河北新報

2013年3月12日

【すみません。PRです。, 新聞&ネット】

ハイパーローカル始めました

photo_nekonome.jpg 河北新報社の関連会社の一つに「三陸河北新報社」があります。石巻市に本社があり、「石巻かほく」という日刊紙を約4万部発行しています。河北新報の購読者であれば月額200円で、石巻圏のより詳細なニュース、情報をお読みいただけます。その地域密着型、震災被災地ど真ん中の地域新聞社が、新しいウェブサイトをスタートさせました。「メディア 猫の目」といいます。

 http://ishinomaki.kahoku.co.jp/からご覧ください。

 新サイトの構築を担当しました。河北本社のデジタル分野の仕事に加えて、より地域に密着したメディアのデジタル戦略の形を模索しています。「メディア 猫の目」は、長年の目標を一つの形にしたものです。河北新報社のような、地域に由来する新聞社でデジタル部門を担当する人なら一度は経験した方がいいフィールドです。米国のメディア業界では、この分野を「ハイパーローカル」と呼び、多様な実験的な取り組みが進んでいます。

 詳細はフェイスブックで個人的に運営している「メディアプロジェクト仙台」に書いてあります。関心のある方はぜひお立ち寄りください。
 
 なお、このエントリーは河北新報社の地域SNS「ふらっと」のブログにも掲載します。

投稿者 yoyu : 11:13

2012年12月 3日

【ソーシャル, 新聞&ネット】

「デジタル・ストーリーテリング」の現場

media03.jpg 東大大学院情報学環の水越伸教授らのグループが「デジタル・ストーリーテリング」という名の活動に取り組んでいます。「デジタル」という言葉から、いわゆるマルチメディア系の動画やソーシャルメディアなどを活用した最新の取り組みを想像しましたが、「デジタル・ストーリーテリング」は、静止画(普通の写真)と音声を組み合わせて2分程度の作品を作るという、実に簡単なものでした。仕掛けは簡単ながら、仕事や暮らしの中で日々生まれる多様な価値観や行動の記録を情報として引き出し、情報の受け手との間に親密なコミュニケーション空間を作り上げるパワーを秘めています。

 「デジタル・ストーリーテリング」は、愛知淑徳大学メディアプロデュース学部准教授の小川明子さんが中心になって取り組んでいる「メディア・コンテ」というプロジェクトの中で行われています。小川さんや全国の大学の関係者らがチームを組んで、パートナーとなり、高齢者や子どもたち、学生、在日外国人が暮らしの中で感じた事柄を約2分間のショート―スーリーにするのをサポートする活動です。

 「メディア・コンテ」のウェブサイトはこちら

 2012年12月1日、宮城県名取市にある尚絅学院大学で開かれた「メディア・コンテ」に参加、取材しました。この日は、福島県いわき市にある東日本国際大の学生が東日本大震災後に作成した作品と、尚絅学院大の学生が作った作品を上映し、相互に評価し合いました。

 学生たちが作った作品は、それぞれ一人あるいは二人のパートナーのサポートを受けて作られました。「デジタル・ストーリーテリング」の知識・経験のある研究者が学生と話をしながら作品のテーマやストーリーの組み立て、使用する素材などを決めます。静止画10枚程度をつなぎ合わせ、音声を重ねます。

 学生たちの作品は想像以上に多彩でした。作り手の個性がストレートに表れるのは当然ですが、本人の肉声で語られる事情や関心が、若者らしい(あるいは若者らしくない)、一筋縄ではいかない調子で語られていました。大人の目で見るからか、突っ込みどころ満載で、作り手と話をしてみたい衝動にかられる作品も数多くありました。

 ある作品では、震災の津波で家を失い、今は避難先で暮らしている学生が、慣れない土地に戸惑いながらも、「『元の土地に帰りたい、帰ろう』という声があるけれども、自分は第2の家がある、この新しい土地で暮らす」と決意していました。

 「被災して深刻な状態にある人の苦しみを、自分が分かるとは言わない。分かるはずがない」と告白する作品では「でも、震災で受けたわたしの痛みは、誰にも分からないと思う。分かってほしくない」と言い放つのでした。

 大好きな国、韓国への旅行を間近にして、領土に絡む日韓問題が起き、大幅に予定を変更しなければならなかった学生の作品。「だいぶ不安だったけれど、行ってみればみんな優しかった。ホームステーステイでもよくしてもらえた。メディアのせいで揺らいだわたしの気持ち。本当にばかだったなあ」と言い切っています。

 学生たちとパートナーを務めた大学の関係者らのやりとりを見ていると、わずか2分の作品ではあるけれども、それを作り上げるためにパートナーとの間で行われるやりとりが非常に重要です。パートナーはインタビュアー、編集者、技術面のサポーターとして、幅広い役割を果たすようです。情報発信者である学生にとっては、表現にかかわる基礎的な知識や表現者としての立場の作り方、ストーリー展開など、身に着けることは多いはずです。
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 「デジタル・ストーリーテリング」がさらに重要なのは、情報を発信する人と、その作品を見る人たち=情報の受け手との間、あるいは受け手同士のコミュニケーションの契機になる点です。わずか2分の作品ですが、コミュニケーションの場づくりがおそらく無限に広がりそうです。

 仮に新聞記者が地域に入り込んで「パートナー」の役割を果たすとしたらどんな形がありえるでしょうか。ソーシャルメディアをうまく使いながら「パートナー」の役割を果たすことで、取材のレベルが上がるかもしれません。報道機関の役割として伝統的に期待されてきた議題設定機能やフォーラムの運営などに結び付く可能性があるように思います。

 たとえば2分間でニュースや記者の考えを伝えるコンテンツを写真と音声だけで作り上げるとしたら、どうでしょうか。何かとハードルの高いマルチメディア対応をもっと身近にするかもしれません。

 「デジタル・ストーリーテリング」の現場で起きる事柄は、マスメディア的に情報を発信する振る舞いと、どのあたりから違ってくるのでしょう。ものごと、できごとを多様な素材や逸話を使いながら伝えていく「ストーリーテリング(お話、語りもの)」の力は、本来、報道に携わる人にとっても必要なはずです。新聞社も関心を示すようになってきたソーシャルメディアを活用したメディア展開との接点もどこかにありそうな予感がします。あまり急ぎすぎてはいけないので、じっくり考えることにしましょう。

 小川明子准教授の話 「現在名古屋では障がい者のかたとの2回目の実践を行っています。とっても楽しくて、私自身がものすごく変わりました。物語を交わすというのは、情報を交わすのと違う、深くて、楽しい試みだと思っています」
 

投稿者 yoyu : 15:00

2012年9月28日

【ソーシャル, 新聞&ネット】

地方新聞社SNSの事例分析

ronbun02.jpg 地方新聞社7社のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)についての論文を読む機会がありました。「『地域ジャーナリズム』という事業-SNSに取り組んだ地方紙7社への調査から」です。東京大学大学院学際情報学府の畑中哲雄さんと同大学大学院情報学環教授の林香里さんが執筆しています。国立民族学博物館の調査報告「情報化時代のローカルコミュニティ-ICTを活用した地域ネットワークの構築-」(杉本星子編)に収められています。畑仲さんらの問題意識は、地方新聞社が何のためにSNSを導入し、「地域ジャーナリズム」との関連で何を目標としているか-にあります。新聞社がITあるいはICTを活用する動きは、インターネット以前のパソコン通信時代からあるわけですが、畑仲さんらが提起するポイントでは、目立った成果はありません。オンラインやインターネットが持つ本質的な意味をジャーナリズムのありようと関連付ける努力が決定的に欠けていました。ICT時代における日本の新聞界最大のウィークポイントと言ってもいいでしょう。

 畑仲さんらは「構造的不況下にある日本の地方新聞社が運営するSNSの全体像」を把握することを目指しています。前例のない貴重な調査で、各社の実務現場にかかわっている者の視界を広げてくれます。調査は2010年4月上旬から中旬にかけて行われました。日本の新聞社がツイッターやフェイスブックを本格導入する直前です。その後に起きた東日本大震災の影響も合わせて、新聞社のソーシャル展開前夜の状況をとらえた研究でもあります。

 調査対象のSNSは「ひびのコミュニティ」(佐賀新聞社)、「ふらっと」(河北新報社)、「あめかご.net」(新潟日報社)、「みんなで子育て応援団」(四国新聞社)、「みかん」(紀伊民報社)、「commit」(秋田魁新報社)、「カナココ」(神奈川新聞社)です。一部、運営を休止している事例もあります。

 畑仲さんらは「ジャーナリズム」と「コミュニティ」を対比的に用いながら、地方紙のSNS現場に迫っています。その結果、「担当者の多くが『ジャーナリズム』よりも『コミュニティの活性化』に重点を置き、自らの役割を権力監視者watchdogではなく、コミュニケーションを通じて人の暮らしを手助けするgood neighborと認識していることが確認できた」と結論づけています。地方新聞社のSNS運営は試行錯誤が続いているのであり、「ジャーナリズム」か「コミュニティ」かをいきなり問われるのは、正直、つらいものがあります。

 その前提を置いて言えば、重要なのは明らかにジャーナリズムです。「コミュニティ」だけを意識した情報サービスの類は、インターネット以前、パソコン通信時代に日本の多くの新聞社が手掛け、失敗しています。新聞発行以外の収益の道を確保する意味では、古くて新しい問題です。しかし、ブログ、SNSから始まりフェイスブックまでたどりついたソーシャルメディアは、個人や組織のありようを根底から変えようとしているのであり、その伸長に対応するにはICTを利用する上での根幹部分の議論が必要です。新聞社ならジャーナリズムや報道理念との関連を抜きにしては進めません。

 畑仲さんらは地方紙のSNSについて以下のような問いを投げ掛けています。(その後の状況を考慮すれば、ここで言う「SNS」を「ソーシャルメディア」に読み替えるのが妥当だと思います)

 「(SNSを利用するのは)いったいどういう理由からであろうか」
 「SNSを通じて何を達成しようとしているのであろうか」
 「それらはジャーナリズムにどのようなイノベーションをもたらしうるのであろうか」
 「こうした試みをすることによって、各地方紙は『地域ジャーナリズム』という役割や自己定義についてなんらかの変更や修正を加えているのだろうか」

 以上のような問いを設定したうえで、畑仲さんらは仮説を提示しています。アカデミズム特有の「速度違反」的な論理展開のような気もしますが、少なくとも河北新報のソーシャルメディア展開の目標とは合致しているので、最後に紹介します。

 「対象新聞社はコミュニカティブなジャーナリズムを志向しているのではないか」

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投稿者 yoyu : 12:01

2012年9月19日

【ソーシャル, 新聞&ネット】

ソーシャルメディアで「企業コミュニティ」

kigyo_commu.jpg 「ソーシャルメディア進化論」(武田隆、ダイヤモンド社)は、ソーシャルメディアの急激な普及に圧倒されている、すべての企業におすすめです。武田さんはエイベック研究所代表取締役。インターネット、特にソーシャルメディアを使って「企業」と「消費者」を結び付けることを提案しています。「企業」を「新聞社」「河北新報社」に置き換えながら読みました。新聞社の場合、主力商品の新聞、新しい需要開拓を急いでいる複数のデジタル商品があるだけです。多品種展開を得意とする企業とは少し違うかもしれません。報道という、特殊な環境がメーンである点も、やや特殊かもしれませんが、武田さんらが開発してきた「企業コミュニティ」の理論と実践に沿って新聞社コミュニティーのありようを考えてみたい衝動に駆られます。

 武田さんは学生ベンチャーから出発し、ソーシャルメディア・マーケティングの分野で実績を上げてきました。花王、ベネッセ、カゴメ、レナウン、ユーキャンなど約300社の企業コミュニティづくりを支援した実績があります。武田さんのチームの理論と実践の特徴は「企業コミュニティを使って、企業が利益を上げるためのノウハウ」を求めて揺るぎないことです。

 「企業コミュニティ」は何のために作るのでしょう。武田さんは「企業と消費者の距離を縮めることにある。いま、両社はとても遠い場所にいる、なぜ、お互いこんなにも遠い存在になってしまったのだろうか?それは、対話が喪失したからである」「企業コミュニティがもたらすもの。それは市場における対話の復活である」と述べています。

 新聞社は一度にたくさんの読者に新聞を届けます。基本的にマスメディアでした。読者の意見を聞くべく努力もしてきたつもりですが、継続性、深さ、頻度の点で十分だったとはいえません。強力な配達システムが機能してきたこともあり、「市場との対話」は販売現場の個別の努力にゆだねられてきました。新聞の中身についてはもっぱら編集の紙面改革の議論や、広告営業が担当する広告主との交渉に任せられてきました。非読者を含めた「市場との対話」を通じて商品を考える経験はありません。

 若い層を中心に「新聞離れ」が起きています。分厚い「団塊の世代」が高齢化のけん引役になりつつある中、スマートフォンやタブレット端末の登場など、デジタル環境が一段と進みました。「新聞」の根強い支持層だった団塊世代以上の人々が、多様なデジタル情報商品を押しのけ、これまで通り新聞を選んでくれるかどうかは分かりません。

 1日も早く本格的な「新聞社コミュニティー」を実現する必要があります。「消費者」の声に耳を傾け、新聞社の方から消費者に近づいていく以外に、次の時代につながる新聞社像を見出すことはできません。

 幸い、河北新報社には地域SNS「ふらっと」を中心にソーシャルメディアの運用経験があります。「ふらっと」やブログ、ツイッター、フェイスブックの導入を急いだ理由は、もともと、ネットを使いこなす人々との間に多様なチャンネルを作り上げ、地域のネット利用者に「河北さん」と呼んでもらえる環境を実現することでした。まさに「新聞社コミュニティ―」を意識していたわけです。武田さんのチームの取り組みを、思い切り素朴にしたものだったと言えないこともないのではないか、と振り返っているところです。

 
 

投稿者 yoyu : 13:54

2012年9月18日

【ソーシャル, 新聞&ネット】

あらためてソーシャルメディア

 最近になって日本の新聞界でも、いわゆるソーシャルメディアについての関心が高まっています。結構なことですが、道具・環境の珍しさや厄介さ、伝統的なメディア作法との違和感あるいはつながり、収益事業としての可能性などに関心が集中しすぎているような気がします。重要なのは新聞あるいは新聞社の今後のありようです。それぞれに向き合っている「社会」や「コミュニティー」「人々」との関係をどう作っていくかの方がはるかに重要です。

 新聞社が得意とする地理的なコミュニティー自体、インターネットを軸に大きく変わってしまっています。そこに住む人々の価値観や関心は今や測定不可能なほどに多様化しています。複雑にもなっています。「新聞購読者かどうか」といった尺度をあてはめるだけではほとんど何も見えてきません。

 日本の新聞社、特に河北新報社のような地域に由来するメディアにとっても、ソーシャルメディアに関する議論の出発点は「ソーシャル」であり「社会」であり「コミュニティー」であるべきです。かつては静止状態にあった「コミュニティー」自体、ネットの力によって地理的な枠組みから自由になっています。そこに住む「人々」についても「ずっとそこにとどまっている人たち=待っていてくれる人たち」ととらえるのはかなり難しい。従来型の組織や仕事環境を無傷のままに置くために「ソーシャルメディアをどう活用するか」を考えることも、無意味とは言わないまでも、出発点と方向を見失っていると言わざるを得ません。

 幸い、ブログ、SNS、ツイッター、フェイスブックなどの「ソーシャルメディア」は「新聞購読者かどうか」の尺度に変わる、重要な手掛かりをもたらしてくれます。新聞社がそれぞれに向き合っている「社会」「コミュニティー」「人々」とのつながりを多様に形成するために、唯一使える環境であることも間違いありません。

 現在、流行しているソーシャルメディアがすべてではありません。現時点で使えるソーシャルメディアの比較をうんぬんする声が時折、専門家の間にも聞かれます。道具の基本装備を比較しながら、ああでもないこうでもないを考え始めるのは、なかなか面白いので、ややもすると一番肝心な「地域」「社会」「人々」とメディアの関係を描く余裕がなくなります。ソーシャルメディアは「社会」や「人々」との関係をなるべく多様に作り上げるためのパーツにすぎません。より使えるものが登場したらそれに置き換えればいいだけです。

 河北新報社が2007年4月にスタートさせた地域SNS「ふらっと」についても、スタート当初から厳しい意見が多々、ありました。「ターゲットを地域に絞るのはマーケットを狭めるだけで、ビジネスモデルにならない。何の意味もない」「SNSはあまりに重装備過ぎて使えない」「SNSはいったん始めたらやめられない」「あの手の仕掛けを新聞社がやったら荒れるのは間違いない。一体、どうするんだ」等々・・。ありがたくも、重要なアドバイスを各方面からいただきました。メディアと「地域」「人々」との関係をデザインする手掛かりがほかに存在しませんでした。リスクを考えて踏み出さないのか、「ネット社会」で必要とされるメディアのデザインづくりに向けて試行錯誤を始めるのか。そこが大きな分かれ道になりました。

 SNSよりも1年前に手掛けたブログを含めて、ソーシャルメディアによって動き始めているテーマは、かなりの数に上っています。東日本大震災が2011年3月11日に「ドカン」と来たときに、ネット、特にブログ、SNS、ツイッターを使って情報を発信できたのも、4年にわたるソーシャルメディア体験があったからだと考えています。震災時にソーシャルメディアが果たした役割について各方面の検証作業や研究が進んできました。河北新報社のネットメディアとしての取り組みにどんな意味があったのかについて、やっと考える手掛かりが生まれつつあります。

 ソーシャルメディアの現場にかかわっている社員にとっては過剰なほどのテーマが今も動いています。ソーシャルメディアを仕事に組み入れると、確実に忙しくなります。なぜならソーシャルメディアの向こう側には、多様で刺激的なアイデアを持つ「人々」が存在するからです。その人々との関係を取り結ぶことなしには、「マスメディア」としてのありようも、地域に由来するメディアとしての姿もデザインすることは難しいはずです。

投稿者 yoyu : 10:38

2012年9月 5日

【ソーシャル, 新聞&ネット】

アーカイブの新しい展開/「311情報学」

johogaku.jpg 「311情報学 メディアは何を伝えたか」(岩波書店)は、東日本大震災に際して、テレビや新聞、ネットなどによって大量に生み出され、消費された情報を実証的に分析し、全体像を理解するための見取り図を提案しています。報道の成果であり、メディア各社の収益源と位置づけられているアーカイブ(データベース)のありようも含めた画期的なメディア論になっています。特に地域に由来するメディアの今後の地域戦略を考えるうえで、非常に新鮮で可能性に満ちた視点が注目されます。

 「311情報学」は国立情報学研究所教授で「連想情報学」を提唱している高野明彦さんを代表者に、東大大学院情報学環教授の吉見俊哉さん(社会学・文化研究、メディア研究)、独立行政法人防災科学技術研究所客員研究員の三浦伸也さん(社会学・社会情報学)が執筆しています。

 「第1章 311情報学序説」で吉見さんは日常生活圏、マスメディア圏、インターネット圏、専門家圏、行政機構圏-の5つの情報圏を提示、各情報圏から出力される情報を全体として把握し、理解・活用可能な環境として「アーカイブ」の重要性を強調しています。

 アーカイブはこれまでは各メディアが独自・閉鎖的な仕組みとして運用してきました。メディア間の連携もないに等しい状況です。「311」では地域的な情報の偏在が指摘されました。特に原発事故では、東京電力、政府など原子力関連組織の、事実上の情報隠しがあったうえ、メディアに登場する専門家の意見があまりに多様で、何が正しい情報なのかをめぐる混乱が生じました。報道の責任が問われてもいます。

 そうした経緯を踏まえながらアーカイブを社会的な「共通知」として位置付け、緊急時の社会的理解をサポートする環境として充実させられないかというのが「311情報学」のポイントの一つです。報道機関としての新聞社の活動は、取材を入口として執筆、新聞やウェブでの出版と続きます。アーカイブは報道活動の成果として位置づけられ、デジタル化以前の新聞記事や写真資料は新聞社がすべて管理しています。データベースビジネスとしての展開もあります。個人や団体の権利との調整という、大きな問題にも配慮する必要があります。

 この点について高野さんは注目すべき発言をしています。以下に引用します。

 守るべき権利があるとすれば、むしろコミュニティにあるはずです。コミュニティの記憶はコミュニティに返す。(NHKの)「のど自慢大会」はその地域に返す。サービスはユビキタスでどこまでも展開できるので、「のど自慢」大会はNHK放送センターではなくてその地域コミュニティに行けば見られるようにするのがまっとうだと思います。記録されている記憶は、もともと発生した場所に返していくようにデザインし直すと、コミュニティの記憶庫になります。そこに自由に出入りすることで、正しい記憶の回復につながります。

 吉見さんも「5つの情報圏」が相互に作用し合うことで生まれた大量の情報や「百年、千年の単位で過去に向かう時間軸」は、単なる歴史資料の保存の観点ではなく、「むしろ東北沿岸の町々の次世代による再生に向けての地域づくりや人づくりという集団的な実践のなかでこそ構想されていかなければならない」と強調しています。

 高野さんらのアーカイブ論は、広く地域に由来するメディアとしての地域戦略に関連すると思われます。長い間、地域とともに歩んできた地域メディアに対して、地域との協働の場面を新たに提案しています。ブログやSNS、ツイッター、フェイスブックなどのソーシャルメディアを活用しながら地域との関係の再構築に取り掛かっている実務の現場にとっても刺激になるはずです。

 「記録されている記憶」を「もともと発生した場所に返していくようにデザインし直す」とはどういうことなのか。現場に携わってきた一人としてさまざまなアイデアが浮かぶところです。高野氏は「NHKアーカイブスとか『河北新報』の記事などをコミュニティが共有するスキームができるといいですね」と踏み込み、国の仕事である「震災のデジタル・アーカイブ事業とそれらをシームレスにつなげて、同じフレームに入れていくこと」が、これからの公共的な記憶術」と述べています。

 「311情報学」には、311関連のテレビ報道に関する詳細な分析が盛り込まれています。ニュース報道の時系列の推移、情報の偏在について分析しています。分析には国立情報学研究所の「テレビアーカイブシステム」を利用しています。「テレビアーカイブシステム」は、テレビ番組でアナウンサーやゲストの発言を文字情報として蓄積・保存、検索可能にしてあります。三浦さんが分析を担当しています。 これも必見です。

投稿者 yoyu : 10:43

2012年8月28日

【すみません。PRです。, 新聞&ネット】

被災地と学生を結ぶインターン/地域メディアの役割を模索

intern_shuzai.jpg 河北新報社は東日本大震災のフォロープロジェクトともいうべき「新聞記者と駆ける報道最前線」を実施しています。被災地出身か被災地にある大学に通う学生が対象です。第1期23人が8月6日から26日までの日程を既に終了。9月10日から第2期(25人)が始まります。まだ数人分の空きがあるようです。

 河北新報社のような、地域に由来する新聞社は今後、若者世代との距離を縮める手立てをさまざまに講じる必要があります。同時に、「ネット社会」が進行する地域に、より密着する必要があります。「ネット社会」における若者世代との接点づくりは、新聞とネットの組み合わせはもちろん、ソーシャルメディアのような個人と個人をつなぐ力のあるメディアもふんだんに使いながら試行錯誤する必要があります。

 「新聞記者と駆ける報道最前線」は東日本大震災後、東北学院大との協業でスタートした「情報ボランティアプロジェクト」と同じ方向を目指しています。プロジェクトを運営する立場からは、情報発信力に富む若者を育成するために、プロの新聞記者がどんな役割を果たせるかがポイントになります。情報化、IT化が地域でも急速に進み、価値観が多様化するに伴い、従来型のマスメディア的手法だけでは限界があります。若い世代との協業を通じて、地域に由来するメディアの新しい地域戦略を育てていく必要があります。

 学生たちは3週間にわたってプロの記者と二人三脚で活動します。現場取材のルールやこつを記者の体験から学び、報道することの意味合いや報道に伴って起きる出来事についても考える機会となるはずです。最終的には一人ひとりが記事を書き、それらをもとに班ごとに代表レポートを仕上げます。編集局長がリポートに目を通して講評。優秀なレポート3点は夕刊に掲載されます。学生たちが各自書いた記事も地域SNS「ふらっと」にすべて掲載されます。

 河北新報社にとっては初めてのことでもあり、担当者の苦労は多いようですが、若者世代とのチャンネルづくりの実験場となっているのは間違いありません。

 写真は犠牲者の遺品の並ぶ名取市閖上小で取材する学生たち

▼インターンプログラムに参加した学生のブログ
▼「新聞記者と駆ける報道最前線」募集要領

投稿者 yoyu : 10:04

2012年8月20日

【ソーシャル, 新聞&ネット】

「災害弱者と情報弱者」 震災報道3カ月の分析

jouho_jakusha.jpg.JPG 東日本大震災の報道に関する分析がさまざまに試みられるようになってきました。「災害弱者と情報弱者」(筑摩選書)は、新聞メディア(全国紙)とウェブメディア(ヤフートピックス、ブログ、ツイッターなど)が震災後3カ月の間に報道した内容を詳細に分析し、主に「多様性」の観点から評価しています。早稲田大学大学院政治学研究科准教授の田中幹人さん、総合研究大学院大学先導科学研究科助教標葉隆馬さん、(株)キャリアブレイン勤務丸山紀一朗さんの共著です。

 第3章「震災後3カ月間の情報多様性」では、それぞれのメディアにおいて「震災・津波といった震災そのものに関連した情報を扱う割合」が時間の経過とともにどう変化していったかが述べられています。それによると、新聞の場合、震災発生直後は、震災報道が全報道の87%を占め、3カ月たっても65%を占めていました。それに対して、ウェブメディアは発生直後1カ月は、新聞と同等の割合でしたが、その後急速に低下し、3カ月過ぎて20%前後になっています。

 震災報道の低下傾向はすべてのメディアに言える現象だった点に注意が必要です。特にウェブメディアは「震災および原発事故を『忘れやすく』、早く日常に戻ろうとする傾向」がうかがえました。

 一般的に「ウェブ上には(伝統的メディアよりも)多様な言論が存在した」と言われることがありますが、震災報道に関する今回の定量分析では「取り上げられたトピックスのレベルでは必ずしも多様ではなく、むしろ新聞のほうが概ね多様であった」そうです。以下、関連部分を引用します。

 もっとも注目すべきことは、一般に「未加工」や「無編集」ゆえに「多様性が高い」と捉えられがちなソーシャルメディアは、それ単体では多様でなく、むしろそれら市井の声を整理し、編集したと考えられる新聞の情報が、(たとえばトピックなどのレベルでは)多様である場合の方は多かった点です。自然状態に近いツイッターやトゥギャッターの多様性が、新聞などを上回ることは、基本的にありませんでした。
 ウェブの中でもヤフートピックス、ブログ、トゥギャッター、ツイッターの順に概ね多様でした。このことからは、メディアの中で「私たちはいま、何を議論すべきか」というメタな視点に基づいた、ジャーナリズム的な情報の編集行為が一定程度介在したほうが、多様になり得る可能性を示していると言えます。

 調査対象となっている新聞が全国紙に限られていること、報道内容の分析にとどまり、受け手の側に関する分析が含まれていないこと-など、今後の研究に期待したい部分はあります。全体として東日本大震災に関する報道の全容、多様なメディアがそれぞれに果たした役割がよく浮き彫りになっています。

 終章の「私たちが持つべき視点」の獲得に向けて、も参考になりました。震災報道の定量分析で浮かび上がったメディア特性を正確に認識しながら、メディア論、ジャーナリズム論を次の局面に進めたいというのが、田中さんらのメッセージです。震災被災地の新聞社でネット報道の現場を担ってきた経験でも、社会全体が危機に陥るような大災害で「情報弱者」を出さないためには、メディアとしての特色をいたずらに強調するのではなく、多様な特性を生かした、異なるメディアの連携に向かうべきです。その意味で、最終章で田中さんらが強調する観点の一つ「いま議論すべきこと」は誰が決める?-議題設定と議題構築」はメディア関係者が参照すべき、重要な基礎テキストといっていいと思います。

投稿者 yoyu : 11:50

2012年7月 6日

【ソーシャル, 新聞&ネット】

NY・タイムズ東京支局長の新聞論 「『本当のこと』を伝えない日本の新聞」

japan_paper.jpg 「『本当のこと』を伝えない日本の新聞」(双葉新書)は、日本での取材経験12年の米国人ジャーナリスト、マーティン・ファクラーさん=ニューヨーク・タイムズ東京支局長=が本音で語る、日本の新聞への問題提起だ。ファクラーさんの日本の新聞を思う気持ちといらだちは、東日本大震災の取材を通してますます強固に、かつ厳しくなったように見える。本書に示されている論点の数々は、日本の地方新聞社で育ち、東日本大震災をネット分野の責任者として迎えた立場では、読み通すのが困難なほどに苦くて重い。同時に地域に由来するメディアの可能性を新聞のありようとして位置付ける視点には心を動かされる。この種の提案が外からの視線で語られてしまうことに内心忸怩たるものを感じるのも確かだが、まずは自らの現場でできることを探すことが重要だ。

 ファクラーさんは米アイオワ州出身。ブルームバーグ東京支局、AP通信社ニューヨーク本社、北京支局などを経て2005年からニューヨーク・タイムズ東京支局で活動している。

 2011年3月11日の東日本大震災発生当時、東京・有楽町にいたファクラーさんは支給されていたイリジウム衛星携帯電話で「東京で非常に強い地震が起きて首都は大混乱している」とニューヨークの本社に送信した。翌12日朝には被災地に車で向かい、13日夜には仙台市内の避難所や役所で取材、送信している。

 ファクラーさんの日本の新聞に対する批判は、日本での長いジャーナリスト体験に裏付けられている。いずれも具体的なもので、「第2章 情報寡占組織・記者クラブ」「第3章 かくもおかしい新聞」「第4章 ジャーナリストがいない国」に詳しい。最終章「日本の新聞 生き残りの道」では、ソーシャルメディアとジャーナリズムの関係や米国の新聞社のネット戦略について解説したうえで「生き残り」のためのポイントとして「信頼性とニュースバリュー」を上げ、以下のように述べている。

 「3・11の原発事故後、日本の既存メディアの報道に危機感を抱いた人々は、ネットを使ってニューヨーク・タイムズなど海外メディアの情報を収集した。その情報は、ツイッターなどのソーシャルメディアによりどんどん拡散していった。日本のメディアを取り巻く現状を端的に示した出来事だったように思う。記者クラブメディアは信用できないが、かといって信頼に値するブランドをもったネットメディアは(まだ)ない。原発事故の恐怖のなか、藁にもすがる思いで情報を得ようとした結果、海外メディアのサイトにたどり着いたのだろう」(かっこ内は筆者)

 ファクラーさんはまた、3・11後、「脱原発」を掲げた報道で知られる東京新聞に「オンリーワンメディアとしての可能性」を見出し、独自の視点、独自の切り口で調査報道に取り組む「地方紙にこそ大きなチャンスがある」と強調している。「河北新報や琉球新報はその地方のニュースに重点を置き、東京に拠点を置く東京新聞が政治のニュースに力を入れるといった大胆な棲み分けをしてもいい。ストレートニュースは、共同通信や時事通信のような通信社に任せてしまう。全国紙が手掛けない長期にわたる調査記事を地方紙が書き、新しいネットメディアを通じて全国に発信すれば、他の地域に住む新たな読者が生まれるはずだ」

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投稿者 yoyu : 11:44

2012年6月11日

【ソーシャル, ブログあれこれ】

「聞き書き」が記録する震災 「鎮魂と再生」 

chinkon02.jpg 「東北学」を提起してきた赤坂憲雄さん=学習院大学教授、福島県立博物館長、遠野文化研究センター所長=が編集した「鎮魂と再生 東日本大震災・東北からの声100」(藤原書店)は、いわゆる「聞き書き」による震災記録集です。485頁。震災をさまざまな立場で経験した人々100人の言葉にまず耳を傾け、記録しています。聞き書きした筆者たちはいずれも東北に思いを抱く人たちであり、自分自身も何らかの形で震災を経験した人たちです。

 赤坂さんはこの作品について「ささやかなはじまりの石碑(いしぶみ)である」と述べ、やがて形成されるはずの「巨大な記憶のアーカイブの一部を成していくはずだ」と書いています。東日本大震災は歴史的な大災害であり、日本の社会のありようを大きく変えたといわれます。その通りだとは思いますが、ではどのように変わったのか、どのように変えていくべきなのかについて、日本の政治や経済の担い手たちの行動は必ずしも定まっていません。むしろ、震災という事実が示した重要な事柄をスルーし、自らの短期的な都合を優先するかのような動きにも見えます。

 震災を経て本当に大事にしなければならないのは何なのでしょう。それは赤坂さんとそのネットワークに連なる人たちが提案している「聞き書き」を通じて、明らかになることなのかもしれません。つまり、震災の経験に徹底して寄り添うことです。「亡くなった人たちは語ることができない」とも赤坂さんは書いています。だからこそ、生き残った人たちの思いをくみとり、心の奥底で感じる必要があります。その過程を意識的に求めない限り、他人の経験はどこまでいっても他人事。時間の経過とともに希薄になります。政治も経済も再構築されることはないでしょう。

 「聞き書き」という表現スタイルは、マスメディアの報道スタイルや、発信に重きを置くブログ、ツイッターなどのソーシャルメディアとはどう違うのでしょう。東日本大震災が起きた事実を介して「話し手」と「聞き手」の間に何をもたらしているのでしょうか。さらに「読み手」はどのような形で、その関係に参加していくことになるのでしょう。赤坂さんを中心としたプロジェクトは3年計画だそうです。今後のメディアのありようを考えるうえでも、重要なヒントを多数与えてくれています。

 編集協力にあたった出版社「荒蝦夷」の土方正志さんは「赤坂東北学の大きな柱」である「聞き書き」について、あとがきで以下のように書いています。

 「インタビューではない。聞き取り調査でもない。コメントが欲しいわけでもない。そして語り手の人生が透けるような聞き書きは短くては達成できない。私たちは400字詰め原稿用紙にしてひとり10枚の聞き書きを重ねてきた」

投稿者 yoyu : 11:40


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