2012年5月 2日
【ソーシャル, 新聞&ネット】「情報の呼吸法」と 「リアルタイム紀行型ジャーナリズム」
ジャーナリスト、津田大介さんの「情報の呼吸法」(朝日出版社)を興味深く読みました。ソーシャルメディアの活用について、ツイッター中心に解説しています。ツイッターをこれから始める人、使ってみたけれど今ひとつ次の展開が見えない人の参考になるのは間違いありません。個人的には最近ツイッターからフェイスブックに移りつつありますが、津田さんが「第3章 情報は発信しなければ、得るものはない」で書いている「リアルタイム紀行型ジャーナリズム」に強く触発されました。新聞、テレビなど伝統的なメディアに身を置き、これからのジャーナリズムのありようを考えている人にとっても重要な実践例です。ツイッターをもう一度とらえ直してみたい気持ちになっています。
「リアルタイム紀行型ジャーナリズム」について津田さんは以下のように書いています。
「被災地のいわきに行ったときに、いま自分がやっていることは『リアルタイム紀行型ジャーナリズム』とでも言えるのではないかと感じました。ツイッターを通じて『今いわきにいます。どこに行ったらいいですか?』と訊くと、現地の人が行くべき場所を教えてくれる。『でもこの地域の現状はこうなんですよ』ということも教えてくれる。
「現地の生の声が僕を中心に寄せられて、それを僕がリツイートし再配分することで、被災地の現状や知られていない問題を生々しいリアリティで多くの人に伝えることができる」
津田さんの言う「リアルタイム紀行型ジャーナリズム」について自己流で受け止めてみます。まず、取材活動自体がツイッターによって可視化される点が重要です。取材対象や取材テーマが取材地の様子に詳しい人たちが関与することで決まる可能性があります。取材に関するツイッターでのやりとりが、取材者をフォローしている人の間で共有されるだけでなく、取材者が現地取材を通じて見たり、聞いたりした事柄がリアルタイムで報道されることだってあるでしょう。その報道に関するツイッターの反応も、即座に可視化され、広がります。取材過程が一切、見えない、伝統的なマスメディア的振る舞いとは全く異なります。
ツイッターが持つ報道的側面といえば、これまでは航空機の墜落を見た人や乗客自身がツイッターでいち速く報道する、というように、とかく「速報」の面が強調されてきたかもしれません。
津田さんの「リアルタイム紀行型ジャーナリズム」は「リアルタイム」である点で、もちろん「速報」です。同時に旅人が移動しながら取材して歩くようなイメージを受けます。移動型の「モバイルジャーナリズム」といっていいかもしれません。地域に由来する地方新聞社にとって、フリーのジャーナリストは文字通り「旅人」にすぎませんでした。しかし、「リアルタイム紀行型ジャーナリズム」では、「旅人」と問題意識を同じくする人々、その地域の事情に通じている人々がツイッターで多様にかかわるので、一種の参加ジャーナリズムのニュアンスさえ感じます。
従来型のマスメディアとは全く異なる形で情報が流れる点も重要です。単に情報の流れ方が違うのではなく、情報の受け手自身が発信者になる、リツイートの様式の上に成り立つジャーナリズムでもあります。
地方新聞社がネット分野で本当に仕事をしようとするなら、ソーシャルメディアの活用も含め「新しいコンテンツ」と「新しい報道のスタイル」をきっちり研究し、実践する必要があります。ちなみに河北新報の地域SNS「ふらっと」は「コンテンツ」「スタイル」の双方を意識しながら手探りしています。
新聞に掲載されるニュースをオンラインに再掲するだけでは意味がありません。インターネットが持つ特性や可能性を新聞の購読者向けサービスに閉じ込めてしまうのも、それだけではむしろ長期的に問題が残ります。新聞とネットを組み合わせ、あるいはネット単独の仕掛けを使いながらジャーナリズムの新しい形を模索する必要があります。津田さんの「リアルタイム紀行型ジャーナリズム」の実践活動が、伝統的なマスメディアのこれからにとってどんな意味合いがあるかについてしっかり考えてみたいものです。
2012年4月 9日
【ソーシャル, 新聞&ネット】大震災と「つむぐ」/キュレーションメディアへ
河北新報社が始めたフェイスブックページ「つむぐ 震災を超えて」を紹介します。東日本大震災に関するオンラインの情報を、集約し、ご覧いただくために考えたサイトです。 「つむぐ」はもちろん「紡ぐ」です。東日本大震災によってもたらされた現実を反映した取り組みや、そこから伝わってくる多様な声を集め、風化することのないメッセージの流れと人の結びつきを編んでいこうと考えました。URLはhttps://www.facebook.com/tsumugu.tohokuです。ぜひ一度おいでください。
震災から1年以上が過ぎました。被災地の風景はだいぶ変わったように見えるかもしれませんが、被災者を取り巻く環境は以前として過酷です。そんな中で、震災からの再生に向けた動きも多様に進んでいます。「つむぐ」では第1段階として、河北新報社の編集局デジタル編集部の記者たちがこれはと思うオンライン上の情報を毎日、紹介しています。最近、はやりの「キュレーション」をちょっとだけ意識しています。3月末で発展的に解散したメディア局で、SNS「ふらっと」やTwitter、Facebookの運用を担当してきた記者たちです。
担当者の視界の広がりには差があるし、オンラインの世界へのアンテナの張り方にも個人差があります。被災地にいるとはいえ、新聞社の内側にいて見えることの限界もあるはずです。最近、いろいろに使われている「キュレーション」する人「キュレーター(curator)」のもともとの意味は「学芸員」です。美術館や博物館で専門的知識を生かしながら作品を紹介したり、解説したりする人たちです。
今、主にオンラインの世界で使われている「キュレーション」には、あらかじめ決まった教科書があるわけでもありません。言うは易くです。簡単にできるとは思えませんが、被災地に向き合う地域メディアとして、あまり制約を設けずに新しい仕事領域を開拓するつもりでちょうどいいでしょう。
「つむぐ」の本番環境は第2段階に設定してあります。趣旨に賛同するオンラインの使い手のみなさんとの共同作業の場にしたいのです。新聞社の内側にいてキャッチできる情報は高が知れています。オンラインの特性を生かして外に向かって自分たちの仕事を開いていく必要がある。外部の人とのコミュニケーションを通じて仕事レベルを引き上げていく-。河北新報の地域SNS「ふらっと」を立ち上げたときと同様の問題意識です。
日々の暮らしの中で震災に向き合ってきた人々との共同作業が必要です。それを通じて地域発の「キュレーションメディア」とでも言うべきものを作れないか。地域で震災に向き合う多くの人たちに「紡ぎ人」になってもらい、地域に深い関心を持つマスメディアとしても、その得意技を生かす場面を模索する。「河北新報社」の文字が「つむぐ」のイメージカットに入っていない理由です。
2012年3月 4日
【ソーシャル, 新聞&ネット】新たなジャーナリスト像をつくる現場
2012年3月3日、神奈川県平塚市にある東海大学湘南キャンパスで開かれた「ジャーナリスト・エデュケーション・フォーラム2012」に参加しました。「JCEJ(Japan Center of Education for Journalist)」(藤代裕之代表運営委員) の主催です。多様に設定されたテーマは「ジャーナリスト」「ジャーナリズム」を考えるための多角的な切り口を与えてくれました。受講者90人は職業や世代を超えて集まり、マスメディア中心に組み立てられてきた従来型のジャーナリズムを超えたところに、多くの人々の関心、視線が集まっているように思えました。
午前中の総括的な講演に続き受講者は「データジャーナリズム」「コミュニケーションデザイン」「イノベーション」のテーマに分かれて議論しました。欧米中心に動きが見られる「データジャーナリズム」に関するセッションが興味深かったです。駿河台大学専任講師の八田真行さんと前ネットレイティングス社社長で、トランスコスモス社理事エグゼクティブリサーチャーの萩原雅之さんの報告を聞きました。
データジャーナリズムは、政府や行政、企業などが有する大量の公開情報を迅速かつ専門的に解析し、問題の所在を浮き彫りにします。オンラインの特徴を生かし、無味乾燥なデータをビジュアルに表現するのが特色です。これまでの初歩的な取材では、米国の場合、いわゆるマルチメディアジャーナリスト教育のカリキュラムとして、公開情報をビジュアルに見せるための理論や技術が重視されています。また、政府やNPOが所有する大量のデータを専門会社が処理し、報道機関に提供するような「メディアの分業」の形もあるようです。
日本では情報の公開自体がまだ不十分な側面がありますが、欧米では、政府・行政が所有する情報の公開を求める大きな流れが背景にあります。より大量のデータを、より迅速かつ効果的に処理できるデジタル技術が発達したことも、新しい形の報道の形をもたらしつつあります。
萩原さんの報告では「寿命×所得×人口でみる200カ国の200年を4分間」で見ることのできるデータジャーナリズムの事例が圧巻でした。英国BBCの報道番組の事例で、スウェーデンの公衆衛生学者、ハンス・ロスリングさんの研究成果を紹介しています。(BBCのサイトの「CLIPS」をご覧ください)
200カ国の200年間にわたる寿命、所得、人口のデータを解析し、大きな戦争があった年は人口が減少するといった、200年間の社会事象との関係も理解できるようになっています。統計情報を単独で評価するだけなく、重層的に組み合わせ、分析することによって、まったく新しい意味が浮き彫りになります。データジャーナリズムの可能性をうかがわせます。
八田さんはデータジャーナリズムの基礎的なポイントに触れたうえで、海外の事例を報告しました。一定の形式を備えたデータであれば、簡単に図表を作成したり、地図と連携させたりできるオンラインサービスについても詳しく説明しました。八田さんによると、データジャーナリズムに本格的に取り組むには、統計学、経済学、プログラミング、デザインなどに関する専門知識が必要です。マルチメディアジャーナリストが担うデータジャーナリズムのほか、専門的な知識を有する地域の人たちと地域の問題に取り組む、協業型のデータジャーナリズムの方向がぼんやりとではありますがイメージされました。
2012年2月 8日
【ソーシャル, Books】薄暗がりのウェブ/「インターネット・デモクラシー」
フランスの社会学者ドミニク・カルドンさんの「インターネット・デモクラシー 拡大する公共空間と代議制のゆくえ」(トランスビュー)を読みました。久しぶりに読みごたえのあるインターネット見解に触れたような気がします。キーワードは「公共空間」と「代議制」です。特にSNS、ツイッター、フェイスブックなど、ソーシャルメディアが活用されるネット社会の新しい領域を「薄暗がりのウェブ」と表現している点が注目されます。公共空間の拡大や政治形態のありようからメディアとインターネットとの関係、女性や社会的な少数者の参加の問題についてもあらためて考えるきっかけとなるはずです。翻訳家の林昌宏さんが翻訳、東大大学院情報学環の林香里教授が翻訳と解説を担当しています。
66ページに掲載されている図「公共の場における4つの発言形態」を見てから読むことをおすすめします。カルドンさんのインターネット理解の中核ともいえるものです。まず「ネット社会における公共空間」に登場するプレイヤーを「発言する人物」と「発言の話題にされる人物」に分類します。「発言する人物」は「プロ」と「アマチュア」に分け、「話題にされる人物」を「公共の領域で知名度のある有名人(政治家、企業経営者、専門家など)と、特別に注目の対象にならない一般人」に分類します。
そのうえで、「プロ]と「アマチュア」を横軸に設定し、「有名人」と「一般人」を縦軸にして「公共空間」を4つに区分します。「アマチュア」がブログなどで「有名人」について語るエリアが「参加型のウェブ」、「アマチュア」が「一般人」について語るエリアが「薄暗がりのウェブ」となります。「薄暗がりのウェブ」では,「ほとんどの者たちは、自分自身のこと、自分の家族のこと、自分の気持ち、自分の趣味などについて語」ります。
「要するに、個人のおしゃべりである。彼らは、身近なネット仲間以外に、誰が見聞きしていようとほとんど気にしない。薄暗がりで交流する主人公たちは、このような交流が成り立つのは、人目につくのが限定的な、このような領域においてであると信じているようだ」
「薄暗がり」のネーミングがどんな意味なのかについて直接の説明はありませんが、もっぱら「プロ」が「有名人」や「市民」について語る、伝統的な公共空間から見れば、何が行われているか、よく分からない「薄暗がり」というほどの意味でしょうか。インターネットの急激な発達は、ちょっと前なら私的な空間であったはずの発言やコミュニケーションにも公共性をもたらし、そのこと自体が既存の価値観や秩序に大きな衝撃と変化をもたらしつつあるというわけです。その点についてカルドンさんは「インターネットが社会全体に浸透するに伴い「公けに発言する権利が社会全体に広がる一方、私的なおしゃべりの領域が公共空間に組み込まれるという、二重の革命が起こった」と書いています。
解説の中で林教授は「その言葉どおり、そこはジメジメとして暗く、何があるか、どこまで広がっているかわからない未踏の領域」「この領域こそ、従来のマスメディアにはない、ネットに広大に広がる表現・言論空間であり、しかもそれは、政府の公式見解やマスメディアのスクープと同じ空間に並列されてしまうところが、インターネットのポテンシャルとリスクとを物語っている」と述べています。
2012年1月 6日
【ソーシャル, 新聞&ネット】地域メディアとネット/重要なのは報道
2012年が動き出しました。東日本大震災と、それがもたらした事柄を軸に社会のあらゆる場面で組み立て直しを迫られるでしょう。むやみに新しい言葉づくりが先行するのは抵抗がありますが、「災後」あるいは「災後社会」におけるメディアのありようについて考えたり、実践したりすることなしに一歩も前に進めない状況です。
河北新報社のネット部門がスタートしたのは15年前です。現在までニュースサイト、データベース、電子メール、モバイル、ブログ、SNS、ツイッター、フェースブックが仕事に絡んできています。ネットの世界は相変わらず片仮名が多く、いつも外からの移入品で仕事するように言われている感じがします。
インターネットは米国生まれなんだから仕方がないとも言えますが、いわゆるソーシャルメディアに関して言えば、地域に由来するメディアの方が、より直接的な利用シーンが考えられます。
ソーシャルメディアがもっとも得意とするのは、人と人、組織と人を1対1の関係で取り結ぶコミュニケーションです。言葉を変えれば、読者や利用者との丁寧なコミュニケーションのように、従来マスメディアが不得意としてきた部分に可能性をもたらします。地方新聞社の仕事現場で、ソーシャルメディアを活用しながら地域とつながる醍醐味を一度味わってみてほしい。
地域に由来するメディアにとってインターネットが厄介だったのは、どんな魅力的な製品やサービスでも首都圏に比べて伝播が遅いので、相対的に利用者が少ない点です。それなのに日本の新聞社がインターネットに取り組んだ当初から広告モデルでした。そもそもネットユーザーが少ない地方圏では、地元から遠方に飛ばすべき広告は期待できません。大手企業のサービスや商品をPRする媒体として新聞社のホームページを使ってもらう以外になかったわけですが、その広告を見るユーザーが少ないのですから話になりません。
勘違いの広告モデルでスタートしたことが、今もあまりいい結果を招いていない点が心配です。人も技術もサービス感覚も、ネットの世界では実績がないに等しいレベルなのに、初めから収益を期待し、ビジネスモデルを要求しました。自分が直接の担当者だったことを棚に上げてしまえば、無茶ぶりも同然でした。
東日本大震災の衝撃の下、不十分ながら多くのメンバーとともに試行錯誤した結果、分かった点が一つだけあります。それは新聞社にとってネットビジネスをうんぬんする前に大事なことがある。それが報道なのだ、ということです。新聞とネット双方を報道機関としてきっちりコントロールし、ソーシャルメディアも含めてネット社会のニーズにこたえうる環境をまず実現する必要があります。
2011年12月13日
【ネット活用, 新聞&ネット】大震災がもたらした「当事者性」/メル・プラッツ公開研究会
メディア表現とリテラシーについて語り合う「メル・プラッツ」の第31回公開研究会が2011年12月10日、仙台市の東北大学青葉山キャンパスで開かれました。東日本大震災後、日本のメディアはどこに向かおうとしているのか。そんな問題意識に支えられた議論でした。最も印象的で重要なキーワードは「当事者性」です。日本のメディアに対する批判や提言とともに、極めて前向きな考え方として示されました。震災の衝撃と混乱の中、地方新聞社のありようを手探りしてきた立場でも、重要な手掛かりになりました。
研究会のテーマは「メディアの森はどうあるべきか:ポスト3.11の語りと記憶から」。仙台市の「せんだいメディアテーク」企画・活動支援室長の甲斐賢治さん、ニューヨークタイムズ東京支局長のマーティン・ファクラ-さん、東大情報学環教授の水越伸さんの3人が報告しました。
「当事者性」について語ったのは甲斐さんです。甲斐さんは震災後、「3がつ11日をわすれないためにセンター」の設立にかかわりました。市民やNPOなどが撮影した復興の過程を記録保存し、発信する活動に取り組んでいます。
「今回の大震災で一つ明らかなのはわたしたちは『他者』ではないという点だ。当事者だからこそ語れることがある。被災地で獲得された当時者性によって、わたしたちに必要なメディアを自分自身で動かせるんじゃないかと思い、『忘れん』を立ち上げた」
「当事者側に立って、自分たちの自身のメディアを持つことは、マスメディアの公平性、公共的な感覚に基づく報道とはまったく違う立場だ。マスメディアとは違う立場で『当事者』として発言できるメディアだ。それはひょっとしたらジャーナリズムではないのかもしれない。僕はジャーナリズムでなくともかまわないと思っている。発信する場所が(メディアテークのような)生涯学習施設で、それを動かすこと自体、生涯学習として重要だと考えた」
ファクラ-さんは震災直後に被災地に入って報道し続けた経験を踏まえ「福島第一原発の事故にあたって、(放射性物質の拡散予測システム)スピーディ(SPEEDIE)を政府が公表しなかった。政府がそれを隠した事実もさることながら、日本のメディアがそれを報道できなかったことが、おそらく重要な出来事だ」と厳しく批判していました。
「原発事故に関しては、日本の東京の新聞、テレビは大本営型の報道を続け、どのメディアを見てもほとんど同じ内容だった。わずかに東京新聞が、全国紙が書かないような報道に取り組んだのが目立つぐらいだ。被災地の新聞社として、全国紙の視点とは違った主体性で報道を続けた例もある」
ファクラーさんによると、ニューヨークタイムズもニューヨークの地方新聞社の性格を強く持っています。同社の紙の新聞の発行部数は約115万部。ニューヨークタイムズのニュースをインターネットで読んでいる読者は3500万人に上っています。
「日本のメディア状況を展望するアイデアとしては、全国紙とは違う価値観、主体性、多様性を持つ地方紙がその主体性をしっかり守り、インターネットを活用して、全国展開するのがビジネス的にも有望なのではないか」
「日本の社会は米国や韓国のように対立がなかったので、特色のあるメディアが育たなかったと考えられる。しかし、対立がなかった日本の社会も、今や大きく変わりつつあるし、震災後、日本の大手マスコミに対する国民の不満や不信も強まっている。日本のメディア状況は大きな転換期を迎えている」
水越さんは「当事者性」に裏付けられる市民メディア、市民ジャーナズムと、ファクラーさんの言う、日本のメディアの現状と展望はつながっている、と強調しました。
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2011年12月 8日
【ソーシャル, Books】特定の人に向けて/ 「いますぐ書け、の文章法」
ソーシャルメディアの文章表現についてあれこれ考えているうちに面白い本に出合いました。雑誌ライター、堀井憲一郎さんの「いますぐ書け、の文章法」(ちくま新書)です。不特定の読者ではなく、伝えるべき「人」を明確に意識して書くことをすすめています。堀井さんはオンラインを前提にしているわけではありません。人をつなぐことに強力な力を発揮するソーシャルメディアの文章法としても、有効な点が多々あるように感じました。
ややくどいのですが、章見出しをすべて並べてみます。「プロとアマチュアの決定的な差」「文章は人を変えるために書け」「客観的に書かれた文章は使えない」「直感のみが文章をおもしろくする」「文章は言い切らないといけない」「文章で自己表現はできない」「事前に考えたことしか書かれていない文章は失敗である」「文章を書くのは頭ではなく肉体の作業だ」「踊りながら書け」
堀井さんは「誰に向かって、どういうことを書いているか」が重要だと強調しています。しかも、特に大事なのは「誰に」であり「内容なんかどうでもいい」とまで書いています。
読者を大切にする、不特定多数に向かって書く、若い女性に読んでもらう-などでは、読んでもらえる文章は書けない。書いても恐らく失敗に終わる。堀井さんは「28歳のよく笑う女性:ユリエちゃん」に読んでもらいたくて文章を書くんだそうです。具体的な「人」を明確に意識する文章法といっていいでしょう。堀井さんの文章法は、さらに多様で幅広い、実戦向きのノウハウを多数含んでいます。
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2011年12月 6日
【ソーシャル, ブログあれこれ】ブロゴス アワード 受賞は逃したけれど
インターネット大手のライブドアが主催する「BLOGOS AWARD(ブロゴス アワード) 2011」というイベントに参加しました。この1年(2011年1月-11月)でよく読まれたブログの書き手(ブロガー)を表彰し、ブログメディアの分野を育てていこうという、初めての試みです。受賞候補としてノミネートされたブロガーは31の個人と団体。河北新報社が東日本大震災から半年を迎えた9月11日を機に立ち上げた地域発のメッセージサイト「オピのおび ふらっと弁論部」も受賞候補としてノミネートされていました。「オピのおび」に参加してくれているブロガー20人の代理のつもりで出席しました。
「BLOGOS AWARD 2011」の結果はこちら。写真は2011年12月5日、都内で開かれた表彰式。
残念ながら受賞は逃しました。各賞の選定基準は、この1年間にどれだけ読まれたか-というものでした。「オピのおび」のように、秋口に参加したばかりの「新顔」としては、ノミネートされたことをブロガーさんとともにまず喜びたいと思います。
負け惜しみではありません。以下、受賞式を見ながら考えたことを書いてみます。
「オピのおび」に参加しているブロガーのみなさんは、それぞれの立場で「3.11」を見詰めています。「3.11」は日本の政治経済の仕組みや日本人の生き方自体を変える衝撃をもたらしました。その衝撃波はこれから数十年かけて広がるはずです。震災を直接体験した人々の視点は時に斬新で、新鮮です。重要でもあります。
「オピのおび」のような地域発のメッセージサイトは、少なくとも東北各地に誕生すべきだし、地域に由来する新聞社が言論機関として「ネット社会」に参加するための入り口としてふさわしい。古いメディアの典型のように言われる新聞社が、地域のブロガーとともに、それぞれに得意技を生かす形で言論を構成していく過程そのものが新しい地域ジャーナリズムを生み出す可能性を秘めています。
「BLOGOS AWARD 2011」には、全国的に有名な人気ブロガーやテレビでも知られている専門家、インターネット草創期から活躍している筋金入りの言論人などがノミネートされていました。受賞式にはブログの書き手として実績のある100人も招待されており、いずれも個性的で、エネルギーに満ちた人々でした。
ブロガーのみなさんは、民主主義の重要性について熱く語ります。大賞を受けた「ちきりん」さんは、「匿名による言論」の意味について深く考え、自らがモデルとなるべく努力しているように見えました。既存のマスメディアに対する批判は全体として鋭いけれども、それに代わるメディアの形についても、一つに決めつけない多様なイメージが伝わってきます。
表彰式の壇上で、ブロガー同士の主張がぶつかり、小さな火花が飛び交うなど、真剣そのもの。長いこと、新聞社のネット部門に携わり、自分でもブログの表現形式を幾つか実践している立場でも、この日のブロガーのみなさんの個性的で、とがったメッセージがいかに鮮明であるかに気付かされました。
2011年11月30日
【ソーシャル, 新聞&ネット】情報ボランティアプロジェクト
3月11日の東日本大震災以来、河北新報社のネット部門では、ソーシャルメディアを使った取り組みが急速に進んでいます。その一つが東北学院大と始めた「情報ボランティア育成プロジェクト」です。河北新報社メディア局の記者たちが、情報ボランティアの学生たちをサポートしながら被災地で取材します。その結果を河北新報社の地域SNS「ふらっと」やFacebook(フェースブック)などのソーシャルメディアを使って発信する試みです。
記者たちが学生ボランティアをサポートし、ソーシャルメディアを活用するスタイルは、マスメディア的な振る舞いを得意としてきた新聞社にとっては、エネルギーを要する力技です。大震災では、従来からのニュースサイトに加え、ブログ、SNS、ツイッターなどのソーシャルメディアを通じて河北新報社にアクセスする人々が爆発的に増えました。ソーシャルメディアを活用する人々を無視するわけにはいかなくなっています。
地域に由来する地方新聞社の場合、もともと地域に寄り添いながら報道し、営業することを得意としてきました。課題があるとすれば、新聞社員が地域の構成員として振る舞ったり、メディア分野の知識や経験を有する立場で振る舞ったりすることのバランスをうまくとれるかどうかです。
記者の仕事の仕方で言えば、取材する立場と、ソーシャルメディアを使って、地域の多様なコミュニティーに参加する立場-の双方を身につける必要があります。マスメディアの担い手としての振る舞いとはかなり異質な面もありますが、情報ボランティア育成プロジェクトにかかわっているチームの様子を見るかぎり、新聞もネットも使う方向に頭を切り替え、特にソーシャルメディアを活用する基本的なノウハウさえ覚えれば、実践面の工夫はいくらでも可能なようです。
情報ボランティア育成プロジェクトでは10人が活動しています。東北学院大以外の大学にも広がり、最近では、地元の企業集団が仙台市から受託した被災者向けの情報提供サービス事業に協力する役割が加わりました。情報ボランティアとしてのノウハウを生かし、仙台市内の仮設住宅や民間の借り上げ住宅の入居者など8000人に月1回、「かわら版 みらいん」=写真=を届ける役割です。東北学院大の岩崎真実さんと嘉藤梨奈さんが河北新報の記者と一緒に取材し「かわら版」を製作している様子が、先日、テレビのFNNスーパーニュース「被災地からのメッセージ 第10弾」で紹介されました。
2011年10月18日
【ソーシャル, 新聞&ネット】多メディア時代の震災報道
東日本大震災はその規模、被害の程度や状況、復旧・復興に向かうための課題など、あらゆる点で過去に例のないものだ。歴史的な震災に遭遇し、多くのマスメディアがそれぞれに役割を果たそうとしたが、被災者の置かれた状況は深刻かつ多様なため、本当に必要な情報を必要なだけ、必要なタイミングで提供できたかどうかは、今後の検証を待たなければならない。(「月刊 地方自治職員研修」2011年10月号から転載)
河北新報社(本社・仙台市)のネット部門では、新聞とネットの組み合わせ、とりわけSNSやツイッターなど、ソーシャルメディアによる報道・情報発信を可能な限り心掛けた。その経験を踏まえて率直に言えば、今回のような大規模災害の場合、特定のメディアの動向を軸にしても議論の展望は開けない。たとえば、既存のマスメディアが、いわゆる市民メディアや行政、NPOなどを含む「ネット社会」の多様な「メディアプレーヤー」たちと柔軟に協力する関係を日ごろから構築しておく必要を感じる。いろいろな特徴を持つ既存メディア自体も連携しながら、長期にわたって被災地、被災者に寄り添う道を研究すべきだろう。
●被災者の情報ニーズにこたえるメディア
河北新報社は仙台市に本社を置いている。東日本大震災で大きな被害を受けた宮城、福島、岩手、青森を含む東北6県に取材網と配達網を持つ。2010年12月末現在の新聞発行部数は約47万部。3月11日に発生した「M9・0」の巨大地震と巨大津波によって、河北新報社の取材、販売網は大きな被害を受けた。他の被災県の新聞社同様、新聞発行のすべての過程に携わる社員自身が被災者であり、自らの被災を半ばなげうつ形で、新聞を発行し続けた。
この点についての報告は既にさまざま例があるので詳しくは触れない。「いかなる状況でも新聞を休まずに発行する」エネルギーが、地域に由来するメディアとしての「メインエンジン」の役割を果たしたことは、あらためて確認しておきたい。
加えて東日本大震災は、地方圏のネット環境が本格的にブロードバンド時代に突入し、ブログ、SNS、ツイッターなどのソーシャルメディアが普及して初めての大規模災害といっていい。河北新報社には新旧さまざまなネットツールを使って情報を求めるアクセスが殺到した。ニュースサイト「コルネット」の閲覧数は地震発生前に比べて2倍、ユーザー数は6倍となった。同様に地域SNS「ふらっと」の閲覧数は2倍に増えた。河北新報社に寄せられる電子メールの数は3倍に増えた。河北新報社が公表している複数のツイッターアカウントは、地震発生直後からフォロワーが増え始め、その伸びは最低でも4・8倍、多いもので18倍に急増した(表)。ネット環境を経由して河北新報社に情報を求める人々、ニーズが一気に顕在化したように思える。インターネットが登場して20年。「ネット社会」がこれほどのリアリティーをもって迫ってきたのは初めてだ。
こうしたニーズにこたえるため、新聞に掲載されるニュースや情報をニュースサイトだけでなく、再編集してツイッターで大量に配信し続けた。地震発生直後から編集局夕刊編集部とメディア局ネット事業部の記者が自転車で被災地を回り、見たまま聞いたままを発信する「新機軸」にも挑戦した。
東日本大震災はライフラインへの被害が著しく、百万都市仙台を中心とする仙台圏でも電気、ガス、水道などが致命的な被害を受けた。市民の生活を支える飲食店、小売店、デパートなどはほとんどすべてが営業を停止した。ツイッターで配信した情報は「○○が開店している」「●●でランチを販売中。値段は...」など、より生活に近い「街角情報」の類だった。深刻な被災地の状況をつぶさに報道することを最優先とする新聞メディアとは明らかに異なる情報の流れが実現した。ガソリンの欠乏もひどく、身動きができないままに、長期間耐乏生活を強いられた被災者にとって河北新報のツイッター情報は役に立ったと確信している。
●二つのジレンマ
巨大地震、巨大津波、原発事故と、次々に発生する非常事態に遭遇し、河北新報社は新聞とネットの双方を使って、可能な限りの報道・情報発信につとめてきたが、二つの大きなジレンマを抱えた。
一つは新聞配達網が地震と津波によって打撃を受け、販売店自体が流出したり、新聞を配達する従業員自身も激しく被災したことだ。それに伴い、被害の深刻な地域ほど、新聞を届けることが難しくなった。最も深刻な境遇にある被災者たちを、せめて情報過疎に追いやらないために、少なくとも避難所には新聞が届くようなネットワークを行政、NPOなどと協力して構築しておく必要を感じる。新聞社の配達網が復旧するまでの間、たとえばボランティアセンターに集まるボランティアに1部でも2部でも新聞を持参してもらえれば、被災者にとっては喜ばしいはずだ。新聞配達網がうまく機能しないときの緊急避難的な代替システムを開発すべきだ。
ジレンマの二つ目は地震発生直後から電気が途絶え、通信が不調になったため、多様なネットツールを使って情報を発信しても、被害の深刻な地域には届くはずもなかったことだ。災害のたびに繰返される通信遮断は、別途、社会的に回避策を講じるべきだと思う。
