河北新報

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2012年9月18日

【ソーシャル, 新聞&ネット】

あらためてソーシャルメディア

 最近になって日本の新聞界でも、いわゆるソーシャルメディアについての関心が高まっています。結構なことですが、道具・環境の珍しさや厄介さ、伝統的なメディア作法との違和感あるいはつながり、収益事業としての可能性などに関心が集中しすぎているような気がします。重要なのは新聞あるいは新聞社の今後のありようです。それぞれに向き合っている「社会」や「コミュニティー」「人々」との関係をどう作っていくかの方がはるかに重要です。

 新聞社が得意とする地理的なコミュニティー自体、インターネットを軸に大きく変わってしまっています。そこに住む人々の価値観や関心は今や測定不可能なほどに多様化しています。複雑にもなっています。「新聞購読者かどうか」といった尺度をあてはめるだけではほとんど何も見えてきません。

 日本の新聞社、特に河北新報社のような地域に由来するメディアにとっても、ソーシャルメディアに関する議論の出発点は「ソーシャル」であり「社会」であり「コミュニティー」であるべきです。かつては静止状態にあった「コミュニティー」自体、ネットの力によって地理的な枠組みから自由になっています。そこに住む「人々」についても「ずっとそこにとどまっている人たち=待っていてくれる人たち」ととらえるのはかなり難しい。従来型の組織や仕事環境を無傷のままに置くために「ソーシャルメディアをどう活用するか」を考えることも、無意味とは言わないまでも、出発点と方向を見失っていると言わざるを得ません。

 幸い、ブログ、SNS、ツイッター、フェイスブックなどの「ソーシャルメディア」は「新聞購読者かどうか」の尺度に変わる、重要な手掛かりをもたらしてくれます。新聞社がそれぞれに向き合っている「社会」「コミュニティー」「人々」とのつながりを多様に形成するために、唯一使える環境であることも間違いありません。

 現在、流行しているソーシャルメディアがすべてではありません。現時点で使えるソーシャルメディアの比較をうんぬんする声が時折、専門家の間にも聞かれます。道具の基本装備を比較しながら、ああでもないこうでもないを考え始めるのは、なかなか面白いので、ややもすると一番肝心な「地域」「社会」「人々」とメディアの関係を描く余裕がなくなります。ソーシャルメディアは「社会」や「人々」との関係をなるべく多様に作り上げるためのパーツにすぎません。より使えるものが登場したらそれに置き換えればいいだけです。

 河北新報社が2007年4月にスタートさせた地域SNS「ふらっと」についても、スタート当初から厳しい意見が多々、ありました。「ターゲットを地域に絞るのはマーケットを狭めるだけで、ビジネスモデルにならない。何の意味もない」「SNSはあまりに重装備過ぎて使えない」「SNSはいったん始めたらやめられない」「あの手の仕掛けを新聞社がやったら荒れるのは間違いない。一体、どうするんだ」等々・・。ありがたくも、重要なアドバイスを各方面からいただきました。メディアと「地域」「人々」との関係をデザインする手掛かりがほかに存在しませんでした。リスクを考えて踏み出さないのか、「ネット社会」で必要とされるメディアのデザインづくりに向けて試行錯誤を始めるのか。そこが大きな分かれ道になりました。

 SNSよりも1年前に手掛けたブログを含めて、ソーシャルメディアによって動き始めているテーマは、かなりの数に上っています。東日本大震災が2011年3月11日に「ドカン」と来たときに、ネット、特にブログ、SNS、ツイッターを使って情報を発信できたのも、4年にわたるソーシャルメディア体験があったからだと考えています。震災時にソーシャルメディアが果たした役割について各方面の検証作業や研究が進んできました。河北新報社のネットメディアとしての取り組みにどんな意味があったのかについて、やっと考える手掛かりが生まれつつあります。

 ソーシャルメディアの現場にかかわっている社員にとっては過剰なほどのテーマが今も動いています。ソーシャルメディアを仕事に組み入れると、確実に忙しくなります。なぜならソーシャルメディアの向こう側には、多様で刺激的なアイデアを持つ「人々」が存在するからです。その人々との関係を取り結ぶことなしには、「マスメディア」としてのありようも、地域に由来するメディアとしての姿もデザインすることは難しいはずです。

投稿者 yoyu : 2012年9月18日 10:38