河北新報

2012年2月 8日

【ソーシャル, Books】

薄暗がりのウェブ/「インターネット・デモクラシー」

P1000434_02.jpg フランスの社会学者ドミニク・カルドンさんの「インターネット・デモクラシー 拡大する公共空間と代議制のゆくえ」(トランスビュー)を読みました。久しぶりに読みごたえのあるインターネット見解に触れたような気がします。キーワードは「公共空間」と「代議制」です。特にSNS、ツイッター、フェイスブックなど、ソーシャルメディアが活用されるネット社会の新しい領域を「薄暗がりのウェブ」と表現している点が注目されます。公共空間の拡大や政治形態のありようからメディアとインターネットとの関係、女性や社会的な少数者の参加の問題についてもあらためて考えるきっかけとなるはずです。翻訳家の林昌宏さんが翻訳、東大大学院情報学環の林香里教授が翻訳と解説を担当しています。

 66ページに掲載されている図「公共の場における4つの発言形態」を見てから読むことをおすすめします。カルドンさんのインターネット理解の中核ともいえるものです。まず「ネット社会における公共空間」に登場するプレイヤーを「発言する人物」と「発言の話題にされる人物」に分類します。「発言する人物」は「プロ」と「アマチュア」に分け、「話題にされる人物」を「公共の領域で知名度のある有名人(政治家、企業経営者、専門家など)と、特別に注目の対象にならない一般人」に分類します。

 そのうえで、「プロ]と「アマチュア」を横軸に設定し、「有名人」と「一般人」を縦軸にして「公共空間」を4つに区分します。「アマチュア」がブログなどで「有名人」について語るエリアが「参加型のウェブ」、「アマチュア」が「一般人」について語るエリアが「薄暗がりのウェブ」となります。「薄暗がりのウェブ」では,「ほとんどの者たちは、自分自身のこと、自分の家族のこと、自分の気持ち、自分の趣味などについて語」ります。

 「要するに、個人のおしゃべりである。彼らは、身近なネット仲間以外に、誰が見聞きしていようとほとんど気にしない。薄暗がりで交流する主人公たちは、このような交流が成り立つのは、人目につくのが限定的な、このような領域においてであると信じているようだ」

 「薄暗がり」のネーミングがどんな意味なのかについて直接の説明はありませんが、もっぱら「プロ」が「有名人」や「市民」について語る、伝統的な公共空間から見れば、何が行われているか、よく分からない「薄暗がり」というほどの意味でしょうか。インターネットの急激な発達は、ちょっと前なら私的な空間であったはずの発言やコミュニケーションにも公共性をもたらし、そのこと自体が既存の価値観や秩序に大きな衝撃と変化をもたらしつつあるというわけです。その点についてカルドンさんは「インターネットが社会全体に浸透するに伴い「公けに発言する権利が社会全体に広がる一方、私的なおしゃべりの領域が公共空間に組み込まれるという、二重の革命が起こった」と書いています。

 解説の中で林教授は「その言葉どおり、そこはジメジメとして暗く、何があるか、どこまで広がっているかわからない未踏の領域」「この領域こそ、従来のマスメディアにはない、ネットに広大に広がる表現・言論空間であり、しかもそれは、政府の公式見解やマスメディアのスクープと同じ空間に並列されてしまうところが、インターネットのポテンシャルとリスクとを物語っている」と述べています。

投稿者 yoyu : 00:43

2011年12月 8日

【ソーシャル, Books】

特定の人に向けて/ 「いますぐ書け、の文章法」


bunsho.jpg ソーシャルメディアの文章表現についてあれこれ考えているうちに面白い本に出合いました。雑誌ライター、堀井憲一郎さんの「いますぐ書け、の文章法」(ちくま新書)です。不特定の読者ではなく、伝えるべき「人」を明確に意識して書くことをすすめています。堀井さんはオンラインを前提にしているわけではありません。人をつなぐことに強力な力を発揮するソーシャルメディアの文章法としても、有効な点が多々あるように感じました。

 ややくどいのですが、章見出しをすべて並べてみます。「プロとアマチュアの決定的な差」「文章は人を変えるために書け」「客観的に書かれた文章は使えない」「直感のみが文章をおもしろくする」「文章は言い切らないといけない」「文章で自己表現はできない」「事前に考えたことしか書かれていない文章は失敗である」「文章を書くのは頭ではなく肉体の作業だ」「踊りながら書け」
 
 堀井さんは「誰に向かって、どういうことを書いているか」が重要だと強調しています。しかも、特に大事なのは「誰に」であり「内容なんかどうでもいい」とまで書いています。

 読者を大切にする、不特定多数に向かって書く、若い女性に読んでもらう-などでは、読んでもらえる文章は書けない。書いても恐らく失敗に終わる。堀井さんは「28歳のよく笑う女性:ユリエちゃん」に読んでもらいたくて文章を書くんだそうです。具体的な「人」を明確に意識する文章法といっていいでしょう。堀井さんの文章法は、さらに多様で幅広い、実戦向きのノウハウを多数含んでいます。

 「雑誌は、だいたいは気楽に手に取られ、さほどの目的も思い入れもないままペラペラとめくって目を通すものである」「そこで、読む人の手を少しでも止められたら、というのが私がライターになって以降、ずっと考えてきたことである。今でも考えている。正解はない」

 雑誌には数多くの文章が掲載されます。漫然とパラパラめくるだけの読者に自分が書いた記事を読んでもらうのは、通りすがりの人に物を売る啖呵売(たんかばい)のようなものだ、と堀井さんは言っています。映画「男はつらいよ」で渥美清さんがやる、あれ、です。

 調子のいい言葉を並べて客を引き付け、たとえ怪しげな商品でも、その瞬間に財布からお金を出してもいいと思ってもらう。そのきっかけを文章で表現できるかどうか。啖呵売に使える話題や表現の工夫を日ごろからどれだけストックできているか。そもそも編集者がその気にならければ記事を書くチャンスさえ生まれません。企画段階から「啖呵売」は始まっています。

投稿者 yoyu : 21:58

2011年3月11日

【新聞&ネット, Books】

上阪徹さんの「プロ文章論」

pro.jpg ライター上阪徹さんの「書いて生きていくプロ文章論」(ミシマ社)が非常に面白い。技術よりも「心得」を重視する視点が新鮮です。長い間、文章を書くことでなんとか生きてきて、上阪さんのプロ文章論を読むと思わず背筋が伸びる感じがします。「プロ文章論」をうたってはいますが、前半は初心者にも優しい内容です。多彩な情報発信を日々楽しんでいるすべてのブロガーさんにお薦めできます。

 新聞記者の文章論・取材論としても十分読めます。ただ、上阪さんの基本的な考え方は「新聞は実は難しい」というものです。「新聞を批判するつもりはない」と前置きしながら、一つひとつ丁寧に、人に伝えるための「心得」を記しています。上阪さんの、新聞の文章観にかかわる部分を引用します。書きっぷりはとても優しいですが、理解しやすさという点で新聞は基準にならないと断言しています。その意味するところはとてもハードです。

 新聞には優れた文章もたくさんあります。ただ、新聞を読んでいても、よくわからないという人は実は少なくないと思うのです。読みやすいか、理解しやすいか、という点では、新聞の文章を基準にするべきではないのではないか。

 そして、新聞で使われているから、これを使っておけば大丈夫だろう、という思いがあるのか、あまりに安直に慣用句が使われているケースをよく目にします。「未知数である」「懸念をはらむ」「警鐘を鳴らす」・・。

 参考までに「第1章・その文章は誰が読む?」の見出しだけを上げてみます。雰囲気をつかめるはずです。

 「文章の怖さを知っていますか?」「読んでもらうことの大変さを認識していますか?」「それは誰に向かって書く文章ですか?」「それは、何のために書く文章ですか?」「自分で理解したことを書いていますか?」「上手に見せようとしていませんか?」「賢く見せようとしていませんか?」「『文章』を書こうとしていませんか?」「形容詞を多用していませんか?」「具体的な『話』をひとつでも入れましたか?」

投稿者 yoyu : 12:09

2011年1月19日

【ソーシャル, Books】

再考「パブリック・ジャーナリスト宣言。」

pj_book.jpg 「ハイパーローカルジャーナリズム」についてサンフランシスコクロニクルの編集長は「パブリックジャーナリズムが進化した形だ」と言っていました。パブリックジャーナリズムは「シビックジャーナリズム」とも呼ばれます。1980年代の米国に生まれたジャーナリズムの形です。全米の地方新聞社を中心に盛り上がった取り組みで、地域や住民との関係を密接に保ちながら、地域の諸課題の解決を目指しました。大手メディアからは、地域との関係を意識的に深めるのはジャーナリズムではなく、活動家の仕事だ、といった批判があったことが知られています。

 パブリックジャーナリズムとハイパーローカルジャーナリズムがどうつながっているかについては別途考えることにして、インターネットを活用した市民メディア「PJニュース」の編集長、小田光康さんの「パブリック・ジャーナリスト宣言。」(朝日新書、2007年)を読み返しました。

 小田さんは「PJニュース」創刊に合わせ、2005年2月7日付で「パブリック・ジャーナリスト宣言」を発表しています。「パブリック・ジャーナリスト宣言。」には「PJニュース」の創刊のいきさつや市民メディアの創刊を目指した意味、方向性について詳しく記されています。

 小田さんの「パブリック・ジャーナリスト宣言」を読むと、米国のパブリックジャーナリズムをベースにしながらも、極めて日本的な環境の中で、市民メディアの実現に向けて試行錯誤したことが伝わってきます。「PJニュース」自体、ライブドア事件という、非常に特殊な事例に巻きこまれたともいえます。その試行錯誤の現場から編み出された問題の整理の仕方、運営ノウハウ、課題へのアプローチなど、現時点で「ハイパーローカル」を考える上でも、非常に参考になるポイントは整理されています。

 「PJニュース」が目指しているジャーナリズムはあくまで「市民が主体」であり、「市民参加型ジャーナリズム」ではないと小田さんは断言しています。市民が既存のジャーナリズムに参加するスタイルではありません。新聞社側で一般に言われる「市民記者」「読者リポーター」「市民リポーター」などとは異なります。

 以下、「ハイパーローカル」を考える上で、頭の体操を仕掛けてくれた部分を一部引用します。

 「大手マスメディアの報道は『中央』の出来事がほとんどです。これはより多くの人々に影響する出来事を伝えるというマスメディアの特性に由来するものです。逆に『地方』あるいは『周縁』といった部分の情報は切り捨てられがちなことも真実でしょう」

 「マスメディアによるジャーナリズムのかたちを、はたして、生活者が主体となるパブリック・ジャーナリズムにそのままあてはめることができるのだろうか」

 「わたし」という視点からの語り口を重視し、物語的な文体の記事、『ナラティブス』という新しい形態の記事が出現しています」

 「パブリック・ジャーナリスト宣言」が発表された前後は「ライブドア事件」が注目されていました。ライブドアとの関連が深い「PJニュース」「パブリック・ジャーナリスト宣言」についても、今にして思えば過剰かつ副次的な背景情報などに気をとられ、正確に受け止めきれなかったように思います。今なら視界が広がります。「ハイパーローカルメディア」について、現時点で自分の立ち位置に合わせて理解し、実践のプログラムの一つとして構築するためには必読の書といえるかもしれません。
(「米ベイエリア ハイパーローカルの現場」関連)

投稿者 yoyu : 14:41

2010年9月 8日

【新聞&ネット, Books】

内田樹 「街場のメディア論」

machiba.jpg 神戸女学院大教授の内田樹(うちだたつる)さんは「街場のメディア論」(光文社新書)の中で「おそらくあと数年のうちに、新聞やテレビといった既成のメディアは深刻な危機に遭遇する」と述べています。危機を克服できるかどうかの分岐点を「コミュニケーションの本質をどれだけ理解できるか」だと強調しています。既成のメディアの危機を単なるネット因果ではなく、メディアの側のコミュニケーション失調に求める視点は、現代社会全体を覆う知的失調への危機感に結びついています。

 この作品は「アメリカ論」「中国論」「教育論」と続いた「街場シリーズ」の4作目。女子大の授業を基に内田さんと編集者らの共同作業的なアプローチによって編集されています。女子大生にとってなるべく身近な事例、分かりやすい論理を使ったそうです、ガチガチのアカデミズムではない「街場」から生まれる議論のイメージが伝わるでしょうか。

 冒頭、若い世代の職業適性をあらかじめ完成されたものとしてとらえる「キャリア教育」を痛烈に批判しています。本来、職業経験は他者からのリクエストによって長い時間をかけて育まれるものであり、セミナー、資格取得の類によって事前に蓄積されるものではない。にもかかわらず、あらかじめ設計されたサービスや商品のように「キャリア」を扱う風潮がある。そのため長い就職活動の末に入社しても、ちょっとした不具合や予想と異なる事態にぶつかると、すぐに「わたしには合わない」と見切る若者が増えている。

 キャリア教育だけでなく、医療やメディアなど、さまざまな場面で人間を「消費者」として扱う感覚が広まり、日本社会全体のコミュニケーション失調を招いているというのが内田さんの基本的な考え方です。「マスメディアの嘘と演技」「メディアとクレーマー」「『正義』の暴走」と続くメディア批判はメディアの現場に携わる者なら思い当たることが多々あるはずです。

 最近、関心を集めている電子書籍についても、読者文化の危機と結びつけて論じられがちだが、そこにいるのは「読書人」ではなく単なる「消費者」にすぎない。電子書籍の登場によって、出版される本の数は確かに少なくなるかもしれないが、本当に本を読む人、読書文化を育てるプレイヤー=「読書人」とは、書棚に本を並べることにも、さまざまな意義や動機を見出します。単なる消費者としてはかる尺度では間に合わない。

 電子書籍の普及によって、個人のデジタル書棚にいくら本を並べても、それはオンラインでいつでも入手できるものをわざわざ並べておくだけのことである。本読みが思わずうなってしまうような「電子書籍論」としても興味深い内容になっています。

 デジタル技術の発達によって、利害得失、既得権の争奪戦の様相を呈しつつある著作権問題についても、内田さんは「本を書くのは読者に贈り物をすること」と述べています。何らかの価値が初めからセットされているものとして著作権を位置づけ、本の読み手の感動や作者への敬意とは無縁なところで論じるのは意味がない。本の価値は読み手が作者への敬意や反発を抱いた時点で初めて生まれるという考え方です。

 人類学的な見解を踏まえた第7講「贈与経済と読書」は読者と無縁なところで、利害関係者のみで構築する著作権論議に警鐘を鳴らし、著作権論議に新しい可能性をもたらしているようにも見えます。ちなみに内田さんは、自分の著作物引用や転載を積極的に認めている立場をとっています。

投稿者 yoyu : 07:08

2010年8月19日

【ネット活用, Books】

村上龍の「歌うクジラ」

kujira.jpg 村上龍さんがiPad用の電子書籍として発表した新作「歌うクジラ」には、音楽家、坂本龍一さんの曲が使われています。話の展開に合わせて効果音のように使われていました。CGアニメーションが表紙や章扉に使用され、全体として、書籍のイメージを大切にしながら新しい作品世界を模索しているような印象を受けました。632頁、1500円。

 正直に言えば、文学の世界に野放図に動画系のコンテンツを展開されても、読み手の想像力に出番がなくなるだけのような気がします。動画が欲しいのなら映画やビデオを見れば済むことですから・・。文学世界の電子書籍化では、今後さまざまな挑戦が行われるでしょう。面白いテーマであるのは間違いありません。

 内容について書くのは控えます。格差、移民、高齢化、命の分野における暴走などなど、愚かな権力者と愚かな我(われ)がセットになれば、あるいは現実のものとなるかもしれない。とても不気味な近(?)未来小説です。
 
 想定されている世界のありようが、現代社会に起因するのは当然のことながら、そのリアリティーには感心してしまいました。不思議で過酷な運命をたどる主人公の少年が一人称で語り続けます。構築力、提案力ともに十分。今後、他の電子リーダーでも読めるようになるそうですが、現時点で、書籍になっていないのは、惜しいことだとやはり感じました。

投稿者 yoyu : 15:48

2009年9月29日

【ネット活用, Books】

クラウド・コンピューティング仕事術

cloud.jpg  ジャーナリスト西田宗千佳さんの「クラウド・コンピューティング仕事術」(朝日新聞出版)が面白い。次世代のネット環境として注目を集めているクラウド・コンピューティングの考え方について丁寧かつ分かりやすく説明しています。タイトルに「仕事術」がついているように筆者の「クラウド体験」が満載。ややこしい解説本としてよりも、まずネット活用の事例報告として楽しむうちに頭がはっきりしてきます。

 「クラウド」の場合、パソコンを使って手元で行っていた処理をネットの「向こう側」の事業者に任せてしまいます。それによってソフトやハードの購入や運用に要する費用を削減しようと考えます。「向こう側」にデータを置くことによって生まれる新しい可能性も、想定できそうです。データの保管も含めて「向こう側」に置くことになるので、大切なデータを管理するうえで不安の声が少なくありません。データの「流出」「消失」、サービスの「切断」など「ネット社会」はまさに不安がいっぱい。企業のデータや個人情報の扱いは厳密でなければならないのに「向こう側」に預けてしまって本当に大丈夫なのでしょうか。

 一方、インターネットが登場して15年。個人も企業も、ネット特有の不安や危険を回避・解消するために、どれだけのコストをかけてきたか。人材も資金も不十分な中で、どれほど背伸びしてきたか。その結果、どの程度の安心を実現できているのか。迷惑メールや不正侵入の問題など、完全な解決にはほど遠いのが実情です。これまでのありようを冷静に考えてもいい時期に差し掛かっているのは間違いありません。

 「クラウド」と聞いて頭に浮かぶリスクの数々は、実は現状でも問題になっている事柄が多いようです。西田さんはクラウドコンピューティングに対する不安や問題点を取り上げ、一つ一つ論理的に説明しています。大切なデータを「向こう側」に置くだけでなく、可能なら手元のPCにも複製を置いておくような柔軟な発想の方が当面は望ましいと考えているようでもあります。

 本書に刺激されてグーグル社のGmailに届いたメールを携帯のメールアカウントに飛ばすように設定しました。このGmailアカウントは個人的なメールの保管倉庫として利用しています。個人アドレスにメールが届くと自動転送されるように設定してありました。今回、さらに一歩進めて携帯と「クラウド」をつないだわけです。

 その結果、個人アドレスにメールが届いたことを携帯で即座にキャッチできるようになりました。また、携帯に届いたメールを個人アドレスあてに返信すると、PCのメールアカウント、Gmail、携帯メールをつなぐループができてしまいます。見方を変えれば、一度の手間でデータのバックアップが2カ所にできる環境ともいえます。ささやかな「クラウド」実験です。

投稿者 yoyu : 15:44

2009年6月 6日

【ネット活用, Books】

「グランズウェル」が面白い

groundswell.jpg 「グランズウェル-ソーシャルテクノロジーによる企業戦略」という書籍があります。米国で2008年5月に刊行されてベストセラーになり、11月には翔泳社から日本語版が出ました。タイトルにある「グランズウェル(Groundswell)」は「大きなうねり」の意味です。シャーリー・リーさんとジョシュ・バーノフさんの共著。二人とも米国の独立系調査会社のアナリストです。

 新しい言葉はいつも分かりにくいものですが、ブログ、SNS、ユーチューブ、ウィキ、ツイッター、ポッドキャスティングなど、現在のインターネットの主流であるソーシャルテクノロジーをまとめて把握し、戦略的に対応するためのガイドブックのような作品です。市場そのものをソーシャルテクノロジーが組み込まれた存在として評価する視点が重要です。企業向けです。もちろん仕事でインターネットを使う人には必須。今のネット状況に戸惑い、半ばあきらめかけている人(?)にも、おすすめかもしれません。企業としての地方新聞社と「グランズウェル」の関係について考えさせられます。

 本書が分かりやすいのは「グランズウェル」を、既存の企業や事業モラルではコントロール不可能、かつ回避不可能な問題として位置づけている点です。ネット関連の技術やサービスの変化があまりにも目まぐるしいので、ややもするとそのことだけで拒否反応を示してしまいがちです。企業経営に携わる人たちに対してそういう「泣き言」を一切許さず、企業として存続するには「グランズウェルに参加する」以外にないと強調しています。とても強引な印象があるかもしれませんが、そうではありません。むしろ事例やデータを数多く示しながら、それぞれの事情を抱えている企業がどのポイントから取り掛かればいいかについて親切に書いています。

 河北新報社の地域SNS「ふらっと」の関連で、企業の担当者がブログを書く場合のこつについて、担当者の間で検討したことがあります。普通の企業にとってブログを導入する決断自体、実際にはそんなに簡単ではありません。ブログという仕掛けをどう考え、事業展開にどう結びつければいいのか。ブログを書くとはどういうことで、実際に始めるとどんなことが起きるのか。考え出せばきりがありません。迷うのは当然です。

 本書の第6章に「企業ブロガーへの10のアドバイス」というくだりがあります。第1のポイントだけ紹介します。「まずは耳を傾ける」です。意味は「飛び込む前に、そこで話されていることに耳を傾けよう。業界関係者のブログや、競合企業、専門家、インフルエンサーのブログを観察する」ことです。他にも有効なアドバイスが並んでいます。個人的に感心したのは第9のポイント、「ブログを書くことは、単に文章を書くことではないと肝に銘じる」でした。
 
 以下、印象に残った表現の一部です。

 「テクノロジーはグランズウェルの本質ではない」
 「グランズウェルの活動はどれも人と人を結ぶものだ」
 「日本の消費者はグランズウェルへの参加度が非常に高い」
 「問題は必ず起きる。グランズウェルはコントロールできない」
 「グランズウェルと話をする方法。最も一般的で効果的な方法は4つ。バイラルビデオを投稿する。SNSやユーザー生成コンテンツサイトに参加する。ブログスフィアに参加する。コミュニティを作る」

投稿者 yoyu : 11:18

2009年5月13日

【新聞&ネット, Books】

地域活性化と「地域職人」

 「地域活性化」と「情報化」のいわく言いがたい関係に切り込んだ「地域メディアが地域を変える」(河井孝仁・遊橋裕泰編著、日本経済評論社)を大変興味深く読みました。というのも「地域活性化」も「情報化」も地方新聞社に身を置く者にとっては、伝統的かつ厄介なテーマだからです。とりわけブロードバンドが地方圏にも広がっている中では、アナログ時代から展望するかのような、旧来型の情報化への取り組みは明らかに通用しません。「地域メディアが地域を変える」には、「地域活性化」と「情報化」を結びつけるための戦略的で新しい枠組みが示されています。

 編著者の一人河井さんは東海大学文学部広報メディア学科准教授(地域情報論、行政広報論、NPO論)です。河井さんが示している枠組み論は、地域社会におけるあらゆるプレイヤー(行政、企業、市民、NPO、メディアなど)の立場や役割・機能を「地域活性化」と「情報化」の観点で整理、再構築するものです。野心的な試みといっていいでしょう。地域社会には社会的な組織や人々、社会的な動きや事例が既に存在します。それらの事例を河井さんが生み出した言葉や位置づけに当てはめながら読むのは、門外漢にとって簡単ではありませんが、全体として重要な示唆を含んでいることに間違いありません。

 「環境、子育て、経済的利益、防犯、防災、地域メディア、文化、芸術、政治、歴史、食」など、異なる興味や関心ごとに形成される大小さまざまなつながりを、河井さんは「関心連携」と名付けます。「地域」とは、多様な「関心連携」を部品(モジュール)として組み立てられている建築物(アーキテクチャ)だと考えています。そのうえで河井さんは多様な「関心連携」を担ったり、参加したりしている人々が、地域活性化の目標に向かって、その役割を果たせるような仕掛けの必要性を訴えています。

 河井さんの枠組みの中で特に印象的なのは「地域職人」と名付けた人々が数多く登場し、活躍することが前提になっている点です。乱暴を承知でまとめてしまえば、「地域職人」とは、地域活性化のため、さまざまな現場で情報技術を駆使する人々です。ブログやSNSに代表される「Web2.0」のウェブツールの利用にたけ、自分たちが住む地域をよくしたいと願う人々でもあります。ただし、特定の個人の神話や伝説に終わらない環境であることが必要と河井さんは強調しています。

 確かに「地域活性化」に関する従来の著作や報告の類は、運とチャンスに恵まれたある地域の、特定の能力や熱意を持った人物を紹介して終わりという事例が多々ありました。その人物がいなくなると活性化物語も終了する。誰がやっても活性化できる仕組みや環境の提案にはなっていなかったふしがあります。

 河北新報社が運営している地域SNS「ふらっと」のコンセプトの一つに「地域のブロガーさんと双方向のチャンネル」を作るというものがあります。SNSやブログを使いこなすようになった、ごく普通の市民が今後、地域社会においてどんな役割を果たしていくことになるのかは、必ずしも明確ではありませんが、地域の情報化との関連で考えても、多様な情報発信を軽々と行うようになったブロガーさんたちが脇役でいいわけはありません。プロの新聞記者に対して「地域ジャーナリスト」「コミュニティージャーナリスト」になる可能性もあるのではないかと考えています。河井さんの「地域職人」と、どこかでつながりそうな気がしています。

 「地域メディアが地域を変える」の実践例をお読みください。「地域職人」が自然に出現し、地域の活性化に向かうためのヒントや、難しさについての分析が多数報告されています。同僚である寺島英弥・河北新報社生活文部長も「ヴァルネラビリティと新聞の新たな可能性-当事者の発信を編集支援する「場」へ」と題して執筆しています。

投稿者 yoyu : 12:11

2009年3月 3日

【新聞&ネット, Books】

ジャーナリズムと市民

 共同通信の編集主幹をつとめた原寿雄さんの新著「ジャーナリズムの可能性」(岩波新書。09年1月20日)を読みました。「権力監視はどこまで可能か」「ジャーナリズムは戦争を防げるか」など、リベラルで硬派な議論が8つの章にわたって続きます。その上で、メディアチェック機能を有する市民・NPO等の活動やメディアリテラシー運動の意義を高く評価しています。

 メディアリテラシー運動はマスメディアが提供する情報を批判的に読み解くことを目指す市民(読者、視聴者)の側の取り組みです。ジャーナリズムとの関係では普通、対抗するものとしてとらえられるでしょう。しかし原さんはメディアリテラシー運動を「ジャーナリズム再生の鍵になりうる」と断定し、ジャーナリスト自身がメディアリテラシーを身に着けることさえ求めています。

 インターネットの急激な広がりの中で、マスメディア、ジャーナリズムをめぐる議論はとかく窮屈なものになりがちです。市民活動やメディアリテラシーとの関係でジャーナリズムの可能性を探る道は見通しがいいわけではありません。原さん自身も具体的なイメージを提示できているわけではありませんが、これまでの議論にはない視野の広さを感じます。地域の市民やNPOなどと近いところで仕事をしている地方新聞社にとっても、地域のNPOや市民、メディアの専門家らとの協業に向けた試行錯誤が地域に根差した独自のステージにつながるような気がします。

 ちなみに原さんがジャーナリズムの現状に対して抱いている危機感は深刻です。念のために引用します。
 「デジタル・ネット時代の到来は、既成メディアの存在を根底から揺るがしている」
 「特に若い世代は自分の欲しい情報だけに接する傾向を強め、民主主義社会に不可欠な基本的情報の共有が崩れ去ろうとしている」
 「現実への批判機能を果たすジャーナリズムなど不要とする情報時代の出現を放置することはできない」
「情報産業栄えてジャーナリズム滅び、ジャーナリズム消えて民主主義滅ぶ-そういう危険な時代の戸口に今、われわれは立っている」

 この10年、日本でも米国生まれのNPO的な考え方が導入され、市民活動の分野が不十分ながら次第に拡大してきました。ジャーナリズムやマスメディアとの関係でもメディアリテラシーへの関心が高まっています。市民FM放送に代表されるような「コミュニティ・ジャーナリズム」あるいは「市民によるオルタナティブ・メディア」に関する取り組みも各地で続いています。
(「オルタナティブ・メディア」はこの場合、既存のメディアではないメディア、というぐらいの意味。 alternativeはどちらか一方の、選択肢; 他の手段, 掛け替え。alternative energyは代替エネルギー)

投稿者 yoyu : 22:07

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