あるもの探しの旅

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2015/12/27

Io sono il feticismo di cuoio capitolo 3】

私、革フェチなんです 【第3幕】

クセに なりそう なってます。
肌に吸いつく魅惑のナッパレザー


 従前よりViaggio al Mondo をご愛読いただいている皆様は、庄イタが「革フェチ」であることを、先刻ご存知のことと思います。念のため申しておきますと、制服フェチの芸人が先日逮捕されて世間を騒がせましたが、革フェチには反社会性はございません。

 「革フェチ散財記」(2013.7拙稿参照)において、革を格子状に組み合わせる技法「イントレチャート」への偏愛ぶりを語ったのが BOTTEGA VENETAボッテガ・ヴェネッタ。そしてコインケースや名刺入れを「Io sono il feticismo di cuoio 私、革フェチなんです。(2010.12拙稿参照)で取り上げたPeroni ペローニなど、MADE in ITALY のハンドメードによる魅惑的な皮革製品が、庄イタの身の回りには少なくありません。

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【Photo】美の殿堂のようなフィレンツェで培われた皮革加工の伝統技術の結晶がPeroni ペローニの皮小物。その茶色のコインケースは、仙台銘菓「玉澤総本店 黒砂糖まんじゅう」と重なって見えてしまいます。それを実証した〝革フェチまんじゅう〟(2010.11拙稿参照)の元ネタとして取り上げた前回5年前から代替わりしながら使い続けているのがPeroni のコインケースと名刺入れ。縫い目がない一枚皮仕上げによる滑らかな曲線で構成されたフォルム。革フェチの動かぬ物証その1&2

 丹念な手作業による仕上げの良さ、使うたびに手で触れ、肌で感じる心地良さ。そしてイタリアンデザインならではの美しいフォルム。職人の手仕事フェティシズムに火がついてしまうと、容易にはその魔力から離れられなくなってしまいます。それが直接身につける靴や手袋などとなれば、なおさらのこと。

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【Photo】履き心地の良さとフォルムの良さを兼ね備えたイタリア靴コレクションより。革フェチの動かぬ物証その3&4&5。(左より順に)美食とポルティーコと斜塔と靴の街、ボローニャで1958年に創業したGianfranco Pini ジャンフランコ・ピーニ製メダイヨン装飾ウイングチップ。GUCCI グッチのビットモカシンは、黒を履き継いだこれが3代目。セットアップのジャケットスタイル用に一昨年購入したロングノーズのスリッポン・ローファー。靴好き垂涎の某「● erulutti」とデザインがほぼ共通のイタリア製

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【Photo】革フェチの動かぬ物証その6alfa Brera の革シートは、オプション設定だったイタリアを代表する家具ブランドPoltrona Frau ポルトローナ・フラウ製を指名。暖房機能付きで真冬のドライブでも優しく背後から暖かく包み込む官能的な触感は、まるで女性の滑らかな肌のようだった...。と、今はもう手放したクルマと別れた女性に思いを馳せ、革フェチならではの妄想と感傷に浸ってみる(笑)

 革フェチぶりの披歴ついでに、物証その7の前段となる参考品としてお示しするのが、茄子紺のハーフコート(下写真)。前々回「Principe di Salinaサリーナ侯爵」で、画像とともにご紹介したPiacenza のピュアカシミアは、濃紺のロングコートでした。残るもう一着のピュアカシミアコートがコチラ。

 ドレッシーな印象となる濃紺のロングコートはダークスーツと好相性。一方でこのハーフコートは、スーツやジャケット&パンツは無論のこと、休日の比較的カジュアルなスタイルで、素材感が近いウールのボトムスとの着回しにも対応可能です。

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 オンタイムユースの脇役には、馬蹄をかたどったアルファベットの〝A〟がアイコンとなる「AIGNERアイグナー」のA3サイズより若干小さめのカーフレザーバッグ(下写真)を使っています。

 ミュンヘン発祥のアイグナーは、ドイツ語で〝Chianti-Rot(キアンティの赤)〟と呼ばれるエンジ色がイメージカラー。カーフレザーの皮革製品で定評あるブランドです。濃紺にしろ、茄子紺にしろ、コートとの色の相性が良いので重宝しています。

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【Photo】革フェチの動かぬ物証その7。ドイツのブランドながら、本拠地のミュンヘンはイタリアとも近く、革製品は人材と技術の蓄積があるフィレンツェで製造するケースが少なくないというAIGNERのレザーバッグ。大切に使えば、新品時とそう変わらない高いクオリティが損なわれることはない

 生後6か月以内の仔牛の皮は表面が滑らかで、空拭きや栄養クリームなどの手入れをしておけば、色つやが褪せることはありません。ドイツブランドらしい飽きのこないオーセンティックな定番デザインと、型崩れしない堅牢な作りは定評あるところ。実際のところ、四半世紀に及ぶ庄イタの使用に耐え、ご覧の通りの高い質感を今なお保っているのですから、大したものです。

 なれど、デザインの美しさを重んじるイタリア人の感覚からすると、ドイツ製品は質実剛健ですが、今ひとつ〝華〟がない印象があります。そのため現在では、2着のピュアカシミアコートとの組み合わせ限定で、冬場だけ活躍してくれています。

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 革製品といっても、使用する素材と鞣(なめ)しの良し悪しによってクオリティは千差万別。皮革用として一般に加工される素材の中で、最も柔軟性に富むのが羊革です。キメ細やかでソフトなその感触は、まるで赤ちゃんの肌のよう。

 ピュアカシミアとの組み合わせにおいて、相性が最もよいと目されるのが、羊革でも最もキメ細やかで柔らかいラムスキンを加工したナッパレザーです。上質な鞣しを施したナッパ革は、セミマットな表情で、肌に吸い付くような触感があり、手の微妙な動きを損なわないため、手袋には理想的な素材となります。

 Piacenza の茄子紺のコートの襟元には「L'anima d'Italiaイタリア魂」(2015.9拙稿参照)の冒頭に登場したErmenegildo Zegna エルメネジルド・ゼニアのスカーフを、袖口にはこの極めて質感が高いラムナッパレザーの手袋を組み合わせています(下写真)

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【Photo】革フェチの動かぬ物証その8。細身のフォルムで、とろけるように柔らかく、しっとりとしたデリケートな触感のラムナッパレザーを用いた「Correalegloves コレアーレグローブス」の革手袋。心地良い革の感触を確かめるべく、意味もなく手袋のまま頬をスリスリすることが増えたかも

 柔軟なナッパレザーは、革素材の中でも、とりわけ伸縮性に優れています。そのため、手袋の使用後には縦方向に引っ張ると、多少の型崩れは元に戻ります。それでも10年以上使ってきた「Sermoneta Gloves セルモネータ・グローブス」の手袋には、ここ最近ヘタりが出てきました。

 昨年から後継となる革手袋を探してきた今シーズン。「阪急メンズ」の店頭で質感の素晴らしさに〝ビビ・・っ〟ときて即買いしたのが、ナポリで1986年に法人として創業した「Correalegloves コレアーレグローブス」のナッパレザー製手袋。PRADAほか世界のハイエンドブランドから手袋製造を委託される逸品中の逸品たる素材と仕立ての違いは、表裏一体の仕上げが施されたカシミアの裏地に手に通してすぐにわかりました。

correalegloves-2.jpg【Photo】Correalegloves 製手袋の裏地にはカシミアを使用。手首に馴染むよう半円形にカットされ、ギャザーの入ったが袖口が寒気の入り込みを阻む。シルエットの美しさと縫製の良さが光る

correalegloves-logo.jpg クラシコ・イタリアの聖地ナポリ発の手袋ブランドというと、1870年創業の老舗「Merola メローラ」が有名です。ほぼ同価格帯となるCorrealegoves の出発点は、小さな工房からスタートした1960年代のはじめ。素材選びとハンドメード技術の確かさに裏打ちされた仕立ての良さは、使うたびに実感できます。

 暖冬気味で、年の瀬を迎えた実感が伴わない2015年も残すところわずか。寒さ本番を迎えるこれからの季節、ハートまで暖めてくれる官能的なラムレザーの逸品を取り上げ、ヒツジ年のViaggio al Mondoを締めくくることにします。

 どうぞ皆さま良い年をお迎えください。
 Buon Natale e Felice anno nuovo!
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2015/12/13

Principe di Salina サリーナ侯爵

Il Gattopardo
山猫の世界を体感するピュアカシミアコート


 路面に積雪や凍結がなく、雨が降らない限りは、真冬でも自転車を仕事中の移動や通勤の手段としている庄イタ。暖冬予想が出ている今年。現在のところは、あまり出番がないイタリア製のピュアカシミアコートについて今回は語ります。

 4.5万人の住民の多くが繊維産業に従事するBiella ビエッラなど、ピエモンテ州北西部のヴァッレ・ダオスタ州にほど近い風光明媚な地域は、羊毛を服地に洗浄加工する際に欠かせないアルプスの良質な伏流水が豊富。そのため高級服地ブランドの生産拠点が集中することで知られます。

【Movie】イタリア繊維産業の心臓部がピエモンテ州ビエッラ県。自然豊かな環境に恵まれた町Pollone ポッローネにある「Fratelli Piacenza S.P.A.」本社工場では、膨大な生地見本のストックを抱える

 アルプスの山懐に抱かれたコムーネのひとつ、Pollone ポッローネで、ピエトロとジョヴァンニのフランチェスコ親子が毛織物工場を創業したのが1733年。

 1799年にはトリノで服地店を開店。1814年にはLanificio Fratelli Piacenza と改称。産業革命が起きた19世紀に編み出された最先端の紡績技術をいち早く取り入れた進取の気性は、創業から250年の伝統を積み重ねた今日もFratelli Piacenza S.P.A. の企業精神として受け継がれています。

【Movie】ゴビ砂漠北方の外モンゴル地域産カシミア山羊の胸の部分から刈った柔らかな産毛を厳選。手間を惜しまぬ伝統技法を受け継ぐ「Fratelli Piacenza S.P.A. 」の珠玉のカシミア生地は、触れた途端に魅了されるような繊維の宝石と呼ぶにふさわしい心地良い質感を有する

 Piacenza ブランドが、1990年から特に注力しているのが高級カシミア生地です。普及品で用いる金属針ではなく、伝統的なCardo dei lanaioli (オニナベナ)の実を人の手で組み込んだローラーで生地の表面を梳(す)くことで生まれるのが、逸品の証となるシルクのような光沢と独特の文様。その手触りは特有のヌメリ感があり、肌を包み込むような柔らかさがあります。

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 鈎状の突起が密集するオニナベナで起毛加工を施した上質なピュアカシミアは、妖艶なまでの輝きを放ち、しなやかで保温性と吸湿性に優れ、着心地はあくまでも軽やか。天女が羽織る羽衣は、きっとこんな着心地なのでしょう。

 希少性の高い美しい光沢を放つPiacenza のピュアカシミアに魅了され、一生ものとして濃紺のロングコートと淡い茄子紺のハーフコートの2着を愛用しています。着用後のブラッシングを怠らなければ、高い質感が損なわれることはありません。

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 今回、取り上げるロングコート(上写真)は、東京支社勤務時代に銀座・並木通りのセレクトショップ「サンモトヤマ」のメンバーセール「サンフェア」で購入した「Principe di Salina プリンチペ・ディ・サリーナ」のブランドタグが付いた一着。

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 その名を聞いてピンと来る方は、筋金入りのイタリア映画通とお見受けします。1963年に劇場公開された巨匠ルキーノ・ヴィスコンティ(1906-1976)の映画「Il Gattopardo (邦題「山猫」)」の主人公、Don Fabrizio Corbera , Principe di Salina (ドン・ファブリツィオ・コルベーラ,サリーナ侯爵)を連想させるからです。

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【Photo】当初はマーロン・ブランドを主役として想定していたというサリーナ侯爵。ハリウッド製フィルムノワールや西部劇への出演が多かったバート・ランカスターは、時代の荒波にのみ込まれてゆく威厳と憂いを湛えたシチリア貴族を演じ、新境地を開いた

 Il Gattopardo は、祖国統一運動でイタリアが混乱のさなかにあった1860年の物語。5月にガリバルディ率いる赤シャツ隊が上陸したシチリア島が舞台となります。18世紀からシチリアを支配していたスペイン・ブルボン王朝のもとでは、不在地主として体制側に属したサリーナ侯爵家。山猫を紋章とする名門シチリア貴族の目線を通して、民衆が台頭する歴史の転換点の中で、滅びゆく貴族階級の姿が描き出されます。

 ヴィスコンティが遺した17本の監督作品のうち12作の脚本を担当したスーゾ・チェッキ・ダミーコ(1914-2010)によれば、サリーナ侯爵は、貴族社会で育ったヴィスコンティ自身を投影した役柄だったといいます。侯爵を演じたのは、米国出身ながら見事なまでにシチリア貴族を演じきったバート・ランカスター(1913-1994)

 サリーナ侯爵家の当主たるバート・ランカスターは、185cmの身長以上に大きく感じる存在感を示しています。威厳に満ちた立ち振る舞い。伝統ある名門貴族の領袖たる気品。その一方で、抗いがたい時代のうねりに飲み込まれ、世代交代を迫られる者の諦念。やがて迫りくる死への怖れ...。

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【Photo】サリーナ侯爵にとっては華やかな舞踏会に身の置き場がなかった。疲れを覚えた公爵は裏部屋へと逃れる。死の床にある老人を描いたグルーズの絵画「義人の死」を前に物思いに耽るサリーナ公爵。胸に去来するのは自らに迫りくる滅びの予感

libro_gattopardo.jpg 人生経験を積み、酸いも甘いも知り尽くした男の魅力。50歳を目前にしていたバート・ランカスターの好演と、それを引き出した監督の眼力と手腕は、さすがというべきでしょう。

 原作は同じシチリア出身の貴族ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ(1896-1957)の同名小説。ミラノを拠点とする貴族出身だったヴィスコンティが1963年に映画化した山猫は、同年のカンヌ国際映画祭で、最高賞のパルム・ドールに輝きました。

【Photo】 フランス語版を元に日本語訳した河出文庫版の山猫(2004年刊)に続き、2008年には待望のイタリア語の原作から翻訳された岩波文庫版(右写真)が刊行された

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 数え切れぬほどのロウソクが灯る大きなシャンデリアのもと、着飾った実際のシチリア貴族80名を含むエキストラ240名と出演者が優雅に舞い踊る絢爛豪華な舞踏会シーン(上写真)は圧巻の一言!!

 サリーナ侯爵が目をかけている甥タンクレディ(アラン・ドロン)の婚約者アンジェリカ(クラウディア・カルディナーレ)から、是非にとせがまれてワルツの相手をする侯爵。衆目を集める2人にジェラシーを感じつつ見つめるタンクレディならずとも、庄イタから見ても堂々とした侯爵のエスコートぶりには惚れ惚れするほど(下写真)

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 名家の誇りを表現するのに欠かせない舞台装置のひとつが、丹念に作り込まれた衣装です。1951年公開の「ベリッシマ」以降、ヴィスコンティが手掛けた舞台や映画で、衣装デザインを担当したのが、1927年フィレンツェ生まれのピエロ・トージ氏。

 その証言によれば、ヴィスコンティは、幼少期から慣れ親しんだ貴族文化と時代考証をもとに、登場人物の衣装や帽子の微妙な色合いやデザインに関して事細かに指示を出したといいます。ハイレベルな監督の要求に応えるべく、舞踏会シーンのヘアメイク・裁縫師は総勢120名にも及びました。

 完全主義者として知られたヴィスコンティは、舞踏会の撮影だけで36日を費やしました。未明まで舞踏会が行われた広間の床には、ドレスから抜け落ちた鳥の羽根が舞います。幼少期の体験に基づくこうしたディテール描写には、ファシズムの反動から生まれたネオレアリズモ運動の旗手として〝赤い貴族〟と呼ばれた第二次大戦終結後間もない初期の作品にみられた徹底したリアリズムを見ることができます(下写真)

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 オープニングから全編を通して一幅の絵画のようなシーンが連続する山猫。VFX (特殊視覚効果)を多用する今日では、もはや再現不可能といわれるこの作品の日本における劇場初公開は1964年のこと。

dvd_gattopardo.jpg 当初は、作品の真価を理解しえない米国人監督が、この映画を語る時に欠かせない舞踏会の場面を25分もカットした英語版でした。現在は、舞踏会の場面が全編のおよそ1/3を占める186分に及ぶイタリア語完全版DVD(左写真)が紀伊國屋書店から発売されています。

 冒頭に登場するサリーナ侯爵邸は、パレルモ郊外に1768年に建てられた「Villa Boscogrande ヴィッラ・ボスコグランデ」。クライマックスの舞踏会が催されたドン・ディエゴ ポンテレオーネ公爵邸は、パレルモ市内に現存する「Palazzo Valguarnera-Gangi ガンジ宮」。そこに登場するシチリア貴族の衣装を観賞するだけでも見応え十分。

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 山猫は、「揺れる大地」(1948)や「若者のすべて」(1960)などの社会的弱者を取り上げた初期の作品から、「ベニスに死す」(1971)、「ルートヴィッヒ」(1972)、「家族の肖像」(1974)、遺作「イノセント」(1976)など、晩年においては〝滅びの美学〟を追求してゆくヴィスコンティの転機となった作品です。

 日本においても、戊辰戦争と西南戦争を経て武家社会が終焉し、明治維新を迎えて近世から近代への一大転換点となったのが1860年代。その時代に第4代バイエルン国王となり、作曲家ワーグナーと築城に莫大な国庫を費やした挙句、狂気の烙印を押され謎の死を遂げたルートヴィッヒ2世。

 映画「ルートヴィッヒ」について〝私は敗北を語り、孤独な魂、現実に押しつぶされた運命を描くことが好きだ〟とヴィスコンティは語っています。〝偉大なる敗北者〟という、巨匠が後半生を通して追求したテーマは、山猫にその萌芽をみることができるのです。

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【Photo】夜の帳が明けきらぬ日の出前。白み始めた東の地平線からは太陽に先駆けて金星が昇ってくる。夜の名残りともいうべき明けの明星の美しさは古来より人の心をとらえ、ラテン語で金星を指すVenus は女性美や愛の象徴とされた

 明け方に舞踏会が終わり、馬車に乗ってサリーナ邸へと戻る家族と離れ、ひとり歩いて帰ると告げるサリーナ侯爵。東の空が白み始めても消え残る星に、侯爵はこう語りかけます。

  おお星よ 変わらざる星よ
  儚きうつし世を遠く離れ 
  汝の永遠の時間に我を迎えるのはいつの日か?

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 ラストシーンは遠くに聞こえる晩鐘が響く路地裏へ消えてゆくコート姿のサリーナ侯爵。その後ろ姿には、時代の表舞台から去りゆく者の哀愁と、ひとつの時代の終焉とが重なって見えてきます。

 言葉巧みなイタリア人とて、大人の男は背中で語るのですよ。

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2015/11/14

高貴な香り漂うお部屋はいかが?

Rosso Nobile da Dr. Vranjes


 秋真っ盛り。庄イタの郷里ピエモンテ州ランゲ丘陵には、すぐ目の前の視界をも遮るほど濃い霧のヴェールが立ち込めます。

 すると凡百の黒トリュフとは比較にならぬほど鮮烈な「Tartufo Biancoタルトゥフォ・ビアンコ(白トリュフ)」のクラクラするような馥郁たる香りが記憶の奥底から蘇ってくるのです。(2007.6拙稿「白トリュフの魔力」参照)

Tartufo_bianco@rupestr.jpg【Photo】ピエモンテ州アルバ近郊で産する白トリュフの香り立ちは尋常ならざるもの。こうして部屋の一角に香るオブジェとして置いておきたいが、たちまちにして破産することは必定 (T T)

 稀少性が極めて高く、日本での業務用仕入れがキロ50万円前後と、グラム当たりの単価が世界一高い食材といわれるアルバ産白トリュフ「Tartufo Bianco Pregiato タルトゥフォ・ビアンコ・プレジャート」。

  名高いトリュフ祭り「La Fiera Internazionale del Tartufo Bianco d'Alba」に世界中から多くの人が訪れるアルバに名声では及ばぬものの、トスカーナ州やエミリア・ロマーニャ州などのごく一部でも「Tartufo Bianchetto タルトゥフォ・ビアンケット」ないしは「Tuber Albidum Pico トゥベル・アルビドゥム・ピコ」と呼ばれる種類の白トリュフが産出されます。

 白トリュフが地中に潜むポプラやナラの樹が生い茂った森には、トリュフ犬を従えたトリュフハンターが繰り出します。100gあたり200ユーロ近くの値が付くこともある高価な白トリュフの亜種を求め、ここ掘れワンワン。

tartufi-hunt.jpg【Photo】ピエモンテ州アスティ県カネッリ近郊の某所。キノコ採り同士が決して場所を明かさないのは日本もイタリアも同じ。前世イタリア人でも一応は異邦人ゆえ、トリュフハンターが早朝に行うトリュフ狩りへの同行が叶った。この優秀なトリュフ犬は、鼻を利かせて探し始めてから5分ほどで見事に白トリュフを探りあてた(下写真)

hunted-tartufo.jpg そんな今の季節、トスカーナ州ピサ県「San Miniato サン・ミニアート」や同シエナ県「San Giovanni d'Asso サン・ジョヴァンニ・ダッソ」ではトリュフ祭りが開催されます。モンタルチーノやモンテプルチアーノといった名醸地にほど近いサン・ジョヴァンニ・ダッソに繰り出したいのは山々ですが、今年も白トリュフフレーバーのオイルで彼の地に思いを馳せて我慢するとしましょう。

  気を取り直して今回の本題へ。前々回はオリエンタル・フローラルなメンズユースとしても許容範囲と思われる少し甘いザクロをイメージした香りで、秋の装いへと衣替えしました。身につける香りに続いての話題は、部屋の香りの模様替え。

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 プライベート空間に漂う心地良い香りは、満ち足りた時間を運んでくれます。今回取り上げる「Dr. Vranjes ドットール・ヴラニエス」は、歴史と伝統美に彩られたフィレンツェに工房を構えるブランドです。

 1088年に創立された欧州最古の総合大学、ボローニャ大学で化学・薬学を専攻した創業者のパオロ・ヴラニエス氏は、ボローニャ出身。1983年にルームフレグランスに特化したDr. Vranjes を旗揚げします。

 Dr. Vranjes のブランドイメージを築いたルームフレグランス「アロマディフューザー」のフォルムは、フィレンツェのドゥオーモ「Cattedrale di Santa Maria del Fiore サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」のクーポラ(=天蓋・丸屋根 / 下写真)をモチーフとしたもの。

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【Photo】高さ82mの「Campanile ジョットの鐘楼」最上部まで414段の階段を登りつめた者だけが間近にする事が許される大聖堂の威容。初期ルネサンスに偉大な足跡を残した建築家であり彫刻家でもあったブルネレスキの設計。画期的な二重構造のクーポラ最上部は地上91m。464段の階段も踏破するW登頂は、よほどの健脚と強心臓の持ち主以外には到底無理

 バンブースティックをボトルに差し込むタイプのルームフレグランスが、最近では珍しくなくなりました。香りを揮発させるスティックの本数で香りの強弱を調整する方式の先駆けとなったのがDr. Vranjes なのだそう。

 仙台PARCOにショップがある「TOMORROWLAND」で定番として取り扱うのが、天然エッセンシャルオイルを使用するドットール・ヴラニエスのルームフレグランス「Acqua アクア(=水)」,「Aria アリア(=空気)」,「Ginger & Lime ジンジャー・ライム」,「Green Flowers グリーンフラワー」、そしてイタリアで人気が高い「Melograno (=ザクロ)」(下写真)の5種類(各250ml 税込 ¥8,640 / 500ml 税込 ¥14,040)。

dr.vranjes_melograno.jpg 身につける香りには、自然由来の香料成分を調合したサンタ・マリア・ノヴェッラのザクロを選ぶ香りフェチな庄イタですが、ルームフレグランスとして、ずーっと以前から気になっているのが、Dr. Vranjes の最高級ラインで、赤ワインをイメージしたのだという「ROSSO NOBILEロッソ・ノービレ)」。その香りを公式HPの表現を借りてご紹介すると ...。

 トップノートはストロベリーとブラックベリーを基調とし、シトラスのアロマが見事に調和する。その後、スミレとバラの柔らかく醸成したノートと繊細で気品あるタンニンがユニークなハーモニーを奏でる。

 シトラスは白ワインで時おり感じる柑橘系の香りですが、イタリアを代表する醸造用ブドウの一つが「Sangiovese サンジョヴェーゼ」です。キアンティ・クラシコやブルネッロ・ディ・モンタルチーノ、カルミニャーノなどを生みだすこの品種から醸したワインの風味を、あたかもソムリエが表現するような言葉が並びます。

melograno_Dvranjes.jpg 通常はフィレンツェのドゥオーモのクーポラをかたどったボトルにスティックを立てて使うのですが (上写真)、ロッソ・ノービレには、ワインの香りを開かせるための空気との接触面積を大きくとった形状の刻印入りデカンターと、バンブースティックではなく本物のブドウの枝8本がセットされたスペシャルパッケージが用意されます。

 ワイン好きの目には、その佇まいが極めて魅力的に映ります。(下写真)

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 訪れた場所、記憶、感情に訴えかける香りなのだというロッソ・ノービレ。「ワインは味わいの素晴らしさだけではなく、目を喜ばせ、香りとそこから始まる会話を愉しませるものである」とは調香師のパオロ・ヴラニエス氏の弁。人生を楽しむ達人たちが暮らすスローフード発祥の国イタリアならではのアイテムですね。

 9月から11月初旬にかけてイタリア各地のブドウ産地を巡ると、醸造所からは収穫したブドウを圧搾する香りが漂ってきます。フィレンツェ周辺のキアンティ地方や、シエナ南方のモンタルチーノ、モンテプルチァーノ(下写真)など、田園風景が美しいサンジョヴェーゼの名醸地トスカーナ州のブドウ産地では、10月下旬に収穫が終了。現地情報によると2015年はAmazing な出来だそう。

citta-di-montepluciano.jpg 今年リリースされた2010年産ブルネッロ・ディ・モンタルチーノが、評価本で軒並み高スコアを連発し、センセーションを巻き起こしています。天候不順のため、サンジョヴェーゼ・グロッソから造られる最上級のブルネッロの生産を諦め、セカンドラインのロッソ・ディ・モンタルチーノしか生産しなかった醸造所もあった前年とは対照的な2015ヴィンテージ。いやが上にも期待は高まります。

sangiovese-vendemmia.jpg【Photo】収穫の季節を迎えたモンテプルチァーノのブドウ畑。バッカス神の祝福を受け、たわわに実を結んだサンジョヴェーゼの亜種「Prugnolo Gentile プルニョーロ・ジェンティーレ」

 750mℓ 容量のワインフルボトルと同サイズで、香りの持続期間が6~8ヵ月だという、Dr. Vranjes ロッソ・ノービレのスペシャルパッケージ。本国価格€ 160に対して日本国内での正規価格は35,000円(税別)。うーむ。これは費用対効果について熟慮のしどころ。

 そこで選択肢の一つとして浮上してくるのが、直訳すると〝モンテプルチァーノの高貴なワイン〟を意味する歴史あるヴィーノロッソ「Vino Nobile di Montepulciano ヴィーノ・ノービレ・ディ・モンテプルチアーノ」。香りの素晴らしさは両者互いに譲らぬとして、〝置いて眺めるだけ〟VS〝おいしく飲める〟という点が最大の差異となるでしょう。

azinone-poliziano.jpg【Photo】「Avignonesi アヴィニョネージ」と並び称される珠玉のヴィーノ・ノービレ・ディ・モンテプルチァーノの造り手が「Poliziano ポリツィアーノ」。さほど人手をかけずとも最良のブドウが収穫できるという奇跡のような畑のクリュものが「Asinone アジノーネ(上写真)。日本ではリリース時点で6,500円前後。ファーストヴィンテージは1983年でDr. Vranjes の創設と奇しくも一致。庄イタのセラーで熟成を続ける1997年や2007年のようなグレートヴィンテージにこの特別なワインが到達する熟成の高みを想像するだけで幸せな気持ちに浸れる

vista-Montepulciano.jpg【Photo】DOCGヴィーノ・ノービレ・ディ・モンテプルチアーノの生産地域は海抜250m~580m。遠くエトルリア時代からサンジョヴェーゼが栽培されており、発祥の地とする説もある

 ワイングラスから立ち上ってくるのは、サンジョヴェーゼの亜種「プルニョーロ・ジェンティーレ」の魅惑的なかぐわしい香り。すると牧草地と糸杉が織りなす360度の絶景が広がる世界遺産「Val d'Orcia オルチャ渓谷」から、トラジメーノ湖からアレッツォまで広がるDOCGヴィーノ・ノービレ・ディ・モンテプルチアーノの心臓部「Val d'Chiana キアーナ渓谷」への夜間飛行が、たった1杯のグラスで叶うのです。

San-Biagio-Montepulciano.jpg【Photo】小高いモンテプルチアーノの街を囲む城壁を出て訪れたいのが、ルネサンス様式の優美な佇まいをみせる「Chiesa di San Biagio サン・ビアージョ教会」。メディチ家出身の教皇クレメンス7世が建築家アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオに命じて1518年に着工し、1528年に献堂式が行われた。マドンナ・ディ・サン・ピアージョとも呼ばれる

 ゆえにヴィーノ・ノービレ・ディ・モンテプルチァーノのほうが、コストパフォーマンス的により魅力的に思えてしまう庄イタ。なにやら山口瞳のお酒にまつわる名エッセー「酒呑みの自己弁護」的なオチになってしまいました。
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2015/10/31

ザクロの香りで衣替え

Profumo di Melograno


 朝夕の冷え込みに秋の深まりを実感するこの頃。そろそろ冬物の出番ですね。

 人として内面を磨き、大人の立ち居振る舞いを求められる年齢になってなお、見てくれに心を砕くのがイタリア人。その常として、身につける物には気を使います。

 それは香りとて同様。オイシイ食べ物やお店には警察犬並みに鼻が利く庄イタではありますが、前世の習性からか身につける香りにも敏感なのであります。

     carthusia_mediterraneo.jpg       carthusia_via_camerelle.jpg       carthusia_io_capri.jpg

 重篤化する一方の南イタリア欠乏症を癒すべく、ナポリ沖に浮かぶ楽園、カプリ島で調合される「Carthusia カルトゥージア 」を常用する庄イタ。Viaggio al Mondo では 「I Profumi di Capri カプリ島の香り、Carthusia カルトゥージア」〈2011年11月拙稿〉に登場した3種類の香りMediterraneoVia CamerelleIo Capri (上写真)をその日の気分で使い分けています。

 あれはバブルの全盛期。ネオンが輝き始めた銀座並木通りでは、およそ10m前方をハイヒールで闊歩するお水系のお姉さんたちが発する芳香に、めくるめく眩暈を覚えたものです(笑)。香りは〝過ぎたるは及ばざるが如し〟。ゆえにフレグランスで気をつけたいのが、使う量とTPO。少し香る程度が鉄則です。

 これまでViaggio al Mondo で披歴してきた通り、前世でDNA に深く刻まれた庄イタの思考回路は100%イタリア人。スマートなイタリアオヤジがそうであるように、むさ苦しい加齢臭ではなく、華麗で清潔感が漂う香りに包まれていたいと願ってやみません。

pizzaiolo-marinara.jpg 先日、とあるピッツェリアのカウンター席で、マリナーラを食していた時のこと。すぐ隣り合わせになった女性客が席に着くやいなや、食事中でなければさほど気にならない程度に香る香水が、それまで味わっていた心地良い薪の香りが入り混じったピッツァの風味を打ち消してしまったのでした。

samourai-pour-homme.jpg 外食をする予定がある時は、香りは控えめに。これが大人のマナーというものです。

 偉そうな口をきいてしまいましたが、「Persol ペルソール」のサングラス「Film Noir Edition フィルム・ノワール・エディション」〈拙稿「Italian Film Noir di Persol」2015年9月〉に合わせ、この夏は清涼感があるアラン・ドロンSamouraï pour Homme サムライ・プール・オム(右写真)も使ってみるミーハーなりきりオヤジなのであります。


 イタリア人が好む香りの一つに、今が旬の「Melogranoザクロ」があります。キリスト教では多産と子孫繁栄、そして鮮血を思わせる実の色あいから、キリストの犠牲と再生・希望の象徴とされ、宗教画のモチーフとしても登場します。

mellograno2003.Ottobre.jpg【Photo】イタリアではごく一般的な植物であるザクロ。中部マルケ州の農家を秋に見学に訪れた際、屋外のテーブルに用意してあったザクロ

 ザクロに関してViaggio al Mondoでは、現存する世界最古の薬局「Officina Profumo di Santa Maria Novella サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局」のザクロをイメージした香りのバスソルトを過去に取り上げています。〈「ザクロの香りでFacciamo un Bagno!」2012.7拙稿参照〉

 また、河北新報社が仙台圏で発行する月刊誌Piatto7月号では、従来のオフホワイトの無地から昨年秋にガーリーな花柄にパッケージが変更となったサンタ・マリア・ノヴェッラの「Sali da Bagno(=入浴剤)」をご紹介しました(下画像)。

piatto201507_SMN.jpg 名付け親となったPiatto の編集現場から離れた今も、仙台市青葉区一番町の「サンタ・マリア・ノヴェッラ仙台」には取材で伺っています。これは余人の追従を許さない自負があるこのブランドへの愛着と知識をさらに深めるがため。7月号の取材でも撮影現場に漂う淡いオレンジ色をしたバスソルトの甘美な香りに心底魅了されました。

 人間の五感で最も記憶の奥底に刻まれるのが嗅覚なのだそう。ある香りを察知した途端、遠い過去の記憶が突如として鮮明に蘇った経験をお持ちの方は、庄イタならずとも少なくないのでは?

 とりわけザクロの芳香に魅せられたのは、この香りを愛するイタリア人だった前世の記憶が呼び起こされたからでしょう。そこでこの秋の衣替えに合わせ、20世紀中葉にザクロをイメージし、起源が13世紀初頭のドミニコ会修道僧まで遡るサンタ・マリア・ノヴェッラの調香師が編み出したオーデコロン「Melograno メログラーノ」(下写真)を新調しました。

aqua-colonia-melograno.jpg【Photo】ひと頃の透明ガラスから、再び質感の高いフロストガラスのパッケージへと変更となったサンタ・マリア・ノヴェッラのAcqua di Colonia(=オーデコロン)Melograno (正面)

 ザクロとはいいますが、実際のザクロ果汁をベースにしたオーデコロンではありません。またザクロの香りといっても、すぐに思い浮かぶ方は少ないかと思います。

molograno-2011.jpg【Photo】フロストガラスとは印象が随分と違う透明ガラスだった頃のAcqua di Colonia Melograno (中央) とザクロをかたどったテラコッタ製のMelograno (右)

 自然由来の香料成分を用いた〝floreali orientali dolci〟と表現されるMelograno のほんのりと甘いオリエンタル・フローラルな香りは、バスソルトやオーデコロンだけでなく、ボディミルク・シャンプー・ソープ・キャンドル・テラコッタ製のザクロ型ルームフレグランスなど、多彩な商品展開をしているサンタ・マリア・ノヴェッラ。ザクロは時代を超えて愛される香りなのです。

colonia-molograno-back.jpg【Photo】フロストガラスへ戻したことが奏功し、クラシックなSMNのロゴが陰影と共に表情豊かに浮かび上がるオーデコロンMelograno (背面)

Escudo_provincia_Granada.jpg 地中海沿岸諸国で広く栽培されるザクロが、そのまま地名となっているのが、スペイン南部アンダルシア地方の「Granada グラナダ」。紀元前8世紀頃から人が暮らし始め、11世紀にはスペイン語でザクロを指すGranada と呼ばれるようになりました。

 人口20万あまりのグラナダを世界的に知らしめているのが、ユネスコ世界文化遺産に登録される壮麗なイスラーム建築アルハンブラ宮殿です。グラナダ県(左)とグラナダ市の紋章にはザクロがあしらわれており、この地とザクロの結びつきの強さを表します。

 そしてもう一つ、この町の名を大いに高める役割を果たしている歌曲「グラナダ」で本稿を締めくくることとします。

 メキシコ中部にあるスペインコロニアル様式の街並みが残る世界文化遺産の町、トラコタルパン出身の歌手で、作曲も手がけたアウグスティン・ララ(1897-1970)が、1932年に発表したこの曲は、本家筋スペインを代表するテノール歌手、ホセ・カレーラスやプラシド・ドミンゴ以外に、今世紀においても南米出身のファン・ディエゴ・フローレスローランド・ビリャソンなど、さまざまな歌い手によって取り上げられてきました。

 その歌詞では、太陽・闘牛・美女・薔薇・赤い血など、いかにもラテン系な内容を情熱的に歌っています。ただし、鼻血が出そうな歌詞に登場するのはザクロではなくリンゴ。

 それじゃ画竜点睛を欠くじゃん!!とダメ出ししたのでは、スペインを題材にした数々の作品を世に送り出した功績が認められ、1965年にグラナダに住居まで贈られたスペイン人の血を引くアウグスティン・ララに対して礼を失するでしょうか。

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サンタ・マリア・ノヴェッラ仙台

・住:仙台市青葉区一番町4-4-27
・営:10:00-19:00 不定休
・Phone :022-398-8535  ・Fax :022-398-8210
・URL:www.santamarianovella.jp/


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2015/09/27

L'anima d'Italia イタリア魂

Faliero Sarti ファリエロ・サルティに垣間見る庄イタの精神構造


 秋分の日を過ぎ、めっきり秋めいてきましたね。季節の変わり目を迎え、ノーネクタイの夏場はイタリア人のたしなみとして、庄イタも第二ボタンまで外しているシャツの首元から、朝夕は冷たい風が吹き込むことも。そろそろワードローブから取り出すのが、今年で3シーズン目を迎える薄手なFaliero Sarti ファリエロ・サルティのストールと、長年愛用しているErmenegildo Zegna エルメネジルド・ゼニアのスカーフです。

Zegna-scalf2.jpg【Photo】シックで精緻なカシミール文様がプリントされたシルク特有の輝きを放つエルメネジルド・ゼニアの軽やかなスカーフ

 このスカーフは、ミラノ・モンテナポレオーネ通りの一角にあるセレクトショップで購入したもの。美しいカシミール模様に魅了されてバブリーだった時代にネクタイを常用していたETRO エトロと思いきや、1910年に創業した紳士服ファクトリーブランド、ゼニアの製品だったので意表を突かれた記憶があります。250年培ったアザミの実を使ってカシミアを起毛させる伝統の技が、服地の美しい光沢を生むPIACENZA ピアチェンツァの濃紺と茄子紺のコートを羽織るオンタイムの首元に巻いています。

 かたや今回メインで取り上げるのは、オフタイムにより顕著に表れる傾向があるイタリア魂みなぎる庄イタの嗜好が色濃く反映されたファリエロ・サルティの肌触りの良いストール。

sarti-sawl.jpg【Photo】さまざまな色彩の組み合わせがストールの巻き方によって表現される庄イタ愛用のファリエロ・サルティ。大判のストールを広げると現れる絵柄は、イタリアの偉大な作曲家が描かれた旧リラ紙幣がモチーフ

 メディチ家の繁栄と共に発展した絹織物の伝統を紡ぎ出してきたフィレンツェで、第二次大戦後間もない1949年にファリエロ・サルティが〝Lanificio Faliero Sarti e figli s.r.l ラニフィッチョ・ファリエロ・サルティ・エ・フィッリ〟を創業。Lanificio(=服地工場)と称するだけに、ジョルジオ・アルマーニ、シャネル、ジャンフランコ・フェレ、ダナ・キャラン、ジャン・ポール・ゴルチェなど名だたるメゾンのオートクチュールやプレタポルテに服地を提供してきました。

sarti-italia-logo.jpg【Photo】ファリエロ・サルティの国旗をモチーフにしたストール・コレクションより。地中海を舞台に覇権を競った海洋立国、ヴェネツィア・ジェノヴァ・アマルフィ・ピサの各国旗を組み合わせたイタリア共和国海軍旗

 現オーナーは創業者の息子であるロベルト。その娘でカルバン・クラインやダナ・キャランらを輩出したニューヨーク州立ファッション工科大学で造形を専攻後、美術史も学んだモニカがデザイナーとして1992年に就任。国外へも展開を図って以降、日本ではストールが広く知られるようになりました。自社ブランドのアパレルを含めて現在では売り上げの85%が米国や日本などイタリア国外におけるものといいます。

 欧州の有名ブランドが、人件費対策として生産拠点をアジアに移すことは珍しくありません。そんな中でファリエロ・サルティは、ファブリックの9割をイタリア国内で、その半数は自社生産しています。高品質のシルク、カシミア、ウール、コットンなどの天然素材に加え、モダール、ナイロン66、ヴィスコースといった新素材を巧みに取り入れた使い心地のよい生地作りは定評あるところ。

metro_sarti.jpg【Photo】ファリエロ・サルティの地下鉄路線図をモチーフにしたストール・コレクションより。これさえ身に着けていれば、フランス語が全くヒアリング不能な庄イタが、まかり間違ってこの画像のロケ地であるパリを訪れ、メトロの乗り継ぎに迷ってもダイジョーブ?

 中間色の落ち着いた色遣いを基調としながらも、バリエーションのひとつとして今年タイアップしているのが、ディズニーとのコラボシリーズ。時にはポップアート的な遊び心のあるモチーフもストールのデザインに取り入れるのは、チーフディレクターを務めるモニカの女性らしい美的センスと言えるでしょう。

sarti-mappa.jpg【Photo】〝150 anni Unita d'Italia (=イタリア統一150周年)〟と記された2011年発表のストール。1861年のイタリア王国建国による国家統一150周年を記念したこちらのデザインは、建国当時首都が置かれたトリノがある北イタリアから俯瞰したイタリア半島の地図。とはいうものの、上下どちらに向けて巻くかはご自由に

 東京支社勤務時代は浦安からほど近い社宅で6年間を過ごしながら、当時は2回ほどしかディズニーランドを訪れていない庄イタ。イタリア人は概してアメリカ文化に関して食を除けば寛容ですが、庄イタはミッキーマウスやドナルドダックに心惹かれるキャラではありません。カプリ島発祥のフレグランス「Carthusia カルトゥージア」〈2010.11拙稿「I Profumi di Capri 」参照〉を置く仙台市青葉区大町のセレクトショップ「antelope アンテロープ」で、イタリア魂を呼び覚まされ、さらにハートを鷲づかみされたのが、コチラ。

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 19世紀イタリアが生んだ偉大な作曲家の1人、ジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901)の肖像が描かれた旧1,000リラ紙幣(下写真)表面の図柄がモチーフとなる肌触りの良いモダール(レーヨン)85%・シルク15%のふんわりと軽やかでボリューミーな大判(200cm×130cm)のストールです。

 18世紀末のナポレオン侵攻や19世紀中葉にかけてオーストリア・ハプスブルグ帝国の支配下にあった現在のイタリアで、リソルジメントと呼ばれる国家統一に向けた機運が急速に高まったのが1848年。その精神的な支えとなったと目されるのが、紀元前6世紀に実在したバビロン王を主人公としたG・ヴェルディのオペラ「Nabucco ナブッコ」。

  1000Lire_Verdi.jpg

 ナブッコ第3幕第2場では、ユーフラテス河畔の地で捕囚の身となった民衆による祖国愛を込めた合唱曲「Va Pensiero(邦題:行け、我が思いよ、黄金の翼に乗って)」が歌われます。ヴェルディが祖国統一に向けた願いを込めたとされるこの作品は、1843年にミラノ・スカラ座で初演されるや、民衆の熱狂的な支持をもって迎え入れられました。

 「椿姫」、「アイーダ」、「リゴレット」などの作品を残し、英雄として敬愛されていたヴェルディは、1901年1月27日の夜半過ぎに滞在先のミラノで家族や知人に看取られながら亡くなります。翌朝その柩を乗せた馬車を見送ったのは、トスカニーニ指揮の800名を超す合唱隊と、偉大な作曲家の死を悼んで沿道に集った人々が口ずさむVa Pensiero でした。それは作曲家自身が創作した歌劇以上にさぞや感動的な光景だったことでしょう。

sarti_1dollar.jpg このシリーズには、アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンが登場する1ドル紙幣(上写真)や、若き日のエリザベス2世がほほ笑むポンド紙幣と並んで、千円札もラインナップ。しかし絵柄には現行の野口英世でも、先代の夏目漱石でもなく、千円札の裏側に描かれる富士山だけしか描かれていないのには、Fujiyama と比較した人物の世界的な知名度が影響しているのでしょうか? 肖像を取り入れなかった理由をモニカに訊ねてみたいものです。

 現世において庄イタがイタリアの地を初めて踏んだ1990年代前半は、ユーロの導入前。やたら桁が多くとも日本からの旅行者にとって、当時の通貨イタリア・リラは、ドイツ・マルクやフランス・フランなどと比べ、円交換レートが有利でした。当時の日本はまさにバブル。対日本円レートが最も有利だった'95年夏の訪伊時に至っては、物欲を激しく刺激するMade in Italy の数々に、つい財布の紐が緩む誘引効果が大きかったっけ。(...と、遠い目をしてみる)

sarti-cassa.jpg【Photo】ファリエロ・サルティの紙幣をモチーフにしたストール・コレクションより。(左から)日本円、イギリス・ポンド、イタリア・リラ、米ドル

 イタリア統一150周年で、さまざまな記念行事が行われた2011年。翌年のコレクションとして発表された紙幣シリーズで、モニカ・サルティが故国代表に選んだのは、イタリア国民がイメージする祖国を代表する偉大な作曲家G・ヴェルディの肖像が使用された旧1,000リラ紙幣でした。これと別の肖像画では1962年から1,000リラ札に登場していたヴェルディですが、この図柄を使用した1,000リラ紙幣が発行されたのは、1969年から1981年まで。

 ユーロ導入のため、2001年12月末を持って姿を消したイタリア・リラ。「♪ そんな時代があったねと...」という中島みゆきのデビュー作の一節が、過ぎ去った時代への感傷と共に蘇る庄イタなのです。

1000Lire_Montessori.jpg 当時のアルバムを紐解いて思い出したのが、ユーロ導入前最後の1,000リラ紙幣は、モンテッソーリ教育の創始者として後世に名を残したマリア・モンテッソーリ博士だったということ(上写真)

 蛇足ながら、庄イタ的に最も印象に残っているのが、ナポリ生まれの彫刻家であり建築家のジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598-1680)が描かれた最後の50,000リラ紙幣(下写真)。

50000Lire_Bernini.jpg

 バチカンのサン・ピエトロ寺院の大改修、ナヴォ―ナ広場の四大河の噴水、サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会前のオベリスクを背負う象の彫刻、テヴェレ川に架かるサン・タンジェロ橋の天使像、50,000リラ紙幣にも描かれていたバルベリーニ広場のトリトーネの噴水などの偉大な足跡を残した天才芸術家です。

 ローマ市街に残した数々のモニュメントや彫刻作品と同様、50,000リラ札のベルニーニの風貌もまた、極めてバロック的だと思えるのですが、いかがでしょうか。

 教皇ウルバヌス8世の意向を受け、ローマを華麗な劇場都市へと変貌させた造形の天才ベルニーニが残した舞台装置ともいうべき作例のごく一部を最後にご紹介しておきます。

St-Pietro_Vaticano.jpg

【Photo】サン・ピエトロ大聖堂は全ての教会の母にあたるゆえ、両腕を広げて全てを受け入れる姿を表現したというサン・ピエトロ広場で140体の聖人像が参詣者を迎える二重構造の円形列柱や、この聖堂内の巨大な祭壇天蓋など、内外装の多くはベルニーニの設計による(上写真)

Ponte_Sant_Angelo_superscription.jpg Ponte_Sant_Angelo_crown_thorns.jpg

【Photo】ローマ教皇グレゴリウス1世は、590年に教皇の要塞上空に出現した天使から当時ローマで猛威をふるっていたペスト禍の終焉を告げられた。その故事から「Castel Sant'Angelo サン・タンジェロ城」と呼ばれるようになった。もともと自身の霊廟としてこの要塞建設を命じたハドリアヌス帝が、西暦138年に架けた橋には、ベルニーニ作の2体(上写真)を含め、弟子が制作した天使像が並ぶ。スペイン広場に近い「Basilica di Sant'Andrea delle Fratte サンタンドレア・デル・フラッテ教会」に原作が移されたため、レプリカが設置されている 

Bernini_Ludovica_Albertoni.jpg

【Photo】壁面に新たな窓を穿(うが)つことでドラマチックな陰影効果が得られた「Chiesa di San Francesco a Ripa サン・フランチェスコ・ア・リーパ教会」アルベルトーニ礼拝堂の「福者ルドヴィカ・アルベルトーニ」(上写真)。死の淵で神と邂逅し、恍惚とした表情を浮かべながら天に召される劇的な瞬間を表現している

Fontana-Tritone-ROMA.jpg

【Photo】4頭のイルカが支えるのが、女性の多産や聖ヤコブを象徴するホタテガイ。その貝殻の上にはヴィーナスではなく、半人半魚の海神トリトンが吹き鳴らすホラ貝から水が噴き出すという奇想天外な「トリトーネの噴水」。同じくベルニーニ作の「蜂の噴水」とバルベリーニ広場ですぐ隣り合う。(上写真)

Apollo&Daphne_bernini.jpg

【Photo】ひとつの白大理石から人の手だけで造形したとは到底思えない超絶技巧を若くしてベルニーニが確立していたことを示して余りあるベルニーニ芸術の真骨頂。ダフネに恋をしたアポロから逃れようと、ダフネが月桂樹に姿を変えるというギリシャ神話が題材となった「アポロンとダフネ(上写真)は「プロセルピナの略奪」と並び称されるボルゲーゼ美術館所蔵の傑作

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【Photo】古代ギリシャ・ヘレニズム時代に製作されたヘルマプロディートス像が横たわるドレープが美しい褥(しとね)部分をベルニーニが制作したボルゲーゼ美術館所蔵「ボルゲーゼのヘルマプロディートス」(上写真)。15歳で泉に棲む妖精サルマキスに無理やり童貞を奪われた上、神によって官能的な両性具有とされた。眠れるヘルマプロディートスを題材とするベルニーニが携わった同様の作例は、ルーブル美術館国立ローマ博物館などにもみられる

 ドラマチックな肉体の動きと肌の質感を大理石で見事に表現したベルニーニの彫刻作品は、時に石造りであること忘れさせてしまうほど。動きを封じる魔法をベルニーニによってかけられたかのような白亜の石像に、ファリエロ・サルティのストールを纏(まと)わせても、恐らくは全く違和感を感じさせないはずです。


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2015/09/13

Italian Film Noir di Persol

フィルム・ノワールの世界へと誘うサングラス


 男性は無論のこと、紫外線対策に余念がない女性でも、つい見落としがちなのが瞳へのダメージではないでしょうか。紫外線によって水晶体に濁りが生じ、視力を失う恐れがある白内障は、40代から発症するケースもあるといいますから、気を抜けません。

 瞳孔の周辺を縁取る虹彩(こうさい)は、その模様と色あいは人によって異なり、二つとして同じパターンは存在しません。なかには左右で瞳の色が異なるオッドアイ(虹彩異色)の持ち主であるデヴィッド・ボウイや奥菜恵さんのような珍しい事例も。

odd-occhio-gatto.jpg【Photo】一般に「金目銀目」とも呼ばれる左右で瞳の色が異なる先天性オッドアイ(虹彩異色)のネコちゃん。飼い主がカラーコンタクトのマニアにはあらず

 濃褐色の瞳の持ち主が多いアジア系やアフリカ系、そしてシチリア人は、眩しさや紫外線に対する耐性が、淡い色より強い傾向にあります。一方で北イタリアに見られる淡褐色やグリーン系、そして北欧に多い碧眼は、生まれつき眩しさを感じやすいといいます。  

 8月上旬までは、ジリジリとした太陽の季節だった今年の夏。自転車や車で外出する際に大活躍したのが、ハンドメードによる質感の高さで知られるイタリアン・ハイエンドアイウエア・ブランド「Persol ペルソール」のサングラスです。

Persol_PO0714.jpg【Photo】スティーブ・マックイーンが着用した折り畳み式サングラスを忠実に再現したPersol の限定モデル「714SM」(Color:Light Havana

 カメラマンをしていたオダルド(1886-1942)とジュゼッペ(1890-1965)のラッティ兄弟が、北イタリア・ピエモンテ州トリノのカステッロ広場から延びるローマ通りの一角で1875年から営業していたOttica Berry (ベリー眼鏡店)を買収したのが1910年。

Protector-Persol.jpg【Photo】複葉機が空の主役だった時代に登場した風圧に耐えるよう伸縮バンドで固定し、スモークガラスを装着したラッティ眼鏡店のゴーグル「Protector(左写真)

 写真家としてのラッティ兄弟が、おもに第一次大戦中に撮影した写真は、トリノのランドマーク「Mole Antonelliana モーレ・アントネリアーナ」内の国立映画博物館のアーカイブに収蔵されています。

 ジュゼッペが第一次世界大戦のさなか撮影に訪れたトリノ空港で、パイロット達から操縦中に眩しさを感じるという話を耳にします。ジュゼッペが光学に対する知識を生かし、自ら開発した飛行用の防眩ゴーグルを発売したのが1917年。

 1903年にライト兄弟が人類初の有人動力飛行に成功して以降、飛行技術の進歩は急速に進みます。14の国際特許を取得したProtector は、1924年にイタリア空軍に、3年後にはスイス空軍に、のちにアメリカ空軍にも採用されます。そのシンボルマークは、幸運をもたらす鳥とされるLa Cicogna(=コウノトリ)でした。

1000-Miglia-1930-Alfa.jpg【Photo】1930年のミッレ・ミリアで優勝したAlfa Romeo 6C 1750GS Spyder Zagato。土埃が舞うダートを猛スピードで疾走するドライバーにとって、ゴーグルは必需品だった

 ラッティのゴーグルは、モータースポーツの分野でも活躍します。時まさに1927年に始まったカーレース「Mille Miglia ミッレ・ミリア」の草創期。ブレシア-ローマ間およそ1,000マイルを2日間で往復するこの伝説の自動車レースは、初回こそOfficine Meccaniche が上位を独占しますが、2年目以降は1500cc6気筒エンジンで最高時速140kmに達した6C や、世界初のアルミ製8気筒エンジン8C で参戦したAlfa Romeo が、第二次世界大戦による中断を挟んで以降はFerrari が輝かしい戦績を残します。

Persol-logo.jpg 1938年に立ち上げた独自ブランド「Persol ペルソール」は、イタリア語で〝Per il Sole〟(英語〝For the Sun〟)に由来するもの。その名が示す通り、Persol を語るとき、防眩のためのサングラスは欠かせない存在なのです。

【Photo】Persol のロゴ(右)は、その原点であるProtector のロゴ(上写真)を踏襲している

Quality-Technology-Persol.jpg 顔の形状に合わせてテンプル(フレームで耳に掛ける部分)の角度が変化し、側頭部への圧迫を軽減するパーツを左右2カ所ずつ組み込んだ特許技術「Meflecto」のほか、厳選した純度の高い石英を用いた強化クリスタルガラスや、4層構造のイエロー・ブラウンと称されるUVカットガラスを1920年代に世界で初めて開発。

【Photo & Movie】ステンレス製の芯に円柱状シリンダーを左右のテンプル2カ所ずつ組み込み、可動性を確保したPersol 独自の機能〝Meflecto〟が、かけ心地の良さを約束する



 こうした優れた技術が認められ、アメリカ空軍、NASA アメリカ航空宇宙局、ヒマラヤに挑む登山家、パリ・ダカールラリーなど、過酷な使用環境のもとで確かな実績を今日まで積み上げてきました。

Lenses-Persol.jpg【Photo】Persol が誇る高純度シリカを使用した強化ガラスレンズ。目に有害な紫外線をシャットアウトする効果が特に高いのが、そのイメージカラーとも言えるイエローブラウンと呼ばれる茶系

 サングラスのレンズにプラスチックではなく、表面にキズがつかない強化ガラスを使っているのは、Persol 以外にはRey-Ban だけ。流行のサイクルごと毎年のようにサングラスを買い替えるファッショニスタは別として、オーセンティックなスタイルを長く愛用したい向きには嬉しい仕様です。 

freccia-persol.jpg【Photo】左右一対の腎臓をモチーフにしたBMW のキドニーグリルと同様、Persol のアイコンとなるのが、古代ローマ兵が使った剣からインスピレーションを得たヒンジのデザイン

 古代ローマ兵が使用した短剣「グラディウス」をかたどった「Freccia(=「矢」を意味する伊語)」と呼ばれる特徴的なヒンジ(蝶番)の形状には、30種以上のバリエーションが生み出されました。これがデザイン上でのPersol のアイデンティティを担っています。

mastroyanni-persol.jpg 1961年公開の映画「Divorzio all'italiana(邦題:イタリア式離婚協奏曲)」でマルチェロ・マストロヤンニが着用したモデルが「649(上写真)。スティーブ・マックイーンが「The Thomas Crown Affair(邦題:華麗なる賭け)」で着用した折り畳み式モデルは「714」。007シリーズ、ミッション・インポッシブル、ターミネーター2 など数多くの映画にPersol は登場します。

 昨年、ジョージ・クルーニーが挙式のため訪れたヴェネツィアでは「3074S」を着用。アレッサンドロ・デル・ピエロやフィリッポ・インザーギ、ジュリア・ロバーツ、トム・クルーズなど世界のセレブに愛されるハイエンド・アイウェアとしての高い評価と揺るがぬ名声を得ています。

persol_a_mano.jpg【Photo】たゆまぬ技術革新とイタリア伝統の手技とが融合するPersol 。直接身につけるアイテムだけに、その使い勝手の良さや質感の高さを実感すると、もはや手放せなくなる

 1995年4月、Persol は世界シェアの8割を占める眼鏡メーカー「Luxottica ルックスオッティカ」グループの傘下となります。ミラノを拠点とするLuxotticaは、Rey-BanOakleyVogue などの商標権を有し、BVLGARI, PRADA, ARMANI, CHANEL といったスーパーブランドからライセンス生産を委託されています。

【Movie】Persol のブランドイメージを築いた名作モデル「714」復刻版の製造工程。手作業による組み立てと丹念な仕上げの一端を紹介する3分の動画

 綿花とパルプを材料とするアセテート繊維から作られるセルロイドフレームは、体温に近い触感で肌触りの優しいアレルギーフリーな素材です。手仕事で磨きあげられるフレームや蝶番の滑らかな艶と触感の良さはフルハンドメードならでは。先進技術を取り入れながら、時にクラシックな雰囲気も漂わせる質感の高い仕上がりは定評あるところです。

1-Vintage-Persol-Bahia.jpg【Photo】Persol Luxotticaの傘下となった翌月の1995年5月、庄イタが水の都ヴェネツィアで購入した〝Persol Ratti 〟の刻印入りBahia バイーア

 庄イタとPersol との出合いは、レンズとフレームからなる現在の眼鏡が13世紀に発明されたヴェネツィアで1995年に買い求めたゴールドフレームの「Bahia バイーア」でした。Persol が現在の名声を築く礎となった軽量の複層ガラスレンズが、ボートやゴンドラで水の都を移動する際、水面に乱反射する5月のまばゆい陽光を和らげてくれました。

bahia-persol&PO7034.jpg【Photo】Persol を代表するレンズカラーといえばイエローブラウンと称される茶系。弾力性のあるテンプルが顔にフィットするBahia バイーア(上左手前)の後継として選んだのがFilm Noir Edition フィルム・ノワール・エディションの3074S(上右奥・下写真)

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 ヴィンテージ市場で現在も熱烈な崇拝者がいる創業の地トリノで作られていた証である〝Persol Ratti〟の刻印が入ったBahia を随分と愛用しましたが、昨年登場したモデル「Film Noir Edition フィルム・ノワール・エディション」がお気に入りに加わりました。

persol-filmnoir3.jpg【Photo】Film Noir Edition のデザイン上での最大の特徴は、Persol のアイデンティティとなる蝶番の形状が、Persol Ratti の時代に存在した「Phoenix フェニックス」(下写真)をリバイバルで取り入れている点

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 Film Noir は、ハンフリー・ボガート主演「The Maltese Falcon(邦題:マルタの鷹)」など1940年代から1950年代にかけてのハリウッド製モノクロ犯罪映画の総称。光と影の陰影を誇張した映像、身の破滅を招くファム・ファタール(=運命の女)の存在、虚無的な雰囲気といった共通点が挙げられます。

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 庄イタ的にフィルム・ノワールといえば、いささか時代がかったハリウッド映画ではなく、フレンチ・フィルム・ノワールの代表格ジャン・ピエール・メルヴィル監督作品。なかでも1967年制作の仏伊合作による映画ながら、今なおいぶし銀の輝きが色褪せぬ「Le Samouraï サムライ」を挙げずにはおけません。その全編を覆い尽くすトーンは、ひんやりとした金属的な青みがかったダークグレー。

 パリの殺風景なアパルトマンの一室で、籠飼いする一羽の小鳥と暮らす殺し屋ジェフ・コステロ。Borsalino ボルサリーノと思しきソフト帽、Aquascutum アクアスキュータムのダブルトレンチコートがよく似合う殺しのプロを演じた当時32歳のアラン・ドロンにとっても、よほどお気に入りの役だったのか、香水など自身のブランドをSamouraï と名付けています。

【Movie】ハリウッド製フィルム・ノワールにありがちなB級映画の雰囲気を醸し出しているのはご愛嬌。まぎれもなく仕上がりはS級なFilm Noir Edition のイメージムービー

 2013年にモスクワで開催されたG20(20カ国・地域財務相・中央銀行総裁会議)に参加した麻生太郎 副総理・財務大臣の服装をご記憶でしょうか。斜めに被ったボルサリーノであろう黒のソフト帽に白いロングマフラーをあしらったファー襟の黒いコート姿は強烈でした。

 〝外遊〟気分だったためか、いささか気合いが入りすぎた感が否めず、「マフィアもどき」とまで一部でいわれた麻生氏のファッションを、ウォールストリート・ジャーナルは、〝Gangster-style(ギャングスター・スタイル)〟と報じました^ ^;)。

 かたや時計は黒革のBaume & Mercier ボーム&メルシエ、目深に被ったボルサリーノ、律儀にボタンとベルトをキリリと締め、襟を立てたベージュのトレンチや、フォーマルなチェスターフィールドコートに身を包んだ殺し屋ジェフのほうが、はるかに端正で趣味が良い着こなしだと庄イタも思います。

samourai-metro.jpg【Photo】依頼主の裏切りで銃で右腕を狙撃されたトレンチコートに代わってLe Samouraï 後半で、ジェフはシックな黒のチェスターフィールドを着用

 極端にセリフが少なく、感情を表に出さないジェフ。ジタンの紫煙をくゆらす寡黙な殺し屋の人物像を語る時、いつもどこか遠くを見ているようで、凍りつくようなジェフの目は口ほどに物を言います。ましてそこは低い雲が垂れこめ、雨がそぼ降るパリが舞台。Le Samouraï では、サングラスは一切登場しません。

 殺しに赴く折には、必ず路上駐車中のCitroën DS21を狙います。おもむろに合鍵100本ほどの束を懐から取り出し、慌てず騒がず1本ずつシリンダーに差し込んでゆくシーンが非常に印象に残ります。馴染みのオヤジが闇で営むガレージに車を持ち込み、偽造ナンバープレートに付け替え、そこで拳銃も調達。

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 とはいえジェフは無法の限りを尽くす極悪非道の輩ではなく、まして生活が破綻している訳でもありません。サムライさながらの禁欲的な行動規範を貫く姿が描かれます。たとえば、信号待ちでシトロエンの隣に並んだファセル・ヴェガ・カブリオレのキュートな女性が運転席から送る視線に気づいていながら、そ知らぬ顔で車を発進(上写真)。(⇒女性へのサービス心旺盛なイタリア男なら絶対にありえない!!

 ナイトクラブの経営者マルテを殺害し、現場から立ち去るところに偶然通りかかったピアニスト・ヴァレリー(カティ・ロジェ)に顔を見られてしまうジェフ(下写真)。〝コート姿の若い男〟という従業員らの目撃証言をもとに警察が拘束した容疑者の面通しで、ピアニストはジェフを犯人ではないと証言します。

le-samourai-valerie.jpg 愛人のジャーヌ(ナタリー・ドロン)にジェフが依頼したアリバイ工作の証言に疑いを抱く刑事。容疑を捨てきれない警察がジェフを徹底して監視する中、前金で新たな殺しを依頼されたジェフは、再び単身ナイトクラブに赴く。

 ステージに歩み寄り、演奏中のヴァレリーを無言でじっと見つめるジェフ。しばしの間を置いて右ポケットから6連式のリボルバーを取り出し、銃口を向ける。
 「Pourquoi, Jef ? (=どうして、ジェフ ? )」
事態を飲み込めず、少し困惑したような表情を浮かべるヴァレリー。
 「On m'a payé pour ça. (=仕事なんだ。)」
4発の銃声が鳴り響き、そして待ち受ける予想だにしない結末...。

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 生き方を全うせんがため、隠忍の恋に殉じたジェフにとって、ヴァレリーはまさにファム・ファタールにほかなりません。銃を構えるジェフを見つめるヴァレリーの表情(上写真)に、庄イタまでが胸をズッキューンと撃ち抜かれてしまうのです。

 残念ながら日本ではDVDが絶版となっており、アラン・ドロンの最高傑作との評価すらあるこの作品を容易に観ることはできません。YoutubeLe Samouraï と検索すると、ヒットします。雨降る秋の夜長はフレンチ・フィルム・ノワールの巨匠が遺したブルーグレーな武士道の美学に浸ってみてはいかが?

persol-filmnoir2.jpg【Photo】不死鳥が羽ばたくFilm Noir Edition 。そのイメージカラーともいえるブラックフレームのDETECTIV 3074S も捨てがたい。迷った挙句、最後に選んだのはソフトな印象を与えるHAVANAカラー

 PersolFilm Noir Edition のサングラスでは「GANGSTER ギャングスター」と「DETECTIV ディテクティブ(=探偵)」の2つのラインからレンズとフレームの色を選択できます。メガネ用のフレームは「Femme fatale ファム・ファタール」と「Reporter レポーター(=事件記者)」という映画の配役さながらのネーミング。

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 庄イタが選んだのは、ハードボイルドな印象のブラックフレームではなく、HAVANAと呼ばれるハバナ・ブラウン。Film Noir Editionと記されたスクエアなウェリントン型セルフレームに、自然な色再現が期待できる茶系のレンズを組み合わせたDETECTIVモデル「3074S(下写真)

detectiv3074S.jpg 購入後に気づいたのですが、これはジョージ・クルーニー @ Veneziaと全くのお揃いだったよう。そんなオチはさておき、太陽光の乱反射を軽減するPersol 独自の偏光レンズPolar を通して見る影射す光景は、フィルム・ノワールの世界そのものなのかもしれません。


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2014/12/23

色彩の魔術師

北海道や北陸以北の日本海側で大雪となった昨日は冬至。新月と冬至が重なる「朔旦冬至(さくたんとうじ)」は、月と太陽が同じ日に生まれ変わる19年に1度の日。冬来たりなば春遠からじ。サーバ引越しで新規更新ができない情況に見舞われたViaggio al Mondo ~あるもん探しの旅ですが、試行錯誤の末、更新する手立てはつきました。リンクタグが貼れないという制約はあるものの、まずは復活を宣言し、前々回の続編をお届けします。

「レモン色づくアマルフィの海辺」より続き

 サレルノ「Creazioni Luciano s.r.l.クレアツィオーニ・ルチアーノ」で制作される陶板画は、月刊情報誌「Piatto」12月号の読者プレゼントとしてご提供頂いた「POSITANOポジターノ」(下写真)でもお分かりの通り、図柄の浮き立った輪郭の内側に目にも鮮やかな彩色が施されています。

pcreazioni-luciano-positano.jpg

【Photo】彩色タイルで装飾されたポジターノ「Chiesa di Santa Maria Assuntaサンタ・マリア・アッスンタ教会」のクーポラ(下写真参照)。釉薬を施して焼成した後の仕上がりを想定し、浮き彫りの高低(=型をとる石膏板に刻む溝)で円屋根の文様を表現したクレアツィオーニ・ルチアーノ作「POSITANOポジターノ」(上写真)

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【Photo】9世紀に町が建設され、ヴェネツイア、ジェノヴァ、ピサとともに海洋都市として繁栄したアマルフィ。その中心に建ち10世紀当時の遺構が残るドゥオーモ周辺を淡い色彩を用いマットな仕上がりで細密に再現した「AMALFI DUOMO」(上写真)

 家族経営のクレアツィオーニ・ルチアーノ工房では、兄ルチアーノはマネジメント、弟ロベルトがデザインを担当。風景を題材とする作品では、キュビズムの影響を感じつつも、カラフルでキュートな先代ランベルトの作風(下写真)と、より具象的なロベルトの作品とでは、親子でも個性が異なります。

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 絵柄のモチーフは前編で登場したレモンや風景・町並みのほか、ポンペイでモザイクが発掘された絵柄そのままの〝猛犬注意〟、ギリシャ神話に登場する12星座の意匠、ロッビア工房の作風を彷彿とさせる宗教上の題材など、多岐に渡ります。

 今夏、仙台市青葉区一番町の情報ステーション「仙台なびっく」に期間限定でクレアツィオーニ・ルチアーノ工房の作品を取り扱う「ベスト・オブ・サレルノ」がチャリティ出店しました。サレルノ在住で同店を運営する株式会社繋(けい)代表を務める藤原佳代さん(仙台市出身)がルチアーノ社に制作を依頼したのが、この「SENDAI」。

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【Photo】仙台の夏を彩る七夕飾りをデザイン化した作品「SENDAI」は、津波で親を亡くした震災遺児の支援に売り上げが寄付される

 この和洋折衷な作品を語るとき、避けては通れないのが1980年に南イタリアで発生したイルピニア地震です。同年11月23日午後7時35分、カンパーニャ州アヴェリーノ県イルピニア地方を震源とするマグニチュード6.9の大地震が発生(下図参照)。90秒続いた強い揺れで震源に近いアヴェリーノ県・サレルノ県・ポテンザ県では多くの建物が倒壊。20万人以上が家を失い、第二次大戦後のイタリアでは最悪となる2,914名が犠牲となりました。 Terremoto_irpinia1980_shakemap.jpg

 現在クレアツィオーニ・ルチアーノ工房の社長を務めるルチアーノ・タスタルディさんは当時18歳。東日本大震災の映像は、31年前にサレルノを襲った悲劇の記憶を呼び起こしました。藤原さんから相談を持ちかけられたルチアーノ氏にとって、サレルノからできる支援の一つのかたちが、岩手・宮城・福島の被災3県で1,724名にのぼる津波で親を亡くした震災遺児の支援に売り上げを役立ててもらおうと制作したこの作品だったのです。

 こちらはロベルト・タスタルディさんが「SENDAI」を制作する模様を収めた動画。作業は石膏板に下絵をトレースし、手作業で溝を刻み、基盤を作成します。前述のサンタ・マリア・アッスンタ教会のクーポラに見るように、溝の深さや幅は、輪郭と模様を表現する場合とでは異なります。


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 イタリアの観光地にある土産物店では、ご覧のような中国製のコピー商品(右写真)を置いているケースがあります。こうしたまがい物は、手彫りする溝の太さにムラや曲がりがあり、色が入り混じるなど彩色も粗雑。熟練の職人が作業にあたるルチアーノ工房の作品と比べると、仕上がりの落差は一目瞭然なのがお分かり頂けるかと思います。

 石膏の基盤に粘土を圧着し、厚さ8mmほどの絵柄の型をとります。次に原版を1050℃で素焼きします。凸状の輪郭で囲まれた内側にエナメル染料や色ガラスを鮮やかな手つきで流し込み、釉薬を表面に吹きかけて950℃で再焼成すると、色鮮やかな世界に1枚だけの陶板画が完成です。

 今回、サーバ移行に伴う不調により、後編のアップが10日ほど遅れました。リンク先のタグ付けができない歯がゆい状況は変わっておりませんが、何とかお約束は果たした格好です。

 ルチアーノ社の陶板画以外にも、前回ご紹介のセレクトショップ「ベスト・オブ・サレルノ」では、サレルノ発の食品も取扱っています。予定より遅れることは、南イタリアでは日常茶飯事ですが(苦笑)、お詫びとして次回はオイシイ番外編をお届けします。

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Creazioni Luciano s.r.l.
・Ufficio(本社):via G. Pastore,26 Località Cupa Siglia 84131-Salerno(SA)ITALIA Phone: +39.089.384.944 Fax: +39.089.893.856.710
・Negozio (ショップ):Vicolo della Neve 34/36-Salerno(SA)ITALIA Phone:+39.089.296.1469
URL: http://www.creazioniluciano.com/it
E-mail: info@creazioniluciano.com baner_decobanner.gif

2014/12/07

レモン色づくアマルフィの海辺

南イタリア・サレルノ発、
クレアツィオーニ・ルチアーノの彩色タイル

 Kennst du das Land, wo die Zitronen blühn, 
 Im dunkeln Laub die Goldorangen glühn, 
 Ein sanfter Wind vom blauen Himmeln weht, ...
   レモンの花咲く国を知っていますか
   緑の葉陰には色付いたオレンジが輝き
   晴れ渡る空のもと爽やかなそよ風が吹く ...

Wilhelm Meisters LehrjahreMignon
Johann Wolfgang von Goethe

fiore-limone-Amalfi.jpg「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」3巻
「ミニョン」より抜粋 原作:J.W.ゲーテ

(現代語訳:不肖庄イタ)

 文豪ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」第3巻の書き出しは「ミニョン」と題するこの詩で始まります。幼くしてサーカスに売られた12歳の少女ミニョンが、遠い郷里への思慕を込めたこの詩は、森鴎外が文語訳した「君知るや南の国」など、多くの翻訳が日本でも知られます。

 ドイツ人青年ヴィルヘルム・マイスターにミニョンが語りかけるこの詩の内容から察するに、薄幸の少女が回想したのは、きっとこんな南イタリアの海辺の風景だったはず。

flamed-luciano-amalfi.jpg【Photo】南イタリア・サレルノの工房「クレアツィオーニ・ルチアーノ」で1枚ずつ手作業で彩色されたセラミックタイル。絵柄のイメージに合った額装をオーダーし、世界にひとつだけのアマルフィが完成

 ブーゲンビリアがピンクの彩りを添える白いテラスの眼下には紺碧のティレニア海。輝く太陽のもと、洋上では小舟が白い帆を張り、地上の万物は姿形と色彩をより鮮明に浮き立たせます。造形芸術の傑作の数々がイタリアで生まれたのは、この日差しがあってこそに違いありません。

 そこはソレント半島南岸の入り組んだ変化に富む地形が30kmほど続くアマルフィ海岸。急峻な岩肌に張り付く家々とともに、世界で最も美しいと称えられる海岸線には、急斜面に開墾された棚田式の畑で「Sfusato Amalfitanoスフサート・アマルフィターノ」と呼ばれるレモンが実を結びます。

amalfi terraced limone.jpg【Photo】さまざまな言語が飛び交うリゾート客で賑わうアマルフィの喧騒を離れ、家並みの背後に屹立する岩山の中腹に拓かれたレモン果樹園へ。車がやっとすれ違える坂道を延々と登ると、眼下にはアマルフィの街とティレニア海が広がる

 通常の倍はあろうかという大きさと、やや青みがかった黄色が特徴のレモンは、世界遺産に指定されるアマルフィ海岸沿いのナポリを州都とするカンパーニア州サレルノ県のAmalfiアマルフィ、Positanoポジターノ、Ravelloラヴェッロ、Cetaraチェターラなど11のコムーネ(行政単位)の特産品です。3月から7月が最も美味しい季節ですが、12月でも日中の最高気温が20℃を超す南イタリアゆえ、1年を通して収穫されます。

vietri Terraced limone.jpg【Photo】平地面積が限られるアマルフィ海岸では、棚田状の畑に栗の支柱を立て、テラス状に枝を這わせたレモン栽培が盛ん

 陽射しに恵まれたこの地域におけるレモン栽培の歴史は古く、紀元79年のヴェスヴィオ火山の噴火で滅びたポンペイの壁画にも豊かに実をつけたレモンの樹が描かれています。ポンペイに近いソレント近郊やカプリ島で栽培される「リモーネ・ディ・ソレント」と、アマルフィ海岸で栽培されるレモンは名前だけでなく品種が異なるのだそう。

case-del-frutteto.jpg【Photo】2000年前の街並みが、火山灰によって封印されたポンペイ遺跡。Casa dei Cubicoli Floreali(=花の寝室の家) またはCasa del Frutteto(=果樹園の家)と呼ばれる遺構は、ヴェスヴィオ火山の噴火時点で相当に古い家だったと推察される。レモン果樹が描かれた東側の壁画の一部(click to enlarge

 穏やかな酸味と、厚い果皮に覆われた「Limone Costa d'Amalfi(=アマルフィ海岸のレモン)」は、前菜からドルチェ、食後酒に至るまで食卓を彩ります。1999年にEUのI.G.P.(Indicazione Geografica Protetta=保護地域指定表示)に指定され、スローフード協会によって、保護されるべき貴重な食材を指す「プレシディオ」にも登録されています。

Limoni-amalfi.jpg【Photo】アマルフィ海岸の文化的な景観を成す重要な要素となるスフサート・アマルフィターノ

 レモン果樹の寿命は80年ほどといわれ、1本の樹からは年間200から600の果実が人の手で収穫されます。機械化が困難な急峻な畑には車両での進入が不可能。ゆえに収穫されたレモンは篭に入れられ、成人男性1人分の重さはあろうかというカゴを頭に乗せ、小さなトラックを停めた路地までの急坂を人力で運搬します。

 アマルフィの街並みを眼下に一望する凪いだ海からの穏やかな風と陽射しを感じる目にも鮮やかな陶板画。冒頭にある通り、絵柄にふさわしいイメージの額装をオーダーし、9月に登場したヴェルナッツァの貴石モザイク画との左右シンメトリーでコレクションに加わりました。

Creazio_Luciano.jpg【Photo】アマルフィやヴィエトリ・スル・マーレの街では陶器生産が伝統的に行われてきた。手彫りで作られる原版をもとにした浮き彫りの陶板に1枚ずつ職人が彩色を施すため、絵柄は同一でも微妙に色使いや表情が異なり、ひとつとして同じ作品は生まれない

 作り手である「Creazioni Luciano クレアツィオーニ・ルチアーノ」は、アマルフィ海岸の東の起点となるサレルノで1955年に創業。現在は初代ランベルト・タスタルディの息子、ルチアーノとロベルト兄弟が60年の伝統を守り続けています。原版の彫り出しから、素焼したセラミックにガラスや特別な釉薬で彩色を施し、再び焼成する全ての工程が手作りによるものです。

best-of-salerno.jpg【Photo】明るい色彩が溢れる「ベスト・オブ・サレルノ」。南イタリアらしい色使いの彩色タイルほか、革製品、パスタ・オイルなど、サレルノから選りすぐった商品を扱う〈click to enlarge

 教会のステンドグラスにインスピレーションを得て作り上げられたというルチアーノ社の作品。師走を迎えた途端、真冬の寒気が訪れた仙台に居ながらにして典型的な南イタリアの風景を鮮やかな色彩で描き出したこの陶板画やパスタ・オリーブオイル・革製品など、サレルノ発の商品が入手可能になりました。

 今年の夏、期間限定で青葉区一番町の情報ステーション「仙台なびっく」にチャリティ出店した「ベスト・オブ・サレルノ」が、このほど仙台市泉区歩坂町に常設店舗を開設しました。次回は南イタリア・サレルノの息吹を伝えるこの陶板画の制作の模様をご紹介します。
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Best of Salerno ベスト・オブ・サレルノ
住: 仙台市泉区歩坂町67-25ロイヤルプラザ103 (株)minekenショールーム内
phone: 022-204-4385
営: 10:00~12:00 13:00~17:00 火曜・日曜・祝日定休
URL: http://www.bestofsalerno.com
E-mail: info@minekentosou.co.jp
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2014/09/07

Mosaico Fiorentino フィレンツェ・モザイク vol.2

貴石で描いた風景画、絵のように美しい街ヴェルナッツァ

より続き

 水平線から青空に湧き立つ白い雲。ブドウの葉越しに垣間見えるのは、紺碧のティレニア海に抱かれたVernazzaヴェルナッツァの家並み。

mosaico-Vernazza.jpg【Photo】海から立ち上がる急峻な岩場の一角に小さな集落が5つ点在する世界遺産「Cinque Terreチンクエ・テッレ」。その中で最も風光明媚とされる「Vernazzaヴェルナッツァ」を、貴石の象嵌で表現したフィレンツェ・モザイク(天地210mm×左右160mm)は、古畑好恵さんによる作品(上写真)

 近年、日本でも認知度が上がった世界遺産チンクエ・テッレを訪れるなら、最も容易なアプローチ手段は間違いなく鉄道です。リグーリア州の州都ジェノヴァからティレニア海沿いに5つの小さな村が点在するチンクエ・テッレと港湾都市ラ・スペツィアを経てトスカーナ州ピサとの間を列車で結ぶ路線が、通称「Tirrenicaティッレーニカ」。

Vernazza.jpg【Photo】高速A12からVernazzaヴェルナッツァに向かう道は険しい山肌を縫うようにして進む(下写真)。果てしなくカーブが続くかに思われる見通しのきかない道の終点は、一般車両が入れる最終地点の駐車帯。そこから1kmほど歩みを進めると、海に突き出た岩の上に11世紀に築かれた円筒形の小さな要塞「ドリア城」と多層造りの家々が寄り添うように建ち並ぶヴェルナッツァにたどり着く(上写真)

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 背後に山が迫る切り立った岩場が続く東リビエラ海岸の28km区間に51ものトンネル工事を要した難工事の末、チンクエ・テッレと総称されるモンテロッソ・アル・マーレ、ヴェルナッツァ、コルニーリア、マナローラ、リオマッジョーレの村々が鉄路で結ばれたのが1874年のこと。現在も海沿いには道がない5つの村々は、鉄道が通る以前は絶海の孤島に等しい漁村でした。

Laspezia_mappa.jpg 例年の年間降雨量に匹敵する542mmの雨が、4時間あまりで降った豪雨により、ヴェルナッツァなどで大規模な洪水が発生したのが2011年10月。嵐が襲うたびに土が流出しやすい地理的な環境ゆえ、急峻な岩肌の土壌は決して肥沃ではありません。

 最大斜度が70度もの急斜面に砕いた岩を積み上げて段差を築き、そこに細かく砕いた岩を敷き詰め、畑に転用する。こうした気の遠くなるような努力の積み重ねによって拓かれたのが、チンクエテッレのブドウ畑です。チンクエ・テッレでは、過酷な条件下でブドウやオリーブを育ててきました。

【Movie】ヴェルナッツァやマナローラ周辺のおよそ300のブドウ生産者が組織する協同組合「Cantina Cinque Terreカンティーナ・チンクエ・テッレ」(1982年設立)。大きな農機が使えない手作業中心のブドウの収穫(0:55秒頃からヴェルナッツァの畑が登場)と、リオマッジョーレにある醸造所の模様

 そうした現実を知らずとも、絵のように美しいチンクエ・テッレに魅了されない人はいないはず。そこを鉄道ではなく、数倍の時間を要する陸路から訪れたのが8年前。その苦心惨憺ぶりは、コチラから⇒Link to backnumber

1-vernazza_su.jpg【Photo】足がすくむような切り立った山肌沿いの曲がりくねった細い道をFIATで走ることしばし。海面から吹き上がってくる海風に乗ったはずの潮騒すら掻き消される遥か高みからヴェルナッツァの家並みが眼下に見えてきた時の感動は今も忘れがたい

 芳醇なヴィーノ・ビアンコ「チンクエ・テッレ」とともに、苦心してヴェルナッツァを訪れた日の鮮やかな記憶を蘇らせてくれるのが、冒頭に登場した額装モザイコ・フィオレンティーノ。フィレンツェ旧市街、ペピ通りに工房があったロベルト・マルッチ工房で、フィレンツェ・モザイクの伝統技能を10年以上に渡って習得した鹿児島市出身の古畑好恵さんに、2010年末に制作を発注したものです。

yossy_trafolare.jpg【Photo】木材ではなく大理石や貴石を象嵌加工し、絵柄を生みだすモザイコ・フィオレンティーノ。ロベルト・マルッチ工房で半円形に湾曲させた極めて耐久性が高い木材であるクリに針金を張った金ノコ「アルケット」を使い、ヒマワリの絵柄を制作中の古畑好恵さん(画像提供:yossy)

 当時、郷里にレストランを開業する「サスライシェフ」こと、ご主人の圭一朗さんと帰国準備に慌ただしくしていた好恵さん。注文を受けてから完成まで半年近くを要するバックオーダー数件を抱える中、11年間に及んだフィレンツェ生活で、最後の最後に駆け込みで仕上げて頂いた風景画作品となりました。

 好恵さんが師と仰いだロベルト・マルッチ氏は、1946年生まれ。15歳で貴石モザイクの道に進み、自身の工房をフィレンツェのドゥーモやサンタ・クローチェ教会にほど近いチェントロ(=旧市街)に構えます。伝統的な絵柄である動植物やテーブルトップは勿論のこと、特にフィレンツェの街やトスカーナの田園風景を表現した風景の作品を数多く手掛けました。

RobertoMarrucci.jpg【Photo】ロベルト・マルッチ氏の作例。題材として取り上げた中心は、フィレンツェの街並みや自然豊かなトスカーナの風景など

 本場フィレンツェで個展を開いたほか、世界50カ国以上の伝統工芸が一堂に会する「Mostra Mercato Internazionale dell'Artigianato(=国際手工芸品展示会)」や、日本橋三越イタリア展に自作の風景画やアクセサリーなどを凱旋出品するまでに腕を上げた古畑さんほか、多くの弟子を輩出。マエストロ(=名人・親方)と呼ばれたマルッチ氏は、2012年6月に急逝しました。現在は工房も閉鎖されましたが、貴石モザイクに人生を捧げた氏の功績は、その作品と同様、決して色褪せることはないでしょう。

vernazza-sheet.JPG【Photo】ヴェルナッツァの写真(左側)をもとに、一片ずつ色別に切り出す石の組み合わせを決める下絵を描く(右側)。 (画像提供:yossy)

 フィレンツェ・モザイクは、原石を足で探すことから始まります。下絵の型紙に従い石を刻むのは、直径1mほどの半円形に湾曲させた栗の木に針金を張ったアルケット(=金ノコギリ)。万力台に固定した厚さ5~3mm程度に切り出した石を割らぬよう、ダイヤモンドの次に硬いザクロ石や鉄を粉末にした研磨剤である金剛砂との摩擦で石を切り刻むのです。

【Movie】ロベルト・マルッチ工房での好恵さんによるアルケットを用いた作業の模様。モザイコ・フィオレンティーノが、いかに時間を要する手仕事であるかの片鱗がお分かりいただけるかと

 作業の労力軽減に大きく寄与したのが、ダイヤモンドを刃に配合した電動の丸ノコ。直線を切り出すにはこれに勝るものはありません。それでも無理な力を掛けずに石を刻むのにアルケットは最適。現在も細かな曲線の加工にはアルケットが使われます。

vernazza-back.jpg【Photo】色別に切り出した石片を接着剤で組み合わせ、ほぼ出来上がったヴェルナッツァの絵柄を裏側からみた状態。(画像提供:yossy)

 形を切り出した石は棒ヤスリを使って隙間が出ないよう形を揃え、1片ずつ嵌(は)め込んでゆきます。21世紀を迎えた今、石の接合には、合成樹脂製の接着剤と15世紀の発祥以来使われてきた蜜蠟と松ヤニを混ぜた飴色の接着剤を石の性質により使い分けるといいます。絵柄の裏面は、伝統的な松ヤニ接着剤とスレート板で補強。全てが組み上がったら、石膏でラバーニャと呼ばれる一枚板に貼り付けます。

portovenere25.jpg【Photo】日本橋三越のイタリア展に出品したポルトヴェーネレを回転式研磨機で磨く模様(画像提供:yossy)

 最後は研磨。目の荒いものから細かい順に回転式のヤスリを変える研磨盤と、金剛砂と水で表面に光沢を与える手作業とでは、石の種類によって使い分けるのだそう。表面にワックスをかけて乾燥後に布で磨けば、やっと完成です。絵柄は輝きと深みを増し、無機質の石に新たな生命が吹きこまれます。あとは題材によって好みの額装をオーダーすればOK。好恵さんは信頼のおける額装職人、フランコ・アームロ氏の工房にいつも仕事を頼んでいました。

 石を切り出す工程以外はすべて時間が掛る手作業ゆえに素材そのものが高価な金細工を除けば、数あるフィレンツェの伝統工芸でも、最も単価が高い部類の工芸品と言って差し支えありません。

vernazza_casa-carlo.jpg 日本語には多くの色の呼び名が存在し、それは日本人の繊細さの表れとされます。フィレンツェ・モザイクも同様で、海と空の色がさまざまに異なるように、マエストロの工房に保管されていた風景画で頻繁に用いる青や緑系統の多種多様な呼称の石は、それぞれ50種類以上。

 200ピース以上の貴石を嵌め込んだこの作品には、モザイコ・フィオレンティーノの伝統技法が随所に生かされています。空の部分に用いた多孔質で半透明のオニチェ(=オニキス)の裏側には、絵の具を塗ってあります。するとオニチェの密度が濃い白い部分が、雲のように浮き上がって見えてきます。

 フィレンツェでは、デジタル技術が登場する遥か以前から、いわば3D技術が編み出されていたのです。

 建物の窓は、先の細いドリルで長さ2mm、幅1mm程度の凹みを穿ち、絵の具に接着剤を混ぜて埋め込みます。乾燥後、余分な絵の具をヤスリでこそげ落とすと、窪みの部分にだけ色が残り、建物の壁面に窓が出来るという仕掛け。天然の石で絵柄を生みだすモザイコ・フィオレンティーノは、たとえ同じ型紙を使っても、二つとして同じ作品は存在し得ません。

mosaico@carlo.jpg ご主人がオーナーシェフの「リストランティーノ・イル・チプレッソ」ではサービス担当の好恵さん。モザイク職人としてフィレンツェで暮らした当時、ご主人が働いていたサンタ・マリア・ノヴェッラ駅近くのリストランテでフロア係を務めた経験が活きています。帰郷後モザイク制作は封印中。「2ヵ月ぐらい店を休み、また石と向き合いたい」と、冗談半分に語ります。

 2回目の訪問が鉄道で、それがあまりに楽勝だったため、二度と通ることはないであろう陸路から訪れたヴェルナッツァ。絵のように美しい小さな村で味わった感動を、永遠に変わらぬ色彩で蘇らせてくれるモザイコ・フィオレンティーノは、私のライティング・デスクの上にいつも飾ってあります。 

◆ 参考URL: 自転車娘フィレンツェを行く  http://lafanciulla.seesaa.net/
※モザイコ・フィオレンティーノ関連: La Fanciulla(ラ・ファンチュッラ)

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2014/08/23

Mosaico Fiorentino フィレンツェ・モザイク vol.1

永遠(とわ)に色褪せぬフィレンツェのアサガオ

cabinet-semipresious-inlay.jpg【Photo】庄イタ愛用のキャビネット・ボックスの蓋。黒い背景に浮かぶ西洋アサガオは半貴石の象嵌による。花や小鳥はフィレンツェで発達した伝統工芸「モザイコ・フィオレンティーノ」の絵柄として、しばしば使われるモチーフ

Francesco_Ferrucci_CosimoIde'Medici.jpg 盛期ルネサンスの立役者は? と問われれば、日本では豪華王の称号が付くロレンツォ・イル・マニーフィコ(1449-1492)を挙げずにはおけません。芸術を庇護したメディチ家の伝統を受け継いだ最後の直系がフェルディナンド1世・デ・メディチ(1549-1607)です。フェルディナンド1世は、第3代トスカーナ大公の座に就いた翌年の1588年、先々代のコジモ1世がピッティ宮殿やヴァザーリの回廊とともに建設した政庁舎(現在のウフィツィ美術館)の一角に貴石モザイクの工房を設立しました。

【Photo】16世紀の彫刻家フランチェスコ・フェルッチ作による貴石モザイク「コジモ1世の肖像」(1598)Museo dell'Opificio delle Pietre Dure a Firenzeフィレンツェ貴石工芸美術館蔵〈click to enlage

Stemma_Firenze_Capelle_Medicee.jpg シニョーリア広場から移されたミケランジェロのダビデ像を所蔵するアカデミア美術館近くのアルファーニ通りの現在地に移転したのが19世紀半ば。「Museo dell'Opificio delle Pietre Dure a Firenzeフィレンツェ貴石工芸美術館として、花の都フィレンツェで開花した石の芸術を展示しています。

【Photo】メディチ家礼拝堂の貴石モザイク「フィレンツェ共和国市章」〈click to enlage

 初期キリスト教の聖堂や古代ローマの神殿などのモザイクは、立方体の石やガラス小片から点描画のように文様を描きます。「モザイコ・フィオレンティーノMosaico Fiorentino 」と呼ばれる貴石モザイクは、従来のモザイクとは全く異なる技法を追求し、それを高めてゆきます。

 15世紀に始まり、トスカーナ大公国で独自の発展を遂げたこの石の絵画は、色の濃淡や陰影切断面の模様を生かして花や風景などの絵柄を作り出します。目地を残さぬよう隙間なく石をジグソーパズルのように組み合わせ、加工する高度な技能を要する貴石モザイクは、メディチ治世下で街全体が美の殿堂と化した花の都・フィレンツェの経済力が衰退してゆく17世紀から18世紀を経て、今日まで受け継がれてきました。

tavola_fiorentina.jpg【Photo】商港ブルージュにメディチ銀行の支店があったこともあり、調達したベルギー産黒大理石の背景にシチリア産ジャスパー、シエナ産アゲート(瑪瑙・めのう)、ピサ産アラバスター、カルセドニー(玉髄・ぎょくずい)、アメジスト、ラピスラズリなどを埋め込んだ花瓶の文様が浮かび上がるテーブルトップ。(1600-1650)〈上写真〉 17世紀にキャビネットの扉として作られた貴石モザイク。果樹にオウムと蝶が舞う絵柄〈右下写真/click to enlage〉 ともにフィレンツェ貴石工芸美術館蔵

pappagallo-su-ramo.jpg モザイコ・フィオレンティーノで用いるのは、ラピスラズリ(瑠璃)やフローライト(蛍石)、ジャスパー(碧玉)といった半貴石から色大理石までさまざま。稀少な原石の調達は、アルノ川沿いやフィレンツェ郊外など地元トスカーナのみならず、国外にも支店網を広げたメディチ銀行の政治力で、欧州一円からアジア・アフリカにまで及びました。

 チマブーエの磔刑図(サンタ・クローチェ教会)や、銀座に本店がある「サン・モトヤマ」が複製を寄贈したギベルティ作「天国への扉」(サン・ジョヴァンニ洗礼堂)など、1966年に発生したアルノ川の大洪水や第二次世界大戦で傷んだ歴史的文化財や美術品の修復を行うのが、フィレンツェ貴石工芸美術館のもう一つの顔となる「フィレンツェ修復研究所」です。

 古代ユダヤ神話に登場するのが、現在のパレスチナ自治区にあたるぺリシテとイスラエルの争いで、ぺリシテ軍最強といわれた巨体のゴリアテに投石で立ち向かったイスラエルの羊飼いダヴィデ。1440年作のドナテッロや1472年頃の作とされるヴェロッキオのブロンズ像を見ての通り、年端のゆかぬ少年を、筋骨隆々たる白大理石像に仕上げたミケランジェロの作風は好みではありません。アカデミア美術館には足が向かない庄イタにとっては、すぐ近くの貴石工芸美術館のほうが、よほど魅力的。

cabinet-semipresious-inlay2.jpg【Photo】貴石モザイクが施されていること、フィレンツェ貴石工芸美術館で作られていることを手書きの英文で記してあるカードが添えられたキャビネットボックス

 石の切断から研磨まで、全て手作業で行っていた16世紀以降のマエストロたちが残した作品には目を奪われます。心ゆくまで目の保養をした後で購入したのが、そこで作られたことを示す手書きのカードが入った18cm×9cmのキャビネットボックス。

 素材の石探しに始まり加工から仕上げまで膨大な手間がかかるフィレンツェ・モザイクは非常に高価な工芸品です。メディチ家の人々の居宅で、現在は至宝の数々を所蔵する美術館として公開されるピッティ宮には、16世紀から17世紀の貴石モザイクテーブルが展示されています。それらのレプリカはダイニングテーブルサイズでさえ、億を下らないといいますから、とても一般人には手が届きません。

tavola-pietre-dure-pitti.jpg【Photo】ピッティ宮が所蔵するPricelessな貴石モザイクテーブルの一例(部分)。テーブルトップを象嵌細工した職人技の素晴らしさをとくとご覧あれ〈click to enlage

 スーベニアショップで扱っていたこのボックスは、黒く着色した木地の蓋に貴石を埋め込んだもの。内張りだけでなく緑大理石に見える本体部分も木製です。もう10年以上も前のことで正確な値段は忘れてしまいましたが、値札の価格を見て少しばかり買うのを躊躇したことは記憶しています(笑)。

cabinet-semipresious-inlay3.jpg それでも"イタリアで買うかどうか迷ったら、購入すべし"という庄イタの鉄則を曲げることはしませんでした。フィレンツェの市章のモチーフはアイリスですが、永遠に色褪せることのないこのアサガオの絵柄の小箱は、庄イタにとっては、街そのものが美術館のごとき花の都へと誘(いざな)う玉手箱そのものです。

continua / to be continued.
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2014/08/10

Mare Nostrum, bonfanti.

地中海の風を運ぶトートバッグ

 Mare Nostrum マーレ・ノストゥルム。地中海世界を手中にした古代ローマ人は、地中海(イタリア語でMediterraneo)をラテン語で「我らの海」を意味するこの名で呼びました。

Civil_Ensign_Italy.jpg【Photo】イタリア商船が船尾に掲げるイタリア国旗(部分)。赤・白・緑のイタリアン・トリコローリの白地部分に聖マルコを象徴する有翼獅子(ヴェネツィア・左上)、聖ジョルジョの象徴たる赤の十字(ジェノヴァ・右上)、青字に白の八角十字(アマルフィ・左下)、赤字に十二使徒を表す12の円が付いた白い十字架(ピサ・右下)がモチーフとなる4つの海の共和国が描かれる

 
 ローマ帝国衰退後の長い空白を経た9世紀。都市国家が群雄割拠するイタリア半島で、大きく帆を張った船で海に繰り出し、地中海を舞台とする交易に活路を見出そうとした4つの都市がありました。それが、現在もイタリア商船やイタリア海軍の船舶が掲げる旗に紋章が描かれるヴェネツィア、ジェノヴァ、アマルフィ、ピサの4都市。

regata-bonfanti.jpg【Photo】イタリア商船旗と並び順は異なれど、地中海世界でかつて勇名を馳せた4つの海洋国家名、ヴェネツィア・ジェノヴァ・アマルフィ・ピサの名が記されたbonfantiのトートバッグ「Regata866110」

 問題先送りばかりの極東の某国と同じく、最高権力者が頻繁に交代し、てんで頼りにならないイタリア共和国の政権より、よほどまともと思われる統治能力を備えていたのがヴェネツィア共和国。ドージェ(元首)を頂点とする政府の庇護のもと、多くの漕ぎ手を乗せた軍用のガレー船でも発揮された優れた造船技術と商才とによって、東方交易で莫大な富を獲得します。18世紀末に共和制が瓦解するまで、オリエントの香り漂う華麗な海上都市は繁栄を謳歌します。

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【Photo】bonfanti2014春夏コレクションより。ボールドなストライプ柄が春夏の定番。カジュアルに振れすぎずラインナップされるバッグ類は、性別を問わず大人にも支持が高いという

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 アドリア海の真珠と称えられたヴェネツィアにとって最大の好敵手であったのがジェノヴァ。指導者層が自国内の政争に明け暮れ、ライバルと比べて国家としてのまとまりには劣るものの、持ち前の独立心の強さも手伝って、ヴェネツィアに伍して地中海世界で台頭します。

regata3.jpg 「奇蹟の広場」の別名を持つドゥオーモ広場に斜塔と並んで建つ壮麗極まりない白亜の大聖堂洗礼堂を見ても、十字軍遠征に乗じて地中海で勢力を拡大した往時の繁栄ぶりが偲ばれるのがピサ。

 占いの道具として宗王朝の中国で発明された方位磁針を航海用に独自に改良、羅針盤を欧州に広めたのがアマルフィ。地中海交易の先鞭をつけ、大航海時代への道筋をつけました。故国が12世紀前半にシチリア王の軍門に下った後も、アマルフィ商人は地中海世界で一定の影響力を保ち続けました。

【Photo】REGATAのラインでも、モデル866110は、持ち手や金具まわりに上質な牛革を多用しており、シックな印象を与える(右写真)

 例えば、捕虜としてジェノヴァで投獄されていた間の口述をもとにした「東方見聞録」で、13世紀末に黄金の国ジパングに関する伝聞を欧州に広めたマルコ・ポーロはヴェネツィア人。15世紀末に新大陸を発見したクリストフォロ・コロンボ(=コロンブス)はジェノヴァ人。15世紀半ばに無敵艦隊を擁するスペインが台頭する大航海時代を迎えるまで、二大勢力となったヴェネツィアとジェノヴァは、互いにしのぎを削りながらも大海原を舞台に歴史に名を残した人物を輩出しています。

regata4.jpg【Photo】肩掛け可能なトートバッグとして、上質な革製の持ち手は2段階に長さが調整可能。取り外しができるウオッシュ加工を施されたブルーのストラップが付属しており、ショルダーバッグとしても使える(左写真)

 こうした歴史を紐解くまでもなく、三方を海に囲まれたイタリアで海は身近な存在。グローバル経済に組み込まれた昨今、都市部では夏のヴァカンスが短縮化の傾向にあるとはいえ、今も昔もイタリア人にとっては日焼けした肌は自慢の種。貫禄充分のマンマでも、臆することなくビキニ姿で砂浜を闊歩します。ローマ神話における海の神「ネプトゥヌス(=ネプチューン)」の末裔であるイタリア人のDNAには、夏は海に心を馳せるよう、深く刻まれているようです。


 個性を重んじる国ゆえ、自己表現の手段として、身だしなみに気を使うイタリア人は概してお洒落です。そんな彼女たち・彼らにとって、この季節の必須アイテムとなるのが、海と親和性の高いアイテム。この夏、庄イタが衝動買いしたイタリアンブランド、「bonfantiボンファンティ」の新作トートバッグもそんな一つに挙げられるでしょう。そこには前述した4つの海洋都市国家の名が刻印されています。

regata2.jpg【Photo】ヨットで使われる部品「シャックル」や、3つ打ちロープなど、海を連想させるREGATAモデル866110のパーツ使い。イタリアらしい遊び心を感じる(右写真)

 第二次世界大戦が終結した1945年、ミラノ郊外の小さな町、Gorla Minoreゴルラ・ミノーレでボンファンティ夫妻が創業した「BONFANTI Borse s.r.l. ボンファンティ・ボルセ」。現在はボンファンティ家三代目、マーケティング担当の兄アンドレア、デザイン担当の妹アンナのコンビが家業を受け継いでいます。

 ボールドなボーダー柄のバッグがブランドイメージとなるボンファンティは、春夏のコットン製キャンバス地、秋冬物のウール製フェルト地など特徴的なファブリック使いにも定評があります。

 有名ブランドの多くが、生産拠点を賃金の低い国外に移す中、ボンファンティは創業の地ゴルラ・ミノーレの自社工房での生産を貫いています。熟練のアルティジャーノ(=職人)の手による確かな縫製など、高い次元でデザイン性と品質を両立させているにもかかわらず、比較的リーズナブルな価格も魅力。

regata1.jpg【Photo】MADE IN ITALYの刻印がされた内ポケットのブランドタグ

 庄イタが一目惚れした今年の春夏モデル「REGATAレガッタ866110」は、ヨットの帆に使われるオフホワイトの薄いセイル生地のマリンテイスト溢れるプリント柄と、上質な皮革とのカラーリングが絶妙。Bianchiでの移動に必須となるブルーのストラップにはウオッシュ加工が施されており、ユーズド加工されたセイル生地の少しかすれ気味のプリントともマッチ。

 風を受けて海原を駆けるヨットに使われるだけあって、軽量なセイル生地は実用に耐える強度も確保されています。ヨットのシャックルや、3つ打ちロープを思わせるパーツ使いは遊び心もあり、そこもまた気に入ったポイントでもあります。

 用途は夏に限定されますが、オンオフを問わず活躍してくれることでしょう。

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2014/03/23

庄イタ流 避寒術 vol.1

Ritorni a per sempre(=Return to Forever) 
ナポリの神髄、Passalacqua

 九州ではソメイヨシノが開花したという知らせが届いても、例年にない厳しい寒さが続く仙台。春分の日を迎えた週明けからは、やっと春めいた気温になるという週間予報が出ており、長かった冬の出口がようやく見えてきました。

 それにしても今年の冬は寒かったですね~。シベリア寒気団が居座るなか、2月に太平洋側を二度にわたって通過した南岸低気圧は、78年ぶりの35cmという積雪を仙台にもたらしました。真冬でも積雪の少ない仙台にしては珍しく、しばらく溶けないままで路肩に残っていた雪のため車道の幅が狭まっていました。そのため路面に積雪がない限りは通勤の足として使っているBianchiに乗る機会が少なく、カラダが幾分なまり気味の今シーズン。

positano_terazza.jpg【Photo】時間と懐に余裕があれば、南イタリアへの避寒旅行はいかが。そんな時はアマルフィ海岸の宝石と呼ばれるPositanoポジターノの青い海を見下ろすこんなテラス席へ。陽光降り注ぐ眼下の絶景を明るい南欧風の色彩で楕円形の陶板にハンドペイントで表現したピッツェリア・パドリーノ・デル・ショーザン特注の彩色タイル

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 北風が身にしみる仙台に居ながらにして、温暖な南イタリアのリゾート気分に浸れるのが、勝山館の角を左折、北一番町通り沿いに昨年夏にオープンした「Pizzeria padrino del Shozan ピッツェリア・パドリーノ・デル・ショーザン」です。Link to backnumber

 大振りなレモンがたわわに実り、輝く蒼い海と切り立った急峻な岩肌に張り付く家並みが美しいコントラストを描く冬でも温暖なイタリア屈指のリゾート地、Positanoポジターノ。その郊外にある家族経営の陶器工房「Ceramiche Casola」に発注したハンドペイントの彩色タイル材を随所にちりばめた内外装の店では、ちょっとしたヴァカンツァ気分が味わえます。

piz_padrino.jpg【Photo】エントランスの壁面を飾るのは、ピッツァの故郷、ナポリ湾の風景。ハンドペイントによる特注品であることを示す手書きサインが記されている(上)  陽光溢れるナポリ湾をイメージした青系のタイルで装飾されたピッツェリア・パドリーノ・デル・ショーザンの薪窯(下)

piz1_padrino.jpg 勝山館1Fの「Ristorante Padrino del Shozan リストランテ・パドリーノ・デル・ショーザン」エントランス前で営業していた4年前から使用していたシックかつゴージャスな窯と同じナポリの工房「Gianni Acunto ジャンニ・アクント〈Link to website 〉」製の石窯は、明るいブルーのタイルモザイクでお色直しされました。それは震災発生直後、全国から駆けつけたピッツァイォーロの協力を得て8回実施されたナポリピッツァの炊き出しで、たくさんの笑顔を石巻に届けてくれた薪窯です。

piz5_padrino.jpg【Photo】通りに面したテラス席の内側テーブル席のスペース壁面の彩色タイル画(上) シラスをトッピングしたナポリ伝統のマリナーラ、「チチニェリ」(1,300円)。もはや向かうところ敵なしの絶品。お熱いうちにブォナペティート~♪(下)

piz6_padrino.jpg 2012年6月、石巻での8回目の炊き出しにイタリアから参加したマエストロ・ピッツアイォーロ、ガエターノ・ファツィオさんが、教え子である千葉壮彦チーフ・ピッツアイォーロと被災地に向けて贈った「BUONA FORTUNA(=幸運を祈ります)」という手書きのメッセージが窯の正面を飾ります。凝った内外装だけでなく、ピッツァを始めとするフード類の味も折り紙つき。昨年、秋田の「cosicosi(コジコジ)」が加わり、東北で4店舗となった〈*注1〉ピッツァ発祥の地ナポリに本部を置く「Associazione Verace Pizza Napoletana(真のナポリピッツァ協会)」が本場の味と認めた「VERA PIZZA」認定店の看板に偽りはありません。

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【Photo】一昨年のカプート杯でブロンズメダルを獲得した証しのトロフィーが輝くカウンターに立つ千葉壮彦マエストロ・ピッツアイォーロ(右)

 今シーズンから「コボスタ宮城」となった楽天イーグルスのホームスタジアム一塁側フードストリートで、鶴岡「穂波街道 緑のイスキア」が、試合開催時間帯だけ営業する「赤のイスキア」を除けば、現在のところ仙台圏では唯一、ナポリで食するピッツァと寸分違わぬ、いや、下手なイタリアのピッツェリアよりもオススメできるピッツェリアだと断言します。リニューアルを機に、ピッツァのバリエーションが増え、南イタリアのアンティパストや「ババ」、スフォリアテッラに似た「コーダ・ディ・アラゴスタ」などドルチェ類も拡充しました。

piz7_padrino.jpg【Photo】1台ごとハンドメードされ、エスプレッソマシンのロールスロイスと称される「La Marzoccoラ・マルゾッコ」。安定した抽出温度を保つ2連モデル「FB/80」(左)

 アンティパスト類に合わせるよう、カンパーニャ州を中心にラインナップが増えたヴィーノともども見逃せないのが、カッフェ。ナポリっ子の支持を集める「Passalacquaパッサルアックア」の豆で淹れたカッフェを頂くことができるようになりました。しかし豆だけでは、ナポリで飲む「Barバール」の味を再現できません。マシンはフィレンツェ発祥の「La Marzoccoラ・マルゾッコ」社が 創業80周年を記念してリリースした「FB/80」がカウンターに鎮座します。

piz9_padrino.jpg【Photo】ナポリのカッフェ好きの間ではKIMBOと並んで支持の高いロースター、Passalacqua。アラビカ種とロブスタ種の絶妙なブレンドによるボディのある豊かな味わいは、まごうことなきナポリスタイル。ハンドペイントされたカップもポジターノの「Ceramiche Casola」製(右)

 研究熱心なバリスタ兼ソムリエの三瓶友和さんによるチューニングが加えられたLa Marzocco FB/80で淹れたカッフェは、昨年夏のリニューアル直後と比べて、焙煎豆の風味を凝縮させたストロングタイプの正統派ナポリスタイルの純血度が増しています。ここは迷わずイタリア式にエスプレッソ・シングルならスプーン2杯、ダブルのドッピオなら3~4杯のグラニュー糖を入れて頂きましょう。

piz11_padrino.jpg【Photo】バリスタ兼ソムリエの三瓶友和さん(左)

 北欧が主な発信地となったスペシャルティ・コーヒーが、コーヒーの最先端を行くような捉え方が、ここ何年か日本でもされています。なれど、豆の美味しさを高圧の蒸気で抽出するエスプレッソでも、特に凝縮感が高い南イタリア・ナポリのカッフェは、決して流行に流されることのない永遠不滅のスタイル。その神髄を伝えるPassalacquaの一杯は、南イタリア気分を味わえるピッツェリア・パドリーノ・デル・ショーザンでの時間を、より印象的にしてくれます。ナポリピッツァとカッフェとの至福の出合いがあなたを待っているはずです。

Continua / to be continued

〈*注1〉・東北の「VERA PIZZA」認定店(2014年3月現在・認定順)・・・鶴岡市「穂波街道 緑のイスキア」、盛岡市「Piace ピアーチェ」、仙台市「ピッツェリア・パドリーノ・デル・ショーザン」、秋田市「cosicosi コジコジ」
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Pizzeria Padrino del Shozan ピッツェリア・パドリーノ・デル・ショーザン

住:仙台市青葉区上杉2-1-50 仙台勝山館
Phone:022-213-9220
営:11:30~14:00 (LO) 15:00 クローズ
   17:30~21:00 (LO) 22:00 クローズ
  月曜定休(祝日の場合は翌日) ※2014年4月からは年末年始を除き無休
●エスプレッソ シングル300円 ドッピオ450円 ●マッキャート400円
●カプチーノ450円 など

URL: http://www.shozankan.com/pizzeria/
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2013/11/30

イタリアン・ハイブリッド

 電気自動車のネックとなる長時間の充電が不要で、タンクに充填した水素と空気中の酸素を取り入れてモーターを動かす燃料電池車。H2Oだけを排出、現在のテクノロジーでは最も環境負荷が少ない燃料電池車が実用化されるまでの繋ぎとして、ニッポンが技術を先導するのがハイブリッド車です。かのフェラーリですら、今年3月に開催されたジュネーヴ・ショーでハイブリッドモデル「LaFerrariラフェラーリ」をコンセプトモデルではなく市販車として発表しました。

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 800馬力(!)を発生する6,262ccV型12気筒自然吸気エンジンを搭載、ブレーキ時に発生する熱エネルギーを回収・蓄積・再利用し、163馬力を生むF1で培った独自のHY-KERSシステムをドッキング。合計963馬力(!!)で駆ける軽量なカーボンモノコックボディは、0‐100km/h加速が3秒以下と、強烈な加速Gに堪えうるコルセットを首に装着した方が安心してアクセル全開にできそうな驚異のスペック。

 最高速度が350km(!!!)まで達するというこの赤い跳ね馬。走行状況に応じ、スポイラーやアンダーパネル類が自動可変するアクティブ・エアロダイナミクスを採用した、いわば(心の底から信頼を寄せるにはいくばくかの不安がよぎる)イタリアン・ハイテクノロジーの塊です。

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 生産数499台限定に対し、購入希望者が殺到したというマラネロ初のハイブリッドモデルの気になるお値段は、100万ユーロ。本日の為替レートに換算して1台1億3900万也(税別)。ポキッと折れそうなドアミラーの形状を見るにつけ、ついて回る維持費の不安を払拭すべく、正規ディーラーからフェラーリの新規登録車を購入すれば、7年間は無料メンテナンスを受けられるワランティ・パッケージが2年前から全世界同時にスタートしています。

kosui_crema-golosone.jpg たとえ設計に破たんはなくても、生産の過程で生来のユルさが介在するため、個体差が大きいことが珍しくないのがイタリア車(通称:イタ車=痛車)。堅牢なバイエルン製のドイツ車も3台乗り継いだ庄イタですが、うっかりイタ車に手を出した過去において〝痛い目〟〈2009.3拙稿「場の空気に関する一考察」参照〉に遭っています。

 動画のようなアドレナリン全開な走りにはおよそ似つかわしくないエコカー減税が適用されても、納車は来年4月以降が確実ゆえ消費税だけで1,100万円が飛んでいく勘定( ̄▽ ̄;)。1等・前後賞あわせて賞金7億円が当たる年末ジャンボ宝くじでも当たらない限り、最大の不安要因である懐事情については、まったくもって問題解決の見通しは立っておりません。

 と、いうことで、高嶺の花に終わりそうなイタリアン・ハイブリッドカーについては早々に切り上げ、ここでもうひとつのイタリアつながりのハイブリッドな話題をば。

capperetti_dakekimi.jpg 宮城県名取市相互台にあるマンマの味が楽しめるイタリアン「イル・ゴロゾーネ」で、風味の良い和梨「幸水」のシーズン限定で登場するスペチャリテが、「幸水とパンチェッタのクリームソーススパゲッティ」(上写真)。

 加熱して食感がまったりと変化した幸水と、シャキシャキした生のままの二つの食感が異なるダイス状にカットした幸水に、パンチェッタの旨味と塩味が加わって、フレッシュクリームの甘味が絡んで、えも言われぬハイブリッドな一体感が生まれます。この秋に味わったパスタ料理では、青森のイタリアン「アル・チェントロ」のペースト状にした嶽きみの香りと甘味が炸裂する「嶽きみのカッペレッティ」(左写真)と双璧をなす美味しさ。


 イタリア本国でも何年か前、某有名リストランテのシェフが突如カレーに目覚め、キワ物以外の真っ当なイタリア料理では禁じ手に等しいカレー粉を使った創作料理がイタリア人の間で評判を呼んだとのこと。

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 歌と食べることをこよなく愛する北イタリア・ロンバルディア州Paviaパヴィーア在住のオーナー、ローズィ夫妻の指令で、この秋初めてメニューにオンリストされた「カレー風味クリームソースの手打ちタリアテッレ」(右写真)を、このほどランチタイムに初体験。料理についていつも的確に表現してくれるフロア係の千葉さんオススメとあって、未体験の領域に挑戦した次第。
 
 運ばれてきたタリアテッレを一口食べた正直な感想は、「これはパスタなのか? それとも洋風カレーうどんなのか??」。日本人にはどこか懐かしいカレー風味が、デュラム小麦の香りと絡んでくるインドとイタリアの摩訶不思議なハイブリッド。

 いわば「鯖節から取った和風だし抜き中辛バーモントカレー味きしめん」(笑)。

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 本格インド料理では「ナーランダ」@酒田〈2009.9拙稿「象潟の岩ガキ」参照〉の味を愛し、「Yeti」@気仙沼〈2012.9拙稿「Yeti イエティ@気仙沼」参照〉の味を愛し、混沌としたインドそのままの雰囲気が体感できる(近いうちにとくとご紹介したい)JAY」@山形市の味も愛する庄イタ。

【Photo】夏は盆地特有の酷暑に見舞われるため、すぐ近くの冷やしラーメンを売りにしている店には長蛇の列ができる山形市。かたや吉祥寺と仙台「JAYMAL」で伝説を残したインド料理研究家の由利三さんの料理を味わえる「JAY」入り口。40歳以上の男性だけに適用される厳格なドレスコードがあるので気をつけたい

 前世を含めて積み重ねてきた食遍歴の経験値では推し量ることのできない違和感がどうしても残ります。頭の中で整理をつけようと、2度、3度とカレー風味クリームソースのタリアテッレを口に運んでも、それは払拭されません。

 そこで、いてもたってもいられず、ブロックでサーヴされるパルミジャーノ・レッジャーノをたっぷりと摺りおろしてくれるよう懇願しました。するとインド風チャレンジメニューには一体感が生まれ、慣れ親しんだイタリア料理へと変化して、すんなりとお腹に収まってくれました。

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 それにしてもインドとイタリアが合体したこのパスタ料理。ランチタイムは前菜+ドルチェ+ドリンクがセットされ1,470円也。

 これから先の1日3食、毎食お代わりをし、歯が抜け落ち、嚥下能力が低下した超・後期高齢者になってからは流動食に加工して食べ尽くし、果ては点滴に混ぜてまでしても、マラネロ製の世界一高価なハイブリッド車1台を購入できる対価には到底及びません。

 料理は奥が深いですね。

 いやー、いい勉強になりました m(_ _)m

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リストランテ「イル・ゴロゾーネ」
住: 宮城県名取市相互台1-10-1
Phone:022-386-6271
営:11:30-14:30  17:30-21:00 月曜定休 P有り

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2013/07/07

革フェチ散財記

Io sono il feticismo di cuoio Ⅱ 私、革フェチなんです。第2章
Pelle conciata al vegetale な型押しを衝動買い


 「フィレンツェ銘菓(?)黒砂糖まんじゅう」もどきなPeroniのコインケースを取り上げて以来の革フェチな話題を一席。質感の高いクロコ型押し仕上げのメンズバッグが今回のお題です。

 "機能性のためにデザイン性を犠牲にせず、男の遊び心を満たす"をコンセプトとするブランドが「Kiefer neuキーファーノイ」。製造元は1948年(昭和23)に名古屋で創業、ランドセルも手掛ける国内メーカー「株式会社松本」ですが、ベスト・クオリティを標榜する同社のプライベートブランドであるKiefer neu の素材感と仕上がりは、高い品質とデザイン性で定評あるMADE IN ITALYに引けを取りません。

windowdisplay testoni.jpg【Photo】イタリアの街をそぞろ歩きしていると、所有欲を刺激する品々が絵画のようにディスプレーされたショーウインドー前から立ち去りがたいことが時としてある。その強気な値付けを見て溜息と共に立ち去るのが常なのだが・・・。たとえば革フェチの庶民には目の毒な「a.testoni ア・テストーニ」。創業は皮革産業が盛んなボローニャ。ローマとミラノの直営店ほか、今やファストファッションが浸食する東京銀座に直営店を構える。時流に流されないデザイン性と高い品質の靴やバッグなど皮革製品を展開する大人のイタリアンブランド

bottega_veneta.jpg つい先日入手した同ブランドAMOREシリーズのボディバッグは、a.testoniのような高級品ではありませんが、それと相通じる妖艶な大人の雰囲気を漂わせます。

 高級感漂うクロコ調の表面処理を施したカーフレザーの深い藍の色調、BOTTEGA VENETA(ボッテガ・ヴェネタ)に代表されるイントレチャートを取り入れたデザイン。短冊状の皮革をメッシュ状に編み込むイントレチャートは、ボッテガ・ヴェネタ創業の地であるイタリア北部ヴィチェンツァのあるヴェネト地方で発展した技法です。

【Photo】柔らかな風合いの最高級レザーを編みこむ高度なイントレチャート技術を用いたBOTTEGA VENETAのキーリング

 自然な光沢を放つクロコ調の型押しカーフバッグには、革フェチには見覚えのある手形マークのタグが付いていました。それはPelle conciata al vegetale in Toscana(=トスカーナ植物なめし皮)というトスカーナ地方伝統の樹木由来の植物タンニンを用いたなめし技術によって鞣(なめ)された皮製品であることを示す偽造防止のホログラムと通し番号が入った品質保障タグなのでした。

certificato_PCAVT_1.jpg このタグが付いたKiefer neu のAMOREシリーズは「Consorzio Vera Pelle Italiana Conciata al Vegetale (=イタリア植物鞣し本革組合)」加盟タンナー(=鞣し工房)である「Conceria Nuova Grenoble Srl コンチェリア・ヌオヴァ・グレノブレ」が加工する食用として出荷された生後6カ月以内の子牛のしなやかな牛革を使用しています。この保証書が付いた製品の鞣し作業には、栗や南米原産の樹木ケブラッチョの樹皮から採取される植物性有機化合成分を用い、30以上の工程をかけて柔軟性や耐久性を得る完成までの日数は40日を要します。

 kiefer_neu1.jpg kiefer_neu2.jpg

 安価な皮革製品には硫酸クロムを使って短期間で仕上げるクロムなめし皮が使われますが、植物なめし皮のように使い込むにつれ艶が増し、飴色に変化するなど、独特の風合いを持つには至りません。近年では環境への配慮から天然由来成分を用いる植物なめしの良さが再評価されています。

kiefer.neu_amore3.jpg Consorzio Vera Pelle Italiana Conciata al Vegetale は、この技術を受け継ぐトスカーナのタンナーの呼びかけで1994年に発足し、現在23の工房が組合に加盟。セミナーや新作発表会などの活動を通じ、伝統技術の伝承と技術発展に寄与しています。

 海外の高級ブランドの多くが生産拠点を中国などアジア諸国に移しています。素材を吟選、社是のベスト・クオリティを追求しつつ中国でも品質管理を徹底させたことは、AMOREシリーズの高い質感からうかがえます。

 実はイントレチャート好きな庄イタ。ラムナッパ革ならではの柔らかな手触りが心地良いBOTTEGA VENETAの長財布を最近は使っています(下写真)。そこからKiefer neuを入手するために飛んで行ったのは福沢諭吉先生と野口英世博士が各2枚。

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 AMOREシリーズのカラーバリエーションであるブラック・チョコ・レッド・ネイビーの4色から選んだのは、深いグランブルーのネイビー。末永く愛用することで粋なクロコ姿となった子牛も天国で喜んでくれることでしょう。

AMORE/ボディバッグ 参考上代 22,050円(税込)W17×H33×D9
Kiefer neu URL : http://kiefer-neu.jp/

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2013/03/10

Le Maschere Veneziane ヴェネツィアの仮面

p.sanmarco@aquaalta.jpg【Photo】パラッツォ・ドゥーカレ(総督宮)の華麗なヴェネツィアン・ゴシック様式の柱廊にラグーナの海水がひたひたと押し寄せる。ヴェネツィアで一番低い場所である「Piazzetaピアッツェッタ(小広場)」は、アックア・アルタが発生すると最初に冠水が始まる。そんな時はヴェネツィア市によって、主要な通りや広場に120cmかさ上げする高床式の通路パッセレーレが設置される

venezia_nebbia-001.jpg 世界中から押しかける観光客でごった返すヴェネツィアから、異郷人の姿が比較的まばらになる季節が冬。人の手で海上に築かれたこの街は、晩秋から4月初頭にかけて幾度となく「Acqua altaアックア・アルタ(=高潮)」に見舞われてきました。リアルト橋周辺や表通りは別にして、迷路のように入り組んだヴェネツィア特有の細い通路「Calleカッレ」からは、日が落ちると次第に人の気配がなくなってゆきます。海霧のヴェールに包まれ、ひっそりと静まり返った水の都は束の間、その素顔を見せてくれるかのよう。

【Photo】宵刻のサン・ポーロ地区。「Rioリオ」と呼ばれる小運河に架かる橋から人の気配が消えた冬のヴェネツィアに霧が立ち込める

 地中海貿易の覇権をめぐって都市国家ジェノヴァやアマルフィとの競争を制したヴェネツィア共和国。アドリア海の真珠と称えられる華麗な文化を開花させたヴェネツィアは、21世紀を迎えた現在、ひとえに観光だけで命脈を保っているかのようです。繁栄を謳歌した往時の残照を今も放つ海洋都市が、絶頂期を迎えたのが15世紀。オリエントのエッセンスが随所に見られるサン・マルコ寺院がそうであるように、西洋と東方が融合した歴史的遺構や文化遺産の数々は、今も多くの人を魅了します。

fasnacht_luzern2.jpg【Photo】1333年に創建されたヨーロッパ最古の屋根付き木造橋「カペル橋」で知られ、カトリック教徒が多いスイス中部のドイツ語圏に属する古都ルツェルンでは、カーニバルは「Fasnachatファスナハト」と名を変える。変装した楽隊が奏でるファスナハトに欠かせない吹奏楽曲「グッゲンムジーク」とあいまって、冬の化身である恐ろしい形相の化け物たちが、けたたましくカウベルを鳴らしながら我が物顔で旧市街を練り歩く(上写真)

maschera1-veneziana.jpg そのひとつが、キリスト教の最も重要な祭日である復活祭から数えて46日前の「灰の水曜日」に始まる肉食を控える節制の期間「四旬節」前に、大いに飲み食いをしてハメを外したことに端を発するカーニバル(謝肉祭)。ヨーロッパのカトリック文化圏では、冬の邪気を追い払う祭として代々行われてきました。

maschera2-veneziana.jpg【Photo】南ドイツ・シュヴァルツバルト地方のゲルマン民話を再現したアレマン風ファスネットの素朴で賑々しいカーニバルとは対照的に、文豪ゲーテが恋い焦がれた太陽が冬でも顔を出すことが多いヴェネツィアでは、アドリア海の真珠といわれた栄華を謳歌した都市にふさわしく、あくまで仮面の異形たちもエレガントで美しい

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 今シーズンは1月26日から2月12日の18日間にわたって開催されたのが、ヨーロッパでは最も有名であろうヴェネツィアのカルナヴァーレ(カーニバル)。開催期間中に例年300万人もの観光客がヴェネツィアを訪れることから、下手をすると地盤沈下を加速させる要因になるのでは?と庄イタがいらぬ懸念をするほど。

 ヴェネツィアの観光客数は年間およそ2,000万人。その6.6%をカルナヴァーレの18日間だけで迎え入れる計算になります。このヴェネツィア最大の呼び物の起源は遠く12世紀まで遡ります。ナポレオンとオーストリアの統治下にあった18世紀に中断し、第二次大戦後の復興期を経て観光行事として復活したのが1979年。ヴェネツィアの観光産業は完全に売り手市場ゆえ、ただでさえ物価やホテルの宿泊代が高止まりの傾向にあります。ベニスの商人の末裔たちは、書き入れ時のカルナヴァーレ期間中、輪をかけて強気になるわけです。

maschera4-veneziana.jpg いかに物価が高騰しようと、たとえ観光客で溢れかえろうと、水の都が一段と輝きを放つ祝祭の時期にまた訪れたいと願う庄イタ。なれど安倍政権発足後の円安傾向もあって、夢がまた遠のいたと溜息をつくばかり。あぁ、どうせなら、ドゥーカレ宮と牢獄を結ぶ名高い「Ponte dei Sospiri(溜息の橋)」で深い溜息をつきたい・・・。

【Photo】14世紀中葉、シチリアから欧州に上陸したペストによって、欧州の全人口の1/3とも2/3ともいわれる2,000万~3,000万が犠牲となった。サンポーロ区に建つフラーリ聖堂で自身の傑作である聖母被昇天の祭壇画とともに永遠の眠りに就く壮麗な墓碑があるヴェネツィア派最大の画家ティツィアーノが、1576年8月に命を落としたのも前年から猛威をふるっていたペスト禍。カナル・グランデ(大運河)河口に建つバロック様式の「サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会」は、当時の人口の1/3にあたる5万人の命を奪ったペストの流行が終焉したことを聖母に感謝して1630年に建築が決まった。皮肉にも健康を意味する「Salute」という言葉が選ばれたこの教会の献堂式が行われた1687年から間もない17世紀末から18世紀にかけてもペストは再び流行する。ペスト患者専門に治療を行ったのが特異な装束に身を包んだペスト医師。当時のペスト医師に扮したカルナヴァーレ参加者(上写真左側)

Maschera-Pietro_Longhi.jpg カルナヴァーレ期間中は、映画「犬神家の一族」に登場した犬神佐清(スケキヨ)さながらの無表情な仮面、あるいは山形県飽海郡遊佐町の奇習「アマハゲ」に紅白歌合戦で美川憲一が特注する衣装のように(?)きらびやかなパフォーマーたちが、立錐の余地がないほど観光客で埋め尽くされるサンマルコ広場などに集い、街中が独特の華やいだ雰囲気に包まれます。

【Photo】ヴェネツィア生まれの風俗画家ピエトロ・ロンギの代表作「香水売り」。マント姿の男女の顔を隠すのがBauttaバウッタ。昨年春、宮城県美術館で開催されたヴェネツィア展で公開された

 その中には16世紀のヴェネツィアで民衆や貴族に愛された仮面劇「コンメディア・デッラルテ」に起源を持つ仮面や、17世紀に貴族たちが賭博などに興じた社交場「リドット」で着用を義務つけられたマスク「Bauttaバウッタ」、カラス天狗のように長い嘴をもった「Medico della Pesteメディコ・デッラ・ペステ(=ペスト医者)」といった伝統ある仮面も見受けられます。会期中に行われる仮面と衣装の美しさを競うコンテストで、高下駄姿の鞍馬山から駆けつけたと思われる赤い面の天狗がエントリーしていたのが昨年のこと。 

  il_bautta.jpg medico_peste.jpg【Photo】ナポリ喜劇に欠かせない道化「Pulcinellaプルチネッラ」のポストカードとともに購入した「il Bauttaバウッタ」(左)、眼鏡をかけ尖った嘴の中に伝染防止に効果があると信じられていた香草・ハーブ類を詰め、患者に触れずに診察する木製の杖を手にした「Medico della Pesteメディコ・デッラ・ペステ」(右)

 話変わって、仙台市青葉区役所裏で期間限定のアンティーク・セレクトショップを出店していた「+R」で、先月イタリア製ポストカードを購入しました。仙台のこの手のショップは、フランスに心酔したオーナーが多く、庄イタとは趣味が合いません(^0^;)。そんな仙台にあって珍しいことにヴェネツィアで買い付けてきたというポストカードには、北イタリア発祥のコメディア・デッラルテや、カルナヴァーレとも結びつきが強いヴェネツィアの仮面劇に登場する役柄が描かれていました。

【Photo】DIYによる接着作業Link to backnumberと、業者による配線と取り付けを終え、久しぶりに庄イタ家に里帰りしたムラーノグラスのシャンデリアの明かりが灯った。元通りのイタリアンな空間に戻った部屋には、最近もうひとつヴェネツィアにちなんだアイテムが加わった

rampadari_pestemedico.jpg 絵の作者は風俗画家のモリス・サンド(1823-1889)。作曲家のフランツ・リストやショパンと浮名を流し、男装の麗人としても知られる19世紀フランスの女流作家、ジョルジュ・サンドの長男です。画家はフランス人でも、描かれているのはイタリアの伝統的習俗。その出典はモリス・サンドの代表的な画集のひとつ「Masques et bouffons comédie italienne(1862)」。額装して左右の壁にシンメトリーで飾ったのは、ヴェネツィアゆかりのバウッタとメディコ・デッラ・ペステ。そして先月末、やっとムラーノグラスのシャンデリアが戻ってきました。こうして以前にも増して国籍と所在不明になった我が居室。

めでたしめでたし。


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2013/01/14

Riparazione del Lampadario Veneziano

インフルエンザで閉門蟄居の間に
DIYでムラーノグラスの修復

door_casa-ecching.jpg 年明け早々A型インフルエンザに罹患、先週火曜日から自宅謹慎のお沙汰が出た庄イタ。医者からタミフルを処方され、外部との接触を禁じられたなかで取り組んだのが、破損してずっと手つかずにいた家具2点の修復でした。

 ひとつは19世紀の英国製エッチングガラスを組み込んで、「K'sアンティーク」に作成したもらった屋内ドアのノブ。シリンダー内部の金属が摩耗して動きが悪くなっていたものを分解し、不良個所をDIYで直しました。ドアノブの作業はあっという間に終わりましたが、もう一つは難易度が高く、なかなか着手できずにいたムラーノグラス製シャンデリアの補修でした。

door_casa-knob.jpg【Photo】購入時は宮城県岩出山町にあったK'sアンティークで一目惚れした19世紀英国製エッチングガラス(上写真・画像クリックで拡大/click to enlarge。自宅を新築する際に購入したエッチングガラスドアとともにオーダーメードしたドアに組み込んで居間へ通じる屋内ドアに使った。新品だった真鍮製ドアノブ(左写真)は、表面のコーティング樹脂をヤスリで剥離し、薬品処理でアンティーク加工を施した。それから10年使っているうち、押し下げてドアを開ける際に上への戻りが悪くなってきたため、インフルエンザで外出を控えなければならない間にDIYで調整。ガラス越しに見える代用品の素っ気ない英国製シーリングライトが下がる位置が、今回取り上げるムラーノグラス製照明の定位置だった

 東日本大震災では震度6強の揺れに見舞われながら、落下を免れた居間を照らすシャンデリア。ともにラグーナを覆い尽くす濃霧の色あいのような淡い水色を帯びた軽やかなヴェネツィアン・グラスで作られたものです。なかでもお気に入りは、'96年にデッドストックもので購入した熟練の職人技がなせる繊細な造形の薄く軽い吹きガラスの5灯タイプ(下写真手前)。もうひとつは現在の住まいを新築した10年あまり前にインターネットで入手した5灯シャンデリア(下写真奥側)です。

lampadari-murani.jpg【Photo】ここは水の都ヴェネツィアのカナル・グランデに面したパラッツォ? いいえ、栄華を誇ったヴェネツィア共和国の憂愁を旋律に刻んだアルビノーニをBGMに、黄金の国ジパングの一角で前世イタリア人が夢想に耽る灯火 ・・・アホカ (゚c_゚`;)(上写真)

parts_lampadari.jpg ところがネットで購入した方は、8年目に石膏で固定されたアームと灯火部分の接続部分が1箇所外れてしまいました。落下しなかったのは、ガラス製アームの中は空洞で、中心軸から枝分かれした電線が通っており、ふたつのパーツが繋がっていたから。首の皮一枚に等しい危うい状況を放置するわけにもいかず、一般的な瞬間接着剤で修復を試みましたが、熱で変性するためか、すぐに取れてしまいます。

【Photo】シャンデリア修復前夜、各パーツをバラバラ状態にしたムラーノグラス(右上写真)
この夜NHKで放送された番組に登場した深海に生息する海洋生物、ないしは古典的SF映画に登場する宇宙人にソックリ?? 質量とも世界一のクラゲ展示を誇る鶴岡の加茂水族館の水槽にこの状態で沈めておいても、容易にはわかるまい( ̄ー ̄)

 そこでK'sアンティークと共に助言を仰いだのが、仙台市太白区秋保で創作活動を行うガラス工芸作家の鍋田尚男さん。手をかけてレストアした4台のヴィンテージものをこよなく愛するVespaフリークでもあり、ガラスの特性を知り尽くした鍋田さんは、耐熱性に優れ、ガラスに負荷がかかる硬化収縮度が少ない30分硬化タイプの化学反応型接着剤を勧めて下さいました。

   socket_lampadari.jpg cemedain30min.jpg 
【Photo】アームから外れた灯火部分のガラスが落下しなかったのは、熱で変性してヒビが入る危険な状態にあった樹脂製ソケットから伸びる電線でアームとかろうじて繋がっていたため(左写真) ガラス工芸作家の鍋田尚男さんから勧めて頂いたのは、硬化開始に30分を要する強力タイプのガラス・金属用接着剤(右写真)

 当然のこと5灯は同じ構造ゆえ、外れなかった残り4本も付け直しをした方が得策です。ホームセンターで入手した接着剤を使って修復に着手したのが、タミフルの薬効によって、ほぼ体調が戻った今日。しんしんと降り続く雪で、窓の外は白銀の世界。久しく抱えていた懸案を解決するにはもってこいの修理日和でした。

   centro_lampadari.jpg riparazione_ranmadari.jpg  
【Photo】ソケットに接続する金具の外周とガラスの内側を接着(左写真中心部分) 金具の外周とガラスの内側を接着後にアームと接続してビニールテープで固定し静置。イタリアの国民性が表れるためか、灯火部分の大きさやアームの高さがまちまち(笑)(右写真)

 アームと灯火部分のガラスを繋ぐ部分に忍ばせるのが、ソケットを取り付けるネジ山を切った直径8mmほどの金属製パーツ。上の大きな画像のように最終的には斜め下向きとなる灯火部分の受けとなる金具をネジ山に沿って通します。その金具の外周部分とガラスの内側を接着剤で固定するのです。もともとの樹脂製ソケットは、熱で劣化しており要交換のため、接着後の配線と一緒にK'sアンティークにお願いする段取りです。

 金具固定後は最大の山場となるアームと灯火部分の接続。接着面は大きくないので接着剤の良し悪しが勝敗を分けます。硬化が始まるまではビニールテープでガラスの部品同士を固定します。ただしムラーノガラスは吹きガラスで形作られるハンドメード。アームの受けの角度と吹きガラスの大きさはすべて均一ではありません。そのため接着面を最大にすると、灯火部分の反対側の支点部分の高さがすべて違ってくるのです。そこで活躍したのが、高さに合わせて横積みした雑誌。これで待つことしばし。

   joint_ranpadari.jpg finito_riparazione.jpg  
【Photo】アームと灯火部分の固定を完了させた状態(左写真) 修復にあたって最大の難関を越えた状態(右写真)。配線の上で遅くとも来月には天井に再装着する運び。これで居心地が良いベッラ・ヴィスタな部屋に戻る予定

 室温が低いと硬化に要する時間が長いので、仕上げに温風ヒーターの暖気が届く位置に静置して実用強度に達するまで待ちました。そうして5本の接着は無事終了。あとは配線を終えてから再び天井に取り付けをすれば元通りのヴェネツィアンな明かりが戻ってきます。光源は世の趨勢に従ってLEDにするか、ここだけは光が柔らかい白熱灯のままで通すか、答えはまだ出ていません。インフルエンザで転んでも、タダでは起きない雪の休日が明けると、病み上がりでナマった体を押して社会復帰です。

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2012/05/06

お見逃しなく ヴェネツィア展

frier_veneziani.jpg アドリア海の女王と称えられたヴェネツィア共和国。

 仙台市青葉区の宮城県美術館で開催中の世界遺産ヴェネツィア展-魅惑の芸術‐千年の都-。もうご覧になりましたか?

 前回のエトナ山とシチリアの白日夢に束の間のカタルシスを得た私のように、重度のイタリア禁断症状に陥っておいでの方は、カンフル剤代わりに何をおいてもさておき。この世に二つとない海上に築かれた迷宮都市を訪れた甘美な記憶を呼び戻したい方もぜひに。まだ足を運んでおらず、ラストチャンスとなる次の週末、特に予定がないと仰る宮城とその近県の方も、目の保養を兼ねてよろしければ。

 ラグーナ(潟)の一角にヴェネツィア共和国が誕生してから1315年。今も華麗な輝きを放つ文化遺産140点が日本で公開されています。あらゆるモノと情報が集中する東京以外では、なかなか触れる機会のない海洋国家の繁栄ぶりを物語る精華の数々。ヴェネツィア商人マルコ・ポーロが、13世紀末にシルクロードを旅して訪れた中国での伝聞から、黄金で造られた国と形容したジパングを11月まで全国6都市を巡回しており、現在開催中の仙台での会期は、今月13日(日)までとなりました。

FrancescoFoscariBastiani.jpg【Photo】国家元首であるドージェの正装は金と緋色の衣装とコルノ帽。34年の在任期間は、歴代ドージェで最長。名君の誉れ高い65代ドージェ、フランチェスコ・フォスカリ。コッレール美術館所蔵のラッザロ・バスティアーニが描いた肖像画(1455-1460?)も仙台展に登場

 7世紀末に成立し、1797年に終焉を迎えたヴェネツィア共和国は、人類史上最長の共和制を維持しました。国の舵取りは、120人が名を連ねた「Dogeドージェ」と呼ばれる終身制の総督を頂点に、貴族階級から選出される大評議会と十人委員会からなる独自の政体に委ねられました。海上交易で空前の繁栄をみた千年の都は、オリエントと西洋が渾然一体となった独自の文化を開花させます。西暦828年、二人のヴェネツィア商人がエジプト・アレキサンドリアから遺骸を持ち帰った聖使徒福音記者・聖マルコを祀るサン・マルコ寺院を見るだけでも、その特異性は明らか。

San_marco_Venezia.jpg

 11世紀末に完成した現在の聖堂は、紀元前4世紀にギリシャで製作され、13世紀初頭の十字軍によるコンスタンティノープルからの戦利品である4頭立ての馬のブロンズ像(複製)を正面入口に頂きます。黄金のモザイクで覆い尽くされた内陣は、ビザンチンを基調に、ロマネスク・ルネサンス様式が交差するヴェネツィア共和国ならでは空間。交易で栄えた海の都は、冬場に頻発するアクア・アルタ(高潮)を見ての通り、21世紀を迎えた今、海に沈みゆく街として黄昏の時を迎えています。(リド島を除き)ヨーロッパで唯一、自動車が走らない本島の人口は6万人ほどですが、世界中から年間1,200万人とも1,500万ともいわれる観光客が訪れます。

 かようにディズニーがモデルとした浦安の某テーマパークさながらの観光地ではありますが、イタリアで私が最も魅力を感じるのは、何を隠そう、この水の都なのです。いかに俗化してもなお色褪せぬ高貴さを湛えたヴェネツィア。この水の都のほかに1日の中で万華鏡のように表情をさまざまに変化させる場所を私は知りません。

St_Marco_Basilica.jpg 177の浮島からなる本島は、浅瀬に杭を打って人為的に造られているゆえ、縦横無尽に張り巡らされた150を超える水路で結ばれています。一般的にいわれる運河ではなく、あえて水路と私が呼ぶのは、陸地に刻まれるのが運河であり、ヴェネツィアのそれは、人とモノが行き交う道としての海にほかならないからです。

 水面を音もなく進む黒一色のゴンドラに揺られながら見上げる商館の崩れかけた壁面や傾いた鐘楼。ゴンドラが往き来するゆらめくカナーレ(運河)に射す日差しは、歴史を刻んだ家並みに深い陰影を与えます。狭いリオ(水路)には、400は下らないというアーチ型の橋が架かり、観光客でごった返すリアルト橋やサン・マルコ広場へ通じるカッレ(表通り)から一歩先は、すれ違うのがやっとの狭いルーガ(路地)やコルテ(袋小路)。そんな迷宮を地図片手に進むうち、突如として現れるカンポ(広場)で開ける視界。この街では道に迷うこともちょっとした楽しみに変わります。

gondola_Veneziana.jpg そんな水の都を彷徨っているうち、そこがひとつの劇場装置であり、自分がその一部になっていることに気づくはず。有名観光地の例にもれず、宿泊や食事に要する代金は幾分高くつきますが、ヴェネツィアでは本島の中心部に泊まることをお勧めします。安全上、女性には無理強いしませんが、宿にお願いして早朝の散歩に出てみてください。

piazzetta-san_marco.jpg

 サン・マルコ広場には誰ひとりおらず、贅沢な空間を独り占めできるはず。大鐘楼を右に折れたドゥーカレ宮正面の小広場に立つ聖マルコの象徴である有翼の獅子と聖テオドロス像を頂く2本の円柱の間からは、係留されたゴンドラの先に朝もやに霞むサン・ジョルジョ・マッジョーレ島が望めます。

 無敵を誇った海軍力を背景に、ヴェネツィア人は地中海交易で得た莫大な富を多岐にわたる文化遺産へと転化しました。例えばカナル・グランデ(大運河)沿いに建つ12世紀から18世紀の壮麗な商館や邸宅。見事というよりほかにないガラス製品やモザイク、レース、絹織物などの工芸品。15世紀末から16世紀の爛熟期に登場したジョルジョーネティツィアーノティントレットらヴェネツィア派の絵画作品。そして衰退の影が忍び寄る17世紀末~18世紀のヴェネツィアに生を受けたアルビノーニヴィヴァルディマルチェッロらが紡いだ哀愁を帯びたバロックの旋律などなど。

bragadinsmarco.jpg【Photo】守護聖人・聖マルコになぞらえてヴェネツィア共和国の威信を描いた初期ヴェネツィア派の画家、ドナート・ブラガディンの「聖ヒエロスムスと聖アウグスティヌスを伴うサン・マルコのライオン」(1459・ドゥーカレ宮所蔵)

 今回のヴェネツィア展では、ヴェネツィアの守護聖人である聖マルコを寓意化したアルヴィーゼ・ビアンコと協力者による有翼の木製獅子(1490頃)が入口で出迎えてくれます。ヴェネツィアでは頻繁に目にする翼を持ったライオンを描いたドナート・ブラガディンの筆になるカンバス画も地中海世界で空前の繁栄を謳歌した海洋国家の威信を表現した作品とされます。

2Ca_Rezzonico.jpg【Photo】13の美術館・博物館から構成されるヴェネツィア市立美術館群のひとつで、共和国末期18世紀の美術品を蒐集する美術館となっている「Ca' Rezzonico レッツォニコ宮」

 今回の展示品は、サン・マルコ寺院と対峙する広場の反対側にある「Museo Correrコッレール美術館」をはじめとするヴェネツィア市立美術館群所蔵の作品。アカデミア美術館やベギー・グッゲンハイム美術館のほか、ティツィアーノの代表作「聖母被昇天」(1518)を主祭壇画とし、教会では珍しく美術館と同様に入場料を徴収するサンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ教会などとは違い、美術愛好家以外の観光客は訪れることが少ない美術館だけに、本邦初公開を数多く含みます。

 絵画だけではなく注目したいのが、往時の文化水準の高さを示す工芸品や装飾品の数々。地中海交易を独占し、繁栄の礎となったガレー船の模型、ドージェに次ぐ役職の財務官が羽織った二重織りベルベットの緋色の外套トーガや精緻な刺繍が施された貴族の衣装など、華麗なヴェネツィア共和国の姿を伝える品々が展示されています。

lampadari_rezzonico.jpg【Photo】 18世紀なかばの欧州で最もガラス工芸の技術水準が高かったムラーノ島。随一の職人といわれたジュゼッペ・ブリアーティ作のシャンデリア。華やかな色ガラスを多用するカ・レッツォニコ様式は、このレッツォニコ宮に由来する

 13世紀末、技術の流出を防ぐため職人が集団移住させられたムラーノ島では、さまざまな技法が編み出されます。Link to backnumber 18世紀のムラーノで、当代きっての職人といわれたジュゼッペ・ブリアーティが編み出した彩色ガラスを用いる技巧を凝らした巨大なシャンデリアは圧巻。

 カナル・グランデに面して建つバロック建築「Ca' Rezzonico レッツォニコ宮」は、18世紀美術館となっています。その一室に稀代のガラス職人・ブリアーティの手になる12灯の芸術品のようなムラーノ製のシャンデリア(上写真)があります。仙台展にはオリジナルを上回る下段20灯・上段8灯というシャンデリア(19世紀~20世紀)が展示されています。ヴェネツィアに魅せられた我が家にも、淡い水色のそれが型違いでありますが、同じ個人所有といえども仙台展の豪華なシャンデリアとは月とスッポン。

 ネタバラシになるため、身の丈の倍はありそうな赤や青などの色ガラス500片で形造られたシャンデリアの画像はここではご紹介しません。珠玉のヴェネツィア共和国の姿に触れるなら今。どうぞお見逃しなく。

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世界遺産 ヴェネツィア展-魅惑の芸術 ‐ 千年の都-
会期:2012年3月17日(土)~5月13日(日)
会場:宮城県美術館(仙台市青葉区川内元支倉34-1)
    Phone 022-221-2111
開館時間:9:30~17:00発券は16:30まで 月曜休館
観覧料:一般1200円 学生1000円 小中高校生500円
URL: http://www.go-venezia.com/   

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2011/10/09

Aroma classico アロマ・クラシコ

※タイトルからして、原田慎次シェフが手掛けた東京品川にある名高い同名のリストランテ「Aroma classico」実食レポートかと思われた方がおいでかもしれません。が、浮き沈みが激しい料飲業界の寵児とは全くもって関係のない話題ですので悪しからず。

トリノの獅子
 Pastiglie Leone パスティリ・レオーネ

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【Photo】イタリアのバールやタバッキのレジ脇にしばしば置いてあるのは、20世紀初頭にトリノで流行したリバティ様式(=アールヌーボー)のパッケージで売られる「Pastiglie Leone」(1箱2€~2.25€前後)

 砂糖菓子を「梅ぼ志飴」と名付けた洒脱な「榮太樓總本鋪」が江戸日本橋で創業した1857年(安政4)、遥かサルデーニャ王国(現イタリア・ピエモンテ州)の街 Alba アルバで、ルイージ・レオーネが小さな菓子工房を創業しました。それは4年後に成立する統一国家イタリア王国の国王となるサヴォイア家のヴィットリオ・エマヌエレ2世が統治していた時代です。

 高貴なヴィーノを生むブドウ「Nebbioro ネッビオーロ」と、いかなる黒トリュフも及びがつかない官能的な芳香を放つ「Tarufufo bianco 白トリュフ」を産する地上屈指の美食の地・ランゲ丘陵。そこに自生するハーブや各地の果物を加工したルイージの砂糖菓子は、初代イタリア王国首相となるカミッロ・カブールや貴顕たちに愛されます。

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 19世紀に豊かな菓子文化が華開いたTorino トリノへと移転、創業から150年以上の時を経た今も、当時のエレガントなトリノ気質を伝えるパッケージのドロップ菓子を、イタリア各地にあるBarバール《Link to back number》のバンコ(=カウンター)やイタリア版コンビニのような小売店Tabacchi タバッキのCassa(=レジ)脇で目にします。

 それが今回取り上げる「Pastiglie Leone パスティリ・レオーネ」というPastiglia パスティリア(=ドロップ飴)です。(上写真)

 デザインに惹かれてレオーネのパスティリアをジャケ買いしたのが、15年以上前にローマで立ち寄ったバールでのこと。創業者の名前に由来するライオン(Leone)背伸びをする男の子の後姿とがトレードマークであるレオーネのパスティリアは、ポップなパッケージデザインが多い菓子類の中で異彩を放っていました。19世紀末に流行したリバティ様式のピューター(錫)製の美しい金属ボックスには、熱心なコレクターもいるようです。

leone_tinbox.jpg【Photo】Leone Pastigleのコレクターズアイテム。左上より順に1880年製、1905年製、1924年製、下左より1940年製、1961年製、現在

 現在36種類が揃うラインナップ豊富なLeoneのパスティリアはパッケージともども色とりどり。フルーツ味のミックス「Miste Dissetanti ミステ・ディッセタンティ」のほか、「MENTA(=ハッカ)」、「LIMONE(=レモン)」「ARANCIA(=オレンジ)」、「FRAGOLA(=イチゴ)」、「LAMPONE(=ラズベリー)」などは察しがつきますが、「RABARBARO(=ルバーブがベースのリキュール)」、「PRINCIPE DI NAPOLI(=ナポリの王子)」、「LIQUILIZIA(=甘草・カンゾウ)」となると、味の想像すらつきません。
assenzio_leone.jpg
 「Assenzio(=アブサンの伊名)」のパッケージは特に印象的。フィロキセラ(ブドウ根アブラムシ)禍でヨーロッパのブドウが壊滅、ワインが飲めなくなった時代、アブサン中毒者が続出します。この酒に溺れた挙句、耳を切り落としたのはゴッホ。幻覚を招くとされたアブサンを「The Green Fairy(緑の妖精)」と称したオスカー・ワイルドのほか、ボードレール、ロートレックらパリを舞台に活躍した19世紀末の芸術家をこの酒は虜にしました。アルコール中毒者を多数生むとして、1913年に禁制としたイタリアのみならず、大方の欧米諸国では20世紀末までアブサン愛好者は地下に潜伏したのです。

【Photo】国外向けには「ABSINTH(E)アブサン」、イタリア国内では「ASSENZIO」と表記されるElisir della Fata Verde(=緑の妖精のリキュール)風味のPastiglie Leone。幻覚作用でパッケージの表情のようにラリるかどうか、口にする勇気を持ち合わせているかが問われる(上写真) Pastiglie Leoneの錫製ボックス。味によって色分けされ、ANICEは涼しげな水色をまとう(下写真)

anice_leone.jpg 現在では向精神作用に疑問符が付けられ、危険性を疑われた成分を除いた製品がEU圏内で流通しています。1980年代後半から日の目を見たリキュール・アブサンと角砂糖を載せて水を垂らして飲む専用スプーン、上目遣いの表情が印象的な定番のパスティリアとチョコレートのアソートセット「Absinthium」がレオーネ創業150周年を記念して商品化されました。目移りするほど種類があるラインナップの中から迷った挙句に選んだのが、淡いブルーのパッケージ「ANICE アニス」。「ん?どこかで聞いたことがあるような、ないような。」未知の味に興味を覚えた私は、その小箱を手にCASSAへと向かいました。

pastiglie2_leone.jpg 包装紙の中はレトロなデザインの紙箱で、そこにゴツゴツとした小さな不揃いの円柱形をしたタブレットが入っています。一粒つまんで口に入れると、その香りには覚えがありました。イタリアで食前・食後に愛飲されるリキュール「Sambuca サンブーカ」と相通じる香りだったからです。サンブーカの主原料となるハーブのひとつがアニスの実。地中海東部地域が原産となるセリ科の植物で、その実であるアニスシードは古くからスパイスとして用いられてきました。良質の上白糖を用いたほどよい柔らかな甘さとアニスが奏でるそのデリケートなアロマは、メンソールや果汁系のキャンディーが多い日本では出合えないエキゾチックなもの。

【Photo】紙製ボックス入り「Miste Dissetantiミステ・ディッセタンティ」(下写真)は、イチゴ・ラズベリー・フサスグリといったフルーツ味のミックス(上写真)

 1861年のリソルジメント(国家統一)を遡ることはるか以前の1563年、フランスを追放したサヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトがトリノに居城を構えて以降、後にイタリア王国を統治するサヴォイア家の居城「Palazzo Realeパラッツォ・レアーレ」をはじめとするバロック様式の王宮群がこの街のシンボルでした。市街地が整備された20世紀初頭、一世を風靡したアールヌーボーは、この地で「Livertyリバティ」と名を変えて建築物の様式として流行します。反ファシスト運動の拠点でもあったトリノは、戦後発展した自動車産業とともに活況を呈し、同社の衰退を経て現在に至ります。150年以上に渡ってトリノの変遷を見つめてきたLeoneのパッケージには、今も誇らしげにサヴォイア家の紋章が記されます。

miste_dissetanti_leone.jpg 日本ではお目にかかれないと思っていたレオーネのパスティリアと再会したのが、「EATALYイータリー代官山」《Link to backnumber》でのこと。ARANCIA、FRAGOLA、LAMPONEといったイタリア語を解さずとも風味が分るイラスト入りパッケージのPastiglie Leone定番商品や紙ボックス入りチョコレートタブレット「Fondente」などが揃います。運営元が新横浜ラーメン博物館と同一であるためか、今さらながらのパリへの憧憬が強い印象を拭えない「新横浜ラントラクト」内にある「ブティック ラ メゾネ」でも'01欧州最優秀工房に輝いたピエモンテ州クーネオ県のチョコレート工房「Silvio Bessone シルヴィオ・ベッソーネ」と共にLeoneを取り扱います。

 サヴォイア家の都・トリノの"Aroma classico(=クラシックな遺香)"を、パッケージと共に味わってみてはいかがでしょう?

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Eatalyジャパン
URL:http://www.eataly.co.jp/top/welcom.html
オンラインストアURL:http://www.e-eataly.jp/
 ※Leoneはオンラインストア「お菓子」カテゴリーから購入可

ブティック ラ メゾネ
住:横浜市港北区新横浜2-15-4 新横浜ラントラクト1F (新横浜ラーメン博物館の隣り) 
Phone:045-474-3832
営:11:00~19:00 月曜定休
オンラインショップURL:http://shop.maisonnee.net/
 ※同上

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2011/02/28

サンタ・マリア・ノヴェッラ 仙台

お待たせしました。

◆ Viaggio al Mondo ご愛読者はすでにご存知かと思いますが、「サンタ・マリア・ノヴェッラ」についてはコチラで復習をば...。

SMN_7.jpg 諸事情により開店が延び延びになっていた「サンタ・マリア・ノヴェッラ仙台」が、2月25日(金)、仙台市青葉区一番町4丁目にオープンしました。聖母マリアの思し召しで(?)、プレス関係者では最も早く仙台進出の計画を知ったのが昨年。当初計画から3ヶ月遅れで一番町買物公園の一角にクラシックなイタリアそのままの異空間が誕生しました。

 病人救済のため、ドメニコ会修道士によってフィレンツェで誕生以来、800年もの歴史に彩られた現存する世界最古の薬局は、ヴァロワ朝アンリ2世のもとに嫁ぎ、当時最先端の文化をフランス王家にもたらしたカテリーナ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチ(1519‐1589)など多くの貴顕に愛されてきました。これまでは東京に出向かなければ入手できなかった天然由来成分から生み出される香りの芸術品が、やっと仙台で入手することができるようになります。

SMN_1.jpg【photo】サンタ・マリア・ノヴェッラのシルクサシェで、フィレンツェの伝統工芸品である金糸の刺繍を施した絹織物のクッションカバーに相応しい優雅な香り付け

 イタリアン・セレクトショップ「Lo Spazio bianco」に続き、フランチャイズとして上質なフィレンツェの香りを届けて下さった(株)アイディール(仙台市宮城野区)の庄子 弘社長、本当にありがとうございます! グランドオープンに先立って行われたレセプションには、美しいケヤキ並木で知られる定禅寺通から至近の立地と、庄子社長のお人柄から仙台進出を決めたという(株)ヤマノ アンド アソシエイツ(東京都港区)関係者の顔もありました。

 ベージュの石壁と木製の扉が落ち着いた雰囲気を醸し出す店のファサードを飾るのは、人造大理石でできたサンタ・マリア・ノヴェッラのロゴを彫り抜いたプレート。こうしたイタリアらしい大人の演出には、好感が持てます。当初は店内の棚の上を飾る芸術品のような伝統的な薬壷は調達できないかも、と庄子社長は漏らしていましたが、いえいえどうして。ファエンツァ国際陶芸美術館《Link to backnumber 》に展示されていてもよさそうな薬壷が棚の上に鎮座しています。ちなみにこの美しい薬壷も、れっきとした商品。

SMN_2.jpg【photo】美しいガラス瓶に入ったリキュール類が有名なサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局のラインナップでは珍しく、紙の外筒とプラ製容器に入ったアックア・ディ・サンタ・マリア・ノヴェッラ エリジール

 仙台店初の買物は、サンタ・マリア・ノヴェッラのロゴが刺繍で縫い込まれたポプリのシルクサシェ(6,300円)にしました。これまで使っていた赤に続く2個目のサシェは、深い闇に落ちてゆく寸前のイタリアの空の色のような濃いブルー。独自の発酵・熟成を加えることで1年は香りが持続するサンタ・マリア・ノヴェッラのポプリは、別売のポプリに中身を換えることで、ずっと使い続けることができます。

 レセプションでは、お祝いのスパークリングワインで乾杯しましたが、真新しいポプリが薫りたつ自宅で、改めて祝杯を上げたのが、以前に銀座店で購入した「Acqua di Santa Maria Novella Elisir アックア・ディ・サンタ・マリア・ノヴェッラ エリジール」。Acqua アックア(=水)というものの、アルコール度数が70%以上という、れっきとしたリキュールです。

 アックア・ディ・サンタ・マリア・ノヴェッラ エリジールは、初代薬局長を務めたFra Angiolo ngiolo Marchissi フラ・アンジョロ・マルキッシが1614年に考案。スペアミント、ペパーミント、シナモン、キク科の多年草コストマリーといった植物成分を抽出しています。ミントやシナモンは馴染みがありますが、コストマリーは、葉の浸出液が風邪予防や胃痛緩和に効果があるとされる西アジア原産の植物だそう。容量が25mℓしかないので、そのまま飲むものではありません。コーヒースプーン1杯分をコップ半分程度の水で薄め、その香りを楽しむというもの。
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【photo】鎮静効果があるハーブ類を秘伝の処方で調合した「アックア・ディ・サンタ・マリア・ノヴェッラ エリジール」

 グラッパグラスに注いだ透明な液体は、爽やかなミント系の香りのあとにエキゾチックな苦味が残ります。割り水は、ここ2ヵ月ほど珍しくご無沙汰している庄内の湧水でも、イタリアのミネラルウオーターでもなく、仙台市に隣接する富谷町某所の口当たりが優しい湧水を使いました。合わせる水によって、印象が異なりそうなので、水を変えてみると面白いかもしれません。

 仙台の一等地ということもあり、オープン翌日の土曜日に改めて訪れたショップは、なかなかの盛況ぶりでした。私と同じくフィレンツェ本店を訪れたことがあるというお客様もいたとか。一方で開店を告げるサインボードを目にした20代と思しき女性の二人連れが、「何? 新しい紅茶屋さん??」と、店内を興味深げにのぞき込みながら語り合う姿も。

 知名度が上がってゆくのは、これからでしょうが、一人でも多くの皆さんに時代を超えて愛されるイタリア伝統の香りの芸術に触れて欲しいと願う庄イタなのでした。

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サンタ・マリア・ノヴェッラ仙台
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住:仙台市青葉区一番町4-4-27
営:10:00-19:00 不定休
Phone:022-398-8535
Fax:022-398-8210
URL:www.santamarianovella.jp/
右ショップphoto、クリックで拡大表示します

2010/12/11

Io sono il feticismo di cuoio 私、革フェチなんです。

魅了してやまない、頬ずりしたくなる革の質感
Peroni のコインケース

matsunomikai_101127.jpg

 右写真は、ある会合で先だって伺った仙台市太白区の割烹で頂いたアマダイのお茶漬けです。ふんわりとした食感の白身もさることながら、パリッと香ばしく鱗焼きした皮の美味しさが際立っていました。かつて取り上げた新潟・村上「味匠 喜っ川」鮭の酒びたしの皮もそうですが、香ばしく火入れした魚の皮の美味しさは、魚好きならご存知かと思います。とはいうものの、今回は魚の皮フェチについてではなく、本題の前置きであった前回「革フェチまんじゅう」の核心について述べます。まんじゅうの核心=アンコとはいえ、およそ食べ物に関する内容ではないことは、あらかじめ申し上げておきます。

 仙台銘菓、玉澤総本店の黒砂糖まんじゅう。形といい、色あいといい、大きさといい、葛による照りが食欲をそそるお饅頭を連想させずにおかないのが、イタリア・フィレンツェの伝統技法を受け継ぐ皮革職人が作る一個のコインケースです。芸術振興に尽力したメディチ家の庇護のもとで誕生した芸術の域に達するようなフィレンツェ伝統工芸品のひとつが、Cuoio artistico fiorentino(工芸皮革細工)。

 マーブル文様紙を組み合わせた皮革ステーショナリー工房「Giulio Giannini e Figlio ジュリオ・ジャンニーニ・エ・フィリオ〈Link to website 〉」、所有欲を激しくそそる妖しい輝きを放つ「Il Bussetto イル・ブセット」、そして今回取り上げる「Peroni ペローニ」のような皮革細工だけでなく、この街の路地裏には珠玉の伝統工芸品を扱う工房が数多く存在します。 

feticismo di cuoio.jpg【photo】革フェチである確かな証しとなる庄イタの私物の一部。マーブル文様紙の内張りが魅力を倍増させるジュリオ・ジャンニーニのペンケース(写真左)、フィレンツェ銘菓 黒砂糖まんじゅう 。もとい、Peroni ペローニのコインケース(写真手前)と名刺入れ(写真奥)。多彩なカラーバリエーションの中から選んだのは、故意に色ムラを出すBriar ブライヤー仕上げのブラウン

 イタリアプロサッカーリーグ・セリエA2004-05シーズンに中田 英寿が在籍した「フィオレンティーナ」のホームスタジアムStadio Artemio Franchi スタディオ・アルテミオ・フランキのすぐ近く、ほとんど観光客は足を運ばないフィレンツェ市街地北部のカンポ・ディ・マルテ駅から歩いて15分ほどのVia Guglielmo Marconi グリエルモ・マルコーニ通りにひっそりと工房を構える「Fratelli Peroni フラテッリ・ペローニ」。Fratelli(=兄弟)という名が示す通り、この工房はピエロとロベルトのペローニ兄弟によって、1956年に創業しました。

peroni-briar.jpg 【photo】心地よく手に馴染む一枚皮から出来ているかに見える縫い目ひとつない艶やかな曲面のフォルム。開けばフタがコインの受けになり、使い勝手もすこぶる良いPeroni のコインケース

 3代続く皮革職人であった父の跡を継ぐため、兄ピエロは15歳からルネサンス時代の技術を受け継ぐ工房で修行の道へ進み、弟ロベルトもほどなく続きました。ピエロの息子であるマウリッツィオとマルコが工房に加わり、ロベルトが第一線を退いた現在は、ピエロを含めて8名の職人が500年以上続く熟練の技を受け継ぎ、およそ1,000種類もの製品を完全ハンドメードで生み出しています。

 Peroni の技術の粋が集約されているのが、継ぎ目のない一枚皮から造られたかのように仕立てられるPorta monete(コインケース)です。

 全製品の8 割が輸出されるPeroni を代表する人気商品で、豊富なカラーバリエーションを展開するコインケースは、とりわけ日本で需要が高いのだといいます。私のお気に入りは色ムラを出すよう仕上げた風合いがヴィンテージな雰囲気を醸し出すBriar と呼ばれるラインのアンティークブラウンのもの。クロコダイルやオストリッチ、リザードといった高級稀少素材も扱うPeroni ですが、生後1~2年のカーフスキンを用いた主力商品Linee standard のなかでも、とりわけ表情豊かな逸品です。

marco peroni.jpg【photo】500年前とほとんど変わらぬ手法で本の装丁作業を行うマルコ・ペローニ

 ひとつのコインケースを仕上げるための33 に及ぶ工程は、手間ひまを惜しまない職人技のなせるものです。世界最高水準の植物性タンニンを用いたなめし技術が受け継がれ、トスカーナ州ピサ県のアルノ川沿いの街、Santa Croce sull'Arno サンタ・クローチェ・スッラルノで加工された傷ひとつ無い珠玉の皮だけを使用します。型抜き・裁断・成型・染色・ツヤ出しといった一連の工程は一貫して手作業で行われます。縫い目すらない受けとフタは、驚くことに始めは別々のパーツとして作業が進行します。

 革は柔軟性を出すために、まず一度お湯に浸してから木型にはめ込んで乾燥させます。木製の台座の上で型抜きされた革を細釘で固定しながら工具で引き伸ばし、大まかな成型を行います。革が馴染むまでおよそ8 時間置いてから周辺部を切り除き、加熱したコテで滑らかな曲面を描く表面を丹念に仕上げてゆきます。隙間が出ないようぴったりとフタが閉じるよう、型通りに仕上がったところで、受けとフタの接合に移りますが、ここからが職人技の見せどころ。接着する部分をナイフで削り、接合部が全体と厚みが同じになるよう処理を施してからニカワで接着。接合部を木槌で叩いて馴染ませ、一体感を生みだします。

decora porte.jpg【photo】本の装丁でも使われる熱した鉄コテを用い、23金の金箔を圧着させて文様をつけたクラシックなPeroni のコインケース

 染色は合成染料ではなく、環境負荷の少ない植物性の染料を使用します。これによって、使い込むほどに艶に深みが増し、独特の風合いが生じるのだといいます。さまざまなカラーバリエーションがあり、丸みを帯びたフォルムとあいまってキュートな印象を与えるビビッドなイエローやピンクが作られる一方、クラシックな雰囲気を醸し出す金箔で伝統的な文様をフタに刻印した端正なモデルもあり、古都フィレンツェらしさを感じさせます。

peroni-briar_tutti.jpg【photo】豊富なカラーバリエーションから、一生ものとなる好みのひとつを選びたい

ルネッサンス期に確立した手法で作られた豪奢な装丁がなされた書物などの修復と、その技術を取り入れた新たな製品作りを行うプロジェクト「Museo Museo」にも協力するPeroni。彼らは伝統に固執するだけでなく、フィレンツェで毎年1月と6月に開催される世界最大規模のメンズモード展示会「Pitti Imagine Uomo」にGianfranco Ferré、Fendi、Gucci などのトップブランドとコラボした新作を出品しています。500年以上変わらぬ伝統の技が惜しげもなく注ぎ込まれたPeroni のコインケースは、完全ハンドメイドゆえ、ひとつとして同じ物は存在しません。だからこそ愛着がわくのですね。
 
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Fratelli Peroni フラテッリ・ペローニ
Piero e Maurizio s.n.c.
Adress:Via Guglielmo Marconi, 82, 50131 Firenze
Phone: +39 055 572520 • fax :+39 055 561029
URL:http://www.peronifirenze.it/home.ita.php
e-mail:info@peronifirenze.it.

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2010/11/23

ちょっと、訂正。

ありがちなんだけど、やっぱりなー(笑)

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 前回「I Profumi di Capri」を最後までご覧頂いた方への得ダネとして記した「サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局」の仙台デビューが、イタリア特有の「ゆるさ」によって少し延期になるようです。

 今月26日の開店を目指していたオーナーS氏の話では、「Officina Profumo-farmaceutica di Santa Maria Novella オフィチーナ・プロフーモ・ファルマチュウティカ・ディ・サンタ・マリア・ノヴェッラ」(=サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局)フィレンツェ本店に発注した商品の入荷期日に関して、今のところ見通しが立たないとのこと。この世で最も優雅な香りがする場所ことサンタ・マリア・ノヴェッラが仙台進出!?と色めきたった方もおいでだったかもしれません。なかば諦め顔のS氏によると、年内の開店は難しいようです。

【photo】私の大脳辺縁系に深く刻まれる典雅な香りに満たされるフィレンツェのオフィチーナ・プロフーモ・ファルマチュウティカ・ディ・サンタ・マリア・ノヴェッラ

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 システマチックに管理され、予定通りに物事を進めなくては気がすまない日本とは違って、よく言えば何につけても鷹揚、日本的尺度から言えば、いい加減なイタリアのこと。ましてや1612年に創業し、400年もの長きに渡って時代の波を乗り越えてきた彼らからすれば、極東の一都市に新たにできる店のオープンが多少ずれ込もうと、取るに足らない些細なことなのでしょう。

 日本では、ライセンス契約を結んでいる2社がサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局の正規取扱店として現在営業しています。ゆえに東京の青山や銀座にあるショップに行けば、エレガントなフォルムの製品を入手することはできます。それでも仙台に居ながらにして、ルネッサンスの遺香漂うフィレンツェの精神を強く感じるオフィチーナ・プロフーモ・ファルマチュウティカ・ディ・サンタ・マリア・ノヴェッラの製品に触れることができるのは、至上の喜びです。

 泉マルシェブロカントギャルリーSendai のエスプリ路線を見ても分かるように、食ジャンル以外は、良質なイタリアの薫りが、街の規模からすれば明らかに希薄であったこれまでの仙台。しかしながらfinamoreJacob CohenBRUNELLO CUCINELLI など垂涎のイタリアンブランドを揃えるメンズセレクトショップ「Lo Spazio Bianco」や、ハプスブルグ家の末裔であるオーナーのもと、フィレンツェで6年間キャリアを積んだ広瀬竜一氏の「Ristorante da Luigi」といったショップがこの秋デビューしました。現存する世界最古の歴史を誇り、比類なき優雅さを備えたサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局が満を持して仙台に登場します。時代の淘汰を乗り越え、熟成を重ねたイタリア文化の精華が仙台にやっと根付こうとしているようです。

 恐らく年明けにずれ込むであろう仙台店のオープンまでは、フィレンツェ本店の雰囲気を伝えるWebサイト〈Link to Website 〉をご覧頂き、イメージトレーニングをお積み頂くのが得策かと。外装工事中の覆いが取れ、端正なファサードが露わとなったばかりの仙台店は日本国内のショップと同様の内装となります。ゆえに外の喧騒から中に足を踏み入れた途端、文芸復興の時代へとタイムスリップするフィレンツェ本店の優美な佇まいには及ばぬことはお含み下さい。

saponi_SMN.jpg【photo】サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局の製品例(写真右上より時計回りに)メンズソープ・Patchouli パチューリ(古来より精油が香料として珍重されたシソ科の植物)、イリス(アイリス)ソープ、どこかオリエンタルな印象の香り「Carta d'Armenia アルメニア・カード」
photoクリックで拡大

 それでもそこに漂うのは、フィレンツェと同じ妙なる香りのはずです。17世紀、ドメニコ会修道士が栽培していた薬草やフィレンツェ近郊に咲く野の花から造られるポプリは、テラコッタの壷で独自の熟成を施し、少なくとも1年間は芳香が持続します。さまざまなラインナップが用意される石鹸やリキュール類など、品揃えは本国と同じにするそうです。

 ボッティチェリが人類の至宝である「La Primavera(春)」に描いたのは、パトロンであったメディチ家がフィレンツェ近郊に所有するヴィッラの庭に実際に咲く花々でした。近年の修復と洗浄によって、画家が描いた15世紀当時の花々が生き生きと蘇りました。ルネッサンス時代と変わらぬ香りの芸術を届けてくれる待望のショップは、杜の都仙台のシンボル・定禅寺通りにほど近い青葉区一番町4丁目に登場します。しばしお待ち下さい。

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2010/11/14

I Profumi di Capri

カプリ島の香り、
Carthusia カルトゥージア

 はや立冬を過ぎ、冬の足音がヒタヒタと近づいています。山々はすでに晩秋から冬の装いに移ろいつつあります。こうして寒くなってくると、暖かな陽光降り注ぐ南イタリアへの憧憬が募ってきます。これは私のDNAに刻まれた前世の記憶によるものに相違ありません。そんな時、ナポリ湾に浮かぶ美しい島・カプリ島へ誘う淡い白日夢に浸るのにもってこいなアイテムを今回は取り上げます。

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 フランスの作家マルセル・プルーストの自伝的色彩が強いとされる長編小説「失われた時を求めて」は、主人公の「私」が、叔母が差し出した紅茶に浸したプチット・マドレーヌを口に含んだ途端、幼ない頃に夏の休暇を過ごした街の記憶が鮮明に蘇るという書き出しで始まります。ゆえに失われた記憶が香りによってフラッシュバックすることをプルースト効果と呼ぶのだそうです。

【photo】貝殻のような文様がつく伝統的な焼き菓子、プチット・マドレーヌ

 ヒトの五感の中で、最も記憶と密接に結びついているのは嗅覚です。これは脳内における香りの伝達経路が、味覚・聴覚・視覚・触覚とは異なることが原因だといわれます。鼻から入った香りの分子は、鼻の奥にある嗅覚細胞で取り込まれ、神経を伝わる信号へと変化します。それは大脳辺縁系と呼ばれる脳で最も奥深い位置にある部位、嗅球で感知されます。

Grottazzurro_Capri.jpg【photo】パスタソースの商品名になるほど日本では有名なカプリ島の「青の洞窟」。天気晴朗で運よく小型ボートで洞窟内に入れたとしても、船頭たちは頼みもしないのに、オオ・ソレ・ミオやサンタルチアを歌い続け、数艇の船頭の唄が洞内に反響しあう。海水全体が青色発光ダイオードのように輝く世にも美しい光景を前にして、興醒めすることおびただしい

 大脳辺縁系は新皮質が発達したヒトへ進化する以前の原始的な部位で、すぐ近くにある喜怒哀楽や摂食をコントロールする扁桃体ともども、動物としての本能的な働きをつかさどります。その大脳辺縁系には、出来事の記憶がインプットされる海馬があることから、嗅覚と記憶にまつわる不思議は起こるのかもしれません。

via_camerelle.jpg【photo】GUCCI,FENDI,BRUNELLO CUCINELLI,D&Gなど高級ブランドが軒を連ねるカプリ島のvia Camerelle カメレーレ通り。目の保養のみならず、所有欲を激しく揺さぶるアイテムがショーウインドーに並ぶここでは、自制心と清水の舞台から飛び降りる決断力がともに肝要

 世界のセレブが集うリゾート、カプリ島を初めて訪れたのが15年前の夏。ナポリから連絡船が着く港マリーナ・グランデから、フニコラーレ(=ケーブルカー)に乗って着く先は島の表玄関となるCapri カプリの町です。観光客で賑わうウンベルト1世広場から延びるVittorio Emanuele ヴィットーリオ・エマヌエーレ通りや交差するCamerelle カメレーレ通りといったメインストリートには、高級ブランド店がズラリと並びます。その中に島に自生する花や果実などの天然由来成分を使ったフレグランスを製造する工房兼ショップが点在します。喧騒を抜け、島の南岸に面したアウグストゥス庭園からはコバルトブルーのサレルノ湾に浮かぶIsole Faraglioni ファラリオーニ岩島の奇観が望めるでしょう。

Isola_Faraglioni.jpg【photo】カプリ島からわずかに離れた群島ファラリオーニ

 高揚した心持ちで過ごした甘美な時間の記憶が蘇る香りが、カプリ島のフレグランス「 カルトゥジア」です。2年前の夏、この世で最も香(かぐわ)しい場所としてフィレンツェの「Officina Profumo-farmaceutica di Santa Maria Novella オフィチーナ・プロフーモ・ファルマチュウティカ・ディ・サンタ・マリア・ノヴェッラ」(=サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局)に関して述べた「典雅なイタリアの遺香 ~ i profumi di antica Italia《Link to backnumber 》」の最後で名前だけ登場しています。仙台市青葉区のセレクトショップ「Antelope アンテロープ」で取り扱うカルトゥジアは、このフレグランスの名前の由来となったCarthusio カルトジオ会派のサン・ジャコモ修道院と深いつながりがあります。

san_giacomo_capri_fiore.jpg【photo】現在は博物館と図書館としても使われるサン・ジャコモ修道院は、ブーゲンビリアやランタナといった南国の花が咲き乱れるアウグストゥス庭園に隣接して建つ

 1380年、当時ナポリ王国を支配していたアンジョ(アンジュー)家の女王、ジョヴァンナ1世がカプリ島を訪れます。3日間の滞在先となったのは、カプリに隠遁した帝政ローマ第2代皇帝ティベリウスが造った離宮跡に自身が1371年から3年を要して秘書官のジャコモ・アルクッチに建てさせた「Certosa di San Giacomo チェルトーザ・ディ・サン・ジャコモ(=サン・ジャコモ修道院)」でした。島に咲く美しい花々を生けて女王を歓待した修道院長は、女王が去った後に花器の水から妙なる甘い香りが漂ってくることに気付きます。それは夏にピンクの花を咲かせる石灰岩質を好む野生のカーネーション「garofano silvestre ガロファノ・シルヴェストレ」に由来する香りでした。

vista_Anacapri_.jpg【photo】島全体が石灰岩質の岩場からなるカプリ島最高峰のソラーロ山頂へは、島で2番目に賑やかなアナカプリの街からリフトが通っている。高所恐怖症の方にはオススメしないが、山頂からは360度のパノラマが広がる。東のカプリ方向の先にファラリオーニ岩島を望む

 キリスト教の教義に基づいた施療・投薬を行うこともあった中世期の修道院では、先述したドメニコ会のサンタ・マリア・ノヴェッラがそうだったように、信仰に生きる修道士が慈善事業として薬草栽培を行っていました。科学万能の現代人からすれば、胡散臭いイメージが付きまとう錬金術ですが、錬金術師が科学の発展に寄与した功績は看過できないものがあります。当時の最先端をゆく薬学の現場は修道院であり、そこからカプリ島では初の香水が生まれました。

carthusia_mediterraneo.jpg         carthusia_via_camerelle.jpg         carthusia_io_capri.jpg
【photo】 クラシックで端正なボトルフォルム。カプリの記憶を呼び覚ますカルトゥージアのオードトワレより3種。Mediterraneo,Via Camerelle,Io Capri (写真左より) 各50mℓ/ 12,600円(税込) 

 その後、修道院は時の変遷を経る中で改築を繰り返す一方、サラセン人による破壊やナポレオン支配のもとでは閉鎖の憂き目に遭います。1948年、修道院の蔵書の中から当時の処方が記された文書を発見した修道院長は、バチカンの許諾とトリノの化学者に協力を得て、久しく忘れ去られていた香水の復元に成功しました。修道院の前に造られた小さな工房は、修道会の名にちなんで Carthusia カルトゥジアと名付けられます。

showroom_carthusia_augustus.jpg【photo】サン・ジャコモ修道院前にあるカルトゥージアの工房兼ショップ

 島で最も高いソラーロ山(589m)で採れるローズマリーや、ジョヴァンナ1世ゆかりのガロファノ・シルヴェストレなど、島に自生する植物を主原料に天然由来成分だけで造られるフレグランスは、少量生産ゆえ希少性が高く、2002年までは島内の3ショップほか、ソレントとナポリの直営店だけで扱われてきました。アルコールの揮発性で香り立ちを高めたEau de Parfum、Eau de Toilette 以外に、植物性オイルと天然ワックス成分を練り固めた半固形タイプで香りが長時間持続するSolid Perfum もラインナップ。アルコール成分が苦手な皮膚が敏感な方でも優雅に香り立つフレグランスをお使いいただけます。

tre_carthusia.jpg【photo】強烈な陽射しを跳ね返す真っ白な漆喰で覆われたカプリのパラッツォのようなカルトゥージアのパッケージ。中央のVIA CAMERELLE はカプリ島のカメレーレ通りの陶器製の街路名表示をそのまま用いている

 カプリ島でも人気のリキュール「Limoncello リモンチェッロ」の原料となる大振りなレモンの葉とグリーンティが爽やかな「Mediterraneo メディテラネオ」は男女兼用で。カプリのメインストリートの名を冠したVia Camerelle ヴィア・カメレーレは女性用というものの、ベルガモットとビターオレンジにスパイシーなマリンノートがベース。その爽やかな香りはメンズユースもOK。完熟したイチジクと紅茶の生き生きとした活動的な香り「Io Capri イオ・カプリ」は男性向け。その日の気分で使い分けるお気に入りはこの3種類です。

 有名ブランド系の場合はことさらそうですが、フレグランスはイメージ戦略上、ボトルなどのパッケージデザインにも手を抜きません。Carthusia の製品は、香りと同様に、ニンフや人魚などが描かれたカプリ島らしいパッケージがまた魅力的です。イタリアの街では辻々の建物の壁面に、通りの名が刻まれた大理石板や白地に青い文字の陶板が埋め込まれています。
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【photo】フニコラーレを登りきったCapri の駅前で。島内の街区表示は全てこのデザインで統一されている

 カプリ島では、いかにも南イタリアらしい明るい色使いの陶製サインが使われており、リゾート気分を盛り上げてくれます。Via Camerelle のパッケージは、その陶製サインのデザインがそのまま使われており、私をカプリ島へと誘います。Carthusia は、いずれもカプリの植物をベースにしたものとくれば、思いは一層募るばかり。その香りに包まれている限り、遥か遠い美しい島への思いは決して断ち切ることができないのでしょう。

 そして今月26日(金)。現存する世界最古の薬局として知られるフィレンツェのオフィチーナ・プロフーモ・ファルマチュウティカ・ディ・サンタ・マリア・ノヴェッラ(=サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局)が、仙台市青葉区一番町4丁目にオープン予定です※追記を参照願います。この世で最も香(かぐわ)しい場所とされるショップが、遂に仙台上陸。今度は宝石箱のようなルネッサンスの街フィレンツェへの恋慕が募りそうだ...。

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antelope アンテロープ
住所:仙台市青葉区大町1-2-17-103
営:12:00-19:30 不定休
phone:022-724-1023

※ 追記11/23:サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局 仙台店のオープンは年明けにずれ込む見込み。詳しくはコチラを参照のこと
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2010/10/02

新創刊! Piatto

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 本日、河北新報社発行の新ウェブマガジン「web Piatto」 が創刊しました。

◇ サイトURL 
http://piatto.kahoku.co.jp/piatto/

  ここ数カ月は、準備で何かと気ぜわしい日を送ってきましたが、本日ようやく創刊にこぎつけました。スタッフのみんな、取材にご協力頂いた皆さん、Grazie mille !

 イタリア語でお皿を意味する Piatto ピアット。イタリア料理店のコースメニューでは、パスタ・リゾットなどのPrimo piatto プリモ・ピアット、メイン料理のSecondo piatto セコンド・ピアットとして登場する言葉なので、大人女子の皆さんにはすでにお馴染みの言葉かと思います。原則として毎月第一土曜日が発行日となります。この「Viaggio al Mondo ~あるもん探しの旅~」のようにディープでもニッチでもない、東北エリアで探した旬の話題をさまざまに味付けしてご提供して参ります。

 Piattoが主催するイベントや会員限定のプレゼントに応募できる女性限定のweb Piatto メールマガジン会員を募集中です。ぜひご登録を。
 
 ◆PCは上記アドレス web Piatto トップページから

 ◆携帯はバーコードモードにてLet's アクセス

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 創刊記念として、Piatto ネタをばひとつ。中部イタリアには「マヨリカ焼」とも総称されるイタリア陶器の代名詞となっているウンブリア州Deruta デルータや、世の東西を問わず先史時代から世界最大規模の陶器コレクションを集めた「Museo internazionale delle ceramiche (国際陶芸美術館)〈Link to website 〉」や国立の陶芸学校があるエミリア・ロマーニャ州 Faenza ファエンツァ、マルケ州 Urbino ウルビーノと近郊のUrbania ウルバニアなど、陶芸が盛んな街があります。スペインからもたらされた明るい色彩の陶器は、15世紀に人文主義が台頭した中部イタリアの地で見事な華を咲かせました。

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【photo】ファエンツァ国際陶芸美術館の膨大な展示の一部。壮麗なルネサンス期のイタリア陶器コレクション

 9世紀以降のアラブ支配によるイスラム文様の影響を受けた幾何学的な絵柄が特徴のシチリア陶器とは異なり、人物や動物などの手描き模様が施された中部イタリアの陶器は、高い芸術性と人間らしい温かみを兼ね備えています。その伝統は、のちにカルロ・ジノリ侯爵が、1735年にフィレンツェ近郊Doccia ドッチァでウルビーノなどから熟練工を集めて開窯した磁器工房、後世「Richard Ginori リチャード・ジノリ〈Link to website〉」として知られる透き通るような白い肌を持つ磁器へと昇華してゆきます。

 feminile_bambino-faenza.jpg ivlia_bela-faenza.jpg【photo】ルネサンス期のチョイ悪オヤジが、愛する女性 IVLIA へ贈るために作らせた彼女の肖像・名入りのファエンツァ陶器皿(右写真) 聖母子像を連想させる幼子を抱く女性を描いた16世紀のデルータ陶器皿(左写真) ※ともにファエンツァ国際陶芸美術館所蔵

 数年前、デルータなどウンブリア州の比較的小さな街を回る中で、何軒かの工房を兼ねた陶器店に立ち寄りました。精緻な文様が描かれた芸術品とも呼べる中世のレプリカ皿は、一枚200 エウロ、手が込んだものは400エウロ以上はします。日本まで運ぶ際の破損リスクを考えれば、とても手が出るものではありません。

silvana_ ceramiche_orvieto.jpg 【photo】デルータほど大規模ではないにせよ、中世期より陶器作りが行われてきたオルヴィエートのチェントロ(旧市街)にある陶器店SILVANA。陶器製の天板をもつ丸テーブルやプランターカバーなど大きなものから、お土産にも重宝しそうなコルクのついたボトルストッパーまで、地元オルヴィエートの職人の手になる伝統的な作風の陶器製品を幅広く扱う

 そんな中で16世紀頃のルネサンス期の衣裳姿で描かれた男女の横顔をグロテスク文様が取り囲む絵柄の一対の絵皿と出合ったのは、ウンブリア州に比較的多い崖上都市のひとつ、Orvieto オルヴィエートでのこと。美の粋を極めたイタリアン・ゴシック様式の聖堂では最高傑作とされるドゥオーモへと続く石畳の道、via duomo 沿いにある陶器店「SILVANA」では、店の外にまで絵皿や花壺など、さまざまな陶器があふれていました。
     

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【photo】我が家のイタリア度を上げるマストアイテムのひとつ、オルヴィエート窯の男女を描いた絵皿 ※photoをクリックで拡大

 手描きだけに、一枚ごとに顔つきや模様が微妙に異なるのも味があります。磁器のように薄くないため、それなりに重さもあります。ちょうど手頃な直径27cmほどの大きさの皿のうち、表情が優しげな2枚に狙いを定め、「Bella, sconto per favore!」(≒ 別嬪さん、まけといてや)と関西系に変身して買い求めました。

piatti_del_casa.jpg【photo】 こうしたペア絵皿はシンメトリーが鉄則。場の雰囲気が険悪になること必至なので、くれぐれも左右の位置を間違えぬよう
 
 男女が向き合うように、男性を左、女性を右に飾るこの皿。こんなイタリアならではのお熱いPiatti (複数形) を手に入れる幸運に恵まれた暁には、上から目線で優位に立ちたいからと相手を低く飾ったり、ましてや背中合わせのレイアウトはやめましょうね。パートナーとの関係がギスギスしたものになりかねませんので。


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2009/03/01

場の空気に関する一考察

これぞイタリアン・ハイテクノロジー?

 偶然も積み重なれば、必然と考えるのが自然です。一定の状況下で、正規ディーラーにも原因を特定しえない「ある現象」が度重なって発生する我が Macchina Rossa マッキナ・ロッサ(= 赤いイタ車)の、摩訶不思議な現象がどうして起こるのか、原因を検証してみます。

 人間にとって欠かせないもの故に、当「あるもん探しの旅」では、たびたび水について取り上げています。体の組成の8割が水分の状態で生まれてくる人間は、産湯をつかって生まれ育った故郷の水に、おのずと体が順応してゆきます。小さな子どもは旅先で水が変わるとお腹をこわすなど、体の変調を訴えることがあります。そうしたことを「水が合わない」と言いますよね。これは人間だけに限った現象でなく、どうやら車においても起こることがあるようです。Alfa Brera が新車登録後2年半をもって、走行2万kmに達した日のこと。仙台から本州を横断して、んめものの里・庄内まで頻繁に往復するものの、意外と走行距離が伸びていない理由は、納車当初たびたび発生した現象によって、ディーラーへの入院を繰り返し、代車での移動を強いられてきたからです。

modello_concept_brera.jpg【photo】プロダクツデザインの巨匠、ジョルジェット・ジウジァーロのデザインを忠実に再現したAlfa Brera のコンセプトモデル

 いつでも里帰りが出来るよう、マニュアル車が主流となるイタリアのレンタカー事情を考慮して、左ハンドル6速マニュアルシフトのBrera 2.2 JTS Sky Window をチョイスしました。見通しの良い田舎道を走る際には、時々道路の右寄りを走り、そこがトスカーナの田園地帯であるかのような感覚を喚起して、イメージトレーニングにぬかりはないつもりでした。ところが、乾燥した地中海性気候の国で造られた車は、雨が降り出すと、時に異常を来たすのでした。通常のアイドリング時は9giri(giro=「回転」を意味するイタリア語の複数形)×100=900rpm(rpm=一分間当たりのエンジン回転数の単位) 程度のエンジンの回転数が、信号待ちなどでギアがニュートラル状態にある時でも、40giri×100(=4000回転)を超えるまで、徐々に上がってゆくのです。
alfa_brera_lucca.jpg【photo】 造形の天才たちが中世期より営々と創り上げてきたトスカーナの町並み。美しいランドスケープに溶け込むダイナミックでモダンなフォルムのAlfa Brera

 「おBrava!、アイドリング時でも4000回転を超えるとは、さすがラテンの車は熱いぜぃ!!」などと自虐的なボケを飛ばす間もなく、エンジンの異常を告げるエンジン警告灯が点灯するシャレでは済まされない状況でした。6800giri以上のレッドゾーンまで上昇を続けようとするタコメーターの動きに恐れをなし、エンジンを停止させなければ、エンジンの燃焼室が焼き付いてしまうかもしれません。クラッチを繋いで走り出せば回転数は落ちますが、警告灯が点いている状態では、安心できません。当然メーカーとしても、エンジンに致命的なダメージを与えることのないようにフェールセーフ機能を備えており、エンジン警告灯が点くと、コンピュータが自動的にエンジンの回転数を抑えるようになっています。そうなるといかにアクセルを踏み込もうと、トルクが得られず、上り坂では極端に速度が落ちてしまいます。

 雨が降ると必ず異常が発生するわけではなく、その現象が起こるのが、なぜか山形県内陸の村山地域をウロついている時にほぼ集中しているという事実に気付くまで、時間を要しませんでした。10km先の交差点で右折する車が、ず~っと右側の追越車線を時速50km以下で走り続けるため、山形市内を南北に貫く片側二車線のバイパスが、同じような速度で並走する車両で占められる特異な光景が常態化しているR13でのこと。降り出した雨の中で信号待ちをしていた際、ギアをニュートラルに戻していたエンジンが、突如回転を上げ、エンジン警告灯が点灯したのが最初でした。たまたま近くにあったAlfa Romeo のディーラーでエラー解除の措置を施してもらったところ、何らかの理由でエンジンを制御するコンピュータが異常を表す信号を感知したのだといいます。2度目は久々に車で行った東京からの帰路、東北自動車道川口料金所の手前で猛烈な雨に見舞われた時に同じ症状が。次は時折にわか雨が降る寒河江市内を走行中に。4度目は鍋越峠の手前で2009.1.24brera.jpg 雨が降り出した尾花沢市内で。5回目は再び雨の山形市内で。太陽の国イタリア生まれのグラマラスな曲線で構成されたMacchinaちゃん(→イタリア語で車は女性名詞。扱いが難しいからか?)は、雨降りがよほどお気に召さないようです。念のために申し上げておきますが、仙台は別として、その次に走る機会が多い庄内地方では、いかに大雨が降ろうと、猛吹雪に見舞われようと、車は元気ハツラツぅ?! なのだから不思議です。


【photo】 今年の「酒田寒鱈まつり」(1/24・25開催)は、大雪警報が発令される厳しい天候となった。会場のひとつ「酒田海鮮いちば」を目指す私が選んだのは、最上川沿いを進むR47。今季初のどんがら汁(=寒鱈汁)にありつこうというPassione(=熱意)を察知したのか、すぐ隣を流れる最上川が猛吹雪によるホワイトアウトで見えないほど過酷な状況下でも、安定感の高い走りで無事目的地に到着したAlfa Breraを降りると、精悍な顔つきのフロントグリルには分厚い氷がびっしり(【click】で拡大表示)

 異常が起こるたびに、ディーラーに持ち込んで、異常の原因と思われる電気信号が流れるケーブルやコネクターなど、国内在庫がある汎用部品のみならず、個々の車に応じてセッティングされるコンピュータ基盤をわざわざトリノのピニンファリーナ工場から取り寄せて交換してもらいました。それでも気難しいイタリアン・ビューティーさながらに扱いに手を焼くマッキナちゃんの異常は一向に収まりません。3回目の異常が起こる頃には、天候が悪い湿度が高い環境のもとでご機嫌を損ねることに気付いていたため、ディーラーのメカニックとも一考を案じ、5度目の入院に際しては、電気信号が伝わるコネクターとケーブルを絶縁性の高いグリースでコーティングするという、物理的な作戦に打って出ました。

brera4000rpm.jpg【photo】湿度が高い日に山形内陸地方を走ると、ギアがニュートラルにあっても、突如エンジンが荒々しい咆哮を上げ、タコメーターの針が4000rpmを超える

attenzione_brera.jpg【photo】アクセルを踏み込まずとも4000rpmを超えるエンジン。まもなく点灯するエンジン警告灯。同じ県内にありながらも、庄内系にとっては異郷に他ならない村山地方でエンジンの不調をしばしば訴える我がMacchina Rossaは、もはやラテン系ではなく筋金入りの庄内系に変身を遂げつつあるようだ

 これが見事に効を奏して、ここ一年ほどは鳴りを潜めていたMacchina Rossa が久しぶりに異常をきたしたのは、先にレポートした驚愕の看板が立つ「延命水【Link to back number】」と出くわした2月15日(日)のこと。庄内エリアとは違い、日ごろは近くを通り過ぎるだけで、立ち寄ることのない山形市の北部にある「シベールの杜 北店」を初めて訪れ、コッパとナスをトマトソースで和えたスパゲッティを頂きました。あまりに強烈な看板に驚き、そこが異郷であることに戸惑いを感じていたためか、料理の画像を写真に収めることなく、いかなるパスタであったかも詳細を忘れてしまいました。

 泉質の良い日帰り温泉施設がある大江町まで足を伸ばす頃には、それまで晴れていた空模様が次第に怪しくなって、シトシト雨が降り出しました。最上川に架かる柏陵大橋の上で走行2万kmを達成した後に、「道の駅おおえ」の駐車場で停車中、アイドリング中のエンジンが唸りを上げ、タコメーターの針が上昇を始めたではありませんか。もはや鬼門とも言うべき山形内陸・村山地方で、またもや「キターーーーッ !!!」 

brera20000km.jpg【photo】 遅ればせながら走行2万キロを達成した道の駅おおえの駐車場で。この直後、Breraはアイドリングの異常をきたした

 雨が苦手な"ラテン系気まぐれマシン"なのかとばかり思っていたマッキナ・ロッサちゃん。実体は「どうも内陸はしっくりこないのぅ」という庄内系ドライバーの心理状態や、そこが異文化の地であることを察知する場の空気に敏感に反応するセンサーを備えた"庄内系ハイテクマシン"として進化中なのかも...。Macchina Rossaに乗り換える前に乗っていた南ドイツ・バイエルン州ミュンヘンに本拠地を構えるBMWのクールで律儀な先代のクーペモデルE46には、そのような人間臭さは無かったなぁ。これも使う人の官能に訴え、人と共鳴することで輝きを放つイタリア製品ならではの奥深い神秘なのでしょう。そう自分に言い聞かせ、やれやれと溜息をつくのでした。

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2008/07/20

典雅なイタリアの遺香 ~ i profumi di antica Italia

現存する世界最古の薬局、サンタ・マリア・ノヴェッラ @仙台

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 かつて伊達藩の御譜代町だった仙台市青葉区大町。その一角に前を通るたびに気になっていた小さなショップがあります。マンションの一階にあるその店のエントランス脇には、白地に黒で描かれた見覚えのあるクラシックな書体と紋章の看板が。現存するなかでは世界最古の薬局としてガイドブックに登場するほどフィレンツェの観光スポットとしても有名な「あの『Officina Profumo-farmaceutica di Santa Maria Novella (サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局)』の製品を扱う店が仙台にもあるのかしらん?? 」と思いつつも、立ち寄る機会がないまま半年以上が過ぎました。

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【Photo】 antelope 外観

 先日ようやくその店「antelope アンテロープ」を訪れると、アロマキャンドルやリネン類などと共に、一目見てそれと分かる優雅なオーラを放つクラシックなパッケージをまとったポプリやローションが置いてありました。

 かつてフィレンツェを支配したメディチ家や欧州各国の王侯貴族のみならず、近代に至るまで世界のセレブリティを魅了してきたFarmacia(=薬局)、サンタ・マリア・ノヴェッラ。

 薬局といっても、ニッポン各地に増殖中のド派手でギンギンなドラッグストアとは月とスッポン。あくまで格調高く慇懃な雰囲気は、某ツキヨや某イコクとは全くの別物です。イタリア貴族が暮らすパラッツオさながらのサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局は、イタリア国内においても特別な存在となります。

 米国の作家トマス・ハリスの小説を映画化した「羊たちの沈黙」の続編「ハンニバル」には、殺人罪で投獄されるものの逃亡した精神科医レクター博士(アンソニー・ホプキンス)が、FBI 特別捜査官クラリス(ジュリアン・ムーア)に手紙を送る場面が登場します。バルト三国のひとつ、リトアニア生まれながら、ミラノの名家ヴィスコンティ家の末裔で、貴族趣味のレクターは、驚異的なまでに鋭敏な嗅覚の持ち主とされ、サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局の常連でもあるという設定が原作ではなされています。手紙に残されたほのかな香りを鑑識で分析させたクラリスは、それがサンタ・マリア・ノヴェッラの製品のものだと割り出します。

facciataSMNovella.jpg【Photo】 薬局の母体となったドメニコ会のサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂

 フィレンツェ中央駅に降り立つと、駅と薬局の名前の由来になっている「Basilica di Santa Maria Novella サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂」の後陣部分が駅前広場の先に見えています。 novellaは英語にするとnovel。従ってこの美しい響きを持った聖堂の名前を直訳すると「聖母マリア物語」の意味となります。

 フィレンツェゴシック様式の典型とされるこの聖堂は、1216年創設のドメニコ修道士会のフィレンツェにおける拠点として、ドメニコ会の威信をかけて1246年に建設が始まりました。同じ時代に興ったフランチェスコ会同様、ドメニコ会は清貧を重んじ、学究と救済に活動の重きをおきます。ドメニコ会修道士が聖堂の前身となった「Santa Maria fra le Vigne サンタ・マリア・フラ・レ・ヴィーネ修道院」で病人救済の一環で薬作りを始めたのが1221年。教義の実践として使われた薬は、彼らが修道院の敷地で栽培した薬草やハーブ・花などの天然成分を用いて調合されたものでした。

Centro チェントロ(=旧市街の中心)の巨大なドゥオーモと同じ配色の白・緑・薄紅色からなる大理石がシンメトリーな幾何学模様を描き出すサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂。なで肩の聖母マリアのような優しげな印象を与えるファサードを背にして、2本のオベリスクが建つ「Piazza Santa Maria Novella サンタ・マリア・ノヴェッラ広場」を抜けて「Via della Scala スカラ通り」方向に右折します。

【Photo】このガラス扉を開いた先に外の喧騒と別世界の香りの空間が広がる

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 100mほど通りの右を進むと、さして間口が広くない石造りのアーチの奥にドメニコ修道士会の紋章とOfficina Profumo-farmaceutica di S.Maria Novella の名がエッチングされたガラスの扉が目に入ることでしょう。スカラ通り16番地のそこが、目指すオフィチーナ・プロフーモ・ファルマチュウティカ・ディ・サンタ・マリア・ノヴェッラ(=サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局)です。

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 両開きの重い扉を開けてエントランスホールに足を踏み入れると、うっとりするような香りが鼻腔を満たします。トマス・ハリスが「この世でもっとも香(かぐわ)しい場所のひとつ」と著作ハンニバルの中で描写しているそこに漂う高貴な香りは、フィレンツェ近郊の野に咲く花やハーブ類などの自然素材のポプリが発するもの。

 金糸の刺繍が施されたシルクの飾り袋に詰められたアンテロープでも人気が高いというこのポプリで特筆すべきは、えもいわれる香りが少なくとも1年は続く高い持続性にあります。

【Photo】簡素なエントランススペースを進んだ先が、もともと修道士たちの礼拝堂だったボールト天井にフレスコ画が描かれた販売ルーム

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 材料に秘伝のエッセンシャルオイルを加え、大きなテラコッタの壷で6ヶ月以上に渡って発酵・熟成させる製法が、この比類なき香り立ちに寄与しているのだといいます。永年に渡って使い込まれた素焼きの壷は、フィレンツェを南へ10キロほど下った良質の粘土が産出する陶器の町 Impruneta インプルネータ産。ヴィッラの庭園に配置された優美なフォルムのプランターが有名ですが、ブルネッレスキが設計したフィレンツェのドゥオーモの円蓋の屋根を覆う茶褐色な瓦も耐久性が高いインプルネータ窯によるものです。

 中世の面影を色濃く残すこの薬局を訪れた人の印象に残るのは、一体何でしょう?

 精緻な装飾が施された重厚なウォールナット(=クルミ材)のショーケースに並ぶ優雅なフォルムの香水やリキュール、石鹸などの商品でしょうか。

 あるいはボールトのアーチが交差する高い天井に描かれたミラノの「Galleria Vittorio Emanuele II(=ヴィットリオ・エマヌエーレ2世アーケード)」を彷彿とさせる四大陸に馳せる薬局の名声を寓意化したパオリノ・サルティの手にかかるフレスコ画かもしれません。

 レオナルド・ダ・ヴィンチが設計した器具やアルコール精製に用いたアランビッコ式蒸留器などの製薬道具類も伝統の証しとして見逃せません。

 さらにはウフィッツィ美術館の天井にも登場するグロテスク文様【注】が施された工芸品としても価値が高いAlbarello アルバレッロ(=薬壷)や、かつて売られていた商品のクラシックなパッケージも興味深いものです。

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 それらはいずれも強い印象を残しますが、記憶中枢のもっとも深いところに留まるのは、店内に漂う世にも麗しい香りに違いありません。それは、信仰に生きた修道士が残してくれた中世の典雅な遺香ともいうべきものです。

【Photo】 気高く香り立つサンタ・マリア・ノヴェッラのポプリ(左)。紺・緑・赤・茶などこの美しいシルクの飾り袋に入ったものだけでなく、小分けにできるタイプも人気。ジャケ買いしてしまいそうなイタリアの伝統的な美意識が反映されたラベルのアックア・ディ・ローゼ(下)。ナチュラルで優しいバラの香りは時を超えて愛されてきた

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 修道士たちが薬作りを始めてから800年近くを経た今日に伝わる最古の処方は1381年のものです。アンテロープで扱う「Aqua di Rose アックア・ディ・ローゼ(=薔薇水)」も当時の製法をもとに作られています。これはフィレンツェ周辺に咲くオーガニックな環境で栽培されたバラの花弁を精製した天然水で蒸留し、抽出されるオイル成分を除いたハーブウォーターです。現代のアロマテラピーではバラの花には沈静効果があることが知られていますが、ペスト(黒死病)がヨーロッパ全域で猛威をふるった14世紀半ば当時は、バラには殺菌作用があると信じられていました。そのため、このアックア・ディ・ローゼは住居の消毒用として、また薬を飲む際の水代わりに、さらには点眼薬としても用いられたそうです。 (⇒現在ではローションとしての用途のみ)

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【Photo】一人ひとりの症状に応じて薬を処方してくれる「Erboristeria エルボリステリア」のカウンター。「Farmaciaファルマチア」が一般薬を扱うのに対し、薬草・ハーブ・自然食品などを扱うのがエルボリステア。このイタリア式漢方薬局(?)がサンタ・マリア・ノヴェッラの奥まった一角にある

 1612年、トスカーナ大公フェルディナント2世から「Fonderia di Sua Altezza Reale フォンデリア・ディ・スッア・アルテッツァ・レアーレ(≒王家御用達高等製錬所)」の称号を授けられたファルマチュウティカは、一般向けの薬局として新たなスタートを切ります。Fonderia とは、本来「鋳造所」を意味するイタリア語ですから、当時の最先端化学であった薬作りが、L'alchimia(錬金術)と結びついていたことが伺えます。現代では胡散臭いイメージが伴う錬金術ですが、科学の発展に錬金術が大きな役割を果たしたことは、紛れもない事実。ナポレオン支配下における一時閉鎖や、1871年に経営権や商標をドメニコ会から譲渡された Stefani ステファニー一族の手で法人化されて以降も、心地よい香りを放つサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局の石鹸やクリーム、ローションの多くは、21世紀を迎えた今も当時の製法をベースに作られています。
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【Photo】オリエンタルな雰囲気の香りのアルメニア・ペーパー(写真手前)は、そのまま香り付けとして使えるほか、燃やすと部屋のにおい消しにもなる。antelopeにて

 今日では、本店のほかミラノ・ローマ・ヴィネツィア・ボローニャ・ルッカ・パレルモといったイタリア国内の都市のみならず、ロンドン・パリ・バルセロナ・ニューヨークといった世界の主要都市に支店を展開するサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局。代理店契約を結んだ日本の業者が2001年にアジア初となるショップを東京青山に開店させるや否や、仙台から喜び勇んで偵察に向かったものです。現在は東京都内数ヶ所と大阪・名古屋に複数のショップが存在しています。確かにそこには心地よい香りが立ち込め、紛れもないサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局の製品が並んでいます。しかしフィレンツェ本店には確かに存在する "何か" がそこには決定的に欠落している気がしてなりません。それは伝統を重んずるイタリアならではの決して色褪せない濃密な時間が醸し出すイタリアという国の魅力の本質なのかも。フィレンツェと姉妹都市になっている京都には、未訪ながら初のリストランテ併設ショップ「サンタ・マリア・ノヴェッラ・ティサネーリア京都」が2004年に出来ました。京都らしい町屋造りの空間にイタリアの美意識が凝縮した製品が違和感なく融和した伊和のコラボショップと、京野菜とハーブを使ったイタリアンとのこと。その土地らしさ、ローカリティに魅力を感じるイタリア人的思考回路を持つ庄内系イタリア人としては、この上方系イタリアンも気になるところ。
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【Photo】門外不出とされるサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局伝統の製法で作られるリキュール各種。500mlと土産用にぴったりな100mlの2種類のボトルは、使い切って捨ててしまうにはあまりにもったいない美しさ

 Citta del Fiori (花の都)フィレンツェの街を歩いていると、建物の壁面などの至るところで六つの丸薬を配したメディチ家の紋章を目にします。金融業で巨万の財を成したメディチ家の Medici とは、もともと "薬" や "医者" (複数形)を指すことから、確証はないものの祖先は薬商か医師だったといわれています。ルネッサンス芸術のパトロンとして歴史に誉れ高き名を残したメディチ家は、サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局が長い歴史のなかで作り出した4種類の薬用リキュールのひとつ、消化促進効果があるとされるカモミール・フェンネルといったハーブ10種類あまりを配合した「Liquore Mediceo リクォーレ・メディーチェオ(写真右)」にも名を残すことになりました。

 飲用にも用いられたベルガモットやシトラスなどのハーブや花から抽出したエッセンシャルオイルは香水へと発展し、華やかな香水文化がサンタ・マリア・ノヴェッラから花開いてゆきます。なかでも「Acqua colonia Santa Maria Novella アックア・コロニア・サンタ・マリア・ノヴェッラ」は、「王妃の水」として500年にわたって女性たちに愛されてきた名品。ヴァロワ王朝下の10代フランス国王アンリ2世との婚姻(1533年)によって、王侯貴族といえども手づかみで食事をしていた当時のフランスにナイフとフォークを用いて食事をする習慣を持ち込んだことで名高いメディチ家出身のカテリーナ・ディ・メディチは、とりわけこの香りを愛用していました。smnovella 009.jpgカテリーナは、お抱えの調香士をパリに伴ってゆきます。入浴の習慣がなかったため、体臭を覆い隠すための強い香りを用いていたフランス王朝の女性たちの間で、それまにで無かった上品で軽やかななこの香りはセンセーションを巻き起こしました。この香水の調合法をドイツ・ライン河のほとりの町ケルンに伝えた イタリア人旅商人によって、Acqua di colonia(ケルンの水)=仏語名「Eau de Cologneオー・デ・コロン」が一般化したのだといいます。

【Photo】 くちなしとローズフレーバーのボディーミルク「Latte per il Corpo ラッテ・ペル・イル・コルポ」。アボカドオイルやカカオバターなどの配合植物成分が、肌にうるおいを与えるという。antelopeにて

 かくも雅びやかな香りにまつわるnovella(物語)を刻んだサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局。レクター博士ではありませんが、私にとっても何度でも訪れたい場所のひとつです。ところが悲しいかなそうはいかないのが我が現実。ここでご紹介した香水やリキュールは現状 antelope で取り扱いはありませんが、その代わりに紺碧のナポリ湾に浮かぶ美しい島、カプリ島にある小さなフレグランスショップ「Carthusia カルトゥージア」の優雅な香りに浸れるこの店で、ひと時の現実逃避ヴァカンツァに走るしかなさそうです。Mamma mia !!

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antelope アンテロープ
仙台市青葉区大町1-2-17-103
営:12:00-19:30 不定休
phone:022-724-1023

【追記】日本での正規代理店経由の商品を取り扱う「サンタ・マリア・ノヴェッラ仙台」が、2011年春に仙台市青葉区一番町4丁目にOPENしたため、現在、antelopeでサンタ・マリア・ノヴェッラの商品は扱っておりません。

Officina Profumo-farmaceutica di Santa Maria Novella
Via della Scala 16 - Firenze
phone: +39 055 216276 / +39 055 4368315

【注】 悪名高き帝政ローマ五代皇帝ネロがローマ大火(西暦64)の後に築いた想像を絶する規模の離宮「Domus Aurea ドムス・アウレア」。その一部がパンテオンに隣接する廃墟から発見されたのが15世紀末。そこの壁を飾っていたのが、グリフィンなどの空想上の動物や異形の人間の顔、曲線的な植物などが連続して描かれた壁画だった。バチカン宮殿の天井装飾を任されたラファエロがこの文様を取り入れ、16世紀にかけて広く欧州で流行した装飾様式。ドムス・アウレアの崩れ果てた廃墟は当時「Grotta グロッタ(=洞窟)」と呼ばれていたため、その文様が発見された場所の呼称が転じて「Grotesque グロテスク」⇒奇怪なもの、さらには醜悪なものを意味するグロテスクの語源となった

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2008/05/09

さようなら、レヴィさん

天に召された天使のようなグラッパ職人

イタリアから悲しい知らせが届きました。

 Addio a Romano Levi, il grappaiol' angelico (=さようなら、天使のようなグラッパ職人 ロマーノ・レヴィ)の見出しで始まる記事でその人の死を伝えたのは、トリノの日刊紙「La Stampa ラ・スタンパ」。同紙が伝えるところによると、2008年5月1日(木)、ユーモラスで温かみのある手書きラベルのグラッパ造りで世界中に多くのファンが存在するRomano Levi ロマーノ・レヴィさんがイタリア・ピエモンテ州ネイヴェの自宅で急逝しました。享年80歳。

 レヴィさんはイタリアで唯一残るとされる直火式蒸留装置でワイン醸造に使用したブドウの絞りかす「ヴィナッチャ」から蒸留する酒、Grappa グラッパを60年以上に渡って作り続けてきました。時流に流されること無く、唯一無二なグラッパ造りに生涯を捧げ、詩人とも芸術家とも称えられたレヴィさんを慕う人は数多く、ファンクラブすら存在します。

 高齢のため、ここ2-3年は体調が優れず、トレードマークでもある詩的な手書きラベルを描くことがままならなかったレヴィさん。敬愛するレヴィさんのもとを2年前の10月に訪れ、ご本人とお会いする機会に恵まれました。ご挨拶をさせて頂いた際に触れたその人の手のぬくもりと柔らかな感触は、今も手に残っています。〈2007.6 拙稿「伝説のグラッパ職人、ロマーノ・レヴィ~天使のグラッパ職人は生き仏だった」参照〉 その折に頂いた私の名前入りドンナ・セルバティカのラベルをまとった文字通りハンドメイドなグラッパに至っては、開けるのが余りに勿体なく、ただ眺めるだけでした。

addio_romano.jpg【PHOTO】 虫や花、ブドウ、星、太陽などさまざまなものが登場するレヴィさんの手書きラベル。過去に数冊の画集が出版され、昨年はラベルの展覧会も催された。 ラベルに私の名 Kimura とコレクターの間では最も人気が高い「Donna Selvatica ドンナ・セルヴァティカ」が描かれたレヴィさんから頂いた世界で一本だけのグラッパ(右)と、自身の投影だという「Uomo Selvatico ウォモ・セルヴァティコ」が描かれたグラッパ(左)

 楽しげなラベルを描き続けたレヴィさんがいなくなってしまった今。天に召された故人のご冥福を祈りつつ、手持ちの一本を開けて、しみじみと味わうとしましょう。 献杯。 

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2008/03/06

うまさにひっくり返る「カッフェ・ナポレターナ」

先週月曜日に自宅のパソコンが故障したため、更新が滞ってしまいました。ハードディスクを交換して処理が早くなったPCの作動のように、ブログの更新もサクサクと行きたいところですが、さて??

薫り高きナポリ式コーヒーポット「Napoletana」

ALESSI_Napoletana.jpg
【PHOTO】南イタリア出身の建築家Riccardo Dalisi の見事な造型感覚が発揮されたALESSI のナポレターナ

 仕事を始める朝と、3 時のブレイクタイムにカッフェを注入しないと何か物足りない・・・。イタリア在住だった前世の記憶がそう思わせるのに相違ありません。そこで欠かせないのがナポリ式コーヒーポット「Napoletana ナポレターナ」です。ナポリ発祥とされるこのカフェティエッラはドリップによってカッフェを淹れるもので、蒸気圧を利用する「マキネッタ」とはカッフェの抽出法が異なります。このナポレターナ、器具の構造は至ってシンプル。その形状といい、抽出の所作といい、なかなか味わい深いものがあります。加えてナポレターナで淹れたカッフェもまた味わい深く、薫り高いものとなります。

 前回この「Caffè カッフェ」のコーナーでご紹介した著名なイタリアンキッチン用品ブランド ALESSI アレッシからナポレターナが発売されたのが1987年。イタリア南部バジリカータ州Potenza ポテンツァ生まれの建築家 Riccardo Dalisi リッカルド・ダリージは、このカフェティエッラの設計開発に9年もの歳月をかけました。ALESSI の豊富なラインナップの中でも、これは最長の期間だといいます。ALESSI 唯一のナポレターナとなるこの製品は、本体が鏡面仕上げを施された18-10ステンレス、取っ手にはクルミ材が用いられています。イタリア本国でも6カップ用が €274( €1=156円換算で42,700円)、日本国内価格が54,000円(税別)という価格にすっかり怖気付いた私が愛用しているのは、ピエモンテ州トリノの北9kmにある Collegnoコッレーニョという人口5万人ほどの町で 1946年に創業したILSA社製のクラシックなナポレターナです。

iLSA-diamante.jpg現在でこそ広くイタリアの家庭で使われるマキネッタが登場する1950年代までは、このナポレターナが一般的でした。同社が初めて製品として売り出したのも、ナポレターナだったのです。

【PHOTO】私の初代ILSA社製ナポレターナ「Diamante」1-2カップ用(右)。上下同じ形状をしていたベークライトの取っ手は、ボイラー部の一部を焦がして焼失。さらに本体との接合部からの水漏れが顕著になり、現役引退を決意。会社で使用している「Liscia」1-2カップ用と同型3カップ用(下)は自宅で使用する3代目

 1-2カップ用から、3・6・9・12カップ用の各サイズが揃う中で、会社で愛用していたのは表面に凹凸の装飾が施された「Diamante ディアマンテ」ラインの1-2カップ用。約10年使い込んだこの初代ナポレターナは、酷使がたたって変形・変色が著しく、モデル名が意味するダイヤモンドのような輝きはとうに褪せています。本体と取っ手の接合部から水漏れするようになったため(→こんなところもイタリア製らしい? )、代替品を探していた'06年に実現したトリノ訪問。Terra Madre と Salone del Gusto の取材が主目的だったため、公式行事やワークショップへの参加に時間を割かれ、市内観光やショッピングがほとんど出来ないことが予想されました。

 そのため、4代目となる同社のナポレターナを前もって滞在先のアグリツーリズモRupestr のジョルジョ氏に探してもらいました。Rupestr がある小さなCanelli の町は無理でも、同社お膝元の大都市トリノならば、簡単に入手できるのでは?と考えたからです。

istruzioni_per_uso.jpgところが、危惧した通り北イタリア・ピエモンテ州では、ナポレターナが一般的ではなく、地元調達が出来ないとのこと。たまたまRupestr のWEBサイト管理を手がけるジョルジョの知人がナポリ在住で、そのルートで調達してもらった次第。人の繋がりを駆使して物事を解決する名人ジョルジョに限らず、イタリア人はこうした処世の達人です。

 ジョルジョに調達してもらったプレーンな外観のモデル「Liscia リッシャ(=伊語で「滑らかな」の意)」1-2カップ用は、€15(約2,340円)とぐっとリーズナブル。本体は純度99.5%のアルミニウム製、取っ手が耐熱性・難燃性に優れたベークライト製という基本的な構造やデザインは1946年の初代モデルに細部の改良は加えられたものの、大きな変更はありません。レトロな雰囲気を漂わせるILSAや端正で美しいフォルムのALESSI をご覧になって、どうやってカッフェを淹れるのか想像がつかない方もおいででしょう。

 日本では馴染み薄なナポレターナだけに、それも無理からぬこと。それでは早速、濃厚なナポリスタイルのカッフェを淹れてみましょう。上の図解イラストをもとに手順に従ってご説明すると・・・図でご覧の通り、ナポレターナは最後に用いる蓋(ふた)を除いて4つのパーツから構成されます。

caffettieranapoletano1.jpg【左PHOTO】〈1〉:熱源にかけるパーツ「ボイラー」(図C)に水を入れる。その際、水が上部に穿たれた直径2mmほどの小さな穴を超えないよう

caffettieranapoletano2.jpg

【右PHOTO】〈2〉:図の向きで「フィルター」(図B)をボイラー部にセット。その際(C)の穴と(B)の縦に刻まれた窪みの向きを合わせるとよい。フィルターに挽いたコーヒー豆を装填。フィルターの目が粗いので、仕上がったカッフェに粉が紛れ込まぬよう、豆は極細挽きよりは細挽き程度がよい

caffettieranapiletano3.jpg

【左PHOTO】〈3〉:「スクリューキャップ」(図A)でフィルターの装填口をふさぐ

caffettieranapoletano4.jpg【右PHOTO】〈4〉:仕上がったカッフェの注ぎ口と取っ手が付いており、屋外などでデミタスカップがなければ、その代用も務める「ポット」(図の最上部)をボイラーにセット。上下取っ手の向きを合わせると抽出中の姿が美しい。ここだけは、ともするとやることが適当なナポリっ子の真似はせぬこと。ボイラー部を下、ポット部を上にして熱源にかける(下図1)。ガスコンロを用いる場合は弱火~中火。取っ手を焦がすので強火は厳禁。

caffetttieranapoletano6.jpg【上PHOTO】〈5〉:ボイラー内の水が加熱されるとフィルター内のコーヒー粉を蒸らし始める。沸騰した熱湯が、ボイラー部の穴からチョロチョロ出始めたら熱源から外すサイン。素早くボイラーとポットの取っ手を両手でしっかり押さえながら上下逆にひっくり返す(下図2)。ボイラーの穴からお湯がピューッと勢いよく噴き出すが、すぐに止まるので慌てず騒がず。アルミ素材は柔らかく変形しやすいので、時に噛みあわせが緩い場合も。ズレによって熱湯が漏れないよう注意が必要

caffettieranapoletano7.jpg

〈6〉:耐熱性のある平らな場所にナポレターナを移して待つことしばし。使用する器具の容量にもよるが、2~3分でドリップは完了。その間、ボイラー部には蓋を装着して温めておく(→必ずしも使わなくても可)。ドリップが終わったらボイラーをはずし、ポットに蓋を被せ(省略可)【上PHOTO】 、カップにカッフェを注ぐ。

caffettieranapoletano8.jpg【PHOTO】è pronto!! ハイ、出来上がり!!

 ポット部分の熱が冷めれば、カップがなくてもカッフェを直接ナポレターナから飲むことだって出来ます。この使い方はアウトドアで一人カッフェを飲む場合などに重宝しそう。コーヒーの旨み成分を含む豆の油脂成分をろ過しないため、ナポレターノで淹れたカッフェは、調和が取れた深い味わいが楽しめます。いまやカッフェを淹れる時に使うカフェティエッラの割合は、ナポレターナ 7 に対しマキネッタ 3 と圧倒的にナポレターナが優勢。最初はマキネッタを使っていた仕事先でも、今ではナポレターナ一辺倒になりました。

 会社では電気コンロが置いてある流しでナポレターナを使うのですが、火にかけている間、立ち込める芳香は特筆もの。それを嗅ぎつけて分け前を要求する同僚もいます(笑)。後処理はマキネッタ同様、さっと水洗いでOK。金属製フィルターのため、余分な紙ゴミも出しません。なんというスグレ物!

napoletana_uffizi.jpg【PHOTO】オフィスで愛用している4代目ナポレターナ。普及が進むIHヒーターでは使用できないアルミ製ゆえ、お払い箱になりかかった電熱線ヒーターには懇願調に「捨てないで下さい」と記し、IHヒーターに重ねて使用

 ナポレターナが欲しくなったアナタに大切なポイントをお教えします。ナポレターナの素材は是非「alluminio =アルミニウム」製を選んでください。私の2代目ナポレターナはILSA社のステンレス製でしたが、カッフェが金属と馴染むまでと忍耐強く何度使ってもアルミ製ナポレターナのような深みのある味が出ないのです。苦味が強くでる傾向があり、調教を諦めた私はアルミに回帰、使用期間半年ほどで2代目はお蔵入りとなりました。

 イタリアでも丈夫なステンレス製のナポレターナが造られてはいます。しかしナポリのカッフェ好きの間では、ナポレターナはアルミ製というのが常識なのです。アルミの調理器具を使うとアルツハイマー病になると指摘する向きがあります。それでもアルミ製のマキネッタやナポレターノで淹れた一杯の薫り高いカッフェの誘惑には到底勝てません。その指摘が本当ならば、カッフェ好きのイタリア人たちは皆アルツハイマーになっている筈ですが、そんな話は聞いたことがありませんよね。

 そう自分を納得させて、ナポリスタイルを貫く「Passalacquaパッサラックア」の豆を装填した愛用の4代目ナポレターナを今朝もヒョイッとひっくり返したのでした。


次回、「Arriva a Napoli !? 白日夢 @ Caffè Passalacqua」に続く

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2008/02/19

カフェ・マキネッタ

お気軽エスプレッソの必需品

 最近ではイタリアン・スタイルのCaffè カッフェ、Espresso エスプレッソを自宅で楽しむ方も多いかと思います。以前ここで述べた通り、イタリアでは厚いクレマに覆われたマシンメイドのカッフェは、Bar バールで飲むもの。そんなイタリア人が自宅で手軽にエスプレッソを淹れる Caffettiera カッフェティエッラ(=コーヒーポット)は、直火式エスプレッソメーカー Macchinetta マキネッタです。その代名詞ともいえるのが、天を指差す口ひげを蓄えた山高帽の紳士でお馴染みの Bialetti ビアレッティs-bialetti_logo.jpg のMoka Express モカ・エクスプレスでしょう。1933年にAlfonso Bialetti アルフォンソ・ビアレッティが生み出したこの八角形をしたカッフェティエッラは、模造品を含めるとイタリアの家庭の90%以上で使われているともいわれます。1カップ用から、2・3・4・6・9・12・18カップ用まで、用途ごとにサイズが異なる Moka Express が作られているのは、抽出に必要な適正な蒸気圧を得るため。一気にコーヒーの旨みを抽出するエスプレッソは蒸気圧が命。直火式エスプレッソメーカーの場合、"大は小を兼ねる"は当てはまらないのです。
s-Parts_moka_bialetti.jpg

【PHOTO】Bialetti のMoka Express

 ボイラー部分(写真左下/ 図A)の安全弁の下までが水の適量。本場の味にこだわりたいなら、細身な淡いブルーのボトルがイタリアらしさを醸し出す「Filette フィレッテ」(硬度198)や、カモメのラベルが目印の「SAN BENEDETTO サン・ベネデット」 (硬度235)、「ACQUA PANNA アックア・パンナ」(硬度108)など、イタリア産のAcqua Minerale(=ミネラルウオーター)をお試しあれ。硬度が高いヨーロッパの水のほうが、コーヒーには向いていると言われますが、私は庄内系ゆえ、庄内各地の美味しい湧水を汲んで来て沸かして飲んでいます。「さんゆう」や「胴腹滝」「神泉の水」「岩清水神社」「竹の露仕込み水」など、とっておきの採水ポイントのご紹介は機会を改めて。

MokaPotCrossSection.png

 水を入れたなら、メッシュ・フィルター(写真右中/ 図B)に細挽き~極細挽きにしたコーヒー豆をお好みの濃さになるよう適量セット。上部サーバー(写真左上/ 図C)をしっかりと閉めて火にかけます。この際、ハンドルを焦がさぬよう火力に注意。マキネッタでは細挽きが、エスプレッソマシンをお持ちの方は極細挽きが向いています。豆のローストは深煎りが良いでしょう。コーヒーは嗜好品ゆえに味の好みはそれぞれですが、深煎りローストが主流のイタリアでは、酸味は少な目の傾向にあります。いずれにせよ、信頼のおけるロースターから豆を買い求め、飲む直前に挽いた方が、香り高いs-Musetti_espresso.jpgカッフェを楽しめます。相談に乗ってくれるお店が見つかればしめたもの。自家焙煎を手掛けるカフェでもよし、専門店ならば選択の幅も広がるはず。意外なところでは、スターバックスが扱うコーヒー豆も悪くない選択です。同社が仕入れる生豆の品質は世界でもトップクラス。「う~ん、エスプレッソの豆がシアトル系じゃ・・・┐(ー。ー;)┌ 」と、イタリア人のようなことを仰る御仁には、真空パックや缶でイタリアから輸入される中でも入手しやすい「illyイリー」や「KIMBO キンボ」「LAVAZZA ラヴァッツァ」「Musetti ムセッティ」を。さらに極めたいならば、「CAFFEN カッフェン」や「TRUCILLO トゥルチッロ」「Passalacqua パッサラックア」などナポリブランドのコーヒー豆を調達してみては? いずれコーヒー豆は「生もの」だけに、焙煎日や賞味期限はしっかりチェックです。

 ボイラー部で加熱されたお湯は、メッシュ・フィルターにセットした豆を蒸らし始めます。やがて沸点に達すると体積が膨張してフィルターを通過し、上部サーバーの中心にある噴出口からカッフェが出てきます。mio_cupola.jpgパンツェッタ・ジローラモ氏の著書「極楽イタリア人になる方法」の中では、最初はサーバーの蓋を開けておき、カフェが出てきたら閉めること。カッフェが出終わったら火を止め、少し待つこと。するとキレイな薄茶色の泡が立ったエスプレッソが楽しめると書かれています。しかし、指示通りにやっても、マシンとは違ってマキネッタではなかなかきれいな泡は立ちません。かつて取材でジローラモ氏にお会いした際、最初は蓋を開けておく理由を尋ねましたが、著書に出てくるカッフェ好きの祖父がそうしていたからという以外、明確な答えは得られませんでした(笑)。

【PHOTO】Aldo Rossi がデザインしたALESSI 「LA CUPOLA」(右写真)。使用歴15年ほどの私のLA CUPOLA のボイラー部分内側には黒い油膜がびっしり(右上写真)

 カッフェを淹れた後の処理で大切なのが、ジローラモ氏も指摘している通り、決して洗剤では洗わないこと。使い込んだマキネッタ内部には、コーヒーの油脂成分が付着して、カッフェをより薫り高くしてくれます。使うたびに加熱消毒するわけですから、さっと水洗いすればOKです。家族で味の好みが分かれる場合は、香りが混じるのを避けるために自分専用のマキネッタを持つのがイタリア人の流儀。

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【PHOTO】Richard Sapper デザインのマキネッタ(左)

 Bialetti 以外には、著名なデザイナーや建築家とのコラボレーションによる造形美溢れるキッチン製品を生み出すALESSI アレッシもオススメです。1979年にドイツ人デザイナーRichard Sapper リチャード・サパーの設計で発売されたマキネッタは、イタリアで最も歴史と権威あるプロダクトデザインに贈られる「Compasso d'Oro コンパッソ・ドーロ賞」を同社に初めてもたらしました。 現在、このモデルはニューヨーク近代美術館(MoMA)に収蔵されています。

【PHOTO】Aldo Rossi の「LA CONICA」(下)

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 戦災で焼失したジェノバのカルロ・フェリーチェ劇場の再建や北九州の門司港ホテルなどの設計で20世紀の建築史に足跡を残した建築家 Aldo Rossi アルド・ロッシが生み出した ALESSI のラインもヨーロッパの伝統に根ざした建築家らしい造型で知られます。1982年に発表した「円錐」を意味する「LA CONICA」や、ルネッサンス期の教会建築に見られる円蓋ドームを彷彿とさせる1988年発表の「LA CUPOLA」は、いずれもイタリアの風景に溶け込む教会の尖塔を見ているかのよう。このマキネッタが置いてあるだけで、キッチンの空気が変わります。

 二十四節季では、雪が雨に変わる頃とされる「雨水」にあたる今日2月19日。まだまだ今年は寒い日が続きます。そこで次回は、陽光溢れる南イタリアへと誘ってくれる味わい深いカッフェティエッラ、私が愛用しているナポリ生まれの「Napoletana ナポレターナ」が登場します。

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2007/12/24

プレゼーピオで迎えるNatale

 今回は、ほんの僅かしか食べ物は登場しませんので、食いしん坊の皆さんはあしからず。

s-christkindlmarkt-mercatino_di_natale.jpg【Photo】南ティロル、アルト・アディジェ地方の都市 Bolzano ボルツァーノのクリスマス市。11月末からナターレ直前まで毎日、町のCentroチェントロ(=中心)にある Piazza Walther ヴァルター広場に80もの屋台が並ぶ

 キリスト生誕の場面をジオラマで表現する「Presepio(Presepe)プレゼーピオ(プレゼーペ)」は、イタリアだけのものではありません。日本でもカトリック教会によってはプレゼーピオを飾ることがあります。北ヨーロッパや北米など、プロテスタントが多い国では、クリスマスツリーが主流。 Trentinonatale.jpgシュバルツバルト(黒い森)の針葉樹林が広がるゲルマン文化の影響が強い北イタリア、トレテンティーノ・アルト・アディジェ州では、「Mercatini di Natale メルカティーニ・ディ・ナターレ(クリスマス市)」の雰囲気も白木のマリア像やピューター(錫)製のオーナメント類が多くなり、ぐっと北方の様相が濃くなります。ことに1918年のイタリア編入以前はオーストリア領だったため、ドイツ系住民が多い北部アルト・アディジェには、ほとんどイタリアらしさがありません。クリスマスの時期に焼かれるこの地方の伝統的なタルト菓子「Zelten ツェルテン」の甘い香りが漂う周りから聞こえてくる会話は、clicca qui多数派のドイツ語と少数派のイタリア語が入り混じったもの。"北に来た~"という実感が湧くことでしょう。この時期欧州各地で行われるクリスマス市は、「Weihnachtsmarkt ヴァイナハツマルクト」と称されるドイツが発祥とされます。

 【Photo】ボルツァーノのメルカティーニの屋台で。白木のマリア像・キリスト像やオーナメント類が多く、プレセピオは少数派。そこがドロミテの山懐にある南ティロル地方であることを改めて感じさせる。オーストリアはもう目と鼻の先

 そのほか規模の大小はありますが、トリノやミラノ・ヴェネツィアなど各地でナターレのメルカティーニが立ちます。そこにはクリスマス用品のみならず、アンティークや食料品なども並び、市民の活気で溢れます。クリスマス用品をメインで扱う有名どころのメルカティーニは、ヴェローナやフィレンツェ・ローマといったところでしょうか。ヴェローナではPiazza Brà ブラ広場とVia Roma ローマ通りで。フィレンツェではPiazza Santa Croce サンタ・クローチェ広場で。ローマではPiazza Navona ナヴォーナ広場で大規模なメルカティーニが開かれます。
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【Photo】1世紀に造られたヴェローナのArena アリーナから、メルカティーニが立つブラ広場へと流れるベツレヘムの星を形どった巨大な輝くオブジェ

 11月末の「Avvento 待降節」からナターレを経て、1月6日の「Epifania 公現節」にかけてイタリアの街を歩いていると、教会や広場・駅などにキリスト降誕の場面をジオラマで再現したプレセピオが飾られているのを目にします。敬虔なカトリック教徒が多い南イタリアでは、今も各家庭でプレセピオが手作りされることもあるようです。街中のTabacchi タバッキ(=キオスク)で売られる卓上用の小さなものから、s-bambinello.jpg実物大の人形が当時のベツレヘムを再現した洞窟や馬小屋に配置される大掛かりなものまでさまざま。前回写真でご紹介したバチカン・サンピエトロ広場に作られるプレセピオが規模や精巧さにおいては一番かもしれません。 そのプレセピオ、今日12月24日の夜中に少しだけ様相が変わります。そう、マリアとヨゼフの間にある飼い馬桶は、24日までは空っぽなのですが、25日に日付が変わる夜中に幼子イエスの人形が加わるのです。こうして主イエスの誕生を皆で祝福するのですね。

【Photo】24日Viglia ヴィジリアの深夜、プレセピオに加えられるBambinello 幼子イエスの人形

s-giotto_percorsi.jpg このプレセピオ、アッシジの聖フランチェスコ(1181?~1226)が13世紀に始めたものと伝えられています。アッシジの裕福な織物商人の家庭に生まれながら、出家して清貧の生涯を貫いたフランチェスコは、今も人々から最も慕われる聖人と言ってよいでしょう。12世紀末ごろはラテン語による説教が一般的で、意味を解せない信者が大方でした。フランチェスコは当時の封建的な聖職者の位階制度と距離を置き、一部の特権階級にではなく、各地を回って貧しい人々と向き合って教えを説きました。s-francescogreccio.jpg

【Photo】フランチェスコが世を去って800年近くを経た今も、グレッチオでは村民によるフランチェスコのプレセピオ劇が毎年クリスマス休暇が始まる12月24日の22時45分と、12月26日(聖ステファノの祝日)・1月1日(カポダンノの祝日)・1月6日(公現節の祝日)の17:45に演じられる


 1223年12月25日にフランチェスコはウンブリアとの境に近いラッツイオ州の小村Greccio グレッチオを訪れます。その際、崖の中腹にある洞窟にキリスト降誕を再現した人形を飾って主イエスの誕生を人々と共に祝ったといいます。文字が読めない人々にとって、キリスト教の教えを理解する近道は、モザイクやフレスコによる宗教画や磔刑像などの彫像でした。その模様は後に画家Giotto ジョットによって、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂の壁に描かれた28の連作フレスコ画「聖フランチェスコの生涯」で広く知られるようになります。聖堂の建設が始まったのはフランチェスコの死から2年を経た1228年のこと。フレスコ画がある聖堂上部の着工は1230年。フランチェスコと同時代の人々が生きている中でフレスコ画が描かれただけに、その信憑性は高いと考えられます。

s-spaccanapoli.jpg 【Photo】12月の Via San Gregorio Armeno サン・グレゴリオ・アルメーノ通り。所狭しとプレセピオをはじめとする人形が並ぶそこでは、一年中ナターレ気分に浸れる


 メルカティーニ・ディ・ナターレは、通常11月末頃からイタリア各地で立ち始めますが、例外もあります。それはナポリの下町「Spaccanapoli スパッカナポリ」のほぼ中心にある「Via San Gregorio Armeno サン・グレゴリオ・アルメーノ通り」のこと。ここは芸術性の高さで名高いプレセピオ・ナポレターノの職人街になっており、路地の両側には、プレセピオを扱う店が一年中開いているのです。夏場は開いている店が若干少なくなるものの、11月末ともなれば、プレセピオを求める人や観光客で細い路地はごった返します。ナポリの治安の悪さがとやかく言われたのは過去の話。1994年のナポリサミット以降、ナポリ市が本腰を入れて治安の回復に取り組んだ成果は着実に現れています。
s-nataleSGArmerino.jpgs-San_Gregorio_Armeno.jpg 
【Photo】人でごった返す12月のサン・グレゴリオ・アルメーノ通り

 スパッカナポリ地区では徒歩での移動となります。見事な体躯の肝っ玉母さん同士の会話や、頭上にはためく洗濯物に目を奪われるよりは、爆音を上げてすり抜けるスクーターにひるまず、"身の回りの物に注意を払っているぞ"というオーラを放ちながら歩みを進めましょう。そこはかつてスリの本場(?)といわれたナポリの下町。用心に越したことはありません。「Via Benedetto Croce ベネデット・クローチェ通り」を「Piazza San Domenico Maggiore サン・ドメニコ・マッジョーレ広場」まで来ると、真っすぐな通りの名が「Via San Biagio dei Librai サン・ビアジオ・デイ・リブライ通り」へと変わります。そこから300mほど進むと1800年に創業した「Ospedale delle Bambole オスペダーレ・デッレ・バンボーレ(=人形の病院)」という店があります。世界中から送られてくる傷んだ古い人形の修理をするのは、今年71歳になるルイジ・グラッシさん。人形修理専門店はナポリでもここだけです。
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【Photo】シルクハットを頭におどけてみせるルイジ・グラッシさん。71歳にしてこのやんちゃぶり(左)すわ! 猟奇事件発生か? いえいえ、修理を待つ人形の頭部です(右)
 
 ナターレが近くなると、サン・グレゴリオ・アルメーノ通りの店先には、ありとあらゆる人形が並びます。Natività 聖家族、Bambinello 幼子イエス、乳香を献ずるBalthasar バルタサール・黄金を献ずるMelchior メルキオール・没薬を献ずるCaspaer カスパールの三人からなる東方三博士、大天使ガブリエル。こうしたプレセピオの中核をなす人形はもちろんのこと、天使・羊飼い・生き生きとした表情の民衆の人形、周辺の風景や羊や馬・牛などの動物の人形など、あるわあるわ。そこではさまざまなジオラマのパーツが売られています。星が輝くもの・建物の窓に明かりが灯るもの・川が流れるものなどの細工をされたプレセピオがある上、店のディスプレーにも工夫を凝らしており、店頭で絵付けをする職人の姿を目にすることも。店めぐりをしているだけで、結構楽しむことができるはず。イタリア人の家庭では、毎年少しずつ買い足して、見事なジオラマを完成させるのです。

s-sacrafamiglia.jpg【Photo】丹念に手縫いされた衣装をまとった聖家族のプレセピオ・ナポレターノ。バロック絵画のようなドラマチックな構図と精緻な人形の表情は見るものの心を捉えて離さない
 
ほかにも、ナポリの伝統的な即興仮面劇に出てくる道化役「Pulcinella プルチネラ」【click!】はよく見かけます。プラスチックでできた土産用のもの(⇒ここでもMade in China は大活躍)は別にして、豪奢な生地を丹念に縫い合わせた表情豊かなガラスの目を持つ陶製の頭部にハンドペイントを施されたナポリの職人の手になる人形はお値段もそれなり。一体1,000エウロ以上もする芸術品のようなプレセピオ・ナポレターノもあります。近年では、イタリアでもクリスマスツリーを飾る家庭が増えてきたといいますが、敬虔なカトリック教徒が多い南イタリアでは、プレセピオがまだまだ健在のよう。
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【Photo】東方三博士。別売りの馬に跨れるよう、関節が動くように造られている(左)キリストが生まれた馬小屋にいたという牛と羊飼い(右)

 あまねく人々と神の子イエスが生まれた喜びを分かち合いたいと、山中の洞窟に聖家族の人形を供えた聖フランチェスコ。その無垢な心が生み出したといえるイタリアの素晴らしい習慣を絶やしてほしくない。そう願わずにはいられません。
 最後になりましたが、Buon Natale! Merry Christmas!

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2007/08/21

ヴェネツィアン・グラス

涼やかなワイングラスで乾杯 

 この夏、仙台では観測史上最高の37.2℃を、そして日本の最高気温記録を74年ぶりに塗り替える40.9℃を埼玉と岐阜で記録しました。ふぅ~、毎日暑い日が続きますが、皆さん夏バテしていませんか? こんな酷暑の季節、ワインラヴァーの方は15℃~18℃が適温とされるタンニンが多いブルボディの赤ワインよりも、白ワインや泡もの(=スパークリングワインの別称)を楽しまれることでしょう。白ワインの場合は8℃~9℃、スパークリングワインなら4℃~8℃の適温まで氷水を入れたワインクーラーで冷すと、より美味しく感じられます。その際、発汗による涸渇感を癒そうと冷凍庫でキンキンに冷しすぎるのはブドウ由来のアロマ(=香り)を封じてしまうので禁物です。

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【Photo】イタリア・ヴェネト州ヴェローナからヴェネツィアに向かう途中にある Illasi イラージ地区clicca qui 産のシャルドネ100%で仕込まれたFrizzanteフリッツァンテ(弱発泡)「Le Vacanzeレ・ヴァカンツェ」(=ヴァカンス)。日本での売価は1,000円前後と非常に手頃なので、その名の通りリラックスしたシーンでよく冷して気軽に楽しみたい

 泡もの=シャンパンと日本では捉えられますが、この「シャンパン」の語源は明らかにフランス・Champagne シャンパーニュ地方産の同名のスパークリングワインの名前からきています。シャンパーニュ産以外の泡ものは Vin Mousseux ヴァン・ムスー(≒泡のワイン)とひと括りで語る誇り高きフランス人の前で混同は慎みましょうね(^ ^;。シャンパーニュがシャンパーニュたる所以(ゆえん)は、
1 : ピノ・ノワール、ピノ・ムニエ、シャルドネの三種のブドウを混醸または単独で使うこと
2 : タンク内で一次発酵を終えたワインを瓶詰めする際、酵母と糖分を加え、「瓶内ニ次発酵」により炭酸ガスとアルコールを発生させ最低15ヶ月熟成させること
3:フランス・シャンパーニュ地方産であること の三点です。

2:の工程で発生する澱を除くために、斜めにして寝かせている瓶を何度かに分けて回し、-20℃ほどの塩化ナトリウム水にボトルの先を浸して凍らせた澱を炭酸ガスの力で飛び出させる作業が伴います。もとよりフランスのブドウ産地としては条件が厳しい最北に位置するシャンパーニュは、こうした手間を要するという理由から、概して価格が高めに設定されるようです。(注1)
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【Photo】イタリア・ロンバルディア州のフランチャコルタでは、「Metodo Classico メトード・クラシコ」ないしは「Metodo Tradizionaleメトード・トラディツィオナーレ」という、シャンパーニュ地方の修道僧ドン・ペリニョンが編み出した瓶内二次発酵を経て、澱抜きをする生産方式と同じ造りをしている

 かたや北イタリア・ロンバルディア州産の「Franciacorta フランチャコルタ」は、ここ20年でイタリア最高の発泡性ワインとして急速に名声を上げています。この辛口の Spumante スプマンテ(=伊産スパークリングワインの総称)は、ピノ・ネロ(ピノ・ノワールの伊名)、ピノ・ビアンコ(仏名ピノ・ブラン)、シャルドネの3種を使い、シャンパーニュよりも長い最低25ヶ月(うち 2:の瓶内二次発酵期間が最低18ヶ月)に及ぶ醸造所での熟成を義務付けられています。にもかかわらず、シャンパーニュと比べて値段が手ごろなのは嬉しいところ。産地は州都ミラノの東方80キロにある Brescia ブレッシャから Lago d'Iseo イゼーオ湖にかけてのエリア。(注2) シャンパーニュと同様の製法(ただし最低熟成期間は9ヶ月以上)で作られる割には高いコストパフォーマンスが魅力のスペイン産 Cava カヴァともども、泡ものの選択肢に加えてみてはいかがでしょう。

brachetto.jpg【Photo】チンクエテッレを経由してたどり着いたポルトヴェーネレのバールでひと休み。そこで飲んだのがこのグスタフ・クリムトが描いたニンフたちが舞うエチケッタが秀逸な「Brachetto d'Acqqci ブラケット・ダックイ」。奥のグラスを見ての通り、濃い目のロゼといった方が正確な色調をしたこのフリッァンテの生産者は、Nizza Monferratoニッツァ・モンフェラートにある Scrimaglio スクリマリオ。同社は FIAT や Alfa Romeo ブランドとのタイアップワインcliccca qui も手掛ける

 手間がかかる瓶内二次発酵を行わなわず、タンク内で二次発酵を行う醸造法が「シャルマ方式」。量産が可能なこの方法で作られる Piemonte ピエモンテ州産の甘口の白 Asti アスティ、同赤 Brachetto d'Acqqci ブラケット・ダックイ、イタリア北東部 Veneto ヴェネト州産の辛口白 Prosecco プロセッコは、おおよそ1,000円台のリーズナブルな価格で売られ普段飲みにピッタリ。瓶内二次発酵をさせる良質なスパークリングワインが持つキメ細やかな持続性の強い泡立ちには及びませんが、適度なボディと細やかな泡立ちを兼ね備えたプロセッコは、食卓のオールラウンドプレーヤーといえましょう。スパークリングワインの炭酸ガスは、ブドウ由来の酸味をより鮮明に浮き出させる働きをすると同時に、キリリとした辛口感を強調してくれます。

 スプマンテはガス圧が3気圧以上と規定されていますが、実際の製品は6気圧前後。「食事中に泡の強いスパークリングはちょっと・・・」という方もおいででしょう。そんな方にはガス圧が1~2.5気圧の弱発泡性ワインを意味する"Frizzante"とエチケッタ(=ラベル)に表記された白ワインはいかがでしょう。きっと涼やかなアペリティーヴォ(=食前酒)代わりにもなってくれます。モスカート(=マスカット)種の繊細な香りを残すためにアルコール度数を低く抑え(約5%)た Moscato d'Asti モスカート・ダスティは、食後のフルーツやドルチェと楽しむのにピッタリ。最良のモスカート・ダスティは特別な食事の最後を締めくくるのにふさわしいものです。

caudorina.jpg【Photo】3代目の現オーナー、ロマーノ・ドリオッティ氏が家族で営むカンティーナ(=造り手)「Caudrina カウドリーナ」のモスカート・ダスティ「La Galeisa」(日本未輸入)。完熟したマスカットのピュアで繊細な甘さ、クリーミーな泡立ちを備えた秀逸なモスカート。甘口のデザートワインが苦手な方でも爽快なモスカート・ダスティは美味しく飲めるはず。ピエモンテ州アスティ県 Isola d'Asti イゾーラ・ダスティのエレガントな☆付きリストランテ兼ホテル「Il Cascinalenuovo イル・カッシナーレヌオヴォ」にて

 スパークリングワインの細やかな泡を目でも楽しむのならば、細長いフルートグラスが一番。指先でグラスの脚を回すと、グラスの底から立ち上る幾筋もの細かな泡が螺旋(らせん)状に立ち上ってきます。ワインの特徴を味わうための機能を追及したワイングラスとしては、オーストリア製の「RIEDEL リーデル」が有名です。ブドウの品種ごとに細分化された幅広いラインナップを揃える同社のグラスは、どれも機能性優先の無機的なフォルムをしています。ひとつのワインをフォルムの異なるグラスで飲んでみると、微妙に味わいが変わって感じられます。赤・白各2種類ずつベーシックな形(クリスタルガラスを使用した主力の「vinumヴィノム」シリーズ 赤ワイン用⇒ボルドー&ブルゴーニュ、白ワイン用⇒シャルドネまたはソービニョン・ブラン&モンラッシェ。泡もの好きの方は前者いずれかとシャンパーニュまたはキュヴェ・プレスティージュ)を揃えれば充分でしょう。ガラスに占める酸化鉛の割合が25%以上のクリスタルガラスは、高い透明度と光の屈折率によって、まばゆい輝きを放ちます。乾杯の際には澄んだ音色と長い余韻をもたらしてくれるでしょう。

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【Photo】ヴェネツィアの中央を逆S字に貫く大運河 Canal Grande カナルグランデに架かる Ponte dell'Accademia アカデミア橋の上からサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂方向を望むと、カンツォーネを熱唱する歌い手を乗せたゴンドラが数艇横並びで進む映画のワンシーンような光景と出合った。光と水が織り成す多彩な表情を見せる水の都は、このような非日常のドラマチックな場面がよく似合う

 前置きが長くなりましたが、まずはこうした基本を踏まえた上で、今回の主役は機能性を追及するグラスと対極にある装飾性の高いワイングラスです。爽やかな白ワインにぴったりの軽やかで涼しげなこのグラスにまつわる物語の舞台は水の都 Venezia ヴェネツィア。そこはアドリア海の上に築かれた唯一無二の街です。"●●のベニス"という表現をされる都市がほかにいくつかありますが、"アドリア海の真珠"とも称えられる水の都の本家はさすがに格が違います。"北のベニス"ことブルージュやサンクトペテルブルグ、あるいは"東洋のベニス"こと蘇州やバンコクなどのように、数多くの運河や水路が縦横に刻まれているのではなく、街自体が Laguna ラグーナと呼ばれる浅瀬の海の中に木杭を打ち込んだ基礎の上に造られています。つまり海の上に人間が築いた、いわば海から生まれた街なのです。今もヴェネツィア市長には海に指輪を投げ入れて海との結婚を宣言するという、かつては共和国のドージェと呼ばれる元首が行っていた重要な儀式を執り行う役割が課せられます。世界広しといえどもこのような街が他にあるでしょうか。

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【Photo】ガラスの島ムラーノ島で。熱したガラス種を自在に操り、さまざまな表情を持つ製品に仕上げるマエストロの技は見事の一言に尽きる

 外敵の侵入を拒む天然の要害ラグーナの中に築かれたこの街が手に入れたのは、828年にエジプトのアレキサンドリアから二人の商人が持ち帰ったとされる聖マルコの遺骸だけではありません。1498年にヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を発見するまでは、欧州で珍重されたシルクや香辛料などの東方交易を通じて莫大な富を手に入れます。東方商人が去来したヴェネツィアの街は、サン・マルコ寺院のファサードを見ても明らかな通り、ビザンチンと東洋の香りを色濃く漂わせています。

impossibile.jpg【PHOTO】ムラーノ島のガラス工房直営のショップ。レース模様が鮮やかな緑色と交差する脚付きボウル(上段中央)や最もヴェネツィアングラスらしい色といわれる真紅の作品(中段)が目を引いた。ガラス職人が得意な作風によってクラシックなデザインからモダンなものまで店の品揃えの傾向が分かれる。世界的な観光地でもあるヴェネツィアゆえに、ムラーノ島のガラス工房直営店といえども「ベニスの商人」たちの値付けは強気。ヴェネツィア本島の方が概して安かったりするが、ムラーノ製以外(→Made in China )のものもあるので要注意

 15世紀から17世紀にかけてヴェネツィア共和国が欧州で独占したのが、つながりが深かったビザンチンから10世紀頃に伝わったとされるガラス製造の技術。紀元前1世紀のローマ帝国時代に現在のシリアで編み出されたとされる宙吹きガラス製法は、水の都で独自の発展を遂げ、ヴェネツィア共和国の重要な交易品となってゆきます。ガラス職人の組合ができた13世紀にヴェネツィアのガラス工房は本島の北1.5キロにある Isola di Murano ムラーノ島へと集約されます。これによって、火災の危険が伴う火を使う工房を本島から隔離し、高度な技術の流出を免れようとしたのです。以来、ヴェネツィアのみならず、イタリア国内では「ムラーノグラス」と呼ばれるようになりました。15世紀に生まれたエナメルの絵付け装飾を施した彩色ムラーノグラスは、当時の王侯貴族たちから大いにもてはやされます。鉛を用いる技法が生み出されるまでは困難とされた透明のガラス Cristallo クリスタッロの製造にこぎつけたのもこの時代でした。

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【Photo】腕の良いマエストロの手にかかったガラスほど薄くて軽い。ソーダガラスは彩色ガラスに加工しやすい特性がある。最も難しいとされる真紅のグラスは金の溶液を混ぜて、銅とコバルトの化合物を混ぜると青いガラスになる。ワイングラスのステム(=脚)にアップリケ装飾や白鳥・イルカなどの繊細極まりない装飾が施されたワイングラスの数々。便乗値上げが相次ぐ結果を生んだユーロ導入前の今から13年前に一脚2万円以上したこれらのグラス。ワイングラスという実用品よりも、むしろ芸術品の域に達している。日本に持ち帰るには破損のリスクが大きいので、喉から手が出るほど欲しかったが泣く泣く断念した
 
 ムラーノグラスは16世紀に最盛期を迎えます。花や星形の模様が幾つも並ぶ Millefiori ミッレフィオーリcliccca qui という技法や、大理石状に色とりどりのガラスが流紋を描く Marmo マルモ(=マーブル)ガラスclicca qui 、細長い色ガラス(白であることが多い)棒をガラス玉に巻きつけて交差したレース状の文様を付ける Retticello レティチェッロclicca qui、氷の裂け目のような細かいヒビをつけるアイスクラックという技法や、表面にさざなみのような筋をつける技術、金箔をガラス種に付けたまま吹き竿で膨張させて細かな金模様を付ける従来からの技法に加え、金粉を使用する方法など、今日も受け継がれるヴェネツィアン・グラスの伝統技術があらかた出揃いました。

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【Photo】無機的なクリスタルガラスではなく、ソーダガラスを使用したムラーノグラスは口当たりが柔らかい。ワインの色調を目で確認するためには、透明のグラスが好都合。ということで、筆者がムラーノで選択したのはこのワイングラス

 富の独占を目論んだ共和国の為政者は、ガラス職人に高い地位を与えました。ガラス職人の娘が共和国の有力者の子息と結婚するケースもあったとか。しかし職人たちがムラーノ島から外に出ることを決して認めませんでした。そのため親から子へと技は受け継がれてゆきました。華麗なムラーノグラスに対する需要は多く、16世紀以降は密かに島を抜け出して共和国の手が届きにくい英国やオランダなどに渡る職人も増え始めました。そうした職人の手になる製品はフランス語で"ヴェネツィア風の"を意味する「Façon de Venise ファソン・ド・ヴニーズ」と呼ばれたとか。

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【Photo】ゴンドラの漕ぎ手ゴンドリエーレの巧みな櫂捌きによって水面に刻まれる渦巻きを彷彿とさせるムラーノグラス

 刻々と変わる光の具合でさまざまな表情をみせる水に囲まれたヴェネツィアに暮らす人々だからこそ、かくも繊細極まりない芸術品のようなガラス工芸を生み出したのではないでしょうか。光と影が交差する運河の水の面は、ゆらめく万華鏡のよう。海水に浸食され朽ちつつある建物の外壁には、光を写してゆらゆらとうごめく水紋が反射しています。この町に暮らす人たちは、水に囲まれた暮らしの中で、さまざまな表情を持つ水を映し取ったかのようなガラスを作り出したのです。

 さて、今夜のワインはCampania カンパーニャ州の傑出した白ワイン用土着品種 Fiano フィアーノ種を造らせたなら三本の指に入るとの呼び声高い「Guido Marsella グイド・マルセッラ」の手になる「Fiano di Avellino フィアーノ・ディ・アヴェリーノ'04」。カンパーニャ州でも内陸部に位置する街Avellino周辺は、南のバローロともいわれる偉大なワイン「Taurasi タウラージ」の産地でもあります。街の北西、山裾のSummonteスモンテ地区にカンティーナ兼アグリツーリズモ「Marsella」はあります。オーナーのグイド・マルセッラ氏が10ヘクタールの畑でワイン造りを始めたのが1997年から。海抜700mを越える畑で育てられるブドウは、昼夜の寒暖の差が大きな厳しい気候条件のもとで、通常の顆粒より小さく、凝縮した高い品質のブドウとなります。マルセッラ氏が造るのは、フィアーノ・ディ・アヴェリーノのみ。生産1,500ケースだけの希少なこのヴィーノは、ソレント湾を望む南イタリアきっての名リストランテ「Don Alfonso 1890」のワインリストにオンリストを果たしています。

    
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 このヴィーノのために私が選んだのは、金粉装飾が輝く愛用の白ワイン用のヴェネツィアングラスです。ドラマチックに表情を変える劇場都市ヴェネツィアならではの華やかな雰囲気を漂わせる軽やかなムラーノのワイングラス。一方でワインを味わうための機能を極限まで理詰めで追求し、究極の「器具」を目指すゲルマン系のRIEDEL。方向性が全く異なるふたつのグラスを眺めるうち、「こんなところにも国民性が表れるのだなぁ」と、愉快になるのでした。

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【注1】シャンパーニュは、ブドウの自家栽培・自家醸造を行う小規模な Maison メゾン(=生産者)の手になる「レコルタン・マニピュラン」(RMとエチケット〈=ラベル〉に記載)と、買い付けたブドウや原酒も使い生産量も多い大手の「ネゴシアン・マニピュラン」(NMと記載)、日本にはほとんど輸入されない生産者組合の製品「コーペラティブ・マニピュラン」(CMと記載)などに大別される。作り手の個性が直接表れるRMは約4,800軒。かたやNMは280軒ほどだが、ごく最近まではNMが圧倒的に市場を支配していた。生産量全体の8割を占めるノンヴィンテージ(NV)シャンパーニュは、自家栽培以外の複数の原料を混醸し、一定の味を作り上げる場合が多い。作柄の良い年に生産されるヴィンテージ・シャンパーニュで最低3年、大手のNMが造る高級シャンパーニュ(プレステージ・シャンパーニュ)は最低5年の瓶熟を行うが、その分価格も釣り上がる。私見では酒質が値段に見合ったものかどうか、ブランドだけで選ばない方が得策

【注2】ブレッシャはイタリアサッカーファンにとって、史上5人目のセリエA 200ゴールの記録を持ち「イタリアの至宝」といわれたファンタジスタ、ロベルト・バッジョ【click!】が現役最後に所属したクラブの本拠地として記憶されている。バッジョ自身は生まれ故郷のヴェネト産スプマンテProseccoがお気に入りだと言っている。やはりイタリア人の郷土愛は強いようだ

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2007/07/23

モノづくり大国

 小さな子どもがボロボロになっても肌身離さず持っているぬいぐるみのように、どんな人にもお気に入りのモノがあるはず。使いやすさを追求した便利なモノ、コンパクトで多機能なモノ、デザインが秀逸なモノ etc...。技術革新が進んだ現代では、インターネットや燃料電池車のように、ちょっと前には考えられなかったようなモノすら私たちは生み出しました。
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【Photo】イタリア・トスカーナ州Monteplcianoモンテプルチアーノで立ち寄ったBottega del Rame(=銅製品工房)「Mazzetti」三代目の Cesare Mazzetti チェーザレ・マツェッティさん(66歳)。父から受け継がれた銅の加工技術と職人の誇りは、製品ひとつずつに注ぎ込まれる

 ものづくりが大きく転換したのは、18世紀後半にイギリスで始まった産業革命から。省力化・効率化による利潤の拡大を至上命題として、19世紀から20世紀かけて人類の生産効率は飛躍的に向上しました。市場の拡大によって資本が巨大化し、やがて大企業の論理が国家戦略と同義語となってゆきます。新たな富を生み出す市場と資源・労働力の確保のために、アジア・アフリカ諸国は英・仏・露・独・蘭ら西欧諸国によって次々と植民地化されてゆきました。19世紀末、大英帝国は地球上の陸地面積の5分の2を植民地化するまでになり、空前の繁栄を謳歌しました。やがて訪れた20世紀は、モノの豊かさへのあくなき希求が、戦争や格差・環境悪化といった負の現象も生み出してきたことを私たちは知っています。

 広大な国土が世界一の生産高をもたらす小麦や大豆・トウモロコシなどの農産物と、木材・鉄鉱石・石炭・石油の豊富な国内資源をもとに"モノが豊かな社会"を出現させたのは、アメリカ合衆国でした。鉄鋼・自動車・航空機などの産業が牽引したその国の豊かさは、大量生産・大量消費に支えられていました。新大陸へと渡った欧州からの移民たちは、開拓者精神を尊び、新しいものに価値を見出してきたのです。そこには、長い伝統を持つ彼らのルーツ、旧大陸こと欧州に対するアンビバレント(二律背反)な心理が働いていたのかもしれません。

 今日、GDP国内総生産でみるとアメリカがダントツで世界第一位。以下、その半分以下の数値で日本・ドイツと続きます。ひとたびは焦土と化した国土から復興を遂げた日本の躍進の原動力は、優秀な人的資源でした。高い品質の Made in Japan 製品は、電器・精密機器・自動車の分野で、世界市場を席巻しました。 Made in Germany 製品も高級自動車や化学・薬品・機械・精密機器などの分野で確固たる地位を確立しています。

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【Photo】豚肉を蒸し焼きにする銅鍋。すべてチェーザレさんが打ち出して形成する。鍋には四本の脚が付いており、姿がユーモラス。後述のワインクーラーともども欲しかったが、がさばるしスーツケースが重くなりそうだったので断念。小ぶりな型抜きをふたつ買い求めた

 20世紀末、自由競争経済がグローバルな広がりを加速させると、企業は生産コストを抑えて収益を上げる必要に迫られます。製造業の多くはアジア各地へと生産拠点を移してゆきました。それによって高い品質を売りにしていた日本やドイツは、製造コストを抑えつつ品質を維持するという命題と国内産業の空洞化という難題にも直面したのです。その中で、中国は安価で豊富な労働力を提供してきました。13億を上回る人口を抱える中国は、市場としても将来性が高いため、欧米の企業を中心に進出が進んでいます。この改革解放のうねりの中で、中国は世界市場に台頭し始めました。最近では、一部の粗悪な製品の事例が Made in China 全体のブランドイメージを失墜させています。それでも21世紀半ばには、現在のアメリカによる一極支配が崩れ、成長著しいBRICs(ブラジル・ロシア・インド・中国)が世界経済の命運を左右するだろうと指摘する見方も存在します。

 産業革命以降のマシンとコンピュータを駆使したモノづくりは、劇的に私たちの生活の質を向上させました。インターネットの登場によるIT革命は、更なる生活変革をもたらそうとしています。こうしてモノづくりの歩みを概観した上で改めて思うのは、実は私たちが追い求めてきたのは、暮らしの質的充実ではなく、量的な拡大だったのではないかということ。豊かなモノへの希求が推し進めた自由競争は、明と暗の側面を生み出しました。

 スピードと効率を尊ぶ経済的な成長に対する信仰は、今もなお私たちに根深く巣食っています。ほどよい人間的な尺度(Human Scale)を越えた先には真っ暗な闇が待ち受けている気がしてなりません。私たちは、高度な科学技術が破綻する場面を幾度も目にしてきました。ふと気が付くと、物質的な繁栄を謳歌してきた人類は、温暖化や人口爆発による食料と水の不足など、存亡にかかわる地球規模の環境変化にさらされています。

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【Photo】チェーザレさんは4歳の時から、お父さんや兄と工房で銅細工を作り始めたという。62年の職人としての歴史を刻んだ分厚い手に触らせてもらったが、がっちりと固く力強かった

 「ヒューマン・スケール」は、建築やまちづくりで使われる用語です。人間の体の大きさに適合して過大でも過小でもないこと、人間にとっての心地よさを大切にすることを指します。IT万能のようにいわれますが、私たちが生きているのは、バーチャルな仮想世界ではありません。モノは人間が使うもの。ボタンひとつで地球を滅ぼすことが可能な時代だからこそ、モノ造りにもヒューマン・スケールな発想が必要だと思うのです。その人間には、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚の五感が備わっています。人が使って心地良いモノは、人間が五感を駆使して生み出したものではないでしょうか。マスプロダクツではない人の手がかかったモノには、時としてファンタジーやインスピレーションという第六感も加わって、えもいわれぬ味わいが生まれます。

 ・視覚に訴える "フォルムが美しいこと"
 ・聴覚に訴える "妙なる響きを奏でること"
 ・触覚に訴える "肌触りが良いこと"
 ・味覚に訴える "美味しいこと"
 ・嗅覚に訴える "かぐわしさを放つこと"

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【Photo】歴史ある銘醸「Vino Nobile di Montepulciano ヴィーノ・ノビレ・ディ・モンテプルチアーノ」の産地で育った人ならではの自ら考案したという銅製ワインクーラーを手にするチェーザレさん。ローマ法王ヨハネ・パウロ二世にも銅細工を献上したことがあるという確かな技術は、ともに工房で働く息子さんに引き継がれている

 私は、この人類不変の価値観に沿ったモノつくりでは、イタリアこそが世界に冠たるモノ造り大国だと思っています。どこかしら人間臭さが感じられる Made in Italy 製品は、スペックだけでは語れない特別な魅力を醸し出します。それを支えるのは数多くのArtigiano アルティジャーノ(=職人)と、その域を超えMaestro マエストロ(=巨匠)と呼ぶにふさわしい誇り高き人たち。  いざ、麗しのモノ造りの国へ。

「水の都が生み出すヴェネツィアン・グラス」に続く 
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Giugno 2016
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