あるもの探しの旅

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2012/04/22

パスタに見る日伊の差異

(伊語表記)
Tempi di Cottura:Decidete voi secondo la cottura...Lasciteli al Dente
(日本語訳) 
調理時間:アルデンテかどうか、自分で判断して下さい

fusilli1_a_mano.jpg【Photo】パスタの聖地カンパニア州Gragnanoグラニャーノで「Fusillaiaフジッライア」と呼ばれる女性たちが細長い棒にパスタを1本ずつ転がしながら巻き付け、螺旋状に成形する根気の要る手仕事で作る「フジッリ・ラヴォラーティ・ア・マーノ」。形も長さもさまざま

 スローフード協会が、絶滅の危機に瀕する守るべき食材「プレジディオ(味の箱舟)」に指定するパスタとして以前ご紹介した「Fusilli Lavorati a Mano フジッリ・ラヴォラーティ・ア・マーノ」Link to backnumber。一本ずつ手巻きされ、長さ50cmほどにもなる螺旋状に仕上げる超・ロングパスタに関する後日談を、ショートパスタのごとく短かめにお伝えします。

 何を今更とお思いかもしれませんが、マ・マーやSHOWAなど、日本製のパスタには、例外なく5分・9分・11分などと茹で時間がパッケージ表面に明記されます。乾燥パスタでイタリア国内トップシェアを誇り、日本法人もある「Barillaバリラ」、日清フーズが取り扱うNo.2の「DE CECCO ディ・チェコ」、エスビー食品が販売する「AGNESIアネージ」など、イタリア製パスタのパッケージにも、6min,12minと、決め打ちで茹で時間が記されます。

fusilli2_a_mano.jpg【Photo】スパイラル状の曲線を描くフジッリ・ラヴォラーティ・ア・マーノ。表面にはブロンズダイス成形特有のザラ付きがあり、生地の押し出し成形時に中心に空く穴とあいまってソースがよく絡むが、まずはさておき低温長時間乾燥ゆえの小麦本来の香りを噛みしめたい

 イタリア料理がすっかり定着した最近では、日本でも輸入パスタの選択肢が増えました。パスタの街Gragnanoグラニャーノ産乾燥パスタの中で明治屋が取扱う「Garofaloガロファロ」のバックラベルには、「標準ゆで時間」という表現が使われ、少し幅が出ます。「Divellaディヴェッラ」「Voielloヴォイエロ」「Martelliマルテッリ」などもまた同様。

 ところが、東京圏で増殖中のイタリア食材専門店「Eatalyイータリー」で扱うグラニャーノで1848年に創業した老舗「Afeltra アフェルトラ」製パスタの表記は一味違います。調理時間を意味するTempo di Cotturaは、9/11min,8/11min など3分程度の幅があるのです。これは、好みの硬さをこまめに確かめるよう、作り手の自主性を求める個人主義のヨーロッパらしさであり、南イタリアならではの"緩さ"の表れともいえます。

fusilli7_a_mano.jpg【Photo】A Mano(=手作り)ゆえ、てんでバラバラでまとまりのないフジッリ・ラヴォラーティ・ア・マーノとは対照的に、機械成形されて行儀のよい規則正しい螺旋形をしたフジッリ・コン・ブーコ。その名が示す通り、中心にはBuco(=穴)が空いている

 その極みが、プレジディオに登録されるフジッリ・ラヴォラーティ・ア・マーノ。青銅製の金型で押し出しながら成形する一般的な乾燥パスタとは異なり、手で成形するこのロングパスタは、一本ずつ姿形が異なります。バラバラで型にはまらないそのさまは、まるでイタリア人(笑)。そんなパスタを食す前から、まず面食らうのが( ̄ ̄;)、バックラベルの調理時間表記です。

 同じ穴あきフジッリでも機械成形の「Fusilli con buco フジッリ・コン・ブーコ」は、9-11分と茹で時間が指定される一方、フジッリ・ラヴォラーティ・ア・マーノのパッケージには具体的な茹で時間の記載はありません。そこには今回の副題と日本語訳にある通り、Decidete voi secondo la cottura...Lasciteli al Denteと記されるのみ。これでは埒が開かないと輸入元のEatalyジャパンが作成したバックラベルの調理方法がコレ。

ricetta_fusilli_mano.jpg 茹で時間が15-25分。・・・10分も幅があるなんて...((((((( ;゚Д゚)))。緻密なドイツ人やマニュアル通りに動く生真面目な日本人には、なんともアバウトかつアンビリーバボーな指示に戸惑いが隠せないはず。

amerigo_clema_parmiggiano.jpg そこで慌てず騒がず対応するのが大人というものですぞ。この緩さを受け入れる人間的な幅がある方は、個性を尊重し臨機応変なイタリア向きです(笑)。15分を過ぎた頃合いを見計らって噛んでみてちょうど良いと感じたのが23分。

【Photo】イタリアきっての美食の街ボローニャ郊外Savigno サヴィーノにある「トラットリア・ダ・アメリゴ」併設の食品店「La Dispensa da Amerigo」のみならず、リバティ様式で統一されたこの有名トラットリアのレシピによるソース類やチーズペーストなどの食品はEataly各店でも購入可能

 味付けは、同じくEatalyで調達した近郊パルマで作られるパルミジャーノ・レッジャーノに地元エミリア・ロマーニャで冬季間採取される希少な白トリュフTartufo Bianchetto を少量加えたチーズペーストのソースにしました。スローフード協会が創刊したガンベロ・ロッソや、非スノッブを標榜するIL MANGIAROZZOなど、多くのレストランガイドで高い評価を受けるボローニャ郊外「Trattoria da Amerigo トラットリア・ダ・アメリゴ」Link to Website のレシピによるものです。

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【Photo】ラグーやチーズなどの濃いめの味付けでもしっかりとした存在感を示すフジッリ。千両役者同志を組み合わせた料理の相伴は、わずか5haの畑で栽培されるサンジョヴェーゼ90%+カベルネ・ソーヴィニヨン10%を、天才醸造家ルカ・ダットーマが持てる技量を惜しげもなく注ぎ込んで混醸したトスカーナ産ヴィーノ・ロッソ「Gaglioleガッリオレ'99」。シルキーで上質なタンニン。豊かな香り。そして長い余韻。セラーでの眠りから目覚めたこのヴィーノが、熟成の極みに差し掛かかりつつあることを黒ずんだエチケッタが物語る

 濃厚なクリームソースに負けない生半可ではないパスタの弾力と小麦の香り。小麦と水だけで作られるパスタをして、これだけの違いを生むグラニャーノの凄さ。多様な形状を持つパスタひとつにも、お国柄が表れるものですね。

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2010/07/11

Osteria di Eataly オステリア・イータリー誕生

スローフード協会ご用達
Osteria del Boccondivino オステリア・デル・ボッコンディヴィーノ直伝
深谷 政宏シェフのピエモンテ料理@EATALY 代官山

esterno_slowfoood.jpg イタリア・ピエモンテ州Bra ブラにあるスローフード協会本部が入る古びた建物の棟続きに一軒のオステリアがあります。中庭に咲く藤の花がテラスに伸びる二階にある店の名は「Osteria del Boccondivino オステリア・デル・ボッコンディヴィーノ」。イタリア語で美味なものを意味するBocconeとVino(=ワイン)を掛け合わせた造語です。気取らないオステリアらしく手頃な料金で良質なピエモンテ料理を提供するこの店は、1984年12月のオープン当初から、のちにスローフード運動の母体となる「ARCI アルチ」のメンバーと深く関わってきました。

【photo】小さな村 Bra ブラの一角にあるスローフード協会本部のある二階建ての建物の入口に架かるOsteria del Boccondivino オステリア・デル・ボッコンディヴィーノの看板(右写真)

Tonno_gallina_aceto.jpg【photo】わずか€19という良心的な価格でロビオーラ・ディ・ロッカヴェラーノのトマト風味ショートパスタにドルチェとカッフェが付くオステリア・デル・ボッコンディヴィーノのセットメニュー「Colazione di Lavoro n.1」にアンティパスト(=前菜)として組み込まれる雌鳥を使った伝統料理「Tonno di gallina all'aceto balsamico トンノ・ディ・ガッリーナ・アッラ・アチェートバルサミコ」は、その名の通りツナのオイル漬けのような食感が面白い(左写真)

 カルロ・ペトリーニ会長など協会本部のスタッフが昼夜を問わず食事に訪れるこの店は、スローフード運動が目指す理念を味覚で体感するにはうってつけといえます。トリノの南方約30kmの町、カルマニョーラ産の銀毛ウサギ「Grigio di Carmagnola グリージオ・ディ・カルマニョーラ」、200年来変わらぬ製法で作られる稀少なヤギ乳主体のチーズ「Robiola di Roccaverano ロビオーラ・ディ・ロッカヴェラーノ」、牛肉のタタキ「Carne cruda カルネ・クルーダ」や皿にとぐろを巻いた状態で供される名物ソーセージ「Salsiccia di Bra サルスィッチャ・ディ・ブラ」などで生食される「Vitelli Piemontesi ヴィテッリ・ピエモンテーズィ(= ピエモンテ牛)」など、絶滅の瀬戸際にある保護すべき小規模な生産者の手になる伝統食材「Presìdio プレジディオ(= 味の箱舟)」を用いた料理がメニューに並びます。

eataly_2010.6.19.jpg【photo】中庭で新型Lancia Delta の展示会が行われる傍らのオープンカフェで人々が憩うEataly代官山。左手がマーケットゾーン、右手1Fがカフェ・パスティチェリア、エノテカ。オステリア・イータリーはその2Fにある

 今年で創刊20周年を迎えたスローフード協会が発行する美味しい料理を手頃な価格で提供する約1,700軒を網羅するレストランガイド「Osterie d'Itala オステリー・ディタリア」のみならず、さまざまなガイド本に取り上げられるこの名店で1991年から9 年にわたり研鑚を積み、つい先ごろ凱旋帰国したのが、Masa こと深谷 政宏シェフです。スローフード協会が監修して2007年にオープンした「Eataly Torino イータリー・トリノ」国外初進出のショップとして2008年9月に東京・代官山にできた「Eataly 代官山」内のレストラン「Guido per Eataly グイド・ペル・イータリー」が、このほど「Osteria di Eataly オステリア・イータリー」としてリニューアル。深谷シェフがボッコンディヴィーノ仕込みのスローフード発祥の地・ピエモンテの味を提供する店として生まれ変わりました。

masahiro_fukaya.jpg【photo】オステリア・イータリーの厨房に立つ深谷 政宏シェフ

 海外展開第一号店となった代官山のほか、現在では日本橋・八重洲に3店舗を構えるEataly。国内最大規模のイタリア食材を取り揃えるマーケットゾーンのみならず、入手困難なイタリアパンを石臼挽きしたMulino Marinoのオーガニック小麦と天然酵母で焼き上げるベーカリー、バール・パスティチェリア、日本人初のAISイタリアソムリエ協会認定ソムリエの資格を持つ林 茂CEOがセレクトしたヴィーノがずらりと揃うエノテカ、素材の良さを実感できるイートインスペースなどから構成される代官山店を訪れた6月19日(土)は、オステリアとしてのオープン初日でした。
osteria_eataly1.jpg【photo】中庭に面した側が一面ガラス張りで明るく開放的な雰囲気のオステリア・イータリーは、シンプルモダンな内装にふさわしいオステリアとして生まれ変わった(右写真)

 ここぞとばかりに食材を買い込んだマーケットゾーン前の中庭を挟んだ二階にあるオステリア・イータリーは、ガラス越しに射し込む陽光が溢れるモダンな雰囲気。真紅のヴェネツィアンガラス製シャンデリアと、ランゲ丘陵の風景写真パネルが豊穣なる北イタリアの地へと来店客を誘います。マーケットで扱う食材を使用したこの日のメニューには、プレジディオ指定を受ける岩手短角牛のほか、比内地鶏といった東北産の食材がオンリストされていました。

arneis_eataly.jpg【photo】ハウスワインはピエモンテ州Roero DOCGの作り手Castello di Santa Vittoria の白ワイン Roero Arneis と赤ワイン Nebbiolo d'Alba 。グラス(500円)カラフェ(1500円)

 期せずして11時30分の開店直後に改装後一番乗りを果たしたため、深谷シェフやフロア担当の澤口 雅史さんに話を伺うことができました。Reggero レッジェーロ(1,800円)、Piccolo ピッコロ(2,800円)、Complate コンプレート(3,800円)のランチコース3 種から、アンティパスト・パスタ・ドルチェ・カッフェがセットされたレッジェーロとVini della casa(=ハウスワイン)のヴィーノ・ビアンコ「Roero Arneis ロエロ・アルネイス」をまずはお試しとグラスでオーダーしました。

Insalada_tonna.jpg【photo】素材の味を活かしたシンプルで毎日でも食べたくなる料理を提供したいと言う深谷シェフの手になる比内地鶏を使ったインサラータ・ディ・トンナは、ボッコンディヴィーノのエッセンスを色濃く感じる
 
 アンティパストは比内地鶏をマリネした「Insalata di tonna インサラータ・ディ・トンナ」。ピエモンテ料理というと、肉の脂を多用するものを連想しますが、これは全く違います。丸ごと4時間ボイルしてから一晩冷蔵庫に置いて処理したという比内地鶏の食感は、ふんわりあくまで軽やか。見た目といい味といい紛れもなくTonno(=イタリア語でマグロの意)そのもので、言われなければ鶏肉とは思わないでしょう。ボッコンディヴィーノでは、「Tonno di gallina all'aceto balsamico トンノ・ディ・ガッリーナ・アッラ・アチェートバルサミコ」という料理が登場します。上記参照〉直訳すると「雌鳥のマグロ・バルサミコ酢風味」といったところ。雌鳥を丸ごとボイルし、一晩おいてから肉をほぐしてオリーブオイルでマリネしたもので、ピエモンテでは伝統的な調理法のひとつです。

vesuvio_eataly.jpg【photo】アスパラガスとパンチェッタのヴェズーヴィオ・オイルとチーズ風味。ヴェスヴィオ山のような形をしたこのパスタは、有史以来噴火を繰り返すこの名高い火山にほど近い山あいの町Gragannoグラニャーノで作られる

 パスタはアスパラガスとパンチェッタを細かく刻み、オイルとチーズで軽く味付けした螺旋状の円錐形をしたショートパスタ「Vesuvio ヴェズーヴィオ」。パスタ作りに理想的な環境が整ったGragnanoグラニャーノ産ショートパスタは、挽きたての小麦のように香ばしく、その格の違いを見せ付けます。ドルチェはチョコレートが添えられたミルキーなジェラート。"モカで淹れた"と但し書きのあるエスプレッソには店のサービスでピエモンテの焼き菓子が付きました。

 ミシュランガイド・イタリア版で☆評価(⇒自国フランスでの☆☆レベルを意味する)を受けるトリノのリストランテ「Guido per Eataly -Casa Vicina【Link to website】」出身の若きシェフ、Enrico Panero エンリーコ・パネッロが手掛けたこれまでのGuido per Eataly 代官山の料理は、伝統をベースに軽やかで洗練された味付けを加えたものでした。

 スローフード運動発祥の地に9年間身を置いた深谷シェフを新たに迎え入れ、オステリアとして再スタートを切ったとはいえ、これまでの方向性から大きく転換する訳ではないようです。より多くの人に良質なイタリアの味に親しんでもらうことが今回のリニューアルの目的だと澤口さんは語ります。オイルやパスタなど素材のクオリティの高さと代官山という立地を考慮すれば、コストパフォーマンスもなかなか。素材に敬意を払った深谷シェフの味付けは、好感が持てるものでした。次回は岩手短角牛を味わうとしましょう。

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Osteria di Eataly オステリア・イータリー
住:東京都渋谷区代官山町20-23 代官山ラヴェリア2F (東急東横線 代官山駅より徒歩2分
Phone:03-5784-2739
営:Pranzo 11:30‐14:30 L.O.   Cena 18:30‐21:30 L.O.
   ◆夜のコース/ Stagione・旬のおすすめ 3,000円
             Tradizione・ピエモンテ伝統料理 4,800円
              Degustazione・プリフィックス 6,000円
日曜夜・月曜定休(祝日の場合は営業・翌火曜休)
URL:http://www.eataly.co.jp/osteria/index.html
E-mail:osteria@eataly.co.jp

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2010/01/02

ソムリエ from トリノ

スローフード宮城 食談会

 イタリア本国では日本で意味するところの全土にあまねく存在するイタリア料理が存在しないかわりに、質の高い郷土料理が各地に群雄割拠しています。そんなイタリアにあって、ピエモンテ州は屈指の洗練された食文化を誇ります。

tartufi_bianchi2009.jpg 名だたる産地の黒トリュフが寄ってたかっても及ばない唯一無二の強烈な芳香と希少性ゆえに重量あたりの単価が最も高価な食材「Tartufo bianco pregiato タルトゥフォ・ビアンコ・プレジャート(別名:Tuber magnatum Pico トゥベル・マグナトゥム・ピコ)=白トリュフ」。

 その濃厚な香りと霧に包まれる晩秋ともなると、白いダイヤモンドの別名をもつ白トリュフの最高の伴侶となるバローロ・バルバレスコといった高貴なヴィーノと共に味わおうという美食家が世界中から白トリュフの聖地Alba アルバを目指します。

【photo】日本での業務用仕入れ価格がキロ50万円(!)というピエモンテ州アルバ産白トリュフ「Tartufo bianco pregiato タルトゥフォ・ビアンコ・プレジャート」(写真右上) より香りと価格が控えめながら、イタリア中部トスカーナ、エミリア・ロマーニャ、マルケなどではアルバ産の代用品として珍重される「Tartufo Bianchetto タルトゥフォ・ビアンケット」 (別名:Tuber albidum Pico トゥベル・アルビドゥム・ピコ(写真手前))

 イタリア北部ロンバルディア州パヴィーア県Casteggio カステッジョからVarzi ヴァルツィ一帯のポー川沿いからアペニン山脈北端にかけての地域と、エミリア・ロマーニャ州Ravenna ラヴェンナ・ Forlì フォルリ・Bologna ボローニャ周辺、中部イタリア・マルケ州Acqualagna アックアラーニャ、トスカーナ州San Miniato サン・ミニアートなど、良質の亜種を含めた白トリュフの産地はイタリア各地にあります。

 自国のぺリゴール産黒トリュフこそがトリュフの頂点と信奉するフランス人はさておき、世界の美食家がひれ伏すのは、アルバ産白トリュフにとどめを刺します。香りと重量を失わせる大敵である乾燥を避けるため、リストランテではガラス製の蓋で覆われて登場するそれは、形こそゴツゴツとしたジャガイモのよう。カメリエーレがうやうやしく蓋を外すや否や周囲10mに立ち込めるクラクラさせるような強烈な芳香は、人生で一度は体験すべきもの。あの香りに浸れるなら来世はトリュフ犬に生まれ変わってもいいなぁ...。

castello-Costigliole.jpg 【photo】発祥の地トリノから1997年にコスティリオーレ・ダスティに移転。ブドウ畑に囲まれた小高い丘の上に建つ築1000年というCastello di Costigliole コスティリオーレ城にICIFの本部がある。内部は最新設備を備えた研修施設に改装されている

 ピエモンテ州の州都トリノから東へ伸びる高速A21を進むと、モンフェラート丘陵地帯で作られる発泡性ワインの一大産地として知られるAsti アスティ県へと至ります。アスティから10kmほど南下したCostigliole d'Asti コスティリオーレ・ダスティにある「ICIF イチフ(Italian Culinary Institute for Foreigners)【Link to website】」は、外国人のためのイタリア料理研修機関です。

 そこで学ぶ者には、美食の粋が集うピエモンテ州を中心とした一流講師陣による講習や生産現場の見学、提携先のレストランでの研修などのプログラムが用意されます。高品質のイタリア産食品やワインに肌で触れることで理解を深め、イタリア各地の郷土料理が世界に紹介され、真の姿を伝えることを目的に1991年に北イタリア・ピエモンテ州の州都トリノで設立された非営利団体です。

Daniela_ Costantino.jpg【photo】ダニエラ・パトリアルカさん(写真左)とコスタンティーノ・トモポウロスさん(写真右)

 リゾットほかピエモンテ料理を得意とする「OSTERIA Cucinetta オステリア・クチネッタ」橋本 俊シェフや、オーセンティックな正統派を志向する「Piu Sempre ピュ・センプレ」高橋 義久シェフなど、仙台にもICIFでの研修経験のある料理人がいます。

 ICIFの立ち上げに関わったのがDaniela Patriarca ダニエラ・パトリアルカさん。現在は1995年に設立した自身の会社「Italian Culinary Toursイタリアン・クリナリー・ツアーズ【Link to website】」で、イタリア各地を周遊しながら料理を学ぶ独自の研修スタイルを取り入れています。北は万年雪に覆われた4,000m 級のアルプスの峰々、南はアフリカ大陸から吹き付ける夏の季節風シロッコで灼熱の大地と化すシチリアまで南北1,200km、山あり海ありのイタリアは食の万華鏡さながら。同社の研修にはこれまでに600人以上の料理人とソムリエが参加しているといいます。

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 11月末から12月上旬にかけて仙台市青葉区一番町の「Antreffen アントレッフェン」で催された「スローフード宮城 秋の食談会」と同エクセルホテル東急が会場となった「宮城・ローマ交流倶楽部 クリスマスパーティ」のゲストとして、ダニエラさんとパートナーのイタリアソムリエ協会AISAssociazione Italiana Sommelier)公認のソムリエ資格を持つ Costantino Tomopoulos コスタンティーノ・トモポウロスさんのお二人が仙台を初めて訪れました。

【photo】「秋保そば愛好会」の佐藤 栄一会長

 スローフード宮城は、蕎麦をテーマに今年度活動しています。今回の食談会には、仙台市太白区秋保町野尻地区で在来種の「長治そば」を栽培する「秋保そば愛好会」佐藤 栄一会長が参加しておいででした。藩制時代、仙台と山形を最短で結ぶ二口街道の国境警護に当たる足軽集落であった面影を残す中山間地域の野尻地区では、戦前までコメを作らず、蕎麦を主食にしていたそうです。16回目を迎えた「そば祭 in 野尻」が11月3日に町内の集会所で催され、そば打ち体験(1500円/おひとり)のほか、在来種を使った手打ち蕎麦(500円)や、そばがきにあたる「そばねっけ」(350円)が提供されました。

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【photo】二口街道の最深部にある仙台市太白区秋保町野尻地区

 1613年(慶長13)、海外との交易を求めて宮城県石巻市月浦から帆船「サン・ファン・バウティスタ」でアカプルコを経由してローマへと渡航した慶長遣欧使節。その史実をもとに姉妹県となった宮城県とイタリア・ラッツイオ州ローマ県特産の葉物野菜「プンタレッラ」を宮城県丸森町で栽培する宍戸 志津子さんは、「食WEB研究所」のフードライターpuntamamma さんと一緒にお越しでした。宍戸さんのシャキシャキとしたプンタレッラは、この日アンチョビ風味のサラダで頂くことができました。

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【photo】宮城県丸森町でプンタレッラを栽培する宍戸 志津子さんは野菜ソムリエの資格を持つ生産者 

 日本食のイメージが強いそばですが、国内消費の8割近くは中国とアメリカからの輸入で賄っているのが実情です。滋味に乏しい痩せた土地でも栽培が可能で、播種から収穫までの期間が短いソバは、アジアからヨーロッパ、北米にかけて栽培される穀物です。スイス国境に近いイタリア最北部ロンバルディア州Valtellina ヴァルテリーナ渓谷には、トルコからサラセン人がそばをもたらしたといわれます。

 少なくとも17世紀初頭から栽培されているソバ「Grano saraceno グラーノ・サラチェーノ」を石臼で挽いた代表的なパスタ「Pizzoccheri ピッツォッケリ」がこの日は参加者に紹介されました。当Viaggio al Mondoでは、3年前にお年越しの話題として、標高800mを超える山あいの村ソンドリオ県Teglio テーリオが発祥とされるピッツォッケリを取り上げました。〈2008.1拙稿「すったもんだのお年越し」参照〉

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【photo】 中にチーズを詰めたそばがきを揚げたようなヴァルテリーナ地方の郷土料理「sciatt シャットゥ」(右写真)この日アントレッフェンで出されたピッツォッケリもチーズがたっぷりと使われていた(左写真)

luigi_gufanfnti.jpg そば粉と小麦粉を8対2の割合であわせ、平たいパスタ「タリアテッレ」のように形成し、ボイルしたジャガイモとキャベツと共に溶かしバターやチーズで味付けして食べられるピッツォッケリ。トウモロコシの代わりにソバを使う「Polenta taragna ポレンタ・タラーニャ」として食するほか、この地方で1300年以上の歴史を持つ牛乳製チーズ「Valtellina Casera ヴァルテリーナ・カゼーラ」、または「Bitto ビット」をそば粉に混ぜ込んで揚げた団子状の「Sciatt シャットゥ」など、寒冷な気候と痩せた土壌ゆえ小麦の栽培ができないアルプスのヴァルテリーナ地方では欠かせない穀物として珍重されています。

【photo】ルイジ・グファンティ社5代目のGiovanni Guffanti-Fiori ジョヴァンニ・グファンティ・フィオーリ氏。技術革新が成し遂げられた21世紀の今日でも、創業以来の技と伝統を受け継ぐチーズ作りにかける情熱は変わらない

 この日は、ソムリエのコスタンティーノさんがピッツォッケリとあわせる前提でセレクトした日本にはまだ紹介されていないイタリアワインと稀少な北イタリアのチーズを味わえるというので、早々に参加の意思を表明していました。当日はロンバルディア平原がアルプスの峰々と交わる絵ハガキのように美しい風景が広がる湖水地方で、Lago di Como コモ湖と並び称される景勝地Lago Maggiore マッジョーレ湖の南端にある町、Arona アローナで1876年に創業したチーズ工房「Luigi Guffanti ルイージ・グファンティ」社製のチーズ4種類が紹介されました。
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【photo】食談会で登場したチーズ4種。右上から時計回りにチヴィダーレ・フリウリ・ラッテリア、リコッタ・アッフミカータ・カルニカ、ビットヴァッリ・デル・ビット2008、ロビオーラ・ディ・カプラ

Robiola di Capra ロビオーラ・ディ・カプラ(ピエモンテ州ランゲ地方Roccaverano ロッカヴェラーノ村産。放牧されたヤギ乳のみを使用したソフト外皮チーズ。新鮮なうちはヤギ特有の柔らかな酸味と甘みを感じるが、一ヶ月以上熟成させると青草の香りが現れる)

Cividale Friuli Latteria チヴィダーレ・フリウリ・ラッテリア(オーストリア・スロヴェニア国境に近いフリウリ・ヴェネツィア・ジューリア州産のハードチーズ。「Lo Spadone ロ・スパドーネ」「Latteria del Diavolo ラッテリア・デル・ディアボロ」「Il Goloso イル・ゴローゾ」「Il Cividale イル・チヴィダーレ」などのタイプに分類される。牛の生乳または脱脂乳を使用)
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Bitto valli del bitto 2008 ビットヴァッリ・デル・ビット2008(ロンバルディア州ヴァルテリーナ地方産。Albaredo アルバレード渓谷からGerola ジェローラ渓谷地域にある標高1400m~2000m 級の山で放牧される牛の乳にOrobica オロビカと呼ばれるヤギの乳を10~20%混ぜる。世界でも類を見ない10年にも及ぶ長期熟成が可能だが、この日は2008年産を頂いた。スローフード協会がプレジディオに認定している)

Ricotta affumicata carnica リコッタ・アッフミカータ・カルニカ(フリウリの一部地域で作られる牛の乳清を煮詰めて作る柔らかな味わいが特徴のリコッタチーズを軽くスモークしたもの)

 これらのチーズとピッツォッケリにあわせるためにご主人のコスタンティーノさんが選んだのは、フリウリ地方産の白が1本・赤2本、ウンブリア地方産の赤1本の計4本(下写真)。3本は日本未輸入の作り手によるもので、私が飲んだ経験があるのは、日本におけるイタリア食品商社の草分け「モンテ物産」が扱うイタリア中部ウンブリア州の優良生産者「Colpetrone コルペトローネ」のSagrantino di Montefalco サグランティーノ・ディ・モンテファルコだけ。

vini_sfmiyagi2009.jpg 香りの強いビットとよく合う強靭な体躯を備えたサグランティーノ・ディ・モンテファルコは、ペルージャの南西モンテファルコ周辺で作られ、1992年にイタリアワイン法最上位のDOCG(統制保証原産地呼称)に昇格。タンニンが多い長熟向きの土着品種サグランティーノ種のブドウを陰干しして作られ、最良のものは30年を優に越える熟成にも耐えます。

 イタリア最東北部の港町Triesteトリエステは、随筆家 須賀 敦子の著作にも地名が登場します。通常の州よりも大きな自治権を与えられた特別自治州フリウリ・ヴェネツィア・ジューリア州の州都になっている人口20万人ほどのこの町は、女帝マリア・テレジアに港湾都市として整備されたハプスブルグ帝国時代の遺構を色濃く残します。

castelvecchio_azienda.jpg【photo】ヴェネツィア・ジューリア地方サグラーノ北方の高台にあるAzienda Agricola Castelvecchio のブドウ畑

 オーストリア領下で参戦した第一次世界大戦の激戦地となったヴェネツィア・ジューリア地域がイタリア領となったのは1918年。今でも歴史的・地理的につながりが深かった国の言語であるドイツ語・スロベニア語がイタリア語と共に飛び交う独特の雰囲気があります。第二次大戦後、ベルリンのように市街地の中をユーゴスラビアとの国境線が通っていた町Gorizia ゴリツィアでは、スラブ文化圏との辺境に来たと実感するに違いありません。

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【photo】ブドウの葉が色付く秋のカステルヴェッキオ醸造所と作り手のテラーネオ一家

 ゴリツィア周辺のCollio Goriziano コッリオ・ゴリツィアーノ地域は世界に冠たる白ワインの産地として、近年急速に名声を高めています。特異な風味で熱烈なファンがいる「Miani ミアーニ」「Radikon ラディコン」などは別としても、水晶のように繊細なワインを生むTerritorioテリトーリオ(=その土地の気候風土に由来する個性。仏語ではテロワール)の特質を感じさせる「Vie di Romans ヴィエ・ディ・ロマンス」「Jermann イエルマン」「Villa Russiz ヴィラ・ルシッツ」「Venica & Venica ヴェニカ&ヴェニカ」などを飲むだけで、理想的な栽培環境に恵まれたこの地域の白ワインがいかに素晴らしいかが、どなたでもお分かりいただけるはずです。

 ワインのほかオリーブオイル・ハチミツも生産する「Azienda Agricola Castelvecchio カステルヴェッキオ」は、ゴリツィアを高速A4方向に向かって南西に15kmほど進んだSagrano サグラーノの町外れでTerraneo テラーネオ家が40haの畑でブドウを栽培しています。

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 この日はトリエステの南、第二次大戦終結前はイタリア領であったイストリア半島地域に伝わるブドウMalvasia Istriana マルヴァジア・イストリアーナ(上写真/左側)が紹介されました。除梗したブドウに最小限の圧力を加えて雑味が出ないようソフトプレスし、ステンレスタンクで発酵させ若飲みに適した味に仕上げるこのワイン。2008年という一番新しいヴィンテージとあって微かに発泡しており、華やかなトロピカルフルーツのようなフローラルで上品な香りが広がります。

cantina_ivan_ragazzi.jpg【photo】Muzic ムージチの当主イヴァン・ジョヴァンニと二人の息子

  Isonzoイソンツォ川を挟んだゴリツィアの北方5kmの高台にあるSan Floriano del Collio サン・フロリアーノ・デル・コッリオの作り手「Muzic ムージチ」は、二度の大戦によって荒廃した16世紀まで遡る畑で1960年からムージチ家がブドウを育ててきました。

 当主Ivan Giovanniイヴァン・ジョヴァンニは醸造を学ぶ二人の息子ともどもワインに全情熱を傾ける生産者です。「Bora ボラ」と呼ばれる大陸からの風が昼夜の温度差を生む温暖な微気候にあるこの地域は、白ワインだけでなく、19世紀にフランスよりもたらされたカベルネやメルロの栽培に適しており、DOC(統制原産地呼称)Friuli Isonzo フリウリ・イソンツォに指定されます。この日紹介されたのがボルドー品種のカベルネ・フラン(上写真/右側)。その個性である植物的なニュアンスがあり、青草の香りがする熟成したロビオーラ・ディ・カプラとの好相性を見せてくれました。

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【photo】ダニエラさんからスローフード宮城に贈られたブォンリコルド協会の絵皿を手にする若生裕俊 同協会会長

 州都トリエステに次ぐ人口10万人の都市Udineウーディネから北西20kmには、繊細でとろけるような味わいの私が大好きな生ハム「Prosciutto di San Daniele プロシュット・ディ・サン・ダニエーレ」の産地として知られる「San Daniele del Friuli サン・ダニエーレ・デル・フリウリ」があります。Principe社のサイトで製造の模様をご覧あれ)

 彼の地ならではの個性を感じさせるヴィーノの作り手「Emilio Bulfon エミリオ・ブルフォン」は、フリウリ地方Pordenone ポルデノーネ県 Valeriano ヴァレリアーノの打ち捨てられた古い畑を再興し、16haの畑で白品種のCividìn・Sciaglìn、赤品種のCjanòrie・Forgiarìn・Cordenossa・Refosco del Peduncolo Rosso などの土着品種だけを栽培しています。

Emilio_bulfon.jpg 当主のエミリオ・ブルフォン(右写真)は、全てのワインに地元の教会に残る13世紀のモザイク画「最後の晩餐」をモチーフに自らデザインしたエチケッタを使用しています。

 この夜コスタンティーノが選んだのは、Piculìt Neri ピコリット・ネーリという土着品種100%のエキゾチックな赤ワイン。生き生きとしたブーケと若々しい味わいが印象的でした。
 
 数多くの日本人を迎え入れてきた親日家でもあるダニエラさんから、スローフード宮城に贈られたのが「Unione Ristoranti Buon Ricordo ブォンリコルド協会」がローマのレストラン用に製作している絵皿でした。

 Buon Ricordo( =伊語で「よき思い出」の意)とは、郷土料理の良さを食べる人に伝えたいという願いを込めて1964年に発足した団体です。およそ400年前、伊達 政宗の命を受けてローマに渡った家臣 支倉 常長の存在や、プンタレッラの特産化に取り組んでいる宮城とイタリアのご縁を意識したダニエラさんの心配りです。

decantare_costantino.jpg【photo】食談会の翌週催された宮城・ローマ交流倶楽部クリスマスパーティの席上、澱が出たオールド・ヴィンテージワインのデキャンタージュを実演するコスタンティーノ

 スローフード宮城の知人にワガママを言って本場の美味しいピッツォッケリを是非とも食べたいと事前に伝えていました。そこでダニエラさんにご用意頂いたのが、スローフード協会が「Cittàslow チッタスロー(スローシティ)」に指定しているソンドリオ県 テーリオで作られるMolino Tudori 製の乾燥パスタです。翌週行われた宮城・ローマ交流倶楽部のパーティでは、デキャンタージュの実演をご披露頂いたコスタンティーノいわく、この製造業者のピッツォッケリは大変美味しいとのこと。

 年越し蕎麦として頂こうかな、とも思いましたが、年末に訪れた鶴岡で、同市田川地区で作られるソバ粉100%の「鬼坂そば」を同小真木(こまぎ)にある「産直こまぎ」で入手、一家総出でご自宅脇のハウスで作業中の平田赤ねぎ生産組合 後藤 博組合長のもとを訪れて譲って頂いた収穫したての平田赤ねぎを薬味に頂きました。ピッツォッケリはそのうちチーズとバターで頂くとしましょう。

 イタリアン・クリナリー・ツアーズでは、これまで培ったプロの料理人やソムリエ対象の研修のノウハウを活かし、一般の日本人観光客がイタリアが誇るアチェート・バルサミコ・トラディツィオナーレやプロシュット類、オリーブオイルから200種以上あるブドウ品種から作られる多種多様なヴィーノなど、さまざまな伝統食材の生産現場を視察できる日帰りツアーやレストランでの料理講習などのイタリア本国で参加できるプログラムを用意し、日本における窓口を東京に設置しました。

pizzoccheri_valtelina.jpg ここぞとばかりにイタリアソムリエ協会AIS認定のソムリエに浴びせるマニアックな質問の内容から、イタリアワインに関する私の傾倒ぶりを見込まれ、コスタンティーノが「Carlo(→私のイタリア名)が次回トリノに来るのはいつだ? オレが車で小規模な素晴らしいカンティーナを案内するから必ず連絡をくれ」と言い出す始末。さて、どうなりますやら...

【photo】発祥地テーリオ製のピッツォッケリ
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イタリアン・クリナリー・ツアーズ日本窓口
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2009/12/23

io sono shozzurista ショッツリスト宣言

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地域資源こそ活性化の切り札
 男鹿・イタリア魚醤フォーラム2009

 11月22日(日)、秋田県男鹿市で伝統的な魚醤「しょっつる」で男鹿地域に活力を与えようという催しが行われました。県内外はもちろんのこと、イタリアと韓国からのゲストを含めて150名以上が参加して行われたこの催しを主催した「男鹿半島まるごと博物館協議会」は、男鹿地域の活性化を目指して地元に光を当てようと圏域の観光・商工団体・NPOらで今年3月に組織された団体です。

 同協議会では、内閣府が推進する「地方の元気再生事業」に採択された「男鹿半島『神の魚ハタハタ・地魚』復活プロジェクト」で、ハタハタをはじめとするアジ・イワシ・コウナゴなど男鹿の豊かな水産資源を起爆剤とした複合的な地域活性化に取り組んでいます。ここ一ヶ月間で彼らが仕掛けたハタハタとしょっつるに関する催しが立て続けに行われています。

 「おら家(え)のしょっつる料理博覧会」が行われたのが12月13日(日)。一口にしょっつると言っても使う魚の種類やその部位など、製法や熟成期間によって、さまざまな味があることが協議会による調査で改めて浮き彫りになっています。会場となった男鹿市脇元公民館には、仕込まれて44年を経たヴィンテージものなど多種多様な自家製しょっつるが集められ、興味深げに味見する来場者の姿が見られました。ハタハタを使う代表的な秋田の郷土料理「しょっつる鍋」と、しょっつるを使った伝統的な家庭料理「しょっつるなます」koushu_shotturu.jpg「ねりけもち」などに加え、新たな感覚を盛り込んだ創作料理、新旧あわせて15点ほどの紹介と試食も行われました。

 12月12日(土)・15日(火)の両日、男鹿市船川港の産直施設「かねがわ畑」で開催された「ハタハタしょっつる講習会」には各日30名が参加。男鹿地域で最もハタハタ漁が盛んな同市北浦在住で、自家製しょっつるを作り続けて40年というベテラン鎌田 妙子さん(75)が、熟練の技でしょっつる作りの手順を指南しました。自家製のしょっつる作りは初めてという参加者たちは、3年後の出来上がりを楽しみに旬のハタハタ10kgを仕込んだ樽を自宅に持ち帰りました。

 協議会がこうした一連の取り組みを仕掛ける背景には、かつて男鹿では当たり前のように見られた自家製のしょっつるを作る家庭が、現在確認されている限りにおいて、10世帯ほどしかなく、いずれも70歳以上の高齢者が作っているという現実があります。このままでは、伝統ある男鹿のしょっつる文化の多様性は数年後に失われてしまうに違いありません。

 tsugio_yamamoto.jpg hideki_sugiyama.jpg anna_ferrazzano.jpg 【photo】挨拶に立った男鹿半島まるごと博物館協議会 山本 次夫会長(左写真)とカンパーニャ州サレルノ県アンナ・フェラッツァーノ副知事(右写真)、冒頭の講演でショッツリスト宣言を発表する秋田県水産振興センター杉山 秀樹所長(中央写真)

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 こうした状況のもとで行われた「男鹿・イタリア魚醤フォーラム2009」のテーマは「魚醤文化の交流と、その利用法を探る」というもの。今や日本食はブームの域を超えて世界中へと広がりつつあり、もはや味付けのベースに醤油が欠かせない sushi、tempura、sukiyakiは世界共通語です。穀物から作られる現代の醤油のルーツと考えられる中国の醤(ひしお)は、魚や肉の動物タンパクから作られたもので、魚醤は醤油よりも歴史的には古いものです。中国で誕生した醤油を独自に発展させた醤油文化の本家を自認するニッポン人なら、そもそも魚醤が果たしてイタリアに存在するのか、いぶかしく思われる方もおいででしょう。

【photo】アンチョビやコラトゥーラに加工される地中海産カタクチイワシ。なかでもチェターラのイワシは形が小ぶりだという(右上写真)

secondo_squizzano.jpg rucia_di_mauro.jpg yukio_watanabe.jpg【photo】渡部 幸男男鹿市長の講演「男鹿の地域づくりについて」(右写真)セコンド・スクイッツァート チェターラ町長による講演「チェターラ市と魚醤」(左写真)父が創業したIASA s.r.l.を兄と共同経営するルチア・ディ・マウロさんの講演「チェターラの魚醤・コラトゥーラ」(中央写真)

 かつてイタリアには古代ローマ時代に広く使われた魚醤「Garum ガルム」が存在しました。帝政ローマ初期、初代皇帝アウグストゥスから二代ティベリウスの治世に美食家として鳴らしたApiciusアピキウスの料理本「De Re Coquinaria デ・レ・コンクイナリア」には、ギリシャ発祥とされる万能調味料ガルムに関する記述が残されています。紀元前8世紀から南部沿岸やシチリアを足がかりにイタリアへの入植を進めたギリシャ人は、カタクチイワシなどから作る魚醤の製造法をもたらしていたのです。ローマ帝国の滅亡とともに忘れ去られたガルムは、13世紀に「Colatura コラトゥーラ」と名前を変えて復活します。

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【photo】講演を終え、男鹿・チェターラ相互に贈り物の交換。男鹿には海洋都市ならではのイルカがモチーフとなったチェターラの紋章入りプレートが、イタリア側にはナマハゲの面と写真集が贈られ、大喜びのチェターラ市長とサレルノ県副知事(左写真) 魚醤の町という共通点を生かして今後も交流を続けることを誓い、固い握手を交わす両首長

 第二次大戦後、いち早く復興を遂げたイタリア北部・中部と比べて所得水準が低かった南イタリアの小さな漁村でも、1980年代以降はコラトゥーラを貧しさの象徴と考える風潮が広まり、16世紀まで遡るチェターラの魚醤を作る人がいなくなって、20年ほど前に一度は途絶えます。風前の灯火である男鹿の自家製しょっつると同じ状況が20年前にイタリアでも起こっていたのです。歴史ある魚醤コラトゥーラが人々の記憶から薄れかけた頃、21世紀に入って南イタリア・サレルノ県のアマルフィ海岸にある小さな漁村「Cetara チェターラ」で再び蘇ります。

Cetaramare.jpg【photo】今ではコラトゥーラの町としてイタリアで広く認知されるチェターラ。古代ローマ時代の魚醤ガルムの流れを汲むコラトゥーラと並ぶ町のシンボルは、アラブやノルマンなどの外敵から町を守ってきた写真中央の「Torre di Cetara チェターラ塔」

 その推進役となったのが、現職に就任して3年目というセコンド・スクイッツァート町長や「Associazione Amici delle Alici di Cetara チェターラ・カタクチワシ協会」を2002年に立ち上げたピエトロ・ペッシェ(pesce=伊語で「魚」の意。名は体を表す!会長、地元のリストランテ「San Pietro サン・ピエトロ」のフランチェスコ・タンマーロ シェフら、チェターラ人のアイデンティティーともいうべきコラトゥーラに誇りを持つ人々でした。伝統的な食文化の復興という共通命題のもと、彼らは各人各様の役割を果たしました。

forum_gyosho.jpg【photo】秋田県立大谷口吉光教授がコーディネーターを務めた魚醤フォーラム「しょっつるで男鹿を元気に」。コラトゥーラを使った料理で観光客増に結び付け、町の活力を得た経験に基づき、魚醤復活に奔走したイタリア側メンバーから、しょっつるを地域おこしに役立てようと一歩を踏み出した男鹿の人々に向けて、力強いエールが送られた

 2003年、スローフード協会はコラトゥーラを伝統的な製法で作られる保護すべき食材「Presidio プレジディオ」に指定します。これが契機となり、それまでは過去の遺物として忘れ去られていたコラトゥーラがメディアを通して広く知られるようになります。紺碧の地中海から切り立った断崖沿いにまばゆい太陽が織りなす絶景が続く世界遺産の「Costiera Amalfitana アマルフィ海岸」にあって、静かな漁村チェターラを観光客が訪れることなど、20年前まではあり得なかったのです。

pietro_pesce.jpg【photo】チェターラ・カタクチワシ協会ピエトロ・ペッシェ会長

 ♪ Vide 'o mare quant'e bello! Spira tantu sentimento,...(美しい海よ! 私の感傷を誘う...)と自分のもとを去った恋人に切なく語りかけるカンツォーネの名曲「帰れソレントへ」。その舞台となった港町ソレントからサレルノまでのおよそ50kmは、切り立った断崖が続きます。その間に点在するポジターノやアマルフィといった宝石のように美しい海辺の町の影に隠れていた人口2,400人の小さな漁村が、現在ではコラトゥーラを使った料理を目当てに足を運ぶ観光客で賑わっています。

amici_cetara@terra_madre.jpg【photo】2006年10月に開催されたスローフード協会主催の「サローネ・デル・グスト」。プレジディオの一角にあった「チェーターラ・カタクチワシ協会」のブース。右から5人目が今回来日した現町長セコンド・スクイッツァート氏、4人目がコラトゥーラ料理を提供するリストランテ「サン・ピエトロ」シェフ、フランチェスコ・タンマーロ氏

 今回のフォーラムには、イタリアからコラトゥーラを通して地域おこしに成功したチェターラ町長と、サレルノ県アンナ・フェラッツァーノ副知事ら行政関係者、コラトゥーラ復活の仕掛け人であるチェターラ・カタクチワシ協会ピエトロ・ペッシェ会長、イタリア初の瓶入りツナのオイル漬を商品化する一方で、木樽による伝統的なコラトゥーラの製法を守る「IASA s.r.l.(=有限会社)」の女性生産者ルチア・ディ・マウロさん、コラトゥーラを積極的に取り入れたチェターラの郷土料理を提供して人気を集めるリストランテ「サン・ピエトロ」のフランチェスコ・タンマーロ シェフらが来日。「こんだに大勢のイタリアの人がんだが男鹿さ来てけで...(=こんな大勢のイタリアの人たちが男鹿に来てくれて...)」と地元は歓迎ムード。

prodcut_colatura.jpg【photo】日本の漬物と同じく重石で蓋をした木樽で塩漬けにして仕込まれる伝統的なコラトゥーラの製法。4ヶ月を経過するとこうして宙づりにされ、樽の底に穴をあけてコラトゥーラが一滴ずつ集められる

 迎える日本側は、男鹿半島まるごと博物館協議会の山本次夫会長、渡部幸男男鹿市長、チェターラとの交流のきっかけを作り、ハタハタと塩だけで作る伝統的なしょっつるを復活させた「諸井醸造所」諸井秀樹代表、「地産地消を進める会」代表を務める谷口吉光 秋田県立大教授、秋田で幅広く活躍する料理研究家・米本かおりさん、試食会でフランチェスコとのコラボで料理を振舞った秋田市のイタリアンレストラン「Osteria Arca オステリア・アルカ」の作左部史寿オーナーシェフら多彩な顔ぶれが揃いました。

colatura_cetara.jpg【photo】IASA社製のコラトゥーラ・ディ・アリーチ

 20世紀初頭にアンチョビの製造を始めたディ・マウロ家。漁師であった父が1969年に創業した現在の会社を兄と営むルチアさんによれば、チェターラがあるサレルノ湾近海では、3月から7月上旬にかけてカタクチイワシ漁が行われます。サレルノ湾のイワシは小型で、特有の味を醸しだします。気温の低い夜間に漁が行われ、生きたまま加工場に運ばれてくるイワシの頭と内臓を除いて塩漬けするアンチョビと基本的な製法は同じ。閉じ蓋に重石を乗せた「Terzigno テルツィーニョ」という名の木製の樽で熟成させると、次第に液体が遊離してきます。木樽を使うことで独特の香りがコラトゥーラに移り、複雑味が加わります。仕込んでおよそ5ヶ月を経過した10月末から11月にかけて、樽の底に「avrialeアヴリアーレ」と呼ばれる道具で穴をあけ、したたり落ちる濃い琥珀色の液体を一滴ずつビンに集めます。100kgのイワシから10ℓのコラトゥーラが作られます。

    【コラトゥーラ作りの模様をまとめた動画
    

 このようにして作られる薫り高い調味料「Colatura di alici コラトゥーラ・ディ・アリーチ 」は、サラダや野菜の煮込みから魚料理、パスタ料理に至るまで、幅広く用いられてきました。カトリック教国イタリアでは、救世主の誕生を待ちわびる待降節の最後の晩には、伝統的に肉食を慎み、魚を食べる習慣があります。チェターラではクリスマスイブの晩餐に用いる特別な贈り物としてもコラトゥーラが珍重されてきました。午前中のフォーラムでは、一度は失われたコラトゥーラをいかにして地域活性化に結びつけたのか、自身の体験をもとにセコンド・スクイッツァート町長は成功のカギとして4つのポイントを挙げました。

● 原料となるイワシ漁に携わる漁師の暮らしを守ること
● コラトゥーラの製造者が品質にこだわった良いものを作ること
● 料飲店の協力を得てコラトゥーラを料理に取り入れ、人々に良さを理解してもらうこと
● マスメディアと連携して多くの人々にコラトゥーラの町チェターラを知らしめること


大きな地図で見る

 チェターラは世界的に知名度の高いアマルフィ海岸という絶好のロケーションにあります。加えて近くに人口15万人のサレルノ、105万人のナポリといった大きな都市があったため、多くの観光客を引き寄せることができました。一方でスクイッツァート町長は、共通の目標に向かって歩調を揃えるのが苦手なイタリアの国民性を克服する必要性を課題として挙げました。地域ごと独立した都市国家として競い合った歴史が長く、統一国家としては150年に満たないイタリア。やることがバラバラで好き勝手な立ち振る舞いはイタリア人の専売特許です。対照的に巧みなプロモーションを繰り広げ、日本で確固とした地位を築いたボルドーワインは別格にしても、イタリアにも1934年に発足し、ハードチーズの王様として世界に冠たる名声を得たパルミジャーノ・レッジャーノの生産者組合「Consorzio del Formaggio Parmigiano-Reggiano パルミジャーノ・レッジャーノチーズ協会」の例だってあるのですから。 Forza(=頑張れ) Cetara,forza colatura!

mangiare_cucina.jpg 【photo】コラトゥーラを使った南イタリアらしい郷土料理とカンパーニャ州のヴィーノやリモンチェッロなどのリキュールが用意された試食会場

 魚醤を使ったチェターラ料理が用意された試食会では、参加者が用意された料理に舌鼓を打ちました。作佐部シェフによれば、青魚を用いるコラトゥーラのほうが、ハタハタを使うしょっつると比べてパンチが利いた味だといいます。イワシと並ぶチェターラの重要な漁業資源であるマグロのオイル漬けとアンチョビが前菜に用意され、サン・ピエトロのシェフ、フランチェスコ・タンマーロさんが作った耳のような形状をしたパスタ「オレキエッテ」は松の実と一緒にコラトゥーラとオイルでシンプルに味付けしてあります。ハタハタやイカなどの魚介をオリーブオイルで素揚げしたフリットもコラトゥーラで味付けして頂きました。由利本荘市から参加した吉尾 聖子さんは、普段はしょっつる鍋でしか用いない魚醤の幅広い使い方が面白かったと感想を述べ、JR東日本の奥村 聡子観光開発課長は、土産品としてのしょっつるの可能性にも期待を寄せたいと語りました。

orecchiette_colatura.jpg antipasti_iasa.jpg fritti_al_mare.jpg 【photo】日伊のシェフによる料理が並んだ饗宴より。コラトゥーラ風味のオレキエッテ(左写真)IASA社製のオイル漬マグロとアンチョビ(中央写真)ハタハタほか魚介のフリット(右写真)

 1969年から韓国の魚醤「ミョルチッチョ」を済州島で作る魚醤生産者でもあるジャーナリスト、キム・チン・ファ氏と同島のシーフードレストラン「真味名家」を営むカン・チャン・クン氏も会場に駆けつけ〈clicca qui〉、海と共にある三ヵ国の人々が、共通項である魚醤を通して活発な意見交換が行われたフォーラムの冒頭で、かつて県の水産技師当時にハタハタの全面禁漁の必要性を漁師たちに説いてまわった秋田県水産振興センター杉山 秀樹所長から発表されたのが「ショッツリスト宣言」でした。

 今回のフォーラムは、秋田の人々にとって主なしょっつるの用途であるハタハタを用いたしょっつる鍋だけではない、調味料としての汎用性の高さを知ってもらう狙いがありました。宣言には、先人の知恵の結晶であるしょっつるを愛し、世界各地の食文化・歴史と深いかかわりを持ちながら存在する魚醤文化の普遍性を知り、新たな発想を取り入れることで美味しさを再認識し、行政・漁業者・生産者・料理人・消費者が結束して地域固有の食遺産を継承してゆこうという、高い志と強い決意が込められていました。

moroi_compact (187x250).JPG 300名以上の申し込みがあったフォーラムの参加者150名には、催しを主催した男鹿半島まるごと博物館協議会から「Myしょっつる運動」への参加が呼びかけられました。諸井醸造所が製造する秋田県産ハタハタのみを使用し、通常の5倍にあたる10年熟成させた「十年熟仙」が入った携帯用の小瓶が希望者に配布されたのです。固定概念にとらわれず、自由な発想でさまざまな料理にしょっつるを使う事で、普及と利用拡大を目指すこの運動の趣旨に賛同して、私も一本バッグの中にしょっつるを忍ばせています。以来、さまざまな食事にシュッと吹きかけ、しょっつるとの相性を試したり、知り合いの手に吹きかけて本物の香りを体験してもらっています。

【photo】さまざまな食事に使って下さいと「Myしょっつる運動」への参加を呼びかけ、主催者から希望者に配布された携帯に便利な小型容器に入った諸井醸造所製の10年熟成しょっつる「十年熟仙」(手前中央)

 チェターラの人々が成し遂げた"コラトゥーラ・ルネッサンス"とでも呼ぶべき取り組みは、忘れられていた郷土の味に新たな角度から光を当てたものです。諸井醸造所の諸井 秀樹代表は午後のフォーラムで、もっと地元の人々がしょっつるを使い、自信を持つことの大切さを訴え、アドバイザーとして参加した渡辺 幸男男鹿市長は、地元の人々が自由な発想で付加価値をつけて外に発信することの大切さを痛感したと述べました。ひとかたならぬ郷土愛に裏打ちされたお国自慢にかけてはイタリア人の右に出る民族は稀でしょう。

 コラトゥーラを通して活力ある町作りに成功したチェターラのセコンド・スクイッツァート町長が「現在の男鹿を見ていると数年前の自分たちの姿を見ているようだ。成功を信じて頑張ってほしい」と会場に呼びかけると、会場を埋めるショッツリストたちは拍手で応え、実り多いフォーラムを締めくくりました。
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2009/12/13

秋田の味「しょっつる」

「神の魚」
 復活にまつわる二つの神話

 
kanpuzan_22.11.09.jpg【photo】男鹿半島の中央に位置する寒風山頂から眺めた雲間から射す神々しい陽光に輝く日本海の南はるか彼方には鳥海山が遠望される(上写真)。標高355mの山頂からは、琵琶湖に次ぐ日本第二位の広さだった八郎潟の干拓事業で広大な耕作地が生まれた大潟村(下写真)がすぐ目の前。

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北に目を転ずれば世界自然遺産白神山地の山並みも一望のもと
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 ♪ コラ 秋田名物 八森ハタハタ、男鹿で男鹿ブリコ、アーソレソレ・・・。大館の「曲げわっぱ」や能代の「春慶塗」など、秋田音頭の歌詞に登場する秋田名物の冒頭に出てくるのが、県最北の八森漁港に揚がる魚偏に神と書く魚「鰰(ハタハタ)」と、奇習ナマハゲで知られる男鹿半島一帯がおもな産卵場となるハタハタの卵「ブリコ」です。海藻に産み付けられたブリコが冬の日本海の荒波で引き離され、海岸線に打ち上げられて波打ち際が茶褐色に染まる光景は、津軽・秋田・北庄内にかけての冬の風物詩です。

namahage_22.11.09.jpg【photo】秋田市方面から男鹿半島へと向かう船川街道沿いの「男鹿総合観光案内所(通称:なまはげ案内所)」前にある巨大な二体のナマハゲ。大晦日の晩、「わりご(悪い子)はいねがー、泣く子はいねがー」という怒声を上げ、出刃包丁を手に登場するナマハゲが体長15mまで巨大化したド迫力に思わず腰がすくむ。デカッ...!!(゚ロ゚)

 普段は沖合いの水深250m 近辺の日本海に生息するハタハタの漁期は、産卵のために海岸線近くの浅瀬まで上がってくる10月~12月。秋田県沿岸の八森・男鹿・象潟周辺はハタハタが好んで産卵するホンダワラ類の海藻が多く、稚魚のエサとなるプランクトンが豊富な好条件が整っていたため、その一帯がハタハタの主な漁場となります。秋田の人々は、雷鳴が轟く冬場になると、産卵のために接岸してくる通称「季節ハタハタ」を心待ちにします。そのためハタハタは魚偏に雷と書く「鱩」という字で、カミナリウオという別名もあるほど。雷神は「ハタタガミ」とも呼ばれることから、ハタハタの名の由来とも考えられています。

hatahati.jpg 【photo】産卵を控えた季節ハタハタのメスは、独特のぬめりを伴ったプチプチした食感のブリコを抱えているために腹部が大きい(写真上列に並ぶ4匹の右から2番目)。旬の白身の美味しさはオスに軍配が上がる

 沖合いの底引き網漁と接岸する季節ハタハタを狙う定置網と刺し網による漁によって、漁獲高が最も多かった1966年(昭和41)には、県全体で年間2万トンを超える水揚げを記録しましたが、沿岸整備による産卵環境の悪化や乱獲が影響して次第に水揚げが減少してゆきます。漁獲高が1万トンを割った翌年の1977年(昭和52)に4,500トンまで落ち込んだ水揚げは、1992年(平成4)には、わずか70トンに激減しました。

 そこで秋田の漁師たちは、世界でも例を見ない3年間の全面禁漁を実施し、漁業資源保護に乗り出します。ハタハタ漁で生計を立ててきた漁師にとっては、苦渋の選択でしたが、事態はあわや絶滅かという局面まで逼迫していたのです。生息数が一定の回復を見せた1995年(平成7)10月の漁獲再開後は、県の予測に基づく推計生息数の半分は資源として保護するために漁獲枠を設けています。'96年以降、青森・秋田・山形・新潟の4県は、体長15cm未満のハタハタを漁獲禁止とする史上初の複数県による漁業資源保護協定を締結。2,600トンの漁獲枠が設定された今年は、11月24日に男鹿半島北側の北浦港に初水揚げがあり、今月8日には秋田全域に季節ハタハタが接岸し、いま漁の最盛期を迎えています。

shottsuru_nabe11.12.09.jpg【photo】霞ヶ関の農水官僚が6億もの税金を投入して始めた「マルシェ・ジャポン」。事業仕分けで来年度の廃止が宣告され、ドボン!と沈没したこの意味不明な根無し草イベントと対極の発想で仙台のNPO「朝市夕市ネットワーク」が毎月運営する合同市。そこで入手した宮城県名取市の専業農家・三浦 隆弘さん自慢のかぐわしい根付きセリが入るある日の庄内系流「しょっつる鍋」。定番の子持ちハタハタ・豆腐・ゴボウのほか、加熱によって旨味と甘さが増す酒田市「平田赤ねぎ生産組合」が出荷する「平田赤ねぎ」を加える。味付けはハタハタ100%の伝統製法で作られる「諸井醸造所」のしょっつる。同じく伝統的な杉樽仕込みの鶴岡市羽黒町 亀の井酒造「くどき上手 純米吟醸 桶仕込」との相性は完璧!!

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 ハタハタ漁の再開以降、秋田県水産振興センターの手で人工授精が行われ、毎年400万尾から500万尾の稚魚が放流されています。人工授精は隣接する青森・鰺ヶ沢や山形・鶴岡などでも実施しているほか、現在では山陰から北海道にかけて行われています。護岸工事によって藻場が減少している海岸には、人工的にブロックを整備して藻場の回復を図るとともに、漁師が海藻を巻きつけた使い古しの魚網を設置するなどして、資源の回復に取組んでいます。こうした栽培漁業へ転換した効果が表れ、2002年(平成14)に秋田県の「県の魚」となったハタハタの県内漁獲高は3,000トン前後まで回復しています。

hatahata_sushi.jpg【photo】男鹿の正月に欠かせないハタハタ寿司。麹をたっぷりと用いていており、フナを使う癖の強い熟れ寿司とは違って、はるかに上品で食べやすい

 ウロコが無く加熱すると骨と柔らかなクセのない白身が簡単に離れるハタハタは、新鮮なら刺身でよし、おろし醤油で頂く湯上げでよし、塩焼きでよし、煮てよし、田楽でよしと、さまざまな味付けで食されます。師走を迎える頃から、正月を迎えるために秋田の一般家庭で作られるのがハタハタ寿司です。同じ発酵食品である日本酒と合う保存食としても親しまれてきたこの熟(な)れ寿司には、各世帯ごとの味があり、互いに交換して味自慢をするのだとか。

 同様に、かつて男鹿の各家庭で作られていたのが、ハタハタの生魚と塩を原料とする魚醤「しょっつる」でした。醤油がまだ高級品だった昭和初期まで、秋田・男鹿地方の家庭では日々の食卓で使う基本調味料、いわゆる「サ・シ・ス・セ・ソ」の醤油に代わる手前味噌ならぬ自家製の「手前しょっつる」を作っていました。しかしながら、今ではそうした自家製のしょっつるを作っているのは、男鹿市1万3千世帯のなかで把握される限りでは70歳代以上の高齢者がいる数十軒の家しかありません。多様なしょっつる文化は今や風前の灯火といわざるを得ないのです。

hideki_moroi.jpg【photo】諸井醸造所 3代目 諸井 秀樹 代表

 ハタハタの不漁による価格の高騰や3年に及んだ禁漁によって、男鹿のしょっつる製造業者は次々と廃業に追い込まれます。残った業者は安価に手に入る代替品のイワシやアジを使用したため、強い魚臭さが出るだけでなく、化学調味料を使用したり安価な東南アジアの魚醤や水を混入したしょっつるが出回るようになります。こうして塩とハタハタだけで作られる男鹿のしょっつるは、漁獲の減少とともに姿を消してゆきます。伝統的な本物の味が忘れ去られてしまうことに危機感を抱いたのが、男鹿市船川港にある「諸井醸造所」を営む諸井 秀樹さんです。1930年(昭和5)に創業した味噌・しょうゆ醸造元の三代目は、20年ほど途絶えていた男鹿伝統の味復活に向けて動き出します。それは1997年(平成9)、諸井さんが43歳の時でした。

spaghetti_hatahata.jpg【photo】淡白なハタハタを使ったスパゲティの味付けにも、ハタハタをの湯上げした茹で汁にしょっつるを加え、仕上げに10年熟成のしょっつるで香り付け 
 
 ハタハタを原料とする男鹿に伝わるしょっつるの製法は、熟練者の勘によるものだったため、体系的にまとまった資料が存在しませんでした。諸井さんには、家業を継いで10年目の1983年(昭和58)に自己流でしょっつる作りを試みたものの、断念した経験がありました。そこで諸井さんはパン生地の発酵に使われる「白神こだま酵母」を開発するなど、食品加工業者に対する技術指導や情報提供などを行う「秋田県総合食品研究所」応用発酵部門の協力や、自家製しょっつるを作っていた漁師の助言を得て、わずかに残っていた文献をひもといて試験醸造に着手します。ハタハタの浜値は現在キロ200円前後に低迷しており、諸井さんが漁師の生活維持を心配するほど暴落しています。'95年の禁漁明け直後の浜値はキロ3,000円を突破、'97年当時でもキロ1,000円以上もする高級魚と化したハタハタだけを使う諸井さんの取り組みは、採算をまったく度外視したものでした。

    hatahata_sale_shikomi.jpg moromi-08anno.jpg moromi-3anni.jpg
【photo】諸井さんが苦心の末に見出したのが「ハタハタ7:天日塩3」という黄金比率。1トンのハタハタから出来上がるしょっつるは500リットルに過ぎない(左写真) 前年に仕込んだばかりのタンクには、まだ原型を留めた発酵途中のハタハタがびっしり(中央写真) もろみは月に一度撹拌され、空気に触れることで発酵が促される。あとは時間が味を仕上げてくれる(右写真)

 無謀だという周囲の制止に耳を貸さず、伝統製法によるしょっつるの復活に没頭する諸井さんを突き動かしていたのは、本物だけがもつ美味しさと男鹿の風土に根ざした食文化を絶やしてはならないという使命感でした。新鮮な男鹿産のハタハタと男鹿の天日塩と混ぜ合わせて5トン容量のホーロータンクで漬け込み、月に一度だけ撹拌して熟成させること最低2年。気温や湿度などの気候条件が異なるもとで、なかなか思うような結果が得られず、雑菌が繁殖して腐敗させてしまい、泣く泣くタンク全量を廃棄処分した苦い経験もあります。幾度もの試行錯誤の末、ようやく完成をみたのは2000年(平成12)のこと。最初にしょっつる作りに挑んだ時から17年の歳月が経過していました。澄み切った琥珀色のかぐわしい液体を口にした昔のしょっつるを知る人は、「久しく忘れていた本物の味が記憶の底から蘇った」と諸井さんの労作を褒めたたえたといいます。

   moroi_tank.jpg moromi-10anni.jpg shotsuru-moroi.jpg
【photo】諸井醸造所では8 基のタンクでしょっつるを仕込んでいる。熟成庫には一切生臭さはなく、理想的な発酵がなされていることが窺える(左写真) 限定品の「十年熟仙」用のもろみ。白身魚特有の上品な味わいに磨きが掛かったしょっつるは全て布で漉した後、通常のしょっつるに施す加熱処理を加えず、通し番号の入ったボトルに詰められて出荷される(中央写真) 最低2年の熟成期間中に、魚体のタンパク質はグルタミン酸やアミノ酸成分に変化して旨味の詰まった原液に変化する。布で漉した澄み切った琥珀色を呈するハタハタ100%のしょっつるは、不快な魚臭さを全く感じさせないばかりか、加熱すると甘みが加わって味に深みを与える(右写真)

 近年のエスニックブームで、魚醤としてはタイのナンプラーやベトナムのニョクマムのほうが、むしろ日本では入手しやすく、その料理を口にする機会が多いかもしれません。醤油が広く普及した日本では、江戸初期以来の伝統に培われた魚醤は秋田のしょっつると石川県能登地方のイカの腑を原料とする「いしる」が残る程度。かつて日本三大魚醤といわれたコウナゴ(小女子)の稚魚イカナゴの生魚と塩を原料とする香川の「イカナゴ醤油」が、一般家庭の食卓からほぼ途絶えて久しい今、300年前からイカの塩辛を仕込む際に、「つゆ」と呼ばれる腑を仕込んだ魚醤を仕込みダレとして使っている酒田沖に浮かぶ飛島や、最近になって鮭を原料とする魚醤を作り始めた岩手県釜石市などの動きはあるにせよ、bottiglia-shottsuru.jpgハタハタと海塩から作られる男鹿伝統のしょっつるは、四方を海に囲まれた日本が誇るべき天然素材のみを用いた希少な食文化の遺産です。2006年(平成18)、スローフード協会は漁師が資源を回復させたハタハタから作るしょっつるを、絶滅に直面した保護すべき伝統食品を選定対象とする「味の箱舟」に登録しました。

【photo】八森漁港のおかみさんで組織する秋田県漁協 北部総括支所 女性部ひより会が製品化した「鍋通亭しょっつる」と並んで希少なハタハタ100%を貫く諸井醸造所の「秋田しょっつる」(130g・写真左) 醸造家の情熱と10年の歳月が作り出した魂の一滴を味わいたい「十年熟仙」(200mℓ・写真右 ※今年販売された1999年製造分は完売)

 去る11月22日(日)、秋田県男鹿市で「男鹿・イタリア魚醤フォーラム2009」が開催されました。今回の催しではギリシャ・古代ローマ時代の万能調味料「Garum ガルム」の流れをくんだ魚醤の生産者など関係者一行が男鹿を訪れました。そのきっかけは、ノンフィクション作家の島村 菜津さんが南イタリア・アマルフィ海岸の小さな漁村Cetara チェターラを訪れた際に出合ったカタクチワシ(=alice アリーチェ/ 複数形:alici)を原料とする「Colatura di alici コラトゥーラ・ディ・アリーチ」の存在を諸井さんに伝えたことでした。

slowfish_07genova.jpg【photo】2007年にジェノヴァで開催された「Slow Fish」には、スローフード協会が特に保護すべき食品「プレジディオ」に認定する20の海産物がブース参加。コラトゥーラの生産者らで組織するカタクチイワシ協会のコーナーでは、日本と同じ形状の木樽で塩蔵されるイワシの展示、コラトゥーラの試食が行われたArchivio Slow Food / Egidio Nicora

 2007年5月4日から7日の4日間、イタリア・リグーリア州ジェノヴァでスローフード協会が開催した「Slow Fish スローフィッシュ【Link to website】」では、海の生物多様性と持続可能な漁業、伝統的な魚食文化の保護に向けた意見交換などが行われました。この催しに「スローフード秋田」の会員として参加した諸井さんは、今回男鹿を訪れたチェターラのコラトゥーラ生産者らと出会い、意気投合します。コラトゥーラが地域活性化に果たす役割がいかに大きいものかを知るにつけ、その後も交流を続けてきました。次回 io sono shozzurista ショッツリスト宣言では、男鹿地域の人々にとって示唆に富んだ提言がなされたフォーラムの模様をお伝えします。

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諸井醸造所
住:秋田県男鹿市船川港船川字化世沢176
Phone:0185-24-3597
F a x:0185-23-3161
URL:www.shottsuru.jp
E-mail:shottsuru@basil.ocn.ne.jp
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2009/04/12

スローフードフェスティバルin庄内 Ⅱ 

【フェスティバル 2日目】
スローフードフェスティバルin庄内
庄内のごっつぉ祭

mt.chokai2009.3.jpg

【photo】フェスティバル二日目の3月8日朝、純白の雪に覆われた鳥海山が姿を見せた

 食の魅力を柱に地域資産を発信することで、地方に活力を取り戻そうと呼びかけたノンフィクション作家の島村 菜津さんによる講演とパネルディスカッション、スローフード全国大会といった座学がメインとなったフェスティバル初日。全国から集ったゲストにご挨拶するかのごとく、翌日は朝から純白に雪化粧した鳥海山が秀麗な姿を見せました。フェスティバル2日目は会場を鶴岡市藤島体育館に移し、おもに体験型のプログラムが前面に打ち出されていました。それらはイベントのサブキャッチフレーズにもあった通り、「食の都庄内を、見て、知って、味わいつくす」ことができるものでした。

festa_ fujishima2009.jpg 【photo】ひとつの催しとしては、地区始まって以来の人出とされる3,500名の来場者でごったがえす「食の都庄内フェスタ」会場。写真右側の「農水産フェア」コーナーには、庄内地方を中心に、数多くの地域性豊かな食品が並び、終日賑わいをみせた

 2日目の会場となった鶴岡市藤島地区(旧藤島町)は、鶴岡市との合併前の2004年(平成16)から、地元の食材を使用した料理コンテストや「食の都・庄内」親善大使を委嘱されたシェフの地産地消メニューの調理実演と試食などからなる「地産地消フェスティバル」を開催していました。合併後は「食の祭典inふじしま」と名称を変更して継続開催してきましたが、今年は県やスローフード山形などが誘致したスローフード全国大会の開催に合わせて、一段とスケールアップした"てんこ盛り"な内容となり、前年を大きく上回る過去最大の3,500名の来場者で賑わいました。

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【photo】壇上に揃い踏みした「食の都・庄内親善大使」3名。右よりレストラン欅総料理長 太田 政宏シェフ、前・東京第一ホテル鶴岡 総料理長の古庄 浩さん、アル・ケッチァーノ奥田 政行シェフ

 会場入口のロビーでは、稲藁で作られた大きな農耕馬が置かれ、稲作が盛んな藤島地域伝統の藁細工の実演に子どもたちが群がっています。私が到着した10時30分過ぎには、開場してまだ30分ほどだというのに、食の都庄内親善大使による料理ショーで作る料理の「おすそわけ」にありつける整理券はもう無くなっていました。現在はフードコーディネーターとして関西に活動の場を移した前・東京第一ホテル鶴岡 総料理長の古庄 浩さんが駆け付けて、久しぶりに3人が揃った会場前の広い駐車場がほぼ満杯状態だったので、「さては・・」と思っていたのですが、予感的中です。
osusowake_okuda.jpg furushou_osusowake.JPG osusowake_ota.jpg 【photo】おすそわけ3品。右より「藤島産アサツキとお米とズワイガニのキッシュ」、「庄内豚の黄金焼きジャンバラヤ添え」、「こんがり焼いた米沢雪菜と生ハム」

 用意されたおすそわけは、日本一のフランス料理店と称えられた「ル・ポットフー」伝説を築いた功労者である酒田市のフレンチ「レストラン欅」の太田 政宏総料理長の手になる「藤島産アサツキとお米とズワイガニのキッシュ」、古庄さんが「庄内豚の黄金焼きジャンバラヤ添え」、この日も協会の催しに駆出されて会場に遅れて登場したアル・ケッチァーノ(以下「アルケ」と略)奥田シェフの「こんがり焼いた米沢雪菜と生ハム」の三種。近年の過剰なまでのマスメディアへの露出によって、圧倒的に県外客の割合が増えたため、以前は大半を占めた地元の来店客がぐんと少なくなったアルケへの期待度が会場では高かったように見受けました。あらかた食べ尽くしたアルケではなく、太田シェフのおすそ分けにあやかろうと馳せ参じた私でしたが、一歩遅かったようです。前日、庄内町の響ホールでお会いした際、常連客の間でちょっとした噂になっていた3月引退説の真偽をご本人に直接確かめると、向こう2年間は契約を延長し、欅で引き続き厨房に立たれることを伺ったので、お預けとなった今回の分も含めてリベンジに伺うとしましょう。

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【photo】食の文化祭には、庄内一円のお母さんたちが作った家庭料理が大集合。海と山の幸を用いた食の都庄内のさまざまな味が並び、熱心にレシピをメモするお母さんの姿も

 3つのブロックに分けられた会場内の左側1/3は、この日午後に講演を行った民俗研究家の結城 登美雄さんが、かつて「近頃、隣の家のメシを食ってないなぁ」と、宮城県宮崎町(現・加美町)で提唱して始めた「食の文化祭」が再現されていました。庄内の山海の幸を使った家庭料理270点がズラリと並ぶスペースは、庄内地方一円の各農協・漁協に所属する一般の農家・漁師を営む家庭のお母さんたちが作るふだん着の家庭料理ばかり。飾らない器に盛り付けられた母の味は、伝統的な郷土料理から洋風のものまで実にバリエーション豊かです。熱心にレシピをメモするお母さんや、試食可能なコーナーもあり、それぞれの家庭の味を想像しながら、楽しく回ることができました。

degstazione_dashi.jpg 【photo】三種類の中からトビウオでとったダシ汁を当てるコーナーに立ち寄り、違いを味見する来場者

 会場の真ん中部分1/3は「食育フェア」ゾーンとして、地元で取り組んでいる食育の取り組みに関する展示やQ&Aコーナーになっていました。ブラインドで出される三種類のだし汁の中から、酒田沖に浮かぶ飛島特産のトビウオを炭火で炙り焼きにして天日干ししたトビウオの焼き干しのだし汁を当てるクイズコーナーがあったので、挑戦してみました。トビウオ以外は、だしの素とシイタケのだし汁とのことでしたが、香りと味の深みが三者三様でまるで異なります。三種類とも言い当て、ここは庄内系の面目を保つことができました。daitokuji.jpg展示の中で興味深かったのが、年に数回、ほぼ全ての材料を地元産の食材で賄う「オール鶴岡産デー」を実施、生産者が子どもたちと食事を共にする学校給食を実施している鶴岡と藤島の給食センターの紹介でした。なぜなら鶴岡は学校給食発祥の地でもあるからです。

【photo】僧侶の発案と心優しき市井の人々の善意によって、我が国初の学校給食が行われた鶴岡市の大督寺門前には、その旨が刻まれた石碑が立つ

 1889年(明治22)、歴代庄内藩主酒井家の菩提寺でもある大督寺に私立忠愛尋常小学校が開設されます。学制施行後間もない当時、男子37名・女子14名の児童の中には、満足に朝夕の食事すらとれない貧しい家庭の子もいたといいます。弁当を持参できない子どもたちのために、僧侶たちが托鉢(たくはつ)で集めたコメや浄財をもとに寺の庫裏で食事を作り、提供し始めます。こうして日本初の学校給食制度が鶴岡で生まれた背景には、冬場の厳しい気候の中で培われた相互扶助の精神がこの地には脈々と息付いている点が挙げられます。給食制度誕生から一世紀の時を経た1989年以降、塩おむすびと焼き魚、漬物からなる当時の給食を再現した「おにぎり給食」が12月の給食記念日に実施され、今日に至っています。
yonezawa_yukina.jpg【photo】 白菜のような淡い香りとかすかな苦味が残る米沢雪菜を扱っていた米沢雪菜生産組合の販売ブース。生の雪菜は午前中に売り切れ、試食に出ていた「ふすべ漬」も人気だった 

 もっとも賑わいを見せていたのが「農水産フェア」のゾーン。庄内エリアの各産直施設や生産者団体による販売ブースが並びます。なかにはスローフード山形の会員となっている出展者もおり、スローフード協会が保護すべき個性的な食品として「プレジディオ(味の箱船)」に認定している山形内陸の置賜地方に伝わる「花作ダイコン」や「米沢雪菜」のほか、「紅大豆」や「平田赤ネギ」などの在来種といった希少な品々も見られます。前日のパネルディスカッションに登場した齋藤 武さんの鳥海山麓 齋藤農場製の彦太郎糯を使った丸餅と米麺を扱うのは、遊佐町の道の駅「ふらっと」にある産直「ひまわりの会」会長の伊藤 美根子さん。ご子息の伊藤 大介さんは、斎藤さんと共に「ままくぅ」のメンバーとして23種もの珍しい品種を含むコメ作りに挑戦中です。伊藤さんがハウス栽培する瑞々しさがはちきれそうなパプリカもまた絶品。岩ガキが旬の夏場に「ふらっと」の産直で扱うので、輸入物はもちろんのこと、他との味の違いをぜひ一度お試しを。

hikotarou_mochi.jpg 【photo】ご子息の大介さんと面影が重なるお母様の伊藤 美根子さんが店頭においでだった産直「ひまわりの会」店頭で扱っていた鳥海山麓 斎藤農場の丸餅と米麺。買い求めた「米の麺」は、滑らかなツルっとした食感と適度なコシがあり美味。

 旧朝日村(現・鶴岡市)ご出身で、天然の山菜やキノコ類など山の幸を専門に取り扱う鶴岡の卸問屋「山菜屋【Link to Website】」に嫁いだ遠藤 初子さんとは、アルケを支える生産者の会などで幾度かお会いしていました。フェスティバルのメインホストであるスローフード山形の会員でもある遠藤さんは、初日から慌しく会場を飛び回っておいでです。そんな遠藤さんにお薦め頂いたのが、強壮効果の高いヤマブドウと、ボルドー原産の赤ワイン用ブドウ品種カベルネソーヴィニョンを掛け合わせた交配種「山ソーヴィニョン」の果汁100%ジュース「山想(やまそう)」。山里に生まれ育ち、故郷の山には思い入れが深い遠藤さんらしいネーミングです。聞けば「ごっつおだの、もっけだの」でご紹介した鶴岡市越中山(えっちゅうやま)産のブドウを原料に、産直あぐりの加工施設「加工あぐり」で作ったのだそう。除梗した完熟山ソーヴィニョン150kgから70ℓしか搾れなかったといいます。購入した200mℓ入り(1,200円)の原液は、濃厚な色あいながら山ブドウ特有の酸味はなく、野趣を感じる山のエキス成分たっぷり。ストレートはもちろん、オンザロックやソーダ水を加えても良さそう。レストラン欅では、コーンスターチを加えてとろみを出し、ソースとして活用しているそぅす。
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【photo】 遠藤さんが故郷の山への愛着と山の恵みへの感謝の気持ちを込めた山ソーヴィニョン果汁100%の「山想」

 平田赤ねぎ生産組合の販売ブースには、一昨年、庄内農業高校の農業専攻科を修了して組合に加入した高橋 直希さんの元気な顔も見えます。米沢雪菜の浅漬け「ふすべ漬け」を目当てに会場を訪れた研究熱心な月山パイロットファームの相馬ご夫妻には、奥様の弟さんがおいでだったJA鶴岡のブースでだだちゃ豆ソフトクリームをご馳走になってしまいました。いやはや、今回ももっけです。

sasamaki.jpg【photo】もち米を笹で包んだ姿形は似ていても、地域によって味付けや使用する具材が異なる庄内地方の笹巻きの展示

 地域ごとに特徴ある庄内各地の「笹巻き」を展示するコーナーでは、幅広い地域コンテンツを発信する庄内情報サイト「庄内を遊ぼう!」(Link to Website)を運営する Ikoさんが笹巻きを撮影しています。かと思うと、在来作物を写真に収める労作に取り組んでおいでのプロカメラマン東海林(とうかいりん) 晴哉さんは、山大農学部の平 智先生と子どもの成長を願うひときわ大きな「七つ祝いの笹巻き」を撮影中。笹巻き作り体験コーナーでは、作り方の指南を受けるアルケ奥田シェフの姿も。そのうちリゾットを笹巻きにした新作の創作イタリアンが登場するかもしれません。一同のもとに展示された笹巻きについては別途機会を設けてご紹介します。笹巻きを作るシェフの手元をTVカメラで撮影するのは、6年前にイタリア・マルケ州への同行取材でご一緒したYBC山形放送の佐藤 嘉一さん。sasamaki_okuda.jpgTVメディアでは、いち早くアルケに注目したジャーナリストです。銀座進出を推し進めた前知事が落選するという紆余曲折を経て、4月30日(木)にオープンする山形県のアンテナショップ。そこに併設される奥田シェフがプロデュースするレストラン「YAMAGATA San-Dan-Delo ヤマガタ サンダンデロ」(=「山形産なんでしょ」を意味する北庄内の方言)開店に向けた動きを取材中とのこと。

【photo】笹巻き作り名人に作り方を教わる奥田シェフ

 会場二階では、「やまがたの味を知る」をテーマに3つのセミナーが行われました。鶴岡市の漬物屋「本長」の山崎 敬三 品質管理室長による保存食として発達した「庄内の漬物、今・昔」と題するセミナーに続いて、山形県川西町特産の「紅大豆」に光を当てた山形市の豆腐店「仁藤商店」仁藤 齊 社長の「こだわりの豆腐づくり」、藤沢文学に登場する郷土の素材を使った「海坂弁当」を実食しながら昼食時間に行われたのは「藤沢周平文学に見る庄内の食」。藤沢 周平の短編小説「三年目」に登場する鶴岡市三瀬の老舗旅館「坂本屋」の石塚 亮 9代目当主が庄内の食文化について語りました。藤沢文学に造詣が深い石塚氏は、藩内巡行の折に立ち寄った庄内藩10代目藩主 酒井忠器(ただかた)公に献上した料理を文献をもとに「献上膳」として再現。魚介に関する豊かな見識と確かな技能を持ち合わせた「庄内浜文化伝道師マイスター」の肩書を持つ料理人です。

benidaizu.JPG【photo】山形内陸置賜地方、川西町在来の「紅大豆」は小豆よりも濃い赤と甘みが特徴の大豆

 午前中は一階アリーナで「食の都庄内を、見て、知って、味わいつくす」ことに集中した私が聴講したのは民俗研究家の結城 登美雄さんによる講演「地域で支える農漁業-食糧危機に備える」でした。地域とは家族の集まりであり、英語のFamily はFarmer と同じ語源のラテン語Familia から派生した言葉であることから、家族とは「共に耕し、共に食べる者」を指すと切り出した結城さん。東北を中心に数多くの農漁村へ出向いてその地の暮らしをつぶさに見詰めてきた結城さんが民俗学の祖と仰ぐ宮本 常一の「自然はさびしい、しかし人の手が加わると暖かくなる」という言葉を引き合いに出しました。私たちが何気なく目にしている田園風景は、地を耕す人がいてこそはじめて維持されます。日本各地で増え続ける耕作放棄地28.4万haのうち、13万haは原野化が進み、農地への復元が不可能であることが、つい先日農水省より発表されました。

dottore_ yuuki.jpg【photo】 示唆に富む結城 登美雄氏の講演に聞き入る聴講者

 コスト効率を追求するあまり、中国を始めとする海外に依存することで、"食の100円ショップ"化を推し進めたこの10年。宮城県では、2006年時点で時給628円と労働基準法が定める最低賃金にすら遠く及ばない256円の対価しか手にできない農業者は、年々減少の一途をたどっています。1970年に1,025万人だった農業者は、2007年の統計では317万人にまで落ち込んでいます。海洋資源の枯渇と肉食の普及に伴う魚離れ、沿岸漁業の衰退によって、漁業者は同じく57万人が21万人に減少。しかもその担い手の70%は60歳以上、45%は70歳以上の高齢者が支えています。私たちが生きてゆくための糧を生みだす善き隣人をないがしろにしてきたツケが、命を繋ぐ耕土の荒廃と地方の衰退をもたらしています。とりわけ厳しい耕作条件のもとにある山形県有数の豪雪地帯、最上郡大蔵村。名湯肘折温泉に向かう手前の山あいにある「四ヶ村の棚田」では、高齢の稲作農家がコメ作りを続けることが困難となり、日本の棚田百選にも選ばれた棚田が存亡の危機にあります。結城さんが語るように、棚田が美しい風景を作り出している四ヶ村は、観光地などでは決してなく、コメを作って生計を立てるために営々と人の手で作られてきたことを忘れてはならないのです。

tanada-Shikamura.jpg【photo】大蔵村四ヶ村地区の棚田。山あいの4つの集落からなる世帯数100戸ほどの四ヶ村で、斜面に開墾された120haの棚田が守られてきた。国による生産調整と農家の高齢化により、現在では耕作放棄率が30%を超える。民間の有志によって「四ヶ村棚田保存委員会」が平成14年に発足し保護活動を行っている

 農水省は40%前後に低迷する日本の食料自給率の向上に躍起ですが、現状では改善の兆しすら見えません。一向に実効を伴わない霞ヶ関の施策に見切りをつけた結城さんが始めた試みが、世界的な広がりを見せているCSA(Community Supported Agriculture「地域が支える農業」)の考え方と相通じる「鳴子の米プロジェクト」【Link to Back number】でした。結城さんは家族のものと推定される弥生時代中期、2000年前の水田跡に残された6人の男女の足跡が発見された青森県南津軽郡田舎館村(いなかだてむら)の垂柳(たれやなぎ)遺跡を引き合いに出して、本州最北の厳しい気候風土の中にあっても、そこで暮らす人々は、コメと共に生きてきた事実に言及しました。淡々とした語り口ながら、予定された2時間を越えて聴講者に食を通した根源的な問いかけを続けた結城さん。その言葉の重みを胸に会場を後にしました。

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2009/03/22

スローフードフェスティバルin 庄内

【フェスティバル初日】
09年 スローフード全国大会
食の都庄内フェスタ

slow_food_festa.jpg 【photo】大会初日の会場となった庄内町響ホールでのパネルディスカッション

 去る3月7日(土)・8日(日)の二日間、山形県飽海郡庄内町と鶴岡市を会場に「スローフードフェスティバルin庄内」と銘打ち、「'09年スローフード全国大会 食の都庄内フェスタ」が行われました。主催はスローフードジャパンの国内47コンヴィヴィウム(=地方組織)のひとつスローフード山形と、山形在来作物研究会、庄内総合支庁、庄内地域2市3町と各農協、県漁協らで組織された食の都庄内フェスタ実行委員会。「待ってるからねー」を意味する庄内弁「待ってっさげのー『食の都庄内』スローフードの郷(さと)・発見!」をキャッチフレーズに催されたプログラムに参加しました。

Arcevia@alche06.JPG 【photo】2006年3月に開催された「地産地消とスローフードの祭典」の歓迎ディナーで。イタリア・マルケ州から訪れた食に関するプロフェッショナルからなる訪問団も絶賛したアル・ケッチァーノでの食事を終え、すっかり打ち解けたメンバー。美味しい料理と美酒は、いとも容易に国境を超える。左から4人目が若生会長

 スローフード運動発祥の地イタリアから数えて6番目の各国組織として、各地方組織の認証・調整役となる「スローフードジャパン」が2004年に発足して5年。同協会が特定非営利活動(NPO)法人化された昨年、宮崎で初の全国大会が開催されたのに続き、今年は大会の舞台を山形県庄内地方へと移しました。仙台に本部があるスローフードジャパンの若生裕俊会長とは、3年前に旧藤島町が主催した「地産地消とスローフードの祭典」で行われたトークショーで、コメンテーターとコーディネーター役としてご一緒しています。有機農業を通じた交流を行っているイタリアからの訪問団8名を交えて、全量を賄う精米や大豆加工品、およそ半数が地元産だという野菜類を使用した地産地消型の給食調理施設や生産現場を訪ねた後、アル・ケッチァーノで催された歓迎ディナーの席上、若生氏は「庄内にはスローフード運動が理想とする姿がすでに出来上がっている」とコメント。四季を通じて山海の素晴らしい食材に恵まれ、それぞれにストーリーがある在来種が数多く存在し、官民学さまざまな立ち位置の人が手を携えて質の高い地域の食文化を守り伝えているその地の魅力に圧倒されているようでした。日本のスローフード運動にとって、庄内は一度は訪れるべき「約束の地」でもあったのです。

Natsu_Shimamura@hibiki.jpg【photo】島村菜津さんの基調講演

 庄内町文化創造館「響ホール」が会場となった初日、ノンフィクション作家の島村菜津さんによる基調講演でフェスティバルは幕を開けました。著作「スローフードな人生」(新潮社刊)で日本に「スローフード」という言葉を紹介し、失われつつある特徴ある食材と生産者を守り、人同士の繋がりの大切さを普遍的な食を介して見直そうという運動の概念を根付かせる契機を作った島村さんの演題は「スローシティーで地域の活性化~食の都庄内への提言~」。私と同様、庄内の魅力に惹かれて何度もこの地を訪れているという島村さんは、毎年数ヶ月をイタリア各地で過ごしています。会場を埋めた230人あまりの聴衆を前にした講演では、1999年にイタリア・ウンブリア州Orvieto オルヴィエートから始まった「Cittàslow チッタスロー(=Slowcity スローシティ)」という運動が地域活性化の成功事例として紹介されました。

positano_al_mare.jpg【photo】絶景に見とれていると海にダイブしかねない高所恐怖症のドライバーには絶好のキモ試しにもなるサレルノ湾沿いのドライブ。岩肌にカラフルな住宅が張り付いたポジターノの町

 
 「スローなcittá (=「町」の伊語)」を意味するこの運動を提唱したパオロ・サトゥルニーニ氏は、トスカーナ州Greve in Chianti グレーヴェ・イン・キアンティ町長時代に、伝統的なワイン産地であるキアンティ地域の食文化を柱に、歴史遺産、景観、生活様式などの地域資産を対外的に発信することで、域外からの交流人口を増やし、地域の活性化に結び付けます。サトゥルニーニ氏は、彼の取り組みに賛同したスローフード協会のカルロ・ペトリーニ会長と共に、協会本部があるピエモンテ州Bra ブラと紺碧のサレルノ湾から立ち上がる急斜面の岩肌に営々と人々が切り拓いてきたレモン畑が点在するカンパーニア州logo_slowcity.jpgPositano ポジターノ、中部イタリアの先住民族エトルリア人の時代まで遡る気の遠くなるような歴史に彩られた崖上都市オルヴィエート、グレーヴェ・イン・キアンティの4つの街をCittàslowとして旗揚げしました。現在イタリア国内では50都市以上が登録するCittàslowスローシティのムーブメントは、イタリアのみならず、英国やドイツなど欧州14ヶ国と、豪州と韓国に広がりつつあります。

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【photo】パネルディスカッション「スローフードで地域に活力を」パネリスト(写真右より)宇生氏、齋藤 武氏、斎藤篤子氏、奥田氏 

 島村さんもアドバイザーとして加わった「スローフードで地域に活力を」と題するパネルディスカッションには、庄内の稲作農家・旅館業・飲食店・映画制作者という立場のパネリストが登場、山形大学農学部教授で山形在来作物研究会世話人の平 智氏のコーディネートのもとで、地域の魅力を発信するアプローチを探りました。冒頭、庄内映画村㈱代表取締役社長の宇生 雅明氏は、プロデュースした映画「おくりびと」のアカデミー賞受賞を祝う会場から喝采を浴びます。同賞にノミネートされた「たそがれ清兵衛」以降、庄内を舞台とする映画が立て続けに制作されていることを、宇生氏は人々の暮らしぶりを含めて、失われつつある日本の原風景が残る庄内が多くの映画人を惹き付けている点を指摘。松ヶ岡映画村資料館などにロケ地マップを手にした観光客が訪れている庄内には、今年、藤沢周平記念館が完成、新たな魅力が加わります。温海温泉の旅館つたや長兵衛の女将、斎藤 篤子さんは四季それぞれ食材に恵まれた庄内の郷土料理を宿泊客に提供し好評だといいます。鳥海山の裾野にあたる遊佐町白井新田の藤井地区にある棚田でコメ作りを行う鳥海山麓 齋藤農場の齋藤 武氏は、若い農業後継者らで有限責任事業組合「ままくぅ」を結成、在来の餅米「彦太郎糯(ひこたろうもち)」の復活に取り組んでいます。齋藤氏は都市生活者がお抱えの農家を持つことで、食べ物を身近かに感じ、相互に強い絆が生まれるよう提言しました。「食の都・庄内」の提唱者でもあるアル・ケッチァーノ奥田 政行シェフは、saitounoujyou@yuza.jpg 自身が実践してきた生産者の人となりを考えた物々交換に近い独自の食材調達法が、新たな人の輪を生み出していることを披瀝。2000年(平成12)の独立当初こそ素材集めに苦労したものの、店で使う食材の中で地元調達が不可能なパスタ用のデュラム小麦やオリーブオイルを除けば、庄内産の食材が9割に達していることを明かすと、会場からどよめきが起こりました。

【photo】鳥海山麓齋藤農場の棚田からは日本海が一望される。そこから海に沈む夕陽を眺めるのが好きだと語る齋藤氏

paolo_di_croce.jpg【photo】挨拶に立つスローフードインターナショナル国際事務局長パオロ・ディ・クローチェ氏

 会場にはかつて稲作に使用された農機具の展示コーナーのほか、米粉を使用した菓子や麺類の 試食コーナー 、地酒の販売ブースなど「庄内米ミュージアム」が設けられ、休憩時間には参加者が品定めする姿も見受けられました。午後はスローフード全国大会のプログラムが組まれ、スローフードインターナショナル国際事務局長パオロ・ディ・クローチェ氏の挨拶などの後、各地のコンヴィヴィウム代表による活動報告が行われました。「スローフードすぎなみTOKYO」と「スローフード横浜」の代表が食育に関する都市型スローフード運動の活動を紹介。昨年の全国大会が行われた宮崎のコンヴィヴィウムは、オリエンテーリング形式でさまざまな地元の食材を味わうスローフード祭りについて述べ、長崎のコンヴィヴィウムは日本で初めてプレジディオ認証を受けた「雲仙こぶ高菜」を取り巻く動きについて報告しました。活動事例報告の最後は、県下に130品目以上の存在が確認されている在来作物の研究と保護に取り組む山形在来作物研究会(略称:在作研)を代表して、在作研の江頭 宏昌准教授が登壇しました。在来作物は、特徴ある種の存在自体が貴重であるだけでなく、固有の調理法や栽培技術が受け継がれてきた知的財産そのもので、世代を超えて受け継がれてゆくべきであると訴えました。

 奥田シェフとは友人で、私とも知己の関係である江頭先生は、島村 菜津さんが初めてアル・ケッチァーノを訪れた時に偶然店に居合わせ、ご自身が研究テーマにしている温海カブの焼畑へと島村さんを案内して、山中に広がる庄内の焼畑文化について滔々と説明したのだそう。その出来事は、島村さんに強烈な印象を残したそうです。私もとあるご縁で島村さんと食卓を囲んだ経験があり、ミーハー根性丸出しで持参した「スローフードな人生」の初版本にしっかりサインを頂きました。食をめぐって数多くの出会いを経てきた私には、島村さんが基調講演の中で述べた「思いがけない人と人を繋ぐ超能力が食べ物にはある」という言葉に強く共感した初日となりました。

フェスティバル2日目レポートにつづく

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2008/07/03

こっちの塩は甘いぞ

太陽と職人の手仕事の結晶、チェルヴィアの海塩

 税収確保のため20世紀初頭に導入された塩の専売制が撤廃されて10年あまり。輸入が自由化された2005年(平成17)以降は、スーパーの塩売り場で世界中のさまざまな塩を目にするようになりました。

salina_camillone.jpg【Photo】伝統的な塩作りを今に伝えるCervia チェルヴィアの塩田(チェルヴィア塩田組合Webサイトより)

 石巻・万石浦の海水を煮詰めて作る「伊達の旨塩」、沖縄の海塩、ボリビア・アンデスの岩塩、フランス・ゲランドの海塩、テキサスの岩塩、パキスタンの岩塩・・・。これだけ揃えば塩だけで世界一周ができそうですね。一口に塩といっても、産地と製法など種類はさまざま。選択の幅が広がることは歓迎する反面、用途に適した塩を選ぶのは容易なことではありません。

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【Photo】現在は塩博物館として使われているチェルヴィアの巨大な塩蔵倉庫Darsena は1712年の建造。塔は1691年に完成

 1962年(昭和37)に旭化成が開発したイオン交換膜と蒸発結晶缶を組み合わせた製塩プラントによって海水から塩を精製する世界初の技術を実用化したのは、福島県小名浜にあった新日本化学工業(現・日本海水)でした。日本の塩作りで主流となったこの電気透析による東北発祥の製塩法は、海水に含まれるナトリウムやマグネシウムなどを電気的に分離し、加熱・蒸発させて純度の高い塩化ナトリウムを精製するものです。(詳しくは財団法人「塩事業センター」のWebサイトを参照願います)

 地殻変動によって太古の海が隆起して生成される岩塩が存在しない日本。四方を海に囲まれた我が国では、製塩が盛んだった瀬戸内地域のみならず、かつては各地に塩田が存在していました。1971年(昭和46)に施行された「塩業の整備及び近代化の促進に関する臨時措置法」という国策によって、イオン交換膜法による製塩への移行を進める「近代化」の名のもとに国内の塩田はすべて閉鎖されます。藩制時代に宮城県石巻市渡波(わたのは)地域に整備された入浜式塩田が1960年(昭和35)まで稼動していたのだといいます。

camillonel'insieme.jpg 「おっ、珍しや! 」という塩と出合ったのは、仙台市青葉区役所裏手にあるチーズ専門店「Fromageri & Café Au Bons Ferments フロマージュリー&カフェ オー・ボン・フェルマン」でのこと。

 豊富なラインナップのチーズとデイリーユース向けワインに加え、アンチョヴィや塩蔵ケイパー、アチェート・バルサミコ、martelli マルテッリのパスタなどお馴染みのイタリア産食材もちらほら。

【Photo】 古来の塩作りを再現した製法で作られる「Riserva Camillone リセルヴァ・カミローネ」

 そこにさりげなく置いてあったのが、アドリア海に面した北部イタリア、エミリア・ロマーニャ州ラヴェンナ県Cervia チェルヴィア産の塩、「Sale di Cervia サーレ・ディ・チェルヴィア」でした。

 何が珍しいのかといえば、イタリアでも天日製塩が盛んなシチリアの海塩は日本でもよく見かけますが、この塩はヴェネツィアまで直線距離にして130キロしか離れていない北部イタリアの塩田で造られた塩なのです。加えてスローフード協会の「味の箱舟」プロジェクトで絶滅の危機に瀕している文化的価値の高い食品を意味する「プレジディオ」指定まで受けているというではありませんか。たかが塩、Sale do Sio (=されど塩)。この塩はいかなる塩なのか ・・・?

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 人口2万ほどのチェルヴィアへは、息を飲むほど美しいビザンティン様式のモザイクに彩られた世界遺産の街Ravenna ラヴェンナから 賑やかなビーチリゾートの町Rimini リミニへ伸びるSS16号線を南東に向かいます。

 すると平坦な地平の前方にレンガ造りの「Basilica di Sant'Apollinare in Classe サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂」(上写真)が見えてきます。質素な外観とは対照的に、かつて総督府として栄華を誇った6世紀の創建当時そのままの輝きを放つ半円形の後陣部に散りばめられたモザイク(下写真)は、必見の価値があります。

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 後ろ髪を引かれる思いで聖堂を通り過ぎ、10キロほど南下すると、もうそこは小さなコムーネCerviaです。ラヴェンナで没した詩人ダンテ・アリギエーリ(1265-1321)の代表作「神曲」の地獄篇にも、その町の名前は登場しています。北側ポー川河口のデルタ地帯からチェルヴィアにかけての低湿地帯は、ラムサール条約に登録された水鳥の楽園でもあります。

 アドリア海に面したビーチ「Riviera del Sole リヴィエラ・デル・ソーレ(=「太陽の海岸」の意)」には、毎年夏になると Bologna ボローニャや Modena モデナ、Ferrara フェラーラといった近場の都市だけでなく、ブレンナー峠を越えてやって来るドイツ・オーストリアからの多くの海水浴客で賑わいます。

 海からは水路が引かれ、1.6キロほど内陸側に入った市街地の先に827ヘクタールの塩田(衛星写真右下の黒っぽい箇所)が広がっています。

     
衛星写真を拡大
 
 この地における天日製塩の歴史は古く、歴史書に Cervia の塩に関する記述が登場するのは5世紀にまで遡ります。町の Centro チェントロ(=中心)には古代ローマ治世下の塩田跡や貯蔵庫が残されています。その起源はギリシャ人による入植の頃とも、先住民族エトルリア人以来ともいわれています。

 中世期、ローマ法王領であったチェルヴィアからは、ヴァチカンに塩が献上されていました。刺激的な苦味を感じさせないチェルヴィアならではの「Sale dolce サーレ・ドルチェ(=甘い塩)」と形容される優しい味は、日射しが強く降雨量が少ない南イタリアでは結晶化の進行が早いため、決して生み出せないのだそう。

guida_camillona.jpg【Photo】チェルヴィア「Salina Camillone カミローネ塩田」では、epoca etrusca=エトルリア時代以来の長い歴史を持つ塩作りのガイドツアーを毎年6月1日から9月15日まで実施している。これは塩田近郊に立っている告知看板

 ポー川流域で作られる名高いプロシュット・ディ・パルマや「幻」といわれるジベッロ村のクラテッロ、ハードチーズの最高峰とされるパルミジャーノ・レッジャーノといったエミリア・ロマーニャ州が誇る塩蔵食品の加工には、イタリア国内で産出する岩塩ではなく、強烈な日差しが降り注ぐシチリアやプーリアなど南イタリア産の海塩でもなく、「Oro bianco オロ・ビアンコ(=白い黄金)」とも称えられるチェルヴィアの塩が欠かせないとする頑固な職人が多いのだそう。

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【Photo】カミローネ塩田では、チェルヴィアの伝統に沿った人力で塩作りを行なう。シチリアほどではないにせよ、炎天下では照り返しも強烈な重労働だ

 第二次大戦による中断を経て、塩の専売制のもとで1959年に国有化されたチェルヴィア塩田。機械化の導入によって生産効率を上げますが、1976年に塩の販売が自由化されて以降、世界最大の塩産出国アメリカや欧州で最も製塩が盛んなドイツなどからの輸入品や、国内最大の1,600ヘクタールもの塩田を擁するシチリア西端に位置する塩の町Trapani トラパニ産の塩などに押されてゆきます。

 衰退に拍車をかけたのが、1981年と1995年に襲った二度の大雨。壊滅的な被害を受けた国営チェルヴィア塩田は1998年に閉鎖されました。すると一部のチェルヴィア市民が、伝統ある塩作りの再開に向けて準備を開始します。1999年に「Parco della Salina di Cervia (チェルヴィア塩田組合)」を発足、5年の休止期間を経て2003年5月に塩の生産が復活しました。

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【Photo】9月末頃に精製を終えたカミローネ塩田の海塩は、秋から冬にかけておよそ6 ヶ月間天日干しされる

 その希少性ゆえ、チーズ専門店オー・ボン・フェルマンで扱うさまざまなチーズには脇目も振らず、一点買いで買い求めた「Riserva Camillone リセルヴァ・カミローネ」は、チェルヴィアのSalinaio サリナイオ (=塩職人)によって受け継がれた手作業による伝統的な製塩法で少量のみ作られる海塩です。

 標準品にあたるサーレ・ディ・チェルヴィアが現地価格でキロ当たり1エウロ10チェントのところ、サリナイオが文字通り "手塩にかけて" 作るリセルヴァ・カミローネはキロ当たり3エウロと3倍近くの価格差がつきます。風土の賜物ともいうべきデリケートな味覚を備え、一度は閉鎖の憂き目を見たチェルヴィアのカミローネ塩田区画で古来からの手法によって作られる「Sale marino artigianale di Cervia (=チェルヴィアの職人が作る海塩)」は、2004年にスローフード協会から次代に伝えるべき「プレジディオ」指定を受けました。

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【Photo】 赤いパッケージは法王の塩「Salfiore di Romagna - Il Sale dei Papi サルフィオーレ・ディ・ロマーニャ - イル・サーレ・デイ・パピ」(左写真)。青のパッケージが「Sale di Cervia サーレ・ディ・チェルヴィア」(右写真)

 冬季は海水を抜いていた塩田に4月初旬に水を張り、区画ごとに仕切られた塩田外周部から、中心部へと移動させながら天日にさらして水分を蒸発させてゆきます。気温が上昇する6月には塩分濃度が30%前後まで高まり、結晶化した塩が 2cm 近くまで堆積してゆきます。

 天日塩の収穫は最も気温が高い夏から9月にかけて。日差しを遮るものがない炎天下での収穫は、肉体的負担が大きい作業となります。その過程で、水面に浮いてくる結晶をサリナイオが手で掬い取った一番塩は、今も「法王の塩」と彼らが呼ぶ「Salfiore di Romagna - Il Sale dei Papi サルフィオーレ・ディ・ロマーニャ - イル・サーレ・デイ・パピ(=「ロマーニャ地方の塩の花 - 法王の塩」の意)。特に優しい味が特徴となります。


 
 甲子園のグラウンド整備で使う木製のトンボに似た道具を使って縁(へり)に集められた塩は5日後に人力で蒸発槽から地上に移され、大きな塩盛りの状態でおよそ6 ヶ月間にわたり、秋から冬にかけての柔らかな陽光と風にさらされます。表面に付着した汚れを高濃度の海水で洗い落として遠心分離機を使用して脱湿後、(リセルヴァはさらに貯蔵庫で一定期間熟成される)組合の手で袋詰めされて出荷されます。

 可能な限り古来から伝わる製法を踏襲したリセルヴァには、塩化ナトリウム(NaCl)のほか、海水に含まれる硫化マグネシウム・硫化カリウム・硫化カルシウム・塩化マグネシウムといった天然の微量成分が豊富に含まれます。そのため、結晶は薄く茶色を帯びたものとなります。

 近年の研究によって、これらの微量成分が、官能上かすかな苦味を生みだし、塩自体の甘味と食材の甘味をも際立たせる働きをすることが判ってきました。塩が素材の旨味を引き出す隠し味となるのです。現代の科学がSale dolce のメカニズムを解き明かした今も、チェルヴィアでは遥か昔と変わらぬ職人の目と経験則による塩作りが行われています。精製に際しては、廃棄物を一切出さないという方針のもと、塩分を含んだ泥は入浴用や美容用に製品化されています。

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【Photo】 古来より伝わる製法を受け継ぐ職人が手塩にかけて作る Camillone 塩田の塩は、エミリア・ロマーニャの適度な陽射しとアドリア海から吹く風が生み出す甘さが特徴の「風味」が際立つ

 無機的で鋭角な塩味ではなく、後味に甘味を残す有機的な丸みを帯びたチェルヴィアの塩は、パスタを茹でる下味用に使うにはもったいないかもしれません。Sale dolce の本領発揮には、食肉の加工技術にかけてはイタリア随一の地元エミリア・ロマーニャと同じく、肉の旨味を引き出す下処理にはもってこいでしょう。旨みを増した肉はソテーして良し、じっくりと煮込んで良し。 淡白な白身魚をグリルする際に軽くふったり、オリーブオイルと共にサラダの味付けに使っても良さそうです。

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 遥か昔、ローマ・ギリシャ時代はおろか、先住民族のエトルリア時代までさかのぼるともいわれるアドリア海の恵み、チェルヴィアの塩。その結晶は後世に残る数々のモザイク芸術を生み出した東ローマ帝国の栄華を物語るラヴェンナ最古(424-450 建造)のモザイク画のひとつ「Mausoleo Galla Placidia ガッラ・プラチディア廟堂」の天井を飾るモザイク(上写真)を思わせます。

 輝かしい神の国を再現しようとした初期キリスト教芸術の黎明期を担った職人の手業によるモザイク画は、1,600年の時を経ても全く色褪せることなく瑞々しい輝きを放って今も多くの人を惹きつけてやみません。チェルヴィアの塩は人の手によって小さな断片が組み合わされ、変幻自在な万華鏡のような輝きが編み出されるモザイク画のような神がかり的な奇跡の味なのかもしれません。

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【Photo】ラヴェンナ「Chiesa dello Spirito Santo スピリト・サント教会」南側にある小規模ながら世界遺産の「Battistero degli Ariani アリアーニ洗礼堂」(5世紀末)の天蓋を覆う「キリストの洗礼」)

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◆チェルヴィアの海塩に関する問い合わせは―
輸入元 : 株式会社 アーク
東京都新宿区早稲田鶴巻町518 第一石川ビル301
Phone : 03-5287-3870    FAX : 03-5287-3871
E-mail : info1@ark-co.jp

取り扱い店
フロマージュリー&カフェ 「オー・ボン・フェルマン」
仙台市青葉区上杉1丁目4-10 庄建上杉ビル1F
Phone : 022-217-2202
営) PM0:00~PM10:00 月曜定休
 ◎Riserva Camillone リセルヴァ・カミローネ 750グラム 735円(税込)

※足立オーナー様へ「チーズ専門店なのに塩の話ばかりでゴメンナサイ・・・」m(_ _)m

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2008/05/03

うまっ!! 短角牛

短角牛一筋。熱い男の手ごねハンバーグ

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【Photo】岩手県久慈市にある「久慈市短角牛基幹牧場(通称:エリート牧場)」で。60ヘクタールにも及ぶ広大な放牧場でのんびりと草を食む短角牛たち

 思わず「うまっ!!」と口をついて出た「ウシ」の肉。そんなギャグはサラリと流してお付き合いのほど...(^0^;

 味を感知する舌の表面にある器官「味蕾(みらい)」の数が、およそ四万個まで増えて、人間に備わる五感のひとつ「味覚」が形成されるのは10歳前後の児童期とされます。加齢とともに味蕾は数が減ってゆき、成人では八千個が平均だといわれます。昨今、味を感知できない味覚障害の子どもが増加したことで、幼児期に味覚のトレーニングを積むことの大切さが改めて指摘されています。甘味・辛味・酸味・苦味・塩辛味と、古来より中国で分類された「五味」に加え、昆布やカツオなどのダシが生み出す「旨味」を感じる日本人の繊細な味覚を是非とも子どもたちに育みたいものですね。

 いわゆる"キレやすい"子どもやアレルギー体質の子どもの増加を見ても、毎日の食事を通して体内に取り込まれる化学物質が、遺伝子レベルを含めて人間に何ら悪影響を及ぼさないと言い切ることができるでしょうか?そのためには、スナック菓子やインスタントラーメンなどに使用される化学調味料と、市販の加工食品で多用されるタンパク加水分解物や防腐剤などの食品添加物の弊害から子どもたちを遠ざけなくてはなりません。 食にまつわる不安が増す時代だからこそ、子どもには良質で安全な食べ物を選びたいと思うのが親心。
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【Photo】牛舎で干草やサイレージなどを与えられ肥育中の短角牛

 子どもが好きな料理といえば、寿司、カレー、ハンバーグが定番です。食べ盛りのお子さんがおいでの家庭でも、家族で気兼ねなく行ける手頃な値段の寿司店が増え、今や寿司ネタも大方が輸入物に依存しています。

 成長期の子どもにとって良質なタンパク質の摂取は欠かせません。ところが、東南アジアのマングローブ林を伐採し、抗生剤を投与されて養殖されるエビや、不気味な排水を垂れ流しする中国から流れ出る大量の有機塩素系農薬やダイオキシン・水銀など、広く魚介の体内に残留する環境汚染物質も気になります。市販のカレールウには多くの場合、動物由来油脂や化学調味料・乳化剤・香料などが含まれます。

 「お肉大好き!」という子どもが多いなか、スーパーで扱う焼き鳥のは、産地を遡ると多くは劣悪な飼育環境で育つ中国産。BSEや鳥インフルエンザの発生が報告されて以来、食肉をめぐる不安も増大しています。「・・・いちいちそんなことを気にしていたら、何も食べられなくなる。」そんなお母さんたちの声が聞こえてきそうです。便利さと引き換えに失ったものは少なくはない。そんな思いがよぎります。

atsuiotokosasaki.jpg 東北の風土に根ざした健康で良質な牛肉だけを扱う精肉店をご紹介します。日本短角種(短角牛)を専門に扱う「短角考房 北風土」を岩手県久慈市山形町で営むのは佐々木 透さん(43歳)。かつて八戸藩と南部藩にまたがる三陸沿岸から北上産地を抜けて盛岡・鹿角といった内陸を結ぶ山間地を踏み固めて造られた"塩の道" を、塩や米を背に往き来したのが"赤べこ"の愛称で呼ばれた南部牛でした。傾斜地を歩むのに適した丈夫な脚を持つこの荷役牛と、1871年(明治4年)に米国から輸入されたショートホーン種(英国原産の世界三大肉用牛のひとつ)を交配して誕生したのが日本短角牛です。

kitafuudo.jpg【Photo】「北風土」の看板が目印の自宅兼事務所兼作業場「短角考房 北風土」で保冷中の肉を前に立つ佐々木 透さん

 東北の厳しい気候のもと、雪に覆われる冬は牛舎で過ごし、春に親子で山あいの牧草地に放たれて自然放牧で育ちます。夏の間、澄んだ空気と水のもと、広大な放牧地で豊かな牧草を食(は)みながら肥育されます。

 放牧期間中に自然交配がなされ、秋に里に降りる頃には、一回りも二回りも体が大きくなっています。そこでは牛の排泄物が土地を肥やし、牧草が育つ循環型の牧畜が成り立っているのです。この「夏山冬里」飼育によって、短角牛は大自然の中で暑さ寒さと病気に強い健康体に育ちます。こうして幾世代にわたって品種改良を加えられた肉用牛は、1957年(昭和32年)、固有の日本短角種として認定されました。現在、日本で飼育される肉用牛の95%は黒毛和種。霜降り信仰に支配された市場では、短角牛は乳牛並みの値段でしか取引されません。最盛期には300戸の肥育農家で年間4千頭あまりが出荷されていましたが、ここ10年でその数は1/4ほどに激減しています。人為的に網の目のようにサシを入れる霜降りの肉質に仕上げる黒毛和牛全盛の中、消滅の危機にある伝統食品を守る「味の箱舟」を推進するスローフード協会は、日本短角種をプレシディオ 〈注〉に指定しています。
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【Photo】。短角牛は温和な性格で人なつこい。牛舎で飼われる牛たちは、アポなし訪問者であるこちらに興味津々の様子で顔を出してきた

 短角考房 北風土の佐々木さんは、上質とされる黒毛和牛特有の柔らかさと甘味をもたらすのは、脂肪分だと語ります。ビッシリとサシが入った霜降り牛肉のとろけるような食感は、確かに脂身そのもの。牛舎の中で霜降りに仕上げるのに欠かせない濃厚飼料は、青草を食べる牛にとってハイカロリーなトウモロコシや大豆・油かす・麦などが主原料となります。濃厚飼料は、およそ9割を米国などからの輸入に依存しているのが現状。たとえ食味は優れていても、健康的な牛といえるでしょうか。かたや放牧中は傾斜地を移動しながら自然の青草だけを食べ、冬を越す牛舎では、干草や草を発酵させたサイレージ、デントコーンといった粗(そ)飼料で育つ短角牛。サシがほどんど無い肉質の短角牛は赤身が多く、しかもその肉には旨みの元となるグルタミン酸・アラニン・グリシンなどの成分が、黒毛和牛と比較すると飛びぬけて多いのです。噛み締めると口の中にじんわりと広がる牛肉本来の旨みと甘さ。短角牛は牛肉の美味しさを改めて教えてくれることでしょう。

 佐々木さんは高校時代、大手スーパーの精肉部門でアルバイトを始め、そのまま就職。肉を扱う技術を身に付けました。1995年に地元食材の加工・販売を行う目的で設立された第三セクターの「総合農舎山形村」の設立に協力。そこで短角牛と出合います。安全で美味しい地元原産の短角牛の良さをもっと多くの人に知ってほしいと考えた佐々木さんは、調理師免許を取得。惚れ込んだ生産者と消費者を直接つなぐため、7年後に農舎の職を辞し、2004年(平成16年)4月、短角牛を専門に扱う短角考房 北風土を自宅の裏に立ち上げました。地元の農協からの依頼で、食感を良くするため、肉の繊維に沿った包丁の入れ方や加熱の仕方、部位別の料理法など、短角牛の肉の扱い方を指南することに情熱を燃やす佐々木さん。モモ肉はカルパッチョに、肩ロースネックやスネ肉・モツは煮込み料理に、外モモや肩ロース・ランイチは焼肉やしぐれ煮にと、さまざまなレシピを公開しています。子どもたちが大好きなハンバーグを作り始めたのも、短角牛の美味しさを幅広い人たちに紹介したいという思いから。ミンチにした短角牛に玉ネギ・ニンジン・鶏卵などを加えたハンバーグの美味しさは評判を呼び、今では地元だけでなく、盛岡からも直接買い求めに来る顧客が増えたといいます。

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【Photo】ナイフが不要なほど柔らかいハンバーグからは、切らずとも肉汁が溢れ出る

 昨年10月、放牧地と牛舎をご案内いただくため、佐々木さんのもとを訪れました。短角牛にかける想いを滔々(とうとう)と語る佐々木さん。「熱い人だなぁ」というのが第一印象。BSE騒動以来、子牛の価格が跳ね上がったため、肥育農家の経営を圧迫しているのだそう。ご自宅で民泊を受け入れ、自ら調理した短角牛の料理を遠来の客に振舞っています。訪問を前に、あの感動を再び味わおうとハンバーグを先日注文しました。前回より若干値上がりをしたハンバーグは、1ヶ160gのものが2ヶ入りで900円。

 冷凍状態で届いたハンバーグの肉汁を逃さないため、佐々木さんの指定どおりに冷蔵室で解凍すること丸一日。こんがりとフライパンで焼き目をつけたハンバーグに佐々木さんオススメのニンニクを加えた醤油を加熱した香ばしいタレでハンバーグをほおばると、口の中にはたっぷりとした肉汁とともにふんわりとした肉の旨みが溢れんばかりに広がります。そこで口を突いて出たのが「うまっ!!」の一言。ぜひお子さんにこの短角牛のハンバーグを食べさせてあげて下さい。そして、できることなら人懐っこいこの牛たちが育つ放牧地を見せてあげて下さい。

 山での放牧を再開した短角牛と佐々木さんとの再会を果たすために今月再び久慈を訪れるので、改めて山での放牧の様子をご紹介します。 (⇒※レポートはこちらをClick!)

短角考房 北風土
岩手県久慈市山形町霜畑5-9 電話:0194-75-2370


〈注〉バックナンバー「Terra Madreテッラ・マードレに参加して」文末(注1)脚注参照のこと

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2007/06/08

Salone del Gustoサローネ・デル・グスト体感レポート

◆File2:スローフード運動の理念を体現した「サローネ・デル・グスト」

Salone_logo.jpg テッラ・マードレの会場「オーバル」に隣接する広大な「リンゴット」国際展示場では、「Salone del Gusto サローネ・デル・グスト(=「味のサロン」の意)」が催されました。10回目を迎えた当イベントのスローガンは、「GOOD,CLEAN,FAIR (=おいしく、きれいで、正しい)」

 こちらは、20ユーロの入場チケットを購入すれば、一般参加者も入場可能です。幕張メッセで開催される日本最大の食の見本市「FOODEX JAPAN」の出展ブース数はサローネより多いものの、あくまで業者向けの商談の場・見本市の性格が強いもの。一方、スローフード協会は、サローネを広く一般消費者に門戸を開放しています。

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【Photo】広大なサローネ・デル・グストの会場。世界各国の個性ある伝統食品が並ぶ "Slowfood archives"
  
 かようにサローネ・デル・グストは単なる食の見本市ではなく、スローフード運動が目指す生物多様性のあり方と、味覚・環境・社会的公正さを備えた質の高い健康な食の世界を、訪れた人が多面的に体感できる場なのでした。事実、初開催となった10年前は、食品メーカーや小売店などの商工業者出展の割合が75%だったのに対し、第一次産業に携わる人々の出展が25%の割合だったものが、今回はその割合が生産者出展75%・商工業者出展25%に逆転していたのです。

ViaDolci.jpg【Photo】来場者でごった返すサローネ会場。甘党にはたまらない菓子類がずらりのVia dei Dolci (=お菓子通り)。チョコレート作りが盛んなトリノの老舗 Venchi ほか、ほとんど全てのブースで試食が可能。生き方そのものがDolce vita (=甘い生活)なイタリア人が作るドルチェだけに、さすがに美味 "Slowfood archives"

 そこでは開場時間の11時から23時までの間、胃袋と気力が続く限り、食の五大陸一周旅行を堪能できるのです。ワインやオイル、チーズや食肉加工品、トリノ名産のチョコレートなどイタリアを代表する伝統的産品の300あまりのブースや、世界各国の特色ある食品が広大な会場にぎっしりと並び、一日で会場のすべてを食べつくし、学ぶことなど、とても不可能なスケールです。

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【Photo】イタリア・トスカーナ州アレッツオ県のアルノ川沿いのヴァルダルノ地方で作られるプレジディオ指定された独特の製法によるパンチェッタ「Valdarno Tarese」のブース

 「Ark アルカ(味の箱舟)」認定産品のなかでも、特に重要で良質な食材はスローフード協会から「Presidio プレジディオ」(=庇護・防衛の意)指定を受けます。私が訪れた2006年大会からは、個性豊かなプレジディオが、大陸別に展開するブースが300ほど設けられました。そこにはスウェーデンのトナカイの干肉や、チベット高地で飼育されるヤクの乳のチーズなどの、さまざまな国籍の生産者がおり、いわば異文化と触れ合う坩堝(るつぼ)さながらの様相を呈していました。

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【photo】パスタ製造が盛んなアブルッツォ州の小麦粉挽き職人のパスタワークショップには、同州のみならず、イタリアを代表するワイン醸造家、ジャンニ・マシャレッリ氏も登場、講座に華を添えた

  特色ある世界中の伝統食品・飲料に関するワークショップが会期中に行われ、そこでは英語の同時通訳による生産者自身や生産組合などの関係者らの解説を聞きながら、試食・試飲ができました。私が参加したのは、ふたつの講座。まずはイタリア中南部アブルッツォ州の小麦粉挽き職人ニコラ・ディ・ラッロ氏が、小麦粉を手ごねして作るパスタ「マッケローニ・アッラ・ムニャイア」 (注1)の製造過程を実演し、打ち立てのパスタを試食するというもの。

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【Photo】小麦粉挽き職人ニコラ・ディ・ラッロ氏による「マッケローニ・アッラ・ムニャイア」作りの実演。熟練のラッロ氏の手つきは日本人からみれば"うどん打ち"そのもの

 コシのある麺にトマトソースが軽めに絡めてあり、小麦の香りが活きた仕上がり。アブルッツォならではの素朴なパスタと共に出されたのは、2006年に亡くなった伝説的なワイン生産者、エドアルド・ヴァレンティーニ氏亡き後、同州のリーダーと目される著名な醸造家ジャンニ・マシャレッリ氏の赤ワインでした。ワインと共に登場したのが、アブルッツォのみならずイタリアでも屈指の醸造家、ジャンニ・マシャレッリご本人でした。イタリア人らしいビシっとしたスーツ姿の同氏の登場は事前のリリースには一切記載されておらず、私にとってはうれしい誤算です。

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【Photo】 日本人にとっての醤油味のように、イタリア人の味覚において最もベーシックな味付けとなるトマトソースによるシンプルな味付けでパスタを味わった。醤油とダシで頂く讃岐うどんと同じく、パスタのコシと小麦の香りが際立った「マッケローニ・アッラ・ムニャイア」

 フレンチオークのバリック樽100% (注2) でモンテプルチアーノ種のブドウを36カ月間長期熟成をさせるフルボディのD.O.C.赤ワインMarina Cvetic Montepulciano d'Abruzzo'03。マシャレッリ氏がアブルッツオ州キエーティ県マルッチーナに1978年から所有していたブドウ畑に新たに興したマリーナ夫人の名前を付けた醸造所、Azienda agricola Marina Cveticからの初リリースとなるモンテプルチアーノ種100%で仕込んだI.G.T.赤ワインRosso colli Aprutini ISKRA'03の2種類が用意されました。

 前者はプルーンのような上品な香りでクラシックな造り。エレガントさも持ち合わせています。スロベニア語で"閃光"や"きらめき"を意味するという後者は、よりバリックが効いたモダンでインパクト重視な味わい。タイプは違えど、フルボディでいずれも極めて魅力的。醸造家ご本人の解説を聞きながら試飲できるとは願ってもない機会。 ん~、至福のひととき。

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【Photo】Marina Cvetic Montepulciano d'Abruzzo'03Rosso colli Aprutini I.G.T ISKRA'03。記録的な夏の灼熱がイタリアを覆った年ながら、アドリア海沿岸のマルケ州とアブルッツオ州はブドウの作柄に恵まれた。輪郭を際立たせるイタリアらしい酸味もあり、さすがはマシャレリと唸らせる出来。スローフード協会が発行するワイン評価本「Vini d'Italia 2007・通称Gambero Rosso ガンベロ・ロッソ」で、前者は最高評価のTre bicchierri トレ・ビッキエリと、コストパフォーマンスに優れたワインに与えられるアスタリスクマークを共に獲得。後者はファーストヴィンテージながら、次点に当たるDue bicchierri ドゥエ・ビッキエリの評価をされた

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【Photo】ジャンニ・マシャレッリ氏と。マシャレリのトップキュベ "Villa Gemma"の'97年産は、「Vini d'Italia 2001」に掲載された全イタリアワイン12,000本あまりの頂点"ワイン・オブ・ジ・イヤー"に選ばれた。「Villa Gemma'97を持っていますよ」と、この稀代の醸造家に伝えると、トークセミナー中の近寄りがたい雰囲気を漂わせる鋭い眼光のエネルギッシュな表情から一変、破顔一笑のもと親しげに写真に納まってくれた。これが2年後の8月に急逝したジャンニとの最後の一枚となろうとは・・・

 もうひとつのワークショップは、エミリア・ロマーニャ州パルマ北東40キロのポー川沿いにあるジベッロ村で作られるプレジディオ指定の生ハム「Culatello di Zibello クラテッロ」 (注3) 。有名なパルマ産プロシュット(=生ハム)が年産900万本なのに対し、クラテッロがわずか年産5万本なのは、豚の尻から脛にかけてのごく限られた部位しか使用せず、しかも冬場にポー川の発する霧が肉の熟成に欠かせない要素になるという完全手作りなるがゆえ。需要が増えた最近は、輸出向けに本来の部位以外の肉を使用し、製造過程で一部機械を使用する製品も出回っているといいます。

 今回クラテッロ協会マッシモ・スピガローリ会長の解説で12カ月、20カ月、24カ月、36カ月の熟成期間別に試食に出されたのは、会長自身の加工場で製造された間違うことなき伝統的製法による逸品。ここでは北イタリアのトレンティーノ・アルト・アディジェ州産の辛口発泡ワイン「スプマンテ」が5種類出されました。

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【Photo】クラテッロ協会加盟の製品に張られるラベルを掲げる男性の左側がクラテッロ協会マッシモ・スピガローリ会長

 熟成期間が長いほど肉に乳酸系の発酵臭が加わり、味わいに複雑さと深みが増してゆくのがよく分かります。特に36カ月熟成を経たものは、地元エミリア・ロマーニャでも希少。かつて冷蔵技術がなかった時代、ヨーロッパの食肉加工文化は必要に迫られて発達した側面もあります。長い伝統が培ったイタリアの食肉加工技術は、イタリア屈指の美食の里といわれるエミリア・ロマーニャ州で、独自の発展を遂げたのです。ジベッロ村の自然環境を活かす人智が生み出したクラテッロの深い味わいには唸らされました。

12mesie20mesi.jpg【Photo】フレッシュ感が残る12ヶ月熟成(左) 味に幾分深みが出る20ヶ月熟成(右)

24mesie36mesi.jpg【Photo】24ヶ月熟成は更に複雑味が増す(左) 色合いが変化し、乳酸系の発酵感が強い36ヶ月熟成は全く別物。至高の味となる(右)

 そのワークショップ会場で出会ったのが、神奈川出身の茂垣綾介さん(25歳)。2003年春に渡伊し、料理修行からサラミなど肉の加工に転進したのが一年前。スピガローリ会長が経営する会社では半年ほどクラテッロ作りを学んでいるといいます。イタリアのリストランテでは、実に多くの日本人が料理修行のために働いていますが、彼は異色といってよいでしょう。

mogaki.jpg【Photo】サローネ会場で修行先のクラテッロを手にする茂垣 綾介氏。隣りは公式行事がなく、この日はリラックスモードで会場を回っていたアラン・デュカス御大。そこはさすがにプレス慣れしたもので、しっかりとカメラ目線でポーズをとってくれた。世界のトップフレンチシェフは実に如才がないのだった

 日本からはサローネ・デル・グストに築地の寿司店「寿司岩」がブース出店していたほか、「テアトロ・デル・グスト(=味覚の劇場)」と銘打たれた催しでは、江戸前握りの実演も。京都吉兆の徳岡邦夫総料理長は、湯葉と胡麻豆腐を使った懐石料理を紹介していました。世界中の有名シェフの調理の様子が間近に見られ、試食もできるこの催事のチケットは全てあっという間に売り切れたようです。

 昭和40年代から古酒を手がけてきた岐阜の蔵元「達磨正宗」の昭和54年産の古酒と鮎の熟れ寿司の組み合わせを試みるという日本人にとってもマニアックな?ワークショップや、静岡産有機栽培緑茶と和菓子のワークショップもあり、日本の食文化にスポットライトが当てられる局面もありました。

 メイン会場の州都トリノを離れたピエモンテ各地では「Gli Appuntamenti a Tavola(=食卓へのいざない)」という28ものディナーが催されました。ピエモンテ州が誇る高級食材・白トリュフの産地、クーネオ県アルバや、バローロ・バルバレスコといった名醸地のブドウ畑が広がるランゲ地方のリストランテや歴史的建造物を会場に、世界各国から選ばれた料理人が、伝統料理を振舞いました。ホスト国イタリアからも、アマルフィ近郊の名店「ドン・アルフォンソ1890」ほか各種Guida(=レストラン評価本)で高い評価を受けるシェフたちが腕を振るったのは申すまでもありません。

 主だったサローネ・デル・グストの催しをざっとご紹介しましたが、食いしん坊な私には、体と胃袋が幾つあっても足りない5日間でした。

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【注1】
アドリア海に面したアブルッツォ州では、パスタ製造が盛ん。日本でも有名なDE CECCO(イタリアでは「デ・チェッコ」と発音)やDue Pastori(ドゥエ・パストゥーリ)が本拠地を構える。こうした乾麺のほか、アブルッツォ州では、「マッケローニ・アッラ・キタッラ」という伝統的な手打ちパスタが有名。Chitarraとはイタリア語でギターのこと。弦を張った専用の道具(下写真)で生地を押し切るため、麺が四角い。

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ちなみにワークショップでラッロ氏が作ったマッケローニ・アッラ・ムニャイアは、同州南部に伝わる類似のパスタで、生地に使用したのは、デュラム小麦ではなく普通の小麦だった

【注2】
ワインの醸造過程において、ボリュームと風味付けのために樫(オーク)材の樽を使用する。一般に225リットル容量のものをバリックと呼ぶ。ワイン醸造用バリックの主な産地、アリエやトロンセなどフランス産のものは、タンニンなどのエキス成分を多く含む。一方アメリカ産のバリックは木の香りが強い。よって、カリフォルニアワインは樽香が一般に強くなる。形成過程で内側を火であぶるため、その焙煎具合もワインの仕上がりを左右する。ローストが強いと焦げた香りがワインにつく。新樽は成分が強く、一回使用した樽は、樽由来の成分が幾分穏やかになる。よって、生産者は樽の産地やロースト具合、熟成期間をいろいろと組み合わせてワインを作り出す。「新樽100%」とは、全て新樽を使用して仕込んだということ

【Photo】クラテッロ協会による審査を受けたブロック製品にのみ付けることが許されるタグ。流通市場では、ほぼパック詰めのスライス製品に限定される日本では望むべくもないが、これが本物の証

curatello.jpg【注3】
パルマやサンダニエレ産の生ハムは豚のモモからスネにかけての骨付き肉から作られる。かたやクラテッロは、骨抜きにした豚肉の尻(Culo=クーロ)からモモにかけての最上の部位のみを使用する。完成品で3キロあまりの重量しかできないクラテッロは、一本9キロ前後のパルマ産生ハムとほぼ同額。つまり3倍の値がつく。伝統的製法では、脂肪を削ぎ落とした豚肉を岩塩・コショウ・ガーリックパウダーなどで下処理。三日間の冷蔵後、細心の注意を払って再び塩を加え、白ワインで表面をさらす。これら一連の作業を終えてから、洗浄処理した膀胱に詰めた上で、ひもで網目に縛って円筒状に成形する。それを10ヶ月以上、湿度がこもったロフトと地階で自然熟成させる。

こうした製法のため、熟成過程で劣化する場合もあり、一級品はより希少性が高まる。EU統合により、画一的な衛生管理が求める動きもあり、本来のクラテッロに出会ことが困難になりつつある

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Terra Madre テッラ・マードレ」に参加して

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スローフードの祭典「テッラ・マードレ」

 食の均一化がもたらす弊害に警鐘を鳴らしたスローフード運動発祥の地がイタリア北部ピエモンテ州。その州都Torino トリノを主会場として、2006年10月末に開催された食の国際イベント「Terra Madre テッラ・マードレ(=「母なる大地」の意)」。

 グローバル化と均一化が進む世界の潮流に抗うかのように、個々の伝統に根ざした質の高い食を通じた人々の新たなネットワーク作りを模索したこのイベントには、協会が指定する「アルカ(=味の箱舟)」 (注1)登録生産者に加え、今回初めて料理人と学術研究者らが招聘され、東北からも関係者が多数参加しました。

 テッラ・マードレと同時開催されたのは、スローフード運動が目指す食の世界を体感できる「Salone del Gustoサローネ・デル・グスト(=「味のサロン」の意)」。主催は2006年が創立20周年に当たったスローフード協会です。五日間の会期中に両イベントを延べ19万人以上が訪れたといいます。幕張メッセで行われる日本最大の食の見本市「FOODEX JAPAN」の2006年における来場者は、四日間で9万5千人あまり。スローフード運動が、いまや地球規模で広がりをみせていることを物語る数字といえるでしょう。

 美食の国イタリアが誇る味の数々を求めて、実りの季節を迎えたピエモンテ州とその周辺各地を、イタリア人顔負けの"爆走系"に変身した庄内系イタリア人が訪れました。思い出すだにヨダレがじ~んわりな突撃レポートをタント・マンジャーレ(=たんと召し上がれ)。

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【photo】テッラ・マードレの会場となったリンゴット・オーバルを埋めるさまざまな国籍の人・人・人... <clicca qui> ここはトリノ冬季五輪のスピードスケート競技会場となった


◆食の新たなネットワーク作りを模索した「テッラ・マードレ」

 テッラ・マードレ2006に参加したのは、世界150カ国から1,600の生産団体・5,000人の生産者、1,000人の料理人、400人の大学研究者ら。(初の開催だった2004年の前回は、130カ国1,200の生産団体・5,000人の生産者が参加。)開会式は、トリノ冬季五輪のスピードスケート競技会場となった同市内リンゴット内の見本市会場「オーバル」で、イタリア共和国ナポリターノ大統領列席のもと、2006年10月26日に行われました。

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【photo】開会式に駆けつけたナポリターノ伊大統領 "slowfood archives"

 広大な会場内に国名のアナウンスが続くなか、国旗を掲げ民族色豊かな衣装で続々と登場する五つの大陸から集った生産者たち。その様子はテレビで観た冬季五輪の開会式さながら。各国の風土・伝統が育んだ多様な食文化を駆逐する食のグローバル化を阻止しようというスローフード運動が、世界規模で広範な支持を受けていることを実感させられます。恐らくは自分が生まれ育った土地から離れたことすらないであろう第三世界からの参加者も数多く見受けられました。

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【photo】世界中から生産者が集った開会式のオープニング "slowfood archives"

 急速な工業化・効率優先主義が招いた食のグローバル化・味の均一化に対して、スローフード運動が掲げる「地域の伝統に根ざした個性豊かな生物多様性を守る」という理想を雄弁に語る幕開けといえましょう。

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【photo】国際色豊かなテッラ・マードレの会場「オーバル」前で

 冒頭挨拶に立ったスローフード協会カルロ・ペトリーニ会長は、生産者・知識人・料理人が立場を超えてお互いを認め合い、同じ目線で消費者との新たな関係を築くように会場を埋めた参加者に訴えました。そして質の高い食に携わる人たちが異業種とつながりを持つことによって、より良い食に関する情報が発信され、やがて地球の生態系に好影響を及ぼすよう期待を表明しました。

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【photo】新たな食のコミュニティ作りを訴えるスローフード協会カルロ・ペトリーニ会長 "slowfood archives"

 テッラ・マードレ会期中、大学の研究者による集会や国・地域ごとの集会が催されました。日本をテーマにした地域集会では、日本茶の紹介がされていました。また、農業・水産業におけるアグロエコロジーやGM(遺伝子組み換え)食品に関する各種テーマごとの分科会、さらに「アルカ」指定産物の生産者による各種分科会などのさまざまな公式行事が行われました。

 地域に順応した環境負荷が少ない牧畜に関する分科会に東北から参加し、日本短角種の飼育事例発表を行った合砂 哲士(あいしゃ さとし)さん(19)=岩手県岩泉町=は、「短角種同様、絶滅の危機にある希少な牛を飼育するカメルーンやスコットランドなどの生産者と意見交換し、良い励みになった」といいます。 

 余目ネギを生産する関内 清一さん(59)=仙台市宮城野区=も「希少種の保存に意欲的な生産者同士が国境を越えて出会えたことが収穫だった」と参加の意義を振り返ります。生産者らの滞在先となったのは、冬季五輪の選手村となった施設。関内さんらは、トリノ滞在中にピエモンテのネギ生産農家を訪問し、Porro(ポッロ=ポロネギ)生産の様子を見学したそうです。訪問先の農家では、ネギ畑の中に即席のテーブルをしつらえて、地元のワインと心づくしの料理で歓待してくれたのだとか。

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【photo】ファストフード大国アメリカの食意識を変えたといわれるカリフォルニア・キュイジーヌの祖「シェ・パニース」のアリス・ウオーターズ "slowfood archives"

 今大会における生産者と並ぶもう一方の主役は、世界中から集まった1,000人の料理人でした。その中には、料理雑誌やテレビなどのさまざまなメディアに登場する有名な料理人も含まれます。日本からは、スローフード協会の末端組織にあたる「コンヴィヴィウム」から推薦され、協会本部が最終的に選抜した11人の料理人が招聘されました。

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【photo】テッラ・マードレ開会式に参加した日本の料理人の中から。右から鶴岡市「アル・ケッチァーノ」奥田政行シェフ、京都「吉兆」徳岡邦夫料理長、パリにある日本料理店で腕を奮う山形出身の女性料理人、宮城「ふみえはらはん」渋谷文枝さん

 彼らが一同に会した席上、フランスのレストラン評価本「ミシュラン」の星をもっとも多く獲得している著名な料理人アラン・デュカス氏は、食のオピニオンリーダーである料理人が固有の文化を反映した郷土料理を伝承する必要性を述べました。

 現在、世界で最も予約が困難だといわれるスペインの人気レストラン「エル・ブジ」のシェフ、フェラン・アドリア氏の「西欧の価値観に基づく料理を模倣する時代は終わった。皆さんは自身の多様性を誇りにして良い」とのスピーチに、会場は喝采に包まれました。

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【photo】エル・ブジのフェラン・アドリアは一段と大きな拍手で迎えられた

 農家レストラン「ふみえはらはん」の渋谷文枝さん(59)=宮城県加美町=は、「バイオ技術によって耐病性や収穫効率を上げる一方で、採種不能にしたため、毎年農業生産者に種子の購入を強いる "F1種子" の販売権を巨大資本が独占している現状に、改めて自然な農業のあり方でもある自家採種の大切さを痛感した」といいます。インドの経済学・物理学者のバンダーナ・シーバ女史は、綿花のF1種子販売権を独占する米国系多国籍化学メーカーM社に負債を抱えたインドの農業生産者が、数千人単位で毎年自殺に追いやられている現状を閉会式のスピーチで報告したのです。

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【photo】生産者に種子の選択の自由を与えよ!と訴えるバンダーナ・シーバ女史のスピーチに、会場はスタンディング・オベ-ションと鳴り止まない拍手に包まれた"slowfood archives"

 庄内ベジ・イタリアン「アル・ケッチァーノ」の奥田政行さん(37)=鶴岡市=は、「効率優先の風潮の中で失われた人間同士の食を通じた結びつきが、東北にはまだ残っている。関係性を重んじるスローフードの精神が息付いている東北から、大切なものは何かを、今まで通り発信してゆきたい」と抱負を語りました。

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【photo】世界中からテッラ・マードレに集った1,000人の料理人たちが、再会を誓ったファイナルセレモニー。高く放り投げたのは、協会から贈られた調理帽
 
 閉会式でジャーナリスト枠で参加した私を含む参加者全員に配布されたのは、世界中から選ばれた1,600ものプレジディオに指定された食材を紹介した冊子。その名もズバリ「Terra Madre 2006」。生物多様性と個性ある食文化の縮図ともいうべき760ページあまりの分厚いこの一冊には、各プレジディオ生産団体のプロフィールや連絡先などが記載されています。

 その冊子を手に「ここに集った皆が、帰国後も連絡を取り合おう」と、生産者・料理人・研究者・マスメディアらのネットワーク構築の意義をアピールして締めくくったペトリーニ会長の演出が印象的でした。

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【photo】閉会式で連帯の必要性をアピールするカルロ・ペトリーニ会長 "slowfood archives"


【注1】
「味の箱船」とは?
◆生産や流通の過程で効率を優先する近年の考え方、あるいは過度な衛生管理規定によって、伝統的な製法で作られる個性的で安全な食品の多くが、消滅の危機にある。スローフード協会は、それらの食品を「味の箱船」に指定して、保護に乗り出した

スローフード協会が規定した登録基準および禁止事項は以下の通り
●登録基準1:その生産物が、特別においしいこと
     (この場合の「おいしい」とは、その土地の習慣や伝統を基準にする)
●登録基準2:その生産物が、ある特定の集団の記憶と結びついており、相当程度の年月、その土地に存在 した植動物の種であること。また、その土地の原材料が使われた加工・発酵食品であるか、地域外からの原料であっても、その地域の伝統的製法で作られること。(この場合の「記憶」や「年月」は、現地の歴史に照合して判断する)
●登録基準3:その地域との環境・社会経済・歴史的なつながりがあること。
●登録基準4:小規模な生産者による、限られた生産量であること。
●登録基準5:現在、または将来的に消滅の危機にあること。

▲禁止事項1:遺伝子組み替えではないこと、遺伝子組み換え食品が生産の一部にも一切、関与していないこと。
▲禁止事項2:トレードマークや商業的ブランド名がついてない生産物であること。
▲禁止事項3:選定後も、スローフード協会のロゴやかたつむりマークを、直接、食品に掲載しない。

2005年12月にスローフードジャパンが認定した日本の「味の箱船」9品目のうち、6品目が東北から選ばれた。その6品目は以下の通り。
 「日本短角種」「安家地ダイコン」(岩手)
 「花作ダイコン」「米沢雪菜」(山形)
 「余目ネギ」「長面の焼きハゼ」(宮城)


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