かくなる上は真偽を試さずにはいられない庄イタ。由良港直送の魚介が手に入る鶴岡IC近くにある鮮魚店「魚神(うおしん)」でタラ汁セットを入手したまでは良かったものの、自宅冷蔵庫に入れた翌日、鮮度の大切さを知る家人が普通どおりに寒鱈汁を作ってしまったのです。それはそれで当然美味しかったわけですが、幸運にも再度の機会がすぐ巡ってきました。石巻に本店がある「津田鮮魚店」の支店「石巻マルシェ(旧「三陸おさかな倶楽部」)」が仕事場の近くにあり、そこで三陸沖で揚がった真鱈のアラを発見したのです。

 原発事故以来続いていた出荷規制が、先月17日に解けた宮城県産の真鱈。被災前の石巻は、北海道の漁港を差し置いて真鱈の水揚げ高が日本一だったこともあります。ちょっと前に取り上げた木の屋石巻水産の「金華さば味噌煮缶」ほか、石巻の産品で埋め尽くされた店内。毎朝実施しているスクリーニング検査をパスした魚介だけがセリにかけられる石巻魚市場直送のアラは鮮度抜群。しかも400円というバーゲンプライス!!

garagara_jiru2.jpg【Photo】作り置き3日目の味が浸みわたったガラガラ汁。「木川屋山居倉庫店」の阿部泉さんご推奨の一本「初孫赤魔斬」と

 さっと具を水洗いし、昆布と鰹でとった出汁で火が通りにくいアブラワタと胃袋を30分煮込みます。その茹で汁に白子以外の全ての部位を(白身があればここで)入れ、浮いてくるアクは放置したまま約10分間煮立てます。火が通ったところで味噌と酒粕で味付け。ますや旅館では酒粕を加えませんが、庄イタは酒粕入りが好み。平田赤葱と短冊切りし、あらかじめさっと茹でた大根に白子と豆腐を加えてひと煮立ちしたところで完成です。器に盛ってから岩ノリを散らすのをお忘れなく。

 泰子女将直伝のアク入りどんがら汁のお味やいかに。石巻直送の新鮮なガラゆえ、世人が言うような生臭さは感じません。栄養価が高くコクのもととなるアブラワタの量が半端ではないため、食べ応え十分。ますや旅館で頂いたどんがら汁は、中骨に貼りついた中落ちやコラーゲンたっぷりのゼラチン質も入っていましたが、今回の具はガラ100%。淡白な白身からは決して得られないうま味たっぷりの出汁が出ています。

 具それぞれの持ち味が際立つ出来たてもいいですが、汁ものが一般にそうであるように、一晩置いたどんがら汁は、奥行きが加わります。まして今回は"白身抜き(胴抜き)がらだけ汁"だけに、「がらがら汁」とでも呼びたい超ワイルド仕様。鍋物のアクはすくい取るものという既成概念が、初孫 特別純米 魔斬 生原酒を相伴にした、どんだけガラディナーで見事に崩れ去ってゆきました。そう、ガラガラと音を立てて。 お後がよろしいようで.../(;^△^)
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ますや旅館
住: 鶴岡市湯田川乙63
Phone: 0235-35-3211
Fax: 0235-35-3210
URL: http://www.yu-masuya.com/baner_decobanner.gif 

2013/01/06

新年明けまして女鶴餅

杵つき女鶴餅を仙台雑煮で味わう癸巳のお正月

 「今日餅が搗き上がったさげ・・・」

 暮れも押し迫った昨年の12月30日夕刻、酒田市布目に伝わる幻の糯米「本女鶴」の生産者、堀芳郎さんから電話を頂戴しました。それは不思議なめぐりあわせで昨年9月にお会いして以来、久しぶりに耳にする訥々(とつとつ)とした堀さんのお声でした。杭掛けを終えたばかりの女鶴を前に、年末には昔ながらのやり方で、杵と臼で餅を搗くと仰っていた堀さん。大晦日の前日に餅を用意する庄内の稲作農家の伝統に倣い、本女鶴を餅に仕上げたのでした。

nunome_inverno.jpg【Photo】杭掛けされた本女鶴が並ぶ布目地区(写真右手)を前回訪れた昨年9月の黄金色に染まった豊穣の風景に見とれた場所に立つと、モノトーンに包まれた冬景色を肌を刺す寒風が吹き抜けてゆくのだった

 家人の帰省のため気仙沼へと向かう前日の大晦日に酒田までの雪道を往復することを一度は躊躇したものの、私のことを気にかけて下さっていた堀さんに発送の手間をおかけしては申し訳ないと思い、「明日頂きに上がります」と申し上げて電話を切りました。

sankyo2009.inverno.jpg 冬期間は仙台‐酒田の最短ルートとなるR347鍋越峠が閉鎖となるため、距離的なロスがある山形自動車道経由ではなく、R48から東根を経て、R13で新庄から酒田を目指しました。関山峠から村山市までは穏やかな天候だったものの、豪雪地帯の尾花沢に差しかかる頃には、吹雪模様に。風雪のため最上川の対岸の風景が淡い水墨画のごとく霞むR47から酒田市内に入り、まずは山居倉庫の産直館で酒田女鶴の餅を購入しました。それはここ数年来、我が家の正月の雑煮に欠かせない酒田女鶴と今年初めて口にする本女鶴とで餅の食べ比べをするために他なりません。

【Photo】山居倉庫の欅並木も冬の佇まい

 昨年の11月初旬、堀さんとのご縁をつないで下さった酒田女鶴の生産者である渡部正弘さん・由美子さん夫妻のもとを訪れた際、加工場で真空パック詰めする直前の半生状態にある酒田女鶴餅を私に持たせて下さいました。渡部さんは頑としてその対価を受け取ろうとしないため、その再現ではかえって申し訳ないので、今回は産直館で渡部さんの餅を購入した次第。そこではこれまた2年前の夏に偶然お会いした新関貴美子さんが所属する「ミセスみずほの会」が、シーズン最後に出荷する在来種「鵜渡川原キュウリ」の粕漬と奈良漬もあわせて入手しました。

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【Photo】暮れゆく2012年を締めくくった酒田の寿司割烹「こい勢」旬の地魚おまかせ握り(1人前3,150円)より。 烏賊(左上)・ノドグロ炙り(右上)・寒ダラ昆布〆(左下)は振り塩で・カワハギの上品な白身と濃厚な旨味が詰まった肝は自家製の煮切り醤油で(右下)

 訪問しようと電話した酒田市内のフレンチレストランが、すべからく年末休に入っていたこの日。年間を通してさまざまな山海の美味との邂逅があった庄内での有終の美を飾る腹ごしらえはJR酒田駅にほど近い相生町の「寿し割烹こい勢」のカウンター席へ。今回も親方に注文したのは庄内産ササニシキのシャリと季節ごと旬のネタ10貫が味わえる旬の地魚おまかせ握り。

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【Photo】鱈の白子の庄内での呼称ダダミの炙り(左上)・日本海側の各地でシロガスエビやドロエビといった可哀そうな異名を持つクロザコエビを庄内浜ではガサエビと呼ぶ。その身は甘エビ(ホッコクアカエビ)よりも美味(右上)・酒田沖産ホンマグロのトロ(左下)・ズワイガニ(♂)の庄内での呼称ヨシガニの軍艦(右下)

 振り塩と柚子の香りのイカに始まり、寒ダラの昆布〆と炙って香ばしさが加わった絶品ダダミ(白子)、トッピングの肝が旨味を増幅させる上品な白身のカワハギ、店一番の人気だというトロけるようなノドグロの炙り、ふっくらとした肉質が身上のヨシガニと庄内浜では称されるオスのズワイガニ、甘味が強いものの鮮度が失われやすいため生食は地元ならではのガサエビ・・・。お江戸ならば倍額の出費は覚悟せねばならぬでろう江戸前握りとコチのアラ汁で心底満たされたところで、堀さんのもとへと道を急ぎました。

 円能寺地区に向かう車窓から見る風景は、実りの季節に訪れた前回とは打って変わった厳しい冬の表情。雪雲に覆われて鳥海山はその稜線すら垣間見ることができません。車から降りて寒風吹きすさむ道端に建つ地蔵堂越しに、女鶴が命脈を保った堀さんの圃場を眺めました。車に戻る前、振り向きざまに視線を送った赤い頭巾と胴衣をまとったお地蔵様のお顔に目が釘付けになりました。
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【Photo】北西方向を雪囲いで覆われた県道367号線の道端に建つ布目地蔵堂

 何故なら、地蔵の口には誰かが何かを塗りつけた跡があったからです。茶色のそれはザラメ砂糖のように見受けられました。その布目地蔵を見て思い起こしたのが、民俗研究家の結城登美男先生の著書「東北を歩く」(2008・新宿書房刊)に登場する山形県新庄市の接引寺山門脇にあるという「まかどの地蔵」。東北の稲作の歴史は、凶作と飢饉との戦いの繰り返しでもありました。新庄のある最上(もがみ)地方は、豪雪と冷害に見舞われることが幾度となくあった地域。
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【Photo】黙して語らぬ口の周りに黒砂糖を塗られた布目地蔵

 天明・天保とともに江戸三大飢饉に数えられる宝暦の大飢饉(1755)では、夏の低温と長雨、そして冬の豪雪により、埋葬しきれぬほどの餓死者が出ました。その供養にと祀られたのが、まかどの地蔵。以来、地元の人々は餓鬼道に堕ちた者のため、春と秋の彼岸にぼた餅を地蔵の口に運んで食べさせるようになったのだといいます。布目の地蔵様まつりは4月と8月の地蔵盆の日(23日・24日)に行われています。これは田植えを行う直前と旧盆明けの時期にあたります。

 庄内地域に6体が現存する即身仏は、飢饉や災禍で苦しむ衆生を救わんと、穀断ちの千日行の末に生きながらにして土中に籠り即身成仏を果たしたもの。(今日からNHKのBSプレミアムで全話再放送が始まった)明治末期に小作農家の貧しさゆえ年端も行かぬ7歳にして口減らしのため1俵の米と引き換えに年季奉公に出された「おしん」はフィクションですが、不幸にして先立った我が子、柳田國男が遠野物語で紹介したデンデラ野ほか各地に残る姥捨て山伝説など、日本各地には農村庶民史の暗黒部ともいえる伝承が残ります。飽食の時代といわれる今もなお、口に黒糖を塗られた布目地蔵に、亡者を想う施餓鬼の意味と食べ物を大切にする地元の心を見た庄イタなのでした。女鶴が命脈を保った田んぼの脇で寒風に耐えるようにひっそりと息をひそめる地蔵の姿に胸を打たれました。

shogatsusama_horitaku.jpg【Photo】お正月様をお迎えする堀家のお供え。氏神ほかの掛け軸、子孫繁栄を願うユズリハ、喜ぶにつながる昆布、長寿を願う干し柿、女鶴から作った鏡餅とチョポ餅(上写真) 本女鶴のチョポ餅を供えられた堀八十八さんの遺影(下写真)

yasohachi_hori.jpg 昨年9月に伺って以来となる堀さん宅には、お正月を迎える鏡餅が供えてありました。毎年30日に先祖伝来の臼と杵を納屋から取り出して餅を杵搗きするという堀さん。水回りほか家の各所にお供えする小さなチョポ餅もすべて本女鶴から作られたものです。お正月様を迎える祭壇脇の仏壇には、チョポ餅を供えられた先代の八十八(やそはち)さんの遺影もあり、線香を上げさせて頂きました。

 自身のお名前には一年届かず87歳で亡くなられたという八十八さん。大の餅好きで、酸化鉄粘土質土壌の布目と隣村の円能寺が白眉とされる女鶴の味に心底惚れ込み、田植えは一本植え、1m以上に及ぶ丈が災いして倒伏するため、手刈りせざるを得ないという手間のかかる農作業に汗を流していたそうです。女鶴は八十八さんが生まれて2年後の1911年(明治44)に地元の飽海郡全体で最多の772haが作付された記録が残ります。農業の機械化が進んだ昭和40年以降は、それまで庄内平野の糯米の主力であった彦太郎糯と同様、女鶴も近隣の圃場から急激に姿を消してゆきました。

88_meduru.jpg【Photo】農家の道楽と言いつつ、精魂を注いだ女鶴の刈り取りを行う存命中の堀八十八さん(上写真)  ご自身で杵搗きした本女鶴餅をご用意して下さった堀芳郎さん(下写真)

yoshiro_mochi.jpg 効率を度外視した農業経営など成り立たなくなった時代にあっても八十八さんは、穂先が二つに分かれ、その長さが揃っている女鶴糯の特徴を供えた個体を原種として3年ごと種籾を選別していたとのこと。そうして今は芳郎さんが受け継いだ20アールの圃場で自家用に命脈を繋いできた女鶴。1980年(昭和55)に酒田市の老舗菓子店「菓匠 小松屋」が桜餅の道明寺種として使い始めたことが地元紙山形新聞で報道されます。これによって戦後は姿を消したと思われていた女鶴が、農業試験場の保存種籾ではない地域の宝として、しっかりと大地で息づいていたことが世に知られます。

 栽培しやすいよう短稈(かん)化した後継品種「酒田女鶴」誕生に至る経緯は拙稿「酒田女鶴と本女鶴」を参照いただくとして、その恩人との対面を果たした後、菓匠小松屋の折箱にうやうやしく入れられた手ごねの丸餅を頂戴しました。「わざわざ仙台から来てもらったから」と、予想通り代金を受け取ろうとしない堀さんには、持参した白石温麺をお礼としてお渡ししました。

meduru_2013zouni.jpg【Photo】昨年は酒田女鶴の丸餅が主役を張った庄イタ家の仙台雑煮。今年はこの本女鶴の丸餅との共演が実現した

 こうして本女鶴と酒田女鶴をそれぞれ仙台雑煮に入れるなどして迎えた2013年癸巳(みずのとみ)の初春。堀さんが杵搗きした本女鶴餅と渡部さんの機械搗き酒田女鶴餅とでは、炊き方が異なるため粘りや食感が当然のごとく異なりました。とりわけ印象的だったのは、本女鶴の尋常ならざる粘り腰。贅沢極まりない餅の食べ比べで幕を開けた今年もどうぞ「Viaggio al Mondo~あるもん探しの旅」にお付き合い下さいますよう、よろしくお願いします。m(_ _)m

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2012/10/13

酒田女鶴と本女鶴

女鶴餅をおいて餅を語るなかれ

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【Photo】錦秋の山居倉庫

 堂々たる体躯の欅並木沿いに12棟の土蔵が建ち並ぶ酒田市の山居倉庫は、1893年(明治26)の創建以来、100年余に渡って庄内米の貯蔵庫として稼働してきました。四季折々に移ろう表情を見せるその敷地内に2004年(平成16)に開設された産直施設「みどりの里 山居館」で、「酒田女鶴(めづる)100%使用の自然乾燥米杵つき餅」と出合ったのが4年ほど前の冬。角餅文化圏となる東日本・東北では珍しく、庄内地方は西日本で主流の丸餅を食します。これは山居倉庫から米を運んだ北前船交易によってもたらされた上方文化の一端です。

 酒田女鶴という糯(もち)米には聞き覚えがありました。Viaggio al Mondo あるもん探しの旅でこれまで幾度か引用してきた伊藤珍太郎の名著「改訂庄内の味」(「本の会」刊)で、"比較の味ではなく絶対の味においてなら女鶴餅は最高秀逸の一つであることはたしか"であり、"一度おぼえたら忘れがたい贅沢な舌の記憶"になると絶賛されているのです。

sakata_mezuru_mochi.jpg【Photo】酒田女鶴餅の味を知って4年。この餅を抜きにして、新たな年を迎えることなど到底できなくなった庄イタ。パッケージ裏面の製造者欄に渡部由美子さんのお名前が記載された杵つき「ふるさともち」 12個入り(500g)1パック 税込840円で酒田市 ト一屋で購入

 酸化鉄を多く含む土壌のため、飲用に適した井戸は皆無ながら、糯米栽培の最適地とされる酒田市円能寺。地元で名高い円能寺餅の産地ですら、伊藤珍太郎が改訂版を著した1981年(昭和56)時点で、女鶴の作付はわずかに2、3反歩。3、4人の奇特な農家が種籾を受け継ぐに過ぎない状況にあったことが記されています。本間家に次ぐ酒田きっての名家の出身で、上智大文学部卒業後、講談社編集局に勤務し、のちに酒田市助役を3期務めた幅広い見識を備えた伊藤珍太郎。稀代の食通でもあった伊藤珍太郎が、新潟「黄金糯(こがねもち)」や異名同種の宮城「みやこがねもち」、庄内で主流となる「でわのもち」など、定評ある美味しい糯米を差し置き、孤高の味と評するのですから、その改良種である酒田女鶴を看過するわけにはいきません。

nunome_2012sakata.jpg【Photo】珠玉の餅の産地・酒田市円能寺から布目地区にかけての秋の田園風景。杭掛けされるのは「もう一度あの餅を食べてみたいのぅ」と酒田の古老が語り継ぐ糯米「女鶴」

 1反(10アール)当りの収量が豊作でもぜいぜい7俵と少なく、1mあまりに達する稲穂の丈ゆえ倒伏すると刈り取りが厄介。そのため農家から敬遠され、農業経営効率がひたすら求められた昭和が終わるころには、すっかり姿を潜めた幻の糯米「女鶴」。コメに限らずそうして消えていった品種が一体幾つあることでしょう。

risorosso_sakatamezuru.jpg【Photo】みどりの里 山居館で購入した酒田女鶴を渡部由美子さんが炊き上げた赤飯。田の神おろし(3月)、さなぶり(4月)、土用餅(7月)、刈り上げ餅(10月)、田の神上げ(11月)。庄内地方の農村では、正月は言うに及ばず心改まる節目や祝儀不祝儀の折など、ハレの場に赤飯や餅が用意された

 改訂庄内の味には、現在の鶴岡市寺田の南東に酸化鉄土壌ゆえ馬耕すら難儀する草田地帯があり、そこで育つ「寺田餅」が代々庄内藩主献上品とされたとの記述があります。県立農業試験場尾花沢分場で育種され、1966年(昭和41)に登録された糯米でわのもちが、現在でも寺田餅として少量作られ、誉れ高き伝統を受け継いでいます。

 かたや円能寺集落の佐藤実さんの父祖が明治期に皇室御用達の栄に浴した女鶴も、昭和から平成に時代が変わる頃には、たった1軒の地元農家が作るだけになっていました。他の土地では本来の味が出せないため、風前の灯となった女鶴ですが、そのまま忘却の彼方へと消え去ることはありませんでした。たぐいまれな食味を忘れられない人々の熱意により、1991年(平成3)に開設された庄内バイオ研修センターが、3年前に農業生物資源研究所 放射線育種場で突然変異を誘発させた女鶴の種籾を使って品種改良に着手。優れた食味はそのままに栽培しやすいよう15cmほど短稈(かん)化し、平成の世に蘇った酒田女鶴の餅を初めて食べた時の感激は忘れることができません。

【Photo】大根・人参・牛蒡などの千切り野菜を凍らせた「おひきな」・凍り豆腐・蒲鉾・イクラといった定番具材とともに酒田女鶴の丸餅が主役を張る庄イタ家門外不出の仙台雑煮。文武両道で食に関しても造詣が深かった伊達政宗公とて、この究極の餅の味はご存知なかった(ハズ)

zouni_mezuru.jpg 旧庄内藩士が開墾した松ヶ岡で培われた伝統と技が生み出す鶴岡シルクのようにキメ細やかで目が詰まった滑らかな食感。どこまでも伸びる桁外れの強い粘り。雑煮に入れても全く煮崩れしないコシ。そして長い余韻を残す豊かな風味・・・。庄内の味における伊藤珍太郎の記述が決して誇張などではなく、絶品とされた女鶴の美点を受け継ぐ酒田女鶴が、いずれをとっても一級の糯米であることを雄弁に物語ります。酒田女鶴をおいてほかに、杵と臼でついたばかりの餅にしろ、それまで口にしたいかなる餅も、私の経験上では杭掛けで自然乾燥されたその糯米を搗(つ)いた丸餅には及ばないのでした。

 昨年秋、みどりの里 山居館で、たまたま丸餅を納品にいらした生産者と思しき方と遭遇しました。品質保持のための脱酸素剤を封入して真空パック詰めされた酒田女鶴餅の裏面には、生産者名が記載されていました。千載一遇の好機にバックラベルの生産者名を今一度確認した上で「渡部由美子さんですよね」と声をかけ、年が改まってからの訪問を申し出たのでした。

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【Photo】作業場においでだった渡部正宏さんと奥様の由美子さん。手前の卓上には、伺う直前に買い求めた渡部さんの酒田女鶴の赤飯と、山居倉庫の物販施設「酒田夢の倶楽」で購入した酒田市内にある菓子店「栗原甘泉堂」が円能寺産の女鶴を使って製造する女鶴豆大福

 今年6月24日(日)、酒田市吉田のご自宅脇の作業場で、ご主人の正宏さんと仕事中の由美子さんのもとに伺いました。その折に酒田女鶴や遊佐町生まれの彦太郎糯が植え付けられた圃場も訪れました。自身無類の餅好きだと笑顔で語る正宏さんは、14人の同志からなる生産者組織「酒田女鶴部会」の部会長を立ちあげから3年間務めました。その間、自前の餅加工施設に組合員から持ち込まれる酒田女鶴をすべて味見しつつ、品質向上に尽力したといいます。これぞまさしく"好きこそ物の上手なれ"
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【Photo】渡部さん夫妻が酒田市立琢成小学校と10年以上続けている食農交流。今年春に総合学習の一環で酒田女鶴の田植えを見学した3年生の児童が、9月19日(水)に渡部さん指導のもと、酒田女鶴の手刈りに挑戦した  〈左写真提供:庄内バイオ研修センター〉

 およそ1ヵ月天日干しされ、じっくりと理想の水分含有量に仕上げた今年の酒田女鶴。自然乾燥米杵つき餅として、年間通して取扱いのある山居倉庫みどりの里 山居館や、酒田市内に10店舗を構える生鮮スーパー「ト一屋」の店頭に11月初旬には並びます。餅はつきたてが最高ゆえ、お召し上がりはお早めに。

【Photo】観測史上最も暑い9月となった今年。高温のために稲の登熟が一気に進み、昨年比で一週間早くコメの収穫が始まったという知らせ受け、ヒエ~とばかりにアワを食って渡部さんの圃場を9月15日(土)に急ぎ再訪。全て人力でこなすため、「腰に負担がかかる杭がけは一苦労なんだ」と正宏さんが語る杭がけ作業を終えた酒田女鶴。秋晴れの抜けるような空のもとで風に吹かれ黄金色の穂先を揺らしていた(下写真)

sakatamezuru_kuigake.jpg こちらの連絡先を渡部さんに伝えていなかったため、稲刈り開始について連絡を下さったのが、「ル・ポットフー」のフロアサービス係だった阿部泉さん。みどりの里 山居館に入居する地酒専門店「木川屋山居倉庫店」に現在はおいでです。阿部さんのご主人真さんも交え、地元の旦那衆が集う「久村の酒場」でご一緒した翌朝、酒田女鶴のルーツとなった女鶴糯の特産地であった円能寺地区を訪れました。うるち米の刈り取りはまだでしたが、すでに杭がけされた糯米が散見されました。女鶴発祥の地・円能寺でも、高単価な商品を揃える清川屋と取引をしている生産者が、本女鶴のみならず、でわのもちや酒田女鶴も栽培しているといいます。

 特にあてもなく隣接する布目(ぬのめ)地区に差し掛かったところで、道路脇の畑で仕事中だった年配の女性に声を掛けました。他愛のない言葉を交わしたところで、「酒田女鶴ではなく、女鶴を育てている農家さんは、円能寺でも多くはないと伺いました」という私の問いに対するお母さんの返答に我が耳を疑いました。

 「ほら、そこに見える隣の田んぼに杭がけしてあるのが、種籾をたった一人で守り抜いてきた堀さんの女鶴だよ」

 「えっ、えええええーーーーー????」

honmezuru_hori.jpg【Photo】唯一の女鶴伝承者であった堀芳郎さんが、今年も円能寺との境界にある布目の圃場で育てた本女鶴が、昇る朝日に照らされて神々しい輝きを放つ。本州を直撃した台風19号が迫りつつあった10月初旬、酒田大火があった1976年(昭和51)に杭掛けしていた女鶴の稲穂全て吹き飛ばされた苦い経験を持つ堀さんは、納得のゆく仕上がり具合を確認した上で、これらの稲を全て脱穀したという

 酒田女鶴を愛してやまない庄イタは、そのルーツである女鶴が命脈を保った聖地に辿り着いていたのです。これは時に彼の地で発動する動物的な霊感を備えた嗅覚が働いたのか、あるいは鳥海山頂に鎮座する大物忌神の思し召しなのでしょうか。偶然にしてはあまりの展開です。お母さんに教えてもらった堀さん宅に伺うと、居間においでだった奥様が私を圃場へと誘って下さいました。

yoshiro_hori.jpg【Photo】明治初期から江戸まで遡るとされる来歴はつまびらかではないものの、この世にこんな糯米があったのかと感動すら覚える女鶴を食する悦びを今日に残して下さった恩人、堀芳郎さん

 初めて渡部さん宅を訪れた日、正宏さんから酒田女鶴の原種である本女鶴(⇒酒田女鶴の登場以降、地元では「本女鶴」と区別して呼ばれている)の種籾を手に入れた経緯を伺っていました。正宏さんが土地改良区の役員をしていた十数年前、役員の会合で、かつて父から話に聞いただけで口にしたことのなかった女鶴餅が話題に登ります。その宴席には布目の役員を務めていた堀芳郎さんが居合わせました。

 渡部さんは、そこで女鶴糯を唯一伝承するのが堀さんであることを周囲から知らされます。堀さんは、10歳年下で自他共に認める餅好きの正宏さんに「女鶴を自分で育ててみたら」と貴重な種籾を譲ってくれたのだそう。"女鶴は趣味で育てています"と言いながらも、尊敬する堀さん直伝の女鶴を手塩にかけて育てる渡部さん。毎年ねだられる親類縁者など行き先が決まっており、残念ながら市場には出回りません。最近やっと収量が安定してきたと笑顔をみせた渡部さんも、心強い女鶴の継承者にほかなりません。

honmezuru_watanabe.jpg【Photo】女鶴と出合えて幸せだと語る渡部正宏さんが杭掛けした本女鶴。高さを増した青空と秀峰鳥海山のもと、爽秋の乾いた風が吹き抜けてゆく実りの季節を迎えた北庄内

 杭がけされた本女鶴の前で奥様と待つことしばし。コメの登熟具合を軽トラで確認して回ってきた芳郎さんが、戻っていらっしゃいました。今年で古希を迎えたという芳郎さんは、今も自ら杵を握って臼で餅を搗くというのが合点がゆく70歳とはとても思えないがっしりとした体つきと日焼けした風貌の持ち主でした。ご子息の正人さん(44歳)と2日がかりで杭がけを終えたばかりという女鶴を眺めながら、あれこれ話を伺いました。

 先代の八十八(やそはち)さんから受け継いだ先祖伝来の女鶴にとって最適の酸化鉄粘土質土壌の圃場のうち、先代と同じ20アールの区画で女鶴を毎年育てているそうです。春先の低温が続いた後、夏場の暑さと日照りによる水不足のもとで、品質管理に心を砕いた今年の女鶴の収量は、7俵半から8俵ほど。反当たり4俵も穫れない本女鶴は、まさに希少価値の高い糯米なのでした。突然の訪問者である庄イタを迎え入れて下さったばかりか、最高の贅沢ともいえる機械搗きではない杵つきの女鶴餅を年末に譲って下さるという芳郎さんと奥様にお会いできたのが、私にとっては望外の喜びであり、収穫でした。

 餅の出荷のため大晦日まで忙しさが続くのだという渡部さんの酒田女鶴に加え、今年は堀さんの本女鶴という極めつけ糯米の豪華競演による仙台雑煮が、新たな年を寿ぐ庄イタ家の食卓を飾ることでしょう。早いもので今月8日には冬の使者オオハクチョウがシベリアから酒田に渡来し、昨年より10日遅い鳥海山の初冠雪の知らせが本日届きました。紅葉も平年より10日ほど遅れているようですが、この冬の備えは、まず女鶴餅の準備から。 ♪ もういくつ寝るとお正月・・・ 

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◎「酒田女鶴100%使用の自然乾燥米杵つき餅」については
 農業 仁助屋 http://www15.plala.or.jp/nisukeya/index.html#hpb-container 

 みどりの里 山居館 
  住 : 山形県酒田市山居町1-3-1
  Phone : 0234-26-6222
  営 : 9:00~18:00
  URL : http://www.sankyokan.jp/
  E-Mail : info@sankyokan.jp


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2012/09/17

だだちゃ豆食べ比べ会

Road to だだちゃ豆食べ比べ会
湯田川朝ミュージアム#6 「続だだちゃ豆」より続き

白熱の食べ比べ審査
チャンピオン・オブ・ジ・イヤーは誰の手に?

tabekurabe_1.jpg【Photo】だだちゃ豆食べ比べ会の冒頭、ご挨拶に立つ月山パイロットファーム相馬一廣氏
 
 月山山麓にある月山パイロットファームの研修施設に到着すると、すでに20人ほどが集結していました。参加者は総勢28名。顔ぶれは同社の相馬一廣氏ご夫妻と同社第二農場を預る成沢昭信氏ら生産者のほか、山形大学農学部、庄内経済連、県農業改良普及所などで、だだちゃ豆の研究や普及に関わってきた方たち。加えて歴代の荘内日報社社長、日本の伝統食を考える会(本部:大阪)〈Link to Website、税理士、医師など地元庄内を中心に、京都・新潟・仙台(⇒庄イタ)からの多彩な顔ぶれ。

tabekurabe_2.jpg【Photo】生産者が腕によりをかけた無記名のだだちゃ豆が並ぶ。参加者がこれぞと思った番号に2票を投じ、獲得投票数で順位を決める。食べ進めてゆくうちに味と香りが重複しあってくるため、見極めは容易ではない。3回食べ直しをして悩んだ挙句に票を投じた

 国内の産学関係者からなるエダマメ研究会Link to Website会長を務め、今年3月に山大農学部を退官した赤澤經也氏が恒例により冒頭ご挨拶をするはずでした。ところが、食べ比べ会に提供する天然アユを調達に行く道すがら、車で自損事故を起こし、足に重傷を負って入院されたためパイロットファームの相馬一廣さんが代わってご挨拶をされました。

 食べ比べ会に出品されただだちゃ豆は12品。これでも例年より出品者数が少なかったそうです。今年は8月26日(日)の開催でしたが、春先の寒さが響いた今年は、全体に生育が平年より1週間ほど遅れたため、出荷のピークがずれ込んだ白山だだちゃや庄内3号の出品が多かったようです。6月以降の降水量が平年の1割と極端な水不足と酷暑のもとで育った本年産だだちゃ豆。食べ比べ会は、無記名で出品された豆を試食し、「これぞ!」と思う番号を2つ記入するというもの。順位は投票数の多さで決まります。

tabekurabe_3.jpg【Photo】12種の中から2つを選ぶ審査に臨む参加者の表情は真剣そのもの

 審査に臨む誰もが真剣な表情でモグモグ。私も順番に食べてゆくうち、この審査が容易ではないことに気付きました。だだちゃ豆は香りが強いため、ともすると食べ比べてゆくうちに風味が混ざってしまいます。神経を味覚に集中させて甘さの強弱、風味の良さ、コク深さなどを確かめてゆきます。1番から12番までひと通り食べた後で、もう一度食べ直し、5点ほどに絞ったところで、再びトップの二つを決めてゆきました。

tabekurabe_4.jpg【Photo】いずれ劣らぬ秀作揃いのだだちゃ豆の中から、悩み抜いた庄イタがオレンジ色の投票用紙に記した番号は3と12。厳正なる審査の結果はいかに?

 開票の結果、最多票を獲得したのが12番の月山パイロットファーム第二農場の成沢昭信氏が山場の畑で栽培した白山だだちゃ、次点が3番の元荘内日報社編集局長 松木(まつのき)正利氏夫人の道子さんが、鶴岡市内にあるご自宅の畑で育てた庄内3号のワンツーフィニッシュ。これは奇しくも庄イタが投じた一票と同じもの。ビギナーズラックというべきか、これまで鶴岡各地の産直でつまみ食いを重ねてきた成果というべきか...(´∀`*)

tabekurabe_5.jpg【Photo】栄冠に輝いた12番月山パイロットファーム成沢昭信氏の白山だだちゃ

 最多票を獲得した成沢氏は、輪作による資源低投入型月山パイロットファーム式無農薬有機農法を取り入れています。標高約300mの山場と平場にある畑から豆を出品した成沢さんによれば、気温が低い山場では平地と比べて収量が1/4しかないそうです。厳しい栽培環境がもたらす負荷がストレスとなり、糖分が増して風味が良くなったのではないかと勝因を語りました。次点の松木さんは、いつも相馬さんが優勝をさらってゆくので、打倒相馬を目指して精進してきましたと本音を披露。会場は笑いに包まれるのでした。

 和やかな中にも、この会が大真面目で行われていることを示したのが、「だだちゃ豆のおいしさ 香りについて」と題する慶応大学先端生命科学研究所の富田淳美さんによる解説。最新の研究結果に基づく未発表の内容を含むため、ここではその詳細は伏せます。湯田川温泉朝ミュージアムでお会いし、食べ比べ会にも参加しておいでだった山形大学農学部江頭宏昌(ひろあき)准教授(下写真左から2人目)の指導を仰ぎ、現在は鶴岡にある同研究所で植物に関する研究を行っているそうです。

 tabekurabe_6.jpg【Photo】慶応大学先端生命科学研究所の富田淳美さんによる科学的な分析データに基づく解説がなされた「だだちゃ豆のおいしさ 香りについて」。興味深い解説に一同興味津々

koino_kawa.jpg【Photo】出羽桜・くどき上手・東北泉・竹の露など、さまざまな銘柄の日本酒が用意された食べ比べ会は、飲み比べ会さながら(笑)。持ち帰りさせて頂いたのは、まだ飲んだことのない一本。最晩節に登場するだだちゃ豆品種「尾浦」をつまみながら、自宅で空けた鯉川酒造の純米吟醸「恋の川」生酒

 この日は所用で参加できなかった鯉川酒造の佐藤社長が、だだちゃ豆に合わせて選んだ山形各地の日本酒が並びました。それを庄イタが指をくわえて見ていたのは、塩引き鮭の調達に新潟村上まで車で移動することになっていたため。宴たけなわの酒席を中座せねばならなかったのも心残りでした。

 空気が乾燥し、強風が吹いた翌朝はだだちゃ豆の香りが弱くなるなど、興味深い皆さんの話をウーロン茶を飲みながら拝聴する私に、好きな酒を持ち帰っていいからと仰って頂いた相馬氏に後日連絡を入れました。電話口で「たまには勝ちを譲らないと」と悪戯っぽく笑ったものの、そこは「沈潜の風」を旨とする鶴岡の人だけに、来年こそはと捲土重来を目指していることでしょう。 

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2012/07/15

禁酒のかめ

霊験あらたか。参詣めされや、酒で悩める善男善女

 後漢書に登場する薬売りに姿を変えた仙人・壺公(ここう)が夜な夜な壺の中に入って楽しんだ「壺中天」のごとき美酒との出合いが続いている庄イタ。久しぶりの地元・庄内ネタでご紹介する世にも稀なる神通力を頼って壺中にある百薬の長を遠ざける気など微塵もありません。

★・.。*†*。.・☆・.。*†*。.・☆★・゜†.゜*。・゜★・.。*†*。.・☆・.。*†*。.・★・.。*†*。.・☆・.。*†*。.・☆★・.。*†*。.・☆・.。*†*。((((゚∀゚о).

kinbou_1.jpg【Photo】金峯神社の表参道となる青龍寺口に建つ「一の鳥居」。険しい山道をひたすら登る滝沢口、湯田川口、高坂口のいずれをとっても修験者には山全体が修行の場であった

 鶴岡の地にあって古来より修験の伝統が息づく金峰山。白河天皇治世下の承暦年間に金峰山と改称する以前は、蓬華峯ないしは八葉山と呼ばれていました。標高458mの頂きに本殿(国指定重要文化財)がある金峯神社の社伝では、修験道の開祖である役小角(えんのおづぬ、後の役行者)が、670年(天智9)に吉野の金峯山と同じ金剛蔵王権現を本尊として開山したとされます。

kinbou_honden.jpg【Photo】中の宮から急峻な山道を進むと、40分で金峰山頂に至る。そこに建つ国指定重要文化財の金峯神社本殿は慶長様式を色濃く残す特徴的な造り。正面に架かる銅製の金峯神社の銘板は、旧庄内藩主酒井家16代当主・伯爵の酒井忠良の揮毫によるもの

 入母屋造りの屋根の下に向唐破風(むこうからはふ)の裳階(もこし)を備えた特徴的な現在の本殿は、1608年(慶長13 )に最上義光の命で建立されたもの。この地を治めた奥州藤原氏、最上家、酒井家の治世下で造営・改修が繰り返されてきました。直近では大正末期に大規模な補修が行われましたが、中腹に建つ金峯山博物館と本殿は2年続きの大雪で損傷を受けたため、浄財提供の呼びかけが行われています。

kinbou_fontana_akai.jpg【Photo】日照りでも枯れることのない「閼伽井(あかい)の清水」。閼伽井とは神仏に供える尊い水のこと。金峰山から湯田川一帯には良い湧水が点在する

 社務所の前に湧き出でる「閼伽井(あかい)の清水」を山登りに備えて汲んだなら、頂きを目指しましょう。来し方を樹間から垣間見る八景台の眺望で一息ついてから先は、かつては女人禁制とされた聖域。中の宮こと如意輪観音堂から、およそ40分を要する山頂の北側斜面に開けた一望台からは、庄内平野の大パノラマを見はるかすことができます。その絶景に登坂の疲れも吹き飛ぶはずです。

kinbou_vista.jpg【Photo】金峰山頂、一望台からの眺望。眼下の湯田川から白山だだちゃ発祥の地・白山、酒造りの町・大山と視線を送る先が、朝日山塊の北の果てとなる高館山。新潟・山北地域からの変化に富んだ険しい岩礁の海岸線は、湯野浜より北側は、砂丘メロンの産地となる白砂青松(実際にはクロマツ)の砂浜。それが鳥海山の伏流水が育む絶品岩ガキの産地・吹浦まで続く(上写真) 水平線からなだらかな稜線を描く単独峰の鳥海山から連なる山塊の東端が月山。その水の恵みが手前に広がる豊饒の大地・庄内を支える(下写真) ※Photoクリックで拡大

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 視界の西方には高館山の先に湯野浜が控え、北に延びる砂丘が形成する海岸線はるか先の洋上には飛島が望めます。島内中村地区の小物忌(おものいみ)神社や鳥海山頂の大物忌神社など5ヵ所で同時にご神火を焚き、互いの場所からの神火の見え方で五穀豊穣や豊漁を占う「火合わせ神事(別名:御浜出(おはまいで)神事)」が毎年7月14日夜に行われます。今年のご託宣はどう出たのでしょうか。豊饒なる恵みをもたらす庄内平野を取り囲むのは、なだらかな稜線を描く鳥海山を北の果てに見て、羽黒山・月山・母狩山・鎧ヶ峰へと連なる山々。

kinbou_nakanomiya.jpg【Photo】天台宗第三世座主、円仁慈覚大師の開基とされる金峯神社中の宮。山頂の本殿へはここから徒歩で向かう

 神社門前の集落、青龍寺(しょうりゅうじ)を抜けると、ご神域との結界となる一の鳥居から先が参道となります。杉の大木に絡まる推定樹齢400 年の大フジ(県指定天然記念物)の先には、神仏分離以降に神社から独立した真言宗の古刹・青龍寺と、粟島・六所・八坂・皇大の4つの小さな社殿が対峙します。中腹にある中の宮までは、およそ2kmの急坂を5分足らずで登る自動車道路が整備されています。

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【Photo】主祭神である事代主神(左)と大国主神(右)が中の宮で出迎えてくれる

 少彦名神・大国主神(大黒様)・事代主神(恵比寿様)・安閑天皇を主祭神とする金峯神社は、良縁成就・稼業繁栄・所願成就といった願いを聞き届けてきました。ここで私が参詣の道筋としてお勧めするのは、趣き深い古来よりの旧参道。巨木が歴史を刻む杉並木のもとに点在する石碑や苔むした墓碑が立ち並ぶこの道を、一体どれほどの数の修験者や善男善女が歩んできたのでしょうか。

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【Photo】推定樹齢400年の杉林の中に多くの石碑・墓碑(下写真)が並ぶ霊気みなぎる金峯神社参道(左写真)。中の宮までは40分の道のり。参道入口に鎮座する「禁酒のかめ」(右写真)
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 その登り口にあるのが、酒にまつわる悩みを抱える人々の信仰を集める「禁酒のかめ」。世にも珍しいご神体は古びた石造りの酒甕と大杯。その高さ1.2m、直径は0.9mほど。うやうやしく注連縄が張られた禁酒のかめは、緑濃い木立ちの中にひっそりと鎮座しています。酒造りは神事と縁が深いだけに、酒封じのご神体は、ほかに例を見ないものです。

 宮司の説明によると、1847年(弘化4)に酒造りに関係する商いを営む人々からなる「猩々講(しょうじょうこう)」が、商売繁盛を願って神社に奉納したもの。渡部庄右門・渡部多吉・小林喜次郎・豊嶋屋幸之助・・・。甕には寄進した善男善女の名が刻まれています。現在の場所には、後世移されたのだといいます。猩々とは酒を好む空想上の生き物で、観世流や宝生流の演目として能舞台にも登場します。

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 幕府直轄の天領である酒造りの町・大山Link to bacnumberを擁する鶴岡だけに、小原庄助のような飲兵衛には事欠かなかったのでしょう(笑)。いつの頃からか、この酒甕と大杯は、本来の意味を離れ、アルコール依存症、酒乱癖といった深刻な酒禍から、飲み過ぎによる怠惰の戒めなど、広く酒にまつわる悩みを抱える人の拠りどころへと変わったのです。

 金峯の神通力にすがるには、まずは災い封じの祈祷を受けます。すると御札と志願成就の御朱印がついた大きな白紙が下賜されます。石作りの大杯を隙間なく覆う大きさの白紙で酒を封印するのです。息が詰まらないよう、紙の中心には小さな穴を開けるのを忘れないのも心優しい金峯の神様。

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 これまでは地元だけでなく遠方からの依頼を含め、毎月数件の祈祷を行っていたそうです。「3年続けて禁酒のかめに願をかければ大酒呑みが直る」と近郊の湯田川温泉で話を聞いたことがあります。3年という長さは、顔を隠した「化け物」が沿道の人々に無言で酒を振舞う奇祭「鶴岡天神祭」で、化け物に扮して人に素性を知られなければ願いが叶うとされる年数と奇しくも同じ。石の上にも3年とは申しますが、なかには数年にわたって祈祷を受け続ける例もあるそうで、よほど深刻な事情がありそうですね。
(⇒3台のワインセラーのストックを絶やさない私の家人だったりして...。)

 震災後は月に1件の禁酒の依頼があるかどうかなのだそう。「こんなところにも不景気の影響が出ているのでしょうか」と宮司は苦笑いするのでした。

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◆各種祈祷の申し込みは―
 金峯神社 社務所
 TELまたはFAXで: 0235-23-7863
 URL:http://www.kinbou.net/moushikomi.htm
 住: 鶴岡市大字青龍寺字金峯1

 禁酒祈祷料:5,000円~

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2012/03/18

ありったけの竹の露 =後篇=

Whole lotta ♥ HAKURO-SUISHU.
「鶴岡食文化女性リポーター」オフ会打ち上げ @手打ちそばしげ庵

shigean_2012.2.jpg【Photo】鶴岡市街中心部から羽黒山方面へと向かう羽黒街道を東進、赤川に架かる羽黒橋を渡り、3つ目の信号が黒瀬交差点。「手打ちそば しげ庵」は、旧藤島町渡前方向に左折し、黒瀬川を背に右手に建つ

 4杯の日本酒カクテルで幕を開けた「大山新酒・酒蔵まつり」Link to Backnumberの日。2つの蔵元で搾りたての新酒を味見した後、純米大吟醸の原酒ばかりを舐めつくした竹の露酒造場で3時から2時間半をかけて仕込み現場をひと通り見学。不肖 庄イタを含め、蔵元の説明を聞いてか聞かずか、恍惚の表情を時おり浮かべて試飲を続ける鶴岡食文化女性リポーターの皆さん。その脇で、ずーっと呑まずにいた女将の相沢こづえさんが運転する車で、すぐ近くにある「手打ちそば しげ庵」に移動しました。
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【Photo】鼠ヶ関の岩ノリ採取体験をしたメンバーからなる鶴岡食文化女性リポーターオフ会は、竹の露酒造場からほど近い「手打ちそば しげ庵」に会場を移し、蔵元の相沢政男・こづえ夫妻を囲んで和やかに第二幕が開けた。さぁー呑むぞっ!と臨戦態勢の女将(奥左から2人目)の脇で甲斐甲斐しくお燗の準備に余念がない蔵元

 羽黒街道は頻繁に通るゆえ、かねてより店の存在は認識していましたが、訪れるのはこの日が初めて。庄内系に突然変異して以来、蕎麦屋とラーメン店ばかりが目立つ山形内陸をスルー、食の都・庄内を訪れると、内陸地域でほとんど食べ尽した蕎麦とはどうしても違う系統に足が向くのですLink to Backnumber。ゆえに濃密な庄内での食遍歴で、蕎麦を食したのは10回にも満たないはず。旧櫛引町時代の「宝谷そば」、鶴岡「大松庵」、酒田生石「大松屋」など、訪れた蕎麦屋は6~7軒がせいぜい。

 「そば街道」と称し、板蕎麦を観光の売り物にしている村山地域と境を接しているため"山形イコール蕎麦どころ"と擦り込まれている仙台では、私が庄内の食事情に明るいと知った方から「庄内で美味しい蕎麦屋はどこ?」とよく訊かれます。海・里・山の美味に溢れた庄内に足を延ばしてまで、元来は山間地などの土地が痩せた地域の食糧であった蕎麦を食するのは、もったいないと思っていました。つい最近までは...。

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【Photo】冬季限定・300本限定醸造の「白露垂珠 無濾過純米 超にごり活性微発泡23BY」(上左写真)口に含むと炭酸ガスの刺激を感じ、タンクの醪(もろみ)をそのまま呑み干す気分(上右写真)

 新潟県境にほど近い旧朝日村大鳥は、1193年(建久4)に伊豆から落ち延びた武将・工藤大学の末裔が暮らす落人の里Link to Backnumber 。その地の出身だという工藤姓のご主人が営む手打ちそば しげ庵。蕎麦&山海のおかずバイキングという画期的なシステムで、食い倒れ寸前になること必定の鶴岡市山王町の旅館山王荘の主人が蕎麦を打つ「野房 そばの木」同様、"もっと早くこの店に来ればよかったのに" と後悔するまで、さして時間を要しませんでした。

shigean2012.2_2.jpg【Photo】蕎麦屋とはいえ、豊かな山海の幸を味わうことができる小鉢が並ぶのは食の都・庄内ならでは。これら地元の直材は、地の米・地の水で醸す白露垂珠の絶好の肴となる

 "こんな四股名の力士がいたっけか?"と、どうでもいい考えが浮かぶ酒造好適米「出羽の里」を精米歩合77%に留めた冬季限定「白露垂珠 無濾過純米 超にごり活性微発泡」で、まずは乾杯。火入れをしておらず酵母が生きており、瓶内でも発酵を続けるために発生する炭酸ガスで、下手をすれば中身を噴出させる憂き目に遭うこの酒。冷温状態でも必ず噴き出る酒、田酒を醸す青森・西田酒造店の地元向け銘柄「外ヶ濱 吟醸生にごり FLOWER SNOW」ほどでないにせよ、取扱いには注意を要します。

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【Photo】うっすらとした澱が漂う「純米吟醸 雪ほのか 無濾過本生 出羽の里初しぼり」は、醪を搾ったままで濾過せずに瓶詰めされる。料理を引き立てるまろやかな味わいは冷やで楽しみたい(右写真) 蔵元が燗をつけた「はくろすいしゅ 純米吟醸無濾過原酒 生詰 亀ノ尾」は、しっかりした香りとうま味が際立ち、食中酒としての実力を遺憾なく発揮(左写真)

 やっと参加できた大山新酒・酒蔵まつりの打ち上げに、F1レースの表彰式ばりにシャンパンシャワーならぬ"超にごり酒シャワー"も悪くないなぁ(*゚゚)ノλ*・'゚'・*、などと思ってみたり(笑)。そんな邪念を抱く若干1名が潜り込んでいることを知るはずもない蔵元は、一滴も噴出させることなく開栓してしまいました。(⇒こんな言い回しは不謹慎極まりない)鼠ヶ関で岩ノリ採取を体験した女性リポーターの皆さんにとっても、岩ノリの板海苔が出来上がったお祝いにもなったのに。・・・うーん、残念!?

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【Photo】一昨年の12月に購入した「白露垂珠 無濾過純米 超にごり活性微発泡 21BY」。うめっけのぅ~。(左写真) 天然マイタケとゼンマイの和え物、蕎麦切りの唐揚げ(右写真)

 精米歩合77%の出羽の里で仕込んだ300本の最後だというこの1本は、にごり酒なれど日本酒度+4という辛口。鶴岡銀座にある酒販店で一昨年12月末に購入したオレンジ色ラベルの白露垂珠 無濾過純米 超にごり活性微発泡21BYが、精米歩合65%で日本酒度+-0だったのとは異なる仕上がりです。ベタつかず綺麗に後味が引いてゆくのはこの蔵らしいところ。きりっと冷えた芳醇なにごりならではのトロリとした旨さが沁みわたります。

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【Photo】香ばしくカラっと揚った天ぷら(左写真)は、しっかりとした旨味を感じる「はくろすいしゅ 純米吟醸原酒 生詰 改良信交」(右写真)とも好相性

 相沢さんが持ち込んだ白露垂珠は合計9種類。「古い酒米から呑んでゆきましょう」という蔵元自ら、燗をつけて下さったのが「はくろすいしゅ 純米吟醸無濾過原酒 生詰 亀ノ尾」。竹の露では、醪(もろみ)を搾ったままの純米吟醸クラスの原酒は平仮名書きで「はくろすいしゅ」、特撰純米などの吟醸以外が漢字の「白露垂珠」。その酒が一番旨いと蔵人が感じるまで加水したのが白ラベル。原酒のラベルは酒米の種類別に色分けされているので、選ぶ際の目安にしやすいかと。

shigean2012.2_9.jpg【Photo】蕎麦がき入り鴨鍋。醤油ベースのつけだれに練り粕ペーストを加えると、より一層のコクが加わる

 燗と冷やの両方で頂いた「白露垂珠 無濾過純米原酒 生詰 京ノ華」とも合った天然物のマイタケやゼンマイの和え物、「ひろっこ」または「きもど」と庄内では呼ばれるアサツキとイカの酢味噌和えなどの小鉢料理も美味しかったのですが、蕎麦がきの入った鴨鍋と燗酒との相性は抜群。ここで相沢さんが取り出したのが、白露垂珠の酒粕をペースト状に加工したオリジナルの練り粕でした。

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【Photo】 藤島川沿いの笹川扇状地の田んぼで蔵元が育てる「京ノ華」は、昭和初期に鶴岡で生まれた酒造好適米。「白露垂珠 無濾過純米原酒 生詰 京ノ華」(左写真) 酒どころゆえ、練り粕を用いた食文化が根付く庄内地方。我が家の常備品、はくろすいしゅ吟醸粕と、この日お土産に頂いた練り粕ペースト(写真右)

 水と米を庄内の生産者から直接調達する我が家では、酒粕食文化が発達した鶴岡に見習えと、山伏豚ロースのブロックハムを漬け込んだり、自家製の鵜渡川原キュウリLink to Backnumber 粕漬けを仕込むため、「はくろすいしゅ吟醸練り粕」を常備しています。この日お土産としても相沢ご夫妻から頂いた練り粕は、はくろすいしゅ吟醸練り粕よりも白色度が高く、より滑らか。タンパク質・各種ビタミン・アミノ酸など、うま味成分と栄養素の塊とも言うべき酒粕を醤油ベースの漬け汁に加えた鴨鍋は、具材から滲みだした風味に更なる深みが加わります。

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【Photo】「白露垂珠 生詰 純米吟醸 美山錦」を‐3℃で2年間氷温貯蔵した「21BY瓶囲ゐ」(右写真)と「23BY寒造り」(左写真)。ふっくらとした味わいの熟成酒と、溌剌とした新酒それぞれに良さがある

 おりがらみ「雪ほのか 純米吟醸 初しぼり 出羽の里」に続いて開けたのは、「はくろすいしゅ 純米吟醸原酒 生詰 改良信交」。生まれ故郷の秋田より、誕生して50年を経た現在では、山形と新潟のごく限られた蔵元が使う酒造好適米「改良信交」で仕込んだ酒です。丈が長いために倒伏しやすく、秋田ではほとんど姿を消していますが、持ち味であるふっくらとした味わいに魅せられた一部の蔵元によって、吟醸クラスの酒に用いられます。「白露垂珠 純米吟醸 生詰 美山錦 瓶囲ゐ」は、‐3℃で氷温貯蔵した平成21年醸造年度の1本。今年搾ったばかりでフレッシュな香りがはじける「寒造り」との対比では、寝かせた日本酒のしみじみとした旨さが冴えわたるのでした。

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【Photo】 芳醇淡麗なこの蔵らしさが極まった綺麗な仕上がりが素晴らしい「はくろすいしゅ純米大吟醸 生詰 出羽燦々」(左写真) 燗上がりする「白露垂珠 生詰 無濾過純米 ミラクル77 出羽の里」(右写真)

 2009年4月、162の蔵元が359銘柄の酒を出品し、ロンドンで開催された「IWCインターナショナルワインチャレンジ」「sake部門」純米吟醸・純米大吟醸のカテゴリーで、最高賞であるGold prizeを受賞した「はくろすいしゅ 純米大吟醸 生詰 出羽燦々」までが登場した頃、トドメの蕎麦が出て来ました。ダシが効いた辛めのタレで頂く二八だという香り高く咽喉ごしの良いこの蕎麦、庄内で食べた蕎麦では間違いなく指折りの旨さ。んめものの宝庫、食の都・庄内で、また行きたい店のバリエーションが広がったのは収穫でした。

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【Photo】 蕎麦はコシのある二八(左写真) デザートのバニラアイスには蕎麦の実が入る(右写真)
 
 蔵元ご夫妻を交え、女子会ならではの和やかな雰囲気のもと、話に花が咲いたオフ会も23時前にはお開きとなりました。雪の降りが一層強くなる中、宿の部屋に入るや、胸一杯になるまで杯を重ねた白露垂珠の心地よい酔いが回り、Whole Lotta Love (邦題:胸いっぱいの愛を) by Led Zeppelin が頭の中を駆け巡り、ほぼ12時間に渡って日本酒を堪能しきった長~い1日を反芻するうちに、やがて意識が混濁し、zzzzzz...。

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手打ちそば しげ庵そば(蕎麦) / 鶴岡)
夜総合点★★★★ 4.0

2012/03/10

ありったけの竹の露 =前篇=

Whole lotta ♥ HAKURO-SUISHU.
「竹の露酒造」再訪 in 「鶴岡食文化女性リポーター」オフ会 潜入レポ

 「鶴岡食文化女性リポーター」オフ会に混ぜてもらうお膳立てをして下さった山菜卸問屋「遠藤商店Link to Website」の遠藤初子さんから、竹の露酒造場に3時集合とのお達しがあり、酒蔵めぐりスタンプラリーを切り上げて大山を立ったのが2時前。

TAKE2012._1.jpg【Photo】2年続きの大雪となった羽黒の冬。搾り作業真っ最中の「竹の露酒造場」で私たちをまず出迎えてくれたのは、この蔵を代表する銘柄「白露垂珠」・「はくろすいしゅ」の数々

 鶴岡食文化女性リポーターは、ユネスコ食文化都市の登録を目指す鶴岡市が、季節ごと多彩な表情を見せる山・海・里をフィールドとするフードツーリズムを創出しようという社会実証実験です。食に関する宝庫・鶴岡の海の幸・山の幸、特色ある在来作物や旬の郷土料理などを単にPRするだけでなく、現場に出向いて生産者や料理人から来歴や背景を聞き出し、その背景の物語を共有しようというもの。市民目線で鶴岡の食文化の魅力をブログやFacebook・Twitterなどソーシャルメディアを通じて発信しています。

TAKE2012.2_2.jpg【Photo】試飲用に用意された「白露垂珠」の大方は、割り水で調整していない新酒鑑評会仕様の純米大吟醸。含んだ酒を吐き出す容器が用意されたのも鑑評会と同様。その容器には目もくれず、真剣な表情で原酒を呑み干してゆくタフなメンバー揃いなのだった

 「Viaggio al Mondo~あるもん探しの旅」のキモである"足もとの地域資源に光を当て、輝きを放たせよう"というコンセプトとの親和性を感じるこの取り組み。事業が始まった2011年度は、藤沢カブの生産者・後藤勝利さんのお姉様であり、映画「よみがえりのレシピ」に登場した田川カブ生産者で田川赤かぶ漬グループ代表の武田彦恵さんを昨年10月に、厳冬期に採取の旬を迎える天然岩ノリの漁場である鼠ヶ関の漁師・佐藤準さんと同地域協議会の五十嵐一彦さんのもとを今年1月に訪れています。

take_hikitsuna.jpg 鼠ヶ関の反省会を兼ねるというこの日のオフ会。乗せて頂いた遠藤さんが運転する大型の商用バンは、「雪の降るまちを」の舞台となった鶴岡市街でリポーターメンバー4名を順次ピックアップしながら、つい10日ほど前にも水を汲みに来た「竹の露酒造場」へと到着しました。ほどなく佐藤・五十嵐のお2人も鼠ヶ関から加わり、オフ会メンバー7名+庄イタで計8名が勢揃いです。

【Photo】屋根の積雪はゆうに1mを超える。雪景の中に佇む竹の露酒造場。合掌部に掛けられた「引縄」は、羽黒山神社で大晦日に行われる「松例祭」の大松明引きで使われた引綱を組み直し、家の魔除けとして奉納される

 1858年(安政5)創業というこの蔵。代表社員の相沢政男・こづえ夫妻の"習うより舐めろ"というご厚意で、清酒鑑評会の出品仕様の加水していない白露垂珠の試飲から。卓上にズラリと並ぶは、鑑評会への出品番号タグが付いただけでラベルレスな純米大吟醸の無加水原酒ばかり6本、通常出荷向け加水調整済み4本からなるヨダレものの計10本の一升瓶。壮観なラインナップを前に、早くもアドレナリンが分泌されてきました(笑)。和らぎ水は仕込み水を瓶詰めで商品化した「月山深層天然波動水」。

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【Photo】明治から大正にかけて庄内の先人が生んだ品種「亀ノ尾」(左)と「京之華」(右)(左写真) 70年前に誕生した「京之華」(左)と心白部の大きさなどの見た目はさして変わらない「出羽の里」(右)(右写真)竹の露では蔵元・蔵人自らコメ作りも行う

 思い思いに試飲を始めた私たちに、相沢さんは庄内で誕生した酒米の説明からまず始めました。

 ササニシキ・コシヒカリ・ひとめぼれ・あきたこまち・つや姫など、近代日本が生んだ優良うるち米のルーツにあたり、酒米として近年価値が見直されている「亀ノ尾」。東北が大冷害に襲われた1893年(明治26年)秋、東田川郡立谷沢村(現庄内町)中村地区の青立ちした早生種「惣兵衛早生」の中で3本だけ黄金色の穂を垂れた稲をもとにLink to Backnumber阿部亀治(1868~1928)が育成した品種です。

dewa_33.jpg【Photo】コンピューター制御による精米技術が進んだ今日では、かつては成しえなかった精米率10%台前半という、コメの心白部を欠損させることなく表層部から9割近くまで削り落とすことも可能になった。竹の露酒造場では、酒米の品質向上をはかることで、7割程度の精米歩合をもって、酒造りに適した特性を持つ心白部だけを残し、頂点を狙える酒造りを行っている。精米前(左)と精米率33%(右)の出羽燦々

 西田川郡京田村(現鶴岡市中野京田)の育種家・工藤吉郎兵衛(1860~1945)は、亀ノ尾の直系品種として生み出した2つの品種「亀白」と「京錦1号」から1924年(大正13)に人工交配した東北初の酒造好適米「酒之華」を創出。翌年には兵庫から取り寄せた「山田錦」の先祖である「新山田穂」と酒之華の交配に着手、1931年(昭和6)に新品種「京之華(竹の露では「京ノ華」と表記)」と命名。1940年(昭和15)には、京之華を1921年(大正10)に秋田県国立農事試験場陸羽(りくう)支場で我が国初の人工交配で育成された「陸羽132号」と交配した酒造好適米「国之華」を生み出します。

take2012.2_5.jpg【Photo】加圧して醪(もろみ)を搾る一般的な方法ではなく、布袋に醪を詰め、竹竿に吊るした袋から自然に滴り落ちる贅沢な造りが雫酒。杜氏が育てた「出羽燦々」を精米率40%まで磨き、仕込みタンクから1升瓶換算で100本~150本程度しか造れない「純米大吟醸 白露垂珠 吊雫原酒 出羽燦々20BY」。低温貯蔵によって適度に練れた旨みが後を引く

 独自に編み出した人工交配技術で、38もの新品種を編み出した吉郎兵衛。そのひとつで戦後の食糧難の時代に多収性から重宝された「日の丸」は、農事試験場の技師で同郷の加藤茂苞(しげもと)を介して入手した一大穀倉地帯の北イタリアから取り寄せた稲との交配により吉郎兵衛が育成した日本初の外国品種との交配種です。この日試飲した6本にも使われ、山形での作付が近年増加している酒造好適米「出羽燦々」を育成した山形県農業試験場のような官主導ではなく、こうした民間育種が盛んだった背景には、「沈潜の風」を尊しとする勤勉な庄内人気質があるように思います。

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【Photo】種籾を選抜してゆく中で、吸水が遅く、35%以上に磨き上げても破砕しにくい理想的な酒造好適米に進化したという自家栽培の出羽燦々。精米率33%の出羽燦々から醸した逸品2種。相沢さん、正直に申し上げます。あまりに旨さが沁みわたるので、3杯ずつ呑み干してしまいました m(_ _)m

 次に蔵元が触れたのは仕込み水のこと。3年前の秋に実施した「食の都・庄内 豊かな実りと癒しのツアー Link to Backnumber」で詳細に触れているのでここでは割愛しますが、このph7.7の弱アルカリ性、硬度19mg/ℓの無菌超軟水は、シリカ(SiO2・微粒二酸化ケイ素)成分を39mg/ℓ 含みます。これは粘土層に上下を挟まれたケイ素からなる石英質の砂礫層から汲み上げているため。美容液で使われる成分だけに、肌の保湿効果や、コラーゲンの再生・維持が期待できるのだといいます。

take2012.2_8.jpg【Photo】上水道の水源が美味しいと評判だった地下水から月山ダムを水源とする塩素消毒した水に切り替わるのを契機に井戸を掘削。地下300mの水晶地層帯で遭遇したのが、この月山水系の伏流水。22℃と水温が高いため、1週間をかけて冷却・濾過するタンク。貯蔵後半になると、タンクの中には、あたかも水が存在しないかのように透明度が増してくる

 水道の蛇口からこの水が出てくるという羨ましい蔵元のお顔は、男性ながらスベスベのもち肌。女将のこづえさんのお肌もぷるんぷるん。"使用後"のお二方の美肌ぶりに、いやがおうでも説得力が高まるというもの。「肌が滑らかになるので手にとって擦り込んでみて」という蔵元の言葉に促された女性メンバーは、歓声を上げながらその効果を実感。呑んでよし、肌磨きに用いてよし。めでたしめでたし。

take2012.2_10.jpg 全国新酒鑑評会で山田錦以外の酒米を使った酒を審査する第1部に於いて、6年連続金賞受賞という記録を打ち立てたこの蔵。精米率33%まで磨き上げた出羽燦々を丹念に仕上げた吟醸麹と卓越した匠の技で仕込んだ鑑評会仕様の白露垂珠が備えた芳醇淡麗な旨さは、もはや必然の成り行きかと。

【Photo】高温過乾燥状態のもとで麹を狙い通りの突破精(つきはぜ)状態に仕上げる杉材で造られた麹室(上写真)。1升分の蒸米が入る柾目の杉製「麹蓋(こうじぶた)」を用い、蔵座敷に泊まりがけで蔵人が二昼夜付ききりの世話をする。コメの表面のみならず内部にも菌糸が多く繁殖し、旺盛な糖化力で低温下にある酒母の発酵を促し、旨味と引き(キレ)が相まった白露垂珠ならではの個性が生まれる
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 説明で興味を引いたのが、精米歩合がわずか77%の白露垂珠。2005年(平成14)に純米酒の精米歩合規定が規制緩和で撤廃されて以降、それまで軽んじられてきた精米率70%に満たない普通酒の一角に、米を磨く割合を2割程度に留めた精米率80%前後の「低精白酒」と呼ばれる清酒が登場しています。酒造りにおいて雑味の元となる米の表層部分を2割程度しか除去しないことを意味する精白率33%(=精米率77%)の「無濾過純米 白露垂珠 ミラクル77 2009BY」は、昨年8月にスローフードジャパンと酒文化研究所の主催で行われた「第3回燗酒コンテスト」に出品した全国158蔵元の254銘柄のうち、720mℓ1,000円以下の部で金賞に輝いた36銘柄のひとつに選ばれました。燗をつけた白露垂珠の実食レポートは次回ご報告。

【Photo】後味がスッキリした辛口ゆえ、食中酒に適した「無濾過純米 白露垂珠 ミラクル77こく辛 出羽の里 2010BY」は、燗映えのする酒。地元の契約農家が、特別栽培で育てた原料米を2割強しか磨かず、白露垂珠でありながら1,800mℓ 2,100円(税込)というリーズナブルさ(上写真)  醪を搾ったばかりの原酒が流れ出る圧搾機を前に、思わずヨダレも流れ出る(下右写真)醸造所内には神棚と魔除けの引縄が奉られ、酒袋を吊る雫酒タンクには注連縄も(下左写真)

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 仕込み水を濾過して適温に下げる6基の貯蔵タンクと酒米を蒸し上げる大型ベルト式横型連続蒸米機について説明を受けた後、2階にある麹室と蔵人が仕込中に寝食を共にする蔵座敷を見学。階下に戻って蛇腹状のろ過布に醪(もろみ)を送り込んで清酒を圧搾する圧搾機では、瑞々しい新酒が搾られるさまに一同目が釘付けに。

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【Photo】羽黒山神社に奉納する御神酒は、古式に倣って醪に焼酎を加える「柱造り」。出羽三山の神々に柏手を打ってから、発酵中の酒母をすくい上げる相沢政男さん(左写真)発酵が進行中のため、ピリっとした炭酸ガスの刺激が醪の香りを際立たせる(右写真)

 蔵見学の最後は、酒母(もと)が入った発酵タンクへと移動です。そこには1基だけ注連縄を張られたタンクがありました。それは羽黒山神社から発注を受けたお神酒を仕込むタンクなのでした。一同柏手を打った上で、蔵元がタンクからすくい上げた酵母の作用で発酵中の醪を味わうという、山伏見習いとしては願ってもない幸運に恵まれました。

take2012.2_15.jpg【Photo】蔵元が汲み上げた御神酒に群がる女性リポーターの皆さん

 コメ作りから蔵人が行う「地の酒」にこだわる酒造りの現場を見学した仕上げは、竹の露フルコース食事会場へと移動です。4杯のカクテルから始まったこの日、最終的に何種類の酒を味わったのか記憶が定かではありませんが(笑)、失速せずラストスパートをかけてゆきます。


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2012/03/03

わんぱくたまご

Piatto 3月号こぼれ話ver.2

piatto201203.jpg 19世紀英国では、産業革命による粗悪な大量生産品の氾濫に対し、暮らしに芸術を取り入れ、豊かな創造性を取り戻そうというアーツ&クラフツ運動が起こりました。その精神的な支柱となったのが、テキスタイルデザイナー・詩人・空想的社会主義者のウイリアム・モリス(1834‐1896)です。

 ヴィクトリア朝英国に花開いたラファエル前派や世紀末ウイーンを妖しく彩ったウィーン分離派、フランス・ベルギーのアール・ヌーヴォー運動にも影響を与え、モダンデザインの祖とも呼ばれるモリス。21世紀を迎えた現在も色褪せないその思想を具現化した樹木や草花・鳥など自然のモチーフを取り入れたインテリア製品の数々。生命の芽吹きを感じさせるこれからの季節、暮らしの中に取り入れてみては。

 昨年はモリスが設立した「MORRIS&Co.」(モリス商会)Link to Website創立150周年でした。キイチゴをくわえたツグミを意匠化した「Strawberry Thief いちご泥棒」柄のファブリックの前に立つモデルの高以亜希子さんが表紙のPiatto Link to Website3月号は本日発行。巻頭特集のテーマは人の往き来が増えるこれからの季節、大人の女子会にお勧めの3店をロケーション別にセレクトしました。

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 随時募集中の読者モデルとしてご登場頂いた高橋由香さん、佐藤久美子さんのお2人に召し上がって頂いたのは、仙台市戦災復興記念館の脇にある「土井親方のこだわり料理 縁(えん)」の親方おまかせコース。お品書きにあった「カニ入りだし巻き玉子」で使っているという玉子に「おぉ」と反応した庄イタなのでした。

【Photo】土井親方のこだわり料理 縁のだし巻き玉子は3種類の味付け。プレーン(500円)やくらい山葵(550円)カニ(写真・650円) 全てお持ち帰り可

 それは先月末からオンエアが始まった日本生命のCMに出演している千葉県八街市「エコファーム浅野」浅野悦男代表や東京表参道「bar&enoteca Implicito」松永聡オーナーらが、海・山・里に珠玉の食材が揃う食の都・庄内の視察に訪れた折に見学した鶴岡市羽黒町「わんぱく農場」の「わんぱくたまご」でした。地に足が付いた仕事をしていた頃の「アル・ケッチァーノ」奥田政行氏をガイド役に伺ったのは、高病原性鳥インフルエンザが問題となり、部外者が鶏舎への立ち入りを一般に制限されるようになる1年前の2004年6月のこと。

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 運営元の(株)エコ・オフィス代表取締役 松浦眞紀子さんご案内のもと見学したわんぱく農場は、狭苦しいケージに鶏を押し込んで卵を産ませる養鶏場とは全く異なるものでした。数ある玉子の中で、みやぎ食材伝道師である土井親方の厳しいお眼鏡にかなった鶏卵を産む2,000羽のニワトリたちは、クラシック音楽が流れるストレスフリーな開放鶏舎と自由に行き来できる庭で放し飼いにされていました(現在は3,000羽を飼育)。

1pakuegg.jpg【Photo】一般的な卵と比べて高タンパク低コレステロールなわんぱくたまご。生臭さのないハリのある黄身、ぷっくりした白身の盛り上がりが品質と鮮度の良さを物語る。
こうした状態を維持する期間が普通の卵より長いのもこの玉子の特徴

 地元で調達した米ぬか・大豆かす・トウモロコシなどの穀類、おから・庄内麩、採卵後に粉末化された鮭や牡蠣殻など、入手経路が明白な材料だけを高温発酵装置で自社加工し、配合飼料となります。この完全発酵飼料を与えるため、不快な臭気をほとんど感じさせない鶏フンは、大豆やダイコンなどの農園内で栽培する野菜類の有機肥料として活用されます。与える水は総面積4,500坪の敷地に掘削した井戸で地下80mから汲み上げたミネラル成分豊富な月山水系の伏流水。養鶏場といえば、ニワトリの排泄物による特有の臭気を感じるのが普通ですが、こちらはその限りではないのがとても印象的でした。
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 そうした環境のもとで抗生剤を投与されずに伸び伸びと育つ鶏たちが生む卵もまた健康そのもの。白身の盛り上がりが高く、ハリのある黄身はご覧の通り針ネズミ状態になってもぷるんとしたまま。たまごかけご飯にしてよし、加熱調理してよし。「仙台でこの玉子を使っているのはウチだけかも」と土井親方。並々ならぬ素材に対するこだわりを垣間見たのでした。

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土井親方のこだわり料理 縁(えん)
住:仙台市青葉区大町2丁目13-9 幸田ビル1F
Phone:022-263-1030
営:昼11:30~13:30(要予約・5名以上から)
  夜17:00~22:00
定休:日曜・祝日
URL:http://kodawari-en.com/index.html

わんぱく農場
住:鶴岡市羽黒町荒川字漆畑33
Phone:0235-78-0232
購入はフリーアクセス:0120-189-414
URL: http://www.wanpakunoujou.com/index.html


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2012/02/25

大山新酒・酒蔵まつり part.2

これぞハシゴ酒の醍醐味!! 酒蔵めぐりスタンプラリー

大山新酒・酒蔵まつり part.1 日本酒カクテルのパラダイス@鶴岡市大山コミセン続き

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【Photo】4つの蔵元と「漬物処 本長」、休憩所「どまんなか商店街」、野鳥観察会を実施する「おうら愛鳥館」のうち4カ所以上を回るとハズレなしの抽選会に参加できる

 まだ昼前だというのに4杯のカクテルを頂き、着物女子の皆さんのお話を伺っているうち、時刻は正午になろうとしていました。この催しの存在を知ってから足かけ9年、12時から始まるという酒蔵巡りに満を持して出発です。

mappa_oyama.jpg【Photo】大山新酒・酒蔵まつり実行委が用意するこのマップ(クリックで拡大)を手に酒蔵めぐりへと繰り出す

 天領地として独自の気風が育まれた大山にある4つの酒蔵のうち、酒造りの歴史に関する資料を網羅した出羽ノ雪酒造資料館を併設する渡會本店(出羽ノ雪)は4年前に訪れたことがあります。新酒が仕上がる日本海寒鱈まつり〈2008.1拙稿「寒中に寒鱈で乾杯 庄内の美味を堪能する会《前編》」参照〉の時季限定で出回る生原酒「和田来 純米吟醸 美山錦」を気に入ったのがきっかけでした。昔の酒造りで使われた道具や資料類を見学した後は、利き酒コーナーで故事に倣った「壺中之天」と「祇王祇女」という純米大吟醸2本を買い求めたのでした。

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 今回も発売してすぐに売り切れたという500円のスタンプラリー前売券は、100枚だけが当日券として1,000円で売り出されます。そのプレミアチケットまでご用意いただいた上は、4ヵ所以上回れば参加できるという大抽選会にも挑戦したかったのですが、この日は15時までに鶴岡市羽黒町へと移動、竹の露酒造場での「鶴岡食文化女性リポーター」オフ会に混ぜて頂くことになっていたのです。

【Photo】13代当主・加藤有慶社長(写真右)が出迎えに立つ冨士酒造は安永年間の創業。今年で234年目の歴史を刻む現在の蔵は築108年。雪で厚化粧をした落ち着いた大山の町並みにしっとりと溶け込む
 
 いかに徒歩圏にあるとはいえ、4つの蔵全てを2時間あまりで制覇するのは難しそう。ここはまだ訪れたことのない蔵元から回るのが得策です。そこで向かった先は、栄光冨士の銘柄で知られる「冨士酒造」。新酒が仕上がったばかりであることを示す青々とした酒林が軒に掲げられた趣ある蔵には、既に100人ほどが列をなしていました。

 この日の鶴岡は、時折日差しがのぞくものの、正午でも気温は氷点下2℃。アペリティフのカクテル4杯でちょっぴり温まっていても、行列している間に底冷えがしてきました。1778年(安永7)創業の冨士酒造。創業者の加藤専之助有恒は、虎退治で知られる肥後(熊本)の武将・加藤清正の嫡男・加藤忠廣が改易で現在の鶴岡市丸岡に流され、そこでもうけた一男一女の女子の血筋だといいます。

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【Photo】3代前となる冨三郎の時代であった昭和初期の額(左) 昭和30年代に「栄光冨士」と酒銘を変更する前は「冨士」と名乗っていた歴代の銘柄をあしらった銀屏風(右)

 1904年(明治37)に10代目冨三郎が建てたという現在の蔵。入口では13代目当主・加藤有慶氏にお出迎え頂きました。冨三郎が1928年(昭和3)の昭和天皇即位の礼で用命を受け、全国清酒鑑評会で優等賞を受領した折の額や、加藤清正公の家紋「桔梗」と「蛇の目」が染め抜かれた暖簾、代々の銘柄を散りばめた銀屏風など、由緒正しきこの蔵の歴史を物語る品々が目を引きます。

 奥行きある蔵をゾロゾロと列をなして進みながら、蔵人が注いでくれる酒を小さなプラスチック製のお猪口で試飲してゆきます。後方から次々と行列が進んでくるので、1ヵ所に留まって2杯目をお願いするのは、よほど強心臓の持ち主か、すっかり出来上がったヨッパライでなければ無理でしょう(笑)。なかにはマイお猪口を持参する常連と思しき人たちも。な~るほど、この手があった。ヨシ、次回はマイ1合枡を持参、ダメもとで蔵人に差し出してみよう...。

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【Photo】純米吟醸「心鍵」は辛口のすっきりした淡麗タイプ(上左) 大吟醸「古酒屋のひとりよがり」はこの蔵の看板銘柄。庄内砂丘名産のマスクメロンのような芳醇な香りと豊かな味わいの逸品。「お代わり下さい」の一言が言いだせない小心者の庄イタなのだった(上右)
「しぼりたて仙龍」はこの時期限定のフレッシュでいきいきとした生酒(下)

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 華やかな吟醸香と深くまろやかな旨味に魅了される「大吟醸 古酒屋のひとりよがり」までも試飲でき、上々のスタートを切った酒蔵巡り。新酒瓶詰め体験コーナーで販売していた、この季節限定の本醸造しぼりたて「仙龍」1本だけを買い求めました。お気に入りの酒を箱買いする人たちも少なからず見受けましたが、蔵巡りの出だしから欲を出しては、この先荷が重くなります。

kahachiro1.jpg【Photo】午後1時を過ぎた頃、2軒目で訪れた蔵元が大山で現存する4つの蔵元では新参ながら最も石高が多い「大山」銘柄の「加藤嘉八郎酒造」。その前にも長ーーーーーい行列

 とはいうものの時刻は間もなく13時。1時間ちょっとで鶴岡駅前まで戻らねばならない身としては、それから行けるにしてもせいぜい1軒。

 冨士酒造から一番近くにあり、その親戚筋にあたる初代・加藤有元が1872年(明治5)に創業以来、「大山」銘柄の酒を醸す「加藤嘉八郎酒造」が次の訪問先で決まりです。

kahachiro2.jpg【Photo】新酒の旬ならではの青々とした酒林と注連縄が架かる加藤嘉八郎酒造の正面入口

 4代目の加藤有造氏が当主を務める加藤嘉八郎酒造。温度管理などモロミの状態を自動制御で櫂入れを行う「OS式タンク」と、麹菌を理想的な環境で培養できる「OKS自動製麹装置」を1970年代に自社で開発。杜氏や蔵人の熟練の技を活かすべきところは活かしつつ、伝統を踏まえつつ進取の気質のでより高い品質を目指すこの蔵の姿勢は、当時の酒造業界では異端児と評されたこともあったそうです。たゆまぬ工夫と努力の甲斐あって、全国清酒鑑評会で立て続けに金賞を獲得しているこの蔵の実力は確かなもの。

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 加藤嘉八郎酒造に並ぶ列の最後尾につくと、見覚えのある横顔がすぐ前に。声をかけると鶴岡在住で私の呑み友達であるTさんでした。フードアナリスト仲間と、ご自身の郷里・仙台のご友人ら数名を酒蔵めぐりに案内しており、ここが2軒目なのだとか。酒蔵めぐりに参加することはFacebookを通じて知っていましたが、延べ3,000人以上が繰り出すこの催しで出くわす奇遇に驚きつつも、類は友を呼ぶといいます。こうして出会うのも必然なのかも...(笑)。

【Photo】揃いのタグゆえパックツアー客と思いきや「日本酒 命」??

 「ご一緒しませんか」と、お誘い頂いたのですが、ほんの一瞬だけ逡巡しました。何故なら、その御一行様は"日本酒 命"という揃いのお手製タグを付けており、行列の中でも異彩を放っていたのです ( ̄▽ ̄;)。それでもあまりに日本酒命チームが楽しそうなので、心の動揺を悟られてはならずと間髪をおかずに笑顔でお仲間に加えて頂きました。

 蔵に入ると、すぐにホッカホカの湯豆腐の振る舞いがありました。ダシのコクが効いて美味しいなぁ、と感心していると、奥の方で鰹節を削って使っているのが見えました。ちょうど小腹が空いてきたところに嬉しいサービスであるばかりでなく、こうしたところも手を抜かないこの蔵の姿勢が垣間見え、一気に好感度アップです。

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【Photo】注文を受けると、写真奥に見える充填機で新酒を瓶詰めし、客の目の前でラベルを貼る本醸造無ろ過生原酒「大山槽前」(写真左) 唯一の欠点は非売品であることぐらい。湯煎された大山の甘酒は、酒米の旨さが凝縮した左党にとっても堪らない美味しさ(写真右)

 その日の朝に醪(もろみ)を槽(ふね)で搾ったばかりだという本醸造無ろ過生原酒「大山槽前(ふなまえ)」は、キレのある鮮烈な味わいが印象的。先ほど試飲した栄光冨士の搾りたてよりも辛口なのはこの蔵らしいところ。ともにアルコール度数が18~19%と高め。すぐに気持ち良くなれそうなので(笑)、こちらも購入しました。

kihachiro7.jpg【Photo】酒造りの最後の工程で、もろみを圧搾して清酒を搾ったた後の副産物・板粕は、タンパク質・ペプチド・各種アミノ酸・ビタミンB群などの栄養素の宝庫。もはやカス呼ばわりは出来なくなる酒粕を熱した焼粕のサービスコーナー

 試飲コーナーの先では板粕を電気コンロとホットプレートで焼き目をつけた焼粕と、この日に合わせて仕上げたという甘酒が振舞われていました。湯煎して燗をつけた温かい甘酒は、麹と米だけで醸し出される上質な甘さと香りに満たされヤミツキになりそう。なれどこの甘酒は非売品。かくなる上は、さきほどの冨士酒造で、古酒屋のひとりよがりを注いでくれた蔵人に対して言えなかった一言を発するしかありません。

 「あんまり美味しいので、すみません、もう一杯下さい!

 笑顔で応えていただいた2杯目の甘酒を満喫したところでタイムアップ。「鶴岡食文化女性リポーター」オフ会に潜り込ませてもらう羽黒町「竹の露酒造場」へと移動する時間となりました。3軒目の蔵めぐりへと勇んで出発したツワモノ揃いのチーム日本酒命とはここでお別れです。

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 9年越しの念願叶って参加できた大山新酒・酒蔵まつり。訪れた2つの蔵元で、それぞれ搾りたて新酒(上写真)を入手することができました。しかし、大山最古の1592年(文禄元年)創業「羽根田酒造(羽前白梅)」と前述の「渡會本店(出羽ノ雪)」の訪問は断念し、スタンプラリーを途中離脱。ゆえに"めでたさも中ぐらいなり おらが冬"、といった小林一茶の諦念と、"I shall return." というダグラス・マッカーサーの再訪を誓う熱い思いを胸に、大山を後にしました。

To be continued.


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2012/02/19

大山新酒・酒蔵まつり part.1

日本酒カクテルのパラダイス
    @鶴岡市大山コミュニティセンター

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 最上・村山・置賜・庄内の山形4地域をくまなく回る中で、人と風土の奥深い魅力に惹かれたのが庄内地方であったことは、これまで幾度となく触れてきました。足かけ9年の間、心惹かれながらも都合がつかず参加せずにいた催しが、寒造りで搾ったばかりの新酒を蔵元で味わえる「大山新酒・酒蔵まつり」です。

 酒造りに欠かせない良質のコメと水に恵まれた庄内地方にあって、鶴岡市大山地区は、450年以上もの長い酒造りの歴史を刻んできました。藩制時代は天領として幕府直轄のもとに置かれた大山。

 最盛期の明治時代には40軒以上の造り酒屋が軒を連ねていたといいます。

honcho_oyama2.JPG【Photo】歴史を感じさせる大山の佇まい。酒林を掲げる栄光冨士醸造元の「冨士酒造」(上写真) 酒粕を使った粕漬が数多いのは大山ならでは。漬物どころ「本長」(右写真)

 朝日連峰の北西端に位置する高館山を背景とする大山は、戦国時代、この一帯を支配した武藤氏が大宝寺から居城を移して発展。羽州浜街道の宿場として、また航海の安全や大漁を願う全国の漁師が信仰する龍神を祀る善宝寺の門前としての機能を大山は担うことになります。由良や酒田の港から北前船で上方へと送られた統一呼称「大山酒」は、あまねく知られるところとなり、灘・伏見に次ぐ酒どころとしての名声を築きました。

 太古に噴火を繰り返した海底火山の火山灰が幾重にも堆積した凝灰質の頁岩(けつがん)層を形成後、隆起したのが大山周辺から金峰山にかけての土壌となります。頁岩が長い時間をかけて変性して赤土となり、その地層で磨かれた朝日水系の伏流水は、上質な酒造りに適した弱アルカリ性。大山地区には1592年(文禄元年)創業の羽根田酒造など4つの蔵元があり、それぞれに培われた伝統の技で酒造りを行っています。

benvenuti_a_oyama.jpg【Photo】鶴岡市街地からR112加茂街道を人面魚でも知られる善宝寺、展示数世界一のクラゲで知られる加茂水族館方向に向かい、山形自動車道の高架を抜けた先の二叉路には、庄内弁で歓迎の意を表する看板が立つ。沿岸部の庄内は、内陸と比べてあまり積雪が多くないのが普通だが、2年続きで積雪量が多い冬となった今年は、その看板もほとんど埋もれそう

 徒歩圏内に4つの蔵元があるというのも大山の魅力。まろやかで芳醇な旨味に魅了される綿屋を醸す「金の井酒造」のすぐ近くにある宮城県栗原市一迫の「金龍蔵」、趣ある木造の雪よけアーケード「こみせ」で繋がった青森県黒石市の「中村亀吉(玉垂)」と「鳴海酒造店(菊乃井)」とを除き、1661年(寛文元年)創業と宮城最古の歴史を刻む「内ヶ崎酒造店」にしろ、石高が多い「一ノ蔵」と「佐浦(浦霞)」にしろ、庄内では「東北銘醸(初孫)」や「竹の露酒造」、「鯉川酒造」にしても、これまで東北各地で見学した蔵元は、徒歩で移動できるような近くには他の酒蔵がないことが普通です。

comucen_oyama.jpg【Photo】建国を祝う休日とはいえ、この日ばかりは寝坊厳禁。午前10時から午後1時まで日本酒カクテルのパーティ会場となった大山コミュニティセンター。スクリーンにジャズ演奏の映像が流れ、レーザー光線の照明が美しい彩りのグラスを照らし出す。事前に完売した300枚限定のチケットで日本酒ベースのオリジナルカクテル4種を楽しめた

 酒蔵巡りをしながら、伝統ある酒造りの現場で仕上がったばかりの新酒が蔵人から振舞われるという呑兵衛にはたまらない趣向の大山新酒・酒蔵まつり。今年で17回目を迎えるこの催しには、地元のみならず全国各地から日本酒ファンが訪れます。そのため、近年では事前に発売される各種チケットは、すぐに完売してしまうほど。昨年12月12日に発売が始まった今回の前売チケットも、年末の忙しさにかまけているうち、すぐに売り切れたとの情報にため息をついていたのでした。

coktail2_oyama.jpg【Photo】大山にある4つの酒蔵が色違いの法被姿で酒造りの町をアピール。目の前でシェーカーを振るバーテンダーの鮮やかな手さばきも雰囲気を盛り上げる

 ところが捨てる神あれば拾う神あり。大山在住だという実行委員の方と今月上旬に知り合う機会があり、ぜひ足を運んでほしいとお誘いを受けたのです。これは昨年秋に山伏修行で滝に打たれた功徳、月山大権現のお導きに違いないと勝手に解釈(笑)。今年の開催日となった建国記念日の2月11日(土)、冷え込みは厳しいものの、運だけでなく懸念した天候にも恵まれて月山越えも難なくクリア、例年になく積雪が多い鶴岡ゆえ、長靴に履き換えてJR羽越線に乗り、勇んで大山へと乗り込みました。

 JR羽越本線の羽前大山駅は、普段は乗降客が多くはない駅ですが、大山新酒・酒蔵まつりが行われる日は特急いなほが臨時停車するのです。まず目指すは午前10時から先陣を切って催しが始まる大山コミュニティセンター。11時をまわって到着した会場の大ホールは照明が落とされ、ジャズ演奏の映像が流れていました。そこは日差しが射すものの肌寒い外とは打って変わった夜の大人の雰囲気。そこでは前売りの300枚がすぐ完売したというチケット(500円)でカクテル4種が楽しめました。

coktail_oyama.jpg【Photo】昨年に続き、日本バーテンダー協会庄内支部に所属するバーテンダーたちが、大山の日本酒をベースにした新作カクテルを考案した。こちらはシェーカーに大山30mℓ+リンゴのリキュール・アップルバレル15mℓ+りんごジュース同量+ティースプーン1杯のレモンジュースを加え、グラスの縁をグラニュー糖で飾った創作カクテル「雪月華(下写真右側)

 昨年の新酒・酒蔵まつりから、日本バーテンダー協会庄内支部の協力のもと、鶴岡市内のバーテンダーたちが、大山で仕込まれた酒をベースにしたオリジナルカクテルを披露しています。「冨士酒造(栄光冨士)」・「加藤嘉八郎酒造(大山)」・「渡會本店(出羽ノ雪)」・「羽根田酒造(羽前白梅)」それぞれの個性や持ち味を残しつつ、果物や植物などのリキュール類をブレンドした色とりどりの新作オリジナルカクテルが並んでいました。

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【Photo】「宵ノハナ」...出羽ノ雪30mℓ+巨峰リキュール15mℓ+スミレのリキュール・パルフェタムール5mℓ+レモンジュース10mℓ(上写真左側) 「フリージア」...栄光冨士20mℓ+リンドウの根から作るリキュール・スーズ10mℓ+オレンジジュース30mℓ+ティースプーン1杯のレモンジュース(下写真左側) 「なでしこ」...羽前白梅25mℓ+桃のリキュール・ピーチツリー15mℓ+クランベリージュース20mℓ+ティースプーン1杯のレモンジュース(下写真右側)

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 造り手の持ち味を生かしながら、日本酒の新たな楽しみ方を提案しようという2年目の創作カクテルは、大山「雪月華」、出羽ノ雪(渡會本店)「宵ノハナ」、羽前白梅(羽田酒造)「なでしこ」、栄光冨士(加藤嘉八郎酒造)「フリージア」という名前が付けられていました。これらのカクテルは、協会庄内支部加盟の各お店で提供するほか、お気に入りのカクテルは自宅でも楽しめるようにと、レシピが公開されていました。

 ほんのりとしたお酒の甘い香りが漂う会場には、地元選出の大物代議士も顔をのぞかせていましたが、何といっても女性の姿が目立ちました。その中でも目を引いたのが、「庄内着物女子〈Link to Website〉」の皆さん。鶴岡の奥座敷・湯田川温泉「甚内旅館」の大塚せつ子女将を中心に、京文化の影響を受けた庄内の伝統に根ざした和装の楽しみ・魅力を共有しようという女性たちで組織されます。踏み固められた雪で足元が滑りやすいこの日も、メンバー5人が綺麗な色合いのカクテルのようにあでやかな着物姿を披露、会場を一層華やいだものにしていました。

donnakimono_oyama.jpg【Photo】カクテルパーティー会場でお会いした庄内着物女子の皆さん。さまざまな催しに着物姿で出かけてゆくというアクティブかつしなやかな女性たちです。湯田川梅林公園で開催される「梅まつり」や、商家・武家の往時の繁栄ぶりが偲ばれる江戸・明治期の時代雛が華を競う「庄内ひな街道」でも、場にふさわしい着物姿をみせてくれるとのこと。左から佐竹 優子さん、小野寺 博美さん、諏訪部 夕子さん、佐藤 裕子さん、齋藤 三代さん

 会場に流れるジャズも上の空、いささか季節はずれな矢沢栄吉の名曲「時間よ止まれ」が頭の中で流れ始めた大山コミセンでの美酒と美女に囲まれた美味しい時間。名残惜しくはありますが、各蔵元を回りながら搾りたての新酒を楽しむ酒蔵スタンプラリーに出発する時刻となりました。

 呑み友達との予期せぬ接近遭遇のハプニングもあった酒蔵巡りについては次回part.2で。その日ダブルヘッダーで庄イタが潜入した「鶴岡食文化女性リポーター」オフ会となる女子会になだれ込んだ長ーく濃ゆ~い一日の模様はpart.3で!!

To be continued.

大山新酒・酒蔵まつりについては―
  鶴岡市観光連盟サイト
 http://www.tsuruokakanko.com/season/fuyu/sake.html
 または 鶴岡冬まつり実行委事務局(鶴岡市観光物産課)TEL0235-25-2111へ

◆ ご紹介したカクテルが楽しめる店は以下の8店
 ・ラウンジ志津  鶴岡市本町1-7-18 Phone:0235-24-8246
 ・vitto dining  鶴岡市本町1-8-20 Phone:0235-22-7758
 ・Rock Bar OVER DRIVE  鶴岡市本町1-8-16 Phone0235-25-1607
 ・BAR COCOLO  鶴岡市本町1-8-41 Phone:0235-22-3374
 ・High noon  鶴岡市末広町15-19 Phone:0235-25-0081
 ・華包  鶴岡市東原町24-2 Phone:0235-26-2433
 ・BAR ChiC  鶴岡市本町1-8-44 Phone:0235-22-4958
 ・lounge bar BRUT  鶴岡市昭和町12-61昭和ビル2F Phone:0235-24-8389


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2011/12/31

修験道体験@出羽三山

暮れゆく月山御縁年の大晦日に思うこと

shugendou_x1.jpg【Photo】霊場羽黒山の鬱蒼とした杉木立の中、国宝五重塔に参詣後、歩みを進める羽黒修験道の最高位である松聖の星野尚文大先達と修験道体験者

 冬籠りに入って久しい月山ですが、平成23年は12年に一度巡ってくる月山卯年御縁年でした。ウサギは月山権現の使いとされています。その佳き年だったはずの3月11日、死者・行方不明者19,500名以上を出し、生かされた人の心の奥底にも深い爪痕を残した東日本大震災が発生しました。

 震災で尊い命を落とした多くの御霊の供養のため、亡者の魂が集うとされる月山詣でをしなければ、という思いが自分の中で募ってゆきました。震災発生から100日を経た「卒哭忌」の6月18日、羽黒修験道最高位の山伏、星野尚文松聖(まつひじり)が津波と原発事故で被災した福島県相馬市を訪れ、被災地の復興と犠牲者の慰霊のために祈りを捧げたという記事が翌日の河北新報朝刊に載ったのです。

【Photo】修行の場となった鶴岡市羽黒町手向の宿坊「大聖坊」。高齢化による講の減少によって、近年は廃業する宿坊も多いという

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 鶴岡市羽黒町手向(とうげ)は、関東・東北一円から出羽三山を参詣する講の参加者が宿泊する宿坊町です。江戸時代には336を数えたという宿坊には、それぞれ受け持つ地域が定められており、星野尚文松聖のご実家である宿坊「大聖坊(だいしょうぼう)」は、福島県相馬の参詣者を代々受け入れてきました。

 Facebookを通して知己を得た鶴岡在住の山伏・加藤丈晴氏から、星野尚文大先達の指導のもと、2泊3日で羽黒修験道の奥義に触れる修行体験「修験道X(エックス)~3.11後に求められる場「修験」~」の案内がFacebook〈Link to website〉であったのが6月末。羽黒修験道に魅せられて東京から今年鶴岡に移住してきたという加藤氏とは、彼の前職時代に私が東京勤務をしていた15年以上前に名刺交換をしており、不思議なご縁を感じました。

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【Photo】死者が集う山とされる月山における「抖(と)そう行」(上下画像)。地下足袋を履いて岩場を進むゆえ、足の置き場に集中しないと足元をすくわれかねない

shugendou_x3.jpg 修験道Xの内容は、なまじ半端ではありません。物見遊山の観光とは異質の濃ゆ~い日程の概略はコチラ。出羽三山へは、これまでも何度か訪れてきましたが、その目的は俗人としての参詣や観光にすぎません。死と再生の山・出羽三山での修験道体験に震災を経験した私が心惹かれるのは、もはや必然でした。

 7月9日(土)~11日(月)に催行される修験道Xは、最終日が平日だったため参加を見送りましたが、9月17日(土)~19日(祝)の3連休に開催される第2回目の修験道Xについては、早々に参加を表明。雨交じりの天候となった初日、羽黒山への参道に架かる朱塗りの大鳥居を抜けると、ほどなく手向の宿坊街となります。案内された大聖坊に着くや否や、秋の峰入りを終えたばかりで案内役を務めて頂いた加藤さんの手ほどきを受け、修行着である白装束に身を包みました。修行着は死に装束でもあり、参加者が揃ったところで執り行う「峯中式(峰入り式)」をもって俗界を離れ、修行の身となります。

【Photo】修行ではこの石段を3日間で2往復。感覚が研ぎ澄まされ、気持ちが張り詰めた修行中は、日頃の鍛錬ぶりを物語る健脚著しい星野尚文大先達に遅れを取ることなく走破。俗世・仙台に戻ってから1週間は、経験したことのない足の筋肉痛に悩まされた

shugendou_x2.jpg 杖を手に随神門から参道に入り、国宝五重塔前でまず祈祷、2,446段の石段を1段ずつ登って三神合祭殿のある羽黒山を目指します。途中の茶屋で休憩後、開祖である蜂子皇子を祀る蜂子神社と墓所を詣でました。修行に入ったばかりの私たちは三神合祭殿に参詣せず、いつもは車で往復する下りも当然徒歩で階段を下りました。大聖坊に戻ると、「床固め(座禅)」と「壇張(食事)」の時間。精進料理であることは予想していましたが、茶碗半分ほどのご飯と漬物3切れ、僅かな具が入った味噌汁だけという質素な食事でした。「山伏は早飯!」という大先達に倣って大急ぎで口にしたのは、毎回こうした内容。それでも空腹を覚えたことは一度たりともありませんでした。

shugendou_x4.jpg【Photo】食べるというよりも、胃に流し込むだけといった感の壇張(だんばり)。間違っても「おかわり」などと言わぬこと

 夜の「抖(と)そう行」は、初日こそ宿坊周辺の神社に詣で、町内を40分ほど歩く内容でしたが、月山から湯殿山へと縦走した2日目の夜は、闇が支配する鬱蒼とした森の中に分け入り、ロウソクの明りだけを灯してお社に参詣した後、町外れで月山に向かって祈祷を捧げました。「雨が降りそうなので戻ろう」という大先達の言葉に促されて大聖坊へ戻り、勤行を始めようとした途端、雨が激しく降り出したのには、さすが修験の道を究めた最高位の山伏!と参加者一同驚いたものです。

 その頃、星野大先達が中心となって広く写経を呼びかけ、般若心経1万巻を目標に月山山頂に設ける経塚に納めて震災犠牲者を慰霊しようという動きがありました。修験道Xの参加者もまた、その時点でほぼ集まっていた1万巻の般若心経を1巻ずつ長時間に渡って読経する勤行に取り組みました。大先達は震災犠牲者の冥福と被災地の1日も早い復興を祈る言葉を必ず祈祷の中に織り交ぜて下さったのが印象に残っています。我々も事あるごとに唱えた般若心経の読経を続ける夜の勤行の後は、1日を締めくくる秘儀「南蛮いぶし」が待っていました。

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 別棟の4畳半ほどの薄暗い部屋に入ると、星野大先達が火鉢で炭火を起こしていました。正座した我々の背後に陣取った大先達が「たっぷり吸わっしゃい...」と言いながら、火鉢をウチワであおぐ気配がしたかと思うと、部屋中に煙が立ち込め始めました。場数を踏んでいる先達の加藤さん以外は、何が起きているのか理解できない私たち。やがてゲホゲホとむせかえる声が響き始めます。目を開けることすら辛い異様に長く感じられた15分ほどが過ぎた頃でしょうか、大先達の「もうよし」の一言で、襖を開けて一目散に飛び出したのでした。

【Photo】この日は水量が多かったので、湯殿山神社ご神体前で下帯姿となり片道100mを移動、含満ノ滝での滝行となった

 初日の修行終了後、大先達を囲んで語らいの場がありました。ネタばらしは野暮でしょうが、星野大先達によれば、ドクダミ・米ぬか・唐辛子を粉末にしてそれぞれに火を点けるのだそう。山中に身を置く修行中は、人ではなく、畜生行であるために入浴はおろか洗顔や化粧、歯を磨くことすら許されません。古式に倣って三神合祭殿への参道に架かる神橋の下を流れる祓川で行う「水垢離(みずごり)」と、湯殿山山中の御滝や含満ノ滝(かんまんのたき)で滝に打たれる「滝行」で身を清めるだけですので、臭い消しや虫よけの意味もあるのでしょう。

shugendou_x6.jpg【Photo】月山山頂の山小屋で頂いた「やまぶし弁当」とキノコ汁が修行中に口にした中では、もっとも豪勢な食事だった

 2日目は4時起床で月山8合目の弥陀ガ原レストハウスまで車で移動、月山・湯殿山への抖そう行と滝行を行いました。月山中之宮と9合目仏生池での読経をしながら、3時間あまりで到着した標高1,984mの山頂で本宮を参詣。震災で亡くなった人々の無念を想い、心から鎮魂の祈りを捧げました。

shugendou_x9.jpg【Photo】星野大先達を先頭に白装束姿で黙々と歩みを進める私たちに対し、時折手を合わせる登山者も見られた月山から湯殿山への抖そう行の途中。死と生、聖と俗が入り混じるそこは、まぎれもない信仰の山だった

 山ブームの浸透を物語る多くの登山者に交じって10時過ぎに山頂の山小屋で摂ったのが、修行期間中に口にした一番食事らしい食事でした。大聖坊から持参したのは、3種類のおにぎりと漬物からなる「やまぶし弁当」。山小屋にご用意頂いたもだしの入ったキノコ汁が、冷え切った体に再び英気を蘇らせたのでした。

shugendou_x7.jpg【Photo】死者の山・月山から再生の山・湯殿山へと縦走、滝での禊を終えて。常人は外から入る鳥居を中から通り抜け、生まれ変わったかのような晴れ晴れとした表情の庄イタ

 湯殿山での滝行の後、大聖坊に戻ってからは初日と同じ行を行い、最終日の3日目は早朝から随神門より参道へと向かいました。祓川で水垢離を行ってから石段を再び登って羽黒山頂を目指します。星野大先達の導きのもとで主峰月山・羽黒山・湯殿山への抖そう行を始めとする数々の行を済ませた6名の参加者は、初日には行わなかった三神合祭殿への昇殿参拝を許されました。参加者を代表して不肖庄イタが玉串を上げた後、神職による祈祷がなされる間、正座したままで低頭拝礼します。

 そこでえもいわれぬ不思議な感覚に捉われました。人智を超えた大いなるものが降臨したような、畏怖すべき神々しい存在を肌身で感じたのです。

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 不可思議な感情の高まりは、震災で亡くなった多くの御霊に迎えられたような気がした月山中之宮でも感じていました。昇殿参拝が初めてではない先達役の加藤さんも、その時私と同じように感極まったことを修行後に語っていたので、あながち思い込みではないのかもしれません。修験道Xに参加したことで、自分の中で何がどのように変わったのか、簡単に答えは見つかりません。ただ、修行中に許された唯一の言葉「承けたもう」の精神は脈々と生きているように感じています。何事にも予断を持たないこと。大いなる自然の中に身を置いて感覚を研ぎ澄ますこと。慢心せずに謙虚に物事を受け入れること。それが羽黒修験の精神であり、山伏への第一歩なのだと思っています。

【Photo】参詣した月山・羽黒山・湯殿山それぞれの本宮からお札を頂き、月山神社では卯年御縁年の登拝認定証も頂いた。霊験あらたかなこのお札、どうぞ拝礼ください

 修験道体験という得難い機会を頂いたことに感謝しつつ迎えた大晦日。今頃は夜を徹して羽黒山で天下泰平・五穀豊穣を祈る恒例の松例祭が執り行われています。新たな年が、安寧で心穏やかな1年でありますように。それでは皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。


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2011/11/13

よみがえりのレシピ

山形発・在来作物と種を受けつぎ守る人々の記録

 プロの役者でも大根役者でもなく、ココロ震える値千金の千両役者ぶり発揮する出演者で占められる映画「よみがえりのレシピ」をご存知でしょうか? 鶴岡市出身の映像作家・渡辺智史さん(30)が、山形県内各地の在来作物の種を受け継ぎ、次代に伝えようとする人たちの営みに焦点を当てた95分のドキュメンタリー映画です。

 「藤沢カブ」後藤勝利さん、「宝谷カブ」畑山丑之助さん、「外内島キュウリ」上野武さん、資源低投入型循環有機農業のパイオニア「月山パイロットファーム」相馬一廣さん...。これまで「Viaggio al Mondo~あるもん探しの旅」でもご紹介してきた私の琴線に触れる尊い仕事をなさっておいでの生産者の皆さんが数多く登場するとあって、製作段階からその完成を心待ちにしていました。11月5日(土)から始まった山形市での一般公開(~18日)に続いて、12日(土)からは「鶴岡市まちなかキネマ」での公開が始まりました(~25日)。

recipi1_tsuruoka.jpg【Photo】鶴岡での公開初日の初回上映後、舞台あいさつに立った渡辺智史監督、冨樫裕子さん、畑山丑之助さん、「この映画を観るのは3回目だけれど、同じ場面で感動する」と感極まって涙ぐむ後藤勝利さん

 公開と機を一にして、TPP参加の是非に関する議論が巻き起こっています。賛否渦巻く交渉のテーブルに日本をつかせようという米国は世界に冠たる農業国。東北のように中山間地が多く地理的制約で経営規模が小さな農業者が多い島国日本で、いかに大規模集約化をしたところで、その営農規模は日本の比ではありません。

frier_resipe.jpg【Photo】映画のポスター・フライヤーには、寒河江市風間地区が発祥とされる「山形赤根ホウレンソウ」が登場(写真撮影:東海林晴哉氏)

 我が国にも国内法人がある米国の巨大企業が、自社の除草剤とセットで遺伝子操作で耐性を得たF1種子の販売権を独占しています。農業分野における米国の狙いは明白なのです。TPP推進派の経済界をはじめ、日本中に蔓延している効率優先の考え方や拝金主義とは対極にある世界をこの映画は淡々と描いています。登場するのは、経済最優先の時代には金にならないからと生産農家が消えていった在来作物を今も作り続ける生産者と、加工業者・研究者・料理人ら、互いに支えあう周囲の人々の人間模様。

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 二粒入りの鞘のうち、巾着型でシワの寄った種だけを選び、選抜を重ねてゆく鶴岡市白山の「だだちゃ豆」生産農家・冨樫裕子さんの自家採種の模様や、孫が通っている小学校で子どもたちと栽培から種採りまで一緒に行うことで、作物の一生を学ぶ機会を持たせた外内島キュウリの生産農家・上野武さん、安い輸入材に押されて森林が放置され山が荒れてゆく中、藤沢カブの収穫後に植林まで行う後藤勝利さんの伝統的な焼畑農法が、化学肥料や農薬を一切必要とせず、森の再生を促す自然のサイクルにかなった農法であることなどが、山形大学農学部 江頭宏昌准教授による解説などを交えて描かれています。

【Photo】まっ暗いうちに始まる焼畑作業があらかた終わったところにノコノコ伺う羽目になった2010年8月9日朝6時過ぎ。鶴岡市湯田川近くの金峰山中で行われた藤沢カブの火入れの模様を撮影するよみがえりのレシピ渡辺監督らスタッフ

 昨年、真夏の鶴岡の夜空を彩る赤川花火大会が催された翌朝、藤沢カブの火入れが行われるというので、投宿していた鶴岡市西荒屋の「知憩軒」から、土地勘のある金峰山の山中へと夜がまだ明けやらぬ早朝に車で向かいました。前夜の酒も手伝って到着が遅くなってしまいましたが、そこには後藤さんご夫妻や江頭先生や在来作物の撮影を続けている写真家の東海林晴哉さんの顔もありました。その現場に渡辺監督ら映画の撮影クルーもちょうど居合わせたのです。

seedtalk1_nagai.jpg seedtalk2_nagai.jpg【Photo】「未来への種まきトーク in 置賜」より。進行役は渡辺監督、基調講演後はコメンテーターを務めた島村菜津さん(左写真)、吉田昭市さん、鈴木徳則さん、井沢良治さん(右写真)

 昨年12月、よみがえりのレシピ製作委員会の主催で山形県長井市で行われた「未来への種まきトーク in 置賜」では、映画では山中で藤沢カブにかじり付く姿が登場するノンフィクション作家の島村菜津さんが「スローな生き方」と題して講演。その後、米沢雪菜の生産者・吉田昭市さんや、高畠町二井宿小学校で11年前から子どもたちに自分たちが食べる給食の野菜栽培を行う取り組みを行なった元校長先生・井沢良治さん、スローフード山形事務局長・鈴木徳則さんらが、島村さん・渡辺監督とともに登壇し、トークセッションを行いました。

recipe2_tsuruoka.jpg 【Photo】鶴岡公開初日の初回上映後「鶴岡まちなかキネマ」でのアフタートーク。23年前に後藤さんの奥様・清子さんに「この種をあなたが守ってほしい」と託した近所に暮らす渡会美代子さんが、ご自身も出演したこの映画の完成を待たず、今年の9月に急逝されたことが渡辺監督から明かされた。10年後・20年後を考えた時、この映画は貴重な映像記録となるはず

 80名が観賞した鶴岡での初上映後は、渡辺監督と映画に登場した冨樫裕子さん、畑山丑之助さん、後藤勝利さんの舞台あいさつがありました。心揺さぶられる映画の内容が素晴らしいことは勿論、ご縁あって「未来への種まきトーク」打ち上げと鶴岡初上映後、市内の知る人ぞ知る超・穴場の蕎麦店を貸し切って行われた昼食会に居合わせた関係上、恩義のあるこの映画は応援しなくてはなりません。酒田・仙台でも上映に向けた機運があるといいます。今後の詳細については、下記公式サイトを参照願います。

やまがた発長編ドキュメンタリー映画
よみがえりのレシピ公式サイト
 http://www.y-recipe.net/

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2011/08/20

めっちゃこい鵜渡川原キュウリ

瓢箪(ヒョウタン)から胡瓜(キュウリ)な出合い
 @酒田市亀ヶ崎

 酒田市亀ヶ崎にあるフレンチレストラン「Nico(ニコ)」に昼の予約を入れた7月半ばのこと。そこは庄内浜をはじめとする豊富な地元の食材を積極的に使い、フランス料理のエッセンスを取り入れた郷土料理という、誰も成し得なかった独自の世界観を確立した故・佐藤久一の高い理想を皿の上に体現してみせた太田 政宏さんの次男・舟二さんが3年前に独立した店です。若きサラブレッドの店をこれまでに4回訪れていますが、この日は予約した時刻より若干早く着いたため、店の脇に車を停めました。

udogawara_niizeki.jpg【Photo】酒田市亀ヶ崎で新関 貴美子さんが栽培する鵜渡川原キュウリの畑(上写真)
8人の組合員が1シーズンに合計6tを出荷する鵜渡川原キュウリは、長さ5cm~10cm未満のうちに収穫する(下左写真) 採種用の目印を付けられた鵜渡川原キュウリ。熟して褐色に変化した表面に無数のひび割れが生じている。長さは15cmほど(下右写真)

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 店の周辺には、脂身こそが豚肉の醍醐味と身をもって教えてくれるヘルシーなコメ育ち金華豚が購入できる「平田牧場本店」のほか、立ち寄り先が数軒あるため、「レストラン欅」が地階にある産業会館周辺と並んで酒田市中心部でも庄イタ出没率が高いエリアです。この時、密かに目論んでいたのが、訪れた時期が旬の真っ盛りを迎えていた亀ヶ崎地区在来のキュウリの畑を探すことでした。

udogawara_2.jpg【Photo】黄色い花の花床と子房部が肥大してキュウリの実を結ぶ。雨が多い年は収量が目減りするという

 車を停めた駐車場のすぐ隣りには、住宅地の一角に残る浮島のような耕作地がありました。灌漑設備を備えたビニールハウス数棟はさておき、私の関心を惹いたのは覆いを取り払って露地栽培されているキュウリと思しき4畝(うね)。ちょうど大人の背丈ほどに組まれた逆U字型の支柱をのぞいて見ると、うりざね型の小ぶりで色の淡いキュウリが実を付けていました。中には採種のため、目印を付けたまま取り置かれた長さ15cmほどの無数のひび割れが表面に生じた個体もあります。

 それはまさしくお目当ての「鵜渡川原(うどがわら)キュウリ」でした。予約時刻より早く到着しゆえの瓢箪から駒、瓢箪からキュウリな出合いです。3年前の「沖田ナス」〈Link to backnumber〉もそうでしたが、これも庄内で培った嗅覚のなせる神業。そこは1991年(平成3)に会員8名で発足した「ミセスみずほの会」のメンバーで、現在代表を務める新関 貴美子さんが所有する畑でした。ご子息の店で食事をしておいでだった太田さんにご挨拶ができたその日の翌日、再び立ち寄った畑で収穫作業中だった新関さんからお話を窺うことができたのは二重の幸運といえましょう。

kimiko_niizeki.jpg【Photo】庄内地方の女性が農作業の折に着用するハンコタンナ姿の新関 貴美子さん。今年からミセスみずほの会代表を務めている

 砂丘地帯を進むR112と幹線道路R7を結び、酒田市役所へと続く羽州浜街道に抜ける表通りに面して店が続く亀ヶ崎。今でこそ宅地化されたこの一帯は、1929年(昭和4)に酒田町に編入される以前は、飽海郡鵜渡川原村と呼ばれていました。最上川河口右岸のそこは、現在も河口域に群生が見られる葦原が広がり、その名が示す通り、水鳥が羽根を休める牧歌的な風景だったのでしょう。貴美子さんが新関家に嫁いで来た当時の亀ヶ崎は、まだ畑が一面に残っていたそうです。

udogawara_shukaku.jpg【Photo】収穫したばかりの鵜渡川原キュウリ

 鵜渡川原という旧地名は、江戸末期に京都伏見から北前船で庄内に伝播した素朴な風合いの土人形「鵜渡川原人形」に残ります。もうひとつが鵜渡川原キュウリ、ないしは隣町の大町でも作られていたゆえ「大町キュウリ」ともいわれた在来野菜です。舌を巻く名文をもってして郷土・庄内の食の魅力を綴った故・伊藤珍太郎の著書「改訂版 庄内の味」(S56・本の会刊)によれば、酒田に急速な宅地化の波が訪れた1973年(昭和48)当時、80歳以上の高齢者は、少なくとも江戸期から栽培されてきたこのキュウリを大町キュウリと呼んでいたのだといいます。

 よって、当時すでに畑が姿を消した大町こそが、シベリアから渡来した鵜渡川原キュウリの本拠地だったのだろうと伊藤珍太郎は記しています。畑で赤くなるほど熟れたものをキュウリもみにすると、淡白味と熟成味が渾然となった至上の味を体験できると語るこの通人が、民田ナス〈Link to backnumber〉と並ぶ夏の味としているのが、鵜渡川原キュウリです。経済発展がすべてに優先した高度成長の真っ只中だったその頃、伊藤珍太郎は次第に姿を消しつつあったこのキュウリの行く末を案じています。果たせるかな、現在このキュウリを栽培するのは作付けが減る一方だった1991年(平成3)に発足した「ミセスみずほの会」の8人だけとなりました。

mogamikyuuri.jpg 【Photo】今年7月上旬、袋詰めされて店頭に並ぶ鵜渡川原キュウリ(500g 300円 / 写真提供:みどりの里 山居館

 パキパキしたすがすがしい独特の食感がある一方で、生食では甘さよりほろ苦さが勝り、収量が上がらず、収穫翌日には黄変してしまうほど鮮度の落ちが早いという気難しい一面を持ち合わせた鵜渡川原キュウリ。ミセスみずほの会では、「めっちぇこきゅうり」の名称で商標登録をし、自家採種による栽培を行っています。めっちぇことは酒田の言葉で小さくてかわいらしいという意味。地元で愛されてきためっちぇこいキュウリへの愛着を感じさせる秀逸なネーミングですよね。

udogawara_asazuke.jpg【Photo】めっちぇこきゅうりで自作した浅漬。すがすがしい歯応えが秀逸

 鵜渡川原キュウリは、4月中旬に播種、6月上旬に定植し、下旬から翌月末までが収穫期。栽培から加工・出荷まで厳しい品質管理のもとで生産を行うミセスみずほの会では、500g入りの青果品として、また浅漬・辛子漬・ビール漬・粕漬に加え、最近ではピクルスへの商品化にも取り組んでいます。収穫する大きさは5~7cmほどに限定され、当然ながら規格外が少なからず生まれます。品質の劣化を避けるため、朝夕2回行われる収穫後は、すぐに出荷・加工へと回さなくてはなりません。

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 今年で発足から20年を迎えた会のメンバーは、採算性だけでは決して語ることのできない故郷の味を守ろうと、決意を新たにしています。めっちぇこきゅうりは、酒田市内に10店舗を展開する「ト一屋」と「みどりの里 山居館」に加え、鶴岡市「つけもの処本長」では、山形大農学部教授を務め、在来野菜研究の先鞭をつけた故・青葉高が提唱した「酒田きゅうり」の名前で入手することができます。みどりの里 山居館には、市北部の西荒瀬地区でこの種を守ってきた齋藤 隆介さんが出荷する姿かたちが鵜渡川原キュウリとほぼ同一の「もがみきゅうり」も店頭に並びます。

【Photo】昨年12月、みどりの里 山居館で購入したミセスみずほの会メンバー池田けい子さんお手製の粕漬け。手間をかけた分、美味しさはまた格別(上写真) 現在では見られなくなった地這い栽培による鵜渡川原キュウリを収穫する農婦(下写真・「改訂版 庄内の味」より)

jiue_udogawara.jpg 最後に伊藤珍太郎が庄内の味で書き記した逸話をご紹介しておきましょう。その昔、鵜渡川原キュウリは、スイカやメロンのように支柱を立てず地面に直接ツタを這わせて栽培されていました。日照時間が長い夏の庄内にあって、ジリジリと焼け付く大地の生気をじかに吸い取るよう育てられていたのです。試みに支柱を与えて育てたところ、味は格段におちてあった(原文ママ)とあります。

 支柱を用いるトンネル栽培法は、技術が確立された1970年(昭和45)頃から導入されています。収穫時に中腰を強いられる地這い栽培から、作業性の向上がはかられて以降、もはや味の原型は幻となったのかもしれません。

 仮にそうだとしても、滅びる寸前だった特徴ある酒田の味はそうすることで守られたのです。昨年ご紹介した「外内島キュウリ〈Link to backnumber〉」と同様、特色あるこの長い歴史の生き証人と、それをを受け継ぐ人の思いに触れることができたことは、この夏の何より得がたい収穫だったと思っています。 

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ミセスみずほの会による
  めっちぇこキュウリの漬け方指南

 ◆その1/ 浅漬
    鵜渡川原キュウリ 500g 塩20g 砂糖50g
 ◆その2/ 辛子漬
    上記に 辛子20g 酒50ccを追加
 ◆その3/ ビール漬
    上記1 に ビール100ccを追加
 ◆その4/ 粕漬
    1 を水出しして水分を除き、砂糖と酒粕で漬け込む
   2~3週間後に一度酒粕を取り除き、再び砂糖と粕で漬けると約1ヵ月で完成

● ト一屋 URL: http://www.toichiya.co.jp/
● みどりの里 山居館 URL: http://www.sankyokan.jp/
● つけもの処 本長 URL: http://www.k-honcho.co.jp/
問合せ先:JA庄内みどり めっちぇこきゅうり部会
 Phone:0234-24-7511(酒田支店)
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2011/08/07

手前味噌な醤油の実

銀しゃり+吟醸+大吟醸
作ってみました、醤油の実。

 SNS などのバーチャルな人間関係を否定はしませんが、庄イタは根がアナログゆえ、顔を突き合わせたお付き合いには到底かなわないと信じる者の一人です。まして人が生きてゆく上で欠かせない食を通した繋がりは、いかなる時も揺るがぬ強固なもの。それを実感させてくれるのが、傾聴に値するストーリーを持つさまざまな生産者とのご縁で繋がった我がホームグラウンド庄内です。

watamae-gassan.jpg【Photo】吹き抜ける風に緑の稲穂がざわざわと揺れる夏の庄内平野。井上農場近くの鶴岡市渡前から東方に古来より死者の霊が集うとされた月山を望む。卯年御縁年の今年9月、庄イタは俗世を離れ、羽黒山伏最高位「松聖(まつひじり)」星野 尚文大先達のもと、開祖・蜂子皇子が修験を積まれた由緒正しき霊場・出羽三山に体験入山予定(上写真)

sunset_agricola.inoue.jpg【Photo】先月末、井上農場で東京八丁堀にある「てんぷら小野」の二代目・志村 幸一郎さんをお招きしてガーデンパーティが催された。名人が揚げる岩ガキ・ドジョウなど夏の庄内の恵みを堪能しつつ見上げた西の空。夏の庄内が黄昏時にみせる色彩の魔術に癒された(上写真)

2009.1.25@inoue.jpg 知己を得た2003年(平成15)以来、安全性と美味しさを追求する尊いお仕事ぶりに接するにつけ、我が家の定番銘柄となった特別栽培米「はえぬき」をお世話になっているのが鶴岡市渡前の井上農場さん。お米を譲っていただく際には、種々情報交換のため、農場主である井上 馨さん・悦さんご夫婦のもとを直接伺うようにしています。

【Photo】大雪となった2009年1月25日朝、初めて食べる人が小松菜の概念を変える比類なきジューシーな小松菜の収穫をハウスで行う井上夫妻(左写真)。被災直後、500把以上を無償で避難所に提供したことを先日人づてに知った。そんなことはおくびにも出さないのがまた井上さんらしいところ

sicilian_rouge.jpg 井上農場の耕作地19haでは、コメのほか小松菜・トマト・枝豆・ジャガイモなど転作作物も育てています。お米を購入すると、それら旬の作物をお土産に頂くのが常です。先日伺った折には、今年初めて栽培に挑戦しているシチリア原産の新品種「シシリアンルージュ」と中玉トマト「ハニーエンジェル」を収穫させて頂きました。旨みがぎっしり詰まるまで樹熟させるトマトは、最高の活力剤となります。

【Photo】生食でも充分美味しいシシリアンルージュは、オイルで炒めると甘味が増幅。ホールで缶詰にされる加工用トマトの代名詞サン・マルツァーノとは一味違うパスタに仕上がる

 海洋深層水成分を使ったプラントミネラル栽培など、理詰めで農業に取り組む井上さんのお米や生鮮野菜には、全国に多くのファンがいます。生鮮産品のみならず、地元業者に製造を委託する割れが生じた規格外のトマトを活用したジャムやゼリーといった加工品にも意欲的。大玉トマト「桃太郎」のシーズン最後は、畑に残った青トマトを軽いカレー風味のピクルスに仕上げますが、これがまたウマいんだっ!!
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【Photo】鶴岡市大山の菓子店「福田屋」さんに製造を委託した新商品トマトゼリー(左写真)の中には、丸ごと中玉トマトが入っている(中写真)。 甘酸っぱいカレーの香りとシャキッとした歯応えが後を引くピクルスに加工する青トマトのスライス(右写真)

 大吟醸酒を使う井上家お手製の逸品で味を覚えたゆえ、市販品ではどうにも物足りないのが「醤油の実」です。昨年市場に本格デビューした新品種「つや姫」の米麹を使った醤油の実を頂いたのが6月。そのレポート〈Link to backnumber 〉で触れた通り、第二弾として、はえぬきの醤油の実も用意するという嬉しい知らせが届いていました。

        haenuki_kouji.jpg haenuki_zairyo.jpg
【Photo】温度管理が難しい米麹(左写真)の製造は、町内長沼地区の麹屋に委託。悦さんも加入するJAたがわ婦人部の皆さんが大豆を蒸して殻むきを行った上で麦と混ぜる

 快晴に恵まれた7月18日、海の日の休日を利用して庄内へと遠征しました。岩ガキを目当てに遊佐町吹浦を目指す道すがら、井上さんのもとを訪れました。購入したはえぬきと共に悦さんが差し出したのは、醤油の実の完成品ではなく、はえぬきの米麹でした。好みの醤油と大吟醸で自家製の醤油の実作りに挑戦してみたら? というわけです。

        shoyu_nomi@shikomi.jpg shoyu_nomi.jpg
【Photo】醤油と酒を加えた直後(左写真) 室温で毎日こうしてかき混ぜて発酵を促すと、10日ほどでとろみが出て来て食べ頃になる(右写真)

 おぉ、これはハンドメイド大国のイタリアで前世を送った庄内人にシンパシーを持つ仙台人(⇒ちとややこしいか?)のハートをくすぐる心遣い。ここはオリジナルに敬意を表して、仕込みに用いる大吟醸は庄内の蔵が醸した酒にするつもりでした。冷温下に置いた米麹に加える酒と醤油を同量加え、混ぜてからは室温に置き、もろみを毎日かき混ぜるよう悦師匠から指示を受けました。

 吹浦に向かう足で、旬を迎えた在来野菜「鵜渡川原キュウリ」の粕漬けを調達しようと立ち寄ったのが、酒田市の山居倉庫敷地内にある産直「みどりの里 山居館」。お目当ての鵜渡川原キュウリは置いていませんでしたが、店内の一角にある地酒専門店の「木川屋」さんで購入したのが地元酒田の銘酒「初孫大吟醸」です。醤油は最初から決めていたので、これで材料は揃いました。

       daiginjyo_hatsumago.jpg ginjyo_konnojyozo.jpg
【Photo】もろみ作りに使った残りの初孫大吟醸は、仕込みの成功を祈りつつ、こうして呑み干された(左写真) 吟醸つながりで、仕込みに使ったのは全国醤油品評会で最高賞の農林水産大臣賞をこのところ毎年のように受賞している宮城の逸品、加美町今野醸造の「吟醸」(右写真)

 後日レポするご縁を感じさせる出会いがあった酒田から自宅に戻り、すぐ取り掛かった仕込みで使った醤油が、宮城県加美町の「今野醸造」さんの醤油「吟醸」。そう、井上農場の銀しゃり+今野醸造の吟醸+初孫大吟醸という勝利の方程式です。師匠の言いつけ通り160mℓずつの醤油と大吟醸酒を加えたもろみをかき混ぜながら寝かせること約2週間。液体にとろみが出てきたところでご飯に載せて味見をしてみました。

buonissimi_shoyunomi.jpg う・う・う・うま~っ!!

 初めてにしては出色の仕上がり、と悦に入ったのも束の間。仙台市青葉区一番町のJAみやぎ産直レストラン「COCORON(ココロン)」産直コーナーで最近扱うようになったという醤油に目がとまりました。まばゆい金ラベルのその醤油は、「老松」銘柄で知られる亘理町亘理の永田醸造「老松十一代 大吟醸」。昨年10月に開催された全国醤油品評会で濃口醤油部門にエントリーした170点から4本だけが選ばれた最高賞、農林水産大臣賞を受賞したという特級濃口醤油です。

oimatsu_daiginjyo.jpg【Photo】庄内産と宮城産の材料で仕込んだ庄イタ家初はえぬき自家製醤油の実。銀しゃりは井上農場のはえぬき(上写真) 亘理町 永田醸造の11代目永田 洋代表取締役常務が手掛けた「老松十一代 大吟醸」(右写真)

 我が家の定番醤油「吟醸」と似て非なる大吟醸。うーむ、これは気になる。まずは味見のため、さっそく購入。井上農場の銀しゃり+老松十一代 大吟醸+庄内の酒蔵が醸した大吟醸という鉄板醤油の実に来年は挑戦するぞ! と野望は広がる・・・。

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井上農場
住 : 鶴岡市渡前字白山前14
Phone & Fax : 0235-64-2805
URL : http://www11.ocn.ne.jp/~inoue-fm/index.html

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2011/06/26

銀しゃりには「醤油の実」のみ!

大吟醸入り嘗め味噌を褒めちぎる、の巻

 今回は久しぶりに本拠地・庄内ネタを一席。

tanisada_2011.jpg【Photo】今年の孟宗筍は谷定孟宗で締めくくった。繊細な谷定孟宗を知らずして孟宗筍を語るなかれ。厚揚げ・椎茸・孟宗に白味噌と酒粕を同量加えて煮込み、トロミが加わった二日目が美味の極み

 鶴岡市谷定(たにさだ)にある佐久間 豊さんの竹林で採れた孟宗が届いたのが6月第2週。その特徴はキメ細かく繊細で柔らかな食感と繊細な香り。金峰山の北側にあり、赤土の粘土土壌の谷定が、いかに孟宗筍にとって理想的な環境にあるかは、食すればすぐに分かります。鶴岡市大山の酒蔵「出羽乃雪」の酒粕を加え、庄内の初夏を告げる味として定番の孟宗汁にして頂きました。

tsuyahime_shoyunomi.jpg【Photo】朝ガユの習慣が上方から北前船で庄内にもたらされ、相伴としての「醤油の実」(右写真)を進化させた

 その食卓に華を添えたのが「醤油の実」です。熊本・長野・新潟などでは昔から調味料としてではなく、そのまま食する「嘗め味噌」のひとつ「醤油の実」が作られてきました。米どころ庄内でも、醤油の実は庶民の味として長く親しまれてきたのです。名著「庄内の味」を著した伊藤珍太郎によれば、かつて醤油の実は、醤油を醸造する際、一番仕込みの醤油を絞ったモロミに食塩水と油を混ぜて二番醤油を作った後の捨てカスの副産物で、底辺の「貧しい味」(「改訂 庄内の味」昭和56・本の会刊)だったと記しています。

kaoru_etsu_inoue.jpg ところが、鶴岡市渡前(わたまえ)の井上 馨さん・悦さん夫妻の手になるそれは、大吟醸酒を惜しげもなく使う贅沢な逸品。お米だけでなく、冬はとりわけ葉の厚さとみずみずしさが生食で味わえる小松菜を、夏には溢れんばかりの旨みが詰まった樹熟トマトと茶豆をお世話になっている井上さん。入手困難な抗生物質不投与の発酵鶏糞を鹿児島から取り寄せて土作りに活用、防虫にはインドセンダンや木酢液を、活力剤には海藻・ハチミツ・サトウキビなど独自のエキス溶剤を用い、安全性と食味を追求しています。専業農家として、地域でもいち早く自前の大型精米施設と玄米低温貯蔵施設を導入、消費者との直取引による農業経営に取り組んできました。

【Photo】5月上旬、花を咲かせた小松菜のようにいつも明るい井上 馨さん・悦さん夫妻(上写真) 例年より2週間ほど遅れた今年の田植えは5月下旬。昨年30haの圃場の一部をハウス用地に転用したが、井上農場の屋台骨はコメ作り(下写真)

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 山形県内でも内陸とは全く異なる庄内が、いかに美味の宝庫かはこれまで何度も述べてきましたが、井上さんの手にかかると、そのいずれもが、一味もふた味も違ってきます。四季を通してお邪魔する特権として、ただでさえ美味しい旬の味を、もぎたて・取れたてで味わうことができるわけです。昨年<拙稿2010.6「孟宗尽くし」参照>に引き続き、今年も孟宗尽くしを堪能した湯田川温泉からの帰路に伺った今回は、昨年末に訪れて以来、震災のため、これまでで最も長い半年もの空白をおいての訪問となりました。

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【Photo】月山(左写真奥)のブナ原生林帯が水源となる赤川上流の梵字川から直接引いた滋養豊富な雪解け水(左写真)を井上農場では農業用水として使用。 健全で肥沃な井上農場の穀倉地を潤してゆく豊かな水・水・水・・・(右写真)

 その日は、井上さんが取り組む「消費者ふれあい交流レベルアッププロジェクト」が、山形県が一次産業者支援のために設けた「現場の創意工夫プロジェクト」に採択されたことを、地元紙「荘内日報」で報じられた翌日でした。専業農家として跡を継いだ長男の貴利さんや、手伝いの親類の方たちと井上さんは田植えの真っ最中でした。指定銘柄の「はえぬき」を購入した折に、今年も頂いたのが、今年は期待の新銘柄「つや姫」を用いたという自家製の「醤油の実」です。

inoue_tsuyahime.jpg【Photo】旧・藤島町で誕生した山形を代表する水稲「はえぬき」(左)と「つや姫」(右)

 例年4月から5月の農繁期に仕込むという門外不出・井上家秘伝の醤油の実は、ざっと以下の通りに作ります。

 1:大豆と小麦をそれぞれ炒り、大豆のカラをはねた後、コメを加えてふかし、手でほぐしてから麹菌を加える。

 2:もろみを一晩寝かせてから、米麹を加え、大吟醸酒(←酒の銘柄は毎年ご主人の馨さんの一存で決まる^0^)と醤油を各2升ずつ加える。

 3:15リットルの仕込み樽2つに分けて蔵で寝かせること2週間するとトロミが出てくる。その間、樽を毎日かき混ぜ続け、もろみを呼吸させる。

 醤油の実は、自家製が当たり前だという庄内では、醤油ではなく塩水を用いたり、酒を少なめにして味醂を用いるなど、各家庭の味があるのだといいます。 

gokaku_kiganmai.jpg【Photo】一昨年の12月末、中学受験を控えた娘に井上さんから贈られた「合格祈願米」は、地元の野田ノ目文殊堂でお祓いを受けた霊験あらたかなはえぬき。その甲斐あってか、志望校に合格。めでたしめでたし

 今回頂いた醤油の実は、1990年(平成2)、旧藤島町(現鶴岡市)山ノ前地区にある山形農業試験場庄内支場(現・山形県農業総合研究センター農業生産技術試験場庄内支場)で誕生し、現在は井上農場でも主力品種となる「はえぬき」ではなく、同支場で誕生した自家製「つや姫」を使用したものだといいます。

 大豆は旧藤島町で栽培するため、JA鶴岡が商標を持つ「だだちゃ豆」の名は語れないものの、私が昨年食した中では最も美味しいと感じたご長男の名に由来する「たかくんの茶豆」を晩秋まで畑に取りおいた大豆。

 加えた大吟醸酒は、2004年(平成16)春のお披露目に居合わす幸運に恵まれた「くどき上手」で知られる「亀の井酒造」が醸した純米大吟醸「藤島」と、酒田の「初孫 大吟醸」。醤油も鶴岡の造り醤油屋「増坂イチヤマ醤油店」の醤油と、地の材料を使ったのだそう。

 伊藤珍太郎が指摘する通り、庄内で愛されてきた醤油の実は「常住ふだんの食事の友(「改訂 庄内の味」)であるがゆえ、飽きが来ない味に当地において磨き上げられてきたものです。「庶民の手でろ過されて永く伝承されているうちに納得のゆく味に定着(同)」した醤油の実は、炊き立てのはえぬきの風味を倍増させ、立ち上る大吟醸の香りが一層食欲をそそるのでした。

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 「はえぬきで作った醤油の実を次に来る時まで取っておくからね」と今日電話で話した悦さん。真っ赤に熟れたもぎたてトマトを頂きに伺いながら、来月また鶴岡へと伺う楽しみができました。

【Photo】2003年(平成15)夏、トマトの美味しさに初めて目覚めたのが、赤く熟するまで収穫せず、酸味と甘味ではちきれそうな井上農場の樹熟トマト。ハウスでもぎたてをかぶりつくのが最高っ!!

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井上農場
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2010/10/31

豊穣なる山の恵み〈後編〉

♪ キノコの山は食べ盛り@青嵐舎

 さまざまにアレンジされたキノコ料理がふんだんに並ぶ青嵐舎の「秋の実りご膳」を初めて頂いたのは、昨年の10月11日(日)。店で売られている物ではなく、女将である篠 育さんの父・工藤 朝男(ともお)さんとご主人の清久さんが山中に分け入って採ってくる山の幸に手を加え、訪れる人に提供するのがポリシーです。植林された二次林ではなく、ほとんどを人の手が加えられていない自然林のもとで育まれる大鳥の天然キノコや原木キノコは、人工的な栽培キノコとの違いは歴然でした。

kudou_mamma.jpg【photo】青嵐舎周辺を散策しながら立ち寄った工藤朝男商店では、お母様の昭子さんが前日ご主人が運びあぐねた30kgの天然マイタケの残りを切り分けていた。貴重なその天然マイタケをお土産にと頂いてしまった。もっけでした~ (^0^ )

 地元で食料品店を営む朝男さんは、今年74歳を迎える現役のマタギです。狩猟を趣味で行うハンターではありません。その違いとは・・・。マタギ文化研究所顧問でもある朝男さんは、「山の恵みはその半分を頂くのがちょうどいい」と、大鳥に移住してきた清久さんに語っていたそうです。自然が本来備えている恢復力を損なわぬよう、節度をもって接しさえすれば、人間は末永くその恩恵に浴することができるという意味です。都会育ちの清久さんにとって、山の掟(おきて)のもとで生きてきた義父は、知恵袋であり、師匠にあたる存在です。

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 各地で相次ぐクマの人里への出没は、彼らの主なエサとなるブナやミズナラの実が猛暑の影響で不作だからだといわれます。人的被害を避けるため、やむなく駆除されるクマは人間のエゴが生んだ異常気象の被害者そのものに映ります。山の全てを知り尽くしたマタギは、日々の糧を与えてくれる大いなる自然に対し、畏敬の念をもって節度ある採取を行う縄文的な狩猟採集文化を受け継ぐ人々です。弥生時代、農耕文化の登場によって忘れ去られたかにみえる狩猟文化は、東北の山村で生き続けてきました。

【photo】勝手知ったる山中でナラの樹にビッシリと生えたキノコを採取する工藤 朝男さん

 育さんが庭の花を摘みに行ったら、数メートル先の茂みにクマがいたとか、店の前の道をクマが歩いていたなどと事もなげに語る工藤 昭子さん。大鳥の人々は野生の領域で暮らすたくましさを備えています。ゆえに大鳥では、クマが出没してもニュースになりません。生態系を破壊し、資源を枯渇に追いやる貪欲な現代文明とは対極にあるその暮らしぶりを知るには、青嵐舎の蔵書にもあった「マタギ 矛盾なき労働と食文化」(田中 康弘著・枻(エイ)出版社刊)が格好の一冊となるでしょう。著者は秋田県阿仁町のマタギ村を16年に渡って通いつめ、豊富な写真と共にマタギの姿を丹念に紹介しています。

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【photo】毎年5月にクマの冥福を祈る熊まつりを執り行う小国町の道の駅「白い国おぐに」では、地元でシシと呼ばれるツキノワグマの熊汁(1杯500円)を味わうことができる

 新潟・村上を経由して大鳥へと向かったその日、飯豊・朝日連峰が連なる山形県西置賜郡小国町にある道の駅「白い国おぐに」で、味噌仕立ての熊汁を昼食に頂いていました。たっぷりのダイコン、ゴボウとともに野生的な歯応えのシシ(クマ)肉が申し訳程度に(笑)入っています。ツキノワグマは、栄養を蓄えた冬から春先が最も脂が乗って肉質が良い時期なので、2年前のGWに頂いた脂が乗ったマタギ汁より淡白な印象なのは致し方ないこと。シシを分け与えてくれた山ノ神に感謝しつつ、野生モードにスイッチして大鳥へと向かったのでした。

 それでは1年ぶりとなる青嵐舎の背後に広がる豊穣なる山の恵みをご紹介しましょう。

《食中酒》
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【photo】 酒器は村上漆器一合徳利。鶴岡・大山の加藤嘉八郎酒造 特別純米「大山」をぬる燗で(左写真) 2本目は羽黒の銘酒・亀の井酒造「くどき上手」純米吟醸を冷やで味わう(右写真)

《前菜》
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【photo】自家製がんもどきと天然マイタケの煮物(左写真) もって菊の酢の物クルミ和え(右写真)

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【photo】 マスタケのバター含め煮 のし梅とサーモン・チーズのミルフィユ仕立て もち米とクルミのアケビ巾着(左写真) 自家製くるみ豆腐(右写真)

《椀物・香物》
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【photo】百合根とズワイガニの葛餡かけ(左写真) 大根の山ブドウ漬け・アオミズの茎と巨大な実・キュウリのおひたし(右写真)

《焼魚・和え物》
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【photo】イワナ塩焼き(左写真) もだし(ナラタケ)の和え物(右写真)

《和え物・洋皿》
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【photo】ブナハリタケの和え物(左写真) ヤナギシメジのデミグラスソース(右写真)

《ご飯・吸い物》
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【photo】むかごご飯(左写真) 原木ナメコ・もだし・ブナハリタケのキノコ汁(右写真)

《果物・デザート》
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【photo】旨さにビックリ、茹でヤマグリ(左写真) ヤマブドウのシャーベット(右写真)

 ご覧の通り、これでもかと山の幸が登場しました。そのいずれもが滋味深く、洗練された味付けがなされていました。山里の豊かさを味わってもらおうと、厨房で奮闘していた育さんが、やがて黒い液体が入った瓶を手に席に加わりました。ご自身が採種された熟する前のクルミを青い外皮のまま半分に割り、アルコール度数96度の世界最強ウオッカとして知られる「Spirytus スピリタス」をベースに、砂糖とスパイスを加えて漬け込んだ自家製酒だといいます。2ヶ月ほど漬け込むうちに真っ黒に変色し、アルコール度数がクルミの水分で幾分和らぐのだそう。

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【photo】今シーズン初めて挑戦したという青グルミ酒。極めて美味ゆえ、その真っ黒な外見にたじろぐなかれ。このファースト・ヴィンテージ・ボトルは、島村 奈津さんがお持ち帰りになった

 じっくりお話しするのは初めての育さんでしたが、興の赴くまま話題は多岐に及びました。聞けば翌週、スローフード山形の世話役である山菜屋《Link to website 》の遠藤 初子さんが、ノンフィクション作家の島村 奈津さんと共に宿泊する予定になっているとか。お二人を存じ上げている私も「ご一緒にどうですか?」と育さん。願ってもないステキなお誘いでしたが、ウイークデーであったため、残念ながら再訪は叶いませんでした。

nocino_malpighi.jpg【photo】モデナで調達した青グルミの酒「Nocino ノチーノ」。ベースとなるアルコール度数が24度のリキュールに未熟な青い Noce ノーチェ(=クルミの伊語)を加える「Nocello ノチェロ」とは違い、ベースが40度から80度の強烈な酒ゆえ、口当たりは良いが、飲みすぎは禁物

 勧められるまま、都合4 種類の自家製リキュールをご馳走になりましたが、私が最も気に入ったのが、青グルミ酒です。甘くほろ苦いコクのあるその味には覚えがありました。イタリアには、消化促進のための Digestivo ディジェスティーヴォ(=食後酒)が数多く存在します。そのひとつが、青グルミを仕込んで造る 「Nocino ノチーノ」。エミリア・ロマーニャ州モデナの伝統製法で造る「アチェート・バルサミコ・トラディツィオナーレ」製造元 Malpighi マルピーギ社をかつて訪れた際、ペロっと試飲して気に入り、50年熟成のバルサミコとともに買い求めたのがノチーノでした。よもや大鳥でイタリアの味と出合うとは、驚き桃の木クルミの木!! 翌週、青嵐舎を初めて訪れた島村さんも、すっかり自家製ノチーノを気に入り、一瓶を持ち帰ったのだといいます。

 育さんとの楽しい語らいは深夜まで続きました。懐が深い山里・大鳥の魅力に触れるなら、ぜひ、青嵐舎お手製の秘蔵酒をお供にされますよう。

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青嵐舎と大鳥の日々を綴る清久さんのブログも要・チェック !
山里便り http://blog.goo.ne.jp/mataginodesi

青嵐舎 (旅館・オーベルジュ(その他) / 鶴岡市その他)
夜総合点★★★★ 4.5

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2010/10/24

豊穣なる山の恵み〈前編〉

大自然に抱かれた深閑の山里・大鳥

lago_otori_2004.9-1.jpg【photo】東大鳥川沿いのダート道を泡滝ダムまで車で進み、朝日連峰登山口から山に分け入る。およそ2 時間で大鳥小屋に至り、やがてタキタロウが潜むという大鳥池が、その名の由来となった羽根を広げた鳥というより、クマの全身毛皮のような姿をみせる

 幻の怪魚「タキタロウ」が棲む大鳥池で知られる鶴岡市大鳥地区。あまたの恵みを庄内平野南部の田畑にもたらす水量豊かな赤川水系も、ここ上流域では東西の大鳥川と呼ばれる二筋の急峻な流れとなります。仙台在住の作家・熊谷 達也氏が、過酷な大自然の掟に立ち向かうマタギの生きざまを描いた直木賞受賞作「邂逅の森」(文春文庫)の舞台となった広大なブナ林が奥地へと続いています。その源流域は、以東岳(1771m)を主峰とする朝日連峰で、新潟・山形の県境となっています。

otori_takaoka2010.jpg【photo】東西ふたつの大鳥川が出合う河合橋にて。この東大鳥川を遡ると周囲の山々をその碧い水面に映し出す大鳥池へと至る

 タキタロウ公園オートキャンプ場が整備された大鳥は、朝日連峰への玄関口として、また渓流釣り愛好者にとっての拠点となる山里です。この地は落人の村とされ、平安末期から鎌倉にかけて伊豆伊東荘(現在の静岡県)を拠点とした武将・工藤祐経が曾我兄弟に仇討ちされた1193年、その弟大学は伊豆に逃れたのち、一族郎党20名ほどを引き連れ、人里離れた山深い大島の地で集落を創始しました。そのため工藤姓が多い大鳥は、庄内地域でも独特の言葉が残ります。その経緯は、飯田 辰彦 著「淡交ムック ゆうシリーズ 美しき村へ 日本の原風景に出会う旅」(2007年 淡交社 刊)に詳しく紹介されています。

kabutozukuri_oohari.jpg【photo】大鳥へと向かう道すがら、旧朝日村大針地区付近で、もはや住む人がいない一軒の兜造りの多層民家がそぼ降る雨に濡れていた。雪深いこの地域では、上階の窓から冬は出入りしていた。そうした記憶もこの廃屋とともに朽ち果ててゆく

 2月上旬、深い根雪に埋もれる大鳥では、「マタギの里 白銀の世界 in 大鳥」という冬祭りが催されます。またの名を「うさぎ祭り」。...ん? うさぎ祭り@マタギの里?? 庄内浜各地で真冬に行われる「寒鱈まつり〈Link to backnumber 〉」ならば、ここ数年毎年訪れていますが、今年1月に初めて知ったうさぎ祭りの内容は、実に興味をそそるものでした。雪上でカンジキを履き、追っ手と捕らえ手に別れて雪穴に潜む野ウサギを追い込む「巻き狩り」を行うというのです。マタギ体験(⇒素人対象ゆえ、猟銃は当然のこと用いない)の後、ウサギ汁がどぶろくと共に振舞われるという、マタギ文化の片鱗に触れる願ってもない機会ではありませんか。激しく心惹かれたのですが、残念ながら都合が折り合わず参加を見送ったのでした。今年こそっ!!

kuma_tsume.jpg【photo】 旧朝日村時代の2004年(平成16)にオープンした「産直あさひ・グー」では、山菜・キノコ・トチモチなどの山の幸とともに、地元で捕獲されたツキノワグマの毛皮や爪、果てはオスの生殖器にある××骨といった珍品まで売っている

 大鳥のみならず、朝日連峰の山懐に抱かれた山形県西置賜郡小国町や旧東田川郡朝日村(現鶴岡市)、隣接する新潟県旧岩船郡朝日村(現村上市)周辺の山間地には、今もマタギ村があり、狩猟文化が息づいています。日本で唯一、鷹狩りを伝承する「最後の鷹匠」こと松原 英俊氏が暮らすのは、大鳥からほど近く、養蚕の痕跡を残す4層からなる兜造りの多層民家で知られる旧朝日村田麦俣集落。1960年代の記録では、全54世帯のうち、32戸が多層民家で暮らしていたとのこと。独特の様式美を備えた多層民家は、展示のため鶴岡の致道博物館に移築された旧渋谷家(国重文)ほか、現在は「民宿かやぶき屋」として使われる1棟と隣接する旧遠藤家(県重文)の2棟だけが田麦俣に残るのみとなりました。

maitake_kudo.jpg【photo】「産直あさひ・グー」では希少価値の高い天然マイタケも良心的な価格で入手できる。これは青嵐舎を営む篠さんご夫妻の奥様・育さんのお父様、キノコ名人の工藤 朝男さんが採った天然マイタケ(500g 2,000円)

 かつて六十里越街道の宿場として人の往来があった田麦俣周辺には、今も狩猟文化が受け継がれています。この季節、R112 沿いにある「産直あさひ・グー」では、「沖田ナス〈Link to backnumber 〉」生みの親である小野寺 政和さん・太さん親子の沖田ナス粕漬や、天然物のキノコ類と共に、ツキノワグマの爪や牙などがお守りとして、まるごと一頭分の毛皮(90,000円)が、あなたのお部屋をワイルドに演出するインテリアアイテムとして売られています。

 2年前、鶴岡在住の食通から、あそこは料理上手だから一度行ってみてと勧められたのが、山里の小さな宿「青嵐舎」でした。篠 清久さん・育さんご夫婦が営む青嵐舎のことは、TV朝日系列で2004年(平成16)に放映された「人生の楽園」で得た知識があり、その存在は認識していました。初めてそこを訪れたのが昨年秋。キノコご膳を頂き、知人の言葉通りであることを確認、ふたたび青嵐舎を訪れたのは、木々がようやく色付きはじめた10月10日(日)のこと。事前にキノコの出揃い具合を確認し、再訪の機会をうかがっていました。この季節、大鳥を訪れる目的は、人里離れた豊かな山の恵みであるキノコを存分に味わうためにほかなりません。

kuyohisa_iku_shino.jpg【photo】照れながらも青嵐舎の前で撮影に応じて頂いた篠さんご夫妻。おっとりしたご主人と、気丈な奥様の掛け合い漫才を織り交ぜたおもてなしと、山里ならではの豊かな食事で心まで満たされ、またここを訪れたいと思わせてくれるはず

 故郷を離れること23年、東京でフリーのライター稼業をしていた育さんは、親戚から譲り受けた古民家の部材で自宅兼民宿を建てることを決意します。ユニークなのが、ご主人との出会い。東京育ちで不動産会社に勤務していた清久さんは、雑誌に掲載された山が好きな民宿経営のパートナー募集という育さんの投稿を目にします。縁あってご結婚されたお二人が開業にこぎつけたのが2004年の初夏。それは春遅い大鳥の山々で、木々の芽吹きと同時に山菜が一斉に出揃う季節です。萌えたつ青葉の季節に吹く爽やかな風を意味する「青嵐」が、お二人の新たなスタートとなる宿の名となりました。

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【photo】朝食が用意されるのは、存在感のある太い梁が渡された青嵐舎のダイニングルーム(左写真)。明治以降、盛んに行われた養蚕の記憶を留める糸車や、階上への梯子などが室内に配置される(右写真)

 宵の竹灯籠まつりと屏風まつりが珍しく同時開催中だったその日は、「味匠 喜っ川」での塩引鮭調達を主目的に新潟・村上〈Link to backnumber 〉を経由して大鳥に向かいました。その道筋には本来3つの選択肢があります。まずは朝日連峰を横断する険しいダート道が延々と続く朝日スーパー林道。もうひとつは新潟県内では内陸部を進むR7を経て鼠ヶ関・鶴岡市街に至る一般的なルート。そして景勝地「笹川流れ」を経由して日本海沿いを北上、鼠ヶ関の手前でR7に合流するコースです。

arasawa_zuidou.jpg【photo】大鳥鉱山で採掘される鉱石を搬出するため、1954年(昭和29)に竣工したトンネルのひとつ、荒沢ダムの脇を通る笹根隧道(全長425m)。素掘り区間もある荒沢隧道(同682m)ともども、薄暗い洞内にはしばしば霧が立ち込め、荒れ果てた舗装面は滴り落ちた地下水が小川となって流れている。すれ違いが困難な3.5m という幅員のため、のちに待避所が洞内に設けられた

 距離的に最も近い朝日スーパー林道は、山形県側で頻繁に起こる土砂崩れのため、しばしば通行止めとなります。事前に青嵐舎の斜め向かいにある旅館「朝日屋」に電話でスーパー林道が通行止めであることを確認していたため、その日は笹川流れを経由することにしました。たとえ遠回りでも、そのルートは、道すがら日本海の逸品を入手できるからです。後日ご紹介するユニークな鮮魚店や塩工房に寄り道しながら、西方から迫り来る真っ黒な雨雲に追われるようにして古い隧道を抜けて宿に着いた時、時刻は16時15分を回っていました。

sapori_monti_seiran.jpg【photo】青嵐舎の玄関先には、実りの秋を迎えた豊かな山の恵みがあふれていた

 ご夫婦とともに宿の玄関先で出迎えてくれたのは、愛猫のミューと豊かな山の実りの数々。アケビ、百合根、ヤマグリ、ヤナギシメジ、マスタケ、ブナハリタケ、マイタケ、モダシ・・・。すべて背後に広がる山の豊かさを物語る天然物です。独特の香りが心地よい高野槇(コウヤマキ)のお風呂で一息つき、ご主人自慢のMarantz 製スーパーオーディオCDプレーヤーで、バッハのゴルドベルク変奏曲を聞くうち、にわかに窓の外を驟雨が襲い始めました。グレン・グールド奏でるピアノとフォルテモで屋根を叩く雨音が心地よい旋律となって、穏やかな時が流れてゆきます。

libri_seiransha.jpg【photo】 2 階には客室のほか、こうしたマタギの里らしい蔵書類やCDが用意された談話スペースがあり、思い思いの時間を過ごせる

 数多い蔵書の中から、大鳥に関する記述がある本や、宿を訪れた著者のサインがある邂逅の森に目を通すうち、「食事の準備ができました」と階下から声が掛かりました。100年以上を経たという古民家の部材を使った太い梁が架かる和屋には、マタギであり、キノコ名人でもある育さんの父・工藤 朝男さんと、清久さんが山から採ってくる豊穣なる山の恵みを活かした心尽くしの料理が用意されていました。

 店で売っているものではなく、地元・大鳥で採れたものを提供するというのが、青嵐舎の揺るがぬ信念です。聞けばその日の朝、朝男さんは山中で30kgを越える巨大天然マイタケ(!! )を発見、背負いきれず、半分ほどを持ち帰ったのだとか。そんな山の豊かさを雄弁に物語る料理と、食後に待っていた山里ならではのとっておきのお楽しみについては、また次回

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山里の小さな宿 青嵐舎

鶴岡市大鳥字高岡55-18
Phone : 0235-55-2508
U R L : http://www14.plala.or.jp/seiransya/
E-mail : seiransya@zpost.plala.or.jp
宿 泊 : 1泊2食付 かたくりコース 8,700円
            すみれコース 7,500円(※ 登山 ・ 釣り ・ ツーリング向け)
      素泊まり   5,000円
      洗面用具・タオル・パジャマ類は持参、館内禁煙
      大鳥池・以東岳周辺ガイド 日当10,000円より応相談

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2010/08/29

種を受け継ぐ人

外内島キュウリ @ 鶴岡

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 鶴岡市外内島(とのじま)地区に伝わる在来野菜「外内島キュウリ」の存在を初めて知ったのは、2003年(平成15)夏のこと。春に赴任した山形営業所で、初めて庄内地方を訪れた5月初旬のある日、櫛引町(現・鶴岡市) の「地場イタリアン」なる看板が立つ店にふらっと昼食に寄ったのが、すべての始まりでした。〈Link to backnumber〉さもない店の外観とは裏腹に、訪れるたび出される料理の素晴らしさに驚愕、目まぐるしいほどに切り替わる旬の地元食材を使った料理の背景を探るため、週2 回ペースで庄内に通い始めていた頃のことです。

【photo】残雪の月山を望む畑に立つ外内島キュウリの生産者、上野 武さん(71歳・右写真)

tonojima_shoyunomi.jpg【photo】上野さんから頂いた朝採り外内島キュウリを、鶴岡・井上農場から頂き物の自家製の絶品「しょうゆの実」で頂く。みずみずしくもすがすがしい庄内の夏の味(左写真)

 鶴岡市内の書店で手にした庄内地方のタウン誌「庄内小僧」8月号の「在来野菜探訪記」というページに目が留まりました。金沢の在来野菜「加賀太キュウリ」のような瓜ざね型をしたキュウリが 3 カ面にわたって紹介されています。早くから地域ブランドとして確立した金沢の加賀野菜と同様、いえ、それ以上に数多くの在来作物が存在する庄内地方。在来種の存在意義が今ほどは地元でも理解されていなかったその頃、かけがえのない種が急速に数を減らしていました。

【photo】 庄内浜では口細ガレイと呼ぶマガレイの水分をわざと飛ばすよう火を通し、みずみずしい外内島キュウリをソースがわりにするアル・ケッチァーノ奥田シェフのスペチャリテ「口細ガレイと外内島キュウリ」2005年バージョン(下左)と、生と塩もみした二種類のキュウリを合わせる進化をした2006年バージョン(下右)
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 特集は在来作物の価値に目覚め、学術的なアプローチをその頃から始めた山形大学農学部の江頭 宏昌助教授(当時)と、地元でも忘れ去られようとしていた在来作物に光を当て、比類なき輝きを放っていたアル・ケッチァーノの厨房を取り仕切る奥田 政行シェフが生産者を訪問、それぞれの立場から作物の紹介を行うものでした。地元向けに在来作物の価値を紹介するこのシリーズは、2年後の春に地元紙で連載が始まった「やまがた在来作物」と、それを一冊にまとめた労作「どこかの畑の片すみで〈Link to backnumber 〉」、さらに今年出版された続編「おしゃべりな畑」として実を結んでゆきます。足元を見つめ直す一連の動きの先駆けとなった外内島キュウリを紹介する特集は、他愛のない記事が並ぶ庄内小僧の中で(笑)、唯一ココロに訴えるものがありました。

tonojima_2010.5gatsu.jpg【photo】5月中旬。定植したばかりの外内島キュウリ

 疲弊した農村を元気にしたいからと、国内外を問わず神輿に乗る現在の奥田シェフ。理由はどうあれ、店を不在にする時間が増えた中でメディアを通して発信される情報と、店の実像との乖離が当然の帰結として生じています。虚像が一人歩きをしている現在とは違って、料理に全力投球していた2003年。料理人の本分である厨房を離れる唯一の日だった定休の月曜にあたった6月23日は、日本海側を北上した台風6号がさほど大きな被害も出さずに去った暑い日でした。江頭先生と奥田シェフが連載1 回目の取材に訪れたのは、当時2 軒だけとなっていた鶴岡市外内島の栽培農家、上野 武さんのもと。

tonojima_2010.1.jpg【photo】収穫の最盛期を迎えた7月。今年はアブラムシにやられたという畑をご案内頂いた上野さん。特に小柄なわけではない上野さんと比較すれば、竹製の組み支柱に沿って伸びる蔓丈の大きさがお分かり頂けるかと

 残念なことに当時の画像データがPC のトラブルでもはや残っていないため、記録していた当時の料理の写真をお見せできませんが、こうして外内島キュウリの存在が初めて地元で紹介された時、毎年7月1日に解禁となる県下屈指の清流、温海川流域の天然鮎の塩焼とともに夏の香りを運ぶ生の外内島キュウリをアル・ケッチァーノで食していました。そこで奥田シェフが席まで持ってきた調理前の外内島キュウリを初めて目にしたのです。若草色の果頭部、特に蔓の付け根付近に顕著な苦味を感じ、白っぽい下半分が甘い外内島キュウリは、グリコのように一粒で二度美味しい個性的かつ不可思議なキュウリでした。
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【photo】上野さんの身の丈より高い場所にあるキュウリの収穫には自作した竹製の収穫棒が欠かせない。食べ頃を迎えたキュウリを下から持ち上げるようにすると・・・(左下写真へ)

 庄内と内陸を結び、山岳信仰の霊場・出羽三山への参詣路でもあった古道・六十里越街道は、現在の鶴岡城址公園付近から外内島地区を通り、十王峠から御神域となる月山越えの後、内陸地方へと続いていました。その道筋にあたる旧櫛引町東荒屋地区で赤川を渡った先は「弘法渡し」と呼ばれています。その名が示す通り、街道沿いの外内島には、弘法大師(空海)にまつわる言い伝えが残っています。

tonojima_2010.3.jpg 【photo】内側に返しがついた受け部分にはご覧の通り、見事キャッチされた外内島キュウリが入る(左写真)

 庄内小僧の取材が行われた日と同じく、遠い昔のとある暑い夏の陽盛り、一人の高僧が出羽三山に詣でる道すがら、のどの渇きを覚えて外内島の民家に立ち寄ります。想像するに家人から「これ食うかい? (^O^)_0 ...(-_- ;) 」とさりげなくギャグを交えて勧められたのが、その地で育つキュウリでした。それを食した高僧は忽ち元気を回復、月山へと向かったのだといいます。それが弘法大師であったと今日まで語り継がれてきました。

tonojima_hatsuko.jpg【photo】目のまわりを除いて顔を覆い隠す庄内地方伝統のハンコタンナ姿で収穫した外内島キュウリを手にする奥様の上野 初子さん(右写真)

 今年がそうだったようにアブラムシや葉ダニなどの害虫がつきやすく、天候不順のもとで発生するベト病への耐性が低いなど、栽培が難しい一面を持つ外内島キュウリ。着果するのが葉5枚間隔前後で、最近主流となっている保存がきく品種ブルームレスと比較して収量は決して多くありません。加えて外皮が薄いために収穫後の保存が利かないことから、地元消費が主で、流通経路に乗って対外的に知られることはありませんでした。味はそこそこながら生産効率が高いために普及したブルームレスのような新品種に押される形で個性的な外内島キュウリは次第に姿を消してゆきます。10年ほど前には種を守るのは上野 武さん・初子さんご夫妻だけとなっていました。

tonojima_seed01.jpg 【photo】 葉が枯れ始める7月末。出来の良さそうな個体は採種用にするため、蔓に目印をつけて収穫せずにおく

 3m 以上の丈になる外内島キュウリは、ハウス栽培ではなく露地栽培されます。育苗ポットから5月中旬に定植、収穫期間は 6月下旬から7月末までと長くありません。蔓を這わせるのは、市販の樹脂コーティングされた逆U字型のスチール支柱ではなく、自ら毎年X 状に組む竹製の支柱。これは多くの葉を付け旺盛な成長力が得られるよう芯止めをしないから。先端に受けを設けた長さ1.5 m ほどの手製の収穫棒を用いるなど、上野さんは手間と愛情をたっぷりと注ぎ込んで、生食や酢漬けなどで慣れ親しんだ味を守ってきました。

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 【photo】 完熟して表面に無数の亀裂が生じた翌年の種採り用となる外内島キュウリ(左写真) 中には種がビッシリと詰まっている(右写真)

 あらかじめ採種用に目をつけておいたキュウリが黄色から茶褐色に完熟して変色し、表面に無数のひび割れが生じるまで蔓に付けたままで採らずにおきます。葉がすっかり枯れる8月直前に収穫した後、一週間ほどそのまま置いておき、中から種を取り出して沈潜法により選別、翌春まで大切に種は保管されます。

 藤沢カブの商品化をいち早く手掛けた鶴岡市大山の漬物店「本長」の本間 光廣社長が、2002年にJA鶴岡の外内島地区担当者から、ただひとりで栽培を続けていた上野さんの存在を聞き、漬物として商品化することを打診します。それが自分もそろそろ生産をやめようかと限界を感じ始めていた上野さんの背中を押す格好になります。かつては外内島キュウリを作っていた近隣に住む上野 勇さん・幸子さん夫妻にも声を掛け、長い歴史を持つ種が守られます。以降、本長では毎年一定量を買い取って、味噌漬や洋風のピクルスとして加工、郷土の味を提供しています。

tonojima_picrus.jpg honcho_oyama.jpg tonojima_picrus2.jpg 【photo】 鶴岡の造り酒屋街・大山にある漬物処「本長」(中写真) によって洋風のピクルスとして生まれ変わった外内島キュウリ(右写真)。酸味のすっきりとしたその味は、スライスした完熟トマトと頂いてよし、カレーライスに添えてもよし。味噌漬ともに525円(税込)

 近年では、収量確保のため農業試験場が試験栽培を行って栽培方法の改良に向けた研究に取り組んだ行政の後押しや、上野さんのお孫さんが通う市立斎(いつき)小学校の子どもたちが学校で栽培を始めるなど、新たな動きがありました。tonojima_pomodoro.jpg2003年秋に発足した山形在来作物研究会の努力によって、在来野菜の価値が地元で広く認識されるようになった現在では、小真木・民田など近隣の地区でも栽培を始める農家が出てきました。これまでは収量が少ないために一般には流通しなかった外内島キュウリが地元の産直施設に今年初お目見えするなど、徐々に広がりが生まれています。

【photo】 樹熟ならではのたっぷりと詰まった感動モノの旨味は変わらぬものの、酷暑のため割れが多数発生した今年。商品化できないトマトをお土産にと頂いた鶴岡・井上農場産の桃太郎。外内島キュウリのピクルスをカット、さっとオイルをふれば、超・簡単夏バテ防止の一皿に

 ひときわ暑さが厳しかった7月中旬、体を冷やす効果がある外内島キュウリを譲って頂こうと、上野さん宅を訪ねました。作業小屋の中においでだった上野さんご夫妻から、鶴岡出身の映画監督・渡辺智史さんによる長編ドキュメンタリー映画「よみがえりのレシピ」の撮影が始まり、上野さんが撮影対象となったことを伺いました。
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 在来作物を守り伝える人にスポットライトを当てるこの映画には、ご縁を結んだ生産者が数多く取り上げられるようです。移り変わりの早い刹那的な時代にあって、揺るがぬ価値を持つ地域の宝物を守る心揺さぶる生き方をしておいでの方ばかり。あぁ、来年秋の公開が待ち遠しい。
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2010/07/04

消えゆく山里の暮らし

幻の山里・長滝

nagataki_01.jpg 鶴岡の南西、田川地区にかつて長滝という小さな集落が存在しました。あえて過去形で語るのは集落に至る狭隘な山道が除雪されないため、冬は雪に閉ざされ往き来が困難となり、現在そこに暮らす人がないからです。住民はいないものの、荒れ果てた廃村というわけではなく、昭和50年代に集団で鶴岡の市街地に移住した人々が、かつて過ごした山での暮らしを懐かしむように、春から秋にかけて行う野良仕事のために通ってきます。

【photo】長滝へと向かう道すがら、地名の由来となった岩肌を流れ落ちる細長い滝が流れ込む谷あいの渓流沿いに建つお社

 摩耶山系の金峰山(きんぼうさん)・母狩山(ほかりさん)一帯は、かつてブナの原生林でしたが、木炭用に伐採が進み、植林された杉の二次林が今では多く見られるようになりました。それでも長滝に向かう道沿いのシダ類が生い茂った林は、原始の風景を連想させます。道沿いを流れる少連寺川の上流域の渓流が数段の長い滝のように流れる場所には小さなお社が祀られており、岩肌を流れ落ちる清冽な水とともに長滝という地名の由来と考えられます。清らかな気がみなぎるそのパワースポットを過ぎると、間もなく人の手が入った田畑の先にひっそりと佇む砂谷(いさごだに)長滝へと至ります。

nagataki_07.jpg 【photo】集落の入口に引かれた水をポリタンクに汲む子ども連れの家族

 住民の高齢化によって、地域としての機能保持ができなくなる限界集落は、日本各地に存在します。これは命の糧を生み出す農漁村をなおざりにしてきた我が国の当然の帰結です。国交省によれば住民の過半数を65歳以上の高齢者が占める限界集落は全国に7,878件あり、東北にはその一割が存在するといいます。

 暮らす人のない長滝は、もはや限界集落ではなく、廃村と呼ぶべきでしょうが、私がそこを久しぶりに訪れた今年の5月中旬、家の改築を行っている人と出会いました。長滝には鎮守の大鳥神社のほか、かつて人の暮らしがあった痕跡を残す家の苔むした土台だけが残る区画と、わずかに数軒の人家が残っています。庄内ナンバーの車で畑仕事の手伝いに来ていた小さな子ども連れの夫婦が、路肩に引かれた水を汲んでいる姿もありました。

nagataki_02.jpg 【photo】ご婦人に教えてもらった更地となった廃屋跡のスイセンが咲く水場に引かれた水は、口当たりの良い中硬水だったものの、飲むとすぐに喉が渇くので、沢水のようだった

 その水を味見しようと道端に停めていた仙台ナンバーの私の車を見て、「あら、仙台から来たの」と一人の女性が声をかけてきました。閉鎖的な山里では、ジロジロと排他的な視線を向けられることが時としてありますが、山形在任当時にも幾度となく体験したこうした敷居の低さは、北前船や出羽三山信仰で人の往来があった庄内地方ならではのことです。ひょっとすると庄内にシンパシーを持つ私が、庄内人と共通のオーラを発しているのかもしれません。60歳代とお見受けするその女性は、廃屋跡に引かれた水を指差して「こっちの水のほうが美味しいし、汲みやすいよ」と見ず知らずの私に教えてくれました。

nagataki_04.jpg【photo】1979年(昭和54)まで冬季間は分校としても使われた旧田川公民館長滝分館

 周囲の山からはキツツキが木を突く乾いた連続音や野鳥の歌声が聞こえてきます。かつて市立田川小学校冬季分校としても使われていた旧田川公民館長滝分館の前に咲く山桜に見とれていると、手前に建つ木造の建物の中から作業着姿のご夫妻が出てきました。今は空き地となった公民館の手前に建っていた家で暮らしていたというご夫妻。「サクラがきれいでしょ」と話しかけてきたお二人と軽く挨拶をして太いゼンマイを塩もみして日干しする作業のかたわら話を伺いました。

nagataki_06.jpg【photo】虫除けの網で覆われたその表情は読み取れないものの、おそらく飛びきりの笑顔でシイタケを差し出す奥様。初対面の私にかけて頂いたご厚意にもかかわらず、ご夫妻のお名前も聞かぬままお別れしてしまった

 かつて過ごした長滝の野良仕事が好きで、今も週末になると弁当を持参して日がな一日を過ごすこと。集落のはずれにとても美味しい湧水があること。かつての住民同士、今も助け合いながら田畑の仕事をしていること。私もよく利用する仙台北環状線の建設工事にご主人がかつて出稼ぎに行ったこと...。そこには「普請」という日本のムラ社会が持っていた相互扶助の精神がきちんと息付いているようでした。

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 庄内とは妙に水が合って頻繁に来ているんですよと語る私に「これ、持って行って」と採れたてのシイタケを二つ差し出す奥様に御礼を言ってお別れしました。今から30年以上前に途絶えた長滝での暮らしを懐かしんで足を運ぶこうした人たちのように、10年後、20年後にこの山里を耕す人がいるのだろうか?という疑念を打ち消しきれぬまま、長滝を後にしました。

【photo】耕作放棄地を少なからず目にした長滝への道すがら、山あいの田んぼでひとり黙々と仕事をする年老いた農夫の姿があった

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2010/06/06

孟宗尽くし 〈後篇〉

北限の孟宗筍を食べ尽くす@湯田川温泉

anecha2_2010.5.jpg【photo】鶴岡市羽黒町高寺は赤川対岸の谷定・滝沢・湯田川などの金峰山周辺、新潟県境の鼠ヶ関に隣接する旧温海町早田(わさだ)に次ぐ南庄内における孟宗筍の産地。5月を迎えた同町狩谷野目の産直「あねちゃの店」には、缶詰加工用の孟宗が山と持ち込まれ、一人当たりの年間消費量が日本一といわれる孟宗好きな庄内人の一面がうかがえる

 保存用の缶詰に加工するため持ち込まれる孟宗が店の外にうず高く積まれ、豊富な山菜で溢れかえる店内。全国各地にあまた産直はあれど、山菜シーズンになると山の豊かさを物語るこんな稀有な光景が毎年見られるのは、鶴岡市羽黒町の産直「あねちゃの店」です。そこから素材を調達している「アル・ケッチァーノ」初夏の人気メニュー、月山筍の生ハム巻フリット風に自宅で生ハムを巻いてフェンネルとともにオリーブオイルで揚げて塩で食する月山筍(ネマガリタケ)が出始めていることを確認し、佐藤 典子店長に「明日また来ますね」とお伝えして店を後にしました。

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 すぐ近くの「竹の露酒造場」で仕入れたのは、一升瓶入りのミネラルウオーター「月山深層天然波動水」として昨年商品化された超軟水の仕込み水です。仙台在住ながら月山・鳥海山のおかげで良水に恵まれた庄内の伏流水が飲料水のおよそ8 割を占めるという特異な事情を抱えた我が家。浄水器を設置してもなお、ダムの水では飽き足らないのです。

【photo】食の都・庄内のショールームさながらの「あねちゃの店」。天然キノコが店頭に並ぶ秋と並んで、孟宗ほかさまざまな山菜〈⇒ コチラ をクリックで拡大が揃う 5 月~6 月は、奥深いこの店が一層輝きを増すワンダーランドと化す

 水を確保したうえは、普段使いのパスタメーカー、イタリア・アブルッツォ州の「DE CECCO デ・チェッコ」と並ぶ私の二大カロリー供給元を訪れなくてはなりません。お米を購入するため、4kmほど離れた竹の露酒造場と同じ月山水系の下流域に水田がある「井上農場」に向かいました。寒さのため平年より10日ほど遅れているという田植えの手伝いで、ご主人の井上 馨さんとご長男の貴利さんはご不在でしたが、自宅に伺って二種類の特別栽培米各5 kgを入手、私が庄内系たるゆえんの四方四里はおろか、四方一里で水とコメを調達しました。

soma_takenotsuyu.jpg【photo】一般には流通しない「竹の露ササニシキ純米吟醸」

 田植え作業中にお邪魔した「月山パイロットファーム」の民田ナス特別仕様辛子漬などの入手困難な漬物類は、こちらが購入を申し出た3倍の量が入っており、いつもながら申し訳ないやら有難いやら。作付けする特別栽培米ササニシキの一部を竹の露酒造場に醸造を委託、創業者の相馬 一廣さんが、夜な夜な晩酌用に楽しまれる「竹の露 ササニシキ純米吟醸(非売品)」まで土産にと2本頂いてしまいました。こうして竹尽くしの様相をすでに呈しながら湯田川に到着した時、時刻は17時30分を回っていました。

 あわただしい日常に追い立てられる体を優しく解きほぐしてくれる独特の柔らかな湯ざわりは、入ってよし飲泉してよしの湯田川温泉ならではのものです。7年前、1年間だけの山形在任中に相当数をこなした県下の温泉の中で、最も気に入ったのが、すべての入浴施設が源泉かけ流しという贅沢極まりない湯田川のシルキーなお湯でした。ますや旅館の檜風呂で一息ついた後は、お待ちかね孟宗尽くしの夕食の時間です。

 これまで幾度となく投宿してきたますや旅館ですが、いつも夕食は外で済ませるために、宿の夕食を頂くのは今回が初めてでした。アク抜きの必要がない地物の孟宗をさまざまに調理した旬の献立が所狭しと並ぶ夕餉は、期待に違わぬものでした。
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◆孟宗尽くしの膳 (クリックで拡大画像を表示します)
焼物・・・サクラマス・孟宗焼
刺身・・・・鯛・タコ・さっと湯がいて冷水に浸した孟宗
・あんかけ・・・胡麻豆腐・梅そうめん・百合根
煮物・・・孟宗・鶏もも・一口こんにゃく・サヤインゲンの赤唐辛子入り醤油煮
揚物・・・孟宗・山ウド・だだちゃ豆の唐揚
焼孟宗・・・ホイル包み焼した生孟宗
・おかみ乃おへぎ三品
       孟宗・キュウリ・きくらげの胡麻ドレッシング和え
       孟宗の姫皮・山ウドのカレー風味炒め
      生わらび生姜添え
・香物・・・白菜・キュウリの浅漬
masuya_kappozake.jpg汁物・・・孟宗汁 鍋仕立て
ご飯・・・薄皮入り孟宗ご飯
・デザート・・・メロン・イチゴ

【photo】ますや旅館の「かっぽ酒」。竹の露 純米酒をお銚子代わりの竹の節に開けた穴から中に入れて燗をつける。鹿威し(ししおどし)のように斜めにされた太竹の中で竹の香りがついた燗酒を、竹の枝で作ったお猪口で頂くという孟宗の里ならでは風情ある呑みかた

 デザートを除く12 品中9 品が孟宗料理という、孟宗に始まり孟宗に終わる文字通りの孟宗尽くし。質実剛健の気風が息づく城下町・鶴岡らしい虚飾を排した料理のしつらえといい、湯田川ならではのお膳にふさわしいとお願いしたのが、「竹の露 純米酒」のかっぽ酒でした。かっぽ酒は切り出した青竹の節に一カ所穴を開けて、中に酒を入れて直火で燗をつける湯田川らしい飲み方。自前の竹林を所有するますや旅館では、青竹の香りが溶け出した燗酒を竹のお猪口で頂くという風流な演出で美酒を楽しめます。注文を受けてから若女将のご主人である齋藤 良徳 専務が竹林へと向かい、剣豪・宮本武蔵も顔負けの見事な切り口を金ノコで仕上げた孟宗竹のかっぽ酒をご用意いただきました。

 翌朝 5 時30分、山でひと仕事終えてきたという齋藤専務とともに竹林へと向かいました。目的はもちろん朝採りの新鮮な孟宗。実は20日ほど前に右足首のじん帯損傷(部分断裂)という結構な重傷を負っていたため、筍掘りを断念しようかとも思ったのですが、絶好の筍掘り日和に恵まれたため、テーピングで固めた足で竹林へと向かいました。食への探究心はいかなる痛みにも勝るのです。温泉街の南端にある山の北東斜面がますや旅館の広大な竹林です。前日の夕方のうちに、めぼしいに場所に立てておくという目印が斜面のあちらこちらに立っています。筍掘り専用の小型の鍬を手に、朝露に濡れた粘土質の滑りやすい斜面を不自由な足で登り始めました。

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【photo】4時30分から収穫を始めたというますや旅館の齋藤良徳専務は次々と孟宗(中写真)を掘り出す(右写真)ウチの娘も孟宗掘りに挑戦(左写真)

 地元鶴岡から訪れる日帰りの食事客が多い日曜日のため、4時30分に一足早く山に入ったという齋藤専務は、すでに60キロあまりの孟宗を一時間弱で収穫していました。私は右足の踏ん張りが全く利かないため、地下茎から生えている孟宗の根を掘り出すために、おのずと上半身のみの力に頼ることになります。粘土質で滑りやすい斜面の移動も思うようにはいきません。いやはや、これは腰にこたえました。もたつく私をよそに齋藤名人は次々と孟宗を掘り出し、あっという間に肩に掛けたケースが一杯になってゆくのでした。

saitou_senmu2.jpg 【photo】足元がおぼつかない私がやっとの思いで1本掘り出す間に、少なくとも5本は収穫する齋藤名人。あれよあれよという間に肩にかかるケースは孟宗で埋め尽くされていった

 それでも家族3人で1人では両手に持ちきれないほどの収穫を得て宿に戻ったのが 6 時30分すぎ。宿と隣り合わせの船見商店とその先のJA鶴岡湯田川出張所の前には人だかりができていました。ちょうど朝掘りの孟宗が持ち込まれ、宿泊客らがそれを買い求めようと集まって来ていたのです。朝7時前だというのに、整理券を配って入場制限をしているJA鶴岡の中はさながらバーゲン会場のような熱気が渦巻いていました。

 朝風呂で汗を流した後、朝食に出た汁物は昨夜の孟宗汁とは違って、厚揚げと生椎茸が入らないザク切りの孟宗だけが具として入った孟宗汁。エグミの無い湯田川孟宗の美点を味わうにはピッタリでした。masuya_asajiru.jpg金峰山を挟んで湯田川の北東側には滝沢・谷定といういずれ劣らぬ孟宗の産地があります。ここでは個人的な好みは申しませんが、庄内の孟宗と出合って7年目の経験から、産地ごと微妙な差異があるように感じます。

【photo】ひと仕事終えて戻ったますや旅館の朝食に用意される孟宗汁には、定番の厚揚げと干しシイタケが入らずに、これでもかと言わんばかりにざく切りの孟宗が。旬の産地ならではの贅沢な一杯

 まだ雪が残るうちにチッソ系肥料を散布する手入れが行き届いたますや旅館の竹林。収穫後は翌年の収穫を左右する地下茎の手入れのため、三大栄養素の補給を心掛けるのだといいます。収穫が少なかった昨年と比べ、今年は冬場の大雪で根元から竹が折れる被害が出たり、寒さが響いて孟宗の出が遅かったものの、涼しさが幸いして6月に入っても一日100キロ以上の収穫があるそうです。間もなく今年の孟宗シーズンも終わりを告げるでしょうが、年間を通してきめ細かく竹林の世話をしなければ、美味しい孟宗は採れないと齋藤さんは言葉に力を込めるのでした。

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ますや旅館
 鶴岡市湯田川乙63
 phone:0235-35-3211
 URL: http://www.yu-masuya.com/

◆ 宿泊者限定「孟宗掘り体験」 / 「おかみ乃おへぎ」については
湯田川温泉観光協会
 Phone:0235-35-4111
 URL:http://www.yutagawaonsen.com/
  1:湯田川温泉 孟宗掘り体験
  2:おかみ乃おへぎ
    でご確認を

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2010/06/05

孟宗尽くし 〈前篇〉

北限の孟宗筍@湯田川温泉

fujisawa_primavera.jpg 筍(タケノコ)という字は「竹」の「旬」と書きます。地ものの筍は、せいぜい一カ月ほどの間にだけ食することができるまさに旬の味。名産地といわれる鹿児島・福岡・京都・静岡など、その優劣はさておき、採れたての新鮮さが味の決め手となる極めつけが筍です。掘りたてを生のまま薄切りにして砂糖醤油にさっと浸して口に含むと、リンゴのように爽やかな香りが鼻腔をくすぐります。これは、はるばる産地から陸送された挙句に鮮度が落ち、外皮が黒ずんでえぐみが出た筍では到底味わえない産地ならではの醍醐味と言えるでしょう。

【photo】5月中旬に訪れた鶴岡市湯田川に隣接する藤沢地区の孟宗竹林。タケノコがニョキニョキ頭を出した竹林の先に広がっていたのは・・・(下写真へ)

fujisawa_primavera2.jpg【photo】昨年10月末に実施した「食の都・庄内 豊かな実りと癒しのバスツアー」【Link to back number】で畑を訪れた藤沢カブが、今年も種を付けるべく花を咲かせていた。ツアーにご参加頂いた方は、拡大画像が開くコチラをクリック プリーズ。ニホンミツバチが蜜を吸おうとしきりに飛び交う黄色く染まった山中の畑へワープできます

 京都出身の芸術家・料理家であった北大路魯山人(1883-1959)は、著書「魯山人味道」(中公文庫)で「関東のそれは場違い」と切り捨て、「洛西の樫原が古来第一」と述べています。日本画家・東山魁夷(1908-1999)が描いた「夏に入る」(1968 市川市東山魁夷記念館所蔵)を転写したかのような美しい竹林が残る京都府西京区樫原や塚原では、地表から頭を出す前の柔らかな「白子」と呼ばれる孟宗筍を一級品として扱います。現在の京都府西京区一帯は、都市化が進んで魯山人の時代とはすっかり趣を異にしていますが、郊外の里山に残る竹林を大切に守る人々の心は、今も脈々と受け継がれています。

 いささか贔屓目のきらいがある魯山人の意見には、世に言う京都人としての顔が見え隠れします。この考えを「短見」であると真っ向から異を唱えているのが伊藤 珍太郎(1904-1985)です。酒田市の名家に生まれ、上智大卒業後に講談社編集局勤務を経て満州に渡り、シベリア抑留ののちに昭和34年から酒田市の助役を12年務めた人物です。郷土史家・随筆家としての顔を持つ生粋の庄内人は、名著「庄内の味」(庄内の味刊行会 1974年 / 改訂版 本の会 1981年)で、孟宗筍についてこう触れています。

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 孟宗は、特に味の真価をその鮮度に託しているものだから、掘りたての「地もの」の土の乾かぬうちに料理したものを味わってこそ、互いにその真価ははかられる。はるばる輸送のはてに八百屋の店先などに並べられたのでは、もはや産地はどこぞと問う要もない。 とどのつまり掘りたての味を知らずして、軽々に産地の優劣など語るなかれということです。その上で比較の味ではなく絶対の味においてこれ以上はそう望めない一流のものと断言するのが、産地としては北限にあたる南庄内の孟宗です。タケノコといえば庄内では孟宗筍を指し、単に孟宗と呼び習わします。

JAyutagawa2_10.5.jpg 【photo】故郷・鶴岡を離れ、東京で30年を過ごした藤沢周平が、食べ物の旨い土地から、さほど旨くない土地に来たことをようやく気付かせてくれたという序文を寄せた改訂版・庄内の味(上写真)
 JA 鶴岡湯田川出張所には、湯田川と藤沢・黄金・大泉といった近隣の生産農家80軒ほどが早朝に収穫した新鮮極まりない孟宗を持ち込む(下写真)

 山形大学農学部に本部を置く「山形在来作物研究会」会長の江頭 宏昌准教授は、同会が3年前に出版した「どこかの畑の片すみで」の中で、JA 鶴岡湯田川出張所に持ち込まれる朝掘り孟宗を買い求めるため、2005年5月5日朝6時15分、整理券をもらって2本の湯田川産孟宗を何とか入手、ご自宅で孟宗を使った代表的な庄内の郷土料理である孟宗汁に舌鼓を打った経験を書いておいでです。食べることが大好きと語る江頭准教授は、同書の中で庄内の孟宗は修験者が北前船で京都より持ち込んだという地元の言い伝えを紹介しています。

JAyutagawa_10.5.jpg【photo】まだ早朝7 時前だというのに、朝堀り孟宗を求めて人だかりができるJA 鶴岡湯田川出張所。温泉地で人の出入りが多い湯田川の孟宗は、知名度において抜きん出ている。日によって異なる入荷量によっては売り切れることもあるため、入場制限される販売所の前で整理券を手に待つ人たちは気が気でない面持ちで中の様子を覗き込む

 口で溶けてしまうほど繊維がキメ細かく、甘味とすこぶる高い香気があると魯山人が書いている孟宗筍。冷涼な北東北では、マダケやハチクが主流で孟宗の竹林を見ることがありませんが、宮城県でも温暖な県南の丸森で孟宗筍の狩りをした顛末をタケノコ取物語【Link to back number】としてレポしたのが一昨年。直射日光に長時間さらされずに表土が湿った粘土質、理想を言えば西日と強風の当らぬ赤土が適した孟宗筍ゆえ、生育環境の違いがもたらす味の差異を認識したのでありました。

 孟宗の産地・洛西にほど近い金閣寺を題材にした三島由紀夫の名作になぞらえれば、その時の心境とはこうでしょう。 それまでついぞ思いもしなかった想念は、生まれると同時に、破竹の勢いで力を増し、孟宗の如く大きさを増した。想念は妄想と化し竹皮に包まれた。その妄想とは、こうであった。『庄内の孟宗を喰わねばならぬ』

bosco_masuya.jpg【photo】手入れが行き届いた湯田川ますや旅館が所有する竹林

 しかしながら、昨年は旬の訪れが遅く、あっという間にそれが終わってしまった庄内。そのため孟宗の時期に訪れることが出来ずにいた5月中旬のこと。知人に宿の手配を頼まれ、湯田川温泉で定宿としている「ますや旅館」に電話をした折、今年は旬の孟宗を食べられそうもないとボヤいてしまいました。すると間もなく若女将の齋藤 生(いく)さんから山のように孟宗が届いたではありませんか。御礼の電話を差し上げる間もなく下茹でをした晩、料理上手な大女将の忠鉢 泰子さん直伝の製法で孟宗汁にして、思いもかけず旬の味を頂くことができました。
 
 孟宗の里として知られる湯田川温泉は、例年5月を迎えると孟宗尽くしの料理が並び、達人の指導のもとで孟宗掘り体験ができる「孟宗まつり」が開催されます。真冬の「寒鱈まつり」と並んで庄内系の血が騒ぐ季節の到来です。北島三郎の「♪ 祭りだ、祭りだ...(⇒ 余談だが、動画の冒頭で火花が吹き出す筒が孟宗竹に見える。これぞ孟宗まつり!?という威勢の良い歌声とともに頭の中は酒粕が効いた濃厚な孟宗汁のことで一杯。じんわり滲むヨダレに、これぞまさに妄想汁! などと、あらぬギャグも浮かんできます。行くことができなかった昨年の分まで、今年は庄内の孟宗を満喫するぞっ!! と意気込んで湯田川に向かったのが、盛りを迎える頃と事前に確認していた5月15日(土)でした。

2010.5omusubi_chikeiken.jpg【photo】鶴岡市西荒屋にある農家レストラン「知憩軒」のおむすびランチ(小鉢・コーヒー付 650円)は、前日昼までの予約なしでもOK。この日は自家栽培米コシヒカリをふんわりと握り、向かうところ敵なしの定番おむすびのほか、タケノコご飯、酒粕を使わずにあっさりと仕上げた孟宗汁、こごみ・コシアブラと和えた孟宗筍の小皿が付き、孟宗シーズン到来を感じさせてくれた

 孟宗汁を一杯100円で提供する「孟宗・山菜まつり」を開催中の「産直あぐり」をスルーして向かった先は、お馴染み鶴岡市西荒屋の農家レストラン「知憩軒」。予約無しでも頂ける「おむすびランチ」が目当てです。この日は藤沢カブの生産者、後藤勝利さんが前日ご自身の山から採って持ってきたという孟宗を調理した孟宗汁と筍ご飯が付いていました。いつに変わらぬ特別栽培米コシヒカリのおむすびの美味しさは無論のこと、昆布ダシで味付けした筍ご飯と白味噌で薄味に仕上げた孟宗汁で、孟宗に始まり孟宗に終わった庄内での二日間が幕を開けたのです。

 こうしていや応なしに夕食への期待は高まり、孟宗尽くしの妄想ばかりが雨後の筍のように次から次へと頭をもたげてくるのでした。

孟宗尽くし 〈後篇〉
北限の孟宗筍を食べ尽くす@湯田川温泉」に続く


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2010/02/21

宝谷カブ in 寒鱈まつり

鱈汁に垣間見た「蛸煮」の面影

「寒鱈汁、寒鱈汁、寒鱈汁。」(拙稿〈2010.1〉参照)より続き

 先月、3年ぶりに訪れた鶴岡の日本海寒鱈まつり会場で目にした「宝谷カブ」のノボリ。鶴岡市宝谷(ほうや)地区では、江戸・天保期にはすでに存在していたとされる在来作物、宝谷カブが作られています。青首ダイコンをぐっと小ぶりにし、中ほどで心持ち折れ曲がった細長い形状の白カブを、ひと頃はたった一人で種を守って自家用に生産を続けていた畑山 丑之助さんの存在を初めて私が知ったのは2003年(平成15)の冬、そして実際に口にしたのは翌年のことです。

hoya_kabu@zaisakuken09.jpg【photo】山形在来作物研究会の主催で鶴岡市の山形大学農学部を会場に2009年11月29日(日)に行われた公開フォーラム「日本の伝統野菜・在来作物のこれからを考える」。その会場に展示されていた宝谷カブ。一般に流通する規格のタガをはめられたお行儀のよい形状の青首ダイコンとは違い、思い思いの形に育つ宝谷カブの形状は実に個性的

 平成の大合併によって鶴岡市が東北一の面積となる以前、そこが櫛引町宝谷と呼ばれていた6年前の夏、初めて訪れた宝谷の印象は鮮烈でした。赤川に架かる王祇橋を渡り、黒川能が奉納される春日神社を過ぎると、やがて家並みが途絶え、田んぼと庄内柿の畑へと風景が変わります。庄内東部広域農道(通称:庄内こばえちゃライン)を突っ切ると、道は嫁入坂などの名前が付いたいくつもの曲がりくねった上り坂に。それは車のなかった時代、上るのにさぞ難儀したろうと思わせる胸突き八丁の急坂です。月山山系の山並みへと続くその坂道を3km近く進むと、突如視界が開けて山中に平坦な人里が現れます。そこが50世帯ほどが暮らすという宝谷でした。
 
 海抜250mの高台にある宝谷地区で栽培されるソバを使った蕎麦打ちや稲作などのグリーンツーリズム体験施設「ふるさとむら宝谷」が櫛引町によって整備されたのが1999年(平成11)。当時から地区住民の手で運営されてきた施設の先には、なだらかな棚田が続き、あぜ道を先に進むと手前には鶴岡、彼方には酒田の街並みが手に取るよう。

 高みからの視線の先には、緑なす庄内平野と遥か水平線まで海原が続く日本海、左手には母狩山と金峰山が迫り、頂を雲で覆われた鳥海山が描き出す大パノラマが広がります。遮るもののない展望が得られる宝谷には、かつて領地警護のための監視台が置かれていたそうです。

【photo】鶴岡・日本海寒鱈まつり会場においでだった畑山 丑之助さん

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 ふるさと村宝谷は、その頃頻繁に足を運んでいた同町下山添のアル・ケッチァーノ(以下、アルケと略)とは直線距離にして10kmと離れていません。素泊まりも可能なため、夕食をアルケで済ませるのには好都合でした。質量ともに満足のゆく奥田シェフ渾身の料理の余韻に浸りながら漆黒の闇を照らす車のライトだけを頼りに宝谷まで戻りました。

 昼に訪れた田んぼの先端まで移動すると、満天の星空に溶け込むかのように渾然一体となってきらめく人家の明かりが一望のもと。無数の星たちが地上に舞い降りたかのような下界の夜景は、息をのむほどの美しいものでした。

 その日宝谷を訪れたのは、私の定宿のひとつだった一日一組限定で宿泊客を受け入れる同町西荒屋の農家民宿「知憩軒」に先約があって泊まることができなかったのが直接の理由ですが、宝谷カブの里を見ておきたかったこともありました。地元で栽培されるソバで打つ「宝谷そば」を土日に味わえるふるさとむら宝谷の宿泊申し込み窓口となる櫛引町役場農政課の方に、ただ一人の生産者であった畑山さんの連絡先を伺い、事前に電話で畑山さんから話を伺うことができました。

houya_soba.2010.1.17.jpg【photo】鶴岡・日本海寒鱈まつり会場の宝谷地区の方々が運営する出店で寒鱈汁とともに販売されていた宝谷そば。薫り高い蕎麦を味わうには最も適したざる蕎麦で頂きたいところだったが、底冷えする屋外にずっといたため、かけそばで暖を取ることにした

 傾斜地ゆえに田畑の急なのり面を活用した焼畑農法で栽培されてきた宝谷カブは、積雪が比較的少ない庄内地方でも降雪量の多い山間部にある宝谷地区では冬場の貴重な保存食として大切にされてきました。甘味が増すよう雪室で生のまま保管したほか、漬物や葉を付けたまま味噌で煮込む「蛸煮」と呼ばれる郷土料理や、どんがら汁(寒鱈汁)の具材として広く用いられてきたといいます。

 しかしながら急斜面での作業は重労働。加えて出荷の際にヒゲ根を取り除く手間がかかる上、収量もさほど上がらないことから、地区の生産者仲間が次々と栽培をやめてゆく中、たった一人で作り続けていること。ちょうど播種をしたばかりというその年のカブは、美味しいからとそれまで続けてきた焼畑をやめ、交雑を避けるためにビニールハウス内で採種用だけに栽培する予定しかないことなどを伺いました。こうして日本の至るところで数多くの在来作物が消えていったのでしょう。70歳を過ぎ、一人で種取りを続けていた畑山さんの声は、心なしか寂しげで弱々しく聞こえました。

ushinosuke061212.jpg 【photo】2006年12月、雪化粧した鳥海山を望む宝谷の棚田で収穫作業にあたる畑山 丑之助さん <写真提供:東海林 晴哉氏>

 そんな畑山さんに転機が訪れたのが2006年(平成18)。絶滅の危機にある宝谷カブを作り続ける畑山さんを支援するため、地元行政の主導で民間有志が一口7,000 円で「蕪主」となる宝谷カブ蕪主制度を立ち上げたのです。蕪主は収穫された宝谷カブを配当として入手できるほか、真夏に行われる急斜面への火入れと播種、山里に雪が降り始める頃に行われる収穫作業に参加した後、宝谷カブを使った奥田 政行シェフと知憩軒の長南 光さんの手になる和洋の創作料理を味わう「蕪主総会」に参加する権利を得るというもの。4回目の開催となった昨年12月の蕪主総会では30人の蕪主にひとり4kgの配当がありました。

kabunushi071202.jpg 【photo】2007年12月2日(日)、そぼ降る氷雨の中、蕪主たちが宝谷カブの収穫を行った <写真提供:東海林 晴哉氏>

 食の文化遺産としての宝谷カブの価値(⇒「カブ価」と言うべきか?)をいち早く見出した山形大学農学部の江頭 宏昌准教授、奥田シェフ、長南 光さんらと、蕪主になった県内外の新たな食べ手の登場によって背中を押された格好の畑山さんは、郷里のカブに誰よりも誇りと愛着を持っていたはずです。この年、宝谷カブ本来の味を知ってほしいと考えた畑山さんは、蕪主と共に田んぼの急なのり面を焼畑にする本来の栽培法を2年ぶりに復活させます。連作障害を避けるため、鶴岡市藤沢の後藤 勝利さん・清子さんご夫妻が受け継ぐ「藤沢カブ」同様、毎年栽培場所を変えなくてはなりません。

 地域の歴史文化の生き証人としての在来作物への再評価の機運が高まる中、蕪主制度が始まった翌年、かつて宝谷カブを作っていた5人の生産者が栽培を再開します。寒鱈まつり会場でお会いした畑山さんによれば、今シーズンは畑山さんを含めて7名の方たちが宝谷カブを栽培したのだそう。かつて宝谷カブはどんがら汁に用いる具材として鶴岡でも人気があったといいます。

kandara_hoya.jpg【photo】往時を偲ばせる素朴さが魅力の宝谷カブ入り寒鱈汁。ひとり種を守り抜いた畑山 丑之助さんに感謝、感謝

 過去の蕪主総会の折に登場した宝谷カブを使った料理など約30点を紹介するレシピ集の発刊が来月末に予定されています。宝谷カブ主会事務局の蛸井 弘さんによれば、レシピ集2,000部はアルケや知憩軒で無料配布されるほか、生産者支援のために宝谷カブとセットで販売するなどの活用法が検討されています。4年前に始動した周囲の支えもあって復活しつつある宝谷カブを守ってきた畑山さんは今年で79歳。次の世代にカブが受け継がれてゆく確かな手応えを感じておいででしょう。

 「ガラをたくさん入れて下さいね~♪ 」とお願いした寒鱈汁には、宝谷カブもたっぷりと入っています。しっかりとしたカブの外皮を噛み切ると、優しい辛味と甘さが味噌と入り混じります。酒粕の入らない味噌仕立ての宝谷カブ汁を味わいながら、これに葉が付いていれば蛸煮になるのだろうか?と思いを巡らせました。ホロホロとした独特の食感を持つ宝谷カブを守り抜いて下さった畑山さんに感謝しつつ、宝谷そばを挟んで4杯目となる畑山さんの宝谷カブへの熱い思いも目いっぱい詰まった寒鱈汁を完食したのでした。

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2010/01/31

寒鱈汁、寒鱈汁、寒鱈汁。

雪ニモマケズ 風ニモマケズ
満腹ニモ冬ノ寒サニモマケヌ 鱈ノヨウナ丈夫ナ胃ヲモチ...。
@ 鶴岡 日本海寒鱈まつり

kandarajir2009.1.24.jpg というわけで、今年も行って参りました。「鶴岡 日本海寒鱈まつり」。庄内地方では、極寒の庄内浜で水揚げされる脂が乗ったマダラを寒ダラと呼び、とりわけ珍重します。そのため庄内浜に水揚げされるマダラには、万単位の浜値がつくことも珍しくありません。そんな高価なマダラの全身を余すところなく使った味噌仕立ての「どんがら汁」こと寒鱈汁は冬の庄内では欠かせない味覚。寒さが最も厳しい1月中旬から月末にかけて、庄内各地では屋外で寒鱈汁が振舞われる寒鱈まつりが催され、多くの人出で賑わいます。寒ダラと寒鱈まつりについてはコチラをチェックプリーズ。

【photo】脂が乗った寒ダラを味噌仕立てで頂く寒鱈汁は厳しい冬の庄内ならではの醍醐味

 昨年は大雪警報が発令される猛吹雪の中を駆けつけた酒田 日本海寒鱈まつり、一昨年は味の決め手となるアブラワタこと肝臓などの内臓や骨などのガラをたっぷりと使う地元で人気の高い由良の寒鱈まつり、その前4年間は鶴岡と掛け持ちで酒田・由良の寒鱈まつりに出掛けています。寒鱈汁は野菜の有無とガラの量、酒粕の有無など味付けが家庭ごとに異なります。寒鱈まつりは週末に催されるため、週替りで鶴岡・酒田と続く二週連続や、今年の鶴岡と遊佐のように開催日が重なる場合は、ダブルヘッダーを組むことを強くお勧めします(笑)。

kandara2009.1.24.jpg【photo】警報が発令されるほどの大雪ニモマケズ馳せ参じた昨年の「酒田 日本海寒鱈まつり」会場のひとつ、酒田中町商店街。雪を吹き飛ばす強風が吹かずに一晩降り続いた雪によって、様変わりした翌朝の酒田の様子はコチラ〈clicca qui。除雪した雪によって丈が3m はあろうかという雪山が出現した書店の駐車場に停車するalfa Brera はミニカーにあらず

 2003年に庄内デビュー果たして以降、春先に催される「庄内ひな街道」や8月の「赤川花火大会」と同じく、寒鱈まつりに関してはこれまで皆勤賞。市街中心部の銀座通り商店街で行われる鶴岡 日本海寒鱈まつりには3年ぶり5度目の訪問です。一杯500円の寒鱈汁2食分と抽選券付きの前売りチケットはこれまで同様、当日会場で購入するつもりでした。しかしながら前日までに全て売り切れたとのこと。例年2万人が繰り出し、1万食が用意される寒鱈汁を食べ損なうことのないよう、正午過ぎに会場に到着したのですが、これは計算外でした。とはいえ、遠来の参加者のために現金精算もできるため、さっそく多くの人出で賑わう商店街へとLet's go! お目当ての店を探すため、商店街の一部が歩行者天国となった300m 区間をまずはひと巡り。寒鱈汁のみならず物販を含めて19 団体の出店がズラリと並びます。そのうち寒鱈汁を提供するのは12 団体。よほどの大食漢でもない限りは、一度にすべてを食べ尽くすのは到底無理な相談です。

kandara_spa2005.jpg この季節には寒鱈まつり会場から程遠からぬ「アル・ケッチァーノ」風寒鱈汁とも呼ぶべき岩海苔と共にグリッシーニをトッピングした寒鱈のとろけるようなダダミ(白子)が入ったクリームソース風味スパゲッティが食べたくなる私ですが、まずは毎回欠かさず立ち寄っている「商店街婦人部」の行列に直行しました。

【photo】荒ぶる冬の日本海の恵みがたっぷり詰まったアル・ケッチァーノ冬の絶品スペチャリテ「寒鱈のクリームソーススパゲッティ」。プリプリッとした半生の白子がクリームと共にトロけ出したら、も~タイヘン(上写真) 寒鱈汁の濃厚なコク出しに欠かせないのが、このアブラワタ(下写真)。鶴岡 日本海寒鱈まつり 商店街婦人部の寒鱈汁

kandara2_2010.jpg すると7年前から幾度かアル・ケッチァーノでも遭遇している地元選出の大物政治家がやおら登場、最初に気付いた12歳の娘に握手を求めてきました。選挙区民であろうとなかろうと、ここは応じるのが礼儀。家族揃っていささか社交辞令的に笑顔で握手を交わしたのでした。肝心のお味のほうはといえば、味噌と共に酒粕が入った私好みの味付けながら、たまたまかもしれませんが、今年は白身部分が多くガラが幾分少ないお上品な印象でした。これは観光客向けの味付けと言えなくもありません。家庭ごとの味があり、作り手によって個性が表れる寒鱈汁ゆえ、12 団体それぞれに味付けが異なります。これも寒鱈まつりを訪れる楽しみといえるでしょう。

 鶴岡魚市場青年部・鶴岡鮨商組合・授産施設 作業所月山など、おなじみの出店に混じって、終了間際に駆け込んだ3年前〈Link to back number〉には見かけなかったニューフェースな出店団体をいくつか見かけました。建設業から農業に新規参入、2007年より鶴岡市湯野浜温泉に隣接する庄内砂丘で神奈川の農業ベンチャー企業「アニス」がライセンスを持つ「アニス農法」を導入した「窪畑ファーム」もその一つ。

kandara1_2010.jpg【photo】鶴岡 日本海寒鱈まつり「商店街婦人部」テント内の舞台裏では、お母さんたちが次々と舞い込む注文に追われて忙しく立ち回る

 農場長の佐藤 光浩さんの説明によると、アニス農法は乳酸菌など有益な微生物の働きで土壌改良した培土を用い、IT技術で気温・湿度のみならず潅水量・日照・培土温度などの栽培環境を最適な状態に制御します。トマトの慣行栽培で使用される化学肥料や殺菌剤を排除し、ハウス内で熟して赤く色付くまで収穫しない窪畑ファームの桃太郎・カンパリ・アランカといった大玉・中玉種トマトは、甘味とアミノ酸成分の数値が通常の栽培法と比べて高いのだといいます。春先に定植したのち5月には出荷が始まり、農場の直営店と昨年オープンした庄内映画村オープンセットの直売所でも入手可能。寒鱈まつり会場でも売られていたドライトマトや無塩・無添加トマトジュースなどの加工品類も揃います。

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 寒鱈まつりには初出店だという窪畑ファームのそれは、必然的にトマトスープがベースです。どんがら汁に欠かせない岩海苔が控えめに入っているものの、一杯目に頂いた味噌ベースに酒粕を入れ、濃厚な旨みが凝縮したアブラワタの入ったどっしりとした寒鱈汁とは見るからに別物。寒鱈が野菜と共演するトマト風味のポトフのような寒鱈汁は、寒鱈由来のダシが効いており、コクがありながらも比較的あっさりとした優しい味付けで、これはこれでアリかな、という印象でした。

【photo】窪畑ファームの寒鱈汁はトマト風味のカラダに優しい味付け。寒鱈まつりで寒鱈汁のハシゴをするなら、バリエーションの一つとして面白いだろう

 新旧タイプの異なる寒鱈汁2杯をぺロリと平らげ、使用済みP&P容器を戻しに行った回収ステーションでは、県立鶴岡工業高校の野球部員たちがボランティアで容器回収・ゴミの分別作業を行っていました。彼らが回収している容器の内側には、燃やしても有害物質が出ないCPPフィルムが貼られており、使用後に容器から剥がされたフィルムだけが廃棄されます。容器自体は再生原料用のペレットとなり、再び容器の元となるポリマー樹脂に加工されます。リサイクル可能な容器に入った骨以外は捨てるところがない寒ダラ。日本海寒鱈まつりは、こうして資源の有効活用にも配慮しているのですね。

kandara3_2010.jpg【photo】使用済みの容器と残飯の回収にあたる高校生たちも寒鱈まつりには欠かせない働き手となる
 
 冬の屋外で行われる催しゆえ、各店頭ではアツアツの鱈汁だけでなく、お酒も提供します。かつて東北の灘といわれた造り酒屋街大山を擁する地だけに、ここは鶴岡の地酒を味わいたいもの。そこで立ち寄ったのが、利き酒師と日本酒学講師の資格を有する店主 佐野 洋一さんがおいでの「やまがたの地酒専門店 佐野屋」でした。鶴岡銀座商店街に面した店頭では、酒田酒造「上喜元 純米」燗酒、佐藤仁左衛門酒造場「奥羽自慢 槽前酒 黒川能の里」、月山ワイン「村民還元ワイン」など数種の酒が一杯200円で売られていました。前回訪れた3年前と同じく、ちょうど蔵出しされたばかりという渡會本店の純米吟醸「和田来 美山錦 おりがらみしぼりたて 生原酒」の一升瓶を一本購入しました。

watarai_2010.jpg【photo】鶴岡大山にある渡會本店の基幹銘柄「出羽ノ雪」とは異なり、一部酒販店のみが扱う数量限定の「和田来」。んめのー(*゚∀゚*)

 店頭で売られていた素朴などぶろくと共に、もう一杯だけ寒鱈汁を味わうつもりでした。ちょうど佐野屋の目の前にあった出店のテントに立つノボリに、これまで寒鱈まつりでは見ることのなかった「宝谷カブ」の文字があるのを認め、即座に3 杯目はココと決めました。鶴岡市(旧櫛引町)の高台、宝谷地区でひと頃は唯一の生産者であった畑山 丑之助さんが受け継いできた在来のカブを使った寒鱈汁についてはまた機会を改めて。

宝谷カブ in 寒鱈まつり」に続く

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2010/01/10

春から縁起が良いのぅ

当たり年の予感 再び

 前年に引き続き行って参りました。7年連続で我が家の年末恒例行事となった"歳末食べ納め@al.chè-cciano アル・ケッチァーノ"(以下、アルケと略)。隣接地にil.chè-cciano イル・ケッチァーノ(以下、イルケと略)を開店して以来、原則として土田料理長がアルケの厨房を預かります。「本丸」の庄内で私は充分なので、およそ行く気がしない東京・銀座のアンテナショップ2Fに県の意向で出店したYAMAGATA San-Dan-Delo ヤマガタ サンダンデロも加わり、従前より明らかにオーバーワークな奥田シェフが鶴岡にいる時にイルケで料理を作るシステムが定着しています。

6_291209.jpg【photo】ズワイガニの内子・外子とブロッコリーのリゾット。アルデンテな庄内産「はえぬき」、ふんわりしたズワイガニの身、プチプチとした内子・外子の食感の違いが楽しめる

 4年前までは月平均2.5 回のヘビーローテーションで通っていたアルケですが、最近2年ほどはぐっと店を訪れる頻度が減りました。TV・雑誌でのメディア露出が重なるにつけ、店の混雑に拍車がかかった一方で、シェフが厨房を空けざるを得ない外部からの依頼が舞い込み、料理人の本業以外に割く時間が増えた結果は、そのまま料理に反映されます。本人は料理より菓子作りのほうが好きだと語っていたドルチェ類だって、雪化粧した月山をイメージした「Monte Luna」ひとつをとっても、ひと頃から比べると随分と東京ナイズされたコンパクトサイズになったしなぁ。(羽黒でサフォーク羊を育てる丸山 光平さんに飼育を委託するシェフ所有のヤギ「ロッソ」と「ビアンコ」の搾乳したてのミルクで作るジェラートを添え、櫛引産の佐藤錦を載せた'06年6月のモンテ・ルーナはコチラ) 厨房とフロアが絶妙の一体感で来店客を出迎えていたかつての姿を知らない一見客は、現在のアルケに感激しているようではありますが...。

7_291209.jpg【photo】庄内麩とマグロのソテー 辛子マヨネーズとバルサミコ風味。シェフいわく突然降りてきた料理。ミディアムに火を通したマグロの中落ちを庄内麩で包み、辛子菜と辛子マヨネーズの辛味と、バルサミコの酸味が複雑に入り混じる。ダイス状にカットしたレアのマグロと粒マスタードがアクセントに

 昨年10月中旬、連休を利用して食通の知人から勧められた(旧朝日村)鶴岡市大鳥の「青嵐舎」を訪れました。地元のご出身でかつて東京でフードライターをしていた経歴をお持ちの篠 育さんが、手付かずの自然が残る周囲の山々からご主人が採ってくる天然キノコをさまざまに調理する「キノコご膳」で楽しませてくれました。

 その翌朝のこと、たまたま目にした日本テレビの生放送番組に、芋煮とアケビを使った料理を紹介する奥田シェフらアルケの厨房スタッフが出演していました。栽培アケビの特産化に取り組み、河川敷に建設用重機を持ち込んで巨大な芋煮鍋を作り、"日本一"を売りに客寄せしているのは山形内陸です。いささかバリエーションに欠ける内陸とは全く食文化の質が異なる食の都・庄内を私が訪れている一方で、実りの秋を迎えた連休だというのに、店を空けて東京に行き、目的を推し量りかねるテレビ番組に出演している奥田シェフ。そんな逆転の構図に複雑な思いにとらわれたものです。

10_291209.jpg 期待と不安が入り混じる中、かつてない丸一年という長いブランクを置いてイルケを夜に訪れたのは、2009年12月29日のことでした。昨年のお任せコースの料理は「今年も当り年!」でご紹介しています。夜の営業は年内最後だというその日は「ぜひとも奥田シェフが作る料理を」と指名していました。

【photo】山伏豚と小野川豆もやしのクスクス風 白トリュフの香り。優しい火加減のふんわりとした山伏豚、米沢郊外の小野川温泉の伝統作物「小野川豆もやし」を具として、デュラム小麦に卵白を混ぜ水を加えた生地を大粒のクスクス風に仕上げる。白トリュフ(タルトゥフォ・ビアンケット)の何と魅惑的な香り!

 店の周囲が猟場にもなっているため、冬場にアルケを訪れると、さまざまなジビエが登場します。この夜はシベリアから渡ってきたアオクビ君こと、真鴨とゴボウのスープが出てきました。ムース状になったカリフラワーをスープに溶かして頂くというスペチャリテです。カリっと揚げたカッペリーニには、アオクビの砂肝が串刺しに。一年前のレポートにある通り、アルケで頂くジビエには、狩り物の証である散弾が残っていることがあります。9_291209.jpg狩猟文化が発達したヨーロッパでは、肉料理に紛れ込んだ散弾は幸福をもたらすとされます。かといって料理のプロが故意に弾を残すわけでは当然なく、仕込みの際、丹念に弾を取り除きますが、チェックをかいくぐって料理に紛れ込んだ散弾は、むしろ歓迎されるというわけです。

【photo】真鴨とゴボウのズッパ カリフラワーのムース風味。濃厚なアオクビの肉と内臓が野生的なゴボウの香りとあいまって、ズッパ(=スープ)に溶かし込んで頂くカリフラワーのムースと見事に調和する

 かつて「奇蹟のテーブル」で明かした通り、泣けるほどの感動にうち震えた「山伏豚と藤沢カブの焼畑風」がメインディッシュとして初めて出たのが2004年の食べ納め。その庄内の風土と作り手の思いが詰まった明確なメッセージが込められた空前絶後の「在来作物フルコース」は別として、近年では最も積雪量が多く、気象庁が「平成18年豪雪」と命名した記録的な豪雪の中を訪れた2005年の年末以降、仕事納めを終えてから毎年アルケで年末にジビエが登場しています。私にとっては、西銀座デパートのチャンスセンター以上の当選確率で当たりが出るアルケのジビエ。それを年末に頂くのは、新たな年の運試しも兼ねています。

 まずはコリコリした砂肝と香ばしいカッペリーニを頂き、真鴨の旨みと土の香りがするゴボウの風味が生きたズッパを一口。「ムースを溶かし込んで一緒に召し上がって下さい」というシェフに促され、スープ皿の縁にあるムースを合わせると料理の印象が一変しました。一般的なアイガモとは全く異質な引き締まった肉質のアオクビとゴボウの野生的な持ち味を、カリフラワーのクリーミーなムースが柔らかく中和し、心地よい香りと旨味が広がります。こうしたデリケートな演出は奥田シェフならでは技でしょう。腿肉を口に入れ、神経を集中させて肉を味わっていると、小さな金属質の異物を感知しました。

felice_nuovoanno.jpg【photo】家族で頂いた真鴨とゴボウのズッパ。三皿の中で唯一、私の皿の腿肉に一粒だけ隠れていたゲンの良い散弾

 キタキター、また当たりっ!!! 家族3人で食べていた皿の中で、私だけにまた散弾が一つ入っていたのでした。散弾は金属製ゆえに金運がアップするという人もいますが、昨年のキジ君から出てきた弾には、あまり金運面でのご利益はなかったようです。それでも大過なく一年を過ごせたことや、多くの人と食を通した尊いご縁が続いていることは、何よりのこと。「毎年当たりが出るなんて珍しいですね」とフロアの斎藤マネージャーも笑顔で祝福してくれました。

 紆余曲折を経て現在のスタイルとなったアルケ&イルケですが、今年3月ぐらいから奥田シェフが以前のようにアルケの厨房に入る予定とのこと。一年前の食べ納め同様、納得できる味と出合えたこの夜のように、ファンタスティックな輝きを取り戻してくれることを期待したいものです。食後にそんな事前情報を聞き出したうえ、鴨からは当たり玉も飛び出しただけに、今年は新春から縁起が良いカモ。 オソマツ...(д;)

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◇2009年食べ納めお任せメニュー@ イル・ケッチァーノ

  の番号をClickすると画像が出ます
1 :羽黒わんぱく卵の黄身と蔵王産カボチャのクリームペースト 生クリームとユリの蜂蜜
2 :60℃でじっくり炒めた玉ネギ グラナパダーノチーズと黒胡椒風味
3 :ズワイガニと・米沢雪菜・グレープフルーツのサラダ
4 :アラと岩手釜石産キャビアの冷製カッペリーニ
5 :温製ハマグリと櫛引安野農園のリンゴ デリケートなオイルの香り
6 :ズワイカニの内子・外子とブロッコリーのリゾット
7 :庄内麩とマグロのソテー 辛子マヨネーズとバルサミコ風味
8 :アラの頭グリエ フレッシュバジル風味のジャガ芋ペーストとともに
9 :真鴨とゴボウのズッパ カリフラワーのムース風味
10:山伏豚と小野川豆もやしのクスクス風 白トリュフの香り
11:庄内牛のロースト炭化させた平田赤ねぎの香り 京人参のムース
12:粉糖と頂くカラドリイモのモンテ・ビアンコとラフランスのジェラート

※Bevandi
1:Vino bianco 白ワイン
Esino bianco Roberta '08 / Azienda agricola Mognon Floriano
エジーノ・ビアンコ・ロベルタ '08 / モニョン・フロリアーノ

roberta_291209.jpg 1980年、イタリア・マルケ州アンコーナ県カステル・コロンナにヴェネト州から移住したフロリアーノ、ロベルタ夫妻が運営する小規模なカンティーナ。厳格な審査基準を設けているIstituto Mediterraneo di Certificazione(地中海認定協会)の有機認証を受けたVerdicchio ヴェルディッキオ種やMontepluciano モンテプルチアーノ種などから造るモニョン家の家族名を付けた日常使いに適したヴィーノはビオワインのコンテストで受賞多数。奥様の名前を付けたこのRoberta は隣接するマルケ州Jesi イエージ原産のブドウ、ヴェルディッキオと山岳地域を除くイタリア全土で栽培される白品種Trebbiano トレッビアーノの混醸
URL:http://www.vinimognon.com/

2:Vino rosso 赤ワイン
Grattamacco Bolgheri rosso superiore '04 / Podere Grattamacco Collemassari
グラッタマッコ ボルゲリ・ロッソ・スーペリオーレ'04 / ポデーレ・グラッタマッコ

grattamacco_291209.jpg カベルネ・ソーヴィニョンやメルローにとって理想的な栽培環境にあるトスカーナ州最南端ティレニア海に面したワイン産地としては新興ながら、国際的に高い評価を受けるボルゲリ。グラッタマッコは異業種から参入したピエルマリオ、パオラ夫妻が1977年に始めたカンティーナ。Sassicaia、Ornellaia、Le Macchiole などと共に、国際市場を意識したいわゆる「スーパートスカーナ」のスター的存在のひとつ。この天候に恵まれた'04ヴィンテージは高い次元で調和のとれた素晴らしい味わい。国の有機認証機関「AIAB」の認定を受ける有機栽培のカベルネ50%+サンジョヴェーゼ30%+メルロー10%の混醸
URL :http://www.collemassari.it/spaeng.htm


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2009/11/21

満腹御礼

食の都・庄内 豊かな実りと癒しのバスツアー 第5幕
 作り手の思いに触れた二日間の旅

hiroshi_yoshihiro_goto.jpg【photo】吹き抜ける秋の風が心地よい酒田市飛鳥の平田赤ねぎ畑で、平田赤ねぎ生産組合長 後藤 博さんに赤ねぎの由来や特徴を伺った

 かつてその地に種を伝えた上方商人が船で往き来した酒田市飛鳥の最上川に面した「平田赤ねぎ」Link to backnumberの広大な畑では、「平田赤ねぎ生産組合」の後藤 博組合長(59)が柔和な笑顔で出迎えて下さいました。傍らには平田赤ねぎの品質向上と普及のために奔走してきた父の背中を見てきたご子息の喜博さん(30)の姿も。喜博さんは昨年4月に会社勤めをやめ、専業農家として赤ねぎの生産を手伝っています。次の世代を担う後継者が頑張っていることを嬉しく思う庄内系イタリア人なのでした。

 旧平田町(現酒田市)飛鳥地区一帯に伝わる在来野菜・平田赤ねぎは、その食味の良さが認められ、地元での再評価に加えて、後藤さんの組合が設けた厳しい品質基準に沿って出荷される首都圏でも好評を博しています。今年から取引を開始した大阪には、毎週100ケースを出荷するなど、全体の出荷量が昨年比で3割近く伸びているといいます。今年は10名の組合員が3haの畑で赤ねぎを栽培していますが、伸び続ける需要に出荷が追い付かない状況だとか。後藤さんは、着実にブランド力を上げ、販路を広げている平田赤ねぎに続く事例が周囲に登場することを願っていると語ります。地域全体に新たな活力が生まれてこそ、自分たちが歩んだ軌跡に価値が生まれるのだと言葉に力を込めました。

akanegi_chokai.jpg hiroshi_goto091025.jpg hiroshi_goto_091025.jpg

 後藤さんには、皆さんからお顔がよく見えるように搬出用の荷車の上で赤ねぎに関してご説明頂きました。ご用意願った鮮度保持包装フィルム入りの赤ねぎや、規格外となった赤ねぎを活用した粉末スープ、麺に赤ねぎを練り込んだうどんなどの加工品がテーブル上に並べられています。ひとしきり説明が終わると、藤沢カブの時と同様、熱気あふれる青空市の始まりです。喜博さんの隣で私も売り子になり、皆さんにたくさんお買い上げ頂きました。
 
 仙台で平田赤ねぎを入手できる店についてバスの中でお問い合わせ頂きました。そこでお答えした不定期に入荷するさくらの百貨店やイオン系列のほか、仙台駅前の朝市にある今庄青果本店では、10月から年明けまで後藤さんの組合が出荷する赤ねぎを一袋300円~350円(税込)というリーズナブルな価格で定番商品として扱います。"一度食べてもらえば必ずリピーターになってもらえる"と語る後藤さんの言葉通りになった方は、今庄青果本店へどうぞ。

sankyo_soko_091025.jpg 【photo】庄内米の備蓄倉庫として現在も使われている山居倉庫。裏手のケヤキ並木もすっかり秋の装い
 
 当初はそこから酒田市横代で坪池 兵一さんが絶品のズイキを植酸農法で栽培する水苗代にご案内する予定でした。しかしこの日は酒田を代表する観光スポットでもある山居倉庫を会場に「米フェスタ2009酒田市農林水産まつり」が行われており、坪池さんはそちらの農産物直売コーナーの特設テントにおいでとのこと。この日の昼食は湊町酒田を代表する寿司店「鈴政」で頂くことになっていたので、その道筋にあたる山居倉庫を目指しました。

nourin_matsuri09.jpg【photo】黄金色に輝くケヤキが青い空に映える「米フェスタ2009 酒田市農林水産まつり」会場となった山居倉庫は、食の都・庄内の実りの秋を彩るさまざまな産物を求めて訪れた人で大変な賑わいを見せていた

 今しがた畑を訪れたばかりの平田赤ねぎ、酒田沖に浮かぶ飛島特産のジャガイモ「ごどいも」、酒田市円能寺地区産の希少な餅米「女鶴」などなど、地域性豊かな逸品がところ狭しと並びます。話題の新品種「つや姫」の新米もあり、さまざまな試食コーナーには長蛇の列ができていました。人ごみをかき分けながら私たちが目指したのは「海鮮市場海の八百屋」のテント。そこに旬を迎えたカラドリ芋を前に並べた坪池さんご夫妻の姿がありました。

tsuboike_091025.jpg  【photo】葉以外の親芋・子芋・茎すべてを食する青ズイキを手に、時折ギャグを交えて説明いただいた坪池 兵一さん

 有機酸を用いて植物の根を活性化し、同時に土壌の改善も行えるという「植酸農法」の匠、坪池さんが手掛けるカラドリ芋はひと味もふた味も違います。坪池さんは原産地の東南アジアと同じ水苗代でズイキ栽培をしています。畑作と比べて水苗代は植え付けや収穫時の労力はかかりますが、味にこだわる庄内の生産者は水苗代でズイキを育てています。坪池さんに写真資料を見せて頂いたことがありますが、植酸農法で栽培したコメや野菜の根の張りが良いことは、一目瞭然。カラドリ芋はズイキの根にあたることから、植酸農法が適していることは理にかなっています。そんな難しい話は抜きにしてお得意のギャグを交えたセールストークに釣られるように、皆さんにお買い上げ頂きました。

suzumasa_sakata.jpg【photo】酒田市日吉町「鈴政」

 昼食を予約していた酒田市日吉町の鈴政は、1955年(昭和30)の創業。湊町酒田を代表する寿司の名店です。暖簾を受け継ぐ二代目の佐藤 英俊さんは、寿司はふんわりと握ったシャリが、厳しく目利きしたネタと職人の手の中で出合った瞬間が一番美味しいと語ります。そのため、本来は一貫ごとに若大将が握る寿司について説明を受けながらカウンターで頂くのが望ましいのですが、なにせこの日は総勢30名という人数。案内された二階の大広間には、既に寿司が用意されていました。それでも十分にネタの良さは伝わります。

suzumasa_091025.jpg 【photo】湊酒田の粋を頂く「鈴政」の江戸前寿司は、若大将の話を聞けるカウンターで楽しみたい

 6年前に情報誌ALPHAの取材で仙台から訪れた取材クルーは、「塩で召し上がって下さい」と出された白ゴマを散らした平目や、適度に上品な脂が乗ったノドグロ、庄内浜で揚がる近海ホンマグロ、全国を股にかけて最高のもの探し出すというウニなど、隅々まで職人の細やかで確かな技が行き届いた特上にぎりに、「もう宮城では寿司は食べられない」と語っていたほど。しかも特上で2,100円という価格です。そのコストパフォーマンスの高さにも舌を巻いていました。ちなみに酒田っ子の中には、鈴政は高級店だからと敬遠する人もいます。湊町だけに酒田の寿司は総じて高いレベルを保っています。皆さんには、改めて鈴政のカウンター席に足を運んで頂くとしましょう。

nk_agent091025.jpg【photo】オスカー受賞映画「おくりびと」でNKエージェントの舞台となった旧「割烹小幡」。フグの白子を眺める参加者

 予定よりも若干早めに食事を終えたので、映画「おくりびと」でNKエージェントの舞台となった旧「割烹 小幡」《clicca quiに皆さんをご案内しました。主人公の小林 大悟(本木 雅弘)が「安らかな旅のお手伝い」と記された求人広告を手に訪れた坂の先に、にわかに脚光を浴びることとなった古びた建物があります。納棺師の事務所として映画で使われた雰囲気そのままの一階から、急な階段で三階まで移動すると、社長(山崎 努)が主人公に勧めたフグの白子焼きの模型が餅焼き網の上に並んでいました。「旨いんだよなぁ、これが。困ったことに...」という山崎 努のセリフが蘇り、男二人が美味しそうに白子の中身をすする場面を思い起こすと、寿司を食べたばかりだというのに、じんわりヨダレが・・・。

watarai_shiryokan.jpg【photo】阿部 亀治の業績についてご説明頂いた渡會 幸江さん

 庄内町の「亀ノ尾の里資料館」では、近代日本で誕生したコシヒカリ・ひとめぼれ・ササニシキ・はえぬき・つや姫など優良銘柄米の系統を辿ってゆくと、その源流に名を留めるコメ「亀ノ尾」の生みの親、同町出身の育種家 阿部 亀治(1868-1928)Link to backnumberについて学芸員の渡會 幸江さんに解説して頂きました。

 東北が大凶作に見舞われた1893年(明治26)の9月29日、当時26歳の亀治は青立ちする「惣兵衛早生」の中から突然変異したと思われる黄金色の穂をつけた3本の稲穂を偶然見出します。そこが真夏でも冷たい月山の雪解け水が流れ込む立谷沢川の水を引く田んぼの水口だったことから、寒さに強い品種に違いないと直感した亀治は、4年の歳月をかけてそのコメを改良育種します。在来品種よりも倒伏しにくく、耐冷性・耐病性に優れ、食用米としての味の良さと多収性を兼ね備えたその新品種を、周囲の人々は創選者の名前にちなんで「亀ノ王」と名付けるよう亀治に進言します。"王ではおこがましいので、尾っぽでいい"と生粋の庄内人であった亀治が付けたのは「亀ノ尾」という名前でした。

kanoo_shiryokan.jpg【photo】阿部 亀治と亀ノ尾に関する展示を前に、渡會さんの説明に聞き入る参加者

 年間を通して圃場に水を張っておく湿田栽培から、乾田栽培にコメの栽培法が大転換をしてゆく中で、乾田に適した亀ノ尾の名声は高まる一方。各地からの求めに応じて、亀治は種籾を惜しむことなく分け与えたといいます。1905年(明治38)、東北の太平洋側は天保の大飢饉以来といわれる凶作に見舞われました。翌年植え付けする種籾が不足した宮城県庁あてに、一斗分の種籾を贈ったのも阿部 亀治でした。地元では先陣を切って導入した乾田馬耕と期を一にして亀ノ尾は作付けを増やしてゆきます。そうして大正末期から昭和初期においては、国内のみならず、台湾や朝鮮半島にも亀ノ尾は普及してゆくのです。

kameji_abe@60.jpg【photo】昭和2年4月、農事功労者として藍綬褒章を受賞した阿部亀治翁 60歳の写真。亀ノ尾の里資料館の展示より

 亀ノ尾の里資料館を後にした私たちは、亀ノ尾が発見された立谷沢川沿いの庄内町中村集落にある熊谷神社を訪れました。しかし大型バスでは神社に近付くことができず、亀の尾発祥の地と刻まれた記念碑《clicca qui》をお目にかけることは残念ながら叶いませんでした。亀治は参詣の途中で3本の稲穂を発見しているので、神社の手前でバスを停め、稲作史に偉大な足跡を残したコメが生まれた地で、しばしの時を過ごしました。

tachiyazawa080829.JPG nakamura_091025.JPG 【photo】116年前に阿部 亀治が亀ノ尾を発見した熊谷神社近くの稲刈りを終えた田んぼ。近代稲作史はここから始まったと言っても言い過ぎではない(写真右)。たわわな稲穂が豊かな秋の稔りを期待させる昨年8月末。立谷沢川沿いの庄内町中村地区から熊谷神社方向と鳥海山を望む。亀ノ尾の子孫である「はえぬき」「コシヒカリ」「ひとめぼれ」などが育つこの風景を阿部 亀治も目を細めて眺めているに違いない(写真左) 産直「あねちゃの店」(写真下)

anecha_kariya.jpg

 ツアーも終盤。残すは観光ツアーには欠かせないお土産の買い出しタイムです。初日のトイレ休憩で立ち寄った産直あぐりを含め、佐久間ファーム・藤沢カブの後藤さん・竹の露酒造場・月山パイロットファーム、二日目に立ち寄った箕輪鮭孵化場・平田赤ねぎの後藤さん・山居倉庫で営業していたカラドリ芋の達人 坪池さんなどで、皆さんはすでに相当量の買い物をしてきたはずです。それでも鶴岡市羽黒町狩谷野目にある産直「あねちゃの店」にご案内すると、食の都・庄内の魅力に触れたためか、再びスイッチが入ったようでした。食WEB研究所のフードライターを務めておいでの管理栄養士 大河内 裕子さんは、店の雰囲気とどこかミスマッチな(笑)西洋野菜のCavolo rapa(カーヴォロ・ラパ=コールラビ・パープルまたはパープルベンナ)のほか、今年の収穫を終えるばかりとなった沖田ナスLink to backnumberを箱買いされるなど、両手に持ちきれんばかりにお買い上げ。大型バスの最大積載量も限界に近づいていました。

anecha_091025.jpg

【photo】青果品の買い物は「あねちゃの店」で、一般的な買い物は「庄内観光物産館」で、と皆さんをご案内した最後の買出し。畑と直結しているゆえの安さも手伝って、皆さん買うわ買うわ・・・。おかげ様で佐藤 典子店長から「お嬢さんにどうぞ」と袋一杯に詰め込んだ美味しい庄内柿を頂いてしまいました。もっけだの(●⌒∇⌒●)

 山形道に乗る前に訪れたのが、鶴岡ICすぐ近くの「庄内観光物産館」です。都市間高速バスの発着所にもなっており、庄内の観光ツアーではハズせないお買物スポットといえるでしょう。藩制時代以来の造り酒屋街であった大山地区ほか庄内の地酒や月山ワインなどがずらりと並ぶ酒販コーナーに直行したのはフードライターの女性利酒師 早坂 久美さん。竹の露・白露垂珠を制覇してなお、さらに庄内の酒を極めんとする探究心には頭が下がります。新鮮な海産物・漬物類・菓子類・加工食品などがズラリと並ぶ店内からバスに戻った皆さんには、初日に藤沢カブの後藤 清子さんから頂いたまま、バスのカーゴスペースに入れておいた泥付きの田川カブを小分けにしてお配りしました。

 帰路のバスではツアーに同行した食WEB研究所スタッフ 畠山 茂陽氏が集約した皆様からの「普段はどんな食生活なのか?」「仙台でお勧めのイタリアンはどこか?」など質問攻めに遭いました。ご参加頂いた皆さんには、今回より幾分ペースダウンして食の都を再び訪れて頂ければと思っています。ホームタウンを舞台にコアなトークを炸裂させた私自身は、楽しくも充実した二日間を過ごすことができました。微力ながら食を通して新たな絆が生まれるお手伝いが出来たかな、と皆さんから寄せられたアンケートに目を通しながら思った次第です。

ilche_090411.jpg 【photo】人を惹き付けるストーリーがある美味しい作物の作り手、消費者にそれを届ける流通小売に携わる人、作り手の想いを料理として皿の上に表現する料理人、学術的なアプローチで在来作物の価値に光を当てる研究者、地域のつなぎ役である行政など、さまざまな立ち位置で「食の都」の魅力を発信している庄内。今回のツアーでお会いした後藤 勝利さん・清子さんご夫妻、後藤 博さん・善博さん親子、佐久間ファームのご主人佐久間 良一さん(←何気にお茶目なピースサインをしてます)、坪池 兵一さん、あねちゃの店の佐藤 典子さん、偶然寒河江SAで鉢合わせした折に、皆さんに新米を差し上げますよとお申し出頂いた井上農場の井上 馨さん・悦さんご夫妻も参加した今年4月のアル・ケッチァーノ生産者の会で。食の都・庄内んめもの劇場の千両役者たちは、いつでも優しくあなたを迎え入れてくれるでしょう

 そろそろ「かほピョンくらぶ通旅 食の都・庄内 豊かな実りと癒しのバスツアー」もお開きの時間となりました。いつかどこかでまたお会いしましょう。
・・・あっ、どこかでじゃなくて、食の都・庄内で、でしたね。
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2009/11/15

鳥海山と牛渡川と鮭

食の都・庄内 豊かな実りと癒しのバスツアー 第4幕
 ツアー二日目@箕輪鮭孵化場


chokai_2009.10.25.jpg【photo】山全体が紅葉で色付いた鳥海山がくっきりと姿を見せた二日目。左手前の杉林の中に鳥海の湧水が川となった牛渡川がある

 トリとウシとサケ。動物三題噺のようなお題ですが、お気になさらぬよう (゚o゚*)

 庄内平野最北の山形県飽海郡遊佐町を流れる牛渡川は、鳥海山に降る大量の雨や雪が山肌から地中に染み込んだ後に、地表に湧出してくる伏流水だけを水源とする澄み切った清流です。杉林の木漏れ日の中を音もなく流れる神秘的な牛渡川の岸辺からは、所々から水が湧き出ているのが確認できます【Link to back number】。

minowa_fukajyo.jpg【photo】牛渡川のほとりにある箕輪鮭孵化場。漁期となる10月~12月にかけては見学自由。私たちが訪れた10月末は早生鮭が遡上してくる最盛期とあって、いつになく多くの車が停まっていた

 江戸時代後期の1806年(文化3)、庄内藩は領下の月光川水系の二つの清流、滝淵川〈clicca qui〉と牛渡川を鮭が自然産卵しやすい環境を整備した「種川」として指定しました。隣接する越後村上藩では、1763年に世界初の種川が、鮭の母川回帰性を発見した村上藩士・青砥武平治によって村上・三面川に作られていました【Link to back number】。以来、たとえ食料が乏しい飢饉の年でも10月に入る頃から年が改まる頃にかけて生まれた川に帰ってくる鮭は、貴重なタンパク源として人々に恩恵をもたらしてきました。

sake_hokaku_minowa.jpg【photo】遡上のピーク期を迎え、ウライに誘い込まれた鮭は、タモで次々と水揚げされる。多い日には一日の捕獲数が1,000尾を越えることも珍しくなく、2,000尾を上回ることもある

 牛渡川と滝淵川はやがて一つの流れとなり、吹浦漁港の汽水域から1kmほどの河口付近で月光川に合流します。牛渡川に遡上してくる鮭は、年によって幅はありますが、年間平均3万匹~4万匹あまり。ゆったりとした流れに石菖藻や梅花藻が揺らめく清流のほとりに「箕輪鮭孵化場」はあります。河口からはわずか3 km弱しか離れておらず、澄みきった水の流れも穏やかなため、産卵のために川上へとに向かう鮭には遡上による魚体の損傷などのダメージが認められません。何故か海が荒れたほうが遡上数が増えるといいます。

bambini_sake.jpg【photo】水揚げされ、勢いよく飛び跳ねる鮭に腰が幾分引き気味ながらも、捕獲の手伝いをする子どもたち。子孫を残すために生まれ故郷の川に戻って来た鮭の捕獲を通して、命の尊さを身をもって知る

 鳥海山がくっきりと姿を現したツアー二日目の朝9時30分、到着した箕輪鮭孵化場の鮭採捕場では、遡上する鮭の捕獲作業の真っ最中でした。年によって時期の違いはあるにせよ、9月の遡上開始からピークを迎える10月下旬から11月下旬にかけては毎朝8時に捕獲が始まります。ひとたび中に入り込むと逃れることができない金属製の柵を設けた生簀「ウライ」に入り込んだ鮭たちには、黒味がかったブナの表皮のようなくすんだ緑や赤黒い縦模様などの婚姻色が現れています。

kazuo_togashi.jpg【photo】箕輪鮭漁業生産組合 富樫 和雄 組合長

 10月下旬は早生(わせ)の鮭で4~5kg前後の鮭が多いとのこと。男性がタモですくい上げ、勢い良く飛び跳ねる鮭の頭部には、こん棒の一撃が加えられます。動きを止めた鮭はオスとメスに仕分けられてゆきます。その作業を女性やまだ小さな子どもが手伝っていました。切り身になった鮭しか見ることのない都市部の子どもは、食べ物の背景にあるこうした命の現場を知ることはないでしょう。

sairan_minowa.jpg   
【photo】
メスの腹を割いて卵を傷つけないよう慎重に掻き出す採卵作業(右写真)

 コメの単作農家9名が加盟する「箕輪鮭漁業生産組合」の富樫 和雄組合長の説明によると、0.05%しかない自然交配による母川への回帰率を0.5%まで上げる効果がある人工繁殖用の卵を採取するのは、11月に遡上してくる晩生(おくて)の鮭から。早生のメス鮭に多くみられる筋子からイクラへの発育途上とでも言うべき未熟卵は、受精率も低いのだそう。そのため私たちが訪れた時期は、まだ人工繁殖は行っておらず、オスは食用として一尾1,000円で直売されるほか、メスの腹から取り出されたイクラ〈clicca qui〉は 1kg 2,000円で直売されます。

osusake_minowa.jpg【photo】オスは早生のうちはそのまま食用として、晩生になると生のほか、しょんびき(塩引き)や冬葉(トバ)などの加工に回される

 晩生のオスは型が大きくなり、なかには10kgを超える大物も揚がります。晩生鮭は脂が乗っており、風干して作る「しょんびき(=塩引鮭)」や身を長い短冊状にした「冬葉(トバ)」に適しています。風乾によって旨味成分であるアミノ酸が増えるため、加工作業は、寒さが厳しくなる11月下旬~12月に始まります。腹を開いて皮のぬめりを水洗いして除いた鮭に塩をすり込み、孵化場前に吊り下げ最低10日ほど風干しします。文字通り"風味"が乗った牛渡川の鮭の美味さは、塩漬け直後に冷凍される一般的な塩引きとは一線を画すものです。

 放流後4~5年を経て、牛渡川に戻ってくるよう数百万尾の稚魚が春先まで育つ孵化場のコンクリート製の遊魚槽は、空のままで稼動の時を待っていました。組合では2年前から地元の吹浦小学校に受精卵を提供し、生徒たちが孵化させ、放流に適した体長5cmほどになるまで育てた稚魚を牛渡川に放流する取り組みに協力しています。孵化場の裏手には、鮭の慰霊碑〈clicca qui〉があり、漁が一段落する毎年2月に組合員の手で供養祭が執り行われます。長い鮭との共存の歴史をもつこの地では、かけがえのない漁業資源や鮭が育つ水の大切さをこうして次の世代に伝えているのです。

ushiwatari_2009.10.25.jpg 孵化場の先に広がる杉林の中を流れる静謐な牛渡川を皆さんにお目にかけた後、手付かずの森に歩みを進めると、木々に囲まれた池が姿を現しました。エメラルドグリーンやコバルトブルーに色あいが変化するこの「丸池」は、牛渡川と同じ鳥海山の湧水を湛えています。地元では「丸池様」と呼ばれ、信仰の対象とされています。こうしてツアー二日目は、まず皆さんに水と命が循環してゆく現場をご覧頂きました。次なる見学地に向かう途中では、人の死と魂の再生を描いた映画「おくりびと」のロケ地となった月光川沿いの堤防に映画を再現して椅子が置かれた河原を車窓から眺められるよう、コースを設定しました。私が選んだルートには、こんな小細工が仕込んであったのです。

maruike_2009.10.25.jpg【photo】静寂が支配する杉林の中を流れる牛渡川(上写真)
地元で篤い信仰を集める丸池様は、直径20mほどの湧水からできた池(下写真)

 今回のツアーでは、事前のルート選びに苦慮する局面もありました。大型観光バスにとっては厳しい道幅のない直角カーブや狭隘なルートを進まざるを得ない箇所もあったからです。小回りのきく普通乗用車で移動するいつもとは勝手が違います。孵化場周辺は細い道が多く、遊佐町役場に電話で念のため不安な箇所の現況を出発の前日に確認しました。そこで想定ルートの途中に工事箇所があることが判り、現場担当者に特別の通行許可を頂く一幕もありました。今回お世話になった宮城県石巻市に本社があるバス会社のドライバーは、兼業農家の方だったため、道なき道と同然の難所を乗り越えて未知の訪問先を巡る今回の旅を職務としても楽しんでおいでのようでした。


 在来野菜「平田赤葱」と「カラドリ芋」の卓越した作り手や、近代日本の稲作史に偉大な足跡を残したコメ「亀ノ尾」ゆかりの地を訪れた行程の全容をお伝えするレポート最終章、食の都・庄内 豊かな実りと癒しのバスツアー 第5幕 へ続く

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箕輪鮭漁業生産組合
住所:山形県飽海郡遊佐町直世字箕輪
phone:0234-77-2275 fax:0234-77-2309
URL:http://web1.nazca.co.jp/fukaba/
E-MAIL:minowa_fukaba@excite.co.jp
営:8:00~14:00頃(水揚げ量によって不定。10月~3月末)
  それ以外の農繁期は休業。FAXにて申し込めば、送料別途で地方発送可。
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2009/11/07

美味なる名匠 三重奏

食の都・庄内 豊かな実りと癒しのツアー 第3幕
 月山パイロットファーム~レストラン欅~カクテル雪国

sheltering_sky.jpg【photo】月山パイロットファームから眺めた茜色の夕焼け雲。日本海に面した西の空が広い庄内では、時として出合える息をのむような残照に浮かぶ美しい光景に癒される

 夕方5 時をまわって西の空と西日に照らされた月山が茜色に染まってゆく中を、この日最後の見学先となる鶴岡市三和の「月山パイロットファーム」に到着しました。庄内地域における有機無農薬栽培のパイオニアで同法人の創業者である相馬 一廣さんの説明のもと、まずは温海カブの洗浄作業と、民田ナスの辛子漬の製造作業を見学。guidance_soma.jpg畑に使用する発酵完熟堆肥と農機のBDF(バイオディーゼル燃料)となる廃油を譲り受けている平田牧場との共同体制で確立している資源低投入型有機農法などについて、馬鈴薯の煮転がしと温海カブの甘酢漬けを試食しながら説明を受けました。
【photo】下処理した赤カブの洗浄工程について説明する相馬一廣さん(写真中央)

       senjyo_akakabu.jpg karashizuke_pilotfarm.jpg
【photo】自社農場で栽培した赤カブの洗浄作業(写真左) 自家栽培する辛子菜から製造した和辛子を加工用に用いるのは、全国でも月山パイロットファームをおいてほかにない。民田ナス辛子漬の加工作業は衛生上の配慮から室外から見学した(写真右)

 相馬さんの足跡については⇒≪Link to back number≫。月山山麓の未開の原野を開墾した相馬さんご夫妻の理想を形にした、いわば"Field of dreams"では、30年以上の歳月をかけて編み出した6 科目の輪作体系で、化学肥料や農薬類に頼ることなく地力を維持しながら野菜類が生産されています。加工においても添加物類は一切使用せず、味覚の形成過程にある子どもにも安心して食べさせることができる漬物などに製品化されます。郷土色豊かな製品はspeach_soma.jpg消費者とのつながりが深い生活クラブなど会員制直販組織を通して私たちのもとに届けられています。

【photo】相馬さんはエコロジーやサステナブルといった言葉など認知すらされていなかった30年以上前から遥かな地平を見つめてきた。ようやく時代が追いついた感のあるその人の語り口はあくまでも穏やか。それでいて言葉にはズシリと胸に響く重みと説得力がある

 食糧の生産過程において環境負荷を与えないことは無論のこと、地球資源を極力消費することなく持続的に人間が食するに値する食べ物を生産するという尊い仕事に携わってきた相馬さん。休業日前で出荷作業に追われるフル稼働状態だったにもかかわらず、私たちを受け入れて下さった相馬さんの奥様恵子さんは、「あまりお構いできなくて」と出荷用の温海カブ甘酢漬けをお土産としてご用意頂いていました。あまりに申し訳ないので、ここは是非とも購入させて下さいと曲げてお願いしました。granchef_ota.jpgならばと提示頂いたのは通常市価の1/3 程度の製造原価を割るような価格。相馬さんの講話に感銘を受けたに違いない皆さんに、じっくりと味わって頂きたい赤カブ漬をお一人様一袋限りで購入頂きました。

photo】「レストラン欅」総料理長の太田 政宏さん

 食の都・庄内の実力を知って頂くため、"百聞は一食にしかず"がポリシーの私が夕食の席として白羽の矢を立てたのは、酒田が誇る名店「レストラン欅」です。果たしてこの夜も太田 政宏シェフの独創的な「フランス風郷土料理」に唸らされました。亡き佐藤 久一と二人三脚で日本一のフランス料理店「ル・ポットフー」伝説を築いた功労者は、今も厨房の第一線に立つ傍らで、料理人を志す後進の育成にも尽力しています。横浜出身の太田シェフが佐藤 久一に腕を見込まれて酒田にやってきたのが42年前の24歳の時。美食の都リヨンに勝るとも劣らない庄内の食材、中でも魚の素晴らしさに魅せられた太田シェフならではの創作料理を皆さんに味わって頂こうと、魚介中心の組み立てをお願いしてありました。

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 本物しか認めなかった佐藤 久一が欅のハウスワインに選んだ蔵王山麓の山形県上山市にあるタケダワイナリー製のシャルドネとマスカットベリーAを混醸してオーク樽で熟成させた辛口白ワインをオーダーしました。一皿目はスライスされた温海カブと鮮度抜群なマトウダイの洋風刺身。そこには酒田の新たな特産品として取り組みが始まった食用の小ぶりな塩田ホオズキとエシャロット、湧水の町遊佐の清流で育ったクレソンが添えられていました。いずれも素材それぞれの澄み切った味が生かされています。軽やかで透明感のあるトマトソースで頂くヤリイカの詰物とカスベの香ばしい洋風天ぷらは旨みたっぷり。素材の甘みがまろやかに溶け込んだ焼き秋ナスの冷製クリームスープは、スプーンですくって一口ごとに減ってゆくのが惜しいほど(笑)

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 ふっくらとしたマトウダイとホタテのすり身をキャベツとホウボウで成型し、ブール・ブランソース風味のパイ包み焼きに仕上げたメインディッシュの付け合せは、ソテーしたホタテと温製の平田赤ネギに彩りのオクラ。佐藤 久一が実家である初孫酒造にフランス料理に合う日本酒として作らせた「秘蔵初孫 大吟醸」と頂いたのは、樹上脱渋する庄内柿の新ブランド柿しぐれのタルトとシャーベットのデザート。一品ごと太田シェフが席を回って外見が似ているホウボウとカナガシラの見分け方など、素材に関して丁寧に説明して下さいました。極めて充実したディナーの内容からすれば、仙台ではあり得ない二千円台前半という非常に良心的な価格と、いつに変わらぬ接客ぶりで、しみじみと心に染みる素晴らしい夕餉となりました。

2009.1.24kern.jpg【photo】カクテル雪国を味わうにはこんな夜がふさわしい。雪がしんしんと降る今年1月24日の夜に訪れた喫茶・バー「ケルン」

 公式日程はここまで。ホテルにバスで戻る皆さんをお見送りした後、素晴らしい食事の余韻に浸る13名で徒歩2分の至近距離にある喫茶・バー「ケルン」に移動しました。このオプショナルツアーのキモは、世界のスタンダードカクテル「Yukiguni 雪国」を考案した井山 計一さんご本人に作っていただいた雪国を、83歳にしてなお軽妙な井山さんの話を肴に酒田での一夜を締めくくろうというもの。

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 1958年(昭和33)、壽屋(現サントリー)と洋酒天国社が主催した第3回ホームカクテルコンクールに出品、全国から応募のあった24,432件から翌年の全国大会に進んだ30点の応募作の最高位・グランプリを獲得したのが、カクテル雪国です。

【photo】井山さんが考案してから今年で誕生50周年を迎えた雪国。ケルンではグリーンの彩りが美しい名作カクテルを考案したご本人の手で作ってもらえる。その一杯と井山さんとの語らいで至福の時を過ごせる

 井山さんが温海町(現鶴岡市)の温海温泉にあるホテルに手伝いに行った際、コンテストへの出品を打診され、そこにあった有り合わせの材料を使って、さほど深く考えずに思い付きで作ったのが雪国だったという裏話も傑作ですが、林 房雄・岡本 太郎・宇野 重吉・安岡 章太郎・サトウハチロー・五島 昇ら、そうそうたる審査員から贈られたトロフィーに刻まれた賞の名称がまた傑作でした。現在も「サントリー ザ・カクテル アワード カクテル コンペティション」として半世紀以上の歴史を持つコンテスト史上唯一の「ノーメル賞」を贈られたのが雪国なのです。井山さんは「ノーベル賞なら何人も受賞しているけど、この賞は私だけしかもらっていません」と笑うのでした。

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【photo】すぐ近くにあった映画館グリーンハウスの上映を終えた支配人時代の佐藤 久一が、従業員を引き連れて夜な夜なこのカウンターでビールを片手に映画談義をしていた華やかりし往年の酒田や、修行時代を過ごした仙台のことを昨日のことのように語る井山さんの思い出話は、最高の肴になる(左写真) 「この街を 生き返らせるか おくりびと」など、ひねりが効いた井山さん作の川柳は定期的に更新され、カウンター背後に掲出される。この夜の一句は「聞くだけで 気が遠くなる 兆や億」(右写真)

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 流れるような手つきでカクテルグラスのエッジに細雪に見立てたグラニュー糖をまぶし、ミントチェリーを一粒沈める井山さん。長年の経験からメジャーカップを使わずにシェーカーにベースのウオッカを注ぎ、ホワイトキュラソーと甘口のライムコーディアルを加えてさっとシェーク。白雪の下で春の芽吹きを待つ緑に雪国の光景と、そこに暮らす人の想いを見事に表現した一杯が出来上がります。二杯目は一転して辛口のドライマティーニをお願いしました。癒し系で誠実なマエストロ相馬の講話、心のこもったマエストロ太田の料理、ノーメル賞のトロフィーが飾られたカウンターでエンターテイナーぶりを発揮するマエストロ井山による饗宴で、酔いも手伝ってすっかり気分が良くなりました。

norika_lalique1024.jpg【photo】ケルンの斜め向かいにある Lalique には、この夜も寄り添う鈴木さんと紀香の姿があった

 まだ飲み足りない酔いどれ精鋭部隊数名で向かった三軒目は、斜め向かいのスナック「Lalique」≪Link to back number≫へ。当ブログ Viaggio al Mondo で店を紹介してもらったお礼にと酒田市日吉町に蔵を構える酒田酒造の「限定品 大吟醸 上喜元」を1本ママに頂いてしまいました。カウンターには飼い主の鈴木 豊さんに寄り添う紀香と、店の中庭には気まぐれなモサの姿も。長かった一日目の余韻に浸る面々の酒田での一夜は、日本酒を酌み交わしながら、いつ果てるともなく更けてゆきました。

 鳥海山の伏流水でできた清流「牛渡川」と「丸池様」、鮭の捕獲採卵作業の見学を通して命の営みに触れた「箕輪鮭孵化場」訪問で幕を開けた翌日、食の都・庄内 豊かな実りと癒しのバスツアー 第4幕 へ続く
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2009/11/03

酔って候

食の都・庄内 豊かな実りと癒しのツアー 第2幕
 @竹の露酒造場 月山伏流仕込水

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【photo】蔵の敷地奥や孟宗筍の産地である高寺地区一帯まで広がる竹林が蔵名の由来となった竹の露酒造場

 稲刈りを終えた田んぼに囲まれた鶴岡市羽黒町猪俣新田にある「竹の露酒造場」【Link to Website 】では、代表社員の相沢 政男さんにお出迎え頂きました。蔵の敷地に最近整備された水飲み場には、地下300mから汲み上げている仕込み水が引かれています。月山山系のブナ原生林が水源となり、世界的にも珍しい火山性の石英質砂礫地層を通ったこの伏流水は、温泉法の定める25℃未満ギリギリの22-23℃と水温が高いのだそう。そういえば蔵から500mほどの距離に日帰り入浴施設「やまぶし温泉ゆぽか」があります。クリスタル地層でろ過された弱アルカリ性ph7.7、硬度19mg / ℓの超軟水は、一旦6基の貯水タンクで冷却ろ過した上で仕込みに使用しているそうです。

aizawa_kuramoto.jpgshikomimizu_takenotsuyu.jpg【photo】
ご案内頂いた竹の露酒造場 代表社員の相沢 政男さん(左写真) 蔵敷地内に湧く無菌超軟水の仕込み水。蔵元の話に耳を傾けながらもそのまろやかな味を確かめる参加者(右写真)

 蔵の中に取水口がついた導水管があり、声を掛けてから水を汲ませて頂く機会が多い竹の露酒造場の仕込み水は、湯田川の岩清水と並んで、鶴岡近辺では私が好きな湧水のひとつです。味の透明感が高く甘く柔らかなその水は、吟醸クラスではない例えば「特撰純米酒 白露垂珠」がそうであるように、精米歩合55%まで磨いた地元羽黒の米「出羽の里」と出合って酒として醸されると、より一層柔らかさが増すから不思議。sakamai_takenotsuyu.jpg口腔に広がる透明感のある柔らかな香り高い酒は、スッと綺麗に咽喉へと吸い込まれてゆきます。その元となる弱アルカリ性で健康増進と美肌効果も期待できるという水を皆さん美味しそうに味わっておいででした。

【photo】蔵には竹の露の酒造りで使用される地元の酒米が展示される

 民間育種が盛んであった庄内地方では、記録が残っているだけでこれまでに60人以上の育種家によって160種ものコメ品種が生まれています。一地域でこれほど多くの新品種を民間人が育種した例は他になく、研究熱心で進取の気風に富んだ庄内の一面を物語ります。その代表格が、近代日本が生んだ優良食用米の祖にあたり、近年では酒米として復活している「亀ノ尾」を創選した阿部 亀治の存在です。食する物の背景を知るのが目的である今回のツアーでは、竹の露で試飲用に亀ノ尾の酒をご用意頂き、亀ノ尾の原種となった3本の稲穂が発見された羽黒山の東、庄内町立谷沢の熊谷神社を二日目に訪れることになっていました。

daiginjyo_hakurosuishu.jpg【photo】IWCインターナショナルワインチャレンジ2009で金賞を受賞した「純米大吟醸 はくろすいしゅ」

 1858年(安政5)創業の歴史ある蔵では、自家栽培する亀ノ尾・京ノ華・改良信交・出羽燦々・出羽の里・美山錦の酒造好適米6種を始め、全て地元羽黒の米を使用した「地の酒」造りを行っています。同じ酒米でも作り手によって最適な水の浸漬が異なるため、仕込みはそれぞれ専用のタンクで行う徹底ぶりが、山田錦以外の酒米で競われる全国新酒鑑評会第一部で6年連続金賞受賞という輝かしい結果を生んでいます。今年の4月に162蔵元が359銘柄の酒を出品してロンドンで開催された「IWCインターナショナルワインチャレンジ2009」の

degstazion_takenotsuyu.jpg「sake部門」純米吟醸・純米大吟醸のカテゴリーで、最高賞のGold prize 金賞 全8銘柄のひとつに竹の露酒造「純米大吟醸 はくろすいしゅ」が選ばれました。精米歩合を40%まで高めた酒米の出羽燦々を蔵のお膝元で栽培したのは羽黒杜氏の本木 勝美氏。地の米・地の水が、地の技によって比類なき味わいを生み出します。

【photo】「こりゃ美味いわ」、「こっちは飲み口が柔らかいぞ」と熱気渦巻く試飲タイム

 待ちかねた試飲には、IWC金賞受賞酒の「出羽燦々 純米大吟醸 はくろすいしゅ」・「同 大吟醸 白露垂珠」・地元限定の「亀ノ尾 氷温三年熟成 純米吟醸 かすか」・「同 純米吟醸はくろすいしゅ」・県が独自に定めた基準に基づき、歴史風土を反映した優れた製品に与えられる戦略ブランド「山形セレクション」選定酒「出羽の里 純米吟醸 はくろすいしゅ」・現在では山形だけで栽培される酒米「改良信交 純米吟醸 はくろすいしゅ」・栽培地としては最北の「鶴岡山田錦 純米吟醸 はくろすいしゅ」・大正期に庄内で育種された「京の華 無濾過純米 白露垂珠」・出羽燦々の祖先に当たる「美山錦 純米吟醸 白露垂珠」の9種類の酒が用意されました。酸の立ち方や含み香などに酒米ごとの個性が表現されますが、いずれもこの蔵の特徴である芳醇端麗なキレの良さを持ち合わせているのが印象的でした。

tutti_takenotsuyu.jpg【photo】
食WEB研究所のフードライターとしても活躍中の女性利酒師、早坂久美さんもツアーに参加。地元以外では入手困難な「亀ノ尾 氷温三年熟成 純米吟醸 かすか」など、この日試飲した全アイテムを前にご満悦

 正直に白状すると、いつものように自分が運転する立場ではないのをいいことに、もはや試飲の域を超えてしまったワタクシ。居並ぶ美酒を前にしてほとんど仕事を忘れそうになる自分を葛藤の末にやっとの思いで引き戻し、再びラッシャー木村ばりのマイクパフォーマンス(?)を繰り広げながら向かったのは旧藤島町(現鶴岡市)が循環型農業の実践などを通して実現を目指すエコタウン構想の旗振り役であった相馬 一廣さんがおいでの「月山パイロットファーム」です。

 その夜、太田 政宏グランシェフ自ら解説付きでフランス風郷土料理の神髄を魅せて頂いた「レストラン欅」と、オプショナルツアーで訪れた"生ける伝説のバーテンダー"井山 計一さんの店「喫茶・バー ケルン」での一部始終はまた次回。

食の都・庄内 豊かな実りと癒しのバスツアー 第3幕 美味な名匠三重奏 に続く
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2009/10/31

盛況御礼 

「食の都・庄内 豊かな実りと癒しのバスツアー」第1幕
  昼食つながりの藤沢カブ畑訪問まで

 定員ちょうどの皆様にご参加頂いた河北新報の読者会員組織「かほピョンくらぶ」会員様限定の通旅「食の都・庄内 豊かな実りと癒しのバスツアー」。催行前日に体調不良を訴えたお二方から無念のリタイア連絡を頂いたものの、前夜に決行したお天気祭りが功奏し(笑)幸い天候にも恵まれ、私を含め合計30名によるバスツアーとなりました。通旅の名に恥じないコース設定については、今一度「私がご案内します」を参照願います。

kusatsu_yawata.jpg【photo】杭掛けされた稲が夕陽に照らされ長い影を作る秋真っ盛りの庄内。日光川上流部の酒田市北東部、草津地区付近から鳥海山を望む

 10月24日(土)7時45分の定刻に仙台駅前を出発、東北道・山形道を一路庄内へと向かうバスの中で、初日の行程をご説明するうち、気がつくとトイレ休憩をする予定の寒河江SAはすぐ目の前。事前に配布した「2009 山形県庄内新潟デスティネーションキャンペーン」のパンフレット「ごっつぉだの もっけだの 食の都庄内」でも紹介されている農家レストラン「知憩軒」の長南光さんや「レストラン欅」の太田政宏シェフ、そこで頂く予定になっている在来野菜の作り手などの訪問先に関して興に任せてご紹介するうち、60分近く喋り続けていたのです。早朝に家を出発し、まだ少し眠そうな皆様に居眠りする隙を与えない熱いトークを炸裂させてしまいました。仙台出身の私が、山形に半年通い半年暮らして一年だけ赴任した6年前から、いかに地縁血縁のない庄内地方に養われて09sakuma_farm1.jpgいるかをご理解頂くため、車中で披歴したのが朝食のこと。ご飯はツアーの行程に組み込んである「竹の露酒造」の仕込み水で炊いた鶴岡市渡前の井上農場産「はえぬき」を食べて来ていました。

【photo】黄色に色付いたブドウ棚のもとでブドウ狩りに興じる皆さん


 到着したサービスエリアの売店を物色していると、庄内で時として起こるアンビリバボーな言霊現象が、そこでも起きました。所用で東京に向かう途中だという井上農場のご主人、井上 馨さんと鉢合わせしたのです。井上さんは自宅に立ち寄ってもらえれば、バスの皆さんに試食用の新米を差し上げるとお申し出になりました。お人柄を物語る「もっけだの」なオファーでしたが、中身がぎっしりと詰まった二日間の行程から、井上さんのもとに立ち寄るのはまず無理。09sakuma_farm3.jpgせっかくのご好意でしたが、これから冷え込みが厳しくなると、ほかの青菜類の追従を許さない極めつけの美味しさになる小松菜が旬を迎えます。話題の新品種「つや姫」も食べてみたいので「いずれまた寄ります」と言って笑顔の井上さんとお別れしました。

【photo】使用する農薬を最小限に留めている佐久間ファームは、多様な生態系を形成する小動物が棲息できる健全な環境を保っている。ブドウの枝でじっと動かないアオガエルは何を思うのだろう

 茶褐色に染まる月山道路沿いのブナ林に深まる秋を感じつつ、ブドウ狩りをする最初の目的地「佐久間ファーム」に到着しました。葉が黄色く色付いたブドウ園には、食べ頃を迎えたブドウが鈴なり。テーブルの上にはハニーシードレス・ピオーネ・巨峰・赤嶺の四種類の試食用のブドウが用意されていました。09sakuma_farm2.jpg農園主の佐久間みつさんをご紹介するや否や、ブドウに皆さんが一斉に群がりました。いずれも糖度が乗った美味しいブドウです。「枝が茶色に色付いた房を選んで下さいね」という私の耳打ちの後、収穫用のハサミを手にした皆さん。消毒回数を最小限に留めて栽培されたブドウの味に感激して、持ちきれないほど買い込む方もおいででした。


【photo】佐久間ファームでは、20種以上の多彩な生食用のブドウに加え、鶴岡市上名川のワイナリー「月山ワイン研究所」に納めるワイン醸造用のブドウ品種も手掛けている。ボルドー・ポムロル地区やトスカーナ西部・ボリゲリ地区で卓越した高貴なワインを生み出す品種「Merlot メルロ」を目ざとく見つけて目を輝かせながら味見する参加者

hatake09_chikeiken.jpg【photo】知憩軒の駐車場前にある畑を興味深げに眺める皆さん

 昼食の予約をしていた「農家レストラン知憩軒」には、予定より早く到着したため、皆さんを事前にカラドリ芋、もってのほか、丸ナスなどの秋野菜が育つ長南さんの畑にご案内しました。築50年になるという母屋の厨房では、お母様の光さん・長女のみゆきさん・長男の奥様歩美さんらが総出で準備中でした。慌ただしい厨房とは対照的にゆったりとした時間が流れる客席で待つ私たちのもとに、ほどなくして藤沢カブの浅漬けが運ばれてきました。パキっとした食感と共にすがすがしい辛味の余韻が残る藤沢カブのみずみずしさに、皆さん感激されたご様子。どうやらバスの中で畑を訪れることになっている藤沢カブにまつわるストーリー【Link to back number】をお話したのが美味しさを増幅させたようです。

tsutabi_chikeiken091024.jpg【photo】伝統的な庄内の農家の味をベースに、上品に洗練された滋味深い味付けがなされた知憩軒の昼食

 定番の鼈甲餡(べっこうあん)かけ胡麻豆腐、凍り豆腐と野菜の煮付け、季節を感じさせる秋刀魚の煮付け、是非ものでリクエストしたカラドリ芋の味噌煮と茎の胡麻がけ、自家栽培する特別栽培米コシヒカリの新米おにぎり、香ばしい焼き大豆の炊き込みご飯も登場、デザートのホイップクリーム掛けラム酒風味の平核無(ひらたねなし)に舌鼓をうち、庄内ならではの秋の味覚を堪能しました。食事を運び終えてから、女将の長南光さんが伝統的な農村の暮らしを伝えるために始めた知憩軒のことや、地域の特色ある食文化を支えてきた在来野菜の価値について参加者に語りかけました。本当はhanashi_mitsusan.jpg畑にも繰り出して長南さんのお話をじっくりと伺いたかったのですが、すでに予定時刻を回っていました。長南さんにご用意頂いた最上川を挟んで南側が主に赤ズイキ、北側が青ズイキに栽培地域が分かれる二種類のカラドリを皆さんにお目にかけたところで、長南さん親子にお見送り頂き、知憩軒を後にしました。


【photo】食事を終え、命の基本である食べ物を生み出す農地や在来野菜など、守るべき物の大切さについて語る長南 光さんの話に耳を傾ける参加者たち

 湯田川温泉街の手前にある藤沢集落でバスを降りて歩き始めると、私たちの様子を見ていた近所のおばちゃんが「ここから山の上に行くのは難儀だのぅ」と、声を掛けてきました。事情をご存じのようで、後藤さんのお宅へ入ってゆき、我々の到着を奥様の清子さんに告げてくれました。こうしたフレンドリーな敷居の低さは、同じ山形でも内陸地方ではまず起こり得ない庄内ならではの傾向で、イタリアにも相通じるラテン気質を感じます。前世イタリア人の私が妙にシンパシーを覚えるのもむべなるかな。

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 連作障害が出やすい藤沢カブは、毎年畑を変えるため、皆さんをご案内する前に下見をしようと後藤さんのお宅を9月に訪れていました。その時は残念ながらお留守だったため、電話で場所を伺っていた集落を抜けてすぐの林道沿いに、藤沢カブの畑があるのを確認していました。過去6年にわたって畑を見ているだけに「いやに今年は畑が狭いな」といぶかしく思ったのですが...。

【photo】下見の際に訪れた藤沢集落のすぐ近くにあった小さな藤沢カブ畑(上写真)

 奥様が作業場に声を掛け、中から出てきたご主人の勝利(まさとし)さんに伴われて、徒歩で下見をしていた畑に向かいました。その小さな畑に着くなり、後藤さんは「ここは趣味の園芸」と笑って、「今年の畑はこの上」と畑を取り巻く竹林となった斜面を指差しました。楽勝かと思った畑訪問のためには、粘土質の急坂を100mほど登らなければなりません。冗談を言いながらスイスイと坂を登る後藤さんについて竹林の中を進むと、突然視界が開けたそこが、山の斜面を覆い尽くす藤沢カブの畑でした。
fujisawakabu_bamboo.jpg【photo】孟宗筍の名産地、湯田川らしい竹林が下手に広がる今年の藤沢カブの焼畑。収穫を待つ藤沢カブが山肌を覆う

 今年は90アールの面積に三世帯でカブを育てており、山里に根雪が積もる頃までが収穫の最盛期となります。杉を伐採して搬出を終えたままの荒地に残る下草を刈り、周囲の樹木に延焼せぬよう入念な準備をした上で火を放ったのが、8月18日。今年は雨がちな気候で例年よりも一週間ほど火入れが遅れたそうです。まだ煙がくすぶっている状態の斜面に種を満遍なく手撒きするという後藤さんの説明に、皆さん驚いた様子。生育不良に見舞われた昨年の経験から今年は播種の量を減らした結果、作柄が良いそうで、大ぶりなカブが多いようにお見受けしました。
con_gotousan.jpg【photo】ご案内頂いた後藤 勝利さん・清子さんご夫妻を囲んで記念撮影

 求めに応じて大きなカブを探しに行った後藤さんの足取りは、まるで義経の八艘飛びを見るよう。その身軽さは到底65歳とは思えないもので、これまた一同ビックリ! そこに少し離れた畑におられた清子さんが「皆さんに山登りをさせたから」と、泥つきの田川カブが入ったビニール袋を携えて「お土産にどうぞ」と持って来られました。田川カブは湯田川に隣接する少連寺発祥の希少な在来種。勝手にこちらが押し掛けたにもかかわらず、そんな心遣いまで頂く後藤さんご夫妻の優しさに皆さん一様に感激されたようです。climb_fujisawakabu.jpg

【photo】「趣味の園芸」畑の急斜面の上が藤沢カブを育てて50年近くなる後藤さん(写真左)の技が光る立派なカブが育つ焼畑がある

 私が持ちますよと申し上げた田川カブが入ったビニール袋を肩にかけた清子さんは、所々ぬかるんだ斜面をおっかなびっくり下る私たちを尻目に、さっさと下ってゆきます。収穫したカブの搬出でいつもそうしているという後藤さんは慣れたもの。かたやご参加頂いた皆さんは仙台とその近郊の在住者ばかり。はからずも都市生活者のひ弱さを思い知らされたのでした。

bargain_gotou.jpg【photo】後藤さんのご自宅前で開かれた生産者直売の特設青空市。ご覧のとおりの活気あふれる大盛況

 後藤さんのご自宅に戻って、収穫したての藤沢カブとカブの甘酢漬を譲って頂きましたが、こちらもバーゲン会場も顔負けの熱気が渦巻く黒山のひとだかり。笑顔が素敵な後藤さんの魅力も手伝って飛ぶように売れてゆきました。本来の味は焼畑でなければ出せない藤沢カブ。その味を絶やしてはならないと、手間と労力のかかる焼畑栽培にこだわる後藤さんの奥様が漬け込んだ藤沢カブの甘酢漬け(税込315円)は、直販以外には湯田川温泉を奥まで進んだ「ぱろす湯田川」でも入手可能です。絶えようとしていた藤沢カブの種を受け継いで復活させ、私たちが今もその味を楽しむことができる恩人が作った正真正銘の焼畑藤沢カブの味をお知りになりたい方は、こちらへどうぞ。

 ご夫妻揃ってお見送り頂いた後藤さんに見送られてバスが向かったのは、今回のツアーでは数少ない通常のパッケージツアーにも組み込まれる観光地でもある国宝・羽黒山五重塔。次回は、そこは省略し(爆)、仕込み水の試飲から始まった「竹の露酒造場」訪問の顛末をご紹介します。


「食の都・庄内 豊かな実りと癒しのバスツアー」 第2幕
酔って候@竹の露酒造場 月山伏流仕込水
 へ続く

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2009/10/24

モサと紀香と

犬猫スナック@酒田

 出張で酒田を訪れた日のこと。訪問先との打ち合せを終え、同市日吉町の老舗割烹「香梅咲」で歓待を受けた後、中町のとあるスナックに案内された。日本が生んだ世界のスタンダードカクテル「Yukiguni(雪国)」を50年前に考案した83歳の現役バーテンダー、井山 計一氏が今もカウンターでシェーカーを振る喫茶・バー「ケルン」には、酒田を訪れた際に時々足を運んでいたが、そこはケルンの斜め向かいにあった。ママが工芸ガラス好きなのだろうか、店の名を「Lalique ラリック」といった。

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【photo】すっかりいいムードの鈴木 豊さんと紀香。酒田市Laliqueにて

 色ガラスのシェードから漏れるスタンドの柔らかな明りに照らされたほの暗い店の一角で、アンニュイな雰囲気を漂わせていたのは、大柄な一匹のメス猫であった。ふさふさとした白く長い毛で覆われたその猫は、さも居心地が良さそうに指定席に身を横たえていた。外見からはノルウェージャンフォレストキャットか、恰幅の良いターキッシュアンゴラのようであるが、雑種なのだそうだ。客に愛想を振りまくでもなく、いつも普段はそうしているという。人に媚びることのない"我関せず"といった物腰からは、風格すら感じさせる。猫の常として当然だが、そこが接客業の店であるという自覚が全く無い彼女の怠惰な振る舞いから付いた名前は「モサ」。いつもモサっとしているから、モサ。ちょっと気の毒な名前かもしれない。

mosa@lalique.jpg【photo】美知代ママに抱きかかえられる気ままなモサは、この後プイッと店を出たまま戻らなかった

 ママの佐藤 美知代さんによれば、3年ほど前まで店のマスコット的な存在だった飼い猫が亡くなって半年ほど過ぎたある夜、彼女は連れ子を口にくわえた姿で現れたのだという。訳あり気な彼女は、そのまま店に居つき、そこに自然体で居るだけで店を訪れる男たちに構うでもなく癒しを与えてきた。獣医の見立てによれば10歳は下らないというから、人間の年齢に換算すれば70歳代のおばあちゃんということになる。齢を重ねてなお毛並みの良い彼女を愛撫してくる客を拒むでもなく、男たちの好きにさせるモサは、天性の水商売向きな猛者(もさ)でもある。

 私たちが時折ちょっかいを出しても微動だにしなかったモサが、突如体を起こして店の中庭に面したガラス窓のすき間から脱兎のごとく出て行った。何事かと振り返ると、男性客に連れられた一頭の大柄なゴールデンレトリーバーが店に入ってきたのだった。店の近くにある歯科医である鈴木 豊さんは、こうして犬連れで店をしばしば訪れるのだという。猫がいる飲み屋というだけでも珍しいと思ったのだが、その夜のLalique には犬までが揃った。「ちょうどいいタイミングでいらっしゃいましたね」とママは微笑んだ。

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 いっぱしの常連客であるその犬は、驚いたことにカウンターに腰掛けた鈴木さんの隣の椅子に器用によじ登り、ちょこんと座ってしまった。ママは「よく来たね、ノリカ」と呼びかけながら鈴木さんに酒と乾き物のお通しを出した。聞けば藤原紀香と同じ字のノリカなのだという。カウンターで寄り添う後ろ姿は親密な恋人同士のようにも見える。その様子を窓越しにじっと見詰めるモサ。並大抵のことでは動じないモサも、さすがに犬は苦手のようだ。Lalique は猫と犬と人がドラマを繰り広げる世にも珍しいスナックなのだった。肩を並べる鈴木さんと紀香があまりに絵になったので、野暮を承知でカウンターの中に移動し、正面から写真を撮らせて頂いた。

【photo】陣内智則になった気分で「紀香~」と名を呼ぶと、
小首をかしげて振り向く仕草がたまらなく可愛らしい

 紀香は同名の女優と同様、店を訪れる男たちを魅了する人気者である。私たちが店を引ける少し前に入ってきた紳士は、さも愛しそうに紀香を撫で回し、持ち合わせていた菓子を与えていた。語らずとも思いが通いあう男女のようにイイ雰囲気であった鈴木さんを差し置き、お手当てをくれるダンディな男性に心を許す素振りを見せる紀香は、奔放な一面も持ち合わせた魔性の女なのやもしれぬ。

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【photo】物欲しげな視線を送る紀香に「もっと食べるかい?」と問いかける鈴木さん。カウンターの中にはゴン太のササミジャーキーの袋が(写真左下)/ 美知代ママ(中央)が見つめる前で目尻を下げっぱなしの紳士にすり寄るおねだり上手な紀香(右写真)

 のちに写真を見て気付いたのだが、鈴木さんに出されたお通しかと思ったのは、毛並みが良く美形な紀香とは風貌が全く異なるものの、同じゴールデンレトリーバーのゴン太がユーモラス演技を見せるCMでお馴染みのドッグフード「ゴン太のササミジャーキー」であった。カウンター上に食べ物は見当たらないが、鈴木さんも紀香のササミジャーキーを酒の肴にしたのではよもやあるまい。

 
P.S. 鈴木さん、紀香とのツーショット、とても素敵です。かくなる上はもう一頭美形なワンコを飼って"両手に花"もオツだと思います。二頭目のワンコは仙台出身の美人女優の名前にあやかってみては? ノリカの次としてお勧めは「キョウカ」っすね。そう、鈴木京香。なぁーんて...(-_-; 
 酒場が舞台ということで、北方謙三や大藪春彦のようなハードボイルド路線でまとめようと目論んだ今回のレポート。いつもと文章の雰囲気を変えてみたものの、最後はオチをつけないと気が済まないのであった。

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Lalique(ラリック)
住所:山形県酒田市中町2丁目3-11
phone:0234-24-8583
営:19:30‐24:00 日曜定休

≪追 記≫
2011年3月11日、東日本大震災が発生した数日後、混乱のさなかにあった勤務先に「食べ物や飲み水など困っていることがあれば何なりとお申し付けください」という美千代ママ手書きのFAXが届いた。その年の暮れが押し迫った頃、癌で美千代ママが亡くなったことを知った。Laliqueの閉店によって居場所を失ったモサや指定席を失った紀香もさぞ淋しいことだろう。震災後の混乱にまぎれて人情味に厚いママに対して、何らお礼を申し上げることができなかったことが悔まれてならない。美千代ママのご冥福をお祈りします。

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2009/10/18

彦太郎と栗太郎と

予期せぬ出会い@鳥海山麓

swans@houei.jpg【photo】 天候不順だった今年も実りの季節を迎えた10月中旬の庄内。稲刈りを終えて黄金色から茶褐色に装いを変えた田んぼで羽根を休め、落ち穂をついばむハクチョウたち。鶴岡市豊栄にて

 山々から雪の便りが届く季節を迎えた今月10日(土)、鳥海山の山頂付近が雪化粧し、今年の初冠雪が観測されました。ピーク時には一万羽を超えるハクチョウが飛来する日本一の越冬地、最上川河口の「最上川スワンパーク」には冬の使者ハクチョウも既にシベリアより飛来。稲刈りシーズンも終盤に差し掛かった庄内地方の圃場では、落ち穂をついばむハクチョウの姿が見られるようになりました。豊かな実りの季節を迎えた食の都ですが、背後からは冬の足音がひたひたと近づいているようです。

【photo】 空気が澄んだ鳥海山の山腹にあるパン工房「BAKU麦」

bakubaku_1.jpg 好天に恵まれた爽秋のとある土曜日の朝。かねがね行きたいと思っていた庄内最北の遊佐町にある一軒のパン屋を目指しました。その店「パン工房BAKU麦(ばくばく)」は、喧騒を遠く離れた日本海を望む鳥海山の山腹という、通りすがりの客などおよそ期待するべくもない場所にあります。

 地元の人から聞いた話では、女性が一人で自宅併設の店を切り盛りしており、営業日は月・水・土の週3日だけ。11時から14時過ぎまで次々と焼き上がるパンの仕込みから全てをこなす店主は、ほとんど店頭には姿を見せず、作業場から客に時たま呼び掛けるだけ。来店客はパンを自ら袋詰めして店頭の電卓で料金を計算し、代金を箱に入れて(釣り銭も箱から取る)店を後にするのだといいます。1996年(平成8)の開店以来、買い方を説明する張り紙だけで店番不在の店内には監視カメラなど設置されておらず、いわば客の良心が前提になっています。「庄内人は気立てが良いさげのぅ。」(モノローグ by 庄内系イタリア人)

bakubaku_4.jpg【photo】 素材にこだわるBAKU麦のパンは、いずれも良心的な値段。無添加ゆえ時間が経つと硬くなるが、温め直せば焼きたての香ばしい香りと味が楽しめる。その味が忘れられずにせっせと通いつめる常連客も多いという

 こんな店をローマやナポリで開いたなら、性根の良からぬ輩の餌食となって、あっという間に潰れてしまうことでしょう(笑)。日本広しといえども、こんなユニークなシステムで運営されているパン屋がほかにあるでしょうか? 無添加にこだわって作られる焼きたてパンの美味しさは、いまや口コミで庄内中に広がり、その辺鄙な立地(おっと失礼(^_^;))と極めて素っ気ない接客ぶり(→正確に言えば、接客はしていない...。)にも関わらず、開店前からお目当てのパンを求めて並ぶ常連客で結構繁盛しているのだといいます。ジモティではない私が行けるのは必然的に土曜日のワンチャンスなので、なかなか行けずにいた次第。

hikotaro_sekihi.jpg【photo】 引き寄せられるように前を通りかかった遊佐町富岡の皇大神社境内にある「彦太郎糯発祥の地」を示す石碑

 カーナビの目的地をBAKU麦に設定、遊佐町内の普段は通らない細い道を気の向くまま走り始めました。R345沿いの家並みに紛れそうな小さな神社を通り過ぎようとした際、左ハンドルの車窓から横目でちらっと見えた石碑の文字に「おやっ?」と思い、車を停めてバックさせました。皇大神社の境内に建つその石碑には「彦太郎糯発祥の地」と刻まれています。しかもその端正な字は、古代東北史研究の第一人者、東北大学名誉教授の高橋富雄先生の筆耕によるものでした。

 このような場所に由緒正しき石碑があろうとは。そこはかつて1924年(大正13)に地元の民間育種家であった常田彦吉が、当時、餅米の主力品種であった「山寺糯」の変異種を発見、4年の歳月をかけて育種し、屋号から名付けた「彦太郎糯(もち)」が誕生した地・富岡なのでした。

 彦太郎糯は、耐冷性に優れ、強い粘りとコクのある香り高い餅米として昭和初期から中期にかけて広く普及してゆきます。収量も多かったため、東北一円で栽培され、昭和30年代までは山形県内において作付けされる餅米のおよそ半数を占めていました。しかし1m50cmにも達する稲丈が災いして倒伏しやすく次第に圃場から姿を消してゆきました。一口に稲といっても、その丈は品種によってさまざまclicca qui。同じく庄内発祥の餅米で、古老が今もその極め付きの味を懐かしむ「女鶴(めづる)」が、機械化が進んだ高度成長期以降に姿を消していったのは、1mを超える稲丈と反収七俵という収量の少なさが災いしたからです。コンバインの改良が進む以前は、倒伏した稲を起こしながら機械刈りするのは大変な手間の掛かる作業でした。

vista_saitou_nojyo.jpg【photo】 標高150mの高台にある鳥海山麓 齋藤農場の眼前に広がる庄内平野最北端の風景。緑なす水田と黒みがかった深緑のクロマツ林の先にキラキラと輝く日本海。季節と時間帯によってさまざまに表情を変えるこの景色に齋藤さんご夫妻は魅せられたという(上写真) / 齋藤さんら若手農業者グループが立ち上げた有限責任事業組合「ままくぅ」で商品化した彦太郎糯と古代米の朝紫を加工した丸餅 / 1パック税込750円(下写真)

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 良質な鳥海山の水に恵まれた遊佐にあって、地元で生まれた彦太郎糯を人々の記憶から消し去ってはならないと考えた二人の若い農業者が、鶴岡にある県立農業総合研究センター農業生産技術試験場庄内支場が保存していた種籾500gを譲り受けて彦太郎糯の復活に向けて始動したのが2006年(平成18)のこと。その二人が「香り米」Link to backnumberでご紹介した伊藤 大介さんと、「スローフードフェスティバルin 庄内」Link to backnumberのパネリストとして登場した齋藤 武さんです。

saito_nojyo1.jpg【photo】 「彦太郎糯発祥の地」碑との遭遇直後、地元でも幻と化していたその餅米の復活を仕掛けた齋藤 武さんが農場主の齋藤農場が目の前に。不思議な巡り合わせでつながる出来事が珍しくない我がフランチャイズ、食の都庄内

 鳥海山の南斜面に広がる棚田の眼下にキラキラと輝く日本海を望む遊佐町白井新田藤井地区の標高150mほどの高台に、目指すパン工房BAKU麦はありました。女性店主がその日最後に焼き上げた2種類のパンを無事入手、店を出て車に戻ろうとふと右手に目をやりました。そして私の目はそこに立つ小さな看板に釘付けになりました。そこには「棚田の米屋 鳥海山麓 齋藤農場」と記されていたのです。彦太郎糯発祥の地の石碑に出合った足で、そのコメの復活に挑んだ人の農場たどり着くとは! 3月にスローフードフェスティバル会場でお会いして以来のご挨拶をしようと、BAKU麦のすぐ隣にある齋藤さん宅の番犬に吠えられながら家に声を掛けましたが、ご夫妻はお留守のようでした。

saito_nojyo2.jpg【photo】 鳥海山の傾斜地に入植した若き農場主、齋藤 武さん・万里子ご夫妻が「物語のあるコメ作り」をしようと始めた齋藤農場

 東京に生まれ東京農大を卒業した齋藤 武さんが、鶴岡の農家出身だったお父様に連れられて訪れた遊佐町の風景に魅せられ、「こんな場所で物語のあるコメ作りをしてみたい」と奥様を伴って未知の土地に入植したのが2001年(平成13)のこと。就農9年目を迎えた現在では、5.2haの水田で特別栽培農産物の基準を満たす減農薬無化学肥料栽培と無農薬無化学肥料で栽培するササニシキ・ひとめぼれ・コシヒカリといったうるち米、でわのもち・彦太郎糯の2種の餅米のほか、2004年に結成した有限責任事業組合「ままくぅ」のメンバーと希少な品種も育て、料理ごとに適したコメの多様性を提案しています。新たな家族が加わった齋藤さんご一家が登場するハインツ日本のWEBサイトの必見動画はコチラ(・・・サイト中「そして撒いた種と 出ない芽のことを」の画面中央に写る齋藤農場の右隣、桜の木があるのが「パン工房BAKU麦」 )

saito_fusai.jpg【photo】 人影のない藤井地区を移動中、万里子夫人(右)の運転するトラクターに曳かれた愛馬、栗太郎に乗って現れた齋藤 武さん(左)。またしても言霊現象がっ!!

 棚田の中を散策した後、鳥海山の水が奔流となって家々の中を流れる藤井地区を経て下界に戻ろうとしました。すると、棚田の中の道を馬に乗って歩む男性の姿が遠くから近寄ってきました。青いトラクターに先導された馬に乗るその男性には見覚えが。そう、その方こそ齋藤 武さんでした。命の源である水とコメを庄内に依存した私は、鳥海山頂の大物忌神社の神様を味方につけるのか、昨年10月に鶴岡市長沼温泉「ぽっぽの湯」で電話を差し上げた平田赤ねぎ生産組合の後藤 博さんが、たまたますぐ近くにおいでだったエピソードを以前ご披露したように、その地では心に描いた人や場所とバッタリ遭遇する言霊現象が時として起こります。

 奥様の万里子さんが運転するトラクターに引かれながら「馬を散歩させています」と語る齋藤さんが乗っていたのは、いずれ農耕馬として耕起(=田起こし)などの賦役に就かせるために飼っているという淡い栗毛の愛馬「栗太郎」でした。今回の掛け言葉なタイトルの意味がようやく判っタロウ?(笑)。自転車やスクーターに乗った飼い主と散歩する犬には見慣れていますが、犬よりはるかに大柄な馬を散歩させるとなると、スクーターごときでは全く釣り合いません。トラクターと農耕馬という組み合わせに妙に納得しながらも、今年で35歳になる齋藤さんのような若い農業者が農耕馬を飼っていることに、私は興味をそそられました。ひょっとして齋藤さんは近代文明と隔絶された環境で、伝統的な自給自足生活を送る庄内アーミッシュclicca qui かも? などというあらぬ妄想がよぎりましたが、文明の利器トラクターもお使いなので、どうやら違うようです。

takeshi_saito.jpg【photo】 農耕馬として役割を期待される栗太郎

 「人馬一体となって」という言い回しにあるとおり、かつて農耕馬は東北の農家にとって欠かすことのできない労働力でした。馬屋と人家が一体となった岩手県北の遠野周辺や南会津に見られる曲り家は、人と馬との関わりの深さを物語ります。

 そうして飼われた馬は、スマートなサラブレッドとは違い、日本在来の南部馬の血を引き、下北半島の尻屋崎周辺に年間通して放牧される半野生の寒立馬(かんだちめ)に代表される力強いがっしりとした体躯の馬たちでした。耕起・代掻き・田植えと大活躍した馬をいたわり、五穀豊穣を祈るために江戸期から始まった岩手の初夏の風物詩で国指定の無形文化財「チャグチャグ馬コ」も、そんな東北の農村風土が生んだ祭りです。ところが農業の機械化によって農耕馬が不要となった昨今、祭りに参加する馬の確保すら、ままならないのが実情だといいます。

 そうした祭礼用や輓曳(ばんえい)レースに出場させる目的ではなく、純粋に賦役目的で農耕馬を飼っているのは、少なくとも山形県内では自分だけだろうと齋藤さんは語ります。大学で畜耕について研究したという齋藤さんは、北海道和種馬(通称「道産子」)が働く北海道や岩手の農耕馬を飼育する農家のもとを訪ねたのだそうです。最新鋭技術が投入された農業機械とは違って、泥に足を取られながら一定の深さで曲がらずに進むことは、農耕馬にとって容易な作業ではありません。奥深い農耕馬と人との関わりに触れ、失われゆく農耕文化を絶やしてはならないと感じた齋藤さんが、栗太郎を飼い始めたのは、地元でもほとんど忘れられていた彦太郎糯の復活に取り組み始めた2006年からです。

 往年の名品種・彦太郎糯が誕生した地で、将来の農耕馬・栗太郎を育てる齋藤さんご一家。美しい眺望が開ける鳥海山の麓に暮らす家族が働く小さな農場から、これからどのような温故知新の物語が生まれるのでしょう。

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パン工房BAKU麦
住所:山形県飽海郡遊佐町白井新田字藤井北10-2
TEL:0234-72-3731
営:月・水・土曜日 11:00~18:00 ※売切れ次第終了

棚田の米屋 鳥海山麓 齋藤農場
住所:山形県飽海郡遊佐町白井新田字藤井北33-2
   (地番だけみると「BAKU麦」と離れていそうですが、隣合わせデス)
TEL&FAX:0234-71-2313
URL:http://www10.ocn.ne.jp/~f-saito/
Mail:f-saito@muse.ocn.ne.jp

追記
 今回のネタを仕込んでいた10月14日(水)付の日本経済新聞に掲載された「ぐるなび」の全面広告〈clicca qui〉に、刈り取ったばかりの稲穂を抱えるにこやかな齋藤さんご夫妻がドォーンと登場していて再びビックリ。これも言霊現象?? 
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2009/09/06

象潟の岩ガキ

旨さに参りましたっ m( _ _ )m
 @道の駅象潟「ねむの丘」直売所

 滋養強壮効果が高い栄養素が豊富で、まったりとしたその食感から「海のミルク」ともいわれる日本海の岩ガキ。そろそろ産卵期に入るため、最も水揚げが多い秋田県象潟(きさかた)周辺における今年の漁期は8月いっぱいで終了しました。そもそも食べ物には最も美味しい""があるからこそ、有り難みが増すのであって、年中同じものばかりでは季節感などあろうはずもなく、味気ない食生活になってしまいます。加温のために化石燃料を消費したり、海外から輸入するなど生産と輸送に余計なコストをかけてまで一年中同じものを食べようというのは、倣岸な発想だと思うのですが、いかがでしょう。

iwagaki_il_che.jpg【photo】 私がこれまで食べてきた鶴岡「アル・ケッチァーノ」の岩ガキ料理の中で最も美味しかったのは、今回象潟を訪れたちょうど1年前の2008年8月22日夜に奥田シェフが「イル・ケッチァーノ」を貸切のマンツーマンで作ってくれたこの温製岩ガキ。同店の人気メニュー「岩ガキの鳥海モロヘイヤのケッカソース」が、生の岩ガキを使用するのに対し、こちらは甘さがとろける絶妙な火加減で吹浦産の岩ガキが調理されていた。隠し味程度にほんのかすかに香る控えめなレモンとエシャロット、岩ガキの旨味が渾然一体となって調和するのは、まろやかなピュアオリーブオイルがつなぎの役割を果たすゆえ。シンプルなれどさすがのセンスが光る一品。Perfetto!!(ペルフェット!!=完璧)

 私が庄内系にメタモルフォーゼした2003年(平成15)の夏がそうであったように、太平洋高気圧よりオホーツク海高気圧が優勢な場合、北東から吹き付ける冷たい海風「やませ」の影響で、東北の太平洋側はすっきりしない天候の夏となります。今年も気象庁は東北の梅雨明けを特定しないまま9月を迎えてしまいました。そんな年でも東北を南北に貫く奥羽山脈が、季節風を遮って天候に顕著な違いをもたらすため、私のホームグラウンドである美味の宝庫・庄内地方を始めとする日本海側では、夏の陽射しを浴びることができる確率がぐっと高くなります。

nalanda_tandole.jpg【photo】酒田市あきほ町のインド料理店「ナーランダ」のタンドーリチキンセット。スープ・サラダ・仙台時代と変わらぬGANESHの「新茶の紅茶」を使用したアッサムティー(チャイ)などのソフトドリンクがセットで1,800円。この日の組み合わせはキーマカレー。タンドーリチキンまたはシシカバブの肉料理とカレー・ミニサラダとのセットは1,050円

 夏らしい夏を求めて訪れる庄内浜の夏の味覚といえば、何をおいても岩ガキを挙げなくてはなりません。南から鼠ヶ関・由良・吹浦と名だたる産地があります。なかでも鳥海山の伏流水が海中に湧き出してくる吹浦産の岩ガキは、象潟と並んで味には定評があります。マガキのヨード香が苦手ゆえ、生ガキを食べない私でも、庄内浜で揚がる天然物の岩ガキは全然オッケーどころか、大の好物。鳥海山の伏流水は養分が豊富で、そこに集まるプランクトンを餌に水温が低い汽水帯で5年以上、時には10年をかけてじっくりと育ったカキが水揚げされます。分厚く大振りな殻に入った身には海の旨味がたっぷりと詰まっています。マガキにはない濃厚な甘さは、岩ガキならではのもの。吹浦産の岩ガキがどうして美味しいかは、昨年6月に「プリップリでとろける吹浦の岩ガキ」【Link to back number】で触れています。

nalanda_maharaja.jpg【photo】ナーランダの看板メニュー「マハラジャカレー」。金管楽器のように突き抜ける鋭角的な辛さではなく、弦楽器や木管楽器なども加わったフルオーケストラの響きのように複雑で奥行きのある辛味に、まろやかな酸味も加わって見事な調和と厚みが生まれる。ライス付800円・ナーン付900円。要予約にてカレー(5人前)のテイクアウトも可

 象潟の温水路を訪れた8月22日(土)のこと。昼食は酒田市あきほ町のインド料理店「ナーランダ」でタンドーリチキンとキーマカレーのセットを頂きました。まだ時代が昭和だった頃、仙台市内の小松島に知る人ぞ知るインドカレーの名店ナーランダはありました。仙台で本格インド料理を提供する草分けであった1980年(昭和55)にオープンしたその店は、平成の世になり私が転勤で東京で暮らした6年の間に店を畳んでいたのです。消息が分からぬまま数年が過ぎ、オーナーの高橋ご夫妻と、桂小金治も思わずもらい泣きしそうな【注】 涙の再会を酒田で果たしたのが2003年の夏。じんわりとした辛味にもまして誠実なご主人の人柄が滲み出た旨味の勝った辛口のマハラジャカレーは、高橋オーナーが仙台時代からこだわりを持って作り続けている3日間じっくりと煮込んだ変わらぬ味が魅力です。店に立つお母さんの背中で眠っていた息子さんも今や高校生。たまに店の手伝いをしており、時の流れを感じさせます。私のように往時の味を懐かしみ仙台から足を運ぶファンも少なくないそうです。

tsuchida_kisakata.jpg【photo】道の駅象潟「ねむの丘」の直売コーナーにある2軒の鮮魚店のひとつ「土田水産」の店頭に並ぶ象潟産天然岩ガキ。捕獲後時間の経過と共に薄れてゆく海の塩味を生食で顕著に感じるのは朝採りゆえの新鮮さの証。一個600円(特大)から350円までと大きさによって値段が異なる

 この日、今シーズン最後となるであろう岩ガキを食べようと心に決めていました。当初は吹浦の道の駅 鳥海「ふらっと」と、道の駅象潟「ねむの丘」で岩ガキのハシゴをするつもりだったのですが、腹持ちの良いカレーセットとナーンでお腹は膨れたまま、一向に食欲は戻りません。そのため手前の吹浦はスルーして、にかほ市象潟へと直行しました。直売所には、佐々木鮮魚店と土田水産が軒を並べており、「今すぐむいて生で食べられます」と書かれた土田水産の店頭に並ぶ大きな殻付きの岩ガキを目にした途端、私の胃袋は蠕動(ぜんどう)運動を始めました。いわゆる別腹を確保しようという食いしん坊共通の生体反応ですね(^ー^)。その卓上には、道の駅象潟オリジナルのyuzuponz.jpg「ゆずぽんず」が置いてあります。土田水産会長の土田 吉樹さんによれば、当初はレモンを添えて岩ガキを出していた土田水産でも、柚子とローヤルゼリー・ハチミツが入った「ゆずぽんず」が岩ガキによく合うと好評なことから、近年ではゆずぽんずに切り替えたそうです。

【photo】岩ガキとの相性を考慮して製品化された道の駅象潟オリジナル「ゆずぽんず」(500mℓ入 / 577円・税込)。物産コーナーで購入可

 道の駅象潟に地物の岩ガキが登場するのは6月初旬から。鳥海山の伏流水が海中に湧出する場所が多い上、付近に生活排水が流れ込むような川が無いことから、とりわけ綺麗な海水に恵まれた小砂川(こさがわ)産が先陣を切ります。7月には月末まで漁が行われる小砂川と月初から漁が始まる象潟産が共に店頭に並びます。甘味が強く、地元でも時に人気が高い小砂川は、磯場近くの汽水帯で漁が行われます。かたや象潟では、比較的沖合いの水深7m~10mほどの海域で潜水漁が8月末まで行われます。そのため、ともに朝採りで店頭に並ぶ小砂川と象潟では、食べた時に感じる塩味や甘さの濃淡に違いが出ます。

iwagaki_kisakata.jpg【photo】象潟産天然岩ガキ。ふっくらとした身の中はさながらとろける生クリームのよう・・・。あぁ、来年の漁期が待ち遠しい

 象潟で代々鮮魚店を営む土田会長の説明によると、小砂川産の岩ガキは伏流水の影響で水温が低く、成長のスピードが遅いものの、豊富なプランクトンをたっぷりと採り込みながら大きくなってゆくといいます。小砂川産の岩ガキは、主に汽水帯に棲息するため、塩気はほとんど感じません。この日頂いた象潟沖の岩ガキは小砂川と比べれば伏流水の湧出口は少ないために甘味と同時に塩味を感じました。それでも海水がきれいなため、雑味の無い岩ガキ本来の味が楽しめるとのこと。確かにそのクリーミーな甘さは、吹浦産の上をいっているかもしれません。吹浦の岩ガキはプリッとした食感ですが、象潟のそれは加糖練乳のような甘くトロける食感なのです。これはもはや海のミルクどころか「海のコンデンスミルク」といった方がふさわしいでしょう。

 「(象潟・小砂川・金浦など)地元の岩ガキ以外は口にしたことが無い」と、なんとも羨ましいことを仰るにかほ市農林水産課の佐々木 善博さんは、半生になるまで火を通すことによって、より甘味を強く感じる「焼きガキ」もお薦めだと語ります。とろ~り半生で頂く小砂川の岩ガキ...。頭の中で想像は広がるばかりですが、こちらは来年の楽しみにとっておきます。


大きな地図で見る

(岩ガキとは全く関係のない蛇足ながら...)【注】 「ナーランダ」がまだ仙台にあった頃の1987年まで日本テレビ系列で毎週火曜日19時30分から放送されていた人探しとご対面が売りの公開TV番組「それは秘密です!!」をご記憶でしょうか? 司会の桂小金治が涙ながらに波乱万丈なエピソードを切々と読み上げた後に、一般視聴者が生き別れとなった親兄弟や恩人などと数十年ぶりに感動の再会を果たすというもの。ご対面を果たした一般視聴者を前に感極まって号泣する小金治をはじめ、レギュラー出演者であった三橋達也やケント・デリカットはおろか、会場の観客、恐らくは番組視聴者までがほぼ全員もらい泣きするという世にも稀な人情番組だった

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道の駅 象潟 ねむの丘
住所: 秋田県にかほ市象潟町字大塩越73−1‎
Phone: 0184-32-5588(代)
営:1F 物産館 9:00-19:00
  2F レストラン 眺海 11:00-16:00 17:00-20:30(L.O.20:00)
  4F 展望温泉 眺海の湯 9:00-21:00 
URL: http://nemunooka.jp/
◆土田水産  Phone: 0184-43-3052
◆佐々木鮮魚店 Phone: 0184-43-5650


インドカレーのやかた「ナーランダ」
住所:山形県酒田市あきほ町658-2
Phone:0234-24-9456
営:11:30-14:30(L.O.14:00)
  17:30-20:45(L.O.20:15)
定休:木曜(祝日の場合は営業)
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2009/08/16

香り米

目を閉じれば、アラ不思議...

yuza_maruko.jpg【photo】頂きを雲の中に隠した夏の鳥海山。田んぼの浮島のような木立の中に田の神が祀られる典型的な庄内の田園風景。遊佐町丸子にて

 穀倉地帯の庄内で見られる田園風景の特徴のひとつが、海原に浮かぶ孤島のように畦道沿いにぽつんと植えられた松などの木立の中や、道沿いに祀られた祠(ほこら)や地蔵堂の存在です。田の神を祭った祠の大きさには大小ありますが、地蔵堂の多くには、これまた庄内地方でよく目にする寄進者が手作りした色とりどりの細長い円筒形の飾りが下がります。同じコメどころの宮城・新潟はもちろん、山形県内でも村山・最上などの内陸ではあまり目にしない人々の民間信仰の篤さを物語るこうした風景や習俗には、どこか心を和ませるものがあります。

yashiro_sakata.jpg【photo】祠や地蔵堂などに寄進される庄内の下げ飾り。地元の方たちも意外と知らない呼び名をご存知の方は、ぜひご一報を...

 2004年(平成16)1月にNHKスペシャルで放送された「鳥海山~水の恵みに暮らす」では、鳥海山の麓にある遊佐町藤井地区でコメ作りを行う一軒の農家の暮らしが丹念に描かれていました。雪解けと共に山から人里に下りて来る田の神を迎え入れる祠を、人々はコメ作りに欠かせない鳥海山の恵みである水で田畑を潤す水路同様、大切に守ってきました。

 代掻きから田植えに始まるコメ作りを行う間、田の神は祠に留まって人々を見守ります。稲刈りを終えた晩秋、田の神は再び山へと還ってゆきます。鳥海山頂に本宮がある大物忌神社は、五穀豊穣の神です。毎年7月14日には、行政区画上は遊佐町に位置する標高2236mの鳥海山頂・7合目にあたる同町御浜・同吹浦の西浜・酒田市の宮海・日本海に浮かぶ飛島の五箇所で同時に御神火を焚き、火の見え方によって農作物の作柄を占う「御浜出(おはまいで)」(通称:火合わせ)の神事が行われます。

Departures.jpg【photo】映画「おくりびと」のワンシーン。ロケが行われた遊佐町の月光川河川公園の堤防には、今も椅子が置かれている

 オスカーを受賞した映画「おくりびと」では、本木 雅弘演じる主人公が鳥海山を背景にチェロを奏でる場面が登場します。遊佐町を流れる月光川の河川敷は、ロケ地として一躍有名になり、堤防にぽつんと置かれた椅子に腰掛けて記念撮影をする観光客が今もそこを訪れています。ロケ地からすぐ近くの小原田地区の稲作農家に生まれた伊藤 大介さん(29)は、主力のササニシキ・ひとめぼれに加え、大正期に地元遊佐の高瀬地区で常田 彦吉が育種した餅米「彦太郎糯(もち)」と、長粒種「プリンスサリー」などの香り米、リゾットに適した大粒種「オオチカラ」、赤・黒の古代米、白ナス「遊佐のお嬢さん」、ソース加工用に適したイタリア種のトマト「サンマルツァーノ」などの、ちょっと珍しい農作物作りに挑戦する意欲的な若手農業者です。daisuke_ito.jpg伊藤さんは、3月に庄内町で行われた「スローフード全国大会【Link to back number】」のパネルディスカッションで、パネリストとして登場した斎藤 武さんらと有限責任事業組合「ままくぅ」【Link to website】を2004年に結成します。濃厚な餅の香りと耐冷性に優れるものの、1.5mまでも丈が伸びて倒伏しやすいため、作付けが途絶えて久しかった郷土在来のコメ・彦太郎糯の復活に取り組んでいます。メダカやタニシのいる田んぼで作られる彦太郎糯の栽培については、コチラをチェック願います。

【photo】鳥海山(背景の山)を間近かに仰ぐ水田で、特色ある農産物に意欲的にチャレンジしている伊藤大介さん

 R7沿いの道の駅「鳥海 ふらっと」には、地元の産直グループ「ひまわりの会」に加盟する生産者60名の手掛ける農産物と加工品が並びます。そこに伊藤さんの農産物が置いてあります。粒が真っ黒な古代米と共に店頭にあったのが、除草剤の使用を8割控え、化学肥料を用いずに育てた特別栽培米「香米」でした。商品のパッケージには「白米に一割混ぜて炊き上げると、香り高いご飯になります」と書いてあります。以前に彼が手掛ける絶品のパプリカを目当てに畑を訪問した折、数個のバケツで栽培中の米に目をとめた私に「今、ちょっとイタズラしてまして...」と悪戯っぽく笑った彼の顔が浮かびました。

kaorimai_daisuke.jpg【photo】伊藤さんの特別栽培米「香米」(300g入 / 税込300円)

 彼のコメなら面白そうだなと思い、一袋買い求めました。コメ自体は外見上の特徴はこれといってない中粒種米で、香り米とはいうものの、炊く前の生米の状態では、普通の精米と香りに変わりはありません。ところが、我が家の定番・鶴岡市渡前の井上農場産の「はえぬき」や「ひとめぼれ」に混ぜて炊き上げたご飯からは、明らかに特徴的な香ばしい香りが漂ってきます。それは、前回取り上げた鶴岡特産の「だだちゃ豆」を一緒に炊き込んだ「だだちゃ豆ご飯」のような良い香りだったのです。

kaorimai_hitomebore.jpg

【photo】わかりやすいようハート型にしてみた(笑)井上農場産「ひとめぼれ」(写真右)と外見上は何ら変わらない伊藤さんの「香米」(写真左)

 香り米の薫香は、茹でた枝豆や小豆、あるいはポップコーンなどに例えられることがあります。ご飯を炊いた水は、香り米を買った日に立ち寄った遊佐町女鹿に湧く鳥海山の名水「神泉の水」。香り米のベースは、美味しさと安全性へのこだわりから月山のブナ原生林でたっぷりと養分を蓄えた梵字川水系の水を引き、抗生物質を与えない発酵鶏糞で土作りをした田んぼで育つ食味コンテストで数々の受賞歴に輝く井上農場の特別栽培米。ここまで役者が揃えば、向かうところ敵無しの美味しさは約束されたようなもの。無類の旨さを誇るだだちゃ豆を炊き込んだだだちゃ豆ご飯の香りに昇華しても何ら不思議はありません。私が目を閉じたまま、このご飯を食卓に出されたなら、間違いなくだだちゃ豆ご飯だと思うことでしょう。

riso_profumo.jpg【photo】香米を一割ほど混ぜて炊いたご飯からは、だだちゃ豆ご飯の良い香りがふんわりと...

 伊藤さんの香米が生み出すマジックをとことん楽しみたい方は、前回ご紹介したカニ汁の芳香に変化するだだちゃ豆入り味噌汁と一緒に召し上がってみてはいかがでしょう? エビやカニなど甲殻類とだだちゃ豆が良く合うことは、かつてアル・ケッチァーノのリゾットなどの創作料理で体験済みです。でも、白米なのにだだちゃ豆ご飯、だだちゃ豆入りなのにカニ汁...。 ?(゚_。)?
こりゃ、ややこしいったらありゃしませんね。

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道の駅 鳥海 ふらっと
住 所: 山形県飽海郡遊佐町大字菅里字菅野308-1
Phone: 0234-71-7222 (元旦以外無休・P有り)
URL: http://www2.ocn.ne.jp/~furatto/index.html

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2009/08/09

だだちゃ豆は、ががちゃの賜物。

鶴岡の夏に欠かせない味、だだちゃ豆 

kuromatsu_hamanaka.jpg【photo】道沿いにメロンの直売所が点在する酒田市浜中付近。日本三大砂丘のひとつ、庄内砂丘に営々と植林されてきたクロマツがR112沿いに続く防風林を形作る。不毛の砂地を豊かなメロン産地へと変えたクロマツは、冬の北西風に耐えてすべからく東の内陸側に傾いている。鬱蒼としたこの林が人造林であるとは、にわかに信じ難い

 鶴岡市湯野浜から酒田を経て遊佐町に至るR112やR7沿いには、長さ34kmに渡って835haに及ぶ広大な面積におよそ1000万本のクロマツが防風林を形成しています。これは江戸期以降に、不毛の砂地に私財を投じてクロマツの植林を始めた酒田の豪商・本間光丘(1733-1801)など、多くの先人がたゆまぬ植林の努力を続けた結晶です。植林前は強烈な季節風による飛び砂の被害に悩まされてきた酒田市浜中地区は、現在では日本有数のメロン産地となり、砂丘メロンは夏の庄内の味覚として欠かせないものとなりました。

malone_hamanaka.jpg【photo】先人が脈々と植林を続けてきたクロマツ林の中に防砂ネットが張られた一角に広がる砂丘メロン畑。巨大なメロンのオブジェがある庄内空港近くの酒田市浜中にて

 1872年(明治5)、旧庄内藩士が未開の原生林を切り開いて桑畑と一大養蚕施設に変えた鶴岡市羽黒町の「松ヶ岡開墾場」には、酒井 調良(1848-1926)が10万本に及ぶ苗木を和歌山や新潟など各地へ広めた「平無核」(ひらたねなし)こと庄内柿と、福島から導入された「あかつき」などのモモ畑が広がっています。お盆の頃、松ヶ岡では甘味の乗ったモモが旬を迎えます。明治政府から賊軍の扱いを受け、禄を失った3000名の士族たちは、まかないの食事だけの全くの無給で311ha の桑園と10棟の大蚕室を築きました(うち5棟が現存)。クロマツの防風林と松ヶ岡は、公益を重んじる庄内の気風を今に伝えます。

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【photo】旬を迎えた松ヶ岡の主力品種「あかつき」

 砂丘メロンやモモのみならず、昨年取り上げた民田ナスや沖田ナス、岩ガキなどと並んで、食の都・庄内において夏の訪れを感じさせてくれる食べ物の代表選手が、鶴岡在来の枝豆「だだちゃ豆」です。

ooizumi_chokubai.jpg【photo】シーズン到来を待ち焦がれる多くのだだちゃ豆ファンの期待に応えて今年もJA鶴岡大泉支所前にオープンした直売所〈左写真〉

 先月19日、旬を迎えただだちゃ豆の直売所が、鶴岡市白山(しらやま)のJA鶴岡大泉支所にオープンしました。近隣の栽培農家で早朝に収穫されたばかりのだだちゃ豆が枝つきで持ち込まれる直売所は、同支所前の駐車場で例年8月末まで営業を続けます。鮮度が命のだだちゃ豆だけに、朝8時30分の開店に間に合うよう次々と軽トラックで農家が持ち込む枝付きのだだちゃ豆を買い求める人で、直売所には行列ができます。車で訪れる来店客のナンバープレートを見ると、地元庄内のみならず、内陸山形ナンバーはもちろん、新潟・宮城・秋田など、県外からもその味に魅せられた人々が訪れていることが窺えます。同支所内にあるJA鶴岡産直館では、用意された生産者別の試食品を品定めしながら、袋詰めされた好みの豆を選ぶことができます。産直館・直売所とも、飛ぶように売れてゆくため、午前中のほうが品数は多くなります。お買い物は早い時間帯の方がよろしいかと。

【photo】鮮度抜群のだだちゃ豆は午前中に完売することも多く、午後再び畑で収穫した農家によって、第二便が直売所に持ち込まれることもしばしば
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 ほかの枝豆の追従を許さない甘さ・香り・旨みは、鶴岡でも極めて稀な例外を除くと、本来の産地を離れると失われてしまうデリケートな一面を持つだだちゃ豆。酒田市助役を3期務めた伊藤 珍太郎(1904-1985)は、郷土史家・名文家としても知られ、著作「庄内の味」(昭和49年刊)で、数ある庄内の優れた味覚のうち、誇るべき東の正横綱に位置するのが、旧大泉村白山産のだだちゃ豆であるとしています。噛み締めるほどに次々と異なる旨味が舌の上に生まれる白山だだちゃは、畑の芸術院賞ものに値するとも絶賛するのですから、ひとかたならぬ入れ込みようです。

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 収穫後、常温で長時間置くと味が変わりやすいため、だだちゃ豆はかつて庄内人だけの密かな夏の楽しみでした。予冷庫の整備と流通段階における保冷技術の発達、鮮度保持フィルム包装や脱酸素剤の導入で、今では全国にその名を轟かせるまでになりました。だだちゃ豆は築地市場で通常の枝豆の2倍にあたるキロ当たり1000円で取引されています。その登録商標権を持つJA鶴岡と鶴岡市が主体となった「だだちゃ豆生産者組織連絡協議会」(会長:富塚 陽一鶴岡市長)は、収穫時期が異なる10の品種【注】をだだちゃ豆として認めています。

【photo】根に根粒菌がついた枝付きのだだちゃ豆

 JA鶴岡の商標マークが入った袋詰めのだだちゃ豆は、厳格な基準に基づく採種・管理と、栽培法のもとで作られます。出荷されるのは、白山だだちゃの基本形となる2粒ザヤと3粒ザヤのみ。全体の15%程度発生する1粒ザヤは、手作業による選別の過程で規格外となりますが、旬に関係なくだだちゃ豆特有の風味を楽しめるフリーズドライの「殿様のだだちゃ豆」や、男女問わず好評だという「だだちゃ豆アイスクリーム」の加工用に回されます。鶴岡市大鳥ほか庄内地域をメーンロケ地に撮影され、今年8月全国公開されたホラーコメディ映画「山形スクリーム」(竹中直人監督)とコラボしたパッケージ商品が山形県内限定2万個で発売されています(8月末まで)。その旨さにあなたもきっと「んめの~!!(=庄内語「美味しい!!」の意)とscream(=英語「叫ぶ」の意)することでしょう。

dadacha_icecream.jpg 【photo】だだちゃ豆を使用したオススメ加工品2種。バニラアイスのひんやりミルキーな香りと、粒々になっただだちゃ豆の香りが溶け合う「だだちゃ豆アイスクリーム」は後を引く美味しさ(左写真)。オールシーズンだだちゃ豆ならではの芳香を味わえるフリーズドライの「殿様のだだちゃ豆」はビールのつまみやおやつに大活躍。どちらも やめられない 止まらない~(右写真)

 例年まず店頭に並ぶのは早生種の「小真木(こまぎ)」で、順に「甘露」「庄内1号」「早生白山」と続き、主力品種「白山(しらやま)」が出始めるのは、これからお盆の頃。今年は8月20日前ごろだろうといいます。この最も風味の良い白山の原型とされる系列「藤十郎」を創選したのが、良質のだだちゃ豆の産地として名高い現在の鶴岡市白山地区に生まれた森屋 初(1869-1931)という一人の女性でした。初の生家は、藩主から感謝状を受けたこともある篤農家で、明治期から昭和初期まで「亀ノ尾」「神力」と並ぶコメの三大品種とされた「愛国」の一系統「中生愛国」を創出したのは、実弟の利吉です。

【photo】収穫しただだちゃ豆の選別作業にあたるお母さんたち。鶴岡市白山地区にて

 1907年(明治40)、隣村の寺田にある長女の嫁ぎ先から「娘茶豆」と呼ばれる枝豆の種子を貰い受けた初は、実を結ぶのが遅い1本の変異種を偶然見いだします。茶色の産毛が覆ったサヤの谷間がくびれ、片側がほぼ平らで、反対側が大きく盛り上がり、多くが二粒入りであったその豆は、お世辞にも外見が良いとは言えませんでしたが、風味が優れていました。たいそうな働き者だったという初は、3年に渡って丹念に選抜を繰り返し、屋号に由来する品種「藤十郎」を確定させます。その豆の種子は、大豆のような球形ではなく、形状が歪んだシワの寄ったものでした。

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 シワの寄った枝豆は、そうでないものと比較して発芽率が劣るとされますが、枝豆農家ではそうした種子から実を結ぶ枝豆が美味しいことが知られていました。初は地区のお母さんたちと種を交換する中で、「オライの豆は一段と香りたげのぉ(=うちの豆は一段と香り高いわよ)」「いや、わぁのだて負けちゃいね(=いいえ、私のだって負けちゃいない)」と味を競いながら次第に作付を増やしてゆきます。庄内では、伝統的にコメ作りは「だだちゃ」(=お父さん)、畑仕事は「ががちゃ」(=お母さん)の仕事とされてきました。

【photo】今から99年前に森屋 初が創選した「藤十郎だだちゃ」の流れをくむ「白山だだちゃ」(上写真) 金峰山(写真右奥の山)から湯田川を経て、だだちゃ豆の畑が両岸に広がる白山地区を流れる湯尻川(下写真)

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 昨年4月に地域団体商標に登録された岩木山の麓で採れる津軽特産のトウモロコシ「嶽きみ」のような並外れた甘さと、茹でるそばから漂い始めるフェロモンたっぷりな香りを兼ね備えただだちゃ豆のトップブランドとして、藤十郎の直系品種である白山は後に品種が確立されます。直売所に持ち込まれる枝付きだだちゃ豆の根には、美味しさの証ともいわれる根粒がびっしりと付いています。これは空気中の窒素を葉から取り込んで固定化、自ら養分を生成するマメ科の植物に見られる現象です。白山地区は水はけの良い砂地土壌で、そこに良水に恵まれた金峰山麓より湯田川温泉を経由し、温泉水を含んだ湯尻川が流れてきます。川沿いの畑に朝霧が立ち込め、この適度な湿度が味わいに微妙な差異をもたらします。

 余剰米対策として国が生産調整を進める中で、コメどころ庄内では収益性の高い転作作物として、だだちゃ豆は農家にとって農地活用の救世主となりました。市町村単位で見た枝豆の作付面積は、鶴岡市が全国第一位の座に君臨しています。JA鶴岡大泉支所の直売所近くの公民館前には、森屋 初の業績を称える「白山だだちゃ豆記念碑」が2002年(平成14)に建てられました。白山だだちゃの誕生と普及にまつわる物語は、ひとめぼれ・ササニシキ・あきたこまち・コシヒカリdadacha_kinenhi.jpgなど、近代日本が生んだ良質米のルーツとなったコメ「亀ノ尾」を選抜した阿部 亀治の逸話にも相通じるエピソードです。庄内地域は民間育種が盛んな土地柄ゆえ、研究熱心な農家自身が品種改良を重ねる進取の気性が今も息付きます。碑文には豆の行く末を案じていた晩年の初が、家族に「豆の葉陰から見守る」と言い残したと記されます。

【photo】発祥の地に建てられた白山だだちゃ豆記念碑

 ニッポンの夏に欠かせないビールのつまみとしてはもちろん、皆さんにオススメしたいのが、数年前に農家民宿「知憩軒」の長南 光さんから教えていただいた味噌汁の具に使う調理法です。

 1:コメを洗う要領でサヤを洗って茶色の産毛を除く
 2:ダシ汁を沸騰させてサヤごと入れ3分ほど茹でる
 3:箸で茹で加減をみて、柔らかさが出たら味噌を加えて出来上がり
   ※風味が変わらぬよう、茹でるまで豆は必ず保冷状態に置くこと
 
ふっくらとしただだちゃ豆入りの味噌汁からは、アラ不思議、カニ汁のような香りが漂うではありませんか。普通に茹でる場合と同じで、くれぐれも茹で過ぎは禁物です。だだちゃ豆特有の心地よい香りが、美味しそうなカニの芳香に変化する不思議を味わえなくなりますので。

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大泉だだちゃ豆直売所
住所: 鶴岡市白山西野191 (JA鶴岡大泉支所・産直館白山店 駐車場内) 
時期: 7月20日前後 ~8月末
営業: 8:30~16:00頃 (売り切れ次第終了)
Phone: 0235-29-7865(大泉枝豆直売グループ)

JA鶴岡産直館白山店
住所: 同上
営業: 9:00~18:00(11月~2月は~17:30)
Phone: 0235-25-6665

JA鶴岡オンラインショップ「だだぱら」
URL: http://www.dadacha.jp/


【注】
「庄内一号」・「小真木(こまぎ)」・「甘露(かんろ)」・「早生白山」・「白山(しらやま)」・「庄内三号」・「晩生甘露」・「平田」・「庄内五号」・「尾浦」の10品種。このほか一般には種子が出回らず、「砂越(さごし)」・「細谷」・「金峯」・「外内島(とのじま)」などの地名や、「長五郎」・「庄左ェ門」・「伊兵ェ」など屋号の名がつく主に自家採種されてきた系列も存在する。saishu_dadacha.jpg(上写真:採種のため農家の軒先で風乾されるだだちゃ豆の株の様子)。天日干しの後、サヤから脱粒した種から、虫食いや病気の豆を除き、翌年の植え付けに使用する。森屋初が納得のゆく品種に育てるのに3年を要したように、自家採種は根気と時間を要する仕事である

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2009/08/01

トロける夏の誘惑 庄内編

ババヘラ名人の妙技 @ 遊佐町

 4月から秋の行楽シーズンにかけて、秋田の幹線道路や夏祭りの会場には、カラフルなパラソルを立てた露店の即席ジェラテリアこと「ババヘラ」が登場します。インパクトのある直球なネーミングの効果か、秋田発祥のご当地アイス、ババヘラという名前をご存知の方が多いのでは?

sedici_rakan.jpg【photo】穏やかな表情を見せる夏の日本海とは対照的に、鳥海山の溶岩流が形成した荒々しい岩肌に16体の羅漢と6体の文殊・観音などの像が刻まれた遊佐町吹浦(ふくら)の「十六羅漢岩」。荒れ狂う冬の日本海で落命した漁師の供養に地元「海禅寺」の僧侶寛海が単身5年の歳月をかけて明治元年に完成させた

 グランブルーの海がキラキラと輝く日本海に面した遊佐町を梅雨の晴れ間に訪れた先日のこと。良水に恵まれた庄内でも一二を争う美味しい湧水、遊佐町女鹿(めが)にある「神泉(かみこ)の水」を汲みに訪れました。女鹿はR7を1kmあまり北上すると、旧跡「有耶無耶(うやむや)関址」で秋田県境に接する山形最北端に位置します。集落の中にある夏でもひんやりとしたこの湧水の、すぅーっとカラダに染み込んでくるシルクのように滑らかで柔らかい飲み口の良さは、この周辺にある他の美味しい湧水の中でも特筆すべきものです。

aqua_kamiko_pescatore.jpg aqua_kamiko_09.jpg【photo】地区の生活用水として欠かせない「神泉の水」は、体に吸い込まれる独特の柔らかい口当たり。飲み口の良さは、数ある鳥海山周辺の美味しい湧水のなかでも間違いなくトップクラス

 地区の皆さんが大切に使っているコンクリート製の水場は6つに区切られており、県の観光データベースによると、上流から順に、飲料水、米研ぎと冷却用、野菜と海草の洗浄、衣類の洗濯用、漁具農具の洗い場、おしめ洗いと、用途が定められているのだそう。下から二番目の水槽で水揚げした岩ガキをタワシで水洗いしていた漁師のご主人と言葉を交わしながら、不動像が祀られた湧水口からポリタンクに水を汲ませてもらいました。上から二番目の水槽は、出荷を控えた岩ガキの生簀として使われています。25ℓ 容量のポリタンク2個を車に積み込むと、昼食を予約していた酒田市のフレンチ「Nico ニコ」へと向かいました。昨年11月に同市亀ヶ崎にオープンしたこの店は、フランス風郷土料理の名店「欅」の太田政宏シェフのご子息、舟二さんが独立して構えた店です。片道30分はかかる道のりを急ごうと、集落の細い道を抜けてR7を南下し始めました。

babahera_aritigiana.jpg 間もなく海沿いの反対側車線にある広い路側帯に立つパラソルを発見しました。「あっ、ババヘラだっ!!」Nico の予約時間に遅れるわけにはゆきませんが、今シーズン初のババヘラを見過ごすのも野暮というもの。そこを100m ほど通り過ぎてからUターンしました。酒田市以北のR7沿いには、私が知っている限りでババヘラの出没スポットが数箇所あります。そこは秋田県境からおよそ2.5kmの地点でした。県内一円に営業網を張り巡らせた発祥の地・秋田県内はむろんのこと、県境を接する青森県津軽地方や、海水浴客が訪れる北庄内のR7沿いには、本拠地の秋田からババヘラが越境して来るのです。庄内でも最上川を越えた酒田市以南では、ババヘラをみかけたことはありません。

【photo】この日遭遇した若美冷菓は、ババヘラアイスの製造元としては今ひとつしっくり来ない社名(笑)。商標権を持つ進藤冷菓は「ババヘラアイス」と保冷容器に謳っているが、元祖を名乗る児玉冷菓は「ババさんアイス」と呼ぶ。"若美"だからという理由か(?)、店頭に"ババ"の表記は見当たらず、(イチゴとバナナの)「アイスクリーム」とだけ書いてある。果たしてそこに居たのは、ババヘラのレアな異種として知られる「ギャルヘラ」の若い女性ではなく、老練な秘技の使い手だった(上写真)

babahera_gialla1.jpg【photo】まずは黄色のバナナ味を盛る達人(左写真)

 ババヘラはその名の通り、酸いも甘いも知り尽くした年恰好のご婦人が、ほおかむり姿でパイプ椅子に座ってアイスを売る露店と、そこで売られるアイスを指す呼び名です。業者によって売り子さんの服装や商品の呼び名が異なるものの、ババヘラの保冷容器の中には、各業者とも黄色とピンク色のアイスが入っており、客の注文を受けたおババ様が金属製のヘラでコーンにアイスを盛り付けてくれます。氷菓子に分類されるババヘラは、アイスクリームより乳脂肪成分が少ないため、ジェラートとグラニータの中間のような食感です。

babahera_con_rosa2.jpg【photo】次に外周をヘラですくったピンクのイチゴ味を花弁状に付けてゆく(右写真)

 秋田県出身の同僚の目撃証言によれば、主に農家から売り子として召集されたおババ様たちは、販売道具一式とともにワゴン車で営業ポイントに連れて行かれ、40kgもあるアイス入り保冷容器をはじめとする商売道具を一人で組み立てて、日がな一日をそこで過ごして、日没前にお迎えの車で去ってゆくのだとか。 雨ニモ負ケズ 風ニモマケズ 夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲ持つおババ様。派手な呼び込みをするわけでもなく、道端でじっと客が訪れるのを待つその姿には頭が下がります。

babahera_rosa3.jpg【photo】テンポ良くリズムに乗ってヘラを操るババヘラ・マエストロは、すくった黄色とピンクのアイスで、コーンの上にあっという間にバラの花を形作った。これぞ"花咲かばさん"!?(左写真)

 私の直前に車で乗り付けた先客の求めに応じて盛り付けられてゆくアイスに私の目は釘付けになりました。そのおババ様は、噂に聞く秘技「バラ盛り」の使い手だったからです。バラ盛りとは、薔薇の花のようにアイスを盛り付ける難易度の高い技のこと。売り子さんによって、形の個性や技の優劣があり、一口にバラ盛りといっても形はさまざま。その変化形で「チューリップ盛り」なる流派も存在します。美しく盛り付けられるのは一握りの達人しか成し得ないといいいます。形から察するに、目に前で作っているのはチューリップではなく、バラの一種と思われました。私はこの日、ババヘラ歴4年目にしてバラ盛り初遭遇の幸運に預かったのです。わざわざUターンをしてまで戻った甲斐がありました。黄色はバナナ味、赤はイチゴ味とのことですが、味にはほとんど違いは無いような...v(^¬^;)

babahera_pront!.jpg【photo】名人作、可憐なバラの花を彷彿とさせるバラ盛りババヘラ

 年間を通して最も多くの観光客が秋田を訪れる竿灯祭りや大曲花火大会は、ババヘラにとっても書き入れ時。そのため大量のおババ様が動員されます。私が出会ったおババ様が所属する若美冷菓のほか、元祖を名乗る児玉冷菓やババヘラの登録商標権を持つ進藤冷菓などの各業者は、町内会単位のお祭りのスケジュールをあらかじめ調べておき、おババ様を計画的に派遣するのだといいます。おもに農家のお母さんやお婆さんの副業としての労働力に支えられているため、売り子さんが特定の場所を受け持つわけではありません。そのため、ババヘラとの遭遇には運も必要だといわれるのです。まして美しいバラ盛りやチューリップ盛りの使い手となれば、なおさらのこと。

 味の決め手となる生地の配合に凝るイタリアでは、花のように盛り付けられた形にこだわるGelati artigianali (=職人手作りのジェラート)に出合ったことはありません。バラ盛りマエストロの作ったババヘラは、"花の命は短くて"の例え通り、すぐに食べてしまいました。次回はいかなるArtigianale(=職人気質)と技量を持ったおババ様との出会いが待っているのか、楽しみになりました。

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2009/07/05

秘密の花園@深山

花盛りの「藤沢カブ」を訪ねて

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 仕事の都合がつかずに私は参加できなかったのですが、昨年11月に鶴岡で総合地球科学研究所(本部:京都)と山形在来作物研究会(鶴岡)・東北文化研究センター(山形)・鶴岡市の共催による「第二回焼畑サミット」が行われました。焼畑と野焼きの文化-今、東北が熱い!-と題するフォーラムの告知ポスターには、まだ真っ暗な早朝、山の斜面に火を放つ人の姿が写っています。炎に照らし出された眼鏡をかけた男性の横顔には見覚えがありました。それは紛れもなく2年前に「藤沢周平の故郷の味」Link to backnumberでご紹介した湯田川温泉街に隣接する鶴岡市藤沢地区で在来野菜「藤沢カブ」を栽培しておいでの後藤勝利(まさとし)さんでした。  【クリックで拡大⇒】

 焼畑によるカブ作りには、森林資源保持のために計画伐採される区画の確保がまずは必要です。消防署に届けをした上で、山焼きを行う前日までに切り株だらけとなった急斜面の下草を刈って整地するきつい作業〈clicca qui 〉を終えなくてはなりません。藤沢カブは連作障害が出やすいため、栽培する場所を毎年変えています。6年前、鶴岡市金峰山中の急峻な斜面に切り開かれた畑というよりはカブが一面に生えた山の一角を訪れて以来、後藤さんご夫妻の素敵な笑顔にお会いしたくて後藤さんのもとを毎年訪れて来ました。

yamayaki_06.jpg【photo】好天に恵まれた2006年(平成18)8月9日早朝。鶴岡市湯田川郊外、山谷地区の急斜面で行われた焼畑の火入れ 

 「焼畑農業」にどのようなイメージをお持ちでしょう? 未開地の非文明的な耕作法だという印象を持つ方や、環境保全型農業とは程遠い否定的な見方をされる向きが多いのではないでしょうか。これには、南米アマゾンや東南アジアの一部で横行する自然の回復サイクルを無視した無計画な伐採で熱帯雨林が失われており、伐採の主たる目的である焼畑が地球環境を破壊する元凶だとする情報が影響しているように思われます。対して、東北各地では雑草を燃やした草木の灰を肥料に地力を上げ、持続可能な循環サイクルのもとで雑穀や根菜類の栽培が古来より広く行われてきました。岩手・宮城を貫流する東北最大の川、北上川河口域には、茅葺屋根や葦簀(よしず)の材料となる国内最大級のヨシの原群落があります。収穫されないまま立ち枯れしたヨシに火を放ち、新たな芽吹きを促す野焼きが行われるのが、4月中旬。こうした「火耕」の知恵は、昭和末期までにわずかな例外を除いてほとんどが失われてゆきました。

2003.11.3fujisawa-kabu.jpg【photo】 20年前に当時60代半ばを過ぎた近所に暮らす女性から盃一杯分の種を託された後藤清子さんが、ご主人と採種を繰り返しながら大切に育ててきた藤沢カブ。2003年(平成15)11月、アル・ケッチァーノ奥田シェフの案内で初めて訪れたこの後藤さんの畑〈clicca qui 〉で勧められるままに土からもぎたてのカブにかじりつくと、すがすがしい辛みがパキッとしたみずみずしい食感と共に口腔いっぱいに広がった

 一帯を森林に覆われた鶴岡市温海(あつみ)の山あいにある一霞(ひとかすみ)地区では、400年以上前から伝統野菜「温海カブ」作りが行われています。湯田川温泉の南方、虚空蔵山を挟んで隣接する少連寺地区には、形状は温海カブ同様に丸いものの、より赤みと辛味が強い「田川カブ」、温泉街の東方に位置する藤沢地区でも地上に露出した部分が赤くなる細長い「藤沢カブ」、これら赤カブ系統ではなく、白く細長い形状の「宝谷カブ」は、同市宝谷地区にお住まいの畑山丑之助さんによって作られてきました。これらのカブに共通するのは、全て焼畑農法で作られているということ。これら以外の地区でも作付けされる温海カブ系統の品種は、焼畑ではない普通の畑で栽培されます。夏場は幾分品薄になりますが、晩秋から春先にかけて、鶴岡IC近くの「庄内観光物産館〈 Link to website 〉」では、各地の生産者が栽培した温海カブや同市大山の漬物専門店「本長」が製品化した藤沢カブの甘酢漬やたまり漬などを試食しながら選ぶことができます。私の好みは、焼畑で作られる藤沢カブや一霞産の温海カブですが、一口にカブの甘酢漬といっても造り手によって味はさまざま。どうぞお好みのカブラ漬をじっくりと選んで下さい。

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ojiichan_no_kabu_zukuri.jpg【photo】火の勢いを注視しながら山焼きの指揮をとる後藤勝利さんの凛々しい立ち姿。物腰が柔らかで小柄な後藤さんがいつになく大きく見えた     

(上写真)

後藤さんのお孫さん、ほのかちゃんの目を通して描かれた藤沢カブ作りが絵本化された「おじいちゃんのカブづくり」

(右写真)


 農村から都市部へ働き盛り世代の流入が続いた高度成長期、それまで各地に伝わっていた焼畑で栽培される在来種のカブの多くが、残された高齢者の手では重労働の焼畑で作ることができなくなり、多くの種が消滅してゆきました。庄内では珍しい赤く細長い系統のカブの種をただ一人作っていた近所の知人から「種を絶やさないで」と託された奥様の清子さんと共に後藤さんが作り続けてきた藤沢カブは、徐々に需要が広がり、作付けを増やしてきました。そんな後藤さんご夫妻にとって、大きな励みになったのが、昨年2月に鶴岡市出身の絵本作家 土田 義晴さんの手で、後藤さんをモデルにした絵本「おじいちゃんのカブづくり」(そうえん社刊 1260円)が出版されたことでした。現在は郷里の鶴岡を離れて東京で創作活動を行っている土田さんは、1年半に渡って後藤さんの畑に足を運んで精力的にカブ作りの模様を取材されたのだそうです。

【photo】私たちが今日この美味しいカブを食することができる恩人自らが漬け込んだ甘酢漬は、一般の流通には乗らない限定品。譲って頂いた藤沢家富(カブ)〈clicca qui 〉と、お土産にと頂いた美味しさはなんら変わらない不揃いのカブ。この藤沢家富 甘酢漬のラベルにある通り、「まぼろし」のカブにまつわる物語を知るにつけ、味わい深さもまたひとしお
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 杉材が切り出された区画を選んで下草を刈り、8月の夜が明けきらぬ早朝から行われる山焼きに始まる後藤さんのカブ作り。自家採種した種を撒いてから2ヶ月弱で収穫が始まる藤沢カブが、収穫の最盛期を迎えるのは10月末から。火入れによって土壌から病害虫が駆逐されるため、肥料や農薬などの人工的な要素は一切使用せずに育つカブの収穫は、山一面が雪に覆われる頃まで続きます。昨シーズンは生育が遅れ、丈の短いカブしか収穫されず、思うように出荷できなかったご苦労を年末にご自宅で伺いました。

fujisawa_29_12_2008.jpg【photo】昨年12月29日朝に訪れた藤沢カブの畑(上写真手前)。2003年にカブを栽培した畑があったのが奥の白い山肌を見せる山。例年より積雪が少ないものの、一面を雪で覆われたそこは、静寂が支配していた。それから4ヶ月あまりを経た今年5月初旬、上記と同じ畑を再訪した(下写真)。丸5年を経過して緑の潅木が回復しつつある奥の山を見ても明らかなように、茫漠とした冬とは打って変わって生命の再生を感じさせた

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 カブの焼畑栽培が行われる地域では、5月になるとアブラナ科特有の菜の花に似た花を咲かせるカブに出合えます。温海カブを焼畑で作っている一霞地区では、道沿いに黄色い花が咲き乱れています。地元の有志が3年前から始めた「蕪主制度」で再評価の機運が起こり、長らく唯一の栽培者だった畑山さん以外にも栽培を再開する生産者が出始めた宝谷カブは、棚田の畦道に花を咲かせます。いずれも比較的身近かな所で栽培されるカブです。一方、後藤さんの藤沢カブは、ほとんど人が足を踏み入れない金峰山周辺の山中で栽培されています。人里離れた山の中でひっそりと花を咲かせる藤沢カブの菜の花畑は、私が大好きな春の風景です。

primavera_fujisawa2.jpg【photo】周囲の木々のバリエーション豊かな緑色の中に黄色いじゅうたんを敷き詰めたような愛らしい藤沢カブの花。人知れず深山に咲く花々は、北国にようやく訪れた春と、やがて種を結んで命の連環を果たす喜びに満ちている

 人を容易に寄せ付けない山中ゆえ、雪が積もる季節には、かんじきを履いて山に入り、雪の下から甘みの乗ったカブを掘り出すこともあるといいます。昨年12月29日の朝、例年より積雪が少ない山に入って畑の様子を見に行きました。そこはキツネやカモシカはもちろん、クマも生息する場所です。新雪の上に点々と続く野生動物の足跡の先にある畑で、藤沢カブたちは雪の下で眠りについていました。

 そして金峰山が一斉に芽吹きの季節を迎えた5月上旬。私が初めて後藤さんのもとを訪れた2003年(平成15)にカブを作っていた区画の手前に作られた新たな畑では、藤沢カブが種をつけるために精一杯黄色い花を咲かせていました。「 誰も知らない秘密の花園...」というアイドル時代に松田聖子が放ったヒット曲はもちろん(?)、小鳥のさえずり以外は何も聞こえてきません。深山の木々は、萌黄や浅緑など多種多様な緑のパッチワークで彩られています。鬱蒼とした木々に囲まれた畑の一角だけが、黄色に輝くありさまは「金の峰」というその山の名にふさわしい光景でした。
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 詳細は追ってご案内しますが、この秋、収穫作業真っ只中の藤沢カブの畑を訪れる行程を組み込んだ仙台発のバスツアーを計画しています。ツアーのプロデュースは庄内の魅力を知り尽くした庄内系イタリア人。実りの季節を迎えた旬の美味の数々と癒しに満ちた庄内の魅力を一泊でたっぷりと味わって頂けますので、どうぞご期待ください。
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2009/06/14

東北初「真のナポリピッツァ」誕生

Verde Ischia ヴェルデ・イスキア
穂波街道 緑のイスキア

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 またひとつ「食の都・庄内」に国内外から真価を認められる新たな魅力が加わりました。この春、鶴岡市羽黒町にあるピッツェリア「穂波街道 緑のイスキア」が、ピッツァ発祥の地、ナポリに本部を置く「Associazione Verace Pizza Napoletana アソチアツィオーネ・ヴェラーチェ・ピッツァ・ナポレターナ(以下、真のナポリピッツァ協会)」から、本場ナポリの味を伝える店として、東北初の認定を受けたのです。

【Photo】「真のナポリピッツァ協会」認定店の目印は、このプルチネッラの看板。店ごと登録順に通し番号が発行される。古参の認定店であることを示す登録番号10を掲げるナポリ湾に面したサンタルチア地区にある庶民的な老舗リストランテ・ピッツェリア「Marinoマリーノ」

 ピッツァ専門店 Pizzeria ピッツェリア(イタリア人は「ピッツェーア」と発音)にとって、栄誉な真のナポリピッツァ協会認定店となるには、同協会が定めた厳格な基準をクリアしなければなりません。世界共通の通し番号入りの認定証が交付される認定店には、噴煙を上げるヴェスヴィオ火山とピッツァを薪窯に出し入れする際に使う柄のついたヘラ状の道具「Pala パーラ」を手にした協会のシンボル、ナポリの古典劇に登場するsalita_s.anna_brandi.jpg黒マスクに白装束姿の道化「プルチネッラ」が描かれた VERA PIZZA Napoletana と記された看板を掲げることが許されます。穂波街道 緑のイスキアは、4月20日に大阪で行われた交付式で、世界で296番目、日本では30番目の認定証が贈られました。

【Photo】ピッツァ・マルゲリータを編み出した「Brandi ブランディ」(写真左の旗が掲げられた店)は、王宮前広場にあるエレガントなカフェ「Gambrinus ガンブリヌス」脇の路地を入ってすぐの場所にある。真のナポリピッツァ協会非加盟ながら、発祥店の誇りをかけた絶品との呼び声が高いマルゲリータ(下)を求めていつも客足が絶えない

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 一口にピッツァと言っても、地域ごと独自の文化が息づくイタリアでは、厚みのある四角いピッツァを切り分けて量り売りする Pizza al Taglio ピッツァ・アル・タッリオや生地を揚げた Pizzetta ピッツェッタなど、スタイルはさまざま。バジル・チーズ・ラルドを使ったMastunicola マストゥニコーラなるピッツァの原型が17世紀に、18世紀半ばにはトマトソースを載せた生地に火を通す現在のスタイルが登場したピッツァ発祥の地ナポリでは、生地の美味しさが際立つカリッとした外側と、モチッとした内側の食感が命です。ナポリと並ぶピッツァ文化の両雄と目される首都ローマでは、パリパリしたクリスピータイプの薄い生地が特徴のPizza Romana ピッツァ・ロマーナが主流となります。ことピッツァに関してローマvsナポリの好みを申せば、私は断然ナポリ支持派。ふっくら盛り上がった生地の外周部分「Cornicione コルニチョーネ」のモチモチした食感はナポリピッツァだけのものです。

di_matteo.jpg【Photo】ナポリ中心部ドゥオーモ近くのVia Tribunali トゥリブナーリ通りにある42号認定店「Di Matteo ディ・マッテーオ」のマルゲリータ。'94年のナポリサミットでビル・クリントン米大統領がお忍びで訪れた店として知られる。当時の村山富市首相は、歓迎夕食会の席上、急性胃腸炎でダウンし入院。ローマで酩酊騒動を引き起こした中川大臣といい、日本の閣僚にはイタリアの食事が鬼門?

 1984年、ナポリの名だたるPizzaiolo ピッツァイオーロ(ピッツァ職人)らが中心となって旗揚げした真のナポリピッツァ協会は、Pizza Napoletana ピッツァ・ナポレターナの伝統技術を守り、後世にそれを伝えるための綿密なDisciplinare(=規約)【pdf】を作成しました。2006年9月には日本支部【Link to Website】が設立され、第二次大戦後にBrandi_Napoli.jpgイタリア南部からの移民が伝えたピッツァを独自に変化させたアメリカ経由でもたらされたピザパイ文化が根強い日本において、ナポリ本来のピッツァの姿を伝える啓蒙活動を行っています。

【Photo】1989年、マルゲリータ誕生100周年を記念する大理石のプレートが発祥の店 Brandi 外壁に掲げられた。120周年にあたる今年、協会による記念事業が行われる

 宅配で届くピザには、テリヤキチキンやプルコギ(!)、コーンやパイナップル(!!)などの具がさまざまにトッピングされ、もやはそれは国籍不明のピザ風ミートパイ状態。極めつけはイタリア人が聞いたら卒倒しそうなマヨネーズソース(!!!)にお決まりのタバスコを振りかけ、あらかじめ切れ目の入ったそれを手でほおばるのが日本に定着しているピザの食べ方です。便利な宅配ピザを否定はしませんが、これらはナポリピッツァとはおよそかけ離れたもの。ゆえに前世イタリア人の私は、世間一般に使われる「ピザ」という和製英語にどうしても違和感を覚えます。近年、本場で修業した日本人ピッツァイオーロが作る薪窯の薫りが香ばしい生地を味わう「ナポリピッツァ」を提供する店が増え、ようやく本来のピッツァが市民権を得てきました。

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【Photo】真のナポリピッツァ協会は、電気やガスなどの熱源を窯に使用することを一切認めていない。薪や木屑を燃やして摂氏450℃~485℃に窯の内部を保つようピッツァイオーロに求めている。窯の床面で焼かれるピッツァは1分あまりで出来上がる。この穂波街道 緑のイスキアのピッツァ窯には、審査で店を訪れたガエターノ師匠の熱い心意気を示す「心の底から幸運を祈ってるよ」という意味のハート型メッセージ〈clicca qui〉が書き加えられた

 日本的なピザはさておき、まずは良質の水と食材の宝庫・庄内に誕生した東北初の協会認定店のピッツァがいかなるものか味わってみましょう。最初にお断りしておきますが、Brandi がそうであるように、認定店でなければ本格ナポリピッツァが味わえない訳では決してありません。認定を受けようとする店が協会に申請の上、対価を支払って審査・認定を受ける認定店ではありませんが、鶴岡市役所裏手の馬場町にある「pizzeria Gozaya (ゴザヤ)」でも、本場よりは幾分小さめなジャポネーゼ仕様ながら、オーナー兼ピッツァイオーロの三浦 琢也さんが薪窯で焼き上げる真っ当なナポリピッツァが頂けます。ピッツァ・ナポレターナお約束の"外パリ中モチ"な香ばしい生地は、紛れもないナポリピッツァそのもの。ナポリピッツァの代名詞ともいえるマルゲリータで500kcal、同じくマリナーラで350kcal ほどと意外に低カロリーなので、胃袋のキャパに自信がある方は、真のナポリピッツァのハシゴにチャレンジしてみては如何? ゲプッ...scusi.

verde_ischia.jpg【Photo】店で提供するお米や野菜は、27年以上に渡って無農薬で土を作ってきた庄司さんの田んぼや畑で採れる安全なもの。その田畑に囲まれて建つ「穂波街道 緑のイスキア」

 鶴岡市中心部から赤川に架かる三川橋を越えると、R345の両側には豊かな穀倉地帯が広がってきます。波打つ穂波の中にぽつんと浮かぶイタリア国旗を掲げる孤島のような白い総二階建ての店、穂波街道 緑のイスキアの原点は、東京から羽黒の農家に嫁いだ庄司 祐子さんが、ご主人の渡さんと農業法人「J・FARM」を立ち上げ、自家製の有機野菜とアイガモ農法で栽培するコメの直売所を開店させた1994年(平成6)に遡ります。 ほどなく始めたのが、まだその頃は東北はもちろん全国でも珍しかった農場直営のレストラン「穂波街道」でした。当時は畑で採れた野菜を使ったカレーなどの親しみやすい料理を提供していた穂波街道が、最初の転機を迎えたのが、2年後に鶴岡ワシントンホテル料理長を辞したばかりの現「アル・ケッチァーノ」オーナーシェフ、奥田 政行氏を料理長として迎え入れ、イタリア料理店としてメニューを一新したことでした。庄司さんが自家栽培したハーブやオーガニック野菜を取り入れたイタリアンはやがて評判を呼び、素材にこだわる本格イタリアンとして、観光ガイドブックで紹介されるようになります。

vista_aragonese.jpg【Photo】古代ローマが礎を築き、ゴート族・アラブ・ノルマン支配の後、15世紀半ばにナポリを支配していたアラゴン家のアルフォンソ王によって、陸地と通路が渡されて要塞化されたCastello d'Ischia イスキア城(下写真)より望む緑に覆われたイスキア島。手前の町はIschia Ponte イスキア・ポンテ。庄司建人さんが修行したピッツェリアDa Gaetano はここからすぐ近く

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 2000年(平成12)春に奥田氏が独立した後も農家イタリア料理店として営業を続けていた穂波街道に、私が最初に伺ったのが山形エリアを仕事で担当していた2003年(平成15)初夏のこと。レストランに隣接する庄司さんの田んぼでは、アイガモやフランスガモたちが雑草をついばんでいました。当時の穂波街道で印象的だったのは、風に揺れる稲穂がどこまでも続く豊かな庄内の原風景に惚れ込んだ庄司さんの想いを込めた店名にふさわしい無農薬の健全な土から生まれるコメの美味しさです。数十種のハーブを栽培する畑の前には、農家レストランの体験メニューとして用意されたピッツァを焼くための小さな手製の窯も作られていました。

kenji_gaetano_ischia.jpg【Photo】旧東欧圏バルカン半島の付け根にあたるアルバニア出身の青年二コーラとイスキア島のDa Gaetano で修行中の建人さん

 その頃、東京で学生生活を送っていた祐子さんのご子息 建人(けんじ)さんが、ナポリピッツァの美味しさと出合い、ピッツァイオーロを志します。本場で腕を磨こうと決意した建人さんは、真のナポリピッツァ協会で主任技術指導員を務めるガエターノ・ファツィオ氏の店、「Da Gaetano ダ・ガエターノ」【Link to Website】があるイスキア島へと旅立ちます。ガエターノ氏は、これまでも数多くのピッツァイオーロを志す日本人を迎え入れてきた親日家でもありました。その中には、2003年にナポリで開催された「ピッツァ世界選手権」の個人部門で初めてイタリア人以外で優勝した「ピッツァ サルヴァトーレ・クオモ」(東京)のプリモ・ピッツァイオーロ 大西 誠氏も含まれます。(同店は2006年にチームテクニカル部門でも最高賞を獲得した) 15人のスタッフ中10人がイタリア人以外という国際色豊かなダ・ガエターノで、飲み込みの早い建人さんは、師匠の技術をわずか2カ月で習得して日本へ帰郷、母が営む店にプリモ・ピッツァイオーロとして迎えられました。店の中心にイタリア製の薪窯を据え、南イタリア風の白を基調とした内装のピッツァがメインとなるピッツェリア「穂波街道 緑のイスキア」として2007年11月にリニューアルします。

shinsa_honamikaido.jpg【Photo】今年3月に行われた本審査の模様。手前の赤いセーターを着た恰幅の良い後姿の男性がガエターノ・ファツィオ氏。

 真のナポリピッツァ協会日本支部によって行われる事前の書類審査と実地審査を経て、イタリア本部が派遣する協会役員によって行われる本審査に臨んだのが今年3月12日。建人さんの師であり協会の主任技術指導員を務めるガエターノ・ファツィオ氏、同協会日本支部長で1997年に日本初となる92号認定店となった兵庫県赤穂市のピッツェリア「さくらぐみ」オーナー兼ピッツァイオーロ【Link to Website】西川 明男氏、同支部副支部長で東京広尾と恵比寿の店が日本で3番目・4番目の認定店指定を受けたピッツェリア「パルテノペ」総料理長【Link to Website】渡辺 陽一氏ら3名が審査に当たりました。師匠と弟子の関係とはいえ、協会が定める厳格な規定に沿ったピッツァであるかを厳しくチェックされるため、そこに私情を挟む余地などありません。前出のDisciplinareにある通り、ナポリ周辺のカンパーニア州産と定められたモッツァレラチーズほか原材料や海塩に限るとされる調味料の産地はどうか、厳密に規定されている生地の配合具合・発酵と成型具合など素材の管理はどうか、必ず薪を使わなければならない窯の温度管理は的確か、35cm以下とされるピッツァのサイズや火の通り具合は均一か、定められた道具を使っているか、などなど。審査の厳しい視線や取材のカメラを前に緊張したと語る建人さんですが、焼きあがった完成度の高いピッツァに、ガエターノ師匠ら3人の審査員は高い評価を与え、晴れて東北初の認定店として認められました。

mare_forio.jpg【Photo】イスキア島西部の港町Forioフォリオ郊外。切り立った緑の森と水辺で戯れる人々が集う小さな砂浜

 あふれんばかりに陽光が降り注ぐナポリ湾の沖合いに浮かぶ美しい島々で最も大きな Isola d'Ischia イスキア島。海沿いの町を除く島の中央部には手つかずの自然が残っています。そのため「l'isola del verde(伊語で「緑の島」の意)」ともそこは呼ばれています。船着場がある島の表玄関 Ischia portoイスキア・ポルトからは、映画「イル・ポスティーノ」の舞台となったプロチーダ島がすぐ目の前。その彼方にはヴェスヴィオ火山の稜線を見晴るかすことができるはず。目線を南東に転ずれば、紺碧のティレニア海の水平線上に切り立った岩肌が露出する高級リゾート地カプリ島を望むことができるでしょう。外国人観光客がほぼ一年中絶えることのないカプリ島に比べれば素朴な漁村の一面も垣間見せるイスキア島を訪れるのは、温泉目当てのドイツ人を除けば、イタリア国内からのケースが多いようです。
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【Photo】多くのヴィッラが並ぶチェルノッビオの船着場前に建つヴィッラ・エルバ・ヌオヴァ。中庭を挟んで建つヴィッラ・エルバ・ヴェッキアでヴィスコンティは4時間を越える畢生の大作「ルートヴィヒ」の編集を手掛けた

 そんな一人が映画監督のルキーノ・ヴィスコンティ(1906-1976)です。若き日のアラン・ドロンを起用した「若者のすべて(1960年作品)には、尖塔が立ち並ぶミラノのドゥオモ屋上で撮影された場面が登場します。14世紀、この後期ゴシック様式の聖堂建造に着手したのは、ルキーノの祖先であるミラノ公国の領主ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティでした。ダヴィンチが15世紀に要塞化したミラノのスフォルツァ城をかつて所有していたのもヴィスコンティ一族。そんなミラノきっての有力貴族の血を引く巨匠は、一族の寄進で造られた町エミリア・ロマーニャ州グラッツァーノ・ヴィスコンティにある城館や湖水地方コモ湖畔などに所有する別荘を仕事場としても使っていました。大作「Ludwig ルートヴィヒ(1972年作品)制作中に発症した脳血栓で半身不随となった体で編集作業を行ったのは、コモ湖畔の高級ホテルとして有名な「Villa d'Este ヴィッラ・デステ」がある街Cernobbio チェルノッビオに母方のエルバ家が所有していた二つの壮麗な別荘「Villa erba ヴィッラ・エルバ」でした。

IschiaLaColombaia.jpg 【photo】ヴィスコンティが愛したかつてのヴィッラ「La Colombaia」は、2006年に博物館として生まれ変わった

 オペラや舞台の演出にしろ、映画作りにしろ、決して妥協を知らぬ完全主義者だったヴィスコンティは、芸術家たちが集う場として、また仕事を離れてプライベートな時間を過ごす場として、イスキア島西部の港町Forioフォリオの町はずれに建つ別荘を購入します。地中海に面した高台にある館は「La Colonbaia ラ・コロンバイア(=伊語で「鳩小屋」の意)」と呼ばれ、ルキーノは夏だけでなく時間を見つけては足繁く緑に覆われた館に通ったのだといいます。1982年(昭和57)に初版が、そして一昨年復刻版が出版された篠山紀信の写真集「ヴィスコンティの遺香」には、撮影当時は生前そのままに保存されていた別荘の貴重な姿が収録されています。巨匠が揃えたアールデコ、アールヌーボーの内装で統一された建物は、生誕100年を迎えた2006年に政府の肝いりで設立された「Fondazione La Colombaia di Luchino Visconti ラ・コロンバイア財団」によって、撮影で使用された衣装などを展示するヴィスコンティ博物館として生まれ変わりました。その裏庭には、永遠の安息を得る地としてそこに葬られることを望んだヴィスコンティの華麗な足跡とは不釣合いなほど質素な墓がありました。

tomba_visconti.jpg【photo】イタリア屈指の名家の血を引くヴィスコンティが眠るのは、お気に入りだったイスキア島の別荘「La Colombaia」のひっそりとした裏庭だった

 イスキアといえば、全国から訪れる悩みを抱えた人々を迎え入れ、おむすびに象徴される心を込めた手料理で生きる力を取り戻す支えとなる宿泊施設を青森県弘前市で主宰する佐藤 初女さんを思い起こす方もおいででしょう。初女さんの自宅を改装して造った癒しの空間は、「森のイスキア」と名付けられました。命名の由来は、何不自由ない満ち足りた暮らしをしていながら、ある日突然何もかもが嫌になり、生きる意欲を失った一人のイタリア人青年の逸話に基づくのだといいます。生きる目的を失った無気力な日々を送るうち、青年はふと思い立ってナポリの富豪だった父親に少年の頃連れて行かれたイスキア島を訪れます。喧噪を離れた島の中心部にある廃墟となった教会に単身滞在した青年は、自身をじっくりと見つめ直します。美しい島の自然風景に癒された彼は再び生きる力を取り戻し、やがて日常生活に帰ってゆきました。初女さんは、折れそうになった人の心を癒やし、立ち直る力を得る糧として、ご自身の言葉をお借りすれば、"ごはんが息をできるように"今日も優しくおむすびを握ります。

 人の心を癒す初女さんの愛情が込もったおむすびは特別にせよ、おむすびは日本人のソウルフードともいえましょう。現世では日本人ながら、前世はイタリア人だった私にとっては、おむすび同様に郷愁をそそるソウルフードのひとつが、ピッツァ・ナポレターナです。東北初の真のナポリピッツァ協会認定店誕生!との情報を入手し、穂波街道を再び訪れたのは、かつてそこから巣立った奥田シェフプロデュースの銀座店「ヤマガタ サンダンデロ」旗揚げを祝う生産者による壮行会に参加を求められた4月11日(土)昼過ぎのことでした。年間通して温暖な気候に恵まれ、グランブルーの海に抱かれた南イタリアの理想郷、イスキア島のVillaヴィッラ(=別荘)を彷彿とさせる明るい内装のピッツェリアにそこは生まれ変わっていました。早口でまくしたてるイタリアのWebラジオ放送が流れる店内には、イスキアのゆったりとした時間が流れているかのよう。

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【photo】生地には大手製粉メーカーに籍を置くパルテノペ 渡辺 陽一氏が配合する国産小麦粉とナポリ産小麦粉を使い分け、ナポリ産トマトソース(左)とナポリ東方45kmのサレルノ近郊から毎週空輸されてくる新鮮な水牛乳モッツァレラ・チーズ(右)を使う

 私が注文したピッツァD.O.Cをカウンターの中で手際よく仕上げてゆく建人さんの手元を頼もしげに見つめるのは店長の祐子さん。その目線に温かさを感じるのは、お母様なるがゆえでしょう。こうした親子・兄弟など家族で店を営むスタイルは、イタリアでよく見かけます。建人さんはあれこれ話を聞き出そうとする私と会話しながらも、窯を何度かのぞき込んでは焼き加減を確認します。燃え盛る薪に近いほうが先に焼けるので、金属製のパーラでピッツァを半回転させ、全体がこんがりキツネ色になったところで、協会が定める鉄製のパーラで焼きあがったピッツァを窯から取り出しました。そして建人さんは私の前世がイタリア人だと言葉の端々から悟ったのか、さりげなく「切ってお出ししていいですか?」と私に問いかけたのです。お、そこまで本場流にこだわるのかっ!

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【photo】全てハンドメードで造られるナポリ窯の最高峰「Gianni Acunto ジャンニ・アクント」の窯にピッツァを入れるのは木製(左)、向きを変えて窯から取り出すのは鉄製のパーラ(右)

 前出の協会が定める規約には、La verace pizza napoletana va consumata appena sfornata(=真のピッツァ・ナポレターナは焼き立てのうちに食べるべき)と明文化されています。食べ方にまで注文を出す本場ナポリでは、窯に近いかぶりつきのテーブルに陣取った地元のナポレターノたちは、切らずに出されたアツアツのピッツァをナイフとフォークを使って食べてゆきます。ズボラな私は、厳しい審査員の目が無いことをいいことに、建人さんのご厚意に甘えて、Prego.(=どうぞ)と答えていました。いずれピッツァは熱いうちに頂くのが店に対する礼儀です。撮影も早々にナイフで食べやすい大きさにピッツァをさらに切り分けてほおばると、喧騒と活気に満ちたナポリ下町の香りが口腔いっぱいに広がるのでした。

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【photo】カウンター脇から建人さんの仕事ぶりを見つめる祐子さん(上左)ピッツァD.O.C(上右)協会から授与された296の通し番号入りサインボードを手にする建人さん(下)

numero_296.jpg ナポリから1万kmも離れた地で、ナポリ文化そのものであるピッツァの味をよくぞ再現した!と師匠を納得させたそのピッツァは、身も心も(→「mi」とは言ったものの、ここでは「i=胃」を指すニュアンスが強いです、ハイ満たしてくれる、一皿で完結する料理を意味するまさに「Piatto unico ピアット・ウニコ」でした。26歳にしてピッツァ職人としての腕を認められた建人さんは、鶴岡にある本格的なピッツェリア同士、Gozayaの三浦さんとコラボでナポリピッツァの魅力を多くの人に知ってもらえる何か面白い仕掛けをしたいと語ります。緑に囲まれたピッツェリア、穂波街道ヴェルデ・イスキアは、今後どんな展開を見せてくれるのでしょうか。まずはともかく、Complimenti (おめでとう) Kenji!

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「真のナポリピッツァ協会」認定店
ピッツェリア「穂波街道 緑のイスキア」
  住所)鶴岡市羽黒町押口字川端37
     Phone 0235-23-0303  Fax 0235-57-4185
  イートイン・デリバリー:平日11:00-14:00 L.O 17:30-20:30 L.O
       土日祝11:00-14:30 L.O 17:30-21:00 L.O 火曜定休
  URL:http://www.midorinoischiak.com/
  Menu:ピッツァ・マルゲリータ 1,785円 ピッツァD.O.C(ドック)2,310円  
       食の都・庄内ならではの食材を活かした南イタリア料理も充実!!

◆「l'Isola del Verde(=緑の島)」こと、イスキア島およびDa Gaetano‎ はこちら
               
    
大きな地図で見る

ピッツェリア 緑のイスキアピザ / 鶴岡駅
夜総合点★★★★ 4.0
昼総合点★★★★ 4.0

追記
 2009年6月11日(木)、ナポリでピッツァ・マルゲリータ生誕120周年の記念イベントが行われた。世界中で愛されるマルゲリータの名前の由来となったのは、イタリア国民から広く敬愛されたサヴォイア家のマルゲリータ王妃(1851-1926)。マルゲリータを最初に考案したBrandiには、この日120周年を記念するプレートが贈られた。王妃に扮した女性が馬車でうやうやしく登場、ピッツァにかぶりつくパフォーマンスも行われた。一歩間違えれば"共食い"に見えなくもないマルゲリータの感想を求められられた"なんちゃってマルゲリータ王妃"は「Buono(=おいしい)」「Ottimo(サイコー)」とわかりやすいコメント。仮面姿のプルチネッラが振る舞い餅ならぬ"振る舞いピッツァ"で盛り上げに一役買ったお祝いムードに沸く当日の模様はこちら
    


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2009/05/17

お雛さまは、いとをかし

naitou_hina.jpg【photo】新潟村上の村上市郷土資料館(おしゃぎり会館)に展示された村上藩主内藤家旧蔵の大名雛。村上藩7代藩主 内藤 信親公に輿入れした庄内藩8代目藩主 酒井 忠器公の娘おいよ様が持参したと伝えられる

庄内系お雛さまの愉しみ方

 食べ物・飲み物への執着ぶりからして、完全に"色気より食い気"派だろうと思われがちな私ですが、それは誤解です。健全な身体を維持するためには、真っ当な食事が欠かせないのは無論ですが、それだけでは前世イタリア人のラテンの血は納得しません。全土が美に溢れた「Bel Paese ベル・パエーゼ」(=「美しい国」を意味するイタリア人が好んで使う言い回し)で前世を過ごしたゆえ、息を呑むような風景や建造物、歴史の淘汰を受けてなお人を魅了するバロック音楽や美術品などに接してココロの栄養も摂取しないと心身に変調を来たします。

 無機的なモダンアートは苦手ですが、琴線に触れる花鳥風月の対象は世の東西を問わず、時にそれは調和の美を重んじるギリシア・ローマに端を発する西洋古典芸術であり、9世紀から11世紀にかけてシチリアを支配したアラブ様式でもあり、酒田出身の写真家、土門 拳が心血を注いだ連作「古寺巡礼」で写し取った深遠なる和の精神世界や、最上川にほど近い戸沢村津谷に生まれた画家、真下 慶治が幾度となくカンヴァスに表現した最上川の雪景だったりもします。

kasafuku_2009.jpg【photo】大正ロマンを代表する画家、竹久夢二が酒田へのスケッチ旅行の滞在先として愛用した元料亭、「山王くらぶ」。北前船が酒田にもたらした往時の活気と賑わいを彷彿とさせる1895年(明治28)に建てられた凝った造りの建物は、国の登録有形文化財の指定を受けている。106畳の2階大広間に展示された色とりどりの大きな傘福

 ラテンの血といえば、色気と食い気が高いレベルで同居するイタリア人の血がなせる業なのか、洞爺湖サミットで会場となったホテルの女性従業員に二度三度と投げキスを送ったベルルスコーニ伊首相をご記憶かと思います。各国首脳による恒例の記念撮影が終わり、手を振るサルコジ仏首相clicca quiをつかまえて「男子たる者かく振舞うべし」とばかりに、熱いBaci バチ(=kissの伊語)を投げかけました。(リンク先の写真はイタリアの新聞「La Repubblica」webサイトより) 共にハグ&キスが挨拶となるラテンの国同士ですが、さすがはイタリア男!というひと幕でした。72歳にしてなお女性をめぐるゴシップに事欠かないベルルスコーニ首相。愛想をつかした20歳年下のベロニカ夫人と離婚の危機にあることがつい先日La Repubblica 紙などで報じられました。そんな隙間風が吹くベルルスコーニ夫妻にもぜひ鑑賞頂きたいのが、柔和な笑みを浮かべて仲むつまじく並ぶ日本の時代雛です。

shugetsu_mitsuike.jpg【photo】鶴岡市中心部の各商店が参加する「鶴岡商店街雛めぐり」の白眉は三井家蔵座敷2階広間に並ぶ3代目原舟月作の古今雛。上段は太刀持ちを従えた雛と内裏。二段目は三人官女。三段目が女性の七人囃子。舟月特有の吊り目がちな瓜実顔が揃うものの表情は全て異なる。一体だけ目尻を下げ、エクボを浮かべて微笑む写実的な表情をしたお囃子の美女が特に印象深い

 ここ数年、新潟下越地方の村上と山形各地、秋田由利本荘地域にかけて、北前船交易で江戸から明治期に主に上方より伝わった見事な雛人形を春先に公開しています。ご存知の通り雛人形と一口にいっても作られた時代と作者によって千差万別で、意匠を凝らしたその優美な佇まいは決して見飽きることがありません。雛人形が段飾りとなる以前の様式のため、大ぶりで厳かな表情が気品を漂わせる「享保雛」は商家など町方のお雛様でした。宮中の儀式における装束などを史実に基づいて公家や大名がオーダーメードした「有職雛」、作風を確立した京都の人形師の名で呼ばれる丸顔の「次郎左衛門雛」、現在に伝わる雛人形の原型となった写実性の高い「古今雛」、小ぶりながら精緻な細工が施された雛道具と共に段飾りされる「芥子雛」など。時代は違えど女児の健やかな成長を願う心は同じ。母から娘へと大切に伝えられ、愛されてきたお人形たちは、見る人を雅(みやび)な時代絵巻へと誘います。

spaghetti_salmone_zuppa.jpg【photo】喜っ川の「鮭のクリームスープ」はパスタソースにも最高。試作段階から「期待して下さいね」と吉川専務が語っていた意欲作のクリームスープには、甲殻類と通じるようなコクのある鮭の旨みがぎっしりと凝縮。鮭の切り身と青菜を少量加え、スパゲッティを和えるだけでプロ仕様の和洋折衷なパスタ料理の出来上がり。コレはクセになりそう

 京友禅の朱色や口紅の原料となった紅花の産地、山形内陸の河北町谷地(やち)や大石田町といった最上川交易の拠点、および庄内米の集積地として繁栄した酒田周辺と隣接する鶴岡などにもたらされた雛人形を一般に公開する雛祭りは、まず谷地地区で「谷地のひなまつりLink to Website」としていち早く観光行事化されました。庄内藩の城下町鶴岡と隣接する湊町・酒田では鐙屋や本間家などの豪商「三十六人衆」による自治都市として江戸期に栄え、北前船が寄航した日本海側一帯でもとりわけ質の高いお雛様が伝えられました。それらには古今雛の創始者である江戸の人形師、原舟月(しゅうげつ)の人形も多く含まれます。お膝元の東京周辺では戦災によりあらかた失われた名工の手になる雛人形が庄内には数多く残されています。そのお雛様の素晴らしさは日本各地のお雛様をみてきた雛人形研究の第一人者である藤田 順子さんが質・数ともに認めるところです。

hinagashi_fujitani.jpg【photo】3月になると「タイ切身」と品名表示されたこの「藤谷菓子舗」製の練り切り菓子同様、庄内各地のスーパー店頭にはこうしてパック詰めされた色鮮やかな雛菓子が並ぶ

 今年で3シーズン目となる雛祭り時期の訪問が叶った越後村上で鮭の買出しを兼ねて「町屋の人形さま巡りLink to Website」から今年の雛街道めぐりはスタートしました。商家に眠っていた時代雛という地域資産(=私が言うところの「あるもん」ですね)を一般公開し、客足の途絶えていた商店街に多くの観光客を呼び込む起爆剤となった村上の人形さま巡り。その仕掛け人でもある「味匠 喜っ川」の吉川 真嗣専務の意欲作で、絶妙のパスタソースにもなる「鮭のクリームスープ」、新巻鮭や世間一般の製品とは比較にならないほど奥深い旨みがある塩引鮭酒びたしなどを喜っ川で調達した翌日は、怒涛が岩に砕け散る少し前までの厳しい冬の表情から穏やかな春のそれへと変わったキラキラと輝く日本海沿いを北上して酒田を訪れました。最初に足を運んだ先は、それぞれに娘の幸福を願う意味が込められた手作りの吊るし飾り「傘福」が今年は特に見応えがあるという酒田市日吉町の「山王くらぶLink to Website」から。折からの「おくりびと」ブームも手伝って、そこはたいへんな賑わいでした。雛飾りとしての傘福は庄内のほか伊豆稲取と福岡柳川に同様の事例が伝わるだけだといいます。

   【photo】住吉屋菓子舗4代目の本間三英さん作の牡丹菓子。薄く延ばした花弁用の紅白の生地と葉の生地を型紙にあてて針でくり抜く。成型のための接着剤を使用せずとも生地は互いに付着するという。思わず蜜蜂も寄ってきそうな生花かと見紛うばかりの黄色いおしべには花粉がリアルに表現され、大輪の花びらには縦の筋まで刻まれる (写真提供:致道博物館)

 食い気ばかりではないと冒頭で大見得を切ったものの、庄内の雛まつりで見逃せないのが、特徴ある雛菓子の存在です。雛菓子と言えば、緑・白・赤の三段重ねになった「菱餅」や「ひなあられ」が一般的ですが、庄内のお雛菓子は京菓子の流れをくみながらも、独自の発展を遂げたものです。今年で10年目を迎えた庄内雛街道の隆盛とともに全国的にも珍しい庄内の彩り豊かな雛菓子文化は注目を集めるようになりましたが、戦後の物不足が解消してもしばらくの間、伝統的な雛菓子作りが庄内地方の菓子店でも途絶えた時代がありました。大変な手間がかかる雛菓子作りは、とても採算が合う仕事ではなかったからです。1979年(昭和53)3月発行の鶴岡市の広報紙には、当時の庄内で落雁(らくがん)・有平糖(あるへいとう)・雲平(うんぺい)などの雛菓子作りをただ一人続けていた鶴岡の菓子店「門屋」の主人、青沢 金太郎(故人)が紹介されています。

sumiyoshiya_degansu.jpg【photo】鶴岡市役所向かいの物産館「でがんす」に飾られていた住吉屋菓子舗3代目の本間三雄さん作の雛菓子《拡大表示》。巻鯛を中心に口細カレイ・鮎・庄内柿・松茸・バナナ・桃・民田ナスなどの題材を子どもの目を楽しませるよう愛らしく仕上げる

 初めて目にする独特の雛菓子に「これは一体何だろう?」と思ったのは、"庄内デビュー"を果たして間もない2004年(平成16)春先のこと。酒田市内の食品スーパー店頭で鮮やかな色どりのパック詰めされた商品に目がとまりました。「タイ切身」と書かれたその商品(1パック900円)は、どう見ても鯛の切り身ではありません。テラテラとした照りのある外観のサクラマスとおぼしき切り身とキッチュな配色の尾頭つきの鯛をかたどった食品サンプルのような外観を呈しており、ラベルの記載によると酒田市松山地区の「藤谷菓子舗」が製造した生菓子であることだけは判りましたが、どのような意味がある菓子なのか全くもって謎でした。

【photo】酒田の老舗「御菓子司 小松屋」の雛菓子は木型で造形する片栗粉細工。先代店主の故・小松久雄さんが本間家の依頼を受けて店に残る木型をもとに戦前までの製法を復活させたのが平成4年のこと。その技を受け継いだご子息の9代目店主 尚さんによる繊細極まりない筆使いと細工の巧みさをほんの数センチという菓子の小ささがより一層引き立てる
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 翌年、雛街道の時期に訪れた酒田の本間家旧本邸Link to Websiteと鶴岡の致道博物館Link to Websiteには、それぞれに壮麗な雛人形はもちろんのこと、牡丹をかたどった50cm以上はあろうかという大きな飾り菓子と、野菜や鯛などを模した淡い色調の打ち菓子(落雁)や寒天と溶かし砂糖でコーティングして照りを出したポップな印象すら与える愛らしい練り切り菓子などが展示してありました。祝い事に欠かせない鯛が雛菓子になるのは合点がゆくのですが、サクラマスがどうして雛菓子になるのか最初は皆目見当がつきませんでした。

 サクラマスは別名「雪代鱒」とも呼ばれ、峰々の雪代水が赤川に注ぎ始める3月初旬に日本海での流し網漁が解禁となります。川魚のヤマメの一部が孵化後2年目に海へと下り、日本近海とサハリン周辺で体長70cmあまりに育ち、銀鱗化したサクラマスとなって3年目の春に生まれた川へ戻り、秋の産卵に備えます。山形県の魚に指定されているサクラマスが遡上のピークを迎えるのは4月。雪に覆われた厳しく長い冬の終わりを告げるかのように川を遡上してくる初物のサクラマスのかわりに、北国に暮らす人々はその切り身をかたどった菓子をお雛様に供えて、春の訪れを祝ってきたのです。

 直径2mの赤い天蓋から999個にも及ぶ細工物が下がる最大の傘福をはじめ、60もの「さがりもの」が色とりどりに飾られた山王くらぶと、観光スポットとして人気が高い舞娘茶屋・雛蔵畫廊 「相馬楼」Link to Websiteでお雛様に供えられていたのが、1832年(天保3)創業の御菓子司「小松屋」Link to Websiteの可愛らしい飾り菓子でした。

 片栗粉をベースに粉砂糖、上新粉、山芋粉を混ぜた生地を木型で成型して日本画用の刷毛などで優しい色合いにひとつひとつ彩色したものです。淡くぼかした柔らかな色彩といい、職人が手彫りする精緻な木型の技術といい、その匠の技にはBravo!(ブラーヴォの「ラ」は巻き舌で発音のこと)と舌を巻くほど。小松屋さんの雛菓子は食用にするのではなく、お雛様に供えるためのものだといいます。見る人を魅了して止まないこの飾り雛菓子は数多くのバックオーダーを抱えている上、全て手作業によるため、注文した菓子が仕上がるのは2年後のことだそう。

honma_mitsuo.jpg【photo】丙申堂で行われた雛菓子作り体験で指導にあたる住吉屋菓子舗の本間三雄さん

 鶴岡に移動して向かったのは、黒土三男監督の映画「蝉しぐれ」で藩主の側室となったふく(木村佳乃)が、藩主の死去に伴い出家を決意、密かに思いを寄せていた文四郎(市川染五郎)との今生の別れとなる20年ぶりの再会を果たす場面が撮影された旧風間家住宅「丙申堂」でした。庄内藩随一の御用商人で、のちに荘内銀行の母体の一つとなる貸金業に転身した風間家の邸宅跡では、雛飾りの展示とともに熟練の菓子職人の手ほどきを受けながら、雛菓子作り体験ができました。庄内ひな街道期間中には、傘福飾りや雛祭りにちなんだ絵ろうそくなどを制作する体験プログラムも用意されています。なかでも繊細で色鮮やかな庄内の雛菓子の数々を目にするにつけ、かねてより菓子作り体験にはぜひ参加したいと思っていました。
 
 そこに指南役としておいでだったのが、大正期に創業した鶴岡市の菓子店「住吉屋菓子舗」の三代目ご主人、本間 三雄さん(74歳)でした。住吉屋さんの名を初めて知ったのは、庄内藩主酒井家に輿入れした諸大名の姫君が持参した数々の雛飾りと、金地に典雅な絵が描かれた大名家ならではの貝合わせや豪華な蒔絵と精緻な細工の飾り金具が施された漆塗の家紋入り雛道具の名品が公開される致道博物館でのこと。会場内には、鶴岡の各菓子店が技を競うかのように意匠を凝らした雛菓子が展示されており、その中でも前出の住吉屋菓子舗によるひときわ大きな紅白の牡丹菓子が印象に残りました。「富貴草」と名付けられたその牡丹菓子は、三雄さんのご子息で4代目の三英さんが手掛けたものでした。

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【photo】雛菓子作り体験に用意された「巻き鯛」の練り切り材料(写真手前)。紅白の練り切り生地と赤餡(左) 手で紅白の生地をあわせて丸く成型する(中) 中に赤餡を詰めて再び丸く平らにする(右)

 18歳で菓子職人として修業を始め、家業を継いで半世紀あまり。本間さんは鶴岡伝統の練り切り雛菓子の技を伝えて来ました。大粒種が主流となった戦後はほとんど姿を消した希少な白インゲン、小手亡(こてぼう)豆を白餡用に、小豆を赤餡用に裏漉しして皮を除いた煮豆を生地とします。水で溶いた砂糖水を加え、火にかけながら一時間ほど練り上げ、ここからツヤ出しの水飴を加える赤餡とは違って、白玉粉と砂糖を溶いた求肥(きゅうひ)と和えると生地にコシが出るのだといいます。庄内柿・民田ナス・孟宗筍・口細カレイなどの地元の産物を成型する練り切りの用途に応じて食紅で着色すると生地が出来上がります。

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【photo】紅白の練り切り生地のつなぎ目を指でぼかす(左) 白地に黒い生地の目玉をつける(中) 全体のバランスをみながら竹べらでウロコやエラなどをつけて完成(右)

 菓子作り体験の参加者に用意されていたのは、練り切りの中に詰める赤餡のほか、鯛・桃・民田ナスなど作る題材別に着色された生地でした。下ごしらえに手間がかかる和菓子だけに、限られた時間内に成型過程だけを体験してもらおうという主催者側の配慮なのでしょう。まずは参加者を前に本間さんが「巻き鯛」の作り方を実演して下さいました。丸い形状の巻き鯛は釣り上げた活きの良い鯛が尾びれを巻き上げている姿を表現したもので、木型で作る標本のような鯛とは姿形が異なります。otehon_honma.jpgこの道50年以上の本間さんは竹ベラを使って手際よく姿の良い巻き鯛を形作ってゆきます。名人のお手本を目の当たりにした私は、家族が選んだ桃や柿ではなく、巻き鯛作りに挑戦することにしました。

【photo】本間さんのお手本作品。民田ナスの棘があるガクの部分は束にした爪楊枝と和バサミで形作る

 まず赤と白の生地を1/2づつ手のひらで合わせ、指先で継ぎ目の色をぼかします。手のひらを重ねて丸く平らにした中に赤餡を詰めて外側を紅白の生地で包み込みます。再び平たくしたところで目玉を付け、竹ベラで背びれのギザギザやウロコなどを表現してゆきます。makidai_7.jpgいわば粘土細工と同じ感覚ですが、実物に迫る再現性を求められるだけに、それなりの器用さも必要。私の隣で巻き鯛作りに挑んだ男性は、四苦八苦の末お手本とはおよそかけ離れた仕上がりに苦笑いを浮かべておいででしたが、初めての練り切り菓子作りだった私の作品の出来栄えはいかがでしょう? 食べてしまうのがもったいないようでしたが、結局食い気には勝てずに翌日には残さず程よい上品な甘さの菓子を美味しく頂いたのでした。
(→やっぱり色気より食い気じゃん!)

【photo】庄内系イタリア人作 「赤マンボウ」 「巻き鯛」


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2009/04/26

「芽出し」と「芽摘み」の春

芽吹きの季節@鶴岡

 4月11日(土)の夜、「アル・ケッチァーノ」の厨房を支える生産者が集い、今月30日に東京銀座にオープンする山形県のアンテナショップに併設されるリストランテ「ヤマガタ サンダンデロ」(ディナータイムの営業が始まるグランドオープンは5月12日)のスタッフ壮行会が「イル・ケッチァーノ」を会場に行われました。奥田シェフから直接「来てね」と電話連絡があった以上、参加しないわけにはいきません。この日も取材を兼ねて